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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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パズル的な考え方で一つネタ

お久しぶりです。前回更新したときから大きな世界としては変わらずの状況で、相変わらず仕事があるときは仕事をし、ピアノやバレエや編み物に励み、料理を作ったり頼んだりしたりテレビを観たり録画を整頓したり昔のサッカーの試合の配信でサッカー周りの歴史を学びいろんなネタに笑い過ごしています。

ここしばらくは家の大掃除をしてたのでなかなか頭が他に向かなかったりもしましたね。本を読むのもそうですが他にも色々、特に掃除は一度がっつり始めるとあれもこれもとなって労力も時間も精神力もものすごく費やすはめになるので始めることに関しては二の足を踏まざるを得なくてずっと先延ばしにしていました。
家の中はそれで綺麗になったんですが庭がまだ・・・秋冬は雨が多くなるそうなのでせっかく草むしってもすぐまた伸びそうだし(棚もないのに生えてる)藤もまだ元気だし。不動産屋もしばらくチェックこないらしいからまだ大掃除はいいかなあ・・・

ということであんまりブログに書くようなネタはなかったのですがちょうど先ほどFacebookの方で音楽関連の知り合いが面白いチャレンジやってたのでこちらで乗っかってみようかなと。
内容は自分が好きな「交響曲第○番」を1から9まで、作曲家がかぶらないように挙げていくというもの。

なんてモーツァルトとハイドンに不利な企画なんだ、というのはまあ置いておくとして実際やってみるとトリッキー。もちろん9つも書いてない作曲家も少なくないのですが一般的に有名だったり完成度が高い曲は作曲家の人生の後半に多いのでどっちかというと大きい番号の方が混み合いがちだったり。どうしてもかぶる時悩みながらどう対応するかが面白いですね。
先に書きますがベートーヴェンあぶれました。どうしても入らなかった。
そんな私のファイナルアンサーはこちら:

交響曲・・・
第1番:ショスタコーヴィチ
第2番:ラフマニノフ
第3番:サン=サーンス or グレツキ
第4番:ブラームス
第5番:プロコフィエフ
第6番:チャイコフスキー
第7番:ドヴォルザーク
第8番:ヴォーン=ウィリアムズ
第9番:マーラー

ベートーヴェンが入り得るとこ(5,6,7,9)見てもらえば分かると思いますが競争が激しいんですよ。
最初に不動のチョイスとして入ったのはチャイコですね(悲愴)。次にショスタコ。ものすごい好きな曲だってのもありますが「第1番」の完成度を考えると右に出る曲は少ないと思います。
第3番は結局一つに絞れてないですがグレツキの3番はあれはものすごい好きな曲なのですが自分のなかでそんなに「交響曲」としてはみてないかなあ、という。交響曲として、ということであれば安定のサン=サーンス。マーラーが9番に選べたのはラッキーもありますがものすごく満足です。

ヴォーン=ウィリアムズは色んな意味で不思議なチョイスかもしれませんが私はとても好きな曲。第1楽章ではチェレスタのパートも素敵で。
・・・とふと思ったのですが結構このリストも鍵盤楽器登場率ちょっと多めですね(1,3(両方),5,8)。続けて気になったのが自分が弾いたことのある率(1,2,3(サン=サーンスのみ),5,7)。パズルみたいなシステムで必ずしもベストofベストを選んでるわけじゃないけどやっぱり身近な曲は選ばれやすいかも。

結構こういうガチな姿勢で選ぶ系統の大事な曲ってコンサートに行って聴きたいけど手持ちのipodとか仕事BGMとかではあんまり聴かない曲が多いですね。家の音楽鑑賞環境は最高とは言えないけどたまには改めてゆっくり家で聴きたいです。


今日の一曲: カミーユ・サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」 第1楽章



今回サン=サーンスを第3番代表として選んでみましたがこういう縛りがなければあんまり交響曲をチョイスする企画で出したことないなあ、と振り返り。
オルガンの登場がものすごくインパクトがあって、あと映画「Babe」で最終楽章のメインメロディーが使われて有名な曲ですがそこまで、みたいな印象がどうしても。

