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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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メンタル関係ちょびっと色々
いろいろ思うことがあったのでちょっとつらつらと・・・これは「ぼやき」なのかな?
そんな感じで今夜は菊花茶(顆粒)をお供に書かせていただきます。

世の中にある百億千億の様々なものを名前を付けて、カテゴリーに分けて理解できるようにするのは人間だけではなくて生き物にとって自然なこと。
くくること=inclusion、つまりそのグループに入れること、というのはもちろんそうなのですが反面くくることは「そうでない」ものをexclusion、つまり除外や疎外する役割もあって。
かつて古代の「キリスト教徒」、割と現代の「イスラム教徒」「ユダヤ人」、あとは「外国人」「○○病患者」「障害者」「引きこもり」・・・
あの人は○○だ、ということが同時に「あの人は私たちとは違う」という疎外的な意味を含んでいる、と思うのは被害妄想ではないと思います。

似たような話なのですが、「うつのカミングアウト」でここ数年ものすごく疑問に思っていたことがあって。
日本の方と話してると「相手に気を遣わせるから知り合って早いうちに鬱だってカミングアウトしないほうがいい」
と言われたことがあって・・・
当時はまあそうなのか、と思ってたんですがだんだんだんだんとそれって違うなあ、と思って。
タイミングを見計らってるうちに病状が急に悪化したりしちゃうと周りの人が鬱だと知らない場合知ってる場合よりも戸惑ったり、適切な行動がとれなかったり、余計に気を遣わせてしまうと思うのですよ。
その人の病状がいい時(思考がはっきりしているとき)に言っておかないと、そういう非常事態になってからだと言いづらいですし、適切な言葉がでてこなくてうまく伝わらないですからね。

でも思い返してみるとオーストラリアで友達に・・・例えば実際ピアノデュオのリハーサルに支障が出るのでほとんど初対面だった友達に事前に「私、うつで具合が悪くなってリハーサルをドタキャンしたりとかもしかしたらするかもしれないけど驚かないでね」とか「あんまり心配しなくてもちゃんとお医者さんも通って薬も飲んでコントロールされてるからきっと回復するから」という事を話しますと、大体返ってくるのがこのリアクションです:
「そっか、鬱か・・・鬱に罹ったことはないからそこら辺は分からないけれど昔辛い経験をしたことはあるから辛いことは本当に分かるよ。何かできることがあったらいつでも言って」
あとは知ってる人に鬱の人がいるよ、とか。そういう経験が自身あった人は自分の経験を話してくれたり。

鬱に罹ってることは悪いことではないんだ、それで疎外されることはないんだ、という気持ちは勿論ありますし・・・
でも思ったのは日本でとられた反応は「自分とは違うから気を遣わなくちゃいけない」という負の特別扱いによってうつの人を疎外しようとしている動きなんだな、と(本人がそれを直接意図していないにしても)。
それに対してオーストラリアでの反応は自分も辛い思いをしたことがあるから理解できる、またはなんらかの形でそういう状態の人とつながりがある、または自分の経験を共有する、それらによって「あなたも私と同じ仲間」だ、と受け入れる態度なんだな、と。

疑問ついでなんですが、「ネガティブな人といると自分もネガティブになるから嫌」という態度も疑問に思ってまして。
これもまた疎外に繋がる態度なんじゃないかと思います。
いかにも論理的に正しいように思えてしまうから、こういう態度がはびこると助けが必要な人が助けを求めにくくなるのが最初の理由。
で、いかにも論理的に正しいように思えてしまうから、じゃあネガティブな人は避けた方が良い、といってそういう傾向が広まってしまう。
ネガティブな状態は本来の人間の状態じゃないわけで、つまり何らかの形でその人達は助けを求めているのに、ネガティブな人達同士じゃ自分もお互いも助けることができないのに・・・
そうやって「ネガティブな人」を疎外して、自分の周りから排除してしまう動きがものすごく怖く、同時に大きな疑問を抱いてしまうのです。
あとはやっぱりその「得ようとばかりして与えようとしない」姿勢、っていうのもこういう態度には表れているような気がして。

人って自分が思っているよりずっと与える力があると思うんですよ。
昨日twitterで似たような事を言っていたのですが、人に与えることで自分が与えられる事も多いと思うんです。
人と自分のつながりってどう転んでどう効果がでるとか分からないものなので・・・
人の為にとおもってやったことがいつのまにか自分の欲がでていたり・・・自分のために、と思ってやっていることでも相手のことを思いやっていることには変わらないことがありますし。

だからなるべく人(特に弱者)を疎外することをせずに、もっとお互い与え合っていけたらと思うのです。
不安やPTSDの治療でもあるのですが、ネガティブな原因を避けることは何の解決にもならず、人を弱くして恐怖を増すだけだ、ということもありますし。
ネガティブに対して恐怖感が増せば疎外も進みます。言うまでもなく悪循環。

