×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
いつもは精神関係というとメンタルヘルスについてのやりきれない気持ちだったりいろんな事項の紹介だったり自分の願望だったりそういった前のめりなスタンスが多いのですが、今日はちょっと思い出話。機密な部分はsけてちょっと振り返ってみようと思います。
2000年3月~5月の私のメルボルンのとある私立精神病院での入院経験。
そのうち比較的前のめりな部分はこちらのエントリーで書きましたが・・・
当時私14歳。まだ実はユースオケの活動もはじめたばっかりで自分の学校以外の自分と同じ年頃の子供達に会ったことがなくて。そんな様々な経緯からみんなばらばらのところから来て、私と同じような苦しみを抱えている若い人とある程度の距離をとりながら・・・全部で20人ほどのセクションで、ご飯からグループセッションからほとんど生活を一緒に過ごしていました。
部屋は一人部屋。一人の時は主に音楽を聴いたり、ポケモンシルバーをやったり(笑)、ピアノが恋しすぎたあまりしょうがないのでチェロを持ってきてもらって弾いたり。
実は隣がレクリエーションルームっぽいもので紅茶やクッキーがあるのでつまんだり、ビリヤードをやったり。
ビリヤードといってもテーブルは曲がってるしポケットはでっかい穴が開いてますし、ボールはだぶったり足りないのがありながら全体的に数が足りなかったりキューは曲がってたり。
でもビリヤード好きなんでよく一人で練習してました。そこでの友達がちょっと教えてくれたりもしながら。
ルールとして患者さんのそれぞれの個室はパーソナルスペースなので他の患者さんの部屋にはいっちゃいけない、ということがありましたのでだいたいみんなと話すのはグループセッションの部屋だったり、レクリエーションルームだったり、喫煙バルコニーだったり。
外らしい外がバルコニー(もちろん各種ガードが施されてます)しかなかったんで煙草は昔も今も吸わないんですがそこでぼーっとしていたことも幾度か。
グループセッションやその他病院生活のもろもろで他の人の辛さ、経緯などにふれあうこともあり。
どうしてここに来るようになったのかを共有したりはもちろん、例えば拒食症の患者さんだと特別な食事を採っていたり、ご飯を食べること自体の大変さを本当に間近で感じたり。
入退院で入れ替わりの結構ある、病院内だけで知り合う他人同士なのですが・・・外の世界よりも逆にそういう経験の共有からかものすごくお互いに自然にうまいこと距離感を感じ取って接することができた不思議なコミュニティでした。
セクションで外出許可のある人はナースさん同伴でみんなで外出、ということもありました。
一回South Yarraに映画(The Insider)見に行って、あと一回はSt Kildaにお茶しにいきました。お茶と言ってももう暗い夕方だったんですが。
ナースさん達も基本は結構若い人が多くて。外に出てナースさんがバッジを外すとなんだか・・・病院から外出の患者さん、というよりは本当にみんな友達同士でわいわいしていた覚えがあります。
ティーンセクションでは毎週一回手作りのマガジンみたいのを作ってて。
みんなが一ページずつ好きなように使ってそれをみんなまとめてコピーを作り、配布するというもので。
2回くらい表紙を担当してた私、前も話した覚えがあるのですが入院するたびに絵描きに転向するといういまでも解明されていない傾向があります。表紙以外でも安易に感じたのか絵を描いたものが残ってました。
ティーンセクションでもう一つすることになっていたのが退院していく仲間に手作りのメッセージカードを送ること。出会いも多ければ別れも多く・・・短い時間だけど濃い時間を過ごした仲間。自分でも驚くほど仲良くなった人もいました。みんなみんな良い子で・・・今大人になってみんなしっかりやってるかな、と今でも思ったりしています。
ちなみにマガジンと手紙は全て今もとってあります。
辛い辛い時期だったけれどなんだかこの入院時期に関しては良い思い出しか残ってません。
共に入院していた仲間との不思議な繋がりや、閉鎖されたとも言い切れない不思議な守られた空間で過ごしたなんだかゆるくもある今となっては半分夢のようだった時間。
この5?6?週間で学んだこともたくさんありますが大事な大事な思い出もたくさんあります。
今ここにこうしていられるのもそのとき治療を受けて、治療の大事さを実感して治療をその後も続けてきたおかげ。そしてみんなと接したからこそ今の私の思いがある、というのもあります。
なんだか「あの頃はよかったな~」的な、あのときを思い出してあの不思議な感じの空気が漂ってますが・・・今日も明日もまた一歩ずつ進んでいこうと思います。
今日の一曲: Graeme Koehne "Twilight Rain"
Australian Music Centre にアルバム"Hammered"の一曲として試聴有り
オーストラリアの割と若手の作曲家、Graeme Koehne。リズミックなオケ曲が比較的知られていますが、今日はピアノ曲を。
オーストラリアの曲を、となったとき割と周りにオーストラリアの音楽専門の友達が(2人ですが)いたのでなんだかそこからちょっと外れたところを、と見ててどうやってだったかたどり着いたのがこの曲でした。
オーストラリア色は・・・割と少なめ?どっちかというとホテルのロビーで弾かれているようなリラックスしたジャズに近く。
きらきら、ゆったり。
Twilight Rain=黄昏雨。いつだったかメルボルンで夕方にすごい雨が降って、広がる雲がゴールドに染まった時があったり、虹がかかったこともよくあったり(ほとんどの場合二重)、狐の嫁入りだったり・・・
そういうときはちょっと時が進むのが遅くなったような、しばし夢の世界に入ってしまったような。
不思議な、ちょっとこの世界じゃないようなさりげないいろんな表情や光の移り変わりがこの曲を聴いたり弾いたりすると感じられます。
最近弾いてるカリュプソーもそうなんですが、もっともっと音楽とリズムにRubato、というか余裕をもってゆったりと感じたいんですよね。最近どうもそういったゆったりな繊細さのセンスがなくて・・・前のめりなのか、やっぱり。
ああ、近いうちこの曲弾かないと、本当に大事な感覚を忘れてしまいそう。
・・・という独り言はおいといて、ふと息が詰まりそうになった時、心を音楽に素直にゆだねたいとき、内外とも晴ればっかりで潤いが足りないとき・・・そんな時にお奨めの一曲です。
リンクしたこの曲の録音のあるページは試聴があるので是非是非ご試聴下さい♪
2000年3月~5月の私のメルボルンのとある私立精神病院での入院経験。
そのうち比較的前のめりな部分はこちらのエントリーで書きましたが・・・
当時私14歳。まだ実はユースオケの活動もはじめたばっかりで自分の学校以外の自分と同じ年頃の子供達に会ったことがなくて。そんな様々な経緯からみんなばらばらのところから来て、私と同じような苦しみを抱えている若い人とある程度の距離をとりながら・・・全部で20人ほどのセクションで、ご飯からグループセッションからほとんど生活を一緒に過ごしていました。
部屋は一人部屋。一人の時は主に音楽を聴いたり、ポケモンシルバーをやったり(笑)、ピアノが恋しすぎたあまりしょうがないのでチェロを持ってきてもらって弾いたり。
実は隣がレクリエーションルームっぽいもので紅茶やクッキーがあるのでつまんだり、ビリヤードをやったり。
ビリヤードといってもテーブルは曲がってるしポケットはでっかい穴が開いてますし、ボールはだぶったり足りないのがありながら全体的に数が足りなかったりキューは曲がってたり。
でもビリヤード好きなんでよく一人で練習してました。そこでの友達がちょっと教えてくれたりもしながら。
ルールとして患者さんのそれぞれの個室はパーソナルスペースなので他の患者さんの部屋にはいっちゃいけない、ということがありましたのでだいたいみんなと話すのはグループセッションの部屋だったり、レクリエーションルームだったり、喫煙バルコニーだったり。
外らしい外がバルコニー(もちろん各種ガードが施されてます)しかなかったんで煙草は昔も今も吸わないんですがそこでぼーっとしていたことも幾度か。
グループセッションやその他病院生活のもろもろで他の人の辛さ、経緯などにふれあうこともあり。
どうしてここに来るようになったのかを共有したりはもちろん、例えば拒食症の患者さんだと特別な食事を採っていたり、ご飯を食べること自体の大変さを本当に間近で感じたり。
入退院で入れ替わりの結構ある、病院内だけで知り合う他人同士なのですが・・・外の世界よりも逆にそういう経験の共有からかものすごくお互いに自然にうまいこと距離感を感じ取って接することができた不思議なコミュニティでした。
セクションで外出許可のある人はナースさん同伴でみんなで外出、ということもありました。
一回South Yarraに映画(The Insider)見に行って、あと一回はSt Kildaにお茶しにいきました。お茶と言ってももう暗い夕方だったんですが。
ナースさん達も基本は結構若い人が多くて。外に出てナースさんがバッジを外すとなんだか・・・病院から外出の患者さん、というよりは本当にみんな友達同士でわいわいしていた覚えがあります。
ティーンセクションでは毎週一回手作りのマガジンみたいのを作ってて。
みんなが一ページずつ好きなように使ってそれをみんなまとめてコピーを作り、配布するというもので。
2回くらい表紙を担当してた私、前も話した覚えがあるのですが入院するたびに絵描きに転向するといういまでも解明されていない傾向があります。表紙以外でも安易に感じたのか絵を描いたものが残ってました。
ティーンセクションでもう一つすることになっていたのが退院していく仲間に手作りのメッセージカードを送ること。出会いも多ければ別れも多く・・・短い時間だけど濃い時間を過ごした仲間。自分でも驚くほど仲良くなった人もいました。みんなみんな良い子で・・・今大人になってみんなしっかりやってるかな、と今でも思ったりしています。
ちなみにマガジンと手紙は全て今もとってあります。
