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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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今日も色々
先ほどメル響のオーディション担当の方にカジュアルプレイヤーのオーディションのための履歴書を送付しました。
最初のチェレスタ有りコンサートが3月なのでオーディション受けれることを指をクロスして願っています!

そうはいってもちょっと練習が上手くいかないんですよね。
気持ちがはやったり、思考がぐるぐるしたり、慌ただしくなったりで、集中力も散漫としますし、弾くテンポも若干上がってしまったり。
微妙にいそがしいのもありますが、暑さで気持ちが引き上げられているのもあって・・・
結構音楽に打ちこむのはできる方だと思ってたんですけど、自分が思ったより弱いことが分かってかなり悔しいです。(もちろん練習室と家のリビングでは環境による気の入りようのレベルは違いますが・・・)

よくプレイするゲームにADOMというローグライクスタイルのRPGがあるのですが、その中に出てくるDrakelingという種族に似てるんですよね、私の精神と気候の関係は。
Drakelingは簡単に言えばトカゲ人間で、冷血動物の性質が入ってるため暖かいところでは代謝と共にスピードが上がり、さらに暑すぎるとそれが裏目に出てダメージを受ける、という性質を持ち、逆に寒いところではスピードが下がって動きが鈍くなる、という・・・

病気としての双極性は薬である程度コントロールしてるので、私自身も色々な精神状態でもピアノが弾けて、練習できるよう状態を整えなきゃな、と思います。
自分が思うには、自分には何よりも音楽が効くと思うので練習する曲の順番を変えて最初に気持ちを落ち着けるようはかってみたり、心を落ち着けるような曲を増やしてみたりという対策などをとりながらピアノ精神を鍛え直してみたいと思います。

そして今日は音楽と心についてのレクチャーに行ってきました。
感想はまた後ほど。今回は話が進むのがかなり早かったのでメモの解読に苦戦するかも?
トピックは「音楽の起源」に関する様々な説についてでした。音楽と心、というよりは音楽中心なのですが、言語だったり、発達学だったり、いろんな学問の分野の話を取り入れた研究で。
ものすごく色々なことが曖昧で、すっきりしないこと、ちょっと弱いかな、と思う説や理論もあったのですが、とっても面白かったです。

スピーカーの人はオーストリアのグラーツ大学(メルボルン大学と交換プログラムを結んでいる大学なので、何人か友達も向こうに留学しています)からのゲストだったのですが、向こうでは「Interdisciplinary Music Studies」というような、音楽を他の学問の分野(心理学など)と交え研究するコースらしく。
そしてメルボルン大学にも音楽科と心理学科の提携研究体制ができたらしくて・・・
私が物凄く興味深い、もしかしたら目指したいエリアが勉強できる道が見えてきて、さらに気持ちがエキサイトしております。これから色々道を探ってみたいです。


今日の一曲: パウル・ヒンデミット トランペットソナタ 第3楽章(最終楽章)



ヒンデミットはまだあんまり紹介できてませんね~好きな作曲家ではあるのですが、知ってる曲に随分と偏りがあって(汗)

でも本当に彼は色んなジャンルの曲を書き、色んな楽器のために曲を書いています。
とくにソナタに関しては彼自身が弾いたビオラのためにたくさん、ピアノやオルガンにも3つずつ、そしてオーケストラの様々な楽器(ハープを含む)だったり、アルトホルン/アルトサクソフォンだったり、実にいろいろな楽器のために書いているんです。
それもどの楽器のソナタもなかなかのクオリティ。特にレパートリーが小さめの楽器だとヒンデミットのソナタはよく弾かれます。

そのなかでも金管楽器のためのソナタ群は手堅いですね。
そしてさらにその中でのトランペットソナタの手堅いことといったら。
第1楽章のオープニングからぐっと来ます。

実はこのソナタ、自分で楽章の分け方が分かっていなくて・・・
今日紹介の「第3楽章」というのはTrauermusikとその後のセクションを合わせて第3楽章としてカウントしています。

Trauermusik=葬送音楽(以前同じヒンデミットで同名のビオラ+弦楽の曲を紹介しました)。
そしてその死の雰囲気をキャリーオーバーして次のセクション。副題は「Alle Menschen müßen sterben」。
ドイツ語で「全ての人は死ななければならない」という意味です。バッハのコラールの題で、歌詞はこちらに掲載されています。(それにしてもドイツ語だと独特の雰囲気、荘厳な何かがあって怖いですね。いきなりこれが楽譜に書いてあったら怖いですよ。)
こう、クラシックなというか典型的な、死と死神の静寂、時が止まったような、冷ややかで恐ろしいコラールです。