今回は健常者の方々にしてほしいこと(してほしくないこと)の話になりましたが、患者さん側のこともいつか書いていければ、と思っています。

このエントリーが私の思いだけでなく、どこかの誰かの一人でもの思いを代弁している事を願って・・・


今日の一曲: セザール・フランク バイオリン・ソナタ 第2楽章



フランスの作曲家の中でおおっぴらには取り上げられることのない、でも大切な作曲家、フランク。
彼の作品の中でもバイオリンソナタは様々な楽器(ビオラ、チェロ、サックス、フルートなど)のために編曲され、多くの人に愛されています。

ただソロの楽器のパートに比べて何でこんなに!?と思うほどピアノのパートが難しいことでも有名で(笑)
でも例えばこの第2楽章の冒頭のピアノ独擅場なんて弾けたら気持ちいいだろうなーと思いますよ!

第2楽章の熱情はなんというかものすごく心に近いです。
バイオリンのそのガッツのある低音域はビオラのホームグラウンドでもありますが、ビオラは実は私が「心臓・心に一番近い楽器」と思ってまして。
バイオリンのG線の強さ、熱さ、狂おしさが十分に生きるオープニング。

ブラームスの音楽とも多少似てる部分がありますが、ここはやっぱりフランスのなめらかさ、といいますか。ロマンチックでも重すぎない。
ドイツ音楽でどうしてもでてくる重力みたいのから解き放たれて飛翔するバイオリンの正直な音色が本当に魅力的な一曲です♪

ちなみにNHKでやってる「名曲探偵アマデウス」でこの曲をとりあげたエピソードもなかなかお奨めです♪

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musique , s'il vous plaît!
ちょーっとここ数日うまく元気が回っておりません。
でもこないだはじめたばかりのシマノフスキ(カリュプソー♪)が不思議と定着して来ています。
あ、これいけるじゃん、と(笑)耳と脳が慣れてきた、といいますか。
twitterでもたった今話してましたが現代音楽はやっきになって練習するよりも一旦寝かせて、というか自分が寝て脳に整理させてから望むのがいい、と大学以来の私の経験により思います。
特に私は短期記憶が多少弱いほうなので、長期記憶に切り替えてもらった方が断然落ち着きます(不安はいやです。落ち着きたいです)

さて、音楽の話で一つ。
只今プロでもなく(一応指はクロスしていますが)、音楽で何をしたいんだ、という疑問が自分の中にはいつもあって。
演奏は勿論したいです。弾くという行為はいつだったか悟ったように自分にとって表現として必要なものですし、なんといっても楽しくて。まだまだやりたいことはありますし、最近はちょっと舞台に立ちたい欲が恥ずかしながら頭をもたげてまして・・・(笑)

でもそれ以外でもやりたい、と思ってることはあります。
それはある意味私がメンタルヘルスでやりたいことにも一部繋がっていて・・・

色んな人に音楽を勧められるようになりたいなあ、と。

例えばメンタルヘルス関係で、患者さん(必ずしも「患者」ではないのですが)が自発的に聞いた音楽から心理を分析みたいなことをしたり・・・自発的に音楽を聴く、というある意味受動的な表現から自分の状態をモニタリングする試みだったり・・・患者さんの心を治癒するのではなく、例えば自分の状態を振り返ったり、客観的に自分を見れるようにするため、はたまたネガティブな思いを浄化?するために適切な音楽を勧めたり。

メンタルヘルス以外でも、例えばクラシックを知らない人でどこからはじめたら良いのか分からない人に初めのとっかかりを提供したり・・・TPOに合った音楽を推薦したり。その他特定の作曲家のお薦め、または好きな曲に似た曲を、とか「どんな曲を?」という疑問にお答えできるようになりたいです。

これは大学の時にいろんな楽器奏者の友達に室内楽やソロで「何を弾こうか?」といった相談にのってなかなか好評だったのと何よりも私が楽しかったことから派生した夢で。
オケマネージャーとして色んな楽器の人の好みや強さ、レパートリーを理解して、共感しようと努力して、自分の音楽のレパートリーの知識を広げて来ましたが、その広げるプロセスも楽しくて。

あとは昨日の論文でもありました音楽が人間の心全般(=個人個人でなく)を動かす力とそのプロセスに興味津々で。セオリーだけじゃなくそれを音楽やメンタルヘルスに実際に使いたい、という思いもあり。

さらにその「共感」する部分です。
人の気持ちに共感して、一人一人の心が求めているものに対してサポートを与えたい。
メンタルヘルスで強く感じることが、音楽を勧めるという行為に対しても強く感じることなんです。

音楽のレパートリーをそういう目的のために検索するには目に見える形の(パソコンなどでの)データベースも有用ですが、何よりも自分の脳でもっと感覚的な、直感的なキーワードやエレメントで検索できることも大切なのかな、と思います。
そこのところ確実さ・効率を改善するためそれらを組み合わせたシステムをなんらかの形で創り上げたいな、という願いも・・・

