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自分がまず今現在本当に感謝したいニュース!
NHKグローバルメディアサービスより抜粋:「オーストラリアの外務貿易省は7日、東日本大震災からの復興を何らかの形で支援したいという機運がオーストラリア国内で高まっていることに応えて、被災者へ義援金を送る方法などの情報を集めたウェブサイトを、立ち上げました。」
ここです!http://australiahelps.gov.au/japan/ (英語)
詳しいかといったらちょっと違いますがなにができるか、何をしない方がいいかについて分かりやすく書いてあります。これから自分はここにお世話になりそうです。
そして遅くなりました!4月5日のレクチャーの感想です!
レクチャーはEating Disorders Victoria主催、スピーカーはそこのEducation OfficerであるDr Naomi Crafti。
タイトルは「自分の体を好きになれないときどうするか?」という、摂食障害そのものというよりもそれに関連するボディイメージの問題についてのレクチャーでした。
摂食障害は主にティーンエイジャーが罹患する疾患とあり、さらに家庭や親子関係が関わってくるということもあり、ティーンエイジャーの子供を持つ親へ向けたレクチャーとなっていました。
やはりそれくらいの母親と思われる方々が聴衆には多かったです。確かに子供とのコミュニケーションは母親の方が多いですし、このレクチャーで親側が気をつけることなどについては母親に当てはまる事が多かったですが父親が来ちゃいけないことはないですし、知っておいて損はないですし、子育ての姿勢としても父親がこういう場にいるのは望ましいんじゃないかな―とふと思ったり。
(ちなみに摂食障害についてこのブログで心血を注いだエントリーがこちらにあります。そちらもどうか参照お願いします。)
摂食障害の根本にある問題として自分の身体を好きになれない、そのままで受け入れられないことによる自分の身体の認識の歪みだったり、身体の外見に関して非現実的な理想を持つ、などの問題があります。
これをひっくるめてボディイメージの問題と扱います。
実際ティーンエイジャーという自己・外の世界の認識に多くの不安がある時期でなくとも自分の外見には何かとコンプレックスを持ったり、良いところよりも悪いことが目立ってしまうものらしく。
で、やはり(前述ブログエントリーでも触れましたが)昨今のメディアでの外見重視・瘦せ型重視(マガジンなどでのモデル、俳優などなど)、そしてオーストラリアやアメリカなど肥満大国と呼ばれる国での肥満恐怖・風当たりの強さはネガティブなボディイメージに拍車をかけているらしく。
そして化粧品やダイエット食品などを始め外見を変える類の商品を売る場合の宣伝・広告テクというのは基本「あなたの外見に問題がありますよ」というところを強調することで商品を売るので。
各種メディアが自分のボディイメージを肯定することを妨げ、同時にとても非現実的なボディイメージを理想として打ち出しているということは本当に大きいです。
(よく知られている例としてもしもバービー人形が人間だったら体型的にはとても立てることどころか生命を維持できないであろうということが上げられますね。結構良く聞くたとえ話。)
こういったボディイメージの問題は若い女性のみならず、最近はもっと影響するpopulationの幅が広がっているそうです。もちろん実際太っているのみならず健康に何ら問題のない体型の人も。
年齢的に言えば思春期を迎える前の子供でも以前よりお洒落や化粧に興味を持つ子が増え、自分の外見をもとよりもっと良くしよう、という意志がより高くみられるようです。
そして摂食障害の患者さんの年齢は下限だけでなく上限も広がっているとの話も。
さらに男性も(より大きく、より小さくどちらでも)自分の身体に不満を持つ人が増え、摂食障害の男性患者さんも増えているとのことです。
(10年前私が入院しているときの仲間にも主疾患ではなかったそうですが摂食障害的なものを抱えた男の子がいました。今はだからもっと増えているのでしょうか。病院での摂食障害専門のお医者さんは女性でしたが男性の専門家も需要がますます増えますね)
今回のレクチャーさんのスピーカーさん曰く、外見や体重、体型についてからかったりいじめたりすることはどこでも珍しいことではないのですがそれは例えば人種や障害、性別などについて差別することと同じように捉えるべきである、ということで。
今の社会においては同じくらい深刻な問題である、ということでもあります。
痩せてるか太ってるか、と外見で判断するのでなく健康(的)であるかどうか、というところに重要点をもってかなきゃいかない、と。
特に友達とそういう外見の話になることはティーンは多いと思われるので、家庭では少なくともそうでないものの大切さなどにフォーカスをシフトしていくことを大切にしないと、という話がありました。
家の中で子供におって親が良き模範になることが大切だって事が強調されていて。
以前他のところでも聞いたのですが差別というのは家庭の中の環境、親の影響により生まれることが多いらしいです。
ただやはりティーンエイジャーとなるとちょうど家族よりも友達の繋がりを大切にし始める時期なのでそこのところ本当に難しいですが・・・
あとはダイエットの悪影響について。
ダイエットは体重を減らすどころか逆効果になる、(あと運動することと体重を減らすことを繋げちゃいけない、という話だったり)それだけでなく、ダイエットにより起きるDisordered eating = 不健康な食習慣は摂食障害のリスクになる、という。
Disordered eatingには食事を抜かしたり、食物の種類を抜かしたり偏らせたり、大量に食べたりそれを吐いたりなど些細と思われる、誰でも経験があるようなことから明らかにいけないぞ、と分かることまでいろいろあります。
Disordered eatingはそれが習慣化することによっていろんな影響を人に及ぼします。
食事を抜かすことによる血糖値の急降下、その反動として大量に食べることによる急上昇だったり、栄養の偏りだったり。さらには食により自分の身体に栄養を与え養う、ケアする感覚を失い、摂食障害に関するリスクを作り兼ねない、ということらしいです。
(ちなみに最近ではOrtholexia Nervosaという、健康に食べることに過度に神経質になるという現象もあるそうです)
摂食障害のサインを子供に認めたとき、親としてはどうしたらいいか、というのがおそらくこのレクチャーで聴衆が最も興味あるポイントだったのではないかと思います。
そういった自己破壊的な行動を止める際、権力を振りかざしたり批判したり、うまいことだまそうとしたりせず、外見のことや食べることについて追求するのではなく健康について心配している、とかに焦点をシフトしないとぶつかるばかりだ、という話がありました。
摂食障害を防ぐ、食い止めるために育て養う考え方や感覚はたくさんあります。
まずは友達、家族と繋がっている、愛のある繋がりを持つこと。他人に大切にされていると感じることは自分を大切にすること、自分を愛することに繋がります。
(ここでちょっと自分が思ったことなのですが恋人と心で愛し合うだけでなく身体でも愛し合うこともこれに繋がるんじゃないかなあ、と思います。恋人に身体を好きだと言われたり表現されたり、また他人の身体を愛しその愛を表現することはボディイメージに大きな意味を持つと思うんですよ。)
さらに自分の良いところと悪いところ、できることできないことを理解して受け入れること(そして同時に現実的な理想像を持つこと)、そしてそれにより自分に自信を持って、自己意識を高め。プラス自分の存在・人生には意味があるんだと実感できる、例えば何か打ち込めるものを見つける、など。
そして他の差別と同様、体型に関しても「違い」を愛し、好きになり、寛容な視点を持つことも大切です。
幸せはどんな体型の人にもやってくる、痩せる=幸せになる、ということではないと。
あとは「食」を大切にすること。食事の時間を大事にし、食事が自分の心と体を養うことを実感すること。(料理することもまた良いそうです)
そして摂食障害の性格的なリスク要因として完璧主義的な傾向があげられますが、間違いをおかすことを許し、間違いから学べるようすることで困難に耐えられる力をつけることも大切だそうです(今の時代、ミスを犯すことに関して本当に厳しい世界ですからね)。
忘れてはならないのがメディアリテラシー。メディアにおける「理想像」が非現実的なものと気づくこと、商品広告は商品を売ろうとしている目的があることを考慮すること、などなど・・・
最後に、今回のレクチャーは主に西洋文化、ことにアメリカやオーストラリアに関しての話でした。
日本では若干事情が違うとは思います。
ここからは私のあくまでも今の、あまり事情をしらない上での印象なのですが・・・
日本ではもともと太りにくい人種ではありますし、肥満は豪・米ほど大きい問題とはされていません。
すらっとした人がもてはやされ(日本では男性も「細マッチョ」が人気とされてたりしますね)、太った人がそれでからかわれることはもちろんあります。(ただ日本の太ってるといわれる人ってそれほどでもないんですよね・・・そういうところは確かに問題。)
ただそのモデル細すぎるぞ!という声がなかなか上がらないのは問題意識が薄いのか、それとも比較的極端な傾向ではないからか、そこがわからないのですが・・・
ただ性格的・環境的要員に限って言えば完璧主義的、母子の繋がりが親密ではない場合が多い、人(友達など)の目を気にする、間違いをおかすことがタブーとされている・・・などの面で日本人は摂食障害のリスクが高いのではないかと思います。
なかなかこっちにいると日本のこういう事情って分からないのですが・・・わりと自分の中でのイメージとギャップを感じたり、疑問を感じたりしたので。
やっぱりこのエリアは本当に自分にとってキーだな、と思うので・・・レクチャーでプリントももらったりしたのでこれから勉強を続けなくちゃ!
