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仕事のための勉強、全般的な勉強、そして趣味を兼ねて論文を読んでいます。
広い範囲の勉強には向いていませんし、論文を読むだけでは(論文に使われる言語を勉強する以外には)勉強にはなりませんが、いろいろ面白いトピックで、一点集中型の深い検討だったり、最新の研究などが読めるので楽しいです。
最近ジョージ・クラムの音楽についての興味深い論文を2つ見つけることができて、いろいろ分析のこととか理解できていない部分もありながらも楽しく読みました♪現代音楽の分析、とくにクラムはわりと文献が少ないので貴重ですし、改めて学んだこと、自分の思いを確認したことも多く再読を楽しみにしています。
クラムの音楽を初めて知ったのはとある弦楽四重奏曲についての本で。
現代音楽の四重奏曲の名曲の一つとしてクラムの「ブラック・エンジェルズ」が掲載されていて。
まずはタイトルに惹かれました(笑)
実際にそれを聴いたのは何年か経ってからのことで、初めて聴いた当初はその「不快な音」に気圧されて正直好きになれないこともありましたが・・・
メシアンを好きになった後いろんな音楽に抵抗が少なくなってから改めてクラムに出会い直してからじわじわ心が支配されて、今では自分の演奏、そして自分の人生に不可欠な音楽となっています。
大学の音楽史だったり音楽の流派の授業でも一応クラムのことに言及はあります。
ただモダニズムの一部の「実験音楽」の一部としてわりとキワモノ扱いで、彼の表現・音楽の意図だったり哲学だったりについてはまったく言及がなくて・・・ぱっと聴いた印象も手伝って音楽をやる人(かなりの玄人でも)もそうでない人もちょっとばかり誤解しているかなーという感じがひしひしするのです。
以前私が好きな現代音楽は先進的なものでなく、様々な意味で「古風」なエレメントがあるものが好きだと書いた覚えがあるのですが、特にクラムの音楽はその傾向に当てはまっていると思います。
クラムの作品の様々なタイトルだったり、雰囲気だったりは(今日読んでいた論文にも書いてありますが)なによりも神話的。
どこの神話、とかそういうものではなく、古の自然と不思議、そして世界ができていく過程のメカニクスみたいなものを全般的に、universalに表現したもの。
クラムが「実験音楽」のくくりに入るのは彼が「特殊奏法」を多用する作曲家だから、という理由があります。
例えばフルートに息を吹き入れながら同時に声も吹き入れたり、ピアノ(グランドピアノ)の中の弦をつま弾いたり。声でもメロディーというよりは話すような歌い方をしたり。彼の音楽が不思議なサウンド、不快とされる原因です。
声はまた面白いですね。クラムは「意味のない音節」をよく使いますが、これにはいくつか意味があります。
一つは声を楽器として使っている、ということ。ざっくり言えば子音は音のアタック、母音は音質なので意味がない「言葉」により様々な楽器の音が作れる、ということ。
もう一つは今日読んだ論文にあったものなのですが、この「意味のない音節」によりどの言語でもないエキゾチックな言葉だったり、言葉を覚える前の子供の言語を表したり、ということもあるようです。
様々な技巧だったり特殊奏法をつかった声で、人間ではない存在を表現している、というのもあります。
クラムの表現するものは例えば「鯨の声」では古代の海と時代の移り変わりだったり、「天体の力学」での宇宙の無限に思える距離の中の天体の動き、「夏の夜の音楽」だったら星達の輝き、夜に動き歌い出す不可思議な「虫」たちの命・・・
日常に確かに普通に存在しているけれど私たちが意識しない、または今は見えないけれど何らかの形で残っている(神話的なエレメント)もの。
そういった人間の創ったもの、人間の世界とは別なものを表現するためには特殊奏法などで楽器のポテンシャルを広げ、あらゆる手を尽くして表現し、さらに人間の書いた音楽とは違うサウンドを追求することはごく自然なことだと思います。
クラムの音楽でもう一つ特徴的なのは円だったり、十字架だったり、螺旋の形をした楽譜の表記。
ジョージ・クラム公式ページのトップにもありますがこういう感じなんですが・・・
「こんな形にしても意味ないでしょ?」と言われますが・・・間接的には意味があると思います。
こういう形にするとまずフレーズの長さが形によって決まりますし、今日読んでいた論文によるとクラムはこうやって「シンボル」(マクロコスモス第1,2巻ではこういう変な形の楽譜の楽章は[Symbol]と表記があります)を見せることで聴き手が何を連想して、何を感じるかというのを引き出そうとしている意図もある、ということらしいです。
一見複雑で不可思議なタイトルだったり、特殊奏法などの細かい指示だったり、楽譜にある諸々の書き込みだったりでクラムの音楽はかなり細かく作曲家の意図を伝えようと口うるさい印象があるのですが・・・
実際のところクラムの音楽の演奏は演奏家によっての解釈・演奏の差にかなりばらつきがあります。
つまりクラムの音楽のスタイル、そしてタイトルや書き込みは弾き手に作曲家の感じて表現している世界についての様々なヒントを与え、連想だったり想像により奏者の内なる世界にあるいろんなエレメントの引き金を刺激して奏者に自由な表現を促している、という風にも取れます。
実際自分がクラムを弾いている時は本当に素直に自分のなかの想像力が表現出来る、ものすごい自由を感じます。
覚悟はしていましたが長くなるので次回に続きます。
クラムの音楽の影響、題材・タイトルの例、クラムの音楽の演奏についての諸々を話したいと思います。
もうクラムの音楽は語りきれないほどの思いがあるので・・・なんとかまとめます、次回(笑)
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第5楽章「Ghost-Nocturne, for the Druids of Stonehenge(Night-Music II)」
割とチャレンジなものをご紹介。
クラムは(明日ちょっと言及あるかもですが)夜の音楽マイスターの一人だと思います。
夜の恐怖、神秘、そして人間が見えないものがうごめき出す時間としての夜・・・そういったものを網羅した音楽を創りだすことができる作曲家です。
この曲はかなり「奇妙」な音を用いています。
なんとガラスのコップを弦にそってころころ転がしたり、コップを転がしておいたまま鍵を弾くことでコップがはねて「がしゃん」というような音を出したり、ピアニストが意味のない音節を発したり。
私にとってマクロコスモス第2巻とは世界の終わりの諸過程。(ちなみにマクロコスモス第1巻は世界の始まりから始まってるので対称となっています)
その中でもなかなか解釈が難しい楽章なのですが・・・
この楽章の後に起こる完膚無きまでの破滅を考えると少しだけ分かるような気がします。
自分の解釈のイメージだとストーンヘンジで儀式を行うドルイドたちの前に突然現れる破滅の予言。
なんだか通常ではない精神状態にある彼らが目撃するヴィジョンはこれから世界の破滅が訪れることを示している・・・という感じです。
解釈の過程としては:
コップが跳ねて出る音は確かにびっくりするし突然のものなんですけど、それは今現在ここで起きている悲劇だったり破壊を表すものではない、という風に思います。
むしろそれはその儀式を行うドルイド達の不思議な精神状態、おそらくはトランスで自然と繋がっている状態(なので普通の奏法と特殊奏法が交錯している)状態のものを突然妨げ乱す、あくまでも彼らと自然の繋がりの中で起こっていること。
ただやっぱり不穏だったり不安、恐怖みたいなものはもたらしていて。
その破滅が確実に起こるもので、確実にその時が近づいていることが感じられる気がします。
クラムの音楽には(これも明日言及する気がしますが)本当に想像力が総動員される気がします。
弾き手としても、聴き手としても。
小さい頃から想像の世界を心に住まわせていたからか、やはりこういう音楽の存在は本当に嬉しくて・・・
だからクラムの音楽と離れられない、というのもあるのかも。
明日の一曲もまたクラムの予定ですが、明日はクラム入門に向いている聴きやすい曲を紹介したいと思います。
広い範囲の勉強には向いていませんし、論文を読むだけでは(論文に使われる言語を勉強する以外には)勉強にはなりませんが、いろいろ面白いトピックで、一点集中型の深い検討だったり、最新の研究などが読めるので楽しいです。
最近ジョージ・クラムの音楽についての興味深い論文を2つ見つけることができて、いろいろ分析のこととか理解できていない部分もありながらも楽しく読みました♪現代音楽の分析、とくにクラムはわりと文献が少ないので貴重ですし、改めて学んだこと、自分の思いを確認したことも多く再読を楽しみにしています。
クラムの音楽を初めて知ったのはとある弦楽四重奏曲についての本で。
現代音楽の四重奏曲の名曲の一つとしてクラムの「ブラック・エンジェルズ」が掲載されていて。
まずはタイトルに惹かれました(笑)
実際にそれを聴いたのは何年か経ってからのことで、初めて聴いた当初はその「不快な音」に気圧されて正直好きになれないこともありましたが・・・
