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昨日はレクチャーに行ってきました~感想は後日。いつまとめられるか目処がついてないので・・・
どうも全体的にもたついてる感じです・・・
そうそう、昨日連絡があって、ユースオケが今度メシアンのトゥーランガリラ交響曲を弾くのですがそこでチェレスタパートを弾かせてもらえることになりました。やった!根回しした甲斐があった(爆)
あしたパート取りに行くのですが、大学在学中にスコアを見た限りソリスト扱いのピアノとあんまり変わらない感じだった記憶が。メシアン和音いっぱいあったような気がするんですよね~
実際に目立つところってのは少ないと思いますが。
久しぶりのチェレスタ、久しぶりのオケ、久しぶりの人前演奏。さらにメシアンのトゥーランガリラ!
気合いがいやでも入ります!たーんと楽しんで精一杯頑張りたいですね♪
ちなみにコンサートは7月2日と3日の2回。また追っていろいろ報告します。
音楽で面白いな~と思うことの一つに「引用」があります。
編曲(既にある曲全曲を別の楽器編成のためにアレンジする)ではなく、既存の曲の一部を自分の曲の中にそれとわかるように(わかりやすさの程度はまちまちですが)挿入すること。
ちょうど今日もイベールのDivertissementの「Cortege」という楽章でメンデルスゾーンの「結婚行進曲」(「真夏の夜の夢」)がちょろっと聞こえましたね。
引用っていうのはどんなにあからさまに挿入されてても引用の元を知らないとおもしろみが分からない、いわば内輪のジョークみたいなものなんですが・・・
面白いのが引用は必ずはっきりとした意図があって行われる行為で、どうしてその曲をそこで使ったか、どうやって使っているか(分かりやすさも含め)、そういうことを通じてなんとなく作曲家の心というか、ユーモアのセンスとかひねった表現力とかが分かるんですよね。
私の贔屓作曲家、クラムはやたらと・・・ではないですがかなり多く引用を使ってます。
引用の使い方についてはショスタコーヴィチとクラムはずば抜けて凄いセンスがあるような気がします。
引用は何を=What、どこで=Where, どうして=Why、そしてどうやって=How、使うというのが効果の大きさを左右するんですけど、クラムは特にHowの部分がすごいなあと。
なので今日はちょっとクラムの「引用」についてちょっと紹介します。
<What & Why>
クラムはほとんどの場合ご丁寧にも引用の部分、さらに引用元を書いてくれてます。
「鯨の声」では進化の中に現れる「人間」を表すのにリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」のパロディ化した一節を挿入したり(ちなみに言われるまで分からなかったです、私は)。
マクロコスモス第1巻第5楽章「Phantom Gondelier」では幽霊船頭の不思議な詠唱、その悪魔的な性質を表すためにベルリオーズの「ファウストの功罰」の一シーンで魔物達が創作言語で呼びかけている場面を引用したり。
あと「Eine Kleine Mitternachtmusik」の「Golliwog Revisited」では曲自体がドビュッシーの「子供の領分」の「Golliwog's Cakewalk」のパロディなのにそこにリヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲル」が姿を現したり。推測なんですが、この奇っ怪な、歪んだGolliwogの世界の中でさらにそれをかき回してくれる、というか・・・ユーモアと奇怪さをプラスする、という意図ではないかと思います。
<How>
クラムが凄い、と思うのは引用部分の、いわばプロデュースのしかた。
例えば絵でも文でも音楽でも、引用が使われてると「あ、これは○○だな」と思ったり、「ここでこれを持ち出すのは○○な意味があるのか」とか「ここでこれを持ち出すのは粋だな」とか思ったり、そういう効果があります。
でもクラムは引用を行うことで、本当に不思議で魔法のような、引用元の音楽自体とは違った、そしてそれ以上の意味と魅力を持つようになるんです。
まずは「Ancient Voices of Children」から「Todas los Tardes~」。バッハの「アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帳」からの一節がトイピアノで奏でられます。時が静止したようなこの雰囲気の中でいかに儚く、まるでふるいおもちゃのような音でこのシンプルな(子供を表すような)音楽が奏でられて朽ちていく。長い「世界」の時間の中で、あのバッハの音楽もまた朽ちていくのか・・・という感じです。
そして「Black Angels」の「Pavane Lachrymae」。ここではシューベルトの歌曲+弦楽四重奏「死と乙女」が引用されています。特殊奏法(今日の一曲参照)で、しかもだんだん奏者がピッチを低くしていきながら弾く、という。これもまた「朽ち」を感じますね。前者と同じ「死にゆく」感覚。
さらにマクロコスモス第1巻第11楽章「Dream Images (Love-Death Music)」にはショパンの「幻想即興曲」の一節が。現れては消える響きのなかにふっと現れて、ほどけて行く。まるで夢の中のような、そしてまるで切ない初恋の思い出のような(loveとdeathの内Loveを表していることは確かですね)。この時周りの音楽のスタイルやタッチをちゃんとクラム風に、そして引用部分をしっかりショパン風に弾く事でコントラスト的な効果が得られる、ということもありますが、引用の最後の部分をスローダウンした上にペダルでぼかすことによって本当にほどけていく、夢の中に溶けていくような感覚が。
そういう風にクラムの音楽において引用は「過去」だったり「時間の流れ」を示す(またはそれに関連している)よう使われていることが結構あるような気がします。振り返る、心持ち。
クラムに限りませんが、引用は「シンボル」なんですよね。十字架や、非常口サインといっしょで。形に意味を持たせ、注意を引き、すぐさまその形が何を表しているかぴんとくるようにする。
でもどっちかというと暗号ですよね。もともとそのシンボルが何を意味しているかわからないといけない。でもその周りの状況からどうしてその曲がそこに使われているか、どうして使われているかというのを推察することもできます。
クラムの音楽の「引用が醸し出す効果」というのは物凄いと思います。もともと空間と時間を操るというか、そういう感じがあるのですがそれをさらに引用という「シンボル」を使うことで自分の音楽、元の音楽の意味と効果を増幅させて。
もともと暗号とか、シンボルとかサインとか好きなのでやっぱそういうところに惹かれるのかな~
勿論弾くにしてもクラムの意図とその音楽の魅力を最大限に引き出さなくちゃいけません。弾き方によってその効果は半減もしますし、倍増もします。楽しみながらその魅力を自在に操れるようになりたいですねえ・・・
いつのことになるやら・・・(汗)
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Black Angels」より「Pavane Lachrymae」
先ほど言及があった、Black Angelsという四重奏曲の一部です。
Black Angelsはいろいろ構造的に、数字に関してもいろいろ面白いことがあるのですがそれは別の楽章の話にとっておきます。
Black Angelsは3つのセクション、13の楽章(4+5+4)から成っていますが、このPavane Lachrymaeはその第2セクション「Absence」の最初に位置しています。
カルテットのうち3人がシューベルトの「死と乙女」の引用を弾いて、もう1人は全く別の、不思議な虫の鳴き声みたいな音楽を奏でる2層構造になっています。
さきほど触れましたが「死と乙女」のパッセージは特殊奏法で弾かれます。
普通はバイオリンなどはボディの部分、ブリッジに近いところを弓で弾いて首の部分、つまりボディでなく頭に近い方を弦を左手で押さえて音程を操りますが、この曲ではその逆になります。
つまり首のほうを弓で弾いて、ブリッジの方を左手で押さえる。伝わるかな~(汗)
この奏法には「音を不安定にさせる」という効果があります。こういう風に弾くのになれていないということだけでなく、弦楽器において音程、というのは弦の長さの中央から対称になってるので左手の動き(というのかな)も逆になりますし、それから張力の高い部分を指で押さえ張力の低い部分を弓で弾くことで音程を操りにくくし同時に音色のintensityを弱くする・・・
全てクラムは計算済ですよ♪
このPavane Lachrymaeは実は楽譜には2バージョン書かれています。
一つは「死と乙女」がそのまま引用されてるバージョン。
もう一つは「別版」として「死と乙女」を演奏する際だんだんと音程を下げていくバージョン。(先ほど書きましたが)
どちらも録音があります。このカルテットをSignatureとしているクロノス・カルテットは1つめのバージョン、そしてBrodsky Quartetは2つめのバージョン。
全体的な演奏、解釈や雰囲気はクロノスが上ですがBrodskyの比較的トラディショナルながらクロノスとは別の意味でクラムらしい演奏、そしてこの音程の見事な下がりっぷりもまた捨てがたいです。
Black Angelsを聴くときはどちらの演奏でもいいですが、同時にどっちの演奏も比べて聴くのがベストです。
終わりみたいになっちゃいましたが(汗)この「音程の下がるエフェクト」が恐ろしく効果的で。
最初は気づかないのにだんだん確実に音程が下がってる!ちょっと気持ち悪いけどそれがきっと狙った効果なんだな、と。正に音楽が朽ちていく感じ。
(弾く方は3人同時なので下がる度合いを合わせるのが大変そうです!)
Black Angelsは例えば冒頭はわりと騒音的な部分もあって、初めてクラムを聴く人、20世紀音楽に耳が慣れている人(慣れている人でも)にはちょっときついところもあるかと思います。
でもそれでこの曲を敬遠しないで欲しいな、と本当に強く思います。この曲でしか味わえないような美もありますし、慣れとクラムの音楽について知ることで騒音的な部分の意味や感覚が分かるようになり、楽しめるようになる、と確信しているので。
全力でおすすめ。
一応Brodsky Quartetの演奏をリンクしますね。私はこちらから聴きました。サウンドは先ほど書きましたがこちらが従来の弦楽四重奏に近い感じです。あとトラック分けが各楽章になってるのも良いです(クロノスの録音は各セクションでトラック分け)。
そしてなんとカップリング曲がここで引用されたシューベルトの「死と乙女」四重奏曲(こちらも弦楽四重奏曲最高峰の一つ!)、ということで2つの名曲、そしてその繋がりまで楽しむことができますよ♪
どうも全体的にもたついてる感じです・・・
そうそう、昨日連絡があって、ユースオケが今度メシアンのトゥーランガリラ交響曲を弾くのですがそこでチェレスタパートを弾かせてもらえることになりました。やった!根回しした甲斐があった(爆)
あしたパート取りに行くのですが、大学在学中にスコアを見た限りソリスト扱いのピアノとあんまり変わらない感じだった記憶が。メシアン和音いっぱいあったような気がするんですよね~
実際に目立つところってのは少ないと思いますが。
久しぶりのチェレスタ、久しぶりのオケ、久しぶりの人前演奏。さらにメシアンのトゥーランガリラ!