辛い辛い時期だったけれどなんだかこの入院時期に関しては良い思い出しか残ってません。
共に入院していた仲間との不思議な繋がりや、閉鎖されたとも言い切れない不思議な守られた空間で過ごしたなんだかゆるくもある今となっては半分夢のようだった時間。
この5?6?週間で学んだこともたくさんありますが大事な大事な思い出もたくさんあります。
今ここにこうしていられるのもそのとき治療を受けて、治療の大事さを実感して治療をその後も続けてきたおかげ。そしてみんなと接したからこそ今の私の思いがある、というのもあります。
なんだか「あの頃はよかったな~」的な、あのときを思い出してあの不思議な感じの空気が漂ってますが・・・今日も明日もまた一歩ずつ進んでいこうと思います。
今日の一曲: Graeme Koehne "Twilight Rain"
Australian Music Centre にアルバム"Hammered"の一曲として試聴有り
オーストラリアの割と若手の作曲家、Graeme Koehne。リズミックなオケ曲が比較的知られていますが、今日はピアノ曲を。
オーストラリアの曲を、となったとき割と周りにオーストラリアの音楽専門の友達が(2人ですが)いたのでなんだかそこからちょっと外れたところを、と見ててどうやってだったかたどり着いたのがこの曲でした。
オーストラリア色は・・・割と少なめ?どっちかというとホテルのロビーで弾かれているようなリラックスしたジャズに近く。
きらきら、ゆったり。
Twilight Rain=黄昏雨。いつだったかメルボルンで夕方にすごい雨が降って、広がる雲がゴールドに染まった時があったり、虹がかかったこともよくあったり(ほとんどの場合二重)、狐の嫁入りだったり・・・
そういうときはちょっと時が進むのが遅くなったような、しばし夢の世界に入ってしまったような。
不思議な、ちょっとこの世界じゃないようなさりげないいろんな表情や光の移り変わりがこの曲を聴いたり弾いたりすると感じられます。
最近弾いてるカリュプソーもそうなんですが、もっともっと音楽とリズムにRubato、というか余裕をもってゆったりと感じたいんですよね。最近どうもそういったゆったりな繊細さのセンスがなくて・・・前のめりなのか、やっぱり。
ああ、近いうちこの曲弾かないと、本当に大事な感覚を忘れてしまいそう。
・・・という独り言はおいといて、ふと息が詰まりそうになった時、心を音楽に素直にゆだねたいとき、内外とも晴ればっかりで潤いが足りないとき・・・そんな時にお奨めの一曲です。
リンクしたこの曲の録音のあるページは試聴があるので是非是非ご試聴下さい♪
PR
今日は久しぶりに練習の日でした。初見も合わせて2時間半。内容もわりとがっつりで。ブラームスに精魂注入しすぎてスタミナがちょっと続かなかったけれど全般的に満足のいく練習でした。
だんだんやっぱりこないだのクラム事件(?)以来プロとして演奏したい気持ちがふくらんでしょうがないのですが・・・今の翻訳の仕事、メンタルヘルスに関する夢、ミュージックアドバイザーに関する夢と合わせてなんだか本当に欲張りすぎなのかしら。なるべく多く掴んで連携させたい部分もありますし・・・
練習のプロセス自体もでも好きですね。
練習はわりと下手なほうなのではないかと思うのでこのエントリーがなんの参考になるとも思っていないのですが・・・とりあえず独り言として、はい。
そもそも技巧の練習というものが苦手というか嫌いでして。
はなっから技巧によって音楽性が妥協されて釣り合わない状態になっている曲は弾かない、技巧のためだけに曲を弾かない私。
うちの先生がせっかちだとよく言ってますが私も人のことはいえず見切りが早い方で(苦笑)
自分にとってその曲が自分が弾くほどの価値・魅力がないと判断すると(偉そうですが)ためらいもなく捨てますからねえ。
ようするに堪え性がないんです。お恥ずかしながら。
なので一日の練習を音階から、なんてことはしません。
金管楽器や声楽の方々はちゃんとウォームアップから毎回はじめるのが当たり前ですが、そこのところピアノは個人によりけりで。
音階とかエチュードからはじめると体力がちょっと少なめでちょっと朝に弱かったりすることもある私の場合心身に負荷がかかったりするので・・・
一日練習する予定の曲を事前にじっくり見て、練習時間によって自分がバテることなく最後までじっくり練習できるように順番を決めるのが大学以来恒例です。
(体力をどうこう、ということはまだ・・・(汗))
なんせ大学時代、特に最終年は一日8時間とか練習していました。
朝一は本当にゆるゆるした曲から初めて、負荷の高い曲は昼休み前にもってきたり、一日の終わりは集中力を過度に必要とする曲は避けたりしてないととうてい8時間は続きませんからね!
(ちなみに8時間練習できるまでに結構積み重ねしました)
練習環境は少なくとも自分にとってはなかなか好きな練習環境でした。
地下の窓のない練習室の一番奥の一番狭い部屋で。
無機質で閉鎖的な環境が逆に音楽に神経を集中しやすくて。週末とかだと地下に一人だったりしてそれもいいんですが、平日に色んな部屋のいろんな曲がきこえてきて、これはこの人だな、とか休憩しながら思いを巡らすのも好きでした。
練習するときは今は一曲30分単位ですが大学の時は8時間もあるので一曲1時間単位でした。
レッスンに持ってかないクラムとかもやってたので曲数もありました。
で、4時間+4時間の間に昼休み。
昼休みは楽譜も見ず、ちゃんと外に行って外の空気をすって景色を見て。ちゃんとご飯を(外で)食べて。
立って歩いたり寝転がったりして血の巡りをよくしたりして。
一時間いっぱい気分転換についやしたりなんだり。
ピアノを今年再会したときは1時間からはじめて徐々に時間を増やしてきまして・・・今は2時間半休憩無しでいけるようになりました。
でもやっぱり調子が芳しくないときとか、本来は休憩する所じゃないんだけれど集中力や体力のそのときそのときで「いかんなあ」と思うときは無理せず休むのは今も昔も一緒。
そこは無理に押したら自分にとっても音楽にとっても練習にとっても他の日常生活にとっても良くないですからね。
舞台に立つことがないとあんまりやらないのが暗譜の練習。
暗譜は苦手ではないし、暗譜で弾く方が気が引き締まるしある意味楽なのですが、ぱっと覚えられるタイプではありません。
ページのめくるところとかは割と早く覚えちゃうんですけど、結構地道に1ページとか1セクションごとに楽譜を見たり見なかったり、あとは録音を聴いたりして暗譜することが多かった気がします。
必要でないけど感覚が鈍るから暗譜の練習、した方が良いなあ・・・
あとは曲・作曲家特有の練習とか・・・
最近で言うと初めましてのシマノフスキ。
譜読みがわりとハーモニーなどが独特なので難しくて・・・録音を聴きながら楽譜を見つめて色彩を耳で覚えたり、同じく録音を聴きながらスタイルを掴もうとしたり。
こういう練習は同じ初めましてでもヒンデミットとかだとそこまでは必要なかったり。
演奏の為の練習についてはでもコンサートクラスで舞台によく立ってたのであるていど確立されたものがあると自信を持って言えます。
例えばコンサートクラスは午前11時開始。トップバッターなことが多かったので、必然的に朝に弾くことになります。
いつも先ほどの順番の計画にのっとって午後に練習している曲も舞台に立つ1週間前からは努めて朝に練習するように心がけて。
演奏するときにはく靴や服もたまに前の日とかに試しに着て・履いて練習したりするときもあります。
ちなみに自分の番が回ってくる前は特別にすることはないのですが談笑したり、他の人の楽譜見たり、自分の楽譜見たり。私は気ままに過ごすのが一番です。
コンサートクラスはその日の朝15分ホールで練習するように予約できて、それはもちろん活用します。ホールで弾く事、ホールのピアノで弾くこと、服、靴も合わせて(この時点で着替えてる)本番のコンディションでリハーサルできる大切な機会なので。
総合して言うと「慣れないことをする」ことをなるべく避けているのです。
なんかの番組でロザンの宇治原さんとそのお母様が「試験の日はいつも通り」という事をおっしゃってましたが実にその通りなのです。
演奏で不要な緊張をなるべく除くため、練習を通じて「慣れ」を作っておいて、なるべく演奏の時に「初めて」をなくす練習と心がけは肝に銘じています。
ただ演奏の場合ある程度の緊張はポジティブに働くので、例えばオケで演奏の時と同じくソロでも演奏衣装はオールブラック。ちょいちょいアクセサリーとか服とか曲に合わせてアレンジしてますがとにかく全部黒。
黒だとやっぱり色としても心が引き締まりますし、「演奏のときはオールブラック」というオケの経験からの刷り込みでほどよく緊張を与えてくれるんですよね。黒は弾いていて周辺視野に入っても気が散らない色ですし。
・・・といった独り言何ですが、やっぱり練習云々よりも今ものすごく黒ずくめで舞台に立ってピアノが弾きたい、という欲がわいてきてしまって。
とりあえず明日も練習。一歩でもまたその欲を満たすため・・・というか夢をかなえるために進めるといいな、と思ってます。
今日の一曲: フレデリック・ショパン 練習曲op.10-1
今日の一曲に私の好きな曲ばっかりが乗ると思ったら大間違いです。演奏によるのですが、あんまり印象があれな今日の一曲。
メル大の音楽科のピアノの試験の課題曲に毎年ある程度ショパンのエチュードが入ってるため、地下練習室でもコンサートクラスでもその他いろんなところでショパンの練習曲は聴きました。そのなかでもダントツでよく聴くのがこちら。
私にとっては「技巧と音楽性が釣り合わない音楽」の代名詞みたいな曲。まあ技巧のために弾かれて、特に技巧の試験のために弾かれる曲なので演奏も結構技巧ヘビーな感じな曲が大学もそうですが巷でも多く。
ちょっと残念なんですよね。ハ長調はあらゆる可能性を秘めた白いキャンバス、そして全ての色を含んだ白。
ピアノの音域と響きを広く使って、まるで広がったオーストラリアの(?)青空のようなすがすがしさ。
息の長いフレーズにそのキャンバスに乗せていくさまざまなハーモニーの色!
