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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Changing Melbourne
相変わらずの調子ながら休みの日はごろごろしてもいられない、外に出なきゃと思って今日は一日出かけてきました。
RichmondのIKEAで仕事机や枕をぶらぶら見たり(はっきりいって分析・判断できない状態でしたしね、ちょっと散財には慎重に・・・)、あとシティに戻る途中のAbbottsfordのDAISOでちょこちょこ隙間産業ならぬ隙間買い物して。シティに戻ったら偶然友達に出会ってご一緒させてもらったり。
会話を追うのもやっとで、楽しかったかどうかも自分でもよくわからないのですが外にでて良かったと思います。

さて、今日はシティで大きな工事があってちょっと立ち回り不便でした。
シティのメインストリート、Swanston Streetは普段はトラム、歩行者、自転車、馬車、そして限られた時間・限られた種類の車両のみ通行可能という決まりになっています。
それが今度完全に車両通行不可にして、トラムレール・景観も改善してリニューアルするという目的で今工事が行われています。
シティのど真ん中を通る通りでたくさん交差点もあり、そこそこ長い距離を工事する間、道を渡れる場所も限られててどこに行くにも回り道。
でも今までの通行の決まりもややこしかったですし、かねてから歩道がもちょっと広くて店の屋根の陰にならないところがあっても良いかな、と思ってましたのでこれくらいは喜んで我慢できますね。せっかく踏み切ってくれたのですからちゃんと工事&改装してほしいですね。州政府にも税金払ってるはずですし。

メルボルンのシティ周りでは今他にも大規模な工事がいくつか行われています。
私にとって一番注目の的なのはサウスバンクのリニューアル。
メル響を始め大きなコンサートが行われるメルボルン一のコンサートホール、Hamer Hallとその周囲、そしてその一帯にあるショッピング&レストラン等施設Southgateも大幅に改装中です。
Hamer Hallのヤラ川に面した側はちょっとコンクリート造りの部分が冷たい感じだったり、暗かったりしてましたがHamer HallのGreen Roomという一昔はその名の通り真緑だったお集まり用スペース(?)がなくなるのはちょっと寂しいですね。
あそこでコンサートが終わった後Green Roomにのぼってきて窓から向こう岸のシティの明かりを映したヤラ川を見るのがささやかな楽しみだったんですが。
でも川のレベルと橋のレベルを繋ぐアクセスは確かにもっと良くなったらいいな、と思いますし日曜日あのあたりで行われるマーケットの際のアクセスが良くなること、そしてHamer Hallが中も外もリニューアルされることを楽しみにしています。

そしてここ1年くらいになるんですかね、ショッピングセンターMyerのシティ店の大々的な改装。
MyerにはBourke Streetに面した(クリスマスなどショーウィンドウの展示がある)Bourke Street館、そしてMelbourne Central駅のあるMelbourne Centralショッピングセンター(過去は大丸がありました)から通路でアクセスできるLonsdale Street館があります。
どちらもかなり古いビルだったのですが去年Bourke Street館が改装され。ビル丸ごと新しくしたので窓などの設計も変わり、自然光が入って来たり広く感じたり、とてもモダンなショッピングセンターに生まれ変わりました。
今現在Lonsdale Street館の改装が行われてるのですが、私だけでなく結構(特に冬場・猛暑日には)Melbourne Centralからシティを南に横切る時Myerを通り抜けの道として使う傾向にあるのでいざアクセスできなくなってみると微妙に不便だったりしますね。
Lonsdale Street館もやはり以前のBourke Street館と同じく自然光が入ってこない作りになってるのでそこの改善に期待です。
(そして前回のエントリーでも書きましたが改装が終わって通路が通れるようになってもKitchen Gardenスペースはとっぱらわないでおいてほしいですね!)

そしてそのMelbourne Centralショッピングセンターも徐々にいろいろ改装されてますね。
こないだ2階(ただここはどこを何階としたらいいのか未だに不明)に新しいフードコートができたり。
以前のフードコートよりもこぎれいなというか、テーブルとか椅子とかが良い感じだったり、にぎり寿司や点心も食べれたり。
で、以前のフードコートがあったところを今なにやら大きく改装してるみたいです。そちらは店が並ぶのかな?Swanston Streetのエスカレーターからのアクセスが良く露出が高め、ということでどんな店が来るのか興味津々ですね。
Melbourne Centralは店のラインアップ、場所も今急速に変わりつつあります。なんだか慌ただしいですが楽しみです。

