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(最近英語タイトル続きだな・・・)
わりと無調の世界の住人の私ですが、以前の24keysvirus企画でも分かりますように結構「調」について思い入れがあったりします。
同じ曲でも調が違うと随分イメージが変わりますと思いますし、和音は音楽の色彩を形作るのに一番大きなエレメントだと思います。
おなじみの作曲家達も調に関してなんらかのこだわりを持っていたような痕跡がいろいろあります。
ショ パンは変イ長調を好んでいた、という話がまず分かりやすいですが、他にもベートーヴェンの名曲にハ短調が多かったり(最後のソナタ、悲愴、運命など)、 バッハの最も厳かで宗教的なキャラクターが強い名曲にロ短調が多かったり(ロ短調ミサ、平均律第1巻ロ短調など)・・・思えばラフマニノフのニ短調の曲は メジャーな者もマイナーなものも独特の共通する雰囲気が味わい深いです。
好きという方向の思い入れなのか、それとも特定のイメージをより鮮やかに表現するためにはその調がふさわしいという思い入れなのか・・・
そしてやっぱり調が違うと曲のイメージも変わる、ということの例もあります。
ブラームスは最初の交響曲を書くに当たって偉大な先輩と尊敬するベートーヴェンの第9を超えないと意味がない、と思い詰めて完成させるのに20年かけてしまった、という有名な(そしてブラームスの性格をものすごくよく表す)エピソードがあります。
実はこの同じ20年間に19年にわたって書かれたもう一つの曲があります。
それがピアノ四重奏曲第3番。奇しくも交響曲第1番と同じハ短調の曲なのですが・・・
最初はどうやら嬰ハ短調として書かれたものらしいです。
基音はドとド#、半音違いですがハ短調は♭4つ、嬰ハ短調は#4つと音楽を知ってるに人にはわかるのですが(知らない人はごめんなさい(汗))、かなり違う世界・色彩の調です。
で、ブラームスは最初は嬰ハ短調でこの曲を書き始めたのですが、どうも煮詰まってしまったのか曲を書くのをほっぽりだして(?)しまって・・・で、後にハ短調に書きあらためて曲を完成させた、ということのようです。
全般的に言うと#系の調は外向的、♭系の調は内向的なので、この曲の内に情熱を秘め育てる感じ、そしてどろどろとした執念にもにた性格はやはりハ短調がふさわしかったのかも・・・?
あとビオラとチェロは開放弦にCがあるのでハ長調・ハ短調は得意なのもあります。
楽器によって調に不得意、得意があることもどうやらあるようです。
ざっくり言えば管楽器はどっちかというと♭系が得意で、弦は#系が得意です。
あ んまり詳細なことは説明が下手であれなんですが、例えばトランペットは「ドレミファソラシド」と吹くと聞こえは「シ♭ドレミ♭ファソラシ♭」になること だったり、バイオリンは開放弦がソ・レ・ラ・ミとなっていることなどの楽器の作りによって弾くのが難しかったり簡単だったりすることはあって、それもまた 楽器の個性。
楽器と調の話でもう一つ。
変ホ短調は6つ♭がある調で、「ドレミファソラシド」のうち「ファ」とたまに「ラ」以外フラットがついてしまうなどの理由で基本の「ドレミファソラシド」とかけ離れている調。
なのでほとんどの楽器、さらに歌うことでもかなり難しい調で、バロック時代の作曲家シャルパンティエも「恐ろしい調」と言ってます。フラットの調の内向的に加えさらに弦楽器の開放弦も使うことが少ないのもあってくぐもった響きにもなります。
かなり暗い、おどろおどろしいキーで、独特の暗さ、重さなどの雰囲気から用いられることは少なめです。
でも最近は電子楽器が使われていて、多少事情が変わったのかポップなどでよく使われますね。
変ホ短調はかなりファンなので、なんだかちょっと残念なような印象がどうもぬぐいきれなかったり。
変ホ短調、ハ短調、ヘ短調・・・私が好きな調は(金管奏者の娘だからか、それとも内向的なもの好きだからか)♭系が多いです。
その中でも自分にあってるなーと思うのが変ロ短調。
理由はよく分からないですし、特別この調で好きな曲が多い、というわけでもないのですが・・・
一番自分になじむ、というのでしょうか。聴いてて、そしてそれよりも弾いてて一番自然と入ってくる、自然体で入れるような気がします。
反対にどうしても合わないのがロ長調。
もともとシャープが多すぎると楽譜が読めなくなるのもありますが、サウンド面でもなんだか耳にまぶしすぎるところがあって・・・
なんでこういう好き嫌いができるか解明できる方法はないのかなあ。曲の好き嫌いと関係はどうなんだろう?
なんだか不思議ですね-・・・で終わらせるのもなんですが。
調は音楽を弾く側は意識することは多いのですが、聴く側の意識は案外少ないかのかしら?
もっと色彩を感じて音楽を楽しむために調でもまたなにかできたらな、と思います。
それが演奏としても、曲をおすすめすることでも(そしてその際の一言二言でも)、24keysvirusのような他の形でも。
今日の一曲: ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第22番
これがピアニストがよく弾いてる「平均律」というやつです。
そして同時に24keysvirusの「親ウイルス」でもあり。
平均律クラヴィーア曲集。それは24の調それぞれで前奏曲とフーガのセットを書いたもの。第1巻と第2巻があります。
鍵盤楽器(ピアノは当時なかったのでハープシコードなどを想定)を弾く上で大事なテクニックだったり、フーガを作曲するテクニックにおいても大事な曲集ですが、これらによって調の「性格」が初めて確立されたという意味でもまた大事な曲集です。
この後ショパンの前奏曲だったり、後世の作曲家が24の調で曲集を書くようになったのもこの曲集が源なんですよね。(ということで親ウイルス)
その中でも最も美しい前奏曲とフーガの一つと評価され、大学でも弾く人が多かったこの第22番。
私のアットホームな調(と勝手に思っている)変ロ短調です。
前奏曲もフーガもゆるやかなテンポで心地良い♪
先ほど書きましたようにバッハの時代は今の「ピアノ」は全くなかったのですが(ハープシコードはメカニズムからして他人のそら似なのです)、この前奏曲はピアノで弾くのがなんと美しいことか!
まあるいピアノの音がこの曲の繊細なハーモニーとメロディーの動きにぴったり♪
もしかしたらバッハは今私たちが知っているようなこの曲のサウンドを意図していなかったのかもしれませんが、でも・・・ね。美しいしバッハの音楽以外の何物でもない、特別な場所におさまっているようです。
フーガもまた前奏曲と同じ美しさ、繊細さを持っていますが(そして割と短め)、5声とかなり複雑な構造。
フーガは複数のメロディーがそれぞれ別に動く形式。なので4声あると大体片手で2声ずつ(平均)請け負うことができるのですが、5声だとたまに片手で3声動かさなくちゃいけない、ということで。
でも前奏曲もフーガもどっちかというとハーモニー重視な曲。
そこがまた私好みではあるのですが(笑)
バッハは「音楽の父」としてどこでもその名を聞く作曲ですが、本当に奥が深くて、有名だからといってあなどることが絶対できない作曲家。
私のようなひねくれ者でも愛せずには、そして尊敬せずにはいられない作曲家です。
ちなみに先生がこの曲弾いて言ってくれたんでもうちょっと焦らしてうれしさをかみしめようと思います(笑)
曲が好きなこと、美しいことに加えて変ロ短調。嬉しいことづくしです♪
できればグールドみたいな変わり者な演奏でなく、ニコラーエヴァなどの王道的な演奏でお聞きください。
ちなみに私のお気に入りのブラスアンサンブルMNOZIL Brassがこの前奏曲をアレンジして弾いてます。
これもまたなんだかものすごく好きです♪
私はライブで聴いたのですが、動画もあるみたいなので埋め込み。(そしてはみ出し)
わりと無調の世界の住人の私ですが、以前の24keysvirus企画でも分かりますように結構「調」について思い入れがあったりします。
同じ曲でも調が違うと随分イメージが変わりますと思いますし、和音は音楽の色彩を形作るのに一番大きなエレメントだと思います。
おなじみの作曲家達も調に関してなんらかのこだわりを持っていたような痕跡がいろいろあります。
ショ パンは変イ長調を好んでいた、という話がまず分かりやすいですが、他にもベートーヴェンの名曲にハ短調が多かったり(最後のソナタ、悲愴、運命など)、 バッハの最も厳かで宗教的なキャラクターが強い名曲にロ短調が多かったり(ロ短調ミサ、平均律第1巻ロ短調など)・・・思えばラフマニノフのニ短調の曲は メジャーな者もマイナーなものも独特の共通する雰囲気が味わい深いです。
好きという方向の思い入れなのか、それとも特定のイメージをより鮮やかに表現するためにはその調がふさわしいという思い入れなのか・・・
そしてやっぱり調が違うと曲のイメージも変わる、ということの例もあります。
ブラームスは最初の交響曲を書くに当たって偉大な先輩と尊敬するベートーヴェンの第9を超えないと意味がない、と思い詰めて完成させるのに20年かけてしまった、という有名な(そしてブラームスの性格をものすごくよく表す)エピソードがあります。
実はこの同じ20年間に19年にわたって書かれたもう一つの曲があります。
それがピアノ四重奏曲第3番。奇しくも交響曲第1番と同じハ短調の曲なのですが・・・
最初はどうやら嬰ハ短調として書かれたものらしいです。
基音はドとド#、半音違いですがハ短調は♭4つ、嬰ハ短調は#4つと音楽を知ってるに人にはわかるのですが(知らない人はごめんなさい(汗))、かなり違う世界・色彩の調です。
で、ブラームスは最初は嬰ハ短調でこの曲を書き始めたのですが、どうも煮詰まってしまったのか曲を書くのをほっぽりだして(?)しまって・・・で、後にハ短調に書きあらためて曲を完成させた、ということのようです。
全般的に言うと#系の調は外向的、♭系の調は内向的なので、この曲の内に情熱を秘め育てる感じ、そしてどろどろとした執念にもにた性格はやはりハ短調がふさわしかったのかも・・・?
