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今日は比較的長い間お仕事でした。
といっても6時間。日本とは時差があるので朝は少し時間が空くし、普段の平均は4時間ほどなので取引先を増やす方向出行こうと思ってます。それに医薬翻訳に絞っていきたいし、他にもいろいろ理由があって。
MomentumとOpportunityさえあれば突き進んでしまう人なので無理をするのがちょっと心配ですが、逆にそうだからこれから行動を起こすことが楽しみです。とりあえずそれは明日以降。
無理せず趣味と楽しみに時間と頭の余地を残したままがんばりたいと思います。
最近右手の人差し指の中指側の腹が集中して荒れていて。水虫かまたはトラックパッドによるやけどっぽいものか・・・と思ってるんですけど。
火傷かな、と思いながら夕飯のうどんを作ってたら件の箇所に熱湯が2回もかかって証拠隠滅の方向に・・・
いまもちょっと皮が突っ張ってひりひり。
いつもはそんなこと少しもないのに今日はなんで2回も熱湯をよりによって手にかけたかなあー・・・と思い。
やっぱり疲れかしら、という結論にたどり着きました。
自分が思ってるよりも自分は疲れてた、と。
普段はでも自分の体の欲求はとりあえずわかると思ってます。
とりあえず体が塩分・水分・糖分を欲しているときはすぐわかるので。
手がちょっとむくんで張ってると水分が足りないとき、あとは塩分と糖分はもうなんとも形容しがたい感じなんですが。
心の要求は・・・どうでしょう。ちょっと無視しがちですかね。結構調子のいい時期が続いてるのでついついやりたいことはやれる状態のうちにやっちゃわないと、と無理しちゃうんでしょうか。
でも音楽は特に心の要求をよく反映すると思います。私に限り人がそのときそのときに選ぶ音楽によってその人の思い、欲求、状態を分析することができると信じ、それをメンタルヘルスにいかせないかと考え中で。
心も体ももうちょっといたわってあげたいです。いまちょっと仕事とかそれと趣味をバランスすることとか勉強とかに心が向いてしまってるけど・・・
それに最近一人旅にでていない。あれもちょくちょくやると心に余裕が出るんですけど。ただ電車でいけるちょっと離れたところでなにか自然があったり見るものがあるところ・・・っていうと多少限られてくるんですけど。
いまいちまだどこがちょっと危なくて、とかいうのも把握できてないようだし、それに電車のネットワークのクオリティも愚痴れるほどだし電車でカバーされてるところも少ないし。
でもきっと行ける所があるはず。
いろいろ気持ちがはやって、したいこと・しなくちゃいけないことばかりで頭がいまいちついていっていないけどとりあえず今日は趣味に心を費やして休みたいと思います。
今日の一曲: フレデリック・ショパン 「24の前奏曲」より第24番 ニ短調
ショパン・・・というのはあんまり好きな部類には入ってない作曲家です。好きな曲は何曲かあるんですがそれ以外はちょっと・・・という。ピアニスト失格と言われてもかまいませんが。
大学でもだいたい弾かれているのは同じエチュード、またはその他の曲も一緒のものばかりで。
卒業後しばらくしてこの曲を聞いたとき少しばかり心を打たれました。繊細な、どちらかというと女性的でやっパリピアノのテクニック中心なイメージがあるショパンの音楽と違って力強く、テクニカルなパッセージは必要なところにパーフェクトな使い方で使われて。
そしてショパンらしくない、と思ったのはなんといってもエンディング。低音のレを単音で3回・・・まるで死を告げる鐘のように深く、力強く、暗く。ショパンとしてはものすごく珍しい感じのエンディング。たとえばラフマニノフやマーラーだったらこういう風に・・・まるで避けられない運命をあらわすかのような、どちらかというと不吉なエンディングです。
なんといっても翼をもって翔ける力強さが魅力的です。そっとどこか深いところに力を与えてくれるような・・・
といっても6時間。日本とは時差があるので朝は少し時間が空くし、普段の平均は4時間ほどなので取引先を増やす方向出行こうと思ってます。それに医薬翻訳に絞っていきたいし、他にもいろいろ理由があって。
MomentumとOpportunityさえあれば突き進んでしまう人なので無理をするのがちょっと心配ですが、逆にそうだからこれから行動を起こすことが楽しみです。とりあえずそれは明日以降。
無理せず趣味と楽しみに時間と頭の余地を残したままがんばりたいと思います。
最近右手の人差し指の中指側の腹が集中して荒れていて。水虫かまたはトラックパッドによるやけどっぽいものか・・・と思ってるんですけど。
火傷かな、と思いながら夕飯のうどんを作ってたら件の箇所に熱湯が2回もかかって証拠隠滅の方向に・・・
いまもちょっと皮が突っ張ってひりひり。
いつもはそんなこと少しもないのに今日はなんで2回も熱湯をよりによって手にかけたかなあー・・・と思い。
やっぱり疲れかしら、という結論にたどり着きました。
自分が思ってるよりも自分は疲れてた、と。
普段はでも自分の体の欲求はとりあえずわかると思ってます。
とりあえず体が塩分・水分・糖分を欲しているときはすぐわかるので。
手がちょっとむくんで張ってると水分が足りないとき、あとは塩分と糖分はもうなんとも形容しがたい感じなんですが。
心の要求は・・・どうでしょう。ちょっと無視しがちですかね。結構調子のいい時期が続いてるのでついついやりたいことはやれる状態のうちにやっちゃわないと、と無理しちゃうんでしょうか。
でも音楽は特に心の要求をよく反映すると思います。私に限り人がそのときそのときに選ぶ音楽によってその人の思い、欲求、状態を分析することができると信じ、それをメンタルヘルスにいかせないかと考え中で。
心も体ももうちょっといたわってあげたいです。いまちょっと仕事とかそれと趣味をバランスすることとか勉強とかに心が向いてしまってるけど・・・
