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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Ades@ANAM 感想
最近バドミントンやコンサートでサウスメルボルンに行ってばかりですが(いっそ住みたい!)、昨日もまた国立アカデミーにコンサートを聴きに行ってきました。
なんでもイギリス人作曲家トマス・アデズが来豪して彼の曲を始め指揮・演奏を担当とするとのことで結構わくわくしてこの日をまっていたのです。

アデズの音楽に出会ったのは大学の時。親しい友達を通じてピアノ音楽からオケ音楽や室内楽音楽を知り、その色彩の透明さと音の世界にたちまち惚れてしまいました。
調べてみるとイギリスの作曲家でいまも存命、それどころか1971年生まれというかなり若い作曲家だということにものすごく驚いてしまいました。音楽を聴いているとなんだか独特の世界がものすごく完成してて、ブレがなくて。
あと今まであまりアデズの音楽を生で聴いた事がなく、昨日はものすごくそういう意味でも楽しみでした。

コンサートしてはいろいろと異色とも言える部分がありました。
例えばプログラムの組み方。アデズ自身の曲も勿論入ってますが、それがフランスのバロック音楽と組み合わせられていて。特に前半はクープランのLes Baricades Mysterieusesをアデズのアンサンブル編曲版で、そしてオリジナルのハープシコード版で(アデズ演奏)、さらにアデズのクープランの音楽をモチーフとしたThree Studies from Couperinを演奏、と曲の組み合わせ以上の意味でスタイルがうまく融合されていました。

あとはやっぱりプログラムの組み合わせに凝った結果かステージのセットアップがころころ変わるコンサートでしたね。結果音楽的に興味深いプログラムで、ものすごく効果的だったのですが裏方で働いた経験からちょっぴり裏方の人達は大変だなーと思わずにはいられませんでした(笑)

コンサートの雰囲気(音楽により創られた雰囲気)はなんだか予想とちょっと違いました。
あまりEarly music(バロック以前の音楽)を生で聴いた事がなかったのですが、その優しい音(特にフランスのバロック音楽だからですかね)と親密な雰囲気になんだかほんわかしました。大きなホールではなく、近くで内輪で楽しむ音楽も乙なものです。
アデズのThree Studies from Couperinも楽器使いは彼のスタイルですがフランスバロックのスピリットというか雰囲気を自分のものとしたような音楽で心をやんわりと打たれましたね~♪

そして後半のラモーの「ダルダニュス」からの組曲やクープランのLa Parnasse, ou L'apotheose de Corelliとアデズの室内交響曲の対比も良かったです。
室内交響曲はなんとアデズ19歳の作品!19歳であの楽器使いのうまさは反則的に天才的だなあ・・・曲自体はたまに聞くのですが、生で聞いてそのすごさを改めて実感しました。それに39歳になって19歳の時の作品を指揮するという形で新たな高みに持って行ける、というのも素晴らしいことですね。

アデズの音楽で素晴らしい、と思うのがすでに何回か言及していますが楽器の使い方。
特にクラリネット族(バスクラ、そして昨日は使われませんでしたがコントラバスクラリネット)のサウンドが弦と共に彼の音楽の透明で芯の強い性質を支えていて、その独特な透明さが大好きなのですが・・・
フルートとバスフルートのあのほんわかした音が今回のコンサートでは「優しいバロックの音」にものすごくぴったりで印象が強かったですね。
楽器使いに関しては実際アンサンブルを前にして目で見てみると、わりと不合理、と言いますか・・・ある意味では合理的なんですよね。望む音を創り出すために必要な楽器を必要な時に使う、という。ただアデズのサウンドは透明で繊細なので結果的に一つ一つのパートが断片的になるのかな、という風にとりあえず今理解しています。こうやって音で聞くと同時にメカニックが見えるとなんだか音楽のことも作曲家のことももちょっと知れるみたいで嬉しいです(笑)

国立アカデミーの音楽家達も、普段はあんまりフランスバロックもアデズの音楽のような今現在の音楽も日常的には触れあわないスタイルなのにさすがしっかり素晴らしい演奏をしてくれますね♪
私と一緒に大学に行った先輩、同級生、後輩達が活躍しててなんだかちょっぴりおいてかれた感があったりしてまた「演奏したい欲」「もっと活動的に音楽家でいたい欲」がちょっぴりあおられていますが・・・(汗)

なにはともあれ、ちょっぴりほんわかした、優しい気持ちになったコンサートでした。
フランスバロック音楽は私の弾いている音楽(特にラヴェルの音楽)の源だったり、影響していたりしますし・・・もしかしたらドイツ系のバロック音楽より自分に合ってるかも?なのでいつかクープランやラモーとお近づきになりたいな、と思ってます。


今日の一曲: ジャン=フィリップ・ラモー 「ダルダニュス」からの組曲より「Bruit de guerre pour Entr'acte」と「Sommeil, rondeau tendre」



