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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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四季折々、観天望気
寒かったり涼しかったりのメルボルンの冬、元気にやっています・・・といいたいところですがここ数日また気分がすぐれず。
でも仕事も家事も一応こなさなきゃで・・・まあブログがつけられるのでまあまあ大丈夫です。

メルボルンは一日に四季があると言われますが、冬は一貫して10~15℃(昼)です。
こないだちょっとぽかぽかして上着が要らない(薄手セーターの上に、ですが)日もありましたが、湿気があり雨が多く。
それで心身調子が崩れることもあります。

前話したか分からないんですが、どうも私の身体は天候に弱く。
極端な例では自律神経の調子がすこぶる悪い時に外出したら低気圧の影響であやうく出先で動けなくなるところでした。

雨が降る前になるとほとんどと言っていいほど気分が数レベル落ちますね。
雨が見えなくても、音が聞こえなくても(例えば大学の地下の一番奥の窓のない練習室にいても)変に突然気分が落ちるときは大体雨が降ってます。
しかも雨が降り終わったら降り終わったでものすごい眠気に襲われます。
冬季のデフォルトの平均気分の低さに加えて雨が多くてしょっちゅうこんなんです。

詩的に言うならば気候や天候の移り変わりを深く全身で感じているというか、敏感というか。
ただ現実的にはやっかいなことこの上ありません(笑)

メルボルンも日本と似たような四季みたいなものがわりとはっきりと存在しています。
ただ春秋がちょっと短かったり、一つ一つの季節の中での天候の移り変わりが激しかったり。異常気象、と呼ばれるようなことがわりと日常的に起こったりすることもあり。
なので暦の上ではいつ季節が変わるか不明なのですが、大抵11月のメルボルン・カップまでには一回は真夏日があることだけは通常と思ってます。

先ほどの天候の話と同じように、暦にかかわらず季節が変わる瞬間を体内に感じることが毎年あります。
夏・冬は結構曖昧なのですが春・秋はある日突然「あ・・・」と不思議な違和感を感じるのですよ。
春になったときは軽躁に・・・ちょっと似た?妙な静かな躍動というか、ちょっぴり明るい焦燥感というか。
本当にどうにかなってしまうような、心の奥が騒ぎ出すというか。
秋は逆に不思議な虚無感と静けさと、すーっと夏までの健康な気持ちが静かにひいていくような。
「ああ、秋か・・・」と一人たたずむ秋の入り口・・・(?)

これはまた別の話の領域に入ってくるのですが、同じ四季の話と言うことで。
音楽は本当に人の心や身体にいろんな影響を及ぼしますが、どうもそのうちの1つに「体感温度」があるような気がずーっとしてたんですよ。

例えば夏場にはぱったりドイツ音楽とかロシア音楽は聴かなくなりますね。
ワーグナーとか(ってもともと聴いてない気も)、ブラームスとか(ちゃんと好きなんですよ!ものすごく!)チャイコフスキーとか、シベリウスとか・・・なんだか暑苦しく感じちゃって。
ただでも40℃超えるのが珍しくないメルボルンの夏なのですがそういった音楽は暑さを余計にあおるような気がします。
主にやっぱり冬寒くなったりする国の音楽・・・なんですかね。

夏はなのでフランス・イギリス・アメリカ・オーストラリアの音楽をよく聴きます。
猛暑日にラヴェルやクラムはもうぴったり。すかっとしますね。
同じフランスでもドビュッシー、フランク、サン=サーンス、メシアンあたりは春の方があうかも。
オーストラリアはやっぱり音楽の地元ですからね(笑)聞こえる気候と感じる気候がマッチします。

あと先ほど言いました「春を感じたとき」には「春の祭典」が欠かせません。
本当に心の中の春の息吹が大自然の息吹と音楽を通して繋がるような気がして。どっかに逃がさないと本当にさっき言ったようにおかしくなってしまいそうなので。
未知のエネルギーなのです(謎)

暑い夏の晴れた夜にはクラムの「夏の夜の音楽」から「星屑の音楽」、そういう夕方にはたまの「夏の前日」、雨の日にはラヴェルのピアノ三重奏曲・・・など、始めるとキリがないのですが(別の日にまた改めて・・・・)ある季節・天気・時間にしっくりくる音楽というものがあって、外と内がシンクロしてより音楽を深く感じられる、心により大きな影響を及ぼす、というものはやっぱりあると思います。
あとは別の季節などと関連した曲を聞くとその季節などが恋しくなったり。

音楽の人間への影響、そして音楽を通していろんなことを感じること・・・
なんだかでっかい話のような気もしますが、いろいろ考えていきたいと思っています。もくろんでいます。企んでいます(笑)

明日は寒いであろう中International Youth Mental Health Conferenceの無料公開イベントがあるのでお出かけです。プロの話や現状の話を聴く良いチャンスだと思って参加登録しちゃったのですが。
青少年のメンタルヘルスはもともと一番興味のあるエリアなのですが、とりあえずできることから行動を起こして少しずつでも学びたいとの思いです!
どんな話でどんなセッションなのか、はたして私みたいなひよっこが行って大丈夫なのか、私のメンタルヘルスのもろもろにとってどんなファーストステップになるのか分からないのですが・・・とりあえず頑張ります!


