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ここ2日ほど少しビーズに時間を割いていたので今日は文ではなくてひたすら写真を載せたいと思います。
そこのところの差が極端ですみません。
ライトサファイア、紺色(おそらくモンタナ)、クリスタルのそろばん型スワロフスキービーズ、銀色のチェーンと9ピンを組み合わせて作ってみました。
ほかの色でもできそうでちょっとそそられたり(自分で作ったものをつけるのよりも作るほうが楽しいので使わないようなものを作っちゃうんですよ、気をつけないと)。
夏に結構使っていました。ただ9ピンのところが曲がらないのがちょっと欠点かしら。
あとパーツ不足だったためなぜかラリアットなのに端が9ピン(笑)
今日の作品、スワロフスキーのバタフライとその他こまごまのゆれるイヤリングです。
オーストラリアでは耳に穴を開けてる人がかなり多いですが穴なし用のパーツも案外売ってます。そして蝶が好きなのですが近くのクラフトやさんだとクリアとピンクしかないのが残念。メインは色ついてるほうがいいんですけどねー。
いつか耳に穴あけるのかなあ・・・

一番気に入ってるオオミズアオです。
ここのレシピを参考にして、胴体にムーンストーンの丸玉を使い羽をそれでつなぎ合わせて、触角と胴体胸部の帯を足し。
レシピを一回プリントして配色をなるべく実物(春型)に近づけてみました。
アイディアの応用的に力作です。
先ほどのはほとんどそろばん型のスワロフスキーをメインに使いましたが、サウスメルボルンのビーズ屋さんでちょっとつぶれた球の形のクリスタルビーズがたくさん売ってるのを見てこういうのも使ってみようかと思いながらもまだよくわからず、試行錯誤した結果基本的なところにおちついたの図です。
でも色がきれいで自分好みで。雪の結晶がアクリルビーズなのがちょっと残念ですが、英語本サイズの本に特に愛用していきたいと思います。
先ほども言ったように「作る」プロセス、レシピを参考にしたりしなかったりしながらあーでもないこーでもないと頭をめぐらせたり決して得意とはいえないのかも知れませんが細かい編み作業やピン使いをするのがものすごく気がまぎれたりして好きで、楽しいです。
あと自分の持っているビーズでどうしよう、と工面するのも好きです。
きれいな色のフローライトの丸玉があるのでピンさえいいのがあればそのうちネックレスとイヤリングのセットが作りたいなーとか思ってます。ピンは・・・太い、硬いのだと曲げる作業のうちにフローライトビーズが(なにせ硬度が低い鉱物なもので)割れてしまう恐れがあるので。まだまだうまく曲げられないので慎重にいきたいところです。
今日の一曲は明日に持ち越しです。もうちょっと遅いので。
そこのところの差が極端ですみません。
ほかの色でもできそうでちょっとそそられたり(自分で作ったものをつけるのよりも作るほうが楽しいので使わないようなものを作っちゃうんですよ、気をつけないと)。
夏に結構使っていました。ただ9ピンのところが曲がらないのがちょっと欠点かしら。
あとパーツ不足だったためなぜかラリアットなのに端が9ピン(笑)
オーストラリアでは耳に穴を開けてる人がかなり多いですが穴なし用のパーツも案外売ってます。そして蝶が好きなのですが近くのクラフトやさんだとクリアとピンクしかないのが残念。メインは色ついてるほうがいいんですけどねー。
いつか耳に穴あけるのかなあ・・・
一番気に入ってるオオミズアオです。
ここのレシピを参考にして、胴体にムーンストーンの丸玉を使い羽をそれでつなぎ合わせて、触角と胴体胸部の帯を足し。
レシピを一回プリントして配色をなるべく実物(春型)に近づけてみました。
アイディアの応用的に力作です。
でも色がきれいで自分好みで。雪の結晶がアクリルビーズなのがちょっと残念ですが、英語本サイズの本に特に愛用していきたいと思います。
先ほども言ったように「作る」プロセス、レシピを参考にしたりしなかったりしながらあーでもないこーでもないと頭をめぐらせたり決して得意とはいえないのかも知れませんが細かい編み作業やピン使いをするのがものすごく気がまぎれたりして好きで、楽しいです。
あと自分の持っているビーズでどうしよう、と工面するのも好きです。
きれいな色のフローライトの丸玉があるのでピンさえいいのがあればそのうちネックレスとイヤリングのセットが作りたいなーとか思ってます。ピンは・・・太い、硬いのだと曲げる作業のうちにフローライトビーズが(なにせ硬度が低い鉱物なもので)割れてしまう恐れがあるので。まだまだうまく曲げられないので慎重にいきたいところです。
今日の一曲は明日に持ち越しです。もうちょっと遅いので。
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今日は一日サウスメルボルンに行ってきました。
メインストリートであるClarendon Streetの裏にあるSt. Ali Coffee Roastersというカフェ&コーヒー自家焙煎&ブレンドの店でまずはブランチ。
メルボルンにしては並びましたわ-。結構混んでて聞くところによると有名人が来たりもするとか?