そしてこないだ鴨ラーメンを食べにいったCrown Casinoでも工事やってたり、店舗のラインアップが変わったり。わりとヤラ川に面してるセクションも高級ブランドが増えつつある?気づかなかっただけ?
とりあえず遅くまで開いていて小腹・別腹を刺激するChocolate Box、そしてダリの香水を扱ってフィーチャーしてる香水屋さんは今のままで・・・(笑)

以前このエントリーでも紹介しましたが、メルボルンは新しきと古きが共存している町です。
メルボルンの人々は特に古きに愛着を持っていますが、それでも古いままでは不便だったり劣化していくものも多く。
ちなみにThe AgeのSwanston Streetリニューアルについての記事の投票・コメントではこの大きな変化に対して肯定的な意見が多いですね。結構みんな長い間待ち望んでいた、というか・・・
今までにいくつか民意にそぐわない変化もありましたが(例:Federation Arch)、メルボルンがこの心地良い古さを保ったまま良い方向に変わっていけば、と思っています。
(あとは公共交通機関ですよ!州政府!)


今日の一曲: 魔法騎士レイアース オリジナルサウンドトラック 「いつか輝く」より「三国侵攻 ―オートザム~チゼータ~ファーレン―」



今日はちょっと珍しいところから引っ張ってきてみました。
私が初めて買ってもらったor自分で買ったCD(どっちかは確実)で。アニメはリアルタイムで見てましたし、漫画もほぼリアルタイム(1stシリーズはコミックスだったかな?)で。
こちらで英語版コミックスを見つけたらかっちゃいましたもんね~
なによりも2ndシリーズ(漫画版)が今でも好きです。でも1stシリーズも読み返したいです。

サントラ「いつか輝く」はアニメで使われた音楽が歌が全部instrumentalバージョンで入ってます。
オーケストラなどアコースティック楽器の曲ももあればシンセサイザーの曲もあり。
なかでも前者カテゴリの音楽の作曲、オケ使いを高校時代から本当に気に入ってます。
(シンセの曲も一部アコースティックで編曲したい欲満々でした(笑))

戦闘音楽、キャラクターのテーマ曲、いろいろありますが今回紹介するこの曲はこの物語の舞台であるセフィーロという世界に2ndシリーズで攻めてくる3つの国それぞれのテーマ曲。
簡潔に説明するとセフィーロという世界は「柱」というその世界に全てを捧げる一人によって支えられていて。前シリーズでその「柱」を失って荒廃している状態のセフィーロに次の「柱」、統治者になろうと思う他の国たちが攻めてくる、という状況です。
アニメではどうだったかよく覚えてないのですが、少なくとも漫画ではその「敵国」一つ一つにもそれぞれの事情だったり困難、思惑があって・・・というところが子どものころから好きでした。

オートザム、チゼータ、ファーレンはそれぞれ実在の国・文化がモデルになってるのですが、その対照的な雰囲気だったり文化だったりがこのメドレーにも現れていて。
で、その性格が違う音楽なのですが、共通エレメントで繋いでて。しかもメロディーとか和音進行とか楽器とかではなく、完全5度という音程というさりげないエレメントで、というのが技ですね~(さりげないけど結構分かりやすいですね!)
民族音楽・民族楽器の使い方、オーケストラのサウンド、そして音楽そのものが本当に好きです♪
何度も書いちゃいますが、このサントラのアコースティック曲、この曲に限らずレベルなかなか高いです!
(いつか気が向いたら紹介したいですね~)

完全に余談ですが昔も今もオートザムの最高指揮官イーグル・ビジョンがお気に入り(笑)

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The 13th Annual Woodcock Lecture感想
たびたび自分の状態が仮病に感じたりそうでなかったりを繰り返してます、こんばんは。
確かにそこに今までと違う重さがあるようです。

レクチャーの感想の前に一つ。
今メルボルンのシティにあるショッピングセンターMyerのLonsdale Street側が大々的に改装されて通れなくなってるのですが(案外不便なんですよね)、Melbourne CentralのショッピングセンターからMyerに渡る連結部分にいま良い感じのコミュニティ・キッチン・ガーデンなるものができてて。
もともと日当たりが良いところなのですが、料理に使うハーブや野菜が育てて・飾ってあったり全体的に小さな屋内庭園みたいになってて、座るところもあって。ハーブや野菜についてはちょこっと説明があったり持って帰ってたりしてもいいみたいなことがあったりで。前回通りかかったとき結構人がたむろしてました。もう晩秋ですからね、屋内で日の光の暖かさを楽しみながらゆっくりできるところはポピュラーになっておかしくないです。
ものすごく素敵なスペースなのでMyerが新しくなってもなくならないで欲しいですね。