あとビオラとチェロは開放弦にCがあるのでハ長調・ハ短調は得意なのもあります。
楽器によって調に不得意、得意があることもどうやらあるようです。
ざっくり言えば管楽器はどっちかというと♭系が得意で、弦は#系が得意です。
あ んまり詳細なことは説明が下手であれなんですが、例えばトランペットは「ドレミファソラシド」と吹くと聞こえは「シ♭ドレミ♭ファソラシ♭」になること だったり、バイオリンは開放弦がソ・レ・ラ・ミとなっていることなどの楽器の作りによって弾くのが難しかったり簡単だったりすることはあって、それもまた 楽器の個性。
楽器と調の話でもう一つ。
変ホ短調は6つ♭がある調で、「ドレミファソラシド」のうち「ファ」とたまに「ラ」以外フラットがついてしまうなどの理由で基本の「ドレミファソラシド」とかけ離れている調。
なのでほとんどの楽器、さらに歌うことでもかなり難しい調で、バロック時代の作曲家シャルパンティエも「恐ろしい調」と言ってます。フラットの調の内向的に加えさらに弦楽器の開放弦も使うことが少ないのもあってくぐもった響きにもなります。
かなり暗い、おどろおどろしいキーで、独特の暗さ、重さなどの雰囲気から用いられることは少なめです。
でも最近は電子楽器が使われていて、多少事情が変わったのかポップなどでよく使われますね。
変ホ短調はかなりファンなので、なんだかちょっと残念なような印象がどうもぬぐいきれなかったり。
変ホ短調、ハ短調、ヘ短調・・・私が好きな調は(金管奏者の娘だからか、それとも内向的なもの好きだからか)♭系が多いです。
その中でも自分にあってるなーと思うのが変ロ短調。
理由はよく分からないですし、特別この調で好きな曲が多い、というわけでもないのですが・・・
一番自分になじむ、というのでしょうか。聴いてて、そしてそれよりも弾いてて一番自然と入ってくる、自然体で入れるような気がします。
反対にどうしても合わないのがロ長調。
もともとシャープが多すぎると楽譜が読めなくなるのもありますが、サウンド面でもなんだか耳にまぶしすぎるところがあって・・・
なんでこういう好き嫌いができるか解明できる方法はないのかなあ。曲の好き嫌いと関係はどうなんだろう?
なんだか不思議ですね-・・・で終わらせるのもなんですが。
調は音楽を弾く側は意識することは多いのですが、聴く側の意識は案外少ないかのかしら?
もっと色彩を感じて音楽を楽しむために調でもまたなにかできたらな、と思います。
それが演奏としても、曲をおすすめすることでも(そしてその際の一言二言でも)、24keysvirusのような他の形でも。
今日の一曲: ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第22番
これがピアニストがよく弾いてる「平均律」というやつです。
そして同時に24keysvirusの「親ウイルス」でもあり。
平均律クラヴィーア曲集。それは24の調それぞれで前奏曲とフーガのセットを書いたもの。第1巻と第2巻があります。
鍵盤楽器(ピアノは当時なかったのでハープシコードなどを想定)を弾く上で大事なテクニックだったり、フーガを作曲するテクニックにおいても大事な曲集ですが、これらによって調の「性格」が初めて確立されたという意味でもまた大事な曲集です。
この後ショパンの前奏曲だったり、後世の作曲家が24の調で曲集を書くようになったのもこの曲集が源なんですよね。(ということで親ウイルス)
その中でも最も美しい前奏曲とフーガの一つと評価され、大学でも弾く人が多かったこの第22番。
私のアットホームな調(と勝手に思っている)変ロ短調です。
前奏曲もフーガもゆるやかなテンポで心地良い♪
先ほど書きましたようにバッハの時代は今の「ピアノ」は全くなかったのですが(ハープシコードはメカニズムからして他人のそら似なのです)、この前奏曲はピアノで弾くのがなんと美しいことか!
まあるいピアノの音がこの曲の繊細なハーモニーとメロディーの動きにぴったり♪
もしかしたらバッハは今私たちが知っているようなこの曲のサウンドを意図していなかったのかもしれませんが、でも・・・ね。美しいしバッハの音楽以外の何物でもない、特別な場所におさまっているようです。
フーガもまた前奏曲と同じ美しさ、繊細さを持っていますが(そして割と短め)、5声とかなり複雑な構造。
フーガは複数のメロディーがそれぞれ別に動く形式。なので4声あると大体片手で2声ずつ(平均)請け負うことができるのですが、5声だとたまに片手で3声動かさなくちゃいけない、ということで。
でも前奏曲もフーガもどっちかというとハーモニー重視な曲。
そこがまた私好みではあるのですが(笑)
バッハは「音楽の父」としてどこでもその名を聞く作曲ですが、本当に奥が深くて、有名だからといってあなどることが絶対できない作曲家。
私のようなひねくれ者でも愛せずには、そして尊敬せずにはいられない作曲家です。
ちなみに先生がこの曲弾いて言ってくれたんでもうちょっと焦らしてうれしさをかみしめようと思います(笑)
曲が好きなこと、美しいことに加えて変ロ短調。嬉しいことづくしです♪
できればグールドみたいな変わり者な演奏でなく、ニコラーエヴァなどの王道的な演奏でお聞きください。
ちなみに私のお気に入りのブラスアンサンブルMNOZIL Brassがこの前奏曲をアレンジして弾いてます。
これもまたなんだかものすごく好きです♪
私はライブで聴いたのですが、動画もあるみたいなので埋め込み。(そしてはみ出し)
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今日は久しぶりにレッスンしてきました!
レッスン代がうやむやになったのでそれに決着をつけるためにもまた近いうちにレッスンしてもらいたいですね。
今日はメルボルンは晴れ、28℃。
大学の音楽科での先生のレッスン室は夏にはかなり暑くなるのですが今日くらいの天気なら窓から入るそよ風が心地良い。ただ隣の建物で工事していてうるさいのですが(汗)
ラヴェルの「古風なメヌエット」、ドビュッシーの「映像」第1集から「ラモー礼賛」、シマノフスキの「メトープ」から「カリュプソー」、そしてメシアン「鳥のカタログ」から「モリフクロウ」。
モリフクロウはトータルセリーぽい「夜」のところは聴いてもらえなかったのですが(やっぱりメシアンはまたマイケルにも聞いてもらいたいですね)、シマノフスキも気に入ってもらえてよかったです。(シマノフスキはこれからまたレパートリーの新しい引き出しとして重宝する予定です!)
ラヴェルとドビュッシー、つまりフランス「印象派」と呼ばれる作曲家が専門の先生、やっぱり「印象派」っぽい感じの曲には先生も惹かれるのかしら。
私もイタリアの印象派っぽいレスピーギや、ポーランドの印象派っぽいシマノフスキ・・・いろいろ私も先生に聴かせてるなあ・・・
キーの重い、音のくぐもった先生のレッスン室のピアノ(スタインウェイ)。
家のピアノはキーが軽いのでレッスンの時は若干しんどいところもありますが、先生のピアノは音に深みがあって、音がブレンドしやすい。だから先生のピアノでフランス音楽を弾くのは本当に楽しいです。
あーいつかグランド買いたいな~あんないいやつでなくてもいいから音とキーに深みがある、クラムが弾けるピアノが!
