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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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A pianist is not always alone
ピアニスト・・・といえば一人のリサイタルや、他の奏者の伴奏、そしてコンチェルトなどでのソリストとしての立場が目立ちます。
何にしても一人で弾くことが多いピアニストは多少美化して言えば孤高の存在みたいなところがあります。
でもチャイコフスキー以降の作曲家はオーケストラにチェレスタのパートを書いたりしてるときもありますし、ショスタコーヴィチ以降ではピアノのパートを書いたりしているときもあって、オーケストラの一員として弾くときもありますし、なによりも室内楽の重要な一員となることも多いです。

室内楽に関してはエントリーを書きましたが、そこでも言った・・・ようなきがします・・・がピアノはいつも室内楽に用いられるものではありません。
むしろ現実問題昨日言ったようにいろんなイベントとかで弾いてお金を稼ぐんだったらピアノなしのグループの方がピアノがなくても演奏できるので演奏機会が多く、さらに演奏会を開く場所にも自由がきき結果経済的でもあります。

ただ単純に音の数・音楽の複雑さで言うとピアノがあったほうが断然そういうものに富んでいますし、特に中低音の楽器は伴奏以外のパートも回ってきやすいのでチェロを弾いていた身としては大変都合がいいです。

ピアノが入る室内楽にはいろいろ種類があります。
定番はピアノ三重奏(ピアノ+バイオリン+チェロ)やその変形のピアノ+バイオリン+クラリネット、ピアノ+バイオリン+ホルン、さらにピアノ+フルート+バイオリン、ピアノ+オーボエ+ファゴットなど。
ピアノ四重奏だとピアノ+バイオリン+ビオラ+チェロ。
ピアノ五重奏だとピアノ+バイオリン2台+ビオラ+チェロ。
他にもピアノ+木管五重奏(フルート+オーボエ+クラリネット+ホルン+ファゴット)などあって。
いろいろな楽器を伴奏するだけあってピアノはさまざまな楽器と組み合わせやすいです。

弦楽四重奏とピアノ三重奏の配置を比べた場合、弦楽四重奏が結構近く弧を描いて座っているのに対しピアノ三重奏は二人の弦楽器が前に座って、ちょっと離れたところにピアノ・・・という印象です。
ピアノは(とくにコンサートで使う長いコンサートグランドピアノは)楽器自体が大きいのでどうしても座るのに他の奏者と離れてしまいます。
特にピアノ五重奏では配置的にも音的にもピアノ+弦楽四重奏という形になっているので・・・気持ちさびしかったような印象もあります。

室内楽の音楽においてピアニストは必ずしも主導権があるわけではありませんが(それはもう曲と曲の部分によりけりです)、でもパートが他の楽器に比べて著しく複雑なのでいろいろと他のメンバーが合わせてくれることもあり、さらに弾いていて他の楽器を自然と引っ張る形になります。
いろいろ細かいところを管理して音楽を動かすマネージャーのような存在でしょうか。

先ほども言いましたようにピアノを含んだアンサンブルにはいろいろなものがあります。
例えばフルートとバイオリン、そしてバイオリンとホルンなど組み合わせてもなかなか音の溶け合いなどの意味でなかなか音楽が成り立ちにくいものもあります。
そこにピアノが入ると音色だけでなく音を増やすことで音楽的仲介みたいな役割を果たしたり。

そしてそのピアノが他のメンバーと地理的に離れている・・・のに加えてピアニストの楽譜は(ピアニストのみ!)スコアとなっていて他のパートも記されているので、音楽を総括的に、一歩はなれた状態で見ているという見方もできます。
なのでざっくり言えばピアノは室内楽においてのツッコミ・・・と私は思ってます。
実際淡くそういう感じになっちゃうんですよね。まとめ役で、グループの中に入るとどっちかというと常識人になっちゃって、なにかとわちゃわちゃする音楽家の集まりのなかでどうもなんかツッコミといえるような役割に自然と回ってしまう・・・という仮説ですがそれでもはっきりした役割ではないので実例とかは出せません。あしからず。

ピアノはそれ1つでも重厚なハーモニーも、複雑な多数のメロディーやリズムの絡み・組み合わせもできてしまい、自立した・・・ある意味自給自足の楽器です。たまに音楽家の間でお高くとまってると思われます。(笑)
一人で演奏するのも、一人で練習するのも慣れっこです。
でも・・・たまには他の楽器と弾きたくなるんですよね。寂しいから、というよりは(私はそれもたまにありますが)他の楽器と弾くことで得られるもの、それでしか経験できない音楽体験があり。
それがピアノ+1人であろうが、5人であろうが、はたまたもっと大きいアンサンブルであろうが、ピアニストにとって他の音楽家とタッグを組んで音 楽における社会性を学んだりすることも大切ですし・・・
なんといっても思い出作りにはなかなかいいです♪

個人的にピアノ四重奏での負担の負い具合はちょうどいいと思います。
前も言いましたが結構ラクなんですよね。ちゃんとみんなで分け合ってる感があり。
この世界は四角形中心の世界ですが音楽でも弦楽四重奏やピアノ四重奏などはやっぱり安定しているようです。

