忍者ブログ
~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

もろもろ休日
昨日はほとんど休日、今日は全面休日でした。
ピアノやったり家の片付けしたり・・・

ちいさいやどかりさんそしてヤドカリさん2匹目お亡くなりになりました。
また脱皮中の出来事です。
悲しみももちろんありますが本当に今後に向けてなんとかしないと、と思う気持ちが強く。
これで今水槽のヤドカリさんは残り1匹。新しい仲間も飼いたいけど・・・
環境を脱皮成功のために整えてあげないと本当に心配で。

ここ数日結構文書きが進んでます。
ピアノも仕事も大切ですが、やっぱり創作の文書きも独特の意味で自分にとって大切だなあ、と実感しています。
もう何年もアイディアを溜めたり書いたりしてるので根気よく形にしたりまとめたりするのが大変ですができるだけ続けられたらと思っています。

そしてクラムの音楽の勉強に読み始めた「Neo-mythologism in Music - from Scriabin and Schoenberg to Schnittke and Crumb」(Victoria Adamenko著)という、音楽における「新神話主義」についての本が興味深い!
まだ第1章なのですがクラムの音楽だけでなく、他の作曲家の音楽、音楽の存在、そして私の創作に関してもものすごく納得いく説明だったり疑問に思ってたことの答えをくれたりして。
共感と納得でなんだか叫びながら走っていってしまいたい気持ちになっています(しつこいですがまだ第1章です!)
なんか物凄く安心するんですよね~自分の好きな物、やりたいこと、意志を支えてくれるようで。いま読んでるだけでも自分にとって偉大な本No.1ではないかと思います。

ピアノは新しい曲を始めました。
ラヴェルの「クープランの墓」から久しぶりにまっさらに新しい曲、「Rigaudon」。これで6曲中やっと4曲目です。後残ってるのは難易度の高い「Fugue」「Toccata」ですがなんだか今年チャレンジできるような気がします。
そしてもう一つはメシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」から「天使のまなざし」。こちらは20曲中15曲目!(30歳までに20楽章全部弾いた、と言えるのが目標です)。四元素で言えば他の何物でもない「火」の楽章です。

メルボルンin Janそしてメルボルンの夏は未だにうやむやのまま。昨日は屋内湿度が80%にまでなってとっても過ごしにくい!
30度超えの日もほとんど無く・・・なんだか損をした気になる2月中旬。
すでに日は短くなりつつありますし・・・
なんだかとっても淋しいです、夏として。

(写真はサウスバンクで1月に撮ったものです。)


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第14番「天使のまなざし」



まず最初に。
クリスマスカードやルネッサンスの絵画の天使のイメージを忘れてください(笑)

「天使」というのはユダヤ・キリスト・イスラム教(あとタイの仏教でも?踊りで居ましたが)で神から人へ、人から神へのメッセージを伝達する使いのこと。
キリスト教においては神が土から自分に似せて人を作る前に神が自分に似せて火から作り出したとされる存在で・・・
なので性質は人間と似ていますが、天使は「知恵の実」を食べていないがために基本的には神の指示に従って行動します。
天使は翼を持っていると描かれていることが多いですが、あくまでも彼らの思考と動きの速さを表す象徴のようなものだとか。

メシアンの天使のイメージはその「炎から出でた」「思考と動きの速さ」「翼」「神の指示に従う存在」というエレメントが含まれています。そして四重奏曲でもそうでしたがメシアンの天使はものすごく力強い!
翼に関してはこの天使を表すパッセージにお得意の鳥の声が混じることからわかりますね。(メシアンにとって鳥は神の使いなので天使と重なっている、というのもあります)

この曲集で幼子イエスの誕生を祝福するまなざしが圧倒的に多い中、この「天使のまなざし」はわりと複雑ななにかを抱えています。
天使は神に先に作られ、それも炎から作られ。しかも人間よりも神に従順で。
なのに神が自分の分身である「子」を作るのに天使としてでなく人間として作ることを選んだ・・・
これは天使側としてはかなりのスキャンダルなわけです。

