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只今キッチンの引き出しが美味しいお茶で溢れてます。
Madame FlavourのWhite tea with RoseとGreen, Jasmine and Pearだったり、LupiciaのMelon OolongやUluruだったり、Liptonの Large LeafシリーズからAlps(私は飲まないのですが)、MediterraneanとMoroccoだったり。
他にもいつものTwinings Lady Greyとか緑茶とか定番ハーブティーもあったり。全くカオスです。
今日3月7日はモーリス・ラヴェル(1875~1937)の誕生日。
(メル響のTwitterから流れてきました)
私にとって(特にピアニストとして)大切な作曲家で、母だったり先生や先生の先生にも大事な作曲家。
同じフランス印象派とくくられてはいるもののドビュッシーとは大分毛色が違うスタイルで透明で理系な感じが特徴的。
時代を考えると決して「短命」とはいえないですが晩年の病気の影響があったり、彼自身の完璧主義的な作風というか性格の影響もあったりで比較的作品数としては少ないようです。
昔先生がラヴェルのピアノ作品(1人で弾けるもの)全てを演奏するリサイタルをやったらしいのですが(注:この時点ではまだ「グロテスクなセレナード」は発見されてませんでした)、話によると2時間半強ぐらいのリサイタルだったようです。こういうのはかなり珍しいと言えるでしょう。
(もちろん他にもオケ曲、歌曲、室内楽、協奏曲、連弾、ピアノ2台のための曲もありますが、それでも全部合わせても少ない方です)
ただほとんどといって「ハズレ」がない、ある意味完璧とも言えるような素晴らしい曲ばかりです。
クラムやメシアンへの愛を叫んでもなかなかラヴェルへの愛を叫ぶのが少ない傾向にある私ですが、決してその愛が程度に劣ってるわけではありません。
ラヴェルの音楽の存在だったり、ラヴェルの音楽と自分との結びつきがあまりにも自然で透明なもので、叫ぶまでもない、というか叫ぶようなことがない、と・・・
そもそも母が「死せる王女のためのパヴァーヌ」(オケ版)が好きで、昔からよく聞いていて。
そしてVCEの音楽のリサイタルプログラムで20世紀音楽が2ついる、ということで初めてラヴェルを弾く事になり。「クープランの墓」から「フォルラーヌ」を弾きました。(ちなみにもう一つはショスタコの前奏曲でした)
最初はタッチだったり、音のバランスだったりでなかなかうまくいかなかったのですがいつのまにか弾くにも馴染んできて。
以来弾いてきたラヴェルの曲はこんな感じ:
死せる王女のためのパヴァーヌ (ピアノ、オケ)
古風なメヌエット(ピアノ)
前奏曲
クープランの墓から前奏曲、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット
鏡 全曲(ただし「洋上の小舟」は途中でギブしてます)
ソナチネ
ボレロ
マ・メール・ロワ(ピアノ連弾、オケ)
うーん、まだまだだなあ(苦笑)
大学入学してからピアノを弾いている間はほとんどノンストップでラヴェル弾いてるんですよね。(もちろん何回か戻ってきてる曲もあるので・・・)
いつか「新しいラヴェルの曲」がなくなっちゃうのが怖いんですがどうしても弾いてなくちゃ気が済まない、というか。
ラヴェルの音楽の魅力・・・といえばいろいろあります。
きらきらして透明な色彩、まるで精密機械のような隅々にわたる完璧さ、スペインのエキゾチックな雰囲気と情熱、そしてフランス独特のスタイル。
ちなみにラヴェルの母はスペイン文化の強いバスク地方の人で、父はスイス人で仕事は機械関係・・・最強のコンビネーションですよ(笑)どちらの影響もはっきりラヴェルの音楽に出てますからね。
音楽の透明な感じも心に優しく、ものすごく冷静に客観的に心をセットしてくれるような感じがあって、そこも本当に大切に感じています。
そして自分にとってラヴェルが馴染みやすいのは音楽的なスタイルだったり、題材になるイメージのチョイス(特に「鏡」。このブログなどでも使う蛾=Noctuelleという言葉はこの「鏡」の中の一曲から来ています)だったりだけではなく、「ピアノを弾く」ということの中でも親しみを覚えることが多かったりします。
ラヴェルは比較的小柄な人だったらしく、手も小さめだったようで・・・小さい手ならではの細かい動きや、二つの手が重なるような弾き方だったりがたくさんあり、それが私の手にもフィットしていて弾いてて心地良いです。
さらにラヴェルのテクニックはショパンやリストなどとは違う、他のどんな作曲家の練習曲などで磨くような技巧とも違うもので。いわゆる「ガラパゴス」に近いのかしら。譜面で見るとそんなに特異なような風には見えないんですけど弾いてみるとトリッキー。
なんだかほどよいチャレンジなんですよ。
あとラヴェルはその指の動きの細かさから私に撮って疲れると真っ先に弾き方に影響がでる作曲家でもあります。「お、もう疲れてきてるか、あんまり自分を責めたり無理したりしない方がいいかも」と教えてくれるので・・・私のコンディションをお見通し、というかそれとなく伝えてくれる、というかさりげなくいたわってくれる、というか。
ラヴェルの名手になりたい、といえばなりたいですが自信がなくて(笑)
(でもラヴェルはうまく弾けないとものすごく悔しく感じます)
一緒に居るのが自然、だからこそこのまま末永くラヴェルの音楽と付き合って行きたいです。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「鏡」より「鐘の谷」
今日練習の最後にちょっとラヴェルを(一日の仕事や練習でぼろぼろになってましたが)弾いたうち、最後に弾いた曲です。
「鏡」はどの楽章も心から大好きですが、ある意味特別な場所を占めているのがこの最終楽章。
この曲は本当に様々な鐘の音が音楽の大部分を占めていて。
ピアノでその様々な音色や距離を表現し、「空間を創る」曲です。
この「距離」が曲者で、ピアノで表現することが本当に難しく。
でも「創る」プロセスが本当に楽しく、自分がその空間にいることが本当に心地良く。
霧のかかった静かな朝か、それとも空が紫に、赤に染まる夕方か・・・
いずれにしろ独特の静けさと時の止まったような感覚がいとおしいです。
鐘の音はピュアトーンでなく様々な倍音が同時に鳴り、和音のように聞こえるのが特徴です。
その倍音のバランスは鐘の大きさ、材質、形、古さなどで変わり、個々の鐘によって音色は大きく変わります。
それが不思議で、そしてたまらなく魅力的で。
この曲でもそうやって様々な鐘の音をピアノで再現しています。
今日は暮れつつあるメルボルンの晩夏の夕方の雰囲気をイメージして、というか閉じ込めて弾いてました。
昨日、今日は本当に(やっと季節らしく)暖かくて。これからそれもまた失われるのですが。
そして私にとっての「ラヴェルのベストシーズン」も終わり。淋しいものです。
Madame FlavourのWhite tea with RoseとGreen, Jasmine and Pearだったり、LupiciaのMelon OolongやUluruだったり、Liptonの Large LeafシリーズからAlps(私は飲まないのですが)、MediterraneanとMoroccoだったり。
他にもいつものTwinings Lady Greyとか緑茶とか定番ハーブティーもあったり。全くカオスです。
今日3月7日はモーリス・ラヴェル(1875~1937)の誕生日。
(メル響のTwitterから流れてきました)
私にとって(特にピアニストとして)大切な作曲家で、母だったり先生や先生の先生にも大事な作曲家。
同じフランス印象派とくくられてはいるもののドビュッシーとは大分毛色が違うスタイルで透明で理系な感じが特徴的。
時代を考えると決して「短命」とはいえないですが晩年の病気の影響があったり、彼自身の完璧主義的な作風というか性格の影響もあったりで比較的作品数としては少ないようです。
