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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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銀で横向き(楽器と性格:フルート編)
こないだ着いたロルカの詩集、噛みしめております(笑)
本を読む時っていつもがーっと最初は速くよんでからあとで反芻するように何回も何回も(×many)読む癖があるのですが、ロルカは最初速く読むとぱっぱっとキーワードが飛び出してくるのですがその独特の世界観と色彩、温度を味わうにはゆっくりゆっくり読むのが必要です。
もう1冊ロルカの詩集を注文したのですが明後日からイースターで連休なのでなるべく明日届くといいな・・・

今日は久しぶりの楽器と性格シリーズ。順番からいってフルートですね。
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。

フルートの友達は何人かいますが、あんまりフルートコミュニティと付き合いがあるわけでなく・・・
・・・待てよ、まずフルートコミュニティって存在するのか、という疑問から始まりです。
フルート同士で固まって集まってという光景をあんまりみないような・・・いや、きっと集まってはいます。でも他の木管と一緒だったりするのが一つと、あとフルート同士の集まりはやはりホルンの仲良しグループ的な集まりだったり、はたまた打楽器のビジネスライクだけどチームワークがっちりの集まりとは大分性質が違うような気がします。
割とドライ、というかグループよりは個人の集まりというか。

実際フルートってオケでもフルート同士のアンサンブルで演奏、という感じじゃないんですよね。ソロかデュエットか。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の有名な「葦笛の踊り」を聞いててなんだかちょっとだけ腑に落ちないものがあったり。唯一フルートがアンサンブルでがっちり組んでて凄い!と思うのはホルストの「惑星」の「土星」と「海王星」ですね。
例えばチェロだけのアンサンブル、ホルンだけのアンサンブルなどありますけどフルートだけのアンサンブルはあくまでも個人的な印象ですがあんまり強くないです。

フルートは生粋の高音楽器だと私は思ってます。柔らかい低音、そして力強く、つんざくような音も出る高音部。
オーケストラには弟分の全域つんざくピッコロ、そして稀にアルトフルートやバスフルートなど音量は全然ですが柔らかく不思議な音色を持つ兄弟も出てきます。
バイオリンと似たようなパートを受け持つことが多いこともありその機動力はお墨付き。ただバイオリンが情熱を込める楽器ならばフルートはクールに振る舞うことの多い楽器です。

フルート奏者もまたクールで知的で飄々としているイメージが。
そして木管で唯一銀でできている、というユニークさ、そして高級さ。そして最高の音のため、そしてやっぱりヴィジュアルな面もあってか銀にこだわりたいという傾向も少なからずあったり。
プライドとこだわりのレベルは高いですが、でもちゃんと引き際を知っているというか。理想は高く、でもリアリストなイメージがあります。(ちょうど飄々のクラリネットとこだわりのオーボエの間に位置しているという感じ・・・)

そしてフルートは女性的な印象があるかとお見ますが、確かに体育会系、ゴリマッチョ系は見たこと無いです。
感情豊かではありますが(感受性豊か、そして感情の表現も豊か。音もありますがそこがまた女性的、というのもあるかな)その表現はあくまでもintellectualな感じ?
ふるまいもスマート。苦労して楽器を運ぶチェロやコントラバスなどとは違ってなんと楽器をケースにいれた状態で鞄に入ってしまうというのがこのイメージには関連してると思われます。

ちなみに一度読んだ事があるのですがフルートにはフランス人の名手が多いそうで。
唇が薄い方が有利、と言われているのですがやはりフルートはフランスの作曲家の音楽において活躍(ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」が良い例ですね)しているので音楽の感じ、エスプリが自然に感じやすいということもあり。フランスの感性にまたフルートの楽器としての性質も合うのかな、と思います。

美しく柔らかな音のフルートですが同時に鋭く力強い面があることもまたフルートの一面で。
フルートは構えたとき楽器が地面に水平になるように、音の出口が右に向くように持つためフルート(そして何よりもピッコロ)の右側に立ったり座ったりすると時によっては耳を本当に痛めかねません。
ということでどんな人でもそうですが、色んな意味でも「フルート奏者のwrong sideに立たないように」、との注意を。・・・失礼しました(汗)

今日はあくまでも比較的ですが馴染みの深くない楽器ということでちょっと短めに。
あまりこううかつなことは言えないかな、と。
次回はやっと弦楽器、コントラバスからですね。こんどはゆっくり構えたいと思います。