音楽のレパートリーの知識に関しても、共感することに関しても、まだまだ半人前なのですが・・・
でも音楽が人の心を動かせる力を信じていますし、もっとクラシック音楽を、そしてクラシック音楽の色々なエリアや曲を知ってもらいたいという気持ちも強いですし。
もっと人の心とふれあいたい、人の力になりたい、そして人が一人で立っていけるようにサポートもしたいですし。もっと人の心を動かしたい。
そして演奏で人の心を動かすのもそうですが、演奏以外にももっと音楽の力を発揮させたい。

だからこそメンタルヘルスも、演奏も、音楽アドバイザー的なこともやりたい。
多分三位一体じゃあないですけど自分の思いが成り立つには全部が大切なような気がして・・・
何かと欲張りで最近困るんですが、欲張りをやめる気になりません(汗)

もっと音楽のために、心のために・・・何か出来るようになりたい!


今日の一曲: ジャン=ミシェル・ダマーズ 木管五重奏曲のための17の変奏曲



今日もまた知名度が若干曖昧な一曲ですが・・・木管奏者の人はみんな知ってる的な曲なんですかね?

フランス音楽を身近に感じれるようになってから木管五重奏、というアンサンブルにはまるようになりまして・・・
木管五重奏というのは・・・フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットの5人によるアンサンブル。
・・・あれ?と思われる方もいるかもしれませんが、金管楽器であるホルンも大事なメンバーです。

そもそも木管楽器といっても共通点は「木でできた管」ということのみ。
フルート、オーボエ&ファゴット、クラリネットはそれぞれそもそも音の出し方から違うのです。
兄弟分であるオーボエ&ファゴットもリード・楽器の大きさからかなり音の質は違います。
作りと弾き方、音の出し方が同じ弦楽四重奏や金管アンサンブルとの大きな差はそこなのかもしれません。

なので5人が5人、全く違う音で一緒に弾いている、という不思議な光景。
音楽的にも和音を奏でるというのでなくそれそれ独立したパートを弾いている感じ。
みんながみんな、それぞれ好きなことをやっているのにアンサンブルは一体としてちゃんと機能している。

そんな木管五重奏の不思議な魅力が味わえるのがこの変奏曲。
なんと言ったらいいのか、オーソドックスかつ粋なバリエーションで(笑)
シンプルなテーマがどんどん展開していく(けれど元の面影を残したまま)様子がわくわくする、そんな一曲です。

中でも印象が強いのがファゴットソロのみの変奏。
ファゴットソロだけ、というのが室内楽では特に珍しく、このジャズ風のアレンジがなかなかかっこいい♪
そして最終変奏で一人がメロディーを演奏しながら、他の四人が四分音符、八分音符、三連符、十六分音符と別々の速さで刻んでます。そのばらばらなようで同じ基準で動いてるところがなんとなく時計のメカニズムを思わせます。

フランス音楽はちょっとわかりにくい独特のニュアンスというかユーモアのセンス、エスプリみたいなのがありますが、わりとストレートな方なので気軽にお奨めです♪
ちなみにリンクしましたCDには他にも素敵な木管五重奏のための曲がいっぱいです♪

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音楽と感情の色々様々
明日からメルボルンにつかの間の春の第一歩が来るようです♪
ここ1週間ほどの精神の調子からもみて、実際の春が来るのもそう遠くないような気がします・・・

最近勉強と趣味を兼ねて自分の大学時代の、親友から借りた、さらにインターネット上にある論文的なものを読んでいます。
日本語と英語、そして医学関係、精神関係、芸術関係、その他の4つのカテゴリーにわけて。
読んだものはなるべく(でもあんまり実現してない)ノートに詳細をまとめて、抄訳を写し&翻訳して(練習です!)。

その中でも昨日は今の自分とこれからのことになにかちょっと勉強になりそうな、興味深い論文を読んでいました。
本文は有料なのですが、ここに抄訳があります。(英語)
Kreutzらによる「音楽により感情を引き起こす:音楽の好みと熱中度の影響」(自分の訳下手ですみません)、という論文で。

なんでも西洋クラシック音楽の器楽曲レパートリーから抜粋を「楽しい」「悲しい」「怒り」「恐怖」「安心」の5つの「意図される感情」の基本カテゴリーから選び、99人の成人参加者に5つの感情のうちどれを感じたか、感じた感情の強さ、心地よさと興奮の度合いを答えてもらう、というもので。
参加者については音楽的背景とAbsorption(感情移入の度合い・・・あ、感情移入でよかったんだ!)も調査して。

結果は意図される感情はほとんどの場合聴き手に同じ物が感じられ(ただ怒り・恐怖と悲しい・安心の間に類似が見られ)、音楽によて感情を引き起こせることがわかり、さらに音楽の感情を強く感じる程度は音楽をプロでやっていてもアマチュアでも全くでも有意な違いはないのですが、クラシック音楽を好きな人はよりその音楽を強く感じる、という傾向が見られたらしいです。

