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こないだipodやPCの音楽を整頓している旨をこのブログに書きましたがそれはなかなか複雑?なTediousな作業で。
まずipodで音楽の種類(アメリカ音楽、ピアノ協奏曲など)別にプレイリストを作るのはもちろん、自分のストーリーの「サウンドトラック」のプレイリストも制作することにしていて。
プラス前愛用していたMDに自分のキャラやコンセプトのミニサントラを作っていて。(主に勉強のBGM用)
ストーリーはアイディア構成途中のも併せてかなりあるのでこれが結構かかります。
ストーリーのサントラ、というのは自分のストーリーのシーン毎にぴったりと思う音楽のリスト。
キャラのサントラ、というのはそのキャラに合うな、と思う曲、そして楽器奏者の場合は演奏レパートリーも入れたり。
MDにする分は別に作ってるのですが、上記2種類は基本思いついたらネタ帳に書いて、OneNoteに作ってある公式(といった大げさものではないのですが)のリストに追加する、という形式。
いつもストーリーのために、というフィルターを通して音楽を聞いているわけじゃないですが、常に自分のストーリーの場面やキャラと合う音楽を探しています。
そしてある曲からストーリーのアイディアや詳細のアイディアが浮かんだり、曲を聴いて「この曲なんかどっっかに使いたいな-」と思うこともしばしば。
曲からストーリーがひとつ生まれちゃうことも稀にあったり。
言葉や視覚的に見える場面以上に音楽によって引き出される自分の中の想像力や、感情や、色彩がビビッドなので、ついつい・・・頼っちゃう、という言い方もあれですが。
自分は作曲というものには全くセンスがないというか、勉強したこともなければひらめいたこともなく。
でも聞いた音楽への反応は強いため、こういう形で自分の創作に力をもらっている・・・というわけで。
MD作りはまた別の楽しみがあります。一枚基本80分なのでその80分の間にどう一人の登場人物をまとめるか、という。
サントラはipodなんでどんな長さの曲も使えますけどMDは曲の種類も限られてきて。
そういう工面がものすごく好きな人なんです。
ストーリーの内容も音楽関係のがありますが、やっぱりこう・・・離れられないんですよ。音楽とは。
自分で作曲できたらどんなに楽しいかと思いますが、でもないものねだりはしょうがないので。
創作も、そして今となっては音楽も趣味で、どちらも最大の趣味ですが、趣味にしては多少切羽詰まった感がぬけないところがあるんですよね。
趣味ではあるけれど、自分にとって必需品。でも最初からなかったらそうは感じないのできっと「中毒」に近いのでしょうか(苦笑)
でもこの二つのエリアについては本当にそのためにならどんな勉強をいとわないと思っています。
精神医学の勉強をし始め、本格的に続けたいなーと思うようになったのも創作活動に背中を押されて、という面もありますし・・・
いろんなエリアに頭をつっこんではまって、勉強して。なにをしても一回は創作のことが頭をよぎります。
ちなみに今は(もともと世界史派なのですが)新しくアイディアの種が出てきたストーリーのため、そして他のもろもろのために世界史のいろんなエリア、特にメジャーどころの大国以外の歴史や文化を勉強したいなーと思ってます。
「ストーリーのアイディア」はたくさんありますし、新しいひらめきはいいことなんですけどそろそろ今書いているものも書き進めないとなーと。
どうしても切羽詰まってるので、そしてアイディアが待っているから、趣味は趣味でもちゃんとしないと、と肝に銘じながらとりあえずMDと音楽整頓に今は励みます。
ゴールデンウィークは仕事もこないはず、と聞いているのでピアノも、創作も、勉強も、創作のための勉強も・・・過度ながんばりは禁物ですが進めていきたいと思います!