作品10の最初の曲とあって一番最初に弾く事が不可欠でもある、音楽的にもトップバッターがふさわしい曲なのですが、技巧の難しさからものすごく最初に弾く事を恐れられてる曲でもあります。
でもだからこそ、ね・・・弾かないんで偉いことは言えないんですけど大きく深呼吸をするようにめるくめくピアノの色彩の世界をパワフルに、でも技巧中心じゃなく聴きたいんですよ。
聴く方としては朝一にぴったりな曲!がつんと明るく一日をはじめられる曲なので生演奏でそれを要求するのはいけませんが(笑)CDかなんかで是非!朝をすがすがしく明るくはじめましょう♪
だんだんやっぱりこないだのクラム事件(?)以来プロとして演奏したい気持ちがふくらんでしょうがないのですが・・・今の翻訳の仕事、メンタルヘルスに関する夢、ミュージックアドバイザーに関する夢と合わせてなんだか本当に欲張りすぎなのかしら。なるべく多く掴んで連携させたい部分もありますし・・・
練習のプロセス自体もでも好きですね。
練習はわりと下手なほうなのではないかと思うのでこのエントリーがなんの参考になるとも思っていないのですが・・・とりあえず独り言として、はい。
そもそも技巧の練習というものが苦手というか嫌いでして。
はなっから技巧によって音楽性が妥協されて釣り合わない状態になっている曲は弾かない、技巧のためだけに曲を弾かない私。
うちの先生がせっかちだとよく言ってますが私も人のことはいえず見切りが早い方で(苦笑)
自分にとってその曲が自分が弾くほどの価値・魅力がないと判断すると(偉そうですが)ためらいもなく捨てますからねえ。
ようするに堪え性がないんです。お恥ずかしながら。
なので一日の練習を音階から、なんてことはしません。
金管楽器や声楽の方々はちゃんとウォームアップから毎回はじめるのが当たり前ですが、そこのところピアノは個人によりけりで。
音階とかエチュードからはじめると体力がちょっと少なめでちょっと朝に弱かったりすることもある私の場合心身に負荷がかかったりするので・・・
一日練習する予定の曲を事前にじっくり見て、練習時間によって自分がバテることなく最後までじっくり練習できるように順番を決めるのが大学以来恒例です。
(体力をどうこう、ということはまだ・・・(汗))
なんせ大学時代、特に最終年は一日8時間とか練習していました。
朝一は本当にゆるゆるした曲から初めて、負荷の高い曲は昼休み前にもってきたり、一日の終わりは集中力を過度に必要とする曲は避けたりしてないととうてい8時間は続きませんからね!
(ちなみに8時間練習できるまでに結構積み重ねしました)
練習環境は少なくとも自分にとってはなかなか好きな練習環境でした。
地下の窓のない練習室の一番奥の一番狭い部屋で。
無機質で閉鎖的な環境が逆に音楽に神経を集中しやすくて。週末とかだと地下に一人だったりしてそれもいいんですが、平日に色んな部屋のいろんな曲がきこえてきて、これはこの人だな、とか休憩しながら思いを巡らすのも好きでした。
練習するときは今は一曲30分単位ですが大学の時は8時間もあるので一曲1時間単位でした。
レッスンに持ってかないクラムとかもやってたので曲数もありました。
で、4時間+4時間の間に昼休み。
昼休みは楽譜も見ず、ちゃんと外に行って外の空気をすって景色を見て。ちゃんとご飯を(外で)食べて。
立って歩いたり寝転がったりして血の巡りをよくしたりして。
一時間いっぱい気分転換についやしたりなんだり。
ピアノを今年再会したときは1時間からはじめて徐々に時間を増やしてきまして・・・今は2時間半休憩無しでいけるようになりました。
でもやっぱり調子が芳しくないときとか、本来は休憩する所じゃないんだけれど集中力や体力のそのときそのときで「いかんなあ」と思うときは無理せず休むのは今も昔も一緒。
そこは無理に押したら自分にとっても音楽にとっても練習にとっても他の日常生活にとっても良くないですからね。
舞台に立つことがないとあんまりやらないのが暗譜の練習。
暗譜は苦手ではないし、暗譜で弾く方が気が引き締まるしある意味楽なのですが、ぱっと覚えられるタイプではありません。
ページのめくるところとかは割と早く覚えちゃうんですけど、結構地道に1ページとか1セクションごとに楽譜を見たり見なかったり、あとは録音を聴いたりして暗譜することが多かった気がします。
必要でないけど感覚が鈍るから暗譜の練習、した方が良いなあ・・・
あとは曲・作曲家特有の練習とか・・・
最近で言うと初めましてのシマノフスキ。
譜読みがわりとハーモニーなどが独特なので難しくて・・・録音を聴きながら楽譜を見つめて色彩を耳で覚えたり、同じく録音を聴きながらスタイルを掴もうとしたり。
こういう練習は同じ初めましてでもヒンデミットとかだとそこまでは必要なかったり。
演奏の為の練習についてはでもコンサートクラスで舞台によく立ってたのであるていど確立されたものがあると自信を持って言えます。
例えばコンサートクラスは午前11時開始。トップバッターなことが多かったので、必然的に朝に弾くことになります。
いつも先ほどの順番の計画にのっとって午後に練習している曲も舞台に立つ1週間前からは努めて朝に練習するように心がけて。
演奏するときにはく靴や服もたまに前の日とかに試しに着て・履いて練習したりするときもあります。
ちなみに自分の番が回ってくる前は特別にすることはないのですが談笑したり、他の人の楽譜見たり、自分の楽譜見たり。私は気ままに過ごすのが一番です。
コンサートクラスはその日の朝15分ホールで練習するように予約できて、それはもちろん活用します。ホールで弾く事、ホールのピアノで弾くこと、服、靴も合わせて(この時点で着替えてる)本番のコンディションでリハーサルできる大切な機会なので。
総合して言うと「慣れないことをする」ことをなるべく避けているのです。
なんかの番組でロザンの宇治原さんとそのお母様が「試験の日はいつも通り」という事をおっしゃってましたが実にその通りなのです。
演奏で不要な緊張をなるべく除くため、練習を通じて「慣れ」を作っておいて、なるべく演奏の時に「初めて」をなくす練習と心がけは肝に銘じています。
ただ演奏の場合ある程度の緊張はポジティブに働くので、例えばオケで演奏の時と同じくソロでも演奏衣装はオールブラック。ちょいちょいアクセサリーとか服とか曲に合わせてアレンジしてますがとにかく全部黒。
黒だとやっぱり色としても心が引き締まりますし、「演奏のときはオールブラック」というオケの経験からの刷り込みでほどよく緊張を与えてくれるんですよね。黒は弾いていて周辺視野に入っても気が散らない色ですし。
・・・といった独り言何ですが、やっぱり練習云々よりも今ものすごく黒ずくめで舞台に立ってピアノが弾きたい、という欲がわいてきてしまって。
とりあえず明日も練習。一歩でもまたその欲を満たすため・・・というか夢をかなえるために進めるといいな、と思ってます。
今日の一曲: フレデリック・ショパン 練習曲op.10-1
今日の一曲に私の好きな曲ばっかりが乗ると思ったら大間違いです。演奏によるのですが、あんまり印象があれな今日の一曲。
メル大の音楽科のピアノの試験の課題曲に毎年ある程度ショパンのエチュードが入ってるため、地下練習室でもコンサートクラスでもその他いろんなところでショパンの練習曲は聴きました。そのなかでもダントツでよく聴くのがこちら。
私にとっては「技巧と音楽性が釣り合わない音楽」の代名詞みたいな曲。まあ技巧のために弾かれて、特に技巧の試験のために弾かれる曲なので演奏も結構技巧ヘビーな感じな曲が大学もそうですが巷でも多く。
ちょっと残念なんですよね。ハ長調はあらゆる可能性を秘めた白いキャンバス、そして全ての色を含んだ白。
ピアノの音域と響きを広く使って、まるで広がったオーストラリアの(?)青空のようなすがすがしさ。
息の長いフレーズにそのキャンバスに乗せていくさまざまなハーモニーの色!