今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 「ドイツ・レクイエム」 第5楽章



冬の寒さにはブラームスの音楽が染み渡ります。
それはその重厚さ、内向的で落ち着いた深さ、ハーモニーの暖かさにあり、そして他のドイツの作曲家にはないユニークなエレメントにもその秘密は隠れています。

ブラームスの有名な曲には「子守歌」がありますが、実際子守歌という名が付いていない作品でも子守歌的な性格・性質をもった曲は多くあります。
それに表れているのはずばり、「母性」です。
大きめの曲はがっつりドイツの男性的ですが、そういった曲で表れる優しさはどこか女性的であり、包容力を持っていて。
なのでブラームスはやっぱり小品の方に素晴らしい音楽が集まってると思ってます。

で、今日のこの曲なのですが、これもまた母性にあふれた曲なんです。

ブラームスがこのレクイエムを書き始めたのは師・シューマンの死を受けてのことだと一説には言われています。
モーツァルトやヴェルディなどのレクイエムはキリスト教の中でもカトリックの教典の中にある「レクイエムミサ」を歌詞として使っていますが、ドイツはバッハの時代くらいからルターによる宗教革命により宗教音楽は別の未知を歩いています。
ブラームスはドイツという土地と文化に見合ったドイツのレクイエムを書くため、ドイツ語の聖書からフレーズを抽出して、ドイツのキリスト教の教えをより反映したレクイエムを作ったのです。

ユースオケで弾いた時聞いた話なので(もう10年近く前!)記憶があやふやで実際本当かどうかも分からないなのですが、当初このレクイエムは6楽章編成となるはずだったそうです。
ただ作曲中に(ブラームスは結構石橋を叩いて渡るような作曲家なので一時間超の大曲、それも色んな意味で思い入れが深い曲を作曲するのには随分と時間がかかったようです)彼の母が亡くなって、それでこの楽章を追加した、という話で。

実際この楽章の歌詞の一部には「汝の母が汝を慰めるよう、私も汝を慰めよう」とありますし。
この楽章でのソリストはソプラノ歌手ですし(これがソプラノ歌手唯一のソロ楽章です)。
あとブラームスに関してはホルン三重奏の第3楽章も母の追悼のために書かれているとの話です。
母を本当に愛していたのでしょうね。(・・・むしろ性格や音楽のその母性的なスタイルを考えてもマザコンだったのでは、と思ってます)

音楽もまた優しくて。まるで本当に母の腕に抱かれているような暖かさと優しさにあふれています。
小さめの編成の弦の音が美しく、ソプラノのメロディーものびのびとしていて。
どこか淋しく、でも美しく。

でもなんといっても最後の方で合唱が一時アカペラになって囁くように「汝の母が汝を慰めるよう」と歌うところにまあやられますね。心がきゅっとなります。

この曲の全体的な性質から一人キャラ生まれてしまいましたからね!(笑)
それだけ本当にある意味理想の女性像(恋愛に限らず)を身近に感じるユニークな曲ではあると思います。

とりあえず何よりも聞いてもらえれば・・・!と思ってます。
うちひしがれたとき、淋しいとき、寒い時、辛いとき、心のざわつきが静まらないとき、傷ついたとき・・・
この曲がその歌詞に違わず優しく力になってくれるでしょう。(あくまで癒し、とは言いません)
「汝の母が汝を慰めるよう、私も汝を慰めよう」と。

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創作関係のとりとめない話
最初に:
昨日の「今日の一曲」で「プロテウス」が作曲者クラムの親しい人ではないかと推測しましたが、実はクラムの弟がWilliam、つまりW.R.C.はクラムの弟のことを指しているのではないかという説が今日浮上しました♪
なんですかね、やっぱり音楽ではそういう愛や親しみなどが直感的にでも伝わるものなんですね。(演奏者によって演奏の感じは変わりますが)
なんだかちょっとくすぐったいような、嬉しいような。面白いですね♪


最近なにかと神経が興奮やら、興奮とは行かなくともunsettledになることが多い流 星姫です、こんにちは。
その一つの原因は完了後にまたここで語る予定の「元チェロ奪回作戦」にあり、またはピアノの練習の不安定さにあり、仕事再開ちゃんとしなきゃ、というのにもあり・・・
そして自分の中でまさにファンタジーの聖書(?)とも言うべきUrsula Le Guinの「Earthsea」シリーズ(邦題:ゲド戦記シリーズ)のEarthsea短編集「Tales from Earthsea」を購入し読んでたことにあります♪

Earthseaシリーズは高校時代に親友からメインシリーズ(4つの物語)を貸してもらい後に自分でも購入、そして今年続編の「The Other Wind」を図書館で借りて読んだりと改めてもう一回はまりだしています。ただメインのシリーズも再読したいのに日本の母に貸し出したままで・・・(汗)
あとは今図書館で貸し出し中の「Twelve Quarters of the Wind」に収録されているいくつかの短編を読んだらコンプリートですよ♪

つまり、Earthseaシリーズはこういう構成になっています。
メインシリーズ:
The Wizard of Earthsea, The Tombs of Atuan, The Farthest Shore, Tehanu
・・・プラス、
The Other Wind
Tales from Earthsea
Twelve Quarters of the Wind(一部)
です。

実際このシリーズが世界でどれだけ知名度があるのか分かりませんが、知名度に関係なくファンタジー小説、そしてそのくくりを外しても名作だと思います。
でも今日はまだ感想を書くときではないと思うのでこれ以上深く掘り下げないで起きますが・・・

じゃあなにが話したかったか、というと・・・
このTales of Earthseaの前書きを読んで、創作の方もしっかりしなくちゃな~と思いまして。
実際ざっとしか読んでないのですが(純粋に読者として一回目くらいは創作のなんたらを分析せず楽しみたかったのです)、なんというか・・・創作する人のはしくれとしていろいろ考えさせられました。

Earthseaの小説でなにがすごいっていうかというとその世界のリアルさでしょうか。
文化や宗教、魔法や地理などの設定の細かさとリアルさ、生き生きしているのが他の多くのファンタジー小説から群を抜いているように思えます。
そして時の移り変わり、人の変化などの描写が本当に素晴らしく、「因果関係」のようなもので強く結ばれた感が強いです。
だからメインのストーリーの他に続編やスピンオフを書くとよりその世界観が深まって・・・はい。
さらに最初の短編が1964年に書かれてから最後の物語が2001に書かれたという異様に長い間に渡って書かれたにもかかわらず一貫した世界観で描かれて。そこもまた素晴らしい。