今日の一曲: コダーイ・ゾルターン 無伴奏チェロソナタ
チェロの無伴奏の名曲といえばまずバッハの6つの無伴奏組曲、ブリテンの3つの無伴奏組曲、そしてこのコダーイの無伴奏チェロソナタ・・・ではないでしょうか。
もともとチェロは4音までなら和音も弾けますし、音量もそこそこあり音域もかなり広いほうなので、伴奏がなくともある程度Self-sufficientな楽器ではあります。
コダーイはハンガリーの作曲家で、ハンガリー音楽独特の荒々しいエネルギーがこのソナタにも詰まっています。
そのエネルギー+技巧のレベルの高さは本当にvirtuosoチェロ奏者にふさわしい物。
そのパワーには惹かれずには居られません。
そしてうんちくに近いんですがこのソナタではチェロにあることをします。
それは下からC,G,D.Aとある弦のうち下の二つを半音下げることです。
音程が変わることによって音域が変わったり、その調(ロ短調・ロ長調)で和音を弾きやすくなることはもちろん、弦の張力が変わったことで音も変わります。
(他に調弦を変える曲はチェロだとクラムの「鯨の声」、そしてバイオリンだとマーラーの交響曲第4番、そしてサン=サーンスの「死の舞踏」などがあります)
なんといってもかっこいいですね-。友達が私のチェロで弾いてくれたこともありますが、まあ間近で聴くとエキサイティング。
長さ的にアンコールにはできないけれど、もっとリサイタルなどでフィーチャーされてもいいと思います。
ちなみに私の持っている録音は大学から借りたもので、そのこの曲を弾いてくれた友達の先生の息子さんが弾いてる物なんですが、気持ちちょっとおとなしめの演奏かなーと思います。
いろんな偉大なチェリストがこの曲を録音しています、この曲がハンガリーの民族音楽にルーツをおいていることを考えると、さまざまな民族音楽を手がけているヨーヨー・マの演奏がいいんじゃないかな~と思いリンクはそれにしたのですが・・・いつか手に入れて聴きたいものです。
個人的な信条としてはハンガリー音楽は「首多くとったもん勝ち」みたいな、騎馬民族であり征服者である民族である(=フン族)国の歴史や文化が現れている、その音楽の独特の性格が魅力だと思っています。
日本人の性格とはずいぶん違うこの性格ですが一度体験するとたまーに欲しくてたまらなくなりますね。
「あーテキーラショット今日は飲みたい気分だなー一杯くいっといきますか♪」みたいな。
・・・すみません脱線してますね。それではここらで。
生まれは愛知ですが、愛知に住んだことはほとんどなくて、主に住んでいた福島県いわき市もこれといった方言はなく。それに母方のおばあちゃんは愛知に住んでますが岐阜の出身、おじいちゃんは浜松の出身、お父さんの家族も昔は同じ愛知でも豊橋の方に住んでいたのでもしかしたら私も知らずにいろんなところの方言をミックスで使っている恐れがあります。
方言は訛りがあるのは日本だけではありませんが、やっぱり国土の広さと人口密度から考えてこれだけ種類があるのもすごいなーと思います。
外国語の方言はまあアメリカ・イギリス英語の違い(オーストラリア英語は主に英国寄りと言われていますがそこそこアメリカの言葉も入ってますし、オリジナルの言葉もあります。オージー英語はちゃんと調べてから独立したエントリーを書きたいなあとか思ってます)もありますし、あと友達がオーストリアのグラーツに留学したとき大学で習うような「ドイツのドイツ語」と違うという話も聞いています(スイスのドイツ語もまた全く別物らしいですね。それに文字こそ違えどイディッシュも方言らしき存在です)。
そして同じ言語を話していても、母国語の発音の影響は結構出てしまうもの。
そこんとこ私たち姉妹は少し差があって、7歳でこっちに来た妹はほとんどといって日本語訛りがありませんが、10歳でこっちに来た私は何年たっても抜けない物があるようで。
自分でしゃべってるときは気づかないんですけど録音とか聞いてみると(前述自分の声のコンプレックスも併せて)ひどいです(苦笑)
でもまあそんなに訛りが強いということもないのか、外見で中国人・韓国人に間違われることはしょっちゅう。聞くにも見るにも日本人らしくないようです。
オーストラリアに住んでいると、いろんな訛りにふれあうことができます。
そこらへんのオージー、特に中年男性のオーストラリア訛りはもう生活のなかで「普通」ですね。おなじみの「エイ」の発音を「アイ」といったりするのや、「アイ」が「オイ」に近かったり、TがDに近い発音だったり。いろんな言葉を~ieを付けて略したり(Vegetable = Vegie、Football = Footieなど)、~oを付けて略したり(Stephen = Stevo等)。大きなジェスチャーにクリアな発音。
その次に聞くのがドラマや映画で聞くアメリカ訛り。Rで強く舌を巻き、「エイ」は「イー」寄り、Whの発音もWが強い。
そしてイギリスの訛りもたまに聞きますね。発音よりもイントネーションが独特です。なんとなくメロディーがついてるような?
