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音楽は世界共通の言語だというまあ真偽色々ある説がありますが、でも音楽はいろんな外国語に触れ合う機会となるものだと思います。
私が聞いた話で一番好きなのはドイツ語を話せない音楽愛好者がドイツに旅行に行ってレストランで「Die Forelle!」といったらシューベルトのその名の曲のとおり「鱒」が出てきたという話です。
とりあえず基本から:だいたいの場合楽譜に書いてあるallegroとかdal segnoとかそういう言葉はイタリア語です。
あとイタリア語はイタリアのオペラでも使われてますね。
次に多いのはドイツ語。
これは3大Bをはじめとする様々な偉大なドイツ・オーストリア出身の作曲家がバロックから現代まで活躍してますし、あとドイツとオーストリアもオペラ、歌曲などの歌詞が入った曲が多く書かれてます。なんたってシューベルト(オーストリア)がその31年の生涯で少なくとも500は歌曲を書いてるのが大きいです。
あとドイツは文学もその長い時期においてさかんなので歌曲を書く詞にもきっと溢れてたんでしょうね。
3番目はラテン語。
これはレクイエムを含むミサ曲がラテン語で書かれているので多分3番かなーと。
レクイエムは形式(もとの言葉を含め)が決まってるのでいろんな作曲家で同じ歌詞が使われています。
そしてラテン語音楽のもう1つが今日の一曲で紹介したことのある「カルミナ・ブラーナ」です。あれはほとんどラテン語で一部古代ドイツ語で書かれているとか。
その次はフランス語。
これは歌曲などでの詞もありますが、器楽曲でもフランスの作曲家はタイトル、そして速度の指示などに全てフランス語を使うという傾向があったのと、そういう時にただ「速く」とか書くんじゃなくてなんかもっと長い何かを書いてくるんです。ドビュッシー、サティ、そしてメシアンの楽譜にこれは良く見られますね。メシアンは自分で前書きとか全部フランス語で書いたりもします。
英語ももちろんあります。
イギリス・アメリカ・オーストラリアはもちろん英語圏ですし、イギリス生まれの詩や劇を基にいろいろな曲が作られてます。
余談ですがエドガー・アラン・ポーの「鐘」を詞としたラフマニノフの「鐘」は原文の元の言語・英語で演奏される場合とラフマニノフが元として使用したロシア語の訳で歌われる場合とどっちもあります。確かに原文は英語ですけど音楽がもろロシアなので個人的にロシア語版の詞のほうが音楽に合う気がします。
あとはマイノリティになるでしょうか。ロシア語(歌曲など)、スペイン語(歌曲、スペインの器楽曲、そしてアメリカ人ですがクラムの声楽曲はほとんどロルカの詞なので)、チェコ語(ドヴォルザークの「ラサルカ」が代表的です)、ハンガリー語(バルトークとリゲティの楽曲が主かな)、ポーランド語(個人的にはシマノフスキの器楽曲のタイトルで見たのみ)、ポルトガル語(ヴィラ=ロボス)、ギリシャ語(クセナキス)、イディッシュ語(ユダヤ関係)くらいですかね、お目にかかったことがあるのは。
こういう風に触れ合うようになると(特に合唱曲のリハーサルでオーケストラにいると)だんだん単語を覚えてきたりするんですよね。ただほとんどランダムに覚わるみたいですけど(笑)
たとえばリゲティのおかげでハンガリー語で「3」(Harom)っていうのを覚えたり、「カルミナ・ブラーナ」から三人称の「飲む」(bibit) っていうのを覚えたり。
でもハンガリー語が一番難しいですわー・・・メジャーどころの言語と共通点が極端に少なくて。
イタリア語やドイツ語だったら音的にも聞き取りやすいしなにかと生活になじんだ言葉がいっぱいでてくるんですけど(それの最たる例がさっきの「鱒」ですね)・・・
フランス音楽専攻の私はフランス語で書いたものが少し読めてもフランス語という言語の性質のため聞いてもわからない、発音が分からない、しかもフランス音楽にでてくるフランス語ってホント使えないですよ(笑)
メシアンにおいてはだいたい鳥と聖書関連ですから。
でもこうやって音楽を通じて覚えるのもまた言語を習得する方法であり、言語とその文化に触れ合ういい方法でもあると思うんですよ。
なんたって歌うのは楽しいですし。メロディーは歌えても歌詞がわからなかったり、あと私の場合母音と子音半分づつぐらいわかってるのでなんとなく歌いをするんですがそれよりも歌詞がわかってた方が楽しい!