大好きな先生、でもいつも何を考えてるかわからない。
今日のレッスンで演奏の次に大事だったのが来年の割と早いうちにメル響でチェレスタ・ピアノのオーディションを受けるためのアクションを起こしてみること、そして永住権をとったら(年齢制限にひっかからないうちに)国立アカデミーのオーディションを受けてみること。
先生ノーリアクションで大変困った(汗)
でもとりあえずそのためにこの夏はテクニカル重視のレパートリーに転換。
ベートーベン、スカルラッティ、ハイドン、バッハといつもならレパートリーに入らない曲で技巧を確立して、それにくわえて得意レパートリーのラヴェル、ドビュッシー、メシアン、シマノフスキなども交え。
夏の終わりまでにはオーディションに自分の強さをいかせる「オーディション向きの曲」がいくつかあるといいな、と思いながらなんとかレパートリーを今一生懸命組んでいるところです。
レパートリーを組むのも本当に楽しくて。オーディションなんて随分と久しぶりだし、あんまり経験がなくて。
でも今リストした曲の中で使えるかな-、と思える曲はありますし、なんといっても過程でいろいろ弾きたい曲もありますし・・・なんとかこなしていきたい。
メル響、やっぱりこないだのコンサート聴きに行ったときに決心がついて。
卒業前からやりたいと思ってたことなんですが、プロの夢、そしてオーケストラの中に存在することはやっぱり諦めたくない、ということで。
ソロももちろんやりたいですけれど自分の強み、そして喜びはやっぱりオケのなかでの働きかな、と信じています。
私の持ってるオケというものの知識からするときっと今の仕事と両立できる、むしろ両立したいと思うのです。
ピアノ復帰してから結構ゆるーくやってきたけれど、もう一つステップアップして、もう1レベル根性とやる気を入れて、もいちど気合い入れて追いかけてみようかな、なんて思いながら・・・少し気がはやってしまっています(笑)
今までどおりレパートリーを広げて、自分の心と繋がり表現できる曲をもっともっと弾けるようになりたいですけど、そのためにはきっとここで頑張って(ちょっと我慢して)なにかと粗い私の演奏を磨いていかないと。
にやにやしてます。数ヶ月後、オーディションが受けられることになったら何を携えていくのかな、と。
そもそもカジュアルプレイヤーのシステムが今現在どうなってるかさえも分からないのですが・・・
楽しみなのです。絶対お問い合わせのメール書くときはぐだぐだ悩むでしょうが(笑)
とりあえず今週はレッスンでやった曲の総仕上げ。
今やってる、そして近く手放す曲もステップアップした後に弾いてさらに良くなってるといいな。
自分の心の中で目覚め動き出し、跳ね回り始めてる「音楽家」という名の子供をどう育てていくか・・・楽しみでたまりません。
今日の一曲: クロード・ドビュッシー 「映像」第1集より「ラモー礼賛」
今日のレッスンで演奏した曲のうち、紹介してないのはモリフクロウとこれだけ。
モリフクロウはいつでも書く気になれそうなので、こちらを。
ラモーはフランスのバロック時代の作曲家。フランス・オペラの大家です。
私はあんまり詳しいことを知らないのですが・・・(単なる不勉強!)
バロック時代はフランスにフランス独特の音楽があったのですが、古典派とロマン派の時代はフランスって割と文化的に弱い国だったんですよね。どちらの時代もドイツ・オーストリアが中心に音楽が動いていて・・・
ロマン派の終わりがワーグナーの音楽の過熟により告げられたとき、やっとフランスの時代がやってきたのです。
そのときフランスでは古き良き時代のフランスのアイデンティティを持った音楽を振り返る「新古典派」という動きが出て、そしてこの曲もまたフランスオペラの名作曲家の遺した音楽に思いを馳せる、というような趣旨で新古典派の一つの作品と言えるでしょう。
曲はバロック時代にもあったスローな舞踊、サラバンドの形式をゆるーくとっていて。
ハーモニーの色彩、暖かさ、厚みがとってもドビュッシーらしいです。
優しい夢を見るような心地よさが弾いてても聴いていても嬉しくなりますね♪
どうもこの曲は私にとって青のイメージ。
いつだったかテレビでみたシャガールのステンドグラスのあの鮮やかで深い青。
フランス建築だったり、絵画だったり、衣装だったり・・・フランス的なものばかりイメージが浮かんで、自然とあこがれと愛を感じてしまう曲です。
ポストロマン派、印象派だからってロマンチックじゃない、というのもよくよくわかるとっても人間的な曲です。
感情を色彩にのせて豊かに表現して、心のやわらかいところに響きます。
ドビュッシーかラヴェルかで言えば断然ラヴェル派で、あまりロマンチックな曲はあんまり・・・な私なのですが、ものすごく親しみがわいて、自然と愛を抱いてしまった曲。
バロック時代に築かれたフランスの音楽文化も含めてフランスっていいなあーとついつい浸っちゃって(笑)
でもなんでしょう、どうしても好きになっちゃう美しさと豊かさと色彩があって。あのシャガールのブルーに魅了されてしまいます。
一つ一つの和音を大事に味わって仕上げていきたいです♪
レッスン代がうやむやになったのでそれに決着をつけるためにもまた近いうちにレッスンしてもらいたいですね。
今日はメルボルンは晴れ、28℃。
大学の音楽科での先生のレッスン室は夏にはかなり暑くなるのですが今日くらいの天気なら窓から入るそよ風が心地良い。ただ隣の建物で工事していてうるさいのですが(汗)
ラヴェルの「古風なメヌエット」、ドビュッシーの「映像」第1集から「ラモー礼賛」、シマノフスキの「メトープ」から「カリュプソー」、そしてメシアン「鳥のカタログ」から「モリフクロウ」。
モリフクロウはトータルセリーぽい「夜」のところは聴いてもらえなかったのですが(やっぱりメシアンはまたマイケルにも聞いてもらいたいですね)、シマノフスキも気に入ってもらえてよかったです。(シマノフスキはこれからまたレパートリーの新しい引き出しとして重宝する予定です!)
ラヴェルとドビュッシー、つまりフランス「印象派」と呼ばれる作曲家が専門の先生、やっぱり「印象派」っぽい感じの曲には先生も惹かれるのかしら。
私もイタリアの印象派っぽいレスピーギや、ポーランドの印象派っぽいシマノフスキ・・・いろいろ私も先生に聴かせてるなあ・・・
キーの重い、音のくぐもった先生のレッスン室のピアノ(スタインウェイ)。
家のピアノはキーが軽いのでレッスンの時は若干しんどいところもありますが、先生のピアノは音に深みがあって、音がブレンドしやすい。だから先生のピアノでフランス音楽を弾くのは本当に楽しいです。
あーいつかグランド買いたいな~あんないいやつでなくてもいいから音とキーに深みがある、クラムが弾けるピアノが!
大好きな先生、でもいつも何を考えてるかわからない。
今日のレッスンで演奏の次に大事だったのが来年の割と早いうちにメル響でチェレスタ・ピアノのオーディションを受けるためのアクションを起こしてみること、そして永住権をとったら(年齢制限にひっかからないうちに)国立アカデミーのオーディションを受けてみること。
先生ノーリアクションで大変困った(汗)
でもとりあえずそのためにこの夏はテクニカル重視のレパートリーに転換。
ベートーベン、スカルラッティ、ハイドン、バッハといつもならレパートリーに入らない曲で技巧を確立して、それにくわえて得意レパートリーのラヴェル、ドビュッシー、メシアン、シマノフスキなども交え。
夏の終わりまでにはオーディションに自分の強さをいかせる「オーディション向きの曲」がいくつかあるといいな、と思いながらなんとかレパートリーを今一生懸命組んでいるところです。
レパートリーを組むのも本当に楽しくて。オーディションなんて随分と久しぶりだし、あんまり経験がなくて。
でも今リストした曲の中で使えるかな-、と思える曲はありますし、なんといっても過程でいろいろ弾きたい曲もありますし・・・なんとかこなしていきたい。
メル響、やっぱりこないだのコンサート聴きに行ったときに決心がついて。
卒業前からやりたいと思ってたことなんですが、プロの夢、そしてオーケストラの中に存在することはやっぱり諦めたくない、ということで。
ソロももちろんやりたいですけれど自分の強み、そして喜びはやっぱりオケのなかでの働きかな、と信じています。
私の持ってるオケというものの知識からするときっと今の仕事と両立できる、むしろ両立したいと思うのです。
ピアノ復帰してから結構ゆるーくやってきたけれど、もう一つステップアップして、もう1レベル根性とやる気を入れて、もいちど気合い入れて追いかけてみようかな、なんて思いながら・・・少し気がはやってしまっています(笑)
今までどおりレパートリーを広げて、自分の心と繋がり表現できる曲をもっともっと弾けるようになりたいですけど、そのためにはきっとここで頑張って(ちょっと我慢して)なにかと粗い私の演奏を磨いていかないと。
にやにやしてます。数ヶ月後、オーディションが受けられることになったら何を携えていくのかな、と。
そもそもカジュアルプレイヤーのシステムが今現在どうなってるかさえも分からないのですが・・・
楽しみなのです。絶対お問い合わせのメール書くときはぐだぐだ悩むでしょうが(笑)
とりあえず今週はレッスンでやった曲の総仕上げ。
今やってる、そして近く手放す曲もステップアップした後に弾いてさらに良くなってるといいな。
自分の心の中で目覚め動き出し、跳ね回り始めてる「音楽家」という名の子供をどう育てていくか・・・楽しみでたまりません。
今日の一曲: クロード・ドビュッシー 「映像」第1集より「ラモー礼賛」
今日のレッスンで演奏した曲のうち、紹介してないのはモリフクロウとこれだけ。
モリフクロウはいつでも書く気になれそうなので、こちらを。
ラモーはフランスのバロック時代の作曲家。フランス・オペラの大家です。
私はあんまり詳しいことを知らないのですが・・・(単なる不勉強!)