昨日が初めましてだったこの曲。中でも印象に強く残る、対照的な2曲を選びました。
「Bruit de guerre」の方はまあなんとエネルギッシュな曲!バロック音楽はロマン派・現代音楽に比べておとなしいなんて思っちゃいけませんね。弦のパワフルさと太鼓の連打にわくわくしっぱなし。
例えばシェークスピア関連の映画でよく見る劇場での戯曲の始まりだったり、様々な踊りだったりルネッサンスやバロックの音楽シーンが頭の中でぱっと浮かぶような生き生きとした音楽です。

「Sommeil」の方は(先ほどの曲のすぐあとに弾かれましたが)全く反対の曲調。Sommeil=眠り。(メシアンもよく使う言葉なので知っていたり)弦のパートと全体的なハーモニーや雰囲気が眠るとき独特の呼吸だったり、重さだったり、夜の空気だったりをシンプルながら見事に表しているようでなんだかきゅんと来た一曲でした。

バロック音楽はフランスに限らずバッハやヴィヴァルディなどもこう・・・特有の表現言語、というか描写言語があって。でも知らなくてもものすごくストレートなので今回の「Sommeil」のように聞いて「ああ、なるほど」という、苦労しないで直感的になんだか暗号解けちゃった見たいな、外国語を聞いてみたら案外自分の言語と同じだったみたいな・・・例えが若干変ですがそういった「わかるわかる」的な感覚があって、それもまた楽しいです。

フランスのバロックのタッチやスタイル、なんだか本編の方でも書きましたようにふんわりとしていて、優しくて、愛らしくて。いつかものにしたいですし、もうちょっとお知り合いになったり触れあいたいです♪

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演奏、解釈、エトセトラ
先ほどTwitterのフォロー先さんと以前話していた楽器の特性にまつわる話でいろいろ調べてみたら以前くりひろげてしまった「24keysvirus」みたいなアルベール・ラヴィニャックによる調の特性の記載があったのでリンクしてみますね。
Wikipedia(日本語版):アルベール・ラヴィニャック
なんだか楽器や時代や音楽やらで変わってる部分もあり、共通点も多くありで嬉しいです。
この記事にはベルリオーズも楽器や調の特性について記述を残していると言うことなのですが、あの天才がなんと言ったのか、気になりますね。

今日は夕飯にハンバーグを作る時に今弾いているメシアンの「モリフクロウ」をいつものマイケルの録音でなくロジェール・ムラーロの録音で聴いてました・・・ところ、以前Twitterでつぶやいていた演奏と解釈の話が脳内で蘇ってきてしまいました。

作曲家が変わればスタイルも変わるように、演奏家が変われば同じ曲でも印象が全然かわる、これ基本ですね。
自分で購入したもの、大学の図書館で借りたもの合わせてメシアンの「20のまなざし」は録音を4つ(マダム・ロリオ、マイケル、ムラーロ、ベロフ)、ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」は3つ(キース・ジャレット、アシュケナージ、ニコラーエヴァ)持ってますし、他にも解釈や印象が偏らないように、そして視野を広げるために、さらに単なる楽しみのためになるべく複数録音を持つようにしています。

演奏する人、というのは不思議なポジションにいて。
他人の創った曲を、その作曲家の思いをくみ取りながら、自分の思いを表現する。
作曲家は全くの他人なので100%くみ取り思いを反映することもできず、だからといって他人の曲なので100%自分の表現でもなく・・・
なんでしょう、二次創作の創作者に似たポジションなんじゃないかなーといつも思っているのですが。

曲をかくぐらいですから作曲家側にも相当主張したいことはあるわけです。
なのでもちろん作曲側にとって奏者にあんまり自分の意図しないことはして欲しくない、というのが本音。
ラヴェルの初期の作品「古風なメヌエット」には過剰とも言えるくらいのクレッシェンドやフレージングの記号が書き入れられてたり。(あまり周りに納得のいくような奏者がいなかったのでしょうか・・・)
メシアンは信仰だったり共感覚だったりあまり多くの人と分かち合えないイメージが音楽の大黒柱になっていることが多いのを懸念してか、タイトルの下や前書きにたくさん文で説明を書いてます。音楽的にはなんだかなー、と思う反面やっぱりそういう記述があると彼の思っていること感じることをより深く・身近に感じられる、というのは思います。

大学でピアノの一番偉い先生は「新しく曲を習い始めるときは録音を聴かないように」という信条の持ち主で。
やっぱり耳で聞いてしまうと意識的にも無意識にもその録音の印象や解釈の影響を(賛同にも否定にも)受けてしまう、という理屈はよくわかるのですが・・・
自分は聴覚から(特に現代音楽の曲は)学ぶところが多いのもありますし、そもそも曲を習い始める前に曲を聞いて知っている場合があるわけですし(だから好きだってわかって弾くんですよ)。あとやっぱり聴いてみて初めて「こういう解釈もあるんだ」とか「これは確かにそうだよな」「これは違うな」という判断ができる、という理由もあって結構習い始めは録音を聴きます。