ただトランペットは管楽器ですので、もちろん息の長さには限りがあります。
本当に「時が止まった」ように、ピアニストの感覚でこの曲に「正しい」テンポを選ぶとおそらくトランペット奏者に「遅すぎる!」と怒られるのでは、と思います。
「全ての人は死ななければならない」どころかまずトランペット奏者が死んでしまうのでお気をつけを。

ヒンデミットについては新古典風だったり、ちょっと実験エレメントをはさんでたり、ドイツ風だったりイギリス風だったり、当時のナチ政党だったり、活動した国々との関係もいろいろあったらしく、未だに自分の中ではさまざまな意味で立ち位置がしっくりこない印象があるのです。
でもこのトランペットソナタの最終楽章を聴くとなんとなーく、ですがヒンデミットの生きた時代(戦間、第二次世界大戦、ナチス政権下)だったり、土地(ドイツ、イギリス両方)だったりがこの死のイメージに感じられる気がします。

1回弾いてみたいなあ~ヒンデミットのトランペットソナタ。
いや、もっとヒンデミット自体弾きたいです。ピアノ音楽も、他の楽器のソナタのピアノパートも、その他にも。

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音楽あたりちょこちょこ
今日もメルボルンは暑かった!
楽しむつもりでしたがちょっと体調的にしんどいときもあり、あらためていろいろ気をつけなきゃ、と思う事になりました。

大学の図書館ではクラムのCDとスコア、それからマーラー1番、ショスタコーヴィチ14番、プロコフィエフのピアノソナタ2番を借りてきました。
でもプロコフィエフは今弾くかなあ・・・どっちかというと今レパートリーにメシアンが欠けてるので(!)ヒメコウテンシあたりをもう一回借りてもよかったかも。
でもどのみちCDが1週間しか借りれないのできっと近いうちにまた図書館は行くので気にしない、と。

前々から思ってたんですけど、「楽しいこと」」だったり「リラックスできること」を羅列するとき「音楽を聴くこと」または「楽器を弾くこと」って割と高い割合で入っている印象があります。あくまでも印象ですが。
たとえば病院でもらったりする不安だったりリラクゼーションなどについてのinfo sheetだと心を落ち着かせるために本を読むとかスポーツをする、趣味に時間を費やしてみるかのアクティビティのなかに上記音楽関係のことが出てくる・・・ような気がします。
やっぱりこう、音楽を聴くことがいろんな人にとって快い経験であって、そしてさらに音楽というものが今の時代とっても広くaccessibleなものなんだなあ、とぼんやりですが実感。
当たり前のことのようですが、いろいろ自分のしたいことに関しては念頭に置かなくちゃいけないものだと思います。

そして最近またぼんやりと思い出したこと。
結構ピアノ贔屓、というかピアノ極上主義でかなりsnobで偏見もあるのですが面白いことも言う、大学のピアノの一番偉い先生がピアノクラスで言ってたことの一つとして「ピアニストは長生きする」という持論があって。
まずそれが寿命の長生きなのか、それとも長いこと現役でいるということなのか、というのかまず分かりませんし、他の楽器と比べて、一般人口と比べてどうなのか、という疑問もあるのですが(これはどっちかというと医薬翻訳の職業柄やっぱり気になりますね)。
確かにこう、ホロヴィッツのことを思ったり、ロリオ女史や他に何人かのピアニストの事を思ったりするとそうかもな~という感じもしますし、あんまりピアニストが引退・隠居という話も聞かないですし(病気・怪我を除くと結構少ない印象があるなあ)。
あとやっぱりピアノは脳にとって最も複雑なタスクだという説もありますし、新しい曲を覚え続ければ脳の刺激もredundantにならないってのも分かりますし。
この仮説、一応仮賛成というスタンスをとってみてます。データ求む!

