忍者ブログ
~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「その人のため」ってなんだろう
家事復帰と言いながら今日は一日仕事+夕飯は昨日の残りのインドカレー(デリバリー。私の住んでるところはインド人地区なのでおいしいインドカレーが手軽に食べれるのです)だったので結局した家事は皿洗いだけでした(笑)
それにしてもココナツ入り羊肉カレーおいしいですね(Lamb Madrasだったかな)。

今日は精神関係カテゴリでメモしてあるエントリーのうちでは最後になります。
これまでと同じく自分の中で強く思っていることですが、他のエントリーと比べて自分に言い聞かせる、自分を戒める・・・というかこうならないとな、と強く思う、自分に向けた部分が大きいエントリーです。

よく「うつの人に「頑張って」って言っちゃ行けないの?」という質問を色んなところで見かけます。
そしてそれに対していろんな答えがあって結局どういうことなんだろう、という反応も見かけますが・・・

精神疾患を患ったり、心の不調を抱えていたりする人に対しての接し方がマニュアルのようにあるということは全くありません。
そういったところでもう一つ言いたいのは、マニュアルがないからってそこまで人が思うほど難しくない、ということ。
やっぱりキーは他のエントリーでのトピックと同じく知識と共感ではないか、と思います。

身近な例なのでうつについて話を進めさせてもらいます。
うつの主な症状をざっと(ざっとです)挙げると例えばこういうものがあります。
感情: 気分の落ち込み、制御できない感情の変動、恐怖・疑心などネガティブな感情の増幅
思考: 悲観的思考、疑い深さ、論理的・常識的に考えられない
行動: 活動低下、おっくうさ、無力感

こういう症状(もちろん現れる症状、影響には個人差が多いですが)がうつにかかった人にどう影響するか、どう人を変えるか、ということを知ることによってその人がどういう事を感じているか、どういった状態になってるかが想像できて、感じられて、それにより「その人のため」(そして自分のため)に何をすることがいいのかが分かってくるのではないかと思います。

患者さんの行動には理不尽で周りを傷つけるものもありますし、普通の論理や常識を説いても分かってくれない場合もありますし、「普通とは違う」精神状態にある人を前に理解に苦しんだり、恐怖に感じることもあります。
ただ患者さんの行動には病気なりの、普通の状態での「常識」とは違う心理だったり仕組みだったりがあるのです。
どうしてもちゃんと論理的に考えられない、悲観的な思考にねじまがり逃げてしまい周りの人の話に耳を貸してくれなかったり、キレたり、治療に非協力的になったり・・・でもそれでもその人の健康のため、そして自身を守るために何をしなくちゃいけないのか、患者さんの状態と症状を理解し共感して考えることでお互いへのダメージも減ると思います。

そして決してそれは患者さんを腫れ物や壊れ物のように扱う、という意味ではありません。
そうすればするほど周りの人のストレスや負担も増えますし、患者さん自身で悪循環に入って出られなくなり状態がさらに悪化する、ということもあります(正しい対処をとらないことによって)。
その人の為に、自分を守るために周りの人は「正しいこと」をたまには無理にでもしなければならない・・・その理由は何よりも患者さんの言うこと・望むことがかならずしも患者さんのためになるとは限らない、ということに尽きると思います。
なぜなら患者さんの思考も病気に影響されている、ということがたびたびあるから。

病気ではないのですがちょっと自分のケーススタディで例を。
今はかなり病気がコントロールできてる私ですが、もともとの気質で何かと無茶をしたくなる性質があるのと、あとうつで動いて何かをしたくてもできない経験の辛さから動けるときは可能な限り動きたい、という行動&思考パターンからたまにばたんきゅーなんてこともあります。
何かをしたい意欲があることも良いことですし、がんばれる力があることもいいことなんですが、それでも無茶になって結果自分に不調をもたらすようなことは防がなきゃいけなくて。
自分も気づける範囲でなるべくブレーキをかけるようにしてますが、周りの人もそういうときは「ちゃんと休むんだよ」とか声をかけてくれます。
私の健康のために私の望みに逆らってでも正しいことをしてくれます。

こうやって私がここまで書いたことで一つも単純になったことはないような気がします。
ただもっとたくさんの人に知って欲しいのは、誰でも精神疾患や心の不調を抱える可能性はあり、つまりは誰でも感情や思考や行動がゆがみ、自分が見えず、苦しさのなかで自分の本当の意志や望みとは別のところで症状にむしばまれるそういった状態に陥る可能性があるのです。
うつだったり精神疾患になってから自分がそういった人を傷つけたり迷惑をかけないなんて保証はどこにもなくて。そういう病気にかかってからどんな症状が現れて、どういう風に自分に影響するかなんて分からないものなのです。

だからこそ知らない顔をせず精神疾患や心の不調の症状や経験、苦しみ、どんな状態になるか、どう人の心がひずむかを知り、自分の心に感じることが大切で。
また、それを心に留め「それなら苦しんでいる人のために自分の心をも守りながら何をするのが正しいのか」ということを考え、行動に移すことが大切なのかな、と思います。

最初にも言いましたがここまで書いていたことは自分に言い聞かせている部分も多いです。
自分のケアにももちろん大切なことですし、私の「メンタルヘルスでしたいこと」の大切な要素であり、そもそもの理由の一つなので・・・
とりあえずは知識から、というアプローチの方が(精神医の言うように)私には合ってるのですが「共感」の方もわすれず進んでいきたいな、と思います。

さてさて、これで一連のメンタルヘルステーマはとりあえず終わり。
次回は久しぶりに音楽エントリーにしたいです!


