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最近すっかり更新率がだだ落ちで本当にすみません。
今日の言い訳はどうやら風邪らしいです。
なんだか分からないけど疲れ気味なのかしら。
さて、右のサイドバーに私のtwitterとtwilogのリンクを載せました。
そっちはちょこちょこ更新しているので気になる方はどうぞ。
twitterをどうしてやっているか、ブログとの棲み分けは、とかいうことは案外考えてないんですよね。
なんとなーくやってて、なんとなく更新してるのみです。
ただ日本の番組の録画予約の情報収集の方法の一つとして、というのは意識的にありますね。
ブログの文体というか文の長さがどっちかというとミニエッセイなのでこっちはちょっと気負っちゃうところがありますが、なるべく気楽にやっていこうと思います。
一応「ブログにちゃんと書きたいトピック」のリストは書いてあるんですけどね。
ただ「文章におこす」こととなるとやっぱり考えなくちゃならないので(そしてトピックだけなら普通に生活してる中で新しいものをどんどん思いつくので)リストはちっとも短くならないのですが・・・(苦笑)
今どうやらインプット時期で、なにかを表現するよりは吸収する方ができることもあり。
創作もすすんでないのでMDに落とすサントラを作ったりしてました。これがなかなか難しい作業で。やっと今日終わった所なんです。
80分に納める(=交響曲の1楽章とか軽々しく使えません)ことはもちろん、ぼんやりとしたコンセプトしか分かってないストーリーのサントラを作るという無茶をしてしまい。
でもそのぼんやりとしたところに合う音楽を集めることで、このサントラを聴いてこれからキャラやストーリーを煮詰めていこうかな~という試みで。
MDなのでこれからこれらのサントラがどう変わっていくか(ストーリーのイメージや設定の変化、そして私のCDコレクションの拡大により)自分でもちょっと楽しみだったりします。
インプット時期(少なくとも自分ではそう思ってます)・・・なので本も結構読んでます。
これがアウトプット時期は全くなんですよ。
今日は図書館から借りたthe Vampire Armand(先日感想を書きました)、そしてObernewtynシリーズのthe Farseekers(これは第1作も併せて感想を書きたいです。ファンタジー好きにはかなりおすすめです)を返して、同時にEarthsea Quartet(邦題:ゲド戦記)の続編、the Other Windを借りてきました。
Earthsea Quartetは私の生涯読んだシリーズの中でトップに入る本です。今は日本の母に貸してますが・・・
ファンタジー小説として最高峰ですし、それに自分の創作に大きく影響を与えているような気がします。
いつか読み返したら(母さん返してくれ~)これも感想を書きたいところです。
最近おざなりになってるのが「世界史百科」を読むこと。
さくさくと読み進む割にはなぜかそこまで頭が回らない・・・というか。
でもこう頭が痛いとどうも・・・ですね。
明日はまだ仕事が入ってないのですが今夜はなるべくやすもうと思います。
今日の一曲: セザール・フランク 「前奏曲、アリアと終曲」
フランク。晩年のまた最期までその音楽が認められなかったフランク。
オルガニストであり、フランス製オルガンのような響きをピアノにもたらしたフランク。
はっきり宗教音楽というわけではないみたいですがちょっぴりバッハの風味があって、でも彼の時代のフランスとそして未来を見据えた音楽を書いたフランク。
彼の音楽は得意ではないのですが、でも聴くには好きです。
この曲を通じて表れる長調と短調の鮮やかな色彩の繊細な交わりが好きで。
短和音もが輝いているような、そして長調と仲良く共存しているようなハーモニーが本当に魅力的です。
フランス音楽にしてはちょっと重みのある、でも世界遺産に指定されるようなフランスの教会やそのステンドグラスを思わせる何よりもフランスらしい響きです。
もうちょっと弾かれるといいな~と思うのですが。(なかなか生演奏ではお目にかかれません)
個人的な印象ではフランクの音楽ってリサイタルとかのプログラムに入れるのはちょっと難しかったりするんですよね。
彼のオルガン音楽も聴いてみたいです。いつか。
今日の言い訳はどうやら風邪らしいです。
なんだか分からないけど疲れ気味なのかしら。
さて、右のサイドバーに私のtwitterとtwilogのリンクを載せました。
そっちはちょこちょこ更新しているので気になる方はどうぞ。
twitterをどうしてやっているか、ブログとの棲み分けは、とかいうことは案外考えてないんですよね。
なんとなーくやってて、なんとなく更新してるのみです。
ただ日本の番組の録画予約の情報収集の方法の一つとして、というのは意識的にありますね。
ブログの文体というか文の長さがどっちかというとミニエッセイなのでこっちはちょっと気負っちゃうところがありますが、なるべく気楽にやっていこうと思います。
一応「ブログにちゃんと書きたいトピック」のリストは書いてあるんですけどね。
ただ「文章におこす」こととなるとやっぱり考えなくちゃならないので(そしてトピックだけなら普通に生活してる中で新しいものをどんどん思いつくので)リストはちっとも短くならないのですが・・・(苦笑)
今どうやらインプット時期で、なにかを表現するよりは吸収する方ができることもあり。
創作もすすんでないのでMDに落とすサントラを作ったりしてました。これがなかなか難しい作業で。やっと今日終わった所なんです。
80分に納める(=交響曲の1楽章とか軽々しく使えません)ことはもちろん、ぼんやりとしたコンセプトしか分かってないストーリーのサントラを作るという無茶をしてしまい。
でもそのぼんやりとしたところに合う音楽を集めることで、このサントラを聴いてこれからキャラやストーリーを煮詰めていこうかな~という試みで。
MDなのでこれからこれらのサントラがどう変わっていくか(ストーリーのイメージや設定の変化、そして私のCDコレクションの拡大により)自分でもちょっと楽しみだったりします。
インプット時期(少なくとも自分ではそう思ってます)・・・なので本も結構読んでます。
これがアウトプット時期は全くなんですよ。
今日は図書館から借りたthe Vampire Armand(先日感想を書きました)、そしてObernewtynシリーズのthe Farseekers(これは第1作も併せて感想を書きたいです。ファンタジー好きにはかなりおすすめです)を返して、同時にEarthsea Quartet(邦題:ゲド戦記)の続編、the Other Windを借りてきました。
Earthsea Quartetは私の生涯読んだシリーズの中でトップに入る本です。今は日本の母に貸してますが・・・
ファンタジー小説として最高峰ですし、それに自分の創作に大きく影響を与えているような気がします。
いつか読み返したら(母さん返してくれ~)これも感想を書きたいところです。
最近おざなりになってるのが「世界史百科」を読むこと。
さくさくと読み進む割にはなぜかそこまで頭が回らない・・・というか。
でもこう頭が痛いとどうも・・・ですね。