今日の一曲: リヒャルト・ワーグナー 「ジークフリート牧歌」
昨日ちょっとTwitterでワーグナーの話をしていたので。
やる気がでるかといえばでないワーグナーです(笑)(とあるTV番組で言ってたらしいので。でもワーグナーの音楽でやる気が出るのは本当に有名なうちの一握りだと思います。)
何回も書いてますが自分はワーグナーの人柄・音楽が基本嫌いですがこれはまあまあ・・・かな。
(創作家としてはこの上なく尊敬していますが)
ちなみに同年代の周りの音楽家達もワーグナーはなあ・・・と苦い反応が多いのですが(ワーグナーといえばナチスをイメージする人も結構。まあ確かにそうなんですがね、強く)、「でもジークフリート牧歌だけはいい」という声も実は多かったり。
ジークフリート牧歌はワーグナーのわりとプライベートな作品、というか。
妻コジマ(リストの娘なんです)と子供達、特に生まれたばかり(ばかり、という感じではないか)の息子ジークフリートのために書かれました。
(ジークフリートは当時書いてたニーベルングの指環の登場人物からつけてるのかしら。あとイゾルデという娘もいるんですよね)
だからオペラなどではばかでかい編成のオケを使うワーグナーですがこの曲に関しては弦楽器中心の町アンサンブルを使用。
そしてロマン主義を過熟させた張本人と言われるほど感情やハーモニーを本当にいきつくところまでもってっちゃった彼ですがこの曲は本当にシンプルで、そのまま「牧歌的」で。
ドイツ音楽においてベートーヴェンの継承者は誰だ、という論争が昔も今もありますが、自分で立候補したワーグナーを当然(?)私は良く思わないんですが(ブラームス派なんです、断然)、でもこの曲を聴くと「ああなるほどな」と思います。
なんと言いますか、自然と繋がってる感じが本当にベートーヴェンに似てて。
前述「ニーベルングの指環」という巨大な楽劇(全部で15時間!)の中の「ジークフリート」という楽劇とこの曲は共通の音楽エレメントを使ってるのですが、この楽劇の物語の(ただの森でなく)神秘的な森、みたいなイメージもまた共通してる感じがします。
ニーベルングの指環は別ものでものすごく面白いので先ほどリンクしましたWikipediaの記事を見てみるのをお勧めします。
リラックスしたいとき、本当にお勧めの特別な曲です♪
(ただワーグナーらしいワーグナーではないのでワーグナーを知りたい方は別の曲の方がいいです)
NHKグローバルメディアサービスより抜粋:「オーストラリアの外務貿易省は7日、東日本大震災からの復興を何らかの形で支援したいという機運がオーストラリア国内で高まっていることに応えて、被災者へ義援金を送る方法などの情報を集めたウェブサイトを、立ち上げました。」
ここです!http://australiahelps.gov.au/japan/ (英語)
詳しいかといったらちょっと違いますがなにができるか、何をしない方がいいかについて分かりやすく書いてあります。これから自分はここにお世話になりそうです。
そして遅くなりました!4月5日のレクチャーの感想です!
レクチャーはEating Disorders Victoria主催、スピーカーはそこのEducation OfficerであるDr Naomi Crafti。
タイトルは「自分の体を好きになれないときどうするか?」という、摂食障害そのものというよりもそれに関連するボディイメージの問題についてのレクチャーでした。
摂食障害は主にティーンエイジャーが罹患する疾患とあり、さらに家庭や親子関係が関わってくるということもあり、ティーンエイジャーの子供を持つ親へ向けたレクチャーとなっていました。
やはりそれくらいの母親と思われる方々が聴衆には多かったです。確かに子供とのコミュニケーションは母親の方が多いですし、このレクチャーで親側が気をつけることなどについては母親に当てはまる事が多かったですが父親が来ちゃいけないことはないですし、知っておいて損はないですし、子育ての姿勢としても父親がこういう場にいるのは望ましいんじゃないかな―とふと思ったり。
(ちなみに摂食障害についてこのブログで心血を注いだエントリーがこちらにあります。そちらもどうか参照お願いします。)
摂食障害の根本にある問題として自分の身体を好きになれない、そのままで受け入れられないことによる自分の身体の認識の歪みだったり、身体の外見に関して非現実的な理想を持つ、などの問題があります。
これをひっくるめてボディイメージの問題と扱います。
実際ティーンエイジャーという自己・外の世界の認識に多くの不安がある時期でなくとも自分の外見には何かとコンプレックスを持ったり、良いところよりも悪いことが目立ってしまうものらしく。
で、やはり(前述ブログエントリーでも触れましたが)昨今のメディアでの外見重視・瘦せ型重視(マガジンなどでのモデル、俳優などなど)、そしてオーストラリアやアメリカなど肥満大国と呼ばれる国での肥満恐怖・風当たりの強さはネガティブなボディイメージに拍車をかけているらしく。
そして化粧品やダイエット食品などを始め外見を変える類の商品を売る場合の宣伝・広告テクというのは基本「あなたの外見に問題がありますよ」というところを強調することで商品を売るので。
各種メディアが自分のボディイメージを肯定することを妨げ、同時にとても非現実的なボディイメージを理想として打ち出しているということは本当に大きいです。
(よく知られている例としてもしもバービー人形が人間だったら体型的にはとても立てることどころか生命を維持できないであろうということが上げられますね。結構良く聞くたとえ話。)
こういったボディイメージの問題は若い女性のみならず、最近はもっと影響するpopulationの幅が広がっているそうです。もちろん実際太っているのみならず健康に何ら問題のない体型の人も。
年齢的に言えば思春期を迎える前の子供でも以前よりお洒落や化粧に興味を持つ子が増え、自分の外見をもとよりもっと良くしよう、という意志がより高くみられるようです。
そして摂食障害の患者さんの年齢は下限だけでなく上限も広がっているとの話も。
さらに男性も(より大きく、より小さくどちらでも)自分の身体に不満を持つ人が増え、摂食障害の男性患者さんも増えているとのことです。
(10年前私が入院しているときの仲間にも主疾患ではなかったそうですが摂食障害的なものを抱えた男の子がいました。今はだからもっと増えているのでしょうか。病院での摂食障害専門のお医者さんは女性でしたが男性の専門家も需要がますます増えますね)
今回のレクチャーさんのスピーカーさん曰く、外見や体重、体型についてからかったりいじめたりすることはどこでも珍しいことではないのですがそれは例えば人種や障害、性別などについて差別することと同じように捉えるべきである、ということで。
今の社会においては同じくらい深刻な問題である、ということでもあります。
痩せてるか太ってるか、と外見で判断するのでなく健康(的)であるかどうか、というところに重要点をもってかなきゃいかない、と。
特に友達とそういう外見の話になることはティーンは多いと思われるので、家庭では少なくともそうでないものの大切さなどにフォーカスをシフトしていくことを大切にしないと、という話がありました。
家の中で子供におって親が良き模範になることが大切だって事が強調されていて。
以前他のところでも聞いたのですが差別というのは家庭の中の環境、親の影響により生まれることが多いらしいです。
ただやはりティーンエイジャーとなるとちょうど家族よりも友達の繋がりを大切にし始める時期なのでそこのところ本当に難しいですが・・・
あとはダイエットの悪影響について。
ダイエットは体重を減らすどころか逆効果になる、(あと運動することと体重を減らすことを繋げちゃいけない、という話だったり)それだけでなく、ダイエットにより起きるDisordered eating = 不健康な食習慣は摂食障害のリスクになる、という。
Disordered eatingには食事を抜かしたり、食物の種類を抜かしたり偏らせたり、大量に食べたりそれを吐いたりなど些細と思われる、誰でも経験があるようなことから明らかにいけないぞ、と分かることまでいろいろあります。
Disordered eatingはそれが習慣化することによっていろんな影響を人に及ぼします。
食事を抜かすことによる血糖値の急降下、その反動として大量に食べることによる急上昇だったり、栄養の偏りだったり。さらには食により自分の身体に栄養を与え養う、ケアする感覚を失い、摂食障害に関するリスクを作り兼ねない、ということらしいです。
(ちなみに最近ではOrtholexia Nervosaという、健康に食べることに過度に神経質になるという現象もあるそうです)
摂食障害のサインを子供に認めたとき、親としてはどうしたらいいか、というのがおそらくこのレクチャーで聴衆が最も興味あるポイントだったのではないかと思います。
そういった自己破壊的な行動を止める際、権力を振りかざしたり批判したり、うまいことだまそうとしたりせず、外見のことや食べることについて追求するのではなく健康について心配している、とかに焦点をシフトしないとぶつかるばかりだ、という話がありました。
摂食障害を防ぐ、食い止めるために育て養う考え方や感覚はたくさんあります。
まずは友達、家族と繋がっている、愛のある繋がりを持つこと。他人に大切にされていると感じることは自分を大切にすること、自分を愛することに繋がります。
(ここでちょっと自分が思ったことなのですが恋人と心で愛し合うだけでなく身体でも愛し合うこともこれに繋がるんじゃないかなあ、と思います。恋人に身体を好きだと言われたり表現されたり、また他人の身体を愛しその愛を表現することはボディイメージに大きな意味を持つと思うんですよ。)
さらに自分の良いところと悪いところ、できることできないことを理解して受け入れること(そして同時に現実的な理想像を持つこと)、そしてそれにより自分に自信を持って、自己意識を高め。プラス自分の存在・人生には意味があるんだと実感できる、例えば何か打ち込めるものを見つける、など。
そして他の差別と同様、体型に関しても「違い」を愛し、好きになり、寛容な視点を持つことも大切です。
幸せはどんな体型の人にもやってくる、痩せる=幸せになる、ということではないと。
あとは「食」を大切にすること。食事の時間を大事にし、食事が自分の心と体を養うことを実感すること。(料理することもまた良いそうです)
そして摂食障害の性格的なリスク要因として完璧主義的な傾向があげられますが、間違いをおかすことを許し、間違いから学べるようすることで困難に耐えられる力をつけることも大切だそうです(今の時代、ミスを犯すことに関して本当に厳しい世界ですからね)。
忘れてはならないのがメディアリテラシー。メディアにおける「理想像」が非現実的なものと気づくこと、商品広告は商品を売ろうとしている目的があることを考慮すること、などなど・・・
最後に、今回のレクチャーは主に西洋文化、ことにアメリカやオーストラリアに関しての話でした。
日本では若干事情が違うとは思います。
ここからは私のあくまでも今の、あまり事情をしらない上での印象なのですが・・・
日本ではもともと太りにくい人種ではありますし、肥満は豪・米ほど大きい問題とはされていません。
すらっとした人がもてはやされ(日本では男性も「細マッチョ」が人気とされてたりしますね)、太った人がそれでからかわれることはもちろんあります。(ただ日本の太ってるといわれる人ってそれほどでもないんですよね・・・そういうところは確かに問題。)
ただそのモデル細すぎるぞ!という声がなかなか上がらないのは問題意識が薄いのか、それとも比較的極端な傾向ではないからか、そこがわからないのですが・・・
ただ性格的・環境的要員に限って言えば完璧主義的、母子の繋がりが親密ではない場合が多い、人(友達など)の目を気にする、間違いをおかすことがタブーとされている・・・などの面で日本人は摂食障害のリスクが高いのではないかと思います。
なかなかこっちにいると日本のこういう事情って分からないのですが・・・わりと自分の中でのイメージとギャップを感じたり、疑問を感じたりしたので。
やっぱりこのエリアは本当に自分にとってキーだな、と思うので・・・レクチャーでプリントももらったりしたのでこれから勉強を続けなくちゃ!
