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まだ「音楽にできること」のエントリーを上にしています。一応月末に未来投稿したのですが・・・
そろそろ降ろそうかな、投稿時間まで待つか、ちょっと悩んでます。
そしてブログといえばTwitterのTL表示ブログパーツを使ってましたが最近RTが多くそういった自分の発言じゃないもの、そして@返信なども表示されることなどを理由にTLジャンプボタンに変えました。
メシアンにちなんで鳥です(笑)
そちらもどうぞよろしくです。
昨日は仕事→ピアノ→メル響のコンサートに行ってきました。
珍しく6時半開演。今年は金曜日は仕事でもしものことがあったら・・・ということで月曜日or週末参戦が多くなりそうです。
場所はメルボルン・タウンホールでしたが、もうここも様々なオケのコンサートで観客側としても演奏者としても来てるんで勝手知ったホールです。なじみ深い演奏場は本当に自分の家のように心地良い空間です。
プログラムは:(指揮:Mark Wigglesworth)
リヒャルト・ワーグナー 「パルジファル」序曲
ピョートル・チャイコフスキー バイオリン協奏曲 (ソリスト:諏訪内晶子)
(休憩)
セルゲイ・ラフマニノフ 交響曲第3番
ここ数日調子が悪かったりでものすごく疲れてて(あと自分ワーグナーが色々な意味で嫌いなこともあり)、ワーグナーではほとんど寝てました。
でも最近新神話主義の本で読んだようなことが「パルジファル」のあらすじにあったり、彼の最後のオペラということもあったり、そしてやっぱり20世紀音楽はワーグナー無しにしては語れないのでいつかゆっくり・・・と思います。
聞こえた限りでは(結構私寝てるときも音楽は聞こえるんですよ。人の話し声とかは全くみたいですが)ああ確かに最後にたどり着くのはこういうとこなのか、という感じがありますし、弦楽器の音やハーモニーに不思議なオーラみたいなものを感じました。
要再チャレンジ。
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲。
あんまりこれも曲としては好きじゃないんですよね~底抜けに明るく派手な曲は苦手な場合が多いです。特にチャイコフスキーに関しては内向きだったり土臭い曲のほうが断然良い味出してると思います。
でもプログラムに書いてあったとおりベートーヴェン、ブラームス、シベリウスなど偉大なバイオリン協奏曲と同じニ長調で書かれてることはなんか因縁があると思いますし、第2楽章はいい感じですよー。
そしてなにより演奏が見事だった!
諏訪内晶子さんの音の強さ、まっすぐさにがつんと心打たれましたね!なんというか、日本人離れしているというか。
アタックからしっかりして、音が変な弧を描かず真っ直ぐsustainされるあの気持ちよさ。終始力強さと華やかさが求められるこの協奏曲で音楽のスケールに負けない演奏を心底から楽しみました♪
前からこのブログで語っている「女性ならではの強さ」を実感した気がします。
アンコールは知らない曲なのですが聴いた感じバッハの無伴奏ソナタorパルティータ(ニ短調のパルティータ?)のなかのヘ長調の緩徐楽章ではないかと思われます。(バッハでヘ長調は確定)
まっすぐな音はそのままに今度はもっと繊細で神秘的な雰囲気。バッハの信仰の真っ直ぐさを感じましたね。
本当に良い物を聴きました。
ラフマニノフ交響曲第3番。私が愛して止まない曲の一つです。
でもラフマニノフの音楽は(プログラムにもありましたが)ハリウッド的な、アメリカ受けが良い奴ばっかり売れてるんですよね。ロシアらしく土臭く、そして彼の繊細で内向きな性格を反映してたりする曲はほとんど知られていない。ついでに言えば彼の音楽はロマンチックな部分ばっかり見られて20世紀音楽としての彼なりの見事な表現方法に目を向ける人は少数。
みんな、ラフマニノフは何人でどの時代に生きたか考え直してみてよー(心の叫び)
それを抜きにしても本当に良い曲で。
特に第2楽章(の特にスケルツォの部分)が好きで好きで。そして最終楽章である第3楽章のエンディングの素晴らしさ。
Twitterでつぶやいたのですが、よく別世界へ行くストーリーで元の世界に帰るときに「後ろを振り返ってはいけません」と言われる、あんな感じで。振り返らないよう全力疾走する感覚で。終わらないで、どころか「ちょっと待て待て待て!」と焦ります。
演奏も見事でした。
メル響というオケの元気さ、パワフルさ!勿論綿密な詳細もありますがなんと言っても先ほどのチャイコフスキーだったりこの曲での爆発するようなパワーにめちゃくちゃ心躍ります。
特にバイオリンは第1、第2どっちも圧倒的な団結力、そして実力。
そして打楽器軍団見事!シンバルがめちゃくちゃソフトに弾かなくちゃ行けなかったりなどラフマニノフの音楽は打楽器にとって変な難しさがある印象がありますがしっかり活躍してました~
そしてビオラのダークサイドも見られたり。
指揮がまた。昔Wigglesworthさんとメル響でマーラー6番を聴いて感銘を受けて、今回彼の指揮を聴くのは2回目。
ものすごい安心感というか、安定感というか。論理的なのかも知れない、と思います。
今回チェレスタのパートはいつもオルガンをメル響で弾いてる方が弾いてたのですが・・・曲への思い入れ&メル響で弾くこと(ハープのJulieと隣で弾く事)自体、そしてあの人の指揮で弾きたかったな、ということ全部ひっくるめて今回チェレスタが弾きたかった!!!!
メル響、次は同じくWigglesworthさんで今週末にマーラー7番の演奏があります。
チケット予約済みです(今回バルコニー真ん中前側と良いところに座れたので次回もそうだといいな)。
ものすごい楽しみですね~最近気に入ってる曲ですし、このオケ&指揮者の組み合わせは間違いないですからね。
今日の一曲はおやすみです。先ほど夕方寝てたのですが若干まだ疲れている・・・蓄積中?
そろそろ降ろそうかな、投稿時間まで待つか、ちょっと悩んでます。
そしてブログといえばTwitterのTL表示ブログパーツを使ってましたが最近RTが多くそういった自分の発言じゃないもの、そして@返信なども表示されることなどを理由にTLジャンプボタンに変えました。
メシアンにちなんで鳥です(笑)
そちらもどうぞよろしくです。
昨日は仕事→ピアノ→メル響のコンサートに行ってきました。
珍しく6時半開演。今年は金曜日は仕事でもしものことがあったら・・・ということで月曜日or週末参戦が多くなりそうです。
場所はメルボルン・タウンホールでしたが、もうここも様々なオケのコンサートで観客側としても演奏者としても来てるんで勝手知ったホールです。なじみ深い演奏場は本当に自分の家のように心地良い空間です。
プログラムは:(指揮:Mark Wigglesworth)
リヒャルト・ワーグナー 「パルジファル」序曲
ピョートル・チャイコフスキー バイオリン協奏曲 (ソリスト:諏訪内晶子)
(休憩)
セルゲイ・ラフマニノフ 交響曲第3番
ここ数日調子が悪かったりでものすごく疲れてて(あと自分ワーグナーが色々な意味で嫌いなこともあり)、ワーグナーではほとんど寝てました。
でも最近新神話主義の本で読んだようなことが「パルジファル」のあらすじにあったり、彼の最後のオペラということもあったり、そしてやっぱり20世紀音楽はワーグナー無しにしては語れないのでいつかゆっくり・・・と思います。
聞こえた限りでは(結構私寝てるときも音楽は聞こえるんですよ。人の話し声とかは全くみたいですが)ああ確かに最後にたどり着くのはこういうとこなのか、という感じがありますし、弦楽器の音やハーモニーに不思議なオーラみたいなものを感じました。
要再チャレンジ。
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲。
あんまりこれも曲としては好きじゃないんですよね~底抜けに明るく派手な曲は苦手な場合が多いです。特にチャイコフスキーに関しては内向きだったり土臭い曲のほうが断然良い味出してると思います。
でもプログラムに書いてあったとおりベートーヴェン、ブラームス、シベリウスなど偉大なバイオリン協奏曲と同じニ長調で書かれてることはなんか因縁があると思いますし、第2楽章はいい感じですよー。
そしてなにより演奏が見事だった!