5月17日、以前予約しましたThe 13th Annual Bruce Woodcock Lectureに行ってきました。
Woodcock lectureはMental Health Fellowship of Victoria主催で毎年Schizophrenia Awareness Week(統合失調症について知るための週間)に行われるレクチャーです。
初めて参加したのですが、Arts Centreのあの「バレリーナのスカート」があるState Theatreになにやらレセプション?的なスペースがあって。
ちょっと全体的に高級感がありました。レクチャー前の軽食の肉まんと生春巻きだったり、お茶のブランドがTea Dropだったり、あとレクチャーやったところの雰囲気とかも。
(ミニグランドあったんですよね、コンサートとかもやったりするのかしら)

今回のレクチャーのトピックは「精神疾患を患う人の身体的な健康を考える」ということで。
肥満や喫煙など、社会的に問題とされている身体的健康の問題はその問題自体を解決するプログラムはあってもその原因に焦点をあてることは少ない、ということと、精神疾患の治療においても精神疾患自体の治療のみに目が向けられて何か身体的に現れてもそれが別の身体的疾患の症状だとは気づかれにくい、という問題について話がありました。

精神疾患と身体の健康についてレクチャーおよび付属のチラシに興味深いデータがあったのでいくつか。
1) 精神疾患を患っている人の平均寿命はそうでないオーストラリア人のそれより20年ほど短い
2) 統合失調症の合併症として自殺、てんかんに次いで多いのが糖尿病
3) 米・英・豪において吸われている煙草の量の半分(喫煙者の半分、ではなく)は精神疾患を患っている人により吸われている
4) 精神疾患を患っている人の身体疾患での致死率はそうでない人の2~3倍
5) メタボリックシンドロームは精神疾患と関連がある
・・・などなど他にもいろいろ。

精神疾患において身体疾患が起こりやすい、また悪化しやすい、気づかれにくいetc.背景には大まかに分けると次のような理由があります。
1) 精神疾患の症状の間接的な影響
例えば対人恐怖などで外に出て買い物もできない状態にいる人にとってスーパーにいって食材を買って・・・というのが難しくデリバリーで済ませてしまったり。
重度の鬱などで起き上がるのもやっとで、食事、運動面で不摂生になったり。
そういう症状の「結果」の積み重なりが身体的な不健康に繋がること。
2) 悪習慣にはまりやすい
喫煙、飲酒、衝動食いなど、レクチャーで例として取り上げられた患者さんの言葉を借りると「何もする気力がなく、でも何もしないでいるのは不安なとき、その隙間に入る」ような習慣が長引いたり悪化して身体疾患に至る例がかなりあるそうです(上記データ3もそれの現れでしょうか)。
3) 自分の健康を保つことが難しい
精神疾患を患っていなくとも自分の健康に気をつけるのはわりと手間がかかります。ましてや精神疾患の影響で自分のことにさえ構ってられない、居るだけでも相当しんどいのに、(特に独り暮らしの場合)自分の周りのことを料理、洗濯、掃除などなどやって料理もまた栄養バランスを考えて献立を考えて、プラス仕事、運動・・・本当に本当に容量オーバー。
4) 薬の副作用
精神疾患では長期にわたって投薬を行う場合が少なくありません。効き目と副作用を天秤にかけなくちゃいけない場合もあります。眠くて身体が重くて、でも病気の症状は抑えられるから続ける、など。あと体重増加が副作用としてある薬も少なくないですしね。
5) 社会的な繋がりの問題
スティグマの影響だったり、周りと問題を起こしてしまったり(または実際に起こしてなくてもそれを恐れていたり)、または症状の影響で外に出れなかったり、精神疾患を患う人における孤立が本当に大きな問題になっているそうです。
先ほどの「自己管理がかなり難しい」こともあり、自分で自分の状態に気づけないこともあり、そして助けを求めることができなかったり。

つまりは患者さんに病気・健康についての教育を行うだけじゃ済まない問題で。
いくら自分の状態に気づいていてもケアにアクセスできることができるわけじゃない、そしていくら知っていても自分の状態を適切に評価できるわけじゃない。
患者さんに責任はない、というわけではないのですが「自己責任」が問題の解決を妨げている、ということ。