で、これを読んで思ったのは・・・
まず一つはとりあえずクラシックを気負わず聴いて欲しいな、ということ。好きになるまではわからないので、とりあえず聴いてみて、好きな曲に一つでも出会って・・・そこから音楽にこめられた思いをより深く感じるとっかかりになったらいいな、と。

そしてもう一つは結果でそれぞれの曲の感情ごとのスコアを見ているとこうやって曲を数値化・パラメータ化してみると面白いな-、と。同時に音楽の「意図された」感情を考慮してリサイタルプログラムを組んで、演奏の聴衆に対する効果を増してみるのも面白いなあ・・・とか。
実際どかーんと突き落としてあとで暖かく癒すのはブリテンの戦争レクイエムのLibera Me~Let us sleep nowとか、メシアンの20のまなざしの18~19番でも見られる効果ですし。

いろいろしたいこと、応用したいことについては明日のエントリーでの話になるのですが・・・
とにかく音楽に関して、人の心理に関しての一部について勉強になった気がします。
(論文は一つのトピックについて深く学べますが、広い範囲は望めません・・・)

で、論文の付録として実験で使った25曲のリストが載ってて、それも興味深かったです。
いくつか候補があるなかから、研究者全員が一つの感情カテゴリーに賛同したものを選んだそうで、器楽曲の中でかなり時代・作曲家の出身国など結構バランスが取れていて・・・
なんといってもヴァレーズとかメシアンを繰り出してきたところがすごい!とちょっと思いました。

なので私も5曲×5カテゴリー、25曲選んでみました。
一人で選ぶと言うことでより融通が利くと言うことでよりバランスに重視をおいてみました。
クラシック音楽といっても色々なものがあるので、より普遍的なサンプルを、と言いますか・・・
テンポ、楽器編成、時代、知名度、作曲家の出身国になるべくばらつきを心がけた結果こうなりました。

「楽しい」
ロス・エドワーズ バイオリン協奏曲「Maninyas」 第3楽章
シャブリエ 「スペイン」
ドビュッシー 前奏曲第1巻より第5番 「アナカプリの丘」
ブラームス ホルン三重奏曲 第4楽章
ドボルザーク 弦楽四重奏第12番「アメリカ」 第4楽章

「悲しい」
チャイコフスキー 「白鳥の湖」第4幕から「小さな白鳥たちの踊り」
グリーク 「ホルベアの時代から」より「アリア」
ショスタコーヴィチ ピアノ五重奏曲 第1楽章
ブリテン ロシアの葬送
バッハ 「甘き死よ、来たれ」

「怒り」
バルトーク 「不思議な中国の役人」より「幕が上がる」
ブラームス ピアノ四重奏曲第1番 第4楽章
ブリテン 「ピーター・グライムズ」より「嵐」
リゲティ 練習曲集第2巻より第14番「永遠の柱」
ヴィヴァルディ 「四季」より「夏」 第3楽章

「恐怖」
ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏第15番 第2楽章
アデズ 「Living Toys」より「Battle」
プロコフィエフ 交響曲第3番 第3楽章
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 作品39の6
バルトーク ディヴェルティメント 第2楽章

「安心」
シューベルト 交響曲第7番「未完成」 第2楽章
グレインジャー デリー地方のアイルランド民謡
ラヴェル 「クープランの墓」より「メヌエット」
武満 「夢の引用」
イベール 3つの小品 第2楽章

・・・明らかに恐怖だけ20世紀偏りなのはしょうがないのかしら。そして古典前半が見事に抜けてしまった(汗)
こうやって分析的に曲を見てみるのも本当に面白いです!

こんなに曲をリストしてしまったんで、今日の一曲はここから。


今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ 交響曲第3番 第3楽章



プロコフィエフはいつだったか(正確な言葉は分からないのですが)不協和音はスパイスのようなもので、使いすぎると料理がみんな胡椒の味しかしないようになってしまう、というような言葉を残しています。
実際そういう風に悟ったのが新古典派方面に転向したからなのかはわからないのですが、ただその転向するまえは彼もかなりとんがってましたよー。なんたってモダニズムの寵児。
けっこうつっぱった難解な音楽を書く人でした。

彼の書いた「炎の天使」というオペラもそういった感じの作品で。そのオペラが不成功に終わる前なのか後なのか、オペラから派生するという形で生まれたのがこの交響曲。
あらすじ、というのが一応ありまして・・・主人公の若い女性は「炎の天使」(実は悪魔)をヴィジョンとして長い間見てきて、彼を愛してしまっていた。そんな彼女に惚れた騎士はその「天使」の化身である人物を彼女と一緒に探す。だがその化身と思われた伯爵は彼女と付き合うも彼女の元を去り、彼女は神にその身を捧げるために修道院に入るが、炎の天使がらみで彼女につきまとう魑魅魍魎が修道院の面々にらんちき騒ぎを起こし、主人公は魔女として逮捕される・・・というような話でした。
こうやって下手な説明だとあれなんですが、私にとっては結構初めましてのころからなんだか興味をそそられるストーリーです。