気合いがいやでも入ります!たーんと楽しんで精一杯頑張りたいですね♪
ちなみにコンサートは7月2日と3日の2回。また追っていろいろ報告します。
音楽で面白いな~と思うことの一つに「引用」があります。
編曲(既にある曲全曲を別の楽器編成のためにアレンジする)ではなく、既存の曲の一部を自分の曲の中にそれとわかるように(わかりやすさの程度はまちまちですが)挿入すること。
ちょうど今日もイベールのDivertissementの「Cortege」という楽章でメンデルスゾーンの「結婚行進曲」(「真夏の夜の夢」)がちょろっと聞こえましたね。
引用っていうのはどんなにあからさまに挿入されてても引用の元を知らないとおもしろみが分からない、いわば内輪のジョークみたいなものなんですが・・・
面白いのが引用は必ずはっきりとした意図があって行われる行為で、どうしてその曲をそこで使ったか、どうやって使っているか(分かりやすさも含め)、そういうことを通じてなんとなく作曲家の心というか、ユーモアのセンスとかひねった表現力とかが分かるんですよね。
私の贔屓作曲家、クラムはやたらと・・・ではないですがかなり多く引用を使ってます。
引用の使い方についてはショスタコーヴィチとクラムはずば抜けて凄いセンスがあるような気がします。
引用は何を=What、どこで=Where, どうして=Why、そしてどうやって=How、使うというのが効果の大きさを左右するんですけど、クラムは特にHowの部分がすごいなあと。
なので今日はちょっとクラムの「引用」についてちょっと紹介します。
<What & Why>
クラムはほとんどの場合ご丁寧にも引用の部分、さらに引用元を書いてくれてます。
「鯨の声」では進化の中に現れる「人間」を表すのにリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」のパロディ化した一節を挿入したり(ちなみに言われるまで分からなかったです、私は)。
マクロコスモス第1巻第5楽章「Phantom Gondelier」では幽霊船頭の不思議な詠唱、その悪魔的な性質を表すためにベルリオーズの「ファウストの功罰」の一シーンで魔物達が創作言語で呼びかけている場面を引用したり。
あと「Eine Kleine Mitternachtmusik」の「Golliwog Revisited」では曲自体がドビュッシーの「子供の領分」の「Golliwog's Cakewalk」のパロディなのにそこにリヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲル」が姿を現したり。推測なんですが、この奇っ怪な、歪んだGolliwogの世界の中でさらにそれをかき回してくれる、というか・・・ユーモアと奇怪さをプラスする、という意図ではないかと思います。
<How>
クラムが凄い、と思うのは引用部分の、いわばプロデュースのしかた。
例えば絵でも文でも音楽でも、引用が使われてると「あ、これは○○だな」と思ったり、「ここでこれを持ち出すのは○○な意味があるのか」とか「ここでこれを持ち出すのは粋だな」とか思ったり、そういう効果があります。
でもクラムは引用を行うことで、本当に不思議で魔法のような、引用元の音楽自体とは違った、そしてそれ以上の意味と魅力を持つようになるんです。
まずは「Ancient Voices of Children」から「Todas los Tardes~」。バッハの「アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帳」からの一節がトイピアノで奏でられます。時が静止したようなこの雰囲気の中でいかに儚く、まるでふるいおもちゃのような音でこのシンプルな(子供を表すような)音楽が奏でられて朽ちていく。長い「世界」の時間の中で、あのバッハの音楽もまた朽ちていくのか・・・という感じです。
そして「Black Angels」の「Pavane Lachrymae」。ここではシューベルトの歌曲+弦楽四重奏「死と乙女」が引用されています。特殊奏法(今日の一曲参照)で、しかもだんだん奏者がピッチを低くしていきながら弾く、という。これもまた「朽ち」を感じますね。前者と同じ「死にゆく」感覚。
さらにマクロコスモス第1巻第11楽章「Dream Images (Love-Death Music)」にはショパンの「幻想即興曲」の一節が。現れては消える響きのなかにふっと現れて、ほどけて行く。まるで夢の中のような、そしてまるで切ない初恋の思い出のような(loveとdeathの内Loveを表していることは確かですね)。この時周りの音楽のスタイルやタッチをちゃんとクラム風に、そして引用部分をしっかりショパン風に弾く事でコントラスト的な効果が得られる、ということもありますが、引用の最後の部分をスローダウンした上にペダルでぼかすことによって本当にほどけていく、夢の中に溶けていくような感覚が。
そういう風にクラムの音楽において引用は「過去」だったり「時間の流れ」を示す(またはそれに関連している)よう使われていることが結構あるような気がします。振り返る、心持ち。
クラムに限りませんが、引用は「シンボル」なんですよね。十字架や、非常口サインといっしょで。形に意味を持たせ、注意を引き、すぐさまその形が何を表しているかぴんとくるようにする。
でもどっちかというと暗号ですよね。もともとそのシンボルが何を意味しているかわからないといけない。でもその周りの状況からどうしてその曲がそこに使われているか、どうして使われているかというのを推察することもできます。
クラムの音楽の「引用が醸し出す効果」というのは物凄いと思います。もともと空間と時間を操るというか、そういう感じがあるのですがそれをさらに引用という「シンボル」を使うことで自分の音楽、元の音楽の意味と効果を増幅させて。
もともと暗号とか、シンボルとかサインとか好きなのでやっぱそういうところに惹かれるのかな~
勿論弾くにしてもクラムの意図とその音楽の魅力を最大限に引き出さなくちゃいけません。弾き方によってその効果は半減もしますし、倍増もします。楽しみながらその魅力を自在に操れるようになりたいですねえ・・・
いつのことになるやら・・・(汗)
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Black Angels」より「Pavane Lachrymae」
先ほど言及があった、Black Angelsという四重奏曲の一部です。
Black Angelsはいろいろ構造的に、数字に関してもいろいろ面白いことがあるのですがそれは別の楽章の話にとっておきます。
Black Angelsは3つのセクション、13の楽章(4+5+4)から成っていますが、このPavane Lachrymaeはその第2セクション「Absence」の最初に位置しています。
カルテットのうち3人がシューベルトの「死と乙女」の引用を弾いて、もう1人は全く別の、不思議な虫の鳴き声みたいな音楽を奏でる2層構造になっています。
さきほど触れましたが「死と乙女」のパッセージは特殊奏法で弾かれます。
普通はバイオリンなどはボディの部分、ブリッジに近いところを弓で弾いて首の部分、つまりボディでなく頭に近い方を弦を左手で押さえて音程を操りますが、この曲ではその逆になります。
つまり首のほうを弓で弾いて、ブリッジの方を左手で押さえる。伝わるかな~(汗)
この奏法には「音を不安定にさせる」という効果があります。こういう風に弾くのになれていないということだけでなく、弦楽器において音程、というのは弦の長さの中央から対称になってるので左手の動き(というのかな)も逆になりますし、それから張力の高い部分を指で押さえ張力の低い部分を弓で弾くことで音程を操りにくくし同時に音色のintensityを弱くする・・・
全てクラムは計算済ですよ♪
このPavane Lachrymaeは実は楽譜には2バージョン書かれています。
一つは「死と乙女」がそのまま引用されてるバージョン。
もう一つは「別版」として「死と乙女」を演奏する際だんだんと音程を下げていくバージョン。(先ほど書きましたが)
どちらも録音があります。このカルテットをSignatureとしているクロノス・カルテットは1つめのバージョン、そしてBrodsky Quartetは2つめのバージョン。
全体的な演奏、解釈や雰囲気はクロノスが上ですがBrodskyの比較的トラディショナルながらクロノスとは別の意味でクラムらしい演奏、そしてこの音程の見事な下がりっぷりもまた捨てがたいです。
Black Angelsを聴くときはどちらの演奏でもいいですが、同時にどっちの演奏も比べて聴くのがベストです。
終わりみたいになっちゃいましたが(汗)この「音程の下がるエフェクト」が恐ろしく効果的で。
最初は気づかないのにだんだん確実に音程が下がってる!ちょっと気持ち悪いけどそれがきっと狙った効果なんだな、と。正に音楽が朽ちていく感じ。
(弾く方は3人同時なので下がる度合いを合わせるのが大変そうです!)