それに最近一人旅にでていない。あれもちょくちょくやると心に余裕が出るんですけど。ただ電車でいけるちょっと離れたところでなにか自然があったり見るものがあるところ・・・っていうと多少限られてくるんですけど。
いまいちまだどこがちょっと危なくて、とかいうのも把握できてないようだし、それに電車のネットワークのクオリティも愚痴れるほどだし電車でカバーされてるところも少ないし。
でもきっと行ける所があるはず。
いろいろ気持ちがはやって、したいこと・しなくちゃいけないことばかりで頭がいまいちついていっていないけどとりあえず今日は趣味に心を費やして休みたいと思います。
今日の一曲: フレデリック・ショパン 「24の前奏曲」より第24番 ニ短調
ショパン・・・というのはあんまり好きな部類には入ってない作曲家です。好きな曲は何曲かあるんですがそれ以外はちょっと・・・という。ピアニスト失格と言われてもかまいませんが。
大学でもだいたい弾かれているのは同じエチュード、またはその他の曲も一緒のものばかりで。
卒業後しばらくしてこの曲を聞いたとき少しばかり心を打たれました。繊細な、どちらかというと女性的でやっパリピアノのテクニック中心なイメージがあるショパンの音楽と違って力強く、テクニカルなパッセージは必要なところにパーフェクトな使い方で使われて。
そしてショパンらしくない、と思ったのはなんといってもエンディング。低音のレを単音で3回・・・まるで死を告げる鐘のように深く、力強く、暗く。ショパンとしてはものすごく珍しい感じのエンディング。たとえばラフマニノフやマーラーだったらこういう風に・・・まるで避けられない運命をあらわすかのような、どちらかというと不吉なエンディングです。
なんといっても翼をもって翔ける力強さが魅力的です。そっとどこか深いところに力を与えてくれるような・・・
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今日はちょっとぶりに暑かったメルボルン。
30度・・・くらいが暑い日としてはちょうどいいですね。でもこんな日ももうすぐできっと終わり。
もう夏は終わってしまうのかなあ・・・
速度などをあらわす音楽用語で好きなのはCon fuoco(炎のように)とかMesto(悲しく)とかtumultoso(動揺して)とか。
そして好きな曲のカテゴリーはなんといってもタランテラです。
(タランテラ on wikipedia)
元はイタリアの舞曲だけどやけにロシア方面(ポーランドを含む)でタランテラが書かれているような気がしますがそれもひとつの要因かもしれません。ちなみにどうしてなんでしょうかねえ。ロシア・ポーランド系の作曲家が惹かれるなにかがあるのでしょうか。プロコフィエフなんかタランテラと名のつかないタランテラをいっぱい書いてますし。毒があっていいです、プロコフィエフのタランテラは。
あと子供のための曲でもそこそこしっかりしたタランテラもありますし。
タランテラ、は・・・イタリアの南部でタランチュラグモに刺された人が毒抜きのために激しく踊ったというあんまり医学的な根拠は乏しい言い伝えがある曲です。踊らないと死ぬそうで。(実際にはタランチュラ全般にはそれだけの毒はないらしいですけどね)
やっぱり命がかかってるというか・・・狂気が感じられますね。その速さとぐるぐる回るような音形と、マイナーキーの暗さで。(ショパンのタランテラは長調ですが)
狂乱、というか集団ヒステリーみたいな雰囲気があってそれも好きです。
あともちろん蜘蛛関係の音楽ってことも好きですね(笑)
お気に入りのタランテラ no. 1はチャイコフスキーの「イタリア奇想曲」の最後のほうです。ダントツで。クレイジー感が半端じゃなくて。あとシマノフスキの「ノクターンとタランテラ」もまたまったく別な感じですきですし。プロコフィエフのピアノソナタ第2番の最終楽章とか第3番とかも。
逆に苦手なのはウィンナーワルツでしょうか。
どうしても、わけもなく・・・いらいらするんです。あのリズムの崩し方とか。それにウィンナーワルツを演奏するときって決まって複数弾くんですがどれも一緒に聞こえてきて。それに弾いてて誰にとって楽しいかさえもわからないですし。だれか楽しいですか?教えてください。
あとアメリカンマーチもまた同じような理由で苦手ですね。イギリスマーチは好きなんですけど。特にブラスバンドのイギリスマーチはすがすがしくてかっこいいです。イギリスマーチも結構似たようなのが多いんですけどなんというか、メロディーの良さで許せちゃうところもあったり。
とりとめもなく書いてしまいましたが今日の一曲です。次回はもっとまとまりがあるエントリーを書きたいです。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ホルン三重奏曲 第4楽章
この暑いのになぜかこの曲が頭を離れなくて。大学時代に友達と弾いたんですよ。ピアノとホルンとバイオリン、ちょっと変わった組み合わせですけどね(有名どころはこの曲とあとこの曲につながりをもたせてかいたリゲティのホルン三重奏曲だけです)。
ブラームスは結構田舎くさいところがありますね。ドイツの山中で森があって、鳥が飛んで、っていう感じの曲をよく書きます。それが好きで好きで。
今見てるN響アワーで指揮者のオットマール・スウィトナーが「ブラームスは大阪的で なく北海道的なのです」と言ってましたが実にそうですよ。
この曲もホルンが狩で使うホルンみたいな役割で、まるで山の中をホルンで呼び合いながら駆けているようで。
弾いてるとすごい楽しいんですよ。で、楽しすぎて比較的簡単なパートのホルンとバイオリンがどんどん速くなってって勘弁してくださいよーとピアニストがなるんですが。それでも弾いてて楽しいです。
聞くのも弾くのにはもしかしたらかなわないかもしれませんが楽しいです♪
