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今日のトピックは以前「あっ」と気づいたままずっと忘れてたトピックです。
メルボルンの公共交通機関には電車、バス、そしてトラム(市電)があります。
電車と比べるとトラムは車道を走るにもかかわらず「案外」ダイヤの乱れが少ない交通機関で住んでるとちょこちょこ結構使ってます。
比較的よく使うトラムの路線の一つにNo. 1があります(トラムの路線は番号表記です)。
別に自分の家に近いとか、全然そうじゃないんですが何かと縁が深い。
というのも割と音楽関係で行くところがこの路線を使うことが多くて・・・
で、そのルート1番のトラムに揺られてたら「この路線アート関係のロケーション多いぞ・・・」と気づき。
よくよく考えたら実際そうなんですよね。
ということで今日はルート1番のトラムに揺られながらメルボルンのアートを楽しむ、みたいな試みをしてみようと思います。
そもそもルート1番はシティの北、East CoburgとSouth Melbourneのビーチを繋ぐ路線です。ほとんどの路線はメルボルン大学で終点なのですが1番はまだその北まで行く少ない路線の一つです。
でもあんまり北の方には行ったことないので(そんなに長いわけじゃないですが)、今回は大学から南へ進むことにします。
まずは大学。Swanston Streetのメルボルン大学のトラムストップ(stop no. 1)で降りて、大学を横切っていくと音楽家の住処、Conservatorium of Music(通称:the Con)に着きます。コンサートが開かれたりもするMelba Hall、それから隣の建物にはオーストラリアのパーシー・グレインジャー博物館もあります。
(実はElizabeth Street側のルート19番から来た方が近いには近いです。)
トラムは大学で他の路線と合流してそのままSwanston Streetを南下。La Trobe Street(stop no. 8)で降りれば州立図書館もあります。
Collins Streetの停留所(stop no.11)で降りるとすぐ前にあるのがMelbourne Town Hall。現在メル響の本拠地でもありますし、南半球最大のパイプオルガンがあることでも有名です。
その次の停留所(stop no. 13)、Flinders Streetで降りると左手にあるのがFederation Square。ヤラ川が見渡せるBMW Edgeというホールではコンサートが行われたりしますし、NGV(美術館)のIan Potter Centreではオーストラリアの美術が楽しめます。さらに川沿いにBirrarung Marrを歩いて行くとパブリック・アートもありますよ~(以前紹介しましたFederation BellsやThe Angelなど)
さらにFlinders Street駅のある右側に渡ってヤラ川を渡ると只今改装中のHamer Hallがあります。改装してない時はメルボルン最大の演奏ロケーション。
そのすぐ向こうにはState Theatreで舞台やオペラ、バレエが見れますし、玄関前の広場でもなにやらやってることがありますし。
そしてそのまた向こう(ここまでくると最寄りの停留所はno. 14ですね)にはNGVのInternational、つまり海外からの作品を主に扱うギャラリーがあります。ダリやモローを見に行ったのもここ。
他の路線は今進んでる道(St. Kilda Road)を真っ直ぐ進みますがルート1番は美術館の角を右に曲がります。曲がって左手にあるのがVictorian College of Arts(今はメルボルン大学の一部、として扱われてるらしいです)。ここでユースオケのリハーサルが行われてます。
そしてそのまま次の停留所まで行くと(stop no. 17?)ここ数年で新しくできたMelbourne Recital Centreがあります。ここはまだ行ったことないですがトラムから外の電光掲示板を見る限りコンサートやその他いろいろイベントやってるみたいですね~
そしてトラムはSturt Streetを進みます。Stop no. 18で降りるとこないだ行きましたMalthouse Theatre、そしてAustralian Centre of Contemporary Artsがあります。前者は小規模のシアターが幾つか、そして後者は・・・行ったことないんですがおそらく美術館+αではないかと。
ここからちょっと間空きます。トラムはKings Wayを横切り、サウスメルボルンに突入。Park Streetを進んでClarendon Streetの角で降りて少し歩くと国立アカデミーに着きます。
ここから先は思い当たりがないので国立アカデミーを今回の旅の終点としましょうか。
ここでよーくよーく考えてみるとルート1番沿いに演奏場がたくさん見られるだけじゃなくて「演奏の後の飲み場所」もルート1番沿いとその近辺に沢山あるようですね(笑)まあ自然な事なんでしょうが・・・
大学の近くのAlfred Hotel、シティのYoung & Jacksons、Federation SquareのTransport、サウスバンクのJarrah Bar(Quay Westホテル内)、Curve Bar、たまにSpiegeltent、サウスメルボルンのLimerick Hotelなどなど・・・(ちなみに今あげたのは実際に行ったのです)
何かとこれからもお世話になりそうです(笑)
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ (オーケストラ編曲:オットリーノ・レスピーギ) 練習曲「音の絵」 より「祭り」(オケ編曲版では第2番)
以前N響アワーでオケ編曲された曲についての特集やってましたが(途中からしか録画されてなかったんですが・・・)、原曲も名曲で、編曲されても素晴らしく輝くケースもあるんですよね(たまに原曲以上に、または全く違う輝きで)。
このラフマニノフの練習曲のレスピーギによる編曲はラフマニノフ自身はいろいろ言いたいことがあったそうですが、別に悪くはないと思います。(素晴らしいか、といったら別ですが・・・)
やっぱり特定の楽器でのみできること、光ることってあるんですよね。
(ピアノでしか不可能!ということももちろんあって、だからレスピーギは練習曲全17曲中5つを選んで編曲しています)
それを考えると「練習曲」というジャンル(必ずしも技巧偏りじゃないですが)をオケに編曲した、ということに関しては凄いと思います。
この曲にある(ラフマニノフの曲などでよくある)ロシアらしい祭りの活気、雰囲気、光、そういうものがオケの色彩で本当に輝いてますし。
でもやっぱり難しい。
レスピーギは自身の作曲だったり編曲だったり、どっちにおいても本当に色彩豊かで「品の良い」音楽を創る人だと思います。(もちろんそれ以上のものも持ってますが!)
