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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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電子辞書、その他もろもろ
日本で注文した電子辞書が届きました~♪

電子辞書closedセイコーインスツルのSR-A10002
英語と日本語、日本語関係の辞書はもちろん、医学・薬学・バイオ系の辞書+ブリタニカ百科事典も収録。
お仕事&趣味の強ーい味方です。
あまりにも色んなものが入って過ぎて弄って遊ぶにもどこから何を調べればいいか分からないほど(笑)
結構見て速攻で買っちゃったんですが良い買い物をしました!
それに見てください、このスマートでかっこいいデザイン♪ビジネス用途だからかこんなデザインなのかしら。

電子辞書open開くとこんな感じ。写真はかなりぶれてますが液晶はめちゃめちゃクリア。
医学や百科事典などで挿絵が入ってるのですがクリアです。
挿絵と言えばこの辞書、PC(32ビットOSなのでうちは前使ってたPCのみですが)にUSB接続して挿絵などが拡大カラーで表示できるPanorama機能搭載なんです。
キーも大きく押しやすいですし、わりと直感的に使える仕様になってます。
あとはmp3プレーヤーも入ってますし(使うのか?)あとカードで辞書を追加できるようになってます。(ゆくゆくはフランス語を・・・?)
今はちょっと機能とコンテンツの多さに圧倒されてる感じなのですが、うまくつかいこなしていきたいニューフェイスです♪

ネットで何でも調べられる時代ではありますが、やっぱり手元にこういうものがあると安心しますし楽しいですし便利ですね。

最近仕事に忙しく、その次に家事に忙しく、そのまた次にピアノに忙しく。
充実してることは嬉しいですが、今やってることがみんなもっとやりたくて。
仕事だってもっとしたいですし(次の仕事入らないかな-)、ピアノももっと弾きたい。医学全般やメンタルヘルスの仕事、創作、読書、運動に至っては最近ほとんどできてませんからね。
特にピアノはセミプロだろうが趣味だろうがプロだろうが自分の命だと思ってますし、創作は趣味でありながらライフワークとして扱ってます。(自分にプレッシャーをかけるのはやめたほうがいいとは思いながらも)
このブログだってもっと突き詰めて書きたいトピックがたくさん。
プラスこないだの教訓からちゃんと休まなきゃ、と自分に言い聞かせたり。

病気で調子がかなり悪くて何かをしたくてもできない、したいという気にもなれない経験を山ほどしているせいか、動けるときは多少無理しても動きたい、燃え尽きてもできるだけやっちゃいたいという心理が奥底でうごめいているのは確かなことで・・・
そもそもやりたいことがある、というのが一時期と比べるとものすごくポジティブな傾向・サインなので。
あとやっぱりある程度無理していないとやった感がない、というのもあり。

ピアノでも割と先生が手の大きさ的に無理だからやめときなさい、といってもものすごく好きな曲だったら無理を押してでも弾いちゃう自分。その曲でないといけない、と思ったらもう妥協とかあきらめるとかは選択肢から消えちゃいますもの。(妥協できない、というのは実は私がチェリスト気質と仮説しているうちの最も大きい部類に入る性質だったり)
あと無理してからこそ得られる感覚、というのがあることも強く信じていて。人生においてもそうですが、特に音楽に関しては。
でも先生はわりと安全な選択肢を採る方で実際心配ない、なんてこともあるんですがね・・・
とりあえずそこのところが「先生が私のことを心配してる」の主な理由だと思うんです。ピアノを通じてそういう私の性格と傾向を知ってるから。

実際そういう「腹八分目」的な調整がちょっと下手なのと、無理をして頭が回らない状態でもどうしてかわからないけどどんどん続けちゃったり(オケマネージャーの一年がまさにそう)することがあると自分で自覚しているのがまず第1ステップ。認識の部分ですね。ついでに言えば無理をして全部できないようになっても元も子もないですし、なによりも先生に心配して欲しくない、という気持ちがあることについての認識も。
ただそれを「行動」にうつして改善できるか、というとこないだ精神医と話したようにわりとまだまだなところが多く。

やりたいことそれぞれに精進するのはもちろんですが、それらをうまくバランスすること、効率よくパズルのピースを合わせていくこと(なんせ長期のスケジュールが見えない仕事ではありますから・・・)、自分にとって「正しいこと」をできるようになること・・・それが当面の課題であり目標であるのかな、と認識はしています。(行動はまだ・・・)

昔某CMで「二兎を追う者は一兎をも得ず」ではなく「二兎を追う者だけが二兎を得る」とありましたが、とりあえずやりたいこと、夢も全部追いかけてみなければわからないですし、全部追いかけてみて初めて見える物もありますし。私の場合理想が複数の夢の連携で成り立つものなのでとりあえず全部追いかけないといけない、というのもあるので・・・
とりあえず一歩一歩気負わず近づけて行けたらなあ、と思います。


今日の一曲: コダーイ・ゾルターン ガランタ舞曲



今日はなんだか自省的になってしまったのでぱーっとすかっとするものを一曲。

コダーイ。ハンガリーの民族音楽を取り入れた音楽を書いた作曲家で、教育メソッドでもその名を残した教育者。
私自身はそんなに彼の作品を知らないのですが、知ってるのはみんな「かっこいい!」と毎回聴いて思う曲ばかり。