昔先生がラヴェルのピアノ作品(1人で弾けるもの)全てを演奏するリサイタルをやったらしいのですが(注:この時点ではまだ「グロテスクなセレナード」は発見されてませんでした)、話によると2時間半強ぐらいのリサイタルだったようです。こういうのはかなり珍しいと言えるでしょう。
(もちろん他にもオケ曲、歌曲、室内楽、協奏曲、連弾、ピアノ2台のための曲もありますが、それでも全部合わせても少ない方です)
ただほとんどといって「ハズレ」がない、ある意味完璧とも言えるような素晴らしい曲ばかりです。
クラムやメシアンへの愛を叫んでもなかなかラヴェルへの愛を叫ぶのが少ない傾向にある私ですが、決してその愛が程度に劣ってるわけではありません。
ラヴェルの音楽の存在だったり、ラヴェルの音楽と自分との結びつきがあまりにも自然で透明なもので、叫ぶまでもない、というか叫ぶようなことがない、と・・・
そもそも母が「死せる王女のためのパヴァーヌ」(オケ版)が好きで、昔からよく聞いていて。
そしてVCEの音楽のリサイタルプログラムで20世紀音楽が2ついる、ということで初めてラヴェルを弾く事になり。「クープランの墓」から「フォルラーヌ」を弾きました。(ちなみにもう一つはショスタコの前奏曲でした)
最初はタッチだったり、音のバランスだったりでなかなかうまくいかなかったのですがいつのまにか弾くにも馴染んできて。
以来弾いてきたラヴェルの曲はこんな感じ:
死せる王女のためのパヴァーヌ (ピアノ、オケ)
古風なメヌエット(ピアノ)
前奏曲
クープランの墓から前奏曲、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット
鏡 全曲(ただし「洋上の小舟」は途中でギブしてます)
ソナチネ
ボレロ
マ・メール・ロワ(ピアノ連弾、オケ)
うーん、まだまだだなあ(苦笑)
大学入学してからピアノを弾いている間はほとんどノンストップでラヴェル弾いてるんですよね。(もちろん何回か戻ってきてる曲もあるので・・・)
いつか「新しいラヴェルの曲」がなくなっちゃうのが怖いんですがどうしても弾いてなくちゃ気が済まない、というか。
ラヴェルの音楽の魅力・・・といえばいろいろあります。
きらきらして透明な色彩、まるで精密機械のような隅々にわたる完璧さ、スペインのエキゾチックな雰囲気と情熱、そしてフランス独特のスタイル。
ちなみにラヴェルの母はスペイン文化の強いバスク地方の人で、父はスイス人で仕事は機械関係・・・最強のコンビネーションですよ(笑)どちらの影響もはっきりラヴェルの音楽に出てますからね。
音楽の透明な感じも心に優しく、ものすごく冷静に客観的に心をセットしてくれるような感じがあって、そこも本当に大切に感じています。
そして自分にとってラヴェルが馴染みやすいのは音楽的なスタイルだったり、題材になるイメージのチョイス(特に「鏡」。このブログなどでも使う蛾=Noctuelleという言葉はこの「鏡」の中の一曲から来ています)だったりだけではなく、「ピアノを弾く」ということの中でも親しみを覚えることが多かったりします。
ラヴェルは比較的小柄な人だったらしく、手も小さめだったようで・・・小さい手ならではの細かい動きや、二つの手が重なるような弾き方だったりがたくさんあり、それが私の手にもフィットしていて弾いてて心地良いです。
さらにラヴェルのテクニックはショパンやリストなどとは違う、他のどんな作曲家の練習曲などで磨くような技巧とも違うもので。いわゆる「ガラパゴス」に近いのかしら。譜面で見るとそんなに特異なような風には見えないんですけど弾いてみるとトリッキー。
なんだかほどよいチャレンジなんですよ。
あとラヴェルはその指の動きの細かさから私に撮って疲れると真っ先に弾き方に影響がでる作曲家でもあります。「お、もう疲れてきてるか、あんまり自分を責めたり無理したりしない方がいいかも」と教えてくれるので・・・私のコンディションをお見通し、というかそれとなく伝えてくれる、というかさりげなくいたわってくれる、というか。
ラヴェルの名手になりたい、といえばなりたいですが自信がなくて(笑)
(でもラヴェルはうまく弾けないとものすごく悔しく感じます)
一緒に居るのが自然、だからこそこのまま末永くラヴェルの音楽と付き合って行きたいです。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「鏡」より「鐘の谷」
今日練習の最後にちょっとラヴェルを(一日の仕事や練習でぼろぼろになってましたが)弾いたうち、最後に弾いた曲です。
「鏡」はどの楽章も心から大好きですが、ある意味特別な場所を占めているのがこの最終楽章。
この曲は本当に様々な鐘の音が音楽の大部分を占めていて。
ピアノでその様々な音色や距離を表現し、「空間を創る」曲です。
この「距離」が曲者で、ピアノで表現することが本当に難しく。
でも「創る」プロセスが本当に楽しく、自分がその空間にいることが本当に心地良く。
霧のかかった静かな朝か、それとも空が紫に、赤に染まる夕方か・・・
いずれにしろ独特の静けさと時の止まったような感覚がいとおしいです。
鐘の音はピュアトーンでなく様々な倍音が同時に鳴り、和音のように聞こえるのが特徴です。
その倍音のバランスは鐘の大きさ、材質、形、古さなどで変わり、個々の鐘によって音色は大きく変わります。
それが不思議で、そしてたまらなく魅力的で。
この曲でもそうやって様々な鐘の音をピアノで再現しています。
今日は暮れつつあるメルボルンの晩夏の夕方の雰囲気をイメージして、というか閉じ込めて弾いてました。
昨日、今日は本当に(やっと季節らしく)暖かくて。これからそれもまた失われるのですが。
そして私にとっての「ラヴェルのベストシーズン」も終わり。淋しいものです。
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今日は久しぶりに暖かかったのでシティをぶらぶらしてきました。
主に大手本屋さん。BordersにDymocksにReader's Feast。
以前「モノ書きピアニストはお尻が痛い」で話が出ていたエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」を目当てにポーの作品集を10ドルで買いました。詩も入ってて日本語でしか持ってなかったのでほくほくです。
そしてついでに見つけたボードレールの「悪の華」も10ドルだったのでなぜか買ってしまいました。
一番欲しかったロルカの詩集とアポリネールの詩集「Alcools」はどこでも見つからず。
Bordersでオンラインで注文しようと思います。(きっとロルカは2冊買うことになると思います)
前はそうでもなかったんですけど最近は原語が英語以外の詩集は原語と英語訳とどっちも載せてることが多いんですかね?今日見たり調べたりした限りで多いな、と思ったので。
ロルカはスペイン語のままクラムの音楽に使われてるのでスペイン語が併記してあるとものすごく助かるので嬉しいですね。
(他の歌曲に関しても同じですが)
本屋は欲しいものだらけで本当に困りますね~ロシア革命が舞台の小説とか、中学の時英語の課題でリサーチしたBataviaの難破についての本とか・・・あとアイルランドの詩集、ポーランドの詩集、他にもたくさん。
他にもMetropolitan Arts Museum Shopや、Spellbookというオカルト系のお店も見てきました。
いつも贔屓にしているThomas' Musicというクラシック専門CD屋さん(現代音楽もかなり充実、民族音楽やDVDもあります)、そして前々から覗いてみたかったオカルト・ファンタジー専門の本屋さんHaunted Bookshopは今日は開いてなかったのでまた今度ぶらりと行きたいですね。
そんなこんなで納期に余裕が出たため今週末は仕事はおやすみ、今日はピアノもおやすみしました。
たまにはこういう週末もあったほうがいいですし、他にもいろいろ小さいこと済ませられましたし、やっぱり暖かい日は外に出ないとなのですが・・・練習しないと心が痛みます。
明日からは仕事もピアノも本腰入れて頑張らなきゃ!