Black Angelsは例えば冒頭はわりと騒音的な部分もあって、初めてクラムを聴く人、20世紀音楽に耳が慣れている人(慣れている人でも)にはちょっときついところもあるかと思います。
でもそれでこの曲を敬遠しないで欲しいな、と本当に強く思います。この曲でしか味わえないような美もありますし、慣れとクラムの音楽について知ることで騒音的な部分の意味や感覚が分かるようになり、楽しめるようになる、と確信しているので。
全力でおすすめ。
一応Brodsky Quartetの演奏をリンクしますね。私はこちらから聴きました。サウンドは先ほど書きましたがこちらが従来の弦楽四重奏に近い感じです。あとトラック分けが各楽章になってるのも良いです(クロノスの録音は各セクションでトラック分け)。
そしてなんとカップリング曲がここで引用されたシューベルトの「死と乙女」四重奏曲(こちらも弦楽四重奏曲最高峰の一つ!)、ということで2つの名曲、そしてその繋がりまで楽しむことができますよ♪
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
一つお断りしておきたいのはあのエントリーで紹介した曲にかかわらず敷居や先入観さえ取り払えばほとんどの曲は一聴きしてみる価値がありますし、それこそタイトルとかCDのジャケットとかで選んじゃってもけっこういけると思います。
基本「今日の一曲」で紹介している曲も特別に断りがなければ初心者でもオッケーなものばかりです。(私があんなに詳しく書いちゃうので聴く気を削がれる方もいるだろうとは思いますが)
とはいえやはりクラシックのレパートリーの広さ、種類の多さはすごいのでここで紹介したり、あとそのうち「スタート地点からの広げ方」についても調子に乗って書いてみたいと思います。
ここ数日ちょっと自分の中の調子が変わってきてるようで。
4月も終わりだしそんなに調子も変わらないなあ、とか心配は大袈裟なのかな、とか思ってたところに。
普段の気分(mood)にぶれというか揺れが出てきた、というか。Volatileと呼ぶほどでないけど不安定さが見え隠れ。
いらいらというほどでもないけどそわそわするし、集中力は切れがち、思考がもたついたり迷ったり。
調子が悪い、というのは大袈裟かな・・・と思いますが確かに徴候はあり。
どうやら自分の中に冬が来たようです。
ということで記念でもなんでもないですがメンタルヘルス関係の話で。
例えば鬱はカテゴリーで言うと「気分障害」に別けられます。
(この名前がなんだかぎこちないですがねえ・・・仕事をしてると医学関係の日本語全般「ぎこちないなあ」とか思うんですが精神医学関連では「違うな!」と思う言葉が多いです。統合失調症のように変えられた物もありますが・・・ぶつぶつ)
「気分障害」というカテゴリ名、それから「鬱」という言葉が病気以外でも「気持ちが沈むこと」を意味することから、周りの人としても、患者さん自身としても感情に関する症状に目が行きがちだと思います。
でも鬱は感情のみに影響を及ぼすわけではありません。そして症状は結構目に見えるのですが、事前知識がないために見落とされることが多かったりもします。
ちょっと脱線?感情に関する症状がでるのはそもそも脳の「感情を司るところ」よりも「感情を制御するところ」の働きの問題に関するものらしいです。つまりは前頭葉、集中力や理性、論理的思考も司る場所。なのでそこらへんが一緒に影響を受けるのは珍しくもなんともない、ということ。
心の病気にはざっくり分けるとこんな症状グループがあります。
1) 感情に影響を及ぼす症状 (鬱、躁、感情不安定など)
2) 身体に影響を及ぼす症状 (疲労、痛み、吐き気など)
3) 思考に影響を及ぼす症状 (過度なネガティブ思考、誇大妄想、妄想など、非論理的な思考)
4) 認知機能に影響を及ぼす症状 (記憶、計算力など)
5) 行動に影響を及ぼす症状 (やけ食い、攻撃的な行動、自傷など)
あと幻覚など現実認識に影響する症状(精神病症状って言われてますがなんか名前が・・・)など、他にもいろいろあります。
特定の病気においてこれらの症状のどれがどれくらい強く表れるかは人それぞれ。
そして長期で病気を患うと時と共に変わることももちろんあり。(精神疾患の診断名ってあやふやなところはありますから症状が変わって診断名が変わることも)
年齢層でもこの症状のバランスって変わると思います。
例えば子供だと感情の表現がまだうまくできなく行動に症状が強く表れたり。
思春期だとホルモンの働きもあり感情が不安定になり感情症状が強く表れたり。
もちろんそれだけに限りませんが。
精神医で「専門分野」として年齢層での専門もありますが、特定の病気について知識が深い、というだけでなく年齢によっての症状の表れ方とか対処の仕方、特定の年齢層の患者さんとの接し方を熟知しているということもあるんだろうな。
(何回か書いてますが私のドクターは若い人専門です)
感情症状っていうのは周りの人からみてやっぱり気づきやすいのかな、と思います。「通常の域」を超えた場合明らかに何かがおかしいぞ、という(ただ軽度だと気づきにくいと思います)。
思考症状は自分でも気づきにくいところありますし(気づきにくく、正しにくく、悪循環に陥りやすい)、身体症状は例えば頭痛とかだったら風邪とかかもしれないですし。認知症状も一番最初は主観的な感覚なのかなあ・・・
幻覚は主観的な感覚が多いですし。
じゃあ行動症状は?というと・・・本来自分よりも周りが先に気づくものではないかと思います。
ちょっと最近お酒が増えてきてるんじゃない?とか。
貧乏揺すりとかが尋常じゃないんじゃないレベルだよ、とか。
ちょっと行動が軽率というか衝動的になってないか、とか。
で、ここでなんでぐるぐるしているかというと精神疾患、またはそれに至らない心の不調の早期発見、早期介入についてはいろいろ話がありますが・・・患者さん自身の目の付け所と周りの人の目の付け所は違うんだろうな、とぼんやり思ってたんです。
自分では気づけないこともありますし、自分でしか気づけないこともある。
どうやってそこをケアに生かすか・・・
・・・ということをぐるぐるしてるのですがどうも自分調子が乗りません。
10年ほど前は思春期まっただなか、感情関連、行動関連、思考関連の症状がどんと前にでてましたが・・・
時と学習で大分変わりました。ここ数年だとやっぱりそわそわ、いらいら、集中力の低下、思考力の低下などが最初のサインであとは感情症状が(両方向)ある程度。
前と比べると随分楽にはなりましたがねえ・・・
あなどっちゃいけないな、と改めて思います。そして早めに気づけるのは幸いだ、と。
明日はレクチャーがあります。聴覚と音の認識に関するレクチャーで。
生物的な側面が強い、というか感覚(Perception)については大学1年の心理学、認知神経科学のくくりでやったので少なくとも話は分かるし楽しいかなと思います。
なのできっとブログはお休みですが学んで来ます~
今日の一曲: Shiny Entertainmentのゲーム「Sacrifice」より Persephoneサウンドトラック (Kevin Manthei作曲)
(一応Youtubeに上がってました)
今日はちょっと趣向を変えて。最近アクティブにやってるわけじゃないんですけど、心にひっかかるところいろいろあるゲームです。
敷居が高い、というわけではないんですが一人称視点リアルタイム戦略ゲームでRPG要素もあるので調子が悪い時は真っ先にできなくなるのです(汗)
Sacrifice。Shiny Entertainmentにより2000年に作られたファンタジーリアルタイム戦略ゲームです。
主人公は自分の住んでいた世界で呼び出した悪魔に世界を滅ぼされ、たどり着いたのが5柱の神々の住む世界。そこで神々に仕えることになり、神々の様々な思惑に巻き込まれながら自分が呼び出した悪魔と再開し、対戦する・・・というようなお話。
5柱の神々はそれぞれ領土(天空に浮いた島々)を持っていて、誰の領土にいるかによってBGMが変わります。(戦闘時は戦闘の音楽になります)
Persephoneは生命の女神。正義と包容力をうりにしてますが、自分にとっての「正しい」が真実の「正しい」だと思いこんでいる困ったおばさんでもあります。
Persephoneはこのゲームのチュートリアルを管轄する神でもあるので、このゲームを始めてプレイヤーが初めて出会う神でもあります。(だからこそ印象にもっとも残る音楽でもあります)
それはまあ初めてこのゲームのストーリーをすすめるならPersephoneがお勧めだよ、という示唆でもあり。実際彼女が与えてくれる戦闘用の魔法やクリーチャーはバランスが良いらしいです。
ゲーム内の音楽は結構最近好きです。よくできてるなあ、と。
オケとデジタルメディアをミックスしたり、様々な文化の音楽を取り入れてるし、音楽自体のクオリティもなかなか。
そしてそれぞれの神の領土のCG風景に音楽がいいことマッチする。
Persephoneの音楽はドラムと合唱とオケのコンビが魅力的。
時に暗くなり雨が降ったり、光が差したりする常春(常夏?)の緑のジャングルにも似た風景に本当にわくわくします。
今日なんで朝起きてすぐに、そしてそれからちょくちょく自分の心にこの音楽が戻ってくるのはなぜなのかしら。
一つお断りしておきたいのはあのエントリーで紹介した曲にかかわらず敷居や先入観さえ取り払えばほとんどの曲は一聴きしてみる価値がありますし、それこそタイトルとかCDのジャケットとかで選んじゃってもけっこういけると思います。
基本「今日の一曲」で紹介している曲も特別に断りがなければ初心者でもオッケーなものばかりです。(私があんなに詳しく書いちゃうので聴く気を削がれる方もいるだろうとは思いますが)
とはいえやはりクラシックのレパートリーの広さ、種類の多さはすごいのでここで紹介したり、あとそのうち「スタート地点からの広げ方」についても調子に乗って書いてみたいと思います。
ここ数日ちょっと自分の中の調子が変わってきてるようで。
4月も終わりだしそんなに調子も変わらないなあ、とか心配は大袈裟なのかな、とか思ってたところに。
普段の気分(mood)にぶれというか揺れが出てきた、というか。Volatileと呼ぶほどでないけど不安定さが見え隠れ。
いらいらというほどでもないけどそわそわするし、集中力は切れがち、思考がもたついたり迷ったり。
調子が悪い、というのは大袈裟かな・・・と思いますが確かに徴候はあり。
どうやら自分の中に冬が来たようです。
ということで記念でもなんでもないですがメンタルヘルス関係の話で。
例えば鬱はカテゴリーで言うと「気分障害」に別けられます。
(この名前がなんだかぎこちないですがねえ・・・仕事をしてると医学関係の日本語全般「ぎこちないなあ」とか思うんですが精神医学関連では「違うな!」と思う言葉が多いです。統合失調症のように変えられた物もありますが・・・ぶつぶつ)
「気分障害」というカテゴリ名、それから「鬱」という言葉が病気以外でも「気持ちが沈むこと」を意味することから、周りの人としても、患者さん自身としても感情に関する症状に目が行きがちだと思います。
でも鬱は感情のみに影響を及ぼすわけではありません。そして症状は結構目に見えるのですが、事前知識がないために見落とされることが多かったりもします。
