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あっというまに七月も下旬。
ここ数日の不調もやっと上向きになってきて、翻訳トライアルなどもこなし、そろそろピアノも復帰したいな~とか思いながら・・・
改めて明後日のコンサートに胸をふくらませています。
明後日のコンサートは、メルボルン・タウン・ホールでのメル響(MSO)のコンサート。
曲目はブリテンの「戦争レクイエム」。私にとっていろんな意味で特別で、心から本当に素晴らしい、愛しい曲です。
指揮者はなんと日本人の尾高忠明。ソプラノはElena Zelenskaya、テノールはTimothy Robinson、バリトンはStephan Loges。
テノールがイギリス人だということは本当に嬉しいです。あのパートはどうしてもイギリス人じゃなければいけないので。
メル響は世界のレベルでいうとどうだかわかりませんが、たまにかなーりすごい演奏をやってくれます。
数年前、私が大学在学中にMark Wigglesworthの指揮で演奏されたマーラーの6番は自分がどんなコンサートで聴いた最高の演奏の一つに数えられると思います。特にあの曲の恐ろしいほどの難しさと巨大さを考えると本当にすごいことで。実力がちゃんとないとあの曲をそこまでエキサイティングにできませんからね。
メルボルン・タウン・ホールはシティにあるタウンホールで、この町の最大級の演奏場所の一つで、コンサート以外にもさまざまなイベントの会場となる素敵な場所でもあります。
なによりもここには南半球最大のパイプオルガンがあり、裏方ツアーも行われているほど。
ユースオケや大学のオケでも何度も演奏したり、マネージャーをやったり、裏も表もかなり親しみの深い場所なのですが行くのはかなり久しぶり。
「戦争レクイエム」ではオルガンは子供合唱とのタッグで演奏しますがどんな音色になるか楽しみ。
メルボルンシティの中とあって食べるところには困りませんが、なんといっても8時開演なのがちょっと悩みどころ。
コンサートって大体7時半とか8時なんですが夜ご飯の遅い日本人はちょっと・・・うーん。
結局やっぱりコンサート前に早めに乗り込んでチケット拾ってご飯がいいと思うんですが。
ちなみに演奏側の場合私はソロならコンサート前は食べたくないですが、オケの場合みんなといっしょにわらわらご飯に行くのもまた楽しみの一つ、オケ&コンサート経験の一つなので(笑)
それにコンサート後はバー・パブに直行ですからね、前に食べておいた方が選択肢も増えます(笑)
ちなみに私のオケの友達で演奏するときはお腹は空っぽで膀胱はぱんぱんが良い、という思想をもった人がいましたよ。
彼はインド出身のフルート奏者で実は医学生(小児科がやりたいって言ってました)なのですが、特に医学的・生理学的根拠があるわけではどうやらないようです。
切羽詰まったというか追い詰められた方が実力を発揮するタイプ・・・なのですかね?(それは確かに生理学的根拠がどっかにあった気が・・・?)
閑話休題。
メルボルンのシティとその周辺には数々の美味しいレストランなどがあります。
私が常に食べたいのはP.J. O'Brien'sの生&キルパトリックオイスター・・・なんですがそんな贅沢はできません。オイスターにギネスビール、そしてまたオイスターなんて夢ですねえ~。
あとオイスターはそれだけだとお腹がすくけれどメインも頼むと値段がはるし量も若干多すぎだったりで。そこもちょっぴりやっかい。
一人でそこそこのお値段で量も多すぎず(これオーストラリアでは悩みどころ。なんといっても量が多い!特に友達と食べるとちょっと手伝ってもらったり気分を変えて他の料理も一口食べれるのに・・・)、お手軽に早めに食べれるならやっぱりピッツァかしら・・・と思ったところでおいしいピッツァが食べれるところはもちろんメルボルンにはたくさん。
サウスバンクのBlue Train Cafe、あるいはFederation SquareのTimeOutかな~と思ってメニューを見ているものの、ピッツァに目移りしながらもやっぱりお酒に目が行ってしまい・・・
Blue Trainのカクテルでカイピロスカにオプションでライチを入れるなんて素敵すぎる♪
コンサート後に一人で飲みに行くのもいいですし、そうすることになんのためらいもない・・・はずなのですが、ここのところ喉の調子が悪くて仕事を休んでるのでやっぱり喉はいたわった方がいいなあ・・・という気持ちが。うう。
もちょっと気候が暖かくなる季節にとっておくのが無難でしょうか。そうしましょう。
仕事をするようになってからお金をコンサート行きに使えるようになり、同時に夜出歩いて美味しいものを食べたり飲んだり音楽を聴いたり楽しいことができるようになって本当に嬉しくて。
なのでそういった意味全部ひっくるめ明後日の夜、そして今後のコンサートイベントが楽しみで楽しみでたまりません♪
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 宗教的歌曲「惜しみなく与えよ」
オルガンが活躍する音楽つながりということでこの曲を。
日本は夏真っ盛りでブラームスの音楽は暑苦しいかもしれませんがメルボルンはいまブラームスの音楽の一番良いところが身にしみて感じられる時期まっただ中。
なにを言葉で伝えるよりもこの曲の美しさ、慎ましさ、神聖さ、暖かさは本当に聴いてみないとひとつも伝わらないと思います。
イタリア発祥のカソリック系統の宗教音楽はちょっと派手だったり華やかだったりしますが、ドイツのルター派、プロテスタントの流派の素朴さ、静かな厳かさ、どこか深い山の自然を思わせるような雰囲気が本当に好きで。
古ーい教会で、古いオルガン、ステンドグラスから入ってくる色の付いた光、そして地元の人の合唱でこの曲が聞こえてきたら宗教関係なく本当に心から慎ましく、清らかな気持ちになると思うのですよ。
歌詞もまた素晴らしく慎ましく優しくて。
ここなどで一応英語訳は見つけたのですが、日本語訳は見つからず・・・
宗教詩人、パウル・フレミングという人の詩なんですが、彼の詩はドイツ語圏でよく歌曲に使われているみたいです。
ちょっと自分なりに(2つの英訳から)訳してみました。
何事もあなたに悲しみをもたらさぬよう
穏やかであれ、主が定められたように
私の心は満足するであろう。
来る日も何を憂うことがあるのだろうか?
主は全てを見渡し、
あなたの物となるべき物をあなたに与え給う。
あなたのなす全てのことにおいて、足を地にしっかり踏ん張りなさい。
主が定めたことは全て最善であり、
最善であるべきである。アーメン。
なんだか堅くなったなー(汗)
もっと本当は優しい感じなんですよ。
音楽の全てのエレメントと歌詞と声とオルガンとの全ての優しさと清らかさに包まれて・・・
無神論者ながら本当に自分を許せしたくなる、許せる気がする音楽です。
ブラームスって子守歌を初めとする母性のある内向的で優しい曲が本当に得意なんですよね~
・・・あ、ブラームスといえばドイツ・レクイエムを全く紹介していない!
これもまた素晴らしい曲で私にとっても心に親しく近しい曲なんですけど。
冬のうちに(それでも日本はそのあとブラームスの季節になるんですが)そのうち一楽章は少なくとも紹介していきたいです!目標!
ここ数日の不調もやっと上向きになってきて、翻訳トライアルなどもこなし、そろそろピアノも復帰したいな~とか思いながら・・・
改めて明後日のコンサートに胸をふくらませています。
明後日のコンサートは、メルボルン・タウン・ホールでのメル響(MSO)のコンサート。
曲目はブリテンの「戦争レクイエム」。私にとっていろんな意味で特別で、心から本当に素晴らしい、愛しい曲です。
指揮者はなんと日本人の尾高忠明。ソプラノはElena Zelenskaya、テノールはTimothy Robinson、バリトンはStephan Loges。
テノールがイギリス人だということは本当に嬉しいです。あのパートはどうしてもイギリス人じゃなければいけないので。
メル響は世界のレベルでいうとどうだかわかりませんが、たまにかなーりすごい演奏をやってくれます。
数年前、私が大学在学中にMark Wigglesworthの指揮で演奏されたマーラーの6番は自分がどんなコンサートで聴いた最高の演奏の一つに数えられると思います。特にあの曲の恐ろしいほどの難しさと巨大さを考えると本当にすごいことで。実力がちゃんとないとあの曲をそこまでエキサイティングにできませんからね。
メルボルン・タウン・ホールはシティにあるタウンホールで、この町の最大級の演奏場所の一つで、コンサート以外にもさまざまなイベントの会場となる素敵な場所でもあります。
なによりもここには南半球最大のパイプオルガンがあり、裏方ツアーも行われているほど。
ユースオケや大学のオケでも何度も演奏したり、マネージャーをやったり、裏も表もかなり親しみの深い場所なのですが行くのはかなり久しぶり。
「戦争レクイエム」ではオルガンは子供合唱とのタッグで演奏しますがどんな音色になるか楽しみ。
メルボルンシティの中とあって食べるところには困りませんが、なんといっても8時開演なのがちょっと悩みどころ。
コンサートって大体7時半とか8時なんですが夜ご飯の遅い日本人はちょっと・・・うーん。
結局やっぱりコンサート前に早めに乗り込んでチケット拾ってご飯がいいと思うんですが。
ちなみに演奏側の場合私はソロならコンサート前は食べたくないですが、オケの場合みんなといっしょにわらわらご飯に行くのもまた楽しみの一つ、オケ&コンサート経験の一つなので(笑)
それにコンサート後はバー・パブに直行ですからね、前に食べておいた方が選択肢も増えます(笑)
ちなみに私のオケの友達で演奏するときはお腹は空っぽで膀胱はぱんぱんが良い、という思想をもった人がいましたよ。
彼はインド出身のフルート奏者で実は医学生(小児科がやりたいって言ってました)なのですが、特に医学的・生理学的根拠があるわけではどうやらないようです。
切羽詰まったというか追い詰められた方が実力を発揮するタイプ・・・なのですかね?(それは確かに生理学的根拠がどっかにあった気が・・・?)
