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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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ユースオケについて。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
最近メンタルヘルス関係なんだか減ってて(読んでる方は分からないのですが)書く方としてはちょっと寂しいんですよね・・・
そして楽器と性格チェロ編もそろそろかなー・・・と思ってるのですがちょっとまだ踏み切れず。

で、今日は色々「なんだか数ステップすっとばしてね?」と思ったことについて。
いろいろトゥーランガリラ弾いてる間ずっとユースオケでの活動についてつぶやいたりブログに書いたりしてきましたがそもそもメルボルンにおいてのユースオケの活動、位置づけ、そして私のユースオケとの繋がりの歴史だったり、そういうことをまったく紹介せずいろいろ話を進めてしまったな・・・と気づいたので今回改めて書きたいな、と思います。

そもそも私の言うところのユースオケ、つまりメルボルン・ユース・オーケストラ(Melbourne Youth Orchestra、略称MYO)はMelbourne Youth Music(略称MYM)という団体の主催するアンサンブルの一つです。
Melbourne Youth Musicのホームページ(今後のコンサート予定などあります)はこちら、そしてFacebook(こないだのコンサートの写真あり)はこちら

MYMはメルボルン(都市部に限らず?)の子供~若い人(年齢としては8歳くらい~25歳くらい)のために
弦楽アンサンブルだったり、吹奏楽、オーケストラ、ビッグバンドなど様々な種類・レベルのアンサンブルプログラムを提供しています。
これらのプログラムは学校の1年と同じシーズンに渡って行われていて(毎週土曜日の朝or午後にリハーサル、学校が休みだとリハーサルも休み)、その間にいくつかコンサートを行います。
さらに夏期アンサンブルプログラムもやってて、1日リハーサル(日帰り)を2週間?行ったあとコンサートで演奏する、というもので。
大抵学校の紹介などでこのサマーキャンプに参加して、楽しかったらレギュラープログラムに入る、という流れでしょうか(私はそうだったのです)。
入れるアンサンブルに関しては年齢の他に音楽の試験AMEBのグレードで目安が決められてて、上の方のアンサンブルだと毎年の始めにオーディションを受けることが必要になります。

私は学校のオケで弾いてたのがきっかけでサマーキャンプを紹介され・・・1999年のサマーキャンプに初めてチェロで参加して、2000年のサマーキャンプでトップのオケで弾いたのがきっかけで(ショスタコ11番の第2楽章、それからオーストラリアの曲を弾きました)レギュラープログラムにオーディションすることに決めました。
2000年はPercy Grainger Youth Orchestraという2軍のオケで弾いてて、2001年からはトップのMYOに入りました。
一応2004年ごろ?チェロではもうおしまい、ということにしたのですが(年の終わりに次の年続けるかどうか意思表明しなきゃいけないので)・・・2003年頃からピアノ・チェレスタパートもあるときは弾かせてもらってたのでチェロで脱退した後もそれらのパートがあるときはちょこちょこ呼ばれています。正確に言うと大学卒業後のブランクがあって、そしてやっとトゥーランガリラで復帰した・・・という経緯です。

MYOはメルボルンから有望な若い音楽家達(15~25歳くらい)が集まるただ一つのトップ学生オケなため、コンクールなどはやらず・・・というかもともとコンクール的なものはないですね(バンドだとフェスティバルとかコンクールとか全国規模ででてるのかな?私は入ったことないので分からないんですが)。
ライバルが居るとすればそれは大学のオケであり、プロのオケ・・・と私は勝手に思ってます。
(メンバーは多少かぶりますが)
大抵年に4回コンサートをやって。たまにVIC州の田舎の方や別の州に演奏旅行にいったりもします。2001年にはタスマニアに演奏旅行に行きました。あのときはオーストラリアの各州の首都からユースオケが集まるイベントもありました。

トゥーランガリラの時も書きましたがMYOというのはかなりレベルの高いオケです。
毎年メンバーがある程度は替わりますので少しレベルに変動はありますし、数年毎にどのセクションが強いか、というのは変わりますが良い演奏をするのには変わりありません。
特に管楽器奏者とか、そして弦楽器の前の方の奏者とかわりと学校のオケで腕を持てあましている?ようなメンバーがもっと良い・難しい曲を弾きたい、もっといい奏者と弾きたいという意図で集まるところですので・・・
ユースオケで一緒だった面々、というのは大学で音楽の道に一緒に進むor再会する人が本当に多いです。
つまりはもう10代後半から音楽をやりたい、と決めている人のためのオーケストラ、ともとれますね。

弾くレパートリーも本格的です。
ライトミュージックのコンサートを除いてはプロオケにひけをとらないようながっつり難しい、かつ本当に偉大な音楽を弾かせてもらえます。
私がユースオケに居る間弾いた曲のうち主要なものを一部:
ストラヴィンスキー「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」、マーラー交響曲第1,5番、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」、ピアノ協奏曲第2番、ラフマニノフ交響曲第2,3番、ピアノ協奏曲第2,3番、ホルスト「惑星」、ベルリオーズ「幻想交響曲」、ドビュッシー「海」、ブラームス「ドイツ・レクイエム」、オルフ「カルミナ・ブラーナ」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、「キージェ中尉」、チャイコフスキー交響曲第5番、「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、レスピーギ「ローマの松」、ショスタコーヴィチ交響曲第5,9番、メシアン「トゥーランガリラ交響曲」・・・などなど。まだまだあります。
(実は私のユースオケでのチェロ弾き生活はストラヴィンスキーの「火の鳥」に始まり「春の祭典」に終わってます)

