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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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パズル的な考え方で一つネタ

お久しぶりです。前回更新したときから大きな世界としては変わらずの状況で、相変わらず仕事があるときは仕事をし、ピアノやバレエや編み物に励み、料理を作ったり頼んだりしたりテレビを観たり録画を整頓したり昔のサッカーの試合の配信でサッカー周りの歴史を学びいろんなネタに笑い過ごしています。

ここしばらくは家の大掃除をしてたのでなかなか頭が他に向かなかったりもしましたね。本を読むのもそうですが他にも色々、特に掃除は一度がっつり始めるとあれもこれもとなって労力も時間も精神力もものすごく費やすはめになるので始めることに関しては二の足を踏まざるを得なくてずっと先延ばしにしていました。
家の中はそれで綺麗になったんですが庭がまだ・・・秋冬は雨が多くなるそうなのでせっかく草むしってもすぐまた伸びそうだし(棚もないのに生えてる)藤もまだ元気だし。不動産屋もしばらくチェックこないらしいからまだ大掃除はいいかなあ・・・

ということであんまりブログに書くようなネタはなかったのですがちょうど先ほどFacebookの方で音楽関連の知り合いが面白いチャレンジやってたのでこちらで乗っかってみようかなと。
内容は自分が好きな「交響曲第○番」を1から9まで、作曲家がかぶらないように挙げていくというもの。

なんてモーツァルトとハイドンに不利な企画なんだ、というのはまあ置いておくとして実際やってみるとトリッキー。もちろん9つも書いてない作曲家も少なくないのですが一般的に有名だったり完成度が高い曲は作曲家の人生の後半に多いのでどっちかというと大きい番号の方が混み合いがちだったり。どうしてもかぶる時悩みながらどう対応するかが面白いですね。
先に書きますがベートーヴェンあぶれました。どうしても入らなかった。
そんな私のファイナルアンサーはこちら:

交響曲・・・
第1番:ショスタコーヴィチ
第2番:ラフマニノフ
第3番:サン=サーンス or グレツキ
第4番:ブラームス
第5番:プロコフィエフ
第6番:チャイコフスキー
第7番:ドヴォルザーク
第8番:ヴォーン=ウィリアムズ
第9番:マーラー

ベートーヴェンが入り得るとこ(5,6,7,9)見てもらえば分かると思いますが競争が激しいんですよ。
最初に不動のチョイスとして入ったのはチャイコですね(悲愴)。次にショスタコ。ものすごい好きな曲だってのもありますが「第1番」の完成度を考えると右に出る曲は少ないと思います。
第3番は結局一つに絞れてないですがグレツキの3番はあれはものすごい好きな曲なのですが自分のなかでそんなに「交響曲」としてはみてないかなあ、という。交響曲として、ということであれば安定のサン=サーンス。マーラーが9番に選べたのはラッキーもありますがものすごく満足です。

ヴォーン=ウィリアムズは色んな意味で不思議なチョイスかもしれませんが私はとても好きな曲。第1楽章ではチェレスタのパートも素敵で。
・・・とふと思ったのですが結構このリストも鍵盤楽器登場率ちょっと多めですね(1,3(両方),5,8)。続けて気になったのが自分が弾いたことのある率(1,2,3(サン=サーンスのみ),5,7)。パズルみたいなシステムで必ずしもベストofベストを選んでるわけじゃないけどやっぱり身近な曲は選ばれやすいかも。

結構こういうガチな姿勢で選ぶ系統の大事な曲ってコンサートに行って聴きたいけど手持ちのipodとか仕事BGMとかではあんまり聴かない曲が多いですね。家の音楽鑑賞環境は最高とは言えないけどたまには改めてゆっくり家で聴きたいです。


今日の一曲: カミーユ・サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」 第1楽章



今回サン=サーンスを第3番代表として選んでみましたがこういう縛りがなければあんまり交響曲をチョイスする企画で出したことないなあ、と振り返り。
オルガンの登場がものすごくインパクトがあって、あと映画「Babe」で最終楽章のメインメロディーが使われて有名な曲ですがそこまで、みたいな印象がどうしても。