作品10の最初の曲とあって一番最初に弾く事が不可欠でもある、音楽的にもトップバッターがふさわしい曲なのですが、技巧の難しさからものすごく最初に弾く事を恐れられてる曲でもあります。
でもだからこそ、ね・・・弾かないんで偉いことは言えないんですけど大きく深呼吸をするようにめるくめくピアノの色彩の世界をパワフルに、でも技巧中心じゃなく聴きたいんですよ。
聴く方としては朝一にぴったりな曲!がつんと明るく一日をはじめられる曲なので生演奏でそれを要求するのはいけませんが(笑)CDかなんかで是非!朝をすがすがしく明るくはじめましょう♪
前回メンタルヘルスのイベントに行ってからずいぶん時間が経ちました。
最近何もしてないな~と思いながらいくつか購読してるそちら関係メルマガを見ながらTPOのTとPとOが見事に食い違ってて行けないイベントを残念に思ったり。
でも仕事が一段落したところでちょっと勇気を出して別にアクションを起こしてみようと思っています。それについてはまた後ほど。
病気の治療の進歩、というのは新しい治療の開発、今ある治療の改良もありますが、様々な治療法の組み合わせなどでの進歩もめざましいです。
身体の病気でもQoL=Quality of Lifeといって患者さんが人間らしく生活しながら治療を受けれるようにとか、慢性的な病気での心のケア、行動認知療法の導入もされています。
反面メンタルヘルスの分野での薬に頼りがちな傾向、逆に気合いで、または自分一人で乗り切ろうとしてしまうケース、「薬がいらないくらいなら病気じゃない」という認識など様々な治療法があって、個人個人の性格や状況、病状や長所・短所などの違いに合わせて組み合わせていくべき連携がうまくいっていない現状もあり。
とりあえずこの点に関する私が入院していた病院の治療、ならびに私の精神医の教訓を手っ取り早くまとめるとこうなります:
1) 薬を使う前に他の手を尽くしてみるが、投薬治療のオプションもちゃんと考慮
2) 単一の治療法にたよらず、必ず多方面から病気にタックル
3) 患者さんの性格や傾向、状況などを把握した上で治療法をいろいろ根気よく試してその人にあった治療法をtailorする
そもそも精神の病気の原因から始めて単一の側面から捉えることはできなくて。
まずは遺伝的に特定の病気にかかるポテンシャルみたいなものがあったりで、そこに環境的だったりその他のさまざまな種類のストレス(他の病気など)だったりが引き金となって心の一時的な不調が病気に発展する、というケース・・・を含みますがもちろんそれだけではありません。
症状の種類も多様で、気分の落ち込みや高揚の感情症状、自殺意図・妄想などの思考症状、不眠・活動低下などの行動症状などがあり、それがまた相互に連携していたり。さらに個人により症状の表れ方はまったく違います。
で、病気のメカニズムもまだ解明されていない部分がありますが、明確になっている部分としては生物学的に脳で化学物質がいろいろなったりしていることによって感情、思考、行動に症状が現れ、その感情、思考、行動(そしてそれにより引き起こされた外的イベントなど)がまた化学物質の以上を引き起こして・・・という悪循環がキラーなわけですね。
なので薬によって化学物質のアンバランスを正そうとしたとしても感情・思考・行動を正さないとアンバランスは食い止められられないわけですし、逆に感情・思考・行動が病気におかされている違う患者さんには薬を使って化学物質のバランスを助けてあげないと例えば認知行動療法などの治療法の実行が難しくなります。
例えばティーンセクションに入院したときは「家族療法」が頻繁に行われていました。
患者さんをとりまく環境を改善し、家族の理解を深め家族によりサポートが行えるようになるようにという目的があります。
統合失調症などは患者さんが人間らしく生活できるよう幻覚などの症状を薬で抑えるのも大事ですが、幻覚や妄想を経験したとき自分の力で対応できるようにする治療も大切ですしね。
「病は気から」ということわざがありますが、ちょっとざっくりしすぎだな・・・と私は思っていて。
精神疾患によって患者さんは症状に対する対応力、正常な思考能力、さらに気力・精神的エネルギーに多大な影響ができるので、気合いで乗り切る、なんてことはさらなる悪化、迷走を招きかねないです。
でも意識的に自分の思考や行動を変えて、それによって脳内の化学物質のアンバランスを(全部食い止められるわけではもちろんありませんが)少しでもストップすることはできると思います。
確信をもって言えることは例えば病気の初期(または病気の入り口の前あたり)の投薬以前の状態にそういった種類の対応を怠ると先ほど書きましたような悪循環でそれこそ治療が格段と難しくなる、ということです。
どこからどこまでが病気か、というのは本当に難しいところで。
いろんな分類や尺度でそれを測ることが治療上必要で、でも精神疾患は数値化するのが難しく、さらに客観的判断・主観的判断に絶対的な信頼がもてないことから尺度や分類を作るのが本当に難しくて色んな専門家がどんなに頭をひねっても本当に納得のいくものが作られていない状態なんですよ。
だからってなんでもかんでも病気としてくくってしまうのはいろんな意味で悪いことだと思いますし、でも逆に問題の深刻さを認識しないのもいけないことですし。
ただやっぱり「長期にわたって生活に支障が出る」というのは目安ではあると思います。
うつは症状の持続が2週間、という目安がありますが、例えば仕事、家事から趣味まで(趣味は実は病状を知るためには良い目安となるんですよね)という日常の生活を送ることが難しくなったら薬が必要であろうが必要でなかろうが病気とされるべきなのかな、と思います。
特に先ほどの「薬を飲む前に他の治療法を実行」の方針で行くなら薬は初期には投与されないということになります。薬は他の治療法でもその日常の生活を送るのがまだ難しい場合にはじめて用いられますから実際薬を飲み始めたのは中度~重症のとき、というケースもあります(なので薬がいらないなら病気じゃない、というのはかなりの深刻なケースを認識していないことになりますね)。
精神疾患のさまざまな治療法、というのはまた別の時にお話ししたいのですが、患者さんや周りの人、社会全体に知られていないことが多く、その効果や実態、実際にどういう風に行われているか、どういう風に感じる者か、その必要性と重要さについては特に健常者のかたにはぴんとこないかもしれませんが、何事も病気になってみないとわからないですし、それに日常を健康に生きている間にも役に立つことなので・・・それを知っていることが常識になって、治療のオプションが明確になって、個人にあった治療に患者さん自身も周りの人も巻きんでやっていける日がくるといいな、と願っています。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ハンガリー舞曲第4番
ブラームスのハンガリー舞曲といったらまず第5番が有名でその次に第6番、第1番。
でもそれに並んで新しいスタンダードになって欲しいと強く願っているこの曲。
ブラームスのハンガリー舞曲は21つあるうちの全部においてそのエネルギッシュでsolidな調子の良さが売り。ブラームス自身はドイツ人ですが、ハンガリーのスピリットをうまく捉え、さらに自分のスタイルの長所を上手く忍び込ませています。
私のハンガリー音楽のイメージは騎馬民族、フン族。首を多く取ったら勝ち、的な・・・リズムに躍動感が強い、ものすごいエネルギーで前に進む音楽。土臭く、いかにも「民族」音楽的な・・・西洋から見れば野蛮なエレメントを備えかねていて。数ある東欧の音楽の中でも特に野性的なものだと思います。
(反面バルトークやリゲティはこの野性的な精神を妥協せず、パーフェクトな理数的計算も入れてくるのですが、その事についてはまた別の機会に・・・)
ブラームスはどっちかというと内向的な人で、エネルギーをため込むのが上手い作曲家ですが、同時にそれを発散するのも上手いです。ハンガリー舞曲ではスローな箇所で溜めて溜めて、それを一気に速い箇所でリリースする、前も書きましたがエネルギーのベクトルの魔術師で。
だからハンガリー音楽のその運動エネルギー、推進力を有意義に引き出すことができるわけです。
ちなみにこないだの24keysvirus企画でいうと第4番の調はヘ短調「血」。
まさにハンガリーの野性的精神の一番深いところと同調するような調であり、さらにブラームスがわりと得意としている調でもあります。
この調だからこそものすごく腹に来る、たまらなくしびれる情熱があるのです♪
私は実はこの曲を聴いては痺れ、惚れ、もう血に酔ったようになっていますが・・・
本当にいろんな意味でたまらない魅力をもった曲です。血とかその他いろいろ迸ります。
ぜひぜひ新しいハンガリー舞曲のスタンダードに!