そして時間はかかっていますがVictoria Adamenkoの「音楽における新神話主義」の本も読み進めています。
共感度の高さと中身のエキサイティングさで読む度にものすごくテンションが上がってある意味大変(笑)
音楽における思想だったり作曲技法だったり、学ぶものは本当に多くて。今まで読んだ本で自分にとってのベストなのですが・・・
(感想は全部読んでからにします、その時にまたお願いします)
さらに何よりも「もっと○○の音楽が知りたい!」と触発されています。
スクリャービンだったり、シェーンベルクだったり・・・そしてシュトックハウゼン!
シュトックハウゼンの作品はメシアンコンクールで一部出ていた「Klavierstuck」シリーズと、一緒に入ってたMikrophonie I & IIくらいしか知らなくて、メシアンの生徒といえども随分毛色が違うなあという印象があったり、音楽史の授業でもトータルセリーのブーレーズと同じくくりにされてるもんだからリアリストなのか、という印象があって・・・
(ともかく20世紀音楽に関しては音楽史の授業はミスリードだらけでしたね。クラムの扱いなんか特にそうでしたが)
この本で繰り返しシュトックハウゼンの「Licht」の分析やその解釈、背景にある思想や思いなどの話がいっぱい出てきて、本当に彼の音楽を見直したいな、と思っています。
そしてシュニトケの話も出てくるんですよね-・・・
ショスタコーヴィチの後継者を名乗り、ソヴィエトの作曲家として活動したということで随分前からお知り合いになりたいと思ってた作曲家なんですが、かなり多作な人でどこから手をつけて良いか分からず今ある分からレパートリーが全然広がらなくて。
でもこの本をきっかけに興味を持てる特定の曲が見つかるといいな、と思ってます。
20~21世紀専門、とは言いますが知らないことは本当にたくさん。
新神話主義を軸にして音楽のレパートリーや他の色々を広げていければいいな、と思ってます。
(そして新神話主義はファンタジー系統のリサーチも繋げてかないと♪)
今日の一曲: クロード・ドビュッシー 前奏曲集第2巻より第10番「カノープ」
今日の経験の様々な細々としたことに繋がってる気がするので選びました(笑)
フランス人、というかフランスの音楽は外国が大好き!という印象が強いです。
スペインが舞台の音楽で有名な曲(カルメンなど)の多くはフランス人が書いてますし、他にもイタリア、アフリカ、東洋風など他の文化を題材にしたり取り入れたりすることが本当に多いです。
(新しいもの、エキゾチックなもの好きなのと、音楽における国のアイデンティティが確立するのが比較的遅かった、という要因があります)
ドビュッシーも様々な文化や国を題材にしています。この「カノープ」はその中でもエジプトを題材としています。
エジプトを題材とした作品は以前紹介しましたサン=サーンスの「サムソンとデリラ」だったり、ヴェルディの「アイーダ」がありますが、この曲はかなり性格が違います。
まず「サムソンとデリラ」を紹介したときに言及しました「エジプトらしい曲を書くテキストブックで書いた様な」特徴はなく。
どの曲も「エジプトらしさ」を捉えようと、表現しようとしていることは共通しているのですが・・・
「カノープ」とはエジプトでミイラとともに埋葬された副葬品の一つ。
ミイラを作る時に人体(または動物の体)から抜いた内臓を各々しまうための壷のことです。
古代エジプトで信じられていた生死についての信仰だったり、それにまつわす神秘的な儀式をこの曲は表現しようとしています。
そして現代においてカノープは「古代からの出土品」であり。
先ほどの他の2曲が「リアルタイムの古代エジプト」を表しているのと対照的に、カノープは遠い遠い過去に思いを馳せる、時の長さと栄枯盛衰を感じる曲なのです。
(新神話主義と照らし合わせるとまたちょっと通じるところがあったり)
何にしてもクラシック音楽において本物のエジプト音楽に忠実、というものはあるのかどうか分かりません。
ただこういった「雰囲気を捉える」音楽で実際にそういう気分になって、神秘的で不思議な、「今ここ」から本当に遠いものを感じることができる、というのは本当に音楽って不思議だなあと思います。(文でも絵画でもなかなか難しいことだと思いますよ)
ミケランジェリは実は第1巻しか持ってないのですが、贔屓100%で(先生の先生ですから(笑))この録音をチョイス。「映像」も収録されているのでいつか手に入れたいCDです。
主に大手本屋さん。BordersにDymocksにReader's Feast。
以前「モノ書きピアニストはお尻が痛い」で話が出ていたエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」を目当てにポーの作品集を10ドルで買いました。詩も入ってて日本語でしか持ってなかったのでほくほくです。
そしてついでに見つけたボードレールの「悪の華」も10ドルだったのでなぜか買ってしまいました。
一番欲しかったロルカの詩集とアポリネールの詩集「Alcools」はどこでも見つからず。
Bordersでオンラインで注文しようと思います。(きっとロルカは2冊買うことになると思います)
前はそうでもなかったんですけど最近は原語が英語以外の詩集は原語と英語訳とどっちも載せてることが多いんですかね?今日見たり調べたりした限りで多いな、と思ったので。
ロルカはスペイン語のままクラムの音楽に使われてるのでスペイン語が併記してあるとものすごく助かるので嬉しいですね。
(他の歌曲に関しても同じですが)
本屋は欲しいものだらけで本当に困りますね~ロシア革命が舞台の小説とか、中学の時英語の課題でリサーチしたBataviaの難破についての本とか・・・あとアイルランドの詩集、ポーランドの詩集、他にもたくさん。
他にもMetropolitan Arts Museum Shopや、Spellbookというオカルト系のお店も見てきました。
いつも贔屓にしているThomas' Musicというクラシック専門CD屋さん(現代音楽もかなり充実、民族音楽やDVDもあります)、そして前々から覗いてみたかったオカルト・ファンタジー専門の本屋さんHaunted Bookshopは今日は開いてなかったのでまた今度ぶらりと行きたいですね。
そんなこんなで納期に余裕が出たため今週末は仕事はおやすみ、今日はピアノもおやすみしました。
たまにはこういう週末もあったほうがいいですし、他にもいろいろ小さいこと済ませられましたし、やっぱり暖かい日は外に出ないとなのですが・・・練習しないと心が痛みます。
明日からは仕事もピアノも本腰入れて頑張らなきゃ!