高校時代に学校のオケの演奏旅行でイギリスに行ったのですが2週間で少し訛りというかイントネーションが染みつきました(笑)
あと聞いてわかるのはイタリア訛り、中国訛り、韓国訛り、インド訛り、フランス訛りくらいですか。
インド訛りは地域的に縁が深いのとあとタクシーで良く聞くのですが、わかりにくい訛りナンバーワンにランクインしそうです。なんといってもめちゃくちゃ速く話すので聞き取れない!でも向こうはそれが普通なので仕方がないのですが。
わかりにくいと言えばスコットランド訛りもなかなかのものです。なんでしょうねえ、母音も子音もなんか・・・違う?聞き取りにくい?原因はよくわからないのですが。インパクトはあるのですがあんまり出会わない訛りなので。
個人的に好きな、むしろセクシーだと思う訛りはフランス訛りとアイルランド訛りです。
アイルランド訛りは私は映画「Bend it like Beckham」で初めて聞きました。サッカーのコーチがこの訛りでなんか感動しました(笑)なんでしょうね、分析したことはないんですけど優しくて角のない、音楽的な印象を受けます。母音がどっちかというと不明瞭で?
こないだこっちのテレビでカナダでアイリッシュコメディーフェスティバルみたいのをやってたんですがまあ聞いてて幸せでしたね~内容ももちろんですがそのアクセントを延々と聞ける機会なんてそうないですもんね~中でもRoss Nobleというコメディアンはオーストラリアでも公演していますよ。
アイルランド人に限らずオーストラリアで例えばアイルランド移民を先祖に持つ人はアイルランド訛りで話せたりしますね。まあよく考えてみれば何訛りでも習得はできるものですが。
・・・という理由で、私のオケストーリーの主人公の一人、レイはフランス人とアイルランド系のハーフになりました(笑)訛りが好きだから雰囲気もそういう感じがいいなと思って(笑)
レイチェル=ハルシオン・キンスリー(Rachael Halcyon Kinsley)。
母はフランス生まれのフランス人でユヴォンヌ=セレスト・メルレ(Yvonne Celeste Merle)。メシアンに関係の深い名前や言葉を繋げてみました。Merleは黒ツグミの意味で、これにちなんで彼女はレイのミドルネームにハルシオン、カワセミの異名をつけたというわけです。
父はアイルランド系オーストラリア人(わりと近くにアイルランド人の血があるそうです)のリチャード・キンスリー(Richard Kinsley)。
この家族にはストーリーと関係なくいろんな設定が作ってあるのですがここで語っても始まらないのでいつかきっと(笑)
言語を取得するのもすごいことですが、訛りを取得するのもまた一芸かも・・・なんて?
今日の一曲: トマス・アデズ 「Origin of the Harp」
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最初に一つ:ハープはタイトルに反して使われていません(笑)
代わりに活躍するのがクラリネット&バスクラリネット(バスクラと呼びます)です。
アデズは1971年生まれのイギリスの作曲家で・・・若いですよね!