確かにオルガンやピアノを使ってること以外でめざましく新しいことをしているわけでもなく(サン=サーンスは保守的なイメージが強めなのでそれを考えると新鮮ではありますが)、心を鷲掴みにされるような曲調でもなく。うーん。
でもそれでも良い曲なんですよ。

・・・という話を私がすると第1楽章後半(オルガンが実は初登場している)の美しさに話を持ってくのが定番なのですが今日紹介したいのは第1楽章前半。
先ほどの本文には書きませんでしたが今回のチョイスには「天気を感じる」曲が結構入ってきてるようなところがあって、このサン=サーンスの最初の楽章もそのくくりに入る曲で。
交響曲にストーリーを求めるか、というのはわりと最近(このブログのエントリー数的に)もした話ですがストーリーというか景色だったり視覚聴覚以外の感覚に訴える音楽はものすごく好きです。
空気の湿り気、巻き起こる風、嵐のときのなんともいえない心のざわつきを交響曲スケールで楽しめるというのはとてもわくわくします。

諸々の都合で残念だなと思うのがこの曲の録音を探したり選ぶときに「どこのオルガンと」「どこで録った」あたりの情報があんまり入ってこないことかな。生で聴くならMelbourne Town Hallでまた聴きたいな-。

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Trashy or Classy?
相変わらず生活の日常の一番日常の部分が続いている、という不思議な状態で。
仕事が少なめ(全く来ないわけではない)で時間は空くけど庭を掃除するとか家の中掃除機かけるとかそこまでする気にはならないほど今でも「日常」なようで・・・(掃除機はかけた方がいいけど)
それでもちょっとはメリハリ付けたほうが良いかなあ、とかちょっと違うこともやってみたいなあ、みたいな気持ちはあるらしくちょこちょこ行動に出てくるように。

多分その一環だと思うのですが昨日突然「せっかくSpotify活用してるんだから学生のときとかにほぼ環境音みたいに聞こえてきた色んなポップスとかそこらの歌を集めたプレイリストとかないかな」と思い立って「Trashy 00's」で調べたら色々出てきました。というか正確には90年代寄りだったようです(笑)年をとった明確な証拠ですなこれは。
もちろんプレイリストは作った人の趣味というかチョイスで色々ラインアップが違ってきますが私が一番「これが自分が思ってたやつ!」というプレイリストの名前が「this airn't trashy it's 90's classy」というもので。面白いです。楽しいです。そして懐かしいです。

そもそも今回求めていた、そしてこのプレイリストの名前にもなってる「Trashy」というコンセプトが面白いですね。ニュアンス(というかかなり拡大解釈)としては「クオリティはそうでもないけどキャッチーでよく流行って色んなところで聞く、でもその状態は必ずしも長く続かなくて、でも少し後になってまた耳にすると思い出す」みたいな。

ポップスだとそういう良く流れるキャッチーなところがある曲のラインアップは時代とともに変わっていくけどクラシックでのそういう音楽ってラインアップが変わらなく、ライトな層には根強い人気があり続けるところがあってやっぱりTrashyとは別物なのかな・・・みたいなことは思うのですがカテゴリとしては似てるところもあったり(だからってコアなファンも多い投票企画でそこまで票を入れることはないような気もするけどなあ・・・そこは別の話)

先ほどの「Trashy」の定義というほどでもない定義に「クオリティはそうでもないけど」と書きましたが音楽がTrashyであるのは音楽そのものの性質も一部あるけれど音楽の使われ方もかなり関係してるんじゃないかな、と思う節があります。音楽が使われる場、その場と音楽の関係性、それから使われる頻度。このブログでずーーーーっと前書いた覚えがあるのですが音楽が消費に耐えられる程度ってのも色々で、特にcontextとうまく絡まない場合は消費も早まるんじゃないか、みたいなことを考えたり。
それでも儚いといってもそうやってノスタルジーを介してしぶとく根強く長く愛されるという側面もありますよね。

ただクオリティとか摩耗とかも問わずTrashyと言える音楽でもノスタルジーに働きかけるところは大きいように思います。むしろクオリティが最高級じゃなく、消費に耐えられない儚さ(?)があるからこそノスタルジーは強くなる面もあるかもしれない。
(自分にとっても懐かしい曲ってかなり広い範囲でありますし人生の成り行きで決まっていくものではありますがTrashyなもの、手堅いもの、難解なもの、その他色々な音楽に若いうちからどっかでノスタルジーの種を植えていくのも面白いなあ、とちょっと思います)

