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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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ツタンカーメン展@メルボルン博物館感想!
昨日念願のツタンカーメン展@メルボルン博物館に行ってきました!
といっても別に急ぐことはなく11月くらいまでやってるはずなんですが、どうしても行きたくて。
始まったときはこちらはイースターの連休=学校も秋休みなのでじっとこらえてたのですが日本がGWになって仕事がはいらないということで昨日行ってきました。堪え性がないのです。

一応事前に予約したのですがこれが正解で。30分ごとにまとまって入るのですが、1時半予約でむこうについたときはもう2~3時まで満員になってました。
オーストラリアは平日日中にもかかわらず1時半のグループも結構多くて。

展示内容は大まかに2つに分かれていました。
ツタンカーメンの前の時代の品と、そしてツタンカーメンにまつわる品々。
エジプトと言えば黄金色の副葬品が有名ですが、その美しさを引き立たせるため黒の部屋を暗くして、というところもあり。
結構広かったですし、品数もあり。

まずは何が「なかった」か、から。
ツタンカーメンのミイラ、およびツタンカーメンの黄金のマスクは来てませんでした。(説明に動かせないとありました)
ただそれでもあったものは物凄く多く。本当にびっくりするようなものもありました。

小さい頃の愛読書、絵本「エジプトのミイラ」でこういう出土品に使われているシンボルの意味だとか、主な神々やミイラを作るプロセスや副葬品の種類とかはやんわり(?)知り親しんでいたので実際にそれが使われている、目の前にあるのを見るのはなんだか不思議な気持ちで。
アンクとかホルスの目とか、イシスのあの階段みたいなのとか。

種類で言えばカノープの壷に出会えたのは本当に嬉しかったです。自分は陶器製を想像してたのですが、なんと方解石製。見るからに分厚くて重そうな感じで。
あと副葬品だったかどうかは分からないのですが化粧箱、手鏡箱、戦場などで使う折りたたみ椅子など生活感たっぷりの品もあって。
にやにやしっぱなしです~

ツタンカーメンの前の時代だとツタンカーメンの祖母にあたる「Tjuya」という人の品が印象強烈でした。
なんと彼女の棺、それからその中で彼女に被せられた黄金の仮面。
仮面の方は彼女の若い頃の姿だったのですが真正面から見ると笑みがこぼれるんですよ。
ふっくらした笑顔と愛らしい顔立ちが(笑)
棺の方はもちょっとお年を召した感じで凛々しい顔立ち。
黄金に塗られた棺にはびっしり絵やら象形文字やら書いてあって、もう1週間ずっと見てても余裕で飽きないくらいのもので。語句は繰り返されてるものがあったりで、彼女の名前を探して見たのですが見つからず。
象形文字も鳥だけでも4種類以上ありますし(どんな鳥の種類かいくつか分からないものも)、羽も何種類かありますし。
うちにでーんと置いて観察したいですよあれは、ゆっくりと。あの場で全部情報処理しようとすると圧倒されるんですよね。美術品として、歴史、文字、人となり、宗教など考えたいエリアが多すぎて脳がパンクするような感じで。見足りないですし、もっとインプットしたい。

ツタンカーメンの展示に入る前に彼の父アクエンアテンが伝統的な神々の崇拝から太陽神一本の崇拝にがらっと変えたこと、そしてツタンカーメンが古の神々への信仰を取り戻したことについて説明がありました。
いろいろな神話の話を読んでると時代と共に多神教→一神教に動くことは圧倒的に多いながらも一神教→多神教に変化するのは珍しいな、という印象でした。ましてや多神教→一神教→多神教というのは他にあったかなあ・・・
しかもその宗教復興、さらには王として他の多くの功績を9歳での即位から19歳でなくなるまでの10年で、もちろん後見人がいたにしてもなしとげたのはすごいなあ、と改めてびっくりしましたね。

ツタンカーメンにまつわる品は本当にたくさんあって。
先ほどの多神教へのシフトを表す太陽と月、昼と夜を司ることを示すような胸飾りだったり杖だったり。
それからは「?」型に曲がった杖、ミイラの包みの中にあった首飾りや短刀など。
特に心惹かれたのが軍用トランペット。今ヴェルディのオペラ「アイーダ」で使われるほど長くはないですが真っ直ぐのトランペット。マウスピースもついていて。吹いたら音がでるのかなー、吹いて見れないよなあ、とかわくわく。