ただ・・・今日の一曲ではピアノ五重奏を紹介したいと思います。どうぞ。


今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ピアノ五重奏曲 第3楽章



ブラームス嫌いのとある友人でさえも数あるさまざまなピアノ五重奏曲の中で最高だと認める名曲です。
実を言うと第4楽章が今日にかぎらずツボだったのですがなんか本の結末を話しているときに似たうしろめたさがあったのでその次にツボのこちら。

ピアノ五重奏、というのはピアノ+弦みたいな構成になっていて。特にこの五重奏はピアノ+弦→ピアノ=ピアノ2台のためにアレンジがされてます(by作曲者)。ピアノ2台でオケ曲を弾くこともあることを考えるとピアノ五重奏はオーケストラに匹敵できるアンサンブルである、というわけです。

まあ難しいことはなしで(もう遅い!?)、とりあえずまずこの楽章を聴いてほしいです。クラシック音楽にあまり親しみのない人はむしろこの五重奏曲は頭からでなくこの楽章から聴いてほしいですね。
なんとなーく楽器の役割と絡みについて把握するにはうってつけです。

なかなかチェロがいい味だしてますね。
チェロはアンサンブルの最低音、ベース担当と思われがちですがこの曲ではそのベースラインパートしての究極の気の利いたパート、そしてその役割を超えたチェロとしての生き生きしてる音楽創りが聴けます。
特に中間部でピアノだけでもいいようなところをチェロの最低音で支えることによってどんなに安心感がアップするか!(きっと弾いててもピアニスト安心しますよ~味わってみたいです!)
あとチェロは冒頭の低音のピチカート(弦を指ではじく)がまるで心臓の鼓動の音のよう。ブラームスは本当に「生きている」「Biological」な音楽が得意ですねえ。

私個人的にはブラームスはジャズハーモニーと映画音楽のルーツだと思っていて。この曲のクライマックスあたりのハーモニーなんかずいぶんjazzyで好きです♪(ジャズより数倍重厚な構造ですが)
なので特に私の紹介するクラシックのなかではブラームスの音楽は何らかの意味で比較的親しみが広く感じられる音楽だと思います。

ブラームスの音楽の魅力・・・を話し始めるときりがなさそうですが、とりあえずクラシックorブラームス入門の方も、すでに知っている方も、百文は一聴にしかずなので(何でもそうですが)とりあえず聴いてもらえると嬉しいです。

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World of music in Melbourne
ロザンの「バイオリン」というコントで宇治原さんが子供たちは金持ちだからバイオリンを習わされるんだ~!!と叫んでいてそれはもう大爆笑してしまって、あのコントはまた音楽家のちょっぴり痛いあるあるをついてきて結構好きなんですけど。

音楽を習う=金持ちの公式は日本ほどオーストラリアには適用しないのかも?とずっと思ってきました。
少なくともピアノの場合は実際にピアノを買う人は少なく(キーボードでOK)、ピアノが家具の一部だった時代にピアノを買ったおばあちゃんとかから古ーいピアノをもらったり(燭台とかついてるやつです。ただ音程が調律しても回復しないほどひどい!)するのと、あと日本からの中古ピアノが結構流れてきてるらしいのでであとはレッスン代だけ、という。
バイオリンやギターなんかもビギナー用は驚くほど安かったりするので。

楽器を習うとき、日本ではたいてい個人で教えている先生に習いに行くか、ミュージックスクールみたいなところに行くのが大体だと思います。
オーストラリアはその2つの方法のほかに小中高校の中で習う、というやりかたも多くの学校(私立だけでなく公立も)であります。
つまりは学校にいながら楽器のレッスンが受けられる。
30分~1時間レッスンを授業前、授業の間、ランチタイムまたは放課後に週1回受けるようになっている学校がほとんどでしょうか。
ちなみに私は運良く理科の目の解剖のときにチェロレッスンがあってガッツポーズをしたことがあります(当時チェロは学校で習い、ピアノは個人で習ってました)。
そこら辺でも下校時間にはよく楽器のケースを持って歩いたり、お迎えにきてもらったお母さんに楽器のケースを持ってもらっている子供が結構いますので結構みんな習っているものなんでしょうね。

他にも音楽の授業の一環としていろんな楽器を学期ごとに習う授業も小学校でありました(別にだじゃれじゃありませんよ!)し、楽器を弾いてると大抵オーケストラやバンドのアンサンブルに参加させられますし、それ以外でも合唱グループに入る人も結構います。
私のいた学校はしばらくのあいだ合唱がものすごく強かった時期がありました。

でも大学まで行く人は少数ですけどね。
メルボルンはメルボルン大学、モナシュ大学、ヴィクトリア芸大の3つの大学にあわせてオーストラリア国立音楽アカデミーがあります。
ヴィクトリア芸大はどちらかというとジャズなどの現代スタイル音楽に強く、国立アカデミーはエリート中のエリートのための機関で。
メルボルン大学だと音楽での専攻はパフォーマンス、作曲、教育、音楽療法などがあり、音楽のコースと同時に文系のコース(Arts)、法律などのコースをやる人もいます。