最近何もしてないな~と思いながらいくつか購読してるそちら関係メルマガを見ながらTPOのTとPとOが見事に食い違ってて行けないイベントを残念に思ったり。
でも仕事が一段落したところでちょっと勇気を出して別にアクションを起こしてみようと思っています。それについてはまた後ほど。
病気の治療の進歩、というのは新しい治療の開発、今ある治療の改良もありますが、様々な治療法の組み合わせなどでの進歩もめざましいです。
身体の病気でもQoL=Quality of Lifeといって患者さんが人間らしく生活しながら治療を受けれるようにとか、慢性的な病気での心のケア、行動認知療法の導入もされています。
反面メンタルヘルスの分野での薬に頼りがちな傾向、逆に気合いで、または自分一人で乗り切ろうとしてしまうケース、「薬がいらないくらいなら病気じゃない」という認識など様々な治療法があって、個人個人の性格や状況、病状や長所・短所などの違いに合わせて組み合わせていくべき連携がうまくいっていない現状もあり。
とりあえずこの点に関する私が入院していた病院の治療、ならびに私の精神医の教訓を手っ取り早くまとめるとこうなります:
1) 薬を使う前に他の手を尽くしてみるが、投薬治療のオプションもちゃんと考慮
2) 単一の治療法にたよらず、必ず多方面から病気にタックル
3) 患者さんの性格や傾向、状況などを把握した上で治療法をいろいろ根気よく試してその人にあった治療法をtailorする
そもそも精神の病気の原因から始めて単一の側面から捉えることはできなくて。
まずは遺伝的に特定の病気にかかるポテンシャルみたいなものがあったりで、そこに環境的だったりその他のさまざまな種類のストレス(他の病気など)だったりが引き金となって心の一時的な不調が病気に発展する、というケース・・・を含みますがもちろんそれだけではありません。
症状の種類も多様で、気分の落ち込みや高揚の感情症状、自殺意図・妄想などの思考症状、不眠・活動低下などの行動症状などがあり、それがまた相互に連携していたり。さらに個人により症状の表れ方はまったく違います。
で、病気のメカニズムもまだ解明されていない部分がありますが、明確になっている部分としては生物学的に脳で化学物質がいろいろなったりしていることによって感情、思考、行動に症状が現れ、その感情、思考、行動(そしてそれにより引き起こされた外的イベントなど)がまた化学物質の以上を引き起こして・・・という悪循環がキラーなわけですね。
なので薬によって化学物質のアンバランスを正そうとしたとしても感情・思考・行動を正さないとアンバランスは食い止められられないわけですし、逆に感情・思考・行動が病気におかされている違う患者さんには薬を使って化学物質のバランスを助けてあげないと例えば認知行動療法などの治療法の実行が難しくなります。
例えばティーンセクションに入院したときは「家族療法」が頻繁に行われていました。
患者さんをとりまく環境を改善し、家族の理解を深め家族によりサポートが行えるようになるようにという目的があります。
統合失調症などは患者さんが人間らしく生活できるよう幻覚などの症状を薬で抑えるのも大事ですが、幻覚や妄想を経験したとき自分の力で対応できるようにする治療も大切ですしね。
「病は気から」ということわざがありますが、ちょっとざっくりしすぎだな・・・と私は思っていて。
精神疾患によって患者さんは症状に対する対応力、正常な思考能力、さらに気力・精神的エネルギーに多大な影響ができるので、気合いで乗り切る、なんてことはさらなる悪化、迷走を招きかねないです。
でも意識的に自分の思考や行動を変えて、それによって脳内の化学物質のアンバランスを(全部食い止められるわけではもちろんありませんが)少しでもストップすることはできると思います。
確信をもって言えることは例えば病気の初期(または病気の入り口の前あたり)の投薬以前の状態にそういった種類の対応を怠ると先ほど書きましたような悪循環でそれこそ治療が格段と難しくなる、ということです。
どこからどこまでが病気か、というのは本当に難しいところで。
いろんな分類や尺度でそれを測ることが治療上必要で、でも精神疾患は数値化するのが難しく、さらに客観的判断・主観的判断に絶対的な信頼がもてないことから尺度や分類を作るのが本当に難しくて色んな専門家がどんなに頭をひねっても本当に納得のいくものが作られていない状態なんですよ。
だからってなんでもかんでも病気としてくくってしまうのはいろんな意味で悪いことだと思いますし、でも逆に問題の深刻さを認識しないのもいけないことですし。
ただやっぱり「長期にわたって生活に支障が出る」というのは目安ではあると思います。
うつは症状の持続が2週間、という目安がありますが、例えば仕事、家事から趣味まで(趣味は実は病状を知るためには良い目安となるんですよね)という日常の生活を送ることが難しくなったら薬が必要であろうが必要でなかろうが病気とされるべきなのかな、と思います。
特に先ほどの「薬を飲む前に他の治療法を実行」の方針で行くなら薬は初期には投与されないということになります。薬は他の治療法でもその日常の生活を送るのがまだ難しい場合にはじめて用いられますから実際薬を飲み始めたのは中度~重症のとき、というケースもあります(なので薬がいらないなら病気じゃない、というのはかなりの深刻なケースを認識していないことになりますね)。
精神疾患のさまざまな治療法、というのはまた別の時にお話ししたいのですが、患者さんや周りの人、社会全体に知られていないことが多く、その効果や実態、実際にどういう風に行われているか、どういう風に感じる者か、その必要性と重要さについては特に健常者のかたにはぴんとこないかもしれませんが、何事も病気になってみないとわからないですし、それに日常を健康に生きている間にも役に立つことなので・・・それを知っていることが常識になって、治療のオプションが明確になって、個人にあった治療に患者さん自身も周りの人も巻きんでやっていける日がくるといいな、と願っています。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ハンガリー舞曲第4番
ブラームスのハンガリー舞曲といったらまず第5番が有名でその次に第6番、第1番。
でもそれに並んで新しいスタンダードになって欲しいと強く願っているこの曲。
ブラームスのハンガリー舞曲は21つあるうちの全部においてそのエネルギッシュでsolidな調子の良さが売り。ブラームス自身はドイツ人ですが、ハンガリーのスピリットをうまく捉え、さらに自分のスタイルの長所を上手く忍び込ませています。
私のハンガリー音楽のイメージは騎馬民族、フン族。首を多く取ったら勝ち、的な・・・リズムに躍動感が強い、ものすごいエネルギーで前に進む音楽。土臭く、いかにも「民族」音楽的な・・・西洋から見れば野蛮なエレメントを備えかねていて。数ある東欧の音楽の中でも特に野性的なものだと思います。
(反面バルトークやリゲティはこの野性的な精神を妥協せず、パーフェクトな理数的計算も入れてくるのですが、その事についてはまた別の機会に・・・)
ブラームスはどっちかというと内向的な人で、エネルギーをため込むのが上手い作曲家ですが、同時にそれを発散するのも上手いです。ハンガリー舞曲ではスローな箇所で溜めて溜めて、それを一気に速い箇所でリリースする、前も書きましたがエネルギーのベクトルの魔術師で。
だからハンガリー音楽のその運動エネルギー、推進力を有意義に引き出すことができるわけです。
ちなみにこないだの24keysvirus企画でいうと第4番の調はヘ短調「血」。
まさにハンガリーの野性的精神の一番深いところと同調するような調であり、さらにブラームスがわりと得意としている調でもあります。
この調だからこそものすごく腹に来る、たまらなくしびれる情熱があるのです♪
私は実はこの曲を聴いては痺れ、惚れ、もう血に酔ったようになっていますが・・・
本当にいろんな意味でたまらない魅力をもった曲です。血とかその他いろいろ迸ります。
ぜひぜひ新しいハンガリー舞曲のスタンダードに!
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません
疲れ気味が続いていますが仕事も忙しい!週末はピアノがちょっとでもできたらいいなあ、と思いながらくたくたしています。
ソロで舞台に立つよりもオケの一員としてピアノやチェレスタを演奏した方がずーっと経験としては私は多いのですが、なんといってもオーケストラのピアノやチェレスタのパートは休みが多い。弾いてるより待ってる方が断然多い。
数えることももはや諦めてしまうほどの休符の中でやっぱり辺りを見回したとき一番気になるのはお隣さん。
なんせそのお隣さんがハープなんですから。
ハープ、というのはピアノやチェレスタよりは頻繁にオーケストラで用いられますが、それでもフルタイムメンバーではないので必要とされているときにリハーサルに来て、単独で動いている感が強い楽器です。
やっぱりバレエなどで特に見られる優雅なイメージはありますが、47本も弦があるので太くお腹に響くような低音も出ますし、特殊な弾き方ではsinisterなイメージの音まで出します。
なのでやっぱりよくある「ハープはお嬢さん」的なイメージだけではない!とかねがね思っていたのです。
大学のオケなどで何人かのハープ奏者と隣になっていろいろお話を聞きましたが、何よりもメル響のハープ奏者の方にはいろんなことを学びました。今日のハープについてのちょっとした紹介と性格分析は彼女から学んだことが主な出典です。
どんなことが難しいか、とかはもちろん、周辺楽器(ピアノ、ハープ、チェレスタをオケの端っこにいるためPeripheral Instrumentsと勝手に私が呼んでるのの訳語)の存在をちゃんと認識して、的確な指示を与えてくれてさらにいたわってくれる指揮者が本当に良い指揮者ですよね、なんて話とかで盛り上がったり・・・(笑)
ハープはやっぱり楽器も(メンテナンスも)、常に車運搬なのでガソリン代も、そのほか諸々出費が多い楽器ではあるので確かにある程度経済的に恵まれている人が弾く事がやっぱり多いらしい楽器です。
ただオケはフルタイムでなくてもそれに加えて例えば結婚式で演奏するなどして結構需要が多い楽器ではあるので収入もわりとある・・・んだとか。
でもやっぱりハープ奏者のエレガントなイメージはその演奏する姿が多いですね。
翼のような形をした楽器の半透明な弦の上をしなやかな腕と指が縦横無尽に、でも優雅に駆け巡る。
ただ優雅さの下のすさまじいほどの努力もまたハープを知るのにものすごく大事なことです。
素手であれだけの張力と数の弦を、あの音量で弾くには手の方にも相当のダメージが来ます。本当に練習や演奏でぼろぼろになったりで、手を柔らかく保つためにケアが欠かせません。
そしてハープはペダルを足で操ってキーを変えたりします。ハープ奏者の足下を見る事って少ないですけど結構せわしくがっこんがっこん踏んでいますよ。特に現代音楽だと足の忙しさが本当に大変だという話もハープ奏者さんたちから聞きましたし、実際見てても本当に目は下に向けられないのに足の感覚だけでもはやどうやってるかわからない!