確かにオルガンやピアノを使ってること以外でめざましく新しいことをしているわけでもなく(サン=サーンスは保守的なイメージが強めなのでそれを考えると新鮮ではありますが)、心を鷲掴みにされるような曲調でもなく。うーん。
でもそれでも良い曲なんですよ。

・・・という話を私がすると第1楽章後半(オルガンが実は初登場している)の美しさに話を持ってくのが定番なのですが今日紹介したいのは第1楽章前半。
先ほどの本文には書きませんでしたが今回のチョイスには「天気を感じる」曲が結構入ってきてるようなところがあって、このサン=サーンスの最初の楽章もそのくくりに入る曲で。
交響曲にストーリーを求めるか、というのはわりと最近(このブログのエントリー数的に)もした話ですがストーリーというか景色だったり視覚聴覚以外の感覚に訴える音楽はものすごく好きです。
空気の湿り気、巻き起こる風、嵐のときのなんともいえない心のざわつきを交響曲スケールで楽しめるというのはとてもわくわくします。

諸々の都合で残念だなと思うのがこの曲の録音を探したり選ぶときに「どこのオルガンと」「どこで録った」あたりの情報があんまり入ってこないことかな。生で聴くならMelbourne Town Hallでまた聴きたいな-。

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Trashy or Classy?
相変わらず生活の日常の一番日常の部分が続いている、という不思議な状態で。
仕事が少なめ(全く来ないわけではない)で時間は空くけど庭を掃除するとか家の中掃除機かけるとかそこまでする気にはならないほど今でも「日常」なようで・・・(掃除機はかけた方がいいけど)
それでもちょっとはメリハリ付けたほうが良いかなあ、とかちょっと違うこともやってみたいなあ、みたいな気持ちはあるらしくちょこちょこ行動に出てくるように。

多分その一環だと思うのですが昨日突然「せっかくSpotify活用してるんだから学生のときとかにほぼ環境音みたいに聞こえてきた色んなポップスとかそこらの歌を集めたプレイリストとかないかな」と思い立って「Trashy 00's」で調べたら色々出てきました。というか正確には90年代寄りだったようです(笑)年をとった明確な証拠ですなこれは。
もちろんプレイリストは作った人の趣味というかチョイスで色々ラインアップが違ってきますが私が一番「これが自分が思ってたやつ!」というプレイリストの名前が「this airn't trashy it's 90's classy」というもので。面白いです。楽しいです。そして懐かしいです。

そもそも今回求めていた、そしてこのプレイリストの名前にもなってる「Trashy」というコンセプトが面白いですね。ニュアンス(というかかなり拡大解釈)としては「クオリティはそうでもないけどキャッチーでよく流行って色んなところで聞く、でもその状態は必ずしも長く続かなくて、でも少し後になってまた耳にすると思い出す」みたいな。

ポップスだとそういう良く流れるキャッチーなところがある曲のラインアップは時代とともに変わっていくけどクラシックでのそういう音楽ってラインアップが変わらなく、ライトな層には根強い人気があり続けるところがあってやっぱりTrashyとは別物なのかな・・・みたいなことは思うのですがカテゴリとしては似てるところもあったり(だからってコアなファンも多い投票企画でそこまで票を入れることはないような気もするけどなあ・・・そこは別の話)

先ほどの「Trashy」の定義というほどでもない定義に「クオリティはそうでもないけど」と書きましたが音楽がTrashyであるのは音楽そのものの性質も一部あるけれど音楽の使われ方もかなり関係してるんじゃないかな、と思う節があります。音楽が使われる場、その場と音楽の関係性、それから使われる頻度。このブログでずーーーーっと前書いた覚えがあるのですが音楽が消費に耐えられる程度ってのも色々で、特にcontextとうまく絡まない場合は消費も早まるんじゃないか、みたいなことを考えたり。
それでも儚いといってもそうやってノスタルジーを介してしぶとく根強く長く愛されるという側面もありますよね。