あと他のファラオや后などもそうですが象った像、そして神格化された像もたくさんありましたね。
ツタンカーメンが今あるような足指で挟むサンダル履いてたこと、絶対前々から知ってたはずだったのですがなんだか笑えるんですよね(笑)この形のサンダル時を超えてすごいなあ、と(笑)

あとどこの展示でもヒエログリフ(象形文字)が本当に興味をぐんぐん引いて。
高校生クイズの影響とあと自分の名前をヒエログリフにしてくれるサイトの影響でどうしても読もうとしちゃう。数文字しかぼんやりとしか分からないのに(笑)
王とか王族の名前は囲ってあるというのは確定してるんですが。
一応ツタンカーメンについては2種類の名前について展示と共に説明があったのでちょっと覚えた・・・かも。
ただ母音が省略されたり、複数の音節で1文字だったり、縦書きなのに途中で急に2行に分かれたり、先ほどのくくりのなかでも若干文字の順番が違ったりして難しい・・・
そしてやっぱりヒエログリフにも上手下手があるみたいですね。ちょっと筆が太かったり曲面に書かれてるものだったりするとちょっと「あれ、この文字ちょっと違うぞ?」というやつがあったり(笑)

あとは日本の埴輪のような副葬品もあったり、あとマヤのククルカンに似た「翼を生やした蛇」の女神の像だったり、あとは古代エジプトの埋葬とあの世に感してのコンセプトが秦の始皇帝に似てるな、とか他の神話・文化との繋がりだったりシンクロニティも面白いですね。

Tjuyaの棺を始め「本当に自分の目の前にあるの!?」と未だに実感が湧かない感じもあります。
もう一回行ってもいいなあ・・・と思ったり。
今回終わった後はもう自分が生きてるうちにメルボルンにこういう展示が回ってくることはないと思いますし、やっぱり大英博物館で見に行ったりするのが夢ですし。
インパクトは強烈で、存分楽しみましたがまだまだ足りない感じです。もっともっと触れあいたい!

以上ツタンカーメン展感想でした~


最近休みがちですが今日の一曲今日もお休みです。
あと最近精神関係のカテゴリでもちょっと書きたいな~と思ってるのでそちらもなんとかしたいと思います。


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子どもを巡ってぐるぐると
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!

こどもの日に向けて、とかそういうことじゃ全然ないのですが、ここ数週間暖めてぐるぐるしてて結局発展しなかった話を。ちょっと散漫となってしまったらごめんなさい。

まずこの話で参照している参考資料から:
1) メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第4楽章「聖母のまなざし」
2) クラム 「Ancient Voices of Children」より第3楽章「¿De Dónde vienes, amor, mi niño?」 (歌詞:ロルカ「Yerma」より)
3) カリール・ジブラン 「預言者」より「子どもについて」(詩)
4) ワーグナー 「ニーベルングの指環」より「ジークフリート」(大まかにちょこちょこと)

「¿De Dónde vienes, amor, mi niño?」
「あなたはどこから来るの、愛しい我が子よ?」と訳される、このクラムの音楽に使われているロルカの劇の一節。
円のように描かれているこの曲をぐるぐると巡り、ソプラノとボーイソプラノの対話を(スペイン語は単語いくつかしか知らないのですが)聴いているとなにか感じる物があって。

もともとこの歌詞の元のYermaという劇は子供が欲しいのに産めない女性を中心とする(が引き起こす)悲劇なのですが、この部分は主人公の女性とまだ彼女に宿らない彼女の子どもとの対話なんですね。
彼女にとって子どもはとてもとても遠い存在で・・・

先ほどこの楽譜は円のように描かれていると言いましたが、その円の部分が「Dance of the Sacred Life-Cycle」(聖なる生命サイクルの踊り)と記してあって。
例えば子どもを包む(聖なるものとしての)子宮の丸さ、親から子へ、またその子へと巡っていく命のつながり、生と死の繰り返しだったり。
そのぐるぐるとした繋がりからまた色々考えがふくらみ・・・

「あなたはどこから来るの、愛しい我が子よ?」
子どもはどこから来るの、というのは色んなところで聞いたりネタにされたりしますが(笑)
「子どもはどうやって出来るの」という質問がわりと生物的な方向に向いてるのに対して「どこから来るの」というとなんとなくこう、神秘的なフレーバーを帯びるというか。
この曲のボーイソプラノのパート(そもそもどこでこの子どもは話しているんだろう、という話ですが)を聴くとまるで子どもは大自然の中に何らかの形、生命そのものとして存在しているような印象を受けます。
「自然の生命」がぎゅっと凝縮されて人の形になって生まれてくるみたいな。
(少なくとも子どもの生命力と行動はそれで納得いきますね(笑))