普通に調子がよくて盛り上がって。なんか不思議と元気になるんですよね。(暑い中をドイツ音楽聴いてるとばてるんですけど)そして不思議とこの3つの楽器の音色がマッチして。
普通に気軽に聞いてもらえるとうれしいです。ながら聞きでも結構楽しめますよ(なにかしながらでもホルンの音色はなかなか脳に刺さります。わたしだけかもしれませんが)
ブラームスの音楽は基本自然的・人間的なので全般的におすすめです。
30度・・・くらいが暑い日としてはちょうどいいですね。でもこんな日ももうすぐできっと終わり。
もう夏は終わってしまうのかなあ・・・
速度などをあらわす音楽用語で好きなのはCon fuoco(炎のように)とかMesto(悲しく)とかtumultoso(動揺して)とか。
そして好きな曲のカテゴリーはなんといってもタランテラです。
(タランテラ on wikipedia)
元はイタリアの舞曲だけどやけにロシア方面(ポーランドを含む)でタランテラが書かれているような気がしますがそれもひとつの要因かもしれません。ちなみにどうしてなんでしょうかねえ。ロシア・ポーランド系の作曲家が惹かれるなにかがあるのでしょうか。プロコフィエフなんかタランテラと名のつかないタランテラをいっぱい書いてますし。毒があっていいです、プロコフィエフのタランテラは。
あと子供のための曲でもそこそこしっかりしたタランテラもありますし。
タランテラ、は・・・イタリアの南部でタランチュラグモに刺された人が毒抜きのために激しく踊ったというあんまり医学的な根拠は乏しい言い伝えがある曲です。踊らないと死ぬそうで。(実際にはタランチュラ全般にはそれだけの毒はないらしいですけどね)
やっぱり命がかかってるというか・・・狂気が感じられますね。その速さとぐるぐる回るような音形と、マイナーキーの暗さで。(ショパンのタランテラは長調ですが)
狂乱、というか集団ヒステリーみたいな雰囲気があってそれも好きです。
あともちろん蜘蛛関係の音楽ってことも好きですね(笑)
お気に入りのタランテラ no. 1はチャイコフスキーの「イタリア奇想曲」の最後のほうです。ダントツで。クレイジー感が半端じゃなくて。あとシマノフスキの「ノクターンとタランテラ」もまたまったく別な感じですきですし。プロコフィエフのピアノソナタ第2番の最終楽章とか第3番とかも。
逆に苦手なのはウィンナーワルツでしょうか。
どうしても、わけもなく・・・いらいらするんです。あのリズムの崩し方とか。それにウィンナーワルツを演奏するときって決まって複数弾くんですがどれも一緒に聞こえてきて。それに弾いてて誰にとって楽しいかさえもわからないですし。だれか楽しいですか?教えてください。
あとアメリカンマーチもまた同じような理由で苦手ですね。イギリスマーチは好きなんですけど。特にブラスバンドのイギリスマーチはすがすがしくてかっこいいです。イギリスマーチも結構似たようなのが多いんですけどなんというか、メロディーの良さで許せちゃうところもあったり。
とりとめもなく書いてしまいましたが今日の一曲です。次回はもっとまとまりがあるエントリーを書きたいです。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ホルン三重奏曲 第4楽章
この暑いのになぜかこの曲が頭を離れなくて。大学時代に友達と弾いたんですよ。ピアノとホルンとバイオリン、ちょっと変わった組み合わせですけどね(有名どころはこの曲とあとこの曲につながりをもたせてかいたリゲティのホルン三重奏曲だけです)。
ブラームスは結構田舎くさいところがありますね。ドイツの山中で森があって、鳥が飛んで、っていう感じの曲をよく書きます。それが好きで好きで。
今見てるN響アワーで指揮者のオットマール・スウィトナーが「ブラームスは大阪的で なく北海道的なのです」と言ってましたが実にそうですよ。
この曲もホルンが狩で使うホルンみたいな役割で、まるで山の中をホルンで呼び合いながら駆けているようで。
弾いてるとすごい楽しいんですよ。で、楽しすぎて比較的簡単なパートのホルンとバイオリンがどんどん速くなってって勘弁してくださいよーとピアニストがなるんですが。それでも弾いてて楽しいです。
聞くのも弾くのにはもしかしたらかなわないかもしれませんが楽しいです♪
普通に調子がよくて盛り上がって。なんか不思議と元気になるんですよね。(暑い中をドイツ音楽聴いてるとばてるんですけど)そして不思議とこの3つの楽器の音色がマッチして。
普通に気軽に聞いてもらえるとうれしいです。ながら聞きでも結構楽しめますよ(なにかしながらでもホルンの音色はなかなか脳に刺さります。わたしだけかもしれませんが)
ブラームスの音楽は基本自然的・人間的なので全般的におすすめです。
最近仕事時間が少ないので取引先を増やしてみようか悩んでます。
ただmomentumときっかけさえあればひたすら進んで無茶しかねないので慎重に。
仕事時間がどれくらいであれご飯のあとの時間は趣味に頭をスイッチしたいですね。まだまだそこのところの切り替えがそううまくないかもしれません。
前に音楽の好みの話をしましたが、私の好きな音楽の傾向は案外シンプルだということが最近判明しました。
それは:
1)翼のある音楽
2)命のかかってる音楽
3)死臭のする音楽
4)広い自然の音楽
5)抱きしめたくなる音楽
に大きく分けられる・・・みたいです。
1)はもう・・・音形がどうとか、メロディーがどうかといか言うんじゃなくて直感的に聴いてて翔けるような、飛び回るような音楽がすきなのはきっと自分が翼を持って翔け回りたいからかもしれないですね。
例:スクリャービンの練習曲op.42-5、ブラームスのピアノ協奏曲第1番第3楽章、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」より「時の終わりを告げる天使のための虹の錯乱」