バロック時代はフランスにフランス独特の音楽があったのですが、古典派とロマン派の時代はフランスって割と文化的に弱い国だったんですよね。どちらの時代もドイツ・オーストリアが中心に音楽が動いていて・・・
ロマン派の終わりがワーグナーの音楽の過熟により告げられたとき、やっとフランスの時代がやってきたのです。
そのときフランスでは古き良き時代のフランスのアイデンティティを持った音楽を振り返る「新古典派」という動きが出て、そしてこの曲もまたフランスオペラの名作曲家の遺した音楽に思いを馳せる、というような趣旨で新古典派の一つの作品と言えるでしょう。
曲はバロック時代にもあったスローな舞踊、サラバンドの形式をゆるーくとっていて。
ハーモニーの色彩、暖かさ、厚みがとってもドビュッシーらしいです。
優しい夢を見るような心地よさが弾いてても聴いていても嬉しくなりますね♪
どうもこの曲は私にとって青のイメージ。
いつだったかテレビでみたシャガールのステンドグラスのあの鮮やかで深い青。
フランス建築だったり、絵画だったり、衣装だったり・・・フランス的なものばかりイメージが浮かんで、自然とあこがれと愛を感じてしまう曲です。
ポストロマン派、印象派だからってロマンチックじゃない、というのもよくよくわかるとっても人間的な曲です。
感情を色彩にのせて豊かに表現して、心のやわらかいところに響きます。
ドビュッシーかラヴェルかで言えば断然ラヴェル派で、あまりロマンチックな曲はあんまり・・・な私なのですが、ものすごく親しみがわいて、自然と愛を抱いてしまった曲。
バロック時代に築かれたフランスの音楽文化も含めてフランスっていいなあーとついつい浸っちゃって(笑)
でもなんでしょう、どうしても好きになっちゃう美しさと豊かさと色彩があって。あのシャガールのブルーに魅了されてしまいます。
一つ一つの和音を大事に味わって仕上げていきたいです♪
明日はピアノレッスン。ちょっと先生に話があるのもあってちょっと今日の練習は緊張気味。
でもきっと大丈夫・・・だと思います。疲労もちょっと回復してますし、明日は28℃と暑くなる予定ですし。
「精神関係」のカテゴリの記事でよく薬はできるだけ使わない方が良い、という思いを素人なりに(でも自分なりの経験と勉強をもとに)書き綴ってきましたが、今日はその「薬」のことを。
以前このブログでどんな病気も、病気になることでどれだけ身体と心が変わるかということを考えると薬が身体に及ぼす影響の大きさってすごいものなんだ、というようなことを書いた覚えがあります。
「変える力」の大きさは視点を変えてみるとちょっと怖いくらいのことがあって、だから容易に使うものじゃない、という意識もありますが・・・
精神関係の病気だったり症状に効くおくすり、というのはまた別の問題があります。
それは薬効に関して分かっていることはあるんですが、作用機序、つまりどうして効くのか、というのが分かっていない部分が多いこと。
なのに使うなんて!と思われる方もいると思いますがそもそも脳や神経の働き自体に分からないことが多いので・・・でも薬効や安全性に関してはもちろん研究・治験などが行われて市販されているわけです。
例えば「うつ」に効く薬はどんなものがあるか。
症状としての気分の落ち込みに対して作用する抗うつ薬。
双極性障害の一部の症状としてのうつや躁に作用する気分安定剤。
他にも不安症状や不眠症状に効く抗不安薬、幻覚などに効く抗精神病薬もあります。
さらに抗精神病薬の一部や抗てんかん薬がうつの気分症状に効いたりと本来の目的外の効能もあったりで難しい。
さらに抗うつ薬一つとっても今一番使われているSSRI、そしてその前に使われていた三環系抗うつ薬、MAOIなどもありますし、その種類の中でも様々な薬が使われています。
基本新しい薬はより安全とか、より効果があるとか、副作用が少ないとかそういうことで開発・市販されるのですが、精神の薬は実はそんなに単純にもいかなくて・・・
これも前した話だとは思うのですが、精神疾患の薬が人に及ぼす作用というのはまちまちです。
同じ用量の同じ薬を2人の同じような病気や症状の人が飲んでも一人には効力があって一人に対してはない、ということは勿論ありますし、副作用を経験するか、どんな副作用を経験するかというのも勿論人によって違います。
私が入院していた病院での先生達が言うにはどんな薬が特定の人に効くかは使ってみないとわからないそうで、ある薬がその人に効く確率というのは60%なんだそう。
なのでとっかえひっかえ薬を試すのはある程度しょうがないことではあります。
でもやはり短期間で薬を何度も変えるのは好ましくないそう。
薬の効き目はすぐ表れるものではないですし、薬を急に飲みやめたりすることで悪い作用が表れる場合もあります。やはり身体の中の化学物質の働きを変えているので急激に変化させようとすると良くなさそうだなーという気もします。
副作用もねー・・・ある程度は我慢しなくちゃいけない、ということもあるようです。
例えば鎮静・眠気だったり、焦燥だったり、生活に支障をきたしたり特別不快に感じる副作用が表れたらもちろんお医者さんに連絡して薬をやめたり減らしたりなどの措置をとらなくてはなりませんが・・・
でも副作用の中には薬を飲み始めてしばらくするとなくなったりするものもあるので、慎重に見極めることが大事で、同時に難しいところなんですね。
それから薬はもちろん正しく使わなきゃ、ということもあり。
用量を守る、というのは基本ですし(ちなみに用量は患者さんの体重を目安に決められるんだとか)、あと例えば催眠薬・抗不安薬の類は長期間使用を避けた方がいいものもありますし。
リチウムのように血液検査などのモニタリングが必要なものもあります。
抗精神病薬などはアルコールと服用すると鎮静作用が強まったりしちゃうことも。
難しい、難しいとはいいますが・・・実際薬が人の精神の回復を手助けしたり、健康な状態の維持を助けている例もたくさんあります。
他の心理的な治療法や措置も共に行いながら、お医者さんとの連携で何かあったときにすぐ措置がとれるようにして、さらに薬をもらったときは作用、副作用などに関して知識を得て自分でも気づけるようにして・・・
まさに「薬にも毒にもなる」、身体と心に大きな変化をもたらすものなので、うまく付き合って自分の力とサポートにしていくのが理想なのかな、と思っています。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー イタリア奇想曲
聴くと決まってパスタが食べたくなります、この曲。
チャイコフスキーは色々イタリアについての曲を書きますね-。
やっぱり青い空、白い雲、赤いトマト、緑のバジルの温暖で陽気な国は一種の憧れがあるのかなーと思うようなきらきらしたイメージ。
聴き手もついつい憧れてしまいます♪
のびのびとした歌、底抜けな明るさ、赤い情熱・・・
イタリアという国の文化の良いところがみんな詰まったこの曲。
15分ほどあるのかな?長めの曲なのですがメドレーのような形式で次々と駆け抜けて行く旅はあっという間。
きっとどこかで聴いたようなメロディーもありますよ。
イタリアといえば思わずつられて歌いたくなってしまう楽しい歌がもしかしたら一番特徴的かも知れませんが、私が一番気に入ってるのは後半の速いタランテラのセクション。
曲の一部だけにもかかわらず、自分にとって最強のタランテラです。
タランテラとは南イタリアの踊り。
速くぐるぐる回るような、たまにはねるような性格をしていて、もともとはタランチュラらしき毒蜘蛛に噛まれて気が狂った患者を踊らせることで治療した、という民間伝説が元になっているらしく。
(注:タランチュラには人にそこまで害をなす毒はありません。おそらくヒステリーの一種では、という説もあります)
なのでタランテラは「狂乱」がつきもの。
速ければ速いほどエキサイティングになって、凶暴であればあるほどぐるぐる回るのに狂気が増して。
そのセクションが始まるwind-upな加速も、荒々しい弦楽器も、一楽章だけ木管の歯切れ良い音で引き締めるところも最高!