今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー チェロと管弦楽のための「奇想的小品」



チャイコフスキーの音楽・・・というのは結構曲によって私は好き嫌いが細かかったり激しかったりで。
例えば今日のこの曲と同じくチェロと管弦楽のための「ロココの主題による変奏曲」だとなかなか神経に合わなかったり、でも交響曲第6番「悲愴」やくるみ割り人形は好きだったり。
そんななかこの「奇想的小品」、じわじわと最近心の片隅で上手くおさまっております。

とりあえず色々と平均以上にはそろってるんですよね。
チェロのロマンチックな音色と技巧だったり、チャイコフスキーの土臭いセンチメンタルな(注:私が言うとかなりのお世辞です)ロシアロマンの雰囲気だったり、ちょっとLightheartedなエレガントな女性的なエレメントだったり。
メインディッシュにはならないけれど、でもデザートにしたらなかなか贅沢で美味な曲、という印象が強いです。
(チャイコフスキーはスイーツ的音楽が得意ですね♪)

あくまで「小品」なのですが、もしかしたらもしかするとチェリスト的な演奏・性格に関する気質には「ロココ」よりもこっちが合うんじゃないかな?ロココは割と技巧があって華やかだけれど、音楽的な深さとかに欠けてて、なんといっても底抜けに明るいのがちょっぴり物足りないかなーと。
その分こっちはちょっと粋なメランコリーだったり、チャイコフスキーの内気な性格だったりロシア的な暗さだったりが味わい深いかなーなんて元チェリスト並みに思って見たり(もごもご)

私は軽快か重厚でいったらチャイコフスキーなどの音楽は重厚派で、昔サン=サーンスの協奏曲を途中で諦めた時に「あんまり軽いのは好きじゃないでしょ」と友人に理由をずばり当てられたというエピソードがあるほどの気質なのですが、この曲の軽さは不思議と心を持ってかれますね。
おそらくロ短調という重厚派の調がうまいとこ軽すぎないように調整してくれるのか。

実はあんまりこの曲を巷でも聴かないのですがチャイコフスキーの音楽としてもチェロの音楽としても上質なデザート・スイーツだと思いますし、案外結構ツボります。
切ないエレガントさがやっぱりたまらない!のですがこの曲、今の日本の秋の陽気にぴったりなんじゃないか、と思いますね~
秋~冬はチャイコフスキーの音楽が特に心にしみる季節。是非是非この曲をデザートに♪

拍手[0回]

PR
曖昧なグレー、冷たいグレー
朝仕事して、そのあとずーっと休みました。
これからステンドグラスや執筆なんかの作業にも戻れるかな~。
明日もきっと仕事があり、そして家事復帰。
ピアノもレッスンを近いうちに先生にお願いしたいので練習にも早く戻りたい・・・とやりたいことばかり。

とりあえずブログのほうはメンタルヘルスのトピックに。
(音楽の話はもちょっと先になります。しばしお付き合いください。)

精神疾患を患っている人に対してのスティグマや偏見も大きな問題ですが、その「診断」という境界のあたりのグレーゾーン、ということにも大きな社会的な問題が存在するような気がします。
例えば日本ではよく「なんちゃってうつ」などの、病気と診断されていない(または診断されているか他の人には分からない)人たちが周りに迷惑をかけることが問題されていますが・・・

そういったメンタルヘルスのグレーゾーンにいる人々は、「病気ではないのに」迷惑な行動をする「迷惑な存在」として扱われていますが・・・
そういう人はうつでなくても、病気と診断されていなくても自分の心に問題を抱えていることには間違いなく、そして自分でその問題・気持ちに対してどういった対処をしたらいいものかわからない状態にあり、おそらくは自分の心や状態を冷静に見る能力ができないほどその問題が進んでいる、という状態にあると思います。
例えその状態がその人の性格などに起因するものだとしても、その人が苦しんで迷っていることにはかわりなく、健常者にできるその対処や心のコントロールができないからといって冷たくするのは違うんじゃないかな、と随分と前から思っていました。

で、このグレーゾーンがやっぱりそういった人達のこれからに関して重要なところではないかと思うのです。
その人が立ち直れるか、それとも病気への道を転がっていってしまうのか、その分かれ道。
7月以来ずっと強調している「早期発見」そのままなんですよね。
このグレーゾーンの時にそういった方々が正しい対応をとられるか(自分でも、そしてこういう自分が見えない状態のときは周りの人も)で進む道が分かれるといっても過言ではないと思います。

もう一つ問題だと思うのはそういった「なんちゃって」だったりグレーゾーンの人に対するそういった風当たりの強さの弊害といいますか、「診断を求めて」お医者さんに行ったり、ネットでの診断を鵜呑みにする人達がいたり・・・そういったことを初めとしていろいろと精神のお医者さんにとって負担になることもある、という側面。
同時に病気だと診断されたらそれでいい、許してもらえるといった患者さんの甘えの態度も同じ原因から生じていると思います。グレーゾーンへの風当たりの強さが故に、そうやって診断され病名を与えられることによってくくりに入れられ、そこである程度の辛さが減少するので安心してしまう、という。