それに加えてレスピーギはラフマニノフの音楽、彼のオケ書きスタイルを本当に勉強してるな、という印象もあります。オケの書き方が本当に!ラフマニノフのスタイルに似てて。
ピアノや個々の楽器、小規模アンサンブルと比べてオーケストラのための作曲にはお国柄がものすごく出やすいと思うのですがレスピーギはイタリア人なのにロシアっぽい色彩を創ることができる、という・・・不思議です。
このレスピーギによるラフマニノフのオケ編曲はやっぱりピアニストに一番聞いてもらいたいですね。
練習曲「音の絵」はピアニストに愛されてる曲ですからね・・・いろんな意見が出てくると思いますし、この曲の別の側面も出てくると思いますし。
好きも嫌いも「ここが違うな」もあると思いますがぜひ一度聴いてみて下さい。
メルボルンの公共交通機関には電車、バス、そしてトラム(市電)があります。
電車と比べるとトラムは車道を走るにもかかわらず「案外」ダイヤの乱れが少ない交通機関で住んでるとちょこちょこ結構使ってます。
比較的よく使うトラムの路線の一つにNo. 1があります(トラムの路線は番号表記です)。
別に自分の家に近いとか、全然そうじゃないんですが何かと縁が深い。
というのも割と音楽関係で行くところがこの路線を使うことが多くて・・・
で、そのルート1番のトラムに揺られてたら「この路線アート関係のロケーション多いぞ・・・」と気づき。
よくよく考えたら実際そうなんですよね。
ということで今日はルート1番のトラムに揺られながらメルボルンのアートを楽しむ、みたいな試みをしてみようと思います。
そもそもルート1番はシティの北、East CoburgとSouth Melbourneのビーチを繋ぐ路線です。ほとんどの路線はメルボルン大学で終点なのですが1番はまだその北まで行く少ない路線の一つです。
でもあんまり北の方には行ったことないので(そんなに長いわけじゃないですが)、今回は大学から南へ進むことにします。
まずは大学。Swanston Streetのメルボルン大学のトラムストップ(stop no. 1)で降りて、大学を横切っていくと音楽家の住処、Conservatorium of Music(通称:the Con)に着きます。コンサートが開かれたりもするMelba Hall、それから隣の建物にはオーストラリアのパーシー・グレインジャー博物館もあります。
(実はElizabeth Street側のルート19番から来た方が近いには近いです。)
トラムは大学で他の路線と合流してそのままSwanston Streetを南下。La Trobe Street(stop no. 8)で降りれば州立図書館もあります。
Collins Streetの停留所(stop no.11)で降りるとすぐ前にあるのがMelbourne Town Hall。現在メル響の本拠地でもありますし、南半球最大のパイプオルガンがあることでも有名です。
その次の停留所(stop no. 13)、Flinders Streetで降りると左手にあるのがFederation Square。ヤラ川が見渡せるBMW Edgeというホールではコンサートが行われたりしますし、NGV(美術館)のIan Potter Centreではオーストラリアの美術が楽しめます。さらに川沿いにBirrarung Marrを歩いて行くとパブリック・アートもありますよ~(以前紹介しましたFederation BellsやThe Angelなど)
さらにFlinders Street駅のある右側に渡ってヤラ川を渡ると只今改装中のHamer Hallがあります。改装してない時はメルボルン最大の演奏ロケーション。
そのすぐ向こうにはState Theatreで舞台やオペラ、バレエが見れますし、玄関前の広場でもなにやらやってることがありますし。
そしてそのまた向こう(ここまでくると最寄りの停留所はno. 14ですね)にはNGVのInternational、つまり海外からの作品を主に扱うギャラリーがあります。ダリやモローを見に行ったのもここ。
他の路線は今進んでる道(St. Kilda Road)を真っ直ぐ進みますがルート1番は美術館の角を右に曲がります。曲がって左手にあるのがVictorian College of Arts(今はメルボルン大学の一部、として扱われてるらしいです)。ここでユースオケのリハーサルが行われてます。
そしてそのまま次の停留所まで行くと(stop no. 17?)ここ数年で新しくできたMelbourne Recital Centreがあります。ここはまだ行ったことないですがトラムから外の電光掲示板を見る限りコンサートやその他いろいろイベントやってるみたいですね~
そしてトラムはSturt Streetを進みます。Stop no. 18で降りるとこないだ行きましたMalthouse Theatre、そしてAustralian Centre of Contemporary Artsがあります。前者は小規模のシアターが幾つか、そして後者は・・・行ったことないんですがおそらく美術館+αではないかと。
ここからちょっと間空きます。トラムはKings Wayを横切り、サウスメルボルンに突入。Park Streetを進んでClarendon Streetの角で降りて少し歩くと国立アカデミーに着きます。
ここから先は思い当たりがないので国立アカデミーを今回の旅の終点としましょうか。
ここでよーくよーく考えてみるとルート1番沿いに演奏場がたくさん見られるだけじゃなくて「演奏の後の飲み場所」もルート1番沿いとその近辺に沢山あるようですね(笑)まあ自然な事なんでしょうが・・・
大学の近くのAlfred Hotel、シティのYoung & Jacksons、Federation SquareのTransport、サウスバンクのJarrah Bar(Quay Westホテル内)、Curve Bar、たまにSpiegeltent、サウスメルボルンのLimerick Hotelなどなど・・・(ちなみに今あげたのは実際に行ったのです)
何かとこれからもお世話になりそうです(笑)
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ (オーケストラ編曲:オットリーノ・レスピーギ) 練習曲「音の絵」 より「祭り」(オケ編曲版では第2番)
以前N響アワーでオケ編曲された曲についての特集やってましたが(途中からしか録画されてなかったんですが・・・)、原曲も名曲で、編曲されても素晴らしく輝くケースもあるんですよね(たまに原曲以上に、または全く違う輝きで)。
このラフマニノフの練習曲のレスピーギによる編曲はラフマニノフ自身はいろいろ言いたいことがあったそうですが、別に悪くはないと思います。(素晴らしいか、といったら別ですが・・・)
やっぱり特定の楽器でのみできること、光ることってあるんですよね。
(ピアノでしか不可能!ということももちろんあって、だからレスピーギは練習曲全17曲中5つを選んで編曲しています)
それを考えると「練習曲」というジャンル(必ずしも技巧偏りじゃないですが)をオケに編曲した、ということに関しては凄いと思います。
この曲にある(ラフマニノフの曲などでよくある)ロシアらしい祭りの活気、雰囲気、光、そういうものがオケの色彩で本当に輝いてますし。
でもやっぱり難しい。
レスピーギは自身の作曲だったり編曲だったり、どっちにおいても本当に色彩豊かで「品の良い」音楽を創る人だと思います。(もちろんそれ以上のものも持ってますが!)
それに加えてレスピーギはラフマニノフの音楽、彼のオケ書きスタイルを本当に勉強してるな、という印象もあります。オケの書き方が本当に!ラフマニノフのスタイルに似てて。
ピアノや個々の楽器、小規模アンサンブルと比べてオーケストラのための作曲にはお国柄がものすごく出やすいと思うのですがレスピーギはイタリア人なのにロシアっぽい色彩を創ることができる、という・・・不思議です。
このレスピーギによるラフマニノフのオケ編曲はやっぱりピアニストに一番聞いてもらいたいですね。
練習曲「音の絵」はピアニストに愛されてる曲ですからね・・・いろんな意見が出てくると思いますし、この曲の別の側面も出てくると思いますし。
好きも嫌いも「ここが違うな」もあると思いますがぜひ一度聴いてみて下さい。
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
私は楽器ごとのチュートリアルが終わってからリハーサル参戦の予定で。
今週末→来週末はバースデーディナー→その次は友達のBaby shower→初リハーサルという・・・
