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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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24 cards of musical colours
えーっと。
日本からの荷物のスイングロジカルノート、蒸気でホットアイマスク、DVD、イヤホンなどにほくほくしたり、仕事もしたりしながらあることをこつこつやってまして。
それはPiano Landmarksでのオープニングトークでの「24の調をセットとして曲集を書くというバッハが始めたウイルスにショパンやショスタコーヴィチが伝染した」というのでそれにあやかって?24の調ウイルスに感染してみたくなりまして。
前奏曲もフーガも書けませんが、何が出来るかなーと思ったところ、お題的、というかタロットカード的なものをデザイン・・・という形になりました。
Twitterではこちら、またはハッシュタグ「 #24keysvirus」で繰り広げております。

とりあえず表にまとめてみました。(twitterでの方が若干詳しい解説です)
ハ長調 トリックスター The Trickster 自由自在、リアリズム、トリッキー。初め&始め。全ての色を有す白。
イ短調 戦乙女 The War Maiden はっきりした強さ、内面の不安、しなやかさ。
ト長調 旋風 Vortices 頭の回転の速さ、機動力、翼。メッセージ、弁舌、軽敏さ。
ホ短調 荒野 The Wasteland 広漠、過去、自由孤独。失うこと、未来へのサイクル。
ニ長調 八芒星 The Octagram 太陽、権威。剛健さ、単純さ。希望。
ロ短調 孤高の騎士 The Lone Knight ストイック、孤立、保守的。信念を貫き左右されない。
イ長調 花束 The Bouquet 慎ましい喜び、家族、祝福。羽目を外すことの暗示も。
嬰ヘ短調 抒情詩人 The Lyric Poet 感傷的、表現、芸術。感情に振り回される。
ホ長調 黄金の鐘 The Golden Bells 良い報せ、祭り事、商売と利益。活発。
嬰ハ短調 The Dragon 激情、鋭さならびに冷たさ、隠れた繊細さ。
ロ長調 高揚 Exaltation エクスタシー、開眼、精神の解放。同時に奇癖、狂乱。
嬰ト短調 稲妻回路 Lighting Circuits すぐれた効率、機転、几帳面さ。冷徹。
変ト長調 蜃気楼 The Mirage 夢見心地、浮遊、願望。非現実的、理想。
変ホ短調 深淵 The Abyss 陰鬱、内面的、束縛、本質の追求。絶望。
変ニ長調 博愛 Benevolence おおらか、優しさ。自己意志の欠如。
変ロ短調 The Moths 不安定、気まぐれ、感受性の強さ。中立性。
変イ長調 無邪気 Innocence 純潔、明るさ、ナイーブさ。調和。
ヘ短調 Blood 情熱、犠牲、生命。行動を伴った強固な意志。
変ホ長調 征服者 The Conqueror 高貴、勝利。横柄さ、権力欲。
ハ短調 Inferno 反乱、激動、熱いエネルギー。より大きな力に振り回される。
変ロ長調 天空 The Sky 若さ、澄んだ心、比較的外面的。真っ直ぐさ。
ト短調 蒼い泉 The Pale Fountain 涙、浄化、救い。一時的な停滞。
ヘ長調 Spring 誕生、暖かさ、母性、豊穣。
ニ短調 鋼鉄の鉤爪 The Talon of Steel 冷酷非情、運命、災害。とてつもなく巨大な力のコントロール。

これらはあくまでも私個人の見解というか印象ですが、色んな昔の作曲家が曲を書くときにある調を選ぶのは楽器の弾きやすさだけでなくもっと音楽的な、表現的な理由があると思います。
バッハの多くの厳かな名曲はロ短調で書かれていますし、ショパンは実際変イ長調が好きだった、という話が残ってますし。
ショスタコーヴィチがニ短調を得意としている印象があるのも、そしてショパンの革命エチュード、ユダヤ音楽の多く、ショスタコの弦楽四重奏第8番などがハ短調で書かれているのもきっと意味があるんだ、ということを日頃から思ってきました。
これはそんな思いの(ネタを交えた)一種の表現、さらに音楽の色彩の中枢をなす「調」というもの、色彩、そしてそれらにこめられた思いを何とか理解して、形にしてみようとした結果の産物です。
まあ、といっても私は無調の音楽専門なんですが(汗)

こういった調のイメージのルーツはバッハの「平均律」第1巻の24つの調の前奏曲とフーガ群にあって。
(あとはベートーヴェンの作品も結構イメージ確立に大きく貢献してますね)
第2巻はどっちかというとその自分で確立したイメージに逆らうような所があってそれもまた面白いです。
ショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガはもっとはっきりとその「伝統的な」イメージに挑戦、それを破壊するようなところがあってさらに面白いです。
なので意識しているのは私だけじゃないようです(笑)