閑話休題。
メルボルンのシティとその周辺には数々の美味しいレストランなどがあります。
私が常に食べたいのはP.J. O'Brien'sの生&キルパトリックオイスター・・・なんですがそんな贅沢はできません。オイスターにギネスビール、そしてまたオイスターなんて夢ですねえ~。
あとオイスターはそれだけだとお腹がすくけれどメインも頼むと値段がはるし量も若干多すぎだったりで。そこもちょっぴりやっかい。
一人でそこそこのお値段で量も多すぎず(これオーストラリアでは悩みどころ。なんといっても量が多い!特に友達と食べるとちょっと手伝ってもらったり気分を変えて他の料理も一口食べれるのに・・・)、お手軽に早めに食べれるならやっぱりピッツァかしら・・・と思ったところでおいしいピッツァが食べれるところはもちろんメルボルンにはたくさん。
サウスバンクのBlue Train Cafe、あるいはFederation SquareのTimeOutかな~と思ってメニューを見ているものの、ピッツァに目移りしながらもやっぱりお酒に目が行ってしまい・・・
Blue Trainのカクテルでカイピロスカにオプションでライチを入れるなんて素敵すぎる♪
コンサート後に一人で飲みに行くのもいいですし、そうすることになんのためらいもない・・・はずなのですが、ここのところ喉の調子が悪くて仕事を休んでるのでやっぱり喉はいたわった方がいいなあ・・・という気持ちが。うう。
もちょっと気候が暖かくなる季節にとっておくのが無難でしょうか。そうしましょう。
仕事をするようになってからお金をコンサート行きに使えるようになり、同時に夜出歩いて美味しいものを食べたり飲んだり音楽を聴いたり楽しいことができるようになって本当に嬉しくて。
なのでそういった意味全部ひっくるめ明後日の夜、そして今後のコンサートイベントが楽しみで楽しみでたまりません♪
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 宗教的歌曲「惜しみなく与えよ」
オルガンが活躍する音楽つながりということでこの曲を。
日本は夏真っ盛りでブラームスの音楽は暑苦しいかもしれませんがメルボルンはいまブラームスの音楽の一番良いところが身にしみて感じられる時期まっただ中。
なにを言葉で伝えるよりもこの曲の美しさ、慎ましさ、神聖さ、暖かさは本当に聴いてみないとひとつも伝わらないと思います。
イタリア発祥のカソリック系統の宗教音楽はちょっと派手だったり華やかだったりしますが、ドイツのルター派、プロテスタントの流派の素朴さ、静かな厳かさ、どこか深い山の自然を思わせるような雰囲気が本当に好きで。
古ーい教会で、古いオルガン、ステンドグラスから入ってくる色の付いた光、そして地元の人の合唱でこの曲が聞こえてきたら宗教関係なく本当に心から慎ましく、清らかな気持ちになると思うのですよ。
歌詞もまた素晴らしく慎ましく優しくて。
ここなどで一応英語訳は見つけたのですが、日本語訳は見つからず・・・
宗教詩人、パウル・フレミングという人の詩なんですが、彼の詩はドイツ語圏でよく歌曲に使われているみたいです。
ちょっと自分なりに(2つの英訳から)訳してみました。
何事もあなたに悲しみをもたらさぬよう
穏やかであれ、主が定められたように
私の心は満足するであろう。
来る日も何を憂うことがあるのだろうか?
主は全てを見渡し、
あなたの物となるべき物をあなたに与え給う。
あなたのなす全てのことにおいて、足を地にしっかり踏ん張りなさい。
主が定めたことは全て最善であり、
最善であるべきである。アーメン。
なんだか堅くなったなー(汗)
もっと本当は優しい感じなんですよ。
音楽の全てのエレメントと歌詞と声とオルガンとの全ての優しさと清らかさに包まれて・・・
無神論者ながら本当に自分を許せしたくなる、許せる気がする音楽です。
ブラームスって子守歌を初めとする母性のある内向的で優しい曲が本当に得意なんですよね~
・・・あ、ブラームスといえばドイツ・レクイエムを全く紹介していない!
これもまた素晴らしい曲で私にとっても心に親しく近しい曲なんですけど。
冬のうちに(それでも日本はそのあとブラームスの季節になるんですが)そのうち一楽章は少なくとも紹介していきたいです!目標!
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久しぶりの感想です。
オーストラリアの作家、Bryce Courtenayの作品には「Potato Factory」のシリーズを始めいろいろと有名な本がありますが、「April Fool's Day」以外実は読んだことがなく(これは後にまた再読して感想を書きたいのですが「小説」とはちょっと違う本です)、読みたいな~でもどうしようかな~と思ってたところに出た新刊で。
「子供十字軍」を扱う本と聞いて大変興味をもち購入したところ・・・相当のアタリでした♪
Bryce Courtenay "Sylvia"
12世紀のドイツを舞台にしたこの物語は主人公シルビア自身によって語られる彼女の伝記です。
ドイツの片田舎で母親を早くに亡くし、第1次十字軍から負傷のため帰ってきた父親に虐待を受けたシルビア。
もちろん田舎の村なのでそういった事の噂はすぐ伝わり、口うるさいおばさん連中からは汚れた子供として扱われるようになります。
シルビアには生粋の美しい歌声、歌や言葉を聞いただけで覚えられる素晴らしい耳、モノマネの才能があり、ある日ひょんな事で村人に聴かれた歌声、そして彼女の背中に生まれたときからある魚の形のあざ(魚はキリストのシンボルでもあります)を注目され、「奇跡の子供」と呼ばれるように・・・
が、それを確認しにきた神父の前で歌うことが出来ず、結果的に彼女は村から追放されることに。
そして彼女にとって紆余曲折の旅が始まることとなるのです。
この小説にとって最も重要なエレメントは「聖と俗の対比」でしょうか。
シルビア自身のアイデンティティがまさに聖と俗のぶつかりあいで。
「汚れた子供」とつばを吐かれまでした彼女が民衆の中で聖女のように崇められるようになること。
そしてボンの町でそうやって(農民出身としては例外的に)聖女として修道院に招かれるまでにもなりながら、夜はお世話になっているユダヤ人の夫婦の知り合いが経営する売春宿で歌手として働き。
強い信仰心と修道院で神学などを勉強する探求心の反面、必ずしもキリスト教徒ではない人々や売春宿のスタッフと触れあい、一緒に音楽を奏でたりしながら楽しくやりたい気持ちも強く。
教会の見解、民衆の見解やうわさ、身の回りで起こる偶然や説明の付かないことの多くに巻き込まれ、弄ばれるようにして生きて行くシルビア。
彼女の視点から見たこういった出来事は奇跡と思われるものがいかに大げさで誤解を招くものか、同時にたまには説明のつかないことも確かに起きるんだ、ということを表しています。
十字軍の時代は本当に価値観・宗教などが迷走していた時代だということもあってそういったことが人々と信仰を本当に引っかき回したんですね。
教会の教えや権威、信仰の形などが本当に理不尽だった時代で弱い立場として生きて行く辛さとしたたかさが物語に表れています。
ただ主人公の性格上シルビアは引っ張り回されるばかりで生きてはいません。
農民出身、しかも親を早くに亡くした若い女性というステータスは当時としてはかなり!不利なものですが。
彼女はその美貌、歌声、そして頭脳を武器として様々な逆境に立ち向かっていきます。
とくに「学ぶこと」ということがどれだけ人、特に弱者の力になるか、というかがこの物語では強く訴えられています。
ユダヤ人のMaster Israelに学んだ言語やチェス、修道院でBrother Dominicに学んだ理論的思考と立ち回り、Frau Sarahに学んだ植物の扱いなど・・・
シルビアの学びたいと強く思う思い、学ぶことで力がつくこと、そして視点が広がること・・・そして身につけた知識を実際に使う力・・・こういったテーマを扱う本は意外と少なく、そういった意味でこの小説は大変強く訴えるものがあると思いました。
この小説でもう一つちょっと特殊なのが「性」関連のテーマ。
主人公が女性で一人称で書かれてることもあり、女性にとっての性的ないろいろ(性への目覚めや、あと売春宿の女の子たちの話など)を扱うことが多いのですが・・・男性作家だとは思えないほどの女性的な視点と共感に心底驚きました!
女性として個人的に性的なエレメントにいろいろときめく箇所が正直結構ありました(笑)
シルビアが歌手として働いた売春宿Ali Babaは描写のうまさもありますがなんというか外の世界とは別世界で。(そういった意味ではまた優秀な売春宿ですよね)ロマンチックなんですよ。
そして性といえば当時の信仰などに関する文化の他にもちろん俗文化もあり。そういった民謡などでよく性が扱われ、子供の性教育などにも使われていた事情も描かれていてそれもまた興味深いです。
ちなみにもう一つ。私の知ってる本のうちで男×女、男×男、女×女全てのそういったことを扱っているのはこの本だけ。そういった意味でもまた特殊な物語です。
さて、シルビアの主人公としての性格ですがいろいろあれども私は本当に気に入っていて。
この物語を無事生き延びたことでわかるようにかなりタフでしたたかで。
最初はでも男性不信が強かったこと、そしてそれとは反面に信仰に対していかにピュアでナイーブだったかが目立ちました。
そのナイーブさ、タフとナイーブの奇妙な組み合わせもまた私の心をしっかり掴みました。
美貌も、「聖なるあざ」も、聖女としてのステータスも、うらやむ人は多いのだろうけど彼女にしてみればありがた迷惑というか「なりたくてなったんじゃない」的なところがあって、そういったところにも共感が強かったです。
彼女の歌声、そして頭脳と立ち回りは本当にいろんな人を、信仰を、大衆を、ビジネスを動かして・・・
彼女には奇跡を起こす力、というか多くのものを動かす力があったことは事実です。(その形態が音楽だというのもまた嬉しいですね!夢があります)小説の主人公としては本当にパワフルな分類に入って、なんか・・・爪の垢を煎じて飲みたい気分になります。物書きとしては。
読む方としても本当に魅力的。
シルビアは生まれた村をあとにしてから本当にいろんな幸福な出会いをしました。
彼女の最高の相方であり親友で後にハーメルンの笛吹きとなるネズミ取りのReinhardt、彼女に女性としての立ち回り、弱い性として精一杯生きる方法を教えたFrau Johanna、Frau Sarah、そして売春宿Ali Babaの女の子達・・・先ほども言及しました彼女を学びで導いた師たち・・・
その出会いを読んでいるだけで本当に良い本を読んでるなあ、という気持ちになります。
あと当時(に限らず)悪者とされやすいユダヤ人の描写が気に入りました。本当にこの小説の彼らの生活や思想からは本当に学ぶことが多いです。
あと読んでみてエンディングに疑問を持つ人は多いと思うのですが、あえてこの物語をオープンエンドとしておくことでここからまた新しい物語が始まるんだ、ということ、そしてReinhardtと彼女の新しい旅に対して読者が希望と想像を持つことという目的ではある意味ありかな~と思います。
最後の最後のReinhardtの台詞の茶化した感じはある意味ではここまで読み進めて良かったな~という気持ちも持てますし(あくまでも脱力のなかのどこかにその気持ちはある、ということですが)。
ときめいたり、学んだり、共感したり、たまには不安になったり・・・小説としても、それ以上としてもこの本は魅力的で。いろんな意味で私の本棚の中で特別な位置にあります。
言及しませんでしたが「子供十字軍」も確かに重要なエレメントです。価値観、宗教を含めてこの時代は本当に面白いので、そういった意味でもまたお奨めの一冊です♪
今日の一曲: カール・オルフ 「カルミナ・ブラーナ」より「Stetit Puella」
カルミナ・ブラーナ。この曲はドイツで20世紀に書かれたものですが、もとの歌詞などはまさにシルビアが生きた時代に彼女の言語(たくさんあるうちラテン語・中高ドイツ語)で書かれています。
つまりこの作品に出てくる民謡的なものはシルビアの物語とも通じているのです♪
ちなみに本のこともありオケはドイツのものをセレクトさせてもらいました♪
カルミナ・ブラーナは大きく分けて3部から成り立っています。
第1部は田舎の風景、第2部は酒場の風景(そのため合唱は男声のみ)、そして第3部は「愛の誘い」と名付けられています。
このStetit Puellaは第3部からの曲です。
第3部は恋に落ちてから身も心も結ばれるまでのいろいろをあんなことやこんなことを交えて描いています。
ドイツの田舎の風景もシルビアのルーツなのですがこのStetit Puella(若い娘が立っていた)がなんか・・・シルビアのPetticoat Angelというアイデンティティを少し思わせるようで。
幼くもどこか妖艶で、聖なるピュアなものでもものすごくセクシーな何かがある、という・・・?