だからこの曲は終始わたわたしていて、炎のようにせわしく燃えて、騒がしく。
喜びでなく戸惑いや焦り、はたまた怒りにちかい感情まではらんでいます。
神はどういう思惑なのか、これから自分たちの立場はどうなるのか・・・いぶかしく思いながらも興味津々で幼子イエスを見守る、そんなまなざしです。

(ムラーロ演奏のDVDがあったのでリンクはそれにしてみました~)

拍手[0回]

PR
音楽妄想: こんな詩で歌曲を書きたい!
今日はクラムの「Ancient Voices of Children(子供の古の声)」をスコアを読みながら聴いてみました。
A3より大きいスコアです♪(それだけでもわくわくするんですよね)もう何回も聴いてる曲ですが、スコアを見ながらあらためて聴いてみると惚れ惚れしますね!
詳しいことは今日の一曲で・・・

で、クラムの音楽でのロルカの詩の使われ方もまた見事なのをここ数ヶ月で本当に思い知ってきたのですが、それがなんだか「自分だったら歌曲にどんな詩を使うかな」と考え始めて。
ロルカの詩はまだ手元に詩集など手に入れてないのですが、他の詩でいろいろ考えてみました。
今のところ実際に作曲することは考えていません。なんだか無理そうな気がします。

その1:リルケの詩で歌曲集を
リルケはショスタコーヴィチの交響曲第14番で出会った詩人です。
結構短めで共通した雰囲気みたいなものを持つ物が多くて、ドイツテイストがものすごくほっこりするので例えばブラームスの歌曲みたいな感じの、オケ伴奏の歌曲集なんかにしてみたら素敵だなあ、と思います。
(実際いろんなところで使われてそうですが)
使いたいな、と思うのは例えば「私がその中から生まれてきた闇よ」とか、「嘆き」とか「秋」とか「眠りに落ちるときに」とか・・・
結構多いんですよね、なんかやっぱり共通の(目立たない糸的な)テーマでくくるのが面白そうです。7つ、というのがなんだか直感的に良さそうな数。
声のパートはアルト。オケのパートは本当にブラームスが使ってるようなオーソドックスで保守的なロマン派オケで、弦楽器中心で。
あったかみが大切ですね。

その2:アポリネールの「Le Pont Mirabeau」
アポリネールもまたショスタコ14番経由。これに入ってる「ローレライ」「自殺」など以外だと「The House of the Dead」が好きです。
・・・が、この詩は歌曲にするにはちょっと長い。なので有名な「Le Pont Mirabeau」をピアノ伴奏(もしかしたら+α)で、というのが面白そうです。
ピアノの伴奏はもちろん川の流れを表す音型で。ペダルたっぷり。声はテノールかな。

その3:Wildred Owenの「A New Heaven」
Owenの詩は戦争レクイエムで歌詞として使われましたが、使われなくて残念だった!と後に思ったのがこの「A New Heaven」でした。
やっぱりこれは(心残りもあり)イギリス風テノールで歌っていただきたい。そして伴奏はハープと、弦楽四重奏+少数の木管+ホルン1・・・みたいなアンサンブルで。ハープとホルンは絶対だなあ。「戦争レクイエム」の小さい方のオケの編成に影響受けまくってるのは明らかですが。

その4:Paul Celan「Death Fugue」
高校時代に「Night」を授業でやってるとき英語の先生が紹介してくれた詩。
独特の繰り返しだったり、棘だったり、題材のホロコースト繋がりと言い、良い音楽に乗せれば恐怖の部分がかなり増幅されるのではと思います。
私が思い描いているのはバリトンによる歌曲。ショスタコやユダヤ音楽のスタイル路線で伴奏にピアノ、バイオリンとクラリネット。(死、ユダヤ風といった性質をより際立たせるため!)
半分無調、というか十二音技法を取り入れた感じ(これも後期ショスタコーヴィチの特徴・・・影響されすぎ?)。

その5:William Dunber「Lament for the makers」
先ほどアポリネールの「House of the Dead」は歌曲には長すぎる、と書きましたがもっと長いこの詩はむしろちょっとTheatre形式を取り入れて(程度としてはクラムの「Lux Aeterna」+αかな?)、人間(テノール)と死神(バリトン)の二人による割とstaticな歌+舞台・・・を想定。
小道具とか一切無しで照明もミニマムで。ミニマム舞台。
伴奏はバイオリン+ビオラ+チェロ+コントラバスそれぞれ1台ずつとか。もちょっと増やしても良いかな。中世のハーモニーやスタイルも取り入れながらクラムみたいな特殊奏法もあったり。