なのでケアする側がもっと「手をさしのべる」ことが必要とされている、と。
そして手をさしのべるだけでなく傍に居て、患者さんと共に歩むこと、そういった長期ケアが必要になる、ということで。
それは患者さんの世話をするということでなく、患者さんの孤独だったり自分や周りに対する気づきを促し、自己管理を助ける存在になることが理想ということです。
このPeer supportのコンセプトを盛り込んだサポートプログラムは実験的にこちらで行われているそうですが、やはり今までのケアとは文化、性質が違うこともあってまだケアする側で戸惑いがあるそうです。
でもケアする側の精神・身体の健康においても好影響があるとの結果が出ているそうですね。

それから実際ケアする側、ケアされる側の人から「共に歩んだ」経験についてのお話があり。
あとこのMental Illness Fellowshipにはコミュニティ合唱団もあって、そのパフォーマンスもありました。
それから今メルボルンでNext to Normalというメンタルヘルスを扱ったミュージカルをやっているそうで、そのチケットが椅子の下にあるかも!?という抽選サプライズもあり(当たらなかった~!メンタルヘルス関連の舞台は久しく見てないので見たかった~!)。

要約すると大切だな、と思ったのは以下の点です。
1) 精神疾患における孤立とその結果の深刻さ、そして「友」がいることにより変わること
2) 積極的でEmpathyをベースにしたサポートの大切さ
3) 特に政府からの保障対象に入らなくなった、でも障害・疾患を持ってる人に対するケア
4) 精神疾患のみを治療するのではなくその人全体の健康を評価すること、そして個人に合わせた治療を行うこと
5) 様々な医療の仕組みが連携する必要性

そして最後に合唱団が歌ったLeonard Cohenの「Anthem」という歌からいいな、と思った歌詞を。
「全てのものにはひびが入っている、そしてそこから光が入ってくるんだ」


今日の一曲: カロル・シマノフスキ 「メトープ」より「ナウシカアー」



来ました!始めました、「メトープ」の最後の1楽章、もとい1人。
実は始めたばかりで頭もいつものような(?)キレもなく、他の二つの楽章ともハーモニーの構成が若干違うような感じで、まだまだ雲の中というところが多いです。

他の2つの楽章、「セイレーンの島」「カリュプソー」と一番目立ってこの「ナウシカアー」が違うところ、それは色気の有無でしょうか。すでに寂しいです(笑)
ナウシカアーは元の「オデュッセイア」でも色気要素なしですからね。とにかくしっかりしてて、知的で、気品があって。堂々としてます。ちょっと調べてみるにお母さん似でしょう。

他の2つの楽章が割と明暗曖昧なハーモニー使いなのに対してこの曲はとてもはっきりした、でも柔らかな光の世界。なんとなく黄金を思わせるような、不思議な、戦乱とは別のところで文化を培ってきた異国の音階のような。
そしてアーティキュレーションに関して、スタッカートの味わいが独特ですね。これもまた東方?異国の踊りのようで。

そして最後のところで「カリュプソー」の一部が入ってくるのは海を表しているのか、それともオデュッセウスとの別れを表しているのか。(有名な「私を忘れないで、あなたに命を与えた私を」の台詞のシーンかな?)
もいっかい「オデュッセイア」を読み返してじっくり世界観を構築してみたいと思います。

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主にお知らせ。
いつもこのブログに訪れてくれてありがとうございます。
アクセスもちょっと前に1500を超えて、感謝を言いそびれてなんだかすみません(汗)

ここ数日冬季鬱の影響をひしひしと感じる様になりまして。
集中力の散漫、思考の鈍り、言葉での表現が難しくなったり。
情報のインプットが大分難しくなったり、他人のことに心を向けたりするのが難しくなったり。
あとは全体なおっくうさ、特に朝起きることが目立って難しくなったり、ご飯を作るのにも仕事、ピアノを始めるのにも腰が重かったり。
感情方面は比較的まだマシかな、と思いますが注意が必要なことを現在自覚しています。
(そして仕事が在宅なのは本当に今有り難いですね!)

ということで只今Twitterお休みしています。(フォロワーさん方心配かけてすみません)
「情報のインプットが大分難しくなったり、他人のことに心を向けたりするのが難しくなったり」の部分ですね、なによりも。
ネットで繋がってるのは誰かと一緒にいることとも独りでいるのとも違いますし、もともと一人の時間を必要としている度合いを過小評価しがちというか忘れがちというか。
過去の経験から対人トラブルを起こしやすい状態だと思うのでちょっとおとなしくしたほうが吉かも、ということで。

そしてこのブログも更新頻度が減ると思います・・・が、更新は続けますので引き続きよろしくお願いします。
(そもそもその前からちょっとブログ書くスピードとかまとまりとかが悪くなってきてましたね・・・)