カフェ本体の待ち時間に向かいのコーヒーを飲む、ということもできるらしく。
健康志向というかのメニューが多く、私の頼んだフレンチトーストもサワードウのパンでできてて、バルサミコ入りのソースとマスカルポーネとイチゴとの組み合わせが不思議でなかなかやみつきになりそうな味でした。
次回はいろいろと種類があった卵を試してみようかと思います。
その後はアカデミーにコンサートに行きましたがとりあえず内容は割愛させてもらいます。
ユースオケなのでもう知らない人ばかりかと思えば久しぶりの人にたくさん会えて良かったです。
コンサートはそういう意味でも、そしてもちろん生演奏を聞くという意味でもちょくちょく行きたいですね。
生演奏を聴くと曲を好きになる確率がぐんと増えるので(今日の実体験)
サウスメルボルンはその名の通りメルボルンのシティのすぐ南(正確に言えばシティからヤラ川を挟んで南岸のサウスバンクのその南ですが)にある町で、自分の中ではメルボルンで住みたいエリアNo.1の町です。
まずはとりあえずシティに近い。これは便利です。
サウスメルボルンのとある交差点に「サザンクロス駅 徒歩17分」と書いてありますが、サザンクロス駅(一応メルボルンの電車の駅で1番大きい駅です。フリンダースストリート駅と規模はそう変わりませんが地方へ出る電車のメイン拠点でもあります)まで確かに歩けました。歩きました、今日。大きな通り沿いなのですが、途中にクラウンカジノもあって、つまりはそこのフードコートで鴨ラーメンを食べに歩ける、ということもあります。
歩かなくともサウスメルボルンはメインロードのClarendon Street他2本トラムが通っています。
ずっと北の方からシティを通りセントキルダまでClarendon Stを通るトラム112番、それと直角になる形でメルボルン大学からシティのメインストリートを通り、サウスメルボルンビーチまで走るトラム1番、そしてシティの北からシティを通り、セントキルダまでLight Railとして一部道路とは離れ線路を走るトラム96番(これはメインストリートからは離れていて112番と平行に走っています)。
電車の駅はないですが、トラムだけでもかなり便利ですね。
サウスメルボルンにはスーパーだけでなく「マーケット」があるところが良いですね。
青果はもちろん、実はここのビーズ屋にお世話になっています。今日も行ってきました。そしたら精神病院でビーズクラフトのセッションを担当しているナースさんが居ました。ある意味お墨付きですね(笑)
それだけでなく、そこらここらに粋なお店が、特に個人経営の個性的なお店がいろいろとあります。今日急ぎなから通り過ぎたのはなんとキルト(あのスコットランドのスカートみたいなやつです)の店。
サウスメルボルンは用事があるところしかあまり行っていないのですがいつかゆっくりそういう店も回ってみたいです・・・別にキルトが欲しいわけではありませんが(笑)
サウスメルボルンは食も充実しています。
さきほどのSt Aliもそうですし、今回のタイトルにした「Not just dim sims(シュウマイだけじゃないよ)」というのはサウスメルボルンマーケットの蒸しシュウマイがなにやら有名なことを自ら皮肉って今サウスメルボルンのキャッチフレーズとして付けられたフレーズです。
私のおすすめはClarendon StreetとDorcas Streetの角にあるBlue Roomというレストラン/カフェ/バー。
あそこのWoodfired pizzaはちょっと変わったトッピングの組み合わせがあって美味です。
今はどうやらないようですが、昔食べておいしかったのは黄色パプリカと鴨とネギのピザ。
そして先ほどのトラムの話で出てきましたが結構ビーチにも近く、タスマニアへのフェリーが出る桟橋も近いです。さらにアルバートパークという大きな湖のある、F1の舞台となっている公園にも近く、つまりはそこのゴルフコースや、メルボルンで1番大きなスポーツセンターにも近いです。
町自体の雰囲気も普段は静かで、そしてアカデミーがあるサウスメルボルンタウンホールをはじめとして古い建物もあり、夜にちょっと飲みに行けるようなところもあり、全体的に「文化」がある感じでそういう意味では印象はものすごく良いです。
きっとロケーション的に家賃などは高めでしょうし、かなりポピュラーなエリアだと思われますがいつかサウスメルボルン周辺に一人暮らししたい!と願っています。
今日の一曲: ラフマニノフ Etudes-Tableaux op.39 第6番
今日ちょっぴり見直した曲その1です。
Etudes-Tableaxとは日本語では「絵画的練習曲」、または「練習曲 音の絵」と翻訳されています。
どちらにしろ絵画のようなイメージで描かれた曲で、どれにも作曲者によるタイトルはついていないものの、後にタイトルが付けられたりしたものも多いです。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」に似たような感じのピアノのための練習曲といったところでしょうか。
練習曲といってもそれがどんなテクニックを磨くものか、というものははっきりしていません。特にラフマニノフはこれらを書いていた頃はばりばりコンサートピアニストやってたので数的にはあんまり曲を書いていないのでこれらの「ラフマニノフ特有の技巧」の応用といえる曲は少ないです。
とにかくこの第6番。聞き良い曲は他にもありますが何よりもイメージの一番つかみやすいものを選びました。
このエチュードは「赤ずきんと狼」という愛称で呼ばれ、じっさい作曲家がそういうイメージで書いたことがわかっています。
最初の唸るような、忍び寄るような低音がオオカミで、高音でぱたぱた逃げるのが赤ずきん。
ものすごく切羽詰まった感じが伝わる、赤ずきんの焦り、恐怖、そしてオオカミの怖さがひしひし伝わります。
そして最後は赤ずきんのテーマが消えてオオカミのテーマだけになり、赤ずきんが食べられてしまったことが明確に示されます。
先ほどいいました「展覧会の絵」の「バーバ・ヤーガ」に似た感じですね。同じロシア音楽だからかにた感じがあります。
「火の鳥」にしろ「バーバ・ヤーガ」にしろ、この曲にしろなにかロシアのおとぎ話系曲って似たような雰囲気があって不思議ですね。ロシアの森の様子が色彩から伝わってくるようです。
弾くのも楽しそうだなあ・・・ただ私の手にはちょっときついんですよね・・・
メインストリートであるClarendon Streetの裏にあるSt. Ali Coffee Roastersというカフェ&コーヒー自家焙煎&ブレンドの店でまずはブランチ。
メルボルンにしては並びましたわ-。結構混んでて聞くところによると有名人が来たりもするとか?