2)なんでしょうね。命がかかってる音楽って特別なパワーがあるんですよね。命そのもののような。鎮魂曲、戦争題材の曲、その他いろいろ・・・心にぐっと来て離さない、とりこになるなにかがあります。
例:ショスタコーヴィチの交響曲第11番、ブリテンの「戦争レクイエム」、マーラー交響曲第5番
3)私の好きな曲って結構「死」に関する曲が多いんです。最晩年の曲だったり、題材が死に関することだったり。それはそういう題材が好きなこともありますけどそういうエピソードを知らずに好きになって後で話を聞いたりということもけっこうあります。絶対ってことはないけれど死臭らしきものをかぎつけるのかなー・・・って思います。
例:ショスタコーヴィチの交響曲第14番、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、ブラームスのピアノ四重奏曲第3番
4)音楽を聴いてなんか幻想的な、またはこの世のどこかにあってほしいようなすばらしい景色・・・または視覚的にそれが見えなくてもぶわっと広がるその雰囲気というかにおいというか・・・それがとっても切なくて、どこか懐かしくて・・・そんな広い世界を感じるのが多分好きみたいです。
例:ラフマニノフ交響曲第2番第2楽章(協奏曲ではなく)、ヴォーン=ウィリアムスの「富める人とラザロ」の5つの異版、メシアンの「鳥のカタログ」より「ダイシャクシギ」
5)なんでしょう、なんかこう・・・スケールや曲風を問わず愛らしい曲ってありますよね。きゅん、とするというか。心がすさんでも許せちゃう、心の中でご機嫌な鈴が鳴る様な(笑)。
例:レスピーギ:「古代舞曲とアリア」第2組曲より「パリの鐘」、ラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」、クラムの「マクロコスモス」第2巻より「Rain-death Variation」
総括してみると暗い曲が全体的に多いんですよね。本当に自分とつながれる曲は暗い曲が圧倒的に多いです。(例:上記ブラームス、スクリャービンなど)
暗い曲を聴くともっと深く知りたくなるというか、溺れる覚悟でその暗さに飛び込んで自分のものとしてみたくなるというか。
音楽は闇と触れ合うのにいちばんいいものだと思います。自分のリスクが比較的に低く、でもものすごく親密に闇の声を聴くことができます。
特に上記命がかかってる音楽は本当に訴えかけてきますから。
なんというか・・・ポジティブや陽、光ってのももちろん大切ですけどそれは後ろにあるネガティブ、陰や闇の上に成り立ってるもので。
自分を守るためにポジティブばかり自分の中に集めてるだけでは他の人の闇を光に変えることはできないと思うんです。
闇の声に耳を傾けて、心いっぱいで受け止めて、理解して・・・自分のものとして、それでそれとどう付き合うかを考えていきたいなーってのが理想。自分の闇も、他人の闇も。闇は取っ払う派じゃなくて受け入れてうまく付き合うというのが一番いいんじゃないかなと思いますがもちろんまだ人生試行錯誤中。
でもメンタルヘルスや心理学、そして医学全般もそういう感じが芯なような感じですしね。
今行ったようなことが自分の人生にもメンタルヘルスでも実践できるようにがんばりたいです。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第1番 第4楽章
今日はいっぱい曲を例として出したので手短に。
ピアノ協奏曲としてはそんなにたいしたものじゃないみたいなんですけどショスタコーヴィチの若いころの作品としては珠玉の名曲です。
なんといっても学生のころサイレントムービーに即興でピアノ伴奏をつけるアルバイトをしていたというのがよくわかる感じの曲で、くるくる移り変わるシーンや主にピアノソロによるちょっとしたアクション・アクロバットがなんとも魅力的。
そしてなかなかないトランペット(サブソロ扱い)とピアノのタッグがまたぴかいちですね。バックのオケが弦オンリーなので金属的な二つのソロ楽器の音がまたよく映えます。
なお、この曲は作曲家自身がピアノを弾いている録音もありますがあーんまりおすすめしません。とりあえずショスタコの人となりを知って、この曲をあらかじめ知ってからですかね。
ものすごくテクニックがすごい人で、でも自分の曲となると機械の様に弾く癖があって。ひたすら速く、ジェットコースターのようにがーっと弾いてしまって少なくとも速度による表情はないんですよ。
なんかものすごくユーモアがある(ショスタコがひねくれすぎるまえのユーモア)曲なのでもったいないなあーと思いますし、ショスタコの写真は基本気難しい顔ばっかりなので・・・それもまたもったいないなあと。
私はショスタコのユーモア、好きですから。
ただmomentumときっかけさえあればひたすら進んで無茶しかねないので慎重に。
仕事時間がどれくらいであれご飯のあとの時間は趣味に頭をスイッチしたいですね。まだまだそこのところの切り替えがそううまくないかもしれません。
前に音楽の好みの話をしましたが、私の好きな音楽の傾向は案外シンプルだということが最近判明しました。
それは:
1)翼のある音楽
2)命のかかってる音楽
3)死臭のする音楽
4)広い自然の音楽
5)抱きしめたくなる音楽
に大きく分けられる・・・みたいです。
1)はもう・・・音形がどうとか、メロディーがどうかといか言うんじゃなくて直感的に聴いてて翔けるような、飛び回るような音楽がすきなのはきっと自分が翼を持って翔け回りたいからかもしれないですね。
例:スクリャービンの練習曲op.42-5、ブラームスのピアノ協奏曲第1番第3楽章、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」より「時の終わりを告げる天使のための虹の錯乱」
2)なんでしょうね。命がかかってる音楽って特別なパワーがあるんですよね。命そのもののような。鎮魂曲、戦争題材の曲、その他いろいろ・・・心にぐっと来て離さない、とりこになるなにかがあります。
