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今日は7月6日。私の誕生日です。
今日をもって私は四半世紀生きたことになるわけで・・・
ここまで生きてこられたのは(言葉そのままの意味ですが)私の両親や家族、友達、先生方々のおかげでありまして・・・
こんな私に長い間付き合ってくれるだけではなく力をいただいて本当に感謝しています。
誕生日パーティーは近日いろいろ友達とやる予定で、またそのレポも・・・と企んでいますが。
誕生日とは直接関係ない話を今日はこの機会にしたいと思います。
小さい頃から多種様々な夢を持ってきましたが、今でもある種の夢を一応持っています。
いま現在一番基本の夢は、ピアノと創作を死ぬまで続けること。
それとは別にあるのがまだまだぼんやりとした突き詰めにむらがある雲のようなアイディアなのですが・・・
とりあえず一番全般的に言えば将来メンタルヘルスに関わる仕事をしたいと思ってます。
できたら若い人のメンタルヘルスに関わる仕事がしたいなあ・・・と。例えば思春期に多い鬱や、拒食症など。
同じ病気でも思春期に発症したものは性質が違ったり、関連する課題や問題がまた違ったりして。
きっかけは一番最初に入院したとき、一緒に入院生活を送った友達を見たり、話を聞いたりして「こんなにみんな良い子なのになんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだろう」と思ったこと。
なんで大人は、人生経験が多くてしかもこの子達の事を愛してくれているはずの大人はこんなにも理解してくれないんだろう、と自分のことのように辛く思っていて・・・
記憶の薄れた今でもそのころの楽しい、そして辛い経験が私をその道へと突き動かしています。
同じくメンタルヘルスでやりたいことは他にも。
自分の音楽の経験、知識などをなんとかメンタルヘルスに生かせないか、と思うんです。
もちろん音楽療法、アートセラピーなどいろいろ形はあるのですが、あえて今はそこに絞る(またはそれらについて知ることによって範囲を限定する)ことなく、音楽に関して自分のもっているものをどうこのエリアに生かせるかというようなことを考えたりしています。
自分で認識する自分の一番の特技は「人に音楽を勧めること」です。
例えば大学在学中に友達がある特定のスタイルや作曲家の音楽と近づきになる場合はなにから始めればいいのか、とか・・・あとはこんな曲を今(または過去に)弾いていて、他に(または新しく)どんな曲を弾いたらいいのか、とか・・・こんな編成やスタイルだとどんな曲がいいか・面白いか、などのアドバイスをしたことがあって。
評判はなかなかです。(推薦する曲はあくまでも自分で弾く・聴く現代音楽とはまた別なので(笑))
なので本当にまだ詳細とかはなにもわからないんですけれどメンタルヘルスの活動(例えば患者さんとの対話などのセッションの一部)の中に音楽を勧めたりすることを含めた音楽的なエレメントをとりいれていくのが私の目標というか夢です。
そして音楽とメンタルヘルスに関してもう一つ。
私が今のドクターと治療を始めたとき、ドクターは私に自分の表現(創作やピアノ弾きなど)を自分の状態をモニターすることに利用するのをすすめました。
単純な例で言えばピアノもやりたくない、創作も進まない・・・となっているときは自分がどう感じているかに関わらず何かが正常じゃないということがわかります。突き詰めれば自分が書く物、弾く曲の性質は自分の精神状態を強く反映しているので、自分を直接分析するのが難しくとも表現すること、そしてその表現を分析することで自分の心を知ることができる、というわけです。
考えてみればこれは表現を趣味や仕事とする人だけができることではなく。
例えば音楽を聴くことや本を読むことも受動的な表現形態の一つだととらえることができますし、何に心を動かされたか、はたまた不快に感じたか、または心が動かなかったかという受動的な感じも人の状態を反映します。
こういったものが自分の状態をどう反映するかを認識し、分析できるようになり、それに併せてなんらかの積極的な表現形態に自分の声を見つけ(これはこないだの焦ったエントリーに繋がりますね)、表現することを推進すること・・・を治療や精神健康の管理に繋げていけたらな、と思うのです。
うちのドクターの治療方針なのできっとここらへんの事は認知行動療法に繋がってるのかもしれませんが、認知行動療法についてはまだ全然勉強できてないのでそれもわからず・・・
でも認知行動療法による治療方針に私は多く助けられてるのでそれと音楽を繋げる、という方法があれば突き詰めてみたいです。
まだまだこれは構想の断片でしかなく、果たしてこれは一つの夢なのかそれとも別々に扱わなくちゃいけないのかさえもまだ解らなく・・・
そしてもちろんまだまだ勉強不足。それもまたこれからの夢の工程であり、夢そのものでもあります。
生まれてから今まで25年。自分の人生にステージ1、2などがあるとは信じていませんが次の25年、今お話しした夢の少しずつでもかなえていけるよう頑張ろうと思います♪
今日の一曲; アレクサンドル・スクリャービン 練習曲op.42-5
いつも専門はメシアン、クラム、ラヴェルとショスタコーヴィチ(ショスタコはどちらかというと聴き専ですが)と口癖の様にいいますが、その得意&好きな作曲家とは別に、自分にとってまるで自分の心の一部、そして心の声を忠実に代弁してくれる曲があります。
それがこのエチュード。
スクリャービンの中期の作品で、初期のショパンの面影が強いロマンチックで情熱的なエレメントと、後期の独特な魔術的、そして複雑、色彩豊か、難解な性格を併せ持っています。
この曲に出会ったのは15歳の頃でしょうか。この曲に恋に落ち、そして果敢にも(というかただ単に堪え性がなく)その次の歳にはチャレンジしていました。
練習曲、しかもスクリャービンとあって技巧は難しく、しかもまた独特の難しさ(感覚的な話ですが)がかなり壁だったのですが・・・この曲を弾いてきてもう9年、間が開いても暗譜でそれなりに弾けるほど音は脳と手に染みつくようになりました。
そもそもスクリャービンはピアニストとしての将来を期待されていた人なのですが、手が小さいのに無理するから手が故障して作曲家としての道を選ぶことになった、という経緯があり。
彼の作品は自分の手のサイズを全くといっていいほど考慮していません(例えば練習曲op.8-12のオクターブ、10度なんか絶対無理でしょ!と言いたくなります)。ただこの曲の細々した音回りなんかは妙に私の手にしっくりくるところもあり(ラヴェルではよくあることです)、やっぱり小さい手の人ならではの作風なんだな、と思います。
この曲で惹かれるのはなんといってもその性格。
暗く激しくうねるような音型とどす黒い+鉛赤の色彩、溺れさせる強い力とそれからもがき必死に自由になり飛翔しようとする力の対比。
カオスのなかでちょいちょい見られるハーモニー、メロディーそしてメロディーの断片のきらりと光る美しさは秀逸です。
特にBセクションというか第2主題というかが最初に表れるときの飛翔する力強さ、それにたいして2回目に表れるときの少し狂ったようなはかなさとか弱さ、繊細さ・・・
ため息がでますね。
9年弾いてきても技巧的にも、音楽的にも完成することがないこの曲。