メシアンを好きになった後いろんな音楽に抵抗が少なくなってから改めてクラムに出会い直してからじわじわ心が支配されて、今では自分の演奏、そして自分の人生に不可欠な音楽となっています。
大学の音楽史だったり音楽の流派の授業でも一応クラムのことに言及はあります。
ただモダニズムの一部の「実験音楽」の一部としてわりとキワモノ扱いで、彼の表現・音楽の意図だったり哲学だったりについてはまったく言及がなくて・・・ぱっと聴いた印象も手伝って音楽をやる人(かなりの玄人でも)もそうでない人もちょっとばかり誤解しているかなーという感じがひしひしするのです。
以前私が好きな現代音楽は先進的なものでなく、様々な意味で「古風」なエレメントがあるものが好きだと書いた覚えがあるのですが、特にクラムの音楽はその傾向に当てはまっていると思います。
クラムの作品の様々なタイトルだったり、雰囲気だったりは(今日読んでいた論文にも書いてありますが)なによりも神話的。
どこの神話、とかそういうものではなく、古の自然と不思議、そして世界ができていく過程のメカニクスみたいなものを全般的に、universalに表現したもの。
クラムが「実験音楽」のくくりに入るのは彼が「特殊奏法」を多用する作曲家だから、という理由があります。
例えばフルートに息を吹き入れながら同時に声も吹き入れたり、ピアノ(グランドピアノ)の中の弦をつま弾いたり。声でもメロディーというよりは話すような歌い方をしたり。彼の音楽が不思議なサウンド、不快とされる原因です。
声はまた面白いですね。クラムは「意味のない音節」をよく使いますが、これにはいくつか意味があります。
一つは声を楽器として使っている、ということ。ざっくり言えば子音は音のアタック、母音は音質なので意味がない「言葉」により様々な楽器の音が作れる、ということ。
もう一つは今日読んだ論文にあったものなのですが、この「意味のない音節」によりどの言語でもないエキゾチックな言葉だったり、言葉を覚える前の子供の言語を表したり、ということもあるようです。
様々な技巧だったり特殊奏法をつかった声で、人間ではない存在を表現している、というのもあります。
クラムの表現するものは例えば「鯨の声」では古代の海と時代の移り変わりだったり、「天体の力学」での宇宙の無限に思える距離の中の天体の動き、「夏の夜の音楽」だったら星達の輝き、夜に動き歌い出す不可思議な「虫」たちの命・・・
日常に確かに普通に存在しているけれど私たちが意識しない、または今は見えないけれど何らかの形で残っている(神話的なエレメント)もの。
そういった人間の創ったもの、人間の世界とは別なものを表現するためには特殊奏法などで楽器のポテンシャルを広げ、あらゆる手を尽くして表現し、さらに人間の書いた音楽とは違うサウンドを追求することはごく自然なことだと思います。
クラムの音楽でもう一つ特徴的なのは円だったり、十字架だったり、螺旋の形をした楽譜の表記。
ジョージ・クラム公式ページのトップにもありますがこういう感じなんですが・・・
「こんな形にしても意味ないでしょ?」と言われますが・・・間接的には意味があると思います。
こういう形にするとまずフレーズの長さが形によって決まりますし、今日読んでいた論文によるとクラムはこうやって「シンボル」(マクロコスモス第1,2巻ではこういう変な形の楽譜の楽章は[Symbol]と表記があります)を見せることで聴き手が何を連想して、何を感じるかというのを引き出そうとしている意図もある、ということらしいです。
一見複雑で不可思議なタイトルだったり、特殊奏法などの細かい指示だったり、楽譜にある諸々の書き込みだったりでクラムの音楽はかなり細かく作曲家の意図を伝えようと口うるさい印象があるのですが・・・
実際のところクラムの音楽の演奏は演奏家によっての解釈・演奏の差にかなりばらつきがあります。
つまりクラムの音楽のスタイル、そしてタイトルや書き込みは弾き手に作曲家の感じて表現している世界についての様々なヒントを与え、連想だったり想像により奏者の内なる世界にあるいろんなエレメントの引き金を刺激して奏者に自由な表現を促している、という風にも取れます。
実際自分がクラムを弾いている時は本当に素直に自分のなかの想像力が表現出来る、ものすごい自由を感じます。
覚悟はしていましたが長くなるので次回に続きます。
クラムの音楽の影響、題材・タイトルの例、クラムの音楽の演奏についての諸々を話したいと思います。
もうクラムの音楽は語りきれないほどの思いがあるので・・・なんとかまとめます、次回(笑)
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第5楽章「Ghost-Nocturne, for the Druids of Stonehenge(Night-Music II)」
割とチャレンジなものをご紹介。
クラムは(明日ちょっと言及あるかもですが)夜の音楽マイスターの一人だと思います。
夜の恐怖、神秘、そして人間が見えないものがうごめき出す時間としての夜・・・そういったものを網羅した音楽を創りだすことができる作曲家です。
この曲はかなり「奇妙」な音を用いています。
なんとガラスのコップを弦にそってころころ転がしたり、コップを転がしておいたまま鍵を弾くことでコップがはねて「がしゃん」というような音を出したり、ピアニストが意味のない音節を発したり。
私にとってマクロコスモス第2巻とは世界の終わりの諸過程。(ちなみにマクロコスモス第1巻は世界の始まりから始まってるので対称となっています)
その中でもなかなか解釈が難しい楽章なのですが・・・
この楽章の後に起こる完膚無きまでの破滅を考えると少しだけ分かるような気がします。
自分の解釈のイメージだとストーンヘンジで儀式を行うドルイドたちの前に突然現れる破滅の予言。
なんだか通常ではない精神状態にある彼らが目撃するヴィジョンはこれから世界の破滅が訪れることを示している・・・という感じです。
解釈の過程としては:
コップが跳ねて出る音は確かにびっくりするし突然のものなんですけど、それは今現在ここで起きている悲劇だったり破壊を表すものではない、という風に思います。
むしろそれはその儀式を行うドルイド達の不思議な精神状態、おそらくはトランスで自然と繋がっている状態(なので普通の奏法と特殊奏法が交錯している)状態のものを突然妨げ乱す、あくまでも彼らと自然の繋がりの中で起こっていること。
ただやっぱり不穏だったり不安、恐怖みたいなものはもたらしていて。
その破滅が確実に起こるもので、確実にその時が近づいていることが感じられる気がします。
クラムの音楽には(これも明日言及する気がしますが)本当に想像力が総動員される気がします。
弾き手としても、聴き手としても。
小さい頃から想像の世界を心に住まわせていたからか、やはりこういう音楽の存在は本当に嬉しくて・・・
だからクラムの音楽と離れられない、というのもあるのかも。
明日の一曲もまたクラムの予定ですが、明日はクラム入門に向いている聴きやすい曲を紹介したいと思います。
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昨日今日とほとんど仕事がなくてピアノだったり勉強だったり家事だったり・・・
あとは諸々趣味に時間を費やしてます。
主にPCでゲーム(笑)Sacrifice(Shiny Entertainment)というRTS/RPGゲームのカスタムキャラクターをいじってみたり、Ancient Domains of Mystery(ADOM)というローグライクRPG(絵がないテキスト表示の)を進めてみたり。
結構ADOMはムキになります(笑)
テキストベースのゲームなので恐ろしく複雑な構造だったり、設定が深かったりで好奇心が勝手に先走ってしまうのです。
ピアノは割と困難にぶちあたっております。
あたかも自分の指がいままで眠っていたかのように技巧が衰えていて・・・
でもこの壁がタックルしがいがある、といいますか、やっぱり逆に燃えてしまう、というか。
これで一皮むける可能性が掴める、と思えば楽しい困難です。
ピアノの困難もう一つ。シマノフスキの「メトープ」もめでたく第1楽章「セイレーンの島」の練習を始められるように。
でもこれまた「カリュプソー」より一段と難しいですね。時間で言うとそんなに長さは変わらないのですが、その中に詰まっている音の数が多いので。
主旋律っぽいのがカリュプソーと比べて見つけづらいのと、ハーモニーがより複雑なのと・・・あとカリュプソー以上に音の粒一つ一つの繊細さが問われるのもまた難易度の高さの要因。
シマノフスキのスタイルをより深く身につけて、音楽の「色気」をもっと養う目的が達成できるまでになるといいんですが・・・
そして今日は最寄りの石屋さんに散歩に行ってこんなものを買ってしまいました。一目惚れの衝動買いです。
アクアマリンの原石なのですが、磨いてない、もとの六角柱の結晶の一部です。
写真でも見えるように黒などのインクルージョンが多く、そのためか4ドルで買えたのですが、こんなに青よりのアクアマリンブルーが見事で、しかも見る部位によってはかなり透明度もありで良い買い物をしたと思います!(ちょっと写真では暗いですが・・・)
