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メルボルンは今日も雨でした。
明日も雨だそうです。
不調のサインがちょこちょこいくつか・・・音楽を欲しなかったり書き物が進まなかったり、ご飯を作るのがおっくうだとか、一つ一つはなんでもないような事が積み重なりつつある・・・
ということで今回は冬と雨から逃げて苦手感を大きくするのではなく雨をなるべく楽しもう、というような大まかな趣旨で今回のキーワードto音楽、雨特集です。
(雨の言葉はこちらのページのリストからお借りしました)
霖雨: プロコフィエフ 10の小品op.12より「ガヴォット」
りんう=「何日も降り続く雨」という意味だそうです。続いているという感じよりはこの曲は「止まない」という雰囲気。じめじめ、冷たく、ちょっぴり憂鬱、なんだかいやだなーという。屋内で暇を持てあましている、または傘の下でいつものように動き回れずにいる雰囲気です。
夕立: ブリテン 「ピーター・グライムス」の「4つの海の間奏曲」より「嵐」
夕立ってとにかく激しく降って後味の切れがいい。なんというかとても「イギリスらしい」この湿度。向こうだと夏でもこの曲くらいの温度なんでしょうか。決して暑くはないんですよね。プラスこの曲の暗さが本当にいきなりやってくる嵐の雲みたいで。降るならこれだけやってさっと晴れてくれるのが一番気持ちいい!
涙雨: リスト ピアノ協奏曲第1番 第3楽章
ほんのわずかに降る雨、という意味での涙雨。とにかくこの曲においての雨粒ってまあるいけど少ないですね。
空は確かに暗いけれどオージーなら傘を差さなくて良いくらい、でも楽しめるくらいに降っているというイメージがあります。この曲に関しては雨粒ピアノだけでなくトライアングルの音とビオラのソロにも是非耳を傾けて下さい♪
陰雨: ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 第1楽章
霖雨と同じく長雨ですが、これは陰気さを強調しています。虐殺があったあの地に、死者が眠る土の上に降り注ぐ雨。未だ無念は晴れず、そこを訪れる人も深い悲しみを抱え、死者も天もまた泣いているような・・・あらゆる悲しみと重みが集まったような雨です。
雨台風: マーラー 交響曲第5番 第2楽章
さあ、暴れてもらいましょう。この楽章は台風のあらゆる要素を含んでいますが雨の比重は特に大きいです。激しい雨、風、不穏な静けさ、台風の目の青空の輝かしさ、そして雨が去るときの忘れ形見の虹と雫・・・最高ですね。本当にマーラーはスケールがでっかいのです。
霧雨: アデズ 「Asyla」 第3楽章
霧雨、粒が細くとも雨の全体的の量は必ずしも少ないわけではないです。この曲における音の聞こえ方だったり光の感じ方はまるで霧のようになった大雨を通したようなものなのでは?というイメージからここにチョイスしました。とても透明ながら一種の激しさがあり、独特の光の色彩が本当に喜ばしい一曲です。
村時雨: ラヴェル ソナチネ 第1楽章
村時雨はなんだか降ったり止んだりどっちなんだよ!というような雨のことらしいです。それにはころころ曲調が変わって動いたり止まったり、のこの曲がふさわしいですね。前のアデズのように「光」もそれっぽい。様々な雲の厚さや雨を通して色や強さが変わる太陽光が本当にこの曲で感じられます。
狐の嫁入り: ドビュッシー 映像第1集 「動き」
雨が降りながら晴れる「狐の嫁入り」はメルボルンでは結構の頻度で起こります。なんでしょう、雲の動きが速いからでしょうか。青空とどしゃぶりの雨粒の輝き、雲の動きといえばこの曲を私は思います。本当にきらきらしていて、全体のハ長調と中間部の減和音+全音階の組み合わせによる明暗・色彩のコントラストが爽快です。
風雨: ドヴォルザーク 交響曲第7番 第3楽章
私のなかではやっぱり雨と言えばこの曲です。台風ほどではないけれど「大変」と思うくらいの風を伴った雨。雨の中で舞うような、翔るような。暗さも激しさももちろんあるけれどそれをものともせず、めいっぱい楽しむパワフルさ。「風雨になる」、そんな感覚です。
雨霽: ブラームス ドイツ・レクイエム 第2楽章
うせい=雨が晴れること、だそうです。前半は先ほどの「陰雨」よりも暗く悲しい、死の雰囲気を伴った雨。そしてそれが晴れてなによりもすがすがしく明るく青い空に晴れるこの曲は本当に美しいです!ブラームスの色んな面を持ち合わせてるみたいで。
実は意識的にのけた曲がありまして。ラヴェルのピアノ三重奏は全4楽章(あくまで個人的なイメージですが)雨にまつわる印象を持ってて、すでに各楽章でショートストーリーを書いているのでなんとなく別にしとこうかな、と。
あと結構特性がかぶる曲が多くてやむなく外した曲も多かったです。雨に合う音楽は今日リストした他にもたくさんあるのでまた別の機会に・・・
(今日の一曲はお休みです~)
明日も雨だそうです。
不調のサインがちょこちょこいくつか・・・音楽を欲しなかったり書き物が進まなかったり、ご飯を作るのがおっくうだとか、一つ一つはなんでもないような事が積み重なりつつある・・・
ということで今回は冬と雨から逃げて苦手感を大きくするのではなく雨をなるべく楽しもう、というような大まかな趣旨で今回のキーワードto音楽、雨特集です。
(雨の言葉はこちらのページのリストからお借りしました)
霖雨: プロコフィエフ 10の小品op.12より「ガヴォット」
りんう=「何日も降り続く雨」という意味だそうです。続いているという感じよりはこの曲は「止まない」という雰囲気。じめじめ、冷たく、ちょっぴり憂鬱、なんだかいやだなーという。屋内で暇を持てあましている、または傘の下でいつものように動き回れずにいる雰囲気です。
夕立: ブリテン 「ピーター・グライムス」の「4つの海の間奏曲」より「嵐」
夕立ってとにかく激しく降って後味の切れがいい。なんというかとても「イギリスらしい」この湿度。向こうだと夏でもこの曲くらいの温度なんでしょうか。決して暑くはないんですよね。プラスこの曲の暗さが本当にいきなりやってくる嵐の雲みたいで。降るならこれだけやってさっと晴れてくれるのが一番気持ちいい!
涙雨: リスト ピアノ協奏曲第1番 第3楽章
ほんのわずかに降る雨、という意味での涙雨。とにかくこの曲においての雨粒ってまあるいけど少ないですね。
空は確かに暗いけれどオージーなら傘を差さなくて良いくらい、でも楽しめるくらいに降っているというイメージがあります。この曲に関しては雨粒ピアノだけでなくトライアングルの音とビオラのソロにも是非耳を傾けて下さい♪
陰雨: ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 第1楽章
霖雨と同じく長雨ですが、これは陰気さを強調しています。虐殺があったあの地に、死者が眠る土の上に降り注ぐ雨。未だ無念は晴れず、そこを訪れる人も深い悲しみを抱え、死者も天もまた泣いているような・・・あらゆる悲しみと重みが集まったような雨です。
雨台風: マーラー 交響曲第5番 第2楽章
さあ、暴れてもらいましょう。この楽章は台風のあらゆる要素を含んでいますが雨の比重は特に大きいです。激しい雨、風、不穏な静けさ、台風の目の青空の輝かしさ、そして雨が去るときの忘れ形見の虹と雫・・・最高ですね。本当にマーラーはスケールがでっかいのです。
霧雨: アデズ 「Asyla」 第3楽章
霧雨、粒が細くとも雨の全体的の量は必ずしも少ないわけではないです。この曲における音の聞こえ方だったり光の感じ方はまるで霧のようになった大雨を通したようなものなのでは?というイメージからここにチョイスしました。とても透明ながら一種の激しさがあり、独特の光の色彩が本当に喜ばしい一曲です。
村時雨: ラヴェル ソナチネ 第1楽章
村時雨はなんだか降ったり止んだりどっちなんだよ!というような雨のことらしいです。それにはころころ曲調が変わって動いたり止まったり、のこの曲がふさわしいですね。前のアデズのように「光」もそれっぽい。様々な雲の厚さや雨を通して色や強さが変わる太陽光が本当にこの曲で感じられます。
狐の嫁入り: ドビュッシー 映像第1集 「動き」
雨が降りながら晴れる「狐の嫁入り」はメルボルンでは結構の頻度で起こります。なんでしょう、雲の動きが速いからでしょうか。青空とどしゃぶりの雨粒の輝き、雲の動きといえばこの曲を私は思います。本当にきらきらしていて、全体のハ長調と中間部の減和音+全音階の組み合わせによる明暗・色彩のコントラストが爽快です。
風雨: ドヴォルザーク 交響曲第7番 第3楽章
私のなかではやっぱり雨と言えばこの曲です。台風ほどではないけれど「大変」と思うくらいの風を伴った雨。雨の中で舞うような、翔るような。暗さも激しさももちろんあるけれどそれをものともせず、めいっぱい楽しむパワフルさ。「風雨になる」、そんな感覚です。
雨霽: ブラームス ドイツ・レクイエム 第2楽章
うせい=雨が晴れること、だそうです。前半は先ほどの「陰雨」よりも暗く悲しい、死の雰囲気を伴った雨。そしてそれが晴れてなによりもすがすがしく明るく青い空に晴れるこの曲は本当に美しいです!ブラームスの色んな面を持ち合わせてるみたいで。
実は意識的にのけた曲がありまして。ラヴェルのピアノ三重奏は全4楽章(あくまで個人的なイメージですが)雨にまつわる印象を持ってて、すでに各楽章でショートストーリーを書いているのでなんとなく別にしとこうかな、と。
あと結構特性がかぶる曲が多くてやむなく外した曲も多かったです。雨に合う音楽は今日リストした他にもたくさんあるのでまた別の機会に・・・
(今日の一曲はお休みです~)
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
録音はhopefullyまた近いうちに・・・
そして検索ワードにちらほらメンタルヘルス関連の言葉も出てきて、勉強中の患者&素人ながら嬉しいです。
どんな検索キーワードでたどり着いた方もここで何らか見つかるといいな、と思っています。