いまプレビューしてみたのですが表が見にくいながらここまでおつきあいいただき有り難うございます。
今日の一曲はそんな前奏曲とフーガから一つ。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 24の前奏曲とフーガより第8番嬰ヘ短調



調のイメージに沿ってる曲はWikipediaで調の名前を引くと見つかると思うので、あえて逆らう側を。
ショスタコーヴィチは彼の前奏曲とフーガで調に関しての伝統的なイメージを壊すような曲を書くと言いましたが、これはなかなか良い例だと思います。

嬰ヘ短調は「抒情詩人」。ロマンチックさ、センチメンタルさ。バッハの平均律の第2巻の嬰ヘ短調のちょっと異例なロマンチックさに加えて、チャイコフスキーのバレエなどロマン派の音楽でもその美しい、芸術的な憂いは繊細な独特の色彩を備えています。

この曲のうち前奏曲は軽快で不気味な、ショスタコ得意の毒づきスケルツォ。半音動きや、割って入ってくるフラット系のハーモニー、奇妙に跳ね回るスタカートなどは色んなものがtwistedな「不思議の国」を思わせます。

でも圧巻なのは実はフーガの方。
詩人であり、美麗なハーモニーやメロディーで魅せるのが得意な嬰ヘ短調のはずが!
・・・たとえて言えば腐りかけ、でしょうか(汗)
はっきりした調をもたないまま、とぎれとぎれのメロディーとも言い難いテーマから始まり、ぐだぐだぐだぐだと赤緑茶の混ざったような不可思議な色彩で延々と6分間。
はっきりした色彩もなければ、方向性もなく。この曲を退屈に聞こえないようにするには相当自分の中ではっきりしたビジョンと、繊細な表現力が求められますね!

この曲にツボる気持ちの状態、ってなかなか難しいと思うんですけど・・・でもツボって心全体でこの曲を感じられる時は本当にこの曲は繊細で、深くて、ユニークなフレーバーを持ってると思います。
なんといいますか・・・発酵食品のように。

・・・単体では妙な曲ですけど、プログラムの組みようでは深ーい珍しいフレーバーをリサイタルにもたらすことができる曲なのかしら?


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Klezmaniaコンサート感想(8/22)
Piano Landmarksで話があった「24の調のセット」的なことをちょっとやってみようかな、と
只今鋭意考え中です。作曲ではないのですが、タロットカード的なものをデザインしてみてます。
結果はどうなることやら。気楽に考えを巡らせてみたいと思います♪

一昨日はGlen Eira Town Hallでオーストラリアのクレズマーバンド、Klezmaniaのコンサートに行ってきました。
クレズマーとは東ヨーロッパのユダヤ民族の音楽。もともとロシアなどのユダヤ民族のコミュニティで演奏されていたものが、20世紀の諸事情でユダヤ民族が主にアメリカに移住した際に世界に伝わったものです。
なかなか面白い民族音楽なんですよね。同じく東ヨーロッパが一種の拠点で同じく迫害の対象の民族であるのロマ(ジプシー)の音楽やジャズなど多くの音楽スタイルに影響を受けているのはいろんな土地にちらばってその地の文化を取り入れながら独自のユダヤコミュニティを作って生きて行くユダヤ民族の精神と繋がっているような気がします。
そしてユダヤ民族の生活には信仰が深く結びついているのでクレズマーにも宗教的なものもあったり、そうでない例えば酒場での音楽やなんかもあります。なんと言ってもユダヤの結婚式でのお祭りなどでの音楽の使われ方も有名ですね♪

このタウンホールがある地域は実はメルボルンの中でもユダヤ人が固まって住んでいる地域で。 実際どれくらいそちらの方が来てたのかわからないんですがロシア語ならそこここで結構聞こえました。

バンドのメンバーは4人。 ボーカルの女性、そして男性3人でギター+ハーモニカ、ベース、クラリネット。 クラリネットの方はオーストラリア先住民のの伝統楽器、ディジュリドゥ(Didjeridoo)も担当していました。(木で出来ている楽器ですが音を出す原理は金管楽器に似ているので不思議です!)しかもこのディジュリドゥ、伝統的なものと違ってトロンボーンのようなスライドが付いている進化版!なんだか色々驚くことばかりです。
ボーカルの女性の声が本当に好きで。強く凛々しく、かつ表現豊かでかわいらしくセクシー。50歳にになったばかりっていうのが信じられないほどの若々しい歌声、そして踊りでした。

結構手拍子や一緒に歌うようにプレイヤーから誘われることが多いコンサートでしたが、促されるまでもなく自然に足や手が動くほどノリノリな音楽。日本人でそちらの文化が生活の一部ではない私でもすっと入って思わずのってしまう音楽でした。もともとユダヤ音楽は踊りの音楽が多いですからね。
土曜日とはまた全然違う意味でものすごく楽しかったです!