もともと石に初めて心惹かれたのが日本で小学生時代図書室で見た鉱物の本に載っていたアクアマリンの結晶柱がきっかけだったので、(アクアマリンのアクセサリーなどは持っていますが)これで初恋叶ったり、という心境です。
アクアマリンはなんだかとっても好きで、自分に割と合う石なような気がします。
あ、そういえばこないだホルンの楽器と性格のエントリーで一つ忘れてたことが。
母とその話を以前していた時にわりと力が入った話し合いをしてたことなんですが、ホルンはベートーヴェン以降の音楽ではだいたいセクションに4人がスタンダードで。
そして結構その4人が違う役割だったり働きをしているんです。
第1奏者はリーダー。セクションをまとめたり、ソロを吹いたり。体力的な負担は他と比べて大きめ。ぐいぐいひっぱってく、勇気と行動力のあるイメージ。
第2奏者はオールラウンダー。ソロは少ないけれど第1を支えたり、低音を吹いたり、弦や他の楽器のパートをダブったり。器用でフレキシブルなイメージ。(母はこのパートが好きだそうです)
第3奏者はセカンドストライカー。ソロ以外では第1と同じパートを吹くため第1に次いでソロ的な実力がある人が担当することが多いかな?勝ち気でちょっと背伸び指向なイメージ。
第4奏者はサポート要因。主に低音担当、たまに(母によると)一人だけ吹いてたり、一人だけ他のホルンと全然違うパートを吹いてたり、冷静沈着マイペースなイメージ。
もちろん曲によって(一つのコンサートの中でも、負担などの要因により)ホルン奏者が担当するパートはころころ変わるのであくまでも参考というかネタというか小ネタというかくらいのノリでとらえてもらえば、と思います。
それにしても勉強と高校生クイズを観るのと同時にやってたせいか肩がこって頭が痛いです(汗)
一応今週金曜日精神医のアポの後シティの日本マッサージで予約とってあるんで楽しみにしています。
いろいろやりたいこと、やることあって、なんにしても(何もなくても)焦りやすい傾向がありますがとりあえず一歩一歩行きたいと思います。
今日の一曲: ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト ホルン協奏曲第2番 第3楽章
モーツァルトのホルン協奏曲って4つあるんですが、そのうちの3つ(2,3,4番)はかなり似通ってて、ホルン奏者でも暗譜する際に迷子になったりするほどのものだそうで。で、仲間はずれの第1番は(日本の音楽の教科書に載っていたりしますが)贋作だとの噂もあるそうで・・・そりゃたつわな!という印象があります(笑)
第3楽章に絞って言うとダントツに有名なのはFlanders & Swannにより「ホルンがなくなった歌」として歌われている第4番のものが有名で、実際音楽的にもっとも満足がいく、全般的に評価したとき一番優れてるのでは?と思われるのですが・・・
モーツァルトのセンス、というかユーモアだったり粋な感じだったりを評価するならもしかしたら私は第2番のが一番好きかも、と最近思っています。
ちょこちょこ入るオーケストラの合いの手だったり(これがなかなか難しかったりするんですよ!)、最後の方でソロホルンがかましてくれるフェイントだったり、割と「おっ」と良いサプライズをセンス良く投げかけてくれて。
くすぐったいですよね♪
リンクしたCDはオーストラリアが世界に誇るホルン奏者(そして指揮者)、バリー・タックウェルのものをチョイスしました♪
このCDは協奏曲だけじゃなくてモーツァルトのホルンのための作品の全集、ということでなかなか面白い曲(というか聴いたことのない曲)がいっぱい。これは是非自分でも入手したいですし、母にも伝えたいですね!
やっぱりホルンが楽しくて元気なのが一番です!
あとは諸々趣味に時間を費やしてます。
主にPCでゲーム(笑)Sacrifice(Shiny Entertainment)というRTS/RPGゲームのカスタムキャラクターをいじってみたり、Ancient Domains of Mystery(ADOM)というローグライクRPG(絵がないテキスト表示の)を進めてみたり。
結構ADOMはムキになります(笑)
テキストベースのゲームなので恐ろしく複雑な構造だったり、設定が深かったりで好奇心が勝手に先走ってしまうのです。
ピアノは割と困難にぶちあたっております。
あたかも自分の指がいままで眠っていたかのように技巧が衰えていて・・・
でもこの壁がタックルしがいがある、といいますか、やっぱり逆に燃えてしまう、というか。
これで一皮むける可能性が掴める、と思えば楽しい困難です。
ピアノの困難もう一つ。シマノフスキの「メトープ」もめでたく第1楽章「セイレーンの島」の練習を始められるように。
でもこれまた「カリュプソー」より一段と難しいですね。時間で言うとそんなに長さは変わらないのですが、その中に詰まっている音の数が多いので。
主旋律っぽいのがカリュプソーと比べて見つけづらいのと、ハーモニーがより複雑なのと・・・あとカリュプソー以上に音の粒一つ一つの繊細さが問われるのもまた難易度の高さの要因。
シマノフスキのスタイルをより深く身につけて、音楽の「色気」をもっと養う目的が達成できるまでになるといいんですが・・・
アクアマリンの原石なのですが、磨いてない、もとの六角柱の結晶の一部です。
写真でも見えるように黒などのインクルージョンが多く、そのためか4ドルで買えたのですが、こんなに青よりのアクアマリンブルーが見事で、しかも見る部位によってはかなり透明度もありで良い買い物をしたと思います!(ちょっと写真では暗いですが・・・)
もともと石に初めて心惹かれたのが日本で小学生時代図書室で見た鉱物の本に載っていたアクアマリンの結晶柱がきっかけだったので、(アクアマリンのアクセサリーなどは持っていますが)これで初恋叶ったり、という心境です。
アクアマリンはなんだかとっても好きで、自分に割と合う石なような気がします。
あ、そういえばこないだホルンの楽器と性格のエントリーで一つ忘れてたことが。
母とその話を以前していた時にわりと力が入った話し合いをしてたことなんですが、ホルンはベートーヴェン以降の音楽ではだいたいセクションに4人がスタンダードで。
そして結構その4人が違う役割だったり働きをしているんです。
第1奏者はリーダー。セクションをまとめたり、ソロを吹いたり。体力的な負担は他と比べて大きめ。ぐいぐいひっぱってく、勇気と行動力のあるイメージ。
第2奏者はオールラウンダー。ソロは少ないけれど第1を支えたり、低音を吹いたり、弦や他の楽器のパートをダブったり。器用でフレキシブルなイメージ。(母はこのパートが好きだそうです)
第3奏者はセカンドストライカー。ソロ以外では第1と同じパートを吹くため第1に次いでソロ的な実力がある人が担当することが多いかな?勝ち気でちょっと背伸び指向なイメージ。
第4奏者はサポート要因。主に低音担当、たまに(母によると)一人だけ吹いてたり、一人だけ他のホルンと全然違うパートを吹いてたり、冷静沈着マイペースなイメージ。
もちろん曲によって(一つのコンサートの中でも、負担などの要因により)ホルン奏者が担当するパートはころころ変わるのであくまでも参考というかネタというか小ネタというかくらいのノリでとらえてもらえば、と思います。
それにしても勉強と高校生クイズを観るのと同時にやってたせいか肩がこって頭が痛いです(汗)
一応今週金曜日精神医のアポの後シティの日本マッサージで予約とってあるんで楽しみにしています。
いろいろやりたいこと、やることあって、なんにしても(何もなくても)焦りやすい傾向がありますがとりあえず一歩一歩行きたいと思います。
今日の一曲: ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト ホルン協奏曲第2番 第3楽章
モーツァルトのホルン協奏曲って4つあるんですが、そのうちの3つ(2,3,4番)はかなり似通ってて、ホルン奏者でも暗譜する際に迷子になったりするほどのものだそうで。で、仲間はずれの第1番は(日本の音楽の教科書に載っていたりしますが)贋作だとの噂もあるそうで・・・そりゃたつわな!という印象があります(笑)
第3楽章に絞って言うとダントツに有名なのはFlanders & Swannにより「ホルンがなくなった歌」として歌われている第4番のものが有名で、実際音楽的にもっとも満足がいく、全般的に評価したとき一番優れてるのでは?と思われるのですが・・・
モーツァルトのセンス、というかユーモアだったり粋な感じだったりを評価するならもしかしたら私は第2番のが一番好きかも、と最近思っています。
ちょこちょこ入るオーケストラの合いの手だったり(これがなかなか難しかったりするんですよ!)、最後の方でソロホルンがかましてくれるフェイントだったり、割と「おっ」と良いサプライズをセンス良く投げかけてくれて。
くすぐったいですよね♪
リンクしたCDはオーストラリアが世界に誇るホルン奏者(そして指揮者)、バリー・タックウェルのものをチョイスしました♪
このCDは協奏曲だけじゃなくてモーツァルトのホルンのための作品の全集、ということでなかなか面白い曲(というか聴いたことのない曲)がいっぱい。これは是非自分でも入手したいですし、母にも伝えたいですね!