明日はまだ仕事が入ってないのですが今夜はなるべくやすもうと思います。
今日の一曲: セザール・フランク 「前奏曲、アリアと終曲」
フランク。晩年のまた最期までその音楽が認められなかったフランク。
オルガニストであり、フランス製オルガンのような響きをピアノにもたらしたフランク。
はっきり宗教音楽というわけではないみたいですがちょっぴりバッハの風味があって、でも彼の時代のフランスとそして未来を見据えた音楽を書いたフランク。
彼の音楽は得意ではないのですが、でも聴くには好きです。
この曲を通じて表れる長調と短調の鮮やかな色彩の繊細な交わりが好きで。
短和音もが輝いているような、そして長調と仲良く共存しているようなハーモニーが本当に魅力的です。
フランス音楽にしてはちょっと重みのある、でも世界遺産に指定されるようなフランスの教会やそのステンドグラスを思わせる何よりもフランスらしい響きです。
もうちょっと弾かれるといいな~と思うのですが。(なかなか生演奏ではお目にかかれません)
個人的な印象ではフランクの音楽ってリサイタルとかのプログラムに入れるのはちょっと難しかったりするんですよね。
彼のオルガン音楽も聴いてみたいです。いつか。
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今日は久しぶりに精神医とのアポイントメントでした。
とりあえず現状、冬になってやっぱり気持ちがやっぱり変わることを話して。
まあなにも心配するようなことはないのでCatch-up sessionとう形でした。
私のお世話になってる病院は一回のアポが30分、または1時間となっています。
具合が悪いときやそのほか時間が必要なときは1時間、とかですね。
患者さんが緊急の場合、具合が特に悪い場合は優先的に割り込ませてもらったり、緊急性が低いほかの患者さんの時間をもらうこともできたりします。
あ、英語でよく精神医(ただこの日本語が正しいかどうかもわかりませんが)を指す言葉にShrinkという言葉がありますが、メンタルヘルスにかかわる人(職業的に、または患者として、そして患者の周りの人)はあんまりその言葉を使わないみたいです。
普通に「Doctor」というか(偏見がない単語ですね)、たまに「Psychiatrist」の略として「Psych」と呼びます(臨床心理士=Psychologistの略でもあるっぽいです)。
ちなみに今のドクターは生涯二人目。
最初のドクター(その前にGPやPsychologistにもお世話になってますが、精神医としては最初)が徐々に退職の準備を始めるというので移行という形で今のドクターにかかることになりました。
最初のドクターも今の病院(彼女を通じて3度の入院でおせわになった病院)の精神医なのですが患者さんは主に自宅で診ていました。
今のドクターは基本非常勤務(週3日かな?)で、病院でのみ患者を診ています。
私のドクターはどうやら病院では結構すごい人らしいです。
まず年が他のドクターに比べて若い。
前のドクターは12年大学で勉強して精神医になったといいますが、それ以上にお医者さん自体かなりの年数の経験がものをいい、マニュアルらしいマニュアルがない、人の心を扱う精神医学ももちろんそうです。
実際の年齢はわからないのですが(それもアジア系でいわゆるとっちゃん坊や系統の顔なので余計に)、若いながらもすでに病院のお偉いさんの6人のドクターに名を連ねているのです。
詳しいことはわからないんですけど、前回入院してるときに:
1)ECTに立ち会う精神医であり、
2)入院患者が治療や精神医学全般について質問するセッションを受けもつなんだか「幹部」的なドクターのグループの一人だった
ということで。
彼に診てもらってから自分のこと、どうやって病気をmanageしていくか、そして精神医学の治療などのことをいっぱい学びました。
治療として話すことでいろいろ生まれるのはもちろん、調子がいい時にそうやっていろいろ学ぶのもためになり、楽しく、そして自分の力になります。
アポとして話すのも「学びたい」という欲求には「話したりない!」と思うので・・・むしろ弟子入りして「師匠」と呼びたいくらいです。
彼のおかげでメンタルヘルスをきちんと勉強してその道に進みたい、理論を学びながら人の心と触れ合いたいと願うようになったんです。ドクターが私にはやっぱり学術的に学ぶほうが合ってるから大学で心理学の勉強をDegreeとしてするといいよ、ということを言ってくれましたし。
精神医療といっても内容はいろいろあります。
病気の種類もたくさんありますし、治療法もいろいろ。
なので精神医もいろいろ専門を絞る場合がいます。
たとえば摂食障害専門の女性のPsychologistや精神医が真っ先に頭に浮かびますし、若い人を専門に見るお医者さんもいます。
私のドクターも若い人を多く診るそうです。そして治療法で言えば彼は認知行動療法を中心に治療をすすめていく派で、生物学的な原因による鬱などを主に診るんだとか。
もちろん薬も扱いますし、薬についての知識も広いです。ただこっちの精神医は薬の使用は比較的慎重で、彼ももちろんそうです。
なのでたとえば心理療法の観点からのアドバイスが欲しいときは(私の印象なのですがドクターの「師匠」であるらしい)病院で一番偉いドクターにセカンドオピニオンをお願いするんだそうです。
まあセカンドオピニオンは患者さんがリクエストした場合など気軽にするもんなんですけどね。特に「精神病院」という場所の性質上セカンドオピニオンを頼めるお医者さんがたくさんいますし、誰がどんなエリア専門でどんな治療をするかというのも把握してるんでしょうから。
あと精神医のネットワークが大切なのは精神医自身の心のケア。もともとストレスの多い職種ですし、患者が自殺してしまったりすることも十分ありえるので、そういう時は精神医たちも精神医などにかかるらしいです。病院という環境はそういう場合にもいい環境となりえます。
診察はもちろん精神医の個室みたいので行うのですが、部屋の感じとかおいてあるものでドクターのことがわかることもあります。
DSMや他の精神医学関係の分厚い本や資料はもちろん(あと医薬品の会社からのグッズが何気にどこでも気になります)、私のドクターの場合装飾品が面白い。
だいたい装飾品は二つに分かれます。
1)仏像、2)スターウォーズのなかなかのサイズのフィギュア。
好きだそうです、スターウォーズ。
ごくごく稀に考えかたの話ででてきます(笑)
ドクターの考え方で好きなのはポジティブなこととか「正しい」ことに偏りすぎていないことかな。
自殺が「間違った」ことではない、という私の持論も元はドクターの話が元で。
ポジティブなことを主張し、ネガティブなことを否定するのではなく、バランスを大切にした・・・まあどっちかというと仏教的な思想を持つ人みたいなのでそっちの雰囲気もあります。
何年か前はドクターの名言とか知ってたんですけどね~最近はお互い知り合うようになったのと調子がよくなったから(それは良いことなのですが)あんまりそういう話しなくなっちゃったんで。
次のアポは3ヶ月後なんですけど(これは進歩ですよ!調子悪いときは毎週ですからね)、その時に改めていろいろドクターにそういうことを聞いたり、学びたいということを伝え、話したいと思います。(手帳に書きます!)