トゥーランガリラの時みたいに一見この集団には(演奏経験などを考慮して)難しい!と思われる、様々な楽器に様々な試練を与えるようなガチの曲をいつも弾くわけです。
それは若い人達に(これから音楽を続けてもそうでなくとも)本当に良い音楽と触れあい、それを良い奏者と弾き、そしてその壁に立ち向かう機会を与えてくれます。
こないだメル響のコンサートでユースオケ以来のチェロ友達が演奏してたのであとでちょっと挨拶したのですが、彼も「ユースオケでバルトークをやってよかった、ちゃんとあれ以来覚えてて今回本当に楽だった」と話していました。

ユースオケは若い音楽家がプロの道へ巣立っていく助けをする場所でもありますが、同時に今ユースオケの裏方・事務は私の先輩・友達の世代によって支えられています。(指揮してる友達もいます)必ずしも演奏ではなくとも音楽作りに関わり続けることができるような場所を作ってくれてもいるのです。

ちなみにAustralian Youth Orchestraというのもあります。
これはオーストラリア中のトップの若い奏者達が集まって数週間ワークショップやリハーサル、コンサートをやるというものです。(演奏以外にも音楽事務のプロジェクトなどもあるみたいです)
私は2度ピアノでオーディションしましたが受からず。(オケピアノの世界も全国規模だと競争ありますね!)
でもオーストラリア中の有望な若い音楽家達といっぱい交流する素晴らしい機会だと聴いていますし、メルボルンの国立アカデミーに進学した場合はそこで再会、ということもあるようで。

オーストラリアは(もちろんこれだけではありませんが)本当に音楽家を育てる温床が素晴らしいと思います。


今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲版より「終曲」



先ほど書きましたが、私がユースオケ(MYO)に入って最初のコンサートでやった「火の鳥」。
小さい頃から両親が好きな曲なので弾けて本当に嬉しかったです!
木管金管に比べれば全然かもしれませんが、チェロのパートもなかなか難しいんですよ。

こないだカバレフスキーの前奏曲でこのフィナーレのメロディー(最初のホルンのソロ)が引用されている、でももしかしたら引用と言うよりはどっちも同じロシア民謡を引用している、ということかもしれない、という話をしました。
このメロディーがロシア民謡かどうか実際のところは知らないのですがこれにしろペトルーシュカにしろロシアの様々な作品に使われている「ロシアのメロディー」というのには共通点があります。
ロシアのメロディーって素朴で、割と音5~6つしか使わない、ちょっと回るようなメロディーなんですよね。
この「火の鳥」のフィナーレのメロディーも正にそれで(ピアノで試してみると片手で弾けますよ~)

火の鳥とイワン王子が魔王カッチェイを倒し、石だった兵士達も人間にもどり姫君達も解放され・・・
そして朝が訪れる、そういう場面です。
この曲は本当に希望に満ちています。ちょっと映画音楽っぽいところや繰り返しが多いところもありながら独特の色彩で世界を満たし。
でもどこかこう、派手だけど落ち着いたところがある、オープンで心が本当に満たされるエンディングです。
自分が被災支援コンサートをオケでやるならこの曲で絶対しめたい!と思う曲でもあります。

昨日も「夜明け」の曲でしたが、夜明けだったり黄昏だったり、色彩と光どちらも時と共に変わっていくのを「視覚を使わず」表現する音楽、そして作曲家の表現ってすごいな、と思います。


拍手[0回]

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心の隙間、とか・・・
大分久しぶりに料理地味ーに失敗しました。
タマネギすりおろしのソースこがしたり片栗粉はたくの忘れたり鶏肉の解凍が十分じゃなく観音開き失敗したり・・・あわてながら妙なところぼーっとしてた結果こうなったのですが・・・
失敗してもまずくは決してなかったのでなんだか実感湧いてません(汗)

何かにつけて最近思い出すのが以前のレクチャーで聞いたヘビースモーカーの話を思います。
「何もする気力がなく、でも何もしないでいるのは不安なとき、その隙間に入る」のが煙草を吸うことだったと、そして気づけばその1本の煙草=その場限りの安心を得るためならなんでもする、と思うようになった、という。
喫煙を止めさせるようにするのではなく、その隙間だったり、気力がないことだったり、安心を求める原因だったりの根本をなんとかしていくことが大切だ、という話だったのですが。
(件のレクチャーの感想はこちらです。メンタルヘルスの間接的な問題いろいろについて。