やっぱりホルンが楽しくて元気なのが一番です!
(そろそろ前回から間が開いてしまったので・・・)
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
いきなりあれですが、自分が弾いていなくて縁が深い楽器といったらホルンかビオラだと思います。
まず母がホルンを吹いていたこともありますし、大学に入ってから実に多くのホルン奏者と友達になり、ホルン関係のいろいろ活動に関わったこともあります。
そもそもメルボルンでは(大学の友達調べですが)ホルンとチェロのカップル・夫婦・親子・親友同士というのがどうやらかなり多いらしく(というか私も親子でチェロ&ホルン)。
それには色々理由があるんだろうか、という仮説がでているのですがこのコンビに関してはまた別の日に。
今日はそんな縁の深いホルン奏者達について思い入れを交えながら?綴ってみたいと思います。
ホルンは大体の場合残りの金管楽器とは木管楽器セクションを挟んで反対側に、2人だったり4人だったり8人だったりのセットでいます。
ちなみに金管楽器で吹く頻度が多めなので、曲によっては「アシ」というホルンのリーダーをサポートする役(ソロを吹くときにバテないように、ソロじゃないところをカバーしてくれる)がいる場合があって、そういうときはホルンは5人だったり9人だったりのセットでいます。
なので基本チームワークの人達。和音を合わせたり、メロディーと伴奏を吹いたり、みんな一緒にメロディーを吹いたり・・・とにかく仲が良い。
大学の友達の話ではホルン同士は家族のような間柄なのであんまり付き合うことはない、と言ってますし、母も他の楽器(例えば打楽器、チェロ)と違って「仲良しグループ」みたいなセクションだと言ってます。
飲むときはホルン同士でなんかめっちゃ楽しそうに盛り上がっていることもしばしば。
ただホルンって弦楽器(ブラームス、リゲティのホルン三重奏曲)、木管楽器(木管五重奏)、金管楽器(金管五重奏)などオケだけでなくアンサンブルでかなり幅広い範囲の楽器と絡みがあります(チェロともよくオケでは似たようなパートを担当しています)。
なのでホルンファミリーで盛り上がることは多くても基本気さくではありますし、フレンドリーでオープンに付き合ってくれます・・・というのがきっと大学で短期間にホルンの友達が急増してしまった背景。
ぱーっと大きな音を出したり、目立ったソロを吹いたり、基本楽しいことが好きなホルン奏者。
でも音の調和を重視する楽器ですし、さらに「後打ち」などの伴奏など縁の下の力持ち的な役割に回るのもなかなか好きだったり。
基本ポジティブで、気が良い、自分の楽しみのためも人のためにも動く人達です。
大学でホルン奏者達とホルン奏者の性格について話した事があったのですが、その時結論としてはこんな感じでした:
男性ホルン奏者:気が大きくて自分好き、傲慢とも取れるところがあるけれどさっぱりしててあっけらかんなので気にはならない。基本シンプルな行動・思考パターン。
女性ホルン奏者:しっかりしている姉御系で、強がっているけれど、内面打たれ弱い。素直になれないタイプ・・・みたいな。
楽器自体の特性からの性格の特徴、といえば・・・「直感的だけれど理論的」ということがあると思います。
結構唇に関しては感覚頼りで、音がやたらと外れる楽器なので直感と身体の感覚をを信じてかなくちゃいけないところがあって。
ただホルンというのはベルが後ろ向き、つまり後ろ向きに音が出る(そして様々なところに反射してから聴き手の耳に届く)珍しい楽器で、吹くときは常にタイムラグを考慮して吹いているという計算もあったり。
そして(説明は省かせてもらいますが楽器の歴史のいろいろから)楽譜がかいてあるところから様々なキーに移調して吹かなくちゃいけないので理論的でないとつとまらない、ということも。
他にもホルン奏者は全般的に言えばなんにしても頭で理解できることを好む、理論的かつ合理的な人達が多い気がします(うちの母を含めて)。
ホルン奏者たちと友達でいるってものすごく楽しかったです。ある意味ものすごく普通の人たちという印象もあるのですが、でもみんなものすごくいい人たちで。母のいうところの「とにかく性格がいい」(笑)ということで。
人間的で、素晴らしい類の「人間らしさ」、という印象です。
とにかく飲みに行くときはホルンファミリーとつるむと楽しくて楽しくて。明るい酒が飲めますし、なんでもないことで(下ネタもちょくちょく)ものすごく楽しく盛り上がれますし。
余談ですが創作のオケでホルンセクションは実は全員女の子。ユースオケ時代にホルンが全員女の子だったことがあって、かっこよかったのが由来。結束強いですよ-。ガールズなお集まりで。女の友情。
ホルンにはまだまだ語りきれなかった思い入れがいっぱい。
いろんな形態でなんとか表現していきたい思いでいっぱいです・・・(笑)
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第1番 第4楽章
ホルンといったらこれ!と言って聞かない曲です!(私も母も)
やっぱりオケはホルンが元気でないと全体的な元気がでない、というのが一番立証される曲だと思います。
最初の怒濤の嵐みたいなオープニングが好きで、いつも最初ばっかり聞いていますが(オープニングではバイオリンがめっちゃ難しいパートでずーっと続けて弾いてバックグラウンドで頑張ってるので是非是非耳を傾けてあげてください!リハーサルであそこばっかりやってました!)、全体を通して素晴らしいフィナーレです。
前言った覚えがあるのですが、この曲は一人の英雄が剣を持って大きな力に立ち向かっていく、というイメージがものすごく似合う曲です。
マーラーの交響曲は人の強く不屈な心、壮大な自然、そして巨大な見えない力を体感するのに最もふさわしいのではないかと。
嵐のようだったり、ロマンチックだったり、第1楽章でも聞こえた牧歌的な、静かで包容力にあふれた自然だったり・・・その一つ一つにオーケストラの、そして各楽器の素晴らしさが満ちているのですがここでは語り尽くすことは到底無理なので割愛。マーラーは本当にオーケストラ、そして音楽自体を素晴らしく創り上げてくれます。
で、ホルンが一番活躍するのがフィナーレのフィナーレ。
まばゆいばかりの明るい音楽が金管楽器と共に輝くのですが、ここでなんと!9人のホルン奏者が起立して吹くのです!格好いい!