自分なりにでも理想はあります。
この3分(実は52小節しかないんです!濃い52小節ですわー)のなかでどれだけ自分の正気という枠を超えられるか。
この曲にこめられている全てが狂気だと私は信じ、それを10%の冷静さと90%の狂気で表現したいです。
暗さも、激しさも、せわしさも、繊細さも、か弱さも・・・そしてそれらのめまぐるしくも鮮やかな移り変わりまでも。
全てに狂気を帯びさせ、リアル以上にリアルな幻覚としてまるで熱に浮かされ悪夢にうなされているような究極のネガティブなイメージをピアノでお届けしたいと思っています。
・・・といったところで上記はまだ自分のこの曲に関するイメージの一部。他にも言葉で表せないことは多々あります。なんたって9年分の思いの蓄積ですからね。自分の人生で経験したものももちろん表現したいこととして盛り込んでますし。
ここまで思いの深い(といってもその思いの深さも言葉では到底表せないようなものなのですが)曲で、さらに自分個人の理想がはっきりしているので他のピアニストのこの曲の演奏というのはもはやあんまり考えないです。
ただやっぱり(自分が創作外で知る唯一の「スクリャービン弾き」である)ホロヴィッツのアンコールでのこの曲の演奏は特別だと思います。練習曲をセットで録ったときよりも自由度が増して、この曲の真髄にあるたがが外れた感じがものすごく出ていて。
スクリャービンの音楽というのはどの流派にも属さず、また音楽史の歴史の流れの中でもまた「カモノハシ」的な、仲間はずれというかあてはまらない存在です。
彼は神秘的なこと、共感覚を含む感覚と音楽の関係などについてエキセントリックとも言える思想やアイディアを多々持っていました。
なのでスクリャービン弾きになるには多少彼のように変人ではないといけない、そしてなんとか波長があうごく少数人がスクリャービンになれるのかな、なんて思うのですが・・・
(ちなみに私の創作でのスクリャービン弾きの子はごく普通の女の子です。自分でも不思議。)
私はスクリャービンの音楽は好きですが、全体的に波長が合わないのと彼の技巧が苦手なのと、あとそこまで変人じゃない(または同じく変人でも方向性が違う)のでスクリャービン弾きにはなれないな、と自覚しています。
でもこの曲だけは本当に自分にとって運命の一曲であり、そして自分の心が一番正直に表現できる、自分にとって自然な「声」であると信じています。
なのでこれからも理想に向かって、さらに新しい理想を創り上げながらこの曲と末永く付き合って、そしてその間私のこの曲の演奏がどう変わっていくかなどにも目を向けて・・・
なにかあったらこの曲がある、と思えるほど傍に寄り添って一緒に生きて行きたいと思います。
今日をもって私は四半世紀生きたことになるわけで・・・
ここまで生きてこられたのは(言葉そのままの意味ですが)私の両親や家族、友達、先生方々のおかげでありまして・・・
こんな私に長い間付き合ってくれるだけではなく力をいただいて本当に感謝しています。
誕生日パーティーは近日いろいろ友達とやる予定で、またそのレポも・・・と企んでいますが。
誕生日とは直接関係ない話を今日はこの機会にしたいと思います。
小さい頃から多種様々な夢を持ってきましたが、今でもある種の夢を一応持っています。
いま現在一番基本の夢は、ピアノと創作を死ぬまで続けること。
それとは別にあるのがまだまだぼんやりとした突き詰めにむらがある雲のようなアイディアなのですが・・・
とりあえず一番全般的に言えば将来メンタルヘルスに関わる仕事をしたいと思ってます。
できたら若い人のメンタルヘルスに関わる仕事がしたいなあ・・・と。例えば思春期に多い鬱や、拒食症など。
同じ病気でも思春期に発症したものは性質が違ったり、関連する課題や問題がまた違ったりして。
きっかけは一番最初に入院したとき、一緒に入院生活を送った友達を見たり、話を聞いたりして「こんなにみんな良い子なのになんでこんなに苦しまなくちゃいけないんだろう」と思ったこと。
なんで大人は、人生経験が多くてしかもこの子達の事を愛してくれているはずの大人はこんなにも理解してくれないんだろう、と自分のことのように辛く思っていて・・・
記憶の薄れた今でもそのころの楽しい、そして辛い経験が私をその道へと突き動かしています。
同じくメンタルヘルスでやりたいことは他にも。
自分の音楽の経験、知識などをなんとかメンタルヘルスに生かせないか、と思うんです。
もちろん音楽療法、アートセラピーなどいろいろ形はあるのですが、あえて今はそこに絞る(またはそれらについて知ることによって範囲を限定する)ことなく、音楽に関して自分のもっているものをどうこのエリアに生かせるかというようなことを考えたりしています。
自分で認識する自分の一番の特技は「人に音楽を勧めること」です。
例えば大学在学中に友達がある特定のスタイルや作曲家の音楽と近づきになる場合はなにから始めればいいのか、とか・・・あとはこんな曲を今(または過去に)弾いていて、他に(または新しく)どんな曲を弾いたらいいのか、とか・・・こんな編成やスタイルだとどんな曲がいいか・面白いか、などのアドバイスをしたことがあって。
評判はなかなかです。(推薦する曲はあくまでも自分で弾く・聴く現代音楽とはまた別なので(笑))
なので本当にまだ詳細とかはなにもわからないんですけれどメンタルヘルスの活動(例えば患者さんとの対話などのセッションの一部)の中に音楽を勧めたりすることを含めた音楽的なエレメントをとりいれていくのが私の目標というか夢です。
そして音楽とメンタルヘルスに関してもう一つ。
私が今のドクターと治療を始めたとき、ドクターは私に自分の表現(創作やピアノ弾きなど)を自分の状態をモニターすることに利用するのをすすめました。
単純な例で言えばピアノもやりたくない、創作も進まない・・・となっているときは自分がどう感じているかに関わらず何かが正常じゃないということがわかります。突き詰めれば自分が書く物、弾く曲の性質は自分の精神状態を強く反映しているので、自分を直接分析するのが難しくとも表現すること、そしてその表現を分析することで自分の心を知ることができる、というわけです。
考えてみればこれは表現を趣味や仕事とする人だけができることではなく。
例えば音楽を聴くことや本を読むことも受動的な表現形態の一つだととらえることができますし、何に心を動かされたか、はたまた不快に感じたか、または心が動かなかったかという受動的な感じも人の状態を反映します。
こういったものが自分の状態をどう反映するかを認識し、分析できるようになり、それに併せてなんらかの積極的な表現形態に自分の声を見つけ(これはこないだの焦ったエントリーに繋がりますね)、表現することを推進すること・・・を治療や精神健康の管理に繋げていけたらな、と思うのです。
うちのドクターの治療方針なのできっとここらへんの事は認知行動療法に繋がってるのかもしれませんが、認知行動療法についてはまだ全然勉強できてないのでそれもわからず・・・
でも認知行動療法による治療方針に私は多く助けられてるのでそれと音楽を繋げる、という方法があれば突き詰めてみたいです。
まだまだこれは構想の断片でしかなく、果たしてこれは一つの夢なのかそれとも別々に扱わなくちゃいけないのかさえもまだ解らなく・・・
そしてもちろんまだまだ勉強不足。それもまたこれからの夢の工程であり、夢そのものでもあります。
