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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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林直樹「リストカット」感想
まず・・・「闇を力に」のエントリーに拍手ありがとうございます♪

以前日本に行った時に「リストカット 自傷行為をのりこえる」(林直樹 著)という本に出会いまして。
いつでもメンタルヘルスの本で良い本がないか探してはいるんですけど、実際こういう的確な本を具体的に「どう」探してるか覚えてないんですよね。
この本もそうやってどうにか出会った良い本です。

リストカットを初めとする自傷行為は気軽、ではありませんがフィクション・ノンフィクション、メディアを問わずいろんなところで取り上げられるメンタルヘルスの一部分です。
この本でも説明があるように周りにインパクトが大きく、ショッキングに映ることもあり、メッセージ性がある行為だということが理由でしょうか。
ただいろんなところで見ながら、その扱われ方にいろんな違和感を覚えずにはいられず・・・

この本はそんな自傷行為について様々な側面を取り扱い、自傷行為についての理解を深める本です。
例えば自傷行為という行動の裏の様々な心理・意図だったり、文化的な背景だったり、自殺未遂・自殺企図との関連性、自傷に関する傾向、自傷が症状として表れる精神疾患、自傷に対しての対応・治療だったり・・・
あと自傷を行っていた有名人だったり、若い人だったりの体験からケーススタディもあります。

ケーススタディが大切だな、と私が思う理由はやはりその行為のインパクトだったりショッキングさで目をそらしたくなるのは自然だけれど、だからといってセオリーだったり研究結果だったりばかりではやはりなんというか・・・実際の問題だったり辛さだったりを感じにくいと思うの依。

精神疾患自体もそうですけど、自傷行為をしている、というその症状・病気の現れのみでやいのやいの言ったり、レッテルを貼ったり、人を判断することが多すぎる、と思ってます。
ここから自傷行為を例として絞って話しますが、自傷を行っている、という一見一つの行為でも様々な思いだったり、問題だったり・・・
例えば自傷が症状として表れる疾患によって自傷にたどり着くまでの苦しみの経緯・それを引き起こす感情なども様々ですし、もちろん個人個人の経緯によっても変わります。
自傷をしている、という表面的なことでなく「どうして自傷をしているか」「どうしてそういった方法をとってしまうのか」という・・・行動の裏にある苦しんでいる人の思い、彼らが「できないでいること」などに目を向けることがどれだけ重要か、ということがこの本には記されています。

この本で扱われていたことで興味深かったことの一つは、自傷行為が周りにどうとられるか、ということ。
驚き動転してオーバーに心配してしまうか、「どうせ注目を集めたいんじゃないか」と軽くあしらうかの二極に分かれてしまうらしく。
心配しすぎるのもいけないけれど、いろいろなリスクをはらむ行動である、ということをちゃんと説明しているところがやっぱりこの本が凄いところ。(そしてだからこそ上記「思いを汲む」のが大切!)

物凄く理論的に説明しているところもこの本で良い!と思ったところの一つです。
もちろん感情的になると何も解決しないトピックではあるのですが・・・文体というか、まとめられている感じがものすごくすとーんと来ます。(ただやっぱり個人的に理論的な語り口で冷静に順序立てて、というのが心に響きやすいし理解しやすい性質ではあります、私)
きちんと理解できる、というのは共感できる、というのと同じくらい大切ですから。

ただだからといって冷たい文面では全然ないんです。
わかりやすく優しく説明してもらっている、という感が強いですし、なんといっても巻末の自傷を行っている人とその周りの人のために、全般的なまとめをメッセージとして綴っている部分は本当に心に訴えかけるように書かれています。(例えばうつなどの精神疾患で理解力、読解力が低下している場合この部分だけ読んでも大切なことを得て理解することができそうです)