ところで民族音楽とはいっても古いものばかりではなく。 土地と人の生活の一部となる音楽ですから、民族音楽も人と時代とともに進化するのが当然。 Klezmaniaのボーカルの女性の作った「Freylekhs In Blue」で過超の祭りの準備の大騒ぎをコミカルに語ることや、オーストラリアのユダヤ人の生活を歌った彼らの歌からはそんな進化が感じられました。

同時にそんなユダヤ文化・生活の一部が音楽と一緒に勉強になってよかったです。 酒飲み場の音楽、信仰がらみの音楽、ロシア革命前と後の音楽、移民としての生活・・・ もともとこの音楽にはそういった文化への好奇心から入ったのですが・・・好奇心、あおられっぱなしです(笑)
あと学校でドイツ語をやっていたのでイディッシュがすこーしだけ聞き取れてなんだか嬉しかったです。

そしてクレズマーと言えばクラリネットがかっこいい!クラシックの数倍も数十倍もパワフルで、この比較的新しく作られた、普段はおとなしげな楽器のポテンシャルがフルに活用されてます♪
あとこのバンドはウッドベースもかっこよかった。やっぱりバンドはどんなジャンルもベースに限りますね。

最近はまりはじめたユダヤ音楽。その世界の広さにちょっと圧倒されながらも、ものすごーく好奇心を刺激され、憧れも増すばかり。 もっと心を開いて、もっと楽しめるように、自分の一部に少しでもなれたらいいです。
なんといってもやっぱり民族音楽を生で、というのは楽しすぎます♪


今日の一曲: Klezmania "Tale Of the Kangaroo Klezmer" & "Freyndlekhe Hant"


レコーディング、試聴(後者のみ)はこちら


ユダヤ民族と関わりの深い「移住」のトピックを扱った、現代のオーストラリアで生きるユダヤ民族の「今」を少し取り入れた2曲を選んでみました。

Tale of the Kangaroo Klezmerは東ヨーロッパのクレズマーミュージシャンがオーストラリアという新天地に旅経つという別のクレズマーミュージシャンに誘われてオーストラリアに渡る、という話。
Freyndlekhe Hant(友の手)はオーストラリアに単身渡ったユダヤ人が、異国の地で一人孤独を感じていると母国でも知り合いだったユダヤ人に出会い、友が一人いるだけでも寂しさはふっとび、楽しく暮らしていける、というような内容の歌です。

この2つの歌の内容でユダヤ民族の民族性の一部がかいまみえるのはもちろん、聴いていても本当に楽しい音楽で。Kangaroo Klezmerでのディジュリドゥのパートの圧巻にも注目です。

グループで演奏することの楽しさ、というのも(生で見ると勿論ですが)音から伝わってくると思います。彼らは演奏するときものすごくにこにこしてたりしますからね♪ クラシックの室内楽もそうなんですが、お互いを頼りにして、一緒に楽しく音楽を創る、その素晴らしさもぜひ一部でも垣間見てもらえると嬉しいと個人的に思います。

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ピアノ祭り!(8月21日 Piano Landmarks感想)
大学の時からほとんど毎年通っていた自分にとって特別なイベント、Piano Landmarksに行ってきました♪
今年は思いもよらず特別な機会になってしまいましたが、そのことはおいおい話します。

Piano Landmarksは元々は2002年に私の先生が主催として始まったイベント。今は彼の生徒であり私の友達であるピアニストが主催をしています。
内容は、簡単に言えば「ピアニストによるピアニストの為のピアニストイベント」的側面もある、1日4つ、ピアニストによりコンサートが行われるイベントです。
去年からはちょっと違ったフレーバーのコンサート間ミニイベントも始まり、なかなか好評だとか。
毎年Piano Landmarksはテーマを掲げてて、数年前はオールロシアンだったりオールフレンチだったり、今年は「Prelude, Fugue and Etudes」(前奏曲、フーガと練習曲)というピアノのレパートリーでかなりメジャーな3つを扱うという趣旨でした。
どの年もレパートリーの幅はかなり広く、メルボルンを拠点とした、または関わりの深いピアニストが多数演奏します。

今年のPiano Landmarksについてのサイトはこちら(英語サイト)です。
Programを見てもらえるとこの1日でいかにピアノという楽器とそのレパートリーを広く、そして深く追求するイベントかわかってもらえると思います。

一日ちょろちょろ走り回らなきゃ行けなかったなか私が聴いたのは朝一のコンサートと、夜の最後のコンサート。先生(スティーブン)が朝のコンサートで前奏曲のオムニバス的なプログラムを、そしてマイケルが夜のコンサートで練習曲のオムニバス的なプログラムを演奏しました。
実は昨日はオーストラリアでは国の政府の選挙デー。それで来れない、と言った人もいるらしいのですが、会場の国立アカデミーのホールはなかなかたくさん人が来ていました♪

