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昨日はずーっと外にでてたような気がします。
昼過ぎにシティに繰り出して、Worn Wildというゴスなどのオルタナティブなファッションのマーケット(半年毎にあるそうです)をちょっと見て回って。興味があるのですが今回はとりあえず見るだけでした。どんなブランドがあって、どんなアイテムがあって相場はどれくらいとか。
よさげなブランドもみつけましたよ。Dusk Moth Designというブランドで。タータンチェックのスカートに心ひかれたのですが・・・とりあえず名刺だけもらってまたこんど。
そしてそこの近くにあるペットショップで蛇を山のように見て。小さい頃から好きなんですけどさすがに飼うことはできないですね・・・タランチュラもいたけれど同じく。
恨めしそうに見て心和んだあとは映画館へ。
もう10年も待った映画化、ジョン・マーズデン原作Stuart Beattie監督「Tomorrow, when the war began」!
オーストラリアのヤングアダルトフィクションの最高峰が今年9月2日にやっとオーストラリアとニュージーランドで初上映となったのです!祝!
生涯初ですよ、こんなに早い段階で映画見に行ったの・・・多少待ちきれない感が。
ちなみに原作についてこのエントリーで語っております。
あらすじ(さきほどのエントリーからコピペ)は:
エリーはオーストラリア南部の田舎に住む女の子。家は農場をやっていて、友達もだいたいそういう家が多く。
ある日友達を集めてキャンプをしようと企みます。(中略)
キャンプから帰ってくるとどこの家にも誰もいない。家で管理してる動物は無残な状態になっている。テレビもつかないし、周りにも人っ子一人いない。
これはおかしい、ということで不安な気持ちをぬぐえないまま町の様子を見に出たとき、7人は驚愕の真実を知ることとなる。
・・・この国は侵略を受け、彼らの家族をはじめとする人々は捕らえられている、と。
そしてエリーたちは自分の身を守るため、生き延びるためときには逃げ、ときには戦いながらサバイバルの道を歩むことを決意する・・・という話。
100分強と思ったよりも短い映画で(原作は全7巻、映画は予定では3部作の予定なのでどうなるのかちょっと心配)、結構原作から切り取られた部分もあったのですが、なかなか小説に忠実な作品で、原作のファンとしてもものすごく満足のいく作品でした♪
映画だとアクションシーンにスピード感がありますね。芝刈り機事件のときとか特にそうですけど、主人公達の息の付けない感がものすごく伝わります。サバイバルのめまぐるしさが緊張感をあおります。
欲を言えばHellでのシーンをもうちょっと長く(もうちょっと原作から使って)Hellでの安全と町のめまぐるしさとコントラストしてほしかったかなあ。
全体的に若い人向けかなーっていう感じはしましたね。原作もそうなんだけれどエリーとリーのロマンスとか、橋事件の一連のサスペンスとかの演出は目立ってそうだったと思います。ただ後者についてはあれはあれで結構面白かったかも。
(ちなみに映画館にいる人ほとんど私と同じぐらいの年代。きっと原作をリアルタイムで読んだ人達なんですね!)
あ、あと原作は1990年代に書かれたのですが携帯電話に関するシーンとか今の時代に合わせて調整してる部分もあります。
映画化において多くの人が気になっていたのが「敵国」がどこなのか、という話なのですが・・・(小説では完全に不明になってました)
ほとんどのシーンではうまいところぼかされてましたが、シーンによっては明らかにアジア人とわかる顔が映ってたり。現実的に言うならなかなか他の人種ではしっくりいかないのかもしれないと思うのでそこは特に問題は私としてはありません。
原作でのキャラクターの魅力は映画にもしっかり受け継がれていました。
特にホーマーは登場から観衆の笑いと注目をかっさらっていきました!あの登場シーンは傑作(笑)
エリーも主人公としてリアルさがちゃんとあって。
なんといっても小説でも心を鷲づかみにしたロビンがさらに映画で魅力がアップしていた!あのあどけない顔と良い、色んな意味で「いかにも」な子なのですが、その成長ぶりが映画では原作とはまた違う意味で明らかになっていて・・・涙をこらえながら見ていたシーンも。
それにしても戦争中のタフさはもちろん、その前のキャンプでの主人公達(17歳あたり)のタフさには脱帽。キャンプでウサギを撃って捕まえて丸焼きにするなんて同じオーストラリアでも都会っ子にはできやしません。あと乗り回す乗り物もまた戦争前・中ともに豪快すぎます。
その行動力、計画力、団結力が産んだ彼らの行動や作戦には戦争とはいえどもどこかすがすがしさがあります。
地理的要因もなかなか重要な役割で。
オーストラリアの大自然が映ると本当に主人公達はこの自然に守られているんだな、という感じがして。
景色の壮大さもそうですが、彼らが住んでいるエリアの地図や景色でオーストラリアの田舎のどでかいスケールを実感できます。
あと、特筆すべきは小説ではなかった些細なシーン。Hellでコリーが本を読んでいてエリーが「その本、どう?」と問い、コリーが「映画よりは良いわよ」と答えるシーン。これはきっと制作サイドのこの映画に対する本音なんだと思います。小説にはやっぱり勝てないよ、っていう。
だからこそ映画で初めてこの作品を知った人には小説のほうも是非読んでもらいたいです、一ファンとして。
ファンとして主に楽しんじゃったのですが、原作を知らない人も楽しめる作品ではないかと思います。
世界での上映はまずバイヤー向けにトロント国際映画祭で来週あって、その先はまだ何も情報がでていません。
オーストラリア人だからこそ共感している部分もあるような気もするので、例えば日本の人がどこまで共感できるのかわかりませんが・・・でも主人公達のキャンプのシーンのあのきらきらしているのはまぎれもなくいろんな文化に共通の青春だと思いますし、彼らの行動や友情、強さと勇気には国文化問わず心を動かされるものがあると思います。是非是非若い人には観て欲しいですね♪
小説のスピリットをうまく捕まえて、魅力的な登場人物と強いメッセージを抱き・・・
こういう形で映画になって本当に嬉しいですし、これからまた何回か観たいと思います。
日本や海外で上映されることを、そしてこれをきっかけに原作の小説も広まることを指をクロスして願っています。
映画の公式ページはこちら。
サイトのメインページが主人公達の暮らす町の鳥瞰図になっていて、オーストラリアの田舎の距離感にちょっとびっくりします(笑)
今日の一曲・・・は今日はお休み。いまいちなんだかまとまりません。
たくさん曲はたまってるのですが心の動きと文にする能力が全くおいつかない・・・
なのでまた次回の機会に。
昼過ぎにシティに繰り出して、Worn Wildというゴスなどのオルタナティブなファッションのマーケット(半年毎にあるそうです)をちょっと見て回って。興味があるのですが今回はとりあえず見るだけでした。どんなブランドがあって、どんなアイテムがあって相場はどれくらいとか。
よさげなブランドもみつけましたよ。Dusk Moth Designというブランドで。タータンチェックのスカートに心ひかれたのですが・・・とりあえず名刺だけもらってまたこんど。
そしてそこの近くにあるペットショップで蛇を山のように見て。小さい頃から好きなんですけどさすがに飼うことはできないですね・・・タランチュラもいたけれど同じく。
恨めしそうに見て心和んだあとは映画館へ。
もう10年も待った映画化、ジョン・マーズデン原作Stuart Beattie監督「Tomorrow, when the war began」!
オーストラリアのヤングアダルトフィクションの最高峰が今年9月2日にやっとオーストラリアとニュージーランドで初上映となったのです!祝!
生涯初ですよ、こんなに早い段階で映画見に行ったの・・・多少待ちきれない感が。
ちなみに原作についてこのエントリーで語っております。
あらすじ(さきほどのエントリーからコピペ)は:
エリーはオーストラリア南部の田舎に住む女の子。家は農場をやっていて、友達もだいたいそういう家が多く。
ある日友達を集めてキャンプをしようと企みます。(中略)
キャンプから帰ってくるとどこの家にも誰もいない。家で管理してる動物は無残な状態になっている。テレビもつかないし、周りにも人っ子一人いない。
これはおかしい、ということで不安な気持ちをぬぐえないまま町の様子を見に出たとき、7人は驚愕の真実を知ることとなる。
・・・この国は侵略を受け、彼らの家族をはじめとする人々は捕らえられている、と。
そしてエリーたちは自分の身を守るため、生き延びるためときには逃げ、ときには戦いながらサバイバルの道を歩むことを決意する・・・という話。
100分強と思ったよりも短い映画で(原作は全7巻、映画は予定では3部作の予定なのでどうなるのかちょっと心配)、結構原作から切り取られた部分もあったのですが、なかなか小説に忠実な作品で、原作のファンとしてもものすごく満足のいく作品でした♪
映画だとアクションシーンにスピード感がありますね。芝刈り機事件のときとか特にそうですけど、主人公達の息の付けない感がものすごく伝わります。サバイバルのめまぐるしさが緊張感をあおります。
欲を言えばHellでのシーンをもうちょっと長く(もうちょっと原作から使って)Hellでの安全と町のめまぐるしさとコントラストしてほしかったかなあ。
全体的に若い人向けかなーっていう感じはしましたね。原作もそうなんだけれどエリーとリーのロマンスとか、橋事件の一連のサスペンスとかの演出は目立ってそうだったと思います。ただ後者についてはあれはあれで結構面白かったかも。
(ちなみに映画館にいる人ほとんど私と同じぐらいの年代。きっと原作をリアルタイムで読んだ人達なんですね!)