さらにすごいと思うのはハープ奏者としての仕事をこなすために本当にさまざまな工夫をしていること。
先ほどの手のケアもそうですが、楽譜はかならずコピーで、なんといっても複雑なパートなのでいろいろと弾く時に役立つ・効率の良いように書き込みがたくさんしてあったり。
あとメル響のハープ奏者さんは手に特にダメージが大きいグリッサンド(手を弦の上にぽろろろろと滑らせる奏法)が続くときはなるべく手の代わりにちょうど良い堅さの消しゴムで代用しているそうです。
古のハープと比べてオーケストラのハープは奏法も、そしてパートとして求められることも現代にむけてどんどん複雑になっています。
にもかかわらず、ハープ奏者の演奏時のたたずまいはいつだって優雅なまま。
ハープが2台いる曲でも、特に二人で息を合わせる風もなくごく自然に音を一体にして。
先ほど書きましたような複雑な操作だったり、たくさんの努力だったり工夫だったり・・・そういったものを演奏時はほとんど表面に見せないような人達なのです。
ベタなたとえなんですが、本当に白鳥のようなんです。
水の上の優雅さも、水面下の努力も、それを見せないのも。
とにかく演奏上では弱みを見せないのがデフォルト。(ただやっぱり先ほどの工夫の話とか難しいことの話でも聞けば快く教えてくれますけどね)
ストレートですが、それこそがハープ奏者の性格を作っているのかな、と思います。
もう一つハープ奏者の性格的特徴があるとしたら・・・こだわりとその裏返しの神経質さがあるかな、と思います。
楽器はいつだって(女性が圧倒的に多い楽器なのですが)自分の手と自分の車で運搬。プロの楽器運搬のトラックにも入れません。
リハーサル、コンサート時は必ず誰もいないときにホールに入って決まったポジションにハープをセットした後無音の空間でチューニング。47本の弦を一つ一つ綿密にチューニング。この間はホールに誰もいれちゃいけません。
オケの一員とはいえやっぱり独自の規律と信念で動いていて、そのこだわりは邪魔しない方がいいんだな、と隣に座ってて(そしてマネージャーとして)無言ですがそこらへんは伝わってきました。
でもそのこだわりとか神経質さ、そして弱みを見せなく「優雅なハープ奏者」として演奏しているところもみんな
本当にリスペクトしています。隣に座ってて軽く畏怖に近い思いを抱きますもん。
たゆまぬ努力を積み重ねて、ステージの上では凛々しい奏者で居たいなあ、と彼女たちの姿を見て切実に思いました。今も憧れています。
ちなみに創作でオーケストラの話をいくつか書いたり書かなかったり(???)していますが、もちろんそんな彼女たちにインスパイアされて主人公の一人はハープ奏者です。
なるべく「お嬢さん」風がない、中性的な雰囲気をまとった子を一応目指していまして(体格は割と中性的ではありますが)。ステーションワゴンでハープを運んでたり、父がアイルランド系で母がフランス人だったり(関係ないですか)。
芯の強さ、努力そして不思議なエレガントさとしてのハープ奏者のクオリティを出せて行けたらなあ、と思ってます。
今日の一曲: マイケル・ティペット 組曲「The Tempest」より「Dreaming」
CD Wowでの録音リンク
ハープの「典型的」ではない音を聞かせたいなあ、とも思いながらそもそもハープってオーケストラでもちらほら聴くだけだしそもそもオケ以外のレパートリーもほとんど知られていないなあ、なんて思って結局素直に自分が一番愛しいなあと思う曲を選んでみました。
ティペットは作曲家であり指揮者でもあった人で・・・自分の中では彼についてのデータは少なく、ちらほらピアノソナタを聴いたり、授業で「われらの時代の子」を聴いたり(録音欲しいなあ!割と高いんですよ!)してはいるのですが全体像とはほど遠いのです。
でもこのDreamingに関してはただ単に素直に美しい曲だな、と思います。イギリス音楽の良いところがみんな詰まっているけれど使い古された感じがなく。
なんといってもビオラとハープというコンビがいい!トリオとしてはドビュッシーがフルート&ビオラ&ハープのために曲を書いていますが2人でも全然いけます。
何というか・・・ものすごくintimateなんですよね。ビオラの楽器としての性格とハープの音がそうさせるのですが、例えば楽器+ピアノのときみたいにソロ+伴奏、ではなく対等で近しい二人のデュエット、という感じ。
タイトルのように本当に夢の中にいるみたいで。
心地良い夢のような音楽に身も心も任せたくなりますね。
ビオラは個人的に心臓に一番近い、そして母性の強い音をしていると思いますし、ハープもまた懐が広くて、アルデンテ(丸くて適度に芯があるんです)な音が心地良くて。
ちなみにリンクした、そして私の持ってるこの曲の録音はMarshall McGuireというオーストラリアの男性ハープ奏者が演奏しています。珍しいですよね、男性ハープ奏者。彼はおそらくオーストラリアで一番のハープ奏者じゃないかしら。
ハープのソロ曲(またはプラスワン)って意外と知られていないんですよね。確かに数は少なめなんですけど、他の楽器では味わえないような音楽がいっぱいありますし・・・20世紀の作曲家による曲でも比較的聞きやすい、ささやかな名曲がいっぱいあるので「ハープのCD」といった形で幅広く聴いてみるのをお奨めします。
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません
疲れ気味が続いていますが仕事も忙しい!週末はピアノがちょっとでもできたらいいなあ、と思いながらくたくたしています。
ソロで舞台に立つよりもオケの一員としてピアノやチェレスタを演奏した方がずーっと経験としては私は多いのですが、なんといってもオーケストラのピアノやチェレスタのパートは休みが多い。弾いてるより待ってる方が断然多い。
数えることももはや諦めてしまうほどの休符の中でやっぱり辺りを見回したとき一番気になるのはお隣さん。
なんせそのお隣さんがハープなんですから。
ハープ、というのはピアノやチェレスタよりは頻繁にオーケストラで用いられますが、それでもフルタイムメンバーではないので必要とされているときにリハーサルに来て、単独で動いている感が強い楽器です。
やっぱりバレエなどで特に見られる優雅なイメージはありますが、47本も弦があるので太くお腹に響くような低音も出ますし、特殊な弾き方ではsinisterなイメージの音まで出します。
なのでやっぱりよくある「ハープはお嬢さん」的なイメージだけではない!とかねがね思っていたのです。
大学のオケなどで何人かのハープ奏者と隣になっていろいろお話を聞きましたが、何よりもメル響のハープ奏者の方にはいろんなことを学びました。今日のハープについてのちょっとした紹介と性格分析は彼女から学んだことが主な出典です。
どんなことが難しいか、とかはもちろん、周辺楽器(ピアノ、ハープ、チェレスタをオケの端っこにいるためPeripheral Instrumentsと勝手に私が呼んでるのの訳語)の存在をちゃんと認識して、的確な指示を与えてくれてさらにいたわってくれる指揮者が本当に良い指揮者ですよね、なんて話とかで盛り上がったり・・・(笑)
ハープはやっぱり楽器も(メンテナンスも)、常に車運搬なのでガソリン代も、そのほか諸々出費が多い楽器ではあるので確かにある程度経済的に恵まれている人が弾く事がやっぱり多いらしい楽器です。
ただオケはフルタイムでなくてもそれに加えて例えば結婚式で演奏するなどして結構需要が多い楽器ではあるので収入もわりとある・・・んだとか。
でもやっぱりハープ奏者のエレガントなイメージはその演奏する姿が多いですね。
翼のような形をした楽器の半透明な弦の上をしなやかな腕と指が縦横無尽に、でも優雅に駆け巡る。
ただ優雅さの下のすさまじいほどの努力もまたハープを知るのにものすごく大事なことです。
素手であれだけの張力と数の弦を、あの音量で弾くには手の方にも相当のダメージが来ます。本当に練習や演奏でぼろぼろになったりで、手を柔らかく保つためにケアが欠かせません。
そしてハープはペダルを足で操ってキーを変えたりします。ハープ奏者の足下を見る事って少ないですけど結構せわしくがっこんがっこん踏んでいますよ。特に現代音楽だと足の忙しさが本当に大変だという話もハープ奏者さんたちから聞きましたし、実際見てても本当に目は下に向けられないのに足の感覚だけでもはやどうやってるかわからない!