所謂身体的だけでなく心理的に中毒・依存になるものってそういう傾向があるような気がします。
まずは普段の生活でどんなに頑張っても得られない感覚を与えてくれるということ。お酒に酔ったりドラッグのトリップだったり、一服吸って安心を覚えたり、競馬で夢中になったり結果に激しい喜びや悲しみを覚えたり。あとは食べる、というのもそうですね。生きている人間らしい感覚(感情を含む)を感じたり、現実の苦しみなどから逃げたりできる、そういうものに依存したり。

あともう一つの傾向としては「あまり労力を使わないけれど自分で何かしているようになれる、かつ時間をつぶせる」ものに依存・中毒しやすいのかな、と。日本だったらパチンコ、オーストラリアだったらPokies。ゲームだったり、あとはtwitterもこのカテゴリに入るかな。ケースによっては自傷も。例えばテレビを見るとか音楽を聞くとか、完全に受け身だとやっぱりそわそわするから自分の意志でやっている、という感覚がないと気が済まないというか満たされないというか・・・という。

そういう心の隙間だったり、気力がないけどrestlessになる感じは私も(特にこの季節は)多々思いあたりがあります。色々ピアノや音楽を聞くことを使いますが上記労力が要るとかそわそわするとか、必ずしもいつも効果的なわけではないです。
むしろ調子が悪ければ悪いほどメンテナンス措置は効果が薄れる・実行できない傾向にあります。
ダメなときはなにをやってもダメ。(それを知っておくのは大切ですよね。無理にポジティブに、とかあがくのが逆効果になるときは本当に多いですし、まずは自分の状態を正しく認識するところ・自分の限界を認めるところから始めなきゃだめなので)

自分のそう言う弱さをこうやってはっきり論理的に認識するまえから「はまって抜けられなくなる性格だなー」というのは知ってるのでなるべく避けるようにはしています。お酒は例外ですが一応気をつけて・・・一応。
でもいろいろそわそわしているときにする癖とか沢山ありますね(汗)

心の隙間そのものだったり悪癖そのもの、というのは必ずしも害につながるわけではないですが。
中毒・依存が身体に及ぼす害もそうですが、そうなることによって中毒・依存を断ち切るため、さらにはその原因となった心の隙間に関わる心の問題を解決できないような思考サイクルに陥ったり・・・
そういう様々な害に繋がるものなんですよね。
とくに精神疾患を抱えている人はそういう傾向に関するリスクが高いですし。(依存しやすい、抜けにくい、精神疾患が心の隙間を創り出す、などの理由で)

何もできない、よりも何かできるようでできないような、というような状態が辛く感じることも多いです。
特に責任感の強い人だと「何にもできない状態じゃないから何かしなきゃ」という焦燥をより強く感じると思いますし、何もできない状態のときにできなかった、やりたかった事がたまってたり・・・一応休もう、とも思いにくいでしょうし、休もうとしたところでそわそわして休めなかったり。あとそういう状態の人にとって「何か自分でやった」という感覚に覚える安心がより強いのではないでしょうか。

責任感の強さはまあ別として私も「迷ったら休む」ことが苦手で、休もうとしても焦燥感を感じたりします。
幸い仕事を一旦始めるとのめりこむほど集中し(ピアノ・・・は日によります)、寝る時は問題なく寝れるのですが起きている間何もしないでいるのがとにかく苦手。
書き物をしたり論文を読んだり耳たぶ丸めたりちょこちょことっかえひっかえして過ごしています。

こういった「何もできないわけじゃないけど何かできるわけでもないどうしようもないそわそわする感覚」というのは精神疾患の症状ではないわけで。
でも精神疾患を持ってる人の多くは経験したことがありますし(日常的に経験している人も多いはず)、そうでない人もよく経験する感覚だと思います。
それ自体は害は少ないですし、気分や調子の変化とともに自然に消失する感覚ではありますが、長く続いたり、不適切な方法で対処してしまったり(お酒に走ったり)するともっと重大な問題になりかねない側面もあり。

こういう状態って心と体が「何かを欲している、でもなにか分からない」と訴えてる、心の中にあるものに対する気づきのきっかけとなる状態でもあるんですよね。
だからまずはこの感覚の後ろに何が隠れているのかちゃんと自分の心のなかをさぐってみてできればケアしてあげる、場合によってはお医者さんとかプロの対応を仰ぐことは本当に大切だと思います。(特に先ほど書きました「不適切な対応」というのはそれから目を背ける、逃げる行為そのものですからね)
ただ原因がとりあえずのところないばあい、または分かっててもどうしようもない場合は改めて「どうしようもないんだ」と認めて、その感覚が去るのを待つ・やりすごすのもまた大切だと思います。

特に私に取っては無駄なあがきは今の季節エネルギーを無駄に消費することに繋がりますからね。
なんとかやりすごしながら、でも問題を見過ごすことないようのりきらないと。
人の行動や思考、感情の裏には心理、というかきっかけや理由があって・・・
お酒に、自傷に走りたいと思ったら何かがおかしい、そのサインを(自他共に)見逃さないように肝に銘じないといけませんね。