精神疾患の診断基準自体ものすごく曖昧なところがあります。
白黒がつけられないエリアに、そうやって診断という白黒をつけようとする風流がスティグマに関する色々を初めとして早期発見・早期対処を妨げているのでは、という印象を受けます。
病気でなくとも苦しんでいる人には助けが必要ですし、いつでもどんな場合でも自分の心にコントロールがきく、自分の心を強く保てて冷静に問題に対処にできるなんていう人はいないわけですから、グレーゾーンの人を邪険に扱わず、そういった人が病気になってしまわないようにすることが必要で・・・
むしろ白黒をつけることなく対処することが必要なのかもしれません。

日本での人々のグレーゾーンの人に対する冷たさ、というのはネット上ですが、過去に身を以て私自身経験しています。
確かに心になんらかの問題を抱えている人だったり、精神疾患を抱えている人は、それが症状の影響もあってしょうがないことだとしても、人を傷つけたり、不快にさせたり、迷惑をかけたりと言うことがあることには違いありません。
ただそういう人を冷たくあしらったり、遠ざけたりするよりもお互いにとってもっと良い対処法があるのです。
前回のエントリの話に戻るのですが、やはりそこで一般の人が「知らない」というのが一番問題なのであって。
必ずしもそういう人に出会った、またはアプローチされた人がなんとかしなければいけない、というわけではないこと。その人が適切に助けを得られるところに誘導する、というそれだけでも済む場合もあるのです。
患者さんも迷ってて、アプローチされた人も迷ってその結果拒絶だったり傷つけたりだったりすることが起きることと比べたらその「正しい対応」がシンプルでお互いにとってどれだけ良いものか、それをもっと広く知って欲しいな、といつも思っています。

健常者も患者さんも含めてみんなが自分や他人の心の苦しみに対する対処法を知ることもそうですし、みんながお互いの苦しさに共感して(その人の苦しみを理解して共感すれば冷たくなんてあしらえないはず、と思う私は甘いのでしょうか・・・)、心の苦しみを病気になるずっと手前に察知し、病気を防ぐことができたら・・・と。
どこへ困っている人を誘導するか、そして困ったときどこへ行ったらいいか(自分で分かっていたらあるいは迷惑だと感じるような人にアプローチせずに済みますものね)、そしてどう自分や周りの人が心のケアをしたらいいか。
知る、分かることがこのトピックでも大切です。

まだまだ未熟な私ですが、あんまりこの病気になる手前の「グレーゾーン」についてはあまり話を見ないような気がしたので今日こうやってまとめてみました。
そういう「なんちゃってうつ」だったりする人は、性格的にもこれからうつになる要素がかなりそろっている場合も多くあると思うので、白黒つけずにグレーゾーンのケアがもっと施されるようになればいいな、と自身の経験からも思います。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「幽霊」より 「The Night in Silence under Many a Star」(第1楽章、第6楽章)



前々から私は「クラムを弾く演奏家は魔術師である」との持論をこっそり(あ、twitterで一回つぶやきましたか)持っています。

楽器の持っているポテンシャルを引き出し、クラムの表現したかった無限の世界と自身の無限の想像力を表現し、残響や空間、時間を操る魔術師。私もそんな魔術師になりたいなあ、とアップライトピアノの有限さをひしひし感じている魔術師の卵ですが(弟子ではないです。クラムに関しちゃ師はいません)・・・

今いる「魔術師」の中でも最高の魔術師だと思うのがメゾソプラノ歌手ジャン・デガエターニ
クラムの音楽の初演を数多く手がけていて、メシアンにとってマダム・ロリオがそうだったようにクラムの声楽曲の多くが彼女の為に、彼女の声と技巧を前提に書かれています。
(余談ですがマクロコスモス第2巻第1楽章は彼女のイニシャル入りです。)

彼女の声使いはまさに魔術師。
声の質、表現の域、そしてクラムが例えば楽器だと特殊奏法を持って表現するその特殊な表現を見事に声で再現する力!声ってこんなに表現出来たんだ!という驚きもありますし、本当に心揺さぶられる世界です。
現代音楽全般声楽家にとってはかなり難しいらしいですけど、本当に彼女は頭一つ抜き出でています。

クラムが音楽で得意な時間帯といえば夜。
この「幽霊(Apparition)」はそんな夜のちょっと不気味で神秘的で、例えば夏の夜のあの独特ななめらかで生暖かい風を描写しているような曲。
息の長い、クラム的技巧をちりばめた声のパートを伴奏するピアノのパート(ピアノと声だけだなんてぱっと聴きには信じられないSoundscapeですね)。
ピアノの中の弦を直接ぽろろんとはじくあの音が、ギターとは違った・・・やはりどこか「幽霊」的な不思議な響きで。やみつきになりますね(弾くほうも聞く方も)。

メシアンもクラムもシェーンベルクも、私もちょっと現代音楽は声楽は聴きにくいかな、とどうしても感じてしまうのですが、この「The Night in Silence under Many a Star」で入るのは断然アリだと思います。
やはりデガエターニの声と表現力の素晴らしさもありますが、クラムの声楽曲としても、作品としても、さらに現代音楽の声楽曲としてもかなりききやすい、イメージが分かりやすい方だと思います。

で、これでだめだと感じた場合・・・とりあえずクラム(にしても他の作曲にしても)の器楽曲の聴きやすい方から入って、耳が慣れた頃にきいてみるのがお奨めです。
(私も器楽ルートから大抵入っています)

それにしてもこの曲、夏の夜に静かにワイン(赤でも白でも可)をテラス・ベランダ・縁側で飲みながらきくのによさそうですね。クラム全般是非夏の夜に!