忙しくなりそうですが楽しみです。
さっきまでブログ書いてたんですけどすっかりだめになって書き直してます。
最近気分が変わりやすいというか考えがまとまりにくいというか。
迷うことが多いですね。
こういうときに一旦休もう、というのが本当に苦手で。
何かできることがあるはず、とあがいて色々逆効果になってしまうことをどうも学習しない自分がいて・・・
自分の限界を認めてなんとかやりすごす、これ以上悪い方向にいくのを止める方に自分の頭を向けるのが苦手なんです。
(思って見れば最近ピアノの練習も「ちょっと寝かせてみる」ことをあんまりやってないんですよね・・・それもまた要注意サイン)
そんな感じなので今回はちょっと本を3冊紹介します。
感想というような感想も書けないのですが・・・
いわゆるセルフ・ヘルプ系の本はわりと懐疑的なのですが、数年前に第2の師であるマイケルが紹介してくれたのがこの2冊。
(こちらは邦題「あきらめることあきらめてはいけないこと―人生が変わる30の言葉」として出版されてるようです)
そしてそれとは全く別で似たような本を一冊。
こちらは元から日本語です。
どれも普段生活する上で疑問に思ったり、壁に感じたりするようなことを人間が陥りやすい思考パターンに焦点を当て、すっきり短い文章で読みやすく、分かりやすい言葉で説いてくれる、考えあがき迷いつかれた心に優しい本。(一つ一つのセクションが短いので鬱状態でも読めるのがありがたいです)知ってると少しだけ考えること生きることが楽になる、そんな感じかな。
精神疾患を持ってる人はもちろん、そうでない人にもお勧めです。
(Gordon Livingstonは続編もあるみたいなのでどっかで探してみないと・・・)
昨日ちょっとつぶやいてたのは特に最初の2冊で(最後のも少しありますが)ケアする側としての立場だったり見解が聞けるのが面白いなーと。
「Too soon old~」の方で昨日読んでた箇所で、「良きセラピストに求められるものは良き親に求められるものと同じ・・・忍耐力、共感する力、愛情、そして相手をこうだと決めつけることなくその人の話を聞くこと」ということが書いてありましたが、メンタルヘルスに関わることを目指す者として(そして人間全般として)心に刻みたい言葉です。(音楽と心のノートに転載しましたもん、すぐ)
やりすごさなくちゃいけない時期がどれくらい長いか分かりませんが少なくともこうやって学ぶことはできますし、ピアノも一応やってますので自分にとって良いと分かってることを選んで進んでこうと思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲 第7楽章「トゥーランガリラ2」
今ちょっとオケとか大編成曲に偏りがちですね(汗)ちょっとまだバランス迷走中です・・・
そんななか今回これを選んだのはまだトゥーランガリラを終わらせてなかった、ということもありますが26日の夜、NHK-FM(もちろん日本!)で26日の夜、ロジェ・ムラロのリサイタルとトゥーランガリラ抜粋(ピアニストはムラロです)をやるそうなので(詳しくはこちら参照。ソロの方も面白いプログラムですね~)
その中に第7楽章が入ってたので今日は残りの楽章の内こちらを紹介。
第7楽章って短い割にはちょっと難解な楽章だと思います。リズムというかメカニック中心で、それぞれのパーツも短くて、どこに耳を集中して良いか分からないというか。
聴くだけで分かる?というのは勿論、各楽器のパートを見てもちょっと難しい。スコアを読んで聴いて、かつ他のメシアンの音楽を知ってやっと構成とかはわかるかなー・・・という印象なんですが私だけでしょうか。
シンメトリーが入ってたり、リズムカノンが「沈黙のまなざし」と一緒だったり(リズム比がこちらは1:1ですが)・・・
正直ぱっと聴き無機質、というか意味が分からない!と言えると思います。
ただこの楽章の冒頭のピアノのカデンツァはトゥーランガリラの中で一番好きなピアノソロです。
実際に鳥の声を再現しているかは分からないけれど、少なくとも「象徴的な」鳥の声で。
躍動感に溢れてて、何よりも素晴らしく輝くんですよね。
チェレスタのパートも大きくて好きなんですけど、この箇所ばかりは羨ましかった!コンサートが終わっても聴く度にあこがれが蘇ります。
「光」の音楽は苦手なものもたくさんあるけれど、メシアンの「光」、そしてその中でもこの鳥の声の「光」は私に取って本当に特別なのです。
なので・・・とりあえずあんまり無理に理解しよう、とは考えずなんとなく聞き流すのが一番だと思います。
(今回リンク録音を変えてみました。どうやら私が持ってる(図書館で借りた)録音はこれのようです)
私は楽器ごとのチュートリアルが終わってからリハーサル参戦の予定で。
今週末→来週末はバースデーディナー→その次は友達のBaby shower→初リハーサルという・・・
忙しくなりそうですが楽しみです。
さっきまでブログ書いてたんですけどすっかりだめになって書き直してます。
最近気分が変わりやすいというか考えがまとまりにくいというか。
迷うことが多いですね。
こういうときに一旦休もう、というのが本当に苦手で。
何かできることがあるはず、とあがいて色々逆効果になってしまうことをどうも学習しない自分がいて・・・
自分の限界を認めてなんとかやりすごす、これ以上悪い方向にいくのを止める方に自分の頭を向けるのが苦手なんです。
(思って見れば最近ピアノの練習も「ちょっと寝かせてみる」ことをあんまりやってないんですよね・・・それもまた要注意サイン)
そんな感じなので今回はちょっと本を3冊紹介します。
感想というような感想も書けないのですが・・・
いわゆるセルフ・ヘルプ系の本はわりと懐疑的なのですが、数年前に第2の師であるマイケルが紹介してくれたのがこの2冊。
(こちらは邦題「あきらめることあきらめてはいけないこと―人生が変わる30の言葉」として出版されてるようです)
そしてそれとは全く別で似たような本を一冊。
こちらは元から日本語です。
どれも普段生活する上で疑問に思ったり、壁に感じたりするようなことを人間が陥りやすい思考パターンに焦点を当て、すっきり短い文章で読みやすく、分かりやすい言葉で説いてくれる、考えあがき迷いつかれた心に優しい本。(一つ一つのセクションが短いので鬱状態でも読めるのがありがたいです)知ってると少しだけ考えること生きることが楽になる、そんな感じかな。
精神疾患を持ってる人はもちろん、そうでない人にもお勧めです。
(Gordon Livingstonは続編もあるみたいなのでどっかで探してみないと・・・)
昨日ちょっとつぶやいてたのは特に最初の2冊で(最後のも少しありますが)ケアする側としての立場だったり見解が聞けるのが面白いなーと。
「Too soon old~」の方で昨日読んでた箇所で、「良きセラピストに求められるものは良き親に求められるものと同じ・・・忍耐力、共感する力、愛情、そして相手をこうだと決めつけることなくその人の話を聞くこと」ということが書いてありましたが、メンタルヘルスに関わることを目指す者として(そして人間全般として)心に刻みたい言葉です。(音楽と心のノートに転載しましたもん、すぐ)
やりすごさなくちゃいけない時期がどれくらい長いか分かりませんが少なくともこうやって学ぶことはできますし、ピアノも一応やってますので自分にとって良いと分かってることを選んで進んでこうと思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲 第7楽章「トゥーランガリラ2」
今ちょっとオケとか大編成曲に偏りがちですね(汗)ちょっとまだバランス迷走中です・・・
そんななか今回これを選んだのはまだトゥーランガリラを終わらせてなかった、ということもありますが26日の夜、NHK-FM(もちろん日本!)で26日の夜、ロジェ・ムラロのリサイタルとトゥーランガリラ抜粋(ピアニストはムラロです)をやるそうなので(詳しくはこちら参照。ソロの方も面白いプログラムですね~)
その中に第7楽章が入ってたので今日は残りの楽章の内こちらを紹介。
第7楽章って短い割にはちょっと難解な楽章だと思います。リズムというかメカニック中心で、それぞれのパーツも短くて、どこに耳を集中して良いか分からないというか。
聴くだけで分かる?というのは勿論、各楽器のパートを見てもちょっと難しい。スコアを読んで聴いて、かつ他のメシアンの音楽を知ってやっと構成とかはわかるかなー・・・という印象なんですが私だけでしょうか。
シンメトリーが入ってたり、リズムカノンが「沈黙のまなざし」と一緒だったり(リズム比がこちらは1:1ですが)・・・