ちょっと脱線?感情に関する症状がでるのはそもそも脳の「感情を司るところ」よりも「感情を制御するところ」の働きの問題に関するものらしいです。つまりは前頭葉、集中力や理性、論理的思考も司る場所。なのでそこらへんが一緒に影響を受けるのは珍しくもなんともない、ということ。
心の病気にはざっくり分けるとこんな症状グループがあります。
1) 感情に影響を及ぼす症状 (鬱、躁、感情不安定など)
2) 身体に影響を及ぼす症状 (疲労、痛み、吐き気など)
3) 思考に影響を及ぼす症状 (過度なネガティブ思考、誇大妄想、妄想など、非論理的な思考)
4) 認知機能に影響を及ぼす症状 (記憶、計算力など)
5) 行動に影響を及ぼす症状 (やけ食い、攻撃的な行動、自傷など)
あと幻覚など現実認識に影響する症状(精神病症状って言われてますがなんか名前が・・・)など、他にもいろいろあります。
特定の病気においてこれらの症状のどれがどれくらい強く表れるかは人それぞれ。
そして長期で病気を患うと時と共に変わることももちろんあり。(精神疾患の診断名ってあやふやなところはありますから症状が変わって診断名が変わることも)
年齢層でもこの症状のバランスって変わると思います。
例えば子供だと感情の表現がまだうまくできなく行動に症状が強く表れたり。
思春期だとホルモンの働きもあり感情が不安定になり感情症状が強く表れたり。
もちろんそれだけに限りませんが。
精神医で「専門分野」として年齢層での専門もありますが、特定の病気について知識が深い、というだけでなく年齢によっての症状の表れ方とか対処の仕方、特定の年齢層の患者さんとの接し方を熟知しているということもあるんだろうな。
(何回か書いてますが私のドクターは若い人専門です)
感情症状っていうのは周りの人からみてやっぱり気づきやすいのかな、と思います。「通常の域」を超えた場合明らかに何かがおかしいぞ、という(ただ軽度だと気づきにくいと思います)。
思考症状は自分でも気づきにくいところありますし(気づきにくく、正しにくく、悪循環に陥りやすい)、身体症状は例えば頭痛とかだったら風邪とかかもしれないですし。認知症状も一番最初は主観的な感覚なのかなあ・・・
幻覚は主観的な感覚が多いですし。
じゃあ行動症状は?というと・・・本来自分よりも周りが先に気づくものではないかと思います。
ちょっと最近お酒が増えてきてるんじゃない?とか。
貧乏揺すりとかが尋常じゃないんじゃないレベルだよ、とか。
ちょっと行動が軽率というか衝動的になってないか、とか。
で、ここでなんでぐるぐるしているかというと精神疾患、またはそれに至らない心の不調の早期発見、早期介入についてはいろいろ話がありますが・・・患者さん自身の目の付け所と周りの人の目の付け所は違うんだろうな、とぼんやり思ってたんです。
自分では気づけないこともありますし、自分でしか気づけないこともある。
どうやってそこをケアに生かすか・・・
・・・ということをぐるぐるしてるのですがどうも自分調子が乗りません。
10年ほど前は思春期まっただなか、感情関連、行動関連、思考関連の症状がどんと前にでてましたが・・・
時と学習で大分変わりました。ここ数年だとやっぱりそわそわ、いらいら、集中力の低下、思考力の低下などが最初のサインであとは感情症状が(両方向)ある程度。
前と比べると随分楽にはなりましたがねえ・・・
あなどっちゃいけないな、と改めて思います。そして早めに気づけるのは幸いだ、と。
明日はレクチャーがあります。聴覚と音の認識に関するレクチャーで。
生物的な側面が強い、というか感覚(Perception)については大学1年の心理学、認知神経科学のくくりでやったので少なくとも話は分かるし楽しいかなと思います。
なのできっとブログはお休みですが学んで来ます~
今日の一曲: Shiny Entertainmentのゲーム「Sacrifice」より Persephoneサウンドトラック (Kevin Manthei作曲)
(一応Youtubeに上がってました)
今日はちょっと趣向を変えて。最近アクティブにやってるわけじゃないんですけど、心にひっかかるところいろいろあるゲームです。
敷居が高い、というわけではないんですが一人称視点リアルタイム戦略ゲームでRPG要素もあるので調子が悪い時は真っ先にできなくなるのです(汗)
Sacrifice。Shiny Entertainmentにより2000年に作られたファンタジーリアルタイム戦略ゲームです。
主人公は自分の住んでいた世界で呼び出した悪魔に世界を滅ぼされ、たどり着いたのが5柱の神々の住む世界。そこで神々に仕えることになり、神々の様々な思惑に巻き込まれながら自分が呼び出した悪魔と再開し、対戦する・・・というようなお話。
5柱の神々はそれぞれ領土(天空に浮いた島々)を持っていて、誰の領土にいるかによってBGMが変わります。(戦闘時は戦闘の音楽になります)
Persephoneは生命の女神。正義と包容力をうりにしてますが、自分にとっての「正しい」が真実の「正しい」だと思いこんでいる困ったおばさんでもあります。
Persephoneはこのゲームのチュートリアルを管轄する神でもあるので、このゲームを始めてプレイヤーが初めて出会う神でもあります。(だからこそ印象にもっとも残る音楽でもあります)
それはまあ初めてこのゲームのストーリーをすすめるならPersephoneがお勧めだよ、という示唆でもあり。実際彼女が与えてくれる戦闘用の魔法やクリーチャーはバランスが良いらしいです。
ゲーム内の音楽は結構最近好きです。よくできてるなあ、と。
オケとデジタルメディアをミックスしたり、様々な文化の音楽を取り入れてるし、音楽自体のクオリティもなかなか。
そしてそれぞれの神の領土のCG風景に音楽がいいことマッチする。
Persephoneの音楽はドラムと合唱とオケのコンビが魅力的。
時に暗くなり雨が降ったり、光が差したりする常春(常夏?)の緑のジャングルにも似た風景に本当にわくわくします。
今日なんで朝起きてすぐに、そしてそれからちょくちょく自分の心にこの音楽が戻ってくるのはなぜなのかしら。
いつになく長いタイトルですが・・・
結構前から「クラシックをあんまり知らない人にCDを一枚買ってクラシックを好きになってもらうとしたら何を勧めるか」ということをちょこちょこ考えた事が何度もあって。
それをちょこちょこ暫定チョイスとして今日は書き出したいと思います。
基本的に自分が考える事は:
1)とっつきやすさ
2)クオリティの高さ
3)弾いてる楽器(さらにその組み合わせ)の魅力を最大限に
4)作曲家の魅力の最大限に
5)1回だけでなく長く(できれば一生)楽しめる、深さのある曲
6)音楽の可能性を最大限に表す曲
さらには自分が魅力を感じる曲を選ぶこと(もちろん例外はあります)、それから「好きになって欲しい!」と思う気持ちを大切にする、ということを考慮しています。
毎回自分の中でこの話になると最初に思いつくし一番納得がいくのがホルストの「惑星」ですね。
日本でもカバーされて(というかそれ以前に)「木星」は本当に有名ですし、親しみやすいですし。
火星もテレビでたまに使われてますし。
あと交響曲だと各楽章に多少の違いはあっても一楽章嫌いだと他も嫌いになりそうな気がするんですよね。あとは交響曲だと全部の楽章で一つ、というのがあるので1楽章ずつ聞いてもぴんとこなかったり、各楽章が長かったり。
そういう問題点を「惑星」は全部クリアしてるんですよね。
7つの楽章は全て性格が異なり、一つだけで聞いても遜色なく。各楽章は10分を超えることも無いです。
「惑星」は本当に一生ものだと思っています。
一番ポピュラーな木星から入って、時と共に他の惑星にまた違った魅力を覚えて。そして既に知ってる惑星にもどんどん新しい発見ができて。
私の経験だと9歳頃に木星と初めまして→火星→金星→天王星→海王星→水星→土星の順に愛着が湧きました。今でも木星や火星で「ええ、こここんなんだったんだ!」というのがありますし(スコアも持ってますが)、なによりも土星海王星にどっぷりで。
オーケストラの魅力といえば「惑星」はピカイチで。オーケストラのでっかいスケールだったり、細部までのディテールだったり、音色の複雑さ、美しさ。各楽器、ソロ楽器、そしてアンサンブルの魅力全部高レベル。聴き手が体験する「経験」としても本当に深いです。
さらに「惑星」は冨田勲のシンセサイザーバージョンもあって違った味わいができるそうです。
他にも何曲か欲しいなあ~と思った時やっぱり詰まるんですよね。
「惑星」がダントツですから。
で、悩んだ上に次に思いついたのがベルリオーズの「幻想交響曲」です。
なんというかまず最初に単純に面白いかな~と。
あとはオケの魅力楽器の魅力に関してももちろん凄いですし。
それから言葉なしで音楽で「ストーリーを語る」ということに関しては本当に表現豊かですし、そして音楽とそれを書いた作曲家のエピソードや関係だったり、そういうのにはまるきっかけにもなると思います。
有名な第4楽章の「断頭台への行進」だったり、第5楽章の魔物達のどんちゃん騒ぎだったり・・・何よりもまず、面白いと思うんですよねえ。(そして面白いだけじゃすまないところがまた。)
あとはなんとなくこう、普段からみんなもっとマーラーの音楽の素晴らしさを知ってもらいたい!という気持ちがあって。
それならやっぱり交響曲、そしてやっぱり1番かな~・・・
交響曲第1番がマーラーの魅力を全て表すかというとそうではないんですよね。初期の作品ですし。でも「お、すごいなこの音楽」と興味を持ってもらうにはいいかな、と思います。
物凄く魅力が詰まってますもの、この交響曲。日本人の自然好きに訴えかける感じの性質を持っていると思いますし、あとファンタジーが好きな人にはうけがいいかも、と思ってます(第4楽章)
上記オケのスケール、マクロとミクロの表現力に関してはどんなマーラーの曲も最高峰のものを持ち合わせていて。あと第3楽章のカノンで本当にいろんな楽器の音が聞けるのもあり。
ここで第1番が好きでもそうでなくても次は5番をお勧めしたいですね。
そしてなんか、巷で思われている美しいとか癒しとか、メロディーが美しいとかそういうクラシック音楽のイメージをちょっと崩してみたりしたい気持ち、そして聴き手をちょっと驚かして見たい気持ち。
そうなるとストラヴィンスキーの「春の祭典」はやっぱり外せない。
ディズニーのファンタジア(初代)で知ってる人も多いとは思いますが、初めてでもなんとなく知ってる人でも音楽やってる人でも改めて聞いてびっくり、という声が多く。(この曲で音楽史がひっくりかえりましたからね~その新鮮さが今でも色あせない!というのも不思議です)
決して聞きにくい曲ではないんですよね。とってもエキサイティングで、本能に訴えかけてくるような音楽。
そして最後に「音楽の闇に関する可能性」の広さと深さをいかに体感してもらえるか、ということも。
そうだとやっぱり(特に若い人に対しては)ショスタコーヴィチだな、でも第5番だと「闇」に関してはまだまだかなー・・・晩期の曲だととっつきやすくはないですしスケール、インパクトとしてはじわじわ系統だし・・・うーん・・・
となるとこの目的に特化した曲と言えばやっぱり交響曲第11番「1905年」でしょうかね。
もちろん先ほどの特徴は備えています。ただこの残虐さ、恐怖、恐ろしさの表現はMAX級で、とてつもなく非日常な体験を味わうことができ。