あと音楽に関する言葉って面白いなあ、と。
Performanceというのは性能だったり功績だったり主に何かをした「結果」を表す言葉で・・・音楽やその他「演じる」芸術でももちろんPerformanceは演奏だったり本番だったり、ここまで積み上げてきた結果のことを指すのですが、同時にその演奏だったりを行う「行為・過程」についてのことを指したりもするのが面白いなあ、と。
ついでながらめちゃくちゃ基本的な話になりますが音楽家にとってWork=Playですからね。

このWork=Playの要素もあるせいか、音楽家はいつまでも若くいれる、みたいな印象があります。
そりゃあ老いと死は全ての人に訪れますが、Youngというか、Immatureの方で・・・精神年齢が低くて許される職種、みたいな感じです。
あくまでも私の理想であり、印象であり、願望でもあるのですが、それが脳内オケで目指している・心がけていることでもあります。

ラフマニノフが言った言葉なのですが「音楽は一生を満たすには十分だが、一生の長さは音楽を満たすには足りない」、という言葉が好きで。
いくら探検しても終わりはなく、飽き足りなく。私も引退することなくずっと一生を音楽で満たせたらいいなあ、と。

ぼんやりといろいろ書きましたが、明日は音楽と心についての公開レクチャーの日。しっかり学んで来たいです。


今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス ピアノ四重奏曲 第3楽章



こんなに暑いのにドイツ音楽・・・と自分でも思うのですが、そろそろ出しときたいと思ってました。
この曲については今度ブラームスの話をするときにちょっと触れたいな、と思うのですが・・・

そもそもリヒャルト・シュトラウスとは。
彼はドイツの後期ロマン派を代表する急進派とも言える作曲家の一人で、オーケストラ伴奏の歌だとか、オペラとか、そして何よりも交響詩の分野で輝いた人です。
その言葉通り、輝くという言葉がふさわしい音楽で。ロマン派の先進派で前に前に進む、派手できらびやかな、見事な楽器使いと曲調。
でも決して浅くはなく、本当に力が奮い立つような音楽です。
彼の曲は若い人(特に彼が好んで素晴らしい弾きごたえのパートを書いたホルン奏者!)に人気があります。

ただ私はちょっと彼のその輝きだったり、ちょっとエゴが見え隠れする自信だったりがわりと苦手な傾向があり・・・
サロメとかアルペン交響曲とかティルとかはその感じが少ないので好きですが、英雄の生涯だったり、ホルン協奏曲(2つ)だったり、苦手としている曲は多くあります。

でも!そんなシュトラウスにも若く自分の道がまだ見つかってない時期があったわけで。
このピアノ四重奏もそんな曲の一つで、彼がまだ20歳(1884年)のときに書かれています。
その作風は意外や意外、ドイツロマン派ではかなり保守派のブラームスに近いものです。
(この話についてはブラームスの話で後日・・・)
実際ブラームスのピアノ四重奏曲第3番(1875年完成)やフォーレのピアノ四重奏曲(1880年あたり)と同じ調(ハ短調)で、色々類似点は見られます。

その中で第3楽章は至る所で「若いなあ!」と思いっぱなし。
ちょっとありきたりなようなエレメントもある、ストレートでちょっと初心なロマンス。
でもその初々しさだったり、不完全さが逆にものすごく愛しくて、あんまり批判的な目でみなければとってもsweetな曲だと思います。

この曲はリヒャルト・シュトラウスの有名所、彼の真骨頂の作品を知っている人に特にオススメです。
勿論知らない人にとっても物凄く素敵な曲ですが、やっぱり彼の真骨頂を知って、この曲も知るとより面白いと思います。

ちなみにリンクしたCDにはマーラーのピアノ四重奏曲も入ってますが、奇しくも同時代の作曲家による、共に若年の作品。
別の日にこの曲も扱いたいですが、こちらも今回の曲とは違った意味でなかなかの曲者ですよ。

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あわただしく
今ちょっと頭がものすごくあわただしく今日もブログ書けません!
すみません(汗)

ヤドカリさんは脱皮したまま裸で転がっているし・・・
でもうわさの「強いエビ臭」はしないんですよね。もちろんbeddingの木のくずの匂いもありますし、水槽を掃除できないので普段のヤドカリ臭は蓄積しますが・・・
まだ生きてるのかどうかもわからないです。ちょっと隔離できないのが本当に心苦しいです(涙)
でも乗り切ってくれるといいです。

明日は運転免許の手続きのために精神医のアポ。
そのあとそのままシティにいって大学の図書館で仕事をしようかと・・・
ちょっと急な仕事が入ってしまったので家へ帰る時間が勿体ないというか・・・
ついでにCD借りたり聴いたり(レコードでも良し)しながら仕事もできます。うわあ環境良すぎる(笑)