先生の演奏にはでも驚きましたね。
バッハの平均律の第1巻第1番から始まった一つの「アイディア」的な物をどんどん繋げていったように、連想ゲームのように様々な前奏曲を演奏、いやプレゼンorプロデュースしてくれました。
コンサート前のトークで「バッハが始めた24の調全てで曲を書いて曲集にするウイルスにショパンやショスタコーヴィチが伝染していった」という話のように、あの平均律のアルペジオがプロコフィエフやラヴェル、ショパン、リストの同じハ長調のアルペジオの雰囲気にどんどん伝染していく感じが、一見ばらばらのプログラムを一つのアイディアの連なりとして繋がって、ものすごく心地良かったし、ほほえましかったです。
そのつながりの過程で例えばリストは「超絶技巧練習曲」の第1番の「前奏曲」なんですが、練習曲としてでなく、前奏曲としてこのつながりの一つの鎖として扱うことでどんなにまた違う命を授かるか実感しました。

先生の演奏は曲一つ一つの演奏、というよりもその一つのアイディアの展開の表現、という感じで・・・
フランス印象派の専門家ということがよくわかる繊細でフレンチなタッチも合わせて本当に「自分は本当にこの人に習ってて正解だな-」と思いました。
そして最近そういったプログラムデザインとか演奏の演出などについても少し考えていたのでそのことももうちょっと突き詰めたりしながら、さらに自分の演奏も(特に再習得の曲中心だからこそ)演奏よりも「表現」重視で突き詰めてみたいな-と思いました。

第1コンサートは他にもショパンのエチュードop.10の丸々演奏(冬の朝はきついなあ、あれは!)もありましたし、シューマンの「交響的練習曲」も演奏されました。
前者はちょっとやっぱり「練習曲」として聴いちゃうとどうもだめだなあ・・・あんまり速く弾かないでくれよ、と思ってしまうのは先生譲りかも。

で、4番目のコンサートの前のコンサート間ミニイベントも行きました。
なんでも主催の友達がネットで「特定の作曲家のスタイルで曲を書く」というプログラムによって書かれた曲を見つけたらしく、バッハのインベンションとコンピュータがバッハに似せて書いたインベンション、どれだけ似ていてどれだけ違うのか、という趣旨のちょっとしたトーク、演奏とクイズが開かれました。
私はピアニストなんで全問正解でしたが(「全問正解した人?」→私手を挙げる→「あんたはそりゃ当たり前でしょ、なしなし」という一連のノリと流れが大学時代以来でものすごーく懐かしかったですね!手を挙げるとつっこんでくれるんで、それが楽しいんです)、知ってて聴いていてもコンピューター、おぬしなかなかやるよのう。
違いはでもやっぱりあります。ちょっとコンピュータの方は難しく考えすぎ、というか要素を多少過多に使ってて、ちょっとパレットに2,3色色彩が多くある感じがします。
ものすごーく面白い、変わった趣旨のイベントでした。

第4コンサートのマイケル、がっつり破天荒&クレイジーな面を見せつけました。
なんとバルトークの練習曲の途中で弦が切れた!(爆)
(コンサート後に自分で「どこの馬鹿がベートーベンの演奏の前にピアノの弦なんか切るんだ」と言ってました)
反面ストラヴィンスキーの練習曲なんかで見る「どうやって!?」と思うほどの繊細なタッチとか、なんといっても一音一音に魂がこもってる、というか命が宿っている、そんなこっちも楽しくなるほどのマイケルワールドを強烈に堪能させていただきました。

その後切れた弦で別のピアニストによりバッハのシンフォニアとベートーヴェンのピアノソナタop.110の演奏。ベートーヴェンの演奏が本当にずっしり来ました。ベートーヴェンの後期のソナタがsolidで美しく、落ち着いた強さを持って弾ける人に憧れます~(まあ私は人生経験も少ないのですが)
アンコールもいただいちゃったのですが、欲を言うならアンコールも「前奏曲」「フーガ」「練習曲」のどれかだったらよかったなあ、なんて。

4つのコンサートは終わりましたが、ピアノ祭りはまだ終わらない!
近くのバーで選挙速報を見ながら飲みに行きました♪
先生がなんだかお酒をおごってくれたり、初めましての人と珍しく饒舌にしゃべったり、大学以来会っていない友達と盛り上がったり。