そしてふとなんかで繋がったのがメシアンの「聖母のまなざし」。
この曲は聖母マリアが神の子を授かった後の話で。時と共にお腹の中で大きくなっていく、自分の子どもではない、ましてやただの人間の子どもではない胎児。その子どもの存在(もしかしたらまだヨセフに言ってない?)、正体、そして未来に対する不安を表す子守歌なのです。
この子は神から授かった使命を持って、どのような人生を歩むのか。もちろん苦しみも反感も伴うし、神の思いなんてひとっつも知らされてないし・・・というようなあくまでも私の解釈ですが。

で、先ほどのクラムとこの曲がだんだん繋がってくると子どもが神の子じゃなくてもみんなそうだよな~、と。
(注:もちろん自分は子ども居ません)
子どもがどんな人生を歩むか、どんな道を進んでどんな苦難にあって、どういう風に成長して旅立って行くのか親はみんな心配で不安ですし。
神の子じゃなくても子どもは(親から生まれても)親とは別の人間で、別の道を歩んでいくもので・・・

そこまで考えがたどり着いたとき、学校の英語(国語)の授業で親子についての詩をいろいろ読んだとき先生のコレクションにあったカリール・ジブランの「預言者」から「子どもについて」という詩を思い出しました。
全文は「ジブラン 預言者 子ども」で検索すると日本語版がいくつも見つかりますが、大まかに。

ジブランがこの詩で言いたいことは、子どもは親自身ではないこと、そして親は子どもを所有しているわけではないということ。
親は子どもが羽ばたけるよう助けるのが役目であること。

(ちょっと話が逸れて、先ほどの「子どもはどこから来るの」という質問の気の利いた答えとして「未来から来るんだよ」という答えをこないだどこかで観たのですが、そう考えると親の役割というのは子どもの故郷を作ること、とも言えますね。)

で、(この時点で再びDance of the Sacred Life-Cycleが頭の中でぐるぐるしてるんですけど)ここまで来て子どもっていうのは親の手を離れるだけじゃなくて親を超えていくもんなんだな、と改めて。
親が子どもが成長する過程で不安を感じたり不条理な行動(束縛など)をとってしまうのはいつか子どもが自分の手を離れていくだけでなく、自分を超えて、もしかしたらいずれ自分に刃向かい自分を滅ぼすかもしれないかもしれないからなのかもしれない、と。
(なぜなら子どもは親の子どもではなく、未来の担い手、「未来の子ども」だから。「神の子」も同義?)

そこで思い出したのが「ニーベルングの指環」のジークフリート。
兄妹の間に生まれ、父母をどちらもかなり早くに亡くし、別の人に育てられたジークフリート。
彼は自然の中で自然に馴染んで育ち、好奇心いっぱい、本能と生命力に満ちあふれ。
そして彼は「恐れを知らない者」でもあり。
さらにジークフリートは自分では知らないながらも多大な期待と運命を(勝手に自分の子どもみたいに思ってるヴォータンにより)おわされていて、さらに神々の世界の運命も背負っている。
これは英雄としてのステレオタイプではあるのですが、同時に「子ども」を代表している像でもあるんじゃないかな、と思います。

以上、独身子どもなしの私による「子ども」を巡る神話的な考察でした。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「Ancient Voices of Children」 第3楽章「¿De Dónde vienes, amor, mi niño?」



うーん、出し惜しみたい、でもこの曲しかない!

先ほどこの楽譜は円のように書いてある、と言いましたがちょっと捕捉。
短いフレーズ(音楽・歌詞のみ)がいくつも円のように配置してあって、そこを2周半ほどするんですが、1周目・2周目・3周目とちょっとずつ変えてあります。
で、その下にボレロのリズムを打楽器軍団が繰り返し。
これが本当に生命のリズムみたいで!