ただ自分の解釈がある程度固まると弾いている曲をぴたっと聴かなくなりますね。
ほかの解釈が許せなくなるわけでも、ぶれるのがいやなわけでもなくなんとなく・・・
私自身は結構奏者としてはかなり自分の主張が強い方、自分の道を行っちゃうほうではないかと思います。
もちろん作曲家の思いに曲を通じて共感し、それを演奏に反映させる行為も好きなのですが、自分が感じることを特定の曲を演奏するということを通じて表現したい!曲に触発されて表現したいことがたくさんある!という感じです。

自分は自分、と音楽である程度吹っ切れたのはメシアンとクラムに出会ってからでしょうか。
一見二者とも楽譜に細々と記述を残すので解釈の幅は狭まるかと思いきや、前の様々な時代の音楽よりも遙かにバラエティに富んだ解釈・演奏がある、半端なく自由な音楽で(特にクラム)。
クラムに関しては自分の中のイメージや世界、色彩と特に自然に結びつく傾向があるのですが、それでも「足りないかな?」「もっと自分(の想像力)を出しても良いのかな?」「もっと遊んで、冒険して、実験していいのかな?」と感じることもしばしば。

音楽を演奏・解釈するに当たって影響しているのは音楽に直接的に関わることばかりではありません。
ラヴェルの作曲に影響したの要因は彼のお母さんがバスク系でスペイン文化圏だったことがありますし、同時にお父さんがスイス人でメカいじりをする人だったこともあります。メシアンの作曲にはサン・トリニテ大聖堂のステンドグラスの色彩がイメージに影響があったと本人も言ってますしね。

私の場合小さいから好きな虫、恐竜、宇宙だったり、日本やオーストラリアの風土、気候、風景、色彩。ビーズの編み方、うつ・双極性障害を通しての経験。人のぬくもり、食べ物や飲み物の味・・・
そういったものの積み重ねで自分が成り立ってるのと同じくらいそういったものが意識的に、そして無意識に私の表現に(音楽もそうですが、他のものも)影響しているんだなあ、と思うと・・・なんだかピアノが弾きたくなってしまいました(注:メルボルン時間真夜中前です)。

自分で作曲する、ということではなく他の人の作った音楽に共感してそれを通して作曲家と自分、両方の思いや感情や時代、世界や色彩を表現する・・・という表現形態を私は音楽では進んでいるわけなのですが。
でもそれは今現在進行中のステンドグラスでも同じかな。このことについては詳しくは後ほどなんですけど・・・

毎日色々感じること、思うこと、学ぶことがあって、だからいつだって表現したくなって。
その「触発」というプロセスが本当に(演奏に限らず)快感でたまらないです。
もっともっと、現代音楽(特にクラム!)を弾きたい!

(PS. プロフィールとタイトル下の一文、変えてみました。ついでにTwitterのプロフィールも変えました。)


今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第4楽章「Twin Suns」



"Twin Suns (Doppelgaenger aus Ewigkeit)"=「双子の太陽(永遠からのドッペルゲンガー)」というタイトルのこの曲。
タイトルもミステリアスですが、楽譜面もまた「双子の太陽」の様にくるくるっと2つの円になってミステリアス。
第2巻フォーカスでやっていますが(今はちょっとアップライトなのでお休みですが)、この楽章は弾いててものすごくイメージ的に直感的で満足のいく「十八番」の一つです。

左の円(最初のセクション)と右の円(最後のセクション)はまるで正反対の双子のように性格が対照的。
爆発的に光り輝く左の円に、ピアノの中の弦を直接つま弾く暗い色彩の右の円。
私のこの曲のイメージに影響しているのが子供の頃宇宙の本でみた皆既日食の瞬間の太陽のコロナ。
(残念ながら実物はまだ見たことがないです!部分はありますが・・・)
左の円がコロナで、右の円が月によって隠された黒い部分、ということですね。

例えばこれが普通に真っ直ぐに表記されていたらどうなんだろう、ということを良く尋ねられるんですが・・・
楽譜の形がフレーズの長さに直接影響がある(そしてそれをよりストレートに可視化する)ということはありますし、何よりも直感的な印象、さらには無意識的なイメージにもかなりの影響があるんじゃないか、と思います。私は。

クラムの「マクロコスモス」=巨大な宇宙。そんななか「双子の太陽」は特に「宇宙」的な性格が強くて、短いながらも壮大なスケールのイメージを扱う素晴らしい曲です。
聴く方にとってはピアノでこれほど宇宙の壮大さだったり闇だったり言葉では表せない感覚が聴けてしまうのか、というのもありますし、弾く方にとってはピアノでその同じ物がこれだけストレートに、直感的に表現できるのか、というのもあります。
この曲を弾きたいのはもっともっと宇宙を感じたいとき。その果てなく思える闇と無の広がり、寂しさ、壮大さ・・・そしてそのなかで起こる巨大なイベント。自分の小さな両手とピアノでもっともっと突き詰めたい感覚です。

一回聴いただけではわりと「奇妙な」和音や音質の出てくる曲ではありますが、触発されやすい、音楽外のイメージを連想しやすい曲という意味ではクラムを知らない人に真っ先にお奨めできる曲です。

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ブログトピックドラフト会議
今日は夕飯に七味+一味唐辛子をまぶして焼いた鶏肉を食べたのですが、無性に冷やした白ワインが飲みたくなったのでJacob's CreekのSauvignon Blanc(2010年Reserve)を飲んじゃってます。食べながら飲んだらよかったな、と思うくらい余韻と良く合った!