拍手[0回]

忙しいHolidayでした!
行ってきました、Yarrawonga!
2泊3日、それも初日朝寝坊して夜の電車に乗らなければならなかったので(家で少し仕事済ませられましたが・・・)、しょっぱなから慌ただしい一人旅でした。
とりあえず写真を交えて。

Mulwala Bridge行ってきたのはVIC州とNSW州の境にある、VIC州北部の町Yarrawonga。
V/Lineという郊外までいく電車にSeymourまで乗って、そしてそこからバスで移動、全部で5時間ほどかかる遠い町。
VIC州側の町Yarrawongaと川・湖の向こうのNSW州の町Mulwalaは双子の町となっていて、写真の橋で繋がってます。ただこの橋を造る際に両州の政府が別々に行動したものだから違う高さ・方向に橋を造り出してしまって、無理矢理繋げた結果こういうぐにゃっとした橋になってしまったとか・・・・

Lake Mulwalaどうしてここに来たかというと、いつだったか家族とここら辺に旅行に来たときみたこの湖の景色が忘れられなかったから。
このLake Mulwalaはオーストラリア一長い川、マレー川にダムを造った際に出来た人工湖。元々生えていた木が湖に沈んだ形となってこういう景色を創り出しているのです。
(なんとこの湖、水位を下げて水を無くすことができるんですって!去年に藻の除去で抜いたらしいのですが、次に抜くのは3,4年後だそう)
フィッシングスポット、ウォータースポーツとしてはかなり有名でアクティブなエリアで、これからの季節はMurray Codが解禁になって大きな釣りイベントが行われ普段の数倍賑やかになるそうです。

Trees in the lake残念ながら季節に珍しく曇りで寒い天候だったのですが、湖のランチ(=BBQランチ付きの)クルーズに行ってきました。こんなに木に近づけた!
この木は根が水没して生きていないのですが、鳥たちには安全なたむろ場所、そして巣作りの場所になってるそうです。
ちゃっかりレモンライム・ウォッカ飲んだり、船上で流れるエルトン・ジョンの歌に合わせて小さい声で歌ったり。
そしてこの景色が好きすぎて湖の写真ばっかり撮っていました。

黒鳥親子そして普段は見ない鳥もいっぱいいたので鳥の写真も結構撮りました。
今の季節は繁殖・子育ての季節とあってひな鳥も結構みました。マグパイだったり(ほとんど大人なのですが、子供羽根が残ってて私が写真を撮りに近づいても対処がわからない!)、Wood Duckというカモだったり、そしてこの黒鳥。
ぽやぽやのヒナたちがかわいかったですよ♪

本当は泊まってるホテルのマッサージも受けるはずでしたが・・・件の遅刻でキャンセルに。ただその代わりに向こうで初めて知って出かけたところもありました。

時計博物館の時計そのうちの一つが時計博物館。
博物館、といっても個人の家の一部に時計やオルゴール、その他Collectablesを展示してあるところ。
入るとおじさんが一生懸命時計のネジを巻いてさまざまな鳩時計が動き出したり、振り子時計が揺れ始めたり。コインを入れると動くオルゴールもありますし、円盤設置型のオルゴールもあります。
そんな中こんなきらびやかな時計も。まるでヨーロッパにある大聖堂の様!他にも木製の時計でこういう聖堂型の時計がたくさんありました。昔は神棚みたい?とはいわないけど信仰的な意味もあったのかしら。

お気に入りの時計中でも一番好きだったのは入り口にあったコレ。

天文の動きの輪がついてる時計!あんまり詳しくはないんですけど素敵ですね~
これ部屋に置きたいなあ(でもわがままを言えば銀のがいいかも・・・)
いろいろと輪にラテン語やフランス語で書いてあるのが部分的にしかわからないのがかえって興味をそそりました!
手元に置きたい!いくらするんだ(略)

ここに行ったその足で次に行ったのはChinaman's Island。といっても島ではなく、ちょっと出っ張った半島のようなところ。湿地などがあって一帯にはネイティブの植物や鳥がたくさんあります。

自転車を借りるとことが(オフシーズンなので)なかったので徒歩で行って徒歩で回りました。小さなWrenという鳥だったり、Cockatoo(白いオウム)だったり、他にもいろいろ可愛い鳥たちもいましたが、なんといっても途中からの湖の風景がすごかったのでパノラマ写真を撮ってみました。
panorama lake mulwala

(クリックしてくださいね~)
私パノラマ写真を撮るのが下手なのですがこれは結構上手くできたかも?

Japanese displayあ、そういえば今回泊まったところ、いろいろ戦争を忘れないために(結構あっちの地方の町にはLest we forgetのモニュメントなどが多いです)ということで戦車や戦闘機が外に飾ってあったり、レセプションの上の階に戦時からのものがいろいろ飾ってあったのですが、そんななかにこんなものが。
戦争中に日本軍から押収したものでしょうか、日本の方の名前がずらっと筆で記してあります。
知ってる人はちなみに載ってませんでしたが(当たり前!)