そんな若い女性をどうこうしたくなる男心をさりげなく表してるかと思いきやかすかにそんなバカな男を誘う女心も見え隠れしたり・・・?
カルミナ・ブラーナ自体はものすごく大編成で、大編成のオケ+ピアノ2台+合唱+子供合唱+ソプラノ、テノール、バリトンのソリストが勢揃いなのですが。
このStetit Puellaに関してはものすごく小編成。少女のピュアさを思わせる純粋な音の楽器とソプラノのアンサンブルです。
弦のハーモニクスによる高音の透明さ、そしてソプラノの歌うメロディーの素朴な美しさが光ります♪
カルミナ・ブラーナは結構最後の方になってくると性に関する言及が結構露骨になってきて(笑)それを話すのもそれはそれで面白いのですが・・・
この曲はそんななか少ない音と少ない言葉でさりげなく視線が会ったり、ちょっとした誘うような表情、思わせぶりな微笑、このあとどうなるかの含蓄など・・・そういったものがみんなさりげなく表れて。
なんでしょ、やっぱりくすぐったいようなロマンチックさがあるんですよね。
カルミナはたくさん楽章があるのでさくさく今度も紹介していきたいです~(汗)
オーストラリアの作家、Bryce Courtenayの作品には「Potato Factory」のシリーズを始めいろいろと有名な本がありますが、「April Fool's Day」以外実は読んだことがなく(これは後にまた再読して感想を書きたいのですが「小説」とはちょっと違う本です)、読みたいな~でもどうしようかな~と思ってたところに出た新刊で。
「子供十字軍」を扱う本と聞いて大変興味をもち購入したところ・・・相当のアタリでした♪
Bryce Courtenay "Sylvia"
12世紀のドイツを舞台にしたこの物語は主人公シルビア自身によって語られる彼女の伝記です。
ドイツの片田舎で母親を早くに亡くし、第1次十字軍から負傷のため帰ってきた父親に虐待を受けたシルビア。
もちろん田舎の村なのでそういった事の噂はすぐ伝わり、口うるさいおばさん連中からは汚れた子供として扱われるようになります。
シルビアには生粋の美しい歌声、歌や言葉を聞いただけで覚えられる素晴らしい耳、モノマネの才能があり、ある日ひょんな事で村人に聴かれた歌声、そして彼女の背中に生まれたときからある魚の形のあざ(魚はキリストのシンボルでもあります)を注目され、「奇跡の子供」と呼ばれるように・・・
が、それを確認しにきた神父の前で歌うことが出来ず、結果的に彼女は村から追放されることに。
そして彼女にとって紆余曲折の旅が始まることとなるのです。
この小説にとって最も重要なエレメントは「聖と俗の対比」でしょうか。
シルビア自身のアイデンティティがまさに聖と俗のぶつかりあいで。
「汚れた子供」とつばを吐かれまでした彼女が民衆の中で聖女のように崇められるようになること。
そしてボンの町でそうやって(農民出身としては例外的に)聖女として修道院に招かれるまでにもなりながら、夜はお世話になっているユダヤ人の夫婦の知り合いが経営する売春宿で歌手として働き。
強い信仰心と修道院で神学などを勉強する探求心の反面、必ずしもキリスト教徒ではない人々や売春宿のスタッフと触れあい、一緒に音楽を奏でたりしながら楽しくやりたい気持ちも強く。
教会の見解、民衆の見解やうわさ、身の回りで起こる偶然や説明の付かないことの多くに巻き込まれ、弄ばれるようにして生きて行くシルビア。
彼女の視点から見たこういった出来事は奇跡と思われるものがいかに大げさで誤解を招くものか、同時にたまには説明のつかないことも確かに起きるんだ、ということを表しています。
十字軍の時代は本当に価値観・宗教などが迷走していた時代だということもあってそういったことが人々と信仰を本当に引っかき回したんですね。
教会の教えや権威、信仰の形などが本当に理不尽だった時代で弱い立場として生きて行く辛さとしたたかさが物語に表れています。
ただ主人公の性格上シルビアは引っ張り回されるばかりで生きてはいません。
農民出身、しかも親を早くに亡くした若い女性というステータスは当時としてはかなり!不利なものですが。
彼女はその美貌、歌声、そして頭脳を武器として様々な逆境に立ち向かっていきます。
とくに「学ぶこと」ということがどれだけ人、特に弱者の力になるか、というかがこの物語では強く訴えられています。
ユダヤ人のMaster Israelに学んだ言語やチェス、修道院でBrother Dominicに学んだ理論的思考と立ち回り、Frau Sarahに学んだ植物の扱いなど・・・
シルビアの学びたいと強く思う思い、学ぶことで力がつくこと、そして視点が広がること・・・そして身につけた知識を実際に使う力・・・こういったテーマを扱う本は意外と少なく、そういった意味でこの小説は大変強く訴えるものがあると思いました。
この小説でもう一つちょっと特殊なのが「性」関連のテーマ。
主人公が女性で一人称で書かれてることもあり、女性にとっての性的ないろいろ(性への目覚めや、あと売春宿の女の子たちの話など)を扱うことが多いのですが・・・男性作家だとは思えないほどの女性的な視点と共感に心底驚きました!
女性として個人的に性的なエレメントにいろいろときめく箇所が正直結構ありました(笑)
シルビアが歌手として働いた売春宿Ali Babaは描写のうまさもありますがなんというか外の世界とは別世界で。(そういった意味ではまた優秀な売春宿ですよね)ロマンチックなんですよ。
そして性といえば当時の信仰などに関する文化の他にもちろん俗文化もあり。そういった民謡などでよく性が扱われ、子供の性教育などにも使われていた事情も描かれていてそれもまた興味深いです。
ちなみにもう一つ。私の知ってる本のうちで男×女、男×男、女×女全てのそういったことを扱っているのはこの本だけ。そういった意味でもまた特殊な物語です。
さて、シルビアの主人公としての性格ですがいろいろあれども私は本当に気に入っていて。
この物語を無事生き延びたことでわかるようにかなりタフでしたたかで。
最初はでも男性不信が強かったこと、そしてそれとは反面に信仰に対していかにピュアでナイーブだったかが目立ちました。
そのナイーブさ、タフとナイーブの奇妙な組み合わせもまた私の心をしっかり掴みました。
美貌も、「聖なるあざ」も、聖女としてのステータスも、うらやむ人は多いのだろうけど彼女にしてみればありがた迷惑というか「なりたくてなったんじゃない」的なところがあって、そういったところにも共感が強かったです。
彼女の歌声、そして頭脳と立ち回りは本当にいろんな人を、信仰を、大衆を、ビジネスを動かして・・・
彼女には奇跡を起こす力、というか多くのものを動かす力があったことは事実です。(その形態が音楽だというのもまた嬉しいですね!夢があります)小説の主人公としては本当にパワフルな分類に入って、なんか・・・爪の垢を煎じて飲みたい気分になります。物書きとしては。
読む方としても本当に魅力的。
シルビアは生まれた村をあとにしてから本当にいろんな幸福な出会いをしました。
彼女の最高の相方であり親友で後にハーメルンの笛吹きとなるネズミ取りのReinhardt、彼女に女性としての立ち回り、弱い性として精一杯生きる方法を教えたFrau Johanna、Frau Sarah、そして売春宿Ali Babaの女の子達・・・先ほども言及しました彼女を学びで導いた師たち・・・
その出会いを読んでいるだけで本当に良い本を読んでるなあ、という気持ちになります。
あと当時(に限らず)悪者とされやすいユダヤ人の描写が気に入りました。本当にこの小説の彼らの生活や思想からは本当に学ぶことが多いです。
あと読んでみてエンディングに疑問を持つ人は多いと思うのですが、あえてこの物語をオープンエンドとしておくことでここからまた新しい物語が始まるんだ、ということ、そしてReinhardtと彼女の新しい旅に対して読者が希望と想像を持つことという目的ではある意味ありかな~と思います。
最後の最後のReinhardtの台詞の茶化した感じはある意味ではここまで読み進めて良かったな~という気持ちも持てますし(あくまでも脱力のなかのどこかにその気持ちはある、ということですが)。
ときめいたり、学んだり、共感したり、たまには不安になったり・・・小説としても、それ以上としてもこの本は魅力的で。いろんな意味で私の本棚の中で特別な位置にあります。
言及しませんでしたが「子供十字軍」も確かに重要なエレメントです。価値観、宗教を含めてこの時代は本当に面白いので、そういった意味でもまたお奨めの一冊です♪
今日の一曲: カール・オルフ 「カルミナ・ブラーナ」より「Stetit Puella」
カルミナ・ブラーナ。この曲はドイツで20世紀に書かれたものですが、もとの歌詞などはまさにシルビアが生きた時代に彼女の言語(たくさんあるうちラテン語・中高ドイツ語)で書かれています。
つまりこの作品に出てくる民謡的なものはシルビアの物語とも通じているのです♪
ちなみに本のこともありオケはドイツのものをセレクトさせてもらいました♪
カルミナ・ブラーナは大きく分けて3部から成り立っています。
第1部は田舎の風景、第2部は酒場の風景(そのため合唱は男声のみ)、そして第3部は「愛の誘い」と名付けられています。
このStetit Puellaは第3部からの曲です。
第3部は恋に落ちてから身も心も結ばれるまでのいろいろをあんなことやこんなことを交えて描いています。
ドイツの田舎の風景もシルビアのルーツなのですがこのStetit Puella(若い娘が立っていた)がなんか・・・シルビアのPetticoat Angelというアイデンティティを少し思わせるようで。
幼くもどこか妖艶で、聖なるピュアなものでもものすごくセクシーな何かがある、という・・・?
そんな若い女性をどうこうしたくなる男心をさりげなく表してるかと思いきやかすかにそんなバカな男を誘う女心も見え隠れしたり・・・?
カルミナ・ブラーナ自体はものすごく大編成で、大編成のオケ+ピアノ2台+合唱+子供合唱+ソプラノ、テノール、バリトンのソリストが勢揃いなのですが。
このStetit Puellaに関してはものすごく小編成。少女のピュアさを思わせる純粋な音の楽器とソプラノのアンサンブルです。
弦のハーモニクスによる高音の透明さ、そしてソプラノの歌うメロディーの素朴な美しさが光ります♪
カルミナ・ブラーナは結構最後の方になってくると性に関する言及が結構露骨になってきて(笑)それを話すのもそれはそれで面白いのですが・・・
この曲はそんななか少ない音と少ない言葉でさりげなく視線が会ったり、ちょっとした誘うような表情、思わせぶりな微笑、このあとどうなるかの含蓄など・・・そういったものがみんなさりげなく表れて。
なんでしょ、やっぱりくすぐったいようなロマンチックさがあるんですよね。
カルミナはたくさん楽章があるのでさくさく今度も紹介していきたいです~(汗)
昨日は私の25歳の誕生パーティーを家でやりました。
先日公開しましたようなメニューを料理して、みんなで談話しながら食べたりなんだり。
腕相撲もあり、日本のテレビで盛り上がったり、楽しい夜でした。
結局妹と私を入れて11人家に入って、一つの(+ちょっと延長)テーブルで食事できたことに自分でも驚き!