うまく書かれてる曲はちゃんと歌詞の意味と音楽がぴったり合うように書いてますしね。
ああ、フランス語だけはいつか私はちゃんとしようかなあ・・・(遠い目)
今日の一曲: ベンジャミン・ブリテン 「戦争レクイエム」より「One Ever Hangs (Agnus Dei」
出しましたねー。歌曲というカテゴリーではないけれど私の一番好きな歌曲です。
ブリテンって結構暗く激しい曲を書きます。偉大なチェリスト、ロストロポーヴィチを通じてショスタコーヴィチと親交があった(すごいコネだなあ)んですけどショスタコと似た暗さ&激しさをもって。
その暗さ&激しさ、そして第1次世界大戦に散ったウィルフレッド・オーウェンというイギリスの詩人の詩を使い戦争の悲惨さを強く激しく訴える曲を書いた、それがこの曲。
(オーウェンの詩もいいですよ。こんど紹介します。(めもめも))
戦争のむなしさを伝える詩と、現代戦争の破壊を表すような、そしてたまには皮肉も存分に満ちた音楽の真っ只中にこのOne Ever Hangsがオアシスのように配置されているんです。
戦争が悲惨だ、というよりも「大きな愛」を歌う英語の詞をテノールソロが歌い、「神の羊(Agnus Dei」のラテン語の歌詞を合唱が歌います。(このレクイエム自体が多層構造になってるんですがそれは長くなるのでまた今度)
その合唱の声がまたものすごくふんわりしていて。5拍子の揺れるリズムでふわふわと上に行ったり、下に行ったり。
極め付きはでもテノールソロです。そこそこ高い音域でまるで天使のように、「大きな愛」に悟った人のように静かに、やわらかく、やさしく。
もともとブリテンのテノールのための曲ってみんな彼のミューズであり生涯のパートナー(オープンにゲイなんです)であったピーター・ピアーズのために書かれてます。彼の声は一部からは「色のない声」なんて揶揄されているけれど高音がもう透明で、むしろ白は全部の色が混ざったというような感じの豊かな白い声で。
まさに天使の歌声なんですよ。なのでこの曲を聴くときは上にもリンク張りましたがピーター・ピアーズの歌声でぜひ。
そして最後にテノールが歌う1フレーズが本当に圧巻です。
元のレクイエムのテキストには入っていないけれど、合唱の羽毛クッションの上にラテン語でこの一言:
「Dona nobis pacem...」
我らに平和を与えたまえ、という意味です。
この天国に消え入るような美しい歌声・・・本当にたまらないです。
この後の世界の破滅がくるのが分かっててもこないでほしいと願いたくなるくらい・・・
(ぶちこわしですみませんがカラオケでこれ歌いたいです。入ってないでしょうが。ちょうど音域がいい感じなんですよねー)
私が聞いた話で一番好きなのはドイツ語を話せない音楽愛好者がドイツに旅行に行ってレストランで「Die Forelle!」といったらシューベルトのその名の曲のとおり「鱒」が出てきたという話です。
とりあえず基本から:だいたいの場合楽譜に書いてあるallegroとかdal segnoとかそういう言葉はイタリア語です。
あとイタリア語はイタリアのオペラでも使われてますね。
次に多いのはドイツ語。
これは3大Bをはじめとする様々な偉大なドイツ・オーストリア出身の作曲家がバロックから現代まで活躍してますし、あとドイツとオーストリアもオペラ、歌曲などの歌詞が入った曲が多く書かれてます。なんたってシューベルト(オーストリア)がその31年の生涯で少なくとも500は歌曲を書いてるのが大きいです。
あとドイツは文学もその長い時期においてさかんなので歌曲を書く詞にもきっと溢れてたんでしょうね。
3番目はラテン語。
これはレクイエムを含むミサ曲がラテン語で書かれているので多分3番かなーと。
レクイエムは形式(もとの言葉を含め)が決まってるのでいろんな作曲家で同じ歌詞が使われています。
そしてラテン語音楽のもう1つが今日の一曲で紹介したことのある「カルミナ・ブラーナ」です。あれはほとんどラテン語で一部古代ドイツ語で書かれているとか。
その次はフランス語。
これは歌曲などでの詞もありますが、器楽曲でもフランスの作曲家はタイトル、そして速度の指示などに全てフランス語を使うという傾向があったのと、そういう時にただ「速く」とか書くんじゃなくてなんかもっと長い何かを書いてくるんです。ドビュッシー、サティ、そしてメシアンの楽譜にこれは良く見られますね。メシアンは自分で前書きとか全部フランス語で書いたりもします。
英語ももちろんあります。
イギリス・アメリカ・オーストラリアはもちろん英語圏ですし、イギリス生まれの詩や劇を基にいろいろな曲が作られてます。
余談ですがエドガー・アラン・ポーの「鐘」を詞としたラフマニノフの「鐘」は原文の元の言語・英語で演奏される場合とラフマニノフが元として使用したロシア語の訳で歌われる場合とどっちもあります。確かに原文は英語ですけど音楽がもろロシアなので個人的にロシア語版の詞のほうが音楽に合う気がします。
あとはマイノリティになるでしょうか。ロシア語(歌曲など)、スペイン語(歌曲、スペインの器楽曲、そしてアメリカ人ですがクラムの声楽曲はほとんどロルカの詞なので)、チェコ語(ドヴォルザークの「ラサルカ」が代表的です)、ハンガリー語(バルトークとリゲティの楽曲が主かな)、ポーランド語(個人的にはシマノフスキの器楽曲のタイトルで見たのみ)、ポルトガル語(ヴィラ=ロボス)、ギリシャ語(クセナキス)、イディッシュ語(ユダヤ関係)くらいですかね、お目にかかったことがあるのは。
こういう風に触れ合うようになると(特に合唱曲のリハーサルでオーケストラにいると)だんだん単語を覚えてきたりするんですよね。ただほとんどランダムに覚わるみたいですけど(笑)
たとえばリゲティのおかげでハンガリー語で「3」(Harom)っていうのを覚えたり、「カルミナ・ブラーナ」から三人称の「飲む」(bibit) っていうのを覚えたり。
でもハンガリー語が一番難しいですわー・・・メジャーどころの言語と共通点が極端に少なくて。
イタリア語やドイツ語だったら音的にも聞き取りやすいしなにかと生活になじんだ言葉がいっぱいでてくるんですけど(それの最たる例がさっきの「鱒」ですね)・・・
フランス音楽専攻の私はフランス語で書いたものが少し読めてもフランス語という言語の性質のため聞いてもわからない、発音が分からない、しかもフランス音楽にでてくるフランス語ってホント使えないですよ(笑)
メシアンにおいてはだいたい鳥と聖書関連ですから。
でもこうやって音楽を通じて覚えるのもまた言語を習得する方法であり、言語とその文化に触れ合ういい方法でもあると思うんですよ。
なんたって歌うのは楽しいですし。メロディーは歌えても歌詞がわからなかったり、あと私の場合母音と子音半分づつぐらいわかってるのでなんとなく歌いをするんですがそれよりも歌詞がわかってた方が楽しい!