ガランタとは・・・東ヨーロッパの激動でさまざまな国の領土になった地方ですが、いまはスロベニアの一角にある地方。コダーイが幼少を過ごした地なのです(当時はハンガリー領)。

コダーイの民族音楽の取り入れ方は割と「生食系」なような気がします。例えば同じハンガリーの作曲家で「ハンガリー狂詩曲」などの音楽を残したリストだと、コンサートで技巧を自分で披露する目的があるがために技巧をちりばめて「調理された」感が音楽にあるんですよね。
コダーイ、そしてバルトークなんかはもうミディアムレアのステーキにしてサイドディッシュを添えて「はいどうぞ」的なワイルドさがあります。

ワイルドさ、というのはブラームスのハンガリー舞曲でも語りましたがハンガリーの音楽の芯になっている性質だと思います。首を多くとった方が勝ち、みたいなことを言いましたが。
実際お隣のルーマニアの音楽と比べるとルーマニアはメロディ中心、ハンガリーは強いシンコペーション(拍のずらし)が特徴的なリズムが前にでてて、どっちかというと「征服者の音楽」という感じがします。

世界ふしぎ発見で前見たのですがハンガリーの東にはアジアチックな騎馬民族が今でもいて。
ハンガリーを創った(といってもいい)フン族は中国の北部の匈奴と呼ばれる異民族と同じではないかといわれているんですね。
純粋的に音楽の直感で言えばありえることだと思います。確証はないのですが。でもモンゴルの馬頭琴とハンガリー音楽で多用されるバイオリン、繋がりがあるような気もします。

バイオリンはこのガランタ舞曲でも大活躍。特にエンディングに近くなってくるともはや凶暴。
がしがし言ってます。
ちなみに私の持ってる録音の一つはロンドン交響楽団なのですが、イギリス紳士&淑女とは思えないほど、「え?これイギリスのオケ!?」と思うほどワイルドで野蛮な演奏を聴かせてくれます。
あとはものすごく遠くを見る目つきのような音をした自由いっぱいのびのびにちょくちょく表れるクラリネットのカデンツァ。透明な音と長い息、全てが騎馬民族が駆け巡る広野を思わせます。
はっきり情景が表れる曲も珍しいです、私の場合。でもこの曲は広野と山と・・・騎馬民族の先祖が超えてきた山の向こうの土地に思いを馳せたりしちゃいます。

所詮は直感的で理論的な裏付けがなにもないもの、といえばそこまでなんですが、ハンガリーの音楽、ことにこのガランタ舞曲はハンガリーにすんでいた民族と今も続くその文化、騎馬民族の様子と彼らが住んだ土地、さらにその土地の記憶、というか歴史をものすごく感じさせてくれると思います。
中国史をかじった身としてはそのハンガリーと匈奴の大陸を横断するコネクションに対する夢とかロマンみたいなものも抱いてしまって。

実際音楽文化的には春の祭典やこの曲やあそこらへんのアジアとヨーロッパの間のno man's land的なエリアはほとんど白紙に近いと言っても・・・大げさでしょうか。
でもだからこそその白紙を夢とかロマンという想像力で埋めたくなる、そんな曲です。

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ケーススタディ?
音楽のことを書くうえでなんだかものすごく忘れていたことが一つ。
それはチェリストならかなりのこだわりがあるであろう・・・楽器ケースの話。
なんで忘れたんでしょ。

どんなケースも楽器の保護、持ち運びやすさ(重さ、形)などで作る側も選ぶ側も難しいですよね。
中身の大切さと高価さはあるけれど、頑丈なケースは大抵重く。例えばファゴット、チェロのように大きな重めの楽器だと大きい重いケースは不便を通り越してしんどいですから・・・
でも最近は「素材」の進化がめざましく、その一部が楽器やそのケースにどんどん使われているみたいで(楽器を運ぶ人でないながらも)ものすごくわくわくします。

楽器を弾く、というのが音楽を奏でるうえでのメインではありますが、例えばオケ生活ひっくるめたストーリーを書くと楽器を運ぶ情景を想像したり、ケースを購入する話とかがでてきたり。チェロのケースがずらーっとリハーサル場に並んでたり、リハーサルの後にみんながそれぞれのケースを背負ったり引っさげたりしながら帰って行ったり・・・
そういう情景もまた私は大好きで。音楽の演奏以外にもちょっと目を留めてもらいたいところでもあります。

昔からうちには母のホルンがそこらにおいてあって。(今は勿論母のいる日本にありますが)
いわゆる「かたつむり」みたいな形をしたケースなんですが、最近はどうも事情が違うようで。
大学にいたときみんなのホルンはベルが外せるようになっていて、亀の甲羅を連想させる、亀の甲羅のように背負うことも出来るようになっているんですよねー。しかもセミハードケースが主流、と。
やっぱり4.5mの金属の管ですからそれなりの重さはありますし、楽器が凹むと(特にベルの場合薄いので凹みやすい)音にも影響がでますしね。、