そして今日は新しい家族がうちに来ました。
ヤドカリその1忙しくて全然ご挨拶も出来てないしふれあえてもいない、フライングも甚だしいのですが妹がヤドカリを3匹買ってきましたので写真をアップ。
前々からいるといいなあ、といってたのですがまさか今日買ってくるとは思わず(笑)
3匹とも元気そうな目のくりくりした可愛い子達。可愛いおうちに住ませてあげたいですし、今夜明日と適度にご挨拶+触れあいしたいとおもってます。

今日もなんだか疲れ気味。ピアノもしましたし勉強もしましたしもちろん家事もしましたしね・・・
まだまだ頭はそういったことだったり、例のステンドグラスのことだったり、創作だったりに忙しく逆に思考が渋滞状態になっていて・・・(そしてワインはもちろんその助けになりません!)
でもブログで書きたいこと、話したい事、というのは結構ストックがたまってるんです。まとめる思考がないだけで。
なので自分へちょっぴりNudgeの意味でもちょっとここにがーっと書いてみようかなーなんて・・・

前も書きましたが、現代音楽をもっと聴いて欲しい!な「お奨め現代音楽」記事は書きたいと思ってます。聴きやすく時代を表すような20世紀初期の音楽だったり、聴きにくいけどちょっと聞き込んだり背景をわかったりしたらなるほど、とはまってしまった曲だったり、逆に通でも「これどうかな・・・」というような曲だったり。
現代音楽は音楽自体に加えて時代柄だったり、何を表現していたかとか音楽の哲学が面白かったりするのでそこをつまらなくなく説明するのが難関なんですが・・・そしてどうその「アプローチのしがたさ」という壁を崩すか、ということは一旦ちゃんと考えてみたいなーとか。

お奨め音楽、に関しては他にもトピックがいくつか。
結婚式やお葬式などイベントにぴったりな曲とか(メンデルスゾーンとワーグナーの結婚行進曲はもう飽きた!という個人的な強烈な主張から来ているのですが)、季節や天候にぴったりな曲とか・・・
あとは「夜の音楽」というトピックで「夜」という時間帯とそれが示唆するものだったり描写だったり。
こういうトピックで絞ってお奨め曲について書いてみたり、キーワードに曲を割り当ててみたりというのはリサイタルプログラムを組みたい欲と人に音楽を勧めてみたい欲のどっちもを処理しようとしての試みといっても過言ではないのですがね(汗)

あとはジョージ・クラムの音楽について語りたい。
現代音楽に変な壁がある、というのもそうですが、クラムの音楽に関してはちょーっと誤解があるようだなあ、と前々から思っていて。
彼の音楽は実験音楽的なテクニック=特殊奏法は使っていても精神だったり目的だったりは別のところにあるのに、別の門からアプローチしちゃって勿体ない印象を抱いてるのかなあ、と・・・クラムを愛する音楽家として悶々とした気持ちを抱いているので。
とりあえず小旅行に持ってく論文ともう一つの論文でクラムの音楽をそれぞれ別方向から分析しているものがあるのでそれを読んでから・・・かな?

音楽の力、についてもいろいろ考えることが。
たとえば音楽の使われ方だったり使い方によってどんな力を持つか、だったり。
言葉のない器楽だけの音楽にとくに重きをおきたいな、と思っています(私自身が器楽ベースなので)。
近似のトピックで「癒し」という言葉への私なりの疑問とか。
それにまた近似のトピックでクラシック音楽って巷で(とくに日本で)思われてるようなものじゃないんだ、という。
何にしてもイメージや言葉で音楽の力をリミットしないで!という主張を取り巻くいろいろな考えです。

メンタルヘルスももちろん!
薬に頼らない、または薬物治療と同時に行う治療はこんなに様々な種類とオプションがあるんだぞ!ということとか・・・
ティーンセクションの話は何回かしましたが大人セクションに入院したときの話もしてみたいなあ、とか。
まだまだメンタルヘルスはいろいろ勉強しないと話せないこともありますし、勉強することで触発されることも多くあるのですが・・・
私が話すのをためらってたら自分の「メンタルヘルスの事について話せる環境と社会になったらいいな」という夢に一歩も近づけない気がするので慎重にならざるを得ないトピックでもたまには話していけたら、と思ってます。
もっとメンタルヘルスや心理学の勉強、そしてそれら関係の本を読まないと!