例:ショスタコーヴィチの交響曲第11番、ブリテンの「戦争レクイエム」、マーラー交響曲第5番
3)私の好きな曲って結構「死」に関する曲が多いんです。最晩年の曲だったり、題材が死に関することだったり。それはそういう題材が好きなこともありますけどそういうエピソードを知らずに好きになって後で話を聞いたりということもけっこうあります。絶対ってことはないけれど死臭らしきものをかぎつけるのかなー・・・って思います。
例:ショスタコーヴィチの交響曲第14番、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番、ブラームスのピアノ四重奏曲第3番
4)音楽を聴いてなんか幻想的な、またはこの世のどこかにあってほしいようなすばらしい景色・・・または視覚的にそれが見えなくてもぶわっと広がるその雰囲気というかにおいというか・・・それがとっても切なくて、どこか懐かしくて・・・そんな広い世界を感じるのが多分好きみたいです。
例:ラフマニノフ交響曲第2番第2楽章(協奏曲ではなく)、ヴォーン=ウィリアムスの「富める人とラザロ」の5つの異版、メシアンの「鳥のカタログ」より「ダイシャクシギ」
5)なんでしょう、なんかこう・・・スケールや曲風を問わず愛らしい曲ってありますよね。きゅん、とするというか。心がすさんでも許せちゃう、心の中でご機嫌な鈴が鳴る様な(笑)。
例:レスピーギ:「古代舞曲とアリア」第2組曲より「パリの鐘」、ラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」、クラムの「マクロコスモス」第2巻より「Rain-death Variation」
総括してみると暗い曲が全体的に多いんですよね。本当に自分とつながれる曲は暗い曲が圧倒的に多いです。(例:上記ブラームス、スクリャービンなど)
暗い曲を聴くともっと深く知りたくなるというか、溺れる覚悟でその暗さに飛び込んで自分のものとしてみたくなるというか。
音楽は闇と触れ合うのにいちばんいいものだと思います。自分のリスクが比較的に低く、でもものすごく親密に闇の声を聴くことができます。
特に上記命がかかってる音楽は本当に訴えかけてきますから。
なんというか・・・ポジティブや陽、光ってのももちろん大切ですけどそれは後ろにあるネガティブ、陰や闇の上に成り立ってるもので。
自分を守るためにポジティブばかり自分の中に集めてるだけでは他の人の闇を光に変えることはできないと思うんです。
闇の声に耳を傾けて、心いっぱいで受け止めて、理解して・・・自分のものとして、それでそれとどう付き合うかを考えていきたいなーってのが理想。自分の闇も、他人の闇も。闇は取っ払う派じゃなくて受け入れてうまく付き合うというのが一番いいんじゃないかなと思いますがもちろんまだ人生試行錯誤中。
でもメンタルヘルスや心理学、そして医学全般もそういう感じが芯なような感じですしね。
今行ったようなことが自分の人生にもメンタルヘルスでも実践できるようにがんばりたいです。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第1番 第4楽章
今日はいっぱい曲を例として出したので手短に。
ピアノ協奏曲としてはそんなにたいしたものじゃないみたいなんですけどショスタコーヴィチの若いころの作品としては珠玉の名曲です。
なんといっても学生のころサイレントムービーに即興でピアノ伴奏をつけるアルバイトをしていたというのがよくわかる感じの曲で、くるくる移り変わるシーンや主にピアノソロによるちょっとしたアクション・アクロバットがなんとも魅力的。
そしてなかなかないトランペット(サブソロ扱い)とピアノのタッグがまたぴかいちですね。バックのオケが弦オンリーなので金属的な二つのソロ楽器の音がまたよく映えます。
なお、この曲は作曲家自身がピアノを弾いている録音もありますがあーんまりおすすめしません。とりあえずショスタコの人となりを知って、この曲をあらかじめ知ってからですかね。
ものすごくテクニックがすごい人で、でも自分の曲となると機械の様に弾く癖があって。ひたすら速く、ジェットコースターのようにがーっと弾いてしまって少なくとも速度による表情はないんですよ。
なんかものすごくユーモアがある(ショスタコがひねくれすぎるまえのユーモア)曲なのでもったいないなあーと思いますし、ショスタコの写真は基本気難しい顔ばっかりなので・・・それもまたもったいないなあと。
私はショスタコのユーモア、好きですから。
誰もわからない創作の話ですが(なんせ今はこれっぽっちも公表してませんから)よければおつきあいください。
音楽にしても絵画にしても小説にしても・・・舞台になった国はもちろん、作者の住んでいる、または生まれた国の影響は濃く現れることが多いような気がします。
とくに音楽ではご当地感が強い音楽はそれだけで魅力がありますしね。
私が書くものはやっぱりオーストラリアの影響が強いですね。日本の影響ももちろんあるんですけどそれはむしろ言葉で言い表せないレベルの感覚かも・・・と思ってます。すんでいたのが小さいときですので、子供心に感じたいろんなことや見た景色や自然などがメインだと思います。
もちろんオーストラリアをそのまま舞台にした話はよく書きます。やっぱりオーケストラや学校の話を書こうとするとどうしてもオーストラリアが舞台になってしまいますので。
二次創作のパラレルでもそれは例外じゃありません。
いつか話したオケの話では大学設定ですけど高校の時の話とかその他のいろんな文化的なことが出てきますし。
学校のシステムも完全にこっちですねー・・・いつか日本の学校の話もショートでもロングでも書いてみたいとは思うんですが。どうしてもアイディアの欠片はこっちの学校での経験をもとにしたものになってしまって。
しょうがないんですけどね。
あとオーストラリアの多文化・多人種社会を受けて人種の幅もそこそこあるようになりました。