実現できたらいいのになあ~と思いながら具体的なことは浮かばないのが私の音楽妄想。
他にもオーストラリア版鳥のカタログとか(これはあるていどまとまったらサイトの方に展示したいです)、そういうのも考えたり。
尊敬している作曲家に対してオマージュ、だったらやっぱり曲を書きたいな、と思うのですが。
今は妄想+プランで、でもちゃんと書き留めて保管しておきます。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「Ancient Voices of Children」より「Se ha llenado de luces mi corazon de seda」



(徐々にクラムの音楽のストックを崩してます・・・)
Ancient Voices of Childrenの最終楽章。今日改めて聴いてみて鷲づかみにされてしまいました。
この曲全体がどこか遠い、今はないし知りようがない古の地に不思議な望郷の念を心に湧き起こして・・・
果てしなく広がる空と裸足の足裏で踏みしめる乾いた大地をリアルに感じる曲です。

編成はピアノ(増幅あり、そして+トイピアノ)、マンドリン、ハープ、オーボエ、打楽器3人(かなりの種類)、ソプラノ歌手、そしてボーイソプラノ歌手。
どの楽器も特殊でハイレベルな技巧を必要とするのですがソプラノ歌手のパートが全曲通して目立って凄い!声でできることを全部使い尽くして大変豊かで広く、深い表現をする・・・という技巧的にも音楽的にもソプラノパートとしては最難関、同時にある意味最高峰の音楽ではないかと思います。
あとはオーボエもかっこいいです。クラシックに洗練されるまえのワイルドで力強く原石のような魅力を持つ音です♪

この「Se ha llenado~」はAncient Voicesの最終楽章。
歌詞になっているロルカの詩にもでてくる「鐘」の音が特徴的です(西洋のオケで使われる筒状のベルと、東洋の・・・というか日本の釣り鐘(小さめ)が同時に使われているのが興味深いですね)。
そして舞台にいたオーボエ奏者が舞台裏に歩いて去り、その後またさらに遠ざかるという不思議な現象もみられます(以前にいましたがオーボエは音量に下限がありまして、消え入るような効果は難しいのです)。

この楽章は先ほど書きましたような古の地の日没を思わせます。
ものすごく色彩がはっきりしてて、あのオレンジ、赤、紫、そして東の空の青・・・そして太陽が強く輝き、広がる地平線の向こうに沈んでいき・・・そして静かな中に闇が訪れ星が輝く、そんなイメージを今日抱きました。

この曲全体を通して「地」、そしておそらく「火」が次に強いと思われるこの曲。
そしてこの楽章では風がぴたっと止まってしまったようで。クラムってそうやって動きと静止を操って空間・時間を創り上げるのが上手すぎる・・・

メルボルンの本来の夏だったら夕方に聴くとぴったりだったんだけどなあ。でもそれでなくてもビビッドなイメージを心に直接届けてくれる曲です。

(録音はクラムの絶大を得、この曲を始めたくさんのクラムの音楽の初演を手がけたJan DeGaetaniがソプラノパートを歌っている演奏をぜひ!彼女はこの道、そして声での表現のマスターです。)


拍手[0回]

音程・リズム・ハーモニー・音色
脱皮中の小さなヤドカリさんがなんだか怪しい状態になってます。
死んじゃったかどうかわからないのですがさっきちょいちょい触ってたので生きてたら生きてたで大丈夫か心配・・・
まだ脱皮し始めてから一週間も経ってないし昨日まで動いてたのでまだ希望は捨てたくないです。

唐突ですが音楽は大まかに分けると4つの要素から成り立ってます。
1) Pitch(音程。音程の連なりが音階だったりメロディーですね。主にメロディーとしてここでは扱います)
2) Harmony(ハーモニー。和音・和声とも。調はハーモニーと関係が深いです)
3) Rhythm (リズム。拍子はリズムのものさしみたいなもの・・・?)
4) Timbre(音色。楽器や声など)