第3楽章は二人がとある洞窟に魔術師を訪ねていった場面で(曲の途中で重々しい扉のノックが聞こえますね)。
曲としてもあらすじとしても最初からいろいろねじれて曲がっているのがこの楽章に表れていると思います。
なんといっても私がこの曲を中学生で最初に聴いたときにすごい!と思ったのが冒頭から少し後。
洞窟の中を飛び回る得体の知れない霊やら魔物やらエネルギー体やらを表すランダムな弦楽器のパッセージ。
これは実は弦楽器全体が13のパートに分かれていて、わりとみんなが違うときに演奏してる、というわけです。なので空間的に色んな所からひゅん、という音が聞こえて来るように感じるというわけです。

プロコフィエフやストラヴィンスキーってたまに「これ人間が書いた/思いついた!?」と思うようなパッセージがあるんですよ。
ショスタコーヴィチの音楽が劣ってるわけではないのですが、こういう末恐ろしく感じる、人間離れした表現をすることはまずありません。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番とか、ストラヴィンスキーの春の祭典など・・・どうしたらこんな音を考えついて、それをこんなにも鮮やかに表現することができるのか。
この第3楽章の先ほどのパートはその人間が思いついて書いたとは到底思えないような感性をヴィヴィッドに表しています。

かなりがっつりモダンですが、あらゆる意味で非日常で超常現象的な体験をさせてくれる、強烈過ぎる一曲です。

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Doctor Says (認知行動療法の基本の一部)
今日は3ヶ月ぶりに精神医とのアポでした。
調子が悪いときは毎週とかなのですが、随分と間が開けられるようになりました。
ただ間があくと調子が良いのであんまり話すこともなく、間があくといつからだったっけ、とかちょっと前に調子が一時的に悪かったとかで逆にしゃべるのが難しく。
まあ、いいことではあるのですが。

とりあえずは私の自分の学習のためもかねてリクエストでこないだ調子悪かった時の話をケーススタディとしてもう一回ドクターのアプローチについてちょっと復習、と行った形でお話させてもらいました。

以前も書いた記憶があるのですが、私の精神医はいわゆる認知行動療法というアプローチを得意としていまして。
その広くて多少不明瞭なエリアの中でも私の治療のフォーカスだったのが自己モニタリング+認識した今の自分にとって「正しいこと」を行動に移す、という側面です。

ものすごく基本的なことで、慣れれば自然なことなのですが、それでもきちんと実行に移すにはちゃんとした真摯なアプローチが必要で。
メンタルヘルスだけでなく身体の病気の管理、さらには健常者が心身ともに健康でいるための健康管理にも普遍的に応用できる基本コンセプトなのでなんとかまとめられれば、と今日なんとかチャレンジしてみます。
以前のエントリーの内容とかぶってしまったらすみません。

自分の状態を把握する。
簡単なことのようで案外難しいことですね。完全にそこをミスった私の数週間前ですが、私だけじゃ・・・ないですよね。いろんな病気の話を聞く度に思いますが。
例えば鬱に関しての自己モニタリングで一番わかりやすいバロメーターは感情でしょうか。
気分がふさぎ込んでいたり、辛く感じたり・・・
思考もまた大きい要素です。非論理的なネガティブ思考や自殺願望など。
そして行動。友達と会わなくなってたり、趣味に時間を費やすことが極端にすくなくなったり。

自分の状態を把握する場合、持病を持っている方はもちろん病気の典型的な症状を知識として把握することが前提ですね。チェックリストのように自分を評価したときいくつか当てはまってたりしたら警告として捉えるべき、など。
あとは特に精神疾患では「自分の症状」を知ることも大切ですね。例えば不眠はうつの主な症状の一つですが、過眠傾向になる人も珍しくありません。自分が調子がわるくなるときはこうなる、というパターンを理解するには自己モニタリングを継続して経験から学ぶしか術がありません。

健常者の方で一番わかりやすいのは飲酒関連でしょうか。
どれくらい自分が普段飲めるか、今週休肝日をつくったか、今自分は真っ直ぐ歩けているか、風邪気味ではないか、薬を服用していないか、どうやって家に帰るか・・・などを考慮していつお酒をストップするか、そもそも今夜は飲むべきか決める・・・そういうことです。

あとは私の精神医が私の治療で活用したのは「表現活動」です。
音楽と創作にかなり心を注いでいることもあって、例えばいつもより練習量が減っていないか、表現活動から遠ざかっていないかというのももちろんですが弾く曲や弾き方、書く物の内容にどう自分の状態が反映されているかということにも目を向けてみるよう説いていました。

ただ精神疾患の影響を受けている状態(そして酔っぱらっている状態)では思考能力がダウンしているので、正確に評価すること、そして評価したうえで判断することに支障がでることが大変多いです。
なのでそういった状態に変わってもなるべく気づけるよう自己モニタリングを健康な時も怠らず、さらに専門家の診断での評価だったり周りの人だったりにも同じように「気をつけていてもらう」という形のモニタリングとの併用で確実さは増します。