今日の一曲: ウジェーヌ・イザイ 無伴奏バイオリンソナタ第5番 第1楽章



最近イザイの無伴奏ソナタを全く扱ってなかったな~と思いチョイス。
でも大切な第2,3,4番とかは・・・どうも出しそびれてしまう。いつか紹介しますね・・・

第5番第1楽章、いつかこれをどこかのコンサートのアンコールで聞いたことがあります。
録音で聞く前で本当に初めてで、ちょっとびっくりした記憶が。
あんまりバイオリンリサイタル的なものは(友達の以外は)行かないですし、大学でイザイを弾くような人はいないですし(そんだけ難しいんです!)。

バイオリンというとロマンチックだったり機敏だったり情熱的だったり、なにかと感情と直結しているイメージが強いです。イザイの無伴奏ソナタも実際感情表現がものすごく濃いものが多く。
そのなかでこの曲はちょっと例外的というか。言い表すなら「印象派的」でしょうかね?
「夜明け」のタイトルの通りこの曲ではバイオリンが4本の弦全部に渡る分散和音をつかって静寂・静止から起こる光、そして変わりゆく色彩を鮮やかに表します。
そこには人間のいる余地はないような、とても絵画的な、心洗われる自然そのもののような音楽。
あの小さい楽器から無限の風景、世界が広がるのは本当に凄いです!
(ぜひぜひ大きなホールで生で聴きたいですよね♪)

弦楽器って左手で音を決めるため忙しく動く左手が難しいと思う人もいるようですが、実は音色を決める右手の方が細かい調整など本当に難しいんです。
例えば、物理的にいえば手が楽器から遠ざかるごとに力が入りにくくなる、つまり弓を引く・押す際の弾き始めと弾き終わりの音を均一するためには本当に力の加減が大変で。
その他にも弓の位置や右手の力調整で音が大きく変わりますし。
そんな右手の努力、繊細さはこの曲で縁の下の力持ちとなってます。

バイオリンという楽器をイザイはどのソナタでも限界まで持っていくのですが、なかなかこういう方向の限界は聴けません。とってもユニークな世界をお楽しみ下さい♪

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メル響コンサート「モーツァルトフルート協奏曲」感想
ちょっとご無沙汰してました~
その間に2000アクセスありがとうございます!そして前回のエントリーに拍手もどうもです!
なんだかちょくちょく留守にしたり長文だったりいろいろですがそんなブログでも訪問していただいて本当に!ありがたいです。
企画とかは考えてなかったのですが昨日コンサートに行ったのでとりあえず感想を・・・

7月14日にメルボルン・タウン・ホールでメル響のコンサートいって来ましたよ~
プログラムはこんな感じ:
(指揮:Edward Gardner)

バルトーク 4つの小品 op.12
モーツァルト フルート協奏曲第2番(フルート:Emmanuel Pahud)
バルトーク 管弦楽のための協奏曲

(ちなみに今見れるか分からないのですがコンサートのプログラム、メル響の公式サイトやパンフレットと同じくオケメンバーがメルボルンのいろんな場所で撮った写真がついてるのですが今回のプログラムの写真はなんだか良い感じのシティのバーでビオリストがバイオリニストを口説いてるようにしか見えません)

最初のバルトーク(4つの小品)は大学の図書館で借りてよく知ってる、とても好きな曲なのですが実際の演奏は今回がオーストラリアで初めてだったそう。
指揮者の方がドビュッシーの影響だったり、同じくバルトークの同時期の作品であるオペラ「青髭公の城」の影響だったりについて演奏前に話しましたが、その2つが主影響と聴いてなるほど、自分が好きなのも当然だわと納得。

演奏は割と良かったです。第2楽章のスケルツォのテンポがちょっと重かったかな、というのと(もともと重い、chunkyなスケルツォだからもっと急かした方がいいと思うのと、あとスケルツォなのに長く感じました)、あと第3楽章のアンサンブルが一部ちょっと納得いかなかったのがありましたが(最初のホルンの和音をもちょっと音程下げると上手く他が乗っかると思う、というのが私の意見)、特に第4楽章のがっつりした暗い迫力なんか凄かったですね。
木管が全4楽章通じて特に強かったな、と感じました。

モーツァルトはソリストの音がフルートの音でなく「魔法の笛」のようでした(「魔笛」は確かにモーツァルトの作品ですが・・・)。
跳躍だろうが速いパッセージだろうが本当に自然でなめらかで。ちょっと説明しづらいのですが「上向き」の音なんですよね。決して軽いわけじゃなくボディがある音なんだけどすっと上に抜けていく感じ。
そしてオケもちゃーんとサポート体制ばっちり。一回コントラバスのヘビーベースが上手いことふわっと出てきて面白かったり、あとホルンがちゃんと小さくて丸い音(母曰くホルンにとってあんま楽しくない割に大変なカテゴリーの音)で支えてましたし。この曲でホルンセクションで1stを弾いた「バイキング」の異名を持つ奏者もいつもの勇敢な音を抑えて上品なモーツァルトに。