さらにすごいと思うのはハープ奏者としての仕事をこなすために本当にさまざまな工夫をしていること。
先ほどの手のケアもそうですが、楽譜はかならずコピーで、なんといっても複雑なパートなのでいろいろと弾く時に役立つ・効率の良いように書き込みがたくさんしてあったり。
あとメル響のハープ奏者さんは手に特にダメージが大きいグリッサンド(手を弦の上にぽろろろろと滑らせる奏法)が続くときはなるべく手の代わりにちょうど良い堅さの消しゴムで代用しているそうです。
古のハープと比べてオーケストラのハープは奏法も、そしてパートとして求められることも現代にむけてどんどん複雑になっています。
にもかかわらず、ハープ奏者の演奏時のたたずまいはいつだって優雅なまま。
ハープが2台いる曲でも、特に二人で息を合わせる風もなくごく自然に音を一体にして。
先ほど書きましたような複雑な操作だったり、たくさんの努力だったり工夫だったり・・・そういったものを演奏時はほとんど表面に見せないような人達なのです。
ベタなたとえなんですが、本当に白鳥のようなんです。
水の上の優雅さも、水面下の努力も、それを見せないのも。
とにかく演奏上では弱みを見せないのがデフォルト。(ただやっぱり先ほどの工夫の話とか難しいことの話でも聞けば快く教えてくれますけどね)
ストレートですが、それこそがハープ奏者の性格を作っているのかな、と思います。
もう一つハープ奏者の性格的特徴があるとしたら・・・こだわりとその裏返しの神経質さがあるかな、と思います。
楽器はいつだって(女性が圧倒的に多い楽器なのですが)自分の手と自分の車で運搬。プロの楽器運搬のトラックにも入れません。
リハーサル、コンサート時は必ず誰もいないときにホールに入って決まったポジションにハープをセットした後無音の空間でチューニング。47本の弦を一つ一つ綿密にチューニング。この間はホールに誰もいれちゃいけません。
オケの一員とはいえやっぱり独自の規律と信念で動いていて、そのこだわりは邪魔しない方がいいんだな、と隣に座ってて(そしてマネージャーとして)無言ですがそこらへんは伝わってきました。
でもそのこだわりとか神経質さ、そして弱みを見せなく「優雅なハープ奏者」として演奏しているところもみんな
本当にリスペクトしています。隣に座ってて軽く畏怖に近い思いを抱きますもん。
たゆまぬ努力を積み重ねて、ステージの上では凛々しい奏者で居たいなあ、と彼女たちの姿を見て切実に思いました。今も憧れています。
ちなみに創作でオーケストラの話をいくつか書いたり書かなかったり(???)していますが、もちろんそんな彼女たちにインスパイアされて主人公の一人はハープ奏者です。
なるべく「お嬢さん」風がない、中性的な雰囲気をまとった子を一応目指していまして(体格は割と中性的ではありますが)。ステーションワゴンでハープを運んでたり、父がアイルランド系で母がフランス人だったり(関係ないですか)。
芯の強さ、努力そして不思議なエレガントさとしてのハープ奏者のクオリティを出せて行けたらなあ、と思ってます。
今日の一曲: マイケル・ティペット 組曲「The Tempest」より「Dreaming」
CD Wowでの録音リンク
ハープの「典型的」ではない音を聞かせたいなあ、とも思いながらそもそもハープってオーケストラでもちらほら聴くだけだしそもそもオケ以外のレパートリーもほとんど知られていないなあ、なんて思って結局素直に自分が一番愛しいなあと思う曲を選んでみました。
ティペットは作曲家であり指揮者でもあった人で・・・自分の中では彼についてのデータは少なく、ちらほらピアノソナタを聴いたり、授業で「われらの時代の子」を聴いたり(録音欲しいなあ!割と高いんですよ!)してはいるのですが全体像とはほど遠いのです。
でもこのDreamingに関してはただ単に素直に美しい曲だな、と思います。イギリス音楽の良いところがみんな詰まっているけれど使い古された感じがなく。
なんといってもビオラとハープというコンビがいい!トリオとしてはドビュッシーがフルート&ビオラ&ハープのために曲を書いていますが2人でも全然いけます。
何というか・・・ものすごくintimateなんですよね。ビオラの楽器としての性格とハープの音がそうさせるのですが、例えば楽器+ピアノのときみたいにソロ+伴奏、ではなく対等で近しい二人のデュエット、という感じ。
タイトルのように本当に夢の中にいるみたいで。
心地良い夢のような音楽に身も心も任せたくなりますね。
ビオラは個人的に心臓に一番近い、そして母性の強い音をしていると思いますし、ハープもまた懐が広くて、アルデンテ(丸くて適度に芯があるんです)な音が心地良くて。
ちなみにリンクした、そして私の持ってるこの曲の録音はMarshall McGuireというオーストラリアの男性ハープ奏者が演奏しています。珍しいですよね、男性ハープ奏者。彼はおそらくオーストラリアで一番のハープ奏者じゃないかしら。
ハープのソロ曲(またはプラスワン)って意外と知られていないんですよね。確かに数は少なめなんですけど、他の楽器では味わえないような音楽がいっぱいありますし・・・20世紀の作曲家による曲でも比較的聞きやすい、ささやかな名曲がいっぱいあるので「ハープのCD」といった形で幅広く聴いてみるのをお奨めします。
↑なんだかロシア風なタイトルになってしまった。
ロシアと全然関係ないんですが、ロシア/ソヴィエト史ってこんな印象。
春になる、春になるとブログでいつも言ってますが気候よりもそれを訴えているのは私の身体。
そわそわしたり、過敏になったり・・・ここ数年例外なく春前はこんな感じです。
ラヴェルひいては「愛しいなあもう~」となるのはいつものことですが今日は妙にセンチメンタル度が増して先ほどの台詞に(涙)がつくような変なテンションで。
生活にそこまで支障が出るような、いわば「不調」というほどではないんですが心身ちょっぴり疲れやすいです。
雨も春も先取りしちゃうこの心身のレーダー、どういう仕組みになっているかしりたいです。
疲れやすいと、精神医に言われてる血液検査に行く気にもなれなくて。
血液検査の紙ももらってますし、徒歩10分のPathologyのところでアポ無しでやってもらえるんですが、ちょっと慎重にならざるを得ないですねえ・・・
もう10年近くも数ヶ月ごとに採血には行ってるんで慣れたといえば慣れてて、しかも最初の頃は自分の血もみれない状態だったのに最近は採血されながら興味津々で注射器に入る血を見たり。
でもたまーに調子が悪かったり、なぜか血管がうまくつかまらなかったり細くなってたり自分の意志とは別に勝手に動いたりして手間取ったりするとストレス症状があらわれて苦しくなったり気が遠くなったり稀にありますから・・・
ちなみに血液検査の際は水分をたくさん摂取して下さい、とどこの看護師さんも言います。
そしてリチウム濃度検査の際はお医者さんから言われると思いますが前回リチウムを飲んだ12時間後に検査を行うのが原則です。
今回はでも私はリチウム濃度ではなく、ビタミンDレベルを測定するための血液検査。
なぜビタミンDかというと・・・
ビタミンDはしいたけなどの食材に含まれ、太陽光を浴びることによって体内で生成される栄養素。
実は私の精神医によるとビタミンDが冬季鬱に影響を及ぼす場合がある、というのです。(あくまでもいろいろある要因のうちのひとつですが)
単純に昼が短く太陽光も弱い冬はビタミンDの生成も低下し、それがなんらかの機構で脳に影響がある、ということらしく。
もともと冬季は人間に限らず生物の活動が低下する時期。
人間の場合はうつというレベルでなくとも冬の間は気分が低め、ということは珍しくないのですが、もともとの体質により「冬季鬱」という形で鬱が表れる人もいます。
冬季うつでは、気分の低下などは通常のうつと同じなのですがちょっと違う症状もあるそうです。
例えば不眠は鬱のサインと全般的に言われていますが(でもこれも皆がそうというわけではないです)、冬季鬱では逆に過眠を経験する人が多いとか。
同じく食欲が低下する通常のうつとは違い、過食傾向が多いとも言われています。
私の場合秋~冬は気分の「平均レベル」的なものが春夏に比べて明らかに低めです。
それにくわえて冬はメルボルンでは雨の季節。冬に限らず精神状態が雨に左右されるのですがその傾向が強くなります。
目立った過眠・過食はここ数年経験していないです。
全般的にちょっと重くてしんどいのが春になるとけろっと軽くなったりするんでまあ秋冬は調子が悪くなりやすいのも全般的に低いのもしょうがないかな、と思ってます。
冬季鬱は「行動」が管理にものをいいますね。
しんどくても朝起きて朝日を浴びることで日光摂取&日内リズムを整え、さらに寒くてもある程度外に出たり身体を動かして過食の分のカロリーを消費したり日光を浴びたりして寝たきりにならないようにするのが大事だそうです。
実際ビタミンDがどれくらい冬季鬱に影響があって、またどれくらい自分の状態に貢献しているかというのは分からないのですが、ビタミンDを摂取すること、レベルを計ることに損はとりあえずはないので続けている治療支援です。
メインの治療はもちろんリチウムでの管理。感情の起伏を正常なレベルに保つメンテナンスですね。それでも例えば生理前とか冬とか雨のときとか完璧にカバーされていないところもありながら。
とりあえず春になったら心身ともにきっと楽になるので・・・肉体、精神ともに健康管理に気をつけながら無理せず待とうと思います。
今日の一曲: フリッツ・クライスラー 「愛の悲しみ」 ラフマニノフによるピアノ編曲版
なんでしょう、結局はロシアが入って来たりしちゃったわけですが(笑)
なんとなーく今日の気持ちとこのエントリーに合うなあと思ってチョイスしました。
クライスラーは案外結構最近まで生きていた(1962年没だそうです)天才バイオリニスト。
主にShow piece的な、アンコールで弾かれるような小品が有名です。
この「愛の悲しみ」となにかとペア扱いされている「愛の喜び」あそのなかでも広く知られている曲。
シンプルで正直かつ繊細な感情の表現が気軽に楽しめます。
私は「愛の悲しみ」が好きで。切なさ加減が重すぎず、軽すぎず・・・愛さずには居られない魅力があるんですよね。きゅんとする暗さと明るさがただただたまらない。
ラフマニノフはロシアを亡命してアメリカに渡ってからは勿体ないことにピアニストとしての活動を主にしていました。
勿体ない、というのはあくまで作曲のほうもすげえよかったんだよなーという気持ちなのですが、彼は20世紀最高のピアニストとも言われるまでの素晴らしい奏者でもありました。
まずは手が(身体もそうですが)巨大だったというアドバンテージもありものすごくダイナミックな演奏だったり超絶技巧もお手の物だったのですが、逆にその繊細なGentle giant的な性格からものすごい細やかな表現も大の得意でした。
もちろん作曲家ですのでラフマニノフは自分の作品も演奏しましたし(あの有名な日本では「鐘」とよばれている前奏曲嬰ハ短調に関してはあまりにも弾いてとせがまれすぎて自分でいやになったそうです)、それからスタンダードなピアノレパートリー、さらにはピアノ以外の曲を自分で編曲して弾いたりもしていました。
(余談ですがオケへ編曲というのはラヴェルなども自他の作品でよくやってたんですがピアノへ編曲よりもそっちのほうが多いのかな?)