諏訪内晶子さんの音の強さ、まっすぐさにがつんと心打たれましたね!なんというか、日本人離れしているというか。
アタックからしっかりして、音が変な弧を描かず真っ直ぐsustainされるあの気持ちよさ。終始力強さと華やかさが求められるこの協奏曲で音楽のスケールに負けない演奏を心底から楽しみました♪
前からこのブログで語っている「女性ならではの強さ」を実感した気がします。
アンコールは知らない曲なのですが聴いた感じバッハの無伴奏ソナタorパルティータ(ニ短調のパルティータ?)のなかのヘ長調の緩徐楽章ではないかと思われます。(バッハでヘ長調は確定)
まっすぐな音はそのままに今度はもっと繊細で神秘的な雰囲気。バッハの信仰の真っ直ぐさを感じましたね。
本当に良い物を聴きました。
ラフマニノフ交響曲第3番。私が愛して止まない曲の一つです。
でもラフマニノフの音楽は(プログラムにもありましたが)ハリウッド的な、アメリカ受けが良い奴ばっかり売れてるんですよね。ロシアらしく土臭く、そして彼の繊細で内向きな性格を反映してたりする曲はほとんど知られていない。ついでに言えば彼の音楽はロマンチックな部分ばっかり見られて20世紀音楽としての彼なりの見事な表現方法に目を向ける人は少数。
みんな、ラフマニノフは何人でどの時代に生きたか考え直してみてよー(心の叫び)
それを抜きにしても本当に良い曲で。
特に第2楽章(の特にスケルツォの部分)が好きで好きで。そして最終楽章である第3楽章のエンディングの素晴らしさ。
Twitterでつぶやいたのですが、よく別世界へ行くストーリーで元の世界に帰るときに「後ろを振り返ってはいけません」と言われる、あんな感じで。振り返らないよう全力疾走する感覚で。終わらないで、どころか「ちょっと待て待て待て!」と焦ります。
演奏も見事でした。
メル響というオケの元気さ、パワフルさ!勿論綿密な詳細もありますがなんと言っても先ほどのチャイコフスキーだったりこの曲での爆発するようなパワーにめちゃくちゃ心躍ります。
特にバイオリンは第1、第2どっちも圧倒的な団結力、そして実力。
そして打楽器軍団見事!シンバルがめちゃくちゃソフトに弾かなくちゃ行けなかったりなどラフマニノフの音楽は打楽器にとって変な難しさがある印象がありますがしっかり活躍してました~
そしてビオラのダークサイドも見られたり。
指揮がまた。昔Wigglesworthさんとメル響でマーラー6番を聴いて感銘を受けて、今回彼の指揮を聴くのは2回目。
ものすごい安心感というか、安定感というか。論理的なのかも知れない、と思います。
今回チェレスタのパートはいつもオルガンをメル響で弾いてる方が弾いてたのですが・・・曲への思い入れ&メル響で弾くこと(ハープのJulieと隣で弾く事)自体、そしてあの人の指揮で弾きたかったな、ということ全部ひっくるめて今回チェレスタが弾きたかった!!!!
メル響、次は同じくWigglesworthさんで今週末にマーラー7番の演奏があります。
チケット予約済みです(今回バルコニー真ん中前側と良いところに座れたので次回もそうだといいな)。
ものすごい楽しみですね~最近気に入ってる曲ですし、このオケ&指揮者の組み合わせは間違いないですからね。
今日の一曲はおやすみです。先ほど夕方寝てたのですが若干まだ疲れている・・・蓄積中?
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前回のエントリーに拍手二つありがとうございます!
Twitterでもフィードバックいただいて感極まって調子に乗ってしまったのでそのうちまたやります!
やっぱり人に聞いてもらうのいいなあ、と・・・
腕も磨いて、ピアノも調律してもらって、レパートリーそろえて再挑戦したいです。
本当にありがとうございます♪
3月17日木曜日、メル大の医学部の建物でBrain Awareness Weekのレクチャーに行ってきました。
トピックは「統合失調症は人間の脳の進化の代償か?」というもので。
(ちなみにメル大はAustin Healthと合同でMelbourne Brain Centreという、完成したら南半球一の規模になる脳の研究施設を作っているそうです。これは将来楽しみ!)