今日ショパンのエチュードを弾いたピアニストは数年前、大学時代クラムを地下で練習してたら「クラム弾いてるの?」と声を掛けてきた人なんですけど、私の事を覚えててくれて。
「クラムの子だよね?」って声を掛けられた時はびっくりしました(笑)なんだか色んな方面に足跡やら爪痕やら残してたみたいで・・・メシアンとかクラムで覚えてられるのよ、と先生に言ったらそういうもので覚えられてるのは良いことだ、とおっしゃってましたが(笑)
そのピアニストの人にいつかマクロコスモスを一緒に弾こう(第1巻は彼で、私は第2巻)と誘われちゃいまして。恐れ多いんですけど、表現欲と好奇心とピアノ演奏復帰したい気持ち、クラムを弾きたい!という気持ちが勝って。どれくらい現実でできるものかわからないですけど、お呼ばれがかかったら一生懸命やりたいです。
だってクラムでピアニストデビューなんて素敵すぎる!衝撃的!まさかのクラム♪

で、帰りもちゃっかり送ってもらっちゃったんですが(同じ方向の人がいたので)、その別れ際にすっかりできあがっちゃってた主催の友達がなにやら私のことを心配な様子。「えー大丈夫だよ」的なことを言ったら「だってスティーブンが心配してるって言ってた」

・・・えええええっ!!??
先生が、私の事を?
いやいやどこで私先生に心配掛けるようなことしたの?確かに今ちょっと無理してる感はあるんですけど・・・
それ以前にそこまで目をかけてもらってることにきづけなかった・・・!
先生はいつももっとお話ししたいのになんとなくお話できずにいて。何を考えてるか分からない、どうツッコミをいれたらいいのか分からないところが多々あるので難しくて。

・・・私という存在がある程度庇護欲を引き起こす事は分かってるんですが、案外範囲が広いようで。
マイケルもいつも気に掛けてくれて心配してくれてるんですけどね。この友達もまたそうで。
とりあえず今度その友達にメールしてコーヒーでも飲みながら真相を聞いたり(そして今後Piano Landmarksで私にできることがあったら駆けつけるから!と伝えたり)したいところです。

いろいろな色の思いが一日経った今でも激しく渦巻いて止まらないのですが、昨日という日をまるっと経験して本当に良かったと思ってます。
色々な人に会えて、いいピアノ演奏を聴けて、ピアノコミュニティで前と同じように過ごせて。
ピアノへの思いが強まって、演奏への意欲も湧いてきて。
ピアニストとしての自分のアイデンティティを再認識するようになりました。
なんと言っても楽しかった!音楽も交流もみんな!

Piano Landmarksは次は一年後ですが、いろいろ精進して、ついでに1ヶ月後の金管祭りの方もちょっと楽しみにしたいと思います!


今日の一曲はお休みです。今日行った分のコンサートで2曲あるのと、あとあまりにもいろんな曲を浴びたので・・・(爆)

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"The Architecture of Happiness"感想
本題に入る前に。
今日は久しぶりにブラームスを弾きました♪ラプソディーの1番。
やっぱり久しぶりだったのもありますが心に求めてたものの少なくとも一部はこれなんだな、という満足感を味わえました。
ブラームスは血・肉・骨・内臓そろってる、人間の身体と同じ暖かさと手応えがある・・・刃で刺したら血は流れるし、皮膚と肉を突き破って骨を折って内臓が脈打つのを貫く感触がある、というくらい「リアル」な音楽。
そして今日つぶやいてもいたのですがブラームスの音楽というのは重厚さという下向きのベクトルと推進力という前向きのベクトル、さらにたまに後ろ向きのベクトルも折り合いを付けながらものすごい牽引力で引っ張っていかなければいけないものみたいで。
夏になるとブラームス他ドイツ系音楽はぱったり聴いたり弾いたりしなくなるので、今のうちに全身全霊で感じ表現を身につけていきたいです。

Alain de Botton "The Architecture of Happiness"



「幸せの建築」という題のこの本。
幸せ、建築はもちろん、それを通じた幅広い概念やアイディアを探索するエッセイ本(?)です。

家だったり、信仰を捧げる場所だったり、仕事をする場所だったり・・・人間は「建物」というものの中で多くの時間を過ごしています。本来家などの建造物は外気や環境の厳しさから逃れて安全に快適に過ごす、という目的があるのですが、そんな建築物は芸術作品と同じようにそれ自身では何を与えてくれないのに人間は建築物にただのシェルターとしてではなく、色んな意味を見いだし、大切にしたり・・・逆にその建築物の作り出す空間に多大な影響を受け、心の状態などを左右されるか、というのが趣旨で。

古代ギリシャに始まる建築の歴史を踏まえ、様々なスタイルを考察し、住居としての家から信仰の場所、ビルなどの様々な目的の様々な建築物についてそれらにこめられた思いや、人間が何を考えて建築したのか、ということを考察していて・・・
いろんな時代の美意識にまつわる心理的背景みたいなものや、時代の移り変わりにともなう価値観の変化などだったり、美と実用性、デザインと工学、需要と遊び心などの人間なりの折り合いというか悩みと解決の話もありまして。