あとはリラクゼーションだったり認知行動療法だったり、自傷に対して自分でもとれる対処法や、精神疾患のいろんな方面にも応用される基本的な治療のセオリーだったりが書いてあるのもありがたいです。自分で何かできる、ということは安心しますし、治療の内容も知っておくと安心しますしね。
欲を言えばメディアの報道の仕方にちらっと触れて欲しかったかも・・・多少適用外なのは承知ですが、「自傷行為」の取り扱われ方って最初にも言いましたように大切だと思うので。

実はこの本わりと薄い本で。なのに大切なことが多くカバーされていて、しかも解りやすい説明です。
いろんな人に読んで理解を深めて欲しいですが、自傷をしている人とその周りの人には本当にハンドブックとしてオススメです。
(ちなみにAmazonで検索すると同じ著者でもっとわかりやすそうな雰囲気のイラスト付き本もあるみたいです)

今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 弦楽八重奏のための2つの小品より「スケルツォ」



ショスタコーヴィチが実際してたという記録はどこにもありませんが、彼の楽曲のうちのいくつかから自傷を連想する人は音楽家の知り合いにもちらほらいます。(ちらほら、というのはあんまり口にしないというか、暗黙の感覚みたいな側面もあるから・・・かも?)
その激しいエネルギーはなにかと自分に向いているような印象があって・・・どうして音楽だけでそう感じるのか、というメカニズムは謎ですねえ。

ショスタコーヴィチの曲もいろいろありますが、このスケルツォはまた不思議な感じの曲。
やってることはショスタコーヴィチなんですけど・・・

なんというかまず落ち着きがない。それも彼の音楽には珍しくないところなんですけど地に足がついていない、というか。
そしてものすごくあらゆる方向に無駄に攻撃的。過敏というか、八つ当たり的、というか、見境なく無差別攻撃というか・・・ついでにものすごく鋭く尖ってて。
割と初期の作品だということを考慮しても楽器(バイオリン4、ビオラ2、チェロ2)の使い方になんだかわからない隙があったり、音楽的にちょっと迷走しているようで(特にチェロのパート)・・・
全てひっくるめて「ちょっと落ち着け」といいたくなりますね。

この曲が何に支配されているか、やはりなにか本能的に怖く感じるものはあるんですが・・・
それでもやはり知らなきゃなあ、と思います。

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オケという生き物
ただいま仕事めちゃくちゃ頑張り時です(汗)
今少し納期が押してる大きい仕事が来て、クリスマス前に終わるか終わらないか・・・というところ。
がんばってきちんと仕上げて年末年始はゆったりしたいです。髪が切りたいです(涙)

ピアニストはひとりぼっちでステージに立つことが多く、それが難しくもあり自分にとってはそれがものすごく性に合ってる部分もあるんですけど、やっぱりオーケストラとは離れたくないな、と思います。
小学校6年生のときチェロを始めて学校のオーケストラに編入されてから中学・高校の学校のオケ、ユースオケ、大学のオケ、コミュニティオーケストラなどと関わってきました。
チェロを弾いたり、ピアノやチェレスタを弾いたり、はたまた1回ほど打楽器も弾きましたし(笑)あとマネージャーとしてもオケに携わってきました。
創作でオケを何度も何度も題材にしていたり(只今メインの方でコンマスがぶち切れたのを処理できずにいます(汗))、ネタとしてオケを扱ってるのもまたオケを愛しているから。

オーケストラはいろんな次元で本当に面白い存在だと思います。
80人を超える人数の人達が集まって、それぞれ自分のパートを自分の楽器で弾いて、一つの音楽を創り出すのがオーケストラの機能ですが・・・
指揮者がオーケストラをまとめ、曲全体の解釈も指揮者が決めるんですが、だからといって指揮者は独裁者のような存在ではないんですよね、普通は。
わりと個人の自由がある、というか・・・
弦楽器のボウイング(弓の動かし方。フレージングなどに影響大)は基本各弦楽器セクションにゆだねられますし(一応基準はコンサートマスターの解釈ですが)、木管・金管のソロ、打楽器のパートなんかも基本は奏者の弾き方を指揮者が大きく曲げることは少ないと思います。(個人的な印象ですが)
勿論曲は一つの音楽としてある程度統一性がないといけませんが、それはやっぱり自己判断で周りだったり指揮者に合わせたりなので。