エンディングの派手さとか、オーケストレーションとかはやっぱりロシアでチャイコスフキーだな、と思いますがなんにしてもあこがれの対象としてのイタリアの夢を鮮やかに魅せてくれる楽しくエキサイティングな曲。
パスタをお供に大声で歌い笑いながら楽しみたい曲ですね♪
でもきっと大丈夫・・・だと思います。疲労もちょっと回復してますし、明日は28℃と暑くなる予定ですし。
「精神関係」のカテゴリの記事でよく薬はできるだけ使わない方が良い、という思いを素人なりに(でも自分なりの経験と勉強をもとに)書き綴ってきましたが、今日はその「薬」のことを。
以前このブログでどんな病気も、病気になることでどれだけ身体と心が変わるかということを考えると薬が身体に及ぼす影響の大きさってすごいものなんだ、というようなことを書いた覚えがあります。
「変える力」の大きさは視点を変えてみるとちょっと怖いくらいのことがあって、だから容易に使うものじゃない、という意識もありますが・・・
精神関係の病気だったり症状に効くおくすり、というのはまた別の問題があります。
それは薬効に関して分かっていることはあるんですが、作用機序、つまりどうして効くのか、というのが分かっていない部分が多いこと。
なのに使うなんて!と思われる方もいると思いますがそもそも脳や神経の働き自体に分からないことが多いので・・・でも薬効や安全性に関してはもちろん研究・治験などが行われて市販されているわけです。
例えば「うつ」に効く薬はどんなものがあるか。
症状としての気分の落ち込みに対して作用する抗うつ薬。
双極性障害の一部の症状としてのうつや躁に作用する気分安定剤。
他にも不安症状や不眠症状に効く抗不安薬、幻覚などに効く抗精神病薬もあります。
さらに抗精神病薬の一部や抗てんかん薬がうつの気分症状に効いたりと本来の目的外の効能もあったりで難しい。
さらに抗うつ薬一つとっても今一番使われているSSRI、そしてその前に使われていた三環系抗うつ薬、MAOIなどもありますし、その種類の中でも様々な薬が使われています。
基本新しい薬はより安全とか、より効果があるとか、副作用が少ないとかそういうことで開発・市販されるのですが、精神の薬は実はそんなに単純にもいかなくて・・・
これも前した話だとは思うのですが、精神疾患の薬が人に及ぼす作用というのはまちまちです。
同じ用量の同じ薬を2人の同じような病気や症状の人が飲んでも一人には効力があって一人に対してはない、ということは勿論ありますし、副作用を経験するか、どんな副作用を経験するかというのも勿論人によって違います。
私が入院していた病院での先生達が言うにはどんな薬が特定の人に効くかは使ってみないとわからないそうで、ある薬がその人に効く確率というのは60%なんだそう。
なのでとっかえひっかえ薬を試すのはある程度しょうがないことではあります。
でもやはり短期間で薬を何度も変えるのは好ましくないそう。
薬の効き目はすぐ表れるものではないですし、薬を急に飲みやめたりすることで悪い作用が表れる場合もあります。やはり身体の中の化学物質の働きを変えているので急激に変化させようとすると良くなさそうだなーという気もします。
副作用もねー・・・ある程度は我慢しなくちゃいけない、ということもあるようです。
例えば鎮静・眠気だったり、焦燥だったり、生活に支障をきたしたり特別不快に感じる副作用が表れたらもちろんお医者さんに連絡して薬をやめたり減らしたりなどの措置をとらなくてはなりませんが・・・
でも副作用の中には薬を飲み始めてしばらくするとなくなったりするものもあるので、慎重に見極めることが大事で、同時に難しいところなんですね。
それから薬はもちろん正しく使わなきゃ、ということもあり。
用量を守る、というのは基本ですし(ちなみに用量は患者さんの体重を目安に決められるんだとか)、あと例えば催眠薬・抗不安薬の類は長期間使用を避けた方がいいものもありますし。
リチウムのように血液検査などのモニタリングが必要なものもあります。
抗精神病薬などはアルコールと服用すると鎮静作用が強まったりしちゃうことも。
難しい、難しいとはいいますが・・・実際薬が人の精神の回復を手助けしたり、健康な状態の維持を助けている例もたくさんあります。
他の心理的な治療法や措置も共に行いながら、お医者さんとの連携で何かあったときにすぐ措置がとれるようにして、さらに薬をもらったときは作用、副作用などに関して知識を得て自分でも気づけるようにして・・・
まさに「薬にも毒にもなる」、身体と心に大きな変化をもたらすものなので、うまく付き合って自分の力とサポートにしていくのが理想なのかな、と思っています。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー イタリア奇想曲
聴くと決まってパスタが食べたくなります、この曲。
チャイコフスキーは色々イタリアについての曲を書きますね-。
やっぱり青い空、白い雲、赤いトマト、緑のバジルの温暖で陽気な国は一種の憧れがあるのかなーと思うようなきらきらしたイメージ。
聴き手もついつい憧れてしまいます♪
のびのびとした歌、底抜けな明るさ、赤い情熱・・・
イタリアという国の文化の良いところがみんな詰まったこの曲。
15分ほどあるのかな?長めの曲なのですがメドレーのような形式で次々と駆け抜けて行く旅はあっという間。
きっとどこかで聴いたようなメロディーもありますよ。
イタリアといえば思わずつられて歌いたくなってしまう楽しい歌がもしかしたら一番特徴的かも知れませんが、私が一番気に入ってるのは後半の速いタランテラのセクション。
曲の一部だけにもかかわらず、自分にとって最強のタランテラです。
タランテラとは南イタリアの踊り。
速くぐるぐる回るような、たまにはねるような性格をしていて、もともとはタランチュラらしき毒蜘蛛に噛まれて気が狂った患者を踊らせることで治療した、という民間伝説が元になっているらしく。
(注:タランチュラには人にそこまで害をなす毒はありません。おそらくヒステリーの一種では、という説もあります)
なのでタランテラは「狂乱」がつきもの。
速ければ速いほどエキサイティングになって、凶暴であればあるほどぐるぐる回るのに狂気が増して。
そのセクションが始まるwind-upな加速も、荒々しい弦楽器も、一楽章だけ木管の歯切れ良い音で引き締めるところも最高!