生まれてから今まで25年。自分の人生にステージ1、2などがあるとは信じていませんが次の25年、今お話しした夢の少しずつでもかなえていけるよう頑張ろうと思います♪
今日の一曲; アレクサンドル・スクリャービン 練習曲op.42-5
いつも専門はメシアン、クラム、ラヴェルとショスタコーヴィチ(ショスタコはどちらかというと聴き専ですが)と口癖の様にいいますが、その得意&好きな作曲家とは別に、自分にとってまるで自分の心の一部、そして心の声を忠実に代弁してくれる曲があります。
それがこのエチュード。
スクリャービンの中期の作品で、初期のショパンの面影が強いロマンチックで情熱的なエレメントと、後期の独特な魔術的、そして複雑、色彩豊か、難解な性格を併せ持っています。
この曲に出会ったのは15歳の頃でしょうか。この曲に恋に落ち、そして果敢にも(というかただ単に堪え性がなく)その次の歳にはチャレンジしていました。
練習曲、しかもスクリャービンとあって技巧は難しく、しかもまた独特の難しさ(感覚的な話ですが)がかなり壁だったのですが・・・この曲を弾いてきてもう9年、間が開いても暗譜でそれなりに弾けるほど音は脳と手に染みつくようになりました。
そもそもスクリャービンはピアニストとしての将来を期待されていた人なのですが、手が小さいのに無理するから手が故障して作曲家としての道を選ぶことになった、という経緯があり。
彼の作品は自分の手のサイズを全くといっていいほど考慮していません(例えば練習曲op.8-12のオクターブ、10度なんか絶対無理でしょ!と言いたくなります)。ただこの曲の細々した音回りなんかは妙に私の手にしっくりくるところもあり(ラヴェルではよくあることです)、やっぱり小さい手の人ならではの作風なんだな、と思います。
この曲で惹かれるのはなんといってもその性格。
暗く激しくうねるような音型とどす黒い+鉛赤の色彩、溺れさせる強い力とそれからもがき必死に自由になり飛翔しようとする力の対比。
カオスのなかでちょいちょい見られるハーモニー、メロディーそしてメロディーの断片のきらりと光る美しさは秀逸です。
特にBセクションというか第2主題というかが最初に表れるときの飛翔する力強さ、それにたいして2回目に表れるときの少し狂ったようなはかなさとか弱さ、繊細さ・・・
ため息がでますね。
9年弾いてきても技巧的にも、音楽的にも完成することがないこの曲。
自分なりにでも理想はあります。
この3分(実は52小節しかないんです!濃い52小節ですわー)のなかでどれだけ自分の正気という枠を超えられるか。
この曲にこめられている全てが狂気だと私は信じ、それを10%の冷静さと90%の狂気で表現したいです。
暗さも、激しさも、せわしさも、繊細さも、か弱さも・・・そしてそれらのめまぐるしくも鮮やかな移り変わりまでも。
全てに狂気を帯びさせ、リアル以上にリアルな幻覚としてまるで熱に浮かされ悪夢にうなされているような究極のネガティブなイメージをピアノでお届けしたいと思っています。
・・・といったところで上記はまだ自分のこの曲に関するイメージの一部。他にも言葉で表せないことは多々あります。なんたって9年分の思いの蓄積ですからね。自分の人生で経験したものももちろん表現したいこととして盛り込んでますし。
ここまで思いの深い(といってもその思いの深さも言葉では到底表せないようなものなのですが)曲で、さらに自分個人の理想がはっきりしているので他のピアニストのこの曲の演奏というのはもはやあんまり考えないです。
ただやっぱり(自分が創作外で知る唯一の「スクリャービン弾き」である)ホロヴィッツのアンコールでのこの曲の演奏は特別だと思います。練習曲をセットで録ったときよりも自由度が増して、この曲の真髄にあるたがが外れた感じがものすごく出ていて。
スクリャービンの音楽というのはどの流派にも属さず、また音楽史の歴史の流れの中でもまた「カモノハシ」的な、仲間はずれというかあてはまらない存在です。
彼は神秘的なこと、共感覚を含む感覚と音楽の関係などについてエキセントリックとも言える思想やアイディアを多々持っていました。
なのでスクリャービン弾きになるには多少彼のように変人ではないといけない、そしてなんとか波長があうごく少数人がスクリャービンになれるのかな、なんて思うのですが・・・
(ちなみに私の創作でのスクリャービン弾きの子はごく普通の女の子です。自分でも不思議。)
私はスクリャービンの音楽は好きですが、全体的に波長が合わないのと彼の技巧が苦手なのと、あとそこまで変人じゃない(または同じく変人でも方向性が違う)のでスクリャービン弾きにはなれないな、と自覚しています。
でもこの曲だけは本当に自分にとって運命の一曲であり、そして自分の心が一番正直に表現できる、自分にとって自然な「声」であると信じています。
なのでこれからも理想に向かって、さらに新しい理想を創り上げながらこの曲と末永く付き合って、そしてその間私のこの曲の演奏がどう変わっていくかなどにも目を向けて・・・
なにかあったらこの曲がある、と思えるほど傍に寄り添って一緒に生きて行きたいと思います。
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先週末、友達と8人でメルボルン市街から東へ1時間弱、ダンデノン山のあたりにあるOlindaエリア、もっと細かく言えばSassafrasという街に遊びに行きました。
この日はあいにくの天気で、山を登る道路も霧がかかってたり。
Sassafrasに着いた時には雨ざーざー。
道路の向こうに見える建物がミス・マープルのティーハウスです。
屋根の縁が白いのは「7月のクリスマス」と題したプレゼンのため。
今はこちらはどうやら学校が休みになったとあって普段以上に混んでいて、さらになんといっても8人のグループなので席がなく・・・残念ながら今回はここの美味しいDevonshire Tea(スコーン+クリーム+ジャムに紅茶のセット)は泣く泣くあきらめることに・・・
そしてこの店の隣にはTea Leavesというお茶を売るお店があります。
紅茶とフレーバーティーはもちろん、緑茶、ウーロン茶、ハーブティーやブレンドなど、それに茶器などグッズ、さらにコーヒー豆などもあり驚くほど充実したお店です♪
お値段もなかなかお手頃で、遠いから・・・と思ってもメールオーダーも完備されてます。
私たちも入って驚いて考えあぐね考えあぐね結局何人か自分用、またはプレゼント用になにかしらん買っていきました。
私はPeach Sencha(桃の香りの煎茶)、Sticky Toffee Pudding(キャラメルにちょっと似たフレーバー紅茶)、そして母リクエストのFrench Earl Grey(薔薇、ハイビスカス、ひまわりの花びら入りのアールグレイ)を買いました。
本当はポットとかマグとか欲しいけれど・・・我慢!
さて、スコーンを食べ損ねたのでSassafrasの街をちょっと出た近くにあるというパンケーキ屋さんで食事をとることに。
Flippin' Pancakeというお店なのですが、なかなか個性的なメニュー揃い♪
私は迷ったあげく普通のスタックでしたが、友達が頼んだものにはこんなものも:

これはSaucy Bird・・・だったかな?Popeye Spinachだったかな?