趣味とはいえども私にとって自分の創作はライフワーク。
諸事情から公開するかはまだまだ分かりませんが死ぬまで本気で続けていきたい趣味であります。
15歳の時その種ができたストーリー、「書きたい」と意識したとたんに急激に広がり始めた一連の物語。
今はOMNIA seriesという名のもと一応(?)一連のシリーズをちびちび書き進めていますが、スピンオフやらパロディやらはたまた新しい物語とかもこのシリーズにはいって来たりして。
新しいアイディアは歓迎なのですが、創作の規模が水平に広がることによって世界観などの深さを失いたくない!と強く思っていて。
そういう意味でEarthseaは本当に私の創作心にとっての聖書だと思います。

OMNIA seriesは基本ファンタジー小説が中心で、この世界だったりそうでなかったり色んな時系列・世界を舞台としています。
パラレルワールドでは必ずしもないのですが物語ごとに別の「世界」を扱うものでちゃんとそういった世界を個々のキャラクターとしてとらえ、世界観を深めることは不可欠なのです。
世界は必ずしもお互いから独立していなくて、ある種の因果応報みたいな、バタフライエフェクトみたいな影響があったりするのでそれもまたキャラの関係性と同じく深く追求しなければならなくて。
そこが新しいアイディアを思いつくスピードにまったく追いつかなくて、むしろ一生追いつかないと諦めている感はあるんですが・・・

最近やりたいなーと思ったのは「魔法学校」的なアカデミー的な何かで。
ハリーポッターのように魔法を学習する場ではなく、ちょっと近未来的な時代で、科学中心の時代から科学と魔法の両立の時代に移り変わる工程、といいますか。
魔法の能力開発、メカニズムの解析、文化の開拓、社会への応用など魔法を現代社会に適応していく施設という意味での魔法アカデミーで。ちょっと斬新な感じの現代ファンタジーといいますか、そういうものをリアリティを追求しながらやっていくのを最終的には目指しています。まだ新しいアイディアなのでいつになるかわかりませんが。
他の色んな物語でも扱う「力の使い方」とか個人と社会とかそういうテーマも扱いたいなーと思いながら。

いまの魔法学校のもそうですが、どうもキャラクターが多くなりがちな私の創作。例えばオケを扱うストーリーでは当たり前ですが・・・全部のストーリーではありませんが、登場人物が多いことがちょくちょくあって、キャラデザインはものすごく好きなプロセスなのですが・・・たまにきついっす(笑)
そういった意味でも魔法学校は果たしてちゃんと実現出来るのか心配です。

趣味とはいえ、やっぱり突き詰めていきたい。
創作は音楽と同じく自分を表す物で、自分の経験、影響、感性などが形になる結晶ですから。
・・・とはいえ執筆は最近滞りがち・・・精進しなければ。

ちなみに(さらに誰が聞きたいか本当に分からない話なんですけど)、創作での私の影響は主にEarthseaシリーズと北欧神話だと思います。
どちらも色んなばらばらのストーリーが因果関係などで集まって1つの歴史・物語を作ってる、Epic的な物語としては個々でも一連の物語としてもものすごくしっかりしていて。
尚かつこう・・・王道の西洋・東洋の価値観やスタイル、キャラクターデザインとも離れている独特のフレーバーがあって。(もともと北欧神話みたいなキリスト教布教以前の神話とか物語とか価値観とか面白くて一番興味があります)
いろんなものにとらわれず自分の世界を深く、そして広く突き詰めて行こう、と思わされました。

そしてさらにちなみに。
どうやってこのふくれあがる創作の世界をまとめてるかと言いますと、3つネタ帳を使ってます。
1)持ち歩き用のネタ帳
2)ハードカバーのアナログネタ帳
3)Microsoft OneNoteのデジタルネタ帳
OneNoteはもう本当にお世話になってます!いろんな設定やなんかを物語別でまとめておいたりできるし、メモにも実際の設定のまとめの清書としても入力が簡単で、リンクなんかもつけておけますし。
これが無ければ本当にOMNIA seriesは成り立たないのです(苦笑)

何事も形にしなければ始まらない、表現しなければ生きていけない(?)と思っているので・・・
着々と創作も水面下で?進めていきたいと思います。
さて、表にでることは果たしてあるのか?私の想像の世界?


今日の一曲: Spice Girls "2 become 1"



久しぶりのクラシック以外のエントリー。
なんかちょっと意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんが13~4歳のころ私はスパイスガールズのファンでした。
当時はやっぱりファッションの趣味の一致からかPosh Spiceことヴィクトリア・ベッカム(結婚前)が好きで。
映画とかもちゃんと見たんですよ-。ライブビデオも。ビデオ見て踊ったりもしましたよ-。
ちなみに最近はGeri Halliwell (Ginger Spice)とEmma Bunton (Baby Spice)の声が気に入ってます♪

で、Spice Girlsの最初のアルバムに収録されている2 become 1。
率直に言うとまあ歌詞がそのまんまエッチの話なんですが(笑)
それを当時も知ってましたが、まあそれを差し引いてもあんまり若い頃(!)は目立って好きでも嫌いでもない歌でした。
どっちかというと2番目のアルバムSpiceworldで同じく3番目に収録されている似たようなキーのバラードであるToo Muchの方が音楽的にも面白いような、そんな印象でした。

で、最近ipodに入れてからまた聞いてみて・・・あ、思ったよりも良いな~と思ったので今日紹介しちゃったわけです。
なんというのか、えっちいながらもすっきりセクシーで、可愛さもあり。
あとなんというか・・・歌詞の歌い手としてのスタンスみたいなものが面白くて。
Emma Bunton(Baby Spice)の声のあのキュートさに反してなんだかスタンスが「お姉さん」的なんですよね。
しっかりしてるというか、自分の体と心に責任をちゃんともっているというか、選ぶ権利がある女性のスタンスというか、教えてあげる的な雰囲気というか・・・(笑)
そういうの全然嫌いじゃないんですよね(笑)

Spice Girlsはまだ自分の中でじっくり懐メロとしても、普通に音楽としても再評価中。
まだまだ再熱で好きな歌があるのでまたいずれ紹介します・・・かも?