建築物、というのはただ純粋にその目的を果たすために存在する物ではなく。
人間は個人的な目的や夢をもって建築物を創るということから、建築物を抽象的な表現としてそれらが語るメッセージをひもとき、意味を見つけ、心理を分析し、それによって人間にとって幸せとは何か、人間にとって何が大切なのかということを探っていく本なのです。

建築物には理想と現実のギャップを和解させようとする力がある、という説や、建築する上で「人間」を考慮、考察、理解することがどんなに大切か、ということや・・・
ケーススタディ的な感じで著者が日本を訪れた経験のなかでの過去、現在、未来の建築、文化のなかでの人間の価値観などについても言及しています。
ちなみに写真もモノクロですが多数掲載されていますよ♪

私がこの本で本当に心を掴まれた部分は、同時にこの本を建築に関心がない人でも幅広くの人に読んでもらいたい理由でもあります。
この本が扱う、分析そして考察することは建築に限ったことではなく、芸術全般に当てはまることだと思います。
芸術は全て人の思いの表現であり、それをどう表現するのか、そしてこめられた意味をどうくみ取るのか・・・何を持って美とするのか、そういった事に対する答えのような物がこの本に凝縮されています。
特に建築を抽象芸術として扱う、のセクションは抽象的芸術作品に何を見いだすのか、どうアプローチすれば良いかと言うことに対して分かりやすく、納得のガイダンスとなっています。
そして過去、現在、未来に渡って芸術作品が(創った人の命よりも長い時間で)表現しつづけること、しつづける物を理解し、より深く感じるためには建築という形態を通じてアプローチするのも断然ありだな、と思わせる本です。

この本は私の周りの至る所にある建築物をもっと身近に、もっと親しみを持って感じその建物にこめられた創り手などの人間の思いを理解する助けにもなりますが、同時にこの本が追求するで分析されている美のエレメントや建築にこめられた思い、哲学の分析は建築だけではなくファッションや美術、音楽など広義で表現する、美を追究する、思いをこめる色んな分野での活動、より深い理解に大切なことな物だと思います。

今回この本を読むのは久しぶりの2回目なのですが、今回読んで例えばビルの窓のパターンなどの視覚的な情報を聴覚、音楽のリズムでも感じられることが分かったり。音楽はあらゆるところ、あらゆる物に存在して、いろんな物がそうやって(自分にとっては)音楽というかたちで語りかけてるんだ、と。結構な開眼です。
建物だけではなく、人間の創造物全ての物を見る目がちょっと変わる、そして人間の考えや思いがもうちょっと分かる1冊です。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第11番「聖母の最初の聖体拝受」



公約、ということでメシアンお初の方にお奨めの一曲を。

簡単に言えばこの曲は聖書の物語の中で比較的よく知られている、クリスマスの劇でもよくある「天使が聖母マリアに彼女が神の子を身ごもってることを伝えに来る」シーンです。
私も幼稚園の時やりましたー♪(日本で、キリスト教の幼稚園だったので)年長の時にそれまで憧れていた(でも誰もやりたくなかったらしい)使者である天使ガブリエルの役だったので、特にこの曲はなんだか親しみが湧きました。

最初に左手に聞こえる和音はこの曲集を通して表れる「神の主題」、そしてきらきらした和音。
祈りのような、神々しい、慎ましく。どこか鳥の声にも似た、ちょっと高いところでくるくるしている柔らかいきらきらした光。
そして躍動感と喜びに満ちた、神の主題の変形版が天使の出現を表します。
メシアンの天使の形容は喜び、そして鳥の鳴き声のような素早いパッセージが特徴的。(余談ですが天使の羽根は飛翔目的ではなく、彼らの思考と動きの素早さのシンボルだ、という話もあります)

そして力強い和音の連続の後にメシアンは面白いことをやってくれます。
聖霊がマリアの胎内に宿ったのを形容する左手の低音のパッセージは胎児の鼓動のスピードちょうど、と設定されています。

この間紹介しました「聖母のまなざし」はこの子供の宿命と存在の大きさに迷いと不安のぬぐえない聖母マリアの画でしたが、この「聖体拝受」はいわゆる聖書に忠実な、クラシックな聖体拝受の画です。
どちらも全体的に女性的な雰囲気で、ハーモニーもわりとモダンじゃなく聞きやすいものです。

先ほどの本のなかで抽象的芸術の中でのシンボリズムの役割、というものがありましたが、メシアンの音楽は本当にたくさんのシンボリズムが使われています。
この曲では「神の主題」だったり、鳥の声だったり、胎児の鼓動だったり、喜びのリズムだったり・・・題材のストーリーが広く知られている親しみのあるものだということもありますが、曲の流れが結構正確にそのストーリーに沿っていることと、なによりも曲の中のシンボリズムが比較的に明確で分かりやすいことも今日この曲を選んだ理由です。