自己モニタリングは治療にも大きなメリットがあります。
例えばお医者さんが自分の事を分かってくれてない、と思った時はお医者さんの理解態度に問題があるか、それとも自分が自分の状態を十分に表現できてないことでコミュニケーションに問題が起こっていると考えて良いと思います。自己モニタリングによりどっち側に問題があるかに関してヒントが表れる可能性もありますし、自己モニタリングすることで自分の状態を把握し表現することの助けにもなりますから。
専門家と患者さんの関係についてはまた別の長い話なのでここでは割愛させていただきます。

「認知行動療法」なのでいままで話した「認知」だけではなく「行動」ももちろん必要です。
そういえばこないだ自己モニタリングについての論文で自己状態の認知だけでなくその認知したことにたいして行動をとることも自己モニタリング尺度に含めるべきだ、という文を読みましたが。
私の精神医は今の私には認知はここ数年の努力からわりとナチュラルに来ているので行動をついていかせることが大切、といっています。

自分が調子が悪いことを認知して。
次に考えるべきは「自分はこの状態を改善させるため、または極力悪化させないためになにをすればいいのか」ということですね。
数週間前の私だと一歩立ち止まって自分の状態を確認して、これ以上勉強やら家事やらピアノとかやるのではなく自分には休憩が必要なんだと認識して、実際になにもせず休む時間を意識して作る=行動ですね。

またはそうやって状態が悪くならないようにあることをする・あることを避けることも行動です。
全般的な健康管理であれば健康な食事・運動プラス定期的に健康診断にいく、など。飲酒関連であればあらかじめ飲む量を決める、休肝日を作る、など。
精神疾患の場合は先ほど話した症状の知識としての把握だったり、専門家や周りとのコミュニケーション、理解を図ったり。
何かあったときの行動を健康なうちに決めておくのもまた備えの行動ですしね。

自分は今どんな状態にあって、なにが必要なのか。
それを理解し実行する努力を日常にとりいれることで、いつか努力は自然になり、自分の状態に振り回さることも少なくなり常時変化する自分の状態、自分の存在、そして自分の病気と割とリラックスしておつきあいすることができるのではないか、ということを私の精神医は何年もの治療の中で私に教えてくれたと思っています。


今日の一曲: Daniel Nelson "Metallephonic"より第3楽章 "Alum"


MusicPage動画(2005年 Melbourne International Brass FestivalにてOystein Baadsvik、Mark Shiell指揮Melbourne New Orchestra演奏)
(ちなみに動画はこの第3楽章の前に第2楽章が入ってます。)


最近再熱した曲なんですけど、実際どのくらいの人がこの曲を知ってるかがまったく分かりません。
テューバソロ+オケ+エレキ&ベースギターという編成の曲でほとんどのテューバ曲と同じくかなーりマイナーな分類に入ると思うのですが・・・

そもそもなぜピアニストの私がこの曲を知っているかというと・・・上に貼り付けてあるリンクの動画の演奏で弾いていたからなのです(汗)
自分が出てる動画(しかもピアノでなくチェロ)を貼り付けるのいやだったんですけどなんせこれしか録音がない!(で、このときのソリストが録音しているにはしてるんですけど、リミックスバージョンなるものでちょーっと違うんですよね)

そもそもMetallephonicは音楽自体の魅力もあるのですがそれ以外の魅力もあって。
Metallephonicの7つの楽章はIron, Arsenic, Alum, Mercury, Lead, White Arsenic, Steelとなっていて、楽譜にはなにやらシンボルが。
これらは現代科学の元素・化合物の話ではなく錬金術の話なんですね。

Alum=アルミニウム。
薄く軽く光沢がある状態で使われることが多い、わりと人間の生活には新しい(ナポレオンの時代でしたっけ?)金属。
テューバというイメージとしては重たい楽器が(実際色々重たいのですが)羽ばたきます!
オケの軽い、ちょっぴりcatchyな気まぐれなようでメカニカルなリズムとところどころのエレキのアクセントに、テューバの超絶技巧。
ホルストの「惑星」の「水星」にけっこう似たイメージがあるのです。

もうAlumという言葉を思っただけでこの曲がぱっと頭の中に流れるほどノリの良い、軽くも引力の強い音楽。
テューバという楽器のちょっとびっくりする能力、エレキとオケの意外な調和、そしてなんといってもリズムの魅力が半端じゃない!