全部必要な要素か、というと難しいことろなんですけどね。
少なくともハーモニーは楽器一つの無伴奏の曲だったら実質ないわけですし(ただメロディーなどを使ってハーモニーを示唆することはもちろんあります)
そしてその要素の重要さは曲によって、作曲家によって、その作曲家を取り巻く文化によっても変わります。

国でのこの要素のウェイトの違いってものすごく面白いと思います。
たとえばイタリアはCanto=歌の国だけあってメロディー(pitch)が物凄く発達しています。ハーモニーは原色使い、というかシンプルな場合が多いです。
ハーモニーが複雑で発達しているのはフランス。ドビュッシーやラヴェルなど、和音の進行がメロディーのような役割を果たしている、そしてメシアンなどにみられる複雑なハーモニーの追求だったり。
リズムがはっきりしているのはヨーロッパでいったらハンガリーですね。お隣のルーマニアがちょっとメロディー重視なのに対してものすごく野性的なリズムが特徴です。
リズム、そして同じくらい音色が大切になるのがちょっと大陸変わってアフリカの様々な地方。打楽器が中心なのでリズムがダントツかと思いきや様々な打楽器の「音色」もまた音楽を構成して特徴付けるために大事です。

日本はメロディー重視でしょう、ダントツで。その次に音色。伝統音楽を聴いても常にハーモニーによる伴奏があるわけじゃない、というかメロディーでかなりハーモニーを濃く示唆してると思います。(歌を詠むときも旋律ですよね)単旋律のメロディー楽器がものすごく多いですしね(琴もハーモニー可ながらメロディーに回ることがたびたびあります)。リズムも刻みが細かいのは珍しいですし。
今のポップ音楽でも結構メロディーが他のエレメントと比べてずばぬけて重要とされている感はあります。
オーストラリアはリズムが強い!主にアボリジニ文化からのものなのですが、伝統楽器Didjeridooも音域がものすごく限られて様々なアクセントを色々な箇所につけることで音楽を創り出す、リズム楽器です。
オーストラリアの伝統音楽のリズムはアフリカのリズムにものすごく似たところがありますよ。
ちなみにメロディーに関して一番だと思うのはスペインのカタルーニャ地方とアイルランド。どちらも本当に美しい旋律が特徴的な伝統音楽です。

作曲家のこれらの要素のバランスも結構生まれたり育ったりした国の傾向に準拠する場合が多いような気がします。同時に他の作曲家や国の影響ももちろん受けますし。
ただこの要素のバランスがたまに変わったりすると「お、新鮮だな」とか「○○らしくないけど上手くできてるな」とか新しい驚きがあっていいです。
初めてヴォーン=ウィリアムスの音楽を聴いたとき、イギリス音楽はメロディーが売りなようなイメージがぼんやりあったのでそのハーモニーの美しさに本当にびっくりすると同時に心動かされました。こないだ紹介したラフマニノフも「スタンダードなロシアの音楽」とくらべてハーモニーの複雑さの比重が大きいからこそ「異色」に感じるんだろうな、と思います。

私自身のなかでの割合としては大きい順からハーモニー、リズム、音色、メロディーの順になると思います。
まず小さいときにストラヴィンスキーやバルトークの音楽の影響があったためリズムに関しては昔から深く根付いているものがあると思います。リズムは「原始的な脳」である小脳で扱われるといわれますが正に「本能」に近い物があると思います(少なくとも私にとっては)。
ただそれを若干超えるのがハーモニーかもしれないです。ハーモニーというよりは音色もちょっと入った「色彩」を意識していつも追いかけていて。
ハーモニーに心捕らわれたのとメロディーに対しての執着が目立って薄くなったのは同じきっかけだったりします。メシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」の第17番「沈黙のまなざし」を聴いて弾くようになった時「メロディー要らないじゃん!」と開眼してその曲の全ての色彩を愛するようになった経緯があります。
音色についてですが、ピアノ弾きでありながらどうしてもやっぱりオケが聴くにも弾くにも愛しいと思うくらいですから楽器の音色とその化学反応を大事には思っているんです。ただ上位2つへの意識的な思い入れが半端ないので比較的にこの位置、ということに・・・