先ほども少しだけ言及しましたが、「20のまなざし」の中の複数の曲の中で共通のシンボリズムが使われていてるので、この曲をきっかけに他のまなざし、さらにほかのメシアンの音楽に広げていく第一歩になるといいな、などと勝手に思っています。
弾くにも聴くにもあまり気負わず、この曲を通じて楽な気持ちでメシアンの音楽に接して虜になる人が増えることを願っています。

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Messiaen et l'Oiseaux
昨日、今日のてんてこ舞いも無事終わり、なんとか落ち着くことが出来ました。
妹も大学の図書館でメシアンの「火の島I」とシマノフスキの「Metopes」の楽譜を借りてきてくれまして、ほくほくでございます♪
妹は今年で工学部を卒業予定。その後は私が自費で図書館の会員になって自分で楽譜を借りる予定ですが、それまでは妹の学生ステータスを活用させてもらうつもりです。

ということでメシアンの話になりますが・・・

メシアンといえば作曲家、それに次いでオルガン奏者、ピアノ奏者、作曲においての教師でもあり。
そして音楽とは離れているエリアなようで密接に繋がっている、鳥類学者としても突出した存在でありました。

メシアンは鳥を愛していました。
敬虔なカトリック信者で、23歳から生涯パリのサン・トリニテ教会の常任オルガニストとして神に音楽を捧げていた身だった彼は、鳥たちを神からの使者と考えていました。
生涯のうちで日本やオーストラリアを含むたくさんの国で鳥を探し、鳴き声を録音し、後に楽譜に起こして自身の作曲に多く取り入れたという話で。日本を訪れたとき得たものは「七つの俳諧」という曲に表れています。ただメシアンをあんまり知らない人にはちょっと向いていない曲かも・・・

キリスト教と鳥、といえばイタリアの聖人で清貧をモットーに慎ましい生き方をつらぬいたアッシジの聖フランチェスコがすぐに思い浮かびます。彼の説教を鳥たちが静まって聞き入った、というようなエピソードなのですが、聖フランチェスコが鳥に対して神の教えを説いたのに対し、メシアンは鳥たちの歌に耳を傾け神の教えを鳥たちから学んだ、という正反対の態度なのですね。

メシアンは実は鳥の歌に関して興味深い考えを残しています。
鳥の鳴き声はもちろん繁殖のために使われるともあれば、他の鳥との社会的なコミュニケーションにも使われ。
ただメシアンが言うにはそういった鳥間のコミュニケーションという意味を持たない鳴き声、というものもあるらしいです。明け方と夕方に聞かれる鳴き声で、しかもその日没・日の出の光の美しさによって鳴き声が変わるらしく。
メシアンはそういった観察から鳥もまた人間と同じように「美」を感じることができる、と考えていたそうです。

メシアンの鳥の歌声を音楽にするプロセスは面白いものがあります。
最初に聞くと違和感を感じるのは彼が倍音までも再現しているから。私たちが普段一つの音と思ういろいろな音は実はいくつかの音の和音で、その和音のバランスで音色が決まる、という原理なのですが、メシアンの鳥の声が和音で表現されることが多いのはそういった理由です。
あと鳥の声は基本高音域で、ピアノなどの音域より高い音であることも頻繁にあるらしく。
そういうときは楽器の音域内まで低く持ってきて、メロディーの相対的な音程の比が元と同じになるように音を調整してるらしく・・・詳しくは私も実は半分くらいしか理解していないので割愛させてくださいお願いします(汗)

で、鳥の歌声を作曲で使う場合メシアンは元の歌声を正確に採譜したもの、そして鳥の歌声の雰囲気を出したパッセージを書いたもの(ある種類をイメージする・しない場合あり)と2種類あります。
比較的初期は雰囲気のものが多いみたいです。「20のまなざし」の第5番「子に注ぐ子のまなざし」などはそうです。
同じ「20のまなざし」でも第8番「高き御空のまなざし」はヒバリ、クロウタドリなど実際に正確に引用してあるらしく、こういった場合はメシアンは楽譜に鳥の種類名を書き記しています。
「高き御空のまなざし」の一部や、「火の島I」のように複数の鳥がそこら中にいる情景だと前者のテクニックを使うようです。「火の島I」(火の鳥、にあらず)はパプアニューギニアのフウチョウ(極楽鳥)が多種多数いるジャングルの風景を醸し出そうとしてるんだと私は思います。