あ、あと原作は1990年代に書かれたのですが携帯電話に関するシーンとか今の時代に合わせて調整してる部分もあります。
映画化において多くの人が気になっていたのが「敵国」がどこなのか、という話なのですが・・・(小説では完全に不明になってました)
ほとんどのシーンではうまいところぼかされてましたが、シーンによっては明らかにアジア人とわかる顔が映ってたり。現実的に言うならなかなか他の人種ではしっくりいかないのかもしれないと思うのでそこは特に問題は私としてはありません。
原作でのキャラクターの魅力は映画にもしっかり受け継がれていました。
特にホーマーは登場から観衆の笑いと注目をかっさらっていきました!あの登場シーンは傑作(笑)
エリーも主人公としてリアルさがちゃんとあって。
なんといっても小説でも心を鷲づかみにしたロビンがさらに映画で魅力がアップしていた!あのあどけない顔と良い、色んな意味で「いかにも」な子なのですが、その成長ぶりが映画では原作とはまた違う意味で明らかになっていて・・・涙をこらえながら見ていたシーンも。
それにしても戦争中のタフさはもちろん、その前のキャンプでの主人公達(17歳あたり)のタフさには脱帽。キャンプでウサギを撃って捕まえて丸焼きにするなんて同じオーストラリアでも都会っ子にはできやしません。あと乗り回す乗り物もまた戦争前・中ともに豪快すぎます。
その行動力、計画力、団結力が産んだ彼らの行動や作戦には戦争とはいえどもどこかすがすがしさがあります。
地理的要因もなかなか重要な役割で。
オーストラリアの大自然が映ると本当に主人公達はこの自然に守られているんだな、という感じがして。
景色の壮大さもそうですが、彼らが住んでいるエリアの地図や景色でオーストラリアの田舎のどでかいスケールを実感できます。
あと、特筆すべきは小説ではなかった些細なシーン。Hellでコリーが本を読んでいてエリーが「その本、どう?」と問い、コリーが「映画よりは良いわよ」と答えるシーン。これはきっと制作サイドのこの映画に対する本音なんだと思います。小説にはやっぱり勝てないよ、っていう。
だからこそ映画で初めてこの作品を知った人には小説のほうも是非読んでもらいたいです、一ファンとして。
ファンとして主に楽しんじゃったのですが、原作を知らない人も楽しめる作品ではないかと思います。
世界での上映はまずバイヤー向けにトロント国際映画祭で来週あって、その先はまだ何も情報がでていません。
オーストラリア人だからこそ共感している部分もあるような気もするので、例えば日本の人がどこまで共感できるのかわかりませんが・・・でも主人公達のキャンプのシーンのあのきらきらしているのはまぎれもなくいろんな文化に共通の青春だと思いますし、彼らの行動や友情、強さと勇気には国文化問わず心を動かされるものがあると思います。是非是非若い人には観て欲しいですね♪
小説のスピリットをうまく捕まえて、魅力的な登場人物と強いメッセージを抱き・・・
こういう形で映画になって本当に嬉しいですし、これからまた何回か観たいと思います。
日本や海外で上映されることを、そしてこれをきっかけに原作の小説も広まることを指をクロスして願っています。
映画の公式ページはこちら。
サイトのメインページが主人公達の暮らす町の鳥瞰図になっていて、オーストラリアの田舎の距離感にちょっとびっくりします(笑)
今日の一曲・・・は今日はお休み。いまいちなんだかまとまりません。
たくさん曲はたまってるのですが心の動きと文にする能力が全くおいつかない・・・
なのでまた次回の機会に。
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暦の上ではこちらも春。
父の日、Royal Melbourne Show、Caulfield Cup、さらにはMelbourne Cupなどメルボルンっ子は外に出てはしゃぐことが多くなってくる季節です。
私もまた南半球最大のショッピングセンターであるChadstone Shopping Centreの深夜までやってる大セールに再度(秋も行きました!7時間ショッピング!)参戦する予定で。特に何が買いたい、というわけでもないのですが・・・春のはねるのトびらのコストコ特集見てたらなんだかものすごく楽しそうで(笑)
それにあんまり派手にお金は使えません。すでに10月半ばにVIC州の最北部にあるYarrawonga-Mulwalaに2泊3日の小旅行の予定がありますし、自転車一式そろえる予定もありますし。
他にもちょこちょこ支出が・・・(汗)
でも小旅行にしろ、自転車にしろ、あとそのうちインドアですがロッククライミングをしたい気持ちにしろ、春に向けて動き出したい気持ちが私にも芽生えてるみたいで・・・
間違いなく良い傾向だとは思います。金銭的な側面以外で(汗)
小旅行に行く頃には多分(根拠は乏しい)天気も良くなって、夜もそんなに涼しくなくなって。
そしたら夜もいろいろしたいことがあります。
一つはFitzroyにあるいくつかのカクテルバーで一人呑み。
もう一つはシティ周りでジェラートシーズンを開始すること。
一応英連邦なオーストラリアですが、イタリアからの移民も結構多いので、イタリア文化もかなり強く根付いています。
例えばイギリスは紅茶がポピュラーですがオーストラリアはコーヒー派。カフェやスイーツ全般のスタイルもヨーロピアンなのかしら?
あとは例えばメルボルンの、ことにイタリア人街であるCarltonにあるLygon Streetのイタリアンは本格的&本場物。どんぐらい本場物かというとマフィア関連の事件があるくらい・・・(汗)
なので冷たいスイーツ、といえばアイスクリームもありますが、どちらかというとジェラートの方がメルボルンでは主流だと思います。
アイスクリームはちなみにNew Zealand Naturalが一番ポピュラーかな。
ジェラートといえばTrampolineなどのチェーン店もありますが、やっぱり行くなら先ほどのLygon Streetという風潮があります。シティにも近いですし、さらにメルボルン大学にも近い。
夜でも結構賑やかで、イタリアンレストランでディナーとワインの後はぶらぶらしながらジェラートを食べる、というコースはデートでも友達同士でも楽しいもの。
フレーバーは店によって色々。
立ち尽くして迷うほど種類がある店もあれば、手作りで日替わりで何種類かがあったり。
定番のレモン、バニラ、ナッツ、ピスタチオ、ココナッツ、森のベリーミックスだったり、杏仁豆腐のようなアーモンド味、こちらではポピュラーなチョコみたいなヘーゼルナッツペーストのNutellaだったり、チョコレートでもToblerone、Ferrerro Rocherなど多数種類があります。
フルーツ系で他によく見るのはマンゴーやバナナ、そしてLygon Streetのある店ではドリアン味がある日がたまにあるらしいです。見ましたがなんだか・・・怖じ気づきました(苦笑)
Lygon Streetもいいのですが、私のお気に入りはシティの南、サウスバンクのイタリアンレストランTutto Bene付属のジェラート屋さんです♪(サイトはこちら。レストラン本体も美味しいですよ。)
国内でいくつも賞をとっていて、ジェラートを作っている人は本場イタリアで作り方を学んで来たんだとか。
天然の材料から毎日作られるジェラートのフレーバーは日替わりで10種類ほど。行ってみないと何があるかわかりません。
柑橘系だけでもレモン、レモンのリキュールであるリモンチェッロ、ブラッドオレンジ、ライム、シトラスフルーツのミックスなどいろいろ。
サイトの写真にあるBaileys(アイリッシュクリームのリキュール)のフレーバーには実はまだ出会っていないことにちょっとびっくり!あったら絶対食べるのに!