行きは真っ暗でしたが、帰りは昼で景色も良く見えました。家畜の仔だったり、みたことのない鳥だったり、先日の洪水の爪痕と思われる不自然な(木の生えてる)池だったり・・・オーストラリアの田舎って結構似通ったところが多いのですが、それでもオーストラリアの田舎の景色、好きですよ。
小さな町にちょこんと小さな教会があったり、農場が広がってたり。

そんなこんなで仕事も交えて小旅行。
なんといっても慌ただしかったですね~最後の朝仕事のちょっとわたわたが終わってからバスまでの時間が一番ゆったりしてたかなあ・・・
仕事は全然旅行先でやっても大丈夫ということが判明したのですが(夜は一人だと暇ですからね~)、やっぱり色々反省することはあり(汗)

一人でまた来てもいいな~と思いますね。賑やかで暖かいシーズンの平日とかに行きたいです。
マッサージとかスパも経験したいですし、ワイナリーツアーとかもバスで行きたいですし(今回はあらゆる理由でワインは全面的におあずけ)
もっと暖かくなると貸し自転車もあるみたいですし、なんといっても夕方にクルーズをやるみたいですしね~
ネットなどで見つけたLake Mulwalaの日没の写真を見て憧れてて・・・
それも湖の木はここ10年で(やっぱり水を流してから何年も経って限界が来ているからか)どんどん折れて無くなってるそうなので・・・是非来年にでも来たいです。

向こうでゆっくりするはずだったのですが、やーっと帰って来てゆっくり。
今日の一曲はお休みです~。

拍手[0回]

Neuroscience Mini-Symposium感想
今日は雨も降り春のはずなのに恐ろしく寒い中メルボルン大学の医学科であった神経科学のミニシンポジウムに行ってきました。
ミニシンポジウム、ということで6つほど研究のプレゼンがあって、神経科学の色んなエリアからの研究についての話を聞きました。こういう研究があるんだな、ということだったりこういう風に神経科学のデータをとるんだなあ、ということだったり面白かったです。

なんと言っても最初のプレゼンが「Blindsight」の話だったことでものすごく安心しました。
大学でちょっと聞いた話じゃん!と(笑)
Blindsightというのは目が見えない人があたかも目が見えるかのように何かの位置を指さすことができたり、障害物をよけたりすることができる現象のことで。
視覚情報は主に網膜→外側膝状体→一次視覚野をたどって処理されるのですが、一次視覚野に損傷があって意識的に視覚情報が感じられない状態でも何らかの別の経路により無意識に視覚情報が処理される、というメカニズムらしいです。
脳の様々な部分の繋がり、というのを示すのにわりかしシンプルで分かりやすい例なので大学1年の心理学でとりあげられてたのです。

2つめのプレゼンも脳の様々な部分の繋がりについてでした。
人間が何かをしたときに脳のどこが活動しているか、というのはfMRI画像で見ることができませんが、その活動しているエリア同士の繋がりだったり関係性などはわからないので、それを脳内にある様々なネットワークを比較したり分析したりすることによって脳の活動を解明していく、というような話でした。
結構一回聞いただけでは理解できないところもありました。なんというかそういうmapping、分析方法などにそう強くないので・・・(汗)こういうのは基礎からちゃんと理解しないとなあ・・・

3つめのプレゼンは結構私のツボにはまった、前頭前皮質→視床の結合核→海馬のコネクション。
まだ未発表の研究結果が主だというプレゼンで。
海馬は記憶を司る脳の部分として知られていますが、実は背部と腹部では機能が違うということにびっくり!
記憶を司るのは背部の方で、腹部では不安を中心とした感情を司っている、ということだそうです。
(でも例えば不安障害だったり、それ以外での恐怖と記憶の結びつきだったりを考えるとなるほど!と思いますねー)
で、前述3つの部分は人間や動物で「忍耐」だったり「衝動的な行動の制御」を司り、それらの間のコネクションはまだまだ分からないところも多いのですが・・・
こういった部分の損傷は統合失調症で見られたりして、行動の影響だったり薬物がどういう風にどこに効くか、ということに関する研究につながるそうです。

4つめのプレゼンは統合失調症に関連する遺伝的要素で、遺伝子を特定することに関する研究でした。(これも未発表の研究結果が主だったはず)
未だに遺伝学は好きなのですが全然話が分からなく(汗)でも最初の統合失調症の症状のカテゴリーの話だったり、抗精神病薬が実際に効いているのは精神病症状のところだけなんだ、という話だったり・・・
あとは精神病症状と陰性症状は関連がある、という話も面白かったです。
統合失調症は知っているようでほとんど知らない病気なのですが遺伝的だったり症状だったりアクティブに研究も行われている、患者さんも多い病気なので改めて勉強しなければ・・・

5つめのプレゼンは人間の判断能力について。
何かを見せたときに与えられたカテゴリーから「これだ」と認識し分類する能力、見せられた情報が判断を下すのに不十分だったときに当てずっぽうで推量する能力、そして視覚情報からカテゴリーなしで「○○だ」と認識する能力。
いまいち自分の中でまだ内容がこなれてないのですが、人間には与えられた情報が判断を下すのに不十分だったときに無意識に当てずっぽうで推量するメカニズムが備わってて、その当てずっぽうでの推量と似たようなメカニズムがカテゴリーなしのフリー認識&判断と似ている、というような話でした。