そしてメインイベントであるバルトーク「管弦楽のための協奏曲」。
私にとって最も長く知っている曲の一つであり(そりゃあもう生まれる前から聴いてるはず)、ユースオケでチェロで弾いてますし、さらに大学の指揮の授業で第4楽章を課題曲として振ってます(といっても当時大分いろいろぼろぼろだったのでほとんど記憶ありませんが・・・)
とにかく尋常じゃないほどよく知って、そして親しんでる曲なのです。(ただスコアは持ってない。買わなきゃ。)

今回残念だったのは席が一階だったので第1楽章のハープが鉄の棒でがしがし、というのが見えなかったところ!弾いてた当時はチェロでしたし弾いてましたしでほとんど見たことないですし・・・
(意外にもメル響が前回この曲を弾いたのは2005年と大分前。次またすぐやるといいなあ・・・)

演奏はなんとなく(この曲として・そしてメル響として)ベストじゃないかなという感じはありました。
が、最終楽章に来るまでには本当に素晴らしい演奏になってました。
第1楽章は暗さを前面に出した、というか地にしっかり足はついてても大分内向きな演奏でした。後半の金管のところとかもっとぱーっと行ってもよくなかったかなあ、と個人的には思いますが。
第2楽章はなんだかショスタコ的な(と言われてバルトークが嬉しいかはわかりませんが)スパイクが効いてて気持ち良かったですね。特にファゴットの格好良さは評価されるべきですよね!
この楽章を始めバルトークではトランペットのデュエットがよくあるのですがメル響ではトランペットの1stと2ndが夫婦同士。2度離れた、不協和音だけど2人一体となるこのデュエットを夫婦で聴けるのはなんだか特別です。
第3楽章ではティンパニが格好いい!ピッコロが難しいけど凄い!というのは勿論ですが弦楽器が光りました。濃い!そして特にビオラが(メル響二しても珍しく)「むちむち」としか言いようのない音を出してました(笑)
それは第4楽章のビオラセクションソロも同じで。(おそらく指揮者の指示。これからももっと活かして欲しい音です)中間部の皮肉のきいためりはりも良かったですね~
そしてやっぱり最後の第5楽章が今夜のハイライトでした。ときどきのずれも有りながら全体的にベスト、というのとあと的確さとワイルドさの両立だったり、ブラスのオープンな音だったり。あと最後のセクションの肯定的な感じが本当に嬉しかった。バルトーク聴いたぞー!という感じで家に帰れる感じでした!

今回の指揮者さん、後ろ姿みてても「奏者だったらこういう風に応答する」というのがはっきりと分かる感じで。
アクションはオーバーだけどとってもクリア。
4つの小品に対する思い入れだったり、管弦楽の~での暗い箇所の解釈だったり、ちょっと感じ方似てるところあるのかな?みたいなところがあるので・・・
・・・是非一緒にお仕事したかったなあ、と強く思いました。

バルトークは本当に好きな作曲家だけどオケ以外で弾いた経験がまったくないんですよね。
なんとかこの春くらいにピアノ曲でいいのを探さないと・・・と改めて思いました。
技巧はあれですがリズムだったり、がちがちの理系でも本能の炎も燃えさかってるところなど、バルトークのスピリットは自分にとってものすごく親しいですし、合ってると思いますし、自分にとって良いものだと思いますし。

あとバルトークはブーレーズの指揮がもっと聴きたいです。以前も何回か書いてますが理系の計算ずくし+ワイルドな炎のホット&クールのコンビはブーレーズのスタイルにベストマッチですからね。いくつかは持ってますがもっと味わいたいですよーホントに。

メル響は8月にベートーヴェン(とそのウィーン周り)のコンサートシリーズをやってるのでお好きな方は行ってみると面白いと思いますよ~
何回かに分かれて交響曲全部が演奏されたり、コンサート以外のトークセッションやイベントもあるようですので是非。
私は8月は大分忙しくなりそうですが交響曲第4,6番のコンサートは良さげだな~と思います。


今日の一曲: バルトーク・ベーラ 「管弦楽のための協奏曲」 第2楽章



「対の遊び」とも「対の登場」とも呼ばれるこの楽章には様々な「対の楽器」がそれぞれ違った音程で離れて同じメロディーを奏でながら現れます。
ドラムの序奏に続いて最初に出てくるのはファゴット(6度)、続いてオーボエ(3度)、クラリネット(7度)、フルート(5度)、そしてトランペット(2度)。
分かる人もいると思いますがこれらの音程は全部が全部「協和音」なわけではありません。5度や7度はちょっと「ん?」という感じですし、2度に至っては明らかにぶつかってます(トランペットの音色もまた手伝ってますが・・・でもそれもバルトークの計算の内)。
そして中間部では金管のアンサンブルがコラールを奏で(ドラムが序奏のテーマで茶々を入れ)、そして再現部は最初のセクションの所謂進化版。進化については再現部の最初に現れるファゴットのトリオが最高に格好いいです(それも新参の第3奏者が大変)!