お奨めはリモンチェッロ。いつもなのかは分かりませんが、原産地カプリ島のものを使っていたりして本格的。舌触りも最高ですし、甘さと酸っぱさのバランスが幸せになります♪
春であろうが、夏であろうが、秋であろうが・・・ちょっと冬はお腹が痛くなりそうなので控えてますが、ヤラ川のほとりでこりゃメルボルンだな-という景色を見ながら美味しいジェラートを食べるのが一つのささやかな楽しみであり幸せです。
そしてCrown Casinoで大好きな鴨ラーメンを平らげた後、胃をスッキリさせるためにリモンチェッロまたはレモンジェラートを食べるのもまた爽快です。むしろこれはセットです(笑)
お酒にちょっと酔っぱらった後にもまた良し。
どんな食べ物であれ季節の初物を味わう喜びはひとしおです。今シーズン初ジェラートが早く食べれるような天気になるといいなあ、と思ってます。
そしてメルボルンに旅行でいらっしゃる方、イタリアンレストランの美味しい食事の後には是非是非ジェラートがおすすめですよ!むしろ夏はジェラートなしでは過ごせないかも・・・?
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「ボッティチェッリの3枚の絵」より「春」
春、イタリア・・・と来たらヴィヴァルディの「春」より断然こっち!
どうやらマイナーらしいこの曲集ですが、ローマ三部作と同じくらいレスピーギのイタリア愛が詰まってます。
曲はマイナーでもボッティチェッリの絵は有名ですのでイメージしやすいのでは?と思いますが・・・
春。
それは若さと躍動の季節。誕生の季節、復活の季節。恋の季節であり、つまりは繁殖の季節。
ただならぬ生命エネルギーに満ちた時期なのです。
ちょっとたがが外れたような、それくらいのハイがちょうど良い。(ストラヴィンスキーの春の祭典なんかまさにそれですね。ただあの曲はその意味以外でも規格外ですが。)
春という季節のそのハイなエネルギーがこの曲は最初の音から詰まってます。
鳥のさえずりを表すトリルに、ボッティチェッリの絵にも見られる喜びの踊り、若さと愛。
ローマの松の第1楽章ともにた曲調なのですが、そっちと同じくホルンが高音で苦労しております(汗)
中低音の楽器もぎりぎりまで高い音域まで持ってきて、ピアノや鉄琴、チェレスタ、バイオリン、フルートなどの高音もがんがん使って。
浮き足だった、興奮したような喜びを表すのがレスピーギは得意です。
多数の違った長さやリズム・テンポのメロディーを組み合わせて、めまぐるしく明るくくるくる踊るのが本当に本当に私はこの曲で愛しいと思います。
この曲集だと他の2つの楽章の方が実は好きなんですけれど、あくまでも相対的な評価ですので・・・
3楽章とも是非元になったボッティチェッリの絵画を(ネットで調べるとすぐ出てくるので)そちらも見ながら視覚・聴覚どちらも通じて楽しみましょう♪
(追記:リンクしたCD・・・挿絵の「古風」がちょっと古風過ぎやしないかなあ?(笑))
父の日、Royal Melbourne Show、Caulfield Cup、さらにはMelbourne Cupなどメルボルンっ子は外に出てはしゃぐことが多くなってくる季節です。
私もまた南半球最大のショッピングセンターであるChadstone Shopping Centreの深夜までやってる大セールに再度(秋も行きました!7時間ショッピング!)参戦する予定で。特に何が買いたい、というわけでもないのですが・・・春のはねるのトびらのコストコ特集見てたらなんだかものすごく楽しそうで(笑)
それにあんまり派手にお金は使えません。すでに10月半ばにVIC州の最北部にあるYarrawonga-Mulwalaに2泊3日の小旅行の予定がありますし、自転車一式そろえる予定もありますし。
他にもちょこちょこ支出が・・・(汗)
でも小旅行にしろ、自転車にしろ、あとそのうちインドアですがロッククライミングをしたい気持ちにしろ、春に向けて動き出したい気持ちが私にも芽生えてるみたいで・・・
間違いなく良い傾向だとは思います。金銭的な側面以外で(汗)
小旅行に行く頃には多分(根拠は乏しい)天気も良くなって、夜もそんなに涼しくなくなって。
そしたら夜もいろいろしたいことがあります。
一つはFitzroyにあるいくつかのカクテルバーで一人呑み。
もう一つはシティ周りでジェラートシーズンを開始すること。
一応英連邦なオーストラリアですが、イタリアからの移民も結構多いので、イタリア文化もかなり強く根付いています。
例えばイギリスは紅茶がポピュラーですがオーストラリアはコーヒー派。カフェやスイーツ全般のスタイルもヨーロピアンなのかしら?
あとは例えばメルボルンの、ことにイタリア人街であるCarltonにあるLygon Streetのイタリアンは本格的&本場物。どんぐらい本場物かというとマフィア関連の事件があるくらい・・・(汗)
なので冷たいスイーツ、といえばアイスクリームもありますが、どちらかというとジェラートの方がメルボルンでは主流だと思います。
アイスクリームはちなみにNew Zealand Naturalが一番ポピュラーかな。
ジェラートといえばTrampolineなどのチェーン店もありますが、やっぱり行くなら先ほどのLygon Streetという風潮があります。シティにも近いですし、さらにメルボルン大学にも近い。
夜でも結構賑やかで、イタリアンレストランでディナーとワインの後はぶらぶらしながらジェラートを食べる、というコースはデートでも友達同士でも楽しいもの。
フレーバーは店によって色々。
立ち尽くして迷うほど種類がある店もあれば、手作りで日替わりで何種類かがあったり。
定番のレモン、バニラ、ナッツ、ピスタチオ、ココナッツ、森のベリーミックスだったり、杏仁豆腐のようなアーモンド味、こちらではポピュラーなチョコみたいなヘーゼルナッツペーストのNutellaだったり、チョコレートでもToblerone、Ferrerro Rocherなど多数種類があります。
フルーツ系で他によく見るのはマンゴーやバナナ、そしてLygon Streetのある店ではドリアン味がある日がたまにあるらしいです。見ましたがなんだか・・・怖じ気づきました(苦笑)
Lygon Streetもいいのですが、私のお気に入りはシティの南、サウスバンクのイタリアンレストランTutto Bene付属のジェラート屋さんです♪(サイトはこちら。レストラン本体も美味しいですよ。)
国内でいくつも賞をとっていて、ジェラートを作っている人は本場イタリアで作り方を学んで来たんだとか。
天然の材料から毎日作られるジェラートのフレーバーは日替わりで10種類ほど。行ってみないと何があるかわかりません。
柑橘系だけでもレモン、レモンのリキュールであるリモンチェッロ、ブラッドオレンジ、ライム、シトラスフルーツのミックスなどいろいろ。
サイトの写真にあるBaileys(アイリッシュクリームのリキュール)のフレーバーには実はまだ出会っていないことにちょっとびっくり!あったら絶対食べるのに!
お奨めはリモンチェッロ。いつもなのかは分かりませんが、原産地カプリ島のものを使っていたりして本格的。舌触りも最高ですし、甘さと酸っぱさのバランスが幸せになります♪
春であろうが、夏であろうが、秋であろうが・・・ちょっと冬はお腹が痛くなりそうなので控えてますが、ヤラ川のほとりでこりゃメルボルンだな-という景色を見ながら美味しいジェラートを食べるのが一つのささやかな楽しみであり幸せです。
そしてCrown Casinoで大好きな鴨ラーメンを平らげた後、胃をスッキリさせるためにリモンチェッロまたはレモンジェラートを食べるのもまた爽快です。むしろこれはセットです(笑)
お酒にちょっと酔っぱらった後にもまた良し。
どんな食べ物であれ季節の初物を味わう喜びはひとしおです。今シーズン初ジェラートが早く食べれるような天気になるといいなあ、と思ってます。
そしてメルボルンに旅行でいらっしゃる方、イタリアンレストランの美味しい食事の後には是非是非ジェラートがおすすめですよ!むしろ夏はジェラートなしでは過ごせないかも・・・?
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「ボッティチェッリの3枚の絵」より「春」
春、イタリア・・・と来たらヴィヴァルディの「春」より断然こっち!