最後のプレゼンは蝸牛移植の歴史と現状、その未来について。
最近耳鼻咽喉科はちょっぴり勉強したので割とすっと入ってくる話でした。
まだまだ人工蝸牛では(補聴器とは違って)音の高さがうまく処理されなかったり、周りの騒音により聞こえにくかったりすることがあって、まだまだユーザー側の満足度がそう高くないとのこと。
やはり耳がある程度聞こえなくなってもなるべく自分の耳を使って生かすことが今は大切になるそうですが・・・
人間の耳の構造の繊細さ、そして緻密さには本当に驚くばかりです。

自分の何に役立つとか勉強になるとは今はちょっと実感しがたいのですが、こういう研究があって、こういう試験方法があって、もしかしたら将来自分も大学に戻って心理学をやる際にこういうことをするのかもしれない、と思うとなんだかわくわくしますし(臨床だったりメンタルヘルスの応用も心惹かれますが、研究もいいかも、とか思っちゃいますもん)、未発表の研究結果とかにもふれあえて今心理学、精神医学、神経科学などの分野でどういう課題があって、どういう研究がされているのかということも知れましたし。これから勉強しないとなあ、と思うこともこれから目指したいこともたくさん。
そういうこと一切抜いても面白い話が聞けてよかったと思います(笑)論文で読むのとはまたちょっと勝手が違って。
本当に旅行の前に行けて良かったです。

さて、明日の早朝からYarrawonga-Mulwalaに2泊3日の旅行です。
仕事の都合もあるのでホテルはネット接続があるところにしましたので主にtwitterの方に出没していることかと思います。
天気も寒いですがどうやら向こうはおおむね晴れるような事が書いてあるので暖かくして楽しみたいと思います。
マッサージ、クルーズ、ちょっぴりショッピング、食事、自転車・・・楽しみです。
写真もなるべく撮りたいですね。

帰ったら旅行の感想に引き続きメンタルヘルスでメモしたことについて書きたいです!
そしてあれだ、楽器と性格の話は順番的にトランペットあたりですしね。
帰ったら帰ったで(このブログ以外にも)いろいろありますが少しはこの週末羽根をのばせるといいな。


今日の一曲: ロベルト・シューマン 「おとぎの絵本」 第3楽章



今日の帰りのまあ寒いまあ風が横から殴り吹き付ける天気の中ipodで回ってきて「ああぴったりじゃん」としっくり来すぎて思わずがっくりきちゃったという訳の分からない経緯でチョイスしましたが・・・結構普段から思い入れの強い曲です。

「おとぎの絵本」はビオラとピアノのための曲集。
シューマンもまたよくいる「比較的晩年になぜかヴィオラを重用する作曲家」だったみたい・・・
あんまりシューマンとビオラっていうのが知っている曲のラインアップからも、音楽のスタイルからもあんまり繋がらなくて(むしろ弟子のブラームスの専門範囲だなあ・・・)。

でも「おとぎの」とか子供のイメージがある曲、というのはがっつり得意なんですよね、シューマンって。
シューマンの作曲した曲のリストにものすごくたくさん子供にまつわる曲の名前があってかなりびっくりします。
わりとビオラもイメージとしては素直で無垢なイメージがあるので名配役ではないでしょうか。

第3楽章は嵐のような暗い曲。
まるで突風が吹くような上下するアルペジオだったり、木々が揺れるようなトレモロ的パッセージだったり、ピアノもビオラも技巧とパワーを駆使して「絵本」の絵をビビッドに描写。
ビオラがこんなにパワーと機動力で魅せることができるんだ!というのがなんだかビオラ好きとしてはちょっぴり嬉しいです(笑)
もちろん暗さとか激しさとか、嵐を思わせるような音楽の独特の雰囲気もものすごく好きなのですが、ついつい「ビオラ頑張れ」と思ってしまうのですよ(笑)

私のもってる録音はビオラ友達のイチオシ!のTabea Zimmermannの演奏。(リンクしたのとは別のもの)
彼女の演奏をあんまりなーと書いてる本も見ましたが、聞いてなぜビオラ弾きがお奨めしたのかものすごく分かりました。
ハスキーでそれがセクシーなアルトボイスのような音の渋さ!
なんでしょう、バイオリンやチェロでは絶対聞けない音色と・・・なんというか、弾きっぷり。
シューマンは外向的な印象が強い音楽を書く作曲家ですが、ドイツ音楽に備わっているどっしりした堅実な感じがこの音でかなり表れてるみたいで、ビオラだったりシューマンだったりドイツだったりおとぎだったりそういったたくさんのものをうまくまとめて仲裁・仲介している気がして。

やっぱりビオラは音が渋い録音が一番だと思います。
先ほども言いましたがバイオリンにもない、チェロにもないビオラだけが持っている良いところを引き出すには派手で明るい音色よりも渋い方がいいのです。
その渋さなのかしら、いろんな作曲家が晩年になってからやっとビオラの良さを前に出した音楽を書くようになったのは。

最後に、ビオラという楽器はマイノリティで、レパートリーもかなり小さいのですが・・・
なかなかビオラ音楽でハズレって言うのには出会いません。(様々な理由でこの曲とカップリングされてることが多いブラームスのビオラソナタも良い曲ですしね~)
きっとビオラの音と曲は他のどんな楽器でも埋められないちょっとしたさりげない隙間を埋めてくれるんじゃないかなーと思います。なくても生きられるけど、あるとちょっぴり幸せになるみたいな。

ビオラの楽器と性格の話、書くのが楽しみだな~♪


拍手[0回]