大学にいる音楽家が音楽でお金を稼ぐのはさまざまなやり方があります。主なものは:
1)ソロ・アンサンブルでの演奏、ピアニストの場合は伴奏も含む
2)ソロ、または友達とアンサンブルを組んで結婚式などのイベントで演奏する
3)楽器を教える
4)音楽関係の事務職

先ほど記したとおり楽器を教えるのは個人で、ミュージックスクールなどで、または学校で教えるという選択肢があります。それらを組み合わせてる人も多いです。
学校やミュージックスクールなどだとある程度収入が安定しますね。ほかにもいろいろと心的に安心します。(ざっくりしすぎ)
ピアノをミュージックスクールなどで教えていると音楽の試験の伴奏を頼まれたりもします。私は教えるよりもそっちのほうが好きでしたね。緊張してる子供を勇気付けたりとかした記憶もあります。

大学のころはよくクラシックのコンサートも友達と、そして一人で行ってました。
学生は当日券が17ドル(今だと1500円弱)なので結構安く。MSO(メルボルン交響楽団)はいいソリストを迎えたりしてかなりいいプログラムを弾くし、行けば大体知ってる人がいるので(笑)聴きに行っては楽しんだりみんなで批評しあったりしたものです。
一回どうしても聴きたかったコンサートで席がないと言われ粘った経験あり。でもMSOなら大体座って聴けます。

あとMSOといえば毎年シーズンが始まる直前の2月初頭に無料の野外コンサートを毎年3日行います。
そこだとみんな外に座って話したりしながら聴けるので結構ポピュラーなイベントです。

シティ内や周りの町々でプロ・アマ問わず数々のコンサートが行われるだけでなく、郊外でも音楽フェスティバルという形でコンサートが行われることもあります。
私の先生が主催しているPort Fairy Festivalだと、グレート・オーシャン・ロードにあるPort Fairyという町で春に3日に渡ってオーケストラ、ソロ、アンサンブル、そして音楽以外のパフォーマンスが行われます。
あと超北西部(!?)のMilduraという町にオケで野外コンサートをしに行ったこともあります。
こういう郊外のコンサートでいいのは、とくに数日にわたるフェスティバルだと結構くつろぐ時間もあり、観光したり知り合いとたむろしたりするのが楽しいです。だいたいそういう町を歩くと演奏者か、またはコンサートに来てくれている聴衆の人にばっかり出会いますしね。

あと年間を通じたユースオケと関連アンサンブルの活動、そしてそのユースオケを主催する機関による書きキャンプなど、いろいろと若者の音楽活動を推進する動きもたくさんあります。

メルボルンはオーストラリアの首都でもないし(キャンベラ)、第一の都市でもありませんが(シドニー)、それでも(というかその代わり、でしょうね)音楽を中心とした文化活動が活発で、芸術が人々の生活に身近な都市です。
最近のニュースによるとヴィクトリア州の州立美術館の入場人数は世界でもトップクラスであったことに驚き!去年ダリ展をやったのが多少貢献している気もします。
そしてメルボルンではInternational Comedy FestivalMelbourne International Festival of Brass, Melbourne International Animation Festivalなどの国際的フェスティバルが開催され、特に後者は今見つけたばっかりのものなんですが今年は6月下旬に開催されるそうなのでちょっと興味津々。

私が音楽の道を進めたのもこの都市の性格のおかげで、いろいろと芸術、そしてそれに関するいろいろ(例えばコンサートあとの打ち上げ!)を楽しませてもらって本当に感謝しています。
メルボルンはシドニーなどのような「観光地」的な名所は比較的少ないのですが、例えば美術館、博物館、コンサート、そしてなによりも先ほど言いましたような郊外のフェスティバルはメルボルンの一押し観光としてあげられると思います。


今日の一曲: カール・ヴァイン ピアノ協奏曲 第2楽章

CD情報はこちら

昨日紹介しましたオーストラリアの音楽から一曲。
昨日はオーストラリアの音楽においてのリズムの重要さを話しましたが、この楽章はそれとはちょっと違う傾向。
とってもJazzyな、リラックスにお勧めの一曲です。

まるで即興で弾いているようなソロピアノのパートはものすごく自由で(後述奏者の性格も多少入っているんですけど)、ピアノが本当に自由で、本当にその音色の透明な美しさをあますことなく表現する曲のつくりになっています。

この曲をはじめヴァインの曲はオーストラリアでは有名なマイケル・キーラン・ハーヴィーが弾くために書かれているようなもので。
マイケルは(実をいうと知り合いなので)現代音楽、特にオーストラリアでいま活動している作曲家の曲を得意としています(そしてメシアン同志でもあります♪)。ヴァインは特に彼が好んで演奏する作曲家であり。
マイケルは技巧に大変優れていて、音楽の解釈はたまに突拍子で何を弾いてもオリジナル感が強いですが、ヴァインの音楽とはうまがあうのかなーと聴いてて思います。