もちろん弾く時はどのエレメントも意識しなければなりませんし、聴くときもなるべく全部のエレメントを深く味わいたいです。
でもやっぱりそのバランスが私の音楽だったり私のスタイル、解釈、感じ方に影響があるわけで、そしてそれは音楽を書く側も同じことで・・・
風水地火の話も以前しましたがもっと色んなエレメントを音楽において自由にできるようになれればいいなあ、と思います。特にハーモニーとリズム(やっぱり)。


今日の一曲: エイトル・ヴィラ=ロボス 「ブラジル風バッハ」第4番 第3楽章



昨日の一人初見祭りでの主役だったこの曲。私にとって初めて弾く曲ですが本当に長いこと知っている曲です。
ヴィラ=ロボスはなんとブラジルの作曲家。ちなみにお隣のアルゼンチンもジナステラ(ヒナステラとも読む)という作曲家を輩出しています。(残念ながら未体験な作曲家です。今年はお知り合いになりたい!)

父の初めての海外が中南米で私が生まれる前はブラジルに行ったり、ギターを弾いてボサノバが好きだったり、とにかく父がブラジル好きでヴィラ=ロボス好きで昔からこの曲を聴いていました。
普段は母と好みが近いのでフランス物とか母の好みの曲を弾く傾向がありますが、父の好みの曲であるこの曲も今年はいつかチャレンジしたい!と思ってます。

「ブラジルのバッハ」。第4番とあるからには勿論他の番号もあります。ただピアノのために書いてあるのは第4番だけ。シリーズですが色んな楽器のために書かれています(ベリオの「Sequenza」と似たような感じですね)。
なぜこういう名前かというとブラジルの民族音楽とバッハの作曲スタイルを融合させるのが目的らしく。楽章のタイトルも西洋音楽風だったり、ブラジルを思わせるものだったり。
なんとなーくですがこの第4番の最初の3つの楽章も、例えばバッハの前奏曲とフーガにおける前奏曲みたいなまとまりかたがあるような気もします。

第3楽章を選んだのは今日話しましたリズムのエレメントで少し特別なものがあるから。
第3楽章は「賛歌」で、悲しげで、苦しげで(これはハーモニーが良い味出してます)、どこかやっぱり民俗音楽の雰囲気があるメロディーを中心とした冒頭から始まって・・・
そして中間でサンバのリズムに似たいかにもラテンアメリカ!というようなリズムの速いセクションが現れます。
初見で弾くとちょっと手が戸惑いますね!こういうリズムは西洋の音楽にはあんまりないですから、リズムを知ってて感じられてても上手く弾けないもどかしさに思わず「ブラジル-!」と叫んでしまった、と余談ですが。

もっともっとリズムが感じたくなる、そしてハーモニーで心をきゅっとする曲です。


拍手[0回]

記憶の宮殿の話なようなそうでないような・・・
昨日親友から電話がかかってきました。
彼女は今とある精神科の病院で研修をやってて、主にホームレスで統合失調症を患っている患者さんと触れあうことが多いらしいです。
で、彼女は昨日ECT治療の見学をした、ということで電話でそのことについて話しました。
私はここでも何度か書いているようにECT経験者ですが、全身麻酔なのでもちろん麻酔がかかっているとき、例えば筋肉弛緩剤の効き方とか(皮膚の下でむにむにするらしいです)治療後に脳が安静になるまでのことを全く知らないので興味深かったです。昨日は仕事がものすごく忙しかったので(今日はなんとか落ち着きましたが)長くしゃべれなかったのが残念!
親友とならメンタルヘルス当たりのこと1時間以上もしゃべれますし(経験あり!楽しかったです)、最近このブログに書くような精神関係カテゴリのネタもないので、という残念さもあり。
ピアノも毎日体制になりますがなんとかそっちの方にも(勉強までとはいかなくとも)頭をめぐらせたいです。

最近本も論文も読んでなくて。
次はThomas Harrisのハンニバルシリーズで唯一読んでない最初の「Red Dragon」を読む予定でして・・・
で、前々から気になってるレクター先生の記憶術「記憶の宮殿」もフォローアップしたいなあ、と思ってます。