これだけ人がいて、楽器がいて・・・個人の曲の感じ方、表現の仕方持ちがいますし、楽器が変われば利害関係、得意不得意も変わるのに、基本音楽のことでもめることは少ないですね。
もちろん最終決断は何も言わなくとも指揮者に従う暗黙のルールはありますし。
でもオケで弾いている時でテンポだったり音は勿論周りと合わせますが、感じ方・解釈を人に合わせている、妥協しているという風に感じたことは不思議とないですね・・・

オーケストラは音楽を弾くのも楽しいし、人間観察だったり音楽観察?をするのも楽しいです。
特にチェレスタ・ピアノを弾いてると休みだらけなので他のパートが何をしているか、とかオケの音楽をパート毎に耳でひもといてみたりとか、楽器の仕組みをじーっと見てみたり(つば抜きとか、形状とか)。
人と触れあうにも面白いです。(これは特にマネージャーとして)
一番面白いのはコンサート前のウォームアップルームでみんなめいめいのことをしているときだったり、あとは勿論コンサート後の打ち上げ。音楽においての奏者の魅力もそうですが、普通に人間としての魅力も味わえて。

たくさんの人が集まって集団になると一つの集団としてまとまるために妥協したり、内乱が起きたり、はたまた個々の声が埋もれたり、個々と集団のアイデンティティが曖昧になったりしますが・・・
オーケストラっていうのはわりと個人を生かす団体だな、と思います。むしろ個人を生かしてこそそれぞれのオケの性格だったり性質ができて、より音楽を豊かに表現できるんじゃないか、と。一人一人の力を足したものより、オケ全体が作り出せる力はその何倍にもなり得る。

頑張りのレベルだってわりと差がありますし、パートの難易度だってevenではないですし。出る杭を押さえてしまうこともなく、他の人に無理強いすることも(あんまり)なく、いろんな違う人や思い、演奏が集まってオケになるのはもしかしたらある種の「理想の集団」なのかな、と思います。

オケで弾いていると果たして自分は一人の奏者なのか、オケという集団の一部分に過ぎないのか、はたまた指揮者に従っている従者なのか、または作曲者に踊らされている「音楽の一部」なのか・・・
不思議な気持ちになります。きっと全部あてはまることで、だからこそオケが好きなんだと思います。

最後にちょっとだけ関連があるヒンデミットの言葉。
「音楽を共に奏でるものは敵同士になり得ない・・・少なくとも音楽が鳴っている間は。」
とりあえず80人いようが何人いようが、少なくとも音楽が鳴っている間はみんな同じ目的に向けて全力を尽くし、同じ音楽の一部。

来年の目標に向けて、オケ生活に少しでも戻ることができるよう頑張りたいと思います♪


今日の一曲: ニコライ・リムスキー=コルサコフ スペイン奇想曲



私の創作のオケストーリーのサマーキャンプにて、コンサートで一番最初に弾かれる曲であります。
やっぱり華やかでテンションが上がって弾くにも楽しくて・・・というのもありますが、このストーリーを書くにあたってオケを紹介する際に目立ったソロとかが色んな楽器に現れるとキャラの紹介にもなるかな~と思ったのもあります。
オーケストラが一つになりながら、個々のプレイヤーの見せ場もたくさんある、個人と集団が魅力的にプレゼンされている、色んな意味で目的にふさわしい曲なのです。

耳を傾けていただきたい楽器の主張をリストします:
第1楽章、第3楽章のバイオリンとクラリネットのかけあい(二つの楽章でパートが入れ替わる形になってます)
第2楽章のホルンのアンサンブル+ソロ、イングリッシュホルンのソロ
第4楽章での金管ファンファーレから、独擅場シリーズ。バイオリン、フルート、クラリネット、ハープ。
第4,5楽章のバイオリンのパートだったり、ハープのパートだったり、ちょっと目立たないところで粋なことをしてます。
それから全楽章通じて打楽器がいかしてます。