特に食器については本当に出し始めるまで考えていなかったのでみんな手伝ってくれて本当にありがたかったです。
ご飯もおかずもカステラもきれいに片付いて。
そして・・・
親友とその彼氏にもらったこちらの麦焼酎もほとんど空っぽになりました。
近くにある日本スーパーでこういったお酒がそろえてあって、昨日親友と落ち合って一緒に決めました。
前回日本食レストランでいただいたものよりもかなり好評。
妹に関しては焼酎自体は嫌いだったらしいのですが焼酎のいろんなもの割りを実験してみることに燃えてしまって。
牛乳、紅茶、はちみつレモン、ペパーミントティー、コーヒーなどがいきなり出てきました(笑)
私は個人的に紅茶やはちみつレモンが好きだったかも。全体的に焼酎好きになりましたね♪
そしてこれがそのときもらったもう一本。
けっこう種類があって、それに反して私たち二人とも知識がなく・・・(笑)
ワインを選ぶのはもっと価格に限りがあるためか少しは知識があるためか簡単なんですけれど。
ということで悩んだあげく私の出身地尾張の国のお酒を。
ねのひ、名前だけは昔祖父母の家に行ったときなどに聞いたことがあるんですけど・・・
これがまだ開封していないのでまた別の機会にでも・・・と相当楽しみにしている次第です(笑)
またきっとみんなで集まった時でも・・・?
そして。
別の友達がパーティーに持ってきてくれました。
きんきんに冷やしてあったので飲まなくて本当にすまないと思ったのですけど・・・
Yalumbaという南オーストラリアにあるオーストラリア最古の自家ワイナリー(とラベルに書いてあります)で作られたUnwooded Chardonnayです。
Unwoodedとは調べてあるとオークなどの樽で熟成しない、つまり木の香りがないシャルドネワイン・・・ということらしいです。
2009年のY Series、と書いてあります。
料理にも使わず一人でこっそり消費・・・しちゃおうかしら(笑)
それにしても家にあるお酒の量が急にぐっと増えましたわ!
他にもこんなプレゼントをもらいました。
手作りのお菓子にちょっと素敵なポケットノート、Bhudda's Tearと呼ばれる緑茶とジャスミンの花を丸めた形状のお茶、そしてそれを入れる缶、そして素敵なカードも。
お菓子は食べてみましたがナッツが入ってるほんのり甘い、塩味もほんのりある丸いぱふぱふのビスケットのようなものです。(実際なんというお菓子なのかは本人に問い合わせ中です)
どうも私ノートというものが好きなようで。こうやって素敵なノートをもらってしまうと何に使おうか気持ちばかりがはやってしまいます(汗)
さて、実際の食卓の様子はというと・・・
おかずの品数もあり、そしてみんな緑茶もお酒もいただきたいといったためこんなカオス状態に(笑)
お茶碗の下にお皿が敷いてあるのは今のところ置く場所がないから(汗)
そしてオージー皆さんお箸で食べました。もちろんお箸使いのレベルに差はありますがみんなご飯とおかずとお箸で食べられますよ♪
日本に住んだことのある友達に至っては「フォークとスプーン使うなんて軟弱者よ」とまで(笑)
彼女からのバースデーカードには日本にいたときに縁のあった手作り判子師の方に苗字の漢字表記の判子を彫ってもらったのが押してありました♪
ごはんもおかずも綺麗にぺろりとたいらげられました♪
ケーキ代わりのカステラも休憩後にまたぺろりと(笑)
そして日本のテレビをみて盛り上がること(笑)
こないだのオレワンゴールデンSPだったらそこそこみんな説明なしでもいけるかな・・・と思ってつけてみたらいきなり回転寿司流れ食いをみんな冷静に分析し始めたことにびっくり!
こんなに食いつきが良いとは思わず・・・
言葉の壁がなければクイズつけるんですがね~インテリ揃いなので(笑)
こんなに酒と食べ物とテレビで楽しく盛り上がれるならまた誕生日関係なく集まりたいですね~
次回妹が一緒してくれるかはわからないのですが・・・それなりに楽しそうだったので、ね。
今後は友達同士でいろいろプランがあるようなのでまたそれも楽しみにしています♪
こんなに盛り上がれる、いろんな意味でアクティブな友達と一緒に長く居れて本当に幸せです♪
今日の一曲: ジョン・ラッター レクイエム 「Agnus Dei」(神の子羊)
レクイエムと言えば大編成のものが有名な印象があります。例えばヴェルディ、ベルリオーズ、ブリテン、ブラームス、そしてオーストラリアだとSculthorpeのもそうですね。モーツァルトのも彼にしてはまた大きめの編成かな?
そんななか小編成と合唱の組み合わせでも素晴らしいレクイエムが書けるんだ!と思い知ったのがこの作品。私が生まれた1985年にイギリスの作曲家ジョン・ラッターにより書かれました。
編成は:フルート2本、オーボエ、クラリネット2本、ファゴット、ホルン2本、ティンパニ、その他打楽器1人、ハープ、弦楽器少人数です。
一応テキスト(歌詞)は伝統的なローマ系のレクイエム・ミサのものを主に用いていますが・・・
なんといいましょうか、全体的にアングリカン(イギリス正教会)でよくあるようなアイルランド系賛美歌のフレーバーが強いですね。そしてアイルランド音楽と言えばもうメロディーの美しさは群を抜いています。
ですがこのAgnus Deiで注目するべきはそこではありません。
なんていったってティンパニがかっこいい!
まるで心臓の鼓動のようなティンパニの打撃が最初からクライマックスまで休みなくどんどん大きくなっていくのが本当に言葉そのまま胸を打ちます。
あとオープニングのホルンの静かな低音もまた地味ーにかっこいい。
ブリテンのレクイエムもまたそうなんですがイギリスの「暗い」音楽ってねちっこくなくて結構さらっとしてますよね。
特にこの曲は小編成なのでそのあっさりさが際立っています。
あとこの暗さを「抜け出す」セクションの合唱の部分が好きです。
これもまたイギリスの宗教音楽にありがちな、調をはっきりさせず闇から光へ試行錯誤しながら道を見つけていく感じのパターンですが好きなんですよね~。
光に入って美しいメロディー中心になったところの美しさといったら本当に・・・言葉では表せません。
言葉足らずな感がどうもひしひししますがこの楽章はここらで。
また今度他の楽章を通じてリベンジします・・・(汗)
先日公開しましたようなメニューを料理して、みんなで談話しながら食べたりなんだり。
腕相撲もあり、日本のテレビで盛り上がったり、楽しい夜でした。
結局妹と私を入れて11人家に入って、一つの(+ちょっと延長)テーブルで食事できたことに自分でも驚き!
特に食器については本当に出し始めるまで考えていなかったのでみんな手伝ってくれて本当にありがたかったです。
ご飯もおかずもカステラもきれいに片付いて。
そして・・・
近くにある日本スーパーでこういったお酒がそろえてあって、昨日親友と落ち合って一緒に決めました。
前回日本食レストランでいただいたものよりもかなり好評。
妹に関しては焼酎自体は嫌いだったらしいのですが焼酎のいろんなもの割りを実験してみることに燃えてしまって。
牛乳、紅茶、はちみつレモン、ペパーミントティー、コーヒーなどがいきなり出てきました(笑)
私は個人的に紅茶やはちみつレモンが好きだったかも。全体的に焼酎好きになりましたね♪
けっこう種類があって、それに反して私たち二人とも知識がなく・・・(笑)
ワインを選ぶのはもっと価格に限りがあるためか少しは知識があるためか簡単なんですけれど。
ということで悩んだあげく私の出身地尾張の国のお酒を。
ねのひ、名前だけは昔祖父母の家に行ったときなどに聞いたことがあるんですけど・・・
これがまだ開封していないのでまた別の機会にでも・・・と相当楽しみにしている次第です(笑)
またきっとみんなで集まった時でも・・・?
そして。
きんきんに冷やしてあったので飲まなくて本当にすまないと思ったのですけど・・・
Yalumbaという南オーストラリアにあるオーストラリア最古の自家ワイナリー(とラベルに書いてあります)で作られたUnwooded Chardonnayです。
Unwoodedとは調べてあるとオークなどの樽で熟成しない、つまり木の香りがないシャルドネワイン・・・ということらしいです。
2009年のY Series、と書いてあります。
料理にも使わず一人でこっそり消費・・・しちゃおうかしら(笑)
それにしても家にあるお酒の量が急にぐっと増えましたわ!
他にもこんなプレゼントをもらいました。
お菓子は食べてみましたがナッツが入ってるほんのり甘い、塩味もほんのりある丸いぱふぱふのビスケットのようなものです。(実際なんというお菓子なのかは本人に問い合わせ中です)
どうも私ノートというものが好きなようで。こうやって素敵なノートをもらってしまうと何に使おうか気持ちばかりがはやってしまいます(汗)
さて、実際の食卓の様子はというと・・・
お茶碗の下にお皿が敷いてあるのは今のところ置く場所がないから(汗)
そしてオージー皆さんお箸で食べました。もちろんお箸使いのレベルに差はありますがみんなご飯とおかずとお箸で食べられますよ♪
日本に住んだことのある友達に至っては「フォークとスプーン使うなんて軟弱者よ」とまで(笑)
彼女からのバースデーカードには日本にいたときに縁のあった手作り判子師の方に苗字の漢字表記の判子を彫ってもらったのが押してありました♪
ごはんもおかずも綺麗にぺろりとたいらげられました♪
ケーキ代わりのカステラも休憩後にまたぺろりと(笑)
そして日本のテレビをみて盛り上がること(笑)
こないだのオレワンゴールデンSPだったらそこそこみんな説明なしでもいけるかな・・・と思ってつけてみたらいきなり回転寿司流れ食いをみんな冷静に分析し始めたことにびっくり!
こんなに食いつきが良いとは思わず・・・
言葉の壁がなければクイズつけるんですがね~インテリ揃いなので(笑)
こんなに酒と食べ物とテレビで楽しく盛り上がれるならまた誕生日関係なく集まりたいですね~
次回妹が一緒してくれるかはわからないのですが・・・それなりに楽しそうだったので、ね。
今後は友達同士でいろいろプランがあるようなのでまたそれも楽しみにしています♪
こんなに盛り上がれる、いろんな意味でアクティブな友達と一緒に長く居れて本当に幸せです♪
今日の一曲: ジョン・ラッター レクイエム 「Agnus Dei」(神の子羊)
レクイエムと言えば大編成のものが有名な印象があります。例えばヴェルディ、ベルリオーズ、ブリテン、ブラームス、そしてオーストラリアだとSculthorpeのもそうですね。モーツァルトのも彼にしてはまた大きめの編成かな?
そんななか小編成と合唱の組み合わせでも素晴らしいレクイエムが書けるんだ!と思い知ったのがこの作品。私が生まれた1985年にイギリスの作曲家ジョン・ラッターにより書かれました。
編成は:フルート2本、オーボエ、クラリネット2本、ファゴット、ホルン2本、ティンパニ、その他打楽器1人、ハープ、弦楽器少人数です。
一応テキスト(歌詞)は伝統的なローマ系のレクイエム・ミサのものを主に用いていますが・・・
なんといいましょうか、全体的にアングリカン(イギリス正教会)でよくあるようなアイルランド系賛美歌のフレーバーが強いですね。そしてアイルランド音楽と言えばもうメロディーの美しさは群を抜いています。
ですがこのAgnus Deiで注目するべきはそこではありません。
なんていったってティンパニがかっこいい!