でも自分の中ではこのサイクルの中で精一杯ソプラノと対等に演じ歌うボーイソプラノ、そしてオーボエが特に格好いいと思います。
ソプラノの語りと歌にもまた生命の躍動、そして母性みたいなのものを感じて。

これは手に入るならばスコアを見ながら聴くとやはり不思議な感覚が生まれます。
歌詞のスペイン語が分からなくても(もちろんそれも訳を見つけることを強く勧めますが)この構造というものを見るだけで特別に伝わるものがあるような気がします。

なお、クラムの声楽曲全般そうですが、是非録音はJan DeGaetaniが歌っているものを。
(リンクしたやつがそうです)表現力、そしてこの曲においてはボーイソプラノの力強さも最高で。
あと大学の図書館で借りたクラムについての本にその録音当時のこと(苦労など)が書いてあったりして、とても面白いですよ。

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おやすみなさいCDコンピレーション
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
そちらでも書いてますがOrthorexiaについてはまだ情報が少ないこと、そして一日中怒って書いていたことで情報と表現の正確さが少し妥協されているかもしれません。どうか鵜呑みになさらないようお願い致します。

ちなみに今日は両親の結婚記念日。旅行に泊まりで行くとかいう話があったような・・・
いつもならメルボルンに遊びに来たりする季節なんですがここ数年行き来はこちらも向こうも少ないです。
一時帰国でも両親が遊びに来るのも近いうちに実現すればいいなあ・・・

Twitterのフォロー先さんで何人か音楽をかけながら眠ったり、という話をちょこちょこ聞くので「おやすみタイムの曲おすすめ」みたいなのをやりたいな~と思ってました。
私は最近音楽をかけて寝ることはないのですが(音楽をかけながら眠ってしまうとき以外)、昔は聞いてたときもありました。
寝るとき音楽をかけるかかけないか、その向き不向きはその人その人、そしてその時々によると思います。
ただそれがやっぱり心地良いときもあるということで今日はCD一枚分、曲をおすすめしようと思います。

もちろんこれからリストする以外にも寝るとき聞くと心地良い曲はたくさんあります。
とりあえず今日選んだときに心がけたポイントは:
1) テンポはゆっくり、音の動きがあまり忙しくない
2) 強弱は弱め、とにかく強弱の差が大きくない
3) 声よりも楽器。合唱はなるべく選ばないように(人の声にどうしても人間の脳は反応するので)
4) 楽器だとお勧め度は金管<木管<弦=ピアノかな。でもブラスアンサンブルだとこの限りではなく。
5) 曲の長さは長め。短いところころ曲が変わるので。
6) フレーズは息長め、あまりうねりがあるのは避け
7) 高音が過度に強いものは避け
あと私が昔コンピレーションしたおやすみMDとかCDとかで寝てたときはランダム再生にしていました。いいのか悪いのかはわかりませんが。

それではおやすみコンピレーション行きます~

1) シューベルト 菩提樹
シューベルトの歌曲あんまり持ってないんですがこの良い感じの弧の書き方とか、男声の暖かさ、伴奏の音型がみんな心地良い。
噂ではこの曲、ホルンアンサンブルのバージョンがあるそうで。それもきっといいだろうな~

2) ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏第15番 第1楽章
ショスタコーヴィチはショスタコーヴィチでも最晩期のものは透明で穏やかな曲がちらほらと。(眠り、というか永遠の眠りのあれですからね・・・)
弦楽四重奏の響きとか、この曲のとてもフラットな感じとか・・・実際に寝るときに聴いた経験があります。

3) エルガー 弦楽セレナード 第2楽章
弦の暖かい音、そして穏やかな盛り上がりなど、なんとなーく心地良い眠りを約束してくれそうな感じがします。
わりとイギリス音楽って夕方~睡眠時に向いてるんですよね。全部が全部ではないですが。
この曲については第1,3楽章もわりと穏やか目。日本でどれだけ知られてるか分かりませんが・・・

4) ブラームス 6つの小品 第5番「ロマンス」
ブラームスは子守歌のプロ。包容力と暖かさ、そして肯定的なゆったりさ。
この曲のヘ長調というのもゆったりした牧歌的な性格をしていて。
ちなみに同じ曲集の第2番もポピュラーですが、これもおやすみ時にいいかも。

5) ヴォーン=ウィリアムス 「揚げひばり」
ヴォーン=ウィリアムスの音楽で弦楽器メインのはクライマックスのドラマチックさをのぞけば本当に寝るときにいいですね~♪こればかりは個人の睡眠パターンによりけりなのですが(=クライマックスのときに浅い眠りだと起きてしまったり深い眠りの邪魔になったり)。