うまく書かれてる曲はちゃんと歌詞の意味と音楽がぴったり合うように書いてますしね。
ああ、フランス語だけはいつか私はちゃんとしようかなあ・・・(遠い目)
今日の一曲: ベンジャミン・ブリテン 「戦争レクイエム」より「One Ever Hangs (Agnus Dei」
出しましたねー。歌曲というカテゴリーではないけれど私の一番好きな歌曲です。
ブリテンって結構暗く激しい曲を書きます。偉大なチェリスト、ロストロポーヴィチを通じてショスタコーヴィチと親交があった(すごいコネだなあ)んですけどショスタコと似た暗さ&激しさをもって。
その暗さ&激しさ、そして第1次世界大戦に散ったウィルフレッド・オーウェンというイギリスの詩人の詩を使い戦争の悲惨さを強く激しく訴える曲を書いた、それがこの曲。
(オーウェンの詩もいいですよ。こんど紹介します。(めもめも))
戦争のむなしさを伝える詩と、現代戦争の破壊を表すような、そしてたまには皮肉も存分に満ちた音楽の真っ只中にこのOne Ever Hangsがオアシスのように配置されているんです。
戦争が悲惨だ、というよりも「大きな愛」を歌う英語の詞をテノールソロが歌い、「神の羊(Agnus Dei」のラテン語の歌詞を合唱が歌います。(このレクイエム自体が多層構造になってるんですがそれは長くなるのでまた今度)
その合唱の声がまたものすごくふんわりしていて。5拍子の揺れるリズムでふわふわと上に行ったり、下に行ったり。
極め付きはでもテノールソロです。そこそこ高い音域でまるで天使のように、「大きな愛」に悟った人のように静かに、やわらかく、やさしく。
もともとブリテンのテノールのための曲ってみんな彼のミューズであり生涯のパートナー(オープンにゲイなんです)であったピーター・ピアーズのために書かれてます。彼の声は一部からは「色のない声」なんて揶揄されているけれど高音がもう透明で、むしろ白は全部の色が混ざったというような感じの豊かな白い声で。
まさに天使の歌声なんですよ。なのでこの曲を聴くときは上にもリンク張りましたがピーター・ピアーズの歌声でぜひ。
そして最後にテノールが歌う1フレーズが本当に圧巻です。
元のレクイエムのテキストには入っていないけれど、合唱の羽毛クッションの上にラテン語でこの一言:
「Dona nobis pacem...」
我らに平和を与えたまえ、という意味です。
この天国に消え入るような美しい歌声・・・本当にたまらないです。
この後の世界の破滅がくるのが分かっててもこないでほしいと願いたくなるくらい・・・
(ぶちこわしですみませんがカラオケでこれ歌いたいです。入ってないでしょうが。ちょうど音域がいい感じなんですよねー)
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メルボルンは食が充実した町ですが、それはなにもご飯に限ったことではありません。
チェーン店からおもいっきり個人経営、古風な感じからモダンなスタイルまでさまざまなカフェがいろんなところにあります。特にシティの小道には結構ならんでるところがありますねー。
夏でも冬でも外で座って談話してる人でいつもいっぱい。
いいコーヒーなども飲めるので観光の合間にどうですか?と勧めたくなります。
勧めるのはいいんですがこっちのカフェでのコーヒーメニュー、日本と違うことを最近初めて知りました。
オーストラリアはコーヒーと一口にいってもいろんな種類があって。
大体どこのカフェでも、メニューがなくても共通なので覚えておくたいていどこでも使えます。
まずはエスプレッソ。ちっちゃいカップにエスプレッソ1ショット。
(これに少しのミルクを足したものがマキアートですね。)
そしてカプチーノ。エスプレッソに泡のミルク。大体カップに入ってます。
カフェラテ(またはラテ)はカプチーノに似てますがグラスに入ってるので結果泡が少なめのミルクコーヒーです。
モカはこっちでは豆のことではなくコーヒー+ココアの飲み物のこと。
ロング・ブラックはエスプレッソ+お湯のいわゆるブラックコーヒー。
(これに少しのミルクを足したものがロングマキアートです)
あとコーヒーはあまり飲まない私ですがアフォガートが好きです。これはコーヒーというよりバニラアイスにエスプレッソを注いだものなので(笑)
他にもViennesetとかトルコ風とか、お店によって色々あります。
オプションとして砂糖を注文時に入れてもらったり(with 1 sugar, 2 sugarsなどといいます)、ミルクを低脂肪ミルクにしてもらったり(メニューの前にskinny を付けるだけでOK)、豆乳にしてもらったり(soyを前に付けます)、エスプレッソをもう1ショット入れてもらったり(strong、またはdouble shot、extra shotと言います)
アイスコーヒーは・・・日本と違ってアイスクリームが入った冷たいラテ(モカもあったり)だったりします。美味しいには美味しいですけどびっくりしますよ(笑)
同じようなアイスチョコレート(アイスココア)もあります。どっちもサイズが大きくていつでもびっくりです。
あとは・・・ホットココア(ホットチョコレート)もありますし、泡ミルクのみ(!)というベビーチーノもあります。
紅茶ももちろん置いてますし(ただ葉で出るかティーバッグで出るかは本当に店次第)。
美味しいカフェは・・・と聞かれても本当に答えにくいのですが(あんまり冒険しないのとあとあんまりコーヒーを飲まないもので)、でもちょっと値は張るおいしいホット&アイスココアの店なら知ってます♪
それはここ:
Koko Black (駄洒落じゃないです!)