他にもブログのメイントピックにかかわらず創作(あ、メイントピックか?)、好きなもの、思いついたもの身の回りのことなど書いて行けたらなあ・・・と願ってはいますが。
どうしてもこう、今日みたいにまとまらない思いばっかりが渦巻くときもありますが、無理はしすぎずとも何かを形にしていければ、という思いでこのブログを続けております。

次回こそは、次回こそはぐだぐだでない文を書きたいと思います・・・!


今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 「サロメ」より「7つのヴェールの踊り」



多少二次創作にも足をつっこんでいる身なのですが、オスカー・ワイルドの「サロメ」をベースにしたリヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」はなんてすぐれた二次創作なんだろうとしょっちゅう舌を巻いています。
じっさいがっつりお知り合いの作品(文も音楽も)ではないのですが、新約聖書に一瞬出てくるだけの、ほとんど名も出ていないような人物をここまで複雑に仕立て上げれるのか!ということに関してただただ驚くばかりで。

義父のせいで性に対してある種の嫌悪感を持っている、純粋な少女が囚われの預言者ヨカナーン(またの名をヨハネ)に会ったことがきっかけでなんだか困った方向に感情と愛(かどうかも定かではないもの)が走ってしまう・・・その他の豹変も合わせて、なんでしょう、こんなアンチヒロインもまた珍しいですよね。でも女性という存在として同時にものすごく興味深い。

そんなんかの「7つのヴェールのダンス」。義父であるヘロデ王が彼の前でサロメが踊れば彼女の好きなものを何でも与える、と言ったことに目を光らせたサロメの渾身の舞。
解釈によりストリップ的な踊りだったりそうでなかったり、でも何にしてもものすごく官能的なテイストが強い踊り。

実はこのナンバーはオケ曲としてもかなり聴き応えがある曲で、独立して演奏されることもしばしば。
大学でコンサートの後半が同じくリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲とこれ、という一見無茶なような、でも楽しいコンサートをやったこともありました。

なんせ(普段はわりと好きじゃない作曲家ですが)楽器使いのマスターのシュトラウス。オケの一人一人にとってものすごく弾き甲斐のあるパートであり、感情的というか音楽的にもものすごく満足のいく曲。
木管楽器のそれぞれの音の妖艶さもぞくぞくしますし、ハープとチェレスタ(Yay)もあでやかな色彩で魅せますし、みんながサロメ♪(すごい表現だなあ)
なのでもちろん聴き手にも100%サロメ、サロメのたくさんの「女として顔」100%が伝わるような音楽なのです♪

もちろん最初に言いたいことは・・・チェレスタのパートに耳を傾けて欲しいです!なんせちょっぴり目立たないながらも名脇役で、リハーサルでも私が弾くとなんだか視線を感じてたり(実際に見てくれてるみたいなんですよ、色んなメンバー達が。認識は大変ありがたいですがちょっと恥ずかしい(笑))・・・
音が聞こえる、というよりは音の周りの余韻が太陽にかかった虹色のかさのように聞こえる、という程度なのですが・・・名脇役です。譲りません。

そして個人的な一番大好きポイントが後半で(再現部的な・・・再現部、ではないのですが)テンポが上がってきたところでの高音トランペット。
聴いたらすぐ分かると思うのですが、何もないところからすっと出てぱっとクールに吹かれるあのパッセージがたまらないです!シュトラウスはやっぱり金管をかっこよくプロデュースする能力に長けてますわ。

どんなに言葉を費やしても(特に私のつたない言葉では)この曲が秘めている妖艶さとパワーだったり、ワイルドとシュトラウスが描写する「サロメ」というキャラクターの複雑さの1%も伝えられないことがもどかしい・・・
まずはCDを!と言いたいところなのですが実はYoutubeなど動画サイトにオペラのシーンとして動画がアップされていますので視覚と聴覚で、様々なプロダクションの様々な演技+演奏を味わえます♪

一つサンプルを。



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ONだったりOFFだったり
忙しいんだか忙しくないんだかわからない!?

ここ2日ほどほとんど仕事がなくて、ピアノと勉強に励んだり・・・
あとその他趣味の方でかなり頭が忙しかったりだったのですが、今日になったら急ぎの仕事が入ったりでなんだかんだで5時間働いて、しかもその仕事が来るとおもってなかったんで昼にピアノまで練習しちゃいました(1時間半だけですが)。

そして友達から日曜の夜にバドミントンのお誘いがあったり、月曜日は8月末から続く咳のことでお医者さんに、火曜日の夜は国立アカデミーで私の大好きなイギリスの作曲家トマス・アデスが来豪して自身の作品とバロック以前の音楽を演奏したりするコンサートがあって、金曜日の夕方は神経科学のミニ・シンポジウム(行っていいんだよね?)。そして土曜日は待ちに待ったMulwala-Yarrawongaの小旅行。(今のところ天気がちょっと期待できないかも?がんばれ、メルボルンの春!)
仕事ももちろんしたいし、ピアノで詰め場の曲もいくつかあるし、勉強もちょっとのってきたりで・・・
結構めまぐるしくなりそうです。