あと流行ってた当時は聞くのが嫌になるほど耳に入っていて後からTrashyカテゴリに分類されるような音楽でもしばらく距離を置いて改めて聴いてみるとノスタルジー抜きでも「そんな悪いもんでもないじゃん」と思うものも少なくなく。クオリティはそうでもない、にしても悪くはないものも色々あります。というのがさっき紹介したプレイリストのタイトル「this airn't trashy it's 90's classy」にも含まれてるんじゃないかな。

色々書いておいてなんですが難しいこと抜きにして楽しい&面白い曲と再会できたことは嬉しいです。Trashyな音楽でも一生再会しないのも寂しいですしね。学生のころそういう音楽がある場自体に特別な思い出があるわけではないのですが音楽そのもの、雰囲気の懐かしさをめいっぱい楽しみたいです。


今日の一曲: エドワード・エルガー 「ため息」



最近入手したアルバムから紹介を、と意気込んだら本文の内容とものすごい真逆な曲を選ぶはめになった不思議。
去年のBBC Promsのラスト・ナイトのコンサートで知った曲なんですがその時にもしかしたら紹介してたかも・・・?まあいいや。

BBC Promsも今年開催されるかわからないですが毎年色んな音楽に出会って色んなコンサートのフォーマットを(遠くから)見せてもらって楽しみにしています。(開催されなかったらアーカイブでなんかやってくれないかなあ・・・)
その中でも一番有名な「ラスト・ナイト」コンサートはかなりお祭り感があるイベントで。
だからお決まりのレパートリーだったりポピュラーな曲も多くプログラムに組み込まれますしお客さんのノリもまた普通のクラシックのコンサートとはちょっと違う。

そんなお祭りのなかでこの曲に出会えたのはかなり予想外でした。イギリスのメジャーな作曲家とはいえマイナー気味でしかもどシリアスというかかなりしんみりした曲で。だからこそ特別耳を引いたというのはあるかも。計算の内?でもものすごいいい出会い方をした曲です。

Contextはさておき音楽自体もものすごく感動的、という感じではなく地味さがある繊細な美しさで出会ってしまった以上大事にしたくなる曲ですね。録音を購入するときもなるべく良い録音を選びたいと思いました。エルガーとかイギリス系であんまりメジャーじゃないレパートリーを聴くならサー・アンドリュー・デイヴィスが間違いないと思います。メル響でコンサート聴きにいった印象もそうですし、リンク先の録音にも収録されてるThe Music Makersを去年のBBC Promsで振ってたのなんかもそう。マーラー8番振りに戻ってくるのは(そのころコンサートやってれば)確定してますがまたメルボルンでそういうレパートリーも振って欲しいです。

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引き続き自宅で。
前回の更新から1週間、必須でない外出に制限がかかって数日のメルボルンにて。

来月にいくはずだったThe Ghanの旅関係のキャンセル手続きは概ね終わりました。
今回旅行関係は払い戻しでなく「今後また利用してくれたときに向けてツケにしておきますよ」というシステムをとっているところが多いみたいですね。既に前払いだったホテルもそうですがなんといってもThe Ghan自体の鉄道会社は支払った金額の100%じゃなくてなんと110%の金額を2022年3月末までとっておいてくれるらしく。金額もそうですが(値上げあると思われますし)期間を長くとってくれるのがかなりありがたい。こんなに手厚くしてくれなくても向こうもきっと大変だし絶対再挑戦する予定でしたがありがたく頂いておいて今後の楽しみにとっておこうと思います。

バレエのレッスンも中止になり。先週行っておいてよかったー。ポワント(トウシューズ)でのレッスンでちょうど先生がバリエーション(ソロのナンバー)の最初の部分を教えてくれたので休みの間もちょっと特別な宿題&目標ができて。「Satanella Variation」というバリエーションなのですがものすごく難しくなく、でもテクニックをきちっとする振り付けだそうで。ちなみに先生が参考にしてるのはこの動画です。