カフェ本体の待ち時間に向かいのコーヒーを飲む、ということもできるらしく。
健康志向というかのメニューが多く、私の頼んだフレンチトーストもサワードウのパンでできてて、バルサミコ入りのソースとマスカルポーネとイチゴとの組み合わせが不思議でなかなかやみつきになりそうな味でした。
次回はいろいろと種類があった卵を試してみようかと思います。
その後はアカデミーにコンサートに行きましたがとりあえず内容は割愛させてもらいます。
ユースオケなのでもう知らない人ばかりかと思えば久しぶりの人にたくさん会えて良かったです。
コンサートはそういう意味でも、そしてもちろん生演奏を聞くという意味でもちょくちょく行きたいですね。
生演奏を聴くと曲を好きになる確率がぐんと増えるので(今日の実体験)
サウスメルボルンはその名の通りメルボルンのシティのすぐ南(正確に言えばシティからヤラ川を挟んで南岸のサウスバンクのその南ですが)にある町で、自分の中ではメルボルンで住みたいエリアNo.1の町です。
まずはとりあえずシティに近い。これは便利です。
サウスメルボルンのとある交差点に「サザンクロス駅 徒歩17分」と書いてありますが、サザンクロス駅(一応メルボルンの電車の駅で1番大きい駅です。フリンダースストリート駅と規模はそう変わりませんが地方へ出る電車のメイン拠点でもあります)まで確かに歩けました。歩きました、今日。大きな通り沿いなのですが、途中にクラウンカジノもあって、つまりはそこのフードコートで鴨ラーメンを食べに歩ける、ということもあります。
歩かなくともサウスメルボルンはメインロードのClarendon Street他2本トラムが通っています。
ずっと北の方からシティを通りセントキルダまでClarendon Stを通るトラム112番、それと直角になる形でメルボルン大学からシティのメインストリートを通り、サウスメルボルンビーチまで走るトラム1番、そしてシティの北からシティを通り、セントキルダまでLight Railとして一部道路とは離れ線路を走るトラム96番(これはメインストリートからは離れていて112番と平行に走っています)。
電車の駅はないですが、トラムだけでもかなり便利ですね。
サウスメルボルンにはスーパーだけでなく「マーケット」があるところが良いですね。
青果はもちろん、実はここのビーズ屋にお世話になっています。今日も行ってきました。そしたら精神病院でビーズクラフトのセッションを担当しているナースさんが居ました。ある意味お墨付きですね(笑)
それだけでなく、そこらここらに粋なお店が、特に個人経営の個性的なお店がいろいろとあります。今日急ぎなから通り過ぎたのはなんとキルト(あのスコットランドのスカートみたいなやつです)の店。
サウスメルボルンは用事があるところしかあまり行っていないのですがいつかゆっくりそういう店も回ってみたいです・・・別にキルトが欲しいわけではありませんが(笑)
サウスメルボルンは食も充実しています。
さきほどのSt Aliもそうですし、今回のタイトルにした「Not just dim sims(シュウマイだけじゃないよ)」というのはサウスメルボルンマーケットの蒸しシュウマイがなにやら有名なことを自ら皮肉って今サウスメルボルンのキャッチフレーズとして付けられたフレーズです。
私のおすすめはClarendon StreetとDorcas Streetの角にあるBlue Roomというレストラン/カフェ/バー。
あそこのWoodfired pizzaはちょっと変わったトッピングの組み合わせがあって美味です。
今はどうやらないようですが、昔食べておいしかったのは黄色パプリカと鴨とネギのピザ。
そして先ほどのトラムの話で出てきましたが結構ビーチにも近く、タスマニアへのフェリーが出る桟橋も近いです。さらにアルバートパークという大きな湖のある、F1の舞台となっている公園にも近く、つまりはそこのゴルフコースや、メルボルンで1番大きなスポーツセンターにも近いです。
町自体の雰囲気も普段は静かで、そしてアカデミーがあるサウスメルボルンタウンホールをはじめとして古い建物もあり、夜にちょっと飲みに行けるようなところもあり、全体的に「文化」がある感じでそういう意味では印象はものすごく良いです。
きっとロケーション的に家賃などは高めでしょうし、かなりポピュラーなエリアだと思われますがいつかサウスメルボルン周辺に一人暮らししたい!と願っています。
今日の一曲: ラフマニノフ Etudes-Tableaux op.39 第6番
今日ちょっぴり見直した曲その1です。
Etudes-Tableaxとは日本語では「絵画的練習曲」、または「練習曲 音の絵」と翻訳されています。
どちらにしろ絵画のようなイメージで描かれた曲で、どれにも作曲者によるタイトルはついていないものの、後にタイトルが付けられたりしたものも多いです。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」に似たような感じのピアノのための練習曲といったところでしょうか。
練習曲といってもそれがどんなテクニックを磨くものか、というものははっきりしていません。特にラフマニノフはこれらを書いていた頃はばりばりコンサートピアニストやってたので数的にはあんまり曲を書いていないのでこれらの「ラフマニノフ特有の技巧」の応用といえる曲は少ないです。
とにかくこの第6番。聞き良い曲は他にもありますが何よりもイメージの一番つかみやすいものを選びました。
このエチュードは「赤ずきんと狼」という愛称で呼ばれ、じっさい作曲家がそういうイメージで書いたことがわかっています。
最初の唸るような、忍び寄るような低音がオオカミで、高音でぱたぱた逃げるのが赤ずきん。
ものすごく切羽詰まった感じが伝わる、赤ずきんの焦り、恐怖、そしてオオカミの怖さがひしひし伝わります。
そして最後は赤ずきんのテーマが消えてオオカミのテーマだけになり、赤ずきんが食べられてしまったことが明確に示されます。
先ほどいいました「展覧会の絵」の「バーバ・ヤーガ」に似た感じですね。同じロシア音楽だからかにた感じがあります。
「火の鳥」にしろ「バーバ・ヤーガ」にしろ、この曲にしろなにかロシアのおとぎ話系曲って似たような雰囲気があって不思議ですね。ロシアの森の様子が色彩から伝わってくるようです。
弾くのも楽しそうだなあ・・・ただ私の手にはちょっときついんですよね・・・
やっと新しいパソコンがいろいろ落ち着きました~
とりあえずアプリケーション、ゲームetcはほとんど動くので安心です。
オーストラリアのヤングアダルト文学で結構好きなものがあって、もう何百回読んでるやつもあるんですけど改めてまた一つ紹介したいと思います。
Brian Caswell作 「A Cage of Butterflies」
Google ブック検索結果はこちら
とあるオーストラリアの田舎にある「Farm」。そこでは高いIQを持った子供たちが暮らしている。
主人公はティーンエイジャーの7人で、Farmにくる前は「他とは違う」ことでつらい思いをしていた、でもFarmでそれなりに幸せに今生きている。
彼らとは別に5人、7歳くらいの子供-自閉症のような様子を見せ、身体的成長が遅れた「まるで蝶のように壊れやすい」、特別ななにかをもった子供たちが研究者たちの手の中にひっそりと居る。
Babiesと呼ばれるこの子供たちはいったい「何」なのか?このFarmの中で、彼らを巡っていったい何が起こっているのか?