小旅行・・・は。ネット接続環境があるところに宿泊なので向こうで夜仕事しても大丈夫ですし。
そして持ってくのは本ではなくて論文のReadings。音楽演奏中の精神状態だったり、共感覚の診断だったり、リチウムの薬としての特殊さだったり、クラムのマクロコスモスの分析だったり・・・もちろん全部読むわけじゃないですがわくわくしますねえ♪

最近完全に趣味で、というか表現の欲求に任せていろいろやってたりします。
知ってる音楽の曲集を「お題」の様に使って例えば人物を曲に割り当てて絵を想像したり、創作のショートストーリーをプランしてみたり、キャラクターデザインしてみたり。
そのなかで今力を入れているのがメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」の8つの楽章でステンドグラスをデザインしてみようとしてます。
メシアン自身の色彩はサン・トリニテ教会のステンドグラスに影響されていた、ということもありますし、この曲はなんとなくステンドグラスがいいな、という強い思いが数年前からあったりしたのですが・・・

「人はステンドグラスのようなものだ。太陽が輝いている間はみんな光り輝くけれど、闇が訪れるときに本当の美を表すのは内なる光によってのみなのだ。」
エリザベス・キューブラー・ロスというメンタルヘルスに関してかかわりの深い方のこんな言葉をふと思い出したのです。
「世の終わりのための四重奏曲」はメシアンが戦時中に捕らわれた強制収容所で書いた曲。どんな状況や環境だったかは私にはなかなかぴんと来ませんが、そんな厳しい環境の中でこの曲を書いた、こんな光を放つことが出来たのはメシアンの心の中に「信仰」というゆるぎない内なる光があったからなのかなー・・・と思ったので。
あんまり自分にプレッシャーかけるとあれなんですが、できあがったらどこかにアップしたいな、と思ってます。

お題のテンプレート自体もアップしたいんですよね。
それを使ったステンドグラス以外の創作物、は・・・うーん。いろいろなジャンルでいろいろやってるんで。オリジナルだったり二次創作だったりその間だったりで。まだまだ未定です。

そんなこんなで実はメインの書き物の方が進んでなかったり(笑)
でも何にしても今はアウトプットもインプットも結構ONになって足をタコのように広げてるので(季節が幸いしてるんでしょうね)・・・
あーなんだか夜11時なのにクラムが弾きたくなってきた!とかいう状態なのですが。
とりあえず休むこともわすれず存分楽しんでいきたいと思います。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第2楽章「マラゲーニャ」



昨日Twitterの方でちょっと死臭系の音楽の話をしていたので、話に出たのとは別の楽章ですが(あれは私にとって伝家の宝刀なので)、多分2番目に好きなこの第2楽章を。

ショスタコの14番、というのは交響曲という名をもつ連作歌曲みたいな音楽です。
ちょっと小編成の弦楽器、チェレスタ、打楽器、そしてソプラノとバスのソリストという慎ましい編成で演奏するは「死」を題材とした11つの楽章。ショスタコーヴィチの最晩年に書かれた曲で、自身の死を意識していることはまず間違いないんじゃないでしょうか。

歌詞として使われているのはロルカ、アポリネール、キュヘリベケル、そしてリルケの詩。
多感かつ病状がおそらく最悪だったころにこの曲を知って、詩にはまって、音楽にもじわじわはまったのですが、この曲がなかったらおそらくヨーロッパの詩文学に興味を持ってなかったんじゃないか、と自分で思うほど文学的に私にインパクトが大きかった曲でもあります。

第2楽章はスペインの詩人ロルカの「マラゲーニャ」を用い、スペインの舞曲マラゲーニャをモチーフとした、どこかスペイン風味があるながらもショスタコ節&ロシア(ソヴィエト)の冷たさも併せ持つ不思議な曲。
ロルカの詩って、こう・・・ものすごく乾いてるんですよね。メルボルンの夏の乾燥を思わせるような、きっと風土の特徴。ロシア語に翻訳されて、ソヴィエトの作曲家の音楽に乗せられても不思議と伝わってきます。

スペインを表すカスタネットが特徴的なのですが、それよりもこの楽章の主役はバイオリン。
ロルカの詩で酒場に出たり、入ったりする擬人化された「死」=死神。昔から死神の弾く楽器と言えばバイオリンが相場ですが、まあなんて死神らしい音!
ひからびた死神が笑いながらバイオリンを弾く様子が目に浮かびます。

ショスタコの晩年の音楽はあんまり聴きやすい方ではないのですが、この曲ならあまり不快感(?)を感じることなく、その精神を味わうことが出来ると思います。
ショスタコの晩年の音楽は・・・彼の他の音楽と比べても、他の作曲家の音楽と比べてもなにか独特なフィーリングがあります。
ぞっとするなにかがあり、同時にどこか悟っているようでもあり・・・むしろ悟っているからぞっとするのかしら?
初めて聴いて心を鷲づかみにするパワーはないかもしれないけれど、じわじわ長い時間かけて身にしみてくる何かにはあふれている交響曲です。

ぞっとするもの、死臭のする音楽は避けてしまうのが人間の本能。(そして論理に基づいた本能なんですよね)
その本能が10年前の私はぶっこわれてたのか分からないのですが、そういったものに惹かれてしまったことでこの曲に出会えてこの音楽が身にしみて・・・なんだか結果かけがえないものを得たような気がします。

まあそんな大げさなものではないのですが、怖いもの見たさでこの楽章から聴いて見てください。
もしかしたら意識したことのない引き出しやら扉やらびっくり箱やら知らないうちに開いてしまうかも・・・?
(あれ、大げさなものではないんですがっていったのに!?)