そして時間はかかっていますがVictoria Adamenkoの「音楽における新神話主義」の本も読み進めています。
共感度の高さと中身のエキサイティングさで読む度にものすごくテンションが上がってある意味大変(笑)
音楽における思想だったり作曲技法だったり、学ぶものは本当に多くて。今まで読んだ本で自分にとってのベストなのですが・・・
(感想は全部読んでからにします、その時にまたお願いします)
さらに何よりも「もっと○○の音楽が知りたい!」と触発されています。
スクリャービンだったり、シェーンベルクだったり・・・そしてシュトックハウゼン!
シュトックハウゼンの作品はメシアンコンクールで一部出ていた「Klavierstuck」シリーズと、一緒に入ってたMikrophonie I & IIくらいしか知らなくて、メシアンの生徒といえども随分毛色が違うなあという印象があったり、音楽史の授業でもトータルセリーのブーレーズと同じくくりにされてるもんだからリアリストなのか、という印象があって・・・
(ともかく20世紀音楽に関しては音楽史の授業はミスリードだらけでしたね。クラムの扱いなんか特にそうでしたが)
この本で繰り返しシュトックハウゼンの「Licht」の分析やその解釈、背景にある思想や思いなどの話がいっぱい出てきて、本当に彼の音楽を見直したいな、と思っています。
そしてシュニトケの話も出てくるんですよね-・・・
ショスタコーヴィチの後継者を名乗り、ソヴィエトの作曲家として活動したということで随分前からお知り合いになりたいと思ってた作曲家なんですが、かなり多作な人でどこから手をつけて良いか分からず今ある分からレパートリーが全然広がらなくて。
でもこの本をきっかけに興味を持てる特定の曲が見つかるといいな、と思ってます。
20~21世紀専門、とは言いますが知らないことは本当にたくさん。
新神話主義を軸にして音楽のレパートリーや他の色々を広げていければいいな、と思ってます。
(そして新神話主義はファンタジー系統のリサーチも繋げてかないと♪)
今日の一曲: クロード・ドビュッシー 前奏曲集第2巻より第10番「カノープ」
今日の経験の様々な細々としたことに繋がってる気がするので選びました(笑)
フランス人、というかフランスの音楽は外国が大好き!という印象が強いです。
スペインが舞台の音楽で有名な曲(カルメンなど)の多くはフランス人が書いてますし、他にもイタリア、アフリカ、東洋風など他の文化を題材にしたり取り入れたりすることが本当に多いです。
(新しいもの、エキゾチックなもの好きなのと、音楽における国のアイデンティティが確立するのが比較的遅かった、という要因があります)
ドビュッシーも様々な文化や国を題材にしています。この「カノープ」はその中でもエジプトを題材としています。
エジプトを題材とした作品は以前紹介しましたサン=サーンスの「サムソンとデリラ」だったり、ヴェルディの「アイーダ」がありますが、この曲はかなり性格が違います。
まず「サムソンとデリラ」を紹介したときに言及しました「エジプトらしい曲を書くテキストブックで書いた様な」特徴はなく。
どの曲も「エジプトらしさ」を捉えようと、表現しようとしていることは共通しているのですが・・・
「カノープ」とはエジプトでミイラとともに埋葬された副葬品の一つ。
ミイラを作る時に人体(または動物の体)から抜いた内臓を各々しまうための壷のことです。
古代エジプトで信じられていた生死についての信仰だったり、それにまつわす神秘的な儀式をこの曲は表現しようとしています。
そして現代においてカノープは「古代からの出土品」であり。
先ほどの他の2曲が「リアルタイムの古代エジプト」を表しているのと対照的に、カノープは遠い遠い過去に思いを馳せる、時の長さと栄枯盛衰を感じる曲なのです。
(新神話主義と照らし合わせるとまたちょっと通じるところがあったり)
何にしてもクラシック音楽において本物のエジプト音楽に忠実、というものはあるのかどうか分かりません。
ただこういった「雰囲気を捉える」音楽で実際にそういう気分になって、神秘的で不思議な、「今ここ」から本当に遠いものを感じることができる、というのは本当に音楽って不思議だなあと思います。(文でも絵画でもなかなか難しいことだと思いますよ)
ミケランジェリは実は第1巻しか持ってないのですが、贔屓100%で(先生の先生ですから(笑))この録音をチョイス。「映像」も収録されているのでいつか手に入れたいCDです。
今日は朝に大型案件の最初の大型案件の翻訳作業を終わらせて(あとはチェックだけ・・・といっても時間が大分かかりそうですが)。
昼ご飯が遅れて食べ終わったままそのまま寝てしまって(汗)
クラムを聴いたりクラムノートを進めたりサントラノートを続けたり本を読んだりしようと思ってたのですが・・・
結局ピアノもやらずじまい。
納期はまだまだ大丈夫なので週末はピアノと上記いろいろをゆっくりやりたいと思います。
この気候も精神も一気に冬になった感じだったり、疲れだったり、出たり少しよくなったりする発疹だったり。(明日最寄りのお医者さん行く予定です)
そして体のサイクルもあってめちゃくちゃ眠かったみたいです。
私がモルフォ蝶やトリバネアゲハの夢だったりその他諸々の夢を見ているあいだ、Musica Vivanの主催で今ドイツ~オーストラリアのツアーをやっているカウンターテナーのAndreas SchollとハープシコードのTamar HalperinのTwitterインタビューが行われていました。
TLに残ってるのを読んだら本当にシンプルなことですが弾く楽器にかかわらず、おそらく音楽の外でも大事なことでいっぱいだったのでTogetterでまとめてみました。
「2011年3月4日、シドニーでのMusica VivaによるAndreas Scholl&Tamar HalperinへのTwitterインタビュー(英語)」
中身は英語ですが色んな人に知っていただけるといいな、と思います。
(ちなみにオーストラリアをこれから回る、ということで各州都でコンサートも聞けますよ!)