つい最近まで自分は患者面しちゃいけないんじゃないかなーと思う程度に精神的に大丈夫な感じだと思ってたのですが、なんだかやっぱり侮ってたというか油断してたというか。
やはり冬はいかんですね(苦笑)
もう10年もこんな感じで・・・10年前よりは大分いろいろ改善しましたが毎年明確に「鬱だ」と分かる程度には落ちています。
だからこれからは今まで以上に意識的に自己管理しなきゃいけないです。
例えば季節性(冬季)の鬱でよくあるという炭水化物のcravingがちょっと気になり出すこの頃。
起床時間、服薬、そして毎日のいろいろをこなしていくこと、自己モニタリングが不可欠です。

あんまり無理はしちゃいけないのですが、やはりブログ書きが日課(ゆるいですが)になってることもあり、文章の組み立てとか集中した思考とか、自分の考えたり感じていることのstructuredな表現とか、できる範囲で使っていかないと余計に衰えてしまうかな、と思ったのでブログは完全ストップをなるべく避けることにしました。
あと昨日レクチャーに行ったのと、これからまたコンサートがあったりするので感想などはアップしていきたいなと思うので。

創作文書きもちょっと停滞気味なのですがこれも止める必要はないかな、ということでこちらもゆるゆる(まあアウトプットの波はいつでもありますしね)。
もちろんできないことであまり気を病まないように、は忘れちゃいけませんが。
鬱の症状で私が割とやっかいに感じるのが「普段楽しいと思う事、好きなことに対して興味を失う、楽しみを感じなくなる」あたりのことで。
ムキになるんですよね、楽しく感じないことが悔しいし嫌で。なんとか楽しみたいのにという時だからこそなんですよね。(いつもならできることができない、というのもそうですね)そこで自分を責めることが多いと自覚してて。

何にしても集中力は全般的に散漫なのですがツボにはまるとがっつりロックオンしてはまる癖は悪い方向に向かないよう上手く楽しく使えれば・・・と思います。

ピアノは鉄則としてトゥーランガリラ優先、何はなくてもトゥーランガリラ。
本当に弾く気力がないときでもパートとスコアと録音があれば色々できますし。
ソロのレパートリーの方も(大きくプランを変えることはないでしょうが)今だから弾ける曲、今だから弾きたい曲を取り入れて行けたらなあ、と。モチベーションの意味でも表現の意味でも。

長々と支離滅裂にすみません。
でもここまで(大分時間はかかってますが)やっと形にできたならまだ大丈夫かな、と思います。
闘病ではなく慎重めの自己管理、ということで。
一日一日やることやって全体的にはゆるゆるやっていきたいと思います。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガ第23番 ヘ長調



精神状態が変わると音楽の感じ方も変わります。
先ほど仕事をしながらマーラー1番の第3楽章(Bruder Martinのカノンのやつ)を聴いてたんですがマーラーの中でもわりと構造が単純で、それぞれの楽器の音があんなにもはっきり示されているあの曲でも頭の中でばらしたり特定の音にフォーカスするのが難しかったり。
極端に色彩が多かったり極端に明るかったり派手だったりする曲も気圧されたり情報過多になるので避けがちです。(トゥーランガリラなんかそうですが、でもやはり諸々他の思いが勝ってるようです)

そんななか今日お皿を洗ってて耳に入ったこの曲は普段と良い意味で違う印象を持ちました。
あんまり今までこの曲に魅力を感じたことはなかったのですが・・・

ヘ長調はベートーヴェンの「田園」などに見られる牧歌的な曲によく使われるキー。
牧歌的・・・なのかしら、この曲は?前奏曲はちょっとあるかなあ・・・
でも本当に広さがあって、安堵する要素に溢れています。
そしてそこにショスタコらしい毒が入ってそれがまたコクというか深みを持たせて。

特にフーガの4度の音程で昇っていく様子が本当に開放的で好きです。
もちろん前奏曲のゆったりした感じも心地良いですし。
明るすぎない、焦らない感覚が今だからこそ響くのかも。
(それにしてもちょっとショスタコには珍しい感じの曲ですね。24個セットの曲集は結構ショスタコにとっていろいろ試してみる場でもあったのかもしれないな、と思ってます。)

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クラムの世界へのはじめの一歩・・・?
ぐだぐだ状態ですが訪問ありがとうございます~
メルボルンでのツタンカーメン展についての検索ワードが急増しているみたいで。
まだまだ急がなくてもしばらくやってますができるなら学校が休みでない時期に行くほうがいいかもですね。
必見の展示たくさんですよ~♪
(感想エントリーはこちらです)