フルートのケースなんかはハードケースでも鞄にすっぽり入っちゃったり、クラリネットも持ち歩くのが一本の場合はリュックに入っちゃったり。でもそんなケースは珍しいです。
そんななかまた珍しいケースとして、トランペットの場合は多少特殊で、ケースをそのままバッグとして使う場合があるようです。Gig bagと呼ばれる物なんですが、ちょっとボストンバッグみたいな入れ物(中はしっかりパッドされてます♪)にトランペット何本か、マウスピース、ミュート、鉛筆、楽譜などトランペット奏者がいる様々な物を入れられるようになってます。
便利だしかっこいいのですが、たまーにぼろぼろになったgig bagも見ます。なんといいますか・・・味があるんですよね、歴史が(笑)

多少特殊なケースとしては打楽器の運搬ケースがあります。
ティンパニーを入れる大きな箱をはじめ、シンバルや銅鑼を収納するケース、ドラムのケース、小物を詰めるケースなどあって、こないだ話しましたように決まった物を決まった順番で入れないと入らないだろう!というパズルに近いものもあります。
たまにドラムケースが小物入れに使われていることがあって、二つ外見は同じケースなのに知らないで持つと一つは中が空洞のドラム入りで軽いのに、もう一つは何やら分からないものが色々と詰まっていて腰が抜けるほど重かったり!

でもやっぱり一番面白いのはチェロのケースだと思います。
ハープやコントラバスなどは普段はソフトケースで運搬して、飛行機に積むときなんかはハードケースをレンタルする場合が多いみたいですが、チェロは普段の運搬も飛行機に乗せるのも同じケースですませるので丈夫さと軽さのバランスがものすごく難しいです。
私の今持ってるチェロは普段ケースに入れて運ぶ分には5kgくらい。持てないことはないですが、もとの楽器の大きさもあってあまり持ち歩くには・・・うーん、そこそこしんどいです。(ただ平均より小柄な女性の私ですからどれくらい物差しになるかわかりませんが・・・)

そんな中大学時代話題になったのがAccord製のケース。お値段ははるのですが軽くて飛行機に積んでも安全で、スタイリッシュなデザインが何事にもクオリティを求め妥協をできるだけしたくないチェリストにものすごーく魅力的に映った、というわけで。実際に何人か購入したんですがかっこいいケースだったなあ♪
(ちなみにAccordはバイオリンなどのケースも出してて、普段見るようなバイオリンのケースよりも若干薄めで、いろんなデザインがあるのでこれまた話題になってました。)

バイオリンや他の楽器だとケースは黒、というのがスタンダードですが、チェロのケースの場合はデザインもまた多様。
一度ユースオケのサマーキャンプで14人?ほどチェリストがそろったときにチェロケースのバリケード作ったんですけど本当にいろいろなチェロケースがありました。
形はチェロの形にそった曲線的な物もあれば頑丈なものは四角ばっていたり。運搬を助けるために肩紐が付いていたり、車輪が付いていたりするものも多いです。
色に関しては見たことのあるものだけでも黒、白、オレンジ、緑、銀、赤、そして私の持っている青など無限にあります。
そして空港で貼られたステッカーや渡航先の国のステッカーなども貼られたりしてあって、なんだか他の楽器よりもファッション主張的な面も少なからずあるみたいです。(あくまで機能性重視なんですが、どこのケースもデザインが豊富に提供されてるので、ね)

音楽家が演奏する姿というのも素敵だけれど、楽器を運んだり持ったりしている姿もまた素敵だと私は強く信じています。
町中でケースを担いでいる人を見るとついついどんな楽器なのか、キーホルダーやステッカーなどはついているか、ちょっぴり見ちゃいますね。楽器を演奏する姿や奏でる音にも負けないくらいケースや担ぎ方で人が見えることってあるので。
あとバスとかで下校時間ごろ見る色んな学校の子供達が大きな楽器のケースを一生懸命運んでいると応援したくなりますよね。もしかしたら未来のマエストロ?

最近ちょっぴりだけ絵を練習しているのですが・・・(念のために言いますが入院してるわけではないです。)
もしも全身図が書けるようになったら楽器を弾いてる人物の絵とか楽器を担いでる人物の絵も描いてみたいです。いつになるやら。


今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「プルチネルラ」より「Vivo」



なんだか随分と久しぶりなストラヴィンスキーなように思われます(笑)
ストラヴィンスキーの「3大バレエ」といえば「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」でこれらの曲は大曲名曲として広く知られていますが、その後に書かれたこのバレエ「プルチネルラ」もまた粋で素敵な曲なんです。

プルチネルラは・・・ある意味昔の曲のカバーアルバムみたいなもので。
バロック時代のペルゴレージなどの音楽を時には元の音楽に忠実に、時にはストラヴィンスキー&現代風にアレンジしたものです。
傾向としては最初の序曲は割と伝統的で聞きやすいのですがだんだんとモダンテイストが入って来たりしてこんなアレンジもあるんだなーとおもいながらグランドフィナーレ、という感じ。