そういえば昨日ブログ書いてて途中で消えちゃって(汗)
オーボエの時みたいに死にものぐるいで書き直すときもあれば昨日のようにまあいいやーと諦めちゃうこともあり。
最近ちょっと冬な感じにやられて既に精神がへばりつつある良い例で・・・
そしてちょっと自分を甘やかし気味。
このくらいの精神不調は冬季には本当に珍しくないことで、全体的な調子が数段下がるのももう分かってるんですが・・・
無理しちゃいけないけど悪い習慣が本当の冬までに育っちゃわないようにしないと。
そしてついこないだメルボルン大学の心理学科(?)のニュースレターが向こうの事情で来なくなったことがものすごーく残念!どこでセミナーの情報を得たらいいのか・・・
最後になっちゃいましたが今日は国際教育学会の舘糾賞授賞式&受賞記念シンポジウムでロザンのお二人が舘糾賞を受賞されたそうですね。
漫才師としての仕事、著書、クイズ番組での活動が理由に挙げられてますが他にもラジオの内容だったり、調べてみると色んな団体とお仕事しているのでそういうのも評価に入ってるのかなーと。
これからも様々なところでお二人が楽しく活躍してるのを見れるといいな、と思ってます。
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「6つの小品」より「スコットランドのメロディー」
こないだ母が「日本の歌だと思って歌ってても本当はスコットランド民謡だったりすること多いよね」というようなことを言ってました。たしかにそうで、たとえば「蛍の光」なんかも日本の歌だと思われることが多いみたいですね。
(元はAuld Lang Syneというスコットランドの歌で、わりと現在はこっちでも大晦日に歌われることが多いような気がします)
実はスコットランド民謡などで使われる音階は日本の「四七抜き音階」(音階の4番目のファと7番目のシを抜いたドレミソラの五音音階)といわれるものと物凄くよく似てて、だから親しみやすい、ということもあるようです。
(日本のポップや民謡はほとんどピアノの黒鍵で弾ける、というのをTVで数年前に観ましたが同じ理由です)
さらにイギリスまわりの民謡は本当にメロディーの美しさにウェイトが大きく心に響くのもあります。
だからこのイタリアの作曲家レスピーギも同じ音階を使って「スコットランドの雰囲気」を醸し出し、そして全体的な音楽の構成をものすごくシンプルにしてメロディーのシンプルな美しさが引き立つようにしています。
レスピーギといえば「ローマの松」など一見派手で巨大な音楽を書く、オーケストラ使いの素晴らしい作曲家として知られているような印象を受けます。
でもその「ローマの松」でさえ大きなオケを動員するものの30分もしない曲で、彼の多くの曲がわりと「ミニチュア」なスケールで、でも内容を充実させて書かれているのです。
その中でも本当の本当に「ミニチュア」なこの曲集。珍しくピアノのために、そしてピアノ連弾のために書かれています。
難易度と曲の性格からみて子供のための小品だと思います。
曲の性格、というのは例えばチャイコフスキーの「くるみわり人形」やシューマンの「子供の情景」などと同じく小さいけれどバラエティに富んだ、ものすごく大切できらきらする曲をおもちゃ箱のようにあつめた・・・という感覚です。
この「大切できらきら」がスコットランド風のノスタルジックな雰囲気と混ざると本当に素直に心にふんわり来て。
本当に好きなんですよ。曲集の中でもこの楽章を特に想っています。
レスピーギの音楽が派手なのは主にお国柄、というかイタリアのいろいろを表現するために必要な色彩のパレットで。
彼自身の心は本当に内的な方向に向いているんじゃないか、と私は思います。
レスピーギは実は好きながらも未開発な部分が多く・・・
これからももっと彼の音楽とであっていきたいです。
(リンクした録音ですが、試聴があるだけでなく、埋もれてしまった、忘れられてしまったけれど本当に良い曲がたくさん詰まってます。これからも紹介していきたいですがブゾーニとGoetzの作品が秀逸だと想います。ぜひ試聴してみてください!)
昼ご飯が遅れて食べ終わったままそのまま寝てしまって(汗)
クラムを聴いたりクラムノートを進めたりサントラノートを続けたり本を読んだりしようと思ってたのですが・・・
結局ピアノもやらずじまい。
納期はまだまだ大丈夫なので週末はピアノと上記いろいろをゆっくりやりたいと思います。
この気候も精神も一気に冬になった感じだったり、疲れだったり、出たり少しよくなったりする発疹だったり。(明日最寄りのお医者さん行く予定です)
そして体のサイクルもあってめちゃくちゃ眠かったみたいです。
私がモルフォ蝶やトリバネアゲハの夢だったりその他諸々の夢を見ているあいだ、Musica Vivanの主催で今ドイツ~オーストラリアのツアーをやっているカウンターテナーのAndreas SchollとハープシコードのTamar HalperinのTwitterインタビューが行われていました。
TLに残ってるのを読んだら本当にシンプルなことですが弾く楽器にかかわらず、おそらく音楽の外でも大事なことでいっぱいだったのでTogetterでまとめてみました。
「2011年3月4日、シドニーでのMusica VivaによるAndreas Scholl&Tamar HalperinへのTwitterインタビュー(英語)」
中身は英語ですが色んな人に知っていただけるといいな、と思います。
(ちなみにオーストラリアをこれから回る、ということで各州都でコンサートも聞けますよ!)
そういえば昨日ブログ書いてて途中で消えちゃって(汗)
オーボエの時みたいに死にものぐるいで書き直すときもあれば昨日のようにまあいいやーと諦めちゃうこともあり。
最近ちょっと冬な感じにやられて既に精神がへばりつつある良い例で・・・
そしてちょっと自分を甘やかし気味。
このくらいの精神不調は冬季には本当に珍しくないことで、全体的な調子が数段下がるのももう分かってるんですが・・・
無理しちゃいけないけど悪い習慣が本当の冬までに育っちゃわないようにしないと。
そしてついこないだメルボルン大学の心理学科(?)のニュースレターが向こうの事情で来なくなったことがものすごーく残念!どこでセミナーの情報を得たらいいのか・・・
最後になっちゃいましたが今日は国際教育学会の舘糾賞授賞式&受賞記念シンポジウムでロザンのお二人が舘糾賞を受賞されたそうですね。
漫才師としての仕事、著書、クイズ番組での活動が理由に挙げられてますが他にもラジオの内容だったり、調べてみると色んな団体とお仕事しているのでそういうのも評価に入ってるのかなーと。
これからも様々なところでお二人が楽しく活躍してるのを見れるといいな、と思ってます。
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「6つの小品」より「スコットランドのメロディー」
こないだ母が「日本の歌だと思って歌ってても本当はスコットランド民謡だったりすること多いよね」というようなことを言ってました。たしかにそうで、たとえば「蛍の光」なんかも日本の歌だと思われることが多いみたいですね。
(元はAuld Lang Syneというスコットランドの歌で、わりと現在はこっちでも大晦日に歌われることが多いような気がします)
実はスコットランド民謡などで使われる音階は日本の「四七抜き音階」(音階の4番目のファと7番目のシを抜いたドレミソラの五音音階)といわれるものと物凄くよく似てて、だから親しみやすい、ということもあるようです。
(日本のポップや民謡はほとんどピアノの黒鍵で弾ける、というのをTVで数年前に観ましたが同じ理由です)
さらにイギリスまわりの民謡は本当にメロディーの美しさにウェイトが大きく心に響くのもあります。
だからこのイタリアの作曲家レスピーギも同じ音階を使って「スコットランドの雰囲気」を醸し出し、そして全体的な音楽の構成をものすごくシンプルにしてメロディーのシンプルな美しさが引き立つようにしています。
レスピーギといえば「ローマの松」など一見派手で巨大な音楽を書く、オーケストラ使いの素晴らしい作曲家として知られているような印象を受けます。
でもその「ローマの松」でさえ大きなオケを動員するものの30分もしない曲で、彼の多くの曲がわりと「ミニチュア」なスケールで、でも内容を充実させて書かれているのです。
その中でも本当の本当に「ミニチュア」なこの曲集。珍しくピアノのために、そしてピアノ連弾のために書かれています。
難易度と曲の性格からみて子供のための小品だと思います。
曲の性格、というのは例えばチャイコフスキーの「くるみわり人形」やシューマンの「子供の情景」などと同じく小さいけれどバラエティに富んだ、ものすごく大切できらきらする曲をおもちゃ箱のようにあつめた・・・という感覚です。
この「大切できらきら」がスコットランド風のノスタルジックな雰囲気と混ざると本当に素直に心にふんわり来て。
本当に好きなんですよ。曲集の中でもこの楽章を特に想っています。
レスピーギの音楽が派手なのは主にお国柄、というかイタリアのいろいろを表現するために必要な色彩のパレットで。
彼自身の心は本当に内的な方向に向いているんじゃないか、と私は思います。
レスピーギは実は好きながらも未開発な部分が多く・・・
これからももっと彼の音楽とであっていきたいです。
(リンクした録音ですが、試聴があるだけでなく、埋もれてしまった、忘れられてしまったけれど本当に良い曲がたくさん詰まってます。これからも紹介していきたいですがブゾーニとGoetzの作品が秀逸だと想います。ぜひ試聴してみてください!)