結構長いことずーっとぐるぐる悩んでたことを今日はちょっとfinalizeしない形でまとめてみようと思います。
ずっと悩んでたこと、それは・・・もっとジョージ・クラムの音楽を聴いて欲しい、その魅力を広めたい!と思っているのですが、迷いなく「これがお勧め!」といえる曲が自分の中で固まらず。
1つに絞らずカテゴリ分けしてみるかな・・・といろいろやってみてもなかなか納得がいかず。
・・・ということでカテゴリ分けみたいな感じで何曲か出していきたいと思います。
たまに個別楽章の話が出ますが、基本「曲集を最初から最後まで聴く」ことを強くお勧めします。
(クラムの音楽は曲集が完全な形で一つの世界となってるのと、あとたとえ最初の楽章がとっつきにくくても途中でとても美しい楽章が入ったりしてるので)

まずピアニストにクラムを勧めるなら?と考えてみました。
クラムがピアノでどんな音の世界を創り上げるか、といったらやはりマクロコスモス第1巻(そして第2巻)がいいかなあ、と思います。私がクラムの音楽に入ったときはここから、ということもあり。特殊奏法の奇怪な音だけでなく、響きの特別さとか、表現方法とか。ピアノ1つだけどピアノ以上になるんですよね。
第1巻だと特に第1楽章「Primeval Sounds」(原始の音)での自然のエネルギー、原始の光景を感じたり。
第2楽章「Proteus」(プロテウス)の特殊奏法をほとんどといって使わない中での独特のキャラクターも最初の頃から心をぐっとつかみました。
あとは第11,12楽章などで見られる無限の空間と音の繊細さとかも本当に特別で。
曲集通してたくさんの体験ができます。
マクロコスモスに関しては特殊奏法やタイトル、楽譜面などから敬遠することなくまず耳を傾けてほしいです。

クラムはたくさんの声楽曲を書いています。でもクラムの声楽曲の演奏を生で聴いたことがないです。
現代音楽全体、全体的に敬遠されがちですが、特に声楽の人の現代音楽の演奏を聴く機会は大学などでも少なく。(注:あくまでも私が知っている限りです)
声楽をやっている人にクラムの音楽を勧めるなら、ダントツで「Ancient Voices of Children」(子どもの古の声)ですね。この曲においての歌い手(ソプラノ・ボーイソプラノ)の表現と技巧の幅、楽器との絡み合い、そして歌の創り上げる世界、どれをとっても本当に素晴らしく。
(何回も書いてますが、この曲を聴くならJan DeGaetaniがソプラノパートを歌っている録音を強くお勧めします!)
女性の声でなく男性の声がいい、という方は「Songs, Drones and Refrains of Death」(死の歌、ドローンとリフレイン)のバリトンの歌声で曲の性格こそ違えどAncient Voicesに劣らないクラムの「歌声」の世界の広がりが味わえます。

バッハに代表されるバロック時代からワーグナー、ブラームスなどの後期ロマン派、そして20世紀前半のドビュッシー、サティ、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフなど、いわゆる「クラシック音楽」に耳が慣れているとクラムの音楽にでてくる奇怪なサウンドは耳がびっくりしたり、生理的に受け付けなかったり、ファーストインパクトで好きになれなくなって心と頭が閉じてしまう、という場合が多いのを経験から知っています。
そういう場合があるということを踏まえてクラシック好きにクラムの音楽を楽しんで欲しい、と考えると何が良いか。悩んだ結果「Vox Balaenae」(鯨の声)がいいかな、という結論にたどり着きました。
Vox Balaenaeではあんまり特殊奏法だったり、不快に感じるような不協和音が少なく、アンプで増幅されているとはいえ割とクラシカルなサウンドで。
それから特殊奏法が比較的さりげなく使ってあるので「ああ、こういう音もあるんだ」とショックを与えることなく広げられるかな、と。ここから徐々に慣れて広げて・・・という魂胆で。
最初のフルートの声を吹き込みながらの演奏の違和感にめげず、最後の美しいコーダまで聴いて欲しいと思います。

それならそういうバックグラウンドが少ない、クラシックのことをあまり知らない、クラシック音楽・音楽とはこういうものだという先入観が比較的ない人だと?と考えてみました。
クラムの音楽の奇怪な面には比較的耐性があると想定、するとあまり驚かせすぎないで、でも驚きを楽しんでほしい。
となるとマクロコスモス第3巻「Music for a Summer Evening」(夏の夜の音楽)をプッシュしてみたいです。
美しいところもあり、不可解なところもあり。ピアノ2台と各種打楽器で作られる音の幅の広さにより「この音は何の音?」(どの楽器の音か、そしてどんなものを表しているのか)という楽しみもあります。さらに音が作り出す不思議な世界を体感できます。とにかくクラムの音楽の魅力が本当に詰まっていますし、とにかく音楽として本当に「良い」ものだと信じています。
聴くならやはりタイトル通り夏の暑い夜がベストですよ~