甘いのではなくおかず系パンケーキです。
もちろん甘い物もありますし、ベジタリアンもありますし。
あと飲み物にクリームが入るウィーン風コーヒーや、お好みのリキュールを入れてくれるコーヒーなどもあります。
プラス店の中心にある暖炉風ヒーターに当たったりなどしてあったまりながらパンケーキをほおばれるアットホームなお店です。
アットホームといえばちょうど私たちが行ったときに隣の大人数団体テーブルで誕生日会をやってて・・・花火をさしてカップケーキの山がでてきたときはそのテーブルのみならず、私たちや他の周りのテーブルにもハッピーバースデーの歌声が起こりました。
Sassafrasは山の中の大変小さな街ですが他にもOracleというスピリチュアルショップがあったり(ここはこの類の店のなかでも広く、ゆったりと石などをみれるのが特徴です)、毛糸の専門店、おもちゃ屋など多くの個性的なクオリティの高いお店がそろっています。
さてさて、本日の最後のアトラクション、それは以外とちょっと見落としがちなところにあります。
ミス・マープルのとなりに小さな駐車場があるのですが、そこから森(bush)の中に続く散歩道があるんですよ。
看板によると20分コース、50分コースなどがあるらしく、雨の中あんまり濡れないで散歩がしたかった私たちは20分コースを早足で進んだのですが・・・
なかなかあなどれませんね!

入り口はこんな風。ここから雨の日にはちょっとばかり大変な下り道に入ります。
足下は道にはなっているものの、整備されてはいません(傾斜がきついところは階段になってます)

オーストラリアのブッシュはこの通り木々の間間に巨大なシダが生えていて、多くが人間の背よりも高いので実際問題「開けたところ」というのはなかなかないです。
反面今日みたいな雨の日は足下は悪くとも雨に直接降られることはないです。

雨の日はしっとりした空気にユーカリ(木々はほとんどユーカリ)のにおいが。霧がかかって神秘的です。
いつか書こうと思っているTriquetraというストーリーはきっとこういうところなんだろうなあ、と早足ながらちょっぴりひたったり。

こんな味のある大木も。ワライカワセミ(Kookaburra)の声も聞こえたり。きっとコトドリ(Lyrebird)も生息しているはずなので(実際近くのSherbrooke Forestにはいました)、あの七色のモノマネ鳴き声も聞けるかも?
Sherbrooke Forestと違ってこの森は結構横から私でもかがまなくちゃいけない低さにシダや木の枝がはりでてたりでちょっぴりアドベンチャー感が強いです。
お天気とミス・マープルの混雑は悔やまれますがそれを考慮しても本当に心地の良い街で。
来れるものなら毎月でも来たいのですが・・・車がないので(そして山道の運転は危ないので)。
一応知っている人は知っている観光地(地元・海外から)なうえ、街の規模が小さいのでそこまでゆっくりとはできない場合もありませんが、ぜひ足を伸ばしてみることを強くお奨めします。
ダンデノン山のエリアは車さえあれば他にも森や街などたくさん素晴らしいところがあるので観光の際は要チェック領域です♪
今日の一曲: パウル・ヒンデミット 無伴奏ヴィオラソナタ op. 25-1 第4楽章
まず最初に。
あなたがヴィオラに対して持っているイメージを全部!全て捨て去って下さい。
そしてその次に。
楽譜の音が始まる前を見て下さい。
「Rasendes Zeitmaß. Wild. Tonschönheit ist Nebensache」。これは「荒れ狂うようなテンポで。粗暴に。音の美しさは重要ではない」、という意味。
しかもテンポが四分音符=600~640と指定があります。この曲は最初から最後の前の音までずっと四分音符なので(無窮動音楽です!)、一分間に四分音符が600~640個という速さ、イコール1秒間におよそ10個の音を弾かなくちゃいけないというまあ無茶にもほどがあり。
曲の性格はもう先ほどのフレーズそのまま。
粗暴、エネルギッシュ、ワイルド、乱暴、猛烈、なんでも来いです。
ヴィオラという楽器の、バイオリンにはないあのC線のガッツを500%むき出しにして、弓に張られている馬の毛が切れるほどのパワーでがしがし弾きます。
しかも必ずしも単音ではなく、時には4つの弦を同時に弾く和音などもあり、このスピードで上の音までがしがし粗暴に弾くのは至難の業!
楽章自体は1分半ほどの曲なのですが(さっきの計算でいくと少なくとも900個の音を弾いていますね!)、まあなんと濃い1分半なことか!
特に奏者の体力の消耗はきっと甚だしいことでしょう。(しかもこの後にスローながら楽章が一つまだ残ってる!)
ビオラと言えばマイルドで、中間の音を担当する、ちょっと主張の弱い内気な楽器というイメージが大きいですし、実際そういった役割に大変強く、ソロでも内向的な性格の曲で最も輝く傾向があります。
でもこの楽章ははっきりいってドSです!ヴィオラにはいつも使われていないガッツがあるとはいえこれはもう極度のうちの極度。きわめて例外的であり、奏者本人もびっくりものです。
そんなこの曲の演奏で選んだのはなんと女流ヴィオリストの演奏。
キム・カシュカシャンというヴィオリストなのですが、彼女の弾くヒンデミットのパワーはまさに男勝り!
女性特有の表現力と併せてものすごく強い演奏をする彼女。
心をがっと掴む彼女の演奏は同性ながらほれぼれします。
ヴィオラという楽器のポテンシャルと底力をこの曲でとくと感じ取って・・・というかそれでむしろぶっとんでもらいたいです!
この日はあいにくの天気で、山を登る道路も霧がかかってたり。
Sassafrasに着いた時には雨ざーざー。
屋根の縁が白いのは「7月のクリスマス」と題したプレゼンのため。
今はこちらはどうやら学校が休みになったとあって普段以上に混んでいて、さらになんといっても8人のグループなので席がなく・・・残念ながら今回はここの美味しいDevonshire Tea(スコーン+クリーム+ジャムに紅茶のセット)は泣く泣くあきらめることに・・・
そしてこの店の隣にはTea Leavesというお茶を売るお店があります。
紅茶とフレーバーティーはもちろん、緑茶、ウーロン茶、ハーブティーやブレンドなど、それに茶器などグッズ、さらにコーヒー豆などもあり驚くほど充実したお店です♪
お値段もなかなかお手頃で、遠いから・・・と思ってもメールオーダーも完備されてます。
私たちも入って驚いて考えあぐね考えあぐね結局何人か自分用、またはプレゼント用になにかしらん買っていきました。
私はPeach Sencha(桃の香りの煎茶)、Sticky Toffee Pudding(キャラメルにちょっと似たフレーバー紅茶)、そして母リクエストのFrench Earl Grey(薔薇、ハイビスカス、ひまわりの花びら入りのアールグレイ)を買いました。
本当はポットとかマグとか欲しいけれど・・・我慢!
さて、スコーンを食べ損ねたのでSassafrasの街をちょっと出た近くにあるというパンケーキ屋さんで食事をとることに。
Flippin' Pancakeというお店なのですが、なかなか個性的なメニュー揃い♪
私は迷ったあげく普通のスタックでしたが、友達が頼んだものにはこんなものも:
これはSaucy Bird・・・だったかな?Popeye Spinachだったかな?