どうやらマイナーらしいこの曲集ですが、ローマ三部作と同じくらいレスピーギのイタリア愛が詰まってます。
曲はマイナーでもボッティチェッリの絵は有名ですのでイメージしやすいのでは?と思いますが・・・
春。
それは若さと躍動の季節。誕生の季節、復活の季節。恋の季節であり、つまりは繁殖の季節。
ただならぬ生命エネルギーに満ちた時期なのです。
ちょっとたがが外れたような、それくらいのハイがちょうど良い。(ストラヴィンスキーの春の祭典なんかまさにそれですね。ただあの曲はその意味以外でも規格外ですが。)
春という季節のそのハイなエネルギーがこの曲は最初の音から詰まってます。
鳥のさえずりを表すトリルに、ボッティチェッリの絵にも見られる喜びの踊り、若さと愛。
ローマの松の第1楽章ともにた曲調なのですが、そっちと同じくホルンが高音で苦労しております(汗)
中低音の楽器もぎりぎりまで高い音域まで持ってきて、ピアノや鉄琴、チェレスタ、バイオリン、フルートなどの高音もがんがん使って。
浮き足だった、興奮したような喜びを表すのがレスピーギは得意です。
多数の違った長さやリズム・テンポのメロディーを組み合わせて、めまぐるしく明るくくるくる踊るのが本当に本当に私はこの曲で愛しいと思います。
この曲集だと他の2つの楽章の方が実は好きなんですけれど、あくまでも相対的な評価ですので・・・
3楽章とも是非元になったボッティチェッリの絵画を(ネットで調べるとすぐ出てくるので)そちらも見ながら視覚・聴覚どちらも通じて楽しみましょう♪
(追記:リンクしたCD・・・挿絵の「古風」がちょっと古風過ぎやしないかなあ?(笑))
本題に入る前に昨日の楽器と性格についてのエントリーの最初におことわりを付けとくの忘れたんでここでおことわりしておきます。
におことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
本題なんですが。
昨夜ものすごく!ショックを受けたことがありまして。
生涯で2,3番目に大きいショックだったかもしれません。
なんで、なぜにして私はユヴォンヌ・ロリオ女史が今年の5月に亡くなったことを知らなかったんだ!!??
ユヴォンヌ・ロリオ女史。
メシアンの生徒のち2番目の妻であり、彼の一番の理解者。
そして彼の作曲した音楽を世に出した素晴らしいピアニストであり初めての「メシアン弾き」。
同時に彼女の存在はメシアンの作曲に影響を与えた、ミューズのような存在。
1992年に亡くなったメシアンの遺作「Concert a quatre」の完成にも手を添え、さらにメシアンコンクールの主審を務めた・・・メシアンの音楽とヴィジョンに彼に出会ってからの一生を捧げたある意味「祖」なのです。
メシアンが音楽関係や鳥関係で旅するときも一緒で。
二人がオーストラリアを訪れた時私の先生がコンサートを見にいったそうです。
ロリオ女史は素晴らしいピアニストで、手の大きさはそんなに大きくなかった、という話をしてくれました。
オーストラリアでは鳥の鳴き声を探しに行ったそうなのですが、もうメシアンは晩年に近かったのでオーストラリアの鳥の鳴き声は・・・あんまり曲に入れられなかったかなあ。
ロリオ女史の名前Loriodは実は鳥のカタログの第2曲「ニシコウライウグイス」の仏名Loriotと同じ発音で。
どこで解説読んでも意識してるって書かれているほど、あの曲には愛が詰まっています。本当に、本当に二人の愛の暖かさが見えるよう。
メシアン弾きにとってロリオ女史の演奏というのは・・・
ロリオ女史の演奏というのはメシアンの意志を最もくみ取っているものだと思います。
相互的なものでもありますし(メシアンはロリオ女史が演奏すること前提で曲書いてますし)。
ロリオ女史が世に出した20のまなざし、アーメンの幻影、鳥のカタログなど・・・もちろんそれぞれの奏者は自分の解釈があって自分の道を行くのですが、やっぱり基本というかオーソドックスはロリオ女史の演奏。
少なくとも私にとってメシアンの特定の演奏を「バイブル」的な扱いはしないようしているのですが、ロリオ女史の存在と演奏は私にとっては「グレートマザー」的な何かがあるのです。
遠い遠い人だけれど、メシアンの音楽を通じてどこか繋がっているから・・・今ものすごく悲しくて、そしてこんなに時間が経ってから知ったことをものすごく悔やんでいるのです。
大学在学中にチェロの巨匠ロストロポーヴィチが亡くなったとき、そして偉大な作曲家リゲティが亡くなったとき・・・ショックでした。同時に怖くなりました。
今巨匠と呼ばれる人もいつかは同じ道をたどるから。怖くて、淋しくてしょうがない。
違う視点で見れば今メルボルンにいる「メシアン弾き」(専門という意味で)って私の世代は私の他に一人もいなくて・・・本当に端くれの端くれだけれど、がんばってメシアンの音楽を弾いて、連鎖を続けていくべきなのかな、とふと思ってしまって。
がんばらないと、本当に。
私は無神論者なので天国の存在を信じていませんが、もしもメシアンが信じたように天国があるのなら、きっととロリオ女史はメシアンの隣で天国の鳥たちの声に耳を傾けているでしょう。
実際に二人は同じ墓に・・・メシアンが子供時代を過ごし別荘も後に建てたフランスのローヌ=アルプ地方、グルノーブルの近くにある墓地に、鳥をかたどったモニュメントの下に埋められているそうです。
(こちらのサイトに詳細があります。)
いつかフランスに行って、メシアンがオルガニストだったパリのサントリニテ教会、「ダイシャクシギ」の舞台であるブルターニュ地方とともにグルノーブルのこのお墓に行ってご挨拶したいな、と心から思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「アーメンの幻影」より第5楽章「天使、聖者、鳥の歌のアーメン」
「ニシコウライウグイス」と迷ったのですがこっちに。
なぜならこの曲集こそメシアンとロリオ女史の愛の結晶(と私は思ってます)。
2台のピアノの為に書かれたこの曲集、1stピアノのパートをロリオ女史が担当し、2ndピアノのパートをメシアン自身が担当するように書かれています。
なので全楽章を通じて技巧がきらびやかなのは1stの方、逆に作曲的にというか音楽的な部分は2ndが担当しています。どちらも両者の得意が反映されてるのですね。
まるで春の日だまりのように暖かく明るい光に満ちていて、きらきら、ぴよぴよと喜びにみちたこの第5楽章。
天に住まう天使達、地に住まう人間達、そしてその間を飛び交う鳥たちがみな「アーメン」とそれぞれの言葉で声高らかに神をたたえる、そんな曲です。
ピアノ2台はロマン派以降のフルオーケストラに相当するスケールのアンサンブル。
ピアノ一台でおさまりきれなかったメシアンの色彩の世界があふれんばかりに輝きます。
メシアンとロリオ女史は音楽や心の絆だけでなく、信仰に対しても道を同じくしていました。
なのであの二人の演奏はさぞ一体となっていて、先ほどのようにそれぞれの長所が発揮され・・・
ああ、聴きたいなあ(リンクしたのがその二人一緒の貴重な録音です)。
先ほども言いましたように私は無神論者です。でも天国があるとしたらそれはメシアンの音楽のなかにあるんじゃないかな、とたまに思います。
そしてそれが一番「絵」として表れているのがこの曲だと思います。
天の楽園と地の楽園が一つになった・・・みたいな?
恋人がピアニストなら私も絶対この曲弾きますよ。できれば一応女子なのでロリオ女史のパートを担当したいところですが・・・どうだろう。難しすぎやしないかしら。
金色の光、喜び、暖かさ・・・
本当に良いものがいっぱい詰まっている曲。
メシアンが、そしてロリオ女史が心に抱いて共有したヴィジョン・・・音楽で私も表現していければいいな、と思います。
大事に大事に聴いて欲しい一曲です。
Madame Loriod-Messiaen, rest in peace...
におことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
本題なんですが。
昨夜ものすごく!ショックを受けたことがありまして。
生涯で2,3番目に大きいショックだったかもしれません。
なんで、なぜにして私はユヴォンヌ・ロリオ女史が今年の5月に亡くなったことを知らなかったんだ!!??