「記憶の宮殿」は他にもいろいろ呼び名がありますが(Wikipedia英語版ではMethod of Lociとあります)、実際にある記憶術で。
宮殿でなくても町でも、とにかく頭のなかに場所をつくって、さまざまな部屋などに記憶を保管して、記憶を呼び出すときにはその記憶の場所へ道とたどるイメージによりその場所を訪れる・・・というなんてまあ下手な説明(汗)
もちょっと勉強してからにすればよかったかな・・・(ぼそっ)
とにかく頭の中で記憶を保管している場所とそれにたどり着くプロセスを視覚的なイメージにすることによって大量の情報を記憶し、それらを取り出すことができるようにする、ということらしいです。
スーパーマーケットに行って、この商品はここにあって、この商品を買いに行って・・・というのをイメージするのに近い・・・とか。

レクター博士に関しては、彼の記憶の宮殿には1000もの部屋があって、思いのままに散歩して求める記憶のある部屋に行ってその記憶を引き出したり楽しんだり(思い出など)することができるという話があります。
もちろん彼はフィクションのキャラクターですが、部屋を思いのままに足して記憶のstorageを増やして行くことができる(たどり着く道さえ覚えていれば!)、ということの例ですね。

使う使わないにかかわらずなんだか面白そうなのでもっと知ってみたいと思います。
結構音楽でも音自体を覚えるよりはそのプロセス(道のり)を覚えるタイプの記憶なので(だから色んな意味でロジカルな理系音楽が身につきやすい?)そういう意味では向いてるかなーと思います。
ただ、私はちょっと視覚的な空間認識が苦手なところがあって・・・地図は好きで得意なんですけど、自分が景色のなかにいるとちょっと弱い。方向感覚はまあまあですが、視覚的な空間認識による記憶は本当に地震が無くて。
そこはどうなんだろうなあ、とちょっと思ったり。

でも似たような事を自分は創作でもしてるんじゃないか、と思います。
なんとなーく。

私の創作の特徴として:
1)時間が経てば経つほど膨れあがる
2)好きな物をなんとか組み込みたくなる
3)コンセプト、シリーズとしての(ストーリーをつなぐ)流れははっきりしているけれど個々のストーリーの話の流れを構築するのは苦手
4)設定が細かい
5)やたらと色んなところを繋げたがる
・・・などがありますが、よくよく考えてみると自分の創作って自分が出会ったり感じたり思いついたりしたことを忘れたくない、なくしたくないと思った事によって成り立ってるような気がして。

一つアイディアがあるだけじゃ忘れてしまう。
だからキャラクターの設定にするなり、環境の設定にするなり、(曲だったらサントラとして設定するなり)他の物と組み合わせて関連性を作ることによってそのアイディアにたどりつく道をつくる。
特にキャラクターとかある程度時間が経つと自分たちで動き出す、「命ある」ものにアイディアを関連づけるとキャラクターが「生きている」間はアイディアも生きる。(そのアイディアを取り入れて動くのでね)
精神医学だったり、第二次世界大戦におけるユダヤ人の状況だったり、もちろん音楽や神話なども、創作の色んなエレメントから繋がる資料や設定として私の頭の中に(性能はそれほどまだ良くないですが)保管してあるんですよね。
(あとキャラクターなどの設定としてあるアイディアを関連づけすると足りない側面を補おうと新しいエリアを調べたり興味を広げたりするのも創作に保管することの醍醐味でもあります)

オケ関係のストーリーは特に自分の記憶に強く結びついていると思います。
自分の弾かない様々な楽器についての独特の事情や特性を友達から聞いてはキャラの行動や創作のオケ生活のネタに組み込んだりして記憶し生かし、自分のこととして共感できるようにするプロセスだったり・・・
あとはスコアをみたり音楽を聴きながら「ここはこの人が弾いてる」「ここはこの人苦戦するだろうな」というイメージをすることで曲自体をより深く知る、というか・・・
スコアを丸暗記はできないけれど自分にとって創作オケを使うのは曲(およびその構成)を記憶するにはものすごく有効な方法であると思います(もっと深く活用してあげたいよ!)。