固形チョコレートもいいものがたくさん売ってるんですけどこないだアイスココア頼んだらチョコを削ったのが入ってたりなんとアイスがバニラとチョコの2つ入ってて・・・そのチョコアイスがおいしいのなんのって。
次回はチョコレートアフォガート(上記アフォガートをエスプレッソじゃなくてチョコレートでやったもの)も試したいです。
今日の一曲: ジェルジ・リゲティ 「ムジカ・リチェルカータ」
(・・・あ、違う、この人もハンガリー人だからリゲティ・ジェルジだ)
感動的だとか深いとかそういうことは一切いいません。ただ1つ言わせてください。
1曲目で笑ってください(笑)
リゲティって結構数学的な音楽を書くんですが・・・これもそんな1つ。
数学的・・・というか、この曲は11曲からなるんですけど、1曲目は1オクターブ12音(シャープ、フラットあわせて)2つの音のみを使って書かれ、2曲目は3つの音・・・という風に書かれてます。
そんな風なんですが一曲一曲ちゃんとキャラクターがあって聴いててなかなか面白いです。
たださっき1曲目は2つの音を使ってるといいましたが実質的には一つの音のみ+最後の音だけ違う音、ということです。
ずーっとラばっかり。聴いててなかなか馬鹿馬鹿しくなります。なのでもしもこの曲を弾いた人が笑ったら私もうれしいですし・・・きっとリゲティも(私の大学在学中に亡くなっていますが)それを望んでると思います。
チェーン店からおもいっきり個人経営、古風な感じからモダンなスタイルまでさまざまなカフェがいろんなところにあります。特にシティの小道には結構ならんでるところがありますねー。
夏でも冬でも外で座って談話してる人でいつもいっぱい。
いいコーヒーなども飲めるので観光の合間にどうですか?と勧めたくなります。
勧めるのはいいんですがこっちのカフェでのコーヒーメニュー、日本と違うことを最近初めて知りました。
オーストラリアはコーヒーと一口にいってもいろんな種類があって。
大体どこのカフェでも、メニューがなくても共通なので覚えておくたいていどこでも使えます。
まずはエスプレッソ。ちっちゃいカップにエスプレッソ1ショット。
(これに少しのミルクを足したものがマキアートですね。)
そしてカプチーノ。エスプレッソに泡のミルク。大体カップに入ってます。
カフェラテ(またはラテ)はカプチーノに似てますがグラスに入ってるので結果泡が少なめのミルクコーヒーです。
モカはこっちでは豆のことではなくコーヒー+ココアの飲み物のこと。
ロング・ブラックはエスプレッソ+お湯のいわゆるブラックコーヒー。
(これに少しのミルクを足したものがロングマキアートです)
あとコーヒーはあまり飲まない私ですがアフォガートが好きです。これはコーヒーというよりバニラアイスにエスプレッソを注いだものなので(笑)
他にもViennesetとかトルコ風とか、お店によって色々あります。
オプションとして砂糖を注文時に入れてもらったり(with 1 sugar, 2 sugarsなどといいます)、ミルクを低脂肪ミルクにしてもらったり(メニューの前にskinny を付けるだけでOK)、豆乳にしてもらったり(soyを前に付けます)、エスプレッソをもう1ショット入れてもらったり(strong、またはdouble shot、extra shotと言います)
アイスコーヒーは・・・日本と違ってアイスクリームが入った冷たいラテ(モカもあったり)だったりします。美味しいには美味しいですけどびっくりしますよ(笑)
同じようなアイスチョコレート(アイスココア)もあります。どっちもサイズが大きくていつでもびっくりです。
あとは・・・ホットココア(ホットチョコレート)もありますし、泡ミルクのみ(!)というベビーチーノもあります。
紅茶ももちろん置いてますし(ただ葉で出るかティーバッグで出るかは本当に店次第)。
美味しいカフェは・・・と聞かれても本当に答えにくいのですが(あんまり冒険しないのとあとあんまりコーヒーを飲まないもので)、でもちょっと値は張るおいしいホット&アイスココアの店なら知ってます♪
それはここ:
Koko Black (駄洒落じゃないです!)
固形チョコレートもいいものがたくさん売ってるんですけどこないだアイスココア頼んだらチョコを削ったのが入ってたりなんとアイスがバニラとチョコの2つ入ってて・・・そのチョコアイスがおいしいのなんのって。
次回はチョコレートアフォガート(上記アフォガートをエスプレッソじゃなくてチョコレートでやったもの)も試したいです。
今日の一曲: ジェルジ・リゲティ 「ムジカ・リチェルカータ」
(・・・あ、違う、この人もハンガリー人だからリゲティ・ジェルジだ)
感動的だとか深いとかそういうことは一切いいません。ただ1つ言わせてください。
1曲目で笑ってください(笑)
リゲティって結構数学的な音楽を書くんですが・・・これもそんな1つ。
数学的・・・というか、この曲は11曲からなるんですけど、1曲目は1オクターブ12音(シャープ、フラットあわせて)2つの音のみを使って書かれ、2曲目は3つの音・・・という風に書かれてます。
そんな風なんですが一曲一曲ちゃんとキャラクターがあって聴いててなかなか面白いです。
たださっき1曲目は2つの音を使ってるといいましたが実質的には一つの音のみ+最後の音だけ違う音、ということです。
ずーっとラばっかり。聴いててなかなか馬鹿馬鹿しくなります。なのでもしもこの曲を弾いた人が笑ったら私もうれしいですし・・・きっとリゲティも(私の大学在学中に亡くなっていますが)それを望んでると思います。
トライアルも仕事もこつこつこなしてますよー。
ただ英和訳が・・・慣れてないのもあるのだけどどうやらでも日本語を書くとなんか「自分の力で文を書いてる」感が英語に比べてあるんですよね。英語はどっちかというと「翻訳してる」感が強いんです。不思議と。
でも日本語はあんまりテクニカルな文書に向いてない気がします。どっちかというとフィクションとかもっと流れがあるものに向いてるかも・・・
今日はメルボルンのカフェについて話そうと思ってたんですけどバリスタ短期コース経験の妹が家にいないのでまた聞いてからやります。