今日の一曲: リヒャルト・ワーグナー 「ジークフリート牧歌」
昨日ちょっとTwitterでワーグナーの話をしていたので。
やる気がでるかといえばでないワーグナーです(笑)(とあるTV番組で言ってたらしいので。でもワーグナーの音楽でやる気が出るのは本当に有名なうちの一握りだと思います。)
何回も書いてますが自分はワーグナーの人柄・音楽が基本嫌いですがこれはまあまあ・・・かな。
(創作家としてはこの上なく尊敬していますが)
ちなみに同年代の周りの音楽家達もワーグナーはなあ・・・と苦い反応が多いのですが(ワーグナーといえばナチスをイメージする人も結構。まあ確かにそうなんですがね、強く)、「でもジークフリート牧歌だけはいい」という声も実は多かったり。
ジークフリート牧歌はワーグナーのわりとプライベートな作品、というか。
妻コジマ(リストの娘なんです)と子供達、特に生まれたばかり(ばかり、という感じではないか)の息子ジークフリートのために書かれました。
(ジークフリートは当時書いてたニーベルングの指環の登場人物からつけてるのかしら。あとイゾルデという娘もいるんですよね)
だからオペラなどではばかでかい編成のオケを使うワーグナーですがこの曲に関しては弦楽器中心の町アンサンブルを使用。
そしてロマン主義を過熟させた張本人と言われるほど感情やハーモニーを本当にいきつくところまでもってっちゃった彼ですがこの曲は本当にシンプルで、そのまま「牧歌的」で。
ドイツ音楽においてベートーヴェンの継承者は誰だ、という論争が昔も今もありますが、自分で立候補したワーグナーを当然(?)私は良く思わないんですが(ブラームス派なんです、断然)、でもこの曲を聴くと「ああなるほどな」と思います。
なんと言いますか、自然と繋がってる感じが本当にベートーヴェンに似てて。
前述「ニーベルングの指環」という巨大な楽劇(全部で15時間!)の中の「ジークフリート」という楽劇とこの曲は共通の音楽エレメントを使ってるのですが、この楽劇の物語の(ただの森でなく)神秘的な森、みたいなイメージもまた共通してる感じがします。
ニーベルングの指環は別ものでものすごく面白いので先ほどリンクしましたWikipediaの記事を見てみるのをお勧めします。
リラックスしたいとき、本当にお勧めの特別な曲です♪
(ただワーグナーらしいワーグナーではないのでワーグナーを知りたい方は別の曲の方がいいです)
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いろいろ書きたいトピックあるなーとも思いつつもここ数日どうも調子がふるわず。
全体的に不安定というか、自分の気持ちがいつもの安定・堅さを持ち合わせてないな~と。
寒い季節への移り変わり、そしてバイオリズムの関係でやっぱりいろんなところが弱ってます。
そんな中今日は久しぶりに(合計で言えば)大きな買い物を。
Wiley-Blackwellの生理学・薬理学のテキストブックを大学の本屋さんに買いに行って、そしてBordersオンラインでロルカの詩集を2冊購入しました。
生理学はLecture Noteシリーズで図も多めながらわりとしっかりテキストブック。
薬理学は図説が充実した簡潔なAt a Glanceシリーズ。
どちらも仕事関連の知識をつけるため。去年買った医療関係統計学の本も読めてないのですが少しずつでも読めるといいなと思ってます。
読めなくともまあ・・・仕事で分からない事があったときに手元にあると調べられますしね。
とりあえずこの2冊で基本をカバー、ということで。
テキストブックはでもこれが終わりじゃありません。
あとは同じくWiley-BlackwellのLecture Noteシリーズで生化学、それからなんらかの心理学・メンタルヘルスのテキストブックもそろえたい。
メンタルヘルスは薄いのに高いやつならあったのですが・・・
心理学で包括的な、いわゆる「大学一年生用」な感じでいろんなエリアの基本を押さえてるやつを見つけるのは難しいですね。お値段もするのでなるべく中を見て納得したのを買いたいな、と店やネットで探しています。
ロルカの詩集。クラムの音楽の勉強の一部として、そしてロルカの詩が好きなので購入なのですがなかなかクラムの音楽でカバーされてるものを網羅するのは1冊では無理で。
あとやっぱり翻訳に好みがありますし、それはじっくり読まないと分からないものなので・・・
ちなみにこないだボードレールの「悪の華」を(衝動買いで)買ったときも思ったのですが、最近は詩集もわりと知られた出版社のものの多くは原語・英語併記がスタンダードなんですね。
ものすごくHelpfulです。
(ちなみに大きい方の詩集はdeliveryに数週間かかるそうです。お楽しみお楽しみ)
クラム関係ではこないだ読みましたEdition Petersのクラムの本、そして新神話主義の本も(まだ図書館に返してませんが)手元にほしいです。どっちかわすれたんですけどイギリスのAmazonで格段と安かったりしてまだまだ吟味中です。
どのみちこれで少なくとも今月は本はこれ以上買えませんが(汗)
メルボルンはすっかり秋。昨日夏時間が終わって日没が早くなりました。
でも世の小中高校は2月に1学期が始まったイースターで秋休み。どこも1学期・4学期が夏制服、2学期・3学期が冬制服なのですが、今年は夏が短くイースターも遅いため寒くても学生達はみんな夏服!セーターは着てますが生足&ショートソックスです。でも割と平気そうです、さすがはオージー。
イースターといえば(すでにクリスマスが終わった時点から始まってますが)イースターエッグ&バニーのチョコレートがどんどん食料品店に出回ってます。
去年はKoko Blackの店頭にいっぱいイースターエッグチョコレート(わりとでかいやつ)がぶらさがってたのですが今年はチョコバニーとチョコニワトリがちょこんちょこんと。
イースターだからKoko BlackとかHaigh'sとかのちょっとお高いチョコレート、買っても良いかな―とか・・・思ったりしてます。
Koko Blackはカフェとしても行きたいなあ・・・ホットココアが美味しい季節になりましたし。
今日はHaunted Bookshopが閉店で残念でした。
この変な調子でいくといろいろ(主にAlchemy Gothicのアクセサリー)ほしくなって後でもだえるかな―とか、まさかまさかとは思いますがもしかしたら予期せぬ散財しちゃうかも・・・とか思って迷ってはいましたがいざ開いてないとやっぱり残念。
妙に落ち着くんですよね、あそこ。
こう寒いとどうしても調子や寒さ自体で外に出るのがおっくうになりがちですが・・・
なんとか色々都合をつけて外に出たいです。
もちろん明日のレクチャー、これからまだコンサートもありますし、それから州立博物館にツタンカーメン展が無事来るので(8日から!)、なるべく早い時期とイースター休みを避けて(日本のGW辺り?)に行きたいなと思ってます。
今日はここらで。明日はレクチャーがあるのでお休みです。
そして次回はレクチャーの感想をまとめたいですね。
あ、ちなみにレクチャーのトピックは摂食障害における「ボディイメージ」についてです。
今日の一曲: The Beatles 「The Long and Winding Road」
最近クラシック以外扱ってなくてちょっと他のエリアが寂しげなので投入。
(本当はクレズマーあたりもう一回投下したいのですがまだまだこのコーナー書けるほどは馴染んでないので・・・精進必須!)