そして明後日は夕方に音楽と心についてのセミナーがあって。
いつも通りメモもとって、感想もブログに書くつもりです。

どうしても、こう頭が忙しくて・・・だからいつものような一つのトピックについて書く、ということが今できなくて・・・
パソコンとか返す楽譜とかの一式どうやって持ってくかとか、借りるCDを決めなきゃ、とかいろいろ考え始めてものすごく頭があわただしくて。
なんとか一つずつ形にして、言い聞かせて自分を落ち着かせようと思います。


ということで今日も今日の一曲はお休みです。
早く落ち着くといいなあ。

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人生が変わった?曲コレクション
昨夜からヤドカリさんが一匹脱皮を始めていました。
裸で転がって、ほとんどといいほど動かなくて・・・動いてはいるようなのですが、早いところ殻に戻っていただきたいです。
ちょっと地理的?レイアウト的な問題で隔離はできないのですが他の子はちょっかいだしてないように見受けます・・・が、念のため他の子をちょっとだけ外に出して元気に遊ばせて疲れさせてから水槽に戻す、という人間の子供のような作戦をとってます。

今日ちょっと書いてみたかったのは「自分の人生を変えた曲」のこと。
大げさなようですが、逆に新しい曲に出会うたびに自分の心も、思考も、人生も変わっていると思います。
そのなかから特にこれは大きかった!と思うものを紹介。

1) ショスタコーヴィチ 交響曲第11番
部分的ながら初めて弾いた交響曲です。そして初めてショスタコーヴィチの音楽の闇の素晴らしさ、そしてオケで弾く事の楽しさ、オケのパワーを感じた曲でもあります。
ユースオケのサマーキャンプでのことだったのですが、この曲を弾いたのがきっかけでメインのユースオケ(毎週土曜日、一年中)にオーディションすることに踏み切りました。

同時に自分が音楽の背景だったり、作曲家のことだったりに興味を持ち始めたきっかけの曲です。
ショスタコーヴィチの他の曲に興味を広げたのはもちろん、この曲の題材となっている1905年の「血の日曜日」の虐殺のことからショスタコーヴィチの人生、彼とソヴィエト政府との関係、そしてそこからロシア革命やソヴィエト史に興味を持つようになったり。
音楽のメッセージ性だったり、作曲家の思いを知り、汲むことを覚え始めた曲です。

2) マーラー 交響曲第5番
以前も紹介しました、初めてフルで弾いた交響曲です。
そしてこれも以前書いたのですが、本当に辛いときに弾いたことから、その後数年聴かなかった曲です。
つまりは初めてそれだけ心で濃く感じることができた、桁外れに共感できた曲でもあります。
ユースオケに入って2つめのコンサート、ようやく環境にも慣れてきて、周りの音を聞くように、音楽的に・人的に何が起こっているのかに目と耳をよく向けるようになりました。(間接的に脳内オケのはじまりになってるかも?)

音楽と別のところでもかなりいろいろなことが変動していたのでその影響ももちろんあります。

3) 武満徹 「遮られない休息」
20世紀音楽デビューではないのですが、私が「現代音楽」の世界にはまることになった直接のきっかけの曲。
これも前書いた話だとは思いますが、先生が「日本の曲も弾いたら」といって、ほとんど手探りでこの曲を選んで。そこからメシアンやらヒンデミットやらクラムやら広がってしまったのです。
本当に小さな曲ですが、今の私の源を作った曲だと言えると思います。
あれ、もちょっと大事にしなきゃ。そのうちまた弾かなきゃ。

4) クラム 「マクロコスモス第2巻」より第12番 「Agnus Dei」
他の3曲と違ってはっきりと「変わった」と思う曲ではないですが、今振り返ってみて自分に大きな影響を与えていると思う曲です。
説明するのもちょっと難しいのですが、この曲に透明なアクアマリンでできた大きなprayer-wheelを感じたときから、その色と透明さがじわじわと自分に浸透してきて、満たされた結果マクロコスモス第2巻を弾く事になった・・・ような気がします。

最近はあまり図書館でCDを借りたり、CDを買ったりする機会が(少なくとも大学にいたころよりは)減ってしまって、なかなか前みたいに新しい曲に毎週出会える、ということはないんですが・・・
(自分のipodのなかでもかなりまだ知らない・よく知らない曲はあるんですが)
もっともっと自分の中のレパートリーを広げていきたいと思います。
新しい友達を作ると同様(人によってはそれ以上)に素晴らしいことですし、音楽は自分にとって力になりますし、単純にもっともっと知りたいですから。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 第4楽章