先ほどのベルリオーズと同じくストーリー性が強い曲であり、この曲の背景を通じて作曲家のこと、時代背景などのエレメントとの繋がりを知ることにもつながり。
結局うだうだと書いてしまいましたが結局「惑星」を超えるお勧めが見つからなかった、ということで。
繰り返しになりますがホルストの「惑星」はCD一枚で長く楽しめる曲だと本当に思います。
どっぷりはまって聞くだけじゃなく、車でかけたり食事の時にかけたり(実はそれが私にとっての木星との出会いです)、BGMみたいに聞き流すようにかけても(全部の楽章があてはまるわけではないですが)いろいろな場面で楽しめる曲です。
今日の一曲はお休みです~
(なぜかというと幻想とか惑星とかは既に数楽章使ってしまったからちょとけちってるんですよ~また別の機会に。)
結構前から「クラシックをあんまり知らない人にCDを一枚買ってクラシックを好きになってもらうとしたら何を勧めるか」ということをちょこちょこ考えた事が何度もあって。
それをちょこちょこ暫定チョイスとして今日は書き出したいと思います。
基本的に自分が考える事は:
1)とっつきやすさ
2)クオリティの高さ
3)弾いてる楽器(さらにその組み合わせ)の魅力を最大限に
4)作曲家の魅力の最大限に
5)1回だけでなく長く(できれば一生)楽しめる、深さのある曲
6)音楽の可能性を最大限に表す曲
さらには自分が魅力を感じる曲を選ぶこと(もちろん例外はあります)、それから「好きになって欲しい!」と思う気持ちを大切にする、ということを考慮しています。
毎回自分の中でこの話になると最初に思いつくし一番納得がいくのがホルストの「惑星」ですね。
日本でもカバーされて(というかそれ以前に)「木星」は本当に有名ですし、親しみやすいですし。
火星もテレビでたまに使われてますし。
あと交響曲だと各楽章に多少の違いはあっても一楽章嫌いだと他も嫌いになりそうな気がするんですよね。あとは交響曲だと全部の楽章で一つ、というのがあるので1楽章ずつ聞いてもぴんとこなかったり、各楽章が長かったり。
そういう問題点を「惑星」は全部クリアしてるんですよね。
7つの楽章は全て性格が異なり、一つだけで聞いても遜色なく。各楽章は10分を超えることも無いです。
「惑星」は本当に一生ものだと思っています。
一番ポピュラーな木星から入って、時と共に他の惑星にまた違った魅力を覚えて。そして既に知ってる惑星にもどんどん新しい発見ができて。
私の経験だと9歳頃に木星と初めまして→火星→金星→天王星→海王星→水星→土星の順に愛着が湧きました。今でも木星や火星で「ええ、こここんなんだったんだ!」というのがありますし(スコアも持ってますが)、なによりも土星海王星にどっぷりで。
オーケストラの魅力といえば「惑星」はピカイチで。オーケストラのでっかいスケールだったり、細部までのディテールだったり、音色の複雑さ、美しさ。各楽器、ソロ楽器、そしてアンサンブルの魅力全部高レベル。聴き手が体験する「経験」としても本当に深いです。
さらに「惑星」は冨田勲のシンセサイザーバージョンもあって違った味わいができるそうです。
他にも何曲か欲しいなあ~と思った時やっぱり詰まるんですよね。
「惑星」がダントツですから。
で、悩んだ上に次に思いついたのがベルリオーズの「幻想交響曲」です。
なんというかまず最初に単純に面白いかな~と。
あとはオケの魅力楽器の魅力に関してももちろん凄いですし。
それから言葉なしで音楽で「ストーリーを語る」ということに関しては本当に表現豊かですし、そして音楽とそれを書いた作曲家のエピソードや関係だったり、そういうのにはまるきっかけにもなると思います。
有名な第4楽章の「断頭台への行進」だったり、第5楽章の魔物達のどんちゃん騒ぎだったり・・・何よりもまず、面白いと思うんですよねえ。(そして面白いだけじゃすまないところがまた。)
あとはなんとなくこう、普段からみんなもっとマーラーの音楽の素晴らしさを知ってもらいたい!という気持ちがあって。
それならやっぱり交響曲、そしてやっぱり1番かな~・・・
交響曲第1番がマーラーの魅力を全て表すかというとそうではないんですよね。初期の作品ですし。でも「お、すごいなこの音楽」と興味を持ってもらうにはいいかな、と思います。
物凄く魅力が詰まってますもの、この交響曲。日本人の自然好きに訴えかける感じの性質を持っていると思いますし、あとファンタジーが好きな人にはうけがいいかも、と思ってます(第4楽章)
上記オケのスケール、マクロとミクロの表現力に関してはどんなマーラーの曲も最高峰のものを持ち合わせていて。あと第3楽章のカノンで本当にいろんな楽器の音が聞けるのもあり。
ここで第1番が好きでもそうでなくても次は5番をお勧めしたいですね。
そしてなんか、巷で思われている美しいとか癒しとか、メロディーが美しいとかそういうクラシック音楽のイメージをちょっと崩してみたりしたい気持ち、そして聴き手をちょっと驚かして見たい気持ち。
そうなるとストラヴィンスキーの「春の祭典」はやっぱり外せない。
ディズニーのファンタジア(初代)で知ってる人も多いとは思いますが、初めてでもなんとなく知ってる人でも音楽やってる人でも改めて聞いてびっくり、という声が多く。(この曲で音楽史がひっくりかえりましたからね~その新鮮さが今でも色あせない!というのも不思議です)
決して聞きにくい曲ではないんですよね。とってもエキサイティングで、本能に訴えかけてくるような音楽。
そして最後に「音楽の闇に関する可能性」の広さと深さをいかに体感してもらえるか、ということも。
そうだとやっぱり(特に若い人に対しては)ショスタコーヴィチだな、でも第5番だと「闇」に関してはまだまだかなー・・・晩期の曲だととっつきやすくはないですしスケール、インパクトとしてはじわじわ系統だし・・・うーん・・・
となるとこの目的に特化した曲と言えばやっぱり交響曲第11番「1905年」でしょうかね。
もちろん先ほどの特徴は備えています。ただこの残虐さ、恐怖、恐ろしさの表現はMAX級で、とてつもなく非日常な体験を味わうことができ。
先ほどのベルリオーズと同じくストーリー性が強い曲であり、この曲の背景を通じて作曲家のこと、時代背景などのエレメントとの繋がりを知ることにもつながり。
結局うだうだと書いてしまいましたが結局「惑星」を超えるお勧めが見つからなかった、ということで。
繰り返しになりますがホルストの「惑星」はCD一枚で長く楽しめる曲だと本当に思います。
どっぷりはまって聞くだけじゃなく、車でかけたり食事の時にかけたり(実はそれが私にとっての木星との出会いです)、BGMみたいに聞き流すようにかけても(全部の楽章があてはまるわけではないですが)いろいろな場面で楽しめる曲です。
今日の一曲はお休みです~
(なぜかというと幻想とか惑星とかは既に数楽章使ってしまったからちょとけちってるんですよ~また別の機会に。)
今日のトピックはちょっと好みが分かれるかな・・・
前回のブログにちょろっと書きましたがフェデリコ・ガルシア・ロルカの詩集の2冊目が届きました!
昨日読み終えた1冊目とは違って分厚い!重い!いま量ったら1300gだそうで(汗)
でもどうも全集ではない感じです。クラムが歌詞として使った詩でこの2冊のどっちにも入ってない物も少数ありますし。
なにはともあれとりあえずポーとボードレールを先に読んでゆっくりこの分厚い本を攻略していきたいとおもいます。
いろいろぱらぱらとめくってみたり、ランダムに開いてどんな詩があるか見てみたり。
序章にもちょっとだけ目を通してみました。ちょっと目を引いたくだりがあって。
ロルカとその詩を知る人の中では知られていることらしいのですがロルカは同性愛者だったと言われていて。
まだ見つけられてない映画Little Ashesでは若き頃のロルカとダリの同性愛関係が描かれているそう。(どこまで事実なのかは不明確らしいですが)
この詩集の序章によると、思春期あたりからロルカは肉体の愛に対してためらいというか嫌悪というか、そういう気持ちを抱いていたらしく。
同時に彼の心と欲を満たせる女性はいないだろう、と自覚していたらしいです。
女性が嫌いで男性が好き、なのではなかった。彼の詩を読んでもそれは分かります。
この序章によると彼が心に抱く理想、「女性像」というのは「不可能」だったり「遠くの女性」だったり「白い光」、「美の権化」で・・・
つまり彼は現実の女性が愛せないのだと。彼が憧れるのはまるで神話のような、神格化されたともいえる女性像ということらしいです。
彼の詩の女性ってものすごく神秘的な雰囲気で、どこか非現実的な空気があって。でも本当に彼の女性観を表しています。
この本を読む前、偶然にも自分に関して似たような事を考えていました。
基本男性も女性も恋愛対象として見れる、というか男性にも女性にもそれぞれ違う魅力があって、男という生き物も女という生き物も好きですし、どちらとも付き合ってもいいな、と思います。
好きになった人が女性でも(相手のことを考えて悩むことはあっても)少なくともそれを自分の中で否定したりすることはないとはっきり言えます。
ただ実際に特定の女性を好きになったことはないんですよね。「この人は?」「この人は?」と自問して確かに魅力は感じてもなんだかなんか・・・違う気がして。
それでもやはり「女性」にもそういう見方というか感じ方はするし、なんでだろう・・・と思ってたのですが。
つまりは自分の「理想の女性」というのが例えば女性ならではの強さとしたたかさ、賢さと優しさ、少女のような無垢さとか母性とかを持ち合わせている、まるで女神のような女性なんですよね。
(これに気づいたきっかけがTVでミロのヴィーナスみてて体格的に「あれくらいがいいよなあ」と思ったことでした。そういえばこういう健康的な体型の女性って減ってるな―と。拒食症の社会文化的な面を考えて自分の好みを考えてたら上記結論にたどり着きました)
創作でも私は女性メインキャラクターをなんというか神話化?する傾向があります。
そのキャラクターを創り上げる過程での思い入れの強さは勿論、やはり自分の中の「女性」を形にしている感覚はあるのかもしれない、と今では思います。
ひっくるめてロルカの世界に惹かれるのもまたそういう共通点があるのかなーとか。
ここまでの話だけだったらまあブログに書くほどでもないな、と思ってたのですが昨日何時間かしてからもう一人同じ傾向を持つ人を思い出しました。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。有名なロシアの作曲家で同性愛者だったことも今は広く知られています。
彼もまた女性が嫌いなのではなく、実際好きだったのですが恋愛となると別の話だったそうで。
彼が女性を神格化していた、という証言は覚えてる限りないのですが(美の対象ではあった、という話は聞いています)、でも彼のバレエ作品には本当にそれが表れています。
まず女性の美と繊細さを主に表現するバレエのための音楽を多く書いた、ということ。
そして彼の三大バレエ「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」に出てくる女性の描写。
もともとバレエってどこでも女性が美しく繊細で強くて、男性はわりと甲斐性無しのキャラクターが多く。
でもチャイコフスキーが音楽を書いたバレエのヒロインってやっぱり輝きますよね。くるみ割りのクララや金平糖の精、眠れる森の美女での王女や妖精達、そしてなんといっても白鳥の湖のオデット!