ただクオリティとか摩耗とかも問わずTrashyと言える音楽でもノスタルジーに働きかけるところは大きいように思います。むしろクオリティが最高級じゃなく、消費に耐えられない儚さ(?)があるからこそノスタルジーは強くなる面もあるかもしれない。
(自分にとっても懐かしい曲ってかなり広い範囲でありますし人生の成り行きで決まっていくものではありますがTrashyなもの、手堅いもの、難解なもの、その他色々な音楽に若いうちからどっかでノスタルジーの種を植えていくのも面白いなあ、とちょっと思います)

あと流行ってた当時は聞くのが嫌になるほど耳に入っていて後からTrashyカテゴリに分類されるような音楽でもしばらく距離を置いて改めて聴いてみるとノスタルジー抜きでも「そんな悪いもんでもないじゃん」と思うものも少なくなく。クオリティはそうでもない、にしても悪くはないものも色々あります。というのがさっき紹介したプレイリストのタイトル「this airn't trashy it's 90's classy」にも含まれてるんじゃないかな。

色々書いておいてなんですが難しいこと抜きにして楽しい&面白い曲と再会できたことは嬉しいです。Trashyな音楽でも一生再会しないのも寂しいですしね。学生のころそういう音楽がある場自体に特別な思い出があるわけではないのですが音楽そのもの、雰囲気の懐かしさをめいっぱい楽しみたいです。


今日の一曲: エドワード・エルガー 「ため息」



最近入手したアルバムから紹介を、と意気込んだら本文の内容とものすごい真逆な曲を選ぶはめになった不思議。
去年のBBC Promsのラスト・ナイトのコンサートで知った曲なんですがその時にもしかしたら紹介してたかも・・・?まあいいや。

BBC Promsも今年開催されるかわからないですが毎年色んな音楽に出会って色んなコンサートのフォーマットを(遠くから)見せてもらって楽しみにしています。(開催されなかったらアーカイブでなんかやってくれないかなあ・・・)
その中でも一番有名な「ラスト・ナイト」コンサートはかなりお祭り感があるイベントで。
だからお決まりのレパートリーだったりポピュラーな曲も多くプログラムに組み込まれますしお客さんのノリもまた普通のクラシックのコンサートとはちょっと違う。

そんなお祭りのなかでこの曲に出会えたのはかなり予想外でした。イギリスのメジャーな作曲家とはいえマイナー気味でしかもどシリアスというかかなりしんみりした曲で。だからこそ特別耳を引いたというのはあるかも。計算の内?でもものすごいいい出会い方をした曲です。

Contextはさておき音楽自体もものすごく感動的、という感じではなく地味さがある繊細な美しさで出会ってしまった以上大事にしたくなる曲ですね。録音を購入するときもなるべく良い録音を選びたいと思いました。エルガーとかイギリス系であんまりメジャーじゃないレパートリーを聴くならサー・アンドリュー・デイヴィスが間違いないと思います。メル響でコンサート聴きにいった印象もそうですし、リンク先の録音にも収録されてるThe Music Makersを去年のBBC Promsで振ってたのなんかもそう。マーラー8番振りに戻ってくるのは(そのころコンサートやってれば)確定してますがまたメルボルンでそういうレパートリーも振って欲しいです。

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メル響コンサート「An Alpine Symphony」感想
最近ちょっと仕事が静かめながら趣味の方で色々情報量が多いことがあってなんだかんだで一日の終わりには頭がくたくたになっていることが多いです。
といってもポケモン(ソード)の内容自体の情報量よりオンライン環境設定したり理解したりナビゲートしたりする方に要する情報量のほうがしんどいのは多分年齢的な何かが関係しているとしか(汗)