思いつくだけでいうとロシア人、フランス人、(そして各々のハーフ)、日本人、オーストラリア白人など。
ファンタジー系のストーリーのキャラクターでもいろんな人種を意識します・・・といっても、これはどっちかというと音楽の影響かもしれませんが。
一人女の子のキャラで当初は意識してなかったのにどんどんラテン風になっていってる子もいます(笑)
オーストラリアは自然の景勝地が数ありますがやっぱりオーストラリアの自然も大きな影響があります。
今ぼちぼちとプランしているストーリーはタスマニアのクレイドル・マウンテンをイメージした世界を舞台にしてます。
クレイドル・マウンテンは・・・実際には正確にはいったことがないんですよ。家族で行ったら入り口あたりでレンタカーが壊れてしまって。それが憧れをあおってるのかもしれませんが。
でもGoogleのイメージ検索でCradle Mountainで検索してみるだけでもなんとも美しい景色のイメージがページごとにたくさん見れて。
できればいつか実際にいけるときまでアイディアをゆっくり暖めたいです。
創作のロケになっている場所は観光地としても訪れる価値があるところばっかりなので頭を整頓して後日望みたいと思ってます。
そしてオーストラリアの人や自然のおおらかさ、というか(たまにはおおざっぱさも)、オープンさなどもいろんなキャラや世界の性格にも現れる・・・ような気がしますね。
だから日本人のキャラを書こうとしてもたぶん多少の違和感はでてしまうような気がします。
だからやっぱり日本舞台の話が書きにくいかな・・・
書き物は自分にとって趣味ですが、自分の中に常にある何かを表現できるようになるために・・・そしてもしかしたらオーストラリアの素晴らしいところを伝えるためもあるのかもしれませんが、とにかく自分の中の世界を広げ、表現を広げていきたいと思います。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ヘブライの主題による前奏曲
いやーこれを聴くといい意味で背筋がぞわっとしますね。
この曲はオーケストラ版とピアノ+クラリネット+弦楽四重奏の室内楽版があるんですがぜひ後者をおすすめします。
そしてこだわりポイントがもうひとつ。ユダヤ系のクラリネット奏者(そしてほかの奏者もユダヤ系だとベター)で聴くのを強くお勧めします。
「ヘブライの主題」というだけあってものすごくそっち系統のフレーバー(というかにおい)が強い曲です。
その哀愁というかむしろ暗さがもうたまらないといいますか。独特の魅力があります・・・と続けたいところですが長くなりそうなのでいつかメインの記事のほうで。
私の持っているのはクラリネット奏者がギオラ・ファイトマンという人の演奏なんですが彼は調べてみたところ代々クレズマー(ユダヤの民族器楽)の奏者らしく・・・もうでもそれを知る前から彼の音を聞いてすぐわかりました。独特のビブラートのかけ方とか、強弱のつけかた・・・それに私は背筋がぞわっとしてるんでしょうか。
ユダヤ音楽や民族の背景のことなど勉強してから聴くとものすごく納得がいきますが、それがなくともきっとこの不思議な魅力は心のいつもはちょっと使わないようなアングルから攻められるかもしれません(笑)
ギオラ・ファイトマンのクレズマーのCDそのうち買おうかしら。
音楽にしても絵画にしても小説にしても・・・舞台になった国はもちろん、作者の住んでいる、または生まれた国の影響は濃く現れることが多いような気がします。
とくに音楽ではご当地感が強い音楽はそれだけで魅力がありますしね。
私が書くものはやっぱりオーストラリアの影響が強いですね。日本の影響ももちろんあるんですけどそれはむしろ言葉で言い表せないレベルの感覚かも・・・と思ってます。すんでいたのが小さいときですので、子供心に感じたいろんなことや見た景色や自然などがメインだと思います。
もちろんオーストラリアをそのまま舞台にした話はよく書きます。やっぱりオーケストラや学校の話を書こうとするとどうしてもオーストラリアが舞台になってしまいますので。
二次創作のパラレルでもそれは例外じゃありません。
いつか話したオケの話では大学設定ですけど高校の時の話とかその他のいろんな文化的なことが出てきますし。
学校のシステムも完全にこっちですねー・・・いつか日本の学校の話もショートでもロングでも書いてみたいとは思うんですが。どうしてもアイディアの欠片はこっちの学校での経験をもとにしたものになってしまって。
しょうがないんですけどね。
あとオーストラリアの多文化・多人種社会を受けて人種の幅もそこそこあるようになりました。
思いつくだけでいうとロシア人、フランス人、(そして各々のハーフ)、日本人、オーストラリア白人など。
ファンタジー系のストーリーのキャラクターでもいろんな人種を意識します・・・といっても、これはどっちかというと音楽の影響かもしれませんが。
一人女の子のキャラで当初は意識してなかったのにどんどんラテン風になっていってる子もいます(笑)
オーストラリアは自然の景勝地が数ありますがやっぱりオーストラリアの自然も大きな影響があります。
今ぼちぼちとプランしているストーリーはタスマニアのクレイドル・マウンテンをイメージした世界を舞台にしてます。
クレイドル・マウンテンは・・・実際には正確にはいったことがないんですよ。家族で行ったら入り口あたりでレンタカーが壊れてしまって。それが憧れをあおってるのかもしれませんが。
でもGoogleのイメージ検索でCradle Mountainで検索してみるだけでもなんとも美しい景色のイメージがページごとにたくさん見れて。
できればいつか実際にいけるときまでアイディアをゆっくり暖めたいです。
創作のロケになっている場所は観光地としても訪れる価値があるところばっかりなので頭を整頓して後日望みたいと思ってます。