クライスラーの「愛の喜び」「愛の悲しみ」もそんなラフマニノフのピアノ編曲のうちの一部。
時にはリサイタルのアンコールとして、またはサロンや内輪の集まりなどでこういった曲をさらっと粋に弾いちゃったりしたんでしょうね。かっこいい!
ラフマニノフは実は自作自演を初めとした録音が多く残っていて。
この曲もまたラフマニノフ自作自演として今CDとなっています。
彼の作曲した作品、彼の編曲した曲のチョイス、編曲のセンス、そして演奏の素晴らしさがどれも最上級で気軽に味わえます。
BGMとしてもいいですし、じっくり聴くのにもいいです。
ラフマニノフの人となり、ピアノという楽器の素晴らしさを堪能するにはもってこい。
案の定結局ラフマニノフの話になっちゃったのですが・・・
もちろんクライスラーのオリジナルであるバイオリンバージョンも粋で繊細で素敵ですし、その精神こそがピアノバージョンにも受け継がれているので・・・そちらも合わせてお奨めです♪
※リンクした録音、ならびにうちにある録音はラフマニノフが自身の演奏を自動ピアノに録音したものです。生身の演奏ではないので賛否両論あると思いますが、ラフマニノフの演奏の素晴らしさは伝わると思ってます。
ロシアと全然関係ないんですが、ロシア/ソヴィエト史ってこんな印象。
春になる、春になるとブログでいつも言ってますが気候よりもそれを訴えているのは私の身体。
そわそわしたり、過敏になったり・・・ここ数年例外なく春前はこんな感じです。
ラヴェルひいては「愛しいなあもう~」となるのはいつものことですが今日は妙にセンチメンタル度が増して先ほどの台詞に(涙)がつくような変なテンションで。
生活にそこまで支障が出るような、いわば「不調」というほどではないんですが心身ちょっぴり疲れやすいです。
雨も春も先取りしちゃうこの心身のレーダー、どういう仕組みになっているかしりたいです。
疲れやすいと、精神医に言われてる血液検査に行く気にもなれなくて。
血液検査の紙ももらってますし、徒歩10分のPathologyのところでアポ無しでやってもらえるんですが、ちょっと慎重にならざるを得ないですねえ・・・
もう10年近くも数ヶ月ごとに採血には行ってるんで慣れたといえば慣れてて、しかも最初の頃は自分の血もみれない状態だったのに最近は採血されながら興味津々で注射器に入る血を見たり。
でもたまーに調子が悪かったり、なぜか血管がうまくつかまらなかったり細くなってたり自分の意志とは別に勝手に動いたりして手間取ったりするとストレス症状があらわれて苦しくなったり気が遠くなったり稀にありますから・・・
ちなみに血液検査の際は水分をたくさん摂取して下さい、とどこの看護師さんも言います。
そしてリチウム濃度検査の際はお医者さんから言われると思いますが前回リチウムを飲んだ12時間後に検査を行うのが原則です。
今回はでも私はリチウム濃度ではなく、ビタミンDレベルを測定するための血液検査。
なぜビタミンDかというと・・・
ビタミンDはしいたけなどの食材に含まれ、太陽光を浴びることによって体内で生成される栄養素。
実は私の精神医によるとビタミンDが冬季鬱に影響を及ぼす場合がある、というのです。(あくまでもいろいろある要因のうちのひとつですが)
単純に昼が短く太陽光も弱い冬はビタミンDの生成も低下し、それがなんらかの機構で脳に影響がある、ということらしく。
もともと冬季は人間に限らず生物の活動が低下する時期。
人間の場合はうつというレベルでなくとも冬の間は気分が低め、ということは珍しくないのですが、もともとの体質により「冬季鬱」という形で鬱が表れる人もいます。
冬季うつでは、気分の低下などは通常のうつと同じなのですがちょっと違う症状もあるそうです。
例えば不眠は鬱のサインと全般的に言われていますが(でもこれも皆がそうというわけではないです)、冬季鬱では逆に過眠を経験する人が多いとか。
同じく食欲が低下する通常のうつとは違い、過食傾向が多いとも言われています。
私の場合秋~冬は気分の「平均レベル」的なものが春夏に比べて明らかに低めです。
それにくわえて冬はメルボルンでは雨の季節。冬に限らず精神状態が雨に左右されるのですがその傾向が強くなります。
目立った過眠・過食はここ数年経験していないです。
全般的にちょっと重くてしんどいのが春になるとけろっと軽くなったりするんでまあ秋冬は調子が悪くなりやすいのも全般的に低いのもしょうがないかな、と思ってます。
冬季鬱は「行動」が管理にものをいいますね。
しんどくても朝起きて朝日を浴びることで日光摂取&日内リズムを整え、さらに寒くてもある程度外に出たり身体を動かして過食の分のカロリーを消費したり日光を浴びたりして寝たきりにならないようにするのが大事だそうです。
実際ビタミンDがどれくらい冬季鬱に影響があって、またどれくらい自分の状態に貢献しているかというのは分からないのですが、ビタミンDを摂取すること、レベルを計ることに損はとりあえずはないので続けている治療支援です。
メインの治療はもちろんリチウムでの管理。感情の起伏を正常なレベルに保つメンテナンスですね。それでも例えば生理前とか冬とか雨のときとか完璧にカバーされていないところもありながら。
とりあえず春になったら心身ともにきっと楽になるので・・・肉体、精神ともに健康管理に気をつけながら無理せず待とうと思います。
今日の一曲: フリッツ・クライスラー 「愛の悲しみ」 ラフマニノフによるピアノ編曲版
なんでしょう、結局はロシアが入って来たりしちゃったわけですが(笑)
なんとなーく今日の気持ちとこのエントリーに合うなあと思ってチョイスしました。
クライスラーは案外結構最近まで生きていた(1962年没だそうです)天才バイオリニスト。
主にShow piece的な、アンコールで弾かれるような小品が有名です。
この「愛の悲しみ」となにかとペア扱いされている「愛の喜び」あそのなかでも広く知られている曲。
シンプルで正直かつ繊細な感情の表現が気軽に楽しめます。
私は「愛の悲しみ」が好きで。切なさ加減が重すぎず、軽すぎず・・・愛さずには居られない魅力があるんですよね。きゅんとする暗さと明るさがただただたまらない。
ラフマニノフはロシアを亡命してアメリカに渡ってからは勿体ないことにピアニストとしての活動を主にしていました。
勿体ない、というのはあくまで作曲のほうもすげえよかったんだよなーという気持ちなのですが、彼は20世紀最高のピアニストとも言われるまでの素晴らしい奏者でもありました。
まずは手が(身体もそうですが)巨大だったというアドバンテージもありものすごくダイナミックな演奏だったり超絶技巧もお手の物だったのですが、逆にその繊細なGentle giant的な性格からものすごい細やかな表現も大の得意でした。
もちろん作曲家ですのでラフマニノフは自分の作品も演奏しましたし(あの有名な日本では「鐘」とよばれている前奏曲嬰ハ短調に関してはあまりにも弾いてとせがまれすぎて自分でいやになったそうです)、それからスタンダードなピアノレパートリー、さらにはピアノ以外の曲を自分で編曲して弾いたりもしていました。
(余談ですがオケへ編曲というのはラヴェルなども自他の作品でよくやってたんですがピアノへ編曲よりもそっちのほうが多いのかな?)
クライスラーの「愛の喜び」「愛の悲しみ」もそんなラフマニノフのピアノ編曲のうちの一部。
時にはリサイタルのアンコールとして、またはサロンや内輪の集まりなどでこういった曲をさらっと粋に弾いちゃったりしたんでしょうね。かっこいい!
ラフマニノフは実は自作自演を初めとした録音が多く残っていて。
この曲もまたラフマニノフ自作自演として今CDとなっています。
彼の作曲した作品、彼の編曲した曲のチョイス、編曲のセンス、そして演奏の素晴らしさがどれも最上級で気軽に味わえます。
BGMとしてもいいですし、じっくり聴くのにもいいです。
ラフマニノフの人となり、ピアノという楽器の素晴らしさを堪能するにはもってこい。
案の定結局ラフマニノフの話になっちゃったのですが・・・
もちろんクライスラーのオリジナルであるバイオリンバージョンも粋で繊細で素敵ですし、その精神こそがピアノバージョンにも受け継がれているので・・・そちらも合わせてお奨めです♪
※リンクした録音、ならびにうちにある録音はラフマニノフが自身の演奏を自動ピアノに録音したものです。生身の演奏ではないので賛否両論あると思いますが、ラフマニノフの演奏の素晴らしさは伝わると思ってます。