ユヴォンヌ・ロリオ女史。
メシアンの生徒のち2番目の妻であり、彼の一番の理解者。
そして彼の作曲した音楽を世に出した素晴らしいピアニストであり初めての「メシアン弾き」。
同時に彼女の存在はメシアンの作曲に影響を与えた、ミューズのような存在。
1992年に亡くなったメシアンの遺作「Concert a quatre」の完成にも手を添え、さらにメシアンコンクールの主審を務めた・・・メシアンの音楽とヴィジョンに彼に出会ってからの一生を捧げたある意味「祖」なのです。
メシアンが音楽関係や鳥関係で旅するときも一緒で。
二人がオーストラリアを訪れた時私の先生がコンサートを見にいったそうです。
ロリオ女史は素晴らしいピアニストで、手の大きさはそんなに大きくなかった、という話をしてくれました。
オーストラリアでは鳥の鳴き声を探しに行ったそうなのですが、もうメシアンは晩年に近かったのでオーストラリアの鳥の鳴き声は・・・あんまり曲に入れられなかったかなあ。
ロリオ女史の名前Loriodは実は鳥のカタログの第2曲「ニシコウライウグイス」の仏名Loriotと同じ発音で。
どこで解説読んでも意識してるって書かれているほど、あの曲には愛が詰まっています。本当に、本当に二人の愛の暖かさが見えるよう。
メシアン弾きにとってロリオ女史の演奏というのは・・・
ロリオ女史の演奏というのはメシアンの意志を最もくみ取っているものだと思います。
相互的なものでもありますし(メシアンはロリオ女史が演奏すること前提で曲書いてますし)。
ロリオ女史が世に出した20のまなざし、アーメンの幻影、鳥のカタログなど・・・もちろんそれぞれの奏者は自分の解釈があって自分の道を行くのですが、やっぱり基本というかオーソドックスはロリオ女史の演奏。
少なくとも私にとってメシアンの特定の演奏を「バイブル」的な扱いはしないようしているのですが、ロリオ女史の存在と演奏は私にとっては「グレートマザー」的な何かがあるのです。
遠い遠い人だけれど、メシアンの音楽を通じてどこか繋がっているから・・・今ものすごく悲しくて、そしてこんなに時間が経ってから知ったことをものすごく悔やんでいるのです。
大学在学中にチェロの巨匠ロストロポーヴィチが亡くなったとき、そして偉大な作曲家リゲティが亡くなったとき・・・ショックでした。同時に怖くなりました。
今巨匠と呼ばれる人もいつかは同じ道をたどるから。怖くて、淋しくてしょうがない。
違う視点で見れば今メルボルンにいる「メシアン弾き」(専門という意味で)って私の世代は私の他に一人もいなくて・・・本当に端くれの端くれだけれど、がんばってメシアンの音楽を弾いて、連鎖を続けていくべきなのかな、とふと思ってしまって。
がんばらないと、本当に。
私は無神論者なので天国の存在を信じていませんが、もしもメシアンが信じたように天国があるのなら、きっととロリオ女史はメシアンの隣で天国の鳥たちの声に耳を傾けているでしょう。
実際に二人は同じ墓に・・・メシアンが子供時代を過ごし別荘も後に建てたフランスのローヌ=アルプ地方、グルノーブルの近くにある墓地に、鳥をかたどったモニュメントの下に埋められているそうです。
(こちらのサイトに詳細があります。)
いつかフランスに行って、メシアンがオルガニストだったパリのサントリニテ教会、「ダイシャクシギ」の舞台であるブルターニュ地方とともにグルノーブルのこのお墓に行ってご挨拶したいな、と心から思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「アーメンの幻影」より第5楽章「天使、聖者、鳥の歌のアーメン」
「ニシコウライウグイス」と迷ったのですがこっちに。
なぜならこの曲集こそメシアンとロリオ女史の愛の結晶(と私は思ってます)。
2台のピアノの為に書かれたこの曲集、1stピアノのパートをロリオ女史が担当し、2ndピアノのパートをメシアン自身が担当するように書かれています。
なので全楽章を通じて技巧がきらびやかなのは1stの方、逆に作曲的にというか音楽的な部分は2ndが担当しています。どちらも両者の得意が反映されてるのですね。
まるで春の日だまりのように暖かく明るい光に満ちていて、きらきら、ぴよぴよと喜びにみちたこの第5楽章。
天に住まう天使達、地に住まう人間達、そしてその間を飛び交う鳥たちがみな「アーメン」とそれぞれの言葉で声高らかに神をたたえる、そんな曲です。
ピアノ2台はロマン派以降のフルオーケストラに相当するスケールのアンサンブル。
ピアノ一台でおさまりきれなかったメシアンの色彩の世界があふれんばかりに輝きます。
メシアンとロリオ女史は音楽や心の絆だけでなく、信仰に対しても道を同じくしていました。
なのであの二人の演奏はさぞ一体となっていて、先ほどのようにそれぞれの長所が発揮され・・・
ああ、聴きたいなあ(リンクしたのがその二人一緒の貴重な録音です)。
先ほども言いましたように私は無神論者です。でも天国があるとしたらそれはメシアンの音楽のなかにあるんじゃないかな、とたまに思います。
そしてそれが一番「絵」として表れているのがこの曲だと思います。
天の楽園と地の楽園が一つになった・・・みたいな?
恋人がピアニストなら私も絶対この曲弾きますよ。できれば一応女子なのでロリオ女史のパートを担当したいところですが・・・どうだろう。難しすぎやしないかしら。
金色の光、喜び、暖かさ・・・
本当に良いものがいっぱい詰まっている曲。
メシアンが、そしてロリオ女史が心に抱いて共有したヴィジョン・・・音楽で私も表現していければいいな、と思います。
大事に大事に聴いて欲しい一曲です。
Madame Loriod-Messiaen, rest in peace...
昨日の勢いに任せて今日も楽器と性格、いってみたいと思います。
昨日のLower Brassと同じくチームワークがオケではかなりものをいう打楽器セクションを今日は特集?したいと思います。
実は打楽器セクションについてはエントリー「Rhythm of Life」で結構取り扱っていたのですが今日は重複を気にせず(?)いきたいと思います。
打楽器セクションは一日そこで私も一員として過ごしたことがあるのです。
元々キーボード担当でMilduraに遠征したとき、チャイコフスキーの1812年序曲のあの大砲のパートがコンサート当日「もう一人いると助かるな」という一声で私が担当することになり。デジタルパッドで演奏の仕方を習い、ほとんどぶっつけ本番(笑)
大学マネージャー時代も随分といろいろ打楽器セクションと触れあい学んだことが多く、良い経験ばかりでした。
打楽器セクション・・・は。
彼らの使う楽器そのものが壁となってちょっとオケのメインパートと地理的に(笑)離れているのと、結構独立した機関として動いているので、他の楽器からはちょっと疎遠なイメージがあります。
あと基本打楽器同士で固まっていることが多いので余計にそういう印象があるのかも。
トロンボーンよりも打楽器はでももしかしたら「ビジネスパートナー」としての関係に近いかもしれませんね。
ソロパートや、ティンパニのみの一人一人でもしっかりしている、セクションとして集まっても一人一人独立してしっかりそれぞれ動いている印象が大変強いです。
打楽器奏者はとにかく真面目、しっかりしていて几帳面。
世の音楽家ジョークではちょっと抜けてる、おバカな扱いが多いのですが・・・(真面目バカではある場合もなくはないですが)
リハーサル時は一番最初に来てリハーサルする曲に応じて楽器を並べ。
演奏中は休みが多いけれどきっちり休みを数えて次のエントリーに間に合うようにスタンバイ。
ずらっとならんだ楽器を複数担当してちょろちょろ後ろで動きまわる様子がなんだか整ってて、事前にちゃんと決めてあるみたいで。
リハーサルが終わると最後まで残ってしっかり片付け。特にコンサート前の日の片付けはトラックに全部積むように徹底してます。
コンサート前は機材のリストをきちっとそろえてくれますし。
なんといってもリズムの正確さがそのまま几帳面さに繋がっていると思います。
ついでに言えば打楽器はちょっとアクションが違っても違う音色が出てしまう繊細な楽器でもあるので、そこのところの細かい追求とこだわりも半端ないですよ。
大学のオケの打楽器のセクションはみんな小柄の女の子+ひょろっとした男の子1人だったのですが、みんなもくもくと効率的に力仕事(トラックに積む準備とか)をシステマティックにこなしてしまって。
本当に駄目マネージャーな私は頭が下がる思いなんですよ(汗)
打楽器の機材って本当にいろいろなものがあって、軽いものから重いものから、さらには色々入れる箱があって、ちゃんとした順番で入れないとふたが閉まらないとかもあって。
几帳面さと効率的さ、合理的さですね。
とにかく演奏に関してビジネスライクなアーティスト達です。
マネージャー本当に助かる!(笑)
みんな大変気さくな人達ですしね。
あ、それから彼らの強みは一点集中・一発入魂。
性格的にもそこらへんintenseな人がちょくちょくいます。
あと打楽器が特殊だな、と思ったのがなんかその・・・ギルド制度みたいなものがあるぽくて。
大学のホールの後ろのウォームアップルームの後ろに打楽器の部屋があるんですが、そこでなにが起こっているかは他の楽器の人達にはわからなく。しょっちゅう練習の音は聞こえてるんですが、例えばどういうレッスンなのか、打楽器クラスは何をするんだか、全く分かりません。
師→弟子への伝授みたいなものが強いのかなあ、という印象はあります。
それに関しては今日の一曲の方でまた・・・
でも最初に話しましたようにこういうところがなんだか一線ひいてるように感じるのかなあ、ということです。
打楽器の世界もまた奥深いのですが、残念ながら私はそこまで知りません。
でもみんな気さくな人達で、喜んで教えてくれるのであんまり怖がらないであげて下さい(笑)
今日の一曲: ニコライ・リムスキー=コルサコフ 「シェヘラザード」 第4楽章
前の打楽器エントリーでショスタコ11番を使っちゃったのであちゃーと思ったのですが、打楽器のチームワークを語るのにはこれもあるじゃないか!と思い出した一曲。
シェヘラザードとは簡単に言えば千一夜物語。賢姫シェヘラザードがスルタンに語った物語のフィナーレがこの第4楽章です。シンドバッドがバグダッド(はい、あのバグダッドです)でお祭り騒ぎのあとまた航海に出て船が座礁してみんな沈んでしまう、というお話。
リムスキー=コルサコフはオーケストレーションの天才で、シェヘラザード全体も本当にどの楽器に満足行くようなパートが書かれていて。みんなが活躍します。
でも打楽器の回にあえてこの第4楽章を選んだのは途中でリハーサル中「すごい!」と思ったところがあるからです。
シンバルの人とスネアドラムの人が並んで立っているんですが、途中シンバルの人が二枚たたき合わせてるなーと思ったらいきなり腕をひょいっと上げてシンバルを一枚つり下げる形にして、隣のスネアの人がスネアドラムを叩いてたスティックでそのシンバルを連打!