レッスンはないとはいえ何もしないで過ごすわけにはいかないのでとりあえず週に一回、普段レッスンがある水曜日に仕事部屋を利用してバレエの練習をすることにしました。
床はカーペット(しかも古いマスタード色の)ですしバーとして使えるのは心許ない洗濯物干しくらいですがなんとか今日1時間半、バーレッスン・センターレッスン・ポワントレッスンと試してみました。短めの時間で、限られてたスペースなのであんまり動き周りませんでしたがそれなりに運動量もあり。ただ今現在の身体の感じからしてハードワークはいつものレッスンに到底及んでない(汗)

そしてこういう状況でとにかくSpotifyが便利ですね。バレエレッスン用の音楽もアルバム・プレイリスト色々ありますし再生数が多いの選べばまず間違いない。今日使ったのはこれのパート1でとても使いやすい印象でしたが来週はまた違うのにしてみようかな。
それから世界色んなところのバレエ団がホームレッスン動画なども出してるみたいなのでこれを機にチェックしたいです。多分ちょっと自分には難しいかもしれないけどこういう時でこそ見たりチャレンジしたりしてみたい。

ということでまだ改善点は色々あるものの一つルーチンとモチベーションができました。
とりあえずは仕事もあるしピアノも秋レパートリーに移行中でいつも通りに練習を続けて、外の事がある程度影響あるながらも生活リズムに大きく変わることなく暮らしていけたらなあと思います。


今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 Op. 39-2



ラフマニノフの作品の話をするとほぼ毎回こういう話になるのですがほんとラフマニノフは頻繁に演奏されるやつじゃない作品がもっともっと評価されて欲しいです。
パガニーニのあれとか協奏曲第2番とかみたいないわゆる「ハリウッド的ラフマニノフ」じゃなくてがっつりロシアの土臭さが感じられる作品だったり20世紀的なところがある作風の曲だったり。

最近弾き始めたこの練習曲op. 39-2はマイナー中のマイナーってわけじゃないですがやっぱりそういう超メジャー級の影に隠れてしまう作品。ラフマニノフのピアノ曲として見ても技巧的でも華やかでもないですしね。でもある意味とてもラフマニノフらしい曲かもしれない。

この曲について話すときに必ず出てくるのがグレゴリオ聖歌「怒りの日」の引用。冒頭いきなり出てくる4つの音のモチーフがそれで、様々な形で現れ繰り返されるそのモチーフが作品全体を支配しているようで。ラフマニノフは「怒りの日」を色んな作品でいろんな形で引用してますがこの曲での使い方はかなり目立つように使ってるのでそれだけ追ってみるのも面白い聴き方になるかも。

自分にとってラフマニノフはずっとゆるぎなく「和音の作曲家」です。それは有名な曲でもマイナーな曲でも、ピアノでもオケでも合唱でも共通していて。一つの和音の響き方、和音を連ねることによる重厚なサウンド、そして特にこういう後期の作品では奥ゆかしいハーモニーとコード進行の作り方がものすごく魅力的です。無調ではないけれど調にとらわれない微妙な色合いのハーモニーで揺れ動き、様々な色に移動し発展していく様が好き。もちろんこの時代の色んな作曲家がそういう表現をしているのですがラフマニノフの半音進行はユニークなサウンドだと思います。

そしてその和音と色彩の移ろいを楽しみながらこの曲を弾いているとこの曲全体の息の長さ、音が作る空間の広さがとても愛しく思えます。ラフマニノフってほんと息がながいフレーズ書くの得意ですよね、この曲に限らず色んな作品で。自分がどっちかというとせっかちな人間・奏者だってのも関係してるかもしれませんが色々と勉強にもなりますし単純に心地良い。レパートリーとして大事にしたいと思います。

最初に書いた通り私の望みはラフマニノフのマイナーな曲に光が当たること。なのでリンクする録音も曲集がコンプリートで入ってる録音にしました。一つ一つ聴いてあげてください。どの曲にもそれぞれの魅力があります。

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Aiyaiyai
状況があれやこれや大変なことに。

2エントリー前に「最近は感想しか書くことがなくて更新頻度が減ってる」なんて言ってたらコンサートなど感想を書くようなイベントがすっかりなくなってしまったの巻。フォーマットチェンジについてのんびり考えようと思ったけどもうちょっと真剣に考えた方がいいかもなあ・・・という事態に。