バレエも音楽といっしょで振り付け・踊りをする人によって解釈が変わりますがオデットって衣装でもわかると思いますがずーっとどこでもイメージが一緒なんですよね。不変の存在。
とても繊細で儚く、神秘的で美しく。純潔の白、そして極めて精神的な存在。なんというか「究極の存在」な気がします。女性としてのみではなく。
テレビとかで「男は女に夢を持ちたい」というようなことを聞いたことがあります。
まあ異性に幻想を抱くのは男性も女性も一緒と思いますが、でも女性は意外と現実的なものの見方をするステレオタイプみたいなものがありますしね。
この男性が(男に限らず、私を含む)女性にたいして抱く幻想、理想の女性像だけでなく「女性というのはこういうもの」というイメージはフロイトに言わせると子供のころの「母親のイメージ」なんだ、ということなんでしょうかね。いわゆる「アニマ」というコンセプトで。男性の中に住んでいる「女性の存在」。必ずしも「理想」ではなく女性というものはこういうもの、というイメージ。
つまりはそういう各々の「イメージ」がその人にとって「現実」であり、イメージに一致する女性は自分の中の現実と一致して安心をもたらす。
ロルカのようにあまり神格化されたアニマ=女性像をもっていると実在している女性が「違う」と感じる。こういうことですかね。
(ちなみに今のフロイトのくだりは心の謎を探る会編「犯罪心理が面白いほど分かる本」を参考にしています。)
あまりここらへんの事情には詳しくないのですが例えば「二次元の女性」を好きになることもこれに関わってるんじゃないのかな、と思います。
先ほどの私の例をもてくると創作物の女性キャラクターっていうのは創り手のアニマの反映なので様々な程度で神格化された存在である、と。
そういう存在を理想としたりアニマとし、女性とはこういうものだというイメージを抱いてしまうと現実の世界の女性を「違う」と感じてしまう・・・・という事ですね。フロイトのコンセプトを現代に応用編。もちろん素人考えですが。
少なくとも自分にとっては面白いな、と思ったトピックなのでまとめてみました。
実際「女性も好きっていうけど実際どうして女性に恋をしたことがないのだろう?」とこないだまで迷ってたので出口が見つかって私はちょっと安心しました。安心して余裕ができたことでこう話が広がったのですが(笑)
2冊目のロルカ詩集を読むときは「女性」の存在も強く感じたいですね。共感。
そしてロルカの作品についてはまた別の機会に。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「白鳥の湖」第2幕よりPas d'Action
持ってるCDにはPas d'Actionとありますが私はこの曲を「グランド・パ・ドゥ・ドゥ」だと思ってました。調べたら「グランド・アダージョ」という名も見つかります。
バレエは結構曲の順番入れ替えたりとか多いのでそういうものなのかな・・・
とにかく第2幕の一番の見せ場です。(一番有名なのは幕の最初の有名な「情景」とこのちょっと前の「小さな白鳥の踊り」ですが)
王子が白鳥狩りに出かけたところなんと白鳥が人間に変わるじゃないか!それもその一羽(一人)が来て撃たないでくださいと懇願、王子たち人間と白鳥たち(悪い魔法使いに白鳥に姿を変えられた娘達)が団らんする・・・という下りなのですが、余興のように白鳥たち、小さな白鳥たちが踊る(いわゆる浦島太郎の鯛・ヒラメですね)中、王子と先ほど懇願したリーダー白鳥オデットが恋に落ち二人でロマンチックな踊りを踊る、それがこの曲です。
本当に美しい曲です。前半には長い長いバイオリンのソロがあるのですが、なぜか後半で繰り返しとして表れる(同じメロディ-)チェロソロの方が有名な気が(正確にはバイオリンとのデュエットなんですけどね)。
まあ難易度で言ったらチェロの方が難しいですよ。でもどっちも甲乙つけがたい良いソロです~
センチメンタルでロマンチックなチャイコフスキーのいちばん良いとこ超凝縮♪
「白鳥の湖」はバレエとして2回+コンサートで抜粋1回弾いてるのですがくるみ割りやプロコフィエフのロミジュリと違ってチェロなので踊りはあんまり見てる暇はないので振り付けについてはコメントできません(汗)でもまあ王子とオデットが愛を存分ゆっくり表現し合うのって思ってみればここだけなので(第3幕はオデットほとんど出ませんし第4幕はいろいろ忙しいので)これがある意味二人の愛のクライマックスとも言えますが。
先ほどオデットは究極の存在、と言いました。
面白いのが、第3幕でオデットの存在を知らない(そしておそらく信じない)王子の父母が様々な国からお嫁さん候補を呼び寄せるのですが(こっちの今日の一曲参照)、飛び入りゲストとして悪い魔法使いが王子を惑わすためにオデットに似せた娘オディール(黒鳥)を連れてくるのです。
言うまでもなくだまされるのですが(この件に関して王子は大変馬鹿だと思います。ちなみに有名な32回転がオディールと王子のくだりにあります)・・・
オデットとオディールはトップのバレエダンサーが一人二役として演じることが多いそうです。
(第3幕でトップのダンサーがオディールを演じている間「それは私じゃないわ!」と必死に訴えにくるけど魔法使いに退けられるオデットの部分は替え玉が演じますが)
純潔で儚いオデットと悪の魅力と強さに溢れたオディール、それぞれの表現と技巧、さらに2人(2羽)の演じ分けも相当難しいものとされています。
ただこのオデットとオディールの「同じ顔をした二面性」というのが「女には複数の顔がある」的なところを反映しているようでまた面白いですね。
前回のブログにちょろっと書きましたがフェデリコ・ガルシア・ロルカの詩集の2冊目が届きました!
昨日読み終えた1冊目とは違って分厚い!重い!いま量ったら1300gだそうで(汗)
でもどうも全集ではない感じです。クラムが歌詞として使った詩でこの2冊のどっちにも入ってない物も少数ありますし。
なにはともあれとりあえずポーとボードレールを先に読んでゆっくりこの分厚い本を攻略していきたいとおもいます。
いろいろぱらぱらとめくってみたり、ランダムに開いてどんな詩があるか見てみたり。
序章にもちょっとだけ目を通してみました。ちょっと目を引いたくだりがあって。
ロルカとその詩を知る人の中では知られていることらしいのですがロルカは同性愛者だったと言われていて。
まだ見つけられてない映画Little Ashesでは若き頃のロルカとダリの同性愛関係が描かれているそう。(どこまで事実なのかは不明確らしいですが)
この詩集の序章によると、思春期あたりからロルカは肉体の愛に対してためらいというか嫌悪というか、そういう気持ちを抱いていたらしく。
同時に彼の心と欲を満たせる女性はいないだろう、と自覚していたらしいです。
女性が嫌いで男性が好き、なのではなかった。彼の詩を読んでもそれは分かります。
この序章によると彼が心に抱く理想、「女性像」というのは「不可能」だったり「遠くの女性」だったり「白い光」、「美の権化」で・・・
つまり彼は現実の女性が愛せないのだと。彼が憧れるのはまるで神話のような、神格化されたともいえる女性像ということらしいです。
彼の詩の女性ってものすごく神秘的な雰囲気で、どこか非現実的な空気があって。でも本当に彼の女性観を表しています。
この本を読む前、偶然にも自分に関して似たような事を考えていました。
基本男性も女性も恋愛対象として見れる、というか男性にも女性にもそれぞれ違う魅力があって、男という生き物も女という生き物も好きですし、どちらとも付き合ってもいいな、と思います。
好きになった人が女性でも(相手のことを考えて悩むことはあっても)少なくともそれを自分の中で否定したりすることはないとはっきり言えます。
ただ実際に特定の女性を好きになったことはないんですよね。「この人は?」「この人は?」と自問して確かに魅力は感じてもなんだかなんか・・・違う気がして。
それでもやはり「女性」にもそういう見方というか感じ方はするし、なんでだろう・・・と思ってたのですが。
つまりは自分の「理想の女性」というのが例えば女性ならではの強さとしたたかさ、賢さと優しさ、少女のような無垢さとか母性とかを持ち合わせている、まるで女神のような女性なんですよね。
(これに気づいたきっかけがTVでミロのヴィーナスみてて体格的に「あれくらいがいいよなあ」と思ったことでした。そういえばこういう健康的な体型の女性って減ってるな―と。拒食症の社会文化的な面を考えて自分の好みを考えてたら上記結論にたどり着きました)
創作でも私は女性メインキャラクターをなんというか神話化?する傾向があります。
そのキャラクターを創り上げる過程での思い入れの強さは勿論、やはり自分の中の「女性」を形にしている感覚はあるのかもしれない、と今では思います。
ひっくるめてロルカの世界に惹かれるのもまたそういう共通点があるのかなーとか。
ここまでの話だけだったらまあブログに書くほどでもないな、と思ってたのですが昨日何時間かしてからもう一人同じ傾向を持つ人を思い出しました。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー。有名なロシアの作曲家で同性愛者だったことも今は広く知られています。
彼もまた女性が嫌いなのではなく、実際好きだったのですが恋愛となると別の話だったそうで。
彼が女性を神格化していた、という証言は覚えてる限りないのですが(美の対象ではあった、という話は聞いています)、でも彼のバレエ作品には本当にそれが表れています。
まず女性の美と繊細さを主に表現するバレエのための音楽を多く書いた、ということ。
そして彼の三大バレエ「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」に出てくる女性の描写。
もともとバレエってどこでも女性が美しく繊細で強くて、男性はわりと甲斐性無しのキャラクターが多く。
でもチャイコフスキーが音楽を書いたバレエのヒロインってやっぱり輝きますよね。くるみ割りのクララや金平糖の精、眠れる森の美女での王女や妖精達、そしてなんといっても白鳥の湖のオデット!