・・・というようなあらすじです。
が、そういった小説から連想されるサスペンスや、SF的なエレメントや、主人公たちが行動を起こすときのアクションとか、そういうエレメントはあんまり強くありません。
本自体もずいぶん薄く、内容もがっつりというわけではなく。
この著者のことを以前調べたときに彼は「他とは違う」存在のあり場所などについてよく物語を書く、というレビューを読みました。この本もどちらかといえばそういったテーマを中心にしています。
主人公の一人、グレッグは足に障害を持つ、全般的に高い知能を持つ男の子ですが彼が最初に物語を語るとき、「外の世界」でどういう目でみられることがあったか、彼や他のティーンエイジャーがどういった能力をもち、そのためにどういう経験をしたか・・・そういうことが語られています。
そして物語の後半でBabiesを救うためにFarmから逃げよう、という話がまとまりつつあるとき、でもあの子たちは外の世界でどうやって生きていくんだ、という話になり。
「普通になれ」という世界で変な目で、冷たい目で見られ、どうしてそういう目を向けられるかも理解できず、そしてそういう風な目を向ける人を憎むことができない純粋な心で・・・
けっこうそのくだりが長いのもやっぱり物語と著者の焦点なんでしょうね。
なのでそれ以外が薄く思えるのもちょっと詰めの甘さがあるのもまあしょうがないと。
キャラクターの中で言及するべきはBabiesとグレッグでしょうか。
Babiesは幼少時なんらかの理由で自分の世界にこもったままになり、知能は大人のそれさえも遙かに、想像を逸するほど超えて高く。ただし外見は数歳未熟で、たとえ危害を与える者でも人を憎めず、傷つけたくなく、そして言葉をそのまま受け取ってしまう(グレッグ曰く「まだまだユーモアの件は練習がいるな」)ところがあって。
知能の他にもまだまだ不思議な力を宿していて、その能力と彼らがどうしてそうなったか、ということに悪役である科学者たちは興味津々だったり。
ティーンエイジャーの7人の中でリーダー格のグレッグ。物語が始まって早々恋人となったミッキーとともに、その全般に渡った知能の高さ(他の子はたとえば記憶だったり、数学だったり、メカだったり専門的エリアについて超人的な能力を持つ)からか何かとアイディアメーカーだからかどうなのか自然と7人のなかでリーダーとなった男の子。
グレッグの魅力的なキャラクターがこの物語の魅力の半分以上を占めているといっても過言ではないでしょう。
なんというか・・・もうユーモアのセンスが個人的にツボで(笑)特に本の一番最後の・・・おっと、これ以上はいえませんが。
Babiesも彼からユーモアのセンスを覚えていくことがまたほほえましく。
そうやって一見閉鎖されて寂しい空間の中でみんながお互いを信じ、お互いを分かり合い、笑いあって生きている。そういうのが好きです。
先ほどFarmから逃げよう、という風になるといいましたが、むしろそれがアクションぽくなるよりも、その一連の計画と実行が主人公たちの知能の高さを表しながらも何よりも「子供のいたずら」てきなエレメントが終始強くてそれがむしろよかったような気がします。
言語的にも内容的にもあまり構えず読める本で、物語的にもなかなかおもしろく、ヤングアダルト文学としてはけっこう優れていると思います。
それに「普通になれという世界の中で他とは違う何かをもって生きていく」というテーマに関してはうまくそれを提起したストーリーだと思います。
そしてエンディングが多少都合が良すぎだと思っても最後まで読んでくださいね。最後の最後にグレッグがやらかしてくれてますから♪
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「ロシアの歌」
ストラヴィンスキーのコミック・オペラ「マヴラ」からのアリアをチェロとピアノのためにアレンジしたこの曲。
今日初めて改めて聴いてみたんですけど、感想はとりあえず一言・・・
「ロシアってかユダヤじゃん!」
伴奏といい、メロディーの入りといい、調の変わり方といい。
ユダヤ音楽にそう詳しいわけではありませんが(大好きには大好きです。ただクラシックのなかで使われているもののみしか知らなくて・・・クレズマーのCD欲しいです!)、ぴんときちゃいましたよ。
紹介というかツッコミですみませんが(まあ「今日の一曲」なので今日インパクトがあった曲、とか今日つっこみたくなった曲、とかなんでもいいといえばそれまでですしね)。
これでもビオラで弾くともっとユダヤっぽいんではないかと思います。
(考えてみればチェロでしっくりきすぎて元のアリアとして想像しづらいですよ)
なんでしょうね、ユダヤ音楽といえばバイオリンとクラリネットというイメージですが結構陰鬱な影もその音楽の特徴の一部なのでそういうものはビオラのほうがお家芸なのかなーとか思ったり。
ぼんやり思うのはユダヤ音楽で多用する調にしてもバイオリンよりはビオラのほうが自然なんじゃないかなーと思ったりなんだり・・・根拠がないんですけど。
なんにしても小品としては、ユダヤ音楽の片鱗としては結構魅力にあふれた一曲だと思います。
そのうちオリジナルの方も聴いてみたいですね♪
とりあえずアプリケーション、ゲームetcはほとんど動くので安心です。
オーストラリアのヤングアダルト文学で結構好きなものがあって、もう何百回読んでるやつもあるんですけど改めてまた一つ紹介したいと思います。
Brian Caswell作 「A Cage of Butterflies」
Google ブック検索結果はこちら
とあるオーストラリアの田舎にある「Farm」。そこでは高いIQを持った子供たちが暮らしている。
主人公はティーンエイジャーの7人で、Farmにくる前は「他とは違う」ことでつらい思いをしていた、でもFarmでそれなりに幸せに今生きている。
彼らとは別に5人、7歳くらいの子供-自閉症のような様子を見せ、身体的成長が遅れた「まるで蝶のように壊れやすい」、特別ななにかをもった子供たちが研究者たちの手の中にひっそりと居る。
Babiesと呼ばれるこの子供たちはいったい「何」なのか?このFarmの中で、彼らを巡っていったい何が起こっているのか?