まるで心臓の鼓動のようなティンパニの打撃が最初からクライマックスまで休みなくどんどん大きくなっていくのが本当に言葉そのまま胸を打ちます。
あとオープニングのホルンの静かな低音もまた地味ーにかっこいい。
ブリテンのレクイエムもまたそうなんですがイギリスの「暗い」音楽ってねちっこくなくて結構さらっとしてますよね。
特にこの曲は小編成なのでそのあっさりさが際立っています。
あとこの暗さを「抜け出す」セクションの合唱の部分が好きです。
これもまたイギリスの宗教音楽にありがちな、調をはっきりさせず闇から光へ試行錯誤しながら道を見つけていく感じのパターンですが好きなんですよね~。
光に入って美しいメロディー中心になったところの美しさといったら本当に・・・言葉では表せません。
言葉足らずな感がどうもひしひししますがこの楽章はここらで。
また今度他の楽章を通じてリベンジします・・・(汗)
先生にこないだメールをしたけれど自動返信で留守にしているというメールが来ただけで全然音沙汰がありません。
最近は仕事に他のことに忙しくて練習ができてないのである意味では時間はちょっぴりありがたいのですが、でもなんか淋しいです。
私にとって先生はスティーブンただ一人ですから。
もちろんマイケルも尊敬していますし、またピアノが軌道にのって聴いて欲しいものがあればレッスンして欲しいなあ、とも思ってるのですが・・・
マイケルは大学時代も毎週レッスンはできない人なのですがマイケルに師事していたらきっとマイケルの色に染まってしまったかもしれないなあ、と思うんですよ。あんなにパワフルに表現をする人ですし。Pだってある程度影響を受けていましたし。その影響はもちろんマイケルが素晴らしい音楽家なのでいいこともあるのですが・・・
スティーブンはもともと口数の少ない人ですが、それを考慮してもレッスンのときに私の曲の解釈にとやかく言ったことは全くといってないです。(もちろん技巧的なこと、音楽的な表現、そして曲のチョイスについては言いますが)
音楽をどう解釈するかについては私は全く自由で、先生はその解釈、つまり私が曲を通してしたいことを表現するためにピアノでするべきことを全面的にサポートしてくれました。
そんなスティーブンとまたレッスンがしたいなあ、ちょっと自分だけじゃあ心細いなあ、なんて思うんですけど・・・
最悪8月下旬のPiano Landmarksで会えるのでそのときでも・・・?
レッスンしてくれるといいです。
大学時代はそんな先生の元授業でいっぱい演奏しました。
ピアノクラス(ピアノ生徒全体のクラス。演奏だったり、ゲストのマスタークラスだったり、その他ピアノの一番偉い先生がピアノに関連するいろんなことについて話したり)はちょっと、その・・・ピアノの一番偉い先生が現代音楽嫌いなのでちょっとアウェーな感じは多少あって。(でもピアノ弾きの一部の側面では私を認めてくれてたみたいです。私の事は別に嫌いとかじゃなくて、私が弾く曲が嫌いだったのです)
でもコンサートクラスは一ヶ月に一回は演奏してました。
コンサートクラスは事前に書類を出して演奏したい旨を伝えて、音楽科の生徒のみんな(または一部学年)が聴衆となってる前で弾くというもの。あとで監督の先生からコメントももらえますし後に生徒もコメントしなくちゃいけない制度ができて。この制度は出席率の問題からできたのですが他の人にコメントするより自分で弾く方が楽なのでこの制度ができてからは余計に頻繁に演奏するようになりました(笑)
ちなみにこんな曲なんかを弾いてました:(コメントなどがとってある分だけ)
1年生:ファリャ「三角帽子」から、ラフマニノフ練習曲op.39-4
2年生:ドビュッシー前奏曲集第1巻5,7番、ベートーベンピアノソナタop.31-3第2楽章、ショスタコ前奏曲とフーガ第16番、ブラームスop.118-2,6、ラヴェル「鏡」より「道化師の朝の歌」「鐘の谷」
3年生:メシアンまなざし第4、9番、上記ショスタコ、メシアンまなざし第11、12番、ヒンデミットピアノソナタ第3番第3楽章、岡本加奈子さんの「La Nuit」
4年生:メシアンまなざし第17,18,19番、ラフマニノフ練習曲op.39-8、メシアン練習曲「火の島I」
4年生(次の年):モンポウ「歌と踊り」第5番、メシアン鳥のカタログ「モリヒバリ」、ドビュッシー前奏曲「沈める寺」、クラム「マクロコスモス」第2巻1,3,12番、レスピーギ前奏曲変ロ短調、プロコフィエフ「悪魔的暗示」、スクリャービン練習曲op.42-5、上記ショスタコ。
(伴奏はまたこれとは別にリストがあります)
これを見るといつ私が「目覚めた」か一目瞭然ですね(笑)
このうち岡本加奈子さんの作品以外は暗譜でやってる・・・はず。そしてコンサートクラス等は高いスタインウェイを弾くのでクラムは特殊奏法抜きバージョン。
これは2年生のピアノクラスでピアノ音楽の現代の作曲家にはどんな人がいるか、とピアノの一番偉い先生がいうもんですから「ジョージ・クラム」と答えたらその先生「え、クラム弾くの?(汗)」といったので「あ、今は弾きませんがいつかと思ってます♪(嬉々)」と答えた経緯があり、特殊奏法なしでもこのホールで弾いてやる!という公約を果たしたかったのです(笑)
今はだれかの前で演奏するために弾いてるわけではありません・・・それはそれでいいんですが、私は何を弾こうか、どんな曲を組み合わせてレパートリーにしようか・・・あとはリサイタル妄想なんかも大学時代からやってます。
妄想、というか・・・どういう曲を組み合わせて、どんなテーマでリサイタル(に限らず演奏)をやりたいか、どんな曲を組み合わせると面白いか、どんな隠れテーマで一見共通点のない曲を繋げるか・・・
そういった事を考えるのが実際に演奏と同じくらい、あるいはそれよりも大好きで。自分の能力に限りはありますが曲の組み合わせは(組み合わせるだけなら)無限です。
作曲家に創られた曲が芸術なのと同じようにリサイタル、またはそれに相当する複数の曲の一連の演奏もまた芸術だと思います。
もともとちょっとこだわっちゃいたい人な自分なのですが、ここらへんのこともまた他から影響を受けています。
Pがメルボルンでリサイタルをやるときでのこだわりがまずあって、そして彼の師であるマイケルの演奏形態に関してものすごくいいな~と思ったのもまた大きな影響です(この師弟はなにかと私のいろんな面に影響がありますな!)。
マイケルが数年前タスマニアでPeter Cundallの語りを交えて演奏時間なんと3時間30分を超えるメシアンの「鳥のカタログ」を一日3つのコンサートにわけて、自然保護のイベントで演奏したこと。そしてこないだの48 fugues for Frankのコンサートのプレゼンテーション。
これらなどを受けてコンサートも全体で一つの芸術形態なんだな、そして曲の組み合わせやプレゼンテーションなどで音楽によって表現できる、伝えられるメッセージも変わるんだなーと真摯に思いました。
実際私が2回リサイタルをやったのではどちらも弾きたい曲が多く詰め込んだ結果そこまではこだわれていないのが現実ですが、現実がそうだからこそやりたいなあと妄想するのが自然なわけで・・・(苦笑)
例えば自分の創作のキャラクターに関する・イメージした曲を集めてみたり。
いつかキャンセルしなくちゃいけなかったリサイタルは数字の「3」をテーマにしたリサイタルプログラムを組んだことも実際あります。
あと考えてみたのはちょっと変わり種の「宗教関係音楽」特集。バッハの短めの曲で初めてそこから首をひねってもらうという。
Pみたいにちょっと目立たない共通点とかやってみたいんですけどね~。これは相当なプランニングが必要。一見かなりばらばらなスタイルや性格の曲を目立たない糸で繋いで・・・なんてできればかなりパワフルなリサイタルになりますからね♪
コントラストと共通点のバランスだけではなく、リサイタルのいろんな要素がバランスしてなくちゃいけませんしね。
バランスはでも自然ととれるものなんですよね。バランスが悪いと自分が弾いてて・聴いててしんどいことこの上ないですから。
曲を弾いていて「これでリサイタルを始め・終わりたいな~」なんて思うことはたくさんあります。ただ後者のほうが多いのがちょっと困りもの。
これで終わりたい!という曲にこだわりたくなるためどうもアンコールの類はやらない、というかやりたくないことが多いです。
ずーっと考えてる理想のプログラムは:
1)5分くらいの曲で始める
2)メシアン「鳥のカタログ」からニシコウライウグイス(8分)
3)ソナタかなんか長めの曲を挟む
4)もうちょっと弾く
5)メシアン「鳥のカタログ」からダイシャクシギで締める(10分)
・・・というプログラム。(1時間~1時間半?長さによっては3)と4)間に休憩)
実は創作で似たようなプログラムをキャラに弾かせてるので逆輸入なのですが。
「鳥のカタログ」のうちニシコウライウグイスは2曲目なのですがダイシャクシギとどうも個人的な印象としては相性が良く、この2曲でリサイタルを包むみたいな形にしたいなあ・・・なんて。
ただニシコウライウグイスはリサイタルの最初よりは次鋒のほうが印象が強いかも、ということでこんな形に。
あとはテーマを決めてそれにそって他の曲を決めていくだけ。
音楽を「弾く」のも音楽家の仕事ですが、コンサート・リサイタルを「演出」するのもまた一つの仕事。
なんらかの思想、アイディア、コンセプトなどでつないだリサイタルはまた音楽に限られない表現を可能にし、聴衆にとって音楽に限られない経験を創ることができます。
なので例えばメンタルヘルスをテーマにしたリサイタルだと一石二鳥というか相乗効果になる可能性もある、ということで・・・そちらもなんとかしたいのですが(プランするだけでも)。
この「演出」の部分がかなり楽しいプロセスなので、いつか本当に小さい規模でもリサイタルとして実行に移せたらな~と強く願っています♪
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第4番「聖母のまなざし」
先ほどのコンサートクラスで弾いた曲の中にもあった、私が初めて人前で演奏したメシアンの曲です。(最初に弾いたのは別のまなざし)
聖母のまなざし。聖母とはもちろん絵画でもおなじみ聖母マリア。
ゆりかごがゆれるようなリズムは穏やかでもあり、同時にこの曲全体を支配する不思議な不安があります。
それはまた曲の途中で表れるパッセージでも明らかになることなのですが・・・
許嫁ヨセフとベッドも共にしないのにいきなり天使が(深く信仰する神の元から!)やってきて、神の子をお腹に授かってると言われ・・・
それは絵画では良く喜ばしいことのように扱われています(実際に喜ばしいことではあるのです)が、本人にしてみれば恐れ多いことであり、ものすごいプレッシャーであり・・・自分はある意味結婚前に妊娠してしまったことでヨセフになんといっていいわけしたらいいかわからないですし、世間様もなにやら言うでしょうし・・・さらにこの子供が愛するヨセフと自分の子供だったらまだいいのにそうではない、しかも神の子供というこれまた尋常ではない、特別にも特別すぎる存在、とてつもなく大きな力が働いている存在だと・・・
一人で悩み、同時にお腹の子供を愛しく思い、神を敬い、同時に神の子を大事に思う・・・そしてその未来を心配し。
祝福するような?鳥の声とは対照的に結構この楽章の至る所には第7番の「十字架のまなざし」を思わせる音型が表れます。
「十字架」はキリストの死を表すシンボル。もちろん「十字架のまなざし」の曲も同じ事を表現しています。
聖母マリアはこの子供が神の子として人を救うであろうことを予想しながらも・・・心のどこかで彼のその十字架の上での死を予感している、そんな曲です。
誕生と死を同時に扱う、そして不安と悲しみがどうしてもぬぐえないこの優しき子守歌。(「嘆きの聖母」的性格ですね)
ものすごく女性的な音楽で、自分が弾いたとき(そして今後弾く時も)その女性的な面を重視して演奏したいと思っています。
これと対になるのが第11番「聖母の聖体拝受」で、これはマリアが天使に神の子を授かったお告げを受けた喜びが描かれていて、こちらはメシアンお得意の喜びに満ちた音楽。まるで宗教絵画を見ているように(ちょっとだけ説明を受ければ)ものすごくわかりやすいイメージの音楽ですが、またそれは後ほど!