だらだらと昨日の続きです~
メルボルンで高校卒業~大学の間のシステムは実は複数あって。
IBという国際的に広く使われてる?システムと、VIC州の多くの学校で使われているVCE。
どっちのシステムも採用してる学校もありますが、うちの学校はVCEのシステムでした。
VCEは11年生から12年生にわたって行われます。
そして12年生最後の成績が大学への進路を決めることになるのです。
うーん、どこから説明すればいいものか。
VCEにおいては科目は事実上完全選択制です。
ただある程度の必要条件はあります。
1)英語・ESL・文学のどれかはとらなければならない
2)理系教科を一つとらなければならない(文系は1でカバーされてるので)
3)最終的にユニット3/4科目が少なくとも6つなければならない
(11年生12年生になってくると体育の授業もなくなってくるんですよねえ)
ユニット、について。
VCEでは2学期=半年で科目が一区切りになっています。これが1ユニット。(区切りの内容は科目毎に様々)
つまり1年で2ユニット分勉強することになります。
一つの科目につき11年生ではユニット1と2を、12年生ではユニット3と4を勉強します。
ただ11年生ではユニット1と2だけをやる、12年生ではユニット3と4をやるというわけでもなく、特定の科目のユニット3/4をやる前にその科目のユニット1/2をやらなくちゃいけない、というわけでもないです。
ユニット1/2を飛ばして3/4をやれる科目も結構あります。
歴史がおそらくその中でポピュラーなものではないかと。11年生で歴史のユニット3/4やった人も多いです。
(ちなみに11年生ではユニット3/4科目を2つまでとることができます)
数学は3種類科目があるのですが(Further, Methods, Specialist)そしてうちの学校では少なくとも10年生でトップの数学のクラスに入っていると10年生でMethodsのユニット1/2をカバーするので大抵そのクラスの人は11年生になるとMethodsのユニット3/4+Specialistのユニット1/2をとるようになります。
言語は(英語を含め)ユニット1/2を飛ばすことはないです。
ちなみにうちの学校は外国語としてフランス語、ドイツ語と日本語を教えてましたが学校によって本当にいろいろな言語を教えているようです。(となりの男子校ではラテン語を教えてたとか)
私がとった科目は11年生で:
英語(第一言語として)(1/2)
数学Methods(3/4)
音楽(3/4)
物理(1/2)
化学(1/2)
心理学(1/2)→途中で止めた
12年生で:
英語(第一言語として)(3/4)
数学Specialist(3/4)
法律(3/4)
歴史(3/4)
化学(3/4)
ユニット1/2を飛ばした科目は先生との交渉で。(Specialist、歴史、法律)。
ちなみに科学系科目には他に生物があります。
他の科目だと美術、グラフィックデザイン、保健体育、地理、メディアなど・・・
数学に関しては先ほどの3つの他に「大学の数学」もあって、それも成績にカウントできます。
歴史ユニット3/4はうちの学校は「革命」という科目で、いくつかオプションがある中から学校のチョイスでロシア革命をユニット3、中国の辛亥革命をユニット4で勉強しました。試験は短くないshort answerと小論文。
英語は新聞の意見記事を分析して自分でも社会問題について意見記事を書いたり、それからリストの中から学校がチョイスした小説3つを読んで小論文を書いたり。
最終的にはそれぞれの科目の最終成績が50点満点ででて、そしてそこからその年の州全体の成績の統計的傾向からそれぞれのスコアを上下に調整して。
基本的に数学Specialistやラテン語など難易度の高い科目は大きく点が跳ね上がることが珍しくないです。
Specialistはスコア32→42に上がったんだっけ、私は。
で、それらをいろいろまた難しい方法で総合してENTERスコアが出ます。ENTERは平たく言うと自分の成績が
VIC州のその年の生徒の何%よりも上だったか、というスコアだそうで。
で、さまざまな大学のさまざまなコースに入ろうと思うとそれぞれENTERスコアの条件があったり、VCEで特定の科目をとっていなくちゃいけなかったり(理系は大抵化学が必須)、その他の条件があったり。
大学のコースに入るにはHECS(高等教育費用負担制度)といって政府が授業料の大部分を肩代わりしてあとで収入に応じて納税という形で返済するシステムが利用できます。
ただそっちのほうがENTERなどの条件が若干厳しいので成績がちょっと下でもどうしてもその大学のそのコースじゃなくちゃいや!という場合は満額払ってそっちの条件を満たすか、または別の大学・別のコースでHECSで入れるところを選ぶか・・・ということです。
(知り合いはほとんどHECSか奨学金です)
高校の話に戻りますが、11年生、12年生はSpareという授業のない時間ができます。
表向きは自習の時間なのですがランチ後に授業がなかったら帰ってもいいですし、12年生はCommon roomといってたむろする部屋があるのでみんなたむろしてカードゲームやったりしてます(私たちだけか)。
あと私は楽譜おこしにspareを使ってた記憶がいっぱいありますねー。手書きでした(笑)
このコモンルーム制度とSpare制度が好きで学校パロディ書くんだったら絶対使いたいネタです(笑)
あらら、長くなってしまいました。
この州でVCEに立ち向かう(?)人達に助けになるかといえば微妙なところですが・・・
少しだけ心に留めてもらえれば嬉しいです。
今日の一曲はまたおやすみ。
長くなってしまいましたし、今日もこれ!というのがなかったのと、あと昨夜からの原因不明の発疹がぶり返しているので・・・
かゆくないんですけど細かいぼつぼつが。なんなんでしょう。
メルボルンで高校卒業~大学の間のシステムは実は複数あって。
IBという国際的に広く使われてる?システムと、VIC州の多くの学校で使われているVCE。
どっちのシステムも採用してる学校もありますが、うちの学校はVCEのシステムでした。
VCEは11年生から12年生にわたって行われます。
そして12年生最後の成績が大学への進路を決めることになるのです。
うーん、どこから説明すればいいものか。
VCEにおいては科目は事実上完全選択制です。
ただある程度の必要条件はあります。
1)英語・ESL・文学のどれかはとらなければならない
2)理系教科を一つとらなければならない(文系は1でカバーされてるので)
3)最終的にユニット3/4科目が少なくとも6つなければならない
(11年生12年生になってくると体育の授業もなくなってくるんですよねえ)
ユニット、について。
VCEでは2学期=半年で科目が一区切りになっています。これが1ユニット。(区切りの内容は科目毎に様々)
つまり1年で2ユニット分勉強することになります。
一つの科目につき11年生ではユニット1と2を、12年生ではユニット3と4を勉強します。
ただ11年生ではユニット1と2だけをやる、12年生ではユニット3と4をやるというわけでもなく、特定の科目のユニット3/4をやる前にその科目のユニット1/2をやらなくちゃいけない、というわけでもないです。
ユニット1/2を飛ばして3/4をやれる科目も結構あります。
歴史がおそらくその中でポピュラーなものではないかと。11年生で歴史のユニット3/4やった人も多いです。
(ちなみに11年生ではユニット3/4科目を2つまでとることができます)