今日はちょっと色々思っていたことを・・・
ちょっと自分の立場で言うのはいけないことなのかなーと思いながら、半分愚痴だと思っていただければ。
こないだうちのドクターとのアポがあって、心理療法における「共感」の話をしたり、あとはぼんやりいつも思っていること中心です。
何回かここで書いてますが私は自分のドクターを信頼してて、好きで、ある程度師のように思ってます。
もちろん10年患者やってていつもそうだったわけではないですが。←(5月14日修正)
自分だったり周りの経験、そして論文でよんだりすることどれもが精神疾患の治療には医師のスキル(広く!そして詳細は後ほど)、患者の協力、そして両者の信頼が不可欠で、全部が強いことで治療がスムーズに進む、という・・・
それがもちろん理想で、もちろん現実は理想ほど上手くいかなくてもそれでもなんだかなあ・・・と思うのです。
一つの問題として、早期発見・早期介入がうまく行われてないことがあるのはどこも同じで・・・
やっぱり身体のお医者さんに行くよりも心のお医者さんにいくのはハードルがあるのかな、という印象はあります。
(注:オーストラリアでは大体かかりつけのGPがファーストコンタクトで(まあ理想ではそうですが)、そこで臨床心理士にまず照会してもらって、もしも薬やもっとcloseな治療の介入が必要な場合に初めて精神医に紹介してもらうのですが・・・)
身体に関して裸になって触れられるよりも心に関して裸になって触れられるのはためらわれる、というのも分かりますし、専門家とはいえ初めて会う他人ですし(いや、それでも初対面で全部なにもかも話せ、といいたいわけでもないのです)。
もちろん誰でも自分の事は自分が一番知っていると思います。1日24時間×○年間一緒にいるんですし。なのに知った風でいろいろ言われるのが不本意だと感じるのも自然な事だと思います。
・・・に加えてメディアにおける「精神科医」のイメージってあんま良くないのかも、と日本・オーストラリア両方のテレビを見て。
なんというか、あら探しというか、Nitpickingというか。「悪いところを探し出してきて突きつける」みたいなイメージを持ってる人、どれくらいいるのかしら。そうやって人格否定をされるのが怖い、というのがあるんじゃないかなーと。(特に精神疾患を患ったり心の調子が悪い人は周りを通常より怖く感じたり、自己評価・自信が低かったりしますから余計に)
あとは「見抜かれる」イメージも・・・でしょうか。
精神科医など、心理学を勉強した、ということで心を読まれるとか本質が見抜かれるとかそういうイメージ。
あくまで人間(または他の生物に至ることも)の行動に関する一般的な傾向の知識、なんですよね。
生きるための本能だったり、社会的な性質だったり、そういうところからあるていど予測できることはありますが人間と言っても千差万別で個人の行動、思考、感情とかはその人の経験などに基づいているのでぱっと見て分かるようなものではないですしね。
それから悪く見過ぎかと思いきやたまに聞くのが「問題が目に見えないものだというのをいいことに病気とされる」というイメージ。
これはでも・・・その、精神科医の仕事内容が重要になってきますね。
患者さんとちょっと話をして薬を出すだけならそれで儲けはたしかにでますが心理療法中心(特に「共感」についての論文で書いてあるようなみっちりタイプ)の治療をしてるなら医師の方の負担も本当に大きいですから得はどこにもないと思います。
(患者として自分のドクターを見続けて精神科医の仕事がどれだけ大変なものか身に染みてわかっているつもりです)
似たような感じで「こちらが専門知識を知らないのをいいことに~」というパターンも。もともと肩書きにコンプレックスや反感などを感じる人も珍しくないですからね。
テレビなどで見る精神科医は断言するような発言が多いのですが、(論文、経験などから)本来は患者さんの気づきを促したり、感情や思考の表現を助けたりするのが役割で・・・共感についての論文では「医師の立場から決めつけたり押しつけたりするのは非共感的だ」という患者の声がのってました。
少なくとも精神科医のポジション(そして同時に精神科医という専門家が必要な理由)というのは患者さんに対する個人的な感情などから生じる先入観、バイアスから離れた立ち位置から、冷静に、人間の心に関する医学的な知識と論理的思考を元に患者さんの状態を見極め、患者さんの精神的な健康のために動く、というものだと思います。
そして私の前の、そして今のドクターが言っていたことで、自分が本当に大切でもっと知ってもらいたいな、と思うのは「本来医師は患者さん(=患者さんの人格、人として)をjudgeすることはない」ということ。
この人はもうだめだ、とかこの人はおかしい、とかそういう判断を下さない、そういう仕事なんです。
さらに医師は(もちろん精神疾患に限らず)いつでも患者さんの味方なのです。いつも患者さんの状態が良くなることを願い、一見厳しかったり苦しみを伴うこともありますが患者さんの傍で患者さんの回復を支えるものなのです。
もちろん全員が全員そうではないですし、それでも難しいこといっぱいありますが、これが理想論に聞こえちゃったら困るな・・・とか何となく思ってます。(←5月14日修正)
なんだか長々すみません。
前回のエントリーの録音の言い訳みたいな、音楽の解釈、演奏、「原作にどれだけ忠実であるべきか」の話も忘れてません(言い訳ですので)のでまた後日。
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 変ホ短調
op.39のはいくつか紹介してたみたいですがこちらのセットは初めてですね。
op.33は出版されてない曲が二つあるのでナンバリングが曖昧なのですが出版されたうちでは第3番、未出版を含めると第5番になるやつです。
今日ラフマニノフを選んだのは今日この曲を弾き始めた、ということにも合わせてラフマニノフもまた精神科医のお世話になり、回復を遂げた人間の1人だったという理由もあり。
交響曲第1番の初演が失敗に終わり(一説には曲の善し悪しではなく初演の指揮者が酔っぱらってたことが関係しているという話も)、それでラフマニノフはいわゆるMental Breakdownに陥り(神経衰弱、抑鬱などという話を聞いています)、全く作曲ができない状態になってしまいました。
その後彼はニコライ・ダーリという精神医にかかり、催眠療法(暗示療法)により作曲ができるまで回復したそうです。
(精神科医のお世話になった作曲家と言えばマーラーもそうですね。彼はあのフロイトに治療を受けたそうです。当時では最先端の治療なんでしょうね)
そんなラフマニノフもアメリカに渡り、作曲家よりはピアニストとしての仕事が多く。
今日のこの曲もまたそんな曲の一つだったのでしょうか。
でも12度(ドからその一オクターブ半ほど上のソ!)も届くといわれた巨大な手(背も大きかったそうです)をがっつり使う様な曲ではなく、むしろラフマニノフみたいな大きい手だと結構苦になりそうな。
とにかく細かい!動きとか全て。まるで弾くものすべて旋風のような。
私の手にはわりと有利に働くのですよ~既に弾いてて楽しいです♪
軽やかで素早いパッセージが多いのですが、それでも変ホ短調独特の暗さと深さは忘れたくない。
音は多いけどアーティキュレーションだったり音の爆発、うねりなどが本当に光る一曲です。
やっぱピアノはいいなあ~と。
今日この曲でよかったなーと思うのは正に今日メルボルンはこの曲ぴったりの天候でした。
雨降り、暗雲、冷たく湿った速く軽い風が渦巻く、そんな感じ。
日本でも低気圧、雨降りなどの言葉をtwitterで今日聴きますがそんな日にこの曲が皆さんとともにありますよう。
録音はhopefullyまた近いうちに・・・
そして検索ワードにちらほらメンタルヘルス関連の言葉も出てきて、勉強中の患者&素人ながら嬉しいです。
どんな検索キーワードでたどり着いた方もここで何らか見つかるといいな、と思っています。
今日はちょっと色々思っていたことを・・・
ちょっと自分の立場で言うのはいけないことなのかなーと思いながら、半分愚痴だと思っていただければ。
こないだうちのドクターとのアポがあって、心理療法における「共感」の話をしたり、あとはぼんやりいつも思っていること中心です。
何回かここで書いてますが私は自分のドクターを信頼してて、好きで、ある程度師のように思ってます。
もちろん10年患者やってていつもそうだったわけではないですが。←(5月14日修正)
自分だったり周りの経験、そして論文でよんだりすることどれもが精神疾患の治療には医師のスキル(広く!そして詳細は後ほど)、患者の協力、そして両者の信頼が不可欠で、全部が強いことで治療がスムーズに進む、という・・・
それがもちろん理想で、もちろん現実は理想ほど上手くいかなくてもそれでもなんだかなあ・・・と思うのです。
一つの問題として、早期発見・早期介入がうまく行われてないことがあるのはどこも同じで・・・
やっぱり身体のお医者さんに行くよりも心のお医者さんにいくのはハードルがあるのかな、という印象はあります。
(注:オーストラリアでは大体かかりつけのGPがファーストコンタクトで(まあ理想ではそうですが)、そこで臨床心理士にまず照会してもらって、もしも薬やもっとcloseな治療の介入が必要な場合に初めて精神医に紹介してもらうのですが・・・)
身体に関して裸になって触れられるよりも心に関して裸になって触れられるのはためらわれる、というのも分かりますし、専門家とはいえ初めて会う他人ですし(いや、それでも初対面で全部なにもかも話せ、といいたいわけでもないのです)。
もちろん誰でも自分の事は自分が一番知っていると思います。1日24時間×○年間一緒にいるんですし。なのに知った風でいろいろ言われるのが不本意だと感じるのも自然な事だと思います。
・・・に加えてメディアにおける「精神科医」のイメージってあんま良くないのかも、と日本・オーストラリア両方のテレビを見て。