正直ぱっと聴き無機質、というか意味が分からない!と言えると思います。
ただこの楽章の冒頭のピアノのカデンツァはトゥーランガリラの中で一番好きなピアノソロです。
実際に鳥の声を再現しているかは分からないけれど、少なくとも「象徴的な」鳥の声で。
躍動感に溢れてて、何よりも素晴らしく輝くんですよね。
チェレスタのパートも大きくて好きなんですけど、この箇所ばかりは羨ましかった!コンサートが終わっても聴く度にあこがれが蘇ります。
「光」の音楽は苦手なものもたくさんあるけれど、メシアンの「光」、そしてその中でもこの鳥の声の「光」は私に取って本当に特別なのです。
なので・・・とりあえずあんまり無理に理解しよう、とは考えずなんとなく聞き流すのが一番だと思います。
(今回リンク録音を変えてみました。どうやら私が持ってる(図書館で借りた)録音はこれのようです)
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
チェロが終わってとりあえず峠超えた、という感じですね>楽器と性格
今日Melbourne Youth MusicのFacebookページをチェックしたら明日からリハーサルシーズンが再開するらしいです。
私は8月の中旬から2週間ほどリハーサルに出るのでまだまだですが、ちょっとテンション上がりますね。
ちゃんと自分のパート練習してますよ~チェレスタでどうなるかはもちろん分かりませんが。
今回はゲスト指揮者のKristian Winther(私が大学在学のころはバイオリニストとして活躍してました)を迎えてのイギリス音楽プログラム。
ヴォーン=ウィリアムスの「揚げひばり」と「トマス・タリスの主題による幻想曲」(通称タリス・ファンタジー)、そしてホルストの「惑星」。
ヴォーン=ウィリアムスはどちらも主に弦楽器が活躍します(揚げひばりは少数管楽器・打楽器入ってますがタリス・ファンタジーは弦オンリー)。
オーストラリアではイギリス音楽を聴く機会が多く、中学・高校のオケでもイギリス音楽を弾く事が結構あるのでみんな(そして特に弦楽器奏者には)なじみ深いプログラムです。
(そして前回と比べるとおおむね楽ではないかと)
前にも書いてますが、「惑星」は2003年?にユースオケで弾いています。
一つのコンサートシーズンで2公演、チェロ・チェレスタどちらでの演奏も経験しています。
座ってる位置は2つの楽器で全く逆なので音の聞こえ方も全く違った覚えが。
チェレスタは弾いてない楽章もあるのでゆっくり聴いて自分の中で色々分析もできるときがあって。
ユースオケで演奏する前からも「惑星」は私にとってなじみ深い曲です。
いろんな意味で「始まり」となった曲で・・・
何回かもうこのブログにも書いてると思いますが小学4年生、日本最後の年に私は天文学、主に太陽系あたりにはまってました。(というのも銀河までいくと結構でっかい数字とか物理のいろいろとかでてきて割とその年齢だと実感しにくいことも多いので・・・)
そんなある夜両親が「夕飯のときに音楽を流そう」ということでかけたのが「惑星」の「木星」。それが私が「惑星」、そしてクラシック音楽に興味を持ったきっかけで。
(ちょうど年齢的にも周りの世界を自発的に捉え始める時期ですよね)
さらにこのときどの楽章をかけようか、という話になって母が「火星とかはご飯の時には向かないから木星にしよう」と言ったのが私が「時、場所、人、心にあった音楽」を考えるきっかけになっているんです。
そして「惑星」は日頃からクラシックをあまり知らない人に勧めるCDナンバー1としてお勧めしています。
(詳しくはこのエントリー参照)
理由を簡単にまとめるとまず聴きやすいこと、それからどの楽章も違う魅力を持っていること(英語でいうところのSomething for everyoneですね)、それぞれの楽章の長さがちょうどいいこと、楽器の魅力がいっぱいでてるところ、時と共に好みが変わるにつれていろんな楽章の魅力が見えてくること、そしてどんなに音楽に詳しくなっても常に新しい発見があること。
新しい発見に関してはこないだも新しい発見しました(笑)
今まで「惑星」については楽器使いを主に見てきたので、15年ほどたった今やっとハーモニーだったり音程、スケールなどについていろいろ見えてくるんです(笑)
そして新しいなにかを見つける度新しい世界が広がって、背筋がぞくぞくして。ホルストってすげえな~と毎回思います。
「惑星」全般に関してホルストすげえな~と思う事が一つあります。
それは曲のほとんどにイギリス臭がないこと。
大抵イギリスの音楽って独特の弦のサウンド、ノスタルジー、透明さがあって聴けばすぐ分かりますしヴォーン=ウィリアムスに関しては「どの曲も一緒」と思われてる節があったりで(笑)
でも「惑星」を聴いてこの作曲家がイギリス人だ、ということは木星のあの有名な中間部までわからないと思います。海王星なんかはドビュッシーにちょっと似てたりもしますが個々の楽章、そして全体(前述箇所を除く)を聴いてこの曲を書いたのが「どこの人」か、というのはなかなか分かりづらい気がしますね。
どの国のスタイルにもぴったりおさまらない感じ。私だけでしょうか。
「惑星」の各楽章についてもいろいろ話したいことはあるのですがどうまとめていいか思案中。(ちょっとTwitterの方でも気まぐれ方針で試してはいますが・・・)
以前いくつか「今日の一曲」で扱ったけど基本「惑星」は紹介けちる傾向にあるなあ・・・とブログの過去ログをさらってみたら見事にけちってました(笑)木星と火星だけ検索で引っかかり。
なので一度リセットして、トゥーランガリラの時と同じく(まだ終わってないですが、第1,7楽章)1ヶ月ちょっと後のコンサートに向けてこれから改めてちょこちょこ紹介していきたいなと思います。
今日の一曲: グスタフ・ホルスト 「惑星」より「水星」
おそらく一番知られていないであろう楽章からスタート。こないだちょっとTwitterで話したんで。
ホルストの「惑星」。
時代的にはもう科学の時代は始まってるかと思われますがこの曲集の題材はあくまでも天文学ではありません。どっちかというと占星術だったり、神話だったり、そっち方面で。
それは各楽章につけられた副題からも見て取れると思います。水星は「Winged Messenger(翼を持った使者)」。水星=Mercuryの元になったローマ神話のメルクリウス、そしてそのまた元になったギリシャ神話のヘルメス。そして翼を持った使者といえばキリスト教の天使が連想されますね。
天使の翼はその思考・行動の速さを表すといいますが、「水星」のテンポの速さも同じく頭の回転の速さを表しているようです。
とにかく速いです!前回のコンサートの後パブに行った時、「トゥーランガリラが終わって一安心だね」という話をしてたら後輩のオーボエ奏者が「でも水星を合わせるのも難しい」と言ってましたが確かにオケをまとめることに関してはこの楽章、恐ろしく大変なんです。
それはテンポの速さ、断片的なパートのかけあい、繊細さなどなど・・・いろいろ理由があります。
前回弾いたときも綿密にリハーサルした記憶が一番強いです。しんどかったです。
「水星」は(速くてわかりにくいですが)ヘルメスが知恵と悪知恵どちらも司るよう、そして天使が男性でも女性でもあるようにたくさんの二面性からできています。♯と♭、管楽器と弦楽器、音階とアルペジオ、8分の6拍子と4分の3拍子、対応する2つのメロディー、上に向かう音型と下に向かう音型・・・などなど。
そして中間部の翔るような、回るようなメロディーの爽快さ!上昇気流にのったように面白いように昇っていく、その青さが本当に愛しいですね~
そんな水星の魅力がイマイチつたわってないのかな~というのはやっぱり速くていろいろ把握しきれないからなんですかね・・・実際にスコアを見て「なるほど~」と分析しないとなかなか。聴くだけじゃ無理ですし弾いてても無理。それこそ天使・ヘルメスくらいの頭の回転が必要。(誰得かといえば結局ホルスト得なんだろうな~)
そして弾き手も割とこの曲で苦労するので弾き手票もなかなか望めないですからね。
ホルストのcraftの全て把握し切れなくてもそれでも不思議でユニークな魅力を持った曲です。空と風を感じてみてください♪
チェロが終わってとりあえず峠超えた、という感じですね>楽器と性格
今日Melbourne Youth MusicのFacebookページをチェックしたら明日からリハーサルシーズンが再開するらしいです。
私は8月の中旬から2週間ほどリハーサルに出るのでまだまだですが、ちょっとテンション上がりますね。
ちゃんと自分のパート練習してますよ~チェレスタでどうなるかはもちろん分かりませんが。
