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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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続報2種
昨日に引き続いてまた更新。
精神関係カテゴリといえばそうなのか?くらいの話ですが関係はしてるのでこれで。

以前このエントリーで書きました双極性障害についての研究、唾液サンプルを提供してくれませんかというお便りが来ました。めでたしめでたし。ちょうど先日サンプル用キットも来たところで。とりあえず説明など文字の部分はざっと目を通しました。

唾液のサンプルを取る手順自体はそんなに難しそうではないですがサンプル取るタイミングとかに決まりがあるようなので(送り返すまでにある程度余裕がありますが期限までに)読み返したりシミュレーションしたりせねば。一応唾液の量とか時々意識してるんですけど大丈夫かな?みたいな量な気がします。リチウム飲んでるのが主因だと思いますがそこは頑張らなきゃ。
ちゃんと役立つサンプルが採れるといいなあ。役立ちたいですよこれは。

そしてこの数週間悩んでた動悸息切れですが昨日お医者さんに行ったときに「軽い運動誘発ぜんそくかもしれない」と言われて今日シティに行ったときにさっそく薬を買ってシティを歩き回る前にさっそく使ってみたら呼吸が大分違いました。これはビンゴかもしれません。(ただし薬を買う前にも寄り道したりして一度バテてるので疲れたは疲れた)
時々息を大きく吸う必要ができるのですが息を吸ったときちゃんと空気が肺に入ってくる感。息ができるっていいな!と思わず喜びそうになりました(笑)
ただ本番は、というかちゃんと違いを試すのは明日のバレエのレッスンで。バテて一番困ってるのがバレエなのでこれが解決すれば万々歳です。

精神的な原因があるのかも、と言われてたのでちょっとほっとしています。別に心理的な要因があること自体は全然悪いとかそういうことは無いのですが、血液検査が異常なしで返ってきて「そうかメンタルの調子がこんなに身体に悪影響与えるんだ・・・」と凹みがちでしたし、激しい運動なしに息苦しい時に不安症状じゃないかと心配になったりしたので。やっぱりそこら辺はきっぱりはっきりさせておいたほうがいいのかな。少なくとも今回は別だと分かってどちらも対応しやすくなった感があります。あと前も書きましたが軽躁とかとの兼ね合いとかも考えるとぜんそくの方が不安症状よりもずっと扱いやすい。

ちょこっと調べ物したら運動誘発ぜんそくは体力を維持することも大切みたいですね。薬で発作(自分の今のはそういえるレベルのではないような気もしますが)を抑えることによって苦にならず楽しくより長い時間運動ができるようにして、結果体力を維持できるようにする。
これはメンタルの方の薬との付き合い方と一緒ですね。薬でなるべく調子を安定させてそれを土台にさらに調子を改善してしっかりできるような仕組み作りをしていく。
(私は基本的に自分の健康でもなんでも、特にメンタルヘルスに関してはシステムでがっちりなんとかしていくやり方が好きです。もちろんそれをやるには例えば薬とかドクターのサポートで底上げ土台作りが必要ですが。)

とりあえず今後うまいこと運動前とかに薬を吸入してバレエのレッスンやそこらへんほっつき回ってるくらいでバテないようになりたいです。どっちも自分が楽しくてやってることですし一応日常アクティビティの一環ですからね。苦しくちゃ不便。
あと何回も書いてますが秋冬はメンタル方面のマネージメントもちょっとレベルが上がることが予想されるのでできるだけ全体的にいい状態を保ちたいものです。


今日の一曲はおやすみ。また長いこと留守にせずちゃんと書いて今日の一曲もちゃんと書く。

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A small setback
さてさて諸々の事情の話を書きたいという時間です。
前回のエントリーが木曜日に行ったコンサートの話だったのですがその日の朝ちょっと困ったことが起こりまして。