今日の一曲: フランソワ・プーランク フルートとピアノのためのソナタ 第2楽章



ちょっぴり悩みました。ものすごく好きでとっておきたい曲、一応活躍してるけどここでわざわざ・・・な曲、そして活躍してるけどあんまり詳しくはない曲(主にソロレパートリー)が総じて多いなかこれならいける!と。
活躍はいわずもがな、実際に伴奏の授業で弾いた事がありさらにフルートの魅力(さらにはプーランクの魅力)を存分に味わえる曲、ということで。

プーランクは私にとって「エスプリの塊」みたいな作曲家です。
気まぐれさ、独特のセンス、軽さ、流れとリズム、どれをとってもフランスらしく、粋で。
ただプーランクはちょこちょここう、曲の良さにムラがあるんですよね(汗)ピアノ曲でもたまにありゃ?となるものがあるのですがなんといってもバレエ「牝鹿」(なんだかんだで2回弾いてる・・・)はちょっとなんだか、うーん。

ただプーランクは多作で、良い曲もたくさん残しています。
木管楽器が入ってる室内楽曲、そしてソナタ類はクオリティ高いです!このフルートソナタもまたその1つ。
ピアノもいきいき、フルートものびのび。フランス音楽の粋さと楽しさが親しみやすいです。

第2楽章はCantilenaと名がついています。
Cantabile, Canto, Cantataなどと同じく「歌」関係の言葉で。
同じ語源から生じたフランス語のChanson=歌・シャンソンとも関わりがあります。
実際伴奏の授業でこの第2楽章はシャンソンに似た感じ、という話があり。フルートのクールでなめらかかつ表現豊かな透明な音色で歌い上げます。

そして先ほどちょろっと話が合った気まぐれさ。
フランス音楽の気まぐれさ、プーランクの気まぐれさ、エスプリの気まぐれさだけではなくフルートに見られる女性的なきまぐれさもあるのかな、と思い。
豹変する、というほどではないけど突然感情・表情が変わるのはこの曲の魅力の一つですね。

もちろんこのソナタの他の楽章も素晴らしいですし、オーボエ、クラリネットのソナタ、トリオ(オーボエ、ファゴット、ピアノ)、さらには六重奏(ピアノ+木管五重奏)も名曲。
木管の魅力、そしてフランス音楽の気さくなおしゃれさとそれ以上の深さを味わうのには本当にプーランクの木管音楽はお勧めです♪

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大人の絵本(なぜかウサギづくし)
昨日のエントリーで音楽の感じ方について書いてたとき聴き手、そしてその状態や経験なども関係してくる、と書いたのですが、だから人間の音楽の感じ方ってその人の経験や価値観、記憶の積み重なりでもあり実際の音楽や演奏している人の思いと同じくらい聴き手が音楽を創り出している・・・ということも書きたかったんですがすぽっと抜けてました。
またいつかまとまったときにきちっと。

このブログで紹介する、話に出る本はヤングアダルトフィクション、または学校で勉強した(&小論文かいたりもした小説等が多いのですが(学校で勉強した本は良い物揃いです。こちらのエントリーに)、絵本分野でも好きなものもちらほらあるんですよね。
なかなか紹介する機会がなかったのですがちょっと今回挑戦。
メインで紹介したい3冊はなんと全部ウサギが主人公扱い。なんたるイースターの呪い・・・でなく縁。


仮面舞踏会(マスカレード) キット・ウィリアム著

いつのまにかうちにあった絵本ですが、なにげに手に取ってからは虜に。
ストーリーは至ってシンプル。太陽に恋する月がその思いを太陽に届けようと一匹のうさぎに手作りの首飾りを託す。ウサギはそれを預かり旅に出るが・・・というお話です。
ただこの本はストーリーだけじゃないんです。話の終わりにウサギは自分が預かった大切な首飾りをなくしたことに気づくのですが、その首飾りを著者が実際につくって、絵本の絵やなぞなぞなどに隠されたヒントからわかる「ウサギが首飾りを落としたとされる」その場所に実際に隠していた、いわゆるリアル宝探しとして書かれた絵本だったのです。
もちろん昔の本なのですでに首飾りは見つけられていて(その経緯がちょっと残念なのですが・・・)、答えの見つけ方も公開されているのですがでもああでもないこうでもないとこの巧妙なパズルを解くのが本当に楽しい!
裏表紙に書いてあるのですが「ことば(英語)が理解でき、簡単な数学と天文学の知識さえあれば十歳の少年にも、オックスフォードの大先生同様に解けるものです」。
日本語版だといろいろ謎解きには不都合があるのですが巻末の袋とじに謎解きのヒントとして元の英語の文が掲載されてたりします。
英語もそんなに難しくないですよ~