そうやって様々な楽器の音色とハーモニーを楽しむだけのもの、といったらまあそれまでになっちゃうんですが・・・
確かにこの曲は奇数楽章と比べると偶数楽章はless seriousというか、comic relief的な存在ではあると思いますがこの短い楽章のくみ上げ方だったり、決して手抜きでは全然ないんですよ。

私のイメージとしてはこの第2楽章はからくり時計、というか・・・様々な衣装の対の人形が出てきて踊って。
その踊りだったり動きにもどこかメカニカルなところ、バレエの延長線のような不思議な秩序が存在しているようなイメージです。
(ただバルトークですしあとほんのり薄暗い雰囲気なのでディ○ニーとかそっち系をイメージしちゃだめです)
そんな時計を見て不思議に思うのもよし、ばらばらに分解してメカニズムを理解し楽しむのもよし。
精密なクロックワークはくっとはまれば本当にいろんなレベルで楽しめます。

いつかテレビ録画で入ってたブーレーズ×パリ管が自分にとって最強演奏なのですが、ブーレーズ×NYフィルも良さそうですね!手に入れたい!ということでリンクしました。
その中でもこのジャケットが大変可愛い♪でも可愛いだけじゃなくてよく見てみるとまさかこれは・・・実際のこの曲でのオーケストラの編成じゃないですか!?

拍手[0回]

こないだのコンサートの写真!
もしかしたら、と思ってたらアップされてました!
Melbourne Youth MusicのFacebookページにこないだのトゥーランガリラのコンサートの写真です!
といっても私が写ってるのはほぼ1枚のみ(待機中)。こんなもんです、チェレスタ弾き(笑)
撮影時間は土日のリハーサル&コンサートですね。(ピアニストが髪を切っているため土曜の夕方以降だということが分かります)
よく見てみると割とみんな演奏着に着替えるタイミングがまちまち。日曜日は朝着てくる人が多いですが土曜日は朝からリハーサル、昼空いて夜演奏なのでぎりぎりまで着替えなかった人もいましたし。
いやあ、見るだけで興奮がよみがえってきます。異常に楽しかった2日間ですから。
あとは家族、友達、そしてお世話になってる翻訳コーディネーターさんところなんかにもギャラリーの存在を知らせなくては・・・(あせあせ)

ちなみに演奏時のドレスコードとしてはユースオケは男子=黒シャツ+黒ズボン+黒靴(黒ジャケットは気温により着脱可能)、女子=黒でなんらかの袖があるトップ、黒いパンツorスカート(スカート、ワンピの場合膝丈以上長い)、ちゃんと黒い無地のタイツ・ストッキング、黒靴・・・となってます。参考までに。
なかなかオケ演奏ファッションって見てて面白いですよ。例えばチェロでは弾きかたの都合で女性はパンツや長いスカートが好まれたり。フルートなど足が聴衆から見えるところに座ってる女性は心なしかスカートスタイルが多い気も。
シースルーブラックのトップは女性オケ奏者に愛用されてますね~(Australian Chamber Orchestraだとスタンダードです)
私は今回シャツ+パンツスタイルですが次回はシースルーブラックのふわっとしたトップを着用予定。なんとなく「惑星」のパートのイメージにあうので。

この写真で見えるとおりトゥーランガリラではオケの最後列にずらっとさまざまな打楽器が並んでます。(左端の木琴はもう一つの曲で使ったやつです~)
それとは別にステージ前左端、チェレスタと一緒に鐘、鉄琴×2、ビブラフォーンがメシアンのいうところの「Timbres」セクションとしてかたまってます。(ちなみにハープははもう一つの曲で使ったやつです)

それでは調子にのってるついでに「トゥーランガリラのユースオケ 探してみよう」を。
一応難易度順です~
1) ピアノ・ピアニスト(楽譜ありで弾いてること、そしてページめくりのためコピーしたページも活用してます)
2) 指揮者(本番でも燕尾服ではなくメンバーと同じオールブラックです)
3) オンド・マルトノ(というかいろんな写真でフィーチャーされてますね)
4) チェレスタ(とその主)
5) あれ、銅鑼の上になんか布がかかってる
6) 鉄琴とビブラフォーン、どっちがどっちでしょう(ばちの多さにもびっくり!)
7) コントラファゴット待機中
8) 近くの騒音(笑)から耳を守る装置
9) トロンボーン、テューバのミュート
10) 水筒は舞台に持ち込み可です(もはやウォーリーの域・・・?)
なんだかすみませんが遊んでみてください(笑)

ちなみによーくよくみるとメンバーが座ってる椅子にも何通りかあるのが見えると思います。
ピアニストが使ってるピアノはスタインウェイですが、椅子はスタインウェイ付属の椅子ではありません。すわり心地だったか高さだったかが気に入らないため私と交換することになったのです(笑)
なので私はクッション性良好のスタインウェイの椅子。ピアニストの彼(そしてオンド・マルトノの彼)が座ってる椅子はメル響などでも使ってる高さ・アングルが調整可能な椅子です。余談ですがこのタイプの椅子はチェリストが好んで使うためオケマネージャー時代はチェリスト(とくに背の高いメンバー)に優先的にまわしてました。