なんというか、あら探しというか、Nitpickingというか。「悪いところを探し出してきて突きつける」みたいなイメージを持ってる人、どれくらいいるのかしら。そうやって人格否定をされるのが怖い、というのがあるんじゃないかなーと。(特に精神疾患を患ったり心の調子が悪い人は周りを通常より怖く感じたり、自己評価・自信が低かったりしますから余計に)
あとは「見抜かれる」イメージも・・・でしょうか。
精神科医など、心理学を勉強した、ということで心を読まれるとか本質が見抜かれるとかそういうイメージ。
あくまで人間(または他の生物に至ることも)の行動に関する一般的な傾向の知識、なんですよね。
生きるための本能だったり、社会的な性質だったり、そういうところからあるていど予測できることはありますが人間と言っても千差万別で個人の行動、思考、感情とかはその人の経験などに基づいているのでぱっと見て分かるようなものではないですしね。
それから悪く見過ぎかと思いきやたまに聞くのが「問題が目に見えないものだというのをいいことに病気とされる」というイメージ。
これはでも・・・その、精神科医の仕事内容が重要になってきますね。
患者さんとちょっと話をして薬を出すだけならそれで儲けはたしかにでますが心理療法中心(特に「共感」についての論文で書いてあるようなみっちりタイプ)の治療をしてるなら医師の方の負担も本当に大きいですから得はどこにもないと思います。
(患者として自分のドクターを見続けて精神科医の仕事がどれだけ大変なものか身に染みてわかっているつもりです)
似たような感じで「こちらが専門知識を知らないのをいいことに~」というパターンも。もともと肩書きにコンプレックスや反感などを感じる人も珍しくないですからね。
テレビなどで見る精神科医は断言するような発言が多いのですが、(論文、経験などから)本来は患者さんの気づきを促したり、感情や思考の表現を助けたりするのが役割で・・・共感についての論文では「医師の立場から決めつけたり押しつけたりするのは非共感的だ」という患者の声がのってました。
少なくとも精神科医のポジション(そして同時に精神科医という専門家が必要な理由)というのは患者さんに対する個人的な感情などから生じる先入観、バイアスから離れた立ち位置から、冷静に、人間の心に関する医学的な知識と論理的思考を元に患者さんの状態を見極め、患者さんの精神的な健康のために動く、というものだと思います。
そして私の前の、そして今のドクターが言っていたことで、自分が本当に大切でもっと知ってもらいたいな、と思うのは「本来医師は患者さん(=患者さんの人格、人として)をjudgeすることはない」ということ。
この人はもうだめだ、とかこの人はおかしい、とかそういう判断を下さない、そういう仕事なんです。
さらに医師は(もちろん精神疾患に限らず)いつでも患者さんの味方なのです。いつも患者さんの状態が良くなることを願い、一見厳しかったり苦しみを伴うこともありますが患者さんの傍で患者さんの回復を支えるものなのです。
もちろん全員が全員そうではないですし、それでも難しいこといっぱいありますが、これが理想論に聞こえちゃったら困るな・・・とか何となく思ってます。(←5月14日修正)
なんだか長々すみません。
前回のエントリーの録音の言い訳みたいな、音楽の解釈、演奏、「原作にどれだけ忠実であるべきか」の話も忘れてません(言い訳ですので)のでまた後日。
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 変ホ短調
op.39のはいくつか紹介してたみたいですがこちらのセットは初めてですね。
op.33は出版されてない曲が二つあるのでナンバリングが曖昧なのですが出版されたうちでは第3番、未出版を含めると第5番になるやつです。
今日ラフマニノフを選んだのは今日この曲を弾き始めた、ということにも合わせてラフマニノフもまた精神科医のお世話になり、回復を遂げた人間の1人だったという理由もあり。
交響曲第1番の初演が失敗に終わり(一説には曲の善し悪しではなく初演の指揮者が酔っぱらってたことが関係しているという話も)、それでラフマニノフはいわゆるMental Breakdownに陥り(神経衰弱、抑鬱などという話を聞いています)、全く作曲ができない状態になってしまいました。
その後彼はニコライ・ダーリという精神医にかかり、催眠療法(暗示療法)により作曲ができるまで回復したそうです。
(精神科医のお世話になった作曲家と言えばマーラーもそうですね。彼はあのフロイトに治療を受けたそうです。当時では最先端の治療なんでしょうね)
そんなラフマニノフもアメリカに渡り、作曲家よりはピアニストとしての仕事が多く。
今日のこの曲もまたそんな曲の一つだったのでしょうか。
でも12度(ドからその一オクターブ半ほど上のソ!)も届くといわれた巨大な手(背も大きかったそうです)をがっつり使う様な曲ではなく、むしろラフマニノフみたいな大きい手だと結構苦になりそうな。
とにかく細かい!動きとか全て。まるで弾くものすべて旋風のような。
私の手にはわりと有利に働くのですよ~既に弾いてて楽しいです♪
軽やかで素早いパッセージが多いのですが、それでも変ホ短調独特の暗さと深さは忘れたくない。
音は多いけどアーティキュレーションだったり音の爆発、うねりなどが本当に光る一曲です。
やっぱピアノはいいなあ~と。
今日この曲でよかったなーと思うのは正に今日メルボルンはこの曲ぴったりの天候でした。
雨降り、暗雲、冷たく湿った速く軽い風が渦巻く、そんな感じ。
日本でも低気圧、雨降りなどの言葉をtwitterで今日聴きますがそんな日にこの曲が皆さんとともにありますよう。
今日は朝精神医とのアポがありました。
朝しんどかったですね~すっかり冬に入りつつあります。
やはり話は季節の事に。これからちょっと調子がすべり落ちやすくなるけれど無理せず、でも油断せず食い止めていかないとという話をしたり、ビタミンD製剤を飲み始めないと、という話をしたり。
あとはこないだ読んだ心理療法に関する論文での「Empathy(共感・・・と訳したいですがちょっと重みが減りますね、日本語だと・・・)」についての話も。
その論文によると共感の定義として相手の気持ちを自分で感じることだけでなく、相手の視点でその気持ちを考える、さらにその感情を自分に害がないよう抑制して相手のために行動できるとこまでして初めて共感だそうです。
面白いなあ、と思ったので精神医にちょっと話してみたのです。
実際心理療法に関する論文もいっぱいあって、そういうことを扱う論文もいっぱいあるということで。
治療法としては本当に確立されているけれどやはり数字とかで計れるものではないので・・・もっと心理療法のレベルをもっと高めていかなくちゃいけないので研究もたくさんされてるんですね。
で、そこから私のメンタルヘルスにおける進路相談みたいな話になって。
いろいろ考えてるんですがそれをくくりにいれたりできていないし、まだくくる気もないですし、なんといってもまだ詳細がつかめていないので・・・
次回のアポが3ヶ月後弱なんですけど、それまでにはちょっとでも参考資料の欠片をまとめてドクターに見せられればなあ、と思ってます。
(これでまとめ作業にとりかかるきっかけができました・・・)
治療もゆるゆる続けながら、いろいろうちのドクターには学びたいこといっぱいで。
仕事もピアノもその他いろいろあるけどこっちの勉強も続けていきたいなあ・・・と思いながら。
とにかくノートまとめ作業ですね。
昨日はちょっと録音してました~
珍しくバッハをどうぞ。
いや、バッハは好きなんですが自分で弾きたいものは少ないですし、人前で弾きたいものはもっと少なく。
でもこの曲は自分に合っているというか・・・まず変ロ短調ですしね。
平均律第1巻第22番変ロ短調、前奏曲とフーガをどうぞ。
[VOON] Bach WTK-I 22a-Prelude
[VOON] Bach WTK-I 22b-Fugue
バッハがこの平均律という曲集を書いたとき今あるようなピアノはなくて。「鍵盤楽器のために」書かれていて、おそらくハープシコード辺りで弾かれたと思われます・・・が、全2巻48曲の中には「これ本当にピアノがない時代に書かれた?」というくらいピアノで映える曲があり。
その一つがこの第1巻第22番です。
だからというか、あえてバロック時代のスタイルで弾くのでなく、わりとロマン派、そして私のデフォルトのフランス風タッチもあり。
以上バッハスタイルで弾いてないじゃないか!という声への言い訳でした。
「元の音楽に忠実な解釈」については後日ブログでゆっくり書きたいと思います。
今日は朝から出かけたせいか思ったより疲れました。
体内時計が狂いかけてるのかな・・・仕事が朝なくともちゃんと起きた方がいいですね(反省)
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「白鳥の湖」 第4幕「小さな白鳥たちの踊り」
すっかり寒くなって今年はピアノはロシア音楽の冬!と決めていることもあり。
そして昨日日本から荷物が来て山岸涼子「牧神の午後」、それからとりのなん子「とりぱん」9巻が来たのでそれにちなんだ何かを扱いたいなーと思い・・・でも「牧神の午後」のニジンスキー関係はいろいろ熱が再燃するのと(ちなみにニジンスキーについてのこのブログでの語りはこちら)、鳥関係はメシアンを最近扱ったばかりだし・・・ということで「牧神の午後」に入ってるもう一つの話「ブラック・スワン」に関する白鳥の湖を。
この曲までのあらすじ。
仲間と狩りにでた王子とオデットが出会い、オデットと仲間の若い娘達が魔法使いによって白鳥に姿を変えられていることを知り、オデットと王子が恋に落ち、踊り、白鳥たちが踊り・・・
で、それを知らない?気にかけない?国王・女王が王子のいいなずけを各国から募集し、そこに魔法使いロートバルトが娘オディールをオデットに似せて連れてきて、王子はオディールをオデットと間違い求婚してしまう。
オデットは王子に「それは私じゃないわ」と必死にアピールするものも魔法使いに阻まれ、失意の内に仲間のところに帰ってくる←イマココ!