The Rabbits ジョン・マーズデン著

Tomorrow, when the War Beganを始めとするTomorrowシリーズの著者としてこのブログにも何度も言及があるジョン・マーズデンによる絵本です。
学校で一度読んだことがあるだけで手元にはないのですが、強烈なインパクトのある、正に大人向けの絵本です。
もちろんただの絵本ではありません。動物たちが平和に暮らしている地へ突然現れ、増え広がり奪っていったウサギたちの様子を綴るストーリーは痛烈な風刺表現です。
ジョン・マーズデンはオーストラリアの作家なので特にオーストラリアで白人が昔(そしてある意味今も続いている)アボリジニにしたことを思っているのだと思われます。
そして絵が好きです。表紙でそのテイストはわかると思われますが・・・途中出てくるウサギたちの作った機械とその影響の絵が1回見ただけなのに今でも心に刺さっています。
日本語版があるとは思わないのですが英語版でも十分楽しめます。


Bunny Suicideシリーズ Andy Riley著

最初に、私は経験周りいろいろあって自殺についてのジョークはわりと嫌いな方です。
それでも!いやそれだからこそ!なのかしら、このシリーズに妙な愛嬌と愛着を感じてしまうのは・・・
表紙でも少し見えると思いますが、とにかく、とにかく死にたくてたまらないうさぎさん(たち)の絵本です(1コマ漫画というんですかね、このフォーマットは)。
とにかく何でもするんですよ、うさぎさんたちは。見てると「なんて回りくどい!」というか死ぬほどめんどくさいことしてたりするんですけどそのめんどくささにその死にたい思いの強さが見て取れるというか。
とりあえずサンプルとしてGoogle画像検索すると結構でてきますし、amazonリンクには「なか見!検索」がついてますし。
わりとOffensiveなはずなのにどうしても憎めないうさぎさんたちです。


そしてここからオマケ。


All Cats Have Asperger Syndrome Kathy Hoopman著

以前紹介しましたが再掲。親友のお姉さん(アスペルガー症候群らしいです)がアスペルガー関連のconference(だったかな?)で見つけてめちゃくちゃお勧めしている本です。(邦題は「猫はみんなアスペルガー症候群」ってところかな)
猫の生態になぞらえてアスペルガー症候群の傾向や症状をやさしく、親しみやすく紹介。「だから愛しい」という感情が生まれたら、という目的なのかな。
同じシリーズで「犬はみんなADHD」もあります。


Possum Magic Mem Fox著

オーストラリアを代表する絵本ということでこれを。(オーストラリアのお勧め絵本は他にもいろいろあるので別のエントリー立てようかな・・・)
ポッサムのおばあちゃんとちいさな孫。おばあちゃんは魔法使いなのですがその力で間違って孫を透明にしてしまいます。これは大変、とオーストラリアの様々な場所を巡って魔法を解くための食べ物を探す話です。
オーストラリアに最初に来たときにESLのクラスで読んだ本。もしかしたら初めてのオーストラリア絵本かもしれませんね。
そのときは知らなかったのですがいろんなオーストラリアの動物だけでなく「定番」スイーツや食べ物がいっぱい出てきます♪
絵の色彩がちゃんとオーストラリアの色彩なのも親しみやすいしタッチも柔らかで好きです~表紙見ただけでたまらない!

実は今日は注文していたフェデリコ・ガルシア・ロルカの詩集のうち1冊がとどきました。
短編は一通り読んだのですがやはりクラムの音楽で使われているものからぐっときますね。
またゆっくりイメージをふくらませていきたいと思います。


今日の一曲: ローベルト・シューマン 「おとぎの絵本」 第1楽章

Allmusicでのリンク

タイトルを見ると子供向けかな、と思いがちなこの曲、聴いてみると結構「大人の絵本」的な性質があります。
ドイツで童話といえば「グリム童話」、今は広く知られているようにかなり厳しい、といいますかCruelでダークな面があるものでもありますので・・・

シューマンの晩年は長年患っていた精神疾患(双極性障害第I型、と今は言われてます。昔は統合失調症と思われていたようですが。あと梅毒の影響もあったそう)に支配されていたといっても過言ではないでしょう。
この曲が書かれた数年後には入水による自殺未遂、そして精神病院に入院し愛する妻クララにもまともに会えることが少ないまま衰弱死したそうで。