この自由さはきっと彼の技巧と自由な思考ならではのものなので、演奏はぜひマイケルの録音で聴いていただきたいです♪

アピールポイントが違うような気がしますが・・・まあいいか。
次の日曜にマイケルがユースオケとプロコフィエフの2番を弾くので聴きに行くので久しぶりに会うのが楽しみです。きっと会ったら彼のことについて話したくなると思いますがそれはまたそのときに。


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オーストラリアとその音楽
突然ですが、自分にとって音楽はいろいろな別の分野に開く窓・・・みたいな存在でもあります。
例えば国の文化や歴史を理解するのに音楽を参照しながら理解を深めたり、音楽がきっかけとなってそういうものに興味を持ったりすることが多いです。
もちろんそれだけでは理解の幅も限られてしまうので、そこから広げる別の努力をしなければいけませんが。

オーストラリアという国の一側面も音楽と照らし合わせて考えると面白いです。

そもそもオーストラリアという国はイギリスからの流刑囚によって作られた国です。
いきなり余談ですが流刑囚といっても単にイギリスの収容所・監獄にもう人が入らなくなったからという理由なので、罪の重さはまちまちで。ついでにイギリスのそういう制度もあまりなってなかったらしいですね。
むしろ流刑になったほうがイギリスに普通に暮らすよりもいい暮らしができたと評判だったとか。
ただ始めたのは流刑囚ですがその後オーストラリアの大半がそういった人でなくさまざまな国からの移民によって占められるようになったので今私の年齢くらいの人だと先祖に流刑囚は1人いるかいないか、がほとんどらしいですね。

とにもかくにも、オーストラリアの白人の文化はイギリスから来たといって自然でしょう。
実際オーストラリアで初めて作曲家として有名になったパーシー・グレンジャーの音楽はまさにイギリスから来たオーストラリアの文化を表しています。
代表作は「カントリー・ガーデン」や「デリー地方のアイルランド民謡」など。タイトルでもわかるようにイギリスを題材にしたり、イギリスの民謡などを使った曲が多いです。

ただ国としてオーストラリアがイギリスとは違う道を歩み始めると、自然と国のアイデンティティを見直すようになりました。それは先住民の文化を見直すということも含まれ。
芸術は社会をあらわすので、音楽でももちろんそういう動きはあって、ピーター・スカルソープという作曲家がオーストラリアの音楽はヨーロッパ的でなく、もっと別のところに近しい源がある、というようなことを解いて。
彼なりの答えは、オーストラリアの音楽的アイデンティティはアジアと近いものだ、というもので。「太陽の音楽」(I~IV)や「日本の音楽」はそんな彼の思想を表しています。
スカルソープは他にもオーストラリアの伝統楽器ディジェリドゥーをオーケストラとともに用いたり、オーストラリアの自然を題材とした曲を多く書いています。

オーストラリアの先住民、アボリジニは東南アジアの諸民族と同じルーツの民族だったと言われていますので、アジアも東南アジアならたしかにルーツは近いのでは、と思います。
そして歴史的に考えて同じくイギリスの植民地から国になったアメリカともかなり音楽的に似ているところは多いと思います。
本当に直感的な所見なのですが、イギリスの音楽はものすごくノスタルジックな性格をしています。そしてそれとは対照的にアメリカの音楽は前に前に、という性格をしていて、これはスカルソープ以降のオーストラリアの音楽にもある程度いえること。

ただそれだけではオーストラリアの音楽、というものは説明がつかないような気がします。
今やオーストラリアには著名な作曲家が何人もいます。
ロス・エドワーズ、カール・ヴァイン、Graeme Koehne、Matthew Hindsonなどなど・・・それに加えて自分が知っている作曲家たちや作曲家の音楽をよくよく考えてみると、ぼんやりとした印象がだんだん固まってきました。

それは・・・オーストラリアの音楽は何よりもリズムを重視する、ということです。
私の知っているオーストラリアの曲のどれもがメロディーの美しさでは他の国に劣っているけれど、それでも魅力で劣っていないのはリズムの魅力とパワーが大変強いから、という印象を持っています。

一番わかりやすい例を挙げれば、先ほどの伝統楽器ディジェリドゥー。
基本あまりピッチに自由が利かないディジェリドゥーは、音色をアクセントなどで変えるリズムで音楽を作り出しています。

そういう風に考えるとむしろオーストラリアの音楽は意外とアフリカの音楽に近いところもあるのではないか、という気がします。アフリカから文化的に影響を多く受けているはずのアメリカよりもずっとその傾向は強く。
ただこれは純粋に音楽的な面からいったもので、他の歴史や文化的側面から見たらどうかわからないんですけど・・・

もちろんオーストラリアには他の文化の影響もありますし、まだまだこれから変わっていくことも多いと思いますが、こうやって音楽で考えただけでもこの国の文化は面白いなーと思います。
自分はメロディーよりもずっとリズムに惹かれる人間なので、このリズム文化がオーストラリアの音楽で大きく発展していくことを願っています。