知ることと繋げること・・・
先日ちょっとメンタルヘルスについて思うことがあった時が数日前にあって、そのときの熱はちょっとキープし損ねたのですがいくつかメモを残しておいたのでなんとかまとめたいと思います。
小旅行を挟んだりなんだりしながらいくつか書いていく予定なのでどうかよろしくお願いします。

私がメンタルヘルスのことを書くときにいつも強調したいと思っているのが「患者さんと周りの人、そして一般の人のなるべく多くがメンタルヘルスに対して正しい知識を持つこと」の大切さ。
もちろん経験からそうであって欲しいと強く思うのもありますが、やっと論理的になぜそれが大切なのか説明できるようになってきました。(まだまだ「なってきた」程度ですが)
こないだ他にメモしたことを書くのにも、そして他に「精神関係」カテゴリで色々書くにもきっと大事な前提になると思いますのでなんとか今日文にしてみたいと思います。

未知のことに対して恐怖を感じるのはごく自然なことで。
精神疾患を患う人に対してスティグマがあったり、そういった人を避けたりする傾向があるのはやはりそういう要素があるようです。何をするかわからない、どうやって接すればいいのかわからない、自分が行った一言でどんな影響があるか分からない、何かがあったときにどう対応すればいいのかわからない、考え方・感じ方が自分と違って分からない・・・
分からないのオンパレードです。
そしてその「分からない」が恐怖に繋がり、事実に基づかない偏見につながるという悪い方向に向かってしまいます・・・

そんな中、世の中にはいろんな精神疾患だったり他の心の不調だったりがあって、多くの人が精神疾患にかかったり、もっと多くの人がそれとは知らず苦しんでいたり、そしてそれよりまた多くの人が精神疾患ではないけれど精神の苦しみを一時的に抱えてたり(そのうち一部が精神疾患を患うようになったり)・・・
さらにそんな人達の周りでそういう人達に日常的に接したり、気遣ったり、心配する人がいて。
もはや精神疾患や心の不調は人ごとではすませられない問題で、なのに分からないことが多すぎる、というのはなんだかいけないような気がするのです。

メンタルヘルスについて知識を持つことの大事さに関して「早期発見」という大切な理由があります。
精神疾患はある日突然患うものではなく、じわじわと症状が行動、感情、思考に現れるもの・・・なのですが、発見されるのはいつも遅すぎる。
いつ誰に起こってもおかしくないその病気の早期の徴候に気づいていれば、投薬をしなくとも病気を軽度で食い止めることができたのに・・・と後悔する専門家、患者さんとその周りの人の多さ!
そして私も周りの人も私が最初に鬱になったときにかなり試行錯誤でおたがいぼろぼろになった経験があり・・・
「これはもしかしたら」と思ったときにとる対応を知っていれば(カウンセラー等にいくなりするとお互いの対応の仕方もアドバイスしてくれたりしますしね)患者さんも周りの人も迷わず傷つかずにすむ、そして迷い傷つくことにより患者さんの病状にネガティブな影響もあるということを身を以て思い知りました。
それに患者さんと周りの人両方が正しい知識を持ってスティグマのない環境を作っていれば患者さんによる医療不信、治療拒否を減らし、専門家を合わせた三者によるしっかりとした協力的な治療体制が築けるのではないか、と思います。

周りの人の理解が必要なのにも大事な理由があります。
特に精神疾患など心が不調な状態にある患者さんなどは自分の状態だったり自分の感情、思考や周りの状況、周りの人が言うことを病気の影響で冷静に、普段だったら理解できるのと同じように理解できないことがあります。
(これは同時に一般の人が病気になる前に正しい知識を身につけておくことが大事だということの理由でもあります。もしも心に不調をきたした場合病気に対しての知識があると「これは病気でねじまがった思考だな」とか自分でもわかり、病気の自分や周りへの影響を少しでも食い止めることができるので・・・)
そういった場合に周りの人が患者さんの病気に惑わされず、本当に患者さんのためになる対応が出来るためにも周りの人の理解がものすごく大事になってきます。

どんな症状があって、どんな対応をするか(自分で何かするまではいかなくとも、どんな専門家や関連団体・機関でサポートが得られるか、どこに連絡するべきか)を知っているだけでも自分が強く冷静にいられると思うんです。
例えばもしも近しい人(または知らない人)が目の前で不安関係の発作や症状を起こしたとき、関連した症状やその対応を知っていないと「どうしよう!」と恐怖を感じますが、知っていれば「大丈夫?」と少なくとも気遣う心を持てますし、その人の症状の改善を支えたり、お医者さんに連絡したり、もしもお医者さんにかかっていない場合どこで助けを求められるかなど冷静に対応することが出来ますよね。
そして自分で理解できないことが起こったことは恐怖、そして間接的に偏見に繋がりますが、自分でなにかが出来た、ということは自信につながります。

もちろん知識を「知る」だけでは不十分です。どんな知識でもそうですが、メンタルヘルスに関しては他人の心に直接関わる問題なので、共感することがものすごく大切です。
英語ではSympathy(同情とよく訳されます)とEmpathy(共感とよく訳されます)という2つの言葉があります。Sympathyはメンタルヘルスの分野で言うとどっちかというと感情を自分とは切り離して感じるものなのですが、Empathyは相手の身になって相手の苦しみなどを心に感じることを指す言葉です。
辛さを相手の身になって感じて初めて分かることもたくさんありますし、共感しないと患者さんのために本当に正しいことはできません。相手の辛さを感じなければ相手の気持ちに真摯に向き合えませんしね。
ただ、逆に症状だったりに関して知識がないと(患者さんの思考などが普通と「違う」状態なので)そうやって共感することは難しいので知識も共感も両方必要です。