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Trust
昨日の宣告通り今日は仕事を午前の部で終わらせて、午後は掃除をした後勉強。
勉強+仕事関係のブラウザブックマークをざくざく整頓したり・・・
そしてメンタルヘルス(not心理学。まだです。)について何が知りたいか、何を勉強してまとめたいかを「とりあえず」でリストしてみたり。
やっぱ一旦集中して何でも行動に移してみると少なくとも少しはなんとかなるものですね。ちょっぴり自信が付きました。

そしてそうやってラフにまとめただけでもすぐ触発されてしまう安上がりな私の脳。
ということでまだ固形化していないトピックながらも少し思考を巡らせ言葉にしてみたいな、と思います。

昨今ニュースで入ったりその他話に聞く様々な医療関係の問題の根本にあるのかなー・・・とついつい思ってしまう問題が治療する側と治療を受ける側の信頼関係なのかな、と思います。
身体の病気ももちろん信頼関係が大切ですが、心のケアではおそらくよりものをいうのではないか、と思います。

確かにお医者さん(便宜上治療、ケアを施す側を総称してこう呼ばせていただきます)ははっきり言えば「他人」です。病気によっては診断などの際に結構プライベートなことだったり恥ずかしいことを話さないといけない場合もありますが、その情報なしでは正確な診断ができない、つまりお医者さんを信頼してそういったことを話すことによって正確な診断ができて、適切な治療が受けれて、円滑な回復プロセスに繋がるわけですよね。

心のケア・・・というのはまたちょっと難しく。
精神の不調は遺伝だったり環境だったり性格だったりいろいろな要因があるので、患者さん(便宜上治療、ケアを受ける側を総称してこう呼ばせていただきます)のいろんな面を理解して把握し、患者さんに合った治療や支援策を様々なアプローチから練らなければなりません。
(なので私が経験などから思うところ特に心のケアに関しては最初のセッションで薬を処方、というのは例えば明らかに精神病症状が現れていたり、状態を詳しくみるために対応しなければならない症状がある場合など本来そうあることじゃないはずなのですが・・・)

どんなに伝えても例えば長年患者さんを個人的に知っている家族などのように患者さんを短期間で知ることができるわけではありません。でもいわば中立的立場であり、個人的に知っていると言う先入観フィルターがないぶん、冷静で「その人の健康のため」の観点で医学的な知識をベースに意見を述べてくれる、という利点があります。
患者さんも周りの人も(そしてお医者さんも)、正直に正確に状態などをお医者さんに話し続けるのは勿論ですが、結果がすぐでない長期戦(薬を用いたとしても安定した効果はそんなに早く表れませんしね)を覚悟する、という心構えは必要なのかも知れませんね。

あと全ての患者さん、そしてケアを受けようか迷っている方々に言いたいのはお医者さんは患者さんがお医者さんに話した気持ちや思考、行動に対して患者さんのことを悪い人間だとか人間性についてjudgeすることはありませんし、偏見を持って見るようなことはありません。言うまでもなく守秘義務もありますし、お医者さんは(少なくとも理想的には)いつも患者さんの味方であり、患者さんの状態が良くなることに労力を費やしてくれる存在なのです。

心のケアについてのコミュニケーションで大変なのは、患者さんの状態によって、そして病気の影響によって自分の状態が正確に伝えられなかったり、疑心暗鬼になっていたり、入院などを逃れようと嘘をついたり・・・などなどの可能性が本当に普通にあって、それはある程度しょうがないところ、ということだと思います。
でもそれでもなんとか伝えようとすることでお医者さん側も患者さんの状態を分かってくれますし、なるべく的確な判断を下せるはずですので。

お医者さんと患者さんの信頼関係がうまく築かれていると例えば別の病院にいくことになったとき、入院することになったときはもちろん、セカンドオピニオンが必要な時にもうまくいくと思います。
治療の経過上、例えば別の治療法を専攻しているお医者さんからのアプローチを聞くことが有益になると判断されたとき、双方に落ち度がなくともセカンドオピニオンが必要なときはあります。そういったときにお医者さんとのコミュニケーションがうまくいっていると患者さんのセカンドオピニオンのお医者さんへの信頼度も増しますし、フィードバックの有益さも上がりますし、セカンドオピニオンという策がより有用になるんじゃないかしら。