・・・というようなあらすじです。
が、そういった小説から連想されるサスペンスや、SF的なエレメントや、主人公たちが行動を起こすときのアクションとか、そういうエレメントはあんまり強くありません。
本自体もずいぶん薄く、内容もがっつりというわけではなく。
この著者のことを以前調べたときに彼は「他とは違う」存在のあり場所などについてよく物語を書く、というレビューを読みました。この本もどちらかといえばそういったテーマを中心にしています。
主人公の一人、グレッグは足に障害を持つ、全般的に高い知能を持つ男の子ですが彼が最初に物語を語るとき、「外の世界」でどういう目でみられることがあったか、彼や他のティーンエイジャーがどういった能力をもち、そのためにどういう経験をしたか・・・そういうことが語られています。
そして物語の後半でBabiesを救うためにFarmから逃げよう、という話がまとまりつつあるとき、でもあの子たちは外の世界でどうやって生きていくんだ、という話になり。
「普通になれ」という世界で変な目で、冷たい目で見られ、どうしてそういう目を向けられるかも理解できず、そしてそういう風な目を向ける人を憎むことができない純粋な心で・・・
けっこうそのくだりが長いのもやっぱり物語と著者の焦点なんでしょうね。
なのでそれ以外が薄く思えるのもちょっと詰めの甘さがあるのもまあしょうがないと。
キャラクターの中で言及するべきはBabiesとグレッグでしょうか。
Babiesは幼少時なんらかの理由で自分の世界にこもったままになり、知能は大人のそれさえも遙かに、想像を逸するほど超えて高く。ただし外見は数歳未熟で、たとえ危害を与える者でも人を憎めず、傷つけたくなく、そして言葉をそのまま受け取ってしまう(グレッグ曰く「まだまだユーモアの件は練習がいるな」)ところがあって。
知能の他にもまだまだ不思議な力を宿していて、その能力と彼らがどうしてそうなったか、ということに悪役である科学者たちは興味津々だったり。
ティーンエイジャーの7人の中でリーダー格のグレッグ。物語が始まって早々恋人となったミッキーとともに、その全般に渡った知能の高さ(他の子はたとえば記憶だったり、数学だったり、メカだったり専門的エリアについて超人的な能力を持つ)からか何かとアイディアメーカーだからかどうなのか自然と7人のなかでリーダーとなった男の子。
グレッグの魅力的なキャラクターがこの物語の魅力の半分以上を占めているといっても過言ではないでしょう。
なんというか・・・もうユーモアのセンスが個人的にツボで(笑)特に本の一番最後の・・・おっと、これ以上はいえませんが。
Babiesも彼からユーモアのセンスを覚えていくことがまたほほえましく。
そうやって一見閉鎖されて寂しい空間の中でみんながお互いを信じ、お互いを分かり合い、笑いあって生きている。そういうのが好きです。
先ほどFarmから逃げよう、という風になるといいましたが、むしろそれがアクションぽくなるよりも、その一連の計画と実行が主人公たちの知能の高さを表しながらも何よりも「子供のいたずら」てきなエレメントが終始強くてそれがむしろよかったような気がします。
言語的にも内容的にもあまり構えず読める本で、物語的にもなかなかおもしろく、ヤングアダルト文学としてはけっこう優れていると思います。
それに「普通になれという世界の中で他とは違う何かをもって生きていく」というテーマに関してはうまくそれを提起したストーリーだと思います。
そしてエンディングが多少都合が良すぎだと思っても最後まで読んでくださいね。最後の最後にグレッグがやらかしてくれてますから♪
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「ロシアの歌」
ストラヴィンスキーのコミック・オペラ「マヴラ」からのアリアをチェロとピアノのためにアレンジしたこの曲。
今日初めて改めて聴いてみたんですけど、感想はとりあえず一言・・・
「ロシアってかユダヤじゃん!」
伴奏といい、メロディーの入りといい、調の変わり方といい。
ユダヤ音楽にそう詳しいわけではありませんが(大好きには大好きです。ただクラシックのなかで使われているもののみしか知らなくて・・・クレズマーのCD欲しいです!)、ぴんときちゃいましたよ。
紹介というかツッコミですみませんが(まあ「今日の一曲」なので今日インパクトがあった曲、とか今日つっこみたくなった曲、とかなんでもいいといえばそれまでですしね)。
これでもビオラで弾くともっとユダヤっぽいんではないかと思います。
(考えてみればチェロでしっくりきすぎて元のアリアとして想像しづらいですよ)
なんでしょうね、ユダヤ音楽といえばバイオリンとクラリネットというイメージですが結構陰鬱な影もその音楽の特徴の一部なのでそういうものはビオラのほうがお家芸なのかなーとか思ったり。
ぼんやり思うのはユダヤ音楽で多用する調にしてもバイオリンよりはビオラのほうが自然なんじゃないかなーと思ったりなんだり・・・根拠がないんですけど。
なんにしても小品としては、ユダヤ音楽の片鱗としては結構魅力にあふれた一曲だと思います。
そのうちオリジナルの方も聴いてみたいですね♪
今日は新しいPCにかまけていたので事後報告ですみませんがブログはお休みでした。
ちょうど今日Brian CaswellのA Cage of Butterfliesを何回目かわからないですが読み終わりましたので明日は一応感想の予定です。
それではまた明日。
ちょうど今日Brian CaswellのA Cage of Butterfliesを何回目かわからないですが読み終わりましたので明日は一応感想の予定です。
それではまた明日。
くさかんむりに楽と書いて薬。
今日はなんかいろいろあっていろいろ考えた結果薬のことを話したいなーと思います。
カテゴリーが「精神関係」になっているのはまあ自分の知識が精神関係の薬に偏っているため例がほとんどそっち系統になる恐れがあるとのことを察してというのと、最後のほうで特に精神関係の薬について話したいことからなのですが、それにかかわらず薬を飲んでいる人、そして飲んでいない人にもいろいろ知っていただきたい話です。