今日の一曲の前に主なオーストラリアの作曲家とその代表作(というか個人的なお勧め)を一曲ずつリストしていきたいと思います。
(表記は英語で統一させていただきます。あしからず。)

Percy Grainger - Country Garden
Peter Sculthorpe - Sun Music III
Peggy Glanville-Hicks - Harp Sonata
Carl Vine  - Piano Concerto
Ross Edwards - Violin Concerto  "Maninyas"
Graeme Koehne - Elevator Music
Matthew Hindson - Speed
Michael Kieran Harvey - Pink Nautilus

最後の作曲家は知り合いなんですが入れさせてもらいました(笑)
他にもKeith Humble, Bruce Rowland, Nigel Westlake, Malcolm Williamson, Barry Conynghamなどの作曲家がいます。
いろいろ見てみると知らない作曲家もいっぱいいますし、知ってる作曲家も知らない作品がたくさんあるので・・・これからもどんどん聴いていかなくちゃ、と思います。


今日の一曲: Matthew Hindson 「Speed」

視聴はこちら

なんというか・・・いい曲、よりも自分が紹介したい曲、で選ばせてもらいました。
Hindsonは今もばりばり現役のシドニーの作曲家。モダンなシティな感じの曲を書く人です。
そんな中この「Speed」はなんとオーケストラでテクノをやっちゃおう!・・・というテンションかはしりませんがとにかくそういう曲です。
テクノと言えばやっぱりリズム。さまざまなリズムパターンを繰り返しその繰り返しによってどんどんテンションがあがっていく弾いてると不思議と楽しい曲です。聴いていてもやっぱりテンションあがりっぱなし。これもリズムのなせる業ですね。

実は私昔この曲をオーストラリア中のユースオケが集まったコンサートで460人のオーケストラで弾いた経験があります。若い人が弾くには文化的にもテンション的にもぴったりです。
ただそのときはLiteバージョンだったので短めのバージョン。フルバージョンは16分の長丁場です!

その16分の間で気づくことが少々。
トロンボーンとドラムキットが尋常ない頻度で演奏している!
ドラムキットは役割上本当にしょうがないとして、ちょっとトロンボーンが気になります。
本来トロンボーンはあんまり弾かないのですが(ざっくり)、それはやはり体力を消耗する楽器だと言うこともあり。なのでこの曲の16分間ぶっつづけとはいかなくてもかなり続けて弾いているのはちょっと不思議と言うか心配と言うか。
特に第1、第2トロンボーンは最初から聞こえるスライドを交互に延々と弾いていたりして。大丈夫?死んでない?と思ったところ曲のもう一番最後のクライマックスでとんでもないものが待ってます。
最後の方で不可能ともいえるほど難しいリズムパターンを大音量で一人ずつやらかさなくちゃいけなく、それでクライマックスにフルオーケストラで持っていくという・・・
スコアで確認したんですがここら辺はいかにも即興に聞こえるのにちゃんと一音一音スコアに作曲家が書いているんです!これは地獄だ!
体力自慢の体育会系トロンボーン奏者でぜひ最後までパワフルな演奏を聞きたいものです(私の持ってる演奏ももう奇跡的に最後までパワフルです)

あともう1つ私の心を捉えて離さない箇所は、中間部いろんな楽器がソロを奏でるスローなセクションであるハープのソロ。
「えー!?こんな曲でこんなハープのソロが!」と思いますが本当にあの喧騒(失礼、でもいわゆるクラブみたいな雰囲気の曲ですからね、そういう意図で)の間にこんな透明な心洗われるハープのソロがあるなんて、まるでオアシスのようで。
場違いのようながら、かなりいい味出してます。

名曲、というのとは違うかもしれませんが、本当にエキサイティングで、どこか今の社会の一側面を強くあらわすなかなか興味深い曲です。Rave、ダンス、クラブ、ドラッグみたいな文化を(ポピュラー文化にはとんとうとくてごめんなさい)
オーケストラでそういうものを味わってみるのもまた一興ですね。

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好きなゲームはどマイナー?(パートII)
昨日の続きです。

うちの学校は(オーストラリアは結構そういうところおおいのかな?)5年生からノートパソコンを持つことが必須で、私も転入してきたときみんなと同じくMacのノートパソを持ってました。
タッチタイピングやワードプロセッサーのほかにも簡単なプログラミング、クリエイティブ系のプロジェクトなどもやったりしてました。
で、ノートパソは各自入手するものなのでみんな違うモデルつかってたりするんですよね。そうすると付いてくるプログラムなども若干違ったりするので当時フロッピーディスクでゲームを交換していた悪い私たち・・・でしたが。

そのなかで私&フレンズの間でかなりロングランではやったゲームが1つ。
それはSpin Doctor(Callisto)。
これもMac OS 9まで対応だからAbandonware 扱いなのかな。

昨日のSacrificeの複雑さとは対照的にこちらはルール・ヴィジュアル的にものすごくシンプルなゲーム。
盤の上にはぽつぽつとドットがあり、いくつかの棒(ワンド)が回っています。自分の白いワンドを操作し、ドットからドットへ渡り、ゴールを目指すというもの。