もともと家にビートルズのCDとかスコア(コンプリート!)があったりして。
父がギターで友達と弾いてたりした記憶もありますし、よくピアノレッスンの行き帰りとか聴いていた覚えもあります。
こちらに来る前は英語は一切習ったことはなかったのですがこっちに来る前・来た後にビートルズを聴いてたことで英語に耳が馴染んでたのかな~という感じは振り返ってみてありますね。
ビートルズだと好きなのはStrawberry Fields Forever、Let It Beあたりに合わせてこのThe Long and Winding Road。
(そういえば日本に一時帰国してコムサいくとビートルズがかかってますがこの歌を聴く確率めっちゃ高いですね(笑))
ちょうどCDの最後にこの歌があってそのまま余韻を味わえるのもいいですね。
ものすごくこう、懐かしい感じというか。遠く前を見ているけれど、心は振り返っていたり。
歌詞からももちろんそうなんですけど、「独り」を感じます。必ずしも悪い意味でなく。
なんとなくこう、自分と向き合ってる内向き感が好みに合います(先ほど挙げた他の歌もそっち系統ですね)
ビートルズの他の歌もそうだけど弦のアンサンブルがいい感じなんですよね~
夕方に仕事を終えようとしてる時にこの曲がipodで回ってくるとまあ持ってかれますよ、いろいろ。
でもこれもまた好きだから、感じるものが多いからあまり聴かない曲で。
自分の中で容易に再生できる、というのもあります。長年聴いてきたので。
あと自分が選んで聴くよりも先ほども言いましたように「回ってくる」、偶然出会うのが嬉しいですね。
その楽しみがやっぱり良いんです。
次のこの曲との出会いが楽しみです。
(あれ、Amazon Japanで自分の持ってる録音がみつからなかった・・・)
全体的に不安定というか、自分の気持ちがいつもの安定・堅さを持ち合わせてないな~と。
寒い季節への移り変わり、そしてバイオリズムの関係でやっぱりいろんなところが弱ってます。
そんな中今日は久しぶりに(合計で言えば)大きな買い物を。
Wiley-Blackwellの生理学・薬理学のテキストブックを大学の本屋さんに買いに行って、そしてBordersオンラインでロルカの詩集を2冊購入しました。
生理学はLecture Noteシリーズで図も多めながらわりとしっかりテキストブック。
薬理学は図説が充実した簡潔なAt a Glanceシリーズ。
どちらも仕事関連の知識をつけるため。去年買った医療関係統計学の本も読めてないのですが少しずつでも読めるといいなと思ってます。
読めなくともまあ・・・仕事で分からない事があったときに手元にあると調べられますしね。
とりあえずこの2冊で基本をカバー、ということで。
テキストブックはでもこれが終わりじゃありません。
あとは同じくWiley-BlackwellのLecture Noteシリーズで生化学、それからなんらかの心理学・メンタルヘルスのテキストブックもそろえたい。
メンタルヘルスは薄いのに高いやつならあったのですが・・・
心理学で包括的な、いわゆる「大学一年生用」な感じでいろんなエリアの基本を押さえてるやつを見つけるのは難しいですね。お値段もするのでなるべく中を見て納得したのを買いたいな、と店やネットで探しています。
ロルカの詩集。クラムの音楽の勉強の一部として、そしてロルカの詩が好きなので購入なのですがなかなかクラムの音楽でカバーされてるものを網羅するのは1冊では無理で。
あとやっぱり翻訳に好みがありますし、それはじっくり読まないと分からないものなので・・・
ちなみにこないだボードレールの「悪の華」を(衝動買いで)買ったときも思ったのですが、最近は詩集もわりと知られた出版社のものの多くは原語・英語併記がスタンダードなんですね。
ものすごくHelpfulです。
(ちなみに大きい方の詩集はdeliveryに数週間かかるそうです。お楽しみお楽しみ)
クラム関係ではこないだ読みましたEdition Petersのクラムの本、そして新神話主義の本も(まだ図書館に返してませんが)手元にほしいです。どっちかわすれたんですけどイギリスのAmazonで格段と安かったりしてまだまだ吟味中です。
どのみちこれで少なくとも今月は本はこれ以上買えませんが(汗)
メルボルンはすっかり秋。昨日夏時間が終わって日没が早くなりました。
でも世の小中高校は2月に1学期が始まったイースターで秋休み。どこも1学期・4学期が夏制服、2学期・3学期が冬制服なのですが、今年は夏が短くイースターも遅いため寒くても学生達はみんな夏服!セーターは着てますが生足&ショートソックスです。でも割と平気そうです、さすがはオージー。
イースターといえば(すでにクリスマスが終わった時点から始まってますが)イースターエッグ&バニーのチョコレートがどんどん食料品店に出回ってます。
去年はKoko Blackの店頭にいっぱいイースターエッグチョコレート(わりとでかいやつ)がぶらさがってたのですが今年はチョコバニーとチョコニワトリがちょこんちょこんと。
イースターだからKoko BlackとかHaigh'sとかのちょっとお高いチョコレート、買っても良いかな―とか・・・思ったりしてます。
Koko Blackはカフェとしても行きたいなあ・・・ホットココアが美味しい季節になりましたし。
今日はHaunted Bookshopが閉店で残念でした。
この変な調子でいくといろいろ(主にAlchemy Gothicのアクセサリー)ほしくなって後でもだえるかな―とか、まさかまさかとは思いますがもしかしたら予期せぬ散財しちゃうかも・・・とか思って迷ってはいましたがいざ開いてないとやっぱり残念。
妙に落ち着くんですよね、あそこ。
こう寒いとどうしても調子や寒さ自体で外に出るのがおっくうになりがちですが・・・
なんとか色々都合をつけて外に出たいです。
もちろん明日のレクチャー、これからまだコンサートもありますし、それから州立博物館にツタンカーメン展が無事来るので(8日から!)、なるべく早い時期とイースター休みを避けて(日本のGW辺り?)に行きたいなと思ってます。
今日はここらで。明日はレクチャーがあるのでお休みです。
そして次回はレクチャーの感想をまとめたいですね。
あ、ちなみにレクチャーのトピックは摂食障害における「ボディイメージ」についてです。
今日の一曲: The Beatles 「The Long and Winding Road」
最近クラシック以外扱ってなくてちょっと他のエリアが寂しげなので投入。
(本当はクレズマーあたりもう一回投下したいのですがまだまだこのコーナー書けるほどは馴染んでないので・・・精進必須!)
もともと家にビートルズのCDとかスコア(コンプリート!)があったりして。
父がギターで友達と弾いてたりした記憶もありますし、よくピアノレッスンの行き帰りとか聴いていた覚えもあります。
こちらに来る前は英語は一切習ったことはなかったのですがこっちに来る前・来た後にビートルズを聴いてたことで英語に耳が馴染んでたのかな~という感じは振り返ってみてありますね。
ビートルズだと好きなのはStrawberry Fields Forever、Let It Beあたりに合わせてこのThe Long and Winding Road。
(そういえば日本に一時帰国してコムサいくとビートルズがかかってますがこの歌を聴く確率めっちゃ高いですね(笑))
ちょうどCDの最後にこの歌があってそのまま余韻を味わえるのもいいですね。
ものすごくこう、懐かしい感じというか。遠く前を見ているけれど、心は振り返っていたり。
歌詞からももちろんそうなんですけど、「独り」を感じます。必ずしも悪い意味でなく。
なんとなくこう、自分と向き合ってる内向き感が好みに合います(先ほど挙げた他の歌もそっち系統ですね)
ビートルズの他の歌もそうだけど弦のアンサンブルがいい感じなんですよね~
夕方に仕事を終えようとしてる時にこの曲がipodで回ってくるとまあ持ってかれますよ、いろいろ。
でもこれもまた好きだから、感じるものが多いからあまり聴かない曲で。
自分の中で容易に再生できる、というのもあります。長年聴いてきたので。
あと自分が選んで聴くよりも先ほども言いましたように「回ってくる」、偶然出会うのが嬉しいですね。
その楽しみがやっぱり良いんです。
次のこの曲との出会いが楽しみです。
(あれ、Amazon Japanで自分の持ってる録音がみつからなかった・・・)
一昨日、大分久しぶりに寝付けないという経験をしました。
何回か書いてるようにどっちかというと過眠傾向にあるのですが、深く眠ってるときに(いらない)メールがきてiphoneが鳴ったのに起こされて・・・という経緯で。
結局は寝れたのですが不思議な夢を見ました。
夢の中で音楽が流れてるんですけど、スタイルはまったくそのままヴォーン=ウィリアムスの音楽で・・・でも聴いたことない曲で。
以前「今日の一曲」」で紹介したモンポウの「歌と踊り」第5番は彼が夢の中で聞いた音楽を起こしたものなのですが、その話を先生にしたら「夢の中までカタルーニャ風なんだね」と先生が言ってまして。
日本生まれでオーストラリア在住の私がなぜ無意識レベルにイギリスの印象派ともいえるヴォーン=ウィリアムスの音楽を飼ってるか分からないのですが(きっと時によって変わる?)、本当に面白い体験をしました。
本当に弦の響きとハーモニーがあの独特のテイストで、本当に美しくて。
書き起こせたらなあー!
(そして次回はクラムでお願いします!)
さて、そのヴォーン=ウィリアムスなのですが、死に面して面白いことを言っていました。
もしも生まれ変わるのなら音楽家になって音楽をするのは骨が折れるから、音楽そのものになりたい、と彼は言ったそうです。(そしてそれが彼の言葉で記録されたうちの最後になったそうです)
確かに楽しい反面、音楽をするのは(例えそれがどんな形でも)「骨が折れる」部分もあります。
私たちは人間で、肉体があって、肉体的な制限、認知的な制限があり。自分の体と心を生かしていかなくちゃいけない。生きて行く上でたくさん意図の他で悩むことも苦しむこともある。
音楽をやるときだけに限ってもたくさんの縛りがあって、超えられないこともある。
Earthseaでも人と竜の違いについて「人間はなにかをするけれど、竜はただ「ある」だけだ」というような記述があります。音楽をするよりも音楽そのものでありたい、そんな欲求を抱く人は多いんじゃないでしょうか。
自分だったらどんな音楽になるか、なりたいか・・・と考えるとなかなかそれを表現するのは難しい。
なので今存在する、自分が知ってる曲でどんな曲になりたいかのトップ5を選んでみました。
カウントダウン形式でやってみます~
(ちなみに生まれ変わり自体はあんまり信じてません・・・というか死んだらそれで終わりにしたいよ、という感じです)
5位: レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 「トマス・タリスの主題による幻想曲」
張本人の曲です(笑)もう3回弾いている、なじみ深い曲であり、大変美しい曲。
弦楽でこの曲の「一部になる」という感覚、この曲を内から見たり感じたりすることの不思議さ、喜び。
そして分け入って、拡大して詳細を見てみても、ぶわーっと一気に体と心を任せてもどっちも良い音楽です。
4位: モーリス・ラヴェル 「夜のガスパール」
どの楽章になっても楽しそう。ラヴェルのあの「完璧」に近い音楽に自分がなれるのか、なっていいのか、というのはこの際別とします。「するのは骨が折れる」という意味では確かにラヴェルは本当に難しいですけど本当にいい音楽なので、苦労せずにできたらな・・・という下心みたいなものはあります(笑)
3位: ジョージ・クラム 「Songs, Drones and Refrains of Death」
Lux Aeternaだったり、Ancient Voices of Childrenだったり、マクロコスモスシリーズの各曲も本当に捨てがたいけれど、この曲の果てしない黒さ、色んな色彩の「黒」、深さだったり暗い躍動に憧れてます♪
もちろんクラムの音楽の多くに共通する独特の空間・時間の感覚だったり、ある意味生命のコアみたいなことだったり。音楽を超えてそういうなんらかの生命体になりたい・・・?
2位: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガ第16番 変ロ短調
もういろんなところで出してますね、この曲。本当に弾いてるときもめちゃくちゃ自分に近く感じて、自分が死ぬときこういう(フーガ)感じなのかな、とか思ったりして。あとこの曲は自分のもの、というような感覚も強くて。今自分が生きて変化しながら蓄積していくこの曲のイメージや解釈も自分が死んだらなくなるんだ、と思うと少し惜しい気がするんですよね。この曲になってそれだけでも生きながらえたい。
1位: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第17番「沈黙のまなざし」
まだ1位2位ぎりぎり迷ってるのですがやっぱりこれかなー。もちろん好きの度合い、親しみの深さもありますが、音楽だけど沈黙、聴覚だけど色彩、という独特の存在感が一番でしょうか。恐ろしく抽象的なものになりたいんですね、私(汗)音楽の至福だけでなくて色彩の至福も感じられる・・・想像をはるかに超えますね。
やっぱり目新しい曲の紹介にはなりませんでした(笑)覚悟はしてたんですが。
メルボルンもすっかり気温が下がってきて(夏時間も昨日で終わって日没も一気に早くなりましたね!)人間としての肉体がちょっとしんどくなってきたので・・・音楽になりたい、という欲求が少し強まってるものと思われます。
音楽を力にゆっくりいかないと、ですね。
今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 「「富める人とラザロ」の5つの異版」
ヴォーン=ウィリアムスの曲の中でなかなか知られていない印象がありますが、ものすごく好きな曲です。
ヴァリエーションじゃなくて「異版」。同じ歌で地域とかによってちょっと違ったりするのを集めた、ということなのかな?