情報量が多いつながりじゃないんですけど先週行ったコンサートの感想です。
今年はSidney Myer Music Bowlでの野外コンサートに行けなかったのでこれが今年初のメル響コンサート。
メル響は35歳以下対象に一部コンサートで35ドルチケットを出してるMUSOというプログラムがあるのですが年齢的にそろそろ対象外じゃなくなるのでたまには利用しなければ!
・・・ということで35ドルのチケット買ったら一番下の階のかなり前の方の席でした。悪くはないんですが好みがあるといいますか、特に今回のプログラム(後半)みたいな大編成で色んな面白い楽器が出てくるコンサートはやっぱりバルコニー席がよかったです。

ということでまずはプログラムから:
メルボルン交響楽団「An Alpine Symphony」
3月5日19:30開演、Hamer Hall
指揮:Alexander Shelley
Gordon Hamilton「Far South」(世界初演)
エドヴァルド・グリーグ ピアノ協奏曲 (ピアノ:Alexandra Dariescu)
(休憩)
リヒャルト・シュトラウス 「アルプス交響曲」

グリーグは色々あってなんか自分にとってはそんなに楽しく聴ける曲じゃないフィルターがかかってるのであれですが良い演奏でした。初日だからかなあ、ちょっとソロがせっかちな感じになってる箇所があったのは。
↑で見ても分かるかと思いますがグリーグってピアノ協奏曲一つしか書いてないのが今回聴いてちょっと勿体ない気はしました。第3楽章にアイディア詰めすぎというか、魅力的な部分がこんなにあるならロンド形式の一部分にしないでもひとつピアノ協奏曲書いちゃえばよかったのに的な。

グリーグのピアノ協奏曲はものすごく広く演奏されるポピュラーな音楽ですがアンコール2曲はどちらもレアものでした。1曲目はソリストの母国ルーマニアの作曲家(まだ誰か探せてない)の「Bacchanale」、2曲目はヴィラ=ロボスの「O polichinelo」。もともとソロのレパートリーでそういう曲も弾く人なのかしらん。
Bacchanaleは自分が知ってる限りのルーマニアの音楽のイメージ(ハンガリーに似たワイルドさとリズム、でもより旋律とか音階とか横の音の連なりが強い)でしたね。もっと出会いたいあちら辺の音楽。

最初の曲「Far South」ですが私とそう変わらない年齢のオーストラリアの作曲家による作品でした。砕氷船であり南極観測船であるAurora Australisに乗って南極Casey基地まで旅した経験から作曲したそうで。(ちなみに作曲家さんの公式サイトでのこの初演のお知らせで写真もいくつか載ってました)
楽器編成も変わっていて弦楽オーケストラ+録音オーディオ+その他任意のソリストや追加の奏者を加えた、ある程度自由がある編成になっています。
曲はとても好みに刺さりました。抽象的といえば抽象的の鑑みたいな音楽なのですが南極の風景ですし最も相応しい曲調なんじゃないかと。最近ポピュラーなミニマルミュージックのスタイルともちょっと違う表現。
なんといってもそういう表現の使い方(+オーディオとの組み合わせ)で編成からはなかなか考えられないスケールの壮大さを感じるのが素晴らしかったです。現代で活躍してる作曲家の作品で、後期ロマン派や20世紀の大作と同じコンサートのプログラムで肩を並べられる作品がこうやって出てくるのに出会うと本当に嬉しいです。


そしてメインディッシュの「アルプス交響曲」。前回メル響が演奏したの2016年って書いてあったからきっと前回も私聴いてる。仕事しながらとか家でとかだとあんまり聴かないのですがコンサートで生で聴ける機会は逃したくない。コンサートホールでその壮大さを味わいたい曲です。
ただ今回席がステージに近いということもあって音が溶け合わない状態で色々聴いてた感は否めないです(汗)それでもやっぱり(後ろの方の)金管のコラールが響くのとか聞くともう幸せで。
山に乏しい地形で長年過ごしているのでアルプス交響曲に出てくるような山は非日常中の非日常なんですが下山途中に辺りが暗くなって不穏になって嵐が巻き起こるくだりは今年メルボルンの夏で何度か経験した感覚にかなり一致してて思わず鳥肌が立ちました。全体的にそうですが特にこのセクションでシュトラウスが「描写第一」みたいな自由な表現いっぱい使っててじっくり細部まで聞いても楽しいです。