リムスキー=コルサコフは本当に楽器使いに間違いがなくて。楽器を使ったり、組み合わせたりして魅力を増幅させたり、このスペイン的な雰囲気(あくまでも外国人から見てのスペインですが)を醸し出すために本当に的確な音色を創り出してくれて。
派手でテンションが高く、きらきら魅力的・・・というのもこの楽器使いあってこそ。弾く方も音楽の内容だけでなくパートが良いからこそ弾いてて楽しいわけです♪

15分は序曲的な扱いだと時間的には長いですが、弾いたり聞いているとあっという間。
まるでお祭りのような華やかさ,楽しさと刹那的な性質がなんとも愛しい、そしてオーケストラがこんなに短い時間で素晴らしく輝く曲です。

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闇を力に。
仕事にピアノに励んでいる毎日です。
クラムの音楽を改めて勉強するために楽譜をコピーして、A3のスケッチブック(というかArt diaryというものらしいです。めちゃくちゃページが多いから自分の目的には大変useful)にコピーした楽譜を切って貼って。
なんとなくイマイチ踏み切れてないのですが(失敗するのが怖い)、がっつり向き合うのが楽しみです♪

前回自分は水に惹かれる、affinityがあるというをしましたが・・・
もう一つ自分が特に近く感じるエレメントがあります。なんとなくいろいろな所から推測できると思いますが、それは「闇」です。
もしかしたらすでに似たようなエントリーを書いてるかも知れません。すみません(汗)

闇属性の曲は基本好きです。
ショスタコーヴィチやマーラーで幼少、さらに思春期を過ごしたのもありますし。
ラフマニノフに出会ってから闇の属性を弾く事、内なる闇をそっちにつぎ込む、表現することに快感を覚え・・・
それがちょうど鬱にかかった時期なので快感と共にやっぱり需要もあり。
表現に関しては闇は昔も今も自分を突き動かす動力の主なものの一つだと思います。

以前も言及しましたマイケルの受け売りですが、誰にでもあるのかもしれない内なる闇を適切な形で表現することの大切さ、というのも大きいです。
鬱になっていろいろあって、やっぱり表現する方法があるのならなるべくそっちに向けないと本当に危ない方向に向いてしまう、というのも痛いどころじゃすまないほど思い知ってますし、自分の中にそれがたまりたまってしまうとどうなるか、というのもたくさん経験しています。闇を音楽により表現する必要性をひしひしと。

なりたくてなったわけではありませんが、鬱状態(とくに重症)に数年なっているとやっぱり調子がいい状態だったり、光的なものが怖いとはいかなくともあまり・・・心地良くなく感じて。
病気の傾向としても調子が悪いと逆に安堵する、ということはよくあるようです(私も今でも、ときどき)。
だからやっぱり闇の音楽に惹かれ、心地良く感じ、どっぷりはまって自分の一部のように感じ、その独特の美をがっつり味わってきたという経緯が私にもあります。

鬱にとってその病気という自分の中にある闇は自分を辛くする、そしてついには自分を殺すかも知れない力で、それとどれだけ戦おうとも勝てる気はせず、自分よりも巨大な力。
同時に強く惹かれ、どうしようもなく自分の一部で、物凄く近しく感じる力。
でもだからこそそれを否定せず乗り越えて、自分の手の中で自由に操り、その力をコントロールできるようになりたい、という気持ちが強いんだと思います。闇が自分におよぼす力を知っているから、その同じ力を自分も使ってみたい、表現・音楽に使いたい欲が強いです。
毒と薬は紙一重、というのはこの病気を患うと痛烈に感じることですしね(汗)