ドクターには本当に今までお世話になりましたし、助けられましたし、そしてなによりも信頼し、尊敬しています。
そして患者としてそういう精神医がいることはものすごい心の支えになります。
ちゃんと診てくれて、話を聞いてくれて、そして一緒に治療に取り組み、普段からの管理を助けてくれて。そして自分自身でもなんとかやっていけてももしもの時はちゃんと対応してくれる。
そんなドクターとめぐり合えて本当に幸せです。
自分の一番尊敬する人であるドクター。これからも彼といっしょに治療と管理に取り組み、たくさんのことを学んでいきたいと思います。
今日の一曲: パーシー・グレンジャー 子供のマーチ「丘を越えてかなたへ」
正直言ってあなどっていました。グレンジャーという作曲家のことを。
オーストラリアでのクラシック音楽の始まりといってもいい作曲家で、しかも私が学生時代住んでた近くで生を受けた地元メルボルンの作曲家ながらも、やっぱりイギリスから来た音楽の二番煎じみたいな曲が多く、ポップで深みに欠ける音楽を書き、しかもそれがこっちに住んでるとEnglish Country GardensとかMolly on the Shoreとかもう100回くらい聞いて聞き飽きた~みたいなイメージがあって。
でも先日これを聞いて不覚にもやられました。
これもまたイギリス民謡風の曲なんですけど、ぴょこぴょこ跳ねるようなリズムに無邪気さと・・・なんというか、いろいろな曲に言うんですけど・・・夢があるんですよ。子供時代に世界に夢見たような、きらきらした色彩。
それであってなぜかこの曲は「メルボルンらしい!」と思えるんですよね。
まあリトル・ロンドンと呼ばれる都市なのでそれもきっとあるんだと思いますが、決して派手ではない、でも味があるところとか、もっと言葉では表せないような直感的な感じもあります。
私の持ってるバージョンはwind bandのバージョンですが珍しくピアノが入ってます。で、またこのピアノが不思議なメリハリと迫力を出してピアニスト冥利に尽きるんですよねえ~。
ピアノが和音連打してるところなんてポジティブな感じでぞくぞくします。
Over the Hill and Far Away・・・
思い出すのは2つのこと。
ピーターラビットのシリーズの話でそんなエンディングがあったようななかったような・・・
そしてもうひとつは子供十字軍のこと。聖地をもとめて子供たちだけで行進した・・・(こないだWyrd読んだからですかねえ。あとSylviaの印象も強い)。
子供十字軍のことは結末からしてあんまりこの曲と関連付けたくないんですけどねえ・・・
丘の向こうに夢を見ながらまた聴きたいと思います。
とりあえず現状、冬になってやっぱり気持ちがやっぱり変わることを話して。
まあなにも心配するようなことはないのでCatch-up sessionとう形でした。
私のお世話になってる病院は一回のアポが30分、または1時間となっています。
具合が悪いときやそのほか時間が必要なときは1時間、とかですね。
患者さんが緊急の場合、具合が特に悪い場合は優先的に割り込ませてもらったり、緊急性が低いほかの患者さんの時間をもらうこともできたりします。
あ、英語でよく精神医(ただこの日本語が正しいかどうかもわかりませんが)を指す言葉にShrinkという言葉がありますが、メンタルヘルスにかかわる人(職業的に、または患者として、そして患者の周りの人)はあんまりその言葉を使わないみたいです。
普通に「Doctor」というか(偏見がない単語ですね)、たまに「Psychiatrist」の略として「Psych」と呼びます(臨床心理士=Psychologistの略でもあるっぽいです)。
ちなみに今のドクターは生涯二人目。
最初のドクター(その前にGPやPsychologistにもお世話になってますが、精神医としては最初)が徐々に退職の準備を始めるというので移行という形で今のドクターにかかることになりました。
最初のドクターも今の病院(彼女を通じて3度の入院でおせわになった病院)の精神医なのですが患者さんは主に自宅で診ていました。
今のドクターは基本非常勤務(週3日かな?)で、病院でのみ患者を診ています。
私のドクターはどうやら病院では結構すごい人らしいです。
まず年が他のドクターに比べて若い。
前のドクターは12年大学で勉強して精神医になったといいますが、それ以上にお医者さん自体かなりの年数の経験がものをいい、マニュアルらしいマニュアルがない、人の心を扱う精神医学ももちろんそうです。
実際の年齢はわからないのですが(それもアジア系でいわゆるとっちゃん坊や系統の顔なので余計に)、若いながらもすでに病院のお偉いさんの6人のドクターに名を連ねているのです。
詳しいことはわからないんですけど、前回入院してるときに:
1)ECTに立ち会う精神医であり、
2)入院患者が治療や精神医学全般について質問するセッションを受けもつなんだか「幹部」的なドクターのグループの一人だった
ということで。
彼に診てもらってから自分のこと、どうやって病気をmanageしていくか、そして精神医学の治療などのことをいっぱい学びました。
治療として話すことでいろいろ生まれるのはもちろん、調子がいい時にそうやっていろいろ学ぶのもためになり、楽しく、そして自分の力になります。
アポとして話すのも「学びたい」という欲求には「話したりない!」と思うので・・・むしろ弟子入りして「師匠」と呼びたいくらいです。
彼のおかげでメンタルヘルスをきちんと勉強してその道に進みたい、理論を学びながら人の心と触れ合いたいと願うようになったんです。ドクターが私にはやっぱり学術的に学ぶほうが合ってるから大学で心理学の勉強をDegreeとしてするといいよ、ということを言ってくれましたし。
精神医療といっても内容はいろいろあります。
病気の種類もたくさんありますし、治療法もいろいろ。
なので精神医もいろいろ専門を絞る場合がいます。
たとえば摂食障害専門の女性のPsychologistや精神医が真っ先に頭に浮かびますし、若い人を専門に見るお医者さんもいます。
私のドクターも若い人を多く診るそうです。そして治療法で言えば彼は認知行動療法を中心に治療をすすめていく派で、生物学的な原因による鬱などを主に診るんだとか。
もちろん薬も扱いますし、薬についての知識も広いです。ただこっちの精神医は薬の使用は比較的慎重で、彼ももちろんそうです。
なのでたとえば心理療法の観点からのアドバイスが欲しいときは(私の印象なのですがドクターの「師匠」であるらしい)病院で一番偉いドクターにセカンドオピニオンをお願いするんだそうです。
まあセカンドオピニオンは患者さんがリクエストした場合など気軽にするもんなんですけどね。特に「精神病院」という場所の性質上セカンドオピニオンを頼めるお医者さんがたくさんいますし、誰がどんなエリア専門でどんな治療をするかというのも把握してるんでしょうから。
あと精神医のネットワークが大切なのは精神医自身の心のケア。もともとストレスの多い職種ですし、患者が自殺してしまったりすることも十分ありえるので、そういう時は精神医たちも精神医などにかかるらしいです。病院という環境はそういう場合にもいい環境となりえます。
診察はもちろん精神医の個室みたいので行うのですが、部屋の感じとかおいてあるものでドクターのことがわかることもあります。
DSMや他の精神医学関係の分厚い本や資料はもちろん(あと医薬品の会社からのグッズが何気にどこでも気になります)、私のドクターの場合装飾品が面白い。
だいたい装飾品は二つに分かれます。
1)仏像、2)スターウォーズのなかなかのサイズのフィギュア。
好きだそうです、スターウォーズ。
ごくごく稀に考えかたの話ででてきます(笑)
ドクターの考え方で好きなのはポジティブなこととか「正しい」ことに偏りすぎていないことかな。
自殺が「間違った」ことではない、という私の持論も元はドクターの話が元で。
ポジティブなことを主張し、ネガティブなことを否定するのではなく、バランスを大切にした・・・まあどっちかというと仏教的な思想を持つ人みたいなのでそっちの雰囲気もあります。
何年か前はドクターの名言とか知ってたんですけどね~最近はお互い知り合うようになったのと調子がよくなったから(それは良いことなのですが)あんまりそういう話しなくなっちゃったんで。
次のアポは3ヶ月後なんですけど(これは進歩ですよ!調子悪いときは毎週ですからね)、その時に改めていろいろドクターにそういうことを聞いたり、学びたいということを伝え、話したいと思います。(手帳に書きます!)