南極からヨーロッパの山まで色んな大自然を感じられるプログラムでしたがそれ以上に仮想移動距離もすさまじいプログラムでした。演奏順に書き出すとオーストラリア・南極→ノルウェー→ルーマニア→ブラジル→ドイツ。遠くに旅行にいけなくてもコンサートホールで座ってるだけでこんなに旅に連れてかれてしまうのはすごい。南極まで連れてってくれる曲はなかなか出会えませんが(だからこそ貴重でした)今年も引き続きコンサート行き楽しみにしています。


今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 「アルプス交響曲」



今何から書き始めようかとコンサートのプログラムを読んでいたらこの曲、137人編成のオケのために書かれてるんですってね(汗)大きい大きいとは思ってたし壮大な山の風景を描くならそれなりのサイズのオケをとは思ってましたが(特に合唱無しの作品で)137人は多い。ステージからはみでたりぎゅうぎゅうになってないか大丈夫か。
その中でも後ろにいる金管・打楽器周辺に比較的人数を割いてたりするので先ほども書きましたが生で聴くなら是非上から目で見渡せるバルコニー席をお勧めします。

交響曲でストーリー性がある作品ってかなりの少数派ですが数少ない例は強烈な個性のノイジーマイノリティ的なところがあるようで。ベルリオーズの「幻想交響曲」なんかその筆頭ですがある意味このアルプス交響曲もストーリー性と確固たる個性を持ち合わせている作品。景色の描写が主なので物語?というとちょっと違うのかもしれませんが人間が山に登って困難に遭ったりなんだりして戻ってくるという流れは一応ストーリー。ちゃんと各セクションに副題もついてる。

その人間の存在もまた自然の壮大さだったり荒々しさを描写するための小道具というかバイプレーヤーにとどまってるようなところはある中、聴き手として人間が道に迷ったり嵐が近づいているのを感じたり滝の美しさに心動かされたりして感じるのはやっぱり人間の感情、人間の存在で。なかなか奥が深いですし音楽のスケールだけじゃないところでこれほんとに一人の人間が書いたの?みたいな感覚はぬぐいきれない作品です。

そしてどうしてもこの曲のリンク用録音を選ぶときはジャケット画像で選びたくなる。もう検索するとわかると思うんですけど色んな山が使われてて比べるだけで面白い。白い雪に覆われた山も画になるけど実際氷河のくだり以外は言及がないんで現実的はこんな感じかな、と私が思うやつにしてみました。ハイティンク指揮ロンドン交響楽団ですし演奏も間違いないと思います。

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Gintaute Gataveckaiteリサイタル感想
留守が多いながらもご訪問ありがとうございます~
最近忍者ツールズからメールが来て何かと思ったらカウンターなど一部サービスが今後終了するという話で。ブログ更新もまばらながらカウンターもそれ以上に気にしてなかったので特にこれといって今は気にしてないのですが。
でも例えば何か別のきっかけでブログじゃないフォーマットを考えることもあるかな、という風には思いを馳せてみました。他のブログとかサービス(Noteとか?)に移行して「今日の一曲」をメインにしてたまに感想とか雑談とかという形式で更新頻度増やせるようにするのも手かな、とか。可能性としてはありかな。でも今は特に強く変えたいという欲求はないので(人生のお金や時間や労力の使い方の見直しの一つとして)ゆっくり考えることにします。

さてちょっと遅れましたが先日今年初のコンサートに行って来ました。(あと数日前にも今年初のメル響コンサートに行って来たのでそちらの感想もまた近いうちに・・・)
普段水曜日はバレエのレッスンの日なのですが今回弾いたピアノ友達はソロでのリサイタルの機会が少ないので急遽バレエは土曜日に振り替えて馳せ参じました。

1時間ほどのリサイタル、プログラムは下記の通りでした:
Melbourne Recital Centre「Spotlight」シリーズ
ピアノ:Gintaute Gataveckaite
ミカロユス・チュルリョーニス Druskininkai前奏曲集
フレデリック・ショパン 24の前奏曲
(アンコール:ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻 第1番の前奏曲)