ものすごく元気よく、明るい音をぶっぱなしてくれて(笑)。威風堂々とした姿でみんな嬉々として演奏してます(笑)
ここでホルンが尻込みしちゃあ誰も盛り上がらない。(そんなことがあるのかわからないのですが・・・ここがオケレパートリーのホルンの見せ場ナンバーワンですから)
マーラーの音楽はこの交響曲のみならず全ての作品で、闇の深さと暗さをと苦しさを知って表現できているからこそ「光」の部分がまばゆく輝くんだと思います。それが自分に対しての勝利であれ、大きな力に打ち勝った喜びであれ、本当に聴いてて勇気が湧きますし、力がみなぎりますし、本当に嬉しくて。
そしてホルン奏者達のことを思って、彼らの音にここで耳を傾けるともっと嬉しくなりますね。
彼らがあんなに元気に力強く、楽しんで弾いている姿を見ると本当に幸せな気持ちになります。
ホルン奏者でなくとも彼らの喜びが分かち合えて、ホルンがものすごーく好きになります。
もちろん例の「起立」はCDで味わうことができないので、是非コンサートで第1楽章からこの壮大な旅を味わってみて欲しいです。
マーラーの交響曲のなかでも第1番は最も演奏されているはずなので日本でもきっとどっかでいつかやってるはず・・?
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
いきなりあれですが、自分が弾いていなくて縁が深い楽器といったらホルンかビオラだと思います。
まず母がホルンを吹いていたこともありますし、大学に入ってから実に多くのホルン奏者と友達になり、ホルン関係のいろいろ活動に関わったこともあります。
そもそもメルボルンでは(大学の友達調べですが)ホルンとチェロのカップル・夫婦・親子・親友同士というのがどうやらかなり多いらしく(というか私も親子でチェロ&ホルン)。
それには色々理由があるんだろうか、という仮説がでているのですがこのコンビに関してはまた別の日に。
今日はそんな縁の深いホルン奏者達について思い入れを交えながら?綴ってみたいと思います。
ホルンは大体の場合残りの金管楽器とは木管楽器セクションを挟んで反対側に、2人だったり4人だったり8人だったりのセットでいます。
ちなみに金管楽器で吹く頻度が多めなので、曲によっては「アシ」というホルンのリーダーをサポートする役(ソロを吹くときにバテないように、ソロじゃないところをカバーしてくれる)がいる場合があって、そういうときはホルンは5人だったり9人だったりのセットでいます。
なので基本チームワークの人達。和音を合わせたり、メロディーと伴奏を吹いたり、みんな一緒にメロディーを吹いたり・・・とにかく仲が良い。
大学の友達の話ではホルン同士は家族のような間柄なのであんまり付き合うことはない、と言ってますし、母も他の楽器(例えば打楽器、チェロ)と違って「仲良しグループ」みたいなセクションだと言ってます。
飲むときはホルン同士でなんかめっちゃ楽しそうに盛り上がっていることもしばしば。
ただホルンって弦楽器(ブラームス、リゲティのホルン三重奏曲)、木管楽器(木管五重奏)、金管楽器(金管五重奏)などオケだけでなくアンサンブルでかなり幅広い範囲の楽器と絡みがあります(チェロともよくオケでは似たようなパートを担当しています)。
なのでホルンファミリーで盛り上がることは多くても基本気さくではありますし、フレンドリーでオープンに付き合ってくれます・・・というのがきっと大学で短期間にホルンの友達が急増してしまった背景。
ぱーっと大きな音を出したり、目立ったソロを吹いたり、基本楽しいことが好きなホルン奏者。
でも音の調和を重視する楽器ですし、さらに「後打ち」などの伴奏など縁の下の力持ち的な役割に回るのもなかなか好きだったり。
基本ポジティブで、気が良い、自分の楽しみのためも人のためにも動く人達です。
大学でホルン奏者達とホルン奏者の性格について話した事があったのですが、その時結論としてはこんな感じでした:
男性ホルン奏者:気が大きくて自分好き、傲慢とも取れるところがあるけれどさっぱりしててあっけらかんなので気にはならない。基本シンプルな行動・思考パターン。
女性ホルン奏者:しっかりしている姉御系で、強がっているけれど、内面打たれ弱い。素直になれないタイプ・・・みたいな。
楽器自体の特性からの性格の特徴、といえば・・・「直感的だけれど理論的」ということがあると思います。
結構唇に関しては感覚頼りで、音がやたらと外れる楽器なので直感と身体の感覚をを信じてかなくちゃいけないところがあって。
ただホルンというのはベルが後ろ向き、つまり後ろ向きに音が出る(そして様々なところに反射してから聴き手の耳に届く)珍しい楽器で、吹くときは常にタイムラグを考慮して吹いているという計算もあったり。
そして(説明は省かせてもらいますが楽器の歴史のいろいろから)楽譜がかいてあるところから様々なキーに移調して吹かなくちゃいけないので理論的でないとつとまらない、ということも。
他にもホルン奏者は全般的に言えばなんにしても頭で理解できることを好む、理論的かつ合理的な人達が多い気がします(うちの母を含めて)。
ホルン奏者たちと友達でいるってものすごく楽しかったです。ある意味ものすごく普通の人たちという印象もあるのですが、でもみんなものすごくいい人たちで。母のいうところの「とにかく性格がいい」(笑)ということで。
人間的で、素晴らしい類の「人間らしさ」、という印象です。
とにかく飲みに行くときはホルンファミリーとつるむと楽しくて楽しくて。明るい酒が飲めますし、なんでもないことで(下ネタもちょくちょく)ものすごく楽しく盛り上がれますし。
余談ですが創作のオケでホルンセクションは実は全員女の子。ユースオケ時代にホルンが全員女の子だったことがあって、かっこよかったのが由来。結束強いですよ-。ガールズなお集まりで。女の友情。
ホルンにはまだまだ語りきれなかった思い入れがいっぱい。
いろんな形態でなんとか表現していきたい思いでいっぱいです・・・(笑)
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第1番 第4楽章
ホルンといったらこれ!と言って聞かない曲です!(私も母も)
やっぱりオケはホルンが元気でないと全体的な元気がでない、というのが一番立証される曲だと思います。
最初の怒濤の嵐みたいなオープニングが好きで、いつも最初ばっかり聞いていますが(オープニングではバイオリンがめっちゃ難しいパートでずーっと続けて弾いてバックグラウンドで頑張ってるので是非是非耳を傾けてあげてください!リハーサルであそこばっかりやってました!)、全体を通して素晴らしいフィナーレです。
前言った覚えがあるのですが、この曲は一人の英雄が剣を持って大きな力に立ち向かっていく、というイメージがものすごく似合う曲です。
マーラーの交響曲は人の強く不屈な心、壮大な自然、そして巨大な見えない力を体感するのに最もふさわしいのではないかと。
嵐のようだったり、ロマンチックだったり、第1楽章でも聞こえた牧歌的な、静かで包容力にあふれた自然だったり・・・その一つ一つにオーケストラの、そして各楽器の素晴らしさが満ちているのですがここでは語り尽くすことは到底無理なので割愛。マーラーは本当にオーケストラ、そして音楽自体を素晴らしく創り上げてくれます。
で、ホルンが一番活躍するのがフィナーレのフィナーレ。
まばゆいばかりの明るい音楽が金管楽器と共に輝くのですが、ここでなんと!9人のホルン奏者が起立して吹くのです!格好いい!
ものすごく元気よく、明るい音をぶっぱなしてくれて(笑)。威風堂々とした姿でみんな嬉々として演奏してます(笑)
ここでホルンが尻込みしちゃあ誰も盛り上がらない。(そんなことがあるのかわからないのですが・・・ここがオケレパートリーのホルンの見せ場ナンバーワンですから)
マーラーの音楽はこの交響曲のみならず全ての作品で、闇の深さと暗さをと苦しさを知って表現できているからこそ「光」の部分がまばゆく輝くんだと思います。それが自分に対しての勝利であれ、大きな力に打ち勝った喜びであれ、本当に聴いてて勇気が湧きますし、力がみなぎりますし、本当に嬉しくて。
そしてホルン奏者達のことを思って、彼らの音にここで耳を傾けるともっと嬉しくなりますね。
彼らがあんなに元気に力強く、楽しんで弾いている姿を見ると本当に幸せな気持ちになります。
ホルン奏者でなくとも彼らの喜びが分かち合えて、ホルンがものすごーく好きになります。
もちろん例の「起立」はCDで味わうことができないので、是非コンサートで第1楽章からこの壮大な旅を味わってみて欲しいです。
マーラーの交響曲のなかでも第1番は最も演奏されているはずなので日本でもきっとどっかでいつかやってるはず・・?