ドクターには本当に今までお世話になりましたし、助けられましたし、そしてなによりも信頼し、尊敬しています。
そして患者としてそういう精神医がいることはものすごい心の支えになります。
ちゃんと診てくれて、話を聞いてくれて、そして一緒に治療に取り組み、普段からの管理を助けてくれて。そして自分自身でもなんとかやっていけてももしもの時はちゃんと対応してくれる。
そんなドクターとめぐり合えて本当に幸せです。
自分の一番尊敬する人であるドクター。これからも彼といっしょに治療と管理に取り組み、たくさんのことを学んでいきたいと思います。
今日の一曲: パーシー・グレンジャー 子供のマーチ「丘を越えてかなたへ」
正直言ってあなどっていました。グレンジャーという作曲家のことを。
オーストラリアでのクラシック音楽の始まりといってもいい作曲家で、しかも私が学生時代住んでた近くで生を受けた地元メルボルンの作曲家ながらも、やっぱりイギリスから来た音楽の二番煎じみたいな曲が多く、ポップで深みに欠ける音楽を書き、しかもそれがこっちに住んでるとEnglish Country GardensとかMolly on the Shoreとかもう100回くらい聞いて聞き飽きた~みたいなイメージがあって。
でも先日これを聞いて不覚にもやられました。
これもまたイギリス民謡風の曲なんですけど、ぴょこぴょこ跳ねるようなリズムに無邪気さと・・・なんというか、いろいろな曲に言うんですけど・・・夢があるんですよ。子供時代に世界に夢見たような、きらきらした色彩。
それであってなぜかこの曲は「メルボルンらしい!」と思えるんですよね。
まあリトル・ロンドンと呼ばれる都市なのでそれもきっとあるんだと思いますが、決して派手ではない、でも味があるところとか、もっと言葉では表せないような直感的な感じもあります。
私の持ってるバージョンはwind bandのバージョンですが珍しくピアノが入ってます。で、またこのピアノが不思議なメリハリと迫力を出してピアニスト冥利に尽きるんですよねえ~。
ピアノが和音連打してるところなんてポジティブな感じでぞくぞくします。
Over the Hill and Far Away・・・
思い出すのは2つのこと。
ピーターラビットのシリーズの話でそんなエンディングがあったようななかったような・・・
そしてもうひとつは子供十字軍のこと。聖地をもとめて子供たちだけで行進した・・・(こないだWyrd読んだからですかねえ。あとSylviaの印象も強い)。
子供十字軍のことは結末からしてあんまりこの曲と関連付けたくないんですけどねえ・・・
丘の向こうに夢を見ながらまた聴きたいと思います。
つい最近新しい取引先ができて、医薬の仕事中心になるので小躍りしていたところですが、ここのところやっていたArts系の翻訳をやっていてやっぱり心はやっぱり芸術系の方にまだまだ思いが深いな-と思いました。
こういう仕事もやっていけるといいなあ・・・
それはさておき。
今日唐突に書きたくなったのは「暗譜」のこと。
音楽を覚えて、演奏などで楽譜なしで弾くこと・・・と書いたところでこの説明の下手さを謝罪させてください(汗)
音楽の演奏では楽譜を見て演奏する場合と、演奏しない場合があります。
どういうときにどういう人が楽譜を見て弾くのか、そうでないのか・・・というのは私の知る限りはっきりとは決まってません。しいていえば「慣習に従う」というのが一般的なルールでしょうか。
オーケストラではたいていみんな楽譜をみますが、ピアニストの演奏はほとんどの場合暗譜です(が、そうでない演奏も結構あります)。
基本的に同時に一緒に演奏するのが2人以上の場合(声+ピアノの場合を除く)は楽譜有りで弾く場合が多い・・・ような気がします。
伴奏・室内楽でのピアノ奏者は必ずといっていいほど楽譜有りで弾きます。主な理由はピアノ譜には他のパートも記されていて、まとめ役のピアニストが他のパートの動向を把握するために楽譜を見ている必要がある、というわけなのですが。
その法則で行くと指揮者はオーケストラの全てのパートが記されている複雑なスコアを見ながら指揮する、ということになりますが、スコアなしで指揮する指揮者、そして特定の曲のみスコアなしで指揮する指揮者も結構居るみたいです。
でもそんなことは生半可な気持ちじゃきっとできませんもんね。あれだけの複雑な情報を脳の中に蓄積してちゃんと引き出しながら、同時に指揮の全てをするなんて。
大学だとピアニストと歌う人以外はコンサートクラスなんかだと楽譜を見て弾くことも珍しくありませんでした。
大まかな分け方で言えばコンチェルトは暗譜し、ソナタ他は楽譜を見る(ソナタは一応室内楽ですしね)、というところかな。
そんななかちょっと地味に大変な楽器が一つ。
ホルンの人はみんなモーツァルトの4つの協奏曲を弾くのですが、このうち3つ(2番~4番)は同じ調で、しかも曲自体もかなり似通っています。
なのでいくつか弾いて、暗譜するようになると弾いてる途中で別のコンチェルトに変わっちゃったりしちゃうそうです。あわてて楽譜をチェックしたり、ipodで確認したり(笑)
ちなみにその唯一似通ってない第1番は実はモーツァルトが書いた物ではない、という説もあるそうです。
暗譜の演奏中に音を忘れたりそれによって演奏ストップすることをMemory slipとこちらでは呼びます。
演奏家が恐れていることの一つで、どんなによく知っていて自分の一部のような曲でも、たまにランダムにおそってきます。
大学のピアニストにとってMemory slipに関して鬼門だったのはショパンのスケルツォ第4番。何人もの凄腕の先輩が弾いてますがコンサートクラスでmemory slipを経験する人の多いこと。
私が4年半のうちに唯一経験した授業での演奏でのmemory slipはヒンデミットのピアノソナタ第3番第3楽章。途中でフーガがあるのですがその途中で頭が真っ白に・・・いやあ怖かったです。
バッハがちょっと怖い、とみんな(?)感じるのはやっぱり同じくフーガの途中で分からなくなったらもうお手上げですからね。
楽譜を見る、見ない、それは慣習に従う従わないありますが結局は演奏者自身が決めることです。
楽譜を見た方が安心するんじゃないか、と思われる方もいらっしゃると思いますが、むしろ楽譜がない方がいい、という人が特にピアノ弾きには多いです。
楽譜を見ることで脳の集中がそっちに行く、というのとやっぱり暗譜してあった方が音楽が自分の一部のように感じる、というようなことを良く聞きます。
私の場合、上記の理由もありますが、なんといっても楽譜のページをめくるのが面倒くさい、という理由が大きいです。
(だからといって楽譜がデジタル化されるのもなんか違うなーと思います。わがままです。基本)
なのでごく自然とページめくりがやっかいな所ばっかり早く覚えます。
あと生涯のほとんど目が悪いので基本的に細かい物をがんばって見るのが嫌い、というまたこれもくだらない理由もあります。
基本演奏は暗譜ですが、今までに武満の作品、メシアンの「ダイシャクシギ」などは楽譜を見て演奏したことがあります。説明するほどの理由はないのですが・・・どうも自信がつかなかったというか、なんというか・・・
暗譜する方法・・・というのは特にこれといってありません。私の場合。
弾いてると自然と覚えますし、頭の中で音名を言っていることも多いので。
ただ弾いているところが楽譜のページのどこらへんにあるか、とかぼんやりとした楽譜面は覚えていて、それを参照することもあります。
メシアンを暗譜で弾く、というと驚かれることもありますが、比較的自然にくるほうですし、そのぼんやりとした楽譜面、一部の音、手の形、そして音の色彩の組み合わせで案外結構覚えられます。
人前で弾くことはとりあえず全くなくなりましたが、自分が弾く分にも「自分の一部となった」と思える様になるべく暗譜していきたいと思います。
今日の一曲: パウル・ヒンデミット ピアノソナタ第3番 第3楽章
さきほど私がMemory Slipがあったといった曲です。
録音はグールドのですが、なんせグールドですので他の演奏が聴きたいなあ、と今更(だって弾いてたの在学中ですよ)思います。
ヒンデミットは20世紀のドイツの作曲家ですが、彼の音楽のおよそ半分ほどはこのソナタの第1楽章のようにイギリス風味の強い性格をしています。
ただこの第3楽章は珍しくドイツ風味、しかもどこかブラームスに似たものを感じます。
自分がこの曲に惹かれたのはやっぱりどこか「苦しみ」「重み」のエレメントがあったからだと思います。
そしてそれにともなう人間味、あったかさも。
和音がずっしり心にくるのは聞いていてもそうですし、弾いていると指を通じてさらに感じられます。
そしてちょっと不思議なことなのですが、この楽章には先ほども言いましたようにフーガになっているセクションがあります。バッハのフーガとは分析してみるとここが違うんだな~と思うところが多々ありますが。
(実は第4楽章がまるまるフーガなので、そこんとこどうなんだろうと思わざるを得ませんがね)
苦しみ、重みと対照的な高音域のセクションもまた秀逸です。
なんでしょうね、どこをとっても人間の心に近いトーンというか色彩というか・・・そこがやっぱりブラームスっぽい要素なんでしょうけど。
ヒンデミットはビオラ奏者、金管奏者などのように弾くのを避けて通れないような楽器の奏者にはよく知られ、愛され、高評価を得ているのですがピアニストはほとんど彼の作品を弾かないため彼のソナタは忘れられがちです。
ドイツ音楽の歴史のまぎれもない一部であり、それも素晴らしい20世紀、そしてドイツの音楽ですのでもうちょっと弾かれるようになるといいなあ~と思ってます。
私自身ももう一回チャレンジしたいです!