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昔も今も・・・
今こないだ入手しましたEarthseaシリーズの短編集を読んでまして。
著者自身による前書きを読んで、そしてこの短編集の物語、さらにメインのシリーズとのつながりの深さ、世界観の深さなどを本当に思い知って、自分の創作についての態度やいろいろと見直して文にしようかなーと思いつつ。
でもちょっとそれは一日ではまとめきれないなーと再構築の必要性に迫られたのと、今日ちょっとまた再燃したものがあったので今日はそれをちょっと。

世代的にはぎりぎり・・・どうなのかな?
まあ自分の興味・趣味は年代関係ないとの信条のもと生きてるのでそこはまあいいんですが、とにかく一昔からポケットモンスター、通称ポケモンが好きでして。
もともと図鑑的な物が好きで、実在・非実在関わらず生き物が好きで。
ポケモンに関しても由来とか、どこから名前が来てるかとかそういったものに興味を持ったところから入った感があります。

もちろんポケモンブーム当時私はオーストラリア在住。
最初に買ってもらったポケモンソフト(赤、青(日本の緑)、黄)は英語版。
こっちでも実はChadstoneかどこかでミュウがゲットできるイベントがあったので行きましたよ~♪
でもやっぱり本格的にはまり始めたのは第1次入院中。
プログラムがないとき、チェロを弾いたり(わざわざ持ってきてもらったんです)本を読んだりもしましたが、もっぱらポケモン金・銀(日本語版)に時間を費やしていました。
なんせ初めてゲームの中に時計ができて、朝・昼・夜で捕まえられるポケモンに差が出た作品です。それは朝も昼も夜もやるでしょう(笑)

妹と私の間で出版されたバージョンがあるといっても、レアなポケモンはいますし言語の関係で赤青黄との通信が不可能なのでずかんコンプリートははなっから諦めてた感がありました。
クリスタルのエンテイ・ライコウ捕獲は多少ながらストーリーに影響がありそうなので頑張ってみましたが・・・まあ堪え性がない私の事ですからあんまり。
あとどうもやっぱり好きな物には思い入れが深く、そうでないものにはそこそこなのでそこまで捕獲数は伸びません(笑)

好きな物への思い入れといえば「さいしょのポケモン」の選択が。
私の持ってる赤、銀、クリスタルで私が好きで選ぶポケモンって大抵最初の2つのジムでタイプ的に苦戦するやつなんですよ。でもやっぱり「生涯のパートナー」てきな感があるので苦労を承知しつつも選んでしまうという。

クリスタルより新しいバージョンは新しいハードを買ってないのでプレイしたことがないです・・・が。
でもDSのハートゴールド・ソウルシルバーには正直かなり心が惹かれております。DS自体は他にも欲しいかもしれないソフトがあるのですが、そこまで思い入れはないので購入は考えてなかったのですが・・・誘惑されてます(笑)
やっぱりソウルシルバーですかね。もともと金・クリスタルでルギアが「エアロブラスト」をおぼえていないことにショックを受けた故の銀への親和からの派生なんでしょうが(笑)
でもwikipediaでちょっと読んだ程度だといろいろファン心をくすぐるような改善・チェンジがされていて本当にそそられるんですよー。どうしたことか。(笑)

ちなみにクリスタルではなかなかせこいプレイをしておりました、私。
1)好みのパーティーをプランする。
2)パーティーに含めたいポケモンを計6匹銀で捕獲。
3)捕獲したポケモンをメタモン・またはパラメータ考慮で交配。
4)タマゴを孵す。
5)クリスタルでヨシノタウンまでゲームを通常通り進め、そのうちにパーティーが6匹になるまでポケモンを適当に捕獲。
6)ヨシノタウンで交換。

こうして自分の好きなポケモンで旅をしてたわけです。
そのときのパーティーはハクリュー、モルフォン、クロバット、プテラ、ムウマ、キュウコンでしたか。
ハクリューに関しては好み、そしてパーティーの自由度を考えて炎・氷・水・電気技を覚えさせています。

最後に。
タイプ別、ジョウト図鑑でのお気に入りポケモンをリストしてみようと思います。

ほのお:ヘルガー(こうげきの高さと「かみくだく」を重宝してます)
みず:ラプラス(わざの組み合わせに毎回悩むほどの自由さが好き♪)
でんき:サンダース(上記ハクリューのおかげであんまりでんきポケモンは使用しないのですが・・・)
くさ:チコリータ(散々お世話になってます♪クリスタルでのアニメーションの可愛さも高ポイント!)
エスパー:ルギア(事実上3~4タイプ保持、エアロブラストも魅力的。ちなみに妹はエスパーはダントツでルージュラだそうです)
かくとう:カポエラー(敵に回すとちょっぴりやっかいなやつ。でもかくとうタイプはほとんど使ったこと無いなあ)
じめん:ダグトリオ(スピード重視なので。でもほかのタイプのポケモンに「じしん」を覚えさせて済ませてます)
どく:アリアドス(アーボックと迷いました。スピードの高いポケモンと掛け合わるとかなり使えます)
ひこう:リザードン(なんとなくほのおよりもひこうで重宝しながら罪悪感を感じて炎わざ中心に・・・?)
ドラゴン:ハクリュー(「かわらずのいし」は必須。進化させずにマルチエレメンタルプレーヤーとして崇めてます)
むし:モルフォン(そりゃあ蛾好きですから。新しいバージョンのポケモンを見ましたがそれでもモルフォンが一番♪)
いわ:プテラ(どんなゲームでもとにかくすばやさが低いのはもどかしいです。色んな意味でオールラウンダー)
ゴースト:ムウマ(出会いはショッキングだった初の純ゴーストポケモン。かみなりとか覚えさせたりもしたり)
こおり:フリーザー(ひこうが付くことで弱点は増すけれど、やっぱり気品と強さを兼ね備えてて素敵)
はがね:ハッサム(正直すばやさの問題であまりはがねは使いませんが進化前からうまくわざを組み合わせて育てれば面白そう)
あく:ブラッキー(わざ的には難しいのですがパラメータ的に手堅いので好きで使ってます)