知識の乱用はメンタルヘルスに限らずどんな分野でも問題です。
医療の現場でも患者さんがインターネットやメディアなどで得た知識をふりかざすことが問題になっているようで、例えばメンタルヘルスだとうつのチェックリストに当てはまったから自分はうつだと主張する患者さんがいるという話や、日本で「なんちゃって」うつと呼ばれる人達がいるという話を新聞などでよく読みます。
ここらに関連した話は後日のエントリーで取り扱いたいと思いますが(別にメモがあるので)、そういった人たちも問題的な患者や人だから対応は必要ないとか邪険に扱って良いとかいう話ではなく、そういう知識を求めた動機や乱用に至ってしまった思考のゆがみなどを考えて対応していかないといけない、という側面もあります。

知識は使いよう、そして共感と合わせて初めて生きるもの。
メンタルヘルスの知識は決して難しいものではなく、ちゃんとしたところに行けば正しく分かりやすい情報があります。それが日本ではどこか、というのは私は詳しくないのですが・・・
とりあえず厚生労働省の「みんなのメンタルヘルス」、「こころの耳」(働く人のための)、「こころもメンテしよう」(若い人のための)などのサイトの存在を確認しています。評価するほど詳細は存じません。すみません。
オーストラリアで筆頭に上がるのはオーストラリアでのメンタルヘルスについての正しい情報の広報、さらにはメンタルヘルスをオープンに語れるようにすることについて多大な貢献をした「Beyond Blue」を初めとした諸団体が一般向けにいろいろ情報を提供しています。

知ること、共感すること、そしてそれを元に何かをすること・・・
それらをする事で見えること、そしてそれらによりどれだけのことが変わるか。
そして自分に何かができることを認識すること。
ある日突然できるようになることではありませんがまずは少しでもわかっていただけたらと思って語らせていただきました。
このエントリーはあくまでも「知ること」が中心で、まだ「すること」についてはあまり触れていませんが、「知ること」と「共感すること」がその「すること」にいずれ繋がる(大きなステップに感じるところですが)基盤になることをまず伝えたかったので・・・(あと「すること」に関して私が語れる自信はまだイマイチないので・・・すみません)
でもそれで何かが(特に偏見などのエリアで)大きく変わる、と信じているので。
みんなに知って欲しいな、そして少しでも伝わってくれればいいな、とDown underの隅から願っています。


今日の一曲: ガブリエル・フォーレ ピアノ四重奏曲第1番 第1楽章



ピアニストが室内楽をやる場合一番人気はピアノ三重奏ですが、私はピアノ四重奏が贔屓です~という話をちらと以前何回かしたような・・・
ピアノ三重奏は一人一人が独立したソリストで、ピアノ五重奏はピアノ+弦楽四重奏に別れてて。そんななかピアノ四重奏はピアノとバイオリンとビオラとチェロ一人ずつが対等に支え合って親密にアンサンブルを奏でる、という個人的な持論なのです。

フォーレのこのピアノ四重奏曲第1番、調がハ短調なのですがブラームスのピアノ四重奏曲第3番、リヒャルト・シュトラウスのピアノ四重奏曲第1番もハ短調。偉大な・・・というか私の好きな(笑)ピアノ四重奏曲にはハ短調が多いという役に立たないトリビア以上です。

一度「室内楽でブラームスとか弾いてきたんだけど何かちょっと違うのないかなあ」というビオラ友達にお勧めしたのがこの曲で。確かに室内楽でドイツやロシアのがっつり系作品が多く弾かれる中フォーレのこの四重奏曲はひと味違った新鮮な風。

実際この第1楽章は風っぽい気がしますね。縦のハーモニーよりも横のそれぞれの楽器のメロディーが絡み合ったり、共に流れたり、ふっと途切れたり別の方向から入って来たり。
フォーレらしい暖かい柔らかでロマンチックな・・・春のような、秋のような、なんともいえない心地良く切ない音楽の流れが本当に今の季節(日本もオーストラリアも!)親身に感じられます♪

ロマン派、というのは(世界史百科で読みましたが)ドイツの国民性というかアイデンティティと強く結びついているものなのでフランスではあんまりメジャーではなかったのですが、フォーレやフランクなど、フランス独特の感性をロマン派の(ドイツ的なところ以外の)スピリットと上手く融合させた作曲家もいて。
実際それがすっごくナイスコンビネーションで、ロマンチックかつフランス的なことはこの曲でもものすごく分かると思います。

いつも今日の一曲ではここのこの楽器のこのパッセージがかっこいいんだ!とかこのハーモニーにやられた!とかいう傾向があるのですが、この曲に関してはピアノの音も、バイオリンの音も、ビオラの音も、チェロの音も、そしてその全ての融合も、ハーモニーも、メロディーも、雰囲気も・・・全部がほどよく心地良く、美しく。
ここで個々を、そして総合的にその素晴らしさを語ることは私のつたない言葉とまとめスキルでは無理です(笑)

秋だったり春だったり、季節の温度と色彩をふと感じたときにそっとかけて欲しいな、と思う曲です。

拍手[0回]