そのなかこの「Vivo」。実は元々のペルゴレージの曲を昔チェロで弾いたことがあります。
低音楽器のための曲、というのを尊重したのかどうかは分かりませんが、ストラヴィンスキーのバージョンはものすごくオーケストラの楽器が活躍します。
それもなんとコントラバス、低音金管(トロンボーン族+テューバ)と重低音でっせ(笑)

ものすごく明るくてVivo=活発な曲なのですが、このアレンジだと良い感じによっぱらった中年のおっさんたちが路上で楽しく盛り上がっている快活さ。(良い意味で、です!)
ちょっと調子外れで普通とは違う意味でコミカルで。なんだか足取りが普通じゃない、みたいな。

前話しました低音金管の自然なチームワークも見れる曲でもありますし、コントラバスが単独でスポットライトを浴びる珍しい曲でもあります。
決して器用とは言えない楽器達がくりひろげるコミカルで思わず苦笑?とにかく笑ってしまう舞台の一幕。
いろんな意味で「こんな曲もあるんだな~」と気軽に楽しんでもらえたらどこか知らないところで現代音楽への扉が知らない間に開いているかも?


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The Destroyers
音楽のジャンルくくりはいろいろありますが、今日はちょっと色んな意味で強者揃いでいってみようと思います。

クラシック音楽を癒しと結びつける傾向は巷に(特に日本で)あるようですが、あくまでそれは一部の話。
どんな音楽のジャンルでもそうですが、音楽は本当にいろいろな言葉で表せるもの、表せないものを表現するので、曲の性格、人に及ぼす影響は本当にはかりしれなく範囲が広いですからね。

そのなかでも私が特に強い思い入れを持っているのは・・・「破壊的な音楽」。
若いからなのかやっぱり大きな破壊的な力に惹かれる、というのもありますし、特にクラシックではこれだけの力をスピーカー等なしに、人間の力で創り上げられるんだ、こんなパワフルな音楽が一人の人間によって書かれたんだ、という圧倒される気持ちもあります。

でもなによりも私の友人でありオーストラリアの偉大なピアニスト、Michael Kieran Harveyが数年前大学のピアノクラスでリストの超絶技巧練習曲について話をしたときのこの言葉が自分の中に強く根付いているのが大きな理由ではないかと思います。
「ピアニストは誰かを殴りたくなったらマゼッパ(超絶技巧練習曲の第4番)を弾いてそこに思いをぶつけるという選択肢があるという意味では幸福だ」、とマイケルは言ったのです。
心に抱える巨大なエネルギーや感情や思い・・・言葉には出来ない、抱えて押し込めるにはマグニチュードの大きすぎる、発散方法を間違えれば他に危険を及ぼしかねないそれを浄化するために、マゼッパを初めとする「破壊的な音楽」を通じて危険ではない方法で発散する、という・・・
ピアノを弾くこと、破壊的な音楽を弾いたり聴いたりすることによる発散の大切さ、というものを思い知りました。

弾くことに関しては破壊的な音楽はものすごく弾きごたえがあります。
命が(後ほど詳しく書きますが)かかった音楽であることが多いので。それも一人の命じゃなく。
なのでそういった曲を弾く時は特に自分の全てを絞り出して・・・かけられているのは自分の命だけじゃないわけですから。
ものすごく疲れるけれど、自分の全てを出しつくすのは本当に満足です。
(ちなみに弾くのではなく聴いただけでもかなり近い感覚が味わえます♪)

ヘヴィーメタルなどの「破壊的な」音楽が人間に果たしてポジティブな影響をあたえるのか、それとも有害なのか、それにはいろいろな説がありますが、そういった音楽が好きだからといって危険な人物、というわけではないです。
こないだ読んだ論文によると、ネガティブな感情を含んだ音楽を聴いても人間は様々な理由で(音楽が害がないということを学習して、または美的な感覚によりネガティブな感情の辛い部分が阻害されて、などなど)音楽に対してポジティブな感情反応をするのがごくごく普通だ、ということらしく。
つまりは感情を直接自分で経験するときの痛みや苦しみを感じることなくそういったネガティブな感情と向き合える、そんな可能性を音楽(ならびに他の芸術形態)は秘めているわけですよね。

私のチェロの先生が「演奏家の仕事は聴衆を彼らが今日訪れていない所に連れて行くことだ」と言っていましたがそれはもちろん良いところだけではないです。
「破壊的な音楽」を通じて聴衆の手を引き地獄にでも連れて行けるようになるくらいの演奏家になりたいなあ、とも思っています(笑)天国から地獄まで色んな体験を聴衆に提供できる演奏家。いいなあ。

いろんな音楽を聴いてきて、やっぱり破壊的な音楽(聴く・弾くどっちでも)でないとすっきりしないもの、「癒し」という形態では浄化できないものもありますし、破壊的な音楽でないと経験できないものもたくさんあるんだな、と思うようになりました。
そういう意味でも、音楽、そしてピアノやオーケストラ、さらには人間がこんなにも巨大なものを創り上げることが出来るのを知って欲しい、といういみでも「破壊的な音楽」の体験を強くお奨めします。