・・・なんだかすみません(汗)


今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第1巻 第2番「プロテウス」



なんの脈絡もなくクラムです(笑)

プロテウス。この曲に付けられた星座「魚座」からもわかるように彼はギリシャ神話の水中に住む神様です。ポセイドンの息子で、普段はおそらく半人半魚の姿をしていると思われますが、自身の体をなんでも自在に変化させることができます。

プロテウスは千里眼のような能力と知恵をもっていて、過去から未来までなんでも知っているので、様々な人が助言や予言を求めて彼の元を訪れます。
ただ物事はそんな簡単なことではなく。プロテウスはそういった人間には進んで口を開くことはなく、彼に問いたいことがあるならまず彼を捕まえなければなりません。
彼を捕まえたとしても、プロテウスは変化自在。猛獣に姿を変えたり、炎になったりして人間が驚いて・おびえて彼を解放する隙を狙うのです。
一通りそんな変化に耐えた勇気と剛胆の持ち主だけが、やっと諦めたプロテウスの知恵を受け給うことができるわけです。

曲こそ短いながらもこの楽章はそんなプロテウスの性質の本質を突いているようで。
魚のようにつるつる滑り、任意にぱっと姿を変えたり。姿も知恵も自由自在。
ピアノの軽やかさ、気まぐれなまでの表現の自由さが本当に光ります。

弾いてて本当に楽しいんですよね。
クラムの表現テクニックでお得意の「特殊奏法」こそなけれど、ピアノの鍵盤の上でパッセージ、リズム、和音全てにおいてこんなに表現がスムーズに、しかも豊かに出るとは!と本当にいい気になってしまいます(笑)
魚の鱗が虹色に光るように、魚が捕まえる手をするりと逃れるように・・・私みたいな不完全なテクニックの持ち主でもそんな表現が楽しめる粋な曲です♪
まるで水中で変幻自在のプロテウスを追い求め捕まえようと奮闘しているようで・・・本当に愛しく楽しく弾ける、いや泳げる音楽だと感じています。

前話したかわかりませんが、マクロコスモス第1&2巻の各楽章はクラムによって知人・そして偉大な作曲家に捧げられ、その人のイニシャルが各楽章のタイトルとともに記されています。
自分の知ってる限りではこの楽章のW.R.Cのイニシャルに該当するクラム以前の作曲家は思い当たらないのと、あとミドルネーム入りのイニシャルはどちらかというと彼の知人のケースが多いのでこの楽章はクラムの知人に捧げられていると個人的に判断しています。

あと、この楽章の表現の仕方、といいますか。
この気まぐれで、頭の回転が速く、ちょっとお高くとまった感じだけどユーモアのセンスがあるみたいな描写の仕方になんというか親しみや愛みたいな物を感じるんですよね。
この曲が捧げられた人物の皮肉を交えた人物像、そして作曲者のその人への気持ちがこの1分強の音楽に(奏者によってかなり生成物にバリエーションはあれども)ものすごく表れていると思います。

プロテウス・・・また弾きたい!(第2巻しか持ってないんですよ~)
気軽に弾けるのでクラム入門にももってこいです♪

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メル響「Requiem」(7月22日)感想
昨日行ってきました!Blue Trainのピッツァをお腹に詰め込んでいってきました!

とりあえず基本情報:

メルボルン交響楽団
指揮:尾高忠明
ソリスト:Elena Zelenskaya(ソプラノ)、Timothy Robinson(テノール)、Stephan Loges(バリトン)
メルボルン交響楽団合唱団(Chorus Master: Jonathan Grieves-Smith)
National Boys Choir of Australia(Chorus Master: Peter Casey)

メルボルン・タウン・ホール
(メルボルン・コンサート・ホール(Hamer Hall)はただいま改装中らしいです)

曲目:
ベンジャミン・ブリテン 「戦争レクイエム」

曲についてはブログの端々で言及してるのと、一回文章にしただけでは語り尽くせないのでいつかの機会に・・・と後回しにさせてもらいます。
この2つのエントリーに基本的な情報の断片がありますのでリンクしておきます:
音楽と言語」、「The World of Poetry

このコンサートは昨日と今日の2公演があり、私が今このエントリーを書いている間ABCラジオで今日の公演が生演奏されています(聴きながら録音しています!)。

実は先週オーストラリアの偉大な指揮者、サー・チャールズ・マッケラスが83歳で死去したという悲しい報せがあり、この一連のコンサートは彼のために捧げられました。彼はメル響とそのメンバーと深く関わりがあり、特に親交の深かった首席オーボエ奏者(オーボエ奏者同士チェコで意気投合したらしいです)がスピーチをしました。マッケラスはブリテンとも親交があり、彼の作品の初演を手がけた経験もあったそうです。

まずはオケの配置。この曲は特殊です。
指揮者の前に通常のオーケストラがありますが、打楽器はバイオリンの後ろ、聴衆から向かって左側の隅に配置されてます。そしてチェロの後ろには「室内オーケストラ」というメインのオケからは独立した小アンサンブルがあり、該当楽器の主席によって占められてます。室内オケの前(チェロの後ろ端のすぐ後ろ)にはバリトンとテノールのソリストがいて、歌うときはステージの前側に移動します。
ソプラノのソリストはメインオケの第1プルト(一番前)の内側、指揮者のほとんどすぐ前にいます。
通常よりも内側に配置された6本のホルンの外(左)側にはピアノがあり。
合唱団はオケの後ろに配置されています。
私はバルコニー席の後ろから2番目、中心から少し左にずれたところに座っていたのですが、少年合唱団はどこにいるか見えませんでした。

それにしても私が在学中は私と同じ年代の音楽家達が結構Casual playerとしてメル響にいたもんですが、今回はほとんど見られず。最近の事情はどうも違うのかしら・・・みんなどうしてるんだろう。