チュルリョーニスは今回演奏した友人の母国リトアニアの作曲家でこの6曲編成の前奏曲集はオーストラリア初演だったそうです。短命な作曲家だったそうですがクラシック音楽史に名を残した最初のリトアニア人作曲家ということで現地では有名だそうです。そして短命にも関わらず作風のものすごい変化があったそうで、同時代のスクリャービンにも通じるロマン派→無調含めた混沌みたいな経緯をたどっているらしいです。
今回演奏されたDruskininkai前奏曲集は初期の作品だそうですがそのうち後期も・・・?とか言ってたので楽しみにしています。

Druskininkai前奏曲集ですが今回ショパンの前奏曲集と合わせた関係もあってショパン的?という印象よりもちょっとしたスタイルの違いの方が目立ちました。どっちかというとフォーレの前奏曲集に近い雰囲気もあったような。(自分がフォーレの方弾いて親しんでる影響はあると思われますが)ロマン派からより独特な作風に道を歩んだ作曲家って変化前のスタイルはそんなに個性がないケースも多い気がしますが、でもこの前奏曲集には主張が強いわけじゃないながらもそれなりに味があった印象。

ショパンの前奏曲もバラで聴くことは多いですが(日本だと良い例が某胃散のCMですね)こうやって生で24曲全部じっくり聞く機会は少なくがっつり楽しみました。短いやつはあっという間ですし緩急あるので24曲あっても飽き知らず。
このブログでも24つの調の個性やキャラクターについて色々書いてきましたが(というか直近が前のエントリーのアウエルバッハでしたね)、ショパンの前奏曲集はその各調のキャラクターをかなり大事にしている気がします。もう一セット書いてって言われたら無理っていうんじゃないかと思うくらい(笑)

ただ単体でものすごく印象が強い使われ方をすると全体を聴いててもそっちのイメージにものすごく引っ張られますね。先ほど言及した某胃散のCMのイ長調もそうですし、バレエ「ニジンスキー」の冒頭でニジンスキーのラストダンスに使われたハ短調もそう。きっと一般的に一番有名な「雨だれ」の変ニ長調について似たようなことを言う人もいるんじゃないかな。それだけ個々の曲がそれぞれの道を歩んでいるということで。これからもふとしたきっかけでこの曲集から別の前奏曲が単体で有名になったりとかするのかな、それもまた楽しみです。

そしてプログラムとしての全体の流れもよかったです。コンサート後の飲みで話になりましたがほんと「アルバム向き」の曲の組み合わせ。有名な曲にあんまり知られてない曲を合わせる、歴史的にもつながりがあるポーランドとリトアニア、そして前奏曲同士というのもそうですが音楽として聴いた時に言葉で説明しにくいけど相性の良さがあるので。私は買いますよ、録音が出るようなことがあったら。

あとやっぱりこないだのアウエルバッハにはまったタイミングでこのリサイタル聴けてよかった。また24つの調の色と個性をなんらかの形で探っていきたいです。


今日の一曲: フレデリック・ショパン 前奏曲ハ短調



私が今日の一曲でショパンを出すなんて珍しい(笑)でもほぼ「ハ短調」という調の話になりそうです。

そもそもこの前奏曲、平たく言えばコード進行4フレーズだけの曲とも言えるのですがその響きというかエフェクトというか24曲の中でも特別印象に残るところがある曲です。(正にその特徴が変奏曲の主題に向いていることもあってラフマニノフが「ショパンの主題による変奏曲」の主題に使ったりしてます)