集まった人の年齢は割と二極化してましたね。大学在学中くらいの若い人達と、あと定年後の年配の方達と。
でも年配の方達も今の研究内容に興味があるだけでなく知識をしっかり持ってて、レクチャーの後の質問タイムでがんがん質問してました。
すごいなあーと。私もあれくらいの年になっても学ぶ姿勢と知識をあれだけしっかりしたいな、と思いました。
ちなみに統合失調症の発症は10代後半から20代半ばに多いのでそれくらいの人の親世代がくるかなーと思ったのですが5時半スタートはちょっと時間が厳しかったのかも・・・
さて、内容ですが。
レクチャーはまず「統合失調症は人間のみが発症する疾患である」という話から始まり。
もっともよく知られている症状の一つである幻聴には「言語」が深く関わっていますし、声が自分の中から聞こえるか、自分の外から聞こえるかの区別という高度な認知能力が関わってたり。
割とこのレクチャーでは他の動物、特に霊長類との比較が出てきますがその小さいようで大きな差が統合失調症に関係があることがいろいろ言われています。
このレクチャーでキーとなっている点その1。
それは高度な認知能力を司る前頭前野の働き。
統合失調症にはいくつかの症状グループがありますが、そのなかでも認知障害(記憶力、計算能力など)のグループには前頭前野の機能障害が関わっていると言われています。
この前頭前野は脳全体においての割合でいうと他の動物と比べて人間がずばぬけて大きい領域です。この独自の進化が人間に独自の統合失調症を起こしたと考えられている、ということで。
キーその2。それは脳内のシナプスの数の年齢による移り変わり。
脳内のシナプス(脳内情報を伝えるニューロンとニューロンの繋がり)の数は脳ができたときから増え、5歳でピークを迎えその後減っていく、という傾向がありまして。
それはなぜか、というとシナプスを生かしておくためにはエネルギーが必要で、ピークのシナプス数を維持するためには莫大なエネルギーが必要になります。そのため最初の何年間で必要事項を猛スピードで学習した後にはシナプスを減らしてエネルギー量的にちゃんと維持できる状態にする、かつ必要最大限の数を保つ、ということらしいです。
(シナプスの数が本格的に減ってくる10代後半~20代半ばに統合失調症の発症が多いのもこれに関係しているとかいないとか)
つまりこのレクチャーによると統合失調症は脳のシナプスにエネルギーを送ってやること(量的・効率的)に問題がある疾患らしいです。
で、シナプスでの情報伝達に関わってる受容体の問題でエネルギーの伝達がうまく行われない、ということ、そしてその受容体には遺伝的な関連があって・・・
ここら辺はまだ日本語でうまく説明できないので割愛させてもらいますが・・・
要するに結論としては人間の脳(特に前頭前野)が複雑に進化したため膨大なエネルギーが必要になり、そのエネルギーの伝達に問題が生じる場合があり、それが統合失調症(特にその認知症状)につながる、ということです。
今回のレクチャーだけに限りませんが統合失調症についての話をするときは基本的な神経伝達・薬理学の知識、そしてなによりも遺伝学の知識が必要になってきますね。
統合失調症に関わる遺伝子を特定する話とかはいろいろ出てきますし、逆に遺伝学の話でも遺伝子特定の例として統合失調症を使う例が結構あるみたいで。
神経伝達のメカニズム、そして薬理学は仕事柄少し勉強していて十分わかるのですが遺伝学はまだちょっと・・・10年生の理科でやったっきりですからね~
いずれはカバーしないといけない分野だと思います。
統合失調症自体自分でもちゃんと理解できてるのかまだ自信ないんですよね-。
自分で患ったわけでもないし、病院でも間近でみたケースは少ないですし。
疾患の性質のいろいろが気分障害・不安障害あたりとは随分違うような気もするんですよ(考え過ぎなのかな~)
これまで行ってきたレクチャーも認知症状グループに焦点を当てた物が多くて、陽性・陰性症状のことはあまりまだ知識が身についてないかも・・・
苦手意識じゃないですけど、これからなんとか克服してきたいです。
これからまたコンサート・レクチャーラッシュなので外出が多くなりそうです。メルボルンも気温が下がりつつありますが元気に勉強・鑑賞したいと思います。
今日の一曲: トマス・アデズ Arcadiana四重奏より「O Albion」
今日は散歩に出たらipodの電池がきれてたのでiphoneに機能お試しで入れてたArcadianaを聞きました。
やっぱ好きですね~アデズは小編成の音楽でも本当にそれ以上のサウンドにしてくれる。
さらに類のない透明感。病みつきになります。
そのなかでも第6楽章「O Albion」はちょっとだけ異色?な気もします。
例えばエルガーのエニグマ変奏曲の「Nimrod」だったり、そういう「典型的イギリス」「イギリスの第2の国歌に似ている」性格の曲です。
知らない人にアデズの音楽を聞かせてどこの作曲家か、と聞いてもイギリスだとは返ってこないと思います。ブリテンに似てもいますがそれでもイギリスに繋げるのはちょっと難しい。
でもO Albionを聞くと彼はイギリス人以外の何者でもないな、と納得します。
(この曲のそんな性格が「ステレオタイプのイギリス」をわざと書いた結果か、それとも素直にそうしたのかはわかりませんが・・・)
Albion、というのはグレートブリテン島の一番古い名前だそうです。
とある神話ではAlbionは遠い楽園とされていたり。この四重奏曲の名前Arcadianaというのもそうですが、いろんな楽章に繰り返し出てくるコンセプトで。
Albionに関してはWikipedia(日本語もありますが英語の方が詳しい)を参照。
Arcadianaの諸楽章はなにか本当に大切で、儚いものを抱えています。
(以前紹介しました第4楽章「Et...」でさえも)
まだこう、しっかりとした形にはなっていないのですが、何回も聞いているうちになんとなーくこの四重奏曲の意味みたいなものが、鍵みたいなものが感じられるようになってきます。
それに先ほどの「遠い楽園」だったり、「死」が関わっていることは確かなのですが・・・
まだ紹介したのはこれで2楽章目。今後他の楽章を紹介するにあたって少しずつでも形にできたらな、と思います。
Twitterでもフィードバックいただいて感極まって調子に乗ってしまったのでそのうちまたやります!
やっぱり人に聞いてもらうのいいなあ、と・・・
腕も磨いて、ピアノも調律してもらって、レパートリーそろえて再挑戦したいです。
本当にありがとうございます♪
3月17日木曜日、メル大の医学部の建物でBrain Awareness Weekのレクチャーに行ってきました。
トピックは「統合失調症は人間の脳の進化の代償か?」というもので。
(ちなみにメル大はAustin Healthと合同でMelbourne Brain Centreという、完成したら南半球一の規模になる脳の研究施設を作っているそうです。これは将来楽しみ!)
集まった人の年齢は割と二極化してましたね。大学在学中くらいの若い人達と、あと定年後の年配の方達と。
でも年配の方達も今の研究内容に興味があるだけでなく知識をしっかり持ってて、レクチャーの後の質問タイムでがんがん質問してました。
すごいなあーと。私もあれくらいの年になっても学ぶ姿勢と知識をあれだけしっかりしたいな、と思いました。
ちなみに統合失調症の発症は10代後半から20代半ばに多いのでそれくらいの人の親世代がくるかなーと思ったのですが5時半スタートはちょっと時間が厳しかったのかも・・・
さて、内容ですが。
レクチャーはまず「統合失調症は人間のみが発症する疾患である」という話から始まり。
もっともよく知られている症状の一つである幻聴には「言語」が深く関わっていますし、声が自分の中から聞こえるか、自分の外から聞こえるかの区別という高度な認知能力が関わってたり。
割とこのレクチャーでは他の動物、特に霊長類との比較が出てきますがその小さいようで大きな差が統合失調症に関係があることがいろいろ言われています。
このレクチャーでキーとなっている点その1。
それは高度な認知能力を司る前頭前野の働き。