あとメル響はコントラファゴットの代わりにコントラフォルテ(とっても似た楽器だけれどベルが上向きになっている)を使用するのでホールの後ろでも重低音が聞こえて不思議だった反面ものすごく嬉しかったです。

ソリスト、なのですが。
強く平和主義を唱えたブリテンは当初、初演に第1次世界大戦の戦勝国・敗戦国のどちからかもソリストを起用することを望んでいました(政治的な理由で実際の初演ではそれはかなうことがなかったのですが・・・)。
その作曲家の意志に沿ってこの演奏でも彼の願い通りソプラノにはロシア人、テノールにはイギリス人、バリトンはドイツ人が起用されました。
平和というテーマだけではなく、音楽的にも彼らのパートはその国の歌い手のスタイルに沿って書かれてるような気はうすうすしていたのでこのキャスティングには本当に満足でした。もちろん3人とも素晴らしい演奏をしました!それはまたちょこちょこ後で。
指揮者は日本人の尾高忠明さんだったのですが、彼は今年の初めからメル響の首席客演指揮者となっています。イギリス音楽が専門だそうで、さきほどもラジオでブリテンの専門家だと紹介されてましたが全ての側面から本当に納得です。曲の解釈については本当に文句なしだと思いました。この曲は作曲家自身の演奏を何百回も聴いてきたのですが同じかどうかは別として本当にしっくりいく解釈で。

曲自体、は・・・
最初の方ではものすごくオケ・合唱両方の奏者の「恐がり」が伝わってきました。
あまり演奏されない曲で、しかもこう・・・isolatedなオープニングなので仕方ないことは仕方ないのですが、かなり伝わってきてこちらも不安になるくらいでした(ただやっぱり2回目の公演の今日はそれがほとんどなかったです。)それさえ無ければ稀に見るピカイチの演奏になってたかも・・・?
そのなかでDies Iraeの最初のエントリーで異常な元気さを見せつけたホルン軍団には脱帽。怖がるということはないんですかねえ、あの人達は。
Liber Scriptusのソプラノの力強さが本当に印象に残りました。オケと声のバランスにちょっと難があったのですが、オケも引くわけにはいかないのでこれも仕方がない。でもOut thereの室内オケとソリストの掛け合い、Recordareの合唱とオケのアンサンブルは素晴らしかった!
Dies Iraeに関してはクライマックスの盛り上がり(Be Slowly Lifted Upから)がちょっと物足りなかった感じです。コンスタントな盛り上がりともっとクライマックスで盛り上がって欲しかった・・・と思います。
ただそこで本当に自分の望むくらい盛り上がってたら本当にLacrimosaで泣いてたかも・・・実際少し涙しそうになってしまって。Lacrimosaで泣いたら下手な駄洒落になると(Lacrimosa=涙の日なので)気づいたら冷静になって止まりましたが。あそこ(クライマックスから降りてくる箇所から)は本当に書かれ方が完璧で。ブリテンって本当にすごいです・・・

Offertoriumの最初は・・・あれはなんかすごい難しいんですね。持ってる録音でもやっぱり子供合唱団外してましたし。指揮者の役割としてはこの楽章が一番光ってたかも。あとハープがかっこよかった!私は大学時代に大学のオケのエキストラとして来てもらったメル響の首席ハープ奏者の人とちょっぴりお話ししていろんなことを教わってるのですが(オケのはじっこで休符ばっかりだと隣同士話が弾むのです)、彼女は本当にあのトリッキーな楽器をしたたかに弾きこなす名奏者です。
Sanctusはやっぱり生演奏冥利に尽きますね!合唱もブラスの輝かしいパッセージも、ソプラノと合唱と弦の暖かいパッセージも。その後のセクションも、バリトンのソロをうまく描写的パッセージでオケが引き立てて、下手すれば本当につまらなくなりかねないところをこの重大なメッセージを素晴らしく表現してくれて。心にがつんと来ました。

One Ever Hangsはピアーズの録音をよく知ってるだけに少し心配だったのですが、今回のソリストTimothy Robinsonの素晴らしさといったら!ピアーズの歌声を私個人は良く「天使の歌声」と形容するのですが、Robinsonの声はものすごく似たようなqualityを持っていながらものすごく人間的で。のびのびとリッチな歌声を心から楽しませてもらいました。私の好きな最後のフレーズ「Dona Nobis Pacem」は本当に圧巻で、涙を誘われてしまっただけでなく思い出しただけでもまた涙しそうになります。
そして私の一番思い入れが深いであろうLibera Me。ちょっと指揮者の意志に対してオケが後ろに後ろにひっぱってたような感が強い部分もあったのですが、完成度がかなり高く、クライマックスに関してはまた後ほど話しますが、尋常ないほどのエネルギーが表現・放出されて桁外れにすごいものに立ち会っちゃった感がひしひし(!)。最後初めて全ての奏者が一体となって音楽を奏でるセクションのアンサンブルは初めのあれが嘘のような一体感でした。

私はこの曲をあらかじめ隅々まで知ってからこの演奏を聴いたわけですが・・・多分この曲を知らなくていきなり生演奏を聴くのはものすごくいい体験でもありながら無謀でもあると思います。この曲にこめられてる全てを生でいきなり全部受け止めるのは無理だと思うので。
どっちにしろ素晴らしい、そして他の曲では味わえないいろんなことを体験できる「経験」(もう音楽を聴くといかいうレベルでもなく感情、色彩、全ての「経験」「体験」だと思います)だと思います。

私に関してはもう曲の中で数え切れないほどぞくぞくするわ、身震いするわ、がたがた震えるわ、息は止まるわ・・・
先ほどいいましたが何回か泣きそうになりましたし、Libera Meのクライマックスに関しては泣きそうになったと思ったらあっというまにそのレベルを通り越して気が遠くなりましたし。
感動というレベル・・・では全くないんですよね。通り越して音楽にこめられたエネルギー、感情、色彩などを生演奏によってもろに真っ向から手に負えないほど曝露したので・・・半端無く強い物を感じました。
苦しい部分もありました。でもいい「苦しい」でした(笑)
ちなみに精神は完璧に健康な状態でした。(調子が悪かったら耐えられてなかったかも)