最近は仕事に他のことに忙しくて練習ができてないのである意味では時間はちょっぴりありがたいのですが、でもなんか淋しいです。
私にとって先生はスティーブンただ一人ですから。
もちろんマイケルも尊敬していますし、またピアノが軌道にのって聴いて欲しいものがあればレッスンして欲しいなあ、とも思ってるのですが・・・
マイケルは大学時代も毎週レッスンはできない人なのですがマイケルに師事していたらきっとマイケルの色に染まってしまったかもしれないなあ、と思うんですよ。あんなにパワフルに表現をする人ですし。Pだってある程度影響を受けていましたし。その影響はもちろんマイケルが素晴らしい音楽家なのでいいこともあるのですが・・・
スティーブンはもともと口数の少ない人ですが、それを考慮してもレッスンのときに私の曲の解釈にとやかく言ったことは全くといってないです。(もちろん技巧的なこと、音楽的な表現、そして曲のチョイスについては言いますが)
音楽をどう解釈するかについては私は全く自由で、先生はその解釈、つまり私が曲を通してしたいことを表現するためにピアノでするべきことを全面的にサポートしてくれました。
そんなスティーブンとまたレッスンがしたいなあ、ちょっと自分だけじゃあ心細いなあ、なんて思うんですけど・・・
最悪8月下旬のPiano Landmarksで会えるのでそのときでも・・・?
レッスンしてくれるといいです。
大学時代はそんな先生の元授業でいっぱい演奏しました。
ピアノクラス(ピアノ生徒全体のクラス。演奏だったり、ゲストのマスタークラスだったり、その他ピアノの一番偉い先生がピアノに関連するいろんなことについて話したり)はちょっと、その・・・ピアノの一番偉い先生が現代音楽嫌いなのでちょっとアウェーな感じは多少あって。(でもピアノ弾きの一部の側面では私を認めてくれてたみたいです。私の事は別に嫌いとかじゃなくて、私が弾く曲が嫌いだったのです)
でもコンサートクラスは一ヶ月に一回は演奏してました。
コンサートクラスは事前に書類を出して演奏したい旨を伝えて、音楽科の生徒のみんな(または一部学年)が聴衆となってる前で弾くというもの。あとで監督の先生からコメントももらえますし後に生徒もコメントしなくちゃいけない制度ができて。この制度は出席率の問題からできたのですが他の人にコメントするより自分で弾く方が楽なのでこの制度ができてからは余計に頻繁に演奏するようになりました(笑)
ちなみにこんな曲なんかを弾いてました:(コメントなどがとってある分だけ)
1年生:ファリャ「三角帽子」から、ラフマニノフ練習曲op.39-4
2年生:ドビュッシー前奏曲集第1巻5,7番、ベートーベンピアノソナタop.31-3第2楽章、ショスタコ前奏曲とフーガ第16番、ブラームスop.118-2,6、ラヴェル「鏡」より「道化師の朝の歌」「鐘の谷」
3年生:メシアンまなざし第4、9番、上記ショスタコ、メシアンまなざし第11、12番、ヒンデミットピアノソナタ第3番第3楽章、岡本加奈子さんの「La Nuit」
4年生:メシアンまなざし第17,18,19番、ラフマニノフ練習曲op.39-8、メシアン練習曲「火の島I」
4年生(次の年):モンポウ「歌と踊り」第5番、メシアン鳥のカタログ「モリヒバリ」、ドビュッシー前奏曲「沈める寺」、クラム「マクロコスモス」第2巻1,3,12番、レスピーギ前奏曲変ロ短調、プロコフィエフ「悪魔的暗示」、スクリャービン練習曲op.42-5、上記ショスタコ。
(伴奏はまたこれとは別にリストがあります)
これを見るといつ私が「目覚めた」か一目瞭然ですね(笑)
このうち岡本加奈子さんの作品以外は暗譜でやってる・・・はず。そしてコンサートクラス等は高いスタインウェイを弾くのでクラムは特殊奏法抜きバージョン。
これは2年生のピアノクラスでピアノ音楽の現代の作曲家にはどんな人がいるか、とピアノの一番偉い先生がいうもんですから「ジョージ・クラム」と答えたらその先生「え、クラム弾くの?(汗)」といったので「あ、今は弾きませんがいつかと思ってます♪(嬉々)」と答えた経緯があり、特殊奏法なしでもこのホールで弾いてやる!という公約を果たしたかったのです(笑)
今はだれかの前で演奏するために弾いてるわけではありません・・・それはそれでいいんですが、私は何を弾こうか、どんな曲を組み合わせてレパートリーにしようか・・・あとはリサイタル妄想なんかも大学時代からやってます。
妄想、というか・・・どういう曲を組み合わせて、どんなテーマでリサイタル(に限らず演奏)をやりたいか、どんな曲を組み合わせると面白いか、どんな隠れテーマで一見共通点のない曲を繋げるか・・・
そういった事を考えるのが実際に演奏と同じくらい、あるいはそれよりも大好きで。自分の能力に限りはありますが曲の組み合わせは(組み合わせるだけなら)無限です。
作曲家に創られた曲が芸術なのと同じようにリサイタル、またはそれに相当する複数の曲の一連の演奏もまた芸術だと思います。
もともとちょっとこだわっちゃいたい人な自分なのですが、ここらへんのこともまた他から影響を受けています。
Pがメルボルンでリサイタルをやるときでのこだわりがまずあって、そして彼の師であるマイケルの演奏形態に関してものすごくいいな~と思ったのもまた大きな影響です(この師弟はなにかと私のいろんな面に影響がありますな!)。
マイケルが数年前タスマニアでPeter Cundallの語りを交えて演奏時間なんと3時間30分を超えるメシアンの「鳥のカタログ」を一日3つのコンサートにわけて、自然保護のイベントで演奏したこと。そしてこないだの48 fugues for Frankのコンサートのプレゼンテーション。
これらなどを受けてコンサートも全体で一つの芸術形態なんだな、そして曲の組み合わせやプレゼンテーションなどで音楽によって表現できる、伝えられるメッセージも変わるんだなーと真摯に思いました。
実際私が2回リサイタルをやったのではどちらも弾きたい曲が多く詰め込んだ結果そこまではこだわれていないのが現実ですが、現実がそうだからこそやりたいなあと妄想するのが自然なわけで・・・(苦笑)
例えば自分の創作のキャラクターに関する・イメージした曲を集めてみたり。
いつかキャンセルしなくちゃいけなかったリサイタルは数字の「3」をテーマにしたリサイタルプログラムを組んだことも実際あります。
あと考えてみたのはちょっと変わり種の「宗教関係音楽」特集。バッハの短めの曲で初めてそこから首をひねってもらうという。
Pみたいにちょっと目立たない共通点とかやってみたいんですけどね~。これは相当なプランニングが必要。一見かなりばらばらなスタイルや性格の曲を目立たない糸で繋いで・・・なんてできればかなりパワフルなリサイタルになりますからね♪
コントラストと共通点のバランスだけではなく、リサイタルのいろんな要素がバランスしてなくちゃいけませんしね。
バランスはでも自然ととれるものなんですよね。バランスが悪いと自分が弾いてて・聴いててしんどいことこの上ないですから。
曲を弾いていて「これでリサイタルを始め・終わりたいな~」なんて思うことはたくさんあります。ただ後者のほうが多いのがちょっと困りもの。
これで終わりたい!という曲にこだわりたくなるためどうもアンコールの類はやらない、というかやりたくないことが多いです。
ずーっと考えてる理想のプログラムは:
1)5分くらいの曲で始める
2)メシアン「鳥のカタログ」からニシコウライウグイス(8分)
3)ソナタかなんか長めの曲を挟む
4)もうちょっと弾く
5)メシアン「鳥のカタログ」からダイシャクシギで締める(10分)
・・・というプログラム。(1時間~1時間半?長さによっては3)と4)間に休憩)
実は創作で似たようなプログラムをキャラに弾かせてるので逆輸入なのですが。
「鳥のカタログ」のうちニシコウライウグイスは2曲目なのですがダイシャクシギとどうも個人的な印象としては相性が良く、この2曲でリサイタルを包むみたいな形にしたいなあ・・・なんて。
ただニシコウライウグイスはリサイタルの最初よりは次鋒のほうが印象が強いかも、ということでこんな形に。
あとはテーマを決めてそれにそって他の曲を決めていくだけ。
音楽を「弾く」のも音楽家の仕事ですが、コンサート・リサイタルを「演出」するのもまた一つの仕事。
なんらかの思想、アイディア、コンセプトなどでつないだリサイタルはまた音楽に限られない表現を可能にし、聴衆にとって音楽に限られない経験を創ることができます。
なので例えばメンタルヘルスをテーマにしたリサイタルだと一石二鳥というか相乗効果になる可能性もある、ということで・・・そちらもなんとかしたいのですが(プランするだけでも)。
この「演出」の部分がかなり楽しいプロセスなので、いつか本当に小さい規模でもリサイタルとして実行に移せたらな~と強く願っています♪
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第4番「聖母のまなざし」
先ほどのコンサートクラスで弾いた曲の中にもあった、私が初めて人前で演奏したメシアンの曲です。(最初に弾いたのは別のまなざし)
聖母のまなざし。聖母とはもちろん絵画でもおなじみ聖母マリア。
ゆりかごがゆれるようなリズムは穏やかでもあり、同時にこの曲全体を支配する不思議な不安があります。
それはまた曲の途中で表れるパッセージでも明らかになることなのですが・・・
許嫁ヨセフとベッドも共にしないのにいきなり天使が(深く信仰する神の元から!)やってきて、神の子をお腹に授かってると言われ・・・
それは絵画では良く喜ばしいことのように扱われています(実際に喜ばしいことではあるのです)が、本人にしてみれば恐れ多いことであり、ものすごいプレッシャーであり・・・自分はある意味結婚前に妊娠してしまったことでヨセフになんといっていいわけしたらいいかわからないですし、世間様もなにやら言うでしょうし・・・さらにこの子供が愛するヨセフと自分の子供だったらまだいいのにそうではない、しかも神の子供というこれまた尋常ではない、特別にも特別すぎる存在、とてつもなく大きな力が働いている存在だと・・・
一人で悩み、同時にお腹の子供を愛しく思い、神を敬い、同時に神の子を大事に思う・・・そしてその未来を心配し。
祝福するような?鳥の声とは対照的に結構この楽章の至る所には第7番の「十字架のまなざし」を思わせる音型が表れます。
「十字架」はキリストの死を表すシンボル。もちろん「十字架のまなざし」の曲も同じ事を表現しています。
聖母マリアはこの子供が神の子として人を救うであろうことを予想しながらも・・・心のどこかで彼のその十字架の上での死を予感している、そんな曲です。
誕生と死を同時に扱う、そして不安と悲しみがどうしてもぬぐえないこの優しき子守歌。(「嘆きの聖母」的性格ですね)
ものすごく女性的な音楽で、自分が弾いたとき(そして今後弾く時も)その女性的な面を重視して演奏したいと思っています。
これと対になるのが第11番「聖母の聖体拝受」で、これはマリアが天使に神の子を授かったお告げを受けた喜びが描かれていて、こちらはメシアンお得意の喜びに満ちた音楽。まるで宗教絵画を見ているように(ちょっとだけ説明を受ければ)ものすごくわかりやすいイメージの音楽ですが、またそれは後ほど!