闇と言ってもいろいろありますが、割と自分の中に住んでるのとは毛色が違う闇も取り入れちゃいたい傾向はあります。貪欲、というのでしょうか(笑)闇に惹かれるのは調子が大分回復した今でも一緒ですし、元気があるからこそ表現したいと冷静に思えますし、ちゃんと行動にも移せますし、欲もでるのですね。(調子が悪いと欲はあるけどまとまらない)
自分の闇と違う闇も知りたいし、理解したいし、共感したい。優しさではなく闇に惹かれていたりそういう欲があって他の人の心と触れあいたい、と思うのかも。

芸術は光だけのものじゃない、と思うんです。
音楽や絵画などでの創り手のことを思うと(私の知っている範囲でもゴッホ、ピカソ、マーラー、アポリネール、etc etc...)芸術だからこそ闇を表現できるということがあると思います。
そして芸術だからこそ受け取る(=見る、聞く)側も比較的容易にそういった闇を受け入れる・共有することができる、ということもあって。

心がけとして闇の音楽を弾きたい、心の闇をはき出して力に、形にしたい、と思った時になにか弾けるものがあるということはなんとなく安心します。
私の場合だとブラームスのト短調の狂詩曲、プロコフィエフのアルマンド、スクリャービンの練習曲op.42-5がぱっと浮かびます。好きな曲だったらレパートリーは広いに超したことはないですし、もっといろんな闇を表現、弾けるようになりたいですし、単純に闇に対して貪欲なので。もっとこの力を手にしたい。

必要だから、表現したいから・・・いろいろ理由はありますが、闇を自分の力として、さらに共有することができるように、闇の音楽の世界をしっかり歩きたいです。


今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番 第1楽章



ピアノで表現する闇の極み、といったらきっとこの曲でしょう。
以前「精神破壊系」として破壊的な音楽のエントリーで紹介しました。
そしてこの曲についてはシュミットホフの自殺とプロコフィエフについてのエントリーで詳しく語ってます。是非ご参照ください。
もちろんピアノ協奏曲なのでオケもその果てしない暗さそしてパワーにかなり貢献していますが・・・

この曲はプロコフィエフらしい曲です。
ひねくれていて、クールに振る舞い毒舌をふるうかとおもったらロックオンして深い闇にどっぷり沈んだり、巨大な内破を起こしたり。

協奏曲としては4つの楽章合わせて40分超と巨大ですが、この楽章のすごいところはピアノのソロがオケなしで披露するカデンツァ。楽章の後半をほとんど占める、時間にして5分近くにわたって演奏されるのですが・・・
実際5分というのはピアノ協奏曲のカデンツァとしてはそこまで長くないのかもわかりませんが(あんまりそこは詳しくないです)、長さではなく中身の巨大さ、濃さ、難しさとしてはこのカデンツァに敵うものはない、と思います!

オープニングのメインメロディーの再現から始まって(カデンツァには多いことですね)、だんだん重くなってきて、ほんとうに一人っきりの舞台の上で激しい狂気と苦しみにのたうち回り・・・ここから先の描写は諸事情により割愛しますが。
やりきれない、聴いてても苦しいなかでやっぱりどこか弾くと快感があるのがはっきりありますし。
一音一音がゲリラ豪雨の雨粒のように重く、痛く。

そしてエンディングでオケが入ってくるところがまた格好いいんだ!
この第1楽章を聴く10分強、人生の中でかなり濃い時間になること請け合いです。

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L'Eau...
こないだEarthseaシリーズの再読が終わりました。
昨日感想を書こうとしたのですがどうも本の魅力を伝えることができない気がして諦めたのですが、本当にファンタジー小説として、そしてその枠を超えて素晴らしい本なのでもっと多くの人に読んで欲しいと思っています。

Earthseaの物語の中で、古の時代は人間と竜は一つの生き物だという言い伝えがありました。
その「人」たちは、いつしかお互いに異なるものを求めるようになり、その違いによって竜と人間に分かれた、という・・・
所有すること、得ることを求めた者は人間に、自由と自然を選んだ者は竜に。
人間は四大元素のうち水と地を、竜は火と風を司ることを選んだ、という記述がありました。