「記憶の宮殿」を勉強することはそれを似た形で応用することにも繋がって、自分の今なんとなく使ってる記憶術をもっとはっきりさせて強力にすることができるかなあ~と思います。
なんか英語でも日本語でも良い本が見つかるといいな、と思います。


今日の一曲: リゲティ・ジェルジュ ピアノのための練習曲第9番 「Vertigo(目眩)」



リゲティはなんだか久しぶりっぽい気持ちです。

「Vertigo」というのは目眩と訳していますが、特に高いところから下を見下ろしたときに感じる目眩だったり、内耳の病気などでおこる回転性の目眩のことを指すそうです。

昔名古屋の科学館で「無限音階」というのを聞いたことがありまして。
どんどん音が無限に上に登っていくように聞こえるのですが、下からどんどん音が迫っていくことでそう聞こえる、という仕組みです。

この曲はその「無限音階」の下降バージョンに近く、音が本当に途切れなくどんどん下に落ちていくように聞こえる曲です。本当にタイトルにある「高いところから見下ろした」際の逆らいがたい重力と無限の奈落への距離感、そしてそれらに関した恐怖感、ふわっとした感覚をリアルに感じる曲です。

その効果を体感するとリゲティの音楽の書き方が凄いを通り越して恐ろしい!
そのテクニックの機械っぽい(良い意味で!)性質といい、その綿密すぎる仕組みといい人間を超えた何かがあります。

そしてリゲティの書いた事を再現する奏者もまた凄い。
ただのだらだらだらっとした、ぼんやりした音の連なりでなく一つ一つの音の粒が落ちていく様を聞かせるためにも物凄くクリアでevenなレガート(でも繋げすぎないで)のタッチ、そして絶妙なペダルのコントロール(深さ、変えるタイミング、変える程度)が必要です。
簡単な曲が無いリゲティの練習曲のなかでも素晴らしく仕上げることに関してはトップクラスの難易度なのではないかと思います。

リゲティといえばキューブリックの映画の音楽を書いた事でも有名。(2001年宇宙の旅、シャイニング)
彼の音楽だからこういう映画の雰囲気を作り出し強化するにも効果覿面なんだろうな。
観ないと!

拍手[0回]

ラフマニノフとニ短調
仕事の締め切りが厳しい!
それでも今日は大学の図書館に行ってきました。CDを返さなきゃ行けなかったので・・・
そして代わりにCDと楽譜借りてきました。CDはショスタコの交響曲第8番(ショルティ指揮、シカゴ交響楽団)。
楽譜は:
メシアンの「鳥のカタログ」第5巻(ヒメコウテンシ、ヨーロッパウグイス)
ヴィラ=ロボスのピアノ曲集(ブラジルのバッハ第4番めあてですがかなり面白そうな曲ばかり!)
バルトークの「中国の不思議な役人」(なぜかミニスコア)
クラムの「Vox Balaenae(鯨の声)」
クラムの「Ancient Voices of Children」
です。最後のクラムの楽譜はA3よりも2周りくらい大きい巨大な楽譜。(でももっと大きいのもある!)
リビングの自分のスペースは大分散らかってます。

本題はちょっと前から自分が気になってた疑問についてです。
ロシアの作曲家、ラフマニノフ。(ソヴィエト時代にも生きてるのですが、革命の際にアメリカに亡命してビバリー・ヒルズで亡くなっているので・・・)
ラフマニノフはピアニストとしても間違いなく巨匠ですが、作曲家としても本当に凄い人で。
自分が弾きこなすピアノのための曲はもちろん、室内楽(ピアノ三重奏)、オケ、合唱などどれも高い水準で素晴らしい曲を残しています。
ショパンなどピアノのために良い曲を書いてもオケに関しては苦手・・・など作曲家も得意苦手があるのが普通と言えますが、ラフマニノフはどの分野でもほぼ非の打ち所のないとも言える音楽を書いてます。

そのなかで例えばフィギュアスケートで使われた前奏曲だったり、ピアノ協奏曲第2番など華やかでポピュラーな曲はたくさんあります。
でももちろんそういった曲だけでなく、特に晩期に向けてはなかなか渋い曲もあり。
そしてその音楽はそのロマンチックな性格から後期ロマン派とくくられることもありますが、よくよく見ると(聴くと)結構20世紀っぽい性質もたくさん持ち合わせていて。