今回はゲスト指揮者のKristian Winther(私が大学在学のころはバイオリニストとして活躍してました)を迎えてのイギリス音楽プログラム。
ヴォーン=ウィリアムスの「揚げひばり」と「トマス・タリスの主題による幻想曲」(通称タリス・ファンタジー)、そしてホルストの「惑星」。
ヴォーン=ウィリアムスはどちらも主に弦楽器が活躍します(揚げひばりは少数管楽器・打楽器入ってますがタリス・ファンタジーは弦オンリー)。
オーストラリアではイギリス音楽を聴く機会が多く、中学・高校のオケでもイギリス音楽を弾く事が結構あるのでみんな(そして特に弦楽器奏者には)なじみ深いプログラムです。
(そして前回と比べるとおおむね楽ではないかと)
前にも書いてますが、「惑星」は2003年?にユースオケで弾いています。
一つのコンサートシーズンで2公演、チェロ・チェレスタどちらでの演奏も経験しています。
座ってる位置は2つの楽器で全く逆なので音の聞こえ方も全く違った覚えが。
チェレスタは弾いてない楽章もあるのでゆっくり聴いて自分の中で色々分析もできるときがあって。
ユースオケで演奏する前からも「惑星」は私にとってなじみ深い曲です。
いろんな意味で「始まり」となった曲で・・・
何回かもうこのブログにも書いてると思いますが小学4年生、日本最後の年に私は天文学、主に太陽系あたりにはまってました。(というのも銀河までいくと結構でっかい数字とか物理のいろいろとかでてきて割とその年齢だと実感しにくいことも多いので・・・)
そんなある夜両親が「夕飯のときに音楽を流そう」ということでかけたのが「惑星」の「木星」。それが私が「惑星」、そしてクラシック音楽に興味を持ったきっかけで。
(ちょうど年齢的にも周りの世界を自発的に捉え始める時期ですよね)
さらにこのときどの楽章をかけようか、という話になって母が「火星とかはご飯の時には向かないから木星にしよう」と言ったのが私が「時、場所、人、心にあった音楽」を考えるきっかけになっているんです。
そして「惑星」は日頃からクラシックをあまり知らない人に勧めるCDナンバー1としてお勧めしています。
(詳しくはこのエントリー参照)
理由を簡単にまとめるとまず聴きやすいこと、それからどの楽章も違う魅力を持っていること(英語でいうところのSomething for everyoneですね)、それぞれの楽章の長さがちょうどいいこと、楽器の魅力がいっぱいでてるところ、時と共に好みが変わるにつれていろんな楽章の魅力が見えてくること、そしてどんなに音楽に詳しくなっても常に新しい発見があること。
新しい発見に関してはこないだも新しい発見しました(笑)
今まで「惑星」については楽器使いを主に見てきたので、15年ほどたった今やっとハーモニーだったり音程、スケールなどについていろいろ見えてくるんです(笑)
そして新しいなにかを見つける度新しい世界が広がって、背筋がぞくぞくして。ホルストってすげえな~と毎回思います。
「惑星」全般に関してホルストすげえな~と思う事が一つあります。
それは曲のほとんどにイギリス臭がないこと。
大抵イギリスの音楽って独特の弦のサウンド、ノスタルジー、透明さがあって聴けばすぐ分かりますしヴォーン=ウィリアムスに関しては「どの曲も一緒」と思われてる節があったりで(笑)
でも「惑星」を聴いてこの作曲家がイギリス人だ、ということは木星のあの有名な中間部までわからないと思います。海王星なんかはドビュッシーにちょっと似てたりもしますが個々の楽章、そして全体(前述箇所を除く)を聴いてこの曲を書いたのが「どこの人」か、というのはなかなか分かりづらい気がしますね。
どの国のスタイルにもぴったりおさまらない感じ。私だけでしょうか。
「惑星」の各楽章についてもいろいろ話したいことはあるのですがどうまとめていいか思案中。(ちょっとTwitterの方でも気まぐれ方針で試してはいますが・・・)
以前いくつか「今日の一曲」で扱ったけど基本「惑星」は紹介けちる傾向にあるなあ・・・とブログの過去ログをさらってみたら見事にけちってました(笑)木星と火星だけ検索で引っかかり。
なので一度リセットして、トゥーランガリラの時と同じく(まだ終わってないですが、第1,7楽章)1ヶ月ちょっと後のコンサートに向けてこれから改めてちょこちょこ紹介していきたいなと思います。
今日の一曲: グスタフ・ホルスト 「惑星」より「水星」
おそらく一番知られていないであろう楽章からスタート。こないだちょっとTwitterで話したんで。
ホルストの「惑星」。
時代的にはもう科学の時代は始まってるかと思われますがこの曲集の題材はあくまでも天文学ではありません。どっちかというと占星術だったり、神話だったり、そっち方面で。
それは各楽章につけられた副題からも見て取れると思います。水星は「Winged Messenger(翼を持った使者)」。水星=Mercuryの元になったローマ神話のメルクリウス、そしてそのまた元になったギリシャ神話のヘルメス。そして翼を持った使者といえばキリスト教の天使が連想されますね。
天使の翼はその思考・行動の速さを表すといいますが、「水星」のテンポの速さも同じく頭の回転の速さを表しているようです。
とにかく速いです!前回のコンサートの後パブに行った時、「トゥーランガリラが終わって一安心だね」という話をしてたら後輩のオーボエ奏者が「でも水星を合わせるのも難しい」と言ってましたが確かにオケをまとめることに関してはこの楽章、恐ろしく大変なんです。
それはテンポの速さ、断片的なパートのかけあい、繊細さなどなど・・・いろいろ理由があります。
前回弾いたときも綿密にリハーサルした記憶が一番強いです。しんどかったです。
「水星」は(速くてわかりにくいですが)ヘルメスが知恵と悪知恵どちらも司るよう、そして天使が男性でも女性でもあるようにたくさんの二面性からできています。♯と♭、管楽器と弦楽器、音階とアルペジオ、8分の6拍子と4分の3拍子、対応する2つのメロディー、上に向かう音型と下に向かう音型・・・などなど。
そして中間部の翔るような、回るようなメロディーの爽快さ!上昇気流にのったように面白いように昇っていく、その青さが本当に愛しいですね~
そんな水星の魅力がイマイチつたわってないのかな~というのはやっぱり速くていろいろ把握しきれないからなんですかね・・・実際にスコアを見て「なるほど~」と分析しないとなかなか。聴くだけじゃ無理ですし弾いてても無理。それこそ天使・ヘルメスくらいの頭の回転が必要。(誰得かといえば結局ホルスト得なんだろうな~)
そして弾き手も割とこの曲で苦労するので弾き手票もなかなか望めないですからね。
ホルストのcraftの全て把握し切れなくてもそれでも不思議でユニークな魅力を持った曲です。空と風を感じてみてください♪
大分間が開いてしまったのでそろそろ、と。
身内(いわば身内、ですが)評価は両極端寄りになりやすいので気をつけながらいきます~
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
チェロ、というのはオケで使われる楽器のなかで比較的自立した、というか自己完結、というか音楽的に自給自足できてる楽器だと思います。
音域は低音から高音まで広く、弦楽器みんなでそうですが4本あるため4音の和音までなら弾けますし。
モーツァルト、ハイドンの時代には例えば弦楽四重奏でいやいやベースラインを担当することが多かったですがただのベースラインだけでなくメロディー、カウンターメロディー、伴奏と幅広い役を演じることが可能で、機動力、表現力、音の深さなど多々な特徴を持っている楽器です。
チェロを弾く際は楽器に付いているスパイクを床に刺して、広げた足の間に楽器を構えるユニークなスタイルです。チェロを弾くときは女性を抱くように、と言われるそのフォーム。音の性質もこのスタイルも男性的な性質、として包容力を連想させますね。
他のほとんど楽器と違って立って弾く事が不可能な楽器ではあります。(頑固さの連想?)そして奏者の前後左右にかなりスペースが要ることも特徴的。オケマネージャーとしてステージのセットアップすると分かるんですが、他の楽器と比べて大分椅子の間の間隔が広いんです。(例えばトロンボーンは前後のスペースが必要ですが座るのは本当にお互い近くてもいいようです。)
チェロを弾いてる人になぜチェロを弾き始めたか、と尋ねると「音が美しいと思ったから」というパターンが結構多いです。例えばピアノやバイオリンのように「習わされた」パターンではなく自分で選んで進む道、という自覚が強いのでしょうか。