私は竜には憧れるけれど「水」という元素はなんとなく手放せないなあーと思います(笑)
もちろん水は生物学のことを考えても人間にとって欠かせないものではありますが・・・
わりと水というエレメントには愛着がありますね。

住む町だったり、日本に行ったときに家族が住んでる町は海にわりと近いところが多かったですし、一人でどこかぶらりと行くときも湖だったり海だったり水があるところに行くことが多いです。
水に入ることは案外少ないですが(汗)

ゲームでも例えば三国志だと地形的に水が多く海にも面している呉で始めるのが落ち着きますし、Sacrificeも本拠地が雪原でクリーチャーも氷を操るStratosの下でプレイすることが多いです。
なんとなくやっぱり使ってると落ち着くエレメント。

もともと火は男性、水は女性と結びつけられることが多いような気がします。
実体はあるけれど形は決まらず、透明だったり鏡となって人を映したり、人の命の源でものすごく身近に扱うものながら同時にものすごく危険なものでもあり・・・
自分が水のどういったところに惹かれているか、正確には分からないのですが。

もしかしたら水は音楽で直接扱われることが一番多いエレメントなのではないか、と思います。
レスピーギの「ローマの噴水」、ドビュッシーの「海」、ドヴォルザーク「ルサルカ」、そして他にも数え切れないほど!
自分の弾いた曲でも:
ドビュッシー「沈める寺」
メシアン「ダイシャクシギ」
ラヴェル「洋上の小舟」
クラム「Rain-Death Variation」
Koehne 「Twilight Rain」
・・・など思いつくだけでも結構あります。イメージが「水」のものも合わせたら(例:ショスタコーヴィチ前奏曲とフーガ変ロ短調)もっとありそう。
結構水を求める気持ちはあります、音楽でも。
特にピアノは水の音を表現しやすいのかもしれませんね。音の粒だったり、素早い動き、変幻自在の音色。

他のエレメントは・・・と言いますと。
「地」がわりと合わないな、というのはなんとなくあります。明確な目的だったり特別な気持ちがないと「地」のイメージを持つ曲は避け気味な傾向が。
風と火はあこがれがあります。竜に憧れるように、その「自由さ」、そして水以上のパワーと気まぐれさ、扱いにくさをある程度コントロールできるようにできればなあ、と思います。
あと、人間は地から創られ、天使は炎から創られたという言われのとおりにメシアンもまた天使を炎と関連づけているので、これからも縁があるエレメントだと思いますので・・・
でも「火の島I」は火がわりとすっと入って来たのでチャンスはまだまだこれからあると信じています。
ただゲームでいうと「火」というエレメントはADOMでは一つの大きな壁になってますのでね、果たして音楽でもその通りなのか・・・

もちろん音楽がみんな四大元素に分けられるわけではありませんし、分けたところで特にどうということはないです(笑)ただやっぱり(いつものキーワードto音楽もそうですが)音楽をいろんな方向からアプローチして感じたい、表現したいですし、ただ単にこうやって考えてみるプロセスも面白いですし。
あとこういうエレメントをプログラムを組むときに考慮してみるのも面白そうですよね。水を中心に展開してみたり、テーマはエレメントでなくとも色んな元素の曲をとりいれてみたらプログラムがなんかバランスとれた感じになるかな、と。

極度乾燥のメルボルンの夏。水分補給も大切ですが、心の水分補給、そして音楽で水に触れることも大事にしたいです♪


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「ヨーロッパウグイス」



鳥のカタログからどうやら3曲目ですか?もちょっと書いてたと思ったんですが・・・
それにしても最近現代音楽続きですね~私の趣味もありますがきっと季節もあるんでしょうね。