甘いのではなくおかず系パンケーキです。
もちろん甘い物もありますし、ベジタリアンもありますし。
あと飲み物にクリームが入るウィーン風コーヒーや、お好みのリキュールを入れてくれるコーヒーなどもあります。
プラス店の中心にある暖炉風ヒーターに当たったりなどしてあったまりながらパンケーキをほおばれるアットホームなお店です。
アットホームといえばちょうど私たちが行ったときに隣の大人数団体テーブルで誕生日会をやってて・・・花火をさしてカップケーキの山がでてきたときはそのテーブルのみならず、私たちや他の周りのテーブルにもハッピーバースデーの歌声が起こりました。
Sassafrasは山の中の大変小さな街ですが他にもOracleというスピリチュアルショップがあったり(ここはこの類の店のなかでも広く、ゆったりと石などをみれるのが特徴です)、毛糸の専門店、おもちゃ屋など多くの個性的なクオリティの高いお店がそろっています。
さてさて、本日の最後のアトラクション、それは以外とちょっと見落としがちなところにあります。
ミス・マープルのとなりに小さな駐車場があるのですが、そこから森(bush)の中に続く散歩道があるんですよ。
看板によると20分コース、50分コースなどがあるらしく、雨の中あんまり濡れないで散歩がしたかった私たちは20分コースを早足で進んだのですが・・・
なかなかあなどれませんね!
入り口はこんな風。ここから雨の日にはちょっとばかり大変な下り道に入ります。
足下は道にはなっているものの、整備されてはいません(傾斜がきついところは階段になってます)
オーストラリアのブッシュはこの通り木々の間間に巨大なシダが生えていて、多くが人間の背よりも高いので実際問題「開けたところ」というのはなかなかないです。
反面今日みたいな雨の日は足下は悪くとも雨に直接降られることはないです。
雨の日はしっとりした空気にユーカリ(木々はほとんどユーカリ)のにおいが。霧がかかって神秘的です。
いつか書こうと思っているTriquetraというストーリーはきっとこういうところなんだろうなあ、と早足ながらちょっぴりひたったり。
こんな味のある大木も。ワライカワセミ(Kookaburra)の声も聞こえたり。きっとコトドリ(Lyrebird)も生息しているはずなので(実際近くのSherbrooke Forestにはいました)、あの七色のモノマネ鳴き声も聞けるかも?
Sherbrooke Forestと違ってこの森は結構横から私でもかがまなくちゃいけない低さにシダや木の枝がはりでてたりでちょっぴりアドベンチャー感が強いです。
お天気とミス・マープルの混雑は悔やまれますがそれを考慮しても本当に心地の良い街で。
来れるものなら毎月でも来たいのですが・・・車がないので(そして山道の運転は危ないので)。
一応知っている人は知っている観光地(地元・海外から)なうえ、街の規模が小さいのでそこまでゆっくりとはできない場合もありませんが、ぜひ足を伸ばしてみることを強くお奨めします。
ダンデノン山のエリアは車さえあれば他にも森や街などたくさん素晴らしいところがあるので観光の際は要チェック領域です♪
今日の一曲: パウル・ヒンデミット 無伴奏ヴィオラソナタ op. 25-1 第4楽章
まず最初に。
あなたがヴィオラに対して持っているイメージを全部!全て捨て去って下さい。
そしてその次に。
楽譜の音が始まる前を見て下さい。
「Rasendes Zeitmaß. Wild. Tonschönheit ist Nebensache」。これは「荒れ狂うようなテンポで。粗暴に。音の美しさは重要ではない」、という意味。
しかもテンポが四分音符=600~640と指定があります。この曲は最初から最後の前の音までずっと四分音符なので(無窮動音楽です!)、一分間に四分音符が600~640個という速さ、イコール1秒間におよそ10個の音を弾かなくちゃいけないというまあ無茶にもほどがあり。
曲の性格はもう先ほどのフレーズそのまま。
粗暴、エネルギッシュ、ワイルド、乱暴、猛烈、なんでも来いです。
ヴィオラという楽器の、バイオリンにはないあのC線のガッツを500%むき出しにして、弓に張られている馬の毛が切れるほどのパワーでがしがし弾きます。
しかも必ずしも単音ではなく、時には4つの弦を同時に弾く和音などもあり、このスピードで上の音までがしがし粗暴に弾くのは至難の業!
楽章自体は1分半ほどの曲なのですが(さっきの計算でいくと少なくとも900個の音を弾いていますね!)、まあなんと濃い1分半なことか!
特に奏者の体力の消耗はきっと甚だしいことでしょう。(しかもこの後にスローながら楽章が一つまだ残ってる!)
ビオラと言えばマイルドで、中間の音を担当する、ちょっと主張の弱い内気な楽器というイメージが大きいですし、実際そういった役割に大変強く、ソロでも内向的な性格の曲で最も輝く傾向があります。
でもこの楽章ははっきりいってドSです!ヴィオラにはいつも使われていないガッツがあるとはいえこれはもう極度のうちの極度。きわめて例外的であり、奏者本人もびっくりものです。
そんなこの曲の演奏で選んだのはなんと女流ヴィオリストの演奏。
キム・カシュカシャンというヴィオリストなのですが、彼女の弾くヒンデミットのパワーはまさに男勝り!
女性特有の表現力と併せてものすごく強い演奏をする彼女。
心をがっと掴む彼女の演奏は同性ながらほれぼれします。
ヴィオラという楽器のポテンシャルと底力をこの曲でとくと感じ取って・・・というかそれでむしろぶっとんでもらいたいです!
※文が大分焦っていることを最初にお詫びします。
今日は出かけたり友達と遊んだり(レポは後日)その他もろもろで本当にいろんなことを考えたりいろんな感情をたくさん感じて。
そのなかでもやりきれなかったり悶々としたものもあったり、反対に空回りするほどのポジティブな感情もあったり。
・・・そんななか先ほどうとうとして目覚めたら心がものすごく(不安+鬱方向に)不調になっていたのですが・・・
目覚めて、その自分の状態を心にずっしりと感じたとたんなにか自分のなかではものすごいことに気づいたのです。
父がちょっと前に私は「頭の回転は速いけれど言葉がそれについていかないから意識してゆっくりしゃべらないとちゃんと伝わらない」ということを言っていたのですが・・・
それはピアノでもいつだって指が心と頭についていかないのと同じで。要するにアウトプットが心&頭についていかないのは形態に限らずそういう傾向がある、ということで。
前々から強い感情や思考をを経験・抱えすぎると(それらがポジティブな物かネガティブな物かに関わらず)鬱状態に陥ることが本当に多くて。
今日もうっかり感情が処理されずに寝てしまったためこの状態にある、ということなのですが要するに水量が悪いのかダムが悪いのかはわかりませんがしょっちゅう心のなかにあるダムが量的圧力で決壊している状態らしいのです。
実際に私が経験する、または抱える感情や思考に対して自分の心と頭のキャパシティが全くといっていいほど追いついていないわけで・・・(しかもそれがほとんどデフォルトときた)
自分の「鬱」というのはそのキャパシティオーバーによる精神の疲労、崩壊(大規模なものに限らず)などの繰り返し、積み重ねで起こり、発展した物なのではないか、と。
そこまで気づいた時点でさらに思ったことが。
それなら自分にとって音楽や創作などの表現は必然かつ必需なのでは・・・?