そして音の美しさ重視は(もちろんどの楽器にもありますが)必ずしも高級志向ではなくともクオリティを激しく重視する傾向も。
チェロだけのアンサンブル(8人、12人など)というのがよくありますがチェロ奏者同士の結束はなかなか強いと思います。
ただホルン達のような仲良し集まりではなく、お互いの実力を評価し合い認め尊敬するライバル関係、そして個人主義な人々の集まり。かなり実力主義だと思います。そして馴れ合いとは無縁な印象。
全般的にはあんまり社交的な人達ではないんです。そんなに外向的・社交的ではないですし、広い浅い関係は得意でなく、なかなか他人に心を許せず、あと他人から傲慢にうつる場合も少なくなく。
なので友人関係は少なく、濃く。一旦チェリストの尊敬、そして信頼を得ることができるとものすごく義に厚い・・・という印象があります。
実際以前「一度チェリストになったら一生チェリスト」と私も言葉をいただいてますし(このエントリー参照)
バッハが6つの無伴奏組曲を書いてチェロのキャパシティを披露してからベートーヴェンとそのちょっと後くらいまで、チェロの能力が作曲家達に比較的過小評価されていた時期、というのがありました。
(ハイドンが協奏曲書いたりしてますが、例えばオケや弦楽四重奏などのアンサンブルで、の話です)
だからチェリストはみくびられるのが嫌い、というかプライドが高い印象があるように見受けられます。
自分のことは自分が一番知っている、という自負だったり、自分の道は自分で選びとことん極める、という・・・
(要するに我が強いんですが、そんなチェリスト同士やっていけるのはお互い妥協できないということを尊重しているからではないかと推測・・・)
自分に(そして他人に)厳しい、向上心の強いタイプです。
チェロのレパートリーの大きさはわりと広く、アンサンブル・オケでもいいパートもらえることがロマン派以降多くなりました。
ぎりぎりピアニストみたいに自分の好きに選べるくらいの大きさかな。
でもチェリストは結構「本当に良いと思ったもの」ばかり弾く傾向にあるのでわりとコンサートなどで聴かれるレパートリーはぐっと狭まる傾向にあります。20世紀の作品は比較的好かれない(後述)のでほったらかしな部分も若干あります。
だからチェリストって好みだったり興味は大分広いんだけど、本当に好き!というものはごくごく少なく。(そして本当に嫌い!というものも少ないですがその嫌いの度合い半端ないです)
広いスキルと視野を持ち合わせてもいるんですが一度思い込んだりロックオンしたりはまったりすると周りが見えなくなる暗い視野が狭くなる傾向も。
チェリストって頭の回転が速いと言うよりは熟考型で、いろんな分野の知識動員して考え理論的に表現するタイプ・・・と思いきや理性の強さをしばしば感情の強さが超えてしまうほどの感情的な性質。
喧嘩なんかしようものならかなりの感情レベルを伴った理論攻め(注:その「個人なりの」理論)で、先ほど書きましたようなプライドの強さなどなどから自分が納得いくまで引き下がらないようなことになるような・・・
(一応大学在学中色んな楽器の人と友達でしたが私を含めたチェロ奏者には喧嘩的なものが多いような気がしますよ・・・)
その感情中心な性格が関係しているのかなかなか20世紀音楽とか前衛音楽にはチェロ奏者はとっつきづらいようです。弾いてて自分が満足するようなレパートリーというとやっぱり感情豊かなロマン派になるのか・・・
悪く言えば頑固で我が強く、気に入らないことがあると居ても立ってもいられないような性質にも関わらず、チェリストがリーダー的なポジションに進んでおさまることはあまりないです。
自分以外の人間に責任はもてない、ということもありますがあんまり権力的なものを好かない、というのもあるんでしょうか。チェロセクションにおいてのリーダーはセクションをまとめるポジションというよりはベストプレーヤーとしての印象が強いように思われます。
ちなみにその足を広げて弾くスタイルからか体力的なものかチェロは昔は主に男性が弾く楽器した。でも今は結構女流チェリスト多いですね。(ジャクリーヌ・デュ・プレは偉大な先駆者です♪)
女性のチェリストには頭が良くて男勝りな、でも凛とした女性らしさを備えた美人が多い印象があります(私は別です、念のため・・・)。
強いですよ~チェロの女性(笑)
ということでチェロの楽器と性格エントリーでした。
まだまだ語り残したみたいなところがある気がしないでもないですがまたいつか。
そして次回(いつになるかわかりませんが)紹介する、チェロのお隣さんでもあるビオラとの対照も是非お楽しみに。
今日の一曲: アントニン・ドヴォルザーク チェロ協奏曲 第1楽章
チェロ奏者に「チェロのレパートリーの王様は何?」と聴いたらまあ百発百中この曲をあげるでしょう。
(同様に一番偉大なチェリストは?と尋ねたら十中八九ロストロポーヴィチと帰ってくるのではないかと)
全てのチェロ奏者が目指す、チェロ音楽の王道中の王道・・・といったら大袈裟に聞こえますが案外そんなに誇張もしてないんです。
ドヴォルザークはピアノ協奏曲もバイオリン協奏曲も書いてますがドヴォルザークのコンチェルト、つまりドボコンといったらこのチェロ協奏曲を指す、それだけ偉大な曲なんです。
(私はバイオリン協奏曲もものすごく好きですが)
この曲はチェロという楽器の魅力の全てを本当に最大限に引き出す、チェリストが弾くには本当に最高な曲ですが聴く側にとってもとっても素晴らしい曲。
チェロの音色に惚れられる、もありますが注目すべきは協奏曲を通して本当にシンフォニーのように贅沢で豊かなオケの音楽。この第1楽章のエンディング近く一帯なんかドヴォルザーク自身の交響曲よりもSymphonicです(私の印象ですが)。
豊かな感情、凛とした尊厳、甘いロマンスに磨き上げられた技巧。
そしてドヴォルザークの音楽に共通する懐かしさだったり、ほどよい土臭さだったり。
色んな意味で「最高峰」のクオリティの音楽です。
先ほどチェリストが激しくクオリティ重視と書きましたがそんなチェリストがこぞって愛し敬う曲ですから。
(こんなにハードルあげてもまだびくともしない曲です)
彼らの評価にだまされたと思って一度聴いていただきたい曲です。
(元チェリストとして盛大に推薦します♪)
身内(いわば身内、ですが)評価は両極端寄りになりやすいので気をつけながらいきます~
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
チェロ、というのはオケで使われる楽器のなかで比較的自立した、というか自己完結、というか音楽的に自給自足できてる楽器だと思います。
音域は低音から高音まで広く、弦楽器みんなでそうですが4本あるため4音の和音までなら弾けますし。
モーツァルト、ハイドンの時代には例えば弦楽四重奏でいやいやベースラインを担当することが多かったですがただのベースラインだけでなくメロディー、カウンターメロディー、伴奏と幅広い役を演じることが可能で、機動力、表現力、音の深さなど多々な特徴を持っている楽器です。
チェロを弾く際は楽器に付いているスパイクを床に刺して、広げた足の間に楽器を構えるユニークなスタイルです。チェロを弾くときは女性を抱くように、と言われるそのフォーム。音の性質もこのスタイルも男性的な性質、として包容力を連想させますね。
他のほとんど楽器と違って立って弾く事が不可能な楽器ではあります。(頑固さの連想?)そして奏者の前後左右にかなりスペースが要ることも特徴的。オケマネージャーとしてステージのセットアップすると分かるんですが、他の楽器と比べて大分椅子の間の間隔が広いんです。(例えばトロンボーンは前後のスペースが必要ですが座るのは本当にお互い近くてもいいようです。)
チェロを弾いてる人になぜチェロを弾き始めたか、と尋ねると「音が美しいと思ったから」というパターンが結構多いです。例えばピアノやバイオリンのように「習わされた」パターンではなく自分で選んで進む道、という自覚が強いのでしょうか。
そして音の美しさ重視は(もちろんどの楽器にもありますが)必ずしも高級志向ではなくともクオリティを激しく重視する傾向も。
チェロだけのアンサンブル(8人、12人など)というのがよくありますがチェロ奏者同士の結束はなかなか強いと思います。
ただホルン達のような仲良し集まりではなく、お互いの実力を評価し合い認め尊敬するライバル関係、そして個人主義な人々の集まり。かなり実力主義だと思います。そして馴れ合いとは無縁な印象。
全般的にはあんまり社交的な人達ではないんです。そんなに外向的・社交的ではないですし、広い浅い関係は得意でなく、なかなか他人に心を許せず、あと他人から傲慢にうつる場合も少なくなく。