いろいろとこの曲集にインスパイアされたものは最近ちょこちょこあって・・・
メジャーになっては欲しくないけれど、密かにもうちょっと知られて欲しいな、と思います。
音楽もイメージもなかなか分かりやすいですので、こちらから他の楽章も聴いていただけると嬉しいです♪
演奏の質の方はちょっと寄せ集め的なオケだったのであれなのですが、曲はいいですよ!(笑)


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ECT治療について・・・
えーっと、最近「楽器」+「性格」の検索キーワードでこのブログにいらっしゃっている方がちょこちょこ増えていて誠に嬉しい限りなのですが・・・もうちょっと時間を下さい!(汗)
頭の中には事細かくあるのですが、それをなんとか文にまとめるのが大変で・・・あとチェロあたりは特に長いのと、あとインサイダーなんで誹謗中傷にならないか心配で・・・慎重になっちゃってます。
なんとかいつかまとめようと思います。面白い話のネタ兼興味深い考察なんで。
ただあくまでもオーストラリアメルボルンにおいてのデータ、考察なことを気が早いようですがお詫びしておきます。
冗談半分でネタとしてお捉え下さい。

さて、今日の本題ですが、こちらもちょっと慎重になってたトピックでして・・・
でも最近精神関係カテゴリで書いてなかったのと、いい加減「今現在自分が知っていること」を精一杯伝えようとしてみようか、と重い腰を上げました。
このエリアに関しては正しい情報と経験者の声のの少なさ、そして間違った情報と偏見の蔓延が本当に懸念すべき問題なので・・・

ECT = Electroconvulsive Therapy。
日本語で言うと電気けいれん療法。精神疾患に対して行われる治療オプションの一つです。
その名の通り脳に電気を通してけいれん発作を人為的に起こして、実はよく解明されていない仕組みで鬱をはじめとする精神疾患を改善する、という療法で。
さて、これだけの情報だと実際怖いもののような気がしますが先ほども行ったとおり正しい情報が少ないのが問題。どうか読み続けて下さい。

もともとは「てんかんと統合失調症(昔で言う精神分裂病)に同時に罹らないのはどうしてなのか」を追求したことが始まりの治療なのですが・・・

電気けいれん療法で多くの人が最初に思い浮かべるのは映画「カッコーの巣の上で」の某シーンだと思います。
でもあれはもう何十年前のこと。精神疾患に関しての倫理、ECT技術、全てが大きく変わっています。

実際私は2008年の今頃精神病院に入院していたときECT治療を受けています。
長い間心理療法、認知行動療法、投薬療法などを試していて、それなら一回受けてみる?変わるかもしれないよ?と精神医に勧められて踏み切りました。
一応ショートストーリーぽい形で体験の情報は残してあるので、なんとかまとめてみます。

とりあえず最初は入院。リチウムはなんでも電気けいれん療法との併用は後に話します副作用の可能性が上がるらしく、あと抗痙攣薬(実は鬱などの治療にも用いられるんです)はもちろん人為的にけいれんを起こす治療ですのでこれらの薬はちょっと時間をかけて減薬。自分と先生のモニタリングも必須なので病院という環境は望ましいのですね。

で、施術の前の夜12時から断食・断水(断飲?)。これは治療が全身麻酔下で行われるため。
それで次の朝まずナースさんが血圧を測って手首に付けるバンドをつけるのにやってきて。その後治療に行きます。

私のケースは入院でしたが、治療の後半で割とモニタリングが要らないメンテナンス治療だったりするときは、私の病院はオーストラリアで唯一外来のECT治療もやってまして。
ECTは月・水・金の朝に行われるのですが、外来優先なので入院組は朝の遅くまで空腹で待つときもあります。
人によって週に1回から3回、精神医が治療の頻度の判断をします。治療を何週間受けるか、というのも様子をみながら精神医が判断します。

自分の治療の番になると施術のベッドに仰向けに寝転がって。
ECT担当の精神医1人(私の精神医もその一人)、ECT担当のナース1人(ちなみに歌のセッションも担当してる面白いおじさんでした)、そして麻酔医がいます。
心電図に繋がれて、電極を付けられて、あとは麻酔の注射&吸入(酸素吸入もありました)。注射には筋肉弛緩剤が入ってて、これで実際のてんかんの発作のように身体が激しく動いて怪我をしないようになっているのです。
で、すぐ麻酔が効いて、次起きたらリカバリールームのベッドの上。施術自体は30分ほどしかかからないです。

で、目をさましてしばらくするとナースさんが車いすで「昼ご飯持ってくけどなにがいい?」と聞きながら押して入院セクションに戻ります。

さて、麻酔と筋肉弛緩剤なのですが、注射する量は患者さんの体重を元に計算されて少し多めに用いるので、最初の治療セッションの後はその副作用でひどい頭痛、首痛がする場合があります。
すごい痛いですが、でも最初の2回ほどだけです。

ECT治療自体の副作用は今の最新の治療ではほぼ1つしかないと言われています。
それは「短期間記憶の喪失」です。
仰々しく聞こえますが、あくまでも短期間記憶だけです。例えば治療の朝のことを忘れることがありますが、普段の生活に関すること、知識、思い出などはまず消えない、ということです。
私の病院で行っている「Ultrabrief」というECTの種類は最新のもので、従来の方法に比べてその副作用は少なくなっているとの話です。
私も入院の時期の思い出っていうのはそう多くないです・・・実は入院しているあいだに大学の卒業式があったのですがぼんやりで。
音楽や創作、思い出、知識などに問題は見られていません。
ただ私はそうでしたが、一緒に入院していた患者さんはその短期間記憶の喪失を強めに経験したのか、辛がっていた人もいました。