バレエも音楽といっしょで振り付け・踊りをする人によって解釈が変わりますがオデットって衣装でもわかると思いますがずーっとどこでもイメージが一緒なんですよね。不変の存在。
とても繊細で儚く、神秘的で美しく。純潔の白、そして極めて精神的な存在。なんというか「究極の存在」な気がします。女性としてのみではなく。
テレビとかで「男は女に夢を持ちたい」というようなことを聞いたことがあります。
まあ異性に幻想を抱くのは男性も女性も一緒と思いますが、でも女性は意外と現実的なものの見方をするステレオタイプみたいなものがありますしね。
この男性が(男に限らず、私を含む)女性にたいして抱く幻想、理想の女性像だけでなく「女性というのはこういうもの」というイメージはフロイトに言わせると子供のころの「母親のイメージ」なんだ、ということなんでしょうかね。いわゆる「アニマ」というコンセプトで。男性の中に住んでいる「女性の存在」。必ずしも「理想」ではなく女性というものはこういうもの、というイメージ。
つまりはそういう各々の「イメージ」がその人にとって「現実」であり、イメージに一致する女性は自分の中の現実と一致して安心をもたらす。
ロルカのようにあまり神格化されたアニマ=女性像をもっていると実在している女性が「違う」と感じる。こういうことですかね。
(ちなみに今のフロイトのくだりは心の謎を探る会編「犯罪心理が面白いほど分かる本」を参考にしています。)
あまりここらへんの事情には詳しくないのですが例えば「二次元の女性」を好きになることもこれに関わってるんじゃないのかな、と思います。
先ほどの私の例をもてくると創作物の女性キャラクターっていうのは創り手のアニマの反映なので様々な程度で神格化された存在である、と。
そういう存在を理想としたりアニマとし、女性とはこういうものだというイメージを抱いてしまうと現実の世界の女性を「違う」と感じてしまう・・・・という事ですね。フロイトのコンセプトを現代に応用編。もちろん素人考えですが。
少なくとも自分にとっては面白いな、と思ったトピックなのでまとめてみました。
実際「女性も好きっていうけど実際どうして女性に恋をしたことがないのだろう?」とこないだまで迷ってたので出口が見つかって私はちょっと安心しました。安心して余裕ができたことでこう話が広がったのですが(笑)
2冊目のロルカ詩集を読むときは「女性」の存在も強く感じたいですね。共感。
そしてロルカの作品についてはまた別の機会に。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「白鳥の湖」第2幕よりPas d'Action
持ってるCDにはPas d'Actionとありますが私はこの曲を「グランド・パ・ドゥ・ドゥ」だと思ってました。調べたら「グランド・アダージョ」という名も見つかります。
バレエは結構曲の順番入れ替えたりとか多いのでそういうものなのかな・・・
とにかく第2幕の一番の見せ場です。(一番有名なのは幕の最初の有名な「情景」とこのちょっと前の「小さな白鳥の踊り」ですが)
王子が白鳥狩りに出かけたところなんと白鳥が人間に変わるじゃないか!それもその一羽(一人)が来て撃たないでくださいと懇願、王子たち人間と白鳥たち(悪い魔法使いに白鳥に姿を変えられた娘達)が団らんする・・・という下りなのですが、余興のように白鳥たち、小さな白鳥たちが踊る(いわゆる浦島太郎の鯛・ヒラメですね)中、王子と先ほど懇願したリーダー白鳥オデットが恋に落ち二人でロマンチックな踊りを踊る、それがこの曲です。
本当に美しい曲です。前半には長い長いバイオリンのソロがあるのですが、なぜか後半で繰り返しとして表れる(同じメロディ-)チェロソロの方が有名な気が(正確にはバイオリンとのデュエットなんですけどね)。
まあ難易度で言ったらチェロの方が難しいですよ。でもどっちも甲乙つけがたい良いソロです~
センチメンタルでロマンチックなチャイコフスキーのいちばん良いとこ超凝縮♪
「白鳥の湖」はバレエとして2回+コンサートで抜粋1回弾いてるのですがくるみ割りやプロコフィエフのロミジュリと違ってチェロなので踊りはあんまり見てる暇はないので振り付けについてはコメントできません(汗)でもまあ王子とオデットが愛を存分ゆっくり表現し合うのって思ってみればここだけなので(第3幕はオデットほとんど出ませんし第4幕はいろいろ忙しいので)これがある意味二人の愛のクライマックスとも言えますが。
先ほどオデットは究極の存在、と言いました。
面白いのが、第3幕でオデットの存在を知らない(そしておそらく信じない)王子の父母が様々な国からお嫁さん候補を呼び寄せるのですが(こっちの今日の一曲参照)、飛び入りゲストとして悪い魔法使いが王子を惑わすためにオデットに似せた娘オディール(黒鳥)を連れてくるのです。
言うまでもなくだまされるのですが(この件に関して王子は大変馬鹿だと思います。ちなみに有名な32回転がオディールと王子のくだりにあります)・・・
オデットとオディールはトップのバレエダンサーが一人二役として演じることが多いそうです。
(第3幕でトップのダンサーがオディールを演じている間「それは私じゃないわ!」と必死に訴えにくるけど魔法使いに退けられるオデットの部分は替え玉が演じますが)
純潔で儚いオデットと悪の魅力と強さに溢れたオディール、それぞれの表現と技巧、さらに2人(2羽)の演じ分けも相当難しいものとされています。
ただこのオデットとオディールの「同じ顔をした二面性」というのが「女には複数の顔がある」的なところを反映しているようでまた面白いですね。
今オーストラリアの首相ジュリア・ギラードが東アジア訪問の一環として日本を訪れています。
今日は天皇皇后両陛下と会見、そして南三陸を訪れたり、菅首相に会ったり、Fundraising Dinnerに出席したりするそうです。
日本人としても(ほぼ)オージーとしてもとても嬉しいです。両国の関係が良い物になり、長く続くよう願っています。
今日はなかなか面白いニュース記事がありましたね。
まずはWirevisionの「疲労や「死の意識」で脳が「保守化」:研究結果」という記事。保守化というのは「現状を変えない選択をする確率が上がる」ということだそうで。震災の影響がメディアで報道され多くの人が命について、そして死について考える機会が起こることでこういった変化が日本の多くの人に起きているのかしら、と考えさせられました。
そして背景事情はよく分からないのですがYahooニュース経由TopNewsの「ヴァージン会長の罰ゲームフライト、5月1日決行 スッチーのコスプレでおもてなし」という記事。なんだか物凄く笑いました(笑)ここんところで一番明るい記事かも・・・こういう賭けも罰ゲームももっと世界のあらゆるところで行われたら面白いのに、そして元気になるのに!
そしてこちらの新聞The Ageには明日からイースターということでメルボルンの美味なHot Cross Buns特集の記事が。普通のレーズン&オレンジピール入りだったり、多くのパン屋で扱ってるチョコチップのChoc Cross Buns、そしてこの記事の写真にあるのはSourdoughのものだそう。今年は(シーズンになってからは)買ってない・・・買おうかな。
最近自分の中でじわじわとWorld Musicブームが来ている様です。
詳細はこんな感じ:
(最近)ロルカの詩集(2冊目無事来ました!)+モンポウ録音→スペイン諸民族音楽
(最近)ヴィラ=ロボスの音楽→ボサノバ
(長期)ショスタコーヴィチの音楽→クレズマー
(長期)ロルカの詩集+クレズマーなどなど→ロマ
(最近)父とのモンゴル語の話→モンゴル、西アジアの音楽
(最近)Peace song+ラグビーでのハカ→ニュージーランドの音楽
(最近)Sacrificeの音楽→ガムラン
あとはオーストラリア、インド、アフリカ(テレビしか出会ったことないんですよね)、アイルランド、いろいろ。
父が結構いろんなところに出張行くんですが、もともといろんな国の文化が好きなようで、民族音楽とかも知ってたりCD持ってたり。ボサノバとかガムランとかは探してもらうよう頼みました(笑)
あとは大学の1年目でWorld music関係の科目が一つ必須のやつがあって。
専門分野を選ぶときにEthnomusicology(民族音楽)もあって割とそっちに進む人が多いのもあって一年生でちょっとやらせとこう、という魂胆が見えます(笑)
実際在学中はあんまり民族音楽には興味がなかったのですが・・・
大学にはガムランアンサンブルもあったんですがねえ・・・
大学で習うとどうも面白くない、というのは残念ながらちょこちょこありますが(以前現代音楽に関して書いた覚えが)、でもたとえばインドのデシ・ターラの理論とかは本当に面白かったですし。
インドの音楽ってものすごく複雑で、神秘的で。難しいけど面白い。
さきほどゲーム「Sacrifice」の音楽からガムランに興味を持ったと書きましたが・・・なんだか遅かったな、自分!と思っています。
父がその素晴らしさをずっと話してたこと、大学にガムランアンサンブルがあったことだけじゃなくて、以前自分が授業の課題で作曲した曲もミニマルミュージックの課題だったのもあってガムランと似たようなエレメントがあって。
それに加えてフラクタルだったり、新神話主義の「完全な円」のコンセプトにも通じるところもあり・・・なんでしょうね、もっと前に出会いたかったなあと。
ちなみに数年前に日本に行った時に浜松の楽器博物館でガムランオーケストラの展示がありました。サウンドもたしかあったはず。
オーストラリアはアイルランド移民が多くアイリッシュパブもあるのですがアイルランドの音楽に出会ったのは最初の何年かに一度アイリッシュハープをどこかのshowだったかフェスティバルで聴いた限り。
いつか欲しいぞアイリッシュハープ(あと中東・ハンガリーのツィンバロム族の楽器も欲しい~)
オーストラリアの民族楽器と言えばDidjerirooですが、楽器自体はシティのストリートパフォーマンスでよく見ます。最近は以前Klezmaniaのコンサートでもあったようなスライド付きのバージョンもあるとかで。
何回か書いてると思いますがこの楽器はピッチがほとんど無くリズム+ベース(Drone)担当で、オーストラリアの民族音楽、さらにクラシック音楽は割とリズムが強く、ぱっと聴き印象そのリズムの大切さとリズムの性質がアフリカの音楽に似てます。この仮説を自分の中で固めるためにもっとアフリカの音楽を知らないとなーと思ってるのですが・・・なかなか手が回らず。
割と多文化な環境で、大学のカリキュラムでも色んな音楽に触れあうチャンスがあって。
それでもまだ聞いたこともない音楽がいっぱい。
音楽って本当にその国を表すというか文化を反映するというか、時によってはその地を訪れずともその国をビビッドに味わえるもので。
難しいこと抜きでとにかく面白い!