でも音楽はもう先人である偉大な現代、そしてそれ以前の作曲家にひけをとりません。
特にその楽器使いやハーモニーに現れる水晶のような透明感が私はたまらなく好きで、ここ数年結構はまっているのです。
その中でも特に好きなのがこのOrigin of the Harp。実は偶然にも今日の話と少し関係があるらしく。なんとこれはケルトの妖精がハープに姿を変えるところを描いたDaniel Macliseの同名の絵画をモチーフにしているんです。
基本的に彼の書く音楽は音よりもスペースが大きい音楽ですが、それでもある意味ではものすごく豊かな響きで。先ほど言いましたクラリネットの音色がこの曲の中では存分にのびのびとそのポテンシャルをフル活用しています。バスクラの音も迫力満点です。
そのスペースはまるで無限のようで。音がどこまでものびて響いていくような。
現代音楽は苦手かな・・・という人も多いかと思われますが、最初の数音をとりあえず聞いてもらいたいです。そのクラリネットの音色がストレートに純粋に入ってくるのに私はまずなによりも惹かれましたので。
アデズは今も精力的に活動を続けていて、まだまだ一層素晴らしいものを持っている作曲家だと信じているので、これからも私は彼の音楽を追い続けて行きたいと思いますし、彼の音楽がもっと知られるようになるといいと願っています。
現代音楽で楽しいのは作曲家がこれからどんな曲を書いてくれるかな~という期待もあります。リゲティの練習曲なんかは彼が亡くなる前は本当にそういう風にわくわくしていましたし、そういう意味では例えば自分の好きな作曲家と同じ時代に生きていたら楽しかっただろうなーと思いますが少なくともアデズとクラムの時代に生きれて本当に良かった、とも思います。
次回アデズを紹介するときはピアノ曲を紹介したいです。彼のピアノ曲もまた素晴らしいので。
自分という人間の人生で歌を歌う人よりも楽器を弾く人の方が関わる機会が多かったのもありますし、やはり声というものは個人差によって印象に大きく開きがでるのもあり。
好き嫌い、趣味はあって当然ですが偏見はやだなあーと思ったりもしています。
例えばオペラなんかはあんまり好きじゃないんですよね。
ドイツやイタリアのオペラの歌のスタイルが苦手だったり、あとオペラ全般オケのパートがたいしたことなかったりして印象がいまいちだったり。
ストーリー的にもなんだかおもしろくなかったり(母は日本に帰ってからオペラ講座に行ったらしいですが同じことをもうちょっと強めに言ってました(笑))。
ただリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」やモーツァルトの「魔笛」などはおもしろいですけどね。
そこら辺だったら見てもいいかな、と思いますが。
どっちかというと醤油派なんですよ、私。
ドイツやイタリアのオペラは音楽自体も、声のスタイルもがっつりこってりソース派じゃないですか。
例えば歌曲とか、イギリスオペラ(少ないですが)とかのあっさり系が好きです。
歌曲で言えばイギリスの作曲家の歌曲のうちテノールによって歌われる歌が好きです。イギリスのテノールの声はイタリアほどのリッチさはないですが純粋でシンプルな魅力にあふれ。
前々からこのブログで名前がでているピーター・ピアーズなんかもう天使の歌声だと思います。
あとシューベルトの歌曲なんかどっぷりはまってみたいと思いますね。
今のところ知っているのは「水車小屋の娘」、「菩提樹」、「An die Musik」、「魔王」くらいなんですけどなんせ彼は600曲とか書いてますからね。
ストレートで濃すぎず深みがあって、基本歌曲は器楽曲よりも時間的に短いですがそれに劣らないドラマがあります。あと伴奏する側としても良い曲ばかりです。
一応買いたいCDのなかに「冬の旅」を入れてあります。楽しみです。
合唱だと意外にロシア系がツボかもしれません。