短い曲で、心に残るようなメロディーもほぼ無い中でこの曲がなぜ強烈な印象を残すかというとやっぱりハ短調という調の特性が大きく関係してるんじゃないかと思います。
ハ短調の有名どころの曲といえば同じショパンだと「革命」エチュード、ベートーヴェンの「運命」や「悲愴」ソナタ(ベートーヴェンはハ短調得意ですよね)、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番あたり。
音量と和音でものすごいパワフルな感情、特に燃えるベクトルのAngstを表すのによく使われる調です。特に前述「悲愴」ソナタとかラフマニノフの冒頭の和音、それだけでかなり語れますし飲めますよ。むしろメロディーが付くとおとなしくなる傾向があるハ短調。

そんな和音の比重が大きい調というのもあってピアノで弾くと映えますね。さっきの例もほとんどピアノ曲。2本の手、10本の指の中で収まる音がこんなにパワフルに響くというのは気持ちいいです。ピアノを弾いたことがある人はちょっとこの前奏曲弾いてみるといいですよ、短いですし簡単は簡単な中でものすごい満足感も得られるし聴き手にもインパクト与えられるので。

リンクする録音はどうしようか、ショパンとかショパン弾きには詳しくないしなあとへっぽこピアノ弾き丸出しで考えてたのですが今日は国際女性の日ということもあってアルゲリッチ演奏で。同じショパンのピアノソナタ第2番がカップリング曲ですがこれは変ロ短調で、各楽章&前奏曲の変ロ短調を聴き比べてみるのも面白いかもしれませんね。

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夏のピアノレパートリー
今頃気づきました過去エントリーに拍手ありがとうございます。
そんなに更新してない上にそのそんなにのうちでもたまにしか拍手チェックしないしそもそもそれでも把握できていない気が。改めて申し訳ありません(汗)

さて色々新しいCD買ったりもらったり新しい楽譜買ったり曲弾き始めたりこれでは「今日の一曲」でちまちま紹介してたらものすごい時間がかかってしまうことに気づいたので自分で弾いて練習してる曲は一つエントリー立ててこんな曲弾いてるよ、こんなアプローチでいるよ、みたいなことをまとめて話すことにしました。まだ弾き始めですがちゃんとした音楽的な話などカバーできなかった部分はいずれまた今日の一曲で。

・セルゲイ・プロコフィエフ ピアノソナタ第3番
一時帰国前から引き続き弾いてるやつ。単一楽章の短めのソナタだけどプロコフィエフらしいトリッキーさが隅々まで詰まってて必要な労力は複数楽章構成のソナタに負けてない。とにかくほぼ全体がタランテラに支配されてるソナタというところがものすごいツボなのですが、プロコフィエフは自分にとっては「指をしっかりさせたい時に弾く」みたいなところがあって特に一時帰国から戻ってきた後は効いています。でもやっぱりメインにするなら第2番の方が好きだなあ。

・アルベルト・ヒナステラ アルゼンチン舞曲集
前弾いてたクレオール舞曲集よりもさらに小さい曲集ですがより民族音楽風味が強い荒削りさが魅力。とにかく楽しく南米の音楽が弾きたいのが一番ですがスローな第2楽章は単独で弾いてもいいくらい素敵な曲なのでさらっと弾ける懐刀にと企んでます。最終楽章も弾けたら絶対楽しいし盛り上がるのですがすごい難しそうなので今はとりあえず目を合わせないようにしています(笑)

・イサーク・アルベニス 「イベリア」より「エル・アルバイシン」
まだまだ続けてイベリア攻略中。スペインの地理だったり地方ごとの音楽文化だったり独特のハーモニーやピアノ使いに慣れるべくじっくり取り組んでます。4曲目にしてやっとカルチャーショック的な感覚が薄れてきたかな?やっぱり南の方の音楽の和音とかリズムのエキゾチックな感じいいですね。あとピアノだからこそできるスペイン音楽のスタイルってのがあるんだなとなんとなくこの曲集を通じて思うようになってきました(ギターとかをまねるだけではなく)。最終目標はラバピエスですがそこに至る道のりも楽しみたいです。