そういうこともあってやっぱりこの曲を「ただの」おとぎ話と片付けるには(曲を聴く以前に)難しいものがあります。
さらにビオラという楽器のチョイス。これをどう読むか(以前も書きましたが晩期にビオラを重用し始める作曲家は結構います)。

第1楽章はなんというか・・・ちょっと「ビオラらしい」ですね。
内気で、女性的で。ちょっとしたメロディーのターンがシューマンらしく。憂いを持ったニ短調と憂いを持ったヘ長調の片鱗。まるでため息のような、あこがれのような。
グリム童話でいったら「シンデレラ」でしょうか。灰かぶりの「灰色」だったり「不幸」は感じます。

本来ならタベア・ツィンマーマンの渋~い音で聴くのが乙なのですがAmazon Japanで見つからず。残念。
ほとんどのこの曲の録音でブラームスのビオラソナタも収録されてますがそちらもめいっぱいお勧めです♪

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ぼんやり音楽周りいろいろ。
昨日のエントリーに拍手ありがとうございました!
自分の演奏のテンポの焦りについてここ一日以上ぐるぐるしていましたが拍手やフィードバックいただけると本当に嬉しいです。
テンポの焦りについてはこの冬がっつり&気長にwork on したいと思います。すでに今日の練習でいろいろ見えてきたり変わりつつあることもあるので。

こないだ摂食障害のレクチャーで自分の体型について完璧主義的というか高すぎる理想を抱くのがいけない、という話があったのですが、自分と自分の演奏の関係ってともすればそうなりかねないなあ、と少し反省しています。
音楽が好きで、自分で弾こうと思う曲って本当に思い入れが深いから特に「こう弾きたい!」というのが強くて・・・
向上心はそのまま自分にもちょっと寛大になったほうがいいのかな、と思ったり。
(メンタルヘルスとか心理学の知識が思わぬところでちょこちょこ役立つ良い例です)

今日はブログ何書こうかな~といろいろ(一年ほどぶりに肉じゃがを作りながら)考えを巡らせてたのですがどうもこう・・・説教じみた話になってしまって。
一つ考えてたことの一部なんですが音楽の感じ方についてちょっと。
(音楽に限らず芸術全般、芸術に限らずいろいろなことについても当てはまると思うのですが、言葉や具体的な絵がない抽象美術・器楽音楽が一番考慮しやすいかも・・・?)

例えば音楽を聞いたとき、聴き手が感じるものは聴く曲によって、その曲を演奏する時や場所や楽器、人やその状態によって、そして聴き手とその心の状態によって無限に変わります。
音楽と聴き手、というざっくりした関係性では説明できないいろいろがあるんだ・・・というようなことをなんとかいろいろまとめられないかなーと思ってました。
これは以前行った「コミュニティにおいての音楽の役割」についてのレクチャーで説明があったことを自分なりに探ってるプロセスですが、まだどうも自分の中でもまとまってない感じで。

そろそろ自分の中でのフォーカスである「音楽と心の繋がり」あたりのことをノートにまとめようかなあ・・・なんて思ったり。でもまだ何もできず。(メンタルヘルス関係の基本ノートも大分滞ったまま・・・)
自分にとってノートって性質が両極端なんですよね。
レクチャーでメモをとってるときのような本当に走り書きのものと、あと自分の気に入ってる言葉や詩を書き留めるQuotebookやクラムの音楽を分析・解釈するクラムノートみたいに「保存版」のノート。
その中間、みたいなのはどうしてもできない。そして保存版のノートを作ってもどっかしらん直したいところを見つけて全部やりなおしたくなったり。
あとちょっとでもいいノートだと使うのが勿体なかったり(笑)せっかく誕生日にMoleskinもらったり、日本でスイングロジカルノート(ナカバヤシ)買ったりしたのに使い道に迷い中。

クラムノートクラムノートはこんな感じ。
英語も日本語も五線譜も使ってまとめてます。
解釈だったりインスピレーションを広げる部分は多少関係がないと思われることやこじつけのように思われることもとりあえず書き留めたり。
あとで参照できるように参考文献のリストもなるべく(もしかしたらすでに抜けてるかも!)キープしています。
学校の頃使ってた聖書とかもひっぱり出してきたり、意外なものが役立つこともあります。