で、私が前々から思ってたのはどっちかというと「渋い」、表に出ない側のラフマニノフの音楽にはニ短調で書かれてるものが割合的に多くない?ということで・・・
ピアノ協奏曲第3番は割とよく知られているニ短調の曲ですが、自分が知ってて思いつく限り他にはこんなニ短調の曲があります:

ピアノソナタ第1番
交響曲第1番
前奏曲ニ短調(前奏曲は全調ありますが、ニ短調は割と目立たない方)
練習曲音の絵 op.33の番号無しのうちの1つ、op.39-8
ピアノ三重奏曲第2番
前奏曲(遺作)

なかなか聴く頻度の低い曲ばかりで。
これはなんでなんだろう、とかねてから思ってます(自分がこれらの曲を好きから余計に。特に練習曲やピアノソナタ第1番はものすごい好きです)

なぜか、という理由についてはまだまだ結論は出ていません。
ただやっぱりニ短調という調が少しでも関係してそうだな、と思います。

以前ここで書きました24keysvirusにおけるニ短調の性質は「鋼鉄の鉤爪」、「冷酷非情、運命、災害。とてつもなく巨大な力のコントロール」と私は表現しています。
内に激しい思いを秘め、それを力とする調ですが、同時にものすごく冷たく、冷徹を超える、全ての人間的な感情を超えた厳しさがある調。
さらにこの調はショスタコーヴィチが好んで使った(印象がある)調で、プロコフィエフも結構使ってるようにも思えます。
つまり「ロシア」(あるいはソヴィエト)という国の音楽の性質の一面を濃く表している調なのかな、と思います。

ラフマニノフのポピュラーな曲に見られる華やかさ、ロマンチックさは映画音楽に通じるところもかなりあり、ロシアの音楽のクオリティを引き継ぎながらアメリカ、そしてアメリカを通じて世界に受けいれられる音楽であった、とも言えると思います。
ただこの「ニ短調」特有の性質がラフマニノフの音楽と合わさるとそういった華やかさなどを暗い重い雲が覆うように・・・
いわば「ロシアへの回帰」みたいな、西では比較的受け入れがたいような特性を帯びてくるんだと思います。
(でもこれだけ使ってるんだからきっとラフマニノフもニ短調だったりその性質が好きなような気がするんですよね~)

あくまでも仮説ですし、他にもいろいろ関わってる要因はあると思われますが・・・
少なくとも自分がこれらの曲に惹かれる理由としてはものすごく納得がいくような気がします。
今年の冬はロシア音楽重点レパートリーなのでラフマニノフも楽しみです~


今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.39-8



私がラフマニノフの練習曲のなかで特別に思っているものの一つです。
いろんな意味でラフマニノフらしくないんじゃないかなあ。
どっちかというとものすごくフランス風!
ラフマニノフのピアニストとしての超絶技巧などは無いのですが、ギリ練習曲感はありますよ。
(ただショパンやリストと違って「どんな技巧を練習するための曲か」というのはラフマニノフはあんまり特定されないですよね)

この曲を一言で表すと「河」です。断然。
本当に流れていく、水のような音型。ロマンチックだけど派手なところが一つもなく、ものすごくささやかで慎ましく。
聴くにもすっと入って来ますし弾くにも音楽に身を任せると自然と流れていく心地よさが良い。

ハーモニーが面白くて。
普通の三和音(ドミソ、ラドミなど)から長調・短調を区別する真ん中の音を抜いたopen 5thをロシア音楽では多用して独特の冷たさを作り出しますが、そのOpen 5thとロシア音楽ではあまり使われない短7和音(レファラドなど)の7度使いが混ざり合って清涼感、そしてグレートーンの色彩が生まれて。
ロシアっぽいけどフランスっぽい、その正体はきっとこの不思議なハーモニーだと思います。

ちょっと専門的な話をあろうことかふわっと話してしまいましたがこの曲の流れ、そして色彩は本当に大切なものだと思います。
ラフマニノフには、そして音楽にはこんな美しさもあるんだ、ということをこの曲を通じて知って欲しいです。イチオシの一曲です♪

拍手[0回]