この景色伝わるかな-?つたない言葉なんですが、軽く衝撃を受けました。
要するに、連打の部分が打ち合わせ式のシンバルだとスピードが全然足りないのですが、前後に打ち合わせるシンバルのパートがあるのでサスペンションに切り替えられない。だから連打の部分はちょうど休みがあってさらもスティック持ちのスネアドラム奏者が担当する、という仕組みらしいです。
全てのオケでこうかどうかはわかりませんがね・・・サスペンションシンバルで全部やっちゃうのも可能っちゃあ可能ですから。
このくだり、作曲者自身はそこまで計算してなかったんでしょうね。スコアには指示はまったくないんです。
きっとこれが例の「師→弟子への伝授」的なものなのかな、と勝手に想像しております。
それにしても演奏をみてていきなりの「腕ひょい」への驚き、さらにその行為に表れるチームワークの綿密さには頭が下がるを通り越して本当にときめいてしまいました♪
前の打楽器のエントリーでも話したのですが、打楽器は曲の文化的背景を決める大事な「美術さん」的なポジション。バグダッドでの祭り、そして難破の瞬間など彼らの活躍なくしてはシェヘラザードの語る物語のリアルさは伝わってきません。
最後になりますが、リムスキー=コルサコフは「祭り」の音楽が大得意。派手でエキサイティングで良い意味でみんな集まって狂乱する、そんな盛り上げ音楽をハイクオリティで提供してくれます。
昨日のLower Brassと同じくチームワークがオケではかなりものをいう打楽器セクションを今日は特集?したいと思います。
実は打楽器セクションについてはエントリー「Rhythm of Life」で結構取り扱っていたのですが今日は重複を気にせず(?)いきたいと思います。
打楽器セクションは一日そこで私も一員として過ごしたことがあるのです。
元々キーボード担当でMilduraに遠征したとき、チャイコフスキーの1812年序曲のあの大砲のパートがコンサート当日「もう一人いると助かるな」という一声で私が担当することになり。デジタルパッドで演奏の仕方を習い、ほとんどぶっつけ本番(笑)
大学マネージャー時代も随分といろいろ打楽器セクションと触れあい学んだことが多く、良い経験ばかりでした。
打楽器セクション・・・は。
彼らの使う楽器そのものが壁となってちょっとオケのメインパートと地理的に(笑)離れているのと、結構独立した機関として動いているので、他の楽器からはちょっと疎遠なイメージがあります。
あと基本打楽器同士で固まっていることが多いので余計にそういう印象があるのかも。
トロンボーンよりも打楽器はでももしかしたら「ビジネスパートナー」としての関係に近いかもしれませんね。
ソロパートや、ティンパニのみの一人一人でもしっかりしている、セクションとして集まっても一人一人独立してしっかりそれぞれ動いている印象が大変強いです。
打楽器奏者はとにかく真面目、しっかりしていて几帳面。
世の音楽家ジョークではちょっと抜けてる、おバカな扱いが多いのですが・・・(真面目バカではある場合もなくはないですが)
リハーサル時は一番最初に来てリハーサルする曲に応じて楽器を並べ。
演奏中は休みが多いけれどきっちり休みを数えて次のエントリーに間に合うようにスタンバイ。
ずらっとならんだ楽器を複数担当してちょろちょろ後ろで動きまわる様子がなんだか整ってて、事前にちゃんと決めてあるみたいで。
リハーサルが終わると最後まで残ってしっかり片付け。特にコンサート前の日の片付けはトラックに全部積むように徹底してます。
コンサート前は機材のリストをきちっとそろえてくれますし。
なんといってもリズムの正確さがそのまま几帳面さに繋がっていると思います。
ついでに言えば打楽器はちょっとアクションが違っても違う音色が出てしまう繊細な楽器でもあるので、そこのところの細かい追求とこだわりも半端ないですよ。
大学のオケの打楽器のセクションはみんな小柄の女の子+ひょろっとした男の子1人だったのですが、みんなもくもくと効率的に力仕事(トラックに積む準備とか)をシステマティックにこなしてしまって。
本当に駄目マネージャーな私は頭が下がる思いなんですよ(汗)
打楽器の機材って本当にいろいろなものがあって、軽いものから重いものから、さらには色々入れる箱があって、ちゃんとした順番で入れないとふたが閉まらないとかもあって。
几帳面さと効率的さ、合理的さですね。
とにかく演奏に関してビジネスライクなアーティスト達です。
マネージャー本当に助かる!(笑)
みんな大変気さくな人達ですしね。
あ、それから彼らの強みは一点集中・一発入魂。
性格的にもそこらへんintenseな人がちょくちょくいます。
あと打楽器が特殊だな、と思ったのがなんかその・・・ギルド制度みたいなものがあるぽくて。
大学のホールの後ろのウォームアップルームの後ろに打楽器の部屋があるんですが、そこでなにが起こっているかは他の楽器の人達にはわからなく。しょっちゅう練習の音は聞こえてるんですが、例えばどういうレッスンなのか、打楽器クラスは何をするんだか、全く分かりません。
師→弟子への伝授みたいなものが強いのかなあ、という印象はあります。
それに関しては今日の一曲の方でまた・・・
でも最初に話しましたようにこういうところがなんだか一線ひいてるように感じるのかなあ、ということです。
打楽器の世界もまた奥深いのですが、残念ながら私はそこまで知りません。
でもみんな気さくな人達で、喜んで教えてくれるのであんまり怖がらないであげて下さい(笑)
今日の一曲: ニコライ・リムスキー=コルサコフ 「シェヘラザード」 第4楽章
前の打楽器エントリーでショスタコ11番を使っちゃったのであちゃーと思ったのですが、打楽器のチームワークを語るのにはこれもあるじゃないか!と思い出した一曲。
シェヘラザードとは簡単に言えば千一夜物語。賢姫シェヘラザードがスルタンに語った物語のフィナーレがこの第4楽章です。シンドバッドがバグダッド(はい、あのバグダッドです)でお祭り騒ぎのあとまた航海に出て船が座礁してみんな沈んでしまう、というお話。
リムスキー=コルサコフはオーケストレーションの天才で、シェヘラザード全体も本当にどの楽器に満足行くようなパートが書かれていて。みんなが活躍します。
でも打楽器の回にあえてこの第4楽章を選んだのは途中でリハーサル中「すごい!」と思ったところがあるからです。
シンバルの人とスネアドラムの人が並んで立っているんですが、途中シンバルの人が二枚たたき合わせてるなーと思ったらいきなり腕をひょいっと上げてシンバルを一枚つり下げる形にして、隣のスネアの人がスネアドラムを叩いてたスティックでそのシンバルを連打!