そんな「破壊的な音楽」の特に並外れた規格外の猛獣たちを6つご紹介。
辛さ・苦しさと快感・高揚のレベルが共に高く、せめぎあいがたまらない音楽ばかり!
どれも違ったタイプの、他の曲ではなかなか味わえない体験が味わえる曲達です。

1) ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第8楽章「Tora! Tora! Tora!」
系統:天変地異系 マグニチュード:世界一つ破壊
私が弾けるなかで一番破壊力の高いこの曲。ピアノ曲ですが、タイトルの言葉をシャウトしたり、特殊奏法があったりで奏者への破壊力もなかなか(笑)
副題にCadenza Apocalitticaとありますが、まさにこの曲はApocalypse=新約聖書「ヨハネの黙示録」に描写されたこの世の終わりの情景。それをタイトルからも分かりますように真珠湾攻撃の空襲の破壊となぞらえたところがあります。
英語で言うFire and brimstones、炎や隕石などが降ってくる情景で、地獄絵図がうねるようなスケール、旋回するパッセージ、巨大な不協和音でピアノをあますことなく使い描写されています。

2) グスタフ・マーラー 交響曲第6番
系統:完膚無く徹底的に打ちのめし系 マグニチュード:人生破壊 over and over and over...
残酷、というにはあまりにも絶対的で巨大な力で、挫折・絶望と言うにも重力の大きい・・・
立ち上がったと思ったらまたたたきのめされる、首をへし折られる、脊椎を砕かれる・・・
七転八倒という言葉を超えて辛く苦しい。でも快感もかなりあってその交錯する思いがたまりません!
でもその力の巨大さと、絶望と、それでも立ち上がる人間の精神のシンフォニーがまた素晴らしく。
光の明るさや高みに上り詰めた快感、闇の深さと残酷さの両極の無限が味わえます。

3) ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番
系統:虐殺系 マグニチュード:犠牲者4000人以上とも
ショスタコーヴィチは破壊の申し子とも言えるんですが、そのなかでも最も直接的に破壊を描写しているこの曲。血の日曜日事件の虐殺の生々しい描写である第2楽章には本当に当時行進した何千人もの苦しむ人々の命がかかっているというか凝縮されている、というか。
ただ虐殺のシーンで感じてしまう快感もタブー感もありながらかなりのものです。
ショスタコの破壊的エネルギーは若い人に共感を得ますし、私は小さな頃から慣れ親しんだ物。
他の曲でもそんなエネルギーが味わえますが紹介は後の日に!

4) プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番
系統:精神破壊系 マグニチュード:見えないところで見えない物が全て大爆発
数あるピアノコンチェルトのなかでどんなに難しくてもこれだけは譲れない、と私が思うのがこの曲。
この曲に取って代われる物など存在しない、と固く信じています。
第1楽章の長々とした吐露のような、精神がどんどん破壊されていって内なる爆発を起こすカデンツァ、第3楽章の人間が書いたものとは思えないカオスなど・・・
ひたすら苦しく、のたうちまわり、自分に刃を向けるような、内なる巨大な破壊力との熾烈な戦い。
正気じゃない、と思えますが緻密な計算のもと書かれているところもぞっとします。

5) ベンジャミン・ブリテン 戦争レクイエム
系統:全部破壊系 マグニチュード:全てが無に帰す
戦争の破壊と悲惨さを描写した名曲として何度もこのブログで言及している曲ですが、実際にその背景から音楽を切り離すと破壊力は減るどころかこの世界の戦争という枠を取り払われて無限に拡大する、という恐ろしい曲。
Dies Iraeの一連の音楽、そしてさらにLibera Meのくだりのダークなクライマックスはもはや人間同士の戦争という域を超えて世界が、世界を包む全ての物が破壊され滅び去るのではないかと思うほど。
編成が大きいオケと合唱ですが、それでも人間の集まった力でこの世界を超えるこんな桁外れなスケールの音楽とエネルギーが生まれるのにいつも圧倒されます。

6) フランツ・リスト 超絶技巧練習曲第4番 「マゼッパ」
系統:純粋に苦痛系 マグニチュード:身体と精神全て
リストのお得意の超絶技巧で魅せるは暴れ馬にくくりつけられた主人公の拷問体験。
ものすごく主観的な曲なんですよね。頭の中をかけめぐるもうろうとした思考、周りを通り過ぎていく大自然の景色、苦しみ、痛み、そしてそれを超越したハイ的な状態・・・
マイケルが例に出した理由が分かります。あの人はこれで内なる思いを発散していたんだな、と思うとやっぱり彼の中には無限の世界の生命エネルギーがものすごく満ちてるんだな、と・・・
リストはハンガリー人で、この曲もハンガリー的凶暴エネルギーに満ちているんですが、願わくばこのエネルギーを調理前の生の状態でいただきたい、と貪欲になってしまいます・・・

本当はもっとじわじわくる破壊とか、あと拳法にあるみたいな外傷はないけど内臓破裂、とか・・・
作曲家がかぶるのと若干のパワー不足でプロコフィエフのロミジュリの「ジュリエットの葬式」を外したんですが、これは「断腸系」でしたね。