かわりに今日は・・・ちょっと創作につながることもある話なんかを。
結構昔からそうなんですけど、私は結構多神教的神話がものすごく好きで。もともとキャラが多いほうがなんかはまり甲斐があるみたいなところもありますし(封神演義、ポケモン、三国志、etc)。
まず例えばギリシャ神話もそうですね。みんながみんな結構好きにやっててギリシャだからか結局はまあなんとかなってマイペースで陽気で。
ゲーテの「ファウスト」のなかの悪魔の集まりのシーンも好きです。もともとメフィストフェレスのこの苦労人なキャラが好きなんですけど(基本人間らしい神様とか悪魔とか好きです)。
あとキリスト教系統の悪魔のなかにはキリスト教が新しく伝わった地域のもともとの土神が入ってる、って話も興味深いです。こう価値の摩り替わり、といいましょうか、新しく宗教を広げるための実質はないけれど確実な犠牲、といいますか。
それをベースにストーリー(パロディ系統ですが)で「昔新しい宗教に自分たちの聖地を奪われた精霊たちが聖地を取り戻しに満を辞して戦いを挑む」みたいなストーリーもちょろっと書いてます。基本的に善悪が多少あいまいなストーリーが好きなのでどのサイドもちょっと歯切れ悪いところありますが(笑)
それ以外にもさまざまな形で多神教的エレメントをいろんな取り入れてます。
あともちろん前述封神演義も好きですね。(小説も漫画も)
とにかく神様たちがみんな欠点だらけで自我が強くてでもみんなでその欠点をカバーしあったり力をあわせたりしてなんだかんだありながらなんとかみんなでやってく、ってのが好きなんです。
だからでしょうかね、一神教的なものが信じられないのが。あんまり一人の存在に世界は背負わせるものじゃないような気がしますし。それでいてあんまり面白くない、と(基本的それですね)。
あと日本・インド・マヤ・アステカなどいろいろまだ知らないけどもっと知りたい多神教神話はありますが私が一番好きなのは北欧神話です。
まず「キリスト教以前」の価値観が面白いなーと思うのと、なんかこう・・・他の神話と違うところがあるんですよね。
まず神々がかなり欠点だらけでだめだめなところも多々あり。神々の長オーディンだってそれも例外じゃありません。なんか知らないけどロキに弱い。強くいえない。確かに才はあるけど、あの性格をうまく操れるかどうかっていったらオーディンは無理。ナイーブじゃあないけれどなんかちょっとこう甘いところがあって。煮え切らないところが。けっこうだめんずだったりします。でもオーディン好きですけど(笑)。
そして神々の都ができた時点からすでになんか暗い影が差してたりするところとか、なんかいろんな政治的な駆け引きとかやりとりとか多少無駄になったりする犠牲とか・・・
そしてそんな色々な中で少しずつ、少しずつ・・・・「神々の黄昏」(ラグナロク)に通じる伏線がちりばめられてたり、それがドミノのようにみんな崩壊して神々が滅んでしまう、というなんかすごく暗いけどすごく完成度が高いところが好きです。
ワーグナーが北欧神話を題材に「指輪」サイクルを書いてますけど私も少なからず創作に北欧神話の影響を受けてるような気がします。どこかしらんあの土臭い暗さが・・・あるようなないような。終末的なのはもっと顕著に現れてるような気がします。
でも要するになんにしても(オーケストラにしても神話的題材にしても)みんなでわいわいやるのが創作の中に限って好きみたいです。
今日の一曲: フェデリコ・モンポウ 「歌と踊り」第5番
「指輪」サイクルは本当に気が向いたときに紹介します(苦笑)
これは昔弾いてた曲で、多分一目ぼれだった曲です。モンポウはまだまだマイナーな作曲家ですが日本人受けもよさそうなスタイルですし20世紀音楽ではかなりとっつきやすいほう、しかも技巧的にかなり簡単なのでそれなりにピアノ弾ける人なら弾けるかも?ということで地味に布教してみます。
モンポウは名前で分かる方もいらっしゃると思いますがスペイン人。ただし彼はバルセロナのあるカタルーニャ地方の人。スペインでありながらまた俗に言う「スペイン文化」かなり別の色彩を持つ文化です。
スペインは熱情の国と思われてますがカタルーニャの音楽は比較的クール。でもなんといってもメロディーが美しいです!アイルランド音楽と並んで世界のトップじゃないかと思われる(私調べ)ほど。
この曲ももちろんそんなカタルーニャ音楽の特徴を強く現しています・・・が!
この曲、もっとすごいことがあるんです。
この曲は、モンポウが夢の中で聞いたものを起きたときにあわてて起こしたものらしいです。
他の「歌と踊り」とはちょっとそこのところ違いますが(他のは実際の民俗音楽が入ってたりするらしいです)、でもカタルーニャのフレーバーはどうやらモンポウの無意識のなかにも刷り込まれてるようで(笑)
感情に溢れた歌うようなメロディー、そして霧の中から、夢の中からでてくるような「踊り」のメロディー、鐘の音のような伴奏、喜びと美しさに満ちた踊り・・・
聴いていても夢の中のように、もう言い表せないくらいの素晴らしい体験です。心の一番繊細なところをやさしくきゅっとします。
さらにお楽しみになりたい方、CDはアリシア・デ・ラローチャの演奏がピカイチですよ♪
PS. なるほど、こういう風にリンクするのかー。次回から「今日の一曲」にamazonでのCDリンクつけることにしました!(少なくともクラシックには)
ただ英和訳が・・・慣れてないのもあるのだけどどうやらでも日本語を書くとなんか「自分の力で文を書いてる」感が英語に比べてあるんですよね。英語はどっちかというと「翻訳してる」感が強いんです。不思議と。
でも日本語はあんまりテクニカルな文書に向いてない気がします。どっちかというとフィクションとかもっと流れがあるものに向いてるかも・・・
今日はメルボルンのカフェについて話そうと思ってたんですけどバリスタ短期コース経験の妹が家にいないのでまた聞いてからやります。
かわりに今日は・・・ちょっと創作につながることもある話なんかを。