舞台はしんと静まりかえった湖の傍、夕方頃でしょうか。
オデットが深い悲しいとともに帰って来て、そのただならぬ様子に他の白鳥娘たちが何があったかを問いただし、理解したところで悲しみを共有し。
第2幕では華やかで楽しいものだった白鳥たちの踊りも今は静かで悲痛なもの。
この音楽が本当に美しくて。一目惚れでした(ちなみにこれも変ロ短調)。
静まりかえった、涼しげな湖の雰囲気が弦のstillな伴奏、そしてクラリネットの透明な音色であらわされ。
そして私はメロディーよりもカウンターメロディーフェチ(?)なのですが、途中から現れるチェロの放物線を描くようなカウンターメロディーの美しさは地味ながらもまるで橋の下を支えている弧のようなものがあります。
それからオーボエの息の長いメロディーだったり、あとところどころの終止和音の使い方とかきゅんとくるポイント本当に多い!
白鳥の湖、第4幕はこの曲を含めて良い曲揃いです。フィナーレももちろん。そのことについてはまた別の日に。
朝しんどかったですね~すっかり冬に入りつつあります。
やはり話は季節の事に。これからちょっと調子がすべり落ちやすくなるけれど無理せず、でも油断せず食い止めていかないとという話をしたり、ビタミンD製剤を飲み始めないと、という話をしたり。
あとはこないだ読んだ心理療法に関する論文での「Empathy(共感・・・と訳したいですがちょっと重みが減りますね、日本語だと・・・)」についての話も。
その論文によると共感の定義として相手の気持ちを自分で感じることだけでなく、相手の視点でその気持ちを考える、さらにその感情を自分に害がないよう抑制して相手のために行動できるとこまでして初めて共感だそうです。
面白いなあ、と思ったので精神医にちょっと話してみたのです。
実際心理療法に関する論文もいっぱいあって、そういうことを扱う論文もいっぱいあるということで。
治療法としては本当に確立されているけれどやはり数字とかで計れるものではないので・・・もっと心理療法のレベルをもっと高めていかなくちゃいけないので研究もたくさんされてるんですね。
で、そこから私のメンタルヘルスにおける進路相談みたいな話になって。
いろいろ考えてるんですがそれをくくりにいれたりできていないし、まだくくる気もないですし、なんといってもまだ詳細がつかめていないので・・・
次回のアポが3ヶ月後弱なんですけど、それまでにはちょっとでも参考資料の欠片をまとめてドクターに見せられればなあ、と思ってます。
(これでまとめ作業にとりかかるきっかけができました・・・)
治療もゆるゆる続けながら、いろいろうちのドクターには学びたいこといっぱいで。
仕事もピアノもその他いろいろあるけどこっちの勉強も続けていきたいなあ・・・と思いながら。
とにかくノートまとめ作業ですね。
昨日はちょっと録音してました~
珍しくバッハをどうぞ。
いや、バッハは好きなんですが自分で弾きたいものは少ないですし、人前で弾きたいものはもっと少なく。
でもこの曲は自分に合っているというか・・・まず変ロ短調ですしね。
平均律第1巻第22番変ロ短調、前奏曲とフーガをどうぞ。
[VOON] Bach WTK-I 22a-Prelude
[VOON] Bach WTK-I 22b-Fugue
バッハがこの平均律という曲集を書いたとき今あるようなピアノはなくて。「鍵盤楽器のために」書かれていて、おそらくハープシコード辺りで弾かれたと思われます・・・が、全2巻48曲の中には「これ本当にピアノがない時代に書かれた?」というくらいピアノで映える曲があり。
その一つがこの第1巻第22番です。
だからというか、あえてバロック時代のスタイルで弾くのでなく、わりとロマン派、そして私のデフォルトのフランス風タッチもあり。
以上バッハスタイルで弾いてないじゃないか!という声への言い訳でした。
「元の音楽に忠実な解釈」については後日ブログでゆっくり書きたいと思います。
今日は朝から出かけたせいか思ったより疲れました。
体内時計が狂いかけてるのかな・・・仕事が朝なくともちゃんと起きた方がいいですね(反省)
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「白鳥の湖」 第4幕「小さな白鳥たちの踊り」
すっかり寒くなって今年はピアノはロシア音楽の冬!と決めていることもあり。
そして昨日日本から荷物が来て山岸涼子「牧神の午後」、それからとりのなん子「とりぱん」9巻が来たのでそれにちなんだ何かを扱いたいなーと思い・・・でも「牧神の午後」のニジンスキー関係はいろいろ熱が再燃するのと(ちなみにニジンスキーについてのこのブログでの語りはこちら)、鳥関係はメシアンを最近扱ったばかりだし・・・ということで「牧神の午後」に入ってるもう一つの話「ブラック・スワン」に関する白鳥の湖を。
この曲までのあらすじ。
仲間と狩りにでた王子とオデットが出会い、オデットと仲間の若い娘達が魔法使いによって白鳥に姿を変えられていることを知り、オデットと王子が恋に落ち、踊り、白鳥たちが踊り・・・
で、それを知らない?気にかけない?国王・女王が王子のいいなずけを各国から募集し、そこに魔法使いロートバルトが娘オディールをオデットに似せて連れてきて、王子はオディールをオデットと間違い求婚してしまう。
オデットは王子に「それは私じゃないわ」と必死にアピールするものも魔法使いに阻まれ、失意の内に仲間のところに帰ってくる←イマココ!
舞台はしんと静まりかえった湖の傍、夕方頃でしょうか。
オデットが深い悲しいとともに帰って来て、そのただならぬ様子に他の白鳥娘たちが何があったかを問いただし、理解したところで悲しみを共有し。
第2幕では華やかで楽しいものだった白鳥たちの踊りも今は静かで悲痛なもの。
この音楽が本当に美しくて。一目惚れでした(ちなみにこれも変ロ短調)。
静まりかえった、涼しげな湖の雰囲気が弦のstillな伴奏、そしてクラリネットの透明な音色であらわされ。
そして私はメロディーよりもカウンターメロディーフェチ(?)なのですが、途中から現れるチェロの放物線を描くようなカウンターメロディーの美しさは地味ながらもまるで橋の下を支えている弧のようなものがあります。
それからオーボエの息の長いメロディーだったり、あとところどころの終止和音の使い方とかきゅんとくるポイント本当に多い!
白鳥の湖、第4幕はこの曲を含めて良い曲揃いです。フィナーレももちろん。そのことについてはまた別の日に。
ツタンカーメン展エントリーに拍手ありがとうございます!