なんでしょうね、やっぱり(Dies Iraeのクライマックスが物足りなかったからなのですが)Libera Meなんですよ。
ものすごく黒いものが最初のドラムの音から体の中に忍び入ってきて。それがどんどん血管から神経から全てに染み渡っていって。曲が盛り上がるごとに体の中を駆け巡って音楽と自分が同化して内から外からあのとてつもないマグニチュードのエネルギーに浸食、爆発されるんですよ。その感覚が苦しながらもものすごく愛しくて。
その一部は録音を聴くことで毎回経験したことがあるんですが、やっぱり生演奏は直接曝露なので違うんですね・・・

その感覚を感動、というのはどうも受け身的な気がするのですよ。感動という言葉はあまり好きではないのですが。ある種の共感であるとは思います。音楽が感じていることを私も同じく、音楽になったかのようになって感じ、ある意味表現してるのですから。
音楽と同化したと感じたことも、それだけ強いものを放つ音楽と対面してそのエネルギーを直接受け止めたということも、ほんとうにいい体験だったと思います。
もちろん音楽を聴いていつも音楽に共感(感動よりかは共感の方がずっと多いです)し、上記の感覚を部分的に感じるのですが。こんなに強烈な体感は初めてでした。
そういう意味でも昨日のコンサートは本当に素晴らしい音楽的・それ以上の経験だったと思います。

ずいぶんと語ってしまいましたが。
素晴らしい演奏と音楽にとどまらない経験に出会えて良かった、と思っています。
ある意味では(純粋に音楽的な意味以外の何か)私が生涯聴きに行ったコンサートの内ダントツで一番素晴らしい物で。
苦しくなるほど、気の遠くなるほど何かを感じる演奏って(もともとの曲のそういった傾向を差し引いても)なかなかないですもんね。

この曲もあんまり弾かれないんですけど(なぜなら演奏・管理どっちも困難を極めるので)、また生で聴ける機会があったらいいな、と思ってます。
そして次回メル響の演奏を聴くとき、これと同じものは望めませんが(ブリテンの力が大きいのでね)、また素晴らしい演奏を聴くのを楽しみにしてます。
いつになるかしらん。なんか聴きたい曲あったかな?

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I am, you are, we are Australian
いよいよ明日コンサート、うざいほど楽しみにしております♪
一応そこそこ早めに乗り込んでBlue Trainでピッツァをいただいたり暖かい飲み物をいただいたりしてコンサートまでゆったりするつもりです。チケットは予約済みですので。
いやあ楽しみ(また!)。

前このブログでお話ししたか分かりませんが私は今オーストラリア永住権を取得申請して結果を待っていまして。
「音楽教師」で申請したため優先度が低くかなり結果が出るのに時間が出るそうで、一応前電話したら2011年までかかるそうで(苦笑)
まあ、裏を返せば2011年まではとりあえずこっちに居れる、ということなので。永住権がとれなかった場合のことは正直あんまり考えていないのですが、仕事の性質上帰国してもなんとかなるかな・・・?

初めて会う人に驚かれることはいくつかあります。
まず最初に会って「え?日本人なの?」と驚かれ(中国系の顔で、中国人・韓国人にも自国人と間違われるほどです)。
そしてオージーの定番のリアクション「日本のどこから来たの?」「日本いってみたいのよねー」「日本のここに行ったのよ~」「日本食っておいしいよねー」と急にフレンドリーな会話がいきなり弾んだあと・・・
「こっちに来て何年になるの?」と言われて14年と答えると「長いね!」と驚かれ(日本から来た人は赴任か留学が多いので)。

でも一番驚かれるのはそのあと「じゃあ市民権はとってるの?」と聞かれて「実は永住権もまだでして・・・」と答えたとき。
「そんなに長く住んでるのにとれないの?」とよく言われますね。「自動的に取れちゃえばいいのにね」とも(笑)
大学の友達とかだと大学に入る前とかからユースオケで知り合いだった人が多いので私が「留学生」だってことをみんな知らなくて「え!?留学生扱いなの?」と驚かれたことが数え切れないほどありました。
みんなにとっては私はオージーも同然。私にとっても私はオージーです。

留学生は学費が高いんでね(笑)
こっちでは12年生の卒業の一連の試験がどの大学でなにを学ぶかを決めます。
1つのコースに入れる成績レベルは毎年2つずつ決められます。
1つはHECSといって、高成績の生徒が政府から学費の援助を受け、後にあるレベルの所得を得られるようになったら税の一部として返済する、というシステム。HECSを受けられる生徒の数には限りがありますが、決して少ないわけではないです。
そしてHECSでその大学のそのコースができないとなった場合でも決められたレベル(HECSより下)の成績に達していれば学費の全額を払ってそのコースを受けることができます。
ただ留学生はこの限りではなく、留学生枠として別扱いになり、先ほどの「学費の全額」よりもまた多い学費を払わなくちゃいけないのです。
・・・本当に説明不足なような気が抜けなくてすみません。オーストラリアの教育システムに関してはまた別の機会に。

まあ学費が高い、といっても4年半通って、授業はもちろん、オケの活動(マネージャーの仕事に関しては少しながら給料ももらえましたし)、レッスン、演奏(あのスタインウェイのコンサートグランドで何回弾かせてもらったことか!)、そして何よりも練習と練習設備を全部ひっくるめて元は十分すぎるほど取ったような気もします(笑)少なくとも私自身は。
一日に8時間練習してた時期もかなりありましたしね。週末もオケマネージャーとしての施設のアクセス権で練習室にこもってたり。
きっちり元は取ったつもりですよ。

えーっと、話を元に戻しまして。
まあみんなは私がずっとオーストラリアにいるものだと当たり前のように思ってます。
私もそのことにかんしてはだれよりも強く思っていて、永住権をまずは獲得していずれはオーストラリアで市民権をとり、帰化することを夢見ています。
今は日本側の事情でオーストラリアと日本の二重国籍は認められていません。それも変わるかわからないものなのですが・・・
でもまあ選ぶならオーストラリア人になりたい、とここのところしばらく思っています。