結構昔からそうなんですけど、私は結構多神教的神話がものすごく好きで。もともとキャラが多いほうがなんかはまり甲斐があるみたいなところもありますし(封神演義、ポケモン、三国志、etc)。
まず例えばギリシャ神話もそうですね。みんながみんな結構好きにやっててギリシャだからか結局はまあなんとかなってマイペースで陽気で。
ゲーテの「ファウスト」のなかの悪魔の集まりのシーンも好きです。もともとメフィストフェレスのこの苦労人なキャラが好きなんですけど(基本人間らしい神様とか悪魔とか好きです)。
あとキリスト教系統の悪魔のなかにはキリスト教が新しく伝わった地域のもともとの土神が入ってる、って話も興味深いです。こう価値の摩り替わり、といいましょうか、新しく宗教を広げるための実質はないけれど確実な犠牲、といいますか。
それをベースにストーリー(パロディ系統ですが)で「昔新しい宗教に自分たちの聖地を奪われた精霊たちが聖地を取り戻しに満を辞して戦いを挑む」みたいなストーリーもちょろっと書いてます。基本的に善悪が多少あいまいなストーリーが好きなのでどのサイドもちょっと歯切れ悪いところありますが(笑)
それ以外にもさまざまな形で多神教的エレメントをいろんな取り入れてます。
あともちろん前述封神演義も好きですね。(小説も漫画も)
とにかく神様たちがみんな欠点だらけで自我が強くてでもみんなでその欠点をカバーしあったり力をあわせたりしてなんだかんだありながらなんとかみんなでやってく、ってのが好きなんです。
だからでしょうかね、一神教的なものが信じられないのが。あんまり一人の存在に世界は背負わせるものじゃないような気がしますし。それでいてあんまり面白くない、と(基本的それですね)。
あと日本・インド・マヤ・アステカなどいろいろまだ知らないけどもっと知りたい多神教神話はありますが私が一番好きなのは北欧神話です。
まず「キリスト教以前」の価値観が面白いなーと思うのと、なんかこう・・・他の神話と違うところがあるんですよね。
まず神々がかなり欠点だらけでだめだめなところも多々あり。神々の長オーディンだってそれも例外じゃありません。なんか知らないけどロキに弱い。強くいえない。確かに才はあるけど、あの性格をうまく操れるかどうかっていったらオーディンは無理。ナイーブじゃあないけれどなんかちょっとこう甘いところがあって。煮え切らないところが。けっこうだめんずだったりします。でもオーディン好きですけど(笑)。
そして神々の都ができた時点からすでになんか暗い影が差してたりするところとか、なんかいろんな政治的な駆け引きとかやりとりとか多少無駄になったりする犠牲とか・・・
そしてそんな色々な中で少しずつ、少しずつ・・・・「神々の黄昏」(ラグナロク)に通じる伏線がちりばめられてたり、それがドミノのようにみんな崩壊して神々が滅んでしまう、というなんかすごく暗いけどすごく完成度が高いところが好きです。
ワーグナーが北欧神話を題材に「指輪」サイクルを書いてますけど私も少なからず創作に北欧神話の影響を受けてるような気がします。どこかしらんあの土臭い暗さが・・・あるようなないような。終末的なのはもっと顕著に現れてるような気がします。
でも要するになんにしても(オーケストラにしても神話的題材にしても)みんなでわいわいやるのが創作の中に限って好きみたいです。
今日の一曲: フェデリコ・モンポウ 「歌と踊り」第5番
「指輪」サイクルは本当に気が向いたときに紹介します(苦笑)
これは昔弾いてた曲で、多分一目ぼれだった曲です。モンポウはまだまだマイナーな作曲家ですが日本人受けもよさそうなスタイルですし20世紀音楽ではかなりとっつきやすいほう、しかも技巧的にかなり簡単なのでそれなりにピアノ弾ける人なら弾けるかも?ということで地味に布教してみます。
モンポウは名前で分かる方もいらっしゃると思いますがスペイン人。ただし彼はバルセロナのあるカタルーニャ地方の人。スペインでありながらまた俗に言う「スペイン文化」かなり別の色彩を持つ文化です。
スペインは熱情の国と思われてますがカタルーニャの音楽は比較的クール。でもなんといってもメロディーが美しいです!アイルランド音楽と並んで世界のトップじゃないかと思われる(私調べ)ほど。
この曲ももちろんそんなカタルーニャ音楽の特徴を強く現しています・・・が!
この曲、もっとすごいことがあるんです。
この曲は、モンポウが夢の中で聞いたものを起きたときにあわてて起こしたものらしいです。
他の「歌と踊り」とはちょっとそこのところ違いますが(他のは実際の民俗音楽が入ってたりするらしいです)、でもカタルーニャのフレーバーはどうやらモンポウの無意識のなかにも刷り込まれてるようで(笑)
感情に溢れた歌うようなメロディー、そして霧の中から、夢の中からでてくるような「踊り」のメロディー、鐘の音のような伴奏、喜びと美しさに満ちた踊り・・・
聴いていても夢の中のように、もう言い表せないくらいの素晴らしい体験です。心の一番繊細なところをやさしくきゅっとします。
さらにお楽しみになりたい方、CDはアリシア・デ・ラローチャの演奏がピカイチですよ♪
PS. なるほど、こういう風にリンクするのかー。次回から「今日の一曲」にamazonでのCDリンクつけることにしました!(少なくともクラシックには)
ふと思い出した今日この頃。
そんなことをちょっと今日は話します。
10年前のちょうど今、私はメルボルンにある私立の精神病院に入院してました。これが入院初めてで(といってもそこに行く直前は総合病院なども行きましたが)
理由はそう軽々しく言うものではないので割愛させていただきますが入院期間は5週間くらいかな。
シティに歩いていけるくらい近くにあって、メジャーな公園にも近く。オフィスビルがたちならぶ中オフィスビルを改造した精神病院です。(あれ、どこの病院か明らかかも)
成人のセクションだけではなく高齢者用のセクションや母子のためのセクション(主に産後うつなどですね)、ICU(重度ケアそしてECT用にも使われます)、そしてティーンエージャーセクションもあり、私は当時そのティーンセクションにいました。(あら、年齢も明らか?)