6) ペルト 「Spiegel im Spiegel」
ペルトを始めヨーロッパのミニマル・ミュージックの作曲家は睡眠には一番いいのではないかと素人ながらに思います。心地良い穏やかさ、スローなテンポ、ゆるやかな繰り返しなど。
そのなかでもこの曲はピアノとバイオリンの音のシンプルさが光るイチオシの曲です。

7) ドビュッシー 「映像」第2集より「廃寺にかかる月」
同じ穏やかな曲でも昼を連想させる曲、夜を連想させる曲とありますが、寝るときには夜を連想させる曲の方が馴染みやすいだろうと思います。
現代は夜も明るかったり電気機器を使ったりしますから、暗い静かな夜をイメージすることも心地良い眠りをサポートするのでは、と思います。
透明で、ピアノの音の丸みが楽しめて。高音のきらきらも過剰じゃないのがいいですね。

8) ラヴェル 「2つのヘブライの歌」よりカディッシュ(バイオリン版)
これもまた息が長く穏やかな曲。ヘブライ・ユダヤの音楽というと癖が強いように思えますがラヴェルの手にかかるとまた違う風に。やはり声よりはバイオリンのほうが眠れるかな~どうなんだろう~

9) メシアン 「世の終わりのための四重奏曲」より第8楽章「イエスの不滅性への賛歌」
メシアンのスローな楽章は本当に眠くなるほどゆっくり(笑)なので例えばこの四重奏曲の第5楽章、20のまなざしの「父のまなざし」などおやすみ時に眠りを誘う曲がいっぱいあります。
なんとなく、どの曲も暖かな夢が見れるような印象がありますね。

10) レスピーギ 「鳥たち」より「ナイチンゲール」
レスピーギや他の作曲家がその時代によくやってた、もっと昔の曲のアレンジ・カバーの一つですが。とにかくシンプル、穏やかで何となくこう、「今日も終わり、よくやった」と思える感じで。
ほほえみと共に眠るためにお勧めの1曲です。

ということで今日も「今日の一曲」はお休みです。
今日紹介しました曲以外にもいろいろなおやすみ用にふさわしい曲はありますし、あとこれらの曲はもちろん起きて聴いても良い物です(ぜひ起きたままも聴いて下さいね!)。
特にヴォーン=ウィリアムスなどイギリス音楽、メシアンのスローな曲、そして何よりもペルトの音楽を特にプッシュしたいです。

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メンタルヘルスあたりで怒ったこと&Orthorexiaについて
どうやら今日から(笑)連休のようです(正確に言えば昨日から、か)。
ということでツタンカーメン展のチケット予約しました♪楽しみです~

今日は朝から怒ってました。
当該記事は今探してみたのですが見つからないのですが、震災の影響でPTSDをわずらうことの懸念があるなか、「心理療法を専門としている精神医」が不足している(東北全体でも20人未満と記事にはありました)ということを読んで。
都市と地域の格差という話はおいてもつまりは「心理療法を専門としている精神医」ってどういうこと?という。
てっきり精神医学に進む上で治療のオプションは心理療法(認知行動療法)、薬物など組み合わせていく、その中で年齢層だったり、特定の心理療法のテクニックだったりで専門としていくという前提でやってるものだと思ってたので。自分の会った、そして治療を受けたドクターはそうですし、病院にいても他の先生もそうだと話を聞いてますし。
東北地方だけで20人未満。日本全体では・・・?
心理療法による治療を必要としているのはPTSDだけではありません。震災に関して、東北に関してでなく本当に問題だと思います。
今日は勉強で統合失調症に関してちょっとノートをとってたんですが(それに限らず)症状やそのほか病気の影響などを読んでいると患者さんに必要なのは薬だけじゃないことは明らかなのに。
そして一日怒ってすごしてしまったんですよね。でもまあ・・・今日だけじゃありませんし、この手のことで怒るのは珍しくないんです・・・

話は変わってもう一つのメンタルヘルスあたりの話に。
以前摂食障害についてのレクチャーの感想を書いたとき、ちょろっと言及したOrthorexia Nervosaというコンセプトについて。
こないだ夜中にふと気になって調べてみたところ、まずまだ日本語での名前がないそうです。
医学的にもまだ病気と認められていない現象・状態で、Wikipedia(日本語はないので英語)から引用元を調べてみるとかなり最近に提唱された、みたいなことも書いてあって。
なのでここから書くことはどうやら情報が多くないエリアの私なりの理解・まとめになります。鵜呑みにはしないほうがよろしいかと。