今日は精神関係エントリーがご無沙汰なのが気がかりながら今日も音楽関係です。とあるtwitterフォロー先さんとの話から派生です。
エントリーとしてはまとめていなかった様子なので・・・
大学を卒業して複数年になりますが、今でも(ここでたまに書きますが)ピアノのレッスンを受けに行くことがあります。演奏を控えていなくてももちろんそれを大変に必要としていて。
私がレッスンを受けようと思った時にコンタクトする人は2人います。
まずは私が大学の時にレッスンを受けていたStephen McIntyre(以下スティーブン)。
そしてさらに私の先生の友達であり友達の先生であり、今は大切な友人でもあるMichael Kieran Harvey(以下マイケル)。
以前書いてると思いますが、大学に入るときは大学で教えている先生に既に習っている場合を除いて、大学受かった後、授業が始まる前のオーディションのような場でその楽器グループ(ピアノ、弦など)の一番偉い先生が先生と生徒のマッチングを行います。
そうやって出会いましたスティーブン。大学で2番目・3番目くらいに偉いピアノの先生だそうで。(現在肩書きはPrincipal Fellowだそうです)
プロフィールには(例:大学の)ナディア・ブーランジェ、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに師事していたと書いてあります。
今いくつなのか全く分からないのですがもう少し若い頃はスティーブンはオーストラリアのみならず世界各地で演奏していたそうです(日本もリストされてますがどっかに記録ないですかね?)。
スティーブンの専門はフランス音楽、特に「印象派」と呼ばれる作曲家の音楽。ラヴェルよりはドビュッシーの方が合ってるのかなーというのは私の勝手な印象ですが。(そんな曲を集めたのが以前紹介しましたアルバムThe Impressionistsです)
ラヴェルに関しては昔ラヴェルのピアノ音楽全曲(当時発見されていたうち全部)2時間半分を一つのコンサートで演奏したりしたそうです。
先生の人柄といえば・・・常にマイペース、感情をあまり表に出さない感じ。
ピアノの選曲とかについては割と安全志向。なるべく楽に、音楽を楽しむようにという感じですね(ただ私は苦痛が多少伴っても、とか苦痛も必要とか欲しいとか思ってしまう感じです(笑))
でもせっかちなところがあって過度に遅い、長い曲を大変苦手としている様子です・・・
あとなんせ感情が表に出ないうえに口数もわりと少ないので(リアクションが薄いのです)なかなか先生が何を考えているのか思ってるのかわかりにくいです。
で、ちょっとおちゃめなユーモアをぶっこんでくるため生徒はツッコミ・絡みに大変困るのです(笑)
その独特な雰囲気に和んだり、愛嬌を感じたりする生徒達は多いですが。
あ、あと先生は大分アナログ人間の様子です。
なんだかんだで優しい先生で、在学中もよく心配かけたことありました。
鬱の状態が悪くなって練習・レッスンができなくなったときも、変えた薬の副作用でレッスン中に指が動かなくなったときも(やはりピアノ、しかもラヴェルは細やかな動きですからね。ちなみに薬をやめたら治りましたよ)・・・やはり戸惑いはありながらも優しい心遣いで接してくれました。
結局レベル分けで上のPerformance Streamには入れなかったものの(=ピアノにおいて優等生ではなかったものの)、そしてわりと男子生徒贔屓だという噂があれども、ずっと先生なりに私のことを可愛がってくれたようで・・・(去年のPiano Landmarkの「先生が私を心配している疑惑」もありましたし)。
私も戸惑いあれども(主につっこむべきなのかどうなのか、ということ)先生はやっぱり大好きなんです。
私のピアノにおいての専門も先生のと若干かぶってますし。どこかからマイナーな曲を引っ張りだしてきてもとりあえずは聴いてくれますし、基本生徒の曲の解釈には口出ししませんし。表現と成長を支えてくれる感じ。
とにかくこう、自由に育てられたのが本当に心地良かったです(あ、現在進行形ですね)。それで今の私、そして現代音楽弾きの私がいるわけですし。
(以前書いたか分かりませんが先生の生徒というのは音楽・ピアノの他にもやりたいことがあったり、レパートリーがスタンダードとちょっと違ったり、あと反体制だったり(笑)する生徒が多いです、ちなみに)
先生との思い出はいろいろありますね~あんまり学校・レッスンの外はないんですが(会話さえ続けばコーヒーでも一緒に飲みたいです♪)、Port Fairy Spring Music Festivalを先生が主催してた時のこととか。
あと先生の生徒一同リアクションに困った迷言?とか。
いい意味で力が抜けるんですよ(きっと)。
第2のピアノの師であるマイケル(彼は公式サイト持ってます)とは大学在学中に会いました。
メシアンを弾き始めて少し経ってから友達と話してて「メシアン弾いてるんなら一回マイケルに聞いてもらったら?」という話が出て。
ということでスティーブンに相談した後当時マイケルに師事していた別の友達のコネでコンタクトして。
マイケルはオーストラリアにおいてトップのピアニストの1人として数えられています。
ハンガリーのリスト・アカデミーで学んだこともあるそうで(その時の先生がシャンドール・ファルヴァイだそうです)、今はちょこちょこピアノを教えながら主に演奏家、そして作曲家として活動しています。
マイケルの専門はメシアン、リスト(入ってるよね?)、そして何よりもオーストラリアの現代音楽。今活動しているこちらの作曲家たちと広いコネがあって、初演や録音などを多く手がけています。
メシアンに関しては20のまなざしや鳥のカタログなどの録音があります。彼の演奏はMove Recordsからでています。
マイケルの曲だと私は48 Fugues for Frankが一番好きかも・・・
演奏に関しては独特のアクがあるのと(曲によってはちょっと・・・ですが。何を弾いてもマイケル色、ということは少なくないです)、曲によって演奏のレベルが上下したりすることもあるのですが、それもひっくるめて好きだなと。
マイケルはよく音楽家たちから「クレイジー」と呼ばれています。
まず弾き方が!一見めちゃくちゃというか・・・ジェスチャーが大きくて、でもそれは本当に彼の中からピアノを通って出る有り余るほどのエネルギーがそうさせるもので。
皮肉も交えたちょっとおかしなユーモアのセンス、たまにぶっとんだ曲の解釈と音楽へのアプローチもまたその要員となっています。
あとメシアンのレッスン中に鳥の鳴き声の真似したりとか(難しいはずのマグパイが結構上手い)、それもあるかな。
激情と爆発するようなエネルギーが詰まった彼の音楽(演奏・作曲両方)、でも同時に物凄い思考回路というか頭の回転というかもあり。
科学、思想なんかにも造詣が深く本当に知的好奇心が強く。ついでに政治だったり宗教だったりに関しても強いスタンスで(Greens支持、激しく無神論者)。
いろんな話や議論を傍で聞いてると本当に面白いです。
とにかくインパクトが強く、そして一緒に居て飽きない。
マイケルが私をいつも心配して可愛がってる理由にはメシアン弾きであり、友人であり(友人の弟子、弟子の友人でもあり)、それに加えてメンタルヘルス関係のこともあります。
若い頃なにか本当に辛い経験(おそらく私と似たものだろう、とマイケルの生徒だった友達は言います)があり、それで私が双極性障害を患っていると聞いて共感だったり親近感だったりを感じている・・・ような。
実際今マイケルがどこを拠点としているかわかりにくいのですが(汗)ホバートに住んでるころはタスマニア旅行ついでにマイケルの家にお邪魔させてもらったこともあります。夕飯もごちそうになったり。
レッスン外で過ごした時間はスティーブンよりもマイケルの方が多いんじゃないかなあ。
マイケルは本当に脳と心と演奏が直結しているような人で。そしてものすごく生命力に溢れていて。
ほんっとうに楽しい人なんですよね(笑)あと音楽をやる人としていろいろ影響を受けてしまう(良い意味で、主に)人。
ただ一回スティーブンとマイケルとどこかでお茶したことがあったんですが2人ボケポジションで独特のテイストがあって自分どうやってつっこむの、と大変困惑した記憶も。
本当に2人と一緒にいるの好きなんで贅沢な悩みですがね・・・
スティーブンもマイケルも大好きで。親馬鹿ならぬ子馬鹿、というか弟子馬鹿。
生徒として、友人として(?)可愛がってもらってるのはなんというか庇護欲的なものもあると思うのですが、でもこの2人に師事して、目をかけられて幸せです。
願わくは私がもっと「できる」ピアニストになって。(特にマイケルはレッスン数えるほどしかしてもらってないのでもっとピアニストとして認められたいですわ。)
もっと2人と時を過ごしたいと思います。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「夜のガスパール」 「スカルボ」
Stephen McIntyre演奏CD "The Impressionists"
Michael Kieran Harvey演奏CD "Tensile Flame"
今スティーブンとマイケルどちらも演奏を録音として持っているという唯一の曲がこの「夜のガスパール」。
第1楽章「ウンディーネ(水の精)」は先生の演奏が好きで、そして第3楽章の「スカルボ」はマイケルの演奏が好き。
第2楽章「絞首台」は願わくば私がいつかこの曲を弾いたとき自分の演奏が一番好きでいれるよう。
(ラヴェルはもう全部弾かなくちゃ、ですし、この2人が弾いてるなら私も弾きたいです)
「夜のガスパール」はアロイジウス・ベルトランの詩をモチーフとした曲集です。
(これも詩集揃えるかな・・・日本語版はどこかにあるのでしょうか)
スカルボとは夜に出てきては家の中でイタズラをする妖精のこと。
ものを落としたり、音を立てたり、走り回ったり跳ね回ったり。
そして朝の光が差すとどこへともなく消えていく。
このいたずらっ子感とダークさがマイケルに向いてるな、というのもありますがこの「スカルボ」、実は「ピアノのレパートリーで一番難しい曲」としても知られています(実のところ現代音楽のいろいろがあって評価は難しいのですが、バラキレフの「イスラメイ」が一番難しいとされていた後にスカルボがそれを超えた、という認識から来ています)。