ただ自分一人の身の回りだとそんなに生活に変化はないです。もともと用事が無けりゃ家に一人でいますし。サッカーとコンサートがないのは寂しいですし仕事が少ないのはやっぱり不便ですが主に黙々と日常ルーチンを回してます。
バレエ・・・は教室やってるし生徒の人数も少ないですし今日ぐらいの気温だったら閉鎖空間じゃないので(warehouse的オフィスみたいなところでやってるので暖かいとシャッターが開けられる)基本行く方向で。
大きい影響としては来月末の旅行がおそらくキャンセルになることなんだけど手続きなんかも色々あるのでもうちょっと様子見。

ちょうど今週かかりつけのGPとメンタルのドクターのところに行って免許更新のための診断書を書いたりなんだりしてもらったので日常ルーチン外で外に出る用事はこれでしばらくないかなあ。あとはスーパーマーケットが今どんな状況になってるかは気にしています(日曜日に行ったときはそんなに影響はなかった記憶)。

サッカーはあんまりここで書かないのですがスペインの方はコロナウイルスの流行がものすごくて大変で、メルボルン(ヴィクトリー)に関しちゃもうただでさえすごい不調なシーズンに泣きっ面に蜂に虻にヘビトンボくらい色んなものが重なってなんか無茶苦茶になってしまった妙な状況。スペインの方を見てると「どうなるんだろうなー」というぼんやりした不安なのですがこっちの事を考えると「何が?どうして?は?」ともっと動的な不安?に忙しいです。

各種コンサートが開催されなくなって音楽方面も多々ダメージを受け・・・ている中、術がある団体は本来やるはずだったコンサートをオンラインで配信したりなんだりしているところもあります。もちろんどこもが出来ることではないですがなるべくこういう試みは応援したいです。
身近でいうとメル響が月曜日のコンサートを公式youtubeチャンネルで配信したり。ストリーミングの質はたまに荒れ気味ですが(汗)でも時差の関係でヨーロッパやアメリカより聴きやすい時間に配信されるので是非。ただ集会の人数制限が100人(屋内)になったからこれからはどうかな・・・

あとこの機に絶対活用するべきなのがベルリン・フィルのデジタルコンサートホールアーカイブ無料開放。3月31日までに公式サイトに表示されるクーポンコードを入力すると30日間ベルリン・フィルのこれまでのコンサートやインタビューなどの映像・音声コンテンツが無料で楽しめるそうです。量も質もすごい。むしろどこから手をつけていいかわからないくらい。

それからキャンセルになったコンサートのチケット代を払い戻しでなく「とっておいてください」と寄付にできるようにしてる団体もけっこうあるようですね。私もACOのチケットは寄付にするつもりです(メールの返事がこないのでまだ確定してませんが)。メル響はチケット買ってなかったんで別に寄付するかな。ストリーミング配信やってくれるとなるとやっぱり金銭的にもちゃんと応援しなきゃってなります。

ということで開催されないはされないで財布の紐はゆるむ傾向にあるようですが色々な意味で頑張りすぎずにやっていきたいと思います。


今日の一曲: リムスキー=コルサコフ 「シェヘラザード」第4楽章



音楽界隈ではこの不安な時期に家で心を落ち着かせるための音楽が「#SongsforComfort」などのタグで公開されていて素敵な試みだと思うのですが個人的に今家に籠もっていて欲しくなる音楽はむしろ部屋で踊りまくったりしてストレス発散するための音楽かもしれないなあと(特に今後バレエレッスン行けなくなったりしたことを考えると・・・)。
なのでちょっと頭の中で踊り狂う音楽のリストを考えて見てます。ただこれ自分が家で一人で誰も見られずにやってることを公に出すという趣旨なんで実際にプレイリスト作ることを考えるとかなり恥ずかしくて躊躇してます(笑)