統合失調症にはいくつかの症状グループがありますが、そのなかでも認知障害(記憶力、計算能力など)のグループには前頭前野の機能障害が関わっていると言われています。
この前頭前野は脳全体においての割合でいうと他の動物と比べて人間がずばぬけて大きい領域です。この独自の進化が人間に独自の統合失調症を起こしたと考えられている、ということで。
キーその2。それは脳内のシナプスの数の年齢による移り変わり。
脳内のシナプス(脳内情報を伝えるニューロンとニューロンの繋がり)の数は脳ができたときから増え、5歳でピークを迎えその後減っていく、という傾向がありまして。
それはなぜか、というとシナプスを生かしておくためにはエネルギーが必要で、ピークのシナプス数を維持するためには莫大なエネルギーが必要になります。そのため最初の何年間で必要事項を猛スピードで学習した後にはシナプスを減らしてエネルギー量的にちゃんと維持できる状態にする、かつ必要最大限の数を保つ、ということらしいです。
(シナプスの数が本格的に減ってくる10代後半~20代半ばに統合失調症の発症が多いのもこれに関係しているとかいないとか)
つまりこのレクチャーによると統合失調症は脳のシナプスにエネルギーを送ってやること(量的・効率的)に問題がある疾患らしいです。
で、シナプスでの情報伝達に関わってる受容体の問題でエネルギーの伝達がうまく行われない、ということ、そしてその受容体には遺伝的な関連があって・・・
ここら辺はまだ日本語でうまく説明できないので割愛させてもらいますが・・・
要するに結論としては人間の脳(特に前頭前野)が複雑に進化したため膨大なエネルギーが必要になり、そのエネルギーの伝達に問題が生じる場合があり、それが統合失調症(特にその認知症状)につながる、ということです。
今回のレクチャーだけに限りませんが統合失調症についての話をするときは基本的な神経伝達・薬理学の知識、そしてなによりも遺伝学の知識が必要になってきますね。
統合失調症に関わる遺伝子を特定する話とかはいろいろ出てきますし、逆に遺伝学の話でも遺伝子特定の例として統合失調症を使う例が結構あるみたいで。
神経伝達のメカニズム、そして薬理学は仕事柄少し勉強していて十分わかるのですが遺伝学はまだちょっと・・・10年生の理科でやったっきりですからね~
いずれはカバーしないといけない分野だと思います。
統合失調症自体自分でもちゃんと理解できてるのかまだ自信ないんですよね-。
自分で患ったわけでもないし、病院でも間近でみたケースは少ないですし。
疾患の性質のいろいろが気分障害・不安障害あたりとは随分違うような気もするんですよ(考え過ぎなのかな~)
これまで行ってきたレクチャーも認知症状グループに焦点を当てた物が多くて、陽性・陰性症状のことはあまりまだ知識が身についてないかも・・・
苦手意識じゃないですけど、これからなんとか克服してきたいです。
これからまたコンサート・レクチャーラッシュなので外出が多くなりそうです。メルボルンも気温が下がりつつありますが元気に勉強・鑑賞したいと思います。
今日の一曲: トマス・アデズ Arcadiana四重奏より「O Albion」
今日は散歩に出たらipodの電池がきれてたのでiphoneに機能お試しで入れてたArcadianaを聞きました。
やっぱ好きですね~アデズは小編成の音楽でも本当にそれ以上のサウンドにしてくれる。
さらに類のない透明感。病みつきになります。
そのなかでも第6楽章「O Albion」はちょっとだけ異色?な気もします。
例えばエルガーのエニグマ変奏曲の「Nimrod」だったり、そういう「典型的イギリス」「イギリスの第2の国歌に似ている」性格の曲です。
知らない人にアデズの音楽を聞かせてどこの作曲家か、と聞いてもイギリスだとは返ってこないと思います。ブリテンに似てもいますがそれでもイギリスに繋げるのはちょっと難しい。
でもO Albionを聞くと彼はイギリス人以外の何者でもないな、と納得します。
(この曲のそんな性格が「ステレオタイプのイギリス」をわざと書いた結果か、それとも素直にそうしたのかはわかりませんが・・・)
Albion、というのはグレートブリテン島の一番古い名前だそうです。
とある神話ではAlbionは遠い楽園とされていたり。この四重奏曲の名前Arcadianaというのもそうですが、いろんな楽章に繰り返し出てくるコンセプトで。
Albionに関してはWikipedia(日本語もありますが英語の方が詳しい)を参照。
Arcadianaの諸楽章はなにか本当に大切で、儚いものを抱えています。
(以前紹介しました第4楽章「Et...」でさえも)
まだこう、しっかりとした形にはなっていないのですが、何回も聞いているうちになんとなーくこの四重奏曲の意味みたいなものが、鍵みたいなものが感じられるようになってきます。
それに先ほどの「遠い楽園」だったり、「死」が関わっていることは確かなのですが・・・
まだ紹介したのはこれで2楽章目。今後他の楽章を紹介するにあたって少しずつでも形にできたらな、と思います。
今日は満月。
でもただの満月ではないそうです。
月が地球に接近しているため月が大きく、明るく見えるそうで。
世界のどこにも月は優しくその光を注いでいます。
日本にも、オーストラリアにも。
(オーストラリアでは模様が上下逆さまです)
節電、停電、日本ではさまざまな電力事情がありますが、どこにいても少しの間空を見上げてお月様に目を向けて・・・
月の光の美しさ、そしてそれを彩る夜の闇の美しさを感じて。
そして日本の様々な人、そして世界の様々な人が同じように同じ月を見て、同じ空で繋がっていて、同じように月の光に美しさや落ち着きを感じていることを心に留めてもらえればな、と願っています。

頑張ってみましたがこんな写真です。もちょっと遠くに出て撮ればよかった・・・
そしてこれを機にちょっと演奏も投下。
こんな月が綺麗な夜はドビュッシーの「月の光」、ではなく同じドビュッシーでも「映像」第2巻から「廃寺にかかる月」です。
ピアノも長いこと調律してなくて、録音の質もよくなく、弾き手の腕もあれですが・・・
感覚としては数十年前のアナログ録音を聴いているような感じで捉えてくれれば、と思います。
クロード・ドビュッシー 「映像」第2巻 「廃寺にかかる月」
[VOON] Debussy Image II 2nd mvt
(小音量推奨、要FLASH、PCのみ動作確認、イヤホンで聴くとちょっと音が左右するかも、最後にVoonのロゴサウンド流れます)
そしておまけ:
ラヴェル 「古風なメヌエット」
[VOON] Ravel Minuet Antique.
これからレクチャーのノートまとめますんで次回きっと。
今日の一曲はおやすみです。
でもただの満月ではないそうです。
月が地球に接近しているため月が大きく、明るく見えるそうで。
世界のどこにも月は優しくその光を注いでいます。
日本にも、オーストラリアにも。
(オーストラリアでは模様が上下逆さまです)
節電、停電、日本ではさまざまな電力事情がありますが、どこにいても少しの間空を見上げてお月様に目を向けて・・・
月の光の美しさ、そしてそれを彩る夜の闇の美しさを感じて。
そして日本の様々な人、そして世界の様々な人が同じように同じ月を見て、同じ空で繋がっていて、同じように月の光に美しさや落ち着きを感じていることを心に留めてもらえればな、と願っています。
頑張ってみましたがこんな写真です。もちょっと遠くに出て撮ればよかった・・・
そしてこれを機にちょっと演奏も投下。
こんな月が綺麗な夜はドビュッシーの「月の光」、ではなく同じドビュッシーでも「映像」第2巻から「廃寺にかかる月」です。
ピアノも長いこと調律してなくて、録音の質もよくなく、弾き手の腕もあれですが・・・
感覚としては数十年前のアナログ録音を聴いているような感じで捉えてくれれば、と思います。
クロード・ドビュッシー 「映像」第2巻 「廃寺にかかる月」
[VOON] Debussy Image II 2nd mvt
(小音量推奨、要FLASH、PCのみ動作確認、イヤホンで聴くとちょっと音が左右するかも、最後にVoonのロゴサウンド流れます)
そしておまけ:
ラヴェル 「古風なメヌエット」
[VOON] Ravel Minuet Antique.