ヴォーン=ウィリアムスは一昨日の夢のとおり(・・・といっても私しか分からないですね)、弦楽器のサウンドの美しさがピカイチで。
この曲はそれにハープが加わってまた違う雰囲気で。
5つの違うバージョンを通ってなにか旅をしているような、そんな雰囲気になります。
うーん、曲の凄さと比べて書くことが大分少ない!もっとうまく紹介できればいいのになあ・・・
(ちなみに試聴できるリンクを貼りました。イギリスの音楽はイギリスのオケ(バンド)が断然ベストです!他の国の作曲家も、その国のアンサンブルを、というのが基本一番いいですが、イギリスはその傾向が本当に強いです。)
何回か書いてるようにどっちかというと過眠傾向にあるのですが、深く眠ってるときに(いらない)メールがきてiphoneが鳴ったのに起こされて・・・という経緯で。
結局は寝れたのですが不思議な夢を見ました。
夢の中で音楽が流れてるんですけど、スタイルはまったくそのままヴォーン=ウィリアムスの音楽で・・・でも聴いたことない曲で。
以前「今日の一曲」」で紹介したモンポウの「歌と踊り」第5番は彼が夢の中で聞いた音楽を起こしたものなのですが、その話を先生にしたら「夢の中までカタルーニャ風なんだね」と先生が言ってまして。
日本生まれでオーストラリア在住の私がなぜ無意識レベルにイギリスの印象派ともいえるヴォーン=ウィリアムスの音楽を飼ってるか分からないのですが(きっと時によって変わる?)、本当に面白い体験をしました。
本当に弦の響きとハーモニーがあの独特のテイストで、本当に美しくて。
書き起こせたらなあー!
(そして次回はクラムでお願いします!)
さて、そのヴォーン=ウィリアムスなのですが、死に面して面白いことを言っていました。
もしも生まれ変わるのなら音楽家になって音楽をするのは骨が折れるから、音楽そのものになりたい、と彼は言ったそうです。(そしてそれが彼の言葉で記録されたうちの最後になったそうです)
確かに楽しい反面、音楽をするのは(例えそれがどんな形でも)「骨が折れる」部分もあります。
私たちは人間で、肉体があって、肉体的な制限、認知的な制限があり。自分の体と心を生かしていかなくちゃいけない。生きて行く上でたくさん意図の他で悩むことも苦しむこともある。
音楽をやるときだけに限ってもたくさんの縛りがあって、超えられないこともある。
Earthseaでも人と竜の違いについて「人間はなにかをするけれど、竜はただ「ある」だけだ」というような記述があります。音楽をするよりも音楽そのものでありたい、そんな欲求を抱く人は多いんじゃないでしょうか。
自分だったらどんな音楽になるか、なりたいか・・・と考えるとなかなかそれを表現するのは難しい。
なので今存在する、自分が知ってる曲でどんな曲になりたいかのトップ5を選んでみました。
カウントダウン形式でやってみます~
(ちなみに生まれ変わり自体はあんまり信じてません・・・というか死んだらそれで終わりにしたいよ、という感じです)
5位: レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 「トマス・タリスの主題による幻想曲」
張本人の曲です(笑)もう3回弾いている、なじみ深い曲であり、大変美しい曲。
弦楽でこの曲の「一部になる」という感覚、この曲を内から見たり感じたりすることの不思議さ、喜び。
そして分け入って、拡大して詳細を見てみても、ぶわーっと一気に体と心を任せてもどっちも良い音楽です。
4位: モーリス・ラヴェル 「夜のガスパール」
どの楽章になっても楽しそう。ラヴェルのあの「完璧」に近い音楽に自分がなれるのか、なっていいのか、というのはこの際別とします。「するのは骨が折れる」という意味では確かにラヴェルは本当に難しいですけど本当にいい音楽なので、苦労せずにできたらな・・・という下心みたいなものはあります(笑)
3位: ジョージ・クラム 「Songs, Drones and Refrains of Death」
Lux Aeternaだったり、Ancient Voices of Childrenだったり、マクロコスモスシリーズの各曲も本当に捨てがたいけれど、この曲の果てしない黒さ、色んな色彩の「黒」、深さだったり暗い躍動に憧れてます♪
もちろんクラムの音楽の多くに共通する独特の空間・時間の感覚だったり、ある意味生命のコアみたいなことだったり。音楽を超えてそういうなんらかの生命体になりたい・・・?
2位: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガ第16番 変ロ短調
もういろんなところで出してますね、この曲。本当に弾いてるときもめちゃくちゃ自分に近く感じて、自分が死ぬときこういう(フーガ)感じなのかな、とか思ったりして。あとこの曲は自分のもの、というような感覚も強くて。今自分が生きて変化しながら蓄積していくこの曲のイメージや解釈も自分が死んだらなくなるんだ、と思うと少し惜しい気がするんですよね。この曲になってそれだけでも生きながらえたい。
1位: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第17番「沈黙のまなざし」
まだ1位2位ぎりぎり迷ってるのですがやっぱりこれかなー。もちろん好きの度合い、親しみの深さもありますが、音楽だけど沈黙、聴覚だけど色彩、という独特の存在感が一番でしょうか。恐ろしく抽象的なものになりたいんですね、私(汗)音楽の至福だけでなくて色彩の至福も感じられる・・・想像をはるかに超えますね。
やっぱり目新しい曲の紹介にはなりませんでした(笑)覚悟はしてたんですが。
メルボルンもすっかり気温が下がってきて(夏時間も昨日で終わって日没も一気に早くなりましたね!)人間としての肉体がちょっとしんどくなってきたので・・・音楽になりたい、という欲求が少し強まってるものと思われます。
音楽を力にゆっくりいかないと、ですね。
今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 「「富める人とラザロ」の5つの異版」
ヴォーン=ウィリアムスの曲の中でなかなか知られていない印象がありますが、ものすごく好きな曲です。
ヴァリエーションじゃなくて「異版」。同じ歌で地域とかによってちょっと違ったりするのを集めた、ということなのかな?
ヴォーン=ウィリアムスは一昨日の夢のとおり(・・・といっても私しか分からないですね)、弦楽器のサウンドの美しさがピカイチで。
この曲はそれにハープが加わってまた違う雰囲気で。
5つの違うバージョンを通ってなにか旅をしているような、そんな雰囲気になります。
うーん、曲の凄さと比べて書くことが大分少ない!もっとうまく紹介できればいいのになあ・・・
(ちなみに試聴できるリンクを貼りました。イギリスの音楽はイギリスのオケ(バンド)が断然ベストです!他の国の作曲家も、その国のアンサンブルを、というのが基本一番いいですが、イギリスはその傾向が本当に強いです。)
本題に入る前に一つ。
この数週間このブログで扱った被災地・非被災地の方々へ向けたエントリーのまとめです。
音楽ができること:http://j.mp/fcBZHY
自分をケアする:http://j.mp/hmpIjh
音楽とともに送るメッセージ:http://j.mp/errg97
(Twitterで投稿したため短縮URLとなっています。)
そして、前回の音楽&メッセージのエントリーに拍手ありがとうございます!
キーワードto音楽、次回は近いうちに秋の季語でやりますのでそちらもよろしくお願いいたします。
3月31日、メルボルン大学でAustralian Music Psycology Association主催のレクチャーに行ってきました。
「コミュニティにおいての音楽の役割~社会的・治療的な活動の可能性~」というトピックで、ノルウェーのBergenで音楽療法に関する研究をしているBrynjulf Stigeさんによるレクチャーでした。
音楽療法、というのは音楽を病気などの治療に用いることです。その研究にはもちろん音楽的な側面、医学的な側面があって、それを合わせて考えることが必要になります。
しかし、今回のレクチャーでの焦点は従来の音楽療法の枠をぐっと広げる試みについてでした。
音楽療法の責任範囲としてもっと広義に「音楽と健康を繋げる」こと、つまり音楽が個人に与える影響だけでなく、音楽が社会においてどうやって影響するか、社会においてどういった目的で音楽を使うことができるか・・・そして音楽を通じてどうやって人が社会に参加するか、というようなことを含んだ「社会的な音楽の役割」を考える、ということがフォーカスでした。
人の健康、というのはただ単に病気や怪我がないことのみならず、個人の健全な状態にもとどまらず、社会的な生き物である人間が、コミュニティに健全な形で関わっている、ということが含まれる,といいます。
さらに社会の一部であることは人権の大事な一部でもある、という見方もあります。
それなら音楽療法も個人の健康だけでなく、社会の健康、そして社会における個人の健康をカバーすることが必要になります。
そこで音楽は社会にどういう影響をもたらすか、さらに社会において音楽をどういう風に用いることができるか。
さらに音楽により人の行動、そしてコミュニケーションを「可能にする」ということがキーになるわけです。
音楽というのはもともと生き物の社会においてお互いと通じ合うこと、そしてお互いをいたわることにおいて生まれたものであり、人間の文化としては(以前別のレクチャーでありましたが、子供が比較的未熟な状態で生まれ、より強い母子の繋がりを必要とするため)特別な存在であり、独自の文化として進化しています。
音楽にもいろいろな形がありますが、何よりも能動的な音楽活動、コミュニティの内から生じる音楽が大切になります。
「内から生じる音楽」は社会において人と人をつなぎ、コミュニティ内での問題を解決するのを助け、さらにコミュニティを変える働きを持つポテンシャルがあります。
ただそれには社会の中の個人が積極的に音楽に参加していることが大事です。
個人のアイデンティティが個人の中、そして社会の中の個人として存在するように、そして先ほどの「健康」が個人の健康、そして社会の中の個人としての健康があるように、「学び」もまた認知的な学びと社会参加的な学びもまたあり、それも大切です。
ケーススタディとしてお年寄りの合唱団が挙げられていました。周りの人が亡くなっていく中社会的な繋がりは減り、新しい友を見つけるのは難しい。もちろん 価値観の合わない人もたくさんいて。でも合唱団で共に歌い、共に励むことで、音楽を直接的に・間接的に通じて繋がりと和が生まれる、という例でした。
似たような現象は私もオケのメンバー、マネージャーとしての経験を通じてよく知っています。
さらに、お年寄りに限らず「音楽から離れている」、積極的に関わらない人もいます。信仰の理由であるスタイルの音楽が駄目だったり、身体的に音楽の活動をすることに障害があったり、音楽に積極的に参加することにためらいを感じる(楽器が 弾けない、歌えないと思う)、音楽のためのリソースがない。こういった人達に働きかけるのがコミュニティ音楽療法である、という話もありました。
ただし、ただ単に音楽を使えばいい、という話でもありません。
同時に、この音楽はこの音楽より優れている、という全般的なgeneralizationも良くありません。(この事に関してモーツァルト効果の話がちょろっとでました。そういう効果はない、とどこのレクチャーでも聞きます)