ショスタコーヴィチとラフマニノフの合唱が意外にも(というのもなんですが)素晴らしく。
ショスタコーヴィチだったら交響曲第13番や「10 Choruses on Texts by Revolutionary Poets」、「10のロシア民謡集」とか。
ラフマニノフはもう「鐘」で決まり(笑)
二人とも歌曲も書いてるのでそちらもいつかお近づきになりたいところです。
あとまだ自分の中で全くこなれてないのがマーラーやシュトラウスの歌曲(オーケストラ伴奏)です。
シュトラウスはまあ後回しにしときたいところなんですが(好みと優先度の関係で)、マーラーはもっともっと知りたいなあ、知らなきゃなあ、と思ってます。(ちなみに交響曲も合唱付きのはあんまり詳しくなかったり・・・)
なんせマーラーの作品は曲の垣根、ジャンルの垣根を越えてつながっているので、彼の生涯のことを聞くにしても、交響曲を語るにしてもマーラーは歌曲が絡んできますからねー。
苦手なわけではなく自分の気に入った録音に出会えてないのと、あとマーラーはまじめに聞かないとなかなかきっちり入ってこないので・・・単純に勉強不足です。
でもマーラーなので悪い曲はないはずなので。はい。
話はちょっと変わりますが、こないだ日本から送ってもらった「めちゃイケ」の「歌下手王座決定戦」を見てて。
いろんな人の歌を聴きながらこの人はどういう仕組みで歌が下手なんだろう、ということを素人なりに妹と二人で分析してたんですよ。
例えば音の高さの違いは聞こえても声帯のコントロールができていないとか、音の上下はわかっているけど音程がわかっていないとか。
そうやって見てて私も声を歌に使った方がいいなあーと思い。
私は絶対音感があるので音程は聞こえ、わかるんですが(ただ絶対音感にずっと頼りすぎで相対音感があんまり発達していないという恥ずかしい有様ですが)、あまり「ちゃんと」歌う習慣がないので声のコントロールがあんまりなっていないんです。
8 年生の時まで合唱やってたのと、あと大学の授業でちょっとだけ歌わなくちゃいけないことがあったのみで。
カラオケも2回(日本で1回、こっちで1 回)行っただけ。
多少なりとも自分の声にコンプレックスもあって。
なんか下手なボーイソプラノみたいな声とでも言えばいいのでしょうか(汗)
それに加えて音域はいつのまにかアルトのパートも上の方は高すぎて歌えないほど、ほぼテノールにまで下がってしまって。
理論的に言えばテノールはソプラノの一オクターブ下なんですが、私いつもソプラノパートは一オクターブ下歌ってちょうど良いですし、理論的な音域で言えばあと音一つでちょうどテノールの音域になります(笑)
声って低域は声帯の長さ・太さなどのサイズで決まるらしいですが(この体型でこの声の低さというのもだからおかしいんですが太いんでしょうか)、高域はトレーニングで広げられるらしく、逆に使わないとどんどん下がるという話も聞くので、それも併せてなんとかしないとなーと思います。
鍛えれば少なくともちょっとはマシなボーイソプラノみたいな声にはなるのではないかと思うので(笑)
鍛えてなにが歌いたいかというとやっぱりシューベルトの歌曲とか、ブリテンがピアーズのために書いていたテノールのパートとか(音域ちょうどいいんですよ)。
カラオケとかも行きたいですしね~友達がそういうタイプではないのですが(笑)
人間の声は人間自体が楽器になっているようなもの。体一つで音楽が作れ、ついでにコミュニケーションもとれちゃう優れものなので大事にするのはもちろんある程度磨いていきたいなと思います。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 「10のロシア民謡集」より「愛する人に」
Amazon.co.ukのリンク
いつものとおりipodを完全ランダムにして聞いていてこの曲に出会い、それはもうびっくりしました。
珍しくメロディーに危うく泣かされてしまいそうになったので!