なので友人関係は少なく、濃く。一旦チェリストの尊敬、そして信頼を得ることができるとものすごく義に厚い・・・という印象があります。
実際以前「一度チェリストになったら一生チェリスト」と私も言葉をいただいてますし(このエントリー参照)
バッハが6つの無伴奏組曲を書いてチェロのキャパシティを披露してからベートーヴェンとそのちょっと後くらいまで、チェロの能力が作曲家達に比較的過小評価されていた時期、というのがありました。
(ハイドンが協奏曲書いたりしてますが、例えばオケや弦楽四重奏などのアンサンブルで、の話です)
だからチェリストはみくびられるのが嫌い、というかプライドが高い印象があるように見受けられます。
自分のことは自分が一番知っている、という自負だったり、自分の道は自分で選びとことん極める、という・・・
(要するに我が強いんですが、そんなチェリスト同士やっていけるのはお互い妥協できないということを尊重しているからではないかと推測・・・)
自分に(そして他人に)厳しい、向上心の強いタイプです。
チェロのレパートリーの大きさはわりと広く、アンサンブル・オケでもいいパートもらえることがロマン派以降多くなりました。
ぎりぎりピアニストみたいに自分の好きに選べるくらいの大きさかな。
でもチェリストは結構「本当に良いと思ったもの」ばかり弾く傾向にあるのでわりとコンサートなどで聴かれるレパートリーはぐっと狭まる傾向にあります。20世紀の作品は比較的好かれない(後述)のでほったらかしな部分も若干あります。
だからチェリストって好みだったり興味は大分広いんだけど、本当に好き!というものはごくごく少なく。(そして本当に嫌い!というものも少ないですがその嫌いの度合い半端ないです)
広いスキルと視野を持ち合わせてもいるんですが一度思い込んだりロックオンしたりはまったりすると周りが見えなくなる暗い視野が狭くなる傾向も。
チェリストって頭の回転が速いと言うよりは熟考型で、いろんな分野の知識動員して考え理論的に表現するタイプ・・・と思いきや理性の強さをしばしば感情の強さが超えてしまうほどの感情的な性質。
喧嘩なんかしようものならかなりの感情レベルを伴った理論攻め(注:その「個人なりの」理論)で、先ほど書きましたようなプライドの強さなどなどから自分が納得いくまで引き下がらないようなことになるような・・・
(一応大学在学中色んな楽器の人と友達でしたが私を含めたチェロ奏者には喧嘩的なものが多いような気がしますよ・・・)
その感情中心な性格が関係しているのかなかなか20世紀音楽とか前衛音楽にはチェロ奏者はとっつきづらいようです。弾いてて自分が満足するようなレパートリーというとやっぱり感情豊かなロマン派になるのか・・・
悪く言えば頑固で我が強く、気に入らないことがあると居ても立ってもいられないような性質にも関わらず、チェリストがリーダー的なポジションに進んでおさまることはあまりないです。
自分以外の人間に責任はもてない、ということもありますがあんまり権力的なものを好かない、というのもあるんでしょうか。チェロセクションにおいてのリーダーはセクションをまとめるポジションというよりはベストプレーヤーとしての印象が強いように思われます。
ちなみにその足を広げて弾くスタイルからか体力的なものかチェロは昔は主に男性が弾く楽器した。でも今は結構女流チェリスト多いですね。(ジャクリーヌ・デュ・プレは偉大な先駆者です♪)
女性のチェリストには頭が良くて男勝りな、でも凛とした女性らしさを備えた美人が多い印象があります(私は別です、念のため・・・)。
強いですよ~チェロの女性(笑)
ということでチェロの楽器と性格エントリーでした。
まだまだ語り残したみたいなところがある気がしないでもないですがまたいつか。
そして次回(いつになるかわかりませんが)紹介する、チェロのお隣さんでもあるビオラとの対照も是非お楽しみに。
今日の一曲: アントニン・ドヴォルザーク チェロ協奏曲 第1楽章
チェロ奏者に「チェロのレパートリーの王様は何?」と聴いたらまあ百発百中この曲をあげるでしょう。
(同様に一番偉大なチェリストは?と尋ねたら十中八九ロストロポーヴィチと帰ってくるのではないかと)
全てのチェロ奏者が目指す、チェロ音楽の王道中の王道・・・といったら大袈裟に聞こえますが案外そんなに誇張もしてないんです。
ドヴォルザークはピアノ協奏曲もバイオリン協奏曲も書いてますがドヴォルザークのコンチェルト、つまりドボコンといったらこのチェロ協奏曲を指す、それだけ偉大な曲なんです。
(私はバイオリン協奏曲もものすごく好きですが)
この曲はチェロという楽器の魅力の全てを本当に最大限に引き出す、チェリストが弾くには本当に最高な曲ですが聴く側にとってもとっても素晴らしい曲。
チェロの音色に惚れられる、もありますが注目すべきは協奏曲を通して本当にシンフォニーのように贅沢で豊かなオケの音楽。この第1楽章のエンディング近く一帯なんかドヴォルザーク自身の交響曲よりもSymphonicです(私の印象ですが)。
豊かな感情、凛とした尊厳、甘いロマンスに磨き上げられた技巧。
そしてドヴォルザークの音楽に共通する懐かしさだったり、ほどよい土臭さだったり。
色んな意味で「最高峰」のクオリティの音楽です。
先ほどチェリストが激しくクオリティ重視と書きましたがそんなチェリストがこぞって愛し敬う曲ですから。
(こんなにハードルあげてもまだびくともしない曲です)
彼らの評価にだまされたと思って一度聴いていただきたい曲です。
(元チェリストとして盛大に推薦します♪)
(冬における私の不調の話はもう耳にたこができるほど聞いたと思いますが今日もそんな感じです・・・すみませぬ。)
いろいろやりたいことやらなくちゃいけないこといっぱいのこの頃。
ヘアカットの予約は入れましたし、Tax returnも済ませたんですがそろそろ録音もできるかな、レッスンも決めた方がいいかな、とか美術館いついこうとか誕生日ディナーの鍋なに入れようとか友達のBaby showerなに持ってこうかとか・・・
妙に慌ただしい脳内。
仕事は今大きい案件が来ててまだ数日かかることは確実なのですが納期がまだまだなのでちょっとペース落としてもいいかな、という感じ。
ピアノはそれぞれの曲で壁があっていろいろトライしているところ。あ、あと今度のユースオケの「惑星」のチェレスタパートの練習も始めました。
とりあえず見た目朝ちゃんと起きて(ちょっと寝坊してることはしてますが)仕事やってピアノもやってまた仕事やって、家事もそこそこやってはいます。
ピアノを休んだり仕事の納期を延ばしてもらったりする必要もなく日常を過ごしているわけですが・・・
それが楽々こなせてるか、といったらやっぱり違うんですよね。
ぎりぎりのところでぎりぎりじゃなくとどまってる、というレベルでしょうか。
気持ち的にこれ以上いろいろやり始めたらいけないな・・・という自覚があり。
後から実感したのですがトゥーランガリラの頃はちょっと無理しましたね。ちょっと行き届かないところもありましたし後で大分ダメージ来ました。
でもそれも大学在学中の無理と比べたら微々たるものなのかもしれませんが。
大学のオーケストラでマネージャーをしてたころがやっぱり一番無理してたと思います。もちろん学業も自分の演奏もありましたが、その上にですからね・・・
楽しかったですし、やってよかったと思ってるのには変わりないですが(特に秋~冬に入ると)本当に苦しい時期でもありました。
こういうときの不調は全体的な疲れやすさ、腰の重さ、気分のレベルが若干低め、というのもあるんですが「疲れててもそれをなんとかするのが大変面倒くさいのでor疲れに気づけなくてずんずん進んでしまう」というのがあります。(だからトゥーランガリラやオケマネージャー・大学生活のように後から手痛いしっぺ返しがくるんです)
それでなくても普段から自分を強制的に休めたり人に頼ったり甘えたりがちょっとだけ苦手だったりするので・・・
でも環境的にはピアノ教えやオケマネージャーよりも今の在宅翻訳の仕事のほうが「無理させない」という意味ではいいかな・・・と思います。ただ仕事も練習も一人なので(笑)自分が気づいてなんとかしてあげなくちゃいけない、という自覚をもっと持った方がいいですね。
それから今年特に気になる、というか目につく不調のサインが「気分のブレーキが利かない」ということ。
一応診断名は「双極性障害(II型)」でその一番主とする特徴が気分の変動(up & down)なんですが・・・
特に上方向に気分が変わるとき、まるで自分の手をすりぬけていくようにはっきりと自分の意志に反して気分が高揚していくいやーな感覚があります。(その過程がまざまざ感じられる気持ち悪さと無力さ!)