ヨーロッパウグイスは葦が茂る涼しげな水辺が舞台。夏にはこういう景色がものすごく欲しくなります。

ヨーロッパウグイス、と名はついていますし、この曲の中でかなり特徴のある鳴き声で存在を表していますが、実質上この曲の主役はカワセミだと思います。
鳴き声こそ短く、歌としては他の鳥に負けますが、メシアンはカワセミが目の前を横切るあの光る青緑色の飛翔までも音楽にしてくれちゃいました♪
聞いたらすぐ分かる、強烈な色彩の和音の連続。本当にカワセミが横切るときに何だか青いものが飛んだけど鳥だったかどうかわからない、その「動く色の印象」を上手くとらえています。
あと曲の最後でぽちゃん、と湖に飛び込むその姿もまた愛しいですね。

風が流れたり、水が静かにたたずんだり、鳥が喜んだり・・・夜になったらきっと蛍が光るんじゃないかと思うくらい清らかで、涼しげで、爽やかな情景。
どこにいったらこんな情景にであえるんだろう、と思います。カワセミに会えなくても、会いたいな・・・って。

年末年始は少しは全部休んで水のあるところにいって涼みたいですね。
潤し、潤し。

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子供のために音楽を・・・
今日は日本から荷物が来て靴下と(笑)日本の番組のDVD、2011年のスイングロジカルダイアリーが届きました。
来年の手帳があるだけでなんだか安心しますね♪
ポケットがついてるので処方箋とか血液検査の紙とかしまっておけてさらに安心。

唐突ですが、私は「モーツァルト効果」というものを信じたことがありません。
実際ウィーン大学だったかな?の研究でで科学的な証拠があやふやだということがわかりましたし。
そもそもモーツァルトが偉大だとしてもそれほどの効果はあるということが単純に思えなかったのもありますが、もう一つ重大な理由があります。

音楽を聴く、ということは「経験」です。
同じ曲を聴いても感じることは一人一人の聴き手によって違いますから、その経験も一人一人違う。
どんな経験でも人に、人の脳に影響を与えるので一般的に「脳に良い」と言われることよりももっと自分個人の脳を刺激するものはたくさんあるかもしれない、ということで・・・

大人は自分の意志で音楽なりスポーツなりいろいろ試したりして実際に経験して自分で判断することができます。
ただ子供はそうじゃないです。子供の経験の幅を左右するのは大人が子供に提供する環境。
だから「子供には良い音楽を聴かせる」といって音楽の経験の幅を制限してしまうのはどうかな、と良く思います。

そしてその「良い音楽」の定義も、なあ・・・と。
例えばモーツァルトは脳にいいとか上記いろいろで言われていますが、時代的にもあの頃の音楽って貴族のためのもので上品なものに仕上げられていて、楽器の使い方とかハーモニー、強弱も幅が狭くて。そういうのは別に子供にはいらないなあ、と思います。モーツァルトは60歳になっても待ってくれる、というのが持論で。
過去に数年ピアノを子供に教えてた経験からも大人が子供に弾かせたい、聴かせたい音楽は子供が楽しむ音楽でないということが多いと言えます。

一番大切なのは子供が音楽を聴いて楽しんで、そして好奇心を持って、大人からは見えないかもしれないけれどでいろいろな事を学んでいくこと。
例えばいろんな楽器の音、小さい音・大きい音、いろんな色彩(それを意識的に理解できるかはあんまり関係ないと思います)、色んな感情を吹くんだ音楽が良いのかなあ、と。
そして先ほども言いましたように「良い」に限らず色んな音楽を聴かせてみるのが一番だと思います。

うちは父も母もクラシックを始め色んな音楽を普段から聴いていて、特にクラシックはレパートリーが広かったので、色んな曲を聴いて育ちました。
ベルリオーズの幻想交響曲、ショスタコの5番、マーラーの1番、バッハのトッカータとフーガニ短調、ストラヴィンスキーの春の祭典などなど・・・当時聴いたことを断片的にですが結構覚えています。
小さい頃聴いていた音楽は親しみや懐かしさ、そしてまた違う意味で心と結びついている、なんだか特別なものがあります。