効き目は、というと。
個人差はあるもののまあなかなか、といった所でしょうか。
ただいくつかのことを考慮しなければいけません。
1)病院の専門家によると薬物投与で何百とある薬の中である薬が効くのは60%ほどの確率である。
2)ECT治療は一通り他の治療を試したあとのオプションとして使われることが多い。
3)ECT治療は長期間入院、全身麻酔などを伴うので金銭的な問題が絡む
4)ただECT治療は薬物投与で改善しなかった病状を改善したケースがかなりある、との話も。

以上の要素からECTに賛成するお医者さんや患者さんもいれば、反対する人達もいます。
まだまだある意味発展途上ではあると思います。もっと周りの人を巻き込むこととか、全体的な治療の「一部」として連続性を持たせるとか・・・
私自身としても自分にとってECTがどれだけ有益だったかはわかりにくいのですが、自分に対してネガティブな効果があったとは思いません。有益さに関してはもっと後になったらもしかしたらわかるのかも・・・?

・・・なので経験者として本当に言いたいのはECT治療の話が持ち上がったとき治療をうけるかどうかは患者さん、お医者さん、病院の設備と治療内容、金銭的事情に本当によりけりなのですが、ECTについて偏見にとらわれず賛成・反対意見ならびに事実をひととおり知って欲しい、ということなのです。
薬物治療と同じ、もしかしたらもっと慎重に、治療の必要性について綿密に検証することも必要です。
さらに結果に関して早い段階で判断を下すのはいけないと思います。長期的な効果に関してはネガティブもポジティブにも情報がまだ無いので、もしかしたら振り返って結果良かったかも、ということも十分あり得ると個人的に思いますので。

オーストラリアでもまだ若い人へECT治療を行うことについて「ひどい!」と言う人がいますが。
とりあえず効果の程度の不確かさはしょうがないのですが、今の施術は安全に行われている、ということが少しでも伝わって・・・
同時にもっと研究が進んでより副作用が少ない治療になるよう、仕組みが明らかになるようになること(きっと、どちらにももっと多くの治療例が必要要素の一つですね)を願っています。


今日の一曲:カロル・シマノフスキ 「メトープ」より「カリュプソー」



今日から弾き始めた私のレパートリーのニューフェイスを。

ここ数年シマノフスキの音楽が大好きで。
ポーランドの音楽というとショパンが有名ですが、20世紀以降のミニマル・ミュージックの名作曲家もポーランド生まれですし、ルトスワフスキもまた巨人ですし、このシマノフスキもまたポーランドならではといった音楽を書く人です。

フランスとロシアの音楽に似たところがあり、ラヴェルのような繊細さを持ち。さらに私の好みのグレートーンの微妙な色彩を操るところが本当に好きで。
その繊細さたるや尋常じゃないです!細いしなやかな線がセクシーです(笑)

(おことわり:ここで形容したシマノフスキの音楽スタイルは主にピアノ曲、バイオリン曲に関してです。大編成はこの限りではないようです。残念ながら)

「メトープ」はピアノのための曲集で、その全3楽章はホメロスのオデュッセイアに出てくる女性キャラクターのタイトルが付いています。
そのうちカリュプソーは今のマルタのゴゾ島(といわれている)に住んでいたニンペ(妖精)で、漂流中のオデュッセイアをねんごろにもてなし、そのまま惚れ込んで7年も滞在させて、挙げ句の果てには「永遠の若さと寿命を与えるからずっと一緒に居て」なーんて言ったのですが、結局オデュッセウスは彼の妻と家族がいる故郷に向けて旅立っていった、という。

シマノフスキは私の手がちょうどちょっと届かない9度をハーモニーに多用するのと、独特のハーモニーで動いているので弾くのにちょっと慣れるまではやっかいなところも。
でも聴くには弾くのよりもずっとアプローチしやすいです。ラヴェルがオッケーならシマノフスキもオッケーだと思いますよ。

曲全体やっぱり女性的なセクシーさが強いですね。
グレートーン同士他の楽章とどうやって区別するか、と考えたところ漫画「イリヤッド」でゴゾ島の名産は蜂蜜だった、という話を思い出しまして。
確かに他の楽章の「セイレーン」や「ナウシカア-」にはない「甘さ」「弱さ」がカリュプソーにはありそう。
まだまだ音も満足に弾けていないのですが、その路線でいこうかしら、と思ってます。

7年生の時に社会の先生が学校の神父さんだったのですが、授業で「オデュッセイア」の簡易版を読んでくれて。
その不思議な縁でこの曲にはなんとなく親しみを感じます。
なのでこの曲を聴くときは「オデュッセイア」のあらすじだけでもお供にお奨めです♪

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