もともと気分の高揚については(焦燥感などと共に)主に春先に問題となる症状で、本来冬は低めの感情が続くのが常なのですが・・・
今年はなんだか感情のねじがゆるい感じがします。
自分の意志に反して気分が上がってしまうのは一見良いことなようでそうでないです。
気分が上がる≠調子が良くなる、ではないですからね。軽躁状態はほんとうにしんどいです。本当に。
頭のなかはぐるぐるするし、自分の思考と感情と行動がばらばらになってついていかなくなったり、焦燥と感情の高揚でエネルギーがどんどん抜けていく感じが。そしてあとで気分がデフォルト以上に落ち込む。
一応軽躁状態を引き起こすトリガーみたいなのはあって、その一つとして一部の音楽が挙げられます。
その筆頭がトゥーランガリラなどメシアンの「歓喜」を表す音楽で。
眩しく鮮やかな色彩、躍動感あるリズムなどに自分のねじのゆるんだ感情が反応してあれよあれよとつり上げられてしまう。
リハーサルの後とか数時間興奮状態のまま、とかありましたもの・・・
(私にとっては軽躁のほうが鬱状態よりも手に負えない感がずっと強いのです)
他にはスクリャービンの音楽とかでもありますね。
実際にどういう作曲家の、どういう特徴を持った音楽が(自分に、そして一般に)軽躁を引き起こすようなのかはまだ分かっていませんが、本当に興味深いです。
その動きに気づいたときにちゃんとブレーキ踏んではいるんですけどね・・・やっぱりトリガーをなるべく避けるしかできることはないのか。そこもこれから探ってかなくちゃいけないです。
あと「軽躁状態」自体についてももちょっとこのブログで書きたいなーと思いますね。
自分にとってはとっても身近なことなんですけどいざ説明するとなると難しい。説明するにもなかなか文面で伝わりにくいですし、もちろん当該状態になってる間は説明できませんしね。
勉強か経験か、どちらのアプローチをとればいいのかさえも今はわかりませんがきっといつか。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第1楽章
今練習している曲の中で、そしてもしかしたら今まで弾いた曲の中で自分に合うことトップクラスの曲だと思います。
プロコフィエフらしいか?といったら他にもプロコフィエフらしい曲はいっぱいあるのですが、独特のキャラクターと魅力を備えたピアノソナタです。
きっちりしているようだけど気まぐれだったり、腹黒いようで実はロジカルでストレートだったり・・・
終始影がさしたような暗さの中で動と静が蠢きます。
特に最初の部分でちらっと出て中間部で執拗に繰り返されるリズムの格好良さが私の一番お気に入り♪
(機械とか、あと機関車が進むような感じに似ていますね~)
まだまだ練習は音さらいの段階ですが(再現部がなにげに難しい!ソナタ形式の変則がちょっと技巧的に裏目にでるのです・・・)、この楽章において「理想のバランス」というものを考えるようになってきてます。
情熱とクールのバランスだったり、自由に動かすlaid backな部分ときっちりしたforward driveのバランスだったり、鋭いスタッカートと流れるレガートのバランスだったり。
それらの「自分の中のバランス」を見つけたときに自分にとってのベストな解釈が生まれるんだろうな、と思います。
少なくとも情熱とクールのバランスはなんとかしたいですね~
弾いてるときは感情に流され気味なのか「情熱」の面が勝り気味だと思います(特に中間部・・・)。でもプロコフィエフとかショスタコーヴィチとか、ソヴィエトならではの機械的キャラクター、鉄鋼の冷たさなどもどんどん前面に押し出していきたいですし。
表面的には冷たさがでるといいな。
いろいろ自分でも試行錯誤しなきゃですがそれには色んな録音を聴くのも必要ですね。大学では何人か弾いた人いるのですがCDがもっと欲しいです。(ということでリヒテルをリンクしました。)
この曲を弾き始めて本当に「出会った!」感が強いんですよね。他の楽章もこんな感じで進めてけるといいなと願ってます。
いろいろやりたいことやらなくちゃいけないこといっぱいのこの頃。
ヘアカットの予約は入れましたし、Tax returnも済ませたんですがそろそろ録音もできるかな、レッスンも決めた方がいいかな、とか美術館いついこうとか誕生日ディナーの鍋なに入れようとか友達のBaby showerなに持ってこうかとか・・・
妙に慌ただしい脳内。
仕事は今大きい案件が来ててまだ数日かかることは確実なのですが納期がまだまだなのでちょっとペース落としてもいいかな、という感じ。
ピアノはそれぞれの曲で壁があっていろいろトライしているところ。あ、あと今度のユースオケの「惑星」のチェレスタパートの練習も始めました。
とりあえず見た目朝ちゃんと起きて(ちょっと寝坊してることはしてますが)仕事やってピアノもやってまた仕事やって、家事もそこそこやってはいます。
ピアノを休んだり仕事の納期を延ばしてもらったりする必要もなく日常を過ごしているわけですが・・・
それが楽々こなせてるか、といったらやっぱり違うんですよね。
ぎりぎりのところでぎりぎりじゃなくとどまってる、というレベルでしょうか。
気持ち的にこれ以上いろいろやり始めたらいけないな・・・という自覚があり。
後から実感したのですがトゥーランガリラの頃はちょっと無理しましたね。ちょっと行き届かないところもありましたし後で大分ダメージ来ました。
でもそれも大学在学中の無理と比べたら微々たるものなのかもしれませんが。
大学のオーケストラでマネージャーをしてたころがやっぱり一番無理してたと思います。もちろん学業も自分の演奏もありましたが、その上にですからね・・・
楽しかったですし、やってよかったと思ってるのには変わりないですが(特に秋~冬に入ると)本当に苦しい時期でもありました。
こういうときの不調は全体的な疲れやすさ、腰の重さ、気分のレベルが若干低め、というのもあるんですが「疲れててもそれをなんとかするのが大変面倒くさいのでor疲れに気づけなくてずんずん進んでしまう」というのがあります。(だからトゥーランガリラやオケマネージャー・大学生活のように後から手痛いしっぺ返しがくるんです)
それでなくても普段から自分を強制的に休めたり人に頼ったり甘えたりがちょっとだけ苦手だったりするので・・・
でも環境的にはピアノ教えやオケマネージャーよりも今の在宅翻訳の仕事のほうが「無理させない」という意味ではいいかな・・・と思います。ただ仕事も練習も一人なので(笑)自分が気づいてなんとかしてあげなくちゃいけない、という自覚をもっと持った方がいいですね。
それから今年特に気になる、というか目につく不調のサインが「気分のブレーキが利かない」ということ。
一応診断名は「双極性障害(II型)」でその一番主とする特徴が気分の変動(up & down)なんですが・・・
特に上方向に気分が変わるとき、まるで自分の手をすりぬけていくようにはっきりと自分の意志に反して気分が高揚していくいやーな感覚があります。(その過程がまざまざ感じられる気持ち悪さと無力さ!)
もともと気分の高揚については(焦燥感などと共に)主に春先に問題となる症状で、本来冬は低めの感情が続くのが常なのですが・・・
今年はなんだか感情のねじがゆるい感じがします。
自分の意志に反して気分が上がってしまうのは一見良いことなようでそうでないです。
気分が上がる≠調子が良くなる、ではないですからね。軽躁状態はほんとうにしんどいです。本当に。
頭のなかはぐるぐるするし、自分の思考と感情と行動がばらばらになってついていかなくなったり、焦燥と感情の高揚でエネルギーがどんどん抜けていく感じが。そしてあとで気分がデフォルト以上に落ち込む。
一応軽躁状態を引き起こすトリガーみたいなのはあって、その一つとして一部の音楽が挙げられます。
その筆頭がトゥーランガリラなどメシアンの「歓喜」を表す音楽で。
眩しく鮮やかな色彩、躍動感あるリズムなどに自分のねじのゆるんだ感情が反応してあれよあれよとつり上げられてしまう。
リハーサルの後とか数時間興奮状態のまま、とかありましたもの・・・
(私にとっては軽躁のほうが鬱状態よりも手に負えない感がずっと強いのです)
他にはスクリャービンの音楽とかでもありますね。
実際にどういう作曲家の、どういう特徴を持った音楽が(自分に、そして一般に)軽躁を引き起こすようなのかはまだ分かっていませんが、本当に興味深いです。
その動きに気づいたときにちゃんとブレーキ踏んではいるんですけどね・・・やっぱりトリガーをなるべく避けるしかできることはないのか。そこもこれから探ってかなくちゃいけないです。
あと「軽躁状態」自体についてももちょっとこのブログで書きたいなーと思いますね。
自分にとってはとっても身近なことなんですけどいざ説明するとなると難しい。説明するにもなかなか文面で伝わりにくいですし、もちろん当該状態になってる間は説明できませんしね。
勉強か経験か、どちらのアプローチをとればいいのかさえも今はわかりませんがきっといつか。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第1楽章
今練習している曲の中で、そしてもしかしたら今まで弾いた曲の中で自分に合うことトップクラスの曲だと思います。
プロコフィエフらしいか?といったら他にもプロコフィエフらしい曲はいっぱいあるのですが、独特のキャラクターと魅力を備えたピアノソナタです。
きっちりしているようだけど気まぐれだったり、腹黒いようで実はロジカルでストレートだったり・・・
終始影がさしたような暗さの中で動と静が蠢きます。
特に最初の部分でちらっと出て中間部で執拗に繰り返されるリズムの格好良さが私の一番お気に入り♪
(機械とか、あと機関車が進むような感じに似ていますね~)
まだまだ練習は音さらいの段階ですが(再現部がなにげに難しい!ソナタ形式の変則がちょっと技巧的に裏目にでるのです・・・)、この楽章において「理想のバランス」というものを考えるようになってきてます。
情熱とクールのバランスだったり、自由に動かすlaid backな部分ときっちりしたforward driveのバランスだったり、鋭いスタッカートと流れるレガートのバランスだったり。
それらの「自分の中のバランス」を見つけたときに自分にとってのベストな解釈が生まれるんだろうな、と思います。
少なくとも情熱とクールのバランスはなんとかしたいですね~
弾いてるときは感情に流され気味なのか「情熱」の面が勝り気味だと思います(特に中間部・・・)。でもプロコフィエフとかショスタコーヴィチとか、ソヴィエトならではの機械的キャラクター、鉄鋼の冷たさなどもどんどん前面に押し出していきたいですし。
表面的には冷たさがでるといいな。
いろいろ自分でも試行錯誤しなきゃですがそれには色んな録音を聴くのも必要ですね。大学では何人か弾いた人いるのですがCDがもっと欲しいです。(ということでリヒテルをリンクしました。)
この曲を弾き始めて本当に「出会った!」感が強いんですよね。他の楽章もこんな感じで進めてけるといいなと願ってます。