いまや病気には薬、と子供でも認識されるほど病気の治療に頻繁に使われる薬。
薬を飲めば病気が治る、と最近はどうもそれが当たり前のように思われ、薬というものの「価値」が駆るんじられているように思われます。
先ほどことわざ辞典をひいたら「薬人を殺さず薬師人を殺す」ということわざがあり。文面どおり薬が人を殺すんじゃなくてそれを作った人が害を及ぼしているんだ、という風にも取れますが意味合いとしては「薬が害になるのではなくそれを『使う』人により害は起こる」・・・ということなので薬を処方する人にも薬を扱い飲む人にも責任がある、という意味でもあります。
医師側のことを言いますと、医師は処方する量などについては患者の体重からどれくらい、という目安があるのでそこら辺は大きく間違うことは今では少なくなっていますが(副作用はまた別のことなので後ほど)、薬を使うかどうか、というところが今どんな疾患においても考え直されるべきだと思います。
特に精神疾患では日本では薬が簡単に出されすぎだということをよく聞きます。後の話となる副作用のことを考えても処方は慎重にするべきではないかと、素人なりに、いえ患者の視点から思います。
屁理屈っぽい話になりますが、病気になると体がどれだけ変わるか、というのは病気にかかったことのある人誰でもわかると思います。薬はそれを治す、つまり同じだけ体を変えることができるものなのです。
そこのところ最近侮られている気がしてしょうがなく。
それだけ体に影響があるものだから薬を飲む側も薬を飲むことに対してもっと責任感を感じるべきではないかと。
薬の人への作用は人それぞれですが、それでもどういう作用をするべきか、どういう副作用があらわれる可能性があるか、どんな薬や食物と一緒に摂取してはいけないか(お酒で飲むなんてもってのほか、他にグレープフルーツが禁忌としてある薬も何種類かあるそうです)、いつ飲むべきか、などをしっかり把握することが大切です。このためには患者さん向けの添付書類も薬についているはずですし、わからないことはお医者さんに説明してもらうという方法もあります。
それによって薬の効力も変わってきますし、なによりも安全性として・・・こんな症状が起こったら副作用だからなるべく早く医師に相談しなければ、ということも重要ですからね。
そしてお酒やタバコもいわば薬の一種なので、それのみの体への影響はもちろん、他の薬と合わせるとどうなるかというものにもっと認識を持たないと体の安全にかかわりますので。
薬に不信感がある人もいますが、私は自分の今の仕事を始めてから初めて薬の重要性、そして不可欠さを学びました。
薬だけではなく、たとえば食物も同じように体に影響する物質がいろいろと含まれています。が、食物に含まれる成分の量にはある程度育ちなどによりばらつきがあり、どれくらい含まれているかはわかりにくいです。人間の体に影響をおよぼすにはある程度(主に体重によって決まります)の量が必要ですので。
それに調理過程で成分が消失することもありますしね。
治験のプロセスのことを学んでいると「薬九層倍」もある程度は仕方がないと思うんですよ。
人間の体にとって安全で、かつ効果的になるべくポジティブな影響を及ぼすよう何年もかけて、いくつもの試験をして、データを取って。作用は個人個人によって違うということを知っていながらなるべく多くの人に効果があるようにどれだけの取り組みがされているか。
それでも合わない薬があったりするのはまだまだしょうがないことなんだな、というのもよくわかります。
副作用・・・もまたしょうがない部分もあると思います。
体の中であれだけたくさんの組織がある中で、ある1つのことをさせるというのは化学をもっても難しいことで。
特に精神疾患をはじめ脳に影響を与える薬物はそうですね。
脳の複雑さと、そしてその未知さを考えると、そういった薬の作用機序(メカニズム)がわかっていないということもあわせるとそこのエリアの薬の処方や創薬がまだ手探りだということに対してどうのこうの言う気にはなりません。
何回か言ったと思いますが、精神医たちによると精神疾患・・・たとえば鬱を患う人が抗鬱剤を飲むとしてそれがその人にとって効き目があるかどうかは訳60%の確率であるとされ、そして薬を飲むまでどんな風に作用するかはわからない、という。いくつか薬を変えて試してかなり安全で効果的なものを見つけることは化膿ですが。
そして精神疾患の薬で大変なのは副作用が症状に酷似する場合が多いことです。
先ほど言ったように脳がどういう働きをして、薬が脳にどういう働きをするか、ということがわかっていないため大変いろいろわかりにくい。
例えば抗鬱剤を飲んで不安症状がでたりします。これはもともとあった症状なのか薬によって現れたものか。
食欲低下もよくある副作用ですが、これはご存知かと思いますが鬱ではよくある症状で。
この見極めは医者と患者の普段からのコミュニケーション、そして医者の患者の、そして患者の患者自身の観察にかかってますね。
「薬にも毒にもなる」という言葉がありますが、薬と毒の違いは使われ方にあるのみだと思います。
例えば毒草であるジギタリスは心臓の薬の原料でもあります。
そしてADHDなどの薬としてアンフェタミン系統が使われていますがこれは麻薬ともされています。
子供にそんなものを与えるなんて!と思う方もいるかもしれませんが麻薬としてのアンフェタミンはDrug Abuse、つまり薬の乱用、本来の薬の使われ方を逸脱しているのです。
最近は処方薬依存症・乱用によりアンフェタミンのように本来の薬の使われ方を逸脱し薬が麻薬のようになっていることも多いようですが・・・
そしてわかりやすい例が過量投与ですね。薬を本来の量から逸脱した量でのむと毒になる。
いつも話しているリチウムなんかは特にそれが顕著で治療範囲が狭く、過量投与により毒となりやすい薬です。