Ortho=正しい、Rexia=食欲、という意味でOrthorexia=「健康的に」食べることについての病的な執着・強迫観念、という状態です。
(拒食症などが自分の外見、体型に対して主に執着するのと違い、Orthorexiaは食の「内容」が主なフォーカス、ということになるのでしょうか)

今かぎ括弧つきで「健康的」と書いたのはその人が考えている(そして病的に執着している)「健康的に食べる」ということは必ずしも健康ではない、ということで・・・つまり「思い込み」の場合もある、ということみたいです。
つまり本人は健康的に食べているつもりでも食が偏って栄養失調になる、という影響もある、ということらしく。

このコンセプトがもっと広く知られるようになるといわれるのが「食生活に気をつけることの何が悪い?」という類のことだと思います。
体は健康になっても心が健康でなければ、ということにつながるのですが・・・
摂食障害においての「強迫観念」とは起きても寝ても食べ物のことを考えている、とか食について約束・規則(何キロやせる、とか甘いものを食べない、とか)を破ったらそのことで過剰に自分を責める(そして罪悪感で吐いたり、自分を罰したり)、そしてその執着しているもの(体重、外見、食生活)のみで自分・他人を評価するようになり、結果自己評価が低くなったり、対人関係に影響したり・・・ということにつながるのでは、と。

拒食症などにおいてすらっとモデル、女優さんなどメディアの影響が大きいということは何度か書いていますが、メディアの影響はOrthorexia nervosaにおいても大きいのでは、と思います。
いわゆる「健康食品」のブームが次々に起こったり、テレビやほかの媒体の広告でもたくさん見ますし。
日本では拒食症が近年問題になっていますが、Orthorexiaに関しては肥満社会だったり体型フォーカスの西洋よりも「食」そのものについて重点が置かれる日本のほうが問題になりかねないなあーと素人ながらに思っています。
(ちなみに拒食症と違ってOrthorexiaは男性に多いと書いてあります。どうしてなんだろう・・・)
その「ブーム」というのもそうですよね。先ほど「健康的」というののものさしはその人の思い込みがベースとありましたがテレビや口コミなどの情報から「買おう!」と思う人が多いということははやりその「論理に必ずも基づかないかもしれない思い込み」の懸念が高いわけで・・・

精神疾患の病名、分類っていろいろ賛否両論で。
新しい病気を「作る」ことは問題を増やす、とか問題的な患者を増やす、とかいう声もあり。
Orthorexiaもそういう道をたどるんじゃないかな、と思います。健康と不健康という矛盾を抱えたちょっと聞きへんな状態なので。
でもこういうものって突然「これは病気だ」とぱっと現れるものでなく、症例がちらほら見つかって、傾向が見え始め、研究が行われ、隠れていた症例が見つかって・・・
その間にももちろん治療法だったり、問題点だったり、いろいろ見つけようと模索、検討が行われていて。
でもある程度症例の数が多くなるときちんと病名として定義して、どのお医者さんもきちんと速やかに治療や診断が行えるようガイドラインを設定する必要があるんですよね。
だんだんなにがいいたいか分からなくなってきましたが・・・
この健康志向社会のなかでOrthorexia nervosaみたいなことが「実在する」こと、そういう危険があることがもっと広く知られる必要があるな、とぼんやり思い。
健康になろうとしてどんどん不健康になっていくこと、食べることが「楽しみ」ではないこと、どちらもものすごくつらいことだと思うので。

なんだか支離滅裂になってしまいましたが、今の私個人のOrthorexia nervosaに対する理解と意見でした。


今日の一曲はお休みです。

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いろいろもろもろ
今日はレクチャーの感想を書こうと思ったのですがなんだか日本語に直すのが難しいのと、それ以前にまとめられるほど理解していないことが判明。
つくづく勉強不足というか・・・精進します。
今のところ次のレクチャーは5月の中旬、メンタルヘルス関係(精神疾患の患者さんにおける身体の健康について)のレクチャーです。
なんだかArts Centreのレセプションルームみたいなホール?で行われるみたいでちょっとびびってます(汗)

こないだチーズケーキを作って生クリームが余ったので消費するためにスコーンを作りました。
あまりジャムを食べないのでスコーンはほとんどの場合クリームと一緒に食べます。
なんだかちょっとベーキングパウダーが未反応で残ってたらしく正直今回まずいですが、逆にそのおかげでクリームは確実に消費されるでしょう(笑)
実は今回ほどじゃないのですが前回も同じような間違いしてる記憶があるので・・・うう、こちらも学びたい。