キャパシティがオーバーして貯まった感情や思考が鬱状態という悪い状態に流れでて精神をより弱らせる前に何とか「良い」方向に形作ること、それが自分にとっての表現なのかな?と思ったわけです。
なんとかして自分のなかの様々なものを声にして、ちゃんとしたやり方で「叫んで」やらないと・・・
私にとっては表現は精神が自身を健康に保つためのある種の反応、一種のホメオスタシス(恒常性)的ものなのかもしれない、と思ったのです。突飛なことをいえば生理現象の延長線上?
そうするといろんなことが説明できます。
感情の体感量がぐっと上がる思春期での鬱の発症。
音楽家になりたいと決めたのは鬱を発症してから(声を見つけた、ということでしょうか)。
アレキシサイミア+軽度記憶障害時期でぴたっと表現も止まったこと(感情を認識しないのなら表現しなければならないとも感じないのでしょうね)。
自分の音楽においての自分本位でわがままな態度(自分の弾きたい物だけ弾く、聴衆を楽しませることはあんまり考えない、自分が弾いていれば聴衆は要らないなどの誠に自分勝手な方針)。
自分がそういったものを形にする必要性に駆られて表現してはいるとしても、もちろん好きでやっている部分もあります。表現する快感はなので好きな部分と、あと必要性の部分があるわけで・・・
主に嬉しいです。
自分がどうしてピアノを弾いたり創作をしたり、それらをものすごく大切に思う理由がわかって。
そして前自分が「自分のために」主に表現をしていることを否定されたことがあったのですが、これで自分は自分を第一に、そして可能性としては自分のためだけに表現することがあり得ることで許されることで・・・
他人のために表現しないからといって人間が劣ってるということでは必ずしもないということ。
そして自分の心の赴くままにいろんな表現方法をその必要性や気分によってどんどん試していった方がいいんだ、ということを実感できて。
そしてやっぱり自分は誰がなんと言おうとも音楽と創作は少なくとも一生(自分のため以外に実がならなくとも)つづけていきたいんだ、続けていかなくちゃ、と思い。
自分が楽しいから&自分の健康にもつなげられるから、自分のためになによりも表現するんだという思いを胸に刻み。
同時に表現という行動の自分との近さ、親密さに気づき大切にして、自分の精神の健康のため(そしてあわよくば他人の精神の健康にも使えないかと)表現することに今以上に喜びを感じていきたいと思いました。
・・・この突発的な悟りというか思いを文にするのは心がものすごくあせってはやってることもあり後で読み直すと恥ずかしいことも多々あるだろうとは覚悟していますが、でもそれでもこの思いを表現せずまた寝たらさきほどのも併せてダブルで明日しんどいかもしれないので心を決めて文章にしました。実際いま精神状態は大分落ち着いています。
そして目に見える形でこの考えを残しておくのは大切なような気がぼんやりとしたんで。
長々とお目汚し失礼しました。
レポはちゃんとした文を焦らず騒がず書きます(笑)
今日は出かけたり友達と遊んだり(レポは後日)その他もろもろで本当にいろんなことを考えたりいろんな感情をたくさん感じて。
そのなかでもやりきれなかったり悶々としたものもあったり、反対に空回りするほどのポジティブな感情もあったり。
・・・そんななか先ほどうとうとして目覚めたら心がものすごく(不安+鬱方向に)不調になっていたのですが・・・
目覚めて、その自分の状態を心にずっしりと感じたとたんなにか自分のなかではものすごいことに気づいたのです。
父がちょっと前に私は「頭の回転は速いけれど言葉がそれについていかないから意識してゆっくりしゃべらないとちゃんと伝わらない」ということを言っていたのですが・・・
それはピアノでもいつだって指が心と頭についていかないのと同じで。要するにアウトプットが心&頭についていかないのは形態に限らずそういう傾向がある、ということで。
前々から強い感情や思考をを経験・抱えすぎると(それらがポジティブな物かネガティブな物かに関わらず)鬱状態に陥ることが本当に多くて。
今日もうっかり感情が処理されずに寝てしまったためこの状態にある、ということなのですが要するに水量が悪いのかダムが悪いのかはわかりませんがしょっちゅう心のなかにあるダムが量的圧力で決壊している状態らしいのです。
実際に私が経験する、または抱える感情や思考に対して自分の心と頭のキャパシティが全くといっていいほど追いついていないわけで・・・(しかもそれがほとんどデフォルトときた)
自分の「鬱」というのはそのキャパシティオーバーによる精神の疲労、崩壊(大規模なものに限らず)などの繰り返し、積み重ねで起こり、発展した物なのではないか、と。
そこまで気づいた時点でさらに思ったことが。
それなら自分にとって音楽や創作などの表現は必然かつ必需なのでは・・・?
キャパシティがオーバーして貯まった感情や思考が鬱状態という悪い状態に流れでて精神をより弱らせる前に何とか「良い」方向に形作ること、それが自分にとっての表現なのかな?と思ったわけです。
なんとかして自分のなかの様々なものを声にして、ちゃんとしたやり方で「叫んで」やらないと・・・
私にとっては表現は精神が自身を健康に保つためのある種の反応、一種のホメオスタシス(恒常性)的ものなのかもしれない、と思ったのです。突飛なことをいえば生理現象の延長線上?
そうするといろんなことが説明できます。
感情の体感量がぐっと上がる思春期での鬱の発症。
音楽家になりたいと決めたのは鬱を発症してから(声を見つけた、ということでしょうか)。
アレキシサイミア+軽度記憶障害時期でぴたっと表現も止まったこと(感情を認識しないのなら表現しなければならないとも感じないのでしょうね)。
自分の音楽においての自分本位でわがままな態度(自分の弾きたい物だけ弾く、聴衆を楽しませることはあんまり考えない、自分が弾いていれば聴衆は要らないなどの誠に自分勝手な方針)。
自分がそういったものを形にする必要性に駆られて表現してはいるとしても、もちろん好きでやっている部分もあります。表現する快感はなので好きな部分と、あと必要性の部分があるわけで・・・
主に嬉しいです。
自分がどうしてピアノを弾いたり創作をしたり、それらをものすごく大切に思う理由がわかって。
そして前自分が「自分のために」主に表現をしていることを否定されたことがあったのですが、これで自分は自分を第一に、そして可能性としては自分のためだけに表現することがあり得ることで許されることで・・・
他人のために表現しないからといって人間が劣ってるということでは必ずしもないということ。
そして自分の心の赴くままにいろんな表現方法をその必要性や気分によってどんどん試していった方がいいんだ、ということを実感できて。