さすがにこういうのは楽譜に直接書き込むわけにもいきませんし(スコアも少しお値段しますし、楽譜に色ペンはもちろんペン全般使えませんからねえ・・・)、かといって頭の中にしまっとくのも心配。
もちろん曲の解釈は時と共に、弾き手の知識や感覚などとともに変わっていくものですが、それでもこう・・・そのベースをいろいろ記録しとくといいかな、と。
実際にやって実感したんですがかなりいろいろなところから参考ひっぱってきてるんで確かに記録しといてよかった、と思ってます。

今日はここらで。なんだか結局まとまらなかったです。


今日の一曲: Spice Girls 「Viva Forever」



クラシック一辺倒に友達には見られることが多いですが、わりとジャンル隔てなく好きな曲はちらほらあります。
Spice Girlsは全盛期に大分はまっててダンスの振り付けなんかも踊れたときがあります。今でもStopは覚えてます。(あれは散々聴きましたから)

そんななか今でも好きな曲がいくつかありますが、やっぱりダントツはこのViva Foreverでしょうか。
もともとセカンドアルバムに入ってたのですが後にシングルカットされました(カップリング曲なんだっけ・・・?)。本当にシングルカットされるにふさわしい曲だと思います。

自分がこの歌を好きになった要素は本当にいっぱいあって。
まずは調が変ホ短調で。メロディーも良くて音域も低め(なので比較的歌いやすい)。
あとギターのパートがスペイン風というかラテン風というかで、弾き手も良い感じで。
あとこのアルバム聴きながらKen Duncanのエアーズロックのジグソーパズルやってた思い出が強いのであの夕日の光の感じを思い出したり。
そしてこの歌詞の感覚がつい最近「新神話主義」的な性質があってそういうのも好きなんだな―というのもあり。(夕日のイメージもそうなんですが、日が昇って沈んで時がめぐっていく感じがあります)

バラードっていったらこの曲だな、と思います。
テンポ的にもそうですが、ノスタルジックなキャラクターがそのゆったりさに拍車をかけて。
あとPVの映像、というかその映像の光の使い方が素晴らしく懐かしく。
ああやっぱりイギリスのお国柄みたいなものなのかな・・・と。

あとなんだかんだであの頃のSpice Girlsの歌とか声って好きですね~今でも。
あのころの懐かしさ、だけでは説明できない音楽的な良さがちゃんとあります。

ちなみにサードアルバムは結局買ってないのですがファーストと比べるとこのセカンドアルバムSpiceworldの方が良い歌入ってる様な気がします。

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メルボルンの季節の風物詩(&録音第2弾アップ)
今日の朝Twitterのフォロー先さんとしていた話から派生のエントリーです。

日本は四季のある国、日本人は季節を楽しむ民族とよくいわれます。
熱帯・亜熱帯では乾季と雨季のみ、というところもありますし、北極や南極に近いとまた白夜とかも入って来て別の味わいもあり。
メルボルンにも四季があります。梅雨はないですし、地中海気候なので日本と反対で夏は乾いて冬は湿っています。
むしろメルボルンは「一日に四季のある都市」ということで有名でもありますね。そのことについてはたまーに「それ大袈裟じゃないか」と思う事もあれば「ああ確かにそうだな」と思う事もあります。
とにかく天候は変わりやすいです。メルボルンに遊びに行く、となったら持ってく服どうする?という悩みはつきもので。
例えば夏で午前中から気温が上がって40度超えなのに午後になって突然ざーっと嵐が来て秋並みに涼しくなったり。(いわゆるクールチェンジというやつですね)それから「その季節に典型的じゃない天候の日」が突然やってきたり(春の後半とかたまにいきなり気温が上がるときも)
あと植物に関しては冬でも花が咲いていて色んな季節の花が同時に見られることもあります(一度に四季のある都市、という見方)。

で、やっぱりメルボルンでも四季があるだけでなくみんな季節を感じて生きていると思います(日本やメルボルンに限らずその土地独特の季節の感じ方ってあると思います。緩募)。
ということで今日はメルボルンでどんなときに季節を感じるか、どんな風に季節をエンジョイするかをまとめてみました。

春(9月~11月)
春は冬を引きずってる部分と、あと暖かくなってきたと思ったら急に気温が上がってまた普通に暖かくなる2つのパートに分かれている印象です。
先ほども書きましたが冬でも平気で花が咲いているため花が咲いてきたら春、という感じではなく。
ただミモザに関しては春に咲き始めます。見間違いのないあの黄色。鼻とか目とかむずむずするあの黄色(オーストラリアではミモザは花粉症を起こす植物の一つです)。
そして春はCaulfiled CupやMelbourne Cupなどレーシングイベントがあるのでドレスに帽子に、とおめかしして出かける人がいっぱいいます。そういうのを見ると(電車の酔っぱらい若者も合わせて・・・)春だなあ、と思いますね。
ちなみに11月第1火曜日のMelbourne Cupを過ぎると「さあ、もういつ暑くなってもおかしいぞ」という感覚です。