「薬にも毒にもなる」、だからどんな薬にしても医師により、そして飲む人によりもっと慎重に扱われるべきではないかと私は考えます。
「くすり」が蔓延している今この世の中で、もっと人間に薬を飲むことに対して責任感を持ってほしいと思っています。先ほど言ったように薬が治すのではなく、自分が薬を飲むことによって自分を治しているので、治療の責任というものをきちっと持たなければ安全性、有効性にも問題がでてきます。
薬は飲んだら治る、というほどシンプルなものでは本当はないはずなので。
そして同時に「くすり」が体にどれだけ影響するか、薬が本当はどういうものかということに対して認識が広まることも願っています。
薬、特に精神疾患の薬については開発の歴史はまだ途中です。まだまだいたらないこともたくさんあって。
副作用が起こることは珍しくないこと、そして副作用が起こったときの対応をちゃんとしておくことについて理解が広まることがより良き治療につながると信じて疑わいません。
本当は薬を飲むことがない方がいいんですよね。「薬より養生」と。
でもどうしても飲まなければいけないときは正しく、知識を持って服薬し、自分の体のためにもうまく薬と付き合っていければと思います。
もちろん私も。リチウムというちと面倒な薬とうまく付き合っていきたいです(なので早く血液検査いこうぜ!)。
若輩者が説教じみた真似、まことに申し訳ありませんでした。
心洗われる音楽でお詫びというわけでもなくあれですがどうぞ。
今日の一曲: ウジェーヌ・イザイ 無伴奏バイオリンソナタ第1番 第3 楽章
技巧のためだけの技巧、という曲も多くありそんな曲が嫌いな中この曲は別次元にあります。
楽譜の見た目は(別の無伴奏ソナタで見ましたが)とてもあの小さなバイオリン1つで弾くとは思えないほどなのに聴いているとそれをあんまり思わせません。
イザイのバイオリンは腕の一部、心の延長。感情の深さと、技巧による音楽性の複雑さが大変魅力的です。
実は無伴奏ソナタだと第2番と第3番がお気に入りですが今日はこちらを。
この曲のまあ繊細なこと。まるで口説かれているようです。
詩人の紡ぐような言葉のように、優しく細やかな愛撫のように・・・
心の襞のひとつひとつの細やかなところをとらえて離さないのは技巧の複雑さによるところが多いかも。
そしてこのZehetmairという奏者もすごいです。
技巧は安定し、感情はいっぱりこめられ、オーソドックスな解釈に強く、繊細で表現豊かな音。
巨匠と呼ばれる奏者がたくさんいるなか彼もひけをとりません。
この曲を聴くにも、イザイとバイオリンの関係を聴くにも、そしてバイオリンという楽器の魅力を味わうにもこの録音はものすごくお勧めです♪
バイオリンは個人・個々の楽器により解釈や音に大きなひらきがでる楽器なので今後バイオリン曲を紹介するときはなるべく広い範囲の奏者による録音を選んでいきたいと思います。
今日はなんかいろいろあっていろいろ考えた結果薬のことを話したいなーと思います。
カテゴリーが「精神関係」になっているのはまあ自分の知識が精神関係の薬に偏っているため例がほとんどそっち系統になる恐れがあるとのことを察してというのと、最後のほうで特に精神関係の薬について話したいことからなのですが、それにかかわらず薬を飲んでいる人、そして飲んでいない人にもいろいろ知っていただきたい話です。
いまや病気には薬、と子供でも認識されるほど病気の治療に頻繁に使われる薬。
薬を飲めば病気が治る、と最近はどうもそれが当たり前のように思われ、薬というものの「価値」が駆るんじられているように思われます。
先ほどことわざ辞典をひいたら「薬人を殺さず薬師人を殺す」ということわざがあり。文面どおり薬が人を殺すんじゃなくてそれを作った人が害を及ぼしているんだ、という風にも取れますが意味合いとしては「薬が害になるのではなくそれを『使う』人により害は起こる」・・・ということなので薬を処方する人にも薬を扱い飲む人にも責任がある、という意味でもあります。
医師側のことを言いますと、医師は処方する量などについては患者の体重からどれくらい、という目安があるのでそこら辺は大きく間違うことは今では少なくなっていますが(副作用はまた別のことなので後ほど)、薬を使うかどうか、というところが今どんな疾患においても考え直されるべきだと思います。
特に精神疾患では日本では薬が簡単に出されすぎだということをよく聞きます。後の話となる副作用のことを考えても処方は慎重にするべきではないかと、素人なりに、いえ患者の視点から思います。
屁理屈っぽい話になりますが、病気になると体がどれだけ変わるか、というのは病気にかかったことのある人誰でもわかると思います。薬はそれを治す、つまり同じだけ体を変えることができるものなのです。
そこのところ最近侮られている気がしてしょうがなく。
それだけ体に影響があるものだから薬を飲む側も薬を飲むことに対してもっと責任感を感じるべきではないかと。
薬の人への作用は人それぞれですが、それでもどういう作用をするべきか、どういう副作用があらわれる可能性があるか、どんな薬や食物と一緒に摂取してはいけないか(お酒で飲むなんてもってのほか、他にグレープフルーツが禁忌としてある薬も何種類かあるそうです)、いつ飲むべきか、などをしっかり把握することが大切です。このためには患者さん向けの添付書類も薬についているはずですし、わからないことはお医者さんに説明してもらうという方法もあります。
それによって薬の効力も変わってきますし、なによりも安全性として・・・こんな症状が起こったら副作用だからなるべく早く医師に相談しなければ、ということも重要ですからね。
そしてお酒やタバコもいわば薬の一種なので、それのみの体への影響はもちろん、他の薬と合わせるとどうなるかというものにもっと認識を持たないと体の安全にかかわりますので。
薬に不信感がある人もいますが、私は自分の今の仕事を始めてから初めて薬の重要性、そして不可欠さを学びました。