これからレクチャーのノートまとめますんで次回きっと。
今日の一曲はおやすみです。
昨日は統合失調症のレクチャーに行ったあとちょっと心の調子が悪くて休んでました(汗)
家に入ってから楽になったのでおそらく秋の涼しさが影響したのかも・・・
メルボルンも冷夏に早く涼しくなって・・・これからの季節、ちょっと心配ですが少しは慣れる・・・はず。
レクチャーの感想はhopefully次回に。
そして本題に入る前にもう一つ。
The Australian紙の記事(この記事、そしてここの読者の声)で「オーストラリアで日本の被災者を一時的に受け入れたらどうか」という声が上がっていて本当に、本当に!心打たれました。
これがオーストラリアのでっかい包容力だ!と。オーストラリアでよかったと涙しそうになりました。
ちなみにまだ提案段階で、海外避難は日本では検討されてないだろうし需要も微妙だと思いますが申し出があっただけでも本当によかったと思います。
Victoria Adamenko著「Neo-Mythologism in Music - From Scriabin and Schoenberg to Schnittke and Crumb」。
読み終わりました。でも随分時間がかかったんでうまく身についていません。なのでなんとか感想頑張ります。
20世紀において音楽は決まった流派がなく、みんながそれぞれの難しいことをやってた、ちょっとカオスな印象がある方も多いと思います。
でも実はこの多様性のなかに見えない繋がり、共通する源があって、時代の流れをちゃんと作っている・・・ということをこの本では考察しています。
キーワードはNeo-mythologism=新神話主義。
この本でいう「神話」とは古の神話のことではなく、その流れを見えない形で汲んでいる、なかなか形にして説明することは難しいコンセプトなのですが・・・
大まかに言うと「リアリズム」が対象を直接的に表現するのに対して「神話主義」というのは広義に言えば何か別の表現を通して表現すること。(音楽のモチーフでキャラクターを表したり、オーウェルの「動物農場」で動物たちの物語を通じてロシア革命の顛末を語ったり、など)
もちょっと詳しく言うと、ある物と別の物に新しく意味の繋がりが生まれ、抽象的・スピリチュアルなものに「意味の繋がり」が生まれることによってそれを感じ取ることができる、そして意味を繋げ感じ取る行為・・・
うーん、難しいんでまた定義は今度にしてください!
あと20世紀の神話は例えばユングの深層心理につながってたり、科学を取り入れたり、様々な文化の要素を取り入れるのが特徴的。そうやって個人個人の中に独自の「神話」を創り上げて、それぞれの表現者が独自の方法で表現していく、と。
宗教が社会をささえる時代に終わりを告げ、「個」の意識の時代になった20世紀に私たちの心の柱になっているものはなんなんだろう、という事にも繋がっていますし、20世紀以来のファンタジー、SF文学、ゲーム、映画などを分析してみるとその根底にこの時代に生まれた20世紀の新しい「神話」的な特徴があったりするのです。
私の好きな物で言うと手塚治虫「火の鳥」、萩尾望都「スター・レッド」、Sacrifice, Ancient Domains of Mystery、Earthseaシリーズ、封神演義、そして自分の創作など・・・
本の中で語られているのはほとんど音楽のことなのですが、思考を広げてみると自分の周りの色んな事が神話主義で説明がつくようになってきます。
ニーチェは「神は死んだ」といったけれど、別の形で「何か」が存在しているんだなあ、と思います。
きっと私と同じくこの本を読んで感じる人はいないかもわかりませんが、私にとっては自分の生涯で読んだ本のなかで確固たる、ダントツのNo. 1を誇っています。
もともとこの本を手にとったのはクラムの音楽についての論文で引用されていたことがきっかけで、クラムの音楽について知りたくて読んだのですが、その目的だけでなく10倍ものことが自分の中で明らかになった気がします。
自分は無神論者だ、と認識して久しいですが、それでも宗教とは違う何らかの「信仰」みたいなものがあるような気がしてきたことへの説明だったり・・・
自分が自分の創作で何を望むか、そしてそのコンセプトなどを磨くにはどうしたらいいか、ということの答えの一部だったり・・・
あとファンタジーなどで設定にリアリティがでるのはどういう時か、とか芸術においての多文化の共存、とか。
心を突いたコンセプトとしては・・・
1)数字がユニバーサルな言語・シンボルであること(確かに!と思いました)
2)宇宙とか時空・空間とか「完全な円」あたりの話が説明しにくいんですがたまに鳥肌が立つような話になったり。
3)二つの対照的なエレメントの存在(光と闇、神と悪魔など)、そして仲介させる存在
4)クラムの音楽などで見られる「意味のない音節」の意味など
などなど。イマイチ身についてないんでまた別の機会に・・・
ちなみに、本のタイトルに出ているスクリャービン(独自の神秘主義を作った)、シェーンベルク(数字に関して迷信的だった)、シュニトケ(詳しくは知らず)、クラム(自身この本で言う神話的な影響を認めている)の他にもいろんな作曲家の話、曲の考察があります。
ワーグナーやストラヴィンスキーなどすぐになるほど、と思うのもあればヒンデミットやシュトックハウゼンのように「予想だにしなかった!でも言われてみるとそうかも!」と思う作曲家もいて。ちょっと見る目が変わりましたね。
シュトックハウゼンとかシュニトケは聴いてみたことはあってもなかなか理解・アプローチしづらく思えたのですが、この本を読んでもっと勉強してみよう、という気になりました。
この本に書いてあることを例えばクラムの音楽の誤解を解く(?)、もっと知ってもらえるような入門書・・・的なものを書くときに含めると彼の音楽の心がもっと分かると思います。
とにかくこの本を読んで20世紀音楽を見る目が変わると思います。この本でカバーされてる考察はなかなかこれまで形にされてこなかったので(音楽に限らず)・・・
私は音楽だけでなく、さまざまなフィクション作品、自分の創作、そしてある意味自分だったり、自分の周りの世界ががらっと変わったような気がしました。
とりあえずまだファーストインパクトで勉強すること、自分の心と知識に取り込むことがいっぱいあって上手く説明できませんが・・・
「神話的」なエレメントを持った作品は日本にも多数溢れているので読んでみると面白いかも、と思います。
(音楽の知識がないとやっぱ難しそうですが・・・)
とにかく買う!なんとしてでもこの本は手元において熟読・そしてクラムの勉強、創作に使いたい!