あと破壊力はあっても破壊的ではない曲は選びませんでした。
例えばストラヴィンスキー「春の祭典」とかもろもろメシアンの曲とかリゲティの練習曲第14番「無限の柱」はどっちかというと破壊ではなく同じマグニチュードでも創り上げるエネルギーっぽいなあ、と。

ここに上げた曲は規格外の破壊力なのであんまりいつも聴くわけにはいきませんし(実際に耳で聞くのは稀です)、心の調子が悪い時は避けておいた方がいい曲だと個人的に思います。ものすごいフォースなので普段は楽しめてテンションが上がっても心が弱ってると音楽に心が簡単に負けてしまいますので。

心が弱ってるときのおすすめ曲はまた別の機会にじっくり考えたいですね。
そっちも面白そうです。


今日の一曲はあんなにお奨めしちゃったのでお休みです。


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キーワードto音楽 四字熟語編
ここ数日休んでて今日もちょっと遅くなっちゃったのですがやってみたかったことその2でちゃちゃっと更新しちゃいます。
その1は破壊音楽の話ですが、その2は前お試しでやった「キーワードto音楽」企画。
これならできそうだし良い機会だ、ということで四字熟語に当てはめてみました。何よりも自分のエクササイズ、そして楽しみのために独断で。
曲の経緯とかをなるべく考慮せず、音楽の印象を当てはめ・・・たつもりです。
例によって曲の割り当ては参考資料なしです。
なお、四字熟語の意味の説明は母の国語教師時代の「新総合国語便覧」出典です。古!


一望千里(見渡す限り広々としていること):
レスピーギ ピアノ協奏曲「Modo misolidio」 第2楽章。
{広々している、といえばイギリス音楽ですが、それよりも先にこの曲が浮かびました。確かにイギリス的な雰囲気はないことないんですが。弦の音がやっぱりキーですね。緑の丘に立って、見渡しているような。それもこの世界の景色じゃないみたい。}

紆余曲折(遠まわりで曲がりくねっていること。事情が込み入っていること。):
マーラー 交響曲第5番 第3楽章
{長いことこの曲を知っていますが、ある意味でなんだかものすごく難解な曲です。まるでSnakes and ladders、夢のちょっとひねった世界をめまぐるしく駆け回っているような。でもホルンの呼び声が妙に現実的で地に足が付いていて落ち着くんですよね。}

質実剛健(飾り気がなく強いこと):
ブラームス 交響曲第3番 第1楽章
{なんでしょう、ブラームスの音楽を表したような言葉ではあるのですが、特に前向きで「強さ」があるこの曲をチョイス。ドイツ的、ブラームス的な四字熟語ですねえ、何にしても。}

大山鳴動(大きな山が揺れ動くこと):
ストラヴィンスキー 春の祭典より「大地の踊り」
{映画「ファンタジア」の影響は否めませんが、それでもこの曲のバスドラム、シンバルは本当に人間の音楽ではなく、大地・地球そのものの音楽と躍動です。ものすごく大きな力が動くのが感じられる様子はまさにこの四字熟語が表しているものそのもの。}

天長地久(天地が長久であるように、万物がいつまでも続くこと):
メシアン: 世の終わりのための四重奏曲 「イエスの不滅性への賛歌」
{この四字熟語の意味ってメシアンのスローな音楽にこめられた意味とかなりかぶってると思います。彼の場合はキリスト教的思想とフレーバーですが。色々ある中で曲集の終わりに配置されているこの曲を余韻を買ってセレクト。}

破邪顕正(邪道を打ち破って、正道を表すこと):
マーラー 交響曲第1番 第4楽章
{ものすごくこう、剣を持って大きな悪と嵐の中戦うみたいな、ファンタジーゲーム風のフレーバーがあるこの曲。打ち勝った感、自分の手で戦い抜いた感の強さとそれによって開けた光の明るさと絶対さというのが何よりもの理由。}

不撓不屈(心が硬くて困難に屈せぬこと):
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第4楽章
{エピソード的にもぴったりですし、なんといってもこの言葉はショスタコのためにあり、さらにこの交響曲の調であるニ短調のためにあるような四字熟語ですね。}

六根清浄(六根から起こる欲望を断ち切って、清らかになること):
ペルト フラトレス
{いろんなものをそぎ落としたミニマルミュージックのなかでもこれがこう・・・一番透明感というか欲望less感があるような気がするんですよね。聴いたらすぐ分かるメカニカルなパターンと良い、ビブラートなしの奏法と良い。あ、でもそれは他の曲もそうか。}

横行闊歩(思いのまま、大手を振ってのし歩く。勝手気ままにふるまうこと。):
リヒャルト・シュトラウス 英雄の一生
{だってそうなんですもん。言うことなし。多少のこの曲に対する偏見を差し引いてもです。}

電光石火(いなずまや、石から出る火のように、きわめて短い時間をいい、行動が非常にすばやいときに用いる。):
ヒンデミット ピアノソナタ第3番第2楽章
{スピードが半端ないです!あっというまに過ぎていくアクロバット的な音楽。ぱっ、とフレーズがいきなり終わってしまうところなんかもぴったりかな、と。}