こういう仕事もやっていけるといいなあ・・・
それはさておき。
今日唐突に書きたくなったのは「暗譜」のこと。
音楽を覚えて、演奏などで楽譜なしで弾くこと・・・と書いたところでこの説明の下手さを謝罪させてください(汗)
音楽の演奏では楽譜を見て演奏する場合と、演奏しない場合があります。
どういうときにどういう人が楽譜を見て弾くのか、そうでないのか・・・というのは私の知る限りはっきりとは決まってません。しいていえば「慣習に従う」というのが一般的なルールでしょうか。
オーケストラではたいていみんな楽譜をみますが、ピアニストの演奏はほとんどの場合暗譜です(が、そうでない演奏も結構あります)。
基本的に同時に一緒に演奏するのが2人以上の場合(声+ピアノの場合を除く)は楽譜有りで弾く場合が多い・・・ような気がします。
伴奏・室内楽でのピアノ奏者は必ずといっていいほど楽譜有りで弾きます。主な理由はピアノ譜には他のパートも記されていて、まとめ役のピアニストが他のパートの動向を把握するために楽譜を見ている必要がある、というわけなのですが。
その法則で行くと指揮者はオーケストラの全てのパートが記されている複雑なスコアを見ながら指揮する、ということになりますが、スコアなしで指揮する指揮者、そして特定の曲のみスコアなしで指揮する指揮者も結構居るみたいです。
でもそんなことは生半可な気持ちじゃきっとできませんもんね。あれだけの複雑な情報を脳の中に蓄積してちゃんと引き出しながら、同時に指揮の全てをするなんて。
大学だとピアニストと歌う人以外はコンサートクラスなんかだと楽譜を見て弾くことも珍しくありませんでした。
大まかな分け方で言えばコンチェルトは暗譜し、ソナタ他は楽譜を見る(ソナタは一応室内楽ですしね)、というところかな。
そんななかちょっと地味に大変な楽器が一つ。
ホルンの人はみんなモーツァルトの4つの協奏曲を弾くのですが、このうち3つ(2番~4番)は同じ調で、しかも曲自体もかなり似通っています。
なのでいくつか弾いて、暗譜するようになると弾いてる途中で別のコンチェルトに変わっちゃったりしちゃうそうです。あわてて楽譜をチェックしたり、ipodで確認したり(笑)
ちなみにその唯一似通ってない第1番は実はモーツァルトが書いた物ではない、という説もあるそうです。
暗譜の演奏中に音を忘れたりそれによって演奏ストップすることをMemory slipとこちらでは呼びます。
演奏家が恐れていることの一つで、どんなによく知っていて自分の一部のような曲でも、たまにランダムにおそってきます。
大学のピアニストにとってMemory slipに関して鬼門だったのはショパンのスケルツォ第4番。何人もの凄腕の先輩が弾いてますがコンサートクラスでmemory slipを経験する人の多いこと。
私が4年半のうちに唯一経験した授業での演奏でのmemory slipはヒンデミットのピアノソナタ第3番第3楽章。途中でフーガがあるのですがその途中で頭が真っ白に・・・いやあ怖かったです。
バッハがちょっと怖い、とみんな(?)感じるのはやっぱり同じくフーガの途中で分からなくなったらもうお手上げですからね。
楽譜を見る、見ない、それは慣習に従う従わないありますが結局は演奏者自身が決めることです。
楽譜を見た方が安心するんじゃないか、と思われる方もいらっしゃると思いますが、むしろ楽譜がない方がいい、という人が特にピアノ弾きには多いです。
楽譜を見ることで脳の集中がそっちに行く、というのとやっぱり暗譜してあった方が音楽が自分の一部のように感じる、というようなことを良く聞きます。
私の場合、上記の理由もありますが、なんといっても楽譜のページをめくるのが面倒くさい、という理由が大きいです。
(だからといって楽譜がデジタル化されるのもなんか違うなーと思います。わがままです。基本)
なのでごく自然とページめくりがやっかいな所ばっかり早く覚えます。
あと生涯のほとんど目が悪いので基本的に細かい物をがんばって見るのが嫌い、というまたこれもくだらない理由もあります。
基本演奏は暗譜ですが、今までに武満の作品、メシアンの「ダイシャクシギ」などは楽譜を見て演奏したことがあります。説明するほどの理由はないのですが・・・どうも自信がつかなかったというか、なんというか・・・
暗譜する方法・・・というのは特にこれといってありません。私の場合。
弾いてると自然と覚えますし、頭の中で音名を言っていることも多いので。
ただ弾いているところが楽譜のページのどこらへんにあるか、とかぼんやりとした楽譜面は覚えていて、それを参照することもあります。
メシアンを暗譜で弾く、というと驚かれることもありますが、比較的自然にくるほうですし、そのぼんやりとした楽譜面、一部の音、手の形、そして音の色彩の組み合わせで案外結構覚えられます。
人前で弾くことはとりあえず全くなくなりましたが、自分が弾く分にも「自分の一部となった」と思える様になるべく暗譜していきたいと思います。
今日の一曲: パウル・ヒンデミット ピアノソナタ第3番 第3楽章
さきほど私がMemory Slipがあったといった曲です。
録音はグールドのですが、なんせグールドですので他の演奏が聴きたいなあ、と今更(だって弾いてたの在学中ですよ)思います。
ヒンデミットは20世紀のドイツの作曲家ですが、彼の音楽のおよそ半分ほどはこのソナタの第1楽章のようにイギリス風味の強い性格をしています。
ただこの第3楽章は珍しくドイツ風味、しかもどこかブラームスに似たものを感じます。
自分がこの曲に惹かれたのはやっぱりどこか「苦しみ」「重み」のエレメントがあったからだと思います。
そしてそれにともなう人間味、あったかさも。
和音がずっしり心にくるのは聞いていてもそうですし、弾いていると指を通じてさらに感じられます。
そしてちょっと不思議なことなのですが、この楽章には先ほども言いましたようにフーガになっているセクションがあります。バッハのフーガとは分析してみるとここが違うんだな~と思うところが多々ありますが。
(実は第4楽章がまるまるフーガなので、そこんとこどうなんだろうと思わざるを得ませんがね)
苦しみ、重みと対照的な高音域のセクションもまた秀逸です。
なんでしょうね、どこをとっても人間の心に近いトーンというか色彩というか・・・そこがやっぱりブラームスっぽい要素なんでしょうけど。
ヒンデミットはビオラ奏者、金管奏者などのように弾くのを避けて通れないような楽器の奏者にはよく知られ、愛され、高評価を得ているのですがピアニストはほとんど彼の作品を弾かないため彼のソナタは忘れられがちです。
ドイツ音楽の歴史のまぎれもない一部であり、それも素晴らしい20世紀、そしてドイツの音楽ですのでもうちょっと弾かれるようになるといいなあ~と思ってます。
私自身ももう一回チャレンジしたいです!