このラヴェル独特のトリッキーな技巧をふんだんに使ったこの曲・・・マイケルの技巧とパワフルさを持ってしてものすごく生きるんですよね~
難しさは怖いですが(弾く側として)本当に不思議な夜の魅力に満ちた曲。
今はもちろん弾けないのですがいつか・・・とついつい惹かれてしまいます。
本当にピアノらしい音楽で、ピアノでしかできないようなことで、本当にピアノの魅力が詰まっているんですが同時にピアノ離れした何かがあって。
不思議な曲です・・・
今日は精神関係エントリーがご無沙汰なのが気がかりながら今日も音楽関係です。とあるtwitterフォロー先さんとの話から派生です。
エントリーとしてはまとめていなかった様子なので・・・
大学を卒業して複数年になりますが、今でも(ここでたまに書きますが)ピアノのレッスンを受けに行くことがあります。演奏を控えていなくてももちろんそれを大変に必要としていて。
私がレッスンを受けようと思った時にコンタクトする人は2人います。
まずは私が大学の時にレッスンを受けていたStephen McIntyre(以下スティーブン)。
そしてさらに私の先生の友達であり友達の先生であり、今は大切な友人でもあるMichael Kieran Harvey(以下マイケル)。
以前書いてると思いますが、大学に入るときは大学で教えている先生に既に習っている場合を除いて、大学受かった後、授業が始まる前のオーディションのような場でその楽器グループ(ピアノ、弦など)の一番偉い先生が先生と生徒のマッチングを行います。
そうやって出会いましたスティーブン。大学で2番目・3番目くらいに偉いピアノの先生だそうで。(現在肩書きはPrincipal Fellowだそうです)
プロフィールには(例:大学の)ナディア・ブーランジェ、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに師事していたと書いてあります。
今いくつなのか全く分からないのですがもう少し若い頃はスティーブンはオーストラリアのみならず世界各地で演奏していたそうです(日本もリストされてますがどっかに記録ないですかね?)。
スティーブンの専門はフランス音楽、特に「印象派」と呼ばれる作曲家の音楽。ラヴェルよりはドビュッシーの方が合ってるのかなーというのは私の勝手な印象ですが。(そんな曲を集めたのが以前紹介しましたアルバムThe Impressionistsです)
ラヴェルに関しては昔ラヴェルのピアノ音楽全曲(当時発見されていたうち全部)2時間半分を一つのコンサートで演奏したりしたそうです。
先生の人柄といえば・・・常にマイペース、感情をあまり表に出さない感じ。
ピアノの選曲とかについては割と安全志向。なるべく楽に、音楽を楽しむようにという感じですね(ただ私は苦痛が多少伴っても、とか苦痛も必要とか欲しいとか思ってしまう感じです(笑))
でもせっかちなところがあって過度に遅い、長い曲を大変苦手としている様子です・・・
あとなんせ感情が表に出ないうえに口数もわりと少ないので(リアクションが薄いのです)なかなか先生が何を考えているのか思ってるのかわかりにくいです。
で、ちょっとおちゃめなユーモアをぶっこんでくるため生徒はツッコミ・絡みに大変困るのです(笑)
その独特な雰囲気に和んだり、愛嬌を感じたりする生徒達は多いですが。
あ、あと先生は大分アナログ人間の様子です。
なんだかんだで優しい先生で、在学中もよく心配かけたことありました。
鬱の状態が悪くなって練習・レッスンができなくなったときも、変えた薬の副作用でレッスン中に指が動かなくなったときも(やはりピアノ、しかもラヴェルは細やかな動きですからね。ちなみに薬をやめたら治りましたよ)・・・やはり戸惑いはありながらも優しい心遣いで接してくれました。
結局レベル分けで上のPerformance Streamには入れなかったものの(=ピアノにおいて優等生ではなかったものの)、そしてわりと男子生徒贔屓だという噂があれども、ずっと先生なりに私のことを可愛がってくれたようで・・・(去年のPiano Landmarkの「先生が私を心配している疑惑」もありましたし)。
私も戸惑いあれども(主につっこむべきなのかどうなのか、ということ)先生はやっぱり大好きなんです。
私のピアノにおいての専門も先生のと若干かぶってますし。どこかからマイナーな曲を引っ張りだしてきてもとりあえずは聴いてくれますし、基本生徒の曲の解釈には口出ししませんし。表現と成長を支えてくれる感じ。
とにかくこう、自由に育てられたのが本当に心地良かったです(あ、現在進行形ですね)。それで今の私、そして現代音楽弾きの私がいるわけですし。
(以前書いたか分かりませんが先生の生徒というのは音楽・ピアノの他にもやりたいことがあったり、レパートリーがスタンダードとちょっと違ったり、あと反体制だったり(笑)する生徒が多いです、ちなみに)
先生との思い出はいろいろありますね~あんまり学校・レッスンの外はないんですが(会話さえ続けばコーヒーでも一緒に飲みたいです♪)、Port Fairy Spring Music Festivalを先生が主催してた時のこととか。
あと先生の生徒一同リアクションに困った迷言?とか。
いい意味で力が抜けるんですよ(きっと)。
第2のピアノの師であるマイケル(彼は公式サイト持ってます)とは大学在学中に会いました。
メシアンを弾き始めて少し経ってから友達と話してて「メシアン弾いてるんなら一回マイケルに聞いてもらったら?」という話が出て。
ということでスティーブンに相談した後当時マイケルに師事していた別の友達のコネでコンタクトして。
マイケルはオーストラリアにおいてトップのピアニストの1人として数えられています。
ハンガリーのリスト・アカデミーで学んだこともあるそうで(その時の先生がシャンドール・ファルヴァイだそうです)、今はちょこちょこピアノを教えながら主に演奏家、そして作曲家として活動しています。
マイケルの専門はメシアン、リスト(入ってるよね?)、そして何よりもオーストラリアの現代音楽。今活動しているこちらの作曲家たちと広いコネがあって、初演や録音などを多く手がけています。
メシアンに関しては20のまなざしや鳥のカタログなどの録音があります。彼の演奏はMove Recordsからでています。
マイケルの曲だと私は48 Fugues for Frankが一番好きかも・・・
演奏に関しては独特のアクがあるのと(曲によってはちょっと・・・ですが。何を弾いてもマイケル色、ということは少なくないです)、曲によって演奏のレベルが上下したりすることもあるのですが、それもひっくるめて好きだなと。
マイケルはよく音楽家たちから「クレイジー」と呼ばれています。
まず弾き方が!一見めちゃくちゃというか・・・ジェスチャーが大きくて、でもそれは本当に彼の中からピアノを通って出る有り余るほどのエネルギーがそうさせるもので。
皮肉も交えたちょっとおかしなユーモアのセンス、たまにぶっとんだ曲の解釈と音楽へのアプローチもまたその要員となっています。
あとメシアンのレッスン中に鳥の鳴き声の真似したりとか(難しいはずのマグパイが結構上手い)、それもあるかな。
激情と爆発するようなエネルギーが詰まった彼の音楽(演奏・作曲両方)、でも同時に物凄い思考回路というか頭の回転というかもあり。
科学、思想なんかにも造詣が深く本当に知的好奇心が強く。ついでに政治だったり宗教だったりに関しても強いスタンスで(Greens支持、激しく無神論者)。
いろんな話や議論を傍で聞いてると本当に面白いです。
とにかくインパクトが強く、そして一緒に居て飽きない。
マイケルが私をいつも心配して可愛がってる理由にはメシアン弾きであり、友人であり(友人の弟子、弟子の友人でもあり)、それに加えてメンタルヘルス関係のこともあります。
若い頃なにか本当に辛い経験(おそらく私と似たものだろう、とマイケルの生徒だった友達は言います)があり、それで私が双極性障害を患っていると聞いて共感だったり親近感だったりを感じている・・・ような。
実際今マイケルがどこを拠点としているかわかりにくいのですが(汗)ホバートに住んでるころはタスマニア旅行ついでにマイケルの家にお邪魔させてもらったこともあります。夕飯もごちそうになったり。
レッスン外で過ごした時間はスティーブンよりもマイケルの方が多いんじゃないかなあ。
マイケルは本当に脳と心と演奏が直結しているような人で。そしてものすごく生命力に溢れていて。
ほんっとうに楽しい人なんですよね(笑)あと音楽をやる人としていろいろ影響を受けてしまう(良い意味で、主に)人。
ただ一回スティーブンとマイケルとどこかでお茶したことがあったんですが2人ボケポジションで独特のテイストがあって自分どうやってつっこむの、と大変困惑した記憶も。
本当に2人と一緒にいるの好きなんで贅沢な悩みですがね・・・
スティーブンもマイケルも大好きで。親馬鹿ならぬ子馬鹿、というか弟子馬鹿。
生徒として、友人として(?)可愛がってもらってるのはなんというか庇護欲的なものもあると思うのですが、でもこの2人に師事して、目をかけられて幸せです。
願わくは私がもっと「できる」ピアニストになって。(特にマイケルはレッスン数えるほどしかしてもらってないのでもっとピアニストとして認められたいですわ。)
もっと2人と時を過ごしたいと思います。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「夜のガスパール」 「スカルボ」
Stephen McIntyre演奏CD "The Impressionists"
Michael Kieran Harvey演奏CD "Tensile Flame"
今スティーブンとマイケルどちらも演奏を録音として持っているという唯一の曲がこの「夜のガスパール」。
第1楽章「ウンディーネ(水の精)」は先生の演奏が好きで、そして第3楽章の「スカルボ」はマイケルの演奏が好き。
第2楽章「絞首台」は願わくば私がいつかこの曲を弾いたとき自分の演奏が一番好きでいれるよう。
(ラヴェルはもう全部弾かなくちゃ、ですし、この2人が弾いてるなら私も弾きたいです)
「夜のガスパール」はアロイジウス・ベルトランの詩をモチーフとした曲集です。
(これも詩集揃えるかな・・・日本語版はどこかにあるのでしょうか)
スカルボとは夜に出てきては家の中でイタズラをする妖精のこと。
ものを落としたり、音を立てたり、走り回ったり跳ね回ったり。
そして朝の光が差すとどこへともなく消えていく。