夏(12~2月)
夏はとにかく乾く!そして40度超えも本来ならば(=昨夏は除く)珍しくない。さらに緯度・夏時間が加わって9時頃まで明るいこともある季節です。
植物だと一番夏を感じるのは夾竹桃です。やつらわりと慎重なタチでちょっとやそっとの暑い日では咲かないのですね。
そして町ゆく人のアイスクリーム、ハダシで歩いたり上半身裸でジョギングしてる人だったり。そして勿論海の青さとビーチに群がる人の数は強く夏を思います。
それから12月の始めごろに毎年Myerというショッピングセンターのショーウィンドウに展示されるクリスマスの物語も「お、やっと夏だ!」と思います。
スポーツで言うとテニス(全豪オープン)やクリケットが夏真っ盛りに行われます。

そして夏の終わりになるとなんらかの植物の種なのでしょうか、ふわっとした綿毛がそこらを飛ぶようになります。風に乗ってシティのビルの間を飛んでいるのを見かけるのもしばしば。このふわふわを見ると「ああ、夏も終わりなんだ」と思います。

秋(3~5月)
メルボルンの秋もまた紅葉(のようなもの。家で紅葉植えてる人はいますよ、いっぱい)だったり落葉だったりが特徴的ですね。
Dandenong Roadのトラム5番、64番の通るあたりなんか本当に秋は美しいというか、典型的な秋が見られる、というか。トラムの走るところと車の車線の間の並木が一斉に葉を落とします。
それから秋はイースターの季節なのでいたるところで卵、うさぎ、そしてそれらのチョコレートが。イースターのセールだとうさみみつけた店員さんとかいたり(クリスマスはトナカイの角ですが)。
それから秋はオージーフットボールのシーズンが始まります。様々なチームのユニフォームやグッズを身につけて大勢の人が盛り上がったりしゅんとして電車に乗ってくるようになるのもまた秋の訪れです。

冬(6~8月)
メルボルンでは冬はそんなに寒くなりません。10度を下回る日、というのは少なくとも最高気温でいえばないですね。だからもちろん雪も市街地では降りません。
でもやはり秋から冬にかけてMt HothamやMt Bullerなどでの「スノーシーズン」のことをテレビなどで良くきくようになりますし、スノースポーツをしにそういう地方に行く人はたくさんいます。
でも私がメルボルンの冬っていいな!と思うのは様々な所にある、特にシティの路地裏にあるカフェの外で、街灯みたいな形のヒーターの傍でゆっくりコーヒーを飲む人々の姿。路地裏の雰囲気のなかでのあのヒーターとコーヒー(紅茶・ココアでももちろん可)のぬくもりって本当にありがたいですし、通りすがりでも思わず「あ、コーヒー飲もうかな」とか「外に座るのもいいな」と思います。

そんな冬ですが冬でも半袖平気で着てる人とかいるんですよね、メルボルンって。
それを「すごいなー」と思うことにもまた季節を感じたり(笑)

なんだか書いてて昨夏は夏じゃなかったなーということを思い出しました(汗)
今年はちゃんと夏が来ると良いんですが・・・


そして今日は今日の一曲お休みでここ数日で録音した自分の演奏を2曲アップ。
前回のエントリー(今日の一曲)でちらと書いたんですがどうもテンポが自分が望むより速いんですよね。
また近いうちに録音したいなと思ってるのですがそのときはそこに本当に気をつけたいと、そこに集中して自分を鍛え直したいと思っています。

まずはそうでない方から(汗)


[VOON] Scriabin Prelude op16-3

スクリャービンの前奏曲op. 16-3です。
アレクサンドル・スクリャービン。ロシアの音楽家で、ピアニスト・・・といいたいところですが若いうちに手を痛めて作曲に専念することになりました。
いわゆる「現代音楽」のくくりではかなり早い時代に生きていた彼。中期~後期はなんだか共感覚的なアイディア(弾くとスクリーンに色が出るピアノを作ったり)や独特の思想・感性に結びついた「神秘主義」でちょっとわけの分からない音楽を書いていたスクリャービン。
でもこの前奏曲のように初期の作品はショパンにかなり似たスタイルで曲を書いてました。あえて言えば違いはやっぱりロシアっぽいところかなあ・・・
先ほども書きましたようにピアニストとしても活躍していたスクリャービンは結構技巧が凝った曲も書くのですがたまーにこういうシンプルな音楽も書きます。