エンディングの派手さとか、オーケストレーションとかはやっぱりロシアでチャイコスフキーだな、と思いますがなんにしてもあこがれの対象としてのイタリアの夢を鮮やかに魅せてくれる楽しくエキサイティングな曲。
パスタをお供に大声で歌い笑いながら楽しみたい曲ですね♪
少しずつ回復しつつ・・・あるかな?今日は買い物にシティ周りに出た割には疲労が少ない気が。
どれくらい前だったか、こっちの新聞にドルイドが正式な宗教として認められた、という記事が載ってて。
中学校の歴史の授業で昔ドルイドはかなり誤解されたイメージがあったと習ったのでこうやって「宗教」と認められたのはなんだか嬉しい気持ちがあります。
同じく中学校のReligious Educationの授業から覚えてることによると「宗教=Religion」と「Cult」の違いは信者数の規模(1000人だったかな?)などの基準があったりするそうです。
どこにも怪しい信仰団体というものはありますが、今こうやってキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教と4大宗教が世界的に主流みたいな事になっている、その前の信仰とか神々の話が好きです。
例えばキリスト教は歴史の中で色んな国に政治的な意図を持って広められたわけですが、そういった国もキリスト教以前に独特の文化、価値観、信仰があって・・・そういうことに妙にロマンを感じます。
ギリシャ・ローマ神話、ヒンドゥー神話、ゾロアスター教、ケルト神話、北欧神話、アステカ神話、マヤ神話、アイヌ神話、日本神話、中国神話・・・
他にもありますし、全部について知識を持ってるわけではないですけど、やっぱりこういう話には心惹かれずにはいられません。
特に北欧神話は大好きです。
北欧の厳しい自然の中で生まれたであろう価値観と独特の雰囲気、多様多彩だけど「不完全」な神々、そして神話を通してのストーリーの読み応え。
神々が住まうアスガルドを建てたそのときからもう不穏な空気と共にラグナロック、つまり破滅への第一歩を踏み出していて、一つ一つの間違いが伏線となり積もり積もって避けることのない破滅を招いていく・・・
どうして神々は滅ぶんだ、と思うのではなくああ、しょうがないんだ・・・と思う、破滅の理由がはっきり目に見えるからのやりきれなさが本当に・・・良いというのもなんですがいいです。
神話って日本やエジプトでは特にそうなんですが、歴史を歴史として編纂する以前の歴史の形だったりすることもあるんですよね。
全くのフィクションというわけではなく、実在の人物の偉業を讃え、英雄や神に封じたりちょっと誇張した話を作ったり、そういったものが神話になったわけで・・・だから神話を吟味すると国の始まりだったりとか社会の始まりだったりというものが垣間見えるところも面白いです。
そして神話の神々というのはその土地の人が「神」という漠然とした存在に何を望んでいるか、何を大切にして何を恐れているか、というのが表れるもので。
キリスト教が広まって同時にキリスト教の価値観が色んな国のスタンダードとして根付いた前はどうだったのか、興味津々で。
ちなみにキリスト教は色んな土地にその信仰を広め、「唯一神」だけを人々が信じるようにするため、もともとの土地の神々を悪魔として貶めた、という話もあるそうです。歴史でも改革をした後改革前の政権や統治者について悪く書いたりすることがあるのと似てますね。
そんなこともありながらそのキリスト教も土地になじんで土地の価値観に合うように形を変えていったり、元の信仰と融合していったりしていて、それもまた興味深いですね。
キリスト教以前の信仰や社会、といってやはり思い出すのはストラヴィンスキーの「春の祭典」。
スタンダードな世界史の記録にロシアがヨーロッパの一部としてメジャーに登場するのはピョートル1世の時代。ピョートル1世は先進のヨーロッパ各国に追いつきたくロシアを大々的にヨーロッパ化し、前の文化を絶滅・・・とまではいきませんがそういうことをしたんだとか。
「春の祭典」は音楽や振り付けの斬新さもそうですが、行われている儀式、用いられている衣装などもロシア人にさえももう馴染みのないものだったのかな、と思うとそういった意味でも特別な存在なのかな、と思います。
バルトークなどはハンガリーで民族音楽の復興運動を行いましたがロシアではこんな違う形で昔の文化を復興して保存しているんですね。(その文化がどれくらい元に忠実かは難しいのですが)
古き神々、the Olden Gods。
彼らは多くの神話で人間達にこの世界を譲りますが、なによりもトールキンの「指輪物語」で(神々とはちょっと違いますけれど)エルフ達が指輪の荷を担った者たちと船に乗って海の向こうの地に旅立つ、というのを思うのです。
信仰が移り変わり神々もいつか人間たちに必要とされないようになって物語の中の存在になって。
史実ではなくとも昔の人々の思いを秘めた古き神々の物語がなくならずこれからも残っててほしいな、と私は思います。
今日の一曲: ヴィトルト・ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲 第1楽章
「管弦楽のための協奏曲」といえばバルトークのものが有名ですが、こちらもまた名曲ですよ!
ルトスワフスキはポーランドの作曲家で確かにその雰囲気がありますが、同時にバルトークに似たところもいっぱいあるな、と特に思うのがこの第1楽章。
まずオープニングにやられます。
最初は繰り返し奏でられるベースのF#から始まりますが、次に入ってくるチェロセクションがそれを全く無視した形で半音下のF、そしてF#とは縁のないメロディーを力強く奏でるところがなんだか格好いい!
で、ここでフーガ風に弦楽器が弾くモチーフが幾何学的に展開されてくところもバルトーク的ですし、整然としていながらワイルドなところもまたバルトークに通じるところが。
幾何学的、といいましたがこの曲全体が大まかに言えば大きなシンメトリーになってて。
そこになんだか幾何学的だったり建築的だったりした満足も覚えますし、それに最初気づくと暗号が解けたみたいなうれしさもあります。
最初のセクションが弦の強さによって特徴付けられてるのと対照的に、同じ音楽を今度は木管と鉄琴、チェレスタなどが繊細に奏でる最後のセクション。コントラストの素晴らしさもそうですが、チェレスタがこういう音と雰囲気のなかで弾いてるのって好き~♪
管弦楽のための協奏曲、とはなんだか交響曲とわりと似たようなスケールの曲ではありますが、交響曲が音楽的な、そしてオーケストラの統制というかユニオンを重視してる感があるのに対して「管弦楽のための協奏曲」はそういった統制を保ちながら個々の楽器の言い分も重視しているイメージが。
音楽自体の深さを失わず楽器の魅力を存分に引き出すジャンルなのかな~と思います。
ここまで書いといてなんですが実は第2楽章が一番のお気に入り♪
また紹介します♪
どれくらい前だったか、こっちの新聞にドルイドが正式な宗教として認められた、という記事が載ってて。
中学校の歴史の授業で昔ドルイドはかなり誤解されたイメージがあったと習ったのでこうやって「宗教」と認められたのはなんだか嬉しい気持ちがあります。
同じく中学校のReligious Educationの授業から覚えてることによると「宗教=Religion」と「Cult」の違いは信者数の規模(1000人だったかな?)などの基準があったりするそうです。
どこにも怪しい信仰団体というものはありますが、今こうやってキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教と4大宗教が世界的に主流みたいな事になっている、その前の信仰とか神々の話が好きです。
例えばキリスト教は歴史の中で色んな国に政治的な意図を持って広められたわけですが、そういった国もキリスト教以前に独特の文化、価値観、信仰があって・・・そういうことに妙にロマンを感じます。
ギリシャ・ローマ神話、ヒンドゥー神話、ゾロアスター教、ケルト神話、北欧神話、アステカ神話、マヤ神話、アイヌ神話、日本神話、中国神話・・・
他にもありますし、全部について知識を持ってるわけではないですけど、やっぱりこういう話には心惹かれずにはいられません。
特に北欧神話は大好きです。
北欧の厳しい自然の中で生まれたであろう価値観と独特の雰囲気、多様多彩だけど「不完全」な神々、そして神話を通してのストーリーの読み応え。
神々が住まうアスガルドを建てたそのときからもう不穏な空気と共にラグナロック、つまり破滅への第一歩を踏み出していて、一つ一つの間違いが伏線となり積もり積もって避けることのない破滅を招いていく・・・
どうして神々は滅ぶんだ、と思うのではなくああ、しょうがないんだ・・・と思う、破滅の理由がはっきり目に見えるからのやりきれなさが本当に・・・良いというのもなんですがいいです。
神話って日本やエジプトでは特にそうなんですが、歴史を歴史として編纂する以前の歴史の形だったりすることもあるんですよね。
全くのフィクションというわけではなく、実在の人物の偉業を讃え、英雄や神に封じたりちょっと誇張した話を作ったり、そういったものが神話になったわけで・・・だから神話を吟味すると国の始まりだったりとか社会の始まりだったりというものが垣間見えるところも面白いです。
そして神話の神々というのはその土地の人が「神」という漠然とした存在に何を望んでいるか、何を大切にして何を恐れているか、というのが表れるもので。
キリスト教が広まって同時にキリスト教の価値観が色んな国のスタンダードとして根付いた前はどうだったのか、興味津々で。
ちなみにキリスト教は色んな土地にその信仰を広め、「唯一神」だけを人々が信じるようにするため、もともとの土地の神々を悪魔として貶めた、という話もあるそうです。歴史でも改革をした後改革前の政権や統治者について悪く書いたりすることがあるのと似てますね。
そんなこともありながらそのキリスト教も土地になじんで土地の価値観に合うように形を変えていったり、元の信仰と融合していったりしていて、それもまた興味深いですね。
キリスト教以前の信仰や社会、といってやはり思い出すのはストラヴィンスキーの「春の祭典」。
スタンダードな世界史の記録にロシアがヨーロッパの一部としてメジャーに登場するのはピョートル1世の時代。ピョートル1世は先進のヨーロッパ各国に追いつきたくロシアを大々的にヨーロッパ化し、前の文化を絶滅・・・とまではいきませんがそういうことをしたんだとか。
「春の祭典」は音楽や振り付けの斬新さもそうですが、行われている儀式、用いられている衣装などもロシア人にさえももう馴染みのないものだったのかな、と思うとそういった意味でも特別な存在なのかな、と思います。
バルトークなどはハンガリーで民族音楽の復興運動を行いましたがロシアではこんな違う形で昔の文化を復興して保存しているんですね。(その文化がどれくらい元に忠実かは難しいのですが)
古き神々、the Olden Gods。
彼らは多くの神話で人間達にこの世界を譲りますが、なによりもトールキンの「指輪物語」で(神々とはちょっと違いますけれど)エルフ達が指輪の荷を担った者たちと船に乗って海の向こうの地に旅立つ、というのを思うのです。
信仰が移り変わり神々もいつか人間たちに必要とされないようになって物語の中の存在になって。
史実ではなくとも昔の人々の思いを秘めた古き神々の物語がなくならずこれからも残っててほしいな、と私は思います。
今日の一曲: ヴィトルト・ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲 第1楽章
「管弦楽のための協奏曲」といえばバルトークのものが有名ですが、こちらもまた名曲ですよ!