今日朝起きたらメル響のツイッターでポーランドの作曲家ヘンリク・グレツキの訃報が入ってました。
グレツキはまだ一番有名な交響曲第3番(悲歌のシンフォニー)、それからいくつか授業で聴いただけであんまり曲の数は知っていませんがポーランドの音楽、ミニマル・ミュージックの作曲家としてものすごく好きで。
彼の音楽がみんな「悲歌のシンフォニー」のような音楽ではないのは承知なのですが、それでも好きで。
まだ出会ったばっかりなのに、という気持ちでいっぱいです。
現代音楽が好き、ということは好きな作曲家はざっくり区切ると1920年~1950年頃までくらいの生まれの人が多くて。現代音楽に限らずともクラシックの演奏家で「巨匠」と呼ばれる人にもそれくらいの歳の人が多く・・・
今まだ生きて活動している、新しい作品を創り出している作曲家が多いのです。
大学在学中にリゲティとロストロポーヴィチが亡くなったときに初めて痛感したのですが、どんなに離れている存在でも、音楽を弾いたり聴いたり好きになったりすることでいつのまにか身近に、親しく感じる様になっていて・・・
なのでそんな音楽家が亡くなると、本当に衝撃を受けます。
モーツァルトやベートーヴェンだと今ある曲が(新しく発見されない限り)全てで、これ以上曲が生まれないことは常識なんですが、リゲティが死んだ時「もう新しい練習曲は書かれないのか」と思うと心にぽっかり穴が開いたようで。
同時にこれから失うであろうものを思うと本当に心苦しいです。特に私の大好きなクラムはここ数年新しい曲を書いていないですし、まだ彼の音楽を大学の外で演奏できていないから・・・
「今」の音楽、生きている人の音楽と触れあうこともできる反面、こんな辛いこともあるんだな、と。
グレツキの音楽のあの美しさがもう生まれないと思うと残念です。
これから彼の音楽をもっと知っていきたいな、という思いもこめて・・・冥福を祈っています。
ヨーロッパとは時差があるので日付が変わって11月13日。
今日は私の創作で一番重要なキャラクターの誕生日(仮)。
(仮)、というのは厳密に言えば誕生日というものがあり得ない(人間とはだいぶ違う)人物なため。
でもこのキャラクターもいろんな形を経てもう10年以上の付き合いになります。
最初のうちは人間だったので誕生日があったのですが。
そして一番最初は今私がHNとして使っている「流 星姫」という名前でした。
そのころと比べるとずいぶんと大きな存在になってしまいましたが・・・自分の一部のようなキャラクターです。
なので今日は彼女にちなんだ、特に彼女がビオラ奏者なので彼女が弾くビオラの曲を仕事中にたくさん聴きました。ビオラ奏者の性格的な特徴とは一見離れたところにあるようなキャラなのですが、でも自分がストーリーのプランニング段階だったりいろんなところで彼女を連想した曲を聴いていると彼女の内面だったり、内なる思いだったりがわかるなーとしみじみ。
なんだかもっと書きたいなあ、初心にもどって彼女ともっと触れあいたいなあ、と思ったり。
(今日は1日雨だったので若干センチメンタルなフィルターがかかってはいたのですが)
あえてあまり詳細は書かずに進めちゃいましたが、果たしていつかここらへんの創作についてのいろいろを公開するかどうかはまだ未定です。
思い入れが強いから公開したい気持ちもあるのですが、同時に思い入れが強いからひっそり自分の中でライフワークとしてしまいたい気持ちもあって。
常にいろいろふくれあがってるからちょっと手に負えてない、というのももちろんあり(汗)
どんな形でも私は自分の創作する世界だったりキャラだったり全てを愛していますし、だから今日のバースデーガール(というとなんだか怒られそうだな・・・)ともうまく一生お付き合いしていきたいと願っています。
今日の一曲: ヘンリク・グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」 第2楽章
グレツキの曲のうち抜群の知名度を誇り、クラシック音楽としては異例のベストセラーになったと言われる交響曲。弦の音、そしてソプラノの息の長い歌声が3つの楽章どれもで素晴らしく、本当に心洗われるような美しい曲です。
今日は創作の話もちょっと出たので(今日のバースデーガールとは別の方面で)私の創作に少し縁のある第2楽章をチョイス。
この交響曲に使われている歌詞は全て「親子」にまつわる悲しみがテーマ。
第2楽章は第2次世界大戦でポーランドのゲシュタポ強制収容所に居た少女が独房の壁に刻んだ祈りの言葉で、彼女の母親に向けて天の聖母に守られているから嘆かないでほしい、といった内容の言葉です。
まるで本当に母の愛に包まれているような、そして少女の純粋な母への思いと信心を表しているような曲。
悲しみももちろんあるのですが、それと同じところに愛だったり光だったりがあって・・・
なんでしょう、この楽章の冒頭から感じる黄金色の色調もきっとあるのでしょうが、そういった悲しみ・愛・信心・光のミックスの仕方にもなんだかメシアンに似たものを感じます。
そして以外にもピアノが使われているところもこの交響曲でツボるところ。この独特のsoundscapeには結構欠かせない存在みたいな印象があります(ハープだけじゃあちょっと違う)。
いつか弾けたらいいな。
ポーランドの文化、そしてなによりも音楽に(もとは創作からなのですが)惹かれていて。
グレツキの音楽、そしてその他のポーランドの音楽、歌曲からの言語などいろいろ知りたいこと、心に親しく感じたいことはたくさん。
これからも広げていけたらなあ、と願っています。
とにかくこの交響曲全体本当に透明で美しく、深く静かに心に響くのでもっとたくさんの人に聴いてもらいたいと思っています。かなりおすすめ!
グレツキはまだ一番有名な交響曲第3番(悲歌のシンフォニー)、それからいくつか授業で聴いただけであんまり曲の数は知っていませんがポーランドの音楽、ミニマル・ミュージックの作曲家としてものすごく好きで。
彼の音楽がみんな「悲歌のシンフォニー」のような音楽ではないのは承知なのですが、それでも好きで。
まだ出会ったばっかりなのに、という気持ちでいっぱいです。
現代音楽が好き、ということは好きな作曲家はざっくり区切ると1920年~1950年頃までくらいの生まれの人が多くて。現代音楽に限らずともクラシックの演奏家で「巨匠」と呼ばれる人にもそれくらいの歳の人が多く・・・
今まだ生きて活動している、新しい作品を創り出している作曲家が多いのです。
大学在学中にリゲティとロストロポーヴィチが亡くなったときに初めて痛感したのですが、どんなに離れている存在でも、音楽を弾いたり聴いたり好きになったりすることでいつのまにか身近に、親しく感じる様になっていて・・・
なのでそんな音楽家が亡くなると、本当に衝撃を受けます。
モーツァルトやベートーヴェンだと今ある曲が(新しく発見されない限り)全てで、これ以上曲が生まれないことは常識なんですが、リゲティが死んだ時「もう新しい練習曲は書かれないのか」と思うと心にぽっかり穴が開いたようで。
同時にこれから失うであろうものを思うと本当に心苦しいです。特に私の大好きなクラムはここ数年新しい曲を書いていないですし、まだ彼の音楽を大学の外で演奏できていないから・・・
「今」の音楽、生きている人の音楽と触れあうこともできる反面、こんな辛いこともあるんだな、と。
グレツキの音楽のあの美しさがもう生まれないと思うと残念です。
これから彼の音楽をもっと知っていきたいな、という思いもこめて・・・冥福を祈っています。
ヨーロッパとは時差があるので日付が変わって11月13日。
今日は私の創作で一番重要なキャラクターの誕生日(仮)。
(仮)、というのは厳密に言えば誕生日というものがあり得ない(人間とはだいぶ違う)人物なため。
でもこのキャラクターもいろんな形を経てもう10年以上の付き合いになります。