この景色伝わるかな-?つたない言葉なんですが、軽く衝撃を受けました。
要するに、連打の部分が打ち合わせ式のシンバルだとスピードが全然足りないのですが、前後に打ち合わせるシンバルのパートがあるのでサスペンションに切り替えられない。だから連打の部分はちょうど休みがあってさらもスティック持ちのスネアドラム奏者が担当する、という仕組みらしいです。
全てのオケでこうかどうかはわかりませんがね・・・サスペンションシンバルで全部やっちゃうのも可能っちゃあ可能ですから。
このくだり、作曲者自身はそこまで計算してなかったんでしょうね。スコアには指示はまったくないんです。
きっとこれが例の「師→弟子への伝授」的なものなのかな、と勝手に想像しております。
それにしても演奏をみてていきなりの「腕ひょい」への驚き、さらにその行為に表れるチームワークの綿密さには頭が下がるを通り越して本当にときめいてしまいました♪
前の打楽器のエントリーでも話したのですが、打楽器は曲の文化的背景を決める大事な「美術さん」的なポジション。バグダッドでの祭り、そして難破の瞬間など彼らの活躍なくしてはシェヘラザードの語る物語のリアルさは伝わってきません。
最後になりますが、リムスキー=コルサコフは「祭り」の音楽が大得意。派手でエキサイティングで良い意味でみんな集まって狂乱する、そんな盛り上げ音楽をハイクオリティで提供してくれます。
昨日ふと純粋に音楽のために音楽を創る気持ちを忘れないために演奏は続けよう、直接純粋な形で音楽と音楽の心に触れているようにしよう、と思ったりしていました。
今日の練習もなんだか堅実確実に歩みを進められている気持ちでがぜんやるきが出てしまって。あんまり空回りしたり無理しないよう頑張ります。
さて、そろそろ一つやっとくべきかな、と思いまして・・・楽器と性格の話を。
割と自分に近いところから始めます。
まず最初におことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
楽器内で結束が強い楽器ナンバーワンといったらほとんど間違いなく低音金管だと思います。
「低音金管」というのは実は日本語であるかわからないフレーズなのですが、トロンボーンとテューバをひとくくりにしたのをこっちではLower Brassというのでそれを日本語になんとか直した言葉です。あしからず。
オーケストラだと通常トロンボーンが3人いて、テューバが1人います。3人のトロンボーンのうち1人はバストロンボーンという1オクターブ低い(見かけはほとんど一緒)楽器を担当。
トロンボーン3人は共に和音を奏でたり、二人で1つのメロディーを分割して吹いたり。バストロはその中のベースを担当することもあればテューバとオクターブ離れて同じパートを吹いたり。
とにかく低音金管が一体となって音楽を創ることが多いのでチームワークと結束は天下一品!
リハーサル外でもよく4人でつるんでることがほとんどです。
ホルン奏者の母によるとホルンやトロンボーンなんかは一緒に和音を奏でる、それぞれの音を合わせて一つにすることが一番の喜び。
なのでだいたい低音金管は人間関係でも「調和」を大事にします。
オーケストラの楽器の奏者に関する性格について本を書いている茂木大輔さんによると、トロンボーンは呑兵衛が多いんだそうです。私もこれはそうだとおもうのですが、金管奏者全般かなり飲みますよ!(笑)
トロンボーンやテューバはでも結構体力勝負な楽器なのでがたいのいい人が多いので余計にそうなのかもしれません。(テューバの人は大抵大柄な人ですね。実際私のテューバ弾き友人は「太ってるから」という理由で学校でテューバを吹かされたのが始めだったとか。でも名手になって結果良かったね、って話をしてました)
ちなみにコンサート後の打ち上げでも大体4人一緒に座って飲んでいます。
低音楽器は出番こそ少なけれど(ベートーベン以前はオペラのみ、その後も曲的にも出演の割合は少なく、曲の中で吹いている時間も短めです)、肺活力を始めかなり体力がものを言う楽器です。
大学のトロンボーンクラスでは走らされたこともあったとか。
なのでオケの中では割と体育系な面が強い楽器たちでもあります。
体力必要の一部はやっぱりトロンボーンだと音程をとるのが腕の筋肉、というオケの楽器の中ではきわめて稀なメカニズムもあると思います。
こんな大きな筋肉ではさすがに機動力は落ちるので、ソロレパートリーのかなりスーパーvirtuosoとかでないと、あんまり速い動きは求められません。
大体大きくのびのびと音を出したり、和音を美しく合わせたり。
なのでせかせかした人はトロンボーン奏者ではほとんど見ません。
リハーサルもみんなものすごーく早く来るのですが、早く来てのんびり(大抵みんな一緒に)音あわせとかロングトーンとかウォームアップとかホールでするため、というわけで。
せかされるのは得意ではないですし、好きではない。
良くも悪くものんびりしている人達です。
テューバの場合、のんびりというよりはマイペース。
与えられたパートが「うんぱ、うんぱ」的なベースラインだけでも、「太ってるからテューバね」と言われてテューバを与えられても、嫌な顔の一つもせずもくもくと自分の仕事をこなす職人気質。
やっぱり一人のセクションですからね、なにやらいろいろ自分で自分の道や技術を開拓したり。
彼なりのやり方や信念があるのでそこはそっとしておいた方が無難です。
楽器の音のオープンさというか音量の大きさというかがおそらく繋がっていると思われるのが奏者のあけっぴろげでオープンな態度。あ、あと弾く時の姿勢もまた「どんとこい」的な。開けた感じが。
懐が広いはそうなのですが、まあ良いことも悪いことも包み隠ししないですね。ぐずぐずせず、ごくカジュアルに、オープンに。悪いニュースもためらわずに教えてくれます。
ただ楽器の音量に関しても言えることですが、本人達に全く悪気はないのです。
ついでながらこれも音に関連しているのか、金管奏者の下ネタ好き。
低音金管に限ったことでないのですが、かーなーりトロンボーンとかテューバ奏者も悪のりしますよ-(笑)
下品なことで陽気に笑って楽しんじゃうのは下品な音を出すのを楽しんじゃうのと・・・どうなんだろう。関連性。
でも確かに言えることはリハーサル中に曲の下ネタエピソードを出す確率が多いのは大抵金管出身の指揮者だなあ。
なので自然と4人の間柄、というのは男の友情的なものがあるのですね。性別に関係なく。
たまに女性のトロンボーン奏者(バストロだとよけいかっこいい!)もいるのですが雰囲気というかオーラがもう姉御的な、頼れる感じがでてます。
きっとトロンボーン奏者同士でとか付き合わないんだろうなあ。完全に男の友情なので(笑)
なによりも低音金管はタフな人達です。
体力も、音楽も、お酒も、性格も。
そしてなぜか私の知っている低音金管の人達は悪人面が多く・・・(きっと私の知り合いだけ・・・?)
全員コンサートの黒ずくめでパブに一緒にたまってると別のグループの方々に見えてしまうと言う・・・(笑)
でもみんな気は良い、優しくて力持ちな集団です。
マネージャーとして仕事をしてると可愛がってもらいましたし、力仕事も(先ほど話したようにきまって早くホールにいるので)快く手伝ってくれちゃいますし。
一緒に飲むのもかなり楽しいですし。一緒に陽気に悪のりしたくなっちゃいますよ。(はて、実際にしたっけか・・・)
なによりも彼らのチームワークを見守り、彼らののんびりさを一緒に感じると彼らの奏でる和音がより一層力強く、調和して美しく聞こえると思います。
どの楽器も、そのメカニズム、奏者の性格というか傾向というか、そして関係性、そしてオケでのポジションや役割を理解して共感することでそれらの楽器の音がもっと魅力的に感じ、さらには音楽をより深く感じることができると私は信じています。
なのでとりあえず第1弾でしたが、お楽しみになってもらえたら光栄です。先述の理由でもっと音楽を知ってもらうために、感じてもらうためにこれからも続けます。
次オケの音楽を聴く際に、低音金管の方々に目と耳を向けていただければ嬉しいですね♪
そんな彼らが大活躍の今日の一曲です。
今日の一曲: リヒャルト・ワーグナー 「指輪サイクル」の「ワルキューレ」より「ワルキューレの騎行」
私、ワーグナーが大大大嫌い!なのでございます。
音楽も神経を逆なでされるものがほとんどで、人物も知れば知るほど嫌いになる、という稀に見るpet hateなのですが・・・
その嫌いさをあるものが上回ってしまうこの曲。
それは・・・金管奏者のDNA(笑)
金管奏者の血がこの曲でめっちゃ騒ぐんですよ!心と頭では不本意な部分ががっつりあるのに血と遺伝子レベルで楽しんでしまう。
でも本当に金管奏者が楽しいと私もものすごく楽しくて。
トロンボーンやテューバの人達はしょっちゅうこの曲を(それもみんな合わせて)吹いていて。
練習室でそんな彼らの楽しそうな様子をずっと見てきたんですよ。
様子、といっても顔とか身体言語じゃなくて純粋に音が楽しい!って言ってるんです。
さて、曲自体の話なんですけれど。
戦乙女が空を駆ける(変換ミスではありません)様子の音楽。
普通の曲とは逆のピラミッドになってまして、低音金管がほとんどのメロディーを担当していて、木管、弦楽器のパートはすっかり効果音兼伴奏。
例えばバイオリンのパートは彼女たちがその上を飛んでいる雲や風。チェロやファゴットなどの駆けるリズムは彼女たちの愛騎の駆ける様子。
トロンボーン(そして後にテューバ)で表される彼女たちの勇姿・・・っていうのを考えてしまうとでも先ほどの分析からだと相当男勝りな腕っ節の強い乙女達ですね。肉食系女子。
有名なのは承知ですが、聞きどころを。
その1、テンポが遅くなってテューバが初めて!入ってくるところ
その2,その後で先ほどの同じ形のセクションには無かったトロンボーンのエントリー
とにかくホルン・トロンボーン・テューバの力と楽しさの完全解放を味わっていただきたいです♪
いわばLower Brass Unleashed!