・フランツ・リスト 「巡礼の年」第3年より「エステ荘の噴水」
「巡礼の年」、ちょっとお休みしてましたが改めて再開、メインディッシュの第3年です。第2年を先に弾いたのが功を奏したか、というとちょっと微妙なところです(少なくとも技巧的には全然別物ですし)。ただ前大学の友人が話してた「内容に対して音が少ない」(第3年全般)というのは薄々感じてます。そういう意味では音をある程度弾けるようになって音楽的なことを考えられるようになるのが楽しみですね。

・モーリス・ラヴェル 「水の戯れ」
ラヴェルの作品の中で自分がなんか苦手としてる珍しい曲なのですが夏はラヴェルが弾きたいし↑とも関係がある曲なのでタイミングがあるなら今しかないと再習得することに。でもピアノにおける水の表現を色々味わい楽しむのにはこの2曲は外せませんね。そしてやっぱりラヴェルの世界とか表現はなんか独特だしラヴェルの技巧を練習するにはラヴェルを弾くしかないなと改めて。

・アレクサンドル・スクリャービン ピアノソナタ第10番
最大の曲者。というかスクリャービン弾けばいつでもどれでも最大の曲者なのですが。スクリャービンのソナタ第6~10番みたいな楽譜を買って、どれを聞いても良く分からないしそんなに差が無いように思えてとりあえず前書き読んで決めたのですが、でも最終的に自分のなかで確固たる解釈ができて馴染んでものすごく好きになるという確信はあるんですよ。スクリャービンって不思議。その全く分からないカオスの状態とだんだん馴染んで自分の一部になるプロセスを味わいたくて今回また取り組み始めました。あとは技巧的に弾けるようになるかだけ(汗)

ということで今弾いてる曲が短期的に何かにつながるとかそういう雰囲気はほぼないですが色々楽しみながらレパートリーを広げていきたいです。個人的にはヒナステラがお手軽な感じで楽しみですがスクリャービンのじっくりな楽しみにもものすごくわくわくしています。なので今日の一曲はまずスクリャービンから。


今日の一曲: アレクサンドル・スクリャービン ピアノソナタ第10番



前述の通り後期のスクリャービンって何聞いてもぱっと聴き違いが分からないというかなんかこう変な暗い・・・?とも断言しがたいぐにゃぐにゃなカオスみたいなところがあると数曲弾いてものすごく好きな私でも思うのですが、でもある日突然?じわじわ?分かるようになって、でもそれを言葉や音楽で説明しようとするとできなくて、スクリャービンの音楽と向き合ってる時だけ確信が持てるみたいな不思議な世界。

技巧的にもそうなんですよね。スクリャービンの作品を弾き進めて「なるほどなるほど」って思っても冷静になるとものすごく理不尽な和音・音のつながり・リズムを要求されてることに気づいたり。片手で5拍子×もう片手で3拍子とかほぼ初見でもなんとなくできるようになっちゃうの自分でもおかしいと思う。

後期のピアノソナタもみんなそんな感じなので一つ選ぶために何かとっかかりを、となると先ほど書いた通り前書き頼りで。第10番は作曲家自身によると「太陽のくちづけである」「昆虫のソナタ」だそうで。昆虫題材の曲はあるにはあるのですが何せ少ないので昆虫好きとしてはもう弾かなきゃならない、という経緯で第10番を選びました。

弾き始めて2週間くらいですがさすがにまだ「昆虫」は感じられてません(笑)まだ完全なるカオスの中です。でも何かつかめるだろうなーとは確実に思ってますしそのなんらかの幻影が見られるのが楽しみ。

現代音楽全般に言えるのですが全然分からなくても飛び込んでみる人がもっと増えるといいなと思ってます。分からないことは挑戦しない理由にはならないはず。あと全く分からないってわけじゃないケースも多いと思うんですよね。きっと思いもよらない答えが色んな人の色んなところにあるはず。

スクリャービンの名手というホロヴィッツはどういう考えや思いでこの混沌に向かったんだろう、と思いながらホロヴィッツによるスクリャービンのソナタやら小品やらの詰め合わせをリンク。そして初期から後期まで色々聞き比べてこの作曲家の不思議さを存分に味わってください。ほんと謎しかない。

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