最初のうちは人間だったので誕生日があったのですが。
そして一番最初は今私がHNとして使っている「流 星姫」という名前でした。
そのころと比べるとずいぶんと大きな存在になってしまいましたが・・・自分の一部のようなキャラクターです。
なので今日は彼女にちなんだ、特に彼女がビオラ奏者なので彼女が弾くビオラの曲を仕事中にたくさん聴きました。ビオラ奏者の性格的な特徴とは一見離れたところにあるようなキャラなのですが、でも自分がストーリーのプランニング段階だったりいろんなところで彼女を連想した曲を聴いていると彼女の内面だったり、内なる思いだったりがわかるなーとしみじみ。
なんだかもっと書きたいなあ、初心にもどって彼女ともっと触れあいたいなあ、と思ったり。
(今日は1日雨だったので若干センチメンタルなフィルターがかかってはいたのですが)
あえてあまり詳細は書かずに進めちゃいましたが、果たしていつかここらへんの創作についてのいろいろを公開するかどうかはまだ未定です。
思い入れが強いから公開したい気持ちもあるのですが、同時に思い入れが強いからひっそり自分の中でライフワークとしてしまいたい気持ちもあって。
常にいろいろふくれあがってるからちょっと手に負えてない、というのももちろんあり(汗)
どんな形でも私は自分の創作する世界だったりキャラだったり全てを愛していますし、だから今日のバースデーガール(というとなんだか怒られそうだな・・・)ともうまく一生お付き合いしていきたいと願っています。
今日の一曲: ヘンリク・グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」 第2楽章
グレツキの曲のうち抜群の知名度を誇り、クラシック音楽としては異例のベストセラーになったと言われる交響曲。弦の音、そしてソプラノの息の長い歌声が3つの楽章どれもで素晴らしく、本当に心洗われるような美しい曲です。
今日は創作の話もちょっと出たので(今日のバースデーガールとは別の方面で)私の創作に少し縁のある第2楽章をチョイス。
この交響曲に使われている歌詞は全て「親子」にまつわる悲しみがテーマ。
第2楽章は第2次世界大戦でポーランドのゲシュタポ強制収容所に居た少女が独房の壁に刻んだ祈りの言葉で、彼女の母親に向けて天の聖母に守られているから嘆かないでほしい、といった内容の言葉です。
まるで本当に母の愛に包まれているような、そして少女の純粋な母への思いと信心を表しているような曲。
悲しみももちろんあるのですが、それと同じところに愛だったり光だったりがあって・・・
なんでしょう、この楽章の冒頭から感じる黄金色の色調もきっとあるのでしょうが、そういった悲しみ・愛・信心・光のミックスの仕方にもなんだかメシアンに似たものを感じます。
そして以外にもピアノが使われているところもこの交響曲でツボるところ。この独特のsoundscapeには結構欠かせない存在みたいな印象があります(ハープだけじゃあちょっと違う)。
いつか弾けたらいいな。
ポーランドの文化、そしてなによりも音楽に(もとは創作からなのですが)惹かれていて。
グレツキの音楽、そしてその他のポーランドの音楽、歌曲からの言語などいろいろ知りたいこと、心に親しく感じたいことはたくさん。
これからも広げていけたらなあ、と願っています。
とにかくこの交響曲全体本当に透明で美しく、深く静かに心に響くのでもっとたくさんの人に聴いてもらいたいと思っています。かなりおすすめ!
だんだん夏に近づいてきましたね。
洗濯物がよく乾きます。鳥もよく鳴きます。空模様も随分変わりました。
そんな中、仕事がくる予定で、また数日忙しくなりそうです。サイト作りも進めなきゃなのでもしかしたらまたここの更新もまばらになるかもです。(そして新しい曲を始めるのもまたちょっと先になりそう)
その前にちょっとだけ形にしておきたいことが。
まだまだ少し考え始めたばかりのことなんですけど・・・前回のエントリー長かったんでなるべくコンパクトにすませようと心がけます。
もう10年自分の病気に患者として携わってきて、他の患者さんにも病院で出会ってきて。
でもまだ「ケアする側」に立った事はありません。
ただ自分の家族だったり、自分の精神医だったり、病院の看護師さん達をみてるとその大変さは自分の事ばっかり気が向いてしまうなりに少しは分かります。
病気を発症したてのころ、両親も病気について知識も経験もあまりなく、私のケアにものすごくとまどって苦労したことはずいぶん後になってのことでした。
精神医だったり看護師さん達だったりに大変なことがあったことも聞いたりみたりしましたし、それから一緒に入院してた患者さんから看護師さんをやっている人が多く入院していたり、お医者さんが何人か入院している時期もあった、という話を聞きました。
精神疾患に限らず、さまざまな立場から患者さんのケアをする、ということは大変なことで、負担の大きさからケアする側が参ってしまい心を病んだりしてしまう、ということはよくあることで・・・
私の精神医から聞いた話では私の通ってる病院ではドクター側のケアもちゃんと行っているという話も聞いていますし、最近ではメンタルヘルス団体の中に「ケアする側のケア」に焦点を当てた団体もあるようです(いろんな病院でポスターを見かけます)。
まず周りの人の負担について。
やはり患者さん個人と親しく・近く、そして長時間一緒に居ることの大変さはあります。
生活の手助けをしたり、さまざまな病気の現れに対処したり、もちろん経済的な負担も。
とくに精神疾患の場合、病気になる前の患者さんを知っているだけに病気によって人が変わることがとても辛いということありますし・・・
患者さんの感情的な症状だったりのいろいろの矛先となることも多く・・・
ケアの仕方だけでなく、ケアしている間の心のサポート、ストレス対処の方法についての情報を得るためにも周りの人が治療に携わること、専門家とコミュニケーションをとること、基本的な対処を知ることは大切だと思います。
お医者さんも看護師さんも、患者さんと個人的な関係ではないけれど、体と心のケアをするために患者さんの心の深いところまで触れあわなくてはいけなくて・・・
勿論ものすごく辛いことも聴かなければなりませんし、病状が芳しくなかったり治療がうまく進まないと悩みますし、治療で答えがでないことだってたくさんあります。
入院している患者さんだと看護師さんは患者さんと一日中一緒にいるようなものですし、結構患者さんもアプローチしやすく、ものすごく頼りにする存在なので・・・その分負担もあります。
その他にも医療の場なのでたまに大変な緊急も起きますし。
やはり患者さんのためをいつも思って、知識をいつも駆使して、患者さんの健康と命を預かっているお仕事なので・・・尋常じゃないプレッシャーと負担がいつもかかってるみたいです。
(ちなみに私の精神医は非常勤で働いているみたいです。やっぱり常勤はすごいだろうなあ・・・)
いつも私が思っているのは「患者さんは病気で辛いので周りの様々な要因がさらに辛くすることが本当にいやなんだ」ということなんですが、これはケアしている側にも言えることだと思います。
例えば社会制度が患者さんだったりケアしている人達の働きを支えなかったりすると大変ですからね。
あらゆる方向から治療だったりケアを支援することは患者さんのためだけでなくみんなのためになる。
で、結局まとまらなかった気がするのですが・・・
いつかケアする立場になりたいなーと考えたりしてはいるのですが、まだ「ケアする側」の立場については理解が足りないかな・・・と同時にも思ったりして。
これからどうやって知り、感じながら理解できるようになるのかさえもまだ分からないのですが、今の患者視点のみでなくもっと様々な方向からメンタルヘルスを理解していけたら、と願っています。
もっと勉強してまとめたいです、ここも!