そしてこれがショスタコーヴィチの曲と聞いて2度びっくり!
でもメロディーは曲集のタイトルからもわかるとおりショスタコのものではないです。でもロシア民謡ってクラシックでの引用なんかから受ける印象だと6個くらいの音しかつかってない素朴でシンプルなものだというイメージだったので3度びっくり。
ソプラノが歌うメロディーが本当に切なくて、愛らしくて。何番かあって繰り返されると毎回それが増幅されます。もう2番くらいで歌詞もわからないのに泣きそうになったり・・・
ピアノのシンプルな伴奏が控えめで、メインの伴奏が合唱、というところもまたいろいろな切ない感情をあおるんですよねー。Muffled、というのがふさわしい形容詞でしょうか。押さえてるからこそソロの感情が引き立つみたいな。
そして音楽が純粋なんですよ。いつものショスタコの毒のあったりひねくれてたりするのではなくて素直に。
それはハーモニーにも現れています。でもロシア民謡自体もともと素朴なハーモニーですからね-。
言葉ではもう言い尽くせない何かが、ロシア語を知らなくともひしひしと伝わってくるこの曲。
この曲集にもロシア民謡全般にも興味を大変そそられることはもちろん、たまーに切なさを求めて聞いてしまいそうな曲です。
計4匹いました。うさぎには性格がない、とよく言われますがそりゃ嘘だろうと思うほどの個性の強さ(笑)。悲しい別れもありましたが、本当にかけがえない存在で、楽しい思い出をたくさんもらいました。
そんなうちのうさぎさんを今日は語っていきたいと思います。
(以下全てのうさぎはメスです)
うさぎNo. 1
本名:モプシー、いつも使ってた名前:うさ
初めてのうさぎさん。ちっちゃい灰色のネザーランドドワーフで、本当にあまり大きくならなくて。
性格は至って控えめ、賢くてまじめさん。でも嫌いなうさぎ(後述フロプシー)には嫌悪感を隠さない。
この子はトイレも勝手に覚えてくれたし、いっちゃいけないといわれたところは基本行かないし。
そしてモプシーはなにかとぶうぶういったり声で意思を表すことが多く、うさぎを長い間飼っていた親友もそのことについて驚いていました。
はじめて飼うには結構ラッキーな感じのうさぎさんで。
小さい頃はフローリングが滑ってあるけないのでウレタンマットで島を作ってあげて助けてあげたり。あとなぜかお札が嫌いだったり(同じ財布から出てきたコインは反応なしなのに)。
うちの中で一番手のかからない子、そして後にいい「お姉さん」でした。
うさぎNo. 2
本名:フロプシー
この子は成長済みで飼ったので、結構大きく重かったです。そしてその大きさからか、後に垣間見えた性格からかモプシーにはずいぶんと不評で。改善することがなかったので別の家にあげることとなりました。
そのもらわれた家で(妹の友達だったのですが)同じ家に住んでいる猫たちよりも多少優位なポジションに割って入り、小さな猫なんかはフロプシーのことを恐れてたとかいう話を聞きました。
うさぎNo. 3
本名:カトンテール、いつも使ってた呼び名:うに
うに。なぜなら飼ったとき本当にウニのようだったから(笑)まるくて黒くて。
この子はロップイヤーですが飼った当時は片方耳が立っていて、数週間で垂れました。
本当にうにサイズで、最初はトイレから出られないほど小さかったうにちゃんもあれよあれよと大きくなり。
なぜならこの子、性格が多少図々しく、大食いで、神経が図太い子だったのです(笑)
モプシーが遠慮するのを良いことにごはんを食う食う(笑)
この子は散歩に行ったときにマグパイを追いかけたことがあるすごい子で、さらに少年たちが私たちのちかくでなにやら吸っててもモプシーは怖がってる様子を見せているのにカトンテールは木のそばでどっしり寝そべって眉一つ動かさずくつろいで。
知らない人も平気、そして家族の中で一番好きなのはなぜか比較的家にいることが少ない父でした。