楽器、ファッションや弾いてる姿、待機している姿、などなど演奏中はなかなかそこまで見てる余裕がないのでこの写真でリハーサル、コンサート中の様子などこのギャラリーの写真で垣間見える部分いろいろ楽しんでいただければ、と思います。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲 第4楽章「愛の歌II」



コンサートは終わったけど紹介は終わってませんでした。
しかも大変気に入ってる楽章を取り扱いせず・・・
これできっと第1楽章だけ残ってるかな?まだもう1つ残ってたかも・・・(第7楽章?あとでチェックしよう)

愛の歌Iが気がはやるような初々しい性格ですが愛の歌IIはもちょっと落ち着いた感じ?
この曲で面白いのは最初は別々に、はっきりと現れる様々なテーマの魅力だけでなくその絡み合いがわりと聞きやすいこと。
最初の主題はものすごくかわいらしい、若い娘が古の踊りを裸足で踊るような・・・おどけたような木管にピアノと鉄琴などがきらきら光り。
それから「歌」のような豊かな愛にあふれた主題の暖かさ、オーケストラ全員が広げる世界、そしてそのあと弦楽器のアンサンブルで奏でられるどこか東洋風の神秘的な、どこか凍ったような主題。
これらがかわるがわる現れたり、同時に現れたりして、不思議な歌と踊りの世界を繰り広げます。

後半の再現部であんなにたくさん楽器が奏でられるのに(トロンボーンが入るまでは)ステップが軽いままなのがいいですね~♪
チェレスタもペダルなしで踊りますよ~聞こえませんが(笑)
(愛の歌といってもやっぱり踊りの要素も強い曲です。歌の部分に来るまでにこっちも踊りだしちゃいますしね~)

そしてなんといっても!(トゥーランガリラについてのエントリーでも書きましたが)エンディングの繊細さ、幸せさ、そして美しさがたまらないのです♪心の中に秘めておきたくなる愛です!

拍手[1回]

ロシア音楽祭り開催中?
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
また間が開いてしまいました・・・昨日、今日と仕事がなくて主にへばって寝てました。
ピアノの練習もやってましたが昨日は練習しながら大分朦朧としてて・・・

でも最近はロシア音楽祭りの曲もそろってきました。
只今のプログラムはこんな感じ:

スクリャービン 「炎に向かって」
Carl Vine 5つのバガテル 第4番(これで最後)
ショスタコーヴィチ 前奏曲第7番 イ長調(再習得)
プロコフィエフ ピアノソナタ第2番 第1楽章(全楽章弾く予定)
メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第7番 「十字架のまなざし」
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.33 変ホ短調
シマノフスキ 「メトープ」 より「ナウシカアー」

あとロシア音楽祭りとしては前回のエントリーで触れましたカバレフスキーが参戦予定。
前奏曲のうち1つ、2つでも弾けたらなあ~と思ってます。

この中で難しい、というのはシマノフスキとスクリャービン。
技巧で言ったらシマノフスキ。スクリャービンは・・・この曲に限ったことでないですが意外とつかみにくい、理解しにくい、というか。
なかなかロジックで割り切れない部分が多いんですよね、スクリャービンの音楽って。感覚で捉えるにしても彼の感覚が独特すぎる。聴いてるだけだとそうは思えないんですけど弾くとどうもしっくり来ない。
スクリャービンの名手はホロヴィッツがまず思い浮かびますがやっぱり音楽が人を選ぶのか「得意」にしてる人は少ないように思われます。
ロジック重視の私には向いてないようにも思えるのですが以前に初~中期の作品を弾いてかすかに通じるものもあり、神話主義に関しても大切な作曲家なのでちょっとでも近づきたいな、と思ってます。
スクリャービンのお得意エレメントは「火」。これもまた自分が強くなりたい、得たい力でもあります。

論理的アプローチでしっかり来やすいのがプロコフィエフ。
シマノフスキは慣れれば手の感覚でしっくり来るような音楽を書きますが、プロコフィエフは頭で考えてしっくり来るような音楽を書きます。
ロジカルなパターンでパッセージが変化したり展開したりするので先手を打って考えられるのが落ち着くというか。あと暗譜するのに比較的楽。
プロコフィエフ、ピアノソナタの中でおそらく今弾いてる第2番が自分(今の季節の自分)に一番しっくりくるようです。ドライかウェットかでいったらウェット、外向的か内向的かでいえば内向的。腹黒いようで割とストレート。
プロコフィエフらしい強迫観念のような感覚、そして視野の狭さ・濃さの表現がいつかできるようになりたいです。

メシアン、「十字架のまなざし」は20のまなざしのうちでも割と小規模なのですが、和音が若干大きく手が届かなく、いろいろ左手と右手で音をとっかえたりする必要があったりしてめんどくさいので今まで弾かずにいました。
ただここ数ヶ月のシマノフスキ弾きでちょっとだけ手の間隔が伸びとっかえる音が減った!ということで今回挑戦。
「アーメンの幻影」の第3楽章でもそうなのですが、この曲においてメシアンが描く「キリストの受難」が本当に好きで。身体的な、精神的な、そして霊的な苦しみがものすごく生々しいというか。紫と黄緑の色のコンビネーション(これがメシアンのイメージか自分のイメージかは不明ですが)が独特の感覚を呼び起こします。
それは苦しみでもあり痛みでもあり、味覚でもあり。面白いです。