ティーンセクションは全部で患者さんは20人くらい?思春期あたりの子供たちが個室、2人部屋で住んでいて。毎日朝はミーティングがあって、みんないっしょにご飯を食べて、そしてさまざまなプログラムがあったり空き時間があったりでまた一日の終わりにミーティング、その中で個人の精神医とのアポがあったり。
病気の種類や病状、患者さんの背景によっては家族もいっしょの精神医のセッション(ファミリーセラピー)があったり食事などについてのアドバイスなどもあるらしいです。
ナースさんたちもみんないい人ばかりで。とくに週1か2回でみんなで一緒に外出のときに引率してくれたり、プログラムを仕切ってくれたり、いろいろです。
当時病状のわりに恐ろしいほど冷静な私にとってはものすごくいい経験でした。楽しかったし、ふだんの生活じゃ出会えないような人たちに出会えたし・・・
そしてなによりも同じ病気の人と歩めて、そして家族や周りの人の理解が得られないけれど、それでもお互いそのつらさも分かり合えて・・・
メンタルヘルスでいま考えてること、目指していることの原点なんです。なんで大人はわからないんだろう、なんでこんないい子たちがここにいてこんなに辛い思いをしているんだろう、という。
みんな本当にいい子なんですよ。毎週みんなでつくったマガジンや退院のときにみんながくれた手紙を見るたびに思います。
プログラムでは何をしたかというと病気のことを習ったり、いろいろ問題解決テクニックや病気の思考のメカニズム、自分の気持ちを表現するセッションなどがあったような気がします。
たとえばエリザベス・キューブラー=ロスの理論である「悲嘆の5段階」。人が死に代表される悲しみや苦しみに面したとき否認・怒り・取引・抑うつ・容認の5段階を通るということです。苦しみを容認することの大切さとそこまでどうたどりつくかを教えるプログラムだったような気がします。
そしてもっと記憶にはっきり残っているのがエドワード・デ・ボノ博士の「6つの帽子」の話。
この構想はこのサイトが簡潔かつ詳しいですが、黄色の帽子をかぶる、といわれたらポジティブにその問題や物事をみてみる、青色の帽子だったら感情を遠ざけて理論でそれを見てみる、といったもの。
いろんな視点から物を考えたり、病的な思考にまどわされないエクササイズでこれは結構みんな楽しそうだった覚えが。
そしておそらく私が入院する前にこれもプログラムでやったんでしょうね、プログラムをやる部屋には「7つの大罪」なる患者さん手作りポスターが計7枚(1つの大罪につき1枚)飾ってありました。といってもキリスト教のそれではなく精神の病気を抱えているときに病気により陥りやすい思考の枠組みとかそういうものをまとめてありました。でも実際にプログラムでやったわけじゃないので覚えてないんですよ!かろうじて覚えてるのは「Pollyanna(極端に楽観的すぎる思考)」と「Catastrophizing (極端に悲観的な思考)」だけです。
さすがにでもティーンセクションにはもう飾ってないだろうからもうこんど精神医のアポ(私の精神医がそこで外来の患者さんも見てるんです)に聞いてみるかなーと思うほどもどかしいです。・・・
患者さんはみんな子供で、まだ未熟だけれど本当に理解力はあるし、みんな一生懸命だし。それにオーストラリアだからか分かりませんがお互いの病気に理解がものすごくあるんですよ。
お互いが辛いこともわかりあって、それ故にとってしまう行動のことも辛い思い出があるからわかりあって・・・家族の理解が少ないこともわかっていて、そしてお互いの心に干渉し過ぎないレベルもわかっていて。
だからでしょうね、どうして大人は分からないんだろう、子供の私たちがこうやって分かり合ってるのに、どうして子供たちが苦しまなくちゃいけないか・・・そう思うようになりました。
そして病気によるつらさにさらなる負担を与える周りの(人間)環境についてよく考えるようになりました。
みんな今はどうしてるんだろうなあ・・・再発率は多い疾患が多いけれど、でもみんな根はいい子だし強い子だったから病気となんとか付き合いながらでもうまく生活を送ってるといいなあ、と思います。
(成人セクションでの経験についてはまた後日。)
今日の一曲: パウル・ヒンデミット 「葬送音楽」
悲嘆の5段階とちょっと似た感じの曲です。
ヒンデミットはちょっととっつきがたい、理屈詰めのよくわからない現代音楽というイメージを抱く方もいらっしゃるかと思いますがヒンデミットを「弾く」楽器の人はそうでないことはわかってるみたいです。
そもそもこの曲は当時イギリスにいた(そのせいかドイツ人ですが結構曲想はイギリスっぽい曲が多いです、ヒンデミットは)ヒンデミットに当時の君主ジョージ5世の追悼の曲の以来が来たんです。
ヒンデミットは一晩で弦のみのオーケストラ+ビオラソロの曲を完成させて自身がソリストとして(そうです、彼はビオリストなのです!)演奏をした、という話。
短く、メロディックでイギリス独特の懐かしさみたいなものがあって・・・喪失に対するさまざまな感情をビオラと弦が表現し・・・聞く人たちをやんわり「悲嘆の5段階」の中へ手を引いてあげるみたいに。
ヒンデミットはそして本当にビオラのことを分かってます。彼はもっとビオラにとって偉大で難関なソナタをたくさん書いていますがこの葬送音楽にとってはもうビオラじゃなくちゃ、というような印象があります。
私はビオラは心臓に、心に一番近い音をしている楽器だと思ってます。だからこういう心を親密に表現しいたわるのはビオラならではです。
最後のコラールの美しさの上に歌うビオラは容認と光の入り口なのかもしれませんね。
そんなことをちょっと今日は話します。
10年前のちょうど今、私はメルボルンにある私立の精神病院に入院してました。これが入院初めてで(といってもそこに行く直前は総合病院なども行きましたが)
理由はそう軽々しく言うものではないので割愛させていただきますが入院期間は5週間くらいかな。
シティに歩いていけるくらい近くにあって、メジャーな公園にも近く。オフィスビルがたちならぶ中オフィスビルを改造した精神病院です。(あれ、どこの病院か明らかかも)
成人のセクションだけではなく高齢者用のセクションや母子のためのセクション(主に産後うつなどですね)、ICU(重度ケアそしてECT用にも使われます)、そしてティーンエージャーセクションもあり、私は当時そのティーンセクションにいました。(あら、年齢も明らか?)