前回書きましたが、ユースオケで7月にメシアンのトゥーランガリラ交響曲のチェレスタパートを弾く事になりました。
昨日パートをもらいに行って、そして録音を聴きながらパートを読み、今日は録音を聴きながら初見。
なんと56ページのパート。かなり弾く箇所が多いです。目立つところもちらほら。
音をさらうより前に録音と一緒に弾いてみるのはテンポを把握するため、そしてどこが初見で弾けるか、どこが練習必要か絞るため。
初見は割と得意な方、と周りからは大学在学中によく言われましたが、オケにおいては自分でも確かに胸を張って初見は得意、と言えます。自分が音楽をやる人の端くれとして一番誇れるのが音楽においての、特にオケで演奏するにおいての勘。それでずっとここ10年ほどやってこれた、というのもあると思います。
そしてメシアンは(この自分のパートにも多少トリッキーなところはありますが)自分にとってホームグラウンド。
久しぶりにリハーサルして、オケの中で弾いて、そして舞台に立つ。それをみんなめいっぱい楽しみたいですし、良い音楽を作りたいですし。
一生に一回あるかないかの経験なので、本当に大事にしたいです。
(でも欲を言えばやっぱりソロ扱いのピアノパートも弾いてみたいですね♪)

最近やりたいこといっぱいで(汗)
GWは日本で休みなので私も少しは時間できるかな~と思ってますが、読みたい本・論文(論文は割と電車のなかでも読めますが)、聴きたい曲、書きたいもの、再放送したい番組(あれ?)・・・
それに自分がついていかないのがもどかしいです。
プラス何かを済ませてもやり遂げた感が少ないのは懸念だな・・・

そうそう、昨日シティにいったときに中国のお茶やさんで「桂花烏龍茶」を久しぶりに買ってきました。金木犀の花が入った烏龍茶です。こちらにはなんだか金木犀がないようなので、こう楽しむしかないのです~

そしてメルボルンはいろいろな小道(Laneway)に並ぶカフェが有名ですが、一番有名なDeGraves Streetに繋がっているCenter Placeで「Lorca」という名前のカフェを見つけました。よっしゃ最近ロルカには縁がある!ということで今度行ってみたいと思います。
スタイルはスペイン・ポルトガル、レビューはよさげでVisitVictoria(英語)にも掲載されているみたいで。興味津々です♪
昨日通ったときは混んでたのでもうちょっと空いてるときがいいな・・・

今回はここらで。なんだかぐだぐだですみません。
次回はもちょっとびしっと・・・を予定しております。


今日の一曲: カール・オルフ 「カルミナ・ブラーナ」より「In Truitina」



トゥーランガリラに関してはもちょっと勉強が必要なのともちょっと弾いてから・・・(汗)
そして今カルミナで何を扱ったか検索かけたらブログが表示されない(日本時間21時50分時点)。あれー?
ということで確実に扱ってないと思われるこの曲を。

私の普段の好みからカルミナだったら第2部の暗めで派手めのどんちゃん騒ぎが好き、と印象を持つ方もいるかもしれません。
正解です(笑)
でも実は第3部にも好きな曲いっぱい。その内の一つがこれです。

愛に心(と身体)を任せようか、迷う乙女心。不安、少しばかりの猜疑心、それと相手への気持ちを秤にかける、そんな内容の歌なのです。
ただオケの伴奏は本当に落ち着いているというか、Stable。暖かくて規則的な、不動に近い和音。
だからその女の子の心持ちの表現というのは本当にソロのソプラノ歌手にかかってくる、というわけです。

そこまで自分が生活の中で常時女の子らしくしたいとは思わないのですが、演じる・書く・表現する上で「女性」を表現するのは楽しそうだな(楽しい)、と思います。
カルミナ・ブラーナの、とくに第3部においての「少女の心」の描写って面白いなあ、と思います。以前紹介したStetit Puellaでの恥じらいとか。カルミナは単独楽章取り出してピアノ伴奏で歌ったりとかしないのかしら。聴いたことないのですが。

あとこの曲のエンディング(各繰り返しの終わり)のオケのしめ方がちょっと好きです(笑)言葉で表現しづらいですが、なんかちょっとだけ心をくすぐられたり。

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