このリストのなかだとシマノフスキが一番長く弾いてるのですがどうも進みが遅いですね。
技巧的に「メトープ」の他の楽章と違うものを求められてる、というのもありますしどうもハーモニー言語が違うような・・・うーん・・・
弾けるようになったら強力メンバーとなってくれそうなんですがどうも。
ラヴェルとかクラム、メシアンもそうなんですがエチュードとかで基礎テクニックを磨いてどうなるとかでもない感じなのでまあ弾き続けるしかないんでしょうが・・・
シマノフスキは好きで弾き続けたいのでちょっと下見的に後期(op.50)のマズルカを借りてきてみました。ショパンのと同じくポーランド生粋の舞曲マズルカですが、CDで幾つか持って聴いてる限りでは全体的に影がさしているような感じで楽しみです。

ラフマニノフに関しては大分指も回るようになってきましたが(これも比較的論理的な音の連なり)暗い嵐のような旋風への思いが先走って只今ちょっととっちらかっていますです。今年の目標は「焦らない」なのに・・・
一糸乱れぬ演奏ができるようゆっくりゆっくり弾くよう肝に銘じます。
割と変ホ短調って指に馴染むしサウンドも好きですし、この曲みたいな細かいパッセージはできると楽しいんですよね~

実はもう既に「この夏弾きたい曲」もそろってきつつあります。基本夏に良い曲が好きな傾向にありますし(ラヴェル、クラム、メシアンだと鳥のカタログなど)、冬は「夏には暑苦しくて弾けない曲を弾こう」みたいな傾向もありますが・・・なんとか絞って行きたいですねえ(汗)
今のところだとプーランクの即興曲だったり、ヴィラ=ロボスのブラジルのバッハ第4番だったり、鳥のカタログまだ未定、クラムのEine Kleine Mitternachtmusikだったり。ラヴェル、ドビュッシー復帰も狙ってたり。

好きなときに好きな曲が弾ける自由を最大限に活用してレパートリーと得意分野を広げてソロの力も付けていきたいです。
今はちょっと調子しんどいですが(暑さ寒さも彼岸まで、といいますが私の場合無理がきくのも誕生日まで、のようです)これから巻き返していけるはずなのでなんとかやっていきたいと思います。
(ちなみに明日精神医とのアポなのでちょっと安心です)
あとは願わくは仕事が来ますように・・・


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガ第7番 イ長調



さっき紹介しないでおきました。
イ長調は以前やりました24keysvirus企画でいうと「花束」(The Bouquet)。決して壮大ではないけれど底抜けに明るくてある種のぬくもりもあって、特に「喜び」「幸せ」を表すようなキーだと思います。
このキーにかかればいくらショスタコーヴィチといえどもひねくれられない!という持論があり。
イ長調で書かれた彼の曲、「祝典序曲」もこの曲も「え、これ本当にショスタコ書いたの!?」と驚く程のストレートで喜ばしい、明るい曲です。

前奏曲の方はちょっと牧歌的なイメージがあり。ちょっと入るショスタコ的な毒の色彩が憎いです(笑)
流れるような繊細なタッチが弾いていて楽しいですし、ハーモニーとともにタッチなどを変えてその変化を存分楽しんだりといろいろ楽しみかたがあります。

フーガがこれまた変わり種。
フーガの主題がなんと三和音の3つの音(ハ長調だとドミソ、イ長調なのでラド#ミ)でできています。
つまりハーモニーが同じなら延々とペダルを踏み込んでおくだけで音が濁らず素晴らしく響きます♪
(ただ間違えると音がすぐさま濁るので逆にいつも以上に音を間違えられない!というのはありますが(笑))
まるで教会がいくつもある町で時間毎に鐘が鳴り始め、会話をするように響き合うかのようなサウンド。

こんな不協和音の欠片もない音楽をショスタコーヴィチが書いちゃうのかーというのは確かに意外ではありますが実際24の前奏曲、24の前奏曲とフーガどちらでも様々な調と前奏曲、フーガという形式を通じていろんなスタイルや色彩を(パロディーなども交えながら)彼は実験して表現しているのでそのうちの一つなんだな、という風に考えれば納得です。
ショスタコーヴィチの定番(交響曲第5番とか)を知ってから聴いて見るとなかなかギャップが衝撃ですよ~

ちなみにこないだ思ったんですがチェレスタで弾くとどうなんでしょ、あまりにも「らしすぎて」おもしろみがないですかね?
チェレスタの音、ペダルを使った響きには合うような気がしますがチェレスタの定番的なイメージを崩さず、なにも拡げたりチャレンジしてないのでショーピース的な位置づけになっちゃうかな、それ以上にはならないかな・・・と思います。(音域的に実際に弾けることはチェックしてあります)
一度試してみたいと思います。
(ピアノからのチェレスタ編曲もじわじわと伸ばしていきたい・・・)


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