数学は3種類科目があるのですが(Further, Methods, Specialist)そしてうちの学校では少なくとも10年生でトップの数学のクラスに入っていると10年生でMethodsのユニット1/2をカバーするので大抵そのクラスの人は11年生になるとMethodsのユニット3/4+Specialistのユニット1/2をとるようになります。
言語は(英語を含め)ユニット1/2を飛ばすことはないです。
ちなみにうちの学校は外国語としてフランス語、ドイツ語と日本語を教えてましたが学校によって本当にいろいろな言語を教えているようです。(となりの男子校ではラテン語を教えてたとか)
私がとった科目は11年生で:
英語(第一言語として)(1/2)
数学Methods(3/4)
音楽(3/4)
物理(1/2)
化学(1/2)
心理学(1/2)→途中で止めた
12年生で:
英語(第一言語として)(3/4)
数学Specialist(3/4)
法律(3/4)
歴史(3/4)
化学(3/4)
ユニット1/2を飛ばした科目は先生との交渉で。(Specialist、歴史、法律)。
ちなみに科学系科目には他に生物があります。
他の科目だと美術、グラフィックデザイン、保健体育、地理、メディアなど・・・
数学に関しては先ほどの3つの他に「大学の数学」もあって、それも成績にカウントできます。
歴史ユニット3/4はうちの学校は「革命」という科目で、いくつかオプションがある中から学校のチョイスでロシア革命をユニット3、中国の辛亥革命をユニット4で勉強しました。試験は短くないshort answerと小論文。
英語は新聞の意見記事を分析して自分でも社会問題について意見記事を書いたり、それからリストの中から学校がチョイスした小説3つを読んで小論文を書いたり。
最終的にはそれぞれの科目の最終成績が50点満点ででて、そしてそこからその年の州全体の成績の統計的傾向からそれぞれのスコアを上下に調整して。
基本的に数学Specialistやラテン語など難易度の高い科目は大きく点が跳ね上がることが珍しくないです。
Specialistはスコア32→42に上がったんだっけ、私は。
で、それらをいろいろまた難しい方法で総合してENTERスコアが出ます。ENTERは平たく言うと自分の成績が
VIC州のその年の生徒の何%よりも上だったか、というスコアだそうで。
で、さまざまな大学のさまざまなコースに入ろうと思うとそれぞれENTERスコアの条件があったり、VCEで特定の科目をとっていなくちゃいけなかったり(理系は大抵化学が必須)、その他の条件があったり。
大学のコースに入るにはHECS(高等教育費用負担制度)といって政府が授業料の大部分を肩代わりしてあとで収入に応じて納税という形で返済するシステムが利用できます。
ただそっちのほうがENTERなどの条件が若干厳しいので成績がちょっと下でもどうしてもその大学のそのコースじゃなくちゃいや!という場合は満額払ってそっちの条件を満たすか、または別の大学・別のコースでHECSで入れるところを選ぶか・・・ということです。
(知り合いはほとんどHECSか奨学金です)
高校の話に戻りますが、11年生、12年生はSpareという授業のない時間ができます。
表向きは自習の時間なのですがランチ後に授業がなかったら帰ってもいいですし、12年生はCommon roomといってたむろする部屋があるのでみんなたむろしてカードゲームやったりしてます(私たちだけか)。
あと私は楽譜おこしにspareを使ってた記憶がいっぱいありますねー。手書きでした(笑)
このコモンルーム制度とSpare制度が好きで学校パロディ書くんだったら絶対使いたいネタです(笑)
あらら、長くなってしまいました。
この州でVCEに立ち向かう(?)人達に助けになるかといえば微妙なところですが・・・
少しだけ心に留めてもらえれば嬉しいです。
今日の一曲はまたおやすみ。
長くなってしまいましたし、今日もこれ!というのがなかったのと、あと昨夜からの原因不明の発疹がぶり返しているので・・・
かゆくないんですけど細かいぼつぼつが。なんなんでしょう。
まずビオラのエントリー、「座る」ことのエントリーに拍手ありがとうございます!
そういえば大学に行ったときにすでに大学の一年が始まっててかなり賑やかになってました。
大体2月の終わりから始まるので想定内だったはずですね・・・先生とか会えたらよかったのにな。
小中高校は1月の終わりから第1学期が始まります。
まだまだ本来ならば暑さ真っ盛りのはずなのに天気はさっぱり。
基本35度くらいだと体育の授業が中止になったり、37度?38度?になると学校は休んでもよくなったりして実際そういう日が何日かあるんですけど・・・すでに冬のような気候です。
ちなみにF1会場のものすごく近くにあるとある学校はF1の間は休みになるんですって。そりゃあもう授業にならないらしいので(そこからちょっと離れたところ入院してた病院があるんですけど、そこもかなりうるさかったなあ)。
私がオーストラリアで学校に通うようになったのは5年生の2学期から。
小学校ではそんなに授業らしい授業は少なかったです。ESL(外国から来た人のための英語の授業)だったり、楽器の授業だったり、音楽や美術、体育の授業もありましたけど、英語とか算数とかは割とゆるーい感じで時間割はないように感じるほどだったかも。このころは家族で週末に旅行行って月曜日休みます、みたいなことも少なくなかったですが本当に遅れるような授業がなかったので。
算数はこの時点では日本のほうが大きく進んでるのと英語力が問われないこともあって得意でした。九九を6年生でやるくらいですからね(でも昔のダースシステムが由来で十二の段までありますが)。
ただ全国的な算数・英語(中学校からはプラス化学、もっと難しい数学も)のコンペがあって、マークシート式のやつなんですけどそれは毎年みんな授業でやってました。成績がいいと賞状もらえたり。
ちょうど5年生から生徒各自ノートパソコンを持つシステムで。当時はマックでフロッピーディスク使いでした(そしてコンピューターウイルスがフロッピーによるゲームの交換で流行りました)。
なのでタッチタイピングに授業で多大な時間を費やしたり(インストールされたプログラムで各自進めてました)、ちょっとしたプログラミングみたいなソフトウェアを使ったりもしました。
(ちなみに話にキャンプが出てきてないのですがそれについてはこちらのエントリーを・・・)
そんなこんなで小学校の生活はわりとゆるゆるしているので年の終わりに次の学年のオリエンテーションするとき6年生→7年生のオリエンテーションはちょっとびっくりでしたね~
7年生になるときっちり授業がありますし授業ごとに教室移動ですし。
7年生の時はクラスが学校全体で4つに別れてるチーム(ハリーポッターの寮システムと一緒)毎にわかれてて、9年生からは一部選択科目制になるのでそれでクラス分けが決まる、ということで8年生は一時期生徒の希望もとりいれてクラス分けをする、というシステムも採用してました。それで揉めたことはないようですし、貴重な体験でした。
(ちなみに数学は9~10年生は成績順・難易度順にクラス分け。後への準備過程となっています)
9年生からは国(英語)数理社体以外は選択科目制でした。(後の11~12年生での大事な科目選択へのステップでもあります)
メディア科目とったり、法律をとってみたりしました。他になんかいろいろやってたはず・・・
美術とグラフィックデザインが別だったのでグラフィックデザインをとってた時期もあったかも?