コミュニティで音楽を用いる際にはその場所の性質、誰がいるか(年齢、国籍などの背景)、どんな目的や形で音楽を使うか、どんなツールが使えるかを把握・分析してその時その場にあった音楽のスタイル、かたちを見いださなければなりません。
(ここら辺は自分の「音楽を勧める」エリアの勉強にもなりました。自分でもちょっと勉強して自分用にまとめ直したいですね)
このことに関して興味深かったことは、こうやって分析する必要がある理由の一つとして「音楽は人をつなぐ力があるけれど、同時に人を分かつ力も同じくらい持ち合わせてる」ということ。歴史的な例とか、どっちのケースも追っかけてみたいです。
こうやって音楽療法を超えたコミュニティでの音楽療法を行う人は従来の音楽療法よりもさらに広いコミュニケーション、フレキシブルな対応が求められます。コミュニティの一員として中から、他の人達と音楽と力を合わせて働きかけていくことが大事だそうで。
もともと従来の音楽療法は自分にとってちょっと違うな、と思ってる部分があって(なので大学でもそっちの道に進まなかった)、今回のレクチャーの内容にちょっと重なるものを感じたのですが、オケでの経験からその「コミュニティにおいてのコミュニケーション」の難しさは身を以て知ってます。だからこれもまた自分にとっての「かたち」ではないような気がしますがなんとか道を見つけたいと思います。
あと質問タイムの時に聴衆側の音楽教育者さんから国連の「子供の権利」に関する条文を読んでいくと音楽の教育でまかなえる部分がかなりたくさんあるらしい、という話がありました。先ほど社会に参加することは人権の一つだ、という話をちょろっとしましたが、ならばそれを可能にする音楽もまた権利ではないか、という話になり。
そこで自分の心はやっぱり日本に向きました。「コミュニティに参加する権利」だったり(自宅待避関連)、「音楽から離れている人達」の話だったり。多くの人が集まる避難所、そして別の場所に避難した人達にとっての新しいコミュニティで「音楽に能動的に参加」する試みがあったらとっても良いことじゃないか、と思うんです。
(ちょっとここからTwitterコピペが格段と多くなります)
実際被災地に向けて歌を書いたり、贈ったり、ライブをしたり、動画などを通じてみれるようにしてる人はたくさんいますが受け取る側の受け取る際の状態って どうなってるのかな、と。例えば被災地で一人で音楽を聞くのとみんなで聞くのは違いますし、聴くのと声を合わせて歌うのではまた違いますし。
レクチャーでいた聞いたばっかり、聞いただけですけど、改めて被災地などでの「どんな性質の場所で」「どんな人達がいて」「どんな活動・時間の過ごし方・気持 ちでいて」「どんな方法で音楽にふれあえて」というのを把握してコミュニティの内側からの音楽を促すのはなにか助けにならないか、と思うのです。
今こそコミュニティ音楽療法が(研究途中ですがなんらかの形で!)功を奏すのではないか、と。
そんなことを思ってました。
今回のレクチャー感想はこれで終わりです。レクチャーラッシュはまだ終わってなくて、4月5日に摂食障害のレクチャーがあります。4月になったから他に何やってるか調べないと。こんなにレクチャー行けるのは今だけの贅沢なのかさてはて。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「マ・メール・ロワ」より第4楽章「美女と野獣の対話」(オーケストラ版)
これも意外や意外、一楽章も使ってなかった!ということで今日はちょっぴりIce breaker。
マ・メール・ロワ=おとぎ話。ラヴェルがおとぎ話を集めて、曲を書いた曲集です。
わりと今知られてるのとは形が違ってたり、聞いたこともないものもあります。
そんななかこの楽章はディズニーで、というかもともと童話でよく知られている「美女と野獣」と流れは一緒です。
というかものすごーく分かりやすく物語を音楽にトレースしててびっくりしますね。
クラリネットが表す美女のテーマ、そしてコントラファゴットが野獣。ワルツのリズムにのって二人の対話は進みます。淡い恋、そしてためらいだったり。
ストーリー通り美女が野獣の愛を拒否して逃げる場面、そして求婚に答えて野獣が人間に戻る場面・・・
その魔法が解ける場面の美しさはベタだってわかってても夢がありますね。
ハープのグリッサンド、というこれもベタなテクニックだけどベタさを感じない。
マ・メール・ロワはもともとラヴェルが知り合いの可愛い&ピアノが上手い子供達のために、ピアノ連弾として書いた曲(そのことについてはまた別の楽章のときに・・・)。
で、それを自分でオーケストラのために編集、バレエにしました。
ラヴェルのオーケストレーションにおけるセンスと能力はピカイチですし、ムソルグスキーの「展覧会の絵」をオケ編曲したことは有名ですが、自分の曲を編曲することが本当に多くて。
(気に入ってる曲をオケ編曲してるのでは?ともいわれてます)
マ・メール・ロワに関して言えばこの第4楽章は断然オケ版の方が優秀です♪さきほどの一見ベタなようで、でも良くできてる、そして夢がある感じはオケでないと!
逆にピアノの方がいい、という楽章もありますがそれは後ほど。
最後になりますが、「野獣」役のコントラファゴット、今回はたくさん活躍してますがオケが小編成で音楽としてもこじんまりしてミニサイズ、さらにフランス音楽独特の繊細さがあるためマーラー7番の時みたいにコントラフォルテで代用しちゃいけない例の一つです。
かすれた、少し控えめな音色をお楽しみ下さい。
この数週間このブログで扱った被災地・非被災地の方々へ向けたエントリーのまとめです。
音楽ができること:http://j.mp/fcBZHY
自分をケアする:http://j.mp/hmpIjh
音楽とともに送るメッセージ:http://j.mp/errg97
(Twitterで投稿したため短縮URLとなっています。)
そして、前回の音楽&メッセージのエントリーに拍手ありがとうございます!
キーワードto音楽、次回は近いうちに秋の季語でやりますのでそちらもよろしくお願いいたします。
3月31日、メルボルン大学でAustralian Music Psycology Association主催のレクチャーに行ってきました。
「コミュニティにおいての音楽の役割~社会的・治療的な活動の可能性~」というトピックで、ノルウェーのBergenで音楽療法に関する研究をしているBrynjulf Stigeさんによるレクチャーでした。
音楽療法、というのは音楽を病気などの治療に用いることです。その研究にはもちろん音楽的な側面、医学的な側面があって、それを合わせて考えることが必要になります。
しかし、今回のレクチャーでの焦点は従来の音楽療法の枠をぐっと広げる試みについてでした。
音楽療法の責任範囲としてもっと広義に「音楽と健康を繋げる」こと、つまり音楽が個人に与える影響だけでなく、音楽が社会においてどうやって影響するか、社会においてどういった目的で音楽を使うことができるか・・・そして音楽を通じてどうやって人が社会に参加するか、というようなことを含んだ「社会的な音楽の役割」を考える、ということがフォーカスでした。
人の健康、というのはただ単に病気や怪我がないことのみならず、個人の健全な状態にもとどまらず、社会的な生き物である人間が、コミュニティに健全な形で関わっている、ということが含まれる,といいます。
さらに社会の一部であることは人権の大事な一部でもある、という見方もあります。
それなら音楽療法も個人の健康だけでなく、社会の健康、そして社会における個人の健康をカバーすることが必要になります。
そこで音楽は社会にどういう影響をもたらすか、さらに社会において音楽をどういう風に用いることができるか。
さらに音楽により人の行動、そしてコミュニケーションを「可能にする」ということがキーになるわけです。
音楽というのはもともと生き物の社会においてお互いと通じ合うこと、そしてお互いをいたわることにおいて生まれたものであり、人間の文化としては(以前別のレクチャーでありましたが、子供が比較的未熟な状態で生まれ、より強い母子の繋がりを必要とするため)特別な存在であり、独自の文化として進化しています。
音楽にもいろいろな形がありますが、何よりも能動的な音楽活動、コミュニティの内から生じる音楽が大切になります。
「内から生じる音楽」は社会において人と人をつなぎ、コミュニティ内での問題を解決するのを助け、さらにコミュニティを変える働きを持つポテンシャルがあります。
ただそれには社会の中の個人が積極的に音楽に参加していることが大事です。
個人のアイデンティティが個人の中、そして社会の中の個人として存在するように、そして先ほどの「健康」が個人の健康、そして社会の中の個人としての健康があるように、「学び」もまた認知的な学びと社会参加的な学びもまたあり、それも大切です。
ケーススタディとしてお年寄りの合唱団が挙げられていました。周りの人が亡くなっていく中社会的な繋がりは減り、新しい友を見つけるのは難しい。もちろん 価値観の合わない人もたくさんいて。でも合唱団で共に歌い、共に励むことで、音楽を直接的に・間接的に通じて繋がりと和が生まれる、という例でした。
似たような現象は私もオケのメンバー、マネージャーとしての経験を通じてよく知っています。
さらに、お年寄りに限らず「音楽から離れている」、積極的に関わらない人もいます。信仰の理由であるスタイルの音楽が駄目だったり、身体的に音楽の活動をすることに障害があったり、音楽に積極的に参加することにためらいを感じる(楽器が 弾けない、歌えないと思う)、音楽のためのリソースがない。こういった人達に働きかけるのがコミュニティ音楽療法である、という話もありました。
ただし、ただ単に音楽を使えばいい、という話でもありません。
同時に、この音楽はこの音楽より優れている、という全般的なgeneralizationも良くありません。(この事に関してモーツァルト効果の話がちょろっとでました。そういう効果はない、とどこのレクチャーでも聞きます)
コミュニティで音楽を用いる際にはその場所の性質、誰がいるか(年齢、国籍などの背景)、どんな目的や形で音楽を使うか、どんなツールが使えるかを把握・分析してその時その場にあった音楽のスタイル、かたちを見いださなければなりません。
(ここら辺は自分の「音楽を勧める」エリアの勉強にもなりました。自分でもちょっと勉強して自分用にまとめ直したいですね)
このことに関して興味深かったことは、こうやって分析する必要がある理由の一つとして「音楽は人をつなぐ力があるけれど、同時に人を分かつ力も同じくらい持ち合わせてる」ということ。歴史的な例とか、どっちのケースも追っかけてみたいです。
こうやって音楽療法を超えたコミュニティでの音楽療法を行う人は従来の音楽療法よりもさらに広いコミュニケーション、フレキシブルな対応が求められます。コミュニティの一員として中から、他の人達と音楽と力を合わせて働きかけていくことが大事だそうで。
もともと従来の音楽療法は自分にとってちょっと違うな、と思ってる部分があって(なので大学でもそっちの道に進まなかった)、今回のレクチャーの内容にちょっと重なるものを感じたのですが、オケでの経験からその「コミュニティにおいてのコミュニケーション」の難しさは身を以て知ってます。だからこれもまた自分にとっての「かたち」ではないような気がしますがなんとか道を見つけたいと思います。
あと質問タイムの時に聴衆側の音楽教育者さんから国連の「子供の権利」に関する条文を読んでいくと音楽の教育でまかなえる部分がかなりたくさんあるらしい、という話がありました。先ほど社会に参加することは人権の一つだ、という話をちょろっとしましたが、ならばそれを可能にする音楽もまた権利ではないか、という話になり。