このいたずらっ子感とダークさがマイケルに向いてるな、というのもありますがこの「スカルボ」、実は「ピアノのレパートリーで一番難しい曲」としても知られています(実のところ現代音楽のいろいろがあって評価は難しいのですが、バラキレフの「イスラメイ」が一番難しいとされていた後にスカルボがそれを超えた、という認識から来ています)。
このラヴェル独特のトリッキーな技巧をふんだんに使ったこの曲・・・マイケルの技巧とパワフルさを持ってしてものすごく生きるんですよね~
難しさは怖いですが(弾く側として)本当に不思議な夜の魅力に満ちた曲。
今はもちろん弾けないのですがいつか・・・とついつい惹かれてしまいます。
本当にピアノらしい音楽で、ピアノでしかできないようなことで、本当にピアノの魅力が詰まっているんですが同時にピアノ離れした何かがあって。
不思議な曲です・・・
更新がちょこちょこ空いてすみません~そんな中訪問くださりありがとうございます。
昨日はメル響のコンサートを聴きにいきました・・・が、その前に。
昼過ぎからユースオケがトゥーランガリラ交響曲のリハーサルを始めるというのでちょっと聴きに(そして楽譜に指揮者の指示など書き込みに)行きました。
チェレスタパート弾かない?と指揮者のFabianに言われたのですが今日はチェレスタ予約してないので鍵がかかってて。まだ練習不足なのでもともと今日は聴くだけにしたかったのですが・・・
生涯一の無茶ぶりをされました。なんと見たことも弾いた事もないピアノパートの方を第6楽章の鳥の声、弾いてくれないかとFabianに頼まれまして。
心の中では芸人さんばりのリアクションをしながらあれよあれよというまに初見でスコアからピアノパートを弾く事に。
さんざんな結果になったのですが、まあ怖かったです!この楽章ばかりはチェレスタとピアノのパートは全く別物なので・・・
いくらピアノパートが弾きたくともこういうシチュエーションばかりは(汗)
本当に好きな曲で、メシアン弾きと自負している自分のプレッシャーもすごく。
・・・でも一晩寝た後強く感じるのは悔しさ。いくら無茶ぶり甚だしいシチュエーションとはいてもっと上手く弾きたかった、もっと弾きたかったという思いばかり。
でもまあ、それよりもなによりも次のリハーサル(28日)までにもっと自分のチェレスタパートを磨かないとですね。主に曲の後半に弱さが見つかったので。
さて、コンサートの感想を。
メル響は毎年Metropolisといって新しい音楽のためのミニシリーズをMalthouse Theatreで開いています。
Malthouseは元々ビールの醸造所だったらしいのですが、劇やコンサートなどの比較的小さな演奏場として今は機能しています。古い煉瓦の建物で(ちなみに隣のAustralian Centre for Contemporary Artは典型的なわけわからんモダン建築)、5つほど劇場があって、あとカフェみたいなところもあったり芸術関係の本も売ってたり。
フロントの感じがなんだか秘密基地みたいでわくわくしますね~
で、劇場に入るとステージはなくて、端にハープのケースとか台とかいろいろ置いてあって。
そして聴衆席がオケにめちゃくちゃ近い!4列目に座ってびっくりしました(汗)
いつも通りコントラファゴットはコントラフォルテ使用、ちょうど座ったところから真ん前を見るとコントラバスクラリネット!あの配管みたいなルックスにわくわくします。
そしてなにやらコントラバス(ちなみに5弦だったりエクステ付きだったり)がなんか「ばちっ」と音の鳴るピチカート(俗称:バルトーク・ピチカート)を練習して?遊んでいたり。
やはり新しい音楽ということで小規模な聴衆を期待していてこの場所、ということなのでしょうがほとんど満員と行っていいほどいっぱいお客さん入ってました。
なんでも今年50歳の記念にMetropolisでウィーン関連の音楽と共にフィーチャーされているオーストラリア(そしてイギリス)の作曲家、Brett Deanが小学校でワークショップをやったということで家族連れも多かったです。
Metropolis今年最後のコンサートのプログラムは:
ヴェーベルン 夏風の中で
Furrer ピアノ協奏曲 (ソリスト:Michael Kieran Harvey)
ヴェーベルン ピアノのための変奏曲 (ピアノ:Michael Kieran Harvey)
Dean Beggars and Angels
でした。今年フィーチャーのBrett Dean、今日は指揮もしてました。
「夏風の中で」はヴェーベルンの初期の、ウィーンに来たばかりの時代の作品。後に「新ウィーン学派」と呼ばれるスタイルで音楽を書きましたがやはり若い頃はいろいろ前人に影響を受けて。
特にマーラーっぽいとこいっぱいありましたね。あとリヒャルト・シュトラウスだったり、ワーグナーなんかも。
弦の音はワーグナーっぽいな、とおもったんですが。(それにしても毎回書くような気がしますがメル響は弦が強い!)
でもやっぱり完成されたヴェーベルンじゃないのでこういうところじゃないとなかなか出会わない曲じゃないですね。知れて良かったです。
そして音楽とは関係ないですがオケにStand-upをするときホルンのリーダーに指揮者が「どうぞ」としたらホルンのリーダーがセクション全員立たせたのはよかったですね~♪それでこそホルン軍団!という。
(ちなみにそのリーダーの人、イベントによっては「バイキング」を名乗ってます(笑))
Furrerのコンチェルト。いやあ面白かったですね(笑)はたしてお客さんどれくらい楽しんでたか分かりませんが。
どんな曲か、というと説明しにくいのですが、Furrerは別のStillという曲を書くときにチェーンソーの音をインスピレーションとしたという話で、その精神がこの曲にも受け継がれている・・・といえば少しは分かるかな、と。
チェーンソーの音色、それが孕む危険と暴力、そして「響き」(Resonance)。
どこか機械的で、(ホールの音響がドライなのが悔やまれますが)不思議な響きがあり。響きといえばある楽器の音の響きを他の楽器が引き継ぐみたいな、そういうエフェクトがあったりで。
そしてチェーンソーと言えば(!?!?)ふさわしいのは我らがマイケル。私の第2の師であり、大切にしてくれる友人でもあり。
彼のエネルギーは時に曲に有り余るものなのですが、この曲のスケールとエネルギーはマイケルのホームグラウンドのようで。そして曲のリズム、そして先ほどの響きもまた彼の弾き方、作曲と通じるものがあるな、と。
本当に人間の域を超えたパワフルな演奏でした。
(ピアノが第1・第2バイオリンの間にあったんですがピアノのすぐ傍のオケメンバーは防音スタンド使ってました。だって要るもの!)
そうそう、それからこの協奏曲はオケピアノがソロピアノをエコーしたり対照的に動いたりする大きいパートを受け持ってて。こっちもすごい演奏でした!
そして休憩(ピアノ調律あり(笑)でも弦が切れなくて良かったです)のちマイケルのヴェーベルン変奏曲。
こちらはうって変わってマイケルのとってもデリケートなタッチが楽しめて。
あのヴェーベルンの薄暗いような雰囲気や不思議な規則性が好きでした。
意外に思ったのですがマイケルはこの曲を演奏するのが初めてらしく。私も好きな曲ですがなんとなくこう、手が回らなくて弾いたりしたことがないんですよね・・・でもこれで改めていつか弾く、弾きたい曲だと自覚しました。
最後のBeggars and Angels。
なんですかね、やはり現代はシングルリードの時代なのでしょうか。バスクラ2本の活躍といったら!
アデズもそういうとこあって、似てる雰囲気があるながらもDeanの音楽はもっとぎゅっと詰まっている、うねりとパワーに溢れているというか。
そして先ほどのコントラバスのあれはここで生きてました(笑)楽しそうな様子にちょっとにやにや(もちろん他のところでもにやにやしてますが)。
面白かったのは弦楽器の「エア」弾き。どうやら弦じゃなくて楽器の胴体を弓で弾いてるような。これは生演奏じゃないとわからないなあ。それも不思議、という次元でなくみんなでそれをやってるのを間近で見て、音を聞くとわりとぞっとしますね。
あと先ほどに続き弦のパワー、そしてなによりもドラムキット(大学の時にオケでお世話になった打楽器の先生でした。いわゆる悪人面なのですが今回びっくりするほど格好良かった!)。
とっても魅力に溢れた曲でしたね。一応ipodに持ってるのでもっと聞き込まないとなあ、と思います。
結局昨日は現代音楽にくるまれ過ごした、めちゃくちゃ楽しい一日でした。こういうのもいいですね~(にやにや)もっとあってもいいのに。
ちなみにマイケルともコンサートの後会って次回メルボルンに来たときはゆっくり話そうと約束もしました(ソリストはコンサート後忙しいので)。いつも慌ただしいので久しぶりにちゃんと話せるのは本当に楽しみです。
(そいえばまだ返事が来てない前回のソリスト、メール入れなきゃ。あ、あと先生にもユースオケのこと言ってない(汗))
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲 「愛のまどろみの庭」
先ほど言及しましたスーパー無茶ぶりの曲です(笑)
トゥーランガリラ交響曲、というのは愛、生命、時間などをテーマにしたメシアンの交響曲です。
タイトルはサンスクリット語から来てるそうで・・・メシアンは例えばリズムなどにおいてインド音楽の影響を受けてますがこの交響曲全体西洋音楽とはちょっと離れたところにある雰囲気がありますね。
(まだちょっと勉強不足なので交響曲全体についてはWikipediaへのリンクを貼っときます(汗)
次また近いうちに扱いますがそのときまでには・・・)
今張りましたリンクにあるトゥーランガリラとは何か、という説明を読むとなんだか神話的な感じをぎゅっと凝縮した感じがありますね。
この第6楽章「愛のまどろみの庭」はある意味とってもメシアンらしいですね。
(例えば20のまなざしの第5番、そして四重奏曲の第1楽章にものすごーく似ている)
サイクルのように繰り返される「時」を表すような音型、そして鳥の声、そして甘美でゆっくりしたメロディー。
本当にまどろむような、全てが心地良い音楽。
楽器の音だとチェレスタとビブラフォンの優しいきらめき、オンド・マルトノ(電子楽器。テルミンに似てるみたいです)のビブラート、ピアノの一つ一つの音の余韻。
めっちゃメシアンだな~と思いながらも同時に別世界の音楽みたいでもあり。