そしてやっぱり自分は誰がなんと言おうとも音楽と創作は少なくとも一生(自分のため以外に実がならなくとも)つづけていきたいんだ、続けていかなくちゃ、と思い。
自分が楽しいから&自分の健康にもつなげられるから、自分のためになによりも表現するんだという思いを胸に刻み。
同時に表現という行動の自分との近さ、親密さに気づき大切にして、自分の精神の健康のため(そしてあわよくば他人の精神の健康にも使えないかと)表現することに今以上に喜びを感じていきたいと思いました。
・・・この突発的な悟りというか思いを文にするのは心がものすごくあせってはやってることもあり後で読み直すと恥ずかしいことも多々あるだろうとは覚悟していますが、でもそれでもこの思いを表現せずまた寝たらさきほどのも併せてダブルで明日しんどいかもしれないので心を決めて文章にしました。実際いま精神状態は大分落ち着いています。
そして目に見える形でこの考えを残しておくのは大切なような気がぼんやりとしたんで。
長々とお目汚し失礼しました。
レポはちゃんとした文を焦らず騒がず書きます(笑)
本題の前に一つ。
ちょっと前に母に「私がお腹の中にいるとき胎教かなんかした?」と聞いたら「さあ、あんたが小さい頃からいつも聞いているような 曲をただきいてたんじゃないの?」という答えが返ってきました。
つまり大きめの曲で言うと:
ストラヴィンスキーの火の鳥、ペトルーシュ カ、春の祭典、ベルリオーズの幻想交響曲、マーラー1番、バルトークの管弦楽のための協奏曲、ショスタコの5番とか・・・ってことですか。そうですか。
やっ ぱりしみついてますなあ。
大学在学中にとあるアンケートを趣味と興味100%でやりまして。
数いる友達のなかで特にオケのレパー トリーにかなり精通している友達をつかまえてこんなことを聞くのです:
「あなたがもっとも偉大だと思う交響曲を5つあげて下さい。」
あく までも「好きな」ではなく「偉大だと思う」です。
その結果がずっとしまってあったのでこっそりここで匿名で発表したいと思います。
サ ンプル数:10人(年齢:21~24歳くらい)(なお、このうちの1人は1つしか挙げられなく、もう1人は2つしか挙げられていません)
内訳: (2つ以上楽器を弾いている・いた人が多いのでのべ人数で)
ピアノ5人、チェロ2人、ビオラ2人、トロンボーン、トランペット、クラリネット、ホ ルン、コントラバス、バイオリン各1人
結果:
1位:マーラー5番&チャイコフスキー6番(各5票)
3位:ショス タコーヴィチ5番&ラフマニノフ2番(各4票)
5位:マーラー9番、マーラー3番、ベートーベン9番(各2票)
少数票(各1 票):
チャイコフスキー4番、5番
ベートーベン3番、5番、6番、7番、8番
マーラー2番、7番
ブルックナー8番、9番
モー ツァルト40番、41番
フランクニ短調
ドヴォルザーク7番
プロコフィエフ5番
ショスタコーヴィチ第13番
シュー ベルト9番
シェーンベルク室内交響曲第1番
作曲家別ランキング:
1位:ベートーベン(6曲)
2位:マーラー(5 曲)
3位:チャイコフスキー(3曲)
4位:モーツァルト&ブルックナー(各2曲)
(1曲の作曲家は省略)
総作曲交響曲数に対しての名前があがった交響曲の割合もフランクの1曲中1曲を除けばベートーベンが一位です(9曲中6曲)。マーラーはちなみに10曲中5曲挙 がってまして、チャイコの6曲中3曲もありこれらも割合としてすごいです。
やっぱり年齢でしょうかね、ハイドンとかぜんぜん入ってないですし(笑)案外シューベルト、ドヴォルザークも少なかったり。ブラームス、シベリウス、ヴォーン=ウィリアムスもランクインせず(厳しいですね!)。
ベートーベンがたくさん上がっていながらも一つ一つの交響曲の票数ではマーラーなどにしっかり負けてます。
全体的な印象としては「手堅い」感じのレパートリーで、そこそこ大きな編成の、表現的にも書かれ方も非の打ち所の無く充実した感じの曲が上位にランクインしてますね。
あんまり演奏する楽器によって選ぶ曲が変わるという傾向はないようです。
そして1人選んだ曲がマーラーかブルックナーのみという変わった人もいますが、だいたい5曲につき4~5人違った作曲をあげています。
選んだ理由、というのもアンケートにいれるべきなのかもしれませんがこのメンバーでこの質問の場合一人につき5つくらい小論文ができてしまう恐れがあるので(笑)
ちなみに私の選んだ5曲は:
ショスタコ5番、ドヴォルザーク7番、マーラー5番、ラフマニノフ2番、チャイコ6番
・・・とドヴォルザーク以外は結構やっぱり手堅いところを選んでます。
好きな交響曲、と言われてもよくよく考えたらやっぱりそんなに変わらないかな・・・
みんなが答えた曲のうちお知り合いになっていないのはシェーンベルク、ベートーベン8番、ブルックナー8番9番、シューベルト9番くらいですかね。
シェーンベルクはこないだCDを買ったんですがまだ聴いていません・・・(汗)
もちろんこれらはあくまでも玄人の(しかも結構コアな玄人の)意見であるのですが、それでも本当にクオリティの高いシンフォニーは何か、ということをものすごく反映していると思いますし、ここで上位に上がった曲は(そして他の曲のほとんども)玄人好みではありますが、決して玄人むけの曲ではありません。
なので(本当は交響曲は全楽章でひとつの芸術なのですが)1楽章ずつでもどんどんみんなが挙げてくれた交響曲をがんがん聴いて欲しいと思います。
最後に全般的に一番評価が高かったと思われるマーラーの言葉:
「交響曲は世界のように全てを包括していなければならない。」
今日の一曲: アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第7番 第3楽章
ランキング上位の名曲を紹介したいのはやまやまなんですが、もうどこから手をつけていいかわからない曲ばかりなので私の挙げた5曲の中の少数票のを主張(笑)
偉大は偉大なんですが、他の曲みたいな華のない交響曲・・・なんですよ。
地味、というか渋いというかで。私は地味とか暗い曲が好みなので個人的にプッシュして高く評価していますが。
なので交響曲の入り口とも通常言える第1楽章から聴くとちょっとこれに関しては初対面の印象で損する・・・ような気がするので。
なので、これを初めて聴いた&弾いたときに瞬時に私の心を背筋ともども鷲づかみにした第3楽章を紹介します♪
第3楽章は嵐のスケルツォ。私がこれを初めて知ったのはユースオケのキャンプでの初見でしたが、そのとき指揮者の人が「クレージー・スケルツォ」と呼んでいました。
スケルツォは軽やかに、遊び心たっぷりに。4分の6拍子はまるでめまぐるしいワルツのようで、まるで嵐のように灰色で、気まぐれなつむじ風が吹き、空気と雨が冷たく・・・
プラス中間部の暖かさ、懐かしさ、あどけなさがまた同じ風に乗ってるところがいじらしい(?)