先ほどのショスタコです~
弾いたのは第2楽章ですが、もちろん他の楽章も好きです。特にこの蛾苦笑は入院中に良く聴いて、さらに良くチェロで一人弾いていました。

第1楽章が虐殺の前、第2楽章が虐殺の描写、第3楽章が犠牲者への弔い、そしてこの第4楽章はきっと強いまなざしで前を向きます。
副題は「警鐘」、この虐殺を繰り返すまい、と革命後のソヴィエト政府に訴えかける曲です。

他の楽章と同じく様々な革命歌をモチーフに使い、一番有名な交響曲第5番の第4楽章にもよく似た調子で曲が進みます。

なんといっても凄いのは最後の4分。
しんと静まったところでコール・アングレが一人で革命歌「1月9日」を歌い上げるあの美しさ(本当になにも特別なことしなくても美しいんですよね、コール・アングレのソロ!天性の歌い手ですよ)、それから続く、バスクラから広がって行く暗いざわざわ、そして「警鐘」のベル。

鐘っていいですよね~いっぱい倍音がきこえて複雑な音色になるのはもちろんですが、種類(チューブ状、すり鉢状)による差、個体差もかなり大きいので録音ごとに印象ががらっと変わるので初めての演奏を聴くときはいつも楽しみです。
特に一番低い音はいつまでも耳に残ります。

ショスタコーヴィチは本当にこの曲で厳しい、そして真っ直ぐな目を当時の政府に向けているのが感じられます。彼の思いはたまにプロパガンダのため偽られ、たまに巧妙に隠されるのですが、そんななかでもなんというか、自分の住んでいる「国」がなんとかなってくれたら、という思いが見えるような気がします。

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お休みしていました。
数日お休みしていました~すみません。
珍しく夜まで仕事していました。ちょっぴりしんどかったです。
仕事があるのはでも本当にありがたいですし、最近はクライアント様側から名指しでお仕事をもらえたりしてなんだか嬉しいです。

で、仕事でここ一週間ほど忙しかったため、ピアノも弾いていませんでしたし(汗)、テニスの全豪オープン、サッカーのアジア杯、さらにはオーストラリア・デー(こっちの建国記念日ですね)も完全にスルーしてしまいました。
テニスに関してはちょっとずつニュースで結果をチェックしていたのですが肝心の最後の方が一番忙しかったためになにがなんだか・・・
それにしても例年だと本当に暑い中プレイしているのにやっぱり今年は冷夏ですね。

ルピシア オーストラリア限定フレーバーそうそう、オーストラリアといえばこちら。
ルピシアのメルボルン店のみでうっている、オーストラリア限定フレーバーです。
(本当はもう一つMimosaもあるのですが、まだ買ってません。たまにあの花で花粉症的なものを起こすんで、実際mimosaの花が入ってるとなるとちょっと買うのに躊躇してしまうので・・・)
左はUluru、紅茶とルイボス茶のブレンドに爽やかなlemon myrtleと、ちょっぴりまろやかな蜂蜜が入ってるそうです。
右はSouthern Cross、紅茶にパッションフルーツだったり、あと少しユーカリの香りも入ってて。
どちらも夏にぴったりのお茶で、この季節愛飲してますが(今はUluru)、やっと缶でそろいました!缶のデザインの可愛さ&素敵さ、そして色のチョイスもいいです。

もうすぐMSOのSidney Myer Bowlでやる無料コンサートシリーズが始まるんですよね-・・・
4つの内最初の2つに行きたいな、と思ってるのですが今年はちょっと取り決めが違うので事前にちゃんと調べなきゃ・・・友達みんなでいこうと言ってる中私がまとめる、と立候補したからにはちゃんとやらないと!そんなに難しいことはないので、きっと。
そしてメルボルンの夏、芸術区のど真ん中で外飲みが楽しめるSpiegeltentがやってきます(実際はテントの中でやってるショーがメインですが、私は主に周りの外飲みスペースを楽しみにしてます)。
1回ぐらいいけるかしら。