トゥーランガリラ交響曲にはちょっと??となるような音楽も多いのですが、この楽章は最初に聴いて欲しいと思う楽章の一つです。
他の楽章も自分がもっと勉強、そして弾いて愛着を覚えるごとに追って紹介していきます♪
録音は(古いものもありますが)メシアンの奥さんユヴォンヌ・ロリオがピアノを弾いているものを強くお勧め。彼女の妹、ジャンヌ・ロリオがオンド・マルトノを弾いてる録音もありますよ~
昨日はメル響のコンサートを聴きにいきました・・・が、その前に。
昼過ぎからユースオケがトゥーランガリラ交響曲のリハーサルを始めるというのでちょっと聴きに(そして楽譜に指揮者の指示など書き込みに)行きました。
チェレスタパート弾かない?と指揮者のFabianに言われたのですが今日はチェレスタ予約してないので鍵がかかってて。まだ練習不足なのでもともと今日は聴くだけにしたかったのですが・・・
生涯一の無茶ぶりをされました。なんと見たことも弾いた事もないピアノパートの方を第6楽章の鳥の声、弾いてくれないかとFabianに頼まれまして。
心の中では芸人さんばりのリアクションをしながらあれよあれよというまに初見でスコアからピアノパートを弾く事に。
さんざんな結果になったのですが、まあ怖かったです!この楽章ばかりはチェレスタとピアノのパートは全く別物なので・・・
いくらピアノパートが弾きたくともこういうシチュエーションばかりは(汗)
本当に好きな曲で、メシアン弾きと自負している自分のプレッシャーもすごく。
・・・でも一晩寝た後強く感じるのは悔しさ。いくら無茶ぶり甚だしいシチュエーションとはいてもっと上手く弾きたかった、もっと弾きたかったという思いばかり。
でもまあ、それよりもなによりも次のリハーサル(28日)までにもっと自分のチェレスタパートを磨かないとですね。主に曲の後半に弱さが見つかったので。
さて、コンサートの感想を。
メル響は毎年Metropolisといって新しい音楽のためのミニシリーズをMalthouse Theatreで開いています。
Malthouseは元々ビールの醸造所だったらしいのですが、劇やコンサートなどの比較的小さな演奏場として今は機能しています。古い煉瓦の建物で(ちなみに隣のAustralian Centre for Contemporary Artは典型的なわけわからんモダン建築)、5つほど劇場があって、あとカフェみたいなところもあったり芸術関係の本も売ってたり。
フロントの感じがなんだか秘密基地みたいでわくわくしますね~
で、劇場に入るとステージはなくて、端にハープのケースとか台とかいろいろ置いてあって。
そして聴衆席がオケにめちゃくちゃ近い!4列目に座ってびっくりしました(汗)
いつも通りコントラファゴットはコントラフォルテ使用、ちょうど座ったところから真ん前を見るとコントラバスクラリネット!あの配管みたいなルックスにわくわくします。
そしてなにやらコントラバス(ちなみに5弦だったりエクステ付きだったり)がなんか「ばちっ」と音の鳴るピチカート(俗称:バルトーク・ピチカート)を練習して?遊んでいたり。
やはり新しい音楽ということで小規模な聴衆を期待していてこの場所、ということなのでしょうがほとんど満員と行っていいほどいっぱいお客さん入ってました。
なんでも今年50歳の記念にMetropolisでウィーン関連の音楽と共にフィーチャーされているオーストラリア(そしてイギリス)の作曲家、Brett Deanが小学校でワークショップをやったということで家族連れも多かったです。
Metropolis今年最後のコンサートのプログラムは:
ヴェーベルン 夏風の中で
Furrer ピアノ協奏曲 (ソリスト:Michael Kieran Harvey)
ヴェーベルン ピアノのための変奏曲 (ピアノ:Michael Kieran Harvey)
Dean Beggars and Angels
でした。今年フィーチャーのBrett Dean、今日は指揮もしてました。
「夏風の中で」はヴェーベルンの初期の、ウィーンに来たばかりの時代の作品。後に「新ウィーン学派」と呼ばれるスタイルで音楽を書きましたがやはり若い頃はいろいろ前人に影響を受けて。
特にマーラーっぽいとこいっぱいありましたね。あとリヒャルト・シュトラウスだったり、ワーグナーなんかも。
弦の音はワーグナーっぽいな、とおもったんですが。(それにしても毎回書くような気がしますがメル響は弦が強い!)
でもやっぱり完成されたヴェーベルンじゃないのでこういうところじゃないとなかなか出会わない曲じゃないですね。知れて良かったです。
そして音楽とは関係ないですがオケにStand-upをするときホルンのリーダーに指揮者が「どうぞ」としたらホルンのリーダーがセクション全員立たせたのはよかったですね~♪それでこそホルン軍団!という。
(ちなみにそのリーダーの人、イベントによっては「バイキング」を名乗ってます(笑))
Furrerのコンチェルト。いやあ面白かったですね(笑)はたしてお客さんどれくらい楽しんでたか分かりませんが。
どんな曲か、というと説明しにくいのですが、Furrerは別のStillという曲を書くときにチェーンソーの音をインスピレーションとしたという話で、その精神がこの曲にも受け継がれている・・・といえば少しは分かるかな、と。
チェーンソーの音色、それが孕む危険と暴力、そして「響き」(Resonance)。
どこか機械的で、(ホールの音響がドライなのが悔やまれますが)不思議な響きがあり。響きといえばある楽器の音の響きを他の楽器が引き継ぐみたいな、そういうエフェクトがあったりで。
そしてチェーンソーと言えば(!?!?)ふさわしいのは我らがマイケル。私の第2の師であり、大切にしてくれる友人でもあり。
彼のエネルギーは時に曲に有り余るものなのですが、この曲のスケールとエネルギーはマイケルのホームグラウンドのようで。そして曲のリズム、そして先ほどの響きもまた彼の弾き方、作曲と通じるものがあるな、と。
本当に人間の域を超えたパワフルな演奏でした。
(ピアノが第1・第2バイオリンの間にあったんですがピアノのすぐ傍のオケメンバーは防音スタンド使ってました。だって要るもの!)
そうそう、それからこの協奏曲はオケピアノがソロピアノをエコーしたり対照的に動いたりする大きいパートを受け持ってて。こっちもすごい演奏でした!
そして休憩(ピアノ調律あり(笑)でも弦が切れなくて良かったです)のちマイケルのヴェーベルン変奏曲。
こちらはうって変わってマイケルのとってもデリケートなタッチが楽しめて。
あのヴェーベルンの薄暗いような雰囲気や不思議な規則性が好きでした。
意外に思ったのですがマイケルはこの曲を演奏するのが初めてらしく。私も好きな曲ですがなんとなくこう、手が回らなくて弾いたりしたことがないんですよね・・・でもこれで改めていつか弾く、弾きたい曲だと自覚しました。
最後のBeggars and Angels。
なんですかね、やはり現代はシングルリードの時代なのでしょうか。バスクラ2本の活躍といったら!
アデズもそういうとこあって、似てる雰囲気があるながらもDeanの音楽はもっとぎゅっと詰まっている、うねりとパワーに溢れているというか。
そして先ほどのコントラバスのあれはここで生きてました(笑)楽しそうな様子にちょっとにやにや(もちろん他のところでもにやにやしてますが)。
面白かったのは弦楽器の「エア」弾き。どうやら弦じゃなくて楽器の胴体を弓で弾いてるような。これは生演奏じゃないとわからないなあ。それも不思議、という次元でなくみんなでそれをやってるのを間近で見て、音を聞くとわりとぞっとしますね。
あと先ほどに続き弦のパワー、そしてなによりもドラムキット(大学の時にオケでお世話になった打楽器の先生でした。いわゆる悪人面なのですが今回びっくりするほど格好良かった!)。
とっても魅力に溢れた曲でしたね。一応ipodに持ってるのでもっと聞き込まないとなあ、と思います。
結局昨日は現代音楽にくるまれ過ごした、めちゃくちゃ楽しい一日でした。こういうのもいいですね~(にやにや)もっとあってもいいのに。
ちなみにマイケルともコンサートの後会って次回メルボルンに来たときはゆっくり話そうと約束もしました(ソリストはコンサート後忙しいので)。いつも慌ただしいので久しぶりにちゃんと話せるのは本当に楽しみです。
(そいえばまだ返事が来てない前回のソリスト、メール入れなきゃ。あ、あと先生にもユースオケのこと言ってない(汗))
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン トゥーランガリラ交響曲 「愛のまどろみの庭」
先ほど言及しましたスーパー無茶ぶりの曲です(笑)
トゥーランガリラ交響曲、というのは愛、生命、時間などをテーマにしたメシアンの交響曲です。
タイトルはサンスクリット語から来てるそうで・・・メシアンは例えばリズムなどにおいてインド音楽の影響を受けてますがこの交響曲全体西洋音楽とはちょっと離れたところにある雰囲気がありますね。
(まだちょっと勉強不足なので交響曲全体についてはWikipediaへのリンクを貼っときます(汗)
次また近いうちに扱いますがそのときまでには・・・)
今張りましたリンクにあるトゥーランガリラとは何か、という説明を読むとなんだか神話的な感じをぎゅっと凝縮した感じがありますね。
この第6楽章「愛のまどろみの庭」はある意味とってもメシアンらしいですね。
(例えば20のまなざしの第5番、そして四重奏曲の第1楽章にものすごーく似ている)
サイクルのように繰り返される「時」を表すような音型、そして鳥の声、そして甘美でゆっくりしたメロディー。
本当にまどろむような、全てが心地良い音楽。
楽器の音だとチェレスタとビブラフォンの優しいきらめき、オンド・マルトノ(電子楽器。テルミンに似てるみたいです)のビブラート、ピアノの一つ一つの音の余韻。
めっちゃメシアンだな~と思いながらも同時に別世界の音楽みたいでもあり。
トゥーランガリラ交響曲にはちょっと??となるような音楽も多いのですが、この楽章は最初に聴いて欲しいと思う楽章の一つです。
他の楽章も自分がもっと勉強、そして弾いて愛着を覚えるごとに追って紹介していきます♪
録音は(古いものもありますが)メシアンの奥さんユヴォンヌ・ロリオがピアノを弾いているものを強くお勧め。彼女の妹、ジャンヌ・ロリオがオンド・マルトノを弾いてる録音もありますよ~