薬だけではなく、たとえば食物も同じように体に影響する物質がいろいろと含まれています。が、食物に含まれる成分の量にはある程度育ちなどによりばらつきがあり、どれくらい含まれているかはわかりにくいです。人間の体に影響をおよぼすにはある程度(主に体重によって決まります)の量が必要ですので。
それに調理過程で成分が消失することもありますしね。
治験のプロセスのことを学んでいると「薬九層倍」もある程度は仕方がないと思うんですよ。
人間の体にとって安全で、かつ効果的になるべくポジティブな影響を及ぼすよう何年もかけて、いくつもの試験をして、データを取って。作用は個人個人によって違うということを知っていながらなるべく多くの人に効果があるようにどれだけの取り組みがされているか。
それでも合わない薬があったりするのはまだまだしょうがないことなんだな、というのもよくわかります。
副作用・・・もまたしょうがない部分もあると思います。
体の中であれだけたくさんの組織がある中で、ある1つのことをさせるというのは化学をもっても難しいことで。
特に精神疾患をはじめ脳に影響を与える薬物はそうですね。
脳の複雑さと、そしてその未知さを考えると、そういった薬の作用機序(メカニズム)がわかっていないということもあわせるとそこのエリアの薬の処方や創薬がまだ手探りだということに対してどうのこうの言う気にはなりません。
何回か言ったと思いますが、精神医たちによると精神疾患・・・たとえば鬱を患う人が抗鬱剤を飲むとしてそれがその人にとって効き目があるかどうかは訳60%の確率であるとされ、そして薬を飲むまでどんな風に作用するかはわからない、という。いくつか薬を変えて試してかなり安全で効果的なものを見つけることは化膿ですが。
そして精神疾患の薬で大変なのは副作用が症状に酷似する場合が多いことです。
先ほど言ったように脳がどういう働きをして、薬が脳にどういう働きをするか、ということがわかっていないため大変いろいろわかりにくい。
例えば抗鬱剤を飲んで不安症状がでたりします。これはもともとあった症状なのか薬によって現れたものか。
食欲低下もよくある副作用ですが、これはご存知かと思いますが鬱ではよくある症状で。
この見極めは医者と患者の普段からのコミュニケーション、そして医者の患者の、そして患者の患者自身の観察にかかってますね。
「薬にも毒にもなる」という言葉がありますが、薬と毒の違いは使われ方にあるのみだと思います。
例えば毒草であるジギタリスは心臓の薬の原料でもあります。
そしてADHDなどの薬としてアンフェタミン系統が使われていますがこれは麻薬ともされています。
子供にそんなものを与えるなんて!と思う方もいるかもしれませんが麻薬としてのアンフェタミンはDrug Abuse、つまり薬の乱用、本来の薬の使われ方を逸脱しているのです。
最近は処方薬依存症・乱用によりアンフェタミンのように本来の薬の使われ方を逸脱し薬が麻薬のようになっていることも多いようですが・・・
そしてわかりやすい例が過量投与ですね。薬を本来の量から逸脱した量でのむと毒になる。
いつも話しているリチウムなんかは特にそれが顕著で治療範囲が狭く、過量投与により毒となりやすい薬です。
「薬にも毒にもなる」、だからどんな薬にしても医師により、そして飲む人によりもっと慎重に扱われるべきではないかと私は考えます。
「くすり」が蔓延している今この世の中で、もっと人間に薬を飲むことに対して責任感を持ってほしいと思っています。先ほど言ったように薬が治すのではなく、自分が薬を飲むことによって自分を治しているので、治療の責任というものをきちっと持たなければ安全性、有効性にも問題がでてきます。
薬は飲んだら治る、というほどシンプルなものでは本当はないはずなので。
そして同時に「くすり」が体にどれだけ影響するか、薬が本当はどういうものかということに対して認識が広まることも願っています。
薬、特に精神疾患の薬については開発の歴史はまだ途中です。まだまだいたらないこともたくさんあって。
副作用が起こることは珍しくないこと、そして副作用が起こったときの対応をちゃんとしておくことについて理解が広まることがより良き治療につながると信じて疑わいません。
本当は薬を飲むことがない方がいいんですよね。「薬より養生」と。
でもどうしても飲まなければいけないときは正しく、知識を持って服薬し、自分の体のためにもうまく薬と付き合っていければと思います。
もちろん私も。リチウムというちと面倒な薬とうまく付き合っていきたいです(なので早く血液検査いこうぜ!)。
若輩者が説教じみた真似、まことに申し訳ありませんでした。
心洗われる音楽でお詫びというわけでもなくあれですがどうぞ。
今日の一曲: ウジェーヌ・イザイ 無伴奏バイオリンソナタ第1番 第3 楽章
技巧のためだけの技巧、という曲も多くありそんな曲が嫌いな中この曲は別次元にあります。
楽譜の見た目は(別の無伴奏ソナタで見ましたが)とてもあの小さなバイオリン1つで弾くとは思えないほどなのに聴いているとそれをあんまり思わせません。
イザイのバイオリンは腕の一部、心の延長。感情の深さと、技巧による音楽性の複雑さが大変魅力的です。
実は無伴奏ソナタだと第2番と第3番がお気に入りですが今日はこちらを。
この曲のまあ繊細なこと。まるで口説かれているようです。
詩人の紡ぐような言葉のように、優しく細やかな愛撫のように・・・
心の襞のひとつひとつの細やかなところをとらえて離さないのは技巧の複雑さによるところが多いかも。
そしてこのZehetmairという奏者もすごいです。
技巧は安定し、感情はいっぱりこめられ、オーソドックスな解釈に強く、繊細で表現豊かな音。
巨匠と呼ばれる奏者がたくさんいるなか彼もひけをとりません。
この曲を聴くにも、イザイとバイオリンの関係を聴くにも、そしてバイオリンという楽器の魅力を味わうにもこの録音はものすごくお勧めです♪
バイオリンは個人・個々の楽器により解釈や音に大きなひらきがでる楽器なので今後バイオリン曲を紹介するときはなるべく広い範囲の奏者による録音を選んでいきたいと思います。