久しぶりの「濠太剌利」カテゴリー。
なんといったって明後日は待ちに待った私の誕生日パーティー。
明日から明後日にかけて腕によりをかけて日本食を作って食べながら談笑、というプランであります。
メニューはこんな感じ:
小皿:ほうれん草のおひたし(ポン酢とoptionalしらす)、梅きゅー、ちくわ
メイン:鶏団子と白菜の鍋、豆腐ハンバーグ
白いご飯に白味噌の豆腐+わかめ+ネギ味噌汁
デザート兼誕生ケーキ:カステラ
今回集まるメンバーはほとんど私がこっちにきた小学5年生からの友達かそこらつながり。
大学の友達は卒業後はさっぱり連絡とってませんね~やっぱりFacebookやってないと(というかやりたくなくてやってないんですが)
しかも人見知りな以上にものすごく!久しぶりの再会ってやつが苦手な私、ちゃんとちょくちょくコンサートとかで会っとかないと。
私がオーストラリアに来たとき、父の会社の転勤だったものですから会社が援助してくれる現地校に入ることになって。
結構お金持ちな地域なので日本人が当時は多く(いまもわりと多いらしいです)、クラスに一人は日本人がいた女子校でした。
クラスは20人強、6つのテーブルを合わせて班にしていて。
その時に初めて隣に座ったのが今も親友と呼ぶ友人H。クラスが一緒の日本人は「Hは優しいから」と最初のアドバイスをくれたのがどんなに確かなことだったか。(親友Hについてはこちらのエントリーを参照)
他にも近くに座っていたHの友達つながりで今の友達グループが成り立っていました。今は家族が経営していた田舎の農場にすんで経営している、私が蛇が好きだと言ったら興味をもってくれたK、実は同じ年の1学期(私は日本の4年生を終えてからだったので2学期編入)でこの学校に来たS、学年は同じでも年は私と1歳半ほどもちがう(飛び級したそうです)Mなど。
メンバーはSがスリランカ出身、Mはロシア出身、Kはドイツとオーストラリアのハーフなどと結構多国籍。みんな成績優秀で、5年生の頃は算数の時間に特別グループとして別に課題をやってたりとかもしていたり、奨学金で通ってる人が多かったです。
私ものちに奨学金をもらうのですが音楽の奨学金(でも内容は同じ学費オフ)なのでちょっと違います。
5年生から学校にマッキントッシュのノートパソコンを持ってくることが必須でちょこちょこプログラミング的なことを習ったのを応用したり、流通したゲームで盛り上がったりしていました。
6年生は20人ほどのクラス2つがほとんど一緒くたに授業(授業といってもそれらしい授業は半分ほどかしら)していたので別々のクラスにわかれても一緒くたにパソコンをいじってたり。
8年生のときはクラス替えのときに生徒(senior schoolはすでに1学年80人近いです。ただうちの学年はちょっと小さめ)の希望をきいてそれを元にクラス編成がされていたので、私たちの少人数グループ(このころは7~8人?)は大体一緒でした。
余談みたいな形になりますが、このころ私の鬱がずいぶんとひどくなりまして、いろいろ友達を苦しめたつらい時期でもありました。
一番当時ありがたかったのが私が急入院したときにいろいろ噂が流れたりするのを恐れて私の友達が先手をうってなかなか素敵なデマを流してくれたことでしょうか。
9年生になると科目が一部選択制になり、そのときに似たような科目を選択したSとクラスが一緒になる機会が多くなり意気投合。似たのは科目の好き嫌いだけでなく結構好みや趣味が似通っていることが判明したもので。
12年生はみんな「コモンルーム」という12年生専用の部屋でスペア(11年生と12年生は空きの授業時間があるんです)やランチタイムなどを過ごしていたため(そして若干人数も通常減るため)、学年一体としての結束が強まるんですけど・・・まあ結果的にうちらと他の生徒、みたいな形になっていました(笑)
いじめられていたとか孤立していたとかではないんですが・・・どうも、ね。別な感じが(笑)
ちなみに勉強もしていましたが500を始めカードゲームも多々やりました♪嗚呼青春。(?)
大学はみんなばらばらでした。
メル大が多いとはいえ私は音楽、HはArts/Science(要するに文系理系どっちも。結局心理学をそのなかで専攻しました9、Sは科学・法学の組み合わせなど本当にめいめいの道を進んで。
でもたまに会えるときは会えるようメールなどで手配したりしましたしお茶したり、バドミントンやったり、Hの家に集まったりしながらずっとここまでやってきました。
今も職がある程度みんな手に付いていて、それでもちょくちょく会うよういろんな企画が計画されています(8月のWilson's Promontoryのキャンプもその一つ♪)
そして大学に言ってからみんなが親しくなった友達や彼氏もグループに参入して(こっちもまたインテリぞろい)。
そしてHの妹たち(双子ちゃん)たちともずっと仲良くさせてもらって(パーティーにも参加予定)。
そしてそんななか昔は私たちと一緒に遊んでたのにいつのまにか遠ざかってしまった私自身の妹がパーティーの鍋参戦ということに実は一番密かに感銘を受けています次第です。
姉妹仲が良いことにものすごく憧れるわけではありませんが、なんとなく・・・こう。いるといいかな、遠くなるのはちょっと淋しいかななんて思うもんですから。
それを含めてもうみんな集まってくれて(まだ集まってないよ!)本当に嬉しく思っています。
今現在9人が来ることになってる鍋パーティー。
明日以降の準備もうまくいってqualityな時間を過ごせるようになるといいな、と思ってます。
パーティーの様子はtwitterで写真入り実況・・・するかしないか決めかねてますが。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「マクロコスモス」第3巻「夏の夜のための音楽」 第3楽章「The Advent」
最近モンポウとかクラムとか大学で出会ってしょっちゅう興奮しっぱなしだった音楽を紹介してないということでクラム、しかもマクロコスモス第3巻です。
第3巻は、「夏の夜のための音楽」と題されており、日本は夏なのでまあいいか(今どうしても聴く気になれない、自分にとっては夏オンリーの曲です)と思いチョイス。
第1,2巻はピアノ独奏ですが第3巻はピアノ2台に打楽器二人。
二人といっても(クラム公式サイト情報)操るのはビブラフォーン、木琴、鉄琴、ベル(チューブ状の)、クロタル(アンティークシンバル)、ベルツリー、クラーベ、そりの鈴、マラカス、ウッドブロック、テンプルブロック、トライアングル、スライドホイッスル2個、お寺風の鐘3つで1セット、サンダーマシーン(どでかい鉄のシートがぶらさがってる)、さらに太鼓、タムタム、シンバルを各何種類かずつなど・・・
ちゃんと全部小さいものも決まったところに置いておかないと地獄だ!と最初思いました。
前々からいろんなところでいってるんですがクラムの音楽が「実験音楽」のくくりにいれられるのはあくまでも成り行き上のことなんです。
確かに彼は上記いろんな楽器を使ったり、特殊奏法で楽器のいろんな音を「実験」したりしましたがあくまでもそれは表現範囲の拡張のためであって実験が目的ではない、という。
そしてその同じ表現範囲の拡張のために彼は2人の打楽器奏者にこれだけの楽器を用意させたわけです(つまり一つ一つの楽器の使用頻度は少ないわけです)
このピアノ2台+打楽器というのはあんまり見ないコンビネーションですが、ちょっぴり似たもの同士、お互いの「できないこと」をカバーし合ってるような感じがものすごくこの曲からは感じ取れます。
打楽器はある意味機械的で結構音色の幅が限られたピアノに音色という意味での新しい色彩を与え、ピアノは音程やハーモニーが欠けている打楽器にそういった意味での色彩を与え。
結果ものすごくカラフルな音楽ができるんです。夏の夜という真っ黒なキャンバスに花火のような色とりどりな音楽。
さて、曲を説明するのが難しいのでここからはツボった部分を箇条書きさせていただきます。
1)一番最初の音。ピアノ1は低音弦を押さえたままキーを弾くあの殴るような、打つような音でピアノ2がその下に普通に音をのばすこのコンビネーション。あと弦を押さえたまま弾く時のあの独特のアタックが言葉通りstrikingです。
2)ピアノの弦をはじく・ひっかく音のメタリックさ。
3)ピアノが2台あることでお互いのエコーになってる効果
4)サンダーマシーンの破壊力(笑)。聴くときは音量注意!