[VOON] Szymanowski Metopes l'Iles des Sirenes

シマノフスキの「メトープ」より「セイレーンの島」です。
カロル・シマノフスキはポーランドの作曲家。でもこの「メトープ」を始めギリシャ神話を題材にいろいろ曲を書いてます。
「メトープ」は3つの楽章から成り立っていて、その1つ1つが「オデュッセイア」に出てくる女性キャラを題材にしています。(あと二つはカリュプソーとナウシカアです)
セイレーンは諸説ありますが鳥+女性といういでたちで、曲の書き方は結構それを反映してる感じがします。なんというか女性っぽいけど人間っぽくなくてちょっと鳥っぽい(笑)
実際のセイレーンの「歌」以外の音がめちゃくちゃ多いのです・・・(涙)
今のところこれとカリュプソーと弾いてるので全楽章そろうとき、またはその前にまた落ち着いて再録チャレンジしてみたいです。


それではお耳汚し失礼しました。また近いうちにもうちょっと精進して戻ってきます。

(あ、そういえば忍者ブログが最近開発ラッシュみたいで、拍手お礼画像をつけれるようになりました。なのでいま暫定としてちょっと見で見つけた写真を一枚入れておきました。写真にしろ絵にしろ後ほどゆっくり考えようと思います。)

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Current situation
今日はちょっと日本の今、震災の影響についての話を・・・

ツイッターでちょこちょこ「すきま産業」じゃないですけどこんな支援もあるんだ~というような形の支援が流れてきますね!
ペットに関する支援、眼鏡の寄付、文化財保存・復元だったり切手の換金(今流れてきました)、そして濡れたりした写真などの復元などもあるそう。
そういったことを実現させる技術の発達もそうですが、そういったサービスにアクセスできるための、情報を伝達するためのネットワークの発達も凄い。
もちろんいろいろ手が届かないこと、困ることたくさんありますが、それでも包括して便利な世の中になったなあ、と思います。

以前も書きましては被災地関連の情報は昔住んでいた福島県いわき市に主に絞っています。
最近増えているのはやはり風評被害、さらに言えば避難先での差別に関する懸念。
風評被害は受ける側のパニック・過度な被害意識も問題になりますが、なによりも正しい知識・意識が浸透し、理解が深まることが必要で・・・
自分が今一番強く思っていることなのですが、摂食障害のレクチャーでも去年のPiano Landmarksのあとの飲み会の話でもあったのですが「差別は家の環境から、親の影響から生まれる」ということを本当に全ての「親」である人、そしてそれ以外の全ての人(自分が親からそういった影響を受けていないか、というチェックの意味で)もまた心に深く刻む必要があると思います。

3月11日から1ヶ月を過ぎ、色々なことが変わって来ました。間違いなくポジティブな変化として季節が春になったことがありますが、裏を返せばこれからの夏、被災地・非被災地ともに大きな課題がいくつもあることにはかわりなく・・・
1ヶ月も過ぎれば震災により様々な形で変わった生活に慣れてくる人もいれば、毎日を生きるのに疲れてくる人もいます。少なくとも我慢すること、無意識に感情を抑えてしまうことに慣れてしまうことには十分な時間だと私は思います。
日本人は感情を抑えるのが上手い、東北人は我慢強い、などの言葉を良く聞きますが例えばPTSDなどにおいて(それに限りませんが)そういった傾向はネガティブの方向にも働きかねないことは念頭に置く必要があると思います。
今日読んだ日経メディカルの記事にはいわき市で医療支援を行った方がいわゆる東北人の我慢強さの影響なのか「外の医療機関から入った医師に体の不具合を必ずしも伝えておらず、十分に診察しきれていない印象も受けた」と書いています。
感情などを抑えて我慢したまま長期間それに目を向ける余裕がなかったり、そういうことが続くと押さえた気持ちに気づくことが難しくなり、表現はどんどん難しくなります。