度胸の据わってるのは多少天然なところもあるからで。知らぬが仏みたいなところが多々ある子でした(写真参照。暖炉の火は本物です)。
うさぎNo. 4
本名:マフィン、いつも使ってた呼び名:ばに
色は野生のうさぎ、でも形は愛玩動物。目にいたってはアイドルの目。
それも自分が可愛いということを存分にわかっている子でした。
好奇心が旺盛で、なぜか高いところが好き。目をちょっと離している好きにソファーの背の一番高いところにちょこんと乗ってたり。
そしてうさぎにしてはしつこい性格で。例えば何かをかじることにはまったらどんなに引き離してもかならず戻ってきてかじる。だめって言われていることを理解しながらもやっぱりかじりたくてかじる。
この子はおかあさんにべたべたで。でも全体的に人なつっこいうさぎでしたね。(うにちゃんは人を恐れませんが人なつっこいとは言い難いですからねー)
やっぱり動物が居ると楽しいですからね・・・
まだ今の生活ではうさぎは無理ですがまたうさぎさんと暮らすのもいいなーと思います。
(本当はいつでもいもむしもほしいんですが)
いつかまた、ですね。
そして実は猫とも縁が深いのでまたその話もいつか。
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「ローマの噴水」
レスピーギはオーケストレーションは天才的だけれどそれだけだ、なんて言われるのを聞いたことがあり。それを聞いてどうしようもなく悲しくなったことがあります。
レスピーギの音楽には他に何があるだろう、と考えて考えた結果、一番言葉になったのは「レスピーギの音楽には彼がどれだけローマを愛しているか、ということがものすごく現れている」ということです。
レスピーギの代表作と言えば「ローマの松」、「ローマの祭り」、そしてこの「ローマの噴水」をあわせて「ローマ三部作」と呼ばれるもの。
それぞれ30分弱ぐらいの曲ですが、まるでシンフォニーサイズと錯覚するくらいの濃さで。
みんな聞いてるとローマに行きたくなるんですよ。レスピーギの名曲を巡るローマの旅、みたいな(笑・・・というかないんでしょうか、そういうの)。
この「ローマの噴水」も行ったことがないローマの噴水の情景がまるで目の前にあるような色彩の鮮やかさで。聞いててうれしくなります。
ちなみに第3楽章、あの有名なトレビの泉です。そして第4楽章のメディチ荘の噴水も知っている方も多いのではないですか?
ローマにある数々の噴水がそれぞれ観光名所で芸術作品なのと同じだけこの曲もまた観光名所で芸術作品で。
ちょっと気軽に行ってみませんか?イタリアへ・・・音楽で(笑)
(うーん・・・・思い入れの割に文章があれなのでこんどはさらに好きな曲で再チャレンジです)
あ、いきなりすみません。
いえ、なにかに興味を持つプロセスって意外と複雑なんだな、と今日ふと思いまして。
10年生?かなんかの歴史の授業で第二次世界大戦について勉強しているときにリサーチ課題があって。いくつか選べるトピックの中から「アウシュヴィッツ強制収容所」を選んで当時マイブームだった(!?)Powerpointプレゼンテーションにまとめたことがあります。
そのときに調べて出てきたたくさんのこと、現在のアウシュヴィッツの写真、そしてプレゼンテーションに自分が作ったテンプレートの赤と黒の色彩が心に突き刺さって。
同じく10年生のReligious Studiesの授業では様々なメジャーどころの宗教のことを習って。そのうちユダヤ教に関しては結構地域的にわりと身近だったりしていろいろと不思議に思い興味を持ったことはあります。
さらに12年生の英語の授業でエリー・ウィーゼルの「夜」という、著者のユダヤ人としての強制収容所を生き延びた経験について綴られた本をじっくり勉強したことも大きかったです。