そこで自分の心はやっぱり日本に向きました。「コミュニティに参加する権利」だったり(自宅待避関連)、「音楽から離れている人達」の話だったり。多くの人が集まる避難所、そして別の場所に避難した人達にとっての新しいコミュニティで「音楽に能動的に参加」する試みがあったらとっても良いことじゃないか、と思うんです。
(ちょっとここからTwitterコピペが格段と多くなります)
実際被災地に向けて歌を書いたり、贈ったり、ライブをしたり、動画などを通じてみれるようにしてる人はたくさんいますが受け取る側の受け取る際の状態って どうなってるのかな、と。例えば被災地で一人で音楽を聞くのとみんなで聞くのは違いますし、聴くのと声を合わせて歌うのではまた違いますし。
レクチャーでいた聞いたばっかり、聞いただけですけど、改めて被災地などでの「どんな性質の場所で」「どんな人達がいて」「どんな活動・時間の過ごし方・気持 ちでいて」「どんな方法で音楽にふれあえて」というのを把握してコミュニティの内側からの音楽を促すのはなにか助けにならないか、と思うのです。
今こそコミュニティ音楽療法が(研究途中ですがなんらかの形で!)功を奏すのではないか、と。
そんなことを思ってました。
今回のレクチャー感想はこれで終わりです。レクチャーラッシュはまだ終わってなくて、4月5日に摂食障害のレクチャーがあります。4月になったから他に何やってるか調べないと。こんなにレクチャー行けるのは今だけの贅沢なのかさてはて。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「マ・メール・ロワ」より第4楽章「美女と野獣の対話」(オーケストラ版)
これも意外や意外、一楽章も使ってなかった!ということで今日はちょっぴりIce breaker。
マ・メール・ロワ=おとぎ話。ラヴェルがおとぎ話を集めて、曲を書いた曲集です。
わりと今知られてるのとは形が違ってたり、聞いたこともないものもあります。
そんななかこの楽章はディズニーで、というかもともと童話でよく知られている「美女と野獣」と流れは一緒です。
というかものすごーく分かりやすく物語を音楽にトレースしててびっくりしますね。
クラリネットが表す美女のテーマ、そしてコントラファゴットが野獣。ワルツのリズムにのって二人の対話は進みます。淡い恋、そしてためらいだったり。
ストーリー通り美女が野獣の愛を拒否して逃げる場面、そして求婚に答えて野獣が人間に戻る場面・・・
その魔法が解ける場面の美しさはベタだってわかってても夢がありますね。
ハープのグリッサンド、というこれもベタなテクニックだけどベタさを感じない。
マ・メール・ロワはもともとラヴェルが知り合いの可愛い&ピアノが上手い子供達のために、ピアノ連弾として書いた曲(そのことについてはまた別の楽章のときに・・・)。
で、それを自分でオーケストラのために編集、バレエにしました。
ラヴェルのオーケストレーションにおけるセンスと能力はピカイチですし、ムソルグスキーの「展覧会の絵」をオケ編曲したことは有名ですが、自分の曲を編曲することが本当に多くて。
(気に入ってる曲をオケ編曲してるのでは?ともいわれてます)
マ・メール・ロワに関して言えばこの第4楽章は断然オケ版の方が優秀です♪さきほどの一見ベタなようで、でも良くできてる、そして夢がある感じはオケでないと!
逆にピアノの方がいい、という楽章もありますがそれは後ほど。
最後になりますが、「野獣」役のコントラファゴット、今回はたくさん活躍してますがオケが小編成で音楽としてもこじんまりしてミニサイズ、さらにフランス音楽独特の繊細さがあるためマーラー7番の時みたいにコントラフォルテで代用しちゃいけない例の一つです。
かすれた、少し控えめな音色をお楽しみ下さい。
まずはちょっと今日見たツイートから宣伝、といいますか・・・
www.quakebook.org/
Quakebookといって、日本在住のイギリス人の方がソーシャルメディアを通じて3月11日以来の震災に関する文章や写真などを募集して、オンライン・書籍としてまとめ出版する活動を行っているとのことです。
売り上げは全て赤十字社へ、Preorderはもう始まっています。世界のメディアでちょこちょこ取り上げてもらってるみたいですがまだPRが必要!という声が多く。
是非広めて、購入お願いしたいです。
今日はキーワードto音楽、ちょっと違った感じでお送りします。
いつもは単語なのですが(秋の季語もそろそろかな・・・)、今日は英語のフレーズで。(日本語にするとちょっとずつニュアンスがずれてくるので・・・)
被災地・非被災地どちらもに送りたい「言葉」をテーマに、音楽と言葉がお互いに高めあうよう。
それでは早速。
(1) My thoughts are with you (ジョン・ラター 「レクイエム」より「Requiem Aeterna」)
「私の心はあなたと一緒にあります」といった意味合いです。ラター推してますが今本当に贈りたい!と思う曲ですので。「一緒に居る」というのを表すのにぴったりな、包み込むような合唱と弦の声。安心させてくれます。
(2) Don't take it all on yourself (ヨハネス・ブラームス 宗教的歌曲「惜しみなく与えよ」)
「一人で全部背負い込まないで」という意味です。ブラームスの音楽は自分が苦しかったのを知ってるから苦しんでる人を本当に心配してくれる音楽です。実は自分が一番辛いのに、という感じ。
(3) You are not alone (レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 幻想五重奏曲 第3楽章)
ご存じ「一人じゃない」という意味です。誰でもいいわけじゃないし、いつもみんなと一緒に居たいわけじゃない。言葉をかけてほしいわけでもない。でも傍にそっといてほしい、そんな曲です。
(4) Rest thee well (オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第19楽章「我眠る、されど我が心は目覚め」)
良く休んでください、という感じのニュアンスで・・・(thee=youなのですが、こっちのほうが文として上手く流れるのと優しい感じがするので)。優しい眠り、といったらこの曲しかないですね。
(5) The rain will pass, the sun will shine (ヨハネス・ブラームス 「ドイツ・レクイエム」 第2楽章)
雨は通り過ぎ、太陽が輝くでしょう・・・うーん、日本語にするとちょっと、だなあ。ブラームス2つめ。この曲の前半で苦しみを表現したあとの後半での希望の光は力強い!特に最後の最後がお勧めです。
(6) Forgive yourself, and other too (ヘンリク・グレツキ 交響曲第3番 「悲歌のシンフォニー」 第2楽章)
困難の時には誰もが間違った選択をしたり、普段ならとらないような行動をとってしまうことがあります。今は大変な時だからなるべく「自分を許し、他人も許せる」よう、自分も他人もなるべく責めるのではなく心を別の方向に向けられればと願っています。この曲はもとの題材もありますが許しの最たるものだと思います。
(7) Take it easy (エクトール・ベルリオーズ 「イタリアのハロルド」より第3楽章)
頑張りすぎないで、というニュアンスで。この曲のチョイスはともすればふざけてるように思えるかも知れませんが、心持ちとしてはこれくらい気楽な感じが少しあってもいいんじゃないか、と(偉そうにすみません)。ベルリオーズは悩むときは延々とぐだぐだしますが楽なときはとことん楽しみます。
(8) You have survived yesterday, you are here tomorrow, and the lights of tomorrow will shine on you (オリヴィエ・メシアン 前奏曲第6番 「苦悩の鐘と別れの涙」)
長くなりましたがつまりはあなたは昨日を生き延びて今日ここにいる、だから明日の光があなたに注ぐでしょう、という意味です。昨日したこと、今日したことを振り返って自分を褒めてあげて、それを糧として・・・きっと明日はその努力が少しでも報われるよ、というようなことを・・・済みません、説明下手で。この曲はその苦しさを認めて、そして明日に向けて静かな希望が持てるとても美しい曲です。(この曲における「別れ」というのは次に進むことでもあるんだな、という感じもあり)
(9) Do not suffer in silence (ドミトリ・ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガ 第20番ハ短調)
何も言わず苦しまないで、という意味です。「日本人は感情を抑えるのが上手い」とこの震災で海外メディアが何度報じたことでしょうか。でもこれから感情を表現することが癒しにつながり、抑制したままなのがネガティブになる可能性が出てきます。ショスタコーヴィチは生涯言いたいことをなかなか言えないで苦しんだ作曲家なのでチョイス。
(10) May the starts light the dark night (ジョージ・クラム マクロコスモス第3番 「夏の夜の音楽」 第5楽章 「星屑の音楽」)
節電事情、自粛ムードも考慮して「暗い夜に星が輝くように」との願い。同時にそんななか星が輝いているのに少しでも空に目を向けてほしいなあ、との願い。星と言えばこの曲!出し惜しみ皆無の、渾身の推薦です。
水を差すようになったらすみません。でも一つだけいつも言いたいな、と思ってることを。
音楽は癒しそのものでなく気づきと向き合いを促すもの、音楽を助けとして自分の心と触れあって向き合って客観的に見ながら考え、自分にとっての音楽の意味を受け止めながら(場合によっては他の人、専門家などの助けを得ながら)自分の心を癒していくプロセスのきっかけ・支援になるものだと思います。
さらに音楽を共有することで複数の人をつなぐ助けになり、お互いの感情を共有したり、客観的に見たり、お互いの気持ちや考えてることを理解するきっかけになるものでもあると思います。
ただ聴くだけでポジティブな効果がない、ということを言っているわけではないです。本当に「癒し」という言葉をつかうなら・・・という風に受け取ってもらえるとありがたいです。
(だから自分は音楽をサポートとして、音楽を通じて人の心を理解・共感したいし、さらにそうやって音楽を自分自身の心と適切に向き合うよう使うこともできるよう助けにもなりたい、と思っています)
もっと日本に心の光を、と何よりも願っています。
今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 幻想五重奏曲 第3楽章
今日選んだ曲の多くは以前「今日の一曲」で紹介したなあ・・・と思いつつちょっと死角だったコーナーがここに。
幻想五重奏曲。ヴォーン=ウィリアムスによる小さな室内楽曲です。編成もちょっと異色で、バイオリン2人、ビオラ2人、チェロ1人の5人です。
で、第1楽章と第3楽章(全楽章同じテーマに基づいてるのですが、この2つの楽章が特に大きくテーマを扱ってます)ではバイオリンの1stと、ビオラの1stがソリストとしてデュエットを奏でるような、そんな曲調になってます。
イギリス音楽独特の美しさだったり、牧歌的な特徴に溢れ、そしてなんと言ってもこのシンプルさ!