そしてオーストラリアの人や自然のおおらかさ、というか(たまにはおおざっぱさも)、オープンさなどもいろんなキャラや世界の性格にも現れる・・・ような気がしますね。
だから日本人のキャラを書こうとしてもたぶん多少の違和感はでてしまうような気がします。
だからやっぱり日本舞台の話が書きにくいかな・・・
書き物は自分にとって趣味ですが、自分の中に常にある何かを表現できるようになるために・・・そしてもしかしたらオーストラリアの素晴らしいところを伝えるためもあるのかもしれませんが、とにかく自分の中の世界を広げ、表現を広げていきたいと思います。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ ヘブライの主題による前奏曲
いやーこれを聴くといい意味で背筋がぞわっとしますね。
この曲はオーケストラ版とピアノ+クラリネット+弦楽四重奏の室内楽版があるんですがぜひ後者をおすすめします。
そしてこだわりポイントがもうひとつ。ユダヤ系のクラリネット奏者(そしてほかの奏者もユダヤ系だとベター)で聴くのを強くお勧めします。
「ヘブライの主題」というだけあってものすごくそっち系統のフレーバー(というかにおい)が強い曲です。
その哀愁というかむしろ暗さがもうたまらないといいますか。独特の魅力があります・・・と続けたいところですが長くなりそうなのでいつかメインの記事のほうで。
私の持っているのはクラリネット奏者がギオラ・ファイトマンという人の演奏なんですが彼は調べてみたところ代々クレズマー(ユダヤの民族器楽)の奏者らしく・・・もうでもそれを知る前から彼の音を聞いてすぐわかりました。独特のビブラートのかけ方とか、強弱のつけかた・・・それに私は背筋がぞわっとしてるんでしょうか。
ユダヤ音楽や民族の背景のことなど勉強してから聴くとものすごく納得がいきますが、それがなくともきっとこの不思議な魅力は心のいつもはちょっと使わないようなアングルから攻められるかもしれません(笑)
ギオラ・ファイトマンのクレズマーのCDそのうち買おうかしら。
“Musicophilia” by Oliver Sacks
どうして人間という動物は社会的に、生存的に必要だとはいえない音楽というものにこんなに心を注ぐものなのか、という疑問から始まるこの本は音楽が人間の脳にどんなに不思議で特別な影響をもたらすか、そして人間の脳が音楽にどんなに不思議で特別な影響をもたらすかをさまざまな人の実体験とさまざまな研究を交えて探る・・・学術書ほどはかしこまっていなく、伝記的に偏ることももちろんなく、それでも専門知識をふんだんに含んだ本です。
人間に音楽は必要不可欠じゃないもののはずなのに人間の脳は音楽に対してとても特別に反応する、というようなことがいろんな病気や現象などの例を通じて書かれています。 たとえばパーキンソン病の患者のぎこちない動きを音楽がなめらかなものに変えること、音楽の特定のエレメントに不感応になるケース、脳の障害によって音楽性が芽生えたり、消失してしまうことから健常な人に見られる音楽的幻聴の病的幻聴との違い、絶対音感や共感覚、そして誰でも経験したことがあるでしょうメロディーが頭から離れなくなるメカニズム・・・脳と音楽に関することが何でも載っている、といっても過言でないかもしれません。
読んでいると脳がいかに不思議な物体(!)なのか、そして音楽がいかに脳と強いつながりを持つか、そしてそれなのに脳と音楽についての研究がどれだけされていなく、どれだけこの分野がミステリーに満ちているかを一つ一つのケースごとに思い知らされます。脳の奇跡的ともいえる常識を超えた力、というものが多くのケースで見てもうそれには驚くばっかりで。 むしろ本を読み進めるごとに「なんで脳はこんなに音楽を特別に扱うんだろう?」と上記の最初の疑問は深まるばかりですね。
個人的に興味深かったのは音楽によって引き起こされるてんかん発作のセクション、共感覚のセクション(共感覚保持者として)、そして奇妙な知能の低下パターンを持つウィリアムズ症候群の患者たちのセクションでした。
この本でまた面白いのは紹介されているエピソードの多くが音楽においてのさまざまなプロフェッショナルの体験談であることです。音楽は音楽家にとってどれだけ大切で、音楽家が持っている知識でどれだけ体験が変わるかというのもありますし、なんといっても本の中で言われている「音楽家の脳はそうでない人の脳と違う」ということも、音楽家特有の障害なども扱われている珍しい書籍だとおもいます。(なんといっても作者のコネがすごいんですけどね)
おそらく邦訳されてはいないと思いますが、それがなんであれ音楽を愛する人も、脳の不思議について知ってみたい人も是非読んでほしい本です。 こんなに専門知識がわかりやすく正確に著されている本も、芸術と科学がこれだけ近い場所で扱われている本は他にはきっとないでしょうから。
今日の一曲: たま 「サーカスの日」
たまのことはまたゆっくり話したいのですが、あんまり言葉でたまの音楽の魅力を語るのが得意ではないのとあと今日はちょっと出かけて疲れているので簡単に。
たまの音楽を昔から聴いてきて、そのころからこの歌を書き歌った滝本さんことGさんの容貌、声、作風、そして言葉にぞっこんで・・・今の私にもいろいろと影響があるんじゃないかと思います。
その中でも最近特に心を貫くなあと思うのがこの「サーカスの日」。一人さびしい夜にスピーカーではなくイヤホンで一人の世界にこもってきくとどんなに切ないものか。
音に対して言葉の数の多さが目立つこの曲、カラオケだと(入ってればの話ですが)大変そうですがその分思いが音楽にどれだけ詰まってるかが胸を締め付けるほど伝わってきます。
そしてスイングのリズムが心地よく、ジャズ風のピアノがちょろっと聞こえてくるのがまたよくて。昔小さいころ聞いてた時代のたまの音楽にはなかったエフェクトなども私にとっては斬新で。
「あなたの向こう背中の向こうの この世の果てみたいな色をしている風景はなに?