前述メル響のストリーミング配信でも演奏された「シェヘラザード」、やっぱり広く愛される曲ですね。私も小さい頃からよく知ってる曲で(両親も大好きな曲)、特にバレエをやるようになってからはこの音楽の踊りを強く誘う感が大好きで。ノイマイヤーさんの「ニジンスキー」で使われてるイメージも強いですがそれがなくてもものすごく踊る曲。ほんと家で踊り回りながら聞けて良かったです今回(笑)

特に第4楽章はテンポも速ければ回るようなリズムも楽しいしエキゾチックな雰囲気も素敵で楽器使いも色彩豊かで。トランペットのタンギングとかも真似しながら聞くと楽しいんですよー(もちろん踊り回りながら)。
そしてこのせわしく激しい音楽が向かっていく先の船の難破のくだりも聴いてて気持ち良い。ストレス発散カテゴリにはもってこいじゃないかと思います。もちろんスピーカーでどーんともいいですがイヤホン視聴でも。

リンク先は楽しく踊り回ってストレス発散テーマ重視でボロディンの「韃靼人の踊り」がカップリングされてる録音にしました。全体的にハイテンション気味(笑)両方弾いてても楽しい曲です。

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メル響コンサート「An Alpine Symphony」感想
最近ちょっと仕事が静かめながら趣味の方で色々情報量が多いことがあってなんだかんだで一日の終わりには頭がくたくたになっていることが多いです。
といってもポケモン(ソード)の内容自体の情報量よりオンライン環境設定したり理解したりナビゲートしたりする方に要する情報量のほうがしんどいのは多分年齢的な何かが関係しているとしか(汗)

情報量が多いつながりじゃないんですけど先週行ったコンサートの感想です。
今年はSidney Myer Music Bowlでの野外コンサートに行けなかったのでこれが今年初のメル響コンサート。
メル響は35歳以下対象に一部コンサートで35ドルチケットを出してるMUSOというプログラムがあるのですが年齢的にそろそろ対象外じゃなくなるのでたまには利用しなければ!
・・・ということで35ドルのチケット買ったら一番下の階のかなり前の方の席でした。悪くはないんですが好みがあるといいますか、特に今回のプログラム(後半)みたいな大編成で色んな面白い楽器が出てくるコンサートはやっぱりバルコニー席がよかったです。

ということでまずはプログラムから:
メルボルン交響楽団「An Alpine Symphony」
3月5日19:30開演、Hamer Hall
指揮:Alexander Shelley
Gordon Hamilton「Far South」(世界初演)
エドヴァルド・グリーグ ピアノ協奏曲 (ピアノ:Alexandra Dariescu)
(休憩)
リヒャルト・シュトラウス 「アルプス交響曲」

グリーグは色々あってなんか自分にとってはそんなに楽しく聴ける曲じゃないフィルターがかかってるのであれですが良い演奏でした。初日だからかなあ、ちょっとソロがせっかちな感じになってる箇所があったのは。
↑で見ても分かるかと思いますがグリーグってピアノ協奏曲一つしか書いてないのが今回聴いてちょっと勿体ない気はしました。第3楽章にアイディア詰めすぎというか、魅力的な部分がこんなにあるならロンド形式の一部分にしないでもひとつピアノ協奏曲書いちゃえばよかったのに的な。

グリーグのピアノ協奏曲はものすごく広く演奏されるポピュラーな音楽ですがアンコール2曲はどちらもレアものでした。1曲目はソリストの母国ルーマニアの作曲家(まだ誰か探せてない)の「Bacchanale」、2曲目はヴィラ=ロボスの「O polichinelo」。もともとソロのレパートリーでそういう曲も弾く人なのかしらん。
Bacchanaleは自分が知ってる限りのルーマニアの音楽のイメージ(ハンガリーに似たワイルドさとリズム、でもより旋律とか音階とか横の音の連なりが強い)でしたね。もっと出会いたいあちら辺の音楽。