やーっと読み終わりました!
Anne Rice "The Vampire Armand" (邦題:美青年アルマンの遍歴)
(日本語版)
(英語)
二言まず言わせてください。
何よりも深い!そして濃い!
あらすじは、というと・・・
ウクライナの田舎に生まれ、とらわれ奴隷として売られるためにヨーロッパに渡ったアンドレイ(アルマンの元の名前)は、マリウスという男に救われ、ヴェネツィアで彼の元で暮らすこととなる。
マリウスはアンドレイをたいそう愛し、愛しそして教育していく・・・が、マリウスは実はヴァンパイアだった。
アルマンとマリウスとの生活、そしてヴァンパイアになったいきさつ、人間としてそしてヴァンパイアとしてマリウスから学んだこと、そして彼らに降りかかった悲劇、時代の移り変わりと共に生きていくということ・・・
アルマンの人間として、そしてヴァンパイアとしての長い長い人生を彼の視点から綴る本です。
実はこのヴァンパイア・クロニクルというシリーズのなかでこの本は6作目ですが、私はまだ1作目とこれしか読んでません。
2作目の"the Vampire Lestat"が図書館で見つからないので・・・(汗)
でもタイトルでも分かるようにこのシリーズの本はヴァンパイアの主要人物一人ずつに密着した伝記スタイルなのでそこまで順番は・・・最終的に全部読めば大丈夫なんじゃないかなーと独断で決めてしまいました。
断っておきますが前半は結構性的描写が多い・強いです。(笑)
アルマンの性癖・・・というものの性質上、異性とだけではなく男同士のものも含まれます。
でもそれもまたこの物語の魅力の一部と深く結びついているような気もします。
この本で見事だと思ったことが3つあります。
1つはヴァンパイアという存在についての深い考察、哲学。ヴァンパイアとは一体「何」なのか、何を信じてこの長い時を生きて行けばいいのか・・・など。
一人称の伝記的な物語とすることによって、個々のヴァンパイアの感情、信仰、哲学などが深く感じられるのが本当に面白いし、素晴らしいと思います。
2つめは「時」の表現。アルマンがマリウスと過ごしたヴェネツィアの昔と、そして20世紀末のアメリカでの・・・ヴァンパイアである主人公達の周りでどんなに時間が変わったか(彼ら自身の精神も不変ではないのですが)、時代がどんなに移り変わり、世界が変わってしまったかということが人間である読者の心にひしひしと感じられます。
3つめはこれはヴァンパイア文学のなかでも随一だと思うのですが、色彩の表現です。
例えばトワイライトシリーズだとわざと色をあまり使わないようにしていますし、ポーの一族もイギリス中心でまた色が限られてきます。他の作品もしかり。
もともとヴァンパイアは夜の生き物なので、色彩の世界ではない・・・はずなのですが、前半の舞台がヴェネツィアで、マリウスが絵描きだと言うこともあって物語の前半がまあカラフルなんですよ!
アルマン自身も「ボッティチェリの天使」と呼ばれるほどですし、見事にその世界の住人で。
さらに、その色彩が物語の中で主人公の境遇と心境などとともに変化していくのもまた見事です。
あと物語を通じてアルマンの名前が変わっていくこともまた自身の認識、アイデンティティについての考えを表しているようで興味深いです。
最初言ったように、全て深い、そして濃いんですよね。
リアルであるというのは違うんですが、本当に心から共感することがたくさん。
それが愛であれ、性行為であれ、価値観であれ、苦しみであれ・・・
本当に心に強く訴えてくる本でした。
映画にもなった "The Queen of the Damned"も興味深いですが、このシリーズからは次はマリウスの物語である "Blood and Gold"を読んで彼の言い分も聞いてみたいところですね。
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ 第23番 「熱情」(Appassionata) 第1楽章
ベートーヴェンのピアノソナタの中で個人的なFavourite・・・という理由だけで今日紹介したのでは実はありません。
なんと!この曲は"The Vampire Armand"で重要な役割を果たしているのです!
20世紀のアメリカでアルマンの新しい心の支えとなった少女・Sybelleが常に(冗談じゃありません。本当にほとんど常にです)弾いているのがこの曲。
彼女は本当にこの曲に思い入れがあって・・・演奏する人はみんなそういう曲がありますが(それはまた別の機会に・・・)、Sybelleはこの曲があれば他に何もいらないくらいの勢いです。
この曲もまた深く、濃いですね・・・
「熱情」、またはAppassionataという異名もこの第1楽章を最後まで聴いていただけたらうなずけると思います。
実際ベートーヴェンの一番光る曲想は悲劇、とか英雄的、とかいうよりもこの「熱情」という言葉に凝縮されているのではないかと個人的に思うくらいです。
弾くにもまたその独特の「手応え」があって。
手にとって、腕にとって、つまり身体にとってものすごく重みというかを感じるんですね。
プラス感情的な重みです。
本当に心の底から前に前に行って表現しないと音楽に負けてしまいそうですわ(初見で負けました、私・・・)。
だいたいベートーヴェンの題名が付いている曲(運命、田園、クロイツェル・ソナタ、月光、etc)は間違いなく名曲ですが、その中でもこのソナタはある意味別格なところもあります。
そして他のどんな作曲家にもまねできないユニークな、何よりもベートーヴェンらしい音楽です。
本では全楽章無限リピートされていますが(笑)、とりあえず第1楽章からどうぞ。
Anne Rice "The Vampire Armand" (邦題:美青年アルマンの遍歴)
(日本語版)
(英語)
二言まず言わせてください。
何よりも深い!そして濃い!