僕らは何をしてどこへ消えてゆくんだろう どこからきたの 今目の前いっぱいに広がる星たちよ ねえ暑くないの? 寒くないの? 悲しくならないの? ざわめきにふるえが止まらなくて こわくないの?」
このサビの部分が好きで好きで。言葉とフレーズの切りどころがずれてるところも好きだし、知久さんの1オクターブ上のコーラスがまた切なさをあおってもうどうしようもないくらい切なくて好きです。
難しいけど好きな人に歌ってほしいものですなあ(笑)
どうして人間という動物は社会的に、生存的に必要だとはいえない音楽というものにこんなに心を注ぐものなのか、という疑問から始まるこの本は音楽が人間の脳にどんなに不思議で特別な影響をもたらすか、そして人間の脳が音楽にどんなに不思議で特別な影響をもたらすかをさまざまな人の実体験とさまざまな研究を交えて探る・・・学術書ほどはかしこまっていなく、伝記的に偏ることももちろんなく、それでも専門知識をふんだんに含んだ本です。
人間に音楽は必要不可欠じゃないもののはずなのに人間の脳は音楽に対してとても特別に反応する、というようなことがいろんな病気や現象などの例を通じて書かれています。 たとえばパーキンソン病の患者のぎこちない動きを音楽がなめらかなものに変えること、音楽の特定のエレメントに不感応になるケース、脳の障害によって音楽性が芽生えたり、消失してしまうことから健常な人に見られる音楽的幻聴の病的幻聴との違い、絶対音感や共感覚、そして誰でも経験したことがあるでしょうメロディーが頭から離れなくなるメカニズム・・・脳と音楽に関することが何でも載っている、といっても過言でないかもしれません。
読んでいると脳がいかに不思議な物体(!)なのか、そして音楽がいかに脳と強いつながりを持つか、そしてそれなのに脳と音楽についての研究がどれだけされていなく、どれだけこの分野がミステリーに満ちているかを一つ一つのケースごとに思い知らされます。脳の奇跡的ともいえる常識を超えた力、というものが多くのケースで見てもうそれには驚くばっかりで。 むしろ本を読み進めるごとに「なんで脳はこんなに音楽を特別に扱うんだろう?」と上記の最初の疑問は深まるばかりですね。
個人的に興味深かったのは音楽によって引き起こされるてんかん発作のセクション、共感覚のセクション(共感覚保持者として)、そして奇妙な知能の低下パターンを持つウィリアムズ症候群の患者たちのセクションでした。
この本でまた面白いのは紹介されているエピソードの多くが音楽においてのさまざまなプロフェッショナルの体験談であることです。音楽は音楽家にとってどれだけ大切で、音楽家が持っている知識でどれだけ体験が変わるかというのもありますし、なんといっても本の中で言われている「音楽家の脳はそうでない人の脳と違う」ということも、音楽家特有の障害なども扱われている珍しい書籍だとおもいます。(なんといっても作者のコネがすごいんですけどね)
おそらく邦訳されてはいないと思いますが、それがなんであれ音楽を愛する人も、脳の不思議について知ってみたい人も是非読んでほしい本です。 こんなに専門知識がわかりやすく正確に著されている本も、芸術と科学がこれだけ近い場所で扱われている本は他にはきっとないでしょうから。
今日の一曲: たま 「サーカスの日」
たまのことはまたゆっくり話したいのですが、あんまり言葉でたまの音楽の魅力を語るのが得意ではないのとあと今日はちょっと出かけて疲れているので簡単に。
たまの音楽を昔から聴いてきて、そのころからこの歌を書き歌った滝本さんことGさんの容貌、声、作風、そして言葉にぞっこんで・・・今の私にもいろいろと影響があるんじゃないかと思います。
その中でも最近特に心を貫くなあと思うのがこの「サーカスの日」。一人さびしい夜にスピーカーではなくイヤホンで一人の世界にこもってきくとどんなに切ないものか。
音に対して言葉の数の多さが目立つこの曲、カラオケだと(入ってればの話ですが)大変そうですがその分思いが音楽にどれだけ詰まってるかが胸を締め付けるほど伝わってきます。
そしてスイングのリズムが心地よく、ジャズ風のピアノがちょろっと聞こえてくるのがまたよくて。昔小さいころ聞いてた時代のたまの音楽にはなかったエフェクトなども私にとっては斬新で。
「あなたの向こう背中の向こうの この世の果てみたいな色をしている風景はなに?
僕らは何をしてどこへ消えてゆくんだろう どこからきたの 今目の前いっぱいに広がる星たちよ ねえ暑くないの? 寒くないの? 悲しくならないの? ざわめきにふるえが止まらなくて こわくないの?」
このサビの部分が好きで好きで。言葉とフレーズの切りどころがずれてるところも好きだし、知久さんの1オクターブ上のコーラスがまた切なさをあおってもうどうしようもないくらい切なくて好きです。
難しいけど好きな人に歌ってほしいものですなあ(笑)