この震災において「心のケア」の重要さはよく説かれています。
ただ被災地でこの震災によりメンタルヘルスに関する影響をうけている人、震災の前から身体的・精神的な疾患・問題を抱えていて薬に関する問題、病状悪化の恐れがある人、被災地以外で心配したり、メディアの影響やその他の不安が精神に影響をきたしている人達、さらには避難して新しい町に移った人達・・・それぞれ違ったケアが必要な中で実際のケアはどうなってるのか、ケアへのアクセスはどうなってるのか、ということが本当に今自分の中で一番気になる、そして心配なところです。

非被災地でももちろんそうなのですが、被災地では本当に震災が起こる前の日常、普通の生活を取り戻したいという気持ちが強いと思います。
復興を願う気持ちは誰にも強くあるものであり、気持ちがはやるのは驚くことではないと思います。
そういうときにあまり先の事だったり、輝かしい未来・希望のビジョンについて考えることは時にその思いを強め、より気持ちがはやり焦りに変わるケースもあるかと思います。
もう精一杯進んでるんだ、という意味では「頑張れ」という言葉をかける行為に少し似たものがあると思います。

そしてまだまだ毎日、一日一日進んでいくだけで精一杯の人もたくさんいるかと思われます。
本当に辛い道を歩んでいるときは目の前しか見えない場合もあって・・・
未来の復興が遠く見えない、見る余裕がない、と感じる人にも毎日振り返って今日も一日精一杯やったと自分をねぎらい、いたわって次の日の希望に繋げていけるこを願っています。

実際の復興作業ももちろん時間がかかります。同時に人の心も時間を必要としています。
変わってしまった現実や日常を受け止める時間、それぞれの新しい生活に慣れる時間、復興についやす時間、休む時間、早急な焦った判断をしないよういつもよりもさらに慎重に、ロジカルに考えるための時間、自分をいたわって上げる時間。
みんな一刻も早く復興を、と思っていますがその思い以上に焦ることなく、焦らせることなく・・・
必要なところにちゃんと時間と労力が行きわたれば、と思います。

生計を立てるのに必死で、とか新しい町で馴染み生活を送るのに忙しく、とか苦しさを感じながら一日一日生きて行くのに精一杯で、など日常を取り戻しそれを維持することでいっぱいいっぱいに感じている人は多いと思います。
でもそういう人こそケア(専門家なり自分なり)に割く時間が大切だ、ということを本当に強く主張したいです。
ケアに割く時間も日常のいろんな大切なことと同じくらい本当に、本当に大切なんだ、と。

音楽においてもメンタルヘルスにおいてももっと力が、知識があったらなあと思うこの頃です。
もっとできることがあったら。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第1番「父のまなざし」



昨日今日とちょっと自分の演奏を録音してました。前みたいにアップする用のを。(この曲ではないです)
人前で演奏するときももちろんそうなんですけど、録音するときも・・・いや、普段からなのかもしれません、結構テンポ速めで弾いてるみたいなんですよね・・・録音して初めて分かるんですが。全部の曲が、というわけじゃないですが「遅すぎるな」と思った事はないです。
基本せっかちなのとあとある程度ごまかし的な都合があって・・・もにょもにょ。

そんな自分を戒めるという意味で、そして今日のエントリーの「焦らず、時間を」的なテーマにも沿ってこの曲をチョイス。
以前「心が弱った時に聴きたい曲」にもチョイスしてますが、本当に究極の焦らない、焦らせない曲。

「父のまなざし」というのはキリスト教で言う三位一体、父・子・聖霊の「父」=神様その人のことです。
自分の分身、生命を持つ人間に宿った神の魂。神はイエスの人生も、死も、彼が受け継ぐ自身の教えも、人間も、そして信仰全体も・・・ひっくるめてどっしりと見据えていて、見渡していて。
前々から書いているように私は無神論者で全知全能の神だったり、その教えや神の人格、「賢」に疑いの眼を向けているのですが、この曲にはその父性のまなざし、というか、おおらかで賢い雰囲気を感じます。
母性における感情的な面とは別の所にある何か。

先ほどリンクしましたエントリーでも書いているのですがこの曲のテンポは1音=1秒。
みんながみんなそのテンポで弾いているわけではないですが(これよりも遅い人もいるんですよ!)、どっちにしてもゆっくりな事に変わりはないです。
和音が連なるメロディー(神の主題)はあるのですが、メロディーが動くとテンポも動く、ということもなく、ゆっくり穏やかに、不変に流れる時。

弾いていても聴いていても自分の中の時間がスローダウンして、焦ることなく「時間そのまま」に流れ。
この曲はいつでも心を落ち着けて、めまぐるしく流れる生活の時間から「元の時間」に心をリセットしてくれます。


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