いろいろ自分の中だけで納得したり盛り上がっててすみません~(汗)
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「春の祭典」より「春のきざし(乙女達の踊り)」
「新神話主義」と一口にいってもそのアプローチの仕方は人それぞれ。
クラムはシンボル的なテイストが強く、スクリャービンはそれを神秘・宗教のように捉え・・・
そしてストラヴィンスキーはわりと儀式的かつ数学的?メカニカルなアプローチをしていると思います。
かれの音楽における「神話」はモチーフの展開の仕方だったり組み立て方など構成要素に多く見られます。
新神話主義で面白いのが、その研究の中心がロシアだと言うこと。
もちろん当時ソヴィエトでは共産主義の一環として宗教が弾圧されていたため他の逃げ道を見つけ表現する必要があったこともあります。
さらに、ピョートル1世の欧化政策以前の「元のロシア」の文化が再発見され始めたのも20世紀だと言われています。これもまた既にある宗教から外れて別の信仰やspiritualityを見つけるきっかけになったかしら。
このブログでこの「春の祭典」の初演の騒動については何回か書いてるはずなのでそこはちょっと割愛。
「春の祭典」は欧化以前のロシアの奥地の春の生け贄の儀式をモチーフとしています。
それを表すため西洋の音楽で見られたことのないテクニックなどをたくさんたくさん使って(振り付けもそうですが)。
そしてその雰囲気は大変エキゾチックで、自然との繋がりも感じられ(さっき書かなかったですがこれも神話性の特徴)、さらに「儀式的な」雰囲気があります。
そして新神話主義とされる音楽でよくある傾向なのですが一見カオスでも実はものすごく綿密に計算してあります。
さらにメロディーというよりは本当に短いモチーフ(素数的、といいたいですね)を繰り返したり展開したり。これもこの曲で見られます。(さらにその短いモチーフのいろんな種類をいろんな楽器で重ねたり)
その繰り返しのぐるぐるした感じが儀式的・呪文的なのかな、と思います。
うーん、やっぱりこの楽章だけ抽出して、というのは難しいのですがこの「繰り返しによる儀式的雰囲気」が一番分かりやすいので選びました。
ぜひ耳を傾けてください。そして「春の祭典」バレエ全曲も。
(ブーレーズの指揮の試聴有りリンクにしました~)
家に入ってから楽になったのでおそらく秋の涼しさが影響したのかも・・・
メルボルンも冷夏に早く涼しくなって・・・これからの季節、ちょっと心配ですが少しは慣れる・・・はず。
レクチャーの感想はhopefully次回に。
そして本題に入る前にもう一つ。
The Australian紙の記事(この記事、そしてここの読者の声)で「オーストラリアで日本の被災者を一時的に受け入れたらどうか」という声が上がっていて本当に、本当に!心打たれました。
これがオーストラリアのでっかい包容力だ!と。オーストラリアでよかったと涙しそうになりました。
ちなみにまだ提案段階で、海外避難は日本では検討されてないだろうし需要も微妙だと思いますが申し出があっただけでも本当によかったと思います。
Victoria Adamenko著「Neo-Mythologism in Music - From Scriabin and Schoenberg to Schnittke and Crumb」。
読み終わりました。でも随分時間がかかったんでうまく身についていません。なのでなんとか感想頑張ります。
20世紀において音楽は決まった流派がなく、みんながそれぞれの難しいことをやってた、ちょっとカオスな印象がある方も多いと思います。
でも実はこの多様性のなかに見えない繋がり、共通する源があって、時代の流れをちゃんと作っている・・・ということをこの本では考察しています。
キーワードはNeo-mythologism=新神話主義。
この本でいう「神話」とは古の神話のことではなく、その流れを見えない形で汲んでいる、なかなか形にして説明することは難しいコンセプトなのですが・・・
大まかに言うと「リアリズム」が対象を直接的に表現するのに対して「神話主義」というのは広義に言えば何か別の表現を通して表現すること。(音楽のモチーフでキャラクターを表したり、オーウェルの「動物農場」で動物たちの物語を通じてロシア革命の顛末を語ったり、など)
もちょっと詳しく言うと、ある物と別の物に新しく意味の繋がりが生まれ、抽象的・スピリチュアルなものに「意味の繋がり」が生まれることによってそれを感じ取ることができる、そして意味を繋げ感じ取る行為・・・
うーん、難しいんでまた定義は今度にしてください!
あと20世紀の神話は例えばユングの深層心理につながってたり、科学を取り入れたり、様々な文化の要素を取り入れるのが特徴的。そうやって個人個人の中に独自の「神話」を創り上げて、それぞれの表現者が独自の方法で表現していく、と。
宗教が社会をささえる時代に終わりを告げ、「個」の意識の時代になった20世紀に私たちの心の柱になっているものはなんなんだろう、という事にも繋がっていますし、20世紀以来のファンタジー、SF文学、ゲーム、映画などを分析してみるとその根底にこの時代に生まれた20世紀の新しい「神話」的な特徴があったりするのです。
私の好きな物で言うと手塚治虫「火の鳥」、萩尾望都「スター・レッド」、Sacrifice, Ancient Domains of Mystery、Earthseaシリーズ、封神演義、そして自分の創作など・・・
本の中で語られているのはほとんど音楽のことなのですが、思考を広げてみると自分の周りの色んな事が神話主義で説明がつくようになってきます。
ニーチェは「神は死んだ」といったけれど、別の形で「何か」が存在しているんだなあ、と思います。
きっと私と同じくこの本を読んで感じる人はいないかもわかりませんが、私にとっては自分の生涯で読んだ本のなかで確固たる、ダントツのNo. 1を誇っています。
もともとこの本を手にとったのはクラムの音楽についての論文で引用されていたことがきっかけで、クラムの音楽について知りたくて読んだのですが、その目的だけでなく10倍ものことが自分の中で明らかになった気がします。
自分は無神論者だ、と認識して久しいですが、それでも宗教とは違う何らかの「信仰」みたいなものがあるような気がしてきたことへの説明だったり・・・
自分が自分の創作で何を望むか、そしてそのコンセプトなどを磨くにはどうしたらいいか、ということの答えの一部だったり・・・
あとファンタジーなどで設定にリアリティがでるのはどういう時か、とか芸術においての多文化の共存、とか。
心を突いたコンセプトとしては・・・
1)数字がユニバーサルな言語・シンボルであること(確かに!と思いました)
2)宇宙とか時空・空間とか「完全な円」あたりの話が説明しにくいんですがたまに鳥肌が立つような話になったり。
3)二つの対照的なエレメントの存在(光と闇、神と悪魔など)、そして仲介させる存在
4)クラムの音楽などで見られる「意味のない音節」の意味など
などなど。イマイチ身についてないんでまた別の機会に・・・
ちなみに、本のタイトルに出ているスクリャービン(独自の神秘主義を作った)、シェーンベルク(数字に関して迷信的だった)、シュニトケ(詳しくは知らず)、クラム(自身この本で言う神話的な影響を認めている)の他にもいろんな作曲家の話、曲の考察があります。
ワーグナーやストラヴィンスキーなどすぐになるほど、と思うのもあればヒンデミットやシュトックハウゼンのように「予想だにしなかった!でも言われてみるとそうかも!」と思う作曲家もいて。ちょっと見る目が変わりましたね。
シュトックハウゼンとかシュニトケは聴いてみたことはあってもなかなか理解・アプローチしづらく思えたのですが、この本を読んでもっと勉強してみよう、という気になりました。
この本に書いてあることを例えばクラムの音楽の誤解を解く(?)、もっと知ってもらえるような入門書・・・的なものを書くときに含めると彼の音楽の心がもっと分かると思います。
とにかくこの本を読んで20世紀音楽を見る目が変わると思います。この本でカバーされてる考察はなかなかこれまで形にされてこなかったので(音楽に限らず)・・・
私は音楽だけでなく、さまざまなフィクション作品、自分の創作、そしてある意味自分だったり、自分の周りの世界ががらっと変わったような気がしました。
とりあえずまだファーストインパクトで勉強すること、自分の心と知識に取り込むことがいっぱいあって上手く説明できませんが・・・
「神話的」なエレメントを持った作品は日本にも多数溢れているので読んでみると面白いかも、と思います。
(音楽の知識がないとやっぱ難しそうですが・・・)
とにかく買う!なんとしてでもこの本は手元において熟読・そしてクラムの勉強、創作に使いたい!