でもメシアンの音楽で鳥、といえば「鳥のカタログ」でしょう!
13楽章、3時間を超える曲集なのですが、それぞれ違う鳥の名前が付けられた楽章のなかでその鳥をはじめとした様々な鳥とその鳥たちが住む自然が織りなす色彩の世界を本当に心地良く豊かに表現するマスターピース。
私も2曲弾いてすっかり虜に。マイケルがやったみたいに全曲1日の(3つに分けた)コンサートで、なんては無理ですが、いつか野外自然の中にグランドピアノを置いて鳥たちに演奏して認めてもらいたいなーとは思っています。

メシアンの音楽は(特に「鳥のカタログ」などでは)彼が長々とフランス語で巻頭・曲の冒頭に書いた説明書きありき、なところもないことはないのですが、でも「鳥のカタログ」に関してはこの長い文を読んで理解すると自然、風景、雰囲気が(フランスに行ったことのない身としては特に)より深く感じられますね。

やっぱり鳥たちに聞いてもらうのがやっぱり究極の形だと思います、メシアンの音楽は。鳥の言葉が分からなくとも、彼らと話をしたいと私はいつも思ってます。そりゃあメシアンの音楽に出てくる鳥の種類=鳥の言葉は私の身の回りにいるものとは違うのですが。
鳥の歌に耳を傾け、こちらからも言葉を返し・・・なんか夢ですね。

あとはあくまでネタとしてなんですが鳥のカタログの巻頭に出演鳥のリストが学名・仏・英・独・西語であるのですが、それからランダムな言語でランダムな鳥の名前を選ばれたら即座にピアノでその鳴き声を弾ける、なんてできると面白そうです。

もともと私も小さいときから家族で鳥好きだったのですが、メシアンの音楽を知ってから鳥の歌に一層耳を傾けるようになりましたし、倍音でできることがわかるようになりましたし。鳥だけでなく、自然、季節の移り変わりなどをより深く愛するようになりました。
メシアンの音楽、とくに「鳥のカタログ」をこれから弾き進めて自分の外の自然の世界を内からも強く深く感じられる、そして表現出来るようになりたいと強く思っています。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「ヨーロッパヨシキリ」


Move RecordにてCD(試聴有り)


勿論!鳥のカタログです♪

鳥のカタログは13曲、7巻からなっているのですが、7番目(つまり真ん中)に位置されているこの曲はこれ1曲で第4巻を構成しています。
「ヨーロッパヨシキリ」は演奏時間が曲集最長の27分(!)。長さも中身も、名実共にこのサイクルのセンターピースに十分すぎるほどふさわしい曲です。

なぜ27分か?といいますと。
他の曲が「○月のある早朝」みたいな舞台設定をされているのに対し、この曲はある夏の日の湖畔での1日=27時間を表しているからです。曲の1分=曲の中の世界の1時間、ということで。
真夜中に始まって蛙の声や、案外真夜中にも鳴いている様々な鳥の声。その後に表れるヨーロッパヨシキリの鳴き声は歌、というよりもメシアンの典型的な「喜びの踊り」的な性格が強く表れています。

現代音楽、メシアンの音楽に慣れていない人には多少ハードルが高いのは事実ですが、一応循環的な構成で書いてあるのと、あとなーんとなーく「あ、ここはもう昼なんだな」とか「そろそろ夜に近づいてるのかな」ってことが本当になんとなくですが分かるようにも書かれています。

ちなみに思い入れがかなり大きいので録音はマイケル(Michael Kieran Harvey)のものを。
ナレーション(英語)を担当したのはオーストラリアのTVで庭関係の番組の司会をやっているPeter Cundall(こないだ自然保護関係のアクションで逮捕されましたが・・・)。
ホバートで1日、3コンサートに分けて芸術関係フェスティバルで自然をテーマとして演奏した時の生録音です。

マイケルの演奏は当たり外れはありますが、自分の得意分野(現代音楽、特にメシアン+オーストラリアの現代音楽)だとものすごく輝きますね!独擅場です。

メシアンに関してこんな名手が近くにいると「越えなきゃ!」と思うかとおもったら案外そうでもないですね。
私は私のメシアン道を進むんだ、と割り切ってます。2回レッスンしてなんだかメシアン弾きとして認めてもらってるような感じなので(とうぬぼれてもいいみたいなので)。
なので自分はまた違う演奏をきっとするのですが、このマイケルの演奏は心にとって大切なものであり、バイブルでも教科書でもありませんが、自分がメシアン道を進むのに力をくれる存在です。

最難関の「ヨーロッパヨシキリ」が弾ける日が果たしてくるのか分かりませんが、「鳥のカタログ」を弾き進めていきたいです!

次回はちゃんとメシアン初心者の方でも楽しめるメシアンにしますね(汗)なんなら次回更新の時でも。あんまり2回続けて同じ作曲家は選ばないのですが、なんだか微妙にやっちゃった感があったりするので・・・(苦笑)

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