もちろん障害物はたくさんあります。
白以外の色のワンドは接触するとアウト(これらは自分の色のドットの間のみを動けますが、プレーヤーは何色のドットでも渡り歩けます)、スイッチ式の開閉ドア(自分、または他のワンドがスイッチに触れると開閉)にはさまれるとアウト、爆弾(導火線のスイッチに触れることで起爆)の爆発に巻き込まれるとアウト、他にもスパイクに接触する、接触すると動き出す酸のかたまりが自分のドットに取り付く、など他にもいろいろ。

このゲームの魅力はそんなシンプルなルールの中頭をひねらせられる108のレベル。
レベルには「Wand」、「Surge」、「Current」、「Ratchet」、「Carousel」などの名前がついていて、その名前はレベルの性質や外見にちなんだものになっています。
例えば「Carousel」ではその名の通りいくつもの敵ワンドが「メリーゴーランド」のようにくるくる回っているレベル。その合間を縫ってメリーゴーランドの向こうのゴールを目指す、など。
「Kaleidoscope」レベルで最初に何色ものワンドが1つのドットの周りをぐるぐる回る様子もまた万華鏡そのもの。
かねてから私はこのSpin Doctorのレベルのケーキが作りたくて数年前に作ったのですがまた作ってみたいですね♪
要するに四角いスポンジケーキのうえに色のついたクリームを乗っけてアラザンとアイシングやチョコペンなどでドットやワンドや障害物を書いていく、と先ほど言いましたようにシンプルにできちゃいます(笑)

そしてこのレベルの名前で当時オーストラリアに来たばかりの私は英語のボキャブラリーを広げました。
ちょっと日常会話では使わなくてもやっていけるけれど知ってて使えると言葉に深みが広がる単語で、大体ちゅ一語なので中くらいの辞書で引くとでてくる言葉。
例えば「Molasses」は糖蜜の意味。「Surge」は波という意味。長く暮らしていれば本や生活の中で出会う言葉ですが、先にSpin Doctorで出会ったのでもう「Molasses」とか「Pursuit」とかみると「あ、Spin Doctorのだ」と反応してしまいます。

一応大まかにやさしい→難しいとレベルは並んでますが、最後のほうでいまだにどうしても!クリアできないレベルが2つあります。どちらもドアを通るタイミングがものすごく難しいレベルで、クリアできた友達も運に助けられてのことだったらしいです。

レベル一つ一つは解けなくてやっきにならない限り短いものですのでちょっとした脳のトレーニングとリズムの練習(??)にいいです♪

結局Sacrificeやる時間が昨日はなかったけれど今日でもいつでもまた挑戦する時間があるといいです。


今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ 「10の小品」 op.12より 「ガヴォット」



こないだの「アルマンド」と私個人的には対になっていると思う一曲です。
なんというか、テンポが似ていて、暗い雰囲気の質も似ていて、あとは男と女、シャープとフラットで対照的になっている・・・という漠然とした印象です。
アルマンドは硬くて余計なものをそぎ落とされた感じが男性らしく、メロディーのラインがしなやかでフレーズの終わりなんかにちょっとした装飾みたいな音が入るこのガヴォットは女性的なイメージがあります。

そのフレーズのおわりがいちいち色っぽくて。メロディーの下にさりげなく入れてあるその飾りが・・・なんというか、チラリズム的なセクシーさがあるんですよ。
色彩と言うか表情的にもアルマンドははっきりしていたけれど、ガヴォットはすっと突然変わったり、どこか含むような、わざと少しかいまみせているような微妙な表情が多く。
最近練習しててすっかりその密かに妖しげな魅力にやられっぱなしです。

この2曲は「10の小品」のなかでもどちらかというとわかりやすい表情や性格を持った曲ですが、例えば4番目から6番目(6番目は今私も弾いていますが)なんかはなかなか雲をつかむような、じっくり聴いていても練習してもなにがいいたいかわからなくて首を傾げてしまうような曲だったりします。
特に若いころのぶいぶい言わせてたころに限らずプロコフィエフは毒をつくにもロマンスあらわすにもはっきりした物言いをする、というイメージがあったから余計にわからなくて。ただいま思案中です。

アルマンドがシュミットホフにささげられたように他の9曲もプロコフィエフの友人たちにささげられてるんですけど4~6番目をささげた人たちはどんな人だったのかむしろ顔がみてみたいですねえ。

どんな曲集でもそうですが、こうやっていろんな性格を持った小品の集まりで大切なのはいかに曲の性格を掴み取って表現するか、ということで。
趣味で文を書く身としては例えばこの10の小品の一つ一つを擬人化したらどうなる?なんて考えも沸いたりします。というか今書いてて思いつきましたがなかなか面白そうな試みなのでちょっと頭に余裕ができたら考えてみたいと思います。


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好きなゲームはどマイナー?(パートI)
新しいPCが今日本からこちらに送られている途中です♪
SONY VaioのSシリーズで、13.3インチスクリーン。
メモリもさくさくして仕事や創作、各種趣味などにはとても便利になりそうでとても楽しみにしています。
(それに仕事に2画面使えますしね!)