オーストラリアに来て1年したころは私は日本に帰りたいという思いが強く、ホームシックが鬱を引き起こしたということも十分あり得ると今でも思っています。
ですがそれから2年もしないうちにオーストラリアが大好きになり、父が転勤でオーストラリアを離れるときに私は「オーストラリアに残りたい」という意思表示を初めてあらわにしました。
学校の友達とも強い絆で結ばれるようになり、音楽を志すようになり、そして精神のケアを受けるようになり・・・
そういった全ての要因が私の心をメルボルンにつなぎ止めていました。

音楽環境もメルボルンのほうが肌にあってるのかなーとうすうすは思っていました。
メルボルンは文化の町で、日本のオケなどと比べるとレベルはどうだか分かりませんがレパートリーに関しては素晴らしく幅が広く。
現代音楽やあまり知られてない曲、玄人好みも精力的に弾かれ、実際聴衆を集めることができることのすごさ。
自分がメシアンと現代音楽の道を見つけ、スティーブンやマイケルと出会い、そしてマニアックでコアな玄人友達の中で一層マニアックでコアな知識と趣味を発達させそういったレパートリーの宝庫とされたのもメルボルンにいたからならではだと信じています。
あとはやっぱりメルボルンの音楽家たちのカジュアルかつ情熱的で楽しい世界が何よりも素晴らしくて好きなことは私の創作にあふれるほど表れますしね~(笑)愛ですよ、やっぱり。

特にうつの治療に関してはメルボルンじゃなくちゃ、本当に尊敬しているドクターと、勝手知った素晴らしい病院と治療システム、自分で治療のいろいろ立ち回りを(もし悪化したらどうしたらいいか、など)知っていることに対する安心、そして自分が受けられる治療に対しての信頼。日本がメンタルヘルスの面でかなり遅れていることへの懸念も要因ではありますが、それよりもメルボルンで自分が体験した、そして知った治療についてのポジティブな面を認め、信頼していることは本当に自分のなかで大きいです。

そして高校も卒業し、大学生活もあっというまに過ぎ・・・
こうやって今待っている間にも私のメルボルン愛は強まるばかり(笑)
日本が私の生まれた故郷ならばメルボルンは私が自分の意思で選んだ故郷。
ここにずっと住むことは私にとって一番の夢であり、願いであり。
永住権が本当に取れることを願って(長く住んでるのがみんなの言うように良い方に働いてくれるのか?)、今日もこの地で一歩一歩歩んでいきます。


今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムス 交響曲第6番第3楽章



今日もまた変化球を一つ投げてみようと思います。

ヴォーン=ウィリアムスの音楽はいつも言いますが「グリーンスリーブスによる幻想曲」を筆頭に交響曲第2番「ロンドン」、「タリスの主題による幻想曲」、「揚げひばり」、「ヨブ」など名曲とされるのはどれも牧歌的なメロディーの美しい作品ばかり。
だからたまにヴォーン=ウィリアムスは同じような曲しか書けない、なんて言われちゃうんですけど・・・

交響曲第6番はそういった意味では優れた変化球だと思います。
交響曲を支配する第1楽章の最初の和音からこの曲がそんなステレオタイプをぶちこわす暗いエネルギーをもった作品だということが明らかで。
まあ、こんな風に言うのも何ですがヴォーン=ウィリアムスのDark Side(闇の側面)とでも言いましょうか。
「ヨブ」などで部分的にはフィーチャーされているそういったDark Sideですが、あんまり注目されることがなく。
ものすごく強い主張なんですよね。

そんなこの6番の第3楽章はスケルツォ。
スケルツォは結構作曲家の性格というかスタイルが顕著にでると思います。
スケルツォ=冗談なので、作曲家のユーモアのセンスが問われる、といったところでしょうか。
例えばシベリウスなんかはちょっとスケルツォを書くのが苦手なのかな~といった印象。
ショスタコはお決まりの皮肉、または怒濤の死の舞踏みたいな。
マーラーはまた独特な重みと色彩があって。
私個人がスケルツォとして典型的に素晴らしいと思うのはベートーベンの第9、ドヴォルザークの7番、あと緩除楽章に出てくるスケルツォ各種ですかね。他にも典型的でなくて素晴らしいものはたくさんありますが。

ヴォーン=ウィリアムスも決して得意・・・では無いような気がします。
曲としては素晴らしくてもスケルツォとしては・・・?なところがあるかなあ。
でもこの第3楽章、「この交響曲のスケルツォ」としては最高ですし、ものすごくいいキャラの曲であると思います。

なによりも一番私が評価したいのはサクソフォンの使い方。
サクソフォンはオケで使われることが少ないまたは無いと思われがちですが、20世紀はちょこちょこ使われてますよ~
ただ使う作曲家のほとんどがアメリカ人、フランス人、または多少フランスかぶれのロシア人くらいで。
アメリカのサックスはジャズ系統、フランスのサックスはまたちょっとおしゃれで洗練された都会的木管楽器で独特な雰囲気があるのですが・・・
このスケルツォに颯爽と現れるサックスのソロはそのどっちでもない個性的な存在です。

まるで戦争を表すような(ホルストの火星などとちょっと雰囲気が似てる)殺伐とした音楽のなかに颯爽と現れて、ユニークな存在感としゃれたメロディー(あんまりフランスっぽくはない)としゅっとした出で立ちで。そこだけ別世界になるんですよ。オケでのソロのなかで一番・・・あんまり言葉が好きじゃないんですけど「イケメン」ですかね。音ですけど。

もうそのサックスソロだけのためにでもいいから(ヴォーン=ウィリアムスの音楽は牧歌的だけじゃない!という主張もむしろもういいです?!)この楽章に耳を傾けて欲しいです。
ちょっぴり惚れてしまいますよ~♪私ため息漏らしましたもん(笑)


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