あらすじは、というと・・・
ウクライナの田舎に生まれ、とらわれ奴隷として売られるためにヨーロッパに渡ったアンドレイ(アルマンの元の名前)は、マリウスという男に救われ、ヴェネツィアで彼の元で暮らすこととなる。
マリウスはアンドレイをたいそう愛し、愛しそして教育していく・・・が、マリウスは実はヴァンパイアだった。
アルマンとマリウスとの生活、そしてヴァンパイアになったいきさつ、人間としてそしてヴァンパイアとしてマリウスから学んだこと、そして彼らに降りかかった悲劇、時代の移り変わりと共に生きていくということ・・・
アルマンの人間として、そしてヴァンパイアとしての長い長い人生を彼の視点から綴る本です。
実はこのヴァンパイア・クロニクルというシリーズのなかでこの本は6作目ですが、私はまだ1作目とこれしか読んでません。
2作目の"the Vampire Lestat"が図書館で見つからないので・・・(汗)
でもタイトルでも分かるようにこのシリーズの本はヴァンパイアの主要人物一人ずつに密着した伝記スタイルなのでそこまで順番は・・・最終的に全部読めば大丈夫なんじゃないかなーと独断で決めてしまいました。
断っておきますが前半は結構性的描写が多い・強いです。(笑)
アルマンの性癖・・・というものの性質上、異性とだけではなく男同士のものも含まれます。
でもそれもまたこの物語の魅力の一部と深く結びついているような気もします。
この本で見事だと思ったことが3つあります。
1つはヴァンパイアという存在についての深い考察、哲学。ヴァンパイアとは一体「何」なのか、何を信じてこの長い時を生きて行けばいいのか・・・など。
一人称の伝記的な物語とすることによって、個々のヴァンパイアの感情、信仰、哲学などが深く感じられるのが本当に面白いし、素晴らしいと思います。
2つめは「時」の表現。アルマンがマリウスと過ごしたヴェネツィアの昔と、そして20世紀末のアメリカでの・・・ヴァンパイアである主人公達の周りでどんなに時間が変わったか(彼ら自身の精神も不変ではないのですが)、時代がどんなに移り変わり、世界が変わってしまったかということが人間である読者の心にひしひしと感じられます。
3つめはこれはヴァンパイア文学のなかでも随一だと思うのですが、色彩の表現です。
例えばトワイライトシリーズだとわざと色をあまり使わないようにしていますし、ポーの一族もイギリス中心でまた色が限られてきます。他の作品もしかり。
もともとヴァンパイアは夜の生き物なので、色彩の世界ではない・・・はずなのですが、前半の舞台がヴェネツィアで、マリウスが絵描きだと言うこともあって物語の前半がまあカラフルなんですよ!
アルマン自身も「ボッティチェリの天使」と呼ばれるほどですし、見事にその世界の住人で。
さらに、その色彩が物語の中で主人公の境遇と心境などとともに変化していくのもまた見事です。
あと物語を通じてアルマンの名前が変わっていくこともまた自身の認識、アイデンティティについての考えを表しているようで興味深いです。
最初言ったように、全て深い、そして濃いんですよね。
リアルであるというのは違うんですが、本当に心から共感することがたくさん。
それが愛であれ、性行為であれ、価値観であれ、苦しみであれ・・・
本当に心に強く訴えてくる本でした。
映画にもなった "The Queen of the Damned"も興味深いですが、このシリーズからは次はマリウスの物語である "Blood and Gold"を読んで彼の言い分も聞いてみたいところですね。
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ 第23番 「熱情」(Appassionata) 第1楽章
ベートーヴェンのピアノソナタの中で個人的なFavourite・・・という理由だけで今日紹介したのでは実はありません。
なんと!この曲は"The Vampire Armand"で重要な役割を果たしているのです!
20世紀のアメリカでアルマンの新しい心の支えとなった少女・Sybelleが常に(冗談じゃありません。本当にほとんど常にです)弾いているのがこの曲。
彼女は本当にこの曲に思い入れがあって・・・演奏する人はみんなそういう曲がありますが(それはまた別の機会に・・・)、Sybelleはこの曲があれば他に何もいらないくらいの勢いです。
この曲もまた深く、濃いですね・・・
「熱情」、またはAppassionataという異名もこの第1楽章を最後まで聴いていただけたらうなずけると思います。
実際ベートーヴェンの一番光る曲想は悲劇、とか英雄的、とかいうよりもこの「熱情」という言葉に凝縮されているのではないかと個人的に思うくらいです。
弾くにもまたその独特の「手応え」があって。
手にとって、腕にとって、つまり身体にとってものすごく重みというかを感じるんですね。
プラス感情的な重みです。
本当に心の底から前に前に行って表現しないと音楽に負けてしまいそうですわ(初見で負けました、私・・・)。
だいたいベートーヴェンの題名が付いている曲(運命、田園、クロイツェル・ソナタ、月光、etc)は間違いなく名曲ですが、その中でもこのソナタはある意味別格なところもあります。
そして他のどんな作曲家にもまねできないユニークな、何よりもベートーヴェンらしい音楽です。
本では全楽章無限リピートされていますが(笑)、とりあえず第1楽章からどうぞ。
(ここで今日お話しすることはあくまでも私の学校で、私が在学中の時代での話です。他のメルボルンの私立および公立の学校のことについては全く分かりません。)
日本で小学4年を終えて、メルボルンの学校には5年生の2学期(4学期中)から入りました。
3学期になって、キャンプというものがあるのだと知ることになり。
うちの学校は3年生から8年生まで年に一回、9年生に2回、さらに10年生と11年生に年一回参加必須ではないキャンプがあります。
キャンプと行ってもいろいろですが、今日はちょっとばかりその学校キャンプについてまとめたいと思います。
3年生と4年生は合同でキャンプに。1泊でバララットかフィリップ島へ(一年ごとに交替、つまりどっちの場所も行くことになります)。
それぞれのロケーションで学習見学(バララットでは歴史、フィリップ島では自然)がメインで、あとは集団宿泊施設にお泊まり、といった形だそうです(妹他下級生からの話によると)。
5年生はPortseaへ、2泊3日。
オリエンテーリングやアーチェリー、ダンス、写生などのアクティビティに加えて海岸沿いを3kmほどみんなで歩いて、フェリーで帰ったりして海周りで過ごしたりクイズナイトをやったり。
このキャンプは事前にそれぞれ旅のしおりみたいのを作って、それが今でもとってあるので結構覚えているところが大きいです。
6年生は北東の山の方、Myrtlefordへ、3泊4日(?)。
2人が力を合わせてクリアするアスレチックコースや、近くのMount Buffaloの自然を観察するツアーも印象深いですが、なんと言ってもこのキャンプは野外で火をおこす方法を初めて習った回でもありました。
ソーセージ、卵など何種類かの食物プラス予備のロールケーキを持ってグループに分かれるのですが、案外時間が短くて(火をおこすのに時間がかかったりで)結局みんな(毎年)ロールケーキを食べることになるんです。
オーストラリアの山で火を起こすのは気をつけないと危険ですからね。
ちなみにこのセッションで火を付けるなら油分を含むユーカリの葉が使える、と習いました(その反面燃えやすい=火事になると危ない、ということも)。
7年生はグレート・オーシャン・ロードの手前のAngleseaで3泊。
カヤックや水辺のアクティビティ、サーフィンなども体験し、一泊だけ初めてテントで宿泊しました。