そうすると気になるのが「あ、ゲームはちゃんと動くかなー」ということで。
ゲームといってもまあ気になるのは1つ。
画面が今のよりも小さいのでなにか違いが出るのかなーと思ってます。

そのゲームは・・・誰も知っている人はいないでしょうがSacrifice(Shiny Entertainment)です。
RPGとRTS(リアルタイム戦略)を組み合わせたようなゲームで、ヴィジュアルからなにから独特の雰囲気をかもしだしています。
すでにAbandonware扱いのゲームですが、とりあえず日本語版公式サイトはこちら

シングルプレーヤーシナリオのあらすじはこんな感じです:
とある世界に流れ着いた主人公のWizard(魔術師)、エルドレッド。彼は故郷では権力者で、その力(いろんな意味の)を濫用した結果、悪魔を召還してしまい、その悪魔に彼の故郷の世界すべてを滅ぼされてしまう。
彼が流れ着いた世界は5柱の神々が支配する列島的世界。5柱の神々はそれぞれまた個性的なキャラクターで、仲良く共存してとは言わないながらも自身のテリトリーを支配していた。
そんな中エルドレッドの到来とともにある予言が神々の耳に入る。5柱のうちの誰かが他を裏切り、なにか動きを起こす、と・・・
それが些細なきっかけとなって神々たちの間にはいさかいが起こり始め、そしてエルドレッドはこの世界でまた彼の故郷を滅ぼした悪魔と対面することとなる。

シングルプレーヤーシナリオには10ステージあって、そのうちの9つのステージはその5柱の神々の1柱の片腕となってミッションをこなす、というもの。(最後のステージは悪魔との決戦)
最初のステージは基本動作をこなすためのものになりますが、ストーリーが進むに従って他の神の領域を侵略し、他の神に仕えるWizardsと決戦することになります。
ミッションはたいていちょっとグロテスクなヴィジュアルのクリーチャーと魔法を駆使した戦略バトルです。
グロテスクだといいましたが個性とオリジナリティあふれるなかなか魅力あるクリーチャーがたくさんでてきます。
結構戦略的にもいろいろ細かいところがある・・・のですが私は使いこなせてません。例えばクリーチャーを部隊に分けて別々に行動させるとか。これがないから6ステージ目くらいから苦戦してるのかも。

最初は5柱のうち誰でも自由に仕えることができますが、神々の間の関係によりそのミッションをこなすことで他の神々からの反感を買い後半のステージではだんだんと仕えられる神が限られてきます。
ずっと一緒の神に仕えるのもよいですが、各ステージで仕える神によって使えるクリーチャーや魔法が変わってくるのでできる範囲でバリエーションを加えてみるのもよしです。

5柱の神がまたくせもので。
平和の女神Persephoneは基本的に自分のやり方が正義だと疑わないちょっとやな感じのおばさん。
大地の神Jamesは気はよくて平和を好むけれどどっちつかずだったり。
大空の神Stratosは頭は切れるけれどものすごく腹になんか隠してる感じ満々で。
火の神Pyroは合理的で技術オタクなところはあるけれど強欲で好戦的で弱者をなんとも思わないところが。
死の神Charnelは・・・まあ趣味が病んでるけれど病みすぎてここまでくるとコミカルですがすがしく。
基本的に前者3柱は一応同盟関係、後者2柱もまあ利害一致で同盟関係。(もちろん後に変わってきますが)
なので例えばJamesのミッションを選ぶとPyroからは反感を買う、という感じ。

それぞれの神々が与えてくれる魔法やクリーチャーにも特徴があって、たとえばStratosのクリーチャーはすばやいけれどタフさに欠けたり、Pyroの魔法は攻撃的なものが多い、とか。

その神々に仕えるWizardsも面白い人ぞろい(あ、人ではないけれど)。Wizardの名前には神話関係に由来してるのもが多いです。神々にしてもWizardsにしてもクリーチャーにしても声の挿入とかに結構力が入ってます。

力が入っているといえばヴィジュアルもそう。
クリーチャーの外見や動き、魔法もそうですが、それぞれの神々のテリトリーの風景もなかなかムードがでますね。
ただPyroの世界は火山や立ち込める赤い雲などでずいぶんと見えにくく、全体的に方向感覚がとりにくかったり遠くが見えにくかったりもしますね。
好きなのは見晴らしのいいStratosの一面銀世界のステージ。
魔法のヴィジュアルも好きです。最終レベルで習得する大規模魔法・・・例えば火山を起こしたり、牛が降ってきたり(!)、竜巻を起こしたりするのはある意味圧巻です。あとそういう魔法に自分のWizardが巻き込まれるとしっかりそのWizard視点になって、例えば竜巻だったら空に巻き上げられて見下ろす形になって楽しいです。

マルチプレーヤーモードもあります。これは1つのマップで他のWizard(AI、またはオンラインで他のプレーヤー)と対戦するもの。
この場合は自分のWizardとしてゲーム中に出てくるWizardを一人選べ、さらには魔法&クリーチャーもある程度選べるようになってます。
シングルプレーヤーモードもそうですがなにかとカスタマイズ性が高いこのゲーム。カスタマイズマニアな私にはたまりません。