なんだか面白かったです。直感で思いつかないのはどんどん飛ばしていったのですが、それでも10そろっちゃいました。じっくり考えたらもっと面白い四字熟語が引っ張ってこれるかもしれないな、とか他のソースを見たらもっと面白いのがあるかな、とか・・・あと通り過ぎちゃったのもたくさんあるのでまた四字熟語でそのうちトライしたいと思います。


今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 英雄の生涯



シュトラウスの半生がモデルになってるとかなってないとか言われるこの曲、特に若い人にお勧めの曲です。
なぜなら・・・大学でものすごく情熱的に好きな人が大変多かった曲なので。
もちろんシュトラウスがすごい作曲家で全てのパートのためにいいものを書く、奏者としても、オケ全体として弾いてもものすごくたのしくてがっつり弾きごたえのある曲だというのもありますが、この曲にこめられたパワーや前向きな姿勢、よっしゃやってやるぜい!的な感じがこの世代には魅力的なんでしょうか。

私自身はそのオーケストレーションの見事さを除いてあんまり好きではない曲です。
例によって外向的なのが苦手で・・・あとシュトラウスのエゴみたいなものが音楽を通じて伝わってくる様な気がするので・・・辟易してしまいます。

ただ「英雄の伴侶」のセクションは好きです。どんな英雄も女性には弱いもの、というのが伝わってくるのと、あとその女性の気まぐれさ、器用さ、繊細さ、感情的な面もバイオリン一台であまねく表現できてしまうところが凄いですし、そういう感じのバイオリンソロ全般好きです♪

そして「英雄の戦い」の部分はipodランダム再生で回ってくると毎回聴いてしまう名セクション。
普段は正義感の強いトランペットが珍しく悪役を演じてくれるこのおいしさといつもとはちがうかっこよさもそうですし、英雄役の8人(!)のホルンセクションの縦横無尽な活躍(絶対ホルンの人達これ楽しいですもんね!それも伝わってきます!)・・・3拍子のミリタリーマーチ(!)でそれがぶつかり合うのがまた凄い。
かっこよさと調子の良さで本当にcarried awayなのですが、それを支える楽器使いの骨組みもまた大きく貢献していて見事なものです。

シュトラウスは本当にホルンが好きなんですよね。英雄役に抜擢したのももちろんですが、その8人(+1人アシ)の体制でがんがん押してっちゃう勢い。
多少そんなホルンにあやかる形となっちゃってるみたいなのですが、チェロも大活躍。やっぱり力強さと音域の広さがこの2つの楽器の売りですね。

ちなみに珍しくユーフォニアムがオケに参戦しているこの曲。「英雄の敵」のセクションでのちょっとしたソロにどうぞ耳をお傾けください(笑)

ここまでテンション高く書いてしまいましたが、あくまでも個人的に嫌いな曲の分類に入っています。ただ嫌いだけどやっぱり好きなセクションもありますし、嫌いだけれど名曲なのです。
それにワルキューレの話でもありましたが金管奏者が楽しいとやっぱり楽しくなっちゃう性分で。

若い人もそうでない人も、テンションを上げたいときには特にお奨めの一曲です♪

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メルボルンのお気に入り
明日はChadstoneの特別セールがあるので午後10時の閉店までいる可能性が高いので(昼は仕事しなきゃなので遅く参戦)・・・2日続けて休むのもちょっとあれなので今日もゆるめのエントリーを投下。

メルボルンにすんで14年半近く。
公共交通機関がちょっとあれな街ですが、父母がこちらにいるときもいないときも観光気分を保ったままメルボルンのいろんなところを見てきました。
今日はざっくりいえばメルボルンのいろいろな「お気に入り」です。
(あくまでも私のお気に入り、です)
ローカルならではの穴場が・・・出るか?出ないか?

お気に入りビーチ=モーニントン半島:Rye~Sorrento~Portsea
5年生のキャンプを始めいろんな機会に訪れることがあったエリア。別荘などでメルボルン周りで一番「お高い」地域だとも言われています。
RyeからPortseaにかけて広がる遠浅の海はなんといっても美しいですし、浅いので暖かいですし(笑)。
沖に出てイルカと一緒に泳げたり、アザラシがみれたりダイビングも出来るアクティビティスポットでもあります。

お気に入り駅=Sandringham
Sandringham路線の最終停車場であるSandringham駅。ですがこの路線は短いので例えば他の路線の終点みたいな寂しさが全くないです。終点なので単線ですが、建物もちょっとこぎれいだったりしますし、駅をでると目の前には活気のあるshopping street、そして海が見えます。
旅するときはわりと一人になりたくて、が多いですけれどこの駅は「淋しくない」のが落ち着きます。

お気に入り教会=St Patrick's大聖堂
ものっそ直球メジャーどころですが、本当に素敵な建築物、そして信仰の場所でもあります。メルボルンのシティ内にあるSt Paul's大聖堂は華やかな色使いですがこっちはデザインも色彩も厳か。でも実は風刺彫刻があったりとかユーモアもあるのですよ。実はオケのコンサートのときにここの地下室を使ったことあるんですが、変にリアルでまたそれもよかったです。