ティーンセクションは全部で患者さんは20人くらい?思春期あたりの子供たちが個室、2人部屋で住んでいて。毎日朝はミーティングがあって、みんないっしょにご飯を食べて、そしてさまざまなプログラムがあったり空き時間があったりでまた一日の終わりにミーティング、その中で個人の精神医とのアポがあったり。
病気の種類や病状、患者さんの背景によっては家族もいっしょの精神医のセッション(ファミリーセラピー)があったり食事などについてのアドバイスなどもあるらしいです。
ナースさんたちもみんないい人ばかりで。とくに週1か2回でみんなで一緒に外出のときに引率してくれたり、プログラムを仕切ってくれたり、いろいろです。
当時病状のわりに恐ろしいほど冷静な私にとってはものすごくいい経験でした。楽しかったし、ふだんの生活じゃ出会えないような人たちに出会えたし・・・
そしてなによりも同じ病気の人と歩めて、そして家族や周りの人の理解が得られないけれど、それでもお互いそのつらさも分かり合えて・・・
メンタルヘルスでいま考えてること、目指していることの原点なんです。なんで大人はわからないんだろう、なんでこんないい子たちがここにいてこんなに辛い思いをしているんだろう、という。
みんな本当にいい子なんですよ。毎週みんなでつくったマガジンや退院のときにみんながくれた手紙を見るたびに思います。
プログラムでは何をしたかというと病気のことを習ったり、いろいろ問題解決テクニックや病気の思考のメカニズム、自分の気持ちを表現するセッションなどがあったような気がします。
たとえばエリザベス・キューブラー=ロスの理論である「悲嘆の5段階」。人が死に代表される悲しみや苦しみに面したとき否認・怒り・取引・抑うつ・容認の5段階を通るということです。苦しみを容認することの大切さとそこまでどうたどりつくかを教えるプログラムだったような気がします。
そしてもっと記憶にはっきり残っているのがエドワード・デ・ボノ博士の「6つの帽子」の話。
この構想はこのサイトが簡潔かつ詳しいですが、黄色の帽子をかぶる、といわれたらポジティブにその問題や物事をみてみる、青色の帽子だったら感情を遠ざけて理論でそれを見てみる、といったもの。
いろんな視点から物を考えたり、病的な思考にまどわされないエクササイズでこれは結構みんな楽しそうだった覚えが。
そしておそらく私が入院する前にこれもプログラムでやったんでしょうね、プログラムをやる部屋には「7つの大罪」なる患者さん手作りポスターが計7枚(1つの大罪につき1枚)飾ってありました。といってもキリスト教のそれではなく精神の病気を抱えているときに病気により陥りやすい思考の枠組みとかそういうものをまとめてありました。でも実際にプログラムでやったわけじゃないので覚えてないんですよ!かろうじて覚えてるのは「Pollyanna(極端に楽観的すぎる思考)」と「Catastrophizing (極端に悲観的な思考)」だけです。
さすがにでもティーンセクションにはもう飾ってないだろうからもうこんど精神医のアポ(私の精神医がそこで外来の患者さんも見てるんです)に聞いてみるかなーと思うほどもどかしいです。・・・
患者さんはみんな子供で、まだ未熟だけれど本当に理解力はあるし、みんな一生懸命だし。それにオーストラリアだからか分かりませんがお互いの病気に理解がものすごくあるんですよ。
お互いが辛いこともわかりあって、それ故にとってしまう行動のことも辛い思い出があるからわかりあって・・・家族の理解が少ないこともわかっていて、そしてお互いの心に干渉し過ぎないレベルもわかっていて。
だからでしょうね、どうして大人は分からないんだろう、子供の私たちがこうやって分かり合ってるのに、どうして子供たちが苦しまなくちゃいけないか・・・そう思うようになりました。
そして病気によるつらさにさらなる負担を与える周りの(人間)環境についてよく考えるようになりました。
みんな今はどうしてるんだろうなあ・・・再発率は多い疾患が多いけれど、でもみんな根はいい子だし強い子だったから病気となんとか付き合いながらでもうまく生活を送ってるといいなあ、と思います。
(成人セクションでの経験についてはまた後日。)
今日の一曲: パウル・ヒンデミット 「葬送音楽」
悲嘆の5段階とちょっと似た感じの曲です。
ヒンデミットはちょっととっつきがたい、理屈詰めのよくわからない現代音楽というイメージを抱く方もいらっしゃるかと思いますがヒンデミットを「弾く」楽器の人はそうでないことはわかってるみたいです。
そもそもこの曲は当時イギリスにいた(そのせいかドイツ人ですが結構曲想はイギリスっぽい曲が多いです、ヒンデミットは)ヒンデミットに当時の君主ジョージ5世の追悼の曲の以来が来たんです。
ヒンデミットは一晩で弦のみのオーケストラ+ビオラソロの曲を完成させて自身がソリストとして(そうです、彼はビオリストなのです!)演奏をした、という話。
短く、メロディックでイギリス独特の懐かしさみたいなものがあって・・・喪失に対するさまざまな感情をビオラと弦が表現し・・・聞く人たちをやんわり「悲嘆の5段階」の中へ手を引いてあげるみたいに。
ヒンデミットはそして本当にビオラのことを分かってます。彼はもっとビオラにとって偉大で難関なソナタをたくさん書いていますがこの葬送音楽にとってはもうビオラじゃなくちゃ、というような印象があります。
私はビオラは心臓に、心に一番近い音をしている楽器だと思ってます。だからこういう心を親密に表現しいたわるのはビオラならではです。
最後のコラールの美しさの上に歌うビオラは容認と光の入り口なのかもしれませんね。
昨日のそうそうたる自分の好きな作曲家の中に忘れてはならない人がひとり抜けてました!
それは・・・ラヴェル!あーごめんなさい(誰にか分からないんですけど)
でもラヴェルの音楽は難しいんですよねー・・・親友でもありそうだし恋人でもおかしくなさそうだし・・・はたまた自分、といっても(多少怒られそうですが)自分にぴったり合ってるようで・・・
ものすごく近くて。全部まっさらになった自然体で居れて。頭も心もいい感じに動くしなんといってもいつ弾いても聴いても間違いない、という・・・計算もエキゾチックも色彩もみんな。
母が読んだ本で文系=ドビュッシー、理系=ラヴェルって感じのことが書いてあったらしいですがそれでいうと母と私はやっぱり理系ですねー。断然ラヴェル派ですからねー。ちなみにうちの先生はドビュッシー派みたい。実際の学歴も文系のコースだったからやっぱりそうなのかも。
それでは後ほどまた。
それは・・・ラヴェル!あーごめんなさい(誰にか分からないんですけど)
でもラヴェルの音楽は難しいんですよねー・・・親友でもありそうだし恋人でもおかしくなさそうだし・・・はたまた自分、といっても(多少怒られそうですが)自分にぴったり合ってるようで・・・
ものすごく近くて。全部まっさらになった自然体で居れて。頭も心もいい感じに動くしなんといってもいつ弾いても聴いても間違いない、という・・・計算もエキゾチックも色彩もみんな。
母が読んだ本で文系=ドビュッシー、理系=ラヴェルって感じのことが書いてあったらしいですがそれでいうと母と私はやっぱり理系ですねー。断然ラヴェル派ですからねー。ちなみにうちの先生はドビュッシー派みたい。実際の学歴も文系のコースだったからやっぱりそうなのかも。
それでは後ほどまた。