6拍子というのは3+3、そして2+2+2という2パターンにリズムが割れますが、その組み合わせもまた心をくすぐりますね~(リズム大好き♪)
あとメインのメロディーに答えるメロディーもまた本当に素晴らしくて(counter-melody大大好き♪)、聴きながら口ずさむときももう一つ同時に声があったらと思うくらいです。
地味は地味でも優雅さや、厳しさや、切なさや・・・全部繊細なものが詰まってて、ものすごく愛すべき嵐のスケルツォです。
ドヴォルザークは派手な9番、8番、そしてチェロ協奏曲が有名ですが、こんな彼の側面もまたユニークで愛すべきもので・・・是非是非第3楽章から入ってみてください(笑)
ちょっと前に母に「私がお腹の中にいるとき胎教かなんかした?」と聞いたら「さあ、あんたが小さい頃からいつも聞いているような 曲をただきいてたんじゃないの?」という答えが返ってきました。
つまり大きめの曲で言うと:
ストラヴィンスキーの火の鳥、ペトルーシュ カ、春の祭典、ベルリオーズの幻想交響曲、マーラー1番、バルトークの管弦楽のための協奏曲、ショスタコの5番とか・・・ってことですか。そうですか。
やっ ぱりしみついてますなあ。
大学在学中にとあるアンケートを趣味と興味100%でやりまして。
数いる友達のなかで特にオケのレパー トリーにかなり精通している友達をつかまえてこんなことを聞くのです:
「あなたがもっとも偉大だと思う交響曲を5つあげて下さい。」
あく までも「好きな」ではなく「偉大だと思う」です。
その結果がずっとしまってあったのでこっそりここで匿名で発表したいと思います。
サ ンプル数:10人(年齢:21~24歳くらい)(なお、このうちの1人は1つしか挙げられなく、もう1人は2つしか挙げられていません)
内訳: (2つ以上楽器を弾いている・いた人が多いのでのべ人数で)
ピアノ5人、チェロ2人、ビオラ2人、トロンボーン、トランペット、クラリネット、ホ ルン、コントラバス、バイオリン各1人
結果:
1位:マーラー5番&チャイコフスキー6番(各5票)
3位:ショス タコーヴィチ5番&ラフマニノフ2番(各4票)
5位:マーラー9番、マーラー3番、ベートーベン9番(各2票)
少数票(各1 票):
チャイコフスキー4番、5番
ベートーベン3番、5番、6番、7番、8番
マーラー2番、7番
ブルックナー8番、9番
モー ツァルト40番、41番
フランクニ短調
ドヴォルザーク7番
プロコフィエフ5番
ショスタコーヴィチ第13番
シュー ベルト9番
シェーンベルク室内交響曲第1番
作曲家別ランキング:
1位:ベートーベン(6曲)
2位:マーラー(5 曲)
3位:チャイコフスキー(3曲)
4位:モーツァルト&ブルックナー(各2曲)
(1曲の作曲家は省略)
総作曲交響曲数に対しての名前があがった交響曲の割合もフランクの1曲中1曲を除けばベートーベンが一位です(9曲中6曲)。マーラーはちなみに10曲中5曲挙 がってまして、チャイコの6曲中3曲もありこれらも割合としてすごいです。
やっぱり年齢でしょうかね、ハイドンとかぜんぜん入ってないですし(笑)案外シューベルト、ドヴォルザークも少なかったり。ブラームス、シベリウス、ヴォーン=ウィリアムスもランクインせず(厳しいですね!)。
ベートーベンがたくさん上がっていながらも一つ一つの交響曲の票数ではマーラーなどにしっかり負けてます。
全体的な印象としては「手堅い」感じのレパートリーで、そこそこ大きな編成の、表現的にも書かれ方も非の打ち所の無く充実した感じの曲が上位にランクインしてますね。
あんまり演奏する楽器によって選ぶ曲が変わるという傾向はないようです。
そして1人選んだ曲がマーラーかブルックナーのみという変わった人もいますが、だいたい5曲につき4~5人違った作曲をあげています。
選んだ理由、というのもアンケートにいれるべきなのかもしれませんがこのメンバーでこの質問の場合一人につき5つくらい小論文ができてしまう恐れがあるので(笑)
ちなみに私の選んだ5曲は:
ショスタコ5番、ドヴォルザーク7番、マーラー5番、ラフマニノフ2番、チャイコ6番
・・・とドヴォルザーク以外は結構やっぱり手堅いところを選んでます。
好きな交響曲、と言われてもよくよく考えたらやっぱりそんなに変わらないかな・・・
みんなが答えた曲のうちお知り合いになっていないのはシェーンベルク、ベートーベン8番、ブルックナー8番9番、シューベルト9番くらいですかね。
シェーンベルクはこないだCDを買ったんですがまだ聴いていません・・・(汗)
もちろんこれらはあくまでも玄人の(しかも結構コアな玄人の)意見であるのですが、それでも本当にクオリティの高いシンフォニーは何か、ということをものすごく反映していると思いますし、ここで上位に上がった曲は(そして他の曲のほとんども)玄人好みではありますが、決して玄人むけの曲ではありません。
なので(本当は交響曲は全楽章でひとつの芸術なのですが)1楽章ずつでもどんどんみんなが挙げてくれた交響曲をがんがん聴いて欲しいと思います。
最後に全般的に一番評価が高かったと思われるマーラーの言葉:
「交響曲は世界のように全てを包括していなければならない。」
今日の一曲: アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第7番 第3楽章
ランキング上位の名曲を紹介したいのはやまやまなんですが、もうどこから手をつけていいかわからない曲ばかりなので私の挙げた5曲の中の少数票のを主張(笑)
偉大は偉大なんですが、他の曲みたいな華のない交響曲・・・なんですよ。
地味、というか渋いというかで。私は地味とか暗い曲が好みなので個人的にプッシュして高く評価していますが。
なので交響曲の入り口とも通常言える第1楽章から聴くとちょっとこれに関しては初対面の印象で損する・・・ような気がするので。
なので、これを初めて聴いた&弾いたときに瞬時に私の心を背筋ともども鷲づかみにした第3楽章を紹介します♪
第3楽章は嵐のスケルツォ。私がこれを初めて知ったのはユースオケのキャンプでの初見でしたが、そのとき指揮者の人が「クレージー・スケルツォ」と呼んでいました。
スケルツォは軽やかに、遊び心たっぷりに。4分の6拍子はまるでめまぐるしいワルツのようで、まるで嵐のように灰色で、気まぐれなつむじ風が吹き、空気と雨が冷たく・・・
プラス中間部の暖かさ、懐かしさ、あどけなさがまた同じ風に乗ってるところがいじらしい(?)
6拍子というのは3+3、そして2+2+2という2パターンにリズムが割れますが、その組み合わせもまた心をくすぐりますね~(リズム大好き♪)
あとメインのメロディーに答えるメロディーもまた本当に素晴らしくて(counter-melody大大好き♪)、聴きながら口ずさむときももう一つ同時に声があったらと思うくらいです。
地味は地味でも優雅さや、厳しさや、切なさや・・・全部繊細なものが詰まってて、ものすごく愛すべき嵐のスケルツォです。
ドヴォルザークは派手な9番、8番、そしてチェロ協奏曲が有名ですが、こんな彼の側面もまたユニークで愛すべきもので・・・是非是非第3楽章から入ってみてください(笑)
先ほどじっくり曲(仮)と感覚的曲(仮)の話をしましたが、よくよく考えてみると、リサイタルのレパートリーを選ぶときはできれば両方をとりいれていければいいのかな、と。
じっくり曲ばっかりだと緊張と集中力を長時間続けなくちゃ行けないのと、あと演奏前に念頭においておかなくちゃいけないことの量が半端なく感じるであろうので。
逆に感覚的な曲ばっかりだと演奏前に何も考えないでいいような感じが逆にものすごく怖いだろうし、万が一ミスったら頭と心をリセットするのが難しそう。
じっくり曲ばっかりだと緊張と集中力を長時間続けなくちゃ行けないのと、あと演奏前に念頭においておかなくちゃいけないことの量が半端なく感じるであろうので。
逆に感覚的な曲ばっかりだと演奏前に何も考えないでいいような感じが逆にものすごく怖いだろうし、万が一ミスったら頭と心をリセットするのが難しそう。