(ユダヤ教≠ユダヤ民族ですが「ユダヤ」というキーワードが心のどこかに引っかかったことは確かです)
音楽的にもユダヤ文化には惹かれるところがありまして。
ユダヤ音楽を元にした、または題材にした曲もいくつか弾いたことがあります。
例えばマーラーの交響曲第1番第3楽章の一部分とかなら小さい頃から知って親しんでますし、特にショスタコーヴィチにはまってからは彼はユダヤ民族とその音楽に強く心惹かれ引用したり影響されてたりしたので多少刷り込まれていたところもあると思います。
そして今書いているストーリーのうちの一つの構想中に意識的にまた一層興味を持ちつつあります。
最初はそういうことを考えていなかったんですが、ふとしたことからあるキャラがユダヤ民族・文化と深い関わりを持つことになって。なんか新しいアイディアを思いつくたびにつながりが強くなるもんですからもっと知りたい、と思うようになりました。
ショスタコーヴィチはちなみにユダヤ音楽について特別な思い入れがあったようで。
うろ覚えで要約すればこんな感じです:「ユダヤの音楽は笑いながら泣いている。迫害される苦しみ、つらさを泣いたり、語り合うことによってではなく、踊りや音楽に込めて表現する。」
彼自身政府の圧力をいやというほど感じていて、彼や他の音楽家たちがいた境遇をずっと味わっていたユダヤという民族に心を寄せていたらしいです。(そして優れた音楽家にはユダヤ人が多かったらしいですね)
ショスタコーヴィチの音楽を通して自分に染みこんだ、ショスタコの音楽の好きな部分のなかに「ユダヤ音楽のエレメント」が私に知らず入ってたのかどうか知らないんですけど、ユダヤ音楽の独特の(ショスタコが言うようなところ)スタイルというかなんというかが好きです。
暗くて、でもどこか陽気ででも陰気で、ひねくれて毒があって。
でもまだまだ自分の知っていることは上皮程度で、まだまだ民族・音楽の「心」の理解もまだ浅いと思い。
音楽に関してはクラシック音楽の中で、という形でのみ知っているのでこれから「民族音楽」としても知りたいな-と思います。
例えばまずクレズマーから始めたいですね。
他にもまだまだ勉強・・・したいな、と思ってます。
今日の一曲は上皮程度の知識と理解しかない私でもなにかその「心」の一部にちょっと近づけたかな?と思ったうちの一曲です。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 「バービ・ヤール」 第1楽章
バービ・ヤールとはドイツ軍によりユダヤ人が虐殺されたウクライナの谷の名前です。
この第1楽章はそれを題材としたエフゲニー・エフトシェンコの詩を歌詞として書かれています。
内容はロシアで反ユダヤの動きが強まる中、詩人自身がユダヤ人と心を同じくすることによって迫害を受けているというもの。
今回のエントリーのタイトルもその詩の一部で。
「ユダヤの血をひいていないけれどユダヤ人と心を同じくする」というのはショスタコーヴィチもそうでしたし、上記私のキャラにもそれは当てはまって。
それを意識する前も歌詞を見たとき心に突き刺さりました。
音楽もまたショスタコーヴィチ典型的な感じです。
なんと言っても最初の鐘の音の不吉さ、冷たさといったらたまりませんね。
ロシアの音楽の冷たさは臨場感があります。特にショスタコーヴィチのソヴィエトの冷たさは。
そして臨場感と言えば「恐怖」の臨場感もなかなかあります。
「恐怖にうちふるえる」メインテーマのトリル付、なんかはショスタコがよくやるテクニックですがこれもまたすばらしいです。
先ほどの鐘、男声合唱、そして重厚な金管のしっかりした魅力ももちろんですが、なにげにチェレスタがいるんですよね。
通の人はそこにもちょっと耳を傾けて欲しいです(チェレスタ推進委員(?)としては)
実はロシア語の歌詞と照らしあわせながら聴いたことないので今日あたりじっくり聴いてみたいと思います。