最初の曲「Far South」ですが私とそう変わらない年齢のオーストラリアの作曲家による作品でした。砕氷船であり南極観測船であるAurora Australisに乗って南極Casey基地まで旅した経験から作曲したそうで。(ちなみに作曲家さんの公式サイトでのこの初演のお知らせで写真もいくつか載ってました)
楽器編成も変わっていて弦楽オーケストラ+録音オーディオ+その他任意のソリストや追加の奏者を加えた、ある程度自由がある編成になっています。
曲はとても好みに刺さりました。抽象的といえば抽象的の鑑みたいな音楽なのですが南極の風景ですし最も相応しい曲調なんじゃないかと。最近ポピュラーなミニマルミュージックのスタイルともちょっと違う表現。
なんといってもそういう表現の使い方(+オーディオとの組み合わせ)で編成からはなかなか考えられないスケールの壮大さを感じるのが素晴らしかったです。現代で活躍してる作曲家の作品で、後期ロマン派や20世紀の大作と同じコンサートのプログラムで肩を並べられる作品がこうやって出てくるのに出会うと本当に嬉しいです。


そしてメインディッシュの「アルプス交響曲」。前回メル響が演奏したの2016年って書いてあったからきっと前回も私聴いてる。仕事しながらとか家でとかだとあんまり聴かないのですがコンサートで生で聴ける機会は逃したくない。コンサートホールでその壮大さを味わいたい曲です。
ただ今回席がステージに近いということもあって音が溶け合わない状態で色々聴いてた感は否めないです(汗)それでもやっぱり(後ろの方の)金管のコラールが響くのとか聞くともう幸せで。
山に乏しい地形で長年過ごしているのでアルプス交響曲に出てくるような山は非日常中の非日常なんですが下山途中に辺りが暗くなって不穏になって嵐が巻き起こるくだりは今年メルボルンの夏で何度か経験した感覚にかなり一致してて思わず鳥肌が立ちました。全体的にそうですが特にこのセクションでシュトラウスが「描写第一」みたいな自由な表現いっぱい使っててじっくり細部まで聞いても楽しいです。

南極からヨーロッパの山まで色んな大自然を感じられるプログラムでしたがそれ以上に仮想移動距離もすさまじいプログラムでした。演奏順に書き出すとオーストラリア・南極→ノルウェー→ルーマニア→ブラジル→ドイツ。遠くに旅行にいけなくてもコンサートホールで座ってるだけでこんなに旅に連れてかれてしまうのはすごい。南極まで連れてってくれる曲はなかなか出会えませんが(だからこそ貴重でした)今年も引き続きコンサート行き楽しみにしています。


今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 「アルプス交響曲」



今何から書き始めようかとコンサートのプログラムを読んでいたらこの曲、137人編成のオケのために書かれてるんですってね(汗)大きい大きいとは思ってたし壮大な山の風景を描くならそれなりのサイズのオケをとは思ってましたが(特に合唱無しの作品で)137人は多い。ステージからはみでたりぎゅうぎゅうになってないか大丈夫か。
その中でも後ろにいる金管・打楽器周辺に比較的人数を割いてたりするので先ほども書きましたが生で聴くなら是非上から目で見渡せるバルコニー席をお勧めします。

交響曲でストーリー性がある作品ってかなりの少数派ですが数少ない例は強烈な個性のノイジーマイノリティ的なところがあるようで。ベルリオーズの「幻想交響曲」なんかその筆頭ですがある意味このアルプス交響曲もストーリー性と確固たる個性を持ち合わせている作品。景色の描写が主なので物語?というとちょっと違うのかもしれませんが人間が山に登って困難に遭ったりなんだりして戻ってくるという流れは一応ストーリー。ちゃんと各セクションに副題もついてる。

その人間の存在もまた自然の壮大さだったり荒々しさを描写するための小道具というかバイプレーヤーにとどまってるようなところはある中、聴き手として人間が道に迷ったり嵐が近づいているのを感じたり滝の美しさに心動かされたりして感じるのはやっぱり人間の感情、人間の存在で。なかなか奥が深いですし音楽のスケールだけじゃないところでこれほんとに一人の人間が書いたの?みたいな感覚はぬぐいきれない作品です。

そしてどうしてもこの曲のリンク用録音を選ぶときはジャケット画像で選びたくなる。もう検索するとわかると思うんですけど色んな山が使われてて比べるだけで面白い。白い雪に覆われた山も画になるけど実際氷河のくだり以外は言及がないんで現実的はこんな感じかな、と私が思うやつにしてみました。ハイティンク指揮ロンドン交響楽団ですし演奏も間違いないと思います。

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