ちなみに以前見たぷっすまで様々な民族楽器の音を出すというのがありましたがあれはトライしたい!
きっと基本のカテゴリーはクラシックの音楽と一緒のものが多いのですが細かいテクニックはもちろん個別の楽器で違いますからね。初めまして(少なくとも弾くには)のはい弾いてといわれていかに弾くか。楽しそう。
自分の生きている間に世界の全ての音楽に出会うことは到底不可能ながら、なるべく多く(できるならば生きた形で)広く出会って楽しめるよう、ちょっとだけ自分にプレッシャーをかけておきます(笑)
手始めに父のCDです、楽しみ楽しみ。
今日の一曲: Dorothy Buchanan 「Peace Song」
(録音リンクなしです~)
中学だったか高校だったかの時に学校で(合唱団?それとも学校全員の?)歌ったこの曲。手元に楽譜はありながら他にどこでも聞いたことなかったんです。
それを最近思い出して、調べてびっくり。この曲、ニュージーランドの作曲家によって書かれた曲だったんです。
クラシックでも(オーストラリアに居ても)ニュージーランドの音楽って出会ったことなくて。
確かにでもこの曲を聴くとどこの国の音楽か分からない。主に英語ながらイギリスぽくもなくオーストラリアぽくもなく、次に歌詞で多いのはフランス語でもフランス音楽とは全然違う。
でもこうやって知ってみると確かにニュージーランドで納得いきます。
歌詞はざっくり言えば自分の周り、友達や恋人などから心の中に真実としてある平和を広げていこう、というような意味なのですが、サビのところが本当に印象的。
「Peace, shalom, Pax, aroha, La paix, la joie, l'amour」とあるのですが前半は英語、ヘブライ語、ラテン語、ハワイ語で「平和」、それからフランス語で「平和、喜び、愛」という言葉。
前半にそのいわゆる主流言語を持ってこないで、というところがなかなか興味深いですね。
そしてメッセージ性だけでなくメロディーだったりハーモニー、総じて曲自体も良い曲です。
もっと知られてもいいのにやっぱりニュージーランドの曲はここら(豪+NZ)の外を出ないのかなーと思うと残念です。知名度アップ祈願。
今日は天皇皇后両陛下と会見、そして南三陸を訪れたり、菅首相に会ったり、Fundraising Dinnerに出席したりするそうです。
日本人としても(ほぼ)オージーとしてもとても嬉しいです。両国の関係が良い物になり、長く続くよう願っています。
今日はなかなか面白いニュース記事がありましたね。
まずはWirevisionの「疲労や「死の意識」で脳が「保守化」:研究結果」という記事。保守化というのは「現状を変えない選択をする確率が上がる」ということだそうで。震災の影響がメディアで報道され多くの人が命について、そして死について考える機会が起こることでこういった変化が日本の多くの人に起きているのかしら、と考えさせられました。
そして背景事情はよく分からないのですがYahooニュース経由TopNewsの「ヴァージン会長の罰ゲームフライト、5月1日決行 スッチーのコスプレでおもてなし」という記事。なんだか物凄く笑いました(笑)ここんところで一番明るい記事かも・・・こういう賭けも罰ゲームももっと世界のあらゆるところで行われたら面白いのに、そして元気になるのに!
そしてこちらの新聞The Ageには明日からイースターということでメルボルンの美味なHot Cross Buns特集の記事が。普通のレーズン&オレンジピール入りだったり、多くのパン屋で扱ってるチョコチップのChoc Cross Buns、そしてこの記事の写真にあるのはSourdoughのものだそう。今年は(シーズンになってからは)買ってない・・・買おうかな。
最近自分の中でじわじわとWorld Musicブームが来ている様です。
詳細はこんな感じ:
(最近)ロルカの詩集(2冊目無事来ました!)+モンポウ録音→スペイン諸民族音楽
(最近)ヴィラ=ロボスの音楽→ボサノバ
(長期)ショスタコーヴィチの音楽→クレズマー
(長期)ロルカの詩集+クレズマーなどなど→ロマ
(最近)父とのモンゴル語の話→モンゴル、西アジアの音楽
(最近)Peace song+ラグビーでのハカ→ニュージーランドの音楽
(最近)Sacrificeの音楽→ガムラン
あとはオーストラリア、インド、アフリカ(テレビしか出会ったことないんですよね)、アイルランド、いろいろ。
父が結構いろんなところに出張行くんですが、もともといろんな国の文化が好きなようで、民族音楽とかも知ってたりCD持ってたり。ボサノバとかガムランとかは探してもらうよう頼みました(笑)
あとは大学の1年目でWorld music関係の科目が一つ必須のやつがあって。
専門分野を選ぶときにEthnomusicology(民族音楽)もあって割とそっちに進む人が多いのもあって一年生でちょっとやらせとこう、という魂胆が見えます(笑)
実際在学中はあんまり民族音楽には興味がなかったのですが・・・
大学にはガムランアンサンブルもあったんですがねえ・・・
大学で習うとどうも面白くない、というのは残念ながらちょこちょこありますが(以前現代音楽に関して書いた覚えが)、でもたとえばインドのデシ・ターラの理論とかは本当に面白かったですし。
インドの音楽ってものすごく複雑で、神秘的で。難しいけど面白い。
さきほどゲーム「Sacrifice」の音楽からガムランに興味を持ったと書きましたが・・・なんだか遅かったな、自分!と思っています。
父がその素晴らしさをずっと話してたこと、大学にガムランアンサンブルがあったことだけじゃなくて、以前自分が授業の課題で作曲した曲もミニマルミュージックの課題だったのもあってガムランと似たようなエレメントがあって。
それに加えてフラクタルだったり、新神話主義の「完全な円」のコンセプトにも通じるところもあり・・・なんでしょうね、もっと前に出会いたかったなあと。
ちなみに数年前に日本に行った時に浜松の楽器博物館でガムランオーケストラの展示がありました。サウンドもたしかあったはず。
オーストラリアはアイルランド移民が多くアイリッシュパブもあるのですがアイルランドの音楽に出会ったのは最初の何年かに一度アイリッシュハープをどこかのshowだったかフェスティバルで聴いた限り。
いつか欲しいぞアイリッシュハープ(あと中東・ハンガリーのツィンバロム族の楽器も欲しい~)
オーストラリアの民族楽器と言えばDidjerirooですが、楽器自体はシティのストリートパフォーマンスでよく見ます。最近は以前Klezmaniaのコンサートでもあったようなスライド付きのバージョンもあるとかで。
何回か書いてると思いますがこの楽器はピッチがほとんど無くリズム+ベース(Drone)担当で、オーストラリアの民族音楽、さらにクラシック音楽は割とリズムが強く、ぱっと聴き印象そのリズムの大切さとリズムの性質がアフリカの音楽に似てます。この仮説を自分の中で固めるためにもっとアフリカの音楽を知らないとなーと思ってるのですが・・・なかなか手が回らず。
割と多文化な環境で、大学のカリキュラムでも色んな音楽に触れあうチャンスがあって。
それでもまだ聞いたこともない音楽がいっぱい。
音楽って本当にその国を表すというか文化を反映するというか、時によってはその地を訪れずともその国をビビッドに味わえるもので。
難しいこと抜きでとにかく面白い!
ちなみに以前見たぷっすまで様々な民族楽器の音を出すというのがありましたがあれはトライしたい!
きっと基本のカテゴリーはクラシックの音楽と一緒のものが多いのですが細かいテクニックはもちろん個別の楽器で違いますからね。初めまして(少なくとも弾くには)のはい弾いてといわれていかに弾くか。楽しそう。
自分の生きている間に世界の全ての音楽に出会うことは到底不可能ながら、なるべく多く(できるならば生きた形で)広く出会って楽しめるよう、ちょっとだけ自分にプレッシャーをかけておきます(笑)
手始めに父のCDです、楽しみ楽しみ。
今日の一曲: Dorothy Buchanan 「Peace Song」
(録音リンクなしです~)
中学だったか高校だったかの時に学校で(合唱団?それとも学校全員の?)歌ったこの曲。手元に楽譜はありながら他にどこでも聞いたことなかったんです。
それを最近思い出して、調べてびっくり。この曲、ニュージーランドの作曲家によって書かれた曲だったんです。
クラシックでも(オーストラリアに居ても)ニュージーランドの音楽って出会ったことなくて。
確かにでもこの曲を聴くとどこの国の音楽か分からない。主に英語ながらイギリスぽくもなくオーストラリアぽくもなく、次に歌詞で多いのはフランス語でもフランス音楽とは全然違う。
でもこうやって知ってみると確かにニュージーランドで納得いきます。
歌詞はざっくり言えば自分の周り、友達や恋人などから心の中に真実としてある平和を広げていこう、というような意味なのですが、サビのところが本当に印象的。
「Peace, shalom, Pax, aroha, La paix, la joie, l'amour」とあるのですが前半は英語、ヘブライ語、ラテン語、ハワイ語で「平和」、それからフランス語で「平和、喜び、愛」という言葉。
前半にそのいわゆる主流言語を持ってこないで、というところがなかなか興味深いですね。
そしてメッセージ性だけでなくメロディーだったりハーモニー、総じて曲自体も良い曲です。
もっと知られてもいいのにやっぱりニュージーランドの曲はここら(豪+NZ)の外を出ないのかなーと思うと残念です。知名度アップ祈願。