・・・と、ここまで書いてみて、あれも話に出てないし、あれも挙げていないし、という曲がどうしてもどうしても気になって。
例えばもしかしたらクラムの曲の中で一番有名かも知れない「Black Angels」四重奏曲。なぜここまででてこなかったか、というとオープニングが初めて聴く人にとってはちょっとびっくりというか「騒音的」に聞こえるかなあ・・・ということで。でも例えば第3部の最初のGod-Musicとか、チェロがこれほど美しいものか!とチェリストでも驚くような一品だったり。
そして「Lux Aeterna」も忘れてないんですよ!インドのシタールの音とかリコーダー、バスフルートとか普段聞けない楽器とソプラノのアンサンブルとか、東西音楽の融合とか、独特の暖かみとか。全てが愛しく。
それからピアノ曲では「A Little Suite for Christmas」だったり、「Eine Kleine Mitternachtmusik」も。わりと聞きやすくクラムの音楽の繊細さと闇がどっちも聞ける曲で(でもどうしてもクラムという作曲家を代表してもらうならマクロコスモスを先に前に出したくなっちゃうんですよね~)
クラムの闇、といえば「Apparition」(幽霊)もいいなあ。奇妙なようでスタンダードなところもある歌曲。

・・・という調子で挙げてくとなかなか終わりがないんです!だからこのトピックは難しいんですが・・・
でも少しは絞ることができたかな、と思います。(もちろんクラムはもっとたくさんたくさん曲を書いてます。そして存命なのでまだ書いてます。クラムの公式サイトにリスト等完全ではないようですが情報掲載されています~(英語))
今日挙げた曲はどれも私がクラムの音楽の魅力をめいっぱい表す、素晴らしい音楽だと強く思ってる曲ばかりです。どれくらいCDが手に入りやすいか分からないのですが、1つといわず何曲か聴いて欲しいと思っています。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「Black Angels」より「God-Music」



今回はベストなクラムを惜しみなく、ということで宝刀を出しました。
先ほども言及がありました、Black AngelsのGod-Music。
Black Angelsは曲が面白いだけでなく、その構成もまた面白いです。数字的な意味があったり、対照的になっていたり。特に「13」と「7」の数字が大切だとか。(例えばこの曲集は13つの楽章で成り立ってます)
で、宗教的というよりは神話的なテーマがあったりして。
いつかちゃんと説明したいです(汗)

Black Angelsには対照的な存在としてDevil-MusicとGod-Musicがあります。
Devil-Musicはバイオリンのソロが主役で、God-Musicはチェロのソロが主役です。
そしてこのチェロのソロが本当に美しいのです!
チェロの包容力豊かな音で、ちょっとヘブライ風のメロディーを奏でて。

さらにもう一つ。
チェロを伴奏しているのは四重奏の他のメンバーなのですが、各々の楽器でなく、なんと水を入れたグラスの縁を擦って音をだすグラスハーモニカを演奏するんです。
この音がまた良い!グラスハーモニカの音ってちょっと遅れて音量がふくれる様になってるのですが、その「遅れ」エフェクトが不思議な浮遊感を生み出します。

全知全能の存在というよりは限りなく「神秘」そのものに近いような。
曲はヘブライ風とはいえそちらの神様を表しているというという風に片付けることはできない、そしてこの曲の光を単に「天国的」と表現することはできない、不思議な美しさをたたえている曲です。

(前回「Black Angels」を紹介したときはBrodsky Quartetの演奏をリンクしたのでこんどはKronos Quartetです)

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All instrumental sounds great and small
こんばんは。
すっかり冬らしいメルボルンです。暖かい飲み物が手放せません。
こないだシティの中国茶やさんで買った桂花烏龍茶を今飲んでいます。ほんのり金木犀の香り。高いやつ(あと2段階ほどありました)はもっと香りがいいのかしら。それとも茶葉の問題かな?
ちょっと微妙に不調が続いていて、わりと自分の考えをまとめるのが難しい状態で。
そこで演奏や音楽の作曲家への忠実さについて昨日書こうとしたらなんだかまとまらない上になんだかデジャヴのような、何書いても前このブログで絶対書いてるような気がして。
結局断念して、昨日は更新しませんでした。そのうち仕切り直しできればと思います。