いろいろ自分の中だけで納得したり盛り上がっててすみません~(汗)
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「春の祭典」より「春のきざし(乙女達の踊り)」
「新神話主義」と一口にいってもそのアプローチの仕方は人それぞれ。
クラムはシンボル的なテイストが強く、スクリャービンはそれを神秘・宗教のように捉え・・・
そしてストラヴィンスキーはわりと儀式的かつ数学的?メカニカルなアプローチをしていると思います。
かれの音楽における「神話」はモチーフの展開の仕方だったり組み立て方など構成要素に多く見られます。
新神話主義で面白いのが、その研究の中心がロシアだと言うこと。
もちろん当時ソヴィエトでは共産主義の一環として宗教が弾圧されていたため他の逃げ道を見つけ表現する必要があったこともあります。
さらに、ピョートル1世の欧化政策以前の「元のロシア」の文化が再発見され始めたのも20世紀だと言われています。これもまた既にある宗教から外れて別の信仰やspiritualityを見つけるきっかけになったかしら。
このブログでこの「春の祭典」の初演の騒動については何回か書いてるはずなのでそこはちょっと割愛。
「春の祭典」は欧化以前のロシアの奥地の春の生け贄の儀式をモチーフとしています。
それを表すため西洋の音楽で見られたことのないテクニックなどをたくさんたくさん使って(振り付けもそうですが)。
そしてその雰囲気は大変エキゾチックで、自然との繋がりも感じられ(さっき書かなかったですがこれも神話性の特徴)、さらに「儀式的な」雰囲気があります。
そして新神話主義とされる音楽でよくある傾向なのですが一見カオスでも実はものすごく綿密に計算してあります。
さらにメロディーというよりは本当に短いモチーフ(素数的、といいたいですね)を繰り返したり展開したり。これもこの曲で見られます。(さらにその短いモチーフのいろんな種類をいろんな楽器で重ねたり)
その繰り返しのぐるぐるした感じが儀式的・呪文的なのかな、と思います。
うーん、やっぱりこの楽章だけ抽出して、というのは難しいのですがこの「繰り返しによる儀式的雰囲気」が一番分かりやすいので選びました。
ぜひ耳を傾けてください。そして「春の祭典」バレエ全曲も。
(ブーレーズの指揮の試聴有りリンクにしました~)
昨日Victoria Adamenko著「Neo-mythologism in Music(音楽における新神話主義)」をやっと読み終わりました。
あまりにも読むのが遅すぎたのもありちゃんと身についてないのですが感想は是非まとめたいと思います。できたら明日。
今日はレッスンの日でした。
ここ何回かは大学だったのですが今日は先生の家で。
といっても先生の家は大学付属の寮にあるおうち。
Ormond Collegeといって音楽科の建物から徒歩5分の、緑に溢れ古い建物がヨーロピアンな寮です。
レッスンだったり他のいろいろだったり今まで何度も来たことありますが随分と久しぶり。
先生のうちは3つグランドピアノがあったり本と楽譜がたくさんあるのですがこじんまりしています。
心配してるかなーと思ったのですがやっぱりこちらのニュースで日本の状況を聞いて「家族は向こうにいるのか」と聞いてきました。
そして日本で起こっている災害に関して本当に心を痛めていました。
先生ってリアクションというか感情がなかなか読めない人なんですけど、今日はなんだか話していていろいろ感じ取った手ごたえがありました。根拠は皆無ですが(汗)
でももう知り合って7年ですから。
先生と話してたりレッスンしてると本当にあっという間に時が過ぎてって。もっと先生とお話したいんですが。
レッスン自体はわりとみっちり・・・?
ベートーヴェンで本当にテクニカルな部分にかなり時間かけました!
なんというか基礎がどこかちょっと崩れ気味・・・
シマノフスキのもやもやは結局解決せずでしたがもうちょっと粘ってみようかな・・・と。
先生もシマノフスキ好きみたいですし、なんかお褒めの言葉みたいなものももらったみたいな感じなんで・・・
大学在学中からだれも弾かないような曲をひっぱりだして弾いてますが、先生は興味持ってくれることが多いです。
結構その「発掘力」を先生は好いてくれてるみたいです。
今日先生が「なにかと難しい曲を見つけてくるけど結構弾きこなしてるね」と言ってくれて。
先生が割と難易度に関しては安全パイにいく傾向が多いのでそう思うのかなーとも思いますが・・・
私自身が結構曲に「恋に落ちたら多少の困難も顧みない」タイプなので。
技巧が追いつかなくても熱意でなんとかしちゃおうとするんでうしょね、音楽に関しては。
なぜなら曲を好きになって弾くと選んだ時からその時その曲で表現したい何か、他の曲じゃだめな何かがあって、アウトプットしたい、しないと!というのもありまして。
若いからせっかちでいろいろやりたいことがあるんです。
・・・でも忘れず基礎のテクニックも少しは磨きたいと思います。
今日はなんだか変でしたね、なんとなく自分の中が。
楽譜とCDを一部返しに音楽図書館にいったのですが全く食指が動かないんですよ。
録音無しでスコアだけ見ててももどかしいなあ、と思いながらクラムのStar-ChildとMadrigals第1・2巻のスコアを借りて。
で、のちほどCD屋に行ったとき先生のCDを注文するついでになんとなーくクラムのCDを買ってしまいました。
なんとなーくの出費ってもやもやするんですよね。ちょうどスコアを借りたMadrigals収録で、Eine Kleine Mitternachtmusikも初めて聴けて嬉しいんですが。
でもCD屋とHaunted Bookshopでは食指動きっぱなしでした(笑)
明日からまた仕事、そして今弾いてる曲をさらに磨かなければ。
あんまり外に出ないんでたまに出ると一日出かけたままでくたくただけど、今日は良い日でした。
オーストラリアの救助隊も宮城で被曝しながら頑張っています。
募金はしたけど節電はこちらはもちろん関係なく、今は遠くからただ託すことしかできない。
そんなときにこの国から日本を助けようと救助隊が行っているのは本当に心強いです。
母国で震災があったニュージーランドの救助隊と手を組んで頑張っているということなので(向こうはこういった状況についてオーストラリアより良く知っているので)南の大地から応援しています。
そんな中、音楽のお勧めを探すのを続けながら、自分の演奏を投入できればなあ・・・と願っています。
果たして適切かどうか、現実的かどうか分からないので自信が持てないのですが・・・
素人なりに検討中です。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Ancient Voice of Children」より「Todas las tardes en Granada, todas las tardes se muere un niño」
もうこの曲で3楽章目、でも今だからこそお勧めしたい曲なので投入。
ちなみに今日買ったCDよりもAncient Voicesは以前から紹介しているCD(ソプラノがJan DeGaetaniのもの。ジャケットの蝶が目印)の方が強い、クラムらしい演奏です。是非。
クラムがあるハーモニー、あるメロディーの形を使うのにはみんな理由があります。