夕飯はメタノールを燃料としたコンロでパスタを作ったんですが、まずかったです。燃料が少量入ってしまったのかなんなのか、今でも謎です。
8年生は東北のLake Eildon付近で、3泊全てテント宿泊。
1日マウンテンバイクで移動、1日ラフティング、1日ブッシュウォーキングという形態のキャンプです。
ほとんど居る物は自分でパックに入れて背負います。
私たちの時は、私のいたグループで最終日に食中毒かなにかの胃腸炎がはやって大変でした。
あ、それから7年生からキャンプに持って行くもののリストの中に「Chux」と「Jex pads」なる謎の物体があって。これ、商標名でChux=台所を拭くための半使い捨て布的物体、Jex pads=石けん付スチールたわしなんです。商標名で書くのはいいとしても名前が変で困りました(笑)
9年生の前半には4泊5日(?)の8年生と同じようなキャンプ、そして年末近くには通称12 daysと呼ばれるその名の通り12日間のキャンプがあります。
これは難易度によって3グループに分かれ、すこし日程をずらして少しずつ違うロケーションに行きます。
そのうちマウンテンバイク、ラフティング、ブッシュウォーキング、カヌーなどで移動だとか。
12日で驚いていてはいけません。
10年生の年末に志願者のみが参加するキャンプ、通称Summit to the Seaは22日。その名の通りオーストラリア最高峰のコジウスコ山からSnowy Riverをくだり海まで行くという内容です。
12 daysとSummit は特に学校のキャンプの中ではThe Journey(旅)と呼ばれ、かなりコアなプログラムのキャンプです。
極めつけは11年生の志願者オンリーキャンプ。ヴィクトリア州を遠く飛び出してノーザンテリトリーにある有名なカカドゥ国立公園で同じようなキャンプをやるとか。
こちらではDuke of Edinburghという賞が学校のプログラムを通じて取得できるようになっていて、キャンプ(特に9年生~)もまたその一部です。
体力のため、自然のため、いろいろありますが、キャンプの苦しさ、楽しさを通じて学ぶ物は多いです。
実は私は当時の病状から必須であるはずの9年生のキャンプも一つも行ってないんですが、最近Tomorrow シリーズのHellや、それからグランピアンズ、Wilson's Promontoryなんかもキャンプに行きたいと強く思っています。
心配なのは体力ですが(友達は結構12 daysでも難易度高を選んだ人も結構います)・・・
寒い時期はこちらでも山は雪がすごいのでまた暖かくなったら・・・親友に示談してみたいと思います。
今日の一曲は・・・今日はお休みさせていただきます。
ちょっと思いつきませんでしたし遅くなってしまっているので・・・
また気をとりなおして行きたいと思います。
日本で小学4年を終えて、メルボルンの学校には5年生の2学期(4学期中)から入りました。
3学期になって、キャンプというものがあるのだと知ることになり。
うちの学校は3年生から8年生まで年に一回、9年生に2回、さらに10年生と11年生に年一回参加必須ではないキャンプがあります。
キャンプと行ってもいろいろですが、今日はちょっとばかりその学校キャンプについてまとめたいと思います。
3年生と4年生は合同でキャンプに。1泊でバララットかフィリップ島へ(一年ごとに交替、つまりどっちの場所も行くことになります)。
それぞれのロケーションで学習見学(バララットでは歴史、フィリップ島では自然)がメインで、あとは集団宿泊施設にお泊まり、といった形だそうです(妹他下級生からの話によると)。
5年生はPortseaへ、2泊3日。
オリエンテーリングやアーチェリー、ダンス、写生などのアクティビティに加えて海岸沿いを3kmほどみんなで歩いて、フェリーで帰ったりして海周りで過ごしたりクイズナイトをやったり。
このキャンプは事前にそれぞれ旅のしおりみたいのを作って、それが今でもとってあるので結構覚えているところが大きいです。
6年生は北東の山の方、Myrtlefordへ、3泊4日(?)。
2人が力を合わせてクリアするアスレチックコースや、近くのMount Buffaloの自然を観察するツアーも印象深いですが、なんと言ってもこのキャンプは野外で火をおこす方法を初めて習った回でもありました。
ソーセージ、卵など何種類かの食物プラス予備のロールケーキを持ってグループに分かれるのですが、案外時間が短くて(火をおこすのに時間がかかったりで)結局みんな(毎年)ロールケーキを食べることになるんです。
オーストラリアの山で火を起こすのは気をつけないと危険ですからね。
ちなみにこのセッションで火を付けるなら油分を含むユーカリの葉が使える、と習いました(その反面燃えやすい=火事になると危ない、ということも)。
7年生はグレート・オーシャン・ロードの手前のAngleseaで3泊。
カヤックや水辺のアクティビティ、サーフィンなども体験し、一泊だけ初めてテントで宿泊しました。
夕飯はメタノールを燃料としたコンロでパスタを作ったんですが、まずかったです。燃料が少量入ってしまったのかなんなのか、今でも謎です。
8年生は東北のLake Eildon付近で、3泊全てテント宿泊。
1日マウンテンバイクで移動、1日ラフティング、1日ブッシュウォーキングという形態のキャンプです。
ほとんど居る物は自分でパックに入れて背負います。
私たちの時は、私のいたグループで最終日に食中毒かなにかの胃腸炎がはやって大変でした。
あ、それから7年生からキャンプに持って行くもののリストの中に「Chux」と「Jex pads」なる謎の物体があって。これ、商標名でChux=台所を拭くための半使い捨て布的物体、Jex pads=石けん付スチールたわしなんです。商標名で書くのはいいとしても名前が変で困りました(笑)
9年生の前半には4泊5日(?)の8年生と同じようなキャンプ、そして年末近くには通称12 daysと呼ばれるその名の通り12日間のキャンプがあります。
これは難易度によって3グループに分かれ、すこし日程をずらして少しずつ違うロケーションに行きます。
そのうちマウンテンバイク、ラフティング、ブッシュウォーキング、カヌーなどで移動だとか。
12日で驚いていてはいけません。
10年生の年末に志願者のみが参加するキャンプ、通称Summit to the Seaは22日。その名の通りオーストラリア最高峰のコジウスコ山からSnowy Riverをくだり海まで行くという内容です。
12 daysとSummit は特に学校のキャンプの中ではThe Journey(旅)と呼ばれ、かなりコアなプログラムのキャンプです。
極めつけは11年生の志願者オンリーキャンプ。ヴィクトリア州を遠く飛び出してノーザンテリトリーにある有名なカカドゥ国立公園で同じようなキャンプをやるとか。
こちらではDuke of Edinburghという賞が学校のプログラムを通じて取得できるようになっていて、キャンプ(特に9年生~)もまたその一部です。
体力のため、自然のため、いろいろありますが、キャンプの苦しさ、楽しさを通じて学ぶ物は多いです。
実は私は当時の病状から必須であるはずの9年生のキャンプも一つも行ってないんですが、最近Tomorrow シリーズのHellや、それからグランピアンズ、Wilson's Promontoryなんかもキャンプに行きたいと強く思っています。
心配なのは体力ですが(友達は結構12 daysでも難易度高を選んだ人も結構います)・・・
寒い時期はこちらでも山は雪がすごいのでまた暖かくなったら・・・親友に示談してみたいと思います。
今日の一曲は・・・今日はお休みさせていただきます。
ちょっと思いつきませんでしたし遅くなってしまっているので・・・
また気をとりなおして行きたいと思います。