こないだヴィラ=ロボスのギター協奏曲を「今日の一曲」で紹介したとき、ロドリーゴのアランフェス協奏曲を生で聴いたときのことを書きました。
アコースティックギターは大分音量が小さいのでオケもかなり小規模、金管も打楽器もほとんど使わず、それに加えてギターもマイク・暗譜で増幅して。
きっと演奏する側もかなりデリケートに、と心がけているんだなあ、ということを思いました。

それぞれの楽器には音量の限界が弱音・強音どっちもあります。
そして最近思ったのですがいわゆるマイナーな、知名度の低い楽器には音が小さいものが若干多いような・・・と。オケというセッティングでも聞こえにくい上にソロレパートリーも少ない、となるとやはり音のイメージを覚えてもらいにくいんだなあ、と思います。
例えばビオラだったり、ファゴット、コントラバスも。

音が大きい楽器は何だろう、という話を大学でいろんな人とちょこちょこしたことがありまして。
仲が良い金管軍団の話によると全体的に音の大きい金管楽器のなかでもトロンボーンが音が大きいそうで。
基本音が高くて、音の吹き出し口(ベル)が大きいと音量が大きい傾向にあるのですが(なので音の低いテューバ、ベルが小さいトランペットよりもトロンボーンの方が音が大きい、ということに)、じゃあホルンは?というとホルンは音を後ろに向けて出し、反射・吸収を経て聴き手の耳に届くため音量はトロンボーンほどはない、ということらしいです。

弦楽器において音量は楽器の大きさ、そして弦の張力が関係しているみたいです。
だからビオラ・コントラバスよりもバイオリン・チェロの方が音が大きい。でもやっぱりそれでも管楽器には負けるのでオーケストラでは束になります。そして管楽器よりも弦楽器が前にいる理由の一つでもあると思います。
弦楽器でいつもすごいな、と思うのは束になってても弱音はちゃんと綺麗に小さくでること。例えば曲の終わりで弦だけ長く伸ばしたままずっと消え入るようなエンディングって本当に効果的で、本当に美しいですもの。(オケの腕にももちろん寄りますが!)

あとは音量のでかさだったら「打楽器の本気」も相当ですね。リハーサルにはできるだけ打楽器の前に座ってる人は防音スタンドを使いますしね・・・シンバルだったり、スネアドラムだったり、ティンパニだったり・・・耳にとっての凶器だらけです(笑)
ただ打楽器は持続した音でなく短い音なのが救い、とは・・・言えるでしょうか。

木管楽器においてはやはりピッコロ(そしてフルートの高音)がめだって危険です。決してピッコロの右側に陣取ってはいけませんよー(笑)なんてったって鋭い音、本当に・・・痛いです(涙)

そして忘れちゃいけません、ピアノの音のでかさ。
プロコフィエフの協奏曲第2番、第1楽章のカデンツァの終わり~、そして第3番第3楽章のフィナーレ。どちらも大きめのオケ、フル出動の手加減なしの音量、でもピアノもがっつり聞こえます。
もちろん楽器の大きさ、そしていっぺんにだせる音の多さ(つまり共鳴の大きさ)もありますがオケの80人くらいいるのと同じくらいの音量を1人でだせるってのはなんだかこう、優越感。

大きな音を出すのもいいですが、やはり大きな音より小さな音を出す方がスキルがいるし難しいです。
そして小さい音を出して裏方に回ることができる楽器こそが幅広い役割で活躍できる楽器でもあるような印象があります。
例えばクラリネット。メロディー、伴奏、カウンターメロディー、バスクラも合わせると安定的なベースラインまでできちゃいます。
それは複数人のアンサンブルにおいて前にでるときはしっかり前に出て、そうでないときはちゃんとサポートに回って他の楽器を支える、ということができるからこそなんですよね。(このことに関してはバイオリンとか弦楽器もそうです)

音量も音質もいろいろな楽器が集まるオケが成り立ってるのはみんなが自分の楽器を弾くだけでなく、周りの音を聴いてそれに反応することも大事で。
もちろんその時その時聴いて欲しい楽器の音が聞こえるように作曲家も音楽を書いていますが。
弾き手が同時に聴き手だから、良い音楽を創りたい、と同時に良い音楽を聞きたい、他の人の良いソロが聴きたい、という思いもあって。

だいぶぐだぐだになってしまいました。
なんとか文を書く能力を取り戻したいと思います。


今日の一曲・・・もお休みです。
うーん、いかんなあ・・・

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