ルトスワフスキはポーランドの作曲家で確かにその雰囲気がありますが、同時にバルトークに似たところもいっぱいあるな、と特に思うのがこの第1楽章。
まずオープニングにやられます。
最初は繰り返し奏でられるベースのF#から始まりますが、次に入ってくるチェロセクションがそれを全く無視した形で半音下のF、そしてF#とは縁のないメロディーを力強く奏でるところがなんだか格好いい!
で、ここでフーガ風に弦楽器が弾くモチーフが幾何学的に展開されてくところもバルトーク的ですし、整然としていながらワイルドなところもまたバルトークに通じるところが。
幾何学的、といいましたがこの曲全体が大まかに言えば大きなシンメトリーになってて。
そこになんだか幾何学的だったり建築的だったりした満足も覚えますし、それに最初気づくと暗号が解けたみたいなうれしさもあります。
最初のセクションが弦の強さによって特徴付けられてるのと対照的に、同じ音楽を今度は木管と鉄琴、チェレスタなどが繊細に奏でる最後のセクション。コントラストの素晴らしさもそうですが、チェレスタがこういう音と雰囲気のなかで弾いてるのって好き~♪
管弦楽のための協奏曲、とはなんだか交響曲とわりと似たようなスケールの曲ではありますが、交響曲が音楽的な、そしてオーケストラの統制というかユニオンを重視してる感があるのに対して「管弦楽のための協奏曲」はそういった統制を保ちながら個々の楽器の言い分も重視しているイメージが。
音楽自体の深さを失わず楽器の魅力を存分に引き出すジャンルなのかな~と思います。
ここまで書いといてなんですが実は第2楽章が一番のお気に入り♪
また紹介します♪
昨日はメル響のコンサートに行ってきました!
コンサート前の夕飯からなんだか結果ちょっぴり贅沢続きで、久しぶりの外は刺激が強かったですが充実しすぎるほど充実しました。
夕飯はほとんど恒例になりつつある?サウスバンクのBlue Trainで。
金曜日の夕方とあって結構待ちリストが長くなってましたがお一人様なのですぐ席に着けて。
生ハム、ほうれん草、ブラックオリーブ、パルメザンなどが乗ってるピッツァ。
今日はカクテルもつけてみました。カイピロスカ(ウォッカ+ライム+シュガーシロップ)なんですが、ここはライチ(缶詰)などを入れてくれるそうで。ライチ好きです~もともとのカイピロスカの材料のいい仲介者。
カイピロスカは「割る」材料がないのでよくよく考えてみれば強めのカクテル。
少し視力が弱くなりながらサウスバンクを散策。(ただここで少し酔っていたのは1時間後のコンサートまでにはすっかり醒めていました。スピリッツは早い!)
今はメルボルン・コンサートホールの周りが工事中なのでちょっと違う道を通ったりして。
11月ともなると午後7時過ぎでも昼のように明るいです。
どこのレストランも外の席が満員。
そしてその後メルボルン・タウン・ホールへコンサートに。
シャルル・デュトワ指揮ということで本当に楽しみにしていたコンサート♪
プログラムはラヴェルの「スペイン狂詩曲」、ベルリオーズの「夏の夜」、そしてリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」でした。色っぽい曲揃い!
座った席はバルコニーの最後列のわりと端っこの方で、器楽に関しては文句ない音響なのですがベルリオーズでの歌手の言葉がわりと聞き取りづらくてそこはちょっと残念。
コントラフォルテ(コントラファゴットの改良版)の音量がその席からも「あら、こんなに大きい音でラヴェルには大丈夫かな」というほどだったのですが・・・
ラヴェル、なんだか魔法でした。
第1楽章のテンポの流れの心地よさとか、色彩のきらきらとか。
第 2楽章ではちょっとアンサンブル危ういところもありましたが、コントラフォルテがすごかったのもここ。ベース的な楽器がコントラファゴットのパートしかないところで他の楽器を支えるにはコントラファゴットの音量と音質だとちょっと頼りない、だからコントラフォルテのしっかりさが輝いていました。
第4楽章のフェリア、ものすごく好きな楽章なんですがものすごく見事にまとまっててものすごくエキサイティングでした♪全体的に夜の雰囲気があるこの曲のなかで夜のお祭りのように華やかで楽しくて。もともと短めの曲なのですがあっというまだった!
ベルリオーズは他の2曲と比べるとあまり親しくない曲なのですが、久しぶりに聴けて良かったです。
もともとベルリオーズって音楽の感情が(本人の感情も割と、なんですが)ころころ変わったり、2つも3つもの感情を同時に表現しちゃったりするのである意味ちょっと難しい作曲家ではありますが、メゾ・ソプラノのChristianne Stotijnの歌声はそんな変わり者ベルリオーズの心の世界を豊かに表現していました。メゾならではのリッチさというか、幅の広い暖かさというか。
第1楽章は上記席の位置の関係かちょっと「ん?」という感じだったのですが第2楽章「薔薇の精」なんか歌声もオケも音と感情の色彩にあふれてて。第3楽章の深みもかみしめちゃいました。
オケに限って言えば最終楽章「未知の島」が良かったです。指揮者の感性ももちろんそうなんですが、奏者の感性もなかなかだなーと思いました。
そしてメインディッシュのシェヘラザード。
みんなにとって見せ場のある、そして楽しい曲ですがシェヘラザードの主役はコンサートマスター。私にとってはコンマス名曲ナンバーワンです。
ただメル響の場合は女性なので厳密に言えば「コンサートミストレス」。フィジー出身の女性で、私の友達の先生だったりもします。まさに「賢姫」で色っぽいシェヘラザードという姫君の物語を紡ぐ姿を芯の通った美しい音で表現してくれました。
やっぱりシェヘラザードのソロは女性の演奏が一番いいなあ♪
なんといってもこの曲は終始贅沢でしたね!
まずデュトワの曲の解釈と表現がいちいちセンスが素晴らしくて。ちょっとあっさりめなのですが、全然物足りないことはなくちょうど良い感じで、すみずみにわたってさりげない気配りとロマン、色気にあふれてました。
そして奏者も・・・先ほどのコンマスもそうですし、打楽器セクションのかっこよさだったり・・・あとクラリネット奏者が素晴らしかった!
でも一番は大学時代に隣で弾いたこともあるハープ奏者の音。力強さ、繊細さ・・・やっぱり私の憧れの音です。
あとバイオリンセクションが頑張ってた!なんだかものすごく嬉しかったです。
45 分ほどの曲全体を通じてどこで誰をみればいいか分かるくらい何回も聴いて(あと1回弾いて)ものすごくよく知ってる曲なのですが、「聴き終わりたくない!」と思わず念じてしまうほどの演奏は初めてでした。第4楽章で「船沈むな船沈むな」とずーっと願ってしまった(笑)(船が沈むと曲ももう終わりに近づくので)
心から楽しみましたし、心の洗濯というか、良いことかき混ぜて普段外気に触れてない心の部分も新鮮な空気に触れられた気分です。
メル響は私はこれで最後のコンサート鑑賞ですが、2011年シーズンもまた楽しみにしています。
メル響は感性があって、元気で、いいオケなので。
昨日のプログラムみたいな曲だと特にそうなのですが、おとなしすぎるよりは元気すぎるほうが全然良いですね!過ぎたるは及ばざるがごとしなんて言葉がありますがそれよりもToo much is better than too littleだと思います、音楽の演奏は。
そして別にオケ関係で考えることもあったりで。それはまた後の話になるのですが・・・
いろんな意味で元気がつきました。もっとこれからもいい音楽に触れあわなきゃ。触れあいたい。
今日の一曲: ニコライ・リムスキー=コルサコフ シェヘラザード 第1楽章
普段シェヘラザードの各楽章をバラで聴くときたいてい抜かしてしまうこの楽章。
シェヘラザードの語りであるバイオリンのソロが一番贅沢に聴ける楽章ではあるんですが、他の楽章が魅力的すぎる、というのもありますしこの楽章の材料の多くが他の楽章に引用されてるので・・・
かなりこの曲全体何回も聴いてきてるんでどうしても、ね・・・
スルタンのテーマと思われる序奏の後に、シェヘラザードが「昔々・・・」と語り始めるのはシンドバッドの航海の物語。
波がうねるような音のモチーフだったり、帆に吹き付ける風のような音のモチーフだったり。ちょっとオーバーでロマンチックなところがおとぎ話風。海原の大きさもシンドバッドの志もふくらみます。
バイオリンソロの妖艶さももちろん聞き所ですが、私のちょっとしたお気に入りは波のモチーフをチェロのソロ一人で担うところ。チェロの音と音域の豊かさが嬉しくて。あと映画で言うとカメラをアップにしたみたいな効果がなんだかびっくり。
リムスキー=コルサコフはとにかく楽器使いが上手い!