記憶があやふやだ・・・
ドラマ(演劇)の授業もやったけどまだ選択科目制じゃなかったときかな。
中学高校の「社会」には地理、歴史(オーストラリアの歴史は少ないのでほとんど世界史)、それからReligious Education(RE)がありました。一応キリスト教(Anglican=イギリス教会)なのでキリスト教のいろいろを学ぶのももちろんありますが他の宗教(四大宗教)のことを習ったり、ギリシャ神話の「オデュッセイア」を読んでもらったこともあり。
あと中学高校にはLife Skillsという授業がありまして。
面白いときとそうでないときの差が大きい授業でした。性教育も入ってるので保健のようなエレメントもあるのですがドラッグだったり友達関係だったり一部メンタルヘルス(女子校なので特にボディイメージ)だったり思春期にぶちあたる可能性がある問題・課題について学んだり話し合ったりする授業・・・だったような気がします。
Life skillsや社会関係はトピックを選ぶ→プレゼン形式の課題が多かったかな。
英語は課題の本を読んで(そして授業で映画化されたバージョンを見たり朗読したりして)小論文を書いたり新聞の意見記事を分析したり創作文を書いたり。
一年に4学期あるんですけど4学期の後半はあんまり何もしないですね~
9年生の12日キャンプ、10年生の21日キャンプがこの時期にあったり、11~12年生にとっては試験期間ですし。
8年生のときはこの時期に体育でgymnasticsやってでっかいトランポリンで楽しかったりするのに9年生以降はそれもなくて淋しかった覚えが。
だんだんだらだらと長くなってきたのでここらで。11年生12年生はVCEシステムも絡むので次回に。
ああ全体的にだらだらだった。
今日の一曲はおやすみです。
そういえば大学に行ったときにすでに大学の一年が始まっててかなり賑やかになってました。
大体2月の終わりから始まるので想定内だったはずですね・・・先生とか会えたらよかったのにな。
小中高校は1月の終わりから第1学期が始まります。
まだまだ本来ならば暑さ真っ盛りのはずなのに天気はさっぱり。
基本35度くらいだと体育の授業が中止になったり、37度?38度?になると学校は休んでもよくなったりして実際そういう日が何日かあるんですけど・・・すでに冬のような気候です。
ちなみにF1会場のものすごく近くにあるとある学校はF1の間は休みになるんですって。そりゃあもう授業にならないらしいので(そこからちょっと離れたところ入院してた病院があるんですけど、そこもかなりうるさかったなあ)。
私がオーストラリアで学校に通うようになったのは5年生の2学期から。
小学校ではそんなに授業らしい授業は少なかったです。ESL(外国から来た人のための英語の授業)だったり、楽器の授業だったり、音楽や美術、体育の授業もありましたけど、英語とか算数とかは割とゆるーい感じで時間割はないように感じるほどだったかも。このころは家族で週末に旅行行って月曜日休みます、みたいなことも少なくなかったですが本当に遅れるような授業がなかったので。
算数はこの時点では日本のほうが大きく進んでるのと英語力が問われないこともあって得意でした。九九を6年生でやるくらいですからね(でも昔のダースシステムが由来で十二の段までありますが)。
ただ全国的な算数・英語(中学校からはプラス化学、もっと難しい数学も)のコンペがあって、マークシート式のやつなんですけどそれは毎年みんな授業でやってました。成績がいいと賞状もらえたり。
ちょうど5年生から生徒各自ノートパソコンを持つシステムで。当時はマックでフロッピーディスク使いでした(そしてコンピューターウイルスがフロッピーによるゲームの交換で流行りました)。
なのでタッチタイピングに授業で多大な時間を費やしたり(インストールされたプログラムで各自進めてました)、ちょっとしたプログラミングみたいなソフトウェアを使ったりもしました。
(ちなみに話にキャンプが出てきてないのですがそれについてはこちらのエントリーを・・・)
そんなこんなで小学校の生活はわりとゆるゆるしているので年の終わりに次の学年のオリエンテーションするとき6年生→7年生のオリエンテーションはちょっとびっくりでしたね~
7年生になるときっちり授業がありますし授業ごとに教室移動ですし。
7年生の時はクラスが学校全体で4つに別れてるチーム(ハリーポッターの寮システムと一緒)毎にわかれてて、9年生からは一部選択科目制になるのでそれでクラス分けが決まる、ということで8年生は一時期生徒の希望もとりいれてクラス分けをする、というシステムも採用してました。それで揉めたことはないようですし、貴重な体験でした。
(ちなみに数学は9~10年生は成績順・難易度順にクラス分け。後への準備過程となっています)
9年生からは国(英語)数理社体以外は選択科目制でした。(後の11~12年生での大事な科目選択へのステップでもあります)
メディア科目とったり、法律をとってみたりしました。他になんかいろいろやってたはず・・・
美術とグラフィックデザインが別だったのでグラフィックデザインをとってた時期もあったかも?
記憶があやふやだ・・・
ドラマ(演劇)の授業もやったけどまだ選択科目制じゃなかったときかな。
中学高校の「社会」には地理、歴史(オーストラリアの歴史は少ないのでほとんど世界史)、それからReligious Education(RE)がありました。一応キリスト教(Anglican=イギリス教会)なのでキリスト教のいろいろを学ぶのももちろんありますが他の宗教(四大宗教)のことを習ったり、ギリシャ神話の「オデュッセイア」を読んでもらったこともあり。
あと中学高校にはLife Skillsという授業がありまして。
面白いときとそうでないときの差が大きい授業でした。性教育も入ってるので保健のようなエレメントもあるのですがドラッグだったり友達関係だったり一部メンタルヘルス(女子校なので特にボディイメージ)だったり思春期にぶちあたる可能性がある問題・課題について学んだり話し合ったりする授業・・・だったような気がします。
Life skillsや社会関係はトピックを選ぶ→プレゼン形式の課題が多かったかな。
英語は課題の本を読んで(そして授業で映画化されたバージョンを見たり朗読したりして)小論文を書いたり新聞の意見記事を分析したり創作文を書いたり。
一年に4学期あるんですけど4学期の後半はあんまり何もしないですね~
9年生の12日キャンプ、10年生の21日キャンプがこの時期にあったり、11~12年生にとっては試験期間ですし。
8年生のときはこの時期に体育でgymnasticsやってでっかいトランポリンで楽しかったりするのに9年生以降はそれもなくて淋しかった覚えが。
だんだんだらだらと長くなってきたのでここらで。11年生12年生はVCEシステムも絡むので次回に。
ああ全体的にだらだらだった。
今日の一曲はおやすみです。