5)全ての余韻が無限の宇宙で・・・うっとり(20世紀音楽は余韻がキーですね)
6)マクロコスモス第2巻第4番「Twin Suns」の引用(推定1.5倍速)ここを聴くと先ほどの「打楽器はピアノに多くのものを与える」というのが本当に強く感じられます。クロタルの星の輝きみたいなシャープさ、ビブラフォーンとシンバル・タムタムで作る余韻とスペースなどがこの箇所を元のピアノのヴァージョンとはまた違う高みにつれてきます。
7)元のバージョンにもありますがピアノの弦で和音を弾く箇所が本当にかっこよくて。ベルと声で重ねると余計に素敵。
ビブラフォーンとクロタルがクラムを知って本当に心から好きになりました。
クロタルという小さなシンバルは一つずつ音程が調律されていて、それを叩いたり、弓でサイドを弾いたり(グラスのコップをこするあれと一緒)、いっぱいひもで繋げてかちあわせたりものすごくシンバルにしては音色とポテンシャルの大きい楽器ですが、なんといってもこれ以上にシャープなアタックを持った楽器はないと思います。
まさに星の輝き。
クラムは多用してますが相当気に入ったんでしょうね。私もクロタルにメロメロで。(笑)
でも近くで演奏されると(アタックのシャープさのため)そうとう耳が痛くなるそうです。
クロタルの話はまた別の曲でもすると思いますがその際はどうかまたおつきあい下さい(礼)
クラムやなんかの音楽を聴いてどの曲からきいたらいいか、実際聴いてみてなににフォーカスすればいいか、何に気をつけて聴けばいいのか分からない、というかたもいらっしゃると思います。
クラムはでも比較的メロディーが存在するほうですし、どっちかというと神話的、古代的な印象のある曲がおおいです。
先ほどすこし言及しましたようにクラムは自分のなかにある世界、いや宇宙(コスモス)を表現するために本当に多々の手段をとった人で。
なのでクラムの音楽を聴く際には音色や音自身が織りなす色彩、そしてそれらが作り出す空間(宇宙空間)の広さとある種の怖さや寂しさ、そして無限さをぼんやりと味わっていただけたらなあ、と一クラム弾きとして思っています。
なんといったって明後日は待ちに待った私の誕生日パーティー。
明日から明後日にかけて腕によりをかけて日本食を作って食べながら談笑、というプランであります。
メニューはこんな感じ:
小皿:ほうれん草のおひたし(ポン酢とoptionalしらす)、梅きゅー、ちくわ
メイン:鶏団子と白菜の鍋、豆腐ハンバーグ
白いご飯に白味噌の豆腐+わかめ+ネギ味噌汁
デザート兼誕生ケーキ:カステラ
今回集まるメンバーはほとんど私がこっちにきた小学5年生からの友達かそこらつながり。
大学の友達は卒業後はさっぱり連絡とってませんね~やっぱりFacebookやってないと(というかやりたくなくてやってないんですが)
しかも人見知りな以上にものすごく!久しぶりの再会ってやつが苦手な私、ちゃんとちょくちょくコンサートとかで会っとかないと。
私がオーストラリアに来たとき、父の会社の転勤だったものですから会社が援助してくれる現地校に入ることになって。
結構お金持ちな地域なので日本人が当時は多く(いまもわりと多いらしいです)、クラスに一人は日本人がいた女子校でした。
クラスは20人強、6つのテーブルを合わせて班にしていて。
その時に初めて隣に座ったのが今も親友と呼ぶ友人H。クラスが一緒の日本人は「Hは優しいから」と最初のアドバイスをくれたのがどんなに確かなことだったか。(親友Hについてはこちらのエントリーを参照)
他にも近くに座っていたHの友達つながりで今の友達グループが成り立っていました。今は家族が経営していた田舎の農場にすんで経営している、私が蛇が好きだと言ったら興味をもってくれたK、実は同じ年の1学期(私は日本の4年生を終えてからだったので2学期編入)でこの学校に来たS、学年は同じでも年は私と1歳半ほどもちがう(飛び級したそうです)Mなど。
メンバーはSがスリランカ出身、Mはロシア出身、Kはドイツとオーストラリアのハーフなどと結構多国籍。みんな成績優秀で、5年生の頃は算数の時間に特別グループとして別に課題をやってたりとかもしていたり、奨学金で通ってる人が多かったです。
私ものちに奨学金をもらうのですが音楽の奨学金(でも内容は同じ学費オフ)なのでちょっと違います。
5年生から学校にマッキントッシュのノートパソコンを持ってくることが必須でちょこちょこプログラミング的なことを習ったのを応用したり、流通したゲームで盛り上がったりしていました。
6年生は20人ほどのクラス2つがほとんど一緒くたに授業(授業といってもそれらしい授業は半分ほどかしら)していたので別々のクラスにわかれても一緒くたにパソコンをいじってたり。
8年生のときはクラス替えのときに生徒(senior schoolはすでに1学年80人近いです。ただうちの学年はちょっと小さめ)の希望をきいてそれを元にクラス編成がされていたので、私たちの少人数グループ(このころは7~8人?)は大体一緒でした。
余談みたいな形になりますが、このころ私の鬱がずいぶんとひどくなりまして、いろいろ友達を苦しめたつらい時期でもありました。
一番当時ありがたかったのが私が急入院したときにいろいろ噂が流れたりするのを恐れて私の友達が先手をうってなかなか素敵なデマを流してくれたことでしょうか。
9年生になると科目が一部選択制になり、そのときに似たような科目を選択したSとクラスが一緒になる機会が多くなり意気投合。似たのは科目の好き嫌いだけでなく結構好みや趣味が似通っていることが判明したもので。
12年生はみんな「コモンルーム」という12年生専用の部屋でスペア(11年生と12年生は空きの授業時間があるんです)やランチタイムなどを過ごしていたため(そして若干人数も通常減るため)、学年一体としての結束が強まるんですけど・・・まあ結果的にうちらと他の生徒、みたいな形になっていました(笑)
いじめられていたとか孤立していたとかではないんですが・・・どうも、ね。別な感じが(笑)
ちなみに勉強もしていましたが500を始めカードゲームも多々やりました♪嗚呼青春。(?)
大学はみんなばらばらでした。
メル大が多いとはいえ私は音楽、HはArts/Science(要するに文系理系どっちも。結局心理学をそのなかで専攻しました9、Sは科学・法学の組み合わせなど本当にめいめいの道を進んで。
でもたまに会えるときは会えるようメールなどで手配したりしましたしお茶したり、バドミントンやったり、Hの家に集まったりしながらずっとここまでやってきました。
今も職がある程度みんな手に付いていて、それでもちょくちょく会うよういろんな企画が計画されています(8月のWilson's Promontoryのキャンプもその一つ♪)
そして大学に言ってからみんなが親しくなった友達や彼氏もグループに参入して(こっちもまたインテリぞろい)。
そしてHの妹たち(双子ちゃん)たちともずっと仲良くさせてもらって(パーティーにも参加予定)。
そしてそんななか昔は私たちと一緒に遊んでたのにいつのまにか遠ざかってしまった私自身の妹がパーティーの鍋参戦ということに実は一番密かに感銘を受けています次第です。
姉妹仲が良いことにものすごく憧れるわけではありませんが、なんとなく・・・こう。いるといいかな、遠くなるのはちょっと淋しいかななんて思うもんですから。
それを含めてもうみんな集まってくれて(まだ集まってないよ!)本当に嬉しく思っています。
今現在9人が来ることになってる鍋パーティー。
明日以降の準備もうまくいってqualityな時間を過ごせるようになるといいな、と思ってます。
パーティーの様子はtwitterで写真入り実況・・・するかしないか決めかねてますが。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「マクロコスモス」第3巻「夏の夜のための音楽」 第3楽章「The Advent」
最近モンポウとかクラムとか大学で出会ってしょっちゅう興奮しっぱなしだった音楽を紹介してないということでクラム、しかもマクロコスモス第3巻です。
第3巻は、「夏の夜のための音楽」と題されており、日本は夏なのでまあいいか(今どうしても聴く気になれない、自分にとっては夏オンリーの曲です)と思いチョイス。
第1,2巻はピアノ独奏ですが第3巻はピアノ2台に打楽器二人。
二人といっても(クラム公式サイト情報)操るのはビブラフォーン、木琴、鉄琴、ベル(チューブ状の)、クロタル(アンティークシンバル)、ベルツリー、クラーベ、そりの鈴、マラカス、ウッドブロック、テンプルブロック、トライアングル、スライドホイッスル2個、お寺風の鐘3つで1セット、サンダーマシーン(どでかい鉄のシートがぶらさがってる)、さらに太鼓、タムタム、シンバルを各何種類かずつなど・・・
ちゃんと全部小さいものも決まったところに置いておかないと地獄だ!と最初思いました。
前々からいろんなところでいってるんですがクラムの音楽が「実験音楽」のくくりにいれられるのはあくまでも成り行き上のことなんです。
確かに彼は上記いろんな楽器を使ったり、特殊奏法で楽器のいろんな音を「実験」したりしましたがあくまでもそれは表現範囲の拡張のためであって実験が目的ではない、という。
そしてその同じ表現範囲の拡張のために彼は2人の打楽器奏者にこれだけの楽器を用意させたわけです(つまり一つ一つの楽器の使用頻度は少ないわけです)
このピアノ2台+打楽器というのはあんまり見ないコンビネーションですが、ちょっぴり似たもの同士、お互いの「できないこと」をカバーし合ってるような感じがものすごくこの曲からは感じ取れます。
打楽器はある意味機械的で結構音色の幅が限られたピアノに音色という意味での新しい色彩を与え、ピアノは音程やハーモニーが欠けている打楽器にそういった意味での色彩を与え。
結果ものすごくカラフルな音楽ができるんです。夏の夜という真っ黒なキャンバスに花火のような色とりどりな音楽。
さて、曲を説明するのが難しいのでここからはツボった部分を箇条書きさせていただきます。
1)一番最初の音。ピアノ1は低音弦を押さえたままキーを弾くあの殴るような、打つような音でピアノ2がその下に普通に音をのばすこのコンビネーション。あと弦を押さえたまま弾く時のあの独特のアタックが言葉通りstrikingです。
2)ピアノの弦をはじく・ひっかく音のメタリックさ。
3)ピアノが2台あることでお互いのエコーになってる効果
4)サンダーマシーンの破壊力(笑)。聴くときは音量注意!
5)全ての余韻が無限の宇宙で・・・うっとり(20世紀音楽は余韻がキーですね)
6)マクロコスモス第2巻第4番「Twin Suns」の引用(推定1.5倍速)ここを聴くと先ほどの「打楽器はピアノに多くのものを与える」というのが本当に強く感じられます。クロタルの星の輝きみたいなシャープさ、ビブラフォーンとシンバル・タムタムで作る余韻とスペースなどがこの箇所を元のピアノのヴァージョンとはまた違う高みにつれてきます。
7)元のバージョンにもありますがピアノの弦で和音を弾く箇所が本当にかっこよくて。ベルと声で重ねると余計に素敵。
ビブラフォーンとクロタルがクラムを知って本当に心から好きになりました。
クロタルという小さなシンバルは一つずつ音程が調律されていて、それを叩いたり、弓でサイドを弾いたり(グラスのコップをこするあれと一緒)、いっぱいひもで繋げてかちあわせたりものすごくシンバルにしては音色とポテンシャルの大きい楽器ですが、なんといってもこれ以上にシャープなアタックを持った楽器はないと思います。
まさに星の輝き。
クラムは多用してますが相当気に入ったんでしょうね。私もクロタルにメロメロで。(笑)
でも近くで演奏されると(アタックのシャープさのため)そうとう耳が痛くなるそうです。
クロタルの話はまた別の曲でもすると思いますがその際はどうかまたおつきあい下さい(礼)
クラムやなんかの音楽を聴いてどの曲からきいたらいいか、実際聴いてみてなににフォーカスすればいいか、何に気をつけて聴けばいいのか分からない、というかたもいらっしゃると思います。
クラムはでも比較的メロディーが存在するほうですし、どっちかというと神話的、古代的な印象のある曲がおおいです。
先ほどすこし言及しましたようにクラムは自分のなかにある世界、いや宇宙(コスモス)を表現するために本当に多々の手段をとった人で。
なのでクラムの音楽を聴く際には音色や音自身が織りなす色彩、そしてそれらが作り出す空間(宇宙空間)の広さとある種の怖さや寂しさ、そして無限さをぼんやりと味わっていただけたらなあ、と一クラム弾きとして思っています。