信頼関係についてもう一つ大事なことは、良い信頼関係が築かれていると、健康を保つための支援にもなる、ということです。普段からコミュニケーションがうまくいっていればちょっとしたサインでもお医者さんは気づいてくれますし、患者さんにあったメンテナンスの仕方もアドバイスしてくれます。病状が急転した場合も対応が早い、というか対応を理解してくれてたり。

私の個人的な経験の話になりますが・・・
最初に「精神医」にかかることになったのは14くらいのとき。思春期まっただ中で自分の状態もほとんど把握できてない状態で。
病気のことをなにもしらなかったこと、まだまだ子供であり自分を見る力が乏しかったこと、その時点でわりと状態が悪かったことなどが重なってお医者さんとの信頼関係を築けたのは何年もたってから。
でもその時の信頼関係さえも今の精神医との信頼関係と比べたらまだまだだったなあ、という印象です。

心のケアだと特にお医者さんと患者さんの相性はものを言うと思います。
治療のアプローチに関してお医者さんは得意不得意がありますし、やっぱり心と心が触れあうのでもっと人間的というか直感的な合う、合わないは決して無視・軽視してはいけないことだと思います。
(もちろんある程度慣れというか、時間が経つと変わる可能性はありますが)

患者さんは「治療を受ける」のが役割ではない・・・と思います。
お医者さんに自分の健康のコントロールをサポートしてもらうという面もありますし、お医者さんと協力して治療を進め、道を切り開いていくという面もあると思います。
私が本当に病状の改善を意識し始めたのは自分でお医者さんと協力して治療をすすめている、という意識が芽生えたころじゃないかなあ・・・とぼんやりと。お医者さんから学んだり、自分でリサーチしたりお医者さんと話し合ったりして、自分の心の健康管理を意識的にし始めたり・・・コミュニケーションが増えて、お医者さんのアドバイスや判断を信頼しはじめたころじゃなかったかと。

お医者さんと患者さんの「対話」の大切さはもっと強く訴えられていい重要なトピックだと思いますが(今日本では一人一人の患者さんの診療時間が極端に少ないと聞いています・・・心のケアに10分ではなにもできません)、同時に患者さんの役割と「身と心を預ける覚悟」、そしてお医者さんが患者さんがそうできる「信頼できる職種」の人間であることも大切です。
もっと対話を、もっと信頼を、もっと協力を・・・相互に築けるようになれればもっとお医者さんにも患者さんにも良い医療が行われるのかなあ、とDown Underの片隅で考えています。
もちろん、それが達成されるには他の諸々の問題の解決も必要ですが・・・(医師不足、など・・・)

心のケアの難しさを考えると、病気やどうしても避けられない問題など以外で治療をややこしくするのはどうしてもいやなんですよね、気持ち的に(苦笑)。
なんとかしたい気持ちが先走ってしまいますが・・・ゆっくり勉強しながら歩んでいきたいと思います。


今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「リュートのための古風な舞曲とアリア」組曲第2番より「ガリアルダ」



リュートのための、とは書かれていますがオーケストラのための組曲です。
ピアノバージョンもあって弾いたこともあります♪楽しかったですよ~

レスピーギは彼の一番有名な作品であるローマ三部作に印象派てきなスタイルとローマへの愛を表していますが、彼のもう一つの顔は「新古典派」の作曲家。
バロック以前の音楽を彼オリジナルの色彩でプロデュース、といったところでしょうか。
この「古風な舞曲とアリア」の別の曲をラジオで初めて聴いた時「バロックだけどバロックじゃない!」と大変困惑した覚えがあるんですよ(笑)メロディーとかスタイルはしっかりバロックなのに、バロック時代には使われなかった楽器や、楽器の使われ方があって。

ガリアルダ、というのは3拍子の中くらいの速さの舞曲。バロック時代から現代まで使われているメヌエットやサラバンドと違ってバロック時代以外ではあーんまり名前を聞かない、もしかしたら廃れてしまったのかもしれない舞曲です・・・

こないだのブラスフェスティバルのジーグでもそうなんですが、3拍子で1,2,3,1,2,3とリズムが続いているところを同じ拍の速さで1,2,1,2,1,2と時々変わるヘミオーラというリズムのテクニック(フレーズの終わりによく使われますね)があると好きになっちゃうんですよ。なんだかおしゃれ、というか。もともと変拍子で育った子なのでそこに心惹かれるのは仕方ないのかも・・・

アーティキュレーションが割とこの曲はかっかっとはきはきしているのですが、ヘミオーラのところに心地良いスイングがついて。
弦の響きが・・・なんといいますか、バロック時代のサウンドの良さをキープしたまま進化させた様な感じで不思議な満足感があります(笑)

偉大な曲だ!とか大いに心を打たれる!とかそういう曲ではないのですが、心がちょっぴり持ち上げられて、踊りのスピリットを感じられて、アクティブな心地よさを感じられる素敵な曲だと思います。
どの舞曲もアリアも個性にあふれているので他の楽章も紹介していきたいですね♪

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