オケを一体として世界を創りだしながら、奏者にとっても見せ所を作ったり。
音楽的にも、演奏的にもものすごく充実した音楽を書きます。
スコアを読むだけでもそのメカニズムが感じ取れますのでスコアを読みながら聴くのもオススメです。
シェヘラザードは・・・とにかくいいですよ。ロマンがあります。良いオケで聴くとなんだかちょっと贅沢な気分になりますね。
そしてやっぱり何よりもコンサートマスターの名曲ナンバーワン(私調べ)。バイオリンの真髄をすみずみまで味わってみてください♪
コンサート前の夕飯からなんだか結果ちょっぴり贅沢続きで、久しぶりの外は刺激が強かったですが充実しすぎるほど充実しました。
金曜日の夕方とあって結構待ちリストが長くなってましたがお一人様なのですぐ席に着けて。
生ハム、ほうれん草、ブラックオリーブ、パルメザンなどが乗ってるピッツァ。
今日はカクテルもつけてみました。カイピロスカ(ウォッカ+ライム+シュガーシロップ)なんですが、ここはライチ(缶詰)などを入れてくれるそうで。ライチ好きです~もともとのカイピロスカの材料のいい仲介者。
少し視力が弱くなりながらサウスバンクを散策。(ただここで少し酔っていたのは1時間後のコンサートまでにはすっかり醒めていました。スピリッツは早い!)
今はメルボルン・コンサートホールの周りが工事中なのでちょっと違う道を通ったりして。
11月ともなると午後7時過ぎでも昼のように明るいです。
どこのレストランも外の席が満員。
そしてその後メルボルン・タウン・ホールへコンサートに。
シャルル・デュトワ指揮ということで本当に楽しみにしていたコンサート♪
プログラムはラヴェルの「スペイン狂詩曲」、ベルリオーズの「夏の夜」、そしてリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」でした。色っぽい曲揃い!
座った席はバルコニーの最後列のわりと端っこの方で、器楽に関しては文句ない音響なのですがベルリオーズでの歌手の言葉がわりと聞き取りづらくてそこはちょっと残念。
コントラフォルテ(コントラファゴットの改良版)の音量がその席からも「あら、こんなに大きい音でラヴェルには大丈夫かな」というほどだったのですが・・・
ラヴェル、なんだか魔法でした。
第1楽章のテンポの流れの心地よさとか、色彩のきらきらとか。
第 2楽章ではちょっとアンサンブル危ういところもありましたが、コントラフォルテがすごかったのもここ。ベース的な楽器がコントラファゴットのパートしかないところで他の楽器を支えるにはコントラファゴットの音量と音質だとちょっと頼りない、だからコントラフォルテのしっかりさが輝いていました。
第4楽章のフェリア、ものすごく好きな楽章なんですがものすごく見事にまとまっててものすごくエキサイティングでした♪全体的に夜の雰囲気があるこの曲のなかで夜のお祭りのように華やかで楽しくて。もともと短めの曲なのですがあっというまだった!
ベルリオーズは他の2曲と比べるとあまり親しくない曲なのですが、久しぶりに聴けて良かったです。
もともとベルリオーズって音楽の感情が(本人の感情も割と、なんですが)ころころ変わったり、2つも3つもの感情を同時に表現しちゃったりするのである意味ちょっと難しい作曲家ではありますが、メゾ・ソプラノのChristianne Stotijnの歌声はそんな変わり者ベルリオーズの心の世界を豊かに表現していました。メゾならではのリッチさというか、幅の広い暖かさというか。
第1楽章は上記席の位置の関係かちょっと「ん?」という感じだったのですが第2楽章「薔薇の精」なんか歌声もオケも音と感情の色彩にあふれてて。第3楽章の深みもかみしめちゃいました。
オケに限って言えば最終楽章「未知の島」が良かったです。指揮者の感性ももちろんそうなんですが、奏者の感性もなかなかだなーと思いました。
そしてメインディッシュのシェヘラザード。
みんなにとって見せ場のある、そして楽しい曲ですがシェヘラザードの主役はコンサートマスター。私にとってはコンマス名曲ナンバーワンです。
ただメル響の場合は女性なので厳密に言えば「コンサートミストレス」。フィジー出身の女性で、私の友達の先生だったりもします。まさに「賢姫」で色っぽいシェヘラザードという姫君の物語を紡ぐ姿を芯の通った美しい音で表現してくれました。
やっぱりシェヘラザードのソロは女性の演奏が一番いいなあ♪
なんといってもこの曲は終始贅沢でしたね!
まずデュトワの曲の解釈と表現がいちいちセンスが素晴らしくて。ちょっとあっさりめなのですが、全然物足りないことはなくちょうど良い感じで、すみずみにわたってさりげない気配りとロマン、色気にあふれてました。
そして奏者も・・・先ほどのコンマスもそうですし、打楽器セクションのかっこよさだったり・・・あとクラリネット奏者が素晴らしかった!
でも一番は大学時代に隣で弾いたこともあるハープ奏者の音。力強さ、繊細さ・・・やっぱり私の憧れの音です。
あとバイオリンセクションが頑張ってた!なんだかものすごく嬉しかったです。
45 分ほどの曲全体を通じてどこで誰をみればいいか分かるくらい何回も聴いて(あと1回弾いて)ものすごくよく知ってる曲なのですが、「聴き終わりたくない!」と思わず念じてしまうほどの演奏は初めてでした。第4楽章で「船沈むな船沈むな」とずーっと願ってしまった(笑)(船が沈むと曲ももう終わりに近づくので)
心から楽しみましたし、心の洗濯というか、良いことかき混ぜて普段外気に触れてない心の部分も新鮮な空気に触れられた気分です。
メル響は私はこれで最後のコンサート鑑賞ですが、2011年シーズンもまた楽しみにしています。
メル響は感性があって、元気で、いいオケなので。
昨日のプログラムみたいな曲だと特にそうなのですが、おとなしすぎるよりは元気すぎるほうが全然良いですね!過ぎたるは及ばざるがごとしなんて言葉がありますがそれよりもToo much is better than too littleだと思います、音楽の演奏は。
そして別にオケ関係で考えることもあったりで。それはまた後の話になるのですが・・・
いろんな意味で元気がつきました。もっとこれからもいい音楽に触れあわなきゃ。触れあいたい。
今日の一曲: ニコライ・リムスキー=コルサコフ シェヘラザード 第1楽章
普段シェヘラザードの各楽章をバラで聴くときたいてい抜かしてしまうこの楽章。
シェヘラザードの語りであるバイオリンのソロが一番贅沢に聴ける楽章ではあるんですが、他の楽章が魅力的すぎる、というのもありますしこの楽章の材料の多くが他の楽章に引用されてるので・・・
かなりこの曲全体何回も聴いてきてるんでどうしても、ね・・・
スルタンのテーマと思われる序奏の後に、シェヘラザードが「昔々・・・」と語り始めるのはシンドバッドの航海の物語。
波がうねるような音のモチーフだったり、帆に吹き付ける風のような音のモチーフだったり。ちょっとオーバーでロマンチックなところがおとぎ話風。海原の大きさもシンドバッドの志もふくらみます。
バイオリンソロの妖艶さももちろん聞き所ですが、私のちょっとしたお気に入りは波のモチーフをチェロのソロ一人で担うところ。チェロの音と音域の豊かさが嬉しくて。あと映画で言うとカメラをアップにしたみたいな効果がなんだかびっくり。
リムスキー=コルサコフはとにかく楽器使いが上手い!
オケを一体として世界を創りだしながら、奏者にとっても見せ所を作ったり。
音楽的にも、演奏的にもものすごく充実した音楽を書きます。
スコアを読むだけでもそのメカニズムが感じ取れますのでスコアを読みながら聴くのもオススメです。
シェヘラザードは・・・とにかくいいですよ。ロマンがあります。良いオケで聴くとなんだかちょっと贅沢な気分になりますね。
そしてやっぱり何よりもコンサートマスターの名曲ナンバーワン(私調べ)。バイオリンの真髄をすみずみまで味わってみてください♪