あまりにもシンプルにできているため触ったら崩れちゃうんじゃないか、むしろ本当にこんな音楽が存在しているのか、そうも(少なくとも私は)思える曲です。
本当に、本当に愛らしい。
そして先ほど「You are not alone」の項に選びましたが、イギリス音楽によくある、あの広大な野原に座っているような感じはあるものの、寂しいという感覚は薄いです。
なんというか・・・Guardian Angelのような存在がそっと傍にいるような。自分も隣にいる存在を過度に意識しないまま、心をゆだねられるような不思議な感覚です。
自分にとって一番愛しい!と思うのはやっぱりバイオリンとビオラのデュエット。創作での思い入れもあるのですが・・・
この二つの楽器がこれまで溶け合って、恋人のように寄り添うのはなかなかないですねー。シンプルさあってのことだと思います(シンプルだからバイオリンがビオラに歩み寄れる)。
(ちなみにリンク先に試聴あります。曲集の名前はPhantasy Quintetです。FじゃなくてPhにしてるとこもまたなんか・・・やりすぎ感が全くないというか(笑))
www.quakebook.org/
Quakebookといって、日本在住のイギリス人の方がソーシャルメディアを通じて3月11日以来の震災に関する文章や写真などを募集して、オンライン・書籍としてまとめ出版する活動を行っているとのことです。
売り上げは全て赤十字社へ、Preorderはもう始まっています。世界のメディアでちょこちょこ取り上げてもらってるみたいですがまだPRが必要!という声が多く。
是非広めて、購入お願いしたいです。
今日はキーワードto音楽、ちょっと違った感じでお送りします。
いつもは単語なのですが(秋の季語もそろそろかな・・・)、今日は英語のフレーズで。(日本語にするとちょっとずつニュアンスがずれてくるので・・・)
被災地・非被災地どちらもに送りたい「言葉」をテーマに、音楽と言葉がお互いに高めあうよう。
それでは早速。
(1) My thoughts are with you (ジョン・ラター 「レクイエム」より「Requiem Aeterna」)
「私の心はあなたと一緒にあります」といった意味合いです。ラター推してますが今本当に贈りたい!と思う曲ですので。「一緒に居る」というのを表すのにぴったりな、包み込むような合唱と弦の声。安心させてくれます。
(2) Don't take it all on yourself (ヨハネス・ブラームス 宗教的歌曲「惜しみなく与えよ」)
「一人で全部背負い込まないで」という意味です。ブラームスの音楽は自分が苦しかったのを知ってるから苦しんでる人を本当に心配してくれる音楽です。実は自分が一番辛いのに、という感じ。
(3) You are not alone (レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 幻想五重奏曲 第3楽章)
ご存じ「一人じゃない」という意味です。誰でもいいわけじゃないし、いつもみんなと一緒に居たいわけじゃない。言葉をかけてほしいわけでもない。でも傍にそっといてほしい、そんな曲です。
(4) Rest thee well (オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第19楽章「我眠る、されど我が心は目覚め」)
良く休んでください、という感じのニュアンスで・・・(thee=youなのですが、こっちのほうが文として上手く流れるのと優しい感じがするので)。優しい眠り、といったらこの曲しかないですね。
(5) The rain will pass, the sun will shine (ヨハネス・ブラームス 「ドイツ・レクイエム」 第2楽章)
雨は通り過ぎ、太陽が輝くでしょう・・・うーん、日本語にするとちょっと、だなあ。ブラームス2つめ。この曲の前半で苦しみを表現したあとの後半での希望の光は力強い!特に最後の最後がお勧めです。
(6) Forgive yourself, and other too (ヘンリク・グレツキ 交響曲第3番 「悲歌のシンフォニー」 第2楽章)
困難の時には誰もが間違った選択をしたり、普段ならとらないような行動をとってしまうことがあります。今は大変な時だからなるべく「自分を許し、他人も許せる」よう、自分も他人もなるべく責めるのではなく心を別の方向に向けられればと願っています。この曲はもとの題材もありますが許しの最たるものだと思います。
(7) Take it easy (エクトール・ベルリオーズ 「イタリアのハロルド」より第3楽章)
頑張りすぎないで、というニュアンスで。この曲のチョイスはともすればふざけてるように思えるかも知れませんが、心持ちとしてはこれくらい気楽な感じが少しあってもいいんじゃないか、と(偉そうにすみません)。ベルリオーズは悩むときは延々とぐだぐだしますが楽なときはとことん楽しみます。
(8) You have survived yesterday, you are here tomorrow, and the lights of tomorrow will shine on you (オリヴィエ・メシアン 前奏曲第6番 「苦悩の鐘と別れの涙」)
長くなりましたがつまりはあなたは昨日を生き延びて今日ここにいる、だから明日の光があなたに注ぐでしょう、という意味です。昨日したこと、今日したことを振り返って自分を褒めてあげて、それを糧として・・・きっと明日はその努力が少しでも報われるよ、というようなことを・・・済みません、説明下手で。この曲はその苦しさを認めて、そして明日に向けて静かな希望が持てるとても美しい曲です。(この曲における「別れ」というのは次に進むことでもあるんだな、という感じもあり)
(9) Do not suffer in silence (ドミトリ・ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガ 第20番ハ短調)
何も言わず苦しまないで、という意味です。「日本人は感情を抑えるのが上手い」とこの震災で海外メディアが何度報じたことでしょうか。でもこれから感情を表現することが癒しにつながり、抑制したままなのがネガティブになる可能性が出てきます。ショスタコーヴィチは生涯言いたいことをなかなか言えないで苦しんだ作曲家なのでチョイス。
(10) May the starts light the dark night (ジョージ・クラム マクロコスモス第3番 「夏の夜の音楽」 第5楽章 「星屑の音楽」)
節電事情、自粛ムードも考慮して「暗い夜に星が輝くように」との願い。同時にそんななか星が輝いているのに少しでも空に目を向けてほしいなあ、との願い。星と言えばこの曲!出し惜しみ皆無の、渾身の推薦です。
水を差すようになったらすみません。でも一つだけいつも言いたいな、と思ってることを。
音楽は癒しそのものでなく気づきと向き合いを促すもの、音楽を助けとして自分の心と触れあって向き合って客観的に見ながら考え、自分にとっての音楽の意味を受け止めながら(場合によっては他の人、専門家などの助けを得ながら)自分の心を癒していくプロセスのきっかけ・支援になるものだと思います。
さらに音楽を共有することで複数の人をつなぐ助けになり、お互いの感情を共有したり、客観的に見たり、お互いの気持ちや考えてることを理解するきっかけになるものでもあると思います。
ただ聴くだけでポジティブな効果がない、ということを言っているわけではないです。本当に「癒し」という言葉をつかうなら・・・という風に受け取ってもらえるとありがたいです。
(だから自分は音楽をサポートとして、音楽を通じて人の心を理解・共感したいし、さらにそうやって音楽を自分自身の心と適切に向き合うよう使うこともできるよう助けにもなりたい、と思っています)
もっと日本に心の光を、と何よりも願っています。
今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 幻想五重奏曲 第3楽章
今日選んだ曲の多くは以前「今日の一曲」で紹介したなあ・・・と思いつつちょっと死角だったコーナーがここに。
幻想五重奏曲。ヴォーン=ウィリアムスによる小さな室内楽曲です。編成もちょっと異色で、バイオリン2人、ビオラ2人、チェロ1人の5人です。
で、第1楽章と第3楽章(全楽章同じテーマに基づいてるのですが、この2つの楽章が特に大きくテーマを扱ってます)ではバイオリンの1stと、ビオラの1stがソリストとしてデュエットを奏でるような、そんな曲調になってます。
イギリス音楽独特の美しさだったり、牧歌的な特徴に溢れ、そしてなんと言ってもこのシンプルさ!
あまりにもシンプルにできているため触ったら崩れちゃうんじゃないか、むしろ本当にこんな音楽が存在しているのか、そうも(少なくとも私は)思える曲です。
本当に、本当に愛らしい。
そして先ほど「You are not alone」の項に選びましたが、イギリス音楽によくある、あの広大な野原に座っているような感じはあるものの、寂しいという感覚は薄いです。
なんというか・・・Guardian Angelのような存在がそっと傍にいるような。自分も隣にいる存在を過度に意識しないまま、心をゆだねられるような不思議な感覚です。
自分にとって一番愛しい!と思うのはやっぱりバイオリンとビオラのデュエット。創作での思い入れもあるのですが・・・
この二つの楽器がこれまで溶け合って、恋人のように寄り添うのはなかなかないですねー。シンプルさあってのことだと思います(シンプルだからバイオリンがビオラに歩み寄れる)。
(ちなみにリンク先に試聴あります。曲集の名前はPhantasy Quintetです。FじゃなくてPhにしてるとこもまたなんか・・・やりすぎ感が全くないというか(笑))