カスタマイズの究極がこのゲームについてくるScapexというツール。
これはこのゲームのマルチプレーヤーのマップ、そしてシングルプレーヤーのシナリオ、さらに普通にムービークリップなどを作ることができるツールです。
実際このゲームのマップ、ステージ全部、さらにはエンドロールまでもがこのツールを使って作られています。(なのでこのツールでマップなどを開くとずいぶんネタバレになります)
プロフェッショナルなプログラミングの知識がなくとも条件や動作を設定するだけでマップやシナリオを作ることができて、先ほど言ったような「JamesのミッションをクリアするとPyroに反感をもたれる」みたいなことも設定できて。簡単ではありませんが、仕組みはわかりやすく慣れればなかなかこだわりを注入できる感じが好きです。
工夫をこらしたシナリオはもちろん、エンドロールのようにゲームプレイなしのムービークリップもいつか試してみたいなーなんて思ってます。

私の一番好きな神はStratosとCharnel。
一筋縄ではいかない、あんまりポジティブな感じでない神が好きです。
Charnelの魔法とクリーチャーは一癖も二癖もあっていいですね。
反対にPersephoneとPyroには強く反発し続けてます。なによりも性格・思想的に。

一番好きなWizardはCharnel配下のAcheronとStratosの右腕Abraxus
どちらもスレンダーな体型と特徴のある声が好きで、Abraxusはクールでちょっぴりツンデレなおねえさん具合が好きです。Acheronはあのこの世のものじゃないような声で「Your time has come(お前の終わりのときは来た)」といわれるとしびれます。
Wizardもそれぞれ体型とかが違って、背の低いWizardsはバトル中に見つけにくかったり。私はマルチプレーヤーではCharnel配下の蛇女(?)Seerixを使うのですが、小さめなので自分で操作しててもたまに見失うことも・・・(だめじゃん!)

好きな魔法は前述トルネード、牛が降ってくるのの他にCharnelの自分のクリーチャーを生き返らせる魔法。あれには何度も助けられています。

クリーチャーはグロテスクながらも好きなものばっかり。なんでしょうね、もともとそんなに抵抗はなかったんですけどゲームで動いているのを見るとその奇妙な動きやせりふや技などにものすごく愛着がわいてきます。私だけなんでしょうか。
ただあれをPhoenixと呼んだのだけは許せない・・・(詳しくはゲームで)

ヴィジュアル、キャラクターなど一つ一つのエレメントがみんな私の心を捉えて離さないゲームですが、そのなんというか・・・神というものを皮肉ったような、善と悪が入り乱れたようなところもこのゲームに深さを与えていると思います。

あー遊びたくなったなあ。あとでちょっとやってみますか!

明日はもう1つの私にとってのロングセラーなゲームを紹介します。


今日の一曲: フランツ・シューベルト 「魔王」


シューベルトは短命で多作で、31年の生涯に500以上の歌曲を書いたという・・・と初めて聞いたときは椅子から転げ落ちると思いましたよ!だって歌曲以外にも結構たくさん曲を書いてるし!短命で勿体無い!
多作だけあってちょくちょく「え!?」と思うような曲も書いてますが(ネガティブな意味で)そんな中「魔王」は珠玉の名作だと思われることうけあいです。

古今かかわらず、歌は歌い手(書き手)の気持ちを表すもの、とされてきました。
授業でもオペラなどではレチタティーヴォは物語の進行、そしてアリアは登場人物の心象描写、と習いましたし、ポップなどでも基本そうですものね。
なので一人の人の感情を表す歌が圧倒的に多いのですが・・・

「魔王」は父、息子、死神、そしてナレーターの四役をこなす例外的なフォーマット。
メロディー的にもそれぞれのメロディーは違う特徴があって(じっくり分析したわけではないですが、とりあえず何回か聞いてぼんやりと、ということで)、もちろん歌い手の表現力も問われます。

そして伴奏もいい味出してますね。父子の馬で駆けるスピードと、あたりの不気味な暗さと、何かがいるかもしれないという緊張感がすべてでてます。
ちなみにリストのピアノ独奏バージョンで弾いてみましたがあのオープニングから続くオクターブ連打(はオリジナルにももちろんありますが)は完全なる右手キラーですね。特に私の手のサイズだと。腱鞘炎になるのではと思いますが本当に不可欠ですからねー。

ついでですまない気もしますが歌詞となってるゲーテの詩もすばらしい。何気に私ゲーテ好きですね。もっと読んでみようか知らん。

先ほどリンクしたのはバリトン歌手ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウの歌うバージョンですが、歌曲によくあるように、テノールのバージョンもあります。
いつか自分で自分を伴奏しながらテノールのバージョンを歌いたいです。(あ、私基本的に声域はテノールです。女の子ですけど)
でもそれはいくらなんでも難しそうなので伴奏も、歌うのも同時じゃなくやってみたいです。


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