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「モリフクロウ」
Michael Kieran Harveyによる録音(Move Records)
今日決着をつけた・・・というかまたの日まで寝かせることにした曲の一つです。
鳥のカタログはこれでモリヒバリ、ダイシャクシギ、モリフクロウと3つ。これからちょっと「20のまなざし」の方に戻るのでちょっぴりお休みです。
モリフクロウ・・・は3種のフクロウが登場します。
タイトルにあるモリフクロウ、トラフズク、そしてコキンメフクロウ。
そして鳥の鳴き声とは他に冒頭、そして中間部に「夜」と表記してあるセクションがあります。
これはトータルセリーに似た書法で、要するに音の高さ、長さや強さの順番を決めて組み合わせて厳格に統制された音楽・・・みたいなものなのですが、逆に元の順番をしらない聴衆からはわりとカオスに聞こえます。
メシアンはこの予測不可能に聞こえる音楽を夜の闇、恐怖、「見えない」感覚を表現するために用いました。
今でこそ夜でも電球が灯って私たちは周りが見え、活動することができますが、その前は夜は本当に何が襲ってくるか分からない(夜行性で狩りをする動物、いっぱいいますもんね!)、警戒を解くことができない暗い、怖い空間。
そんな中この曲に登場するフクロウたちの叫ぶような、すすり泣くような鳴き声はものすごく不気味なものに聞こえたんでしょうね。(実際そうやって夜の闇を恐れるものなく自由に音もなく飛び回り狩りをするのでフクロウが神聖視された、という経緯もあるらしく。あと個人的な見解だとすすり泣く幽霊とか、泣き叫ぶバンシーとかはもしかしたらフクロウの鳴き声なのでは、と思います)
ちなみに「鳥のカタログ」で次に配置されている「モリヒバリ」もまた夜の曲なのですが、そちらは夜の神秘、こちらは夜の恐怖と不気味さと対照的になっています。
可愛い外見とは裏腹に、猛禽類であるモリフクロウ。
この曲の最後に「殺された子供の叫び声」と表記されていますが、そんな残酷さも紛れなくフクロウの姿であり、夜の姿なんだと思います。
(「殺された子供の叫び声」は実はマーラー6番の第2楽章と共通したイメージだったり・・・)
フクロウたちの声の和音のバランスの仕方、そしてなによりも休符の長さ、余韻の残し方で本当にこの曲の輝きは変わります。
そこが次この曲に戻ってくるとき突き詰めたいところなんですが・・・
メシアンは静寂や雰囲気を表現するために「音」を使ってしまうところがなかなかユニークで。
この曲の音、そして静寂どっちもから現代人が忘れつつある「本当の夜の闇」を味わってみてはいかがですか?
洗濯物がよく乾きます。鳥もよく鳴きます。空模様も随分変わりました。
そんな中、仕事がくる予定で、また数日忙しくなりそうです。サイト作りも進めなきゃなのでもしかしたらまたここの更新もまばらになるかもです。(そして新しい曲を始めるのもまたちょっと先になりそう)
その前にちょっとだけ形にしておきたいことが。
まだまだ少し考え始めたばかりのことなんですけど・・・前回のエントリー長かったんでなるべくコンパクトにすませようと心がけます。
もう10年自分の病気に患者として携わってきて、他の患者さんにも病院で出会ってきて。
でもまだ「ケアする側」に立った事はありません。
ただ自分の家族だったり、自分の精神医だったり、病院の看護師さん達をみてるとその大変さは自分の事ばっかり気が向いてしまうなりに少しは分かります。
病気を発症したてのころ、両親も病気について知識も経験もあまりなく、私のケアにものすごくとまどって苦労したことはずいぶん後になってのことでした。
精神医だったり看護師さん達だったりに大変なことがあったことも聞いたりみたりしましたし、それから一緒に入院してた患者さんから看護師さんをやっている人が多く入院していたり、お医者さんが何人か入院している時期もあった、という話を聞きました。
精神疾患に限らず、さまざまな立場から患者さんのケアをする、ということは大変なことで、負担の大きさからケアする側が参ってしまい心を病んだりしてしまう、ということはよくあることで・・・
私の精神医から聞いた話では私の通ってる病院ではドクター側のケアもちゃんと行っているという話も聞いていますし、最近ではメンタルヘルス団体の中に「ケアする側のケア」に焦点を当てた団体もあるようです(いろんな病院でポスターを見かけます)。
まず周りの人の負担について。
やはり患者さん個人と親しく・近く、そして長時間一緒に居ることの大変さはあります。
生活の手助けをしたり、さまざまな病気の現れに対処したり、もちろん経済的な負担も。
とくに精神疾患の場合、病気になる前の患者さんを知っているだけに病気によって人が変わることがとても辛いということありますし・・・
患者さんの感情的な症状だったりのいろいろの矛先となることも多く・・・
ケアの仕方だけでなく、ケアしている間の心のサポート、ストレス対処の方法についての情報を得るためにも周りの人が治療に携わること、専門家とコミュニケーションをとること、基本的な対処を知ることは大切だと思います。
お医者さんも看護師さんも、患者さんと個人的な関係ではないけれど、体と心のケアをするために患者さんの心の深いところまで触れあわなくてはいけなくて・・・
勿論ものすごく辛いことも聴かなければなりませんし、病状が芳しくなかったり治療がうまく進まないと悩みますし、治療で答えがでないことだってたくさんあります。
入院している患者さんだと看護師さんは患者さんと一日中一緒にいるようなものですし、結構患者さんもアプローチしやすく、ものすごく頼りにする存在なので・・・その分負担もあります。
その他にも医療の場なのでたまに大変な緊急も起きますし。
やはり患者さんのためをいつも思って、知識をいつも駆使して、患者さんの健康と命を預かっているお仕事なので・・・尋常じゃないプレッシャーと負担がいつもかかってるみたいです。
(ちなみに私の精神医は非常勤で働いているみたいです。やっぱり常勤はすごいだろうなあ・・・)
いつも私が思っているのは「患者さんは病気で辛いので周りの様々な要因がさらに辛くすることが本当にいやなんだ」ということなんですが、これはケアしている側にも言えることだと思います。
例えば社会制度が患者さんだったりケアしている人達の働きを支えなかったりすると大変ですからね。
あらゆる方向から治療だったりケアを支援することは患者さんのためだけでなくみんなのためになる。
で、結局まとまらなかった気がするのですが・・・
いつかケアする立場になりたいなーと考えたりしてはいるのですが、まだ「ケアする側」の立場については理解が足りないかな・・・と同時にも思ったりして。
これからどうやって知り、感じながら理解できるようになるのかさえもまだ分からないのですが、今の患者視点のみでなくもっと様々な方向からメンタルヘルスを理解していけたら、と願っています。
もっと勉強してまとめたいです、ここも!
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「モリフクロウ」
Michael Kieran Harveyによる録音(Move Records)
今日決着をつけた・・・というかまたの日まで寝かせることにした曲の一つです。
鳥のカタログはこれでモリヒバリ、ダイシャクシギ、モリフクロウと3つ。これからちょっと「20のまなざし」の方に戻るのでちょっぴりお休みです。
モリフクロウ・・・は3種のフクロウが登場します。
タイトルにあるモリフクロウ、トラフズク、そしてコキンメフクロウ。
そして鳥の鳴き声とは他に冒頭、そして中間部に「夜」と表記してあるセクションがあります。
これはトータルセリーに似た書法で、要するに音の高さ、長さや強さの順番を決めて組み合わせて厳格に統制された音楽・・・みたいなものなのですが、逆に元の順番をしらない聴衆からはわりとカオスに聞こえます。
メシアンはこの予測不可能に聞こえる音楽を夜の闇、恐怖、「見えない」感覚を表現するために用いました。
今でこそ夜でも電球が灯って私たちは周りが見え、活動することができますが、その前は夜は本当に何が襲ってくるか分からない(夜行性で狩りをする動物、いっぱいいますもんね!)、警戒を解くことができない暗い、怖い空間。
そんな中この曲に登場するフクロウたちの叫ぶような、すすり泣くような鳴き声はものすごく不気味なものに聞こえたんでしょうね。(実際そうやって夜の闇を恐れるものなく自由に音もなく飛び回り狩りをするのでフクロウが神聖視された、という経緯もあるらしく。あと個人的な見解だとすすり泣く幽霊とか、泣き叫ぶバンシーとかはもしかしたらフクロウの鳴き声なのでは、と思います)
ちなみに「鳥のカタログ」で次に配置されている「モリヒバリ」もまた夜の曲なのですが、そちらは夜の神秘、こちらは夜の恐怖と不気味さと対照的になっています。
可愛い外見とは裏腹に、猛禽類であるモリフクロウ。
この曲の最後に「殺された子供の叫び声」と表記されていますが、そんな残酷さも紛れなくフクロウの姿であり、夜の姿なんだと思います。
(「殺された子供の叫び声」は実はマーラー6番の第2楽章と共通したイメージだったり・・・)
フクロウたちの声の和音のバランスの仕方、そしてなによりも休符の長さ、余韻の残し方で本当にこの曲の輝きは変わります。
そこが次この曲に戻ってくるとき突き詰めたいところなんですが・・・
メシアンは静寂や雰囲気を表現するために「音」を使ってしまうところがなかなかユニークで。
この曲の音、そして静寂どっちもから現代人が忘れつつある「本当の夜の闇」を味わってみてはいかがですか?