この曲は珍しくシンプルな三和音をdroneのように伸ばす伴奏、そしてソプラノの暖かくfuzzyな声で奏でられるメロディーもまたフラットなもので。
本当にシンプルな曲。
そしてなんといっても!トイピアノの存在が本当にheartbreaking。
バッハの曲の引用を奏でるその音の古いオルゴールのようなはかなさ・・・
ここでこういう使い方したら落ちること間違いなし。
いつもそうですがクラムの引用音楽の使い方、そしてその効果って逐一だと思います。
(このことに関しては今度このブログにエントリーを書きたいですね)
この曲を聴くとクラムが「時間」をどう捉えているか、そしてどう操っているかが体感できると思います。
そしてこの曲で時間が止まっている間に何かが落ちていく、その何とも言えない感覚。
タイトルの訳が歌詞にもなっている「毎日午後にグラナダで、毎日午後に子供が死ぬ」というロルカの詩なんですけど(ロルカの詩もお勧め!できればスペイン語併記版で。完全版が見つからないので2冊買いたい・・・)、この日が傾いていく、終わっていく「午後」と「死」のイメージが重なって。
この曲を聴きながら延々と日が沈んでいく西の空を見ていたい。
言葉では表現できない、その感覚を感じていたいと心から思います。
あまりにも読むのが遅すぎたのもありちゃんと身についてないのですが感想は是非まとめたいと思います。できたら明日。
今日はレッスンの日でした。
ここ何回かは大学だったのですが今日は先生の家で。
といっても先生の家は大学付属の寮にあるおうち。
Ormond Collegeといって音楽科の建物から徒歩5分の、緑に溢れ古い建物がヨーロピアンな寮です。
レッスンだったり他のいろいろだったり今まで何度も来たことありますが随分と久しぶり。
先生のうちは3つグランドピアノがあったり本と楽譜がたくさんあるのですがこじんまりしています。
心配してるかなーと思ったのですがやっぱりこちらのニュースで日本の状況を聞いて「家族は向こうにいるのか」と聞いてきました。
そして日本で起こっている災害に関して本当に心を痛めていました。
先生ってリアクションというか感情がなかなか読めない人なんですけど、今日はなんだか話していていろいろ感じ取った手ごたえがありました。根拠は皆無ですが(汗)
でももう知り合って7年ですから。
先生と話してたりレッスンしてると本当にあっという間に時が過ぎてって。もっと先生とお話したいんですが。
レッスン自体はわりとみっちり・・・?
ベートーヴェンで本当にテクニカルな部分にかなり時間かけました!
なんというか基礎がどこかちょっと崩れ気味・・・
シマノフスキのもやもやは結局解決せずでしたがもうちょっと粘ってみようかな・・・と。
先生もシマノフスキ好きみたいですし、なんかお褒めの言葉みたいなものももらったみたいな感じなんで・・・
大学在学中からだれも弾かないような曲をひっぱりだして弾いてますが、先生は興味持ってくれることが多いです。
結構その「発掘力」を先生は好いてくれてるみたいです。
今日先生が「なにかと難しい曲を見つけてくるけど結構弾きこなしてるね」と言ってくれて。
先生が割と難易度に関しては安全パイにいく傾向が多いのでそう思うのかなーとも思いますが・・・
私自身が結構曲に「恋に落ちたら多少の困難も顧みない」タイプなので。
技巧が追いつかなくても熱意でなんとかしちゃおうとするんでうしょね、音楽に関しては。
なぜなら曲を好きになって弾くと選んだ時からその時その曲で表現したい何か、他の曲じゃだめな何かがあって、アウトプットしたい、しないと!というのもありまして。
若いからせっかちでいろいろやりたいことがあるんです。
・・・でも忘れず基礎のテクニックも少しは磨きたいと思います。
今日はなんだか変でしたね、なんとなく自分の中が。
楽譜とCDを一部返しに音楽図書館にいったのですが全く食指が動かないんですよ。
録音無しでスコアだけ見ててももどかしいなあ、と思いながらクラムのStar-ChildとMadrigals第1・2巻のスコアを借りて。
で、のちほどCD屋に行ったとき先生のCDを注文するついでになんとなーくクラムのCDを買ってしまいました。
なんとなーくの出費ってもやもやするんですよね。ちょうどスコアを借りたMadrigals収録で、Eine Kleine Mitternachtmusikも初めて聴けて嬉しいんですが。
でもCD屋とHaunted Bookshopでは食指動きっぱなしでした(笑)
明日からまた仕事、そして今弾いてる曲をさらに磨かなければ。
あんまり外に出ないんでたまに出ると一日出かけたままでくたくただけど、今日は良い日でした。
オーストラリアの救助隊も宮城で被曝しながら頑張っています。
募金はしたけど節電はこちらはもちろん関係なく、今は遠くからただ託すことしかできない。
そんなときにこの国から日本を助けようと救助隊が行っているのは本当に心強いです。
母国で震災があったニュージーランドの救助隊と手を組んで頑張っているということなので(向こうはこういった状況についてオーストラリアより良く知っているので)南の大地から応援しています。
そんな中、音楽のお勧めを探すのを続けながら、自分の演奏を投入できればなあ・・・と願っています。
果たして適切かどうか、現実的かどうか分からないので自信が持てないのですが・・・
素人なりに検討中です。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Ancient Voice of Children」より「Todas las tardes en Granada, todas las tardes se muere un niño」
もうこの曲で3楽章目、でも今だからこそお勧めしたい曲なので投入。
ちなみに今日買ったCDよりもAncient Voicesは以前から紹介しているCD(ソプラノがJan DeGaetaniのもの。ジャケットの蝶が目印)の方が強い、クラムらしい演奏です。是非。
クラムがあるハーモニー、あるメロディーの形を使うのにはみんな理由があります。
この曲は珍しくシンプルな三和音をdroneのように伸ばす伴奏、そしてソプラノの暖かくfuzzyな声で奏でられるメロディーもまたフラットなもので。
本当にシンプルな曲。
そしてなんといっても!トイピアノの存在が本当にheartbreaking。
バッハの曲の引用を奏でるその音の古いオルゴールのようなはかなさ・・・
ここでこういう使い方したら落ちること間違いなし。
いつもそうですがクラムの引用音楽の使い方、そしてその効果って逐一だと思います。
(このことに関しては今度このブログにエントリーを書きたいですね)
この曲を聴くとクラムが「時間」をどう捉えているか、そしてどう操っているかが体感できると思います。
そしてこの曲で時間が止まっている間に何かが落ちていく、その何とも言えない感覚。
タイトルの訳が歌詞にもなっている「毎日午後にグラナダで、毎日午後に子供が死ぬ」というロルカの詩なんですけど(ロルカの詩もお勧め!できればスペイン語併記版で。完全版が見つからないので2冊買いたい・・・)、この日が傾いていく、終わっていく「午後」と「死」のイメージが重なって。
この曲を聴きながら延々と日が沈んでいく西の空を見ていたい。
言葉では表現できない、その感覚を感じていたいと心から思います。