子供を持つのはまだまだ先でしょうが、私の場合どんな曲を子供に聞かせたいかな・・・

「春の祭典」についてはファンタジアの恐竜のアニメーションがあるので恐竜好きの子供は食いつきいいんじゃないかと思います。実際私がそうでした(でもそれ以前から知ってましたね)。不協和音だらけで、こんな音を聞かせていいんじゃないか、なんていうのは大人の勝手な決めつけ。子供は「音楽はこういうものだ」という固定観念がないので純粋に音楽を楽しめますし(特に恐竜がいると!)、その固定観念が育つ前に心をオープンに保てるのではないか、と思います。不協和音だらけだって音楽史なかでもっとも素晴らしい音楽であることには変わりないですしね♪

あと「惑星」は本当にオススメです。子供も大人も。
みんな知ってる、一番最初に心を掴むであろう木星から始まって・・・いろんな惑星、色んな音楽に出会って新しい恋をして、今まで普通に聴いていた曲に新しい発見をしたりで一生楽しめます。(そしてどの曲も色んな意味で本当に優れているし、素晴らしい体験ができます)
木星で止まっちゃうのは勿体ないですからね。
やっぱり「懐かしい」という気持ちがあると繰り返し聴きやすくなるので小さいうちにちょっとし種をまいてみたらどうだろう、と思います。

他には普通にピーターと狼とか、動物の謝肉祭とか、展覧会の絵とか。
後は難解な曲を当たり前のように聴かせて、子供が大人になって「やっとわかった」ってなるのも面白そう。
自分にとってはバルトークの管弦楽のための協奏曲がその体験に近いですが。

そしてなんといっても想像力と感情と好奇心が刺激したい。そして世界を広げたい。
なんだろう、どんな曲がいいのかなあ。
もちろん聞かせてるのは大人ですが好きになるかならないかは子供次第なのでね、そこはそこで面白いですが。

・・・こういうプロセスが本当に好きで。
人に音楽を勧める人になりたい、という思いが強くなりますね♪
そのためにはどんな勉強をしてスキルを磨けばいいのかなあ。
音楽のサイドと、心理学(そしてきっとメンタルヘルスも)のサイド。
結局今回は言葉を濁して終わっちゃいましたが精進したいです♪


今日の一曲: モデスト・ムソルグスキー 「展覧会の絵」(ラヴェルによるオーケストラ版)より「キエフの大きな門」



私が本当に小さいときに一番好きだったのはハチャトゥリアンの「剣の舞」でしたが多分一番心に残っていたのはこの曲だと思います。
音楽を聴く主な機会が車の中だったため、音量が小さい曲はあんまり記憶に残ってない、というのもありますが・・・

当時はキエフがどこにあって(当時だったらウクライナじゃなくてソヴィエトだよな)、この曲がどんな絵を表しているかなんて想像もつかなかったのですが、コラールのような和音の響き、金管、鐘、そして全ての楽器の輝かしさ、まるでバリエーションのように繰り返され、展開する音楽が本当に印象に残ったのかな、と思います。

元のピアノ版もオーケストラ版と同じ魅力があります。実際この楽章がラヴェルがオーケストラ版を書くことになったきっかけなのでは?と思うほどピアノ版もオーケストラの響きにあふれています。
最後の方は本当に鐘の音が聞こえるんですよ♪ショスタコ、ラフマニノフもそうですがロシアの作曲家は本当に鐘が好きですね。

もしも未来が分かるなら、この曲を年が変わるちょうどに終わるよう大晦日に「展覧会の絵」のコンサートをやりたいです(笑)なんでしょうね、やっぱりヨーロッパの冬、大晦日を思います。
ただその想像のベースはいつだったか家族でクライストチャーチ(ニュージーランド)で迎えた年明けの雰囲気だと思いますが(笑)
ささやか過ぎますかね?でもこの曲で年越しって本当に素敵だと思いますよ♪

・・・この曲のことを考えてるときに限りませんが、ピアノを弾く、弾きたい人だけれど私の想像だったりなんだりはやっぱりオケにあるみたいです。
ピアノだけに縛られず、マイケルのように「音楽家」でいて、オケの色彩と離れずいたいです。

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