お気に入りトラム路線:No.112
West Preston - St Kilda間をシティのCollins Stを通って結ぶトラム。West Prestonまでは行ったことないのですが、South MelbourneやFitzroy、シティでだいぶお世話になってるトラムです。
基本的に自分の好きなところ、必要なところみーんな連れてってくれるので。
観光的にもよくよく考えるとSt Kildaの海や、South Melbourne、シティ、Fitzroy などメルボルンらしいところ、メルボルンの名所などが乗ってるだけで見れる路線です。

お気に入り公園: Docklands Park
シティのSouthern Cross駅の裏にあるDocklands Park。割と最近開発されたエリアで、モダンなオブジェや彫刻が目立ちます。ここについてはDocklands散策として別のエントリーを立てたいのですが、とりあえず夏の夕方にここを散策して、シティのすぐすぐそばだってことをちょっぴり忘れる涼しい爽やかな風とオブジェや遊具のたたずまいは本当に特別なものがあるような気がします。

お気に入り道:Dandenong Road(Malvern辺り)
Docklandsが夏の楽しみならDandenong Roadは秋の楽しみ。広い道路の中央分離帯にトラムが通ってて、トラムの線路と道路の間には落葉樹の並木が続いてて。トラムNo. 5か64に乗ってここらで降りてみると、秋の落葉と空の色が本当に風流で。

うーん、やってみるとこのカテゴリーはお気に入りを決められるほど数知らない、とかきまったお気に入りがないなあ、とかやっぱり思っちゃいますねえ。仕事が家なのもありますがもっと外に出ないと!
例えばお気に入りカフェとか、レストランとか、バーとか。そっち系丸々抜けてますしね!
あとはもっとメルボルン周辺や郊外のアウトドアスポットもこれから紹介していきたいです!

・・・とりあえず前回のChadstoneのセールに行ったときは7時間ショッピングして歩いたので明日もそこまで覚悟して士気を養っとかなきゃ!とりあえずこのセールに心ひかれるきっかけの一つ(もう一つは妹)だったはねるのトびらのコストコでお買い物SPを再放送or頭の中で再生しよう(笑)


今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「ツィガーヌ」



ラヴェルの血筋、というものをまえ話したか分からないのですが、改めてまた。
ラヴェルの父はスイス人、母はバスク人、ラヴェル自身はそんな両親の間にで生まれました。
つまり彼を構成している文化にはスイス、フランス、そしてスペインがあるわけです。
スイスの几帳面さと正確さ、フランスの色彩とエスプリ、そしてスペインの情熱と奔放さがみーんな仲良く共生している、そんなラヴェルの音楽。

ツィガーヌもまたそんなラヴェルの多文化、多面的長所がうまく表れた曲です。
バイオリンとピアノ・・・またはピアノ・リュテアルという装置をくっつけて弾くピアノ(クラムなどで見られるプリペアド・ピアノの前駆的存在ともとれますね)のための曲で。リュテアルはこの曲以外で使われるのを見たことがないのですが、ツィガーヌ、つまりロマ(スペインにはカルメンもそうですがいっぱいいたそうです)の音楽で使われるツィンバロムの音をピアノの機動力を失わず再現することが出来るある意味優れものな装置です。

なんといってもバイオリン、ピアノ両方のパートで見られる華やかな技巧が特徴的。
そしてラヴェルは普段スペイン音楽で使うようなエキゾチックな雰囲気を上手く捉えていて。
がっつりロマの雰囲気はあるけれど、同時にがっつりラヴェルだなあ、という・・・
奔放で情熱的だけれど、それの一つ一つが綿密な計算の結果なんだな、という。
計算を突き詰めても人間くささ、土臭さ、そしてセクシーさは妥協されてなくで。
感情と理論、どっちのルートも通じてラヴェルはぞくぞくさせてくれます♪

バイオリンに関しては普段から(これは音楽の表現そのもの、ことに重厚だったり乱暴だったり奔放だったりに当てはまる事ですが)足りないよりはオーバーな方がずっと良い、と思うのです。
お国柄なのか日本の音楽家、バイオリニスト、特に女性ではなんだか控えめというかおとなしめな演奏が目立ちます。
この曲はでもパワフルすぎで荒々しすぎで奔放しすぎの、カルメンがそうだったロマの人々の不思議で独特なスピリットをラヴェルが感じ愛したのと同じく感じ愛し聴き手に伝えてくれる演奏で楽しみたいものです。

それにしてもラヴェルは楽器使いが上手い!オケでもそうですがこういう技巧と音楽性を駆使した曲を自分で演奏しない楽器のためにこんなに自然に書いてしまうなんて。
完璧な作曲家がいるとしたらラヴェルは限りなくそれに近いんじゃないかと思います。

もっともっとラヴェルの音楽を愛したいし、弾きたいですし。先生なんか一つのコンサートで前ピアノ曲弾いてますけど一人でできる究極の形はそれかなあ。
もっともっとたくさんの人がラヴェルの曲をとりあえず聴いて好きになって・・・そして彼の音楽の凄さを改めて理解してするめを噛むようにさらにさらに好きになって欲しいです。



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