そして全く関係ないことなのですが、仕事の勉強を始めた頃からお世話になっているCiNiiという論文データベース(本文も結構あります)のサイトの「論文ったー」をtwitterでフォローしていたら「漫才の生成とその創発的計算」という論文のリンクが流れてきました。本文(pdfファイル)もオープンアクセスなので見れますよ~こちらから。
まだざっとしか目を通してないのですが、お笑い好きとして興味深いですし、なんでも「良い物」はその後ろにある「どうして良いと感じるのか」というメカニズムを知るとなるほど、とおもって、そしてそれが意図して・意図せず機能しているにかかわらずそのメカニズムが成り立っていることに心が動きますし、なんというか惚れ直す、あらためてそのことに尊敬の念を抱く気がします。
最近本を読む方が忙しくて論文も読んでないので、次回が物凄く楽しみになりました♪

それでは今回はここらで。
週末もちょっとだけ仕事が入ってるのですが、ピアノと休憩を主にいきたいです。


今日の一曲: オーストラリア民謡 「Waltzing Matilda」

オーストラリア・デーをスルーしてしまったので今日やっと!
(ちなみに「民謡」でスタンスはオッケーなんでしょうか)
オーストラリアの第2の国歌とも言われる歌で、実際何度か国歌にしようよ、と提案があったらしいです。
国歌は「Advance Australia Fair」なんですが、歌詞が国歌としては良いものなのですが、この歌ちょっとメロディーがイマイチで。
こちらのWaltzing Matildaはメロディーもよくて、歌の中身もオーストラリアのoutbackだったり、特有の雰囲気を思わせるのですが、wikipedia日本語版の説明にもあるように(歌の背景だったり内容についてはこちらのページをどうぞ・・・)最後に主人公が入水してるんですよね。どうも国歌にはふさわしくないんじゃないか、というまま現在に至ります。

それでも例えばこないだまでやってたクリケットとか、ラグビーとかで、国歌斉唱ではなく例えばオーストラリアが勝ったり、優勝したときは大抵この歌を歌います。
本当にオーストラリア訛りで歌うのが似合う歌で(笑)

一つ持論なんですが、国歌とは別に第2の国歌があるとスポーツとかでなんとなーくですが、より盛り上がるような気がします。
例えばイギリスだとラグビーで数年前に優勝して「Swing Low, Sweet Chariot」の斉唱が起こったことが印象に強いですし、あの国は他にもLand of Hope and GloryだったりJerusalemだったり国歌とは別に愛国心を表現する歌がたくさんあって。
フィンランドだとソ連の圧力が強い時代にシベリウスが書いた「フィンランディア」のメロディーが第2の国歌として愛されている、とききます。実際にどれだけ使われてるかわかりませんが。

で、Waltzing Matildaにしろ、イギリスの諸「非公式な国歌」にしろ、公式な国歌よりもメロディーが優れていたりすることもありますし、さらにその非公式な性質から政治的なエレメントとは離れているので純粋に「国」だったり「国の人々」、その一体感というものを味わえるのかなーと思っています。
要するに団体スポーツで優勝した後国歌を歌うのはちょっと堅苦しいしなんだかちょっとあれだな、というときに代わりに歌える、音楽的にも良い曲があるとさらに盛り上がるのではないかという仮説です。
(ほかの非公式な場でも同様です)

何はともあれ様々な非公式なシーンで歌われたり演奏されているWaltzing Matildaの魅力は「非公式な国歌」としてのポジションならではかな?というところも勿論あるのですが。
好きとか嫌いとかいうよりももう生活の一部といいますか、みんなが親しみを覚える、覚えずにはいられない?歌です。
メルボルン・セントラルのからくり時計でも昼間はちょうどの時刻に流れています。でも飽きないんですよね(笑)



そういえばもう一つ私個人がものすごく「非公式な国歌」候補としたい曲があります。
以前からカンタス航空のCMで使われている「I still call Australia home」という歌なのですが、オーストラリア少年少女合唱団による歌と、様々な世界の景色をメインとしたシンプルなCMで、カンタスの飛行機に乗った人は聴いたことがあるのでは?と思います。
歌の内容は「どんなに遠い国へ行ってもいつでも自分にとって故郷はオーストラリアなんだ」という内容のもので、歌声や曲の良さもそうなのですが、私には珍しく歌詞でちょっとうるっと来てしまう一曲です。
動画サイトで「I still call Australia home」と検索すると1990年代からほとんど現在までのCMのバージョンが出てきます。代表して一つ、1998年版です。



あとThe Seekersの「I am Australian」という歌も、地理・歴史・移民たちもひっくるめてオーストラリアを表現していてこれも大好き!オケで1回どこかでやった覚えがあるな~



あとオーストラリアの愛国心といえばFosterビールのCM。おまけに。




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