今日の練習もなんだか堅実確実に歩みを進められている気持ちでがぜんやるきが出てしまって。あんまり空回りしたり無理しないよう頑張ります。
さて、そろそろ一つやっとくべきかな、と思いまして・・・楽器と性格の話を。
割と自分に近いところから始めます。
まず最初におことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
楽器内で結束が強い楽器ナンバーワンといったらほとんど間違いなく低音金管だと思います。
「低音金管」というのは実は日本語であるかわからないフレーズなのですが、トロンボーンとテューバをひとくくりにしたのをこっちではLower Brassというのでそれを日本語になんとか直した言葉です。あしからず。
オーケストラだと通常トロンボーンが3人いて、テューバが1人います。3人のトロンボーンのうち1人はバストロンボーンという1オクターブ低い(見かけはほとんど一緒)楽器を担当。
トロンボーン3人は共に和音を奏でたり、二人で1つのメロディーを分割して吹いたり。バストロはその中のベースを担当することもあればテューバとオクターブ離れて同じパートを吹いたり。
とにかく低音金管が一体となって音楽を創ることが多いのでチームワークと結束は天下一品!
リハーサル外でもよく4人でつるんでることがほとんどです。
ホルン奏者の母によるとホルンやトロンボーンなんかは一緒に和音を奏でる、それぞれの音を合わせて一つにすることが一番の喜び。
なのでだいたい低音金管は人間関係でも「調和」を大事にします。
オーケストラの楽器の奏者に関する性格について本を書いている茂木大輔さんによると、トロンボーンは呑兵衛が多いんだそうです。私もこれはそうだとおもうのですが、金管奏者全般かなり飲みますよ!(笑)
トロンボーンやテューバはでも結構体力勝負な楽器なのでがたいのいい人が多いので余計にそうなのかもしれません。(テューバの人は大抵大柄な人ですね。実際私のテューバ弾き友人は「太ってるから」という理由で学校でテューバを吹かされたのが始めだったとか。でも名手になって結果良かったね、って話をしてました)
ちなみにコンサート後の打ち上げでも大体4人一緒に座って飲んでいます。
低音楽器は出番こそ少なけれど(ベートーベン以前はオペラのみ、その後も曲的にも出演の割合は少なく、曲の中で吹いている時間も短めです)、肺活力を始めかなり体力がものを言う楽器です。
大学のトロンボーンクラスでは走らされたこともあったとか。
なのでオケの中では割と体育系な面が強い楽器たちでもあります。
体力必要の一部はやっぱりトロンボーンだと音程をとるのが腕の筋肉、というオケの楽器の中ではきわめて稀なメカニズムもあると思います。
こんな大きな筋肉ではさすがに機動力は落ちるので、ソロレパートリーのかなりスーパーvirtuosoとかでないと、あんまり速い動きは求められません。
大体大きくのびのびと音を出したり、和音を美しく合わせたり。
なのでせかせかした人はトロンボーン奏者ではほとんど見ません。
リハーサルもみんなものすごーく早く来るのですが、早く来てのんびり(大抵みんな一緒に)音あわせとかロングトーンとかウォームアップとかホールでするため、というわけで。
せかされるのは得意ではないですし、好きではない。
良くも悪くものんびりしている人達です。
テューバの場合、のんびりというよりはマイペース。
与えられたパートが「うんぱ、うんぱ」的なベースラインだけでも、「太ってるからテューバね」と言われてテューバを与えられても、嫌な顔の一つもせずもくもくと自分の仕事をこなす職人気質。
やっぱり一人のセクションですからね、なにやらいろいろ自分で自分の道や技術を開拓したり。
彼なりのやり方や信念があるのでそこはそっとしておいた方が無難です。
楽器の音のオープンさというか音量の大きさというかがおそらく繋がっていると思われるのが奏者のあけっぴろげでオープンな態度。あ、あと弾く時の姿勢もまた「どんとこい」的な。開けた感じが。
懐が広いはそうなのですが、まあ良いことも悪いことも包み隠ししないですね。ぐずぐずせず、ごくカジュアルに、オープンに。悪いニュースもためらわずに教えてくれます。
ただ楽器の音量に関しても言えることですが、本人達に全く悪気はないのです。
ついでながらこれも音に関連しているのか、金管奏者の下ネタ好き。
低音金管に限ったことでないのですが、かーなーりトロンボーンとかテューバ奏者も悪のりしますよ-(笑)
下品なことで陽気に笑って楽しんじゃうのは下品な音を出すのを楽しんじゃうのと・・・どうなんだろう。関連性。
でも確かに言えることはリハーサル中に曲の下ネタエピソードを出す確率が多いのは大抵金管出身の指揮者だなあ。
なので自然と4人の間柄、というのは男の友情的なものがあるのですね。性別に関係なく。
たまに女性のトロンボーン奏者(バストロだとよけいかっこいい!)もいるのですが雰囲気というかオーラがもう姉御的な、頼れる感じがでてます。
きっとトロンボーン奏者同士でとか付き合わないんだろうなあ。完全に男の友情なので(笑)
なによりも低音金管はタフな人達です。
体力も、音楽も、お酒も、性格も。
そしてなぜか私の知っている低音金管の人達は悪人面が多く・・・(きっと私の知り合いだけ・・・?)
全員コンサートの黒ずくめでパブに一緒にたまってると別のグループの方々に見えてしまうと言う・・・(笑)
でもみんな気は良い、優しくて力持ちな集団です。
マネージャーとして仕事をしてると可愛がってもらいましたし、力仕事も(先ほど話したようにきまって早くホールにいるので)快く手伝ってくれちゃいますし。
一緒に飲むのもかなり楽しいですし。一緒に陽気に悪のりしたくなっちゃいますよ。(はて、実際にしたっけか・・・)
なによりも彼らのチームワークを見守り、彼らののんびりさを一緒に感じると彼らの奏でる和音がより一層力強く、調和して美しく聞こえると思います。
どの楽器も、そのメカニズム、奏者の性格というか傾向というか、そして関係性、そしてオケでのポジションや役割を理解して共感することでそれらの楽器の音がもっと魅力的に感じ、さらには音楽をより深く感じることができると私は信じています。
なのでとりあえず第1弾でしたが、お楽しみになってもらえたら光栄です。先述の理由でもっと音楽を知ってもらうために、感じてもらうためにこれからも続けます。
次オケの音楽を聴く際に、低音金管の方々に目と耳を向けていただければ嬉しいですね♪
そんな彼らが大活躍の今日の一曲です。
今日の一曲: リヒャルト・ワーグナー 「指輪サイクル」の「ワルキューレ」より「ワルキューレの騎行」
私、ワーグナーが大大大嫌い!なのでございます。
音楽も神経を逆なでされるものがほとんどで、人物も知れば知るほど嫌いになる、という稀に見るpet hateなのですが・・・
その嫌いさをあるものが上回ってしまうこの曲。
それは・・・金管奏者のDNA(笑)
金管奏者の血がこの曲でめっちゃ騒ぐんですよ!心と頭では不本意な部分ががっつりあるのに血と遺伝子レベルで楽しんでしまう。
でも本当に金管奏者が楽しいと私もものすごく楽しくて。
トロンボーンやテューバの人達はしょっちゅうこの曲を(それもみんな合わせて)吹いていて。
練習室でそんな彼らの楽しそうな様子をずっと見てきたんですよ。
様子、といっても顔とか身体言語じゃなくて純粋に音が楽しい!って言ってるんです。
さて、曲自体の話なんですけれど。
戦乙女が空を駆ける(変換ミスではありません)様子の音楽。
普通の曲とは逆のピラミッドになってまして、低音金管がほとんどのメロディーを担当していて、木管、弦楽器のパートはすっかり効果音兼伴奏。
例えばバイオリンのパートは彼女たちがその上を飛んでいる雲や風。チェロやファゴットなどの駆けるリズムは彼女たちの愛騎の駆ける様子。
トロンボーン(そして後にテューバ)で表される彼女たちの勇姿・・・っていうのを考えてしまうとでも先ほどの分析からだと相当男勝りな腕っ節の強い乙女達ですね。肉食系女子。
有名なのは承知ですが、聞きどころを。
その1、テンポが遅くなってテューバが初めて!入ってくるところ
その2,その後で先ほどの同じ形のセクションには無かったトロンボーンのエントリー
とにかくホルン・トロンボーン・テューバの力と楽しさの完全解放を味わっていただきたいです♪
いわばLower Brass Unleashed!