この日朝7時45分、自然覚醒してちょっとしてからのまさかのパニック発作になりかけ。
ベッドに寝たまま心臓の鼓動がいきなりどきどきしてからの思考がcatastrophizingからのまた身体感覚の急激な変化とさらなる思考のパニックまで来たところで「これはパニック発作になる!」と気づいてから思考にものすごいブレーキかけて深呼吸して(仰向けで良かったかも?)本格的になる前になんとか食い止めてなんとか二度寝したという経緯。

こないだの双極性障害についての質問票でも書いたのですがこれまで2回、もう10年前にパニック発作を起こした経験があります。突発的で以来調子が良くなっても悪くなっても再発してないので一時的な、メインの持病とはあんまり関係ないものだったのかなあ。もちろん知識としてもどういう事が起こるかは知っていますが実際の感覚をかなり覚えてた(ので早く気づけた)ことに自分でもびっくりです。

その時とは違って今回は未然に(どこからどこが未然なんだろうってのがよくわかりませんが)食い止めたのですがそれでも後まで影響ありました。心の調子が階段を2,3段踏み外したくらいの感覚。気分の落ち込みや全体的な弱気だけでなく体の感覚がしばらくおかしかったです。咳をしたくらいでまたパニック反応が起こりそうになるので色んな刺激に対して意識的に「大丈夫大丈夫何でもない」的なことを言い聞かせて。刺激に対するすべての反応の経路がパニックに通じてしまうのを繋ぎ直すみたいなほんとめんどくさい作業でした。

幸いにもそこまで急ぎじゃない仕事が手元にあったので刺激弱めの音量で刺激弱めの音楽を聴きながら集中力がないなりにのろのろ仕事を進めることで時間が過ごせて良かったです。少なくとも自分の場合こういうときに何もしないってのは悪手だと思いました。まずは何か無理なくできることがないか探してみて、だめだったら何もしないで完全に休むという方針。あと何かすることに決めても普段のペースから数段落とすことに気をつける。さらにそれに限らず小さいことでも「できた」ということを大事にする。

まあ集中力ないついでなので仕事しながらネットでめぼしいメンタルヘルス団体のサイトをあさってパニック発作など不安方面を後で復習するためにリソースを探してたんですけどなかなかナビゲートが難しいウェブサイトが多くて地味に困る。リソースを求めるのは判断力とか分析力が落ちてる人たちだからぱぱっとシンプルに探せるフォーマットがいいなあと思ったり。あと外部リンクのリンク切れとかは論外ですね。
最近だとfacebookとかSNSを介したサポートやリソース共有がメインになってるところもあるのですが色んな人が色んな性質の書き込みがあって、特に個人体験やなんかの話は情報を探してる時には邪魔にもなったり。Twitterだとさらに文字制限やサムネ表示フォーマットなんかもあってぱっと見という部分で難しい。

で、結局は昔入院したときの入院中プログラムでもらったプリントを引っ張り出したのですがやっぱりこれが一番ですね。特にセルフケアや自分で思考のゆがみを直したり「退院後また病状が落ちたら」というところに焦点を当てたワークシートがあったりほんと助かります。もちろん医療としては最初の入院からもうすぐ20年、最後の入院から10年経って色々進歩とともに変わってることもあると思われますが今も通じる・使えるスキルやなんかもたくさんあります。

今回はメンタルの調子が落ちやすい時期とはいえ「普通の不調」の範囲外の、予期してなかったカテゴリの不調が起きたのですが本格的なパニック発作になる前になんとかできたこと(本格的になってたらリカバリにどれだけ時間とエネルギーが必要だったんだろう・・・)、それから仕事にしろ復習にしろ「動く」方向に自分の思考と行動を持ってけたのがよかったと思います。
おかげで同日のコンサートも昨日のサッカー観戦も(どちらも着くまでは弱気が残ってましたが)支障なく行けて楽しめて。ついでに仕事も納期通り+余裕ありで納品できてよかったー。

そして復習としてプリントは読むだけでなくそのうちまったりノートにまとめたいと思ってます。その方が入ってきますしプリント他色々資料が入ったファイルを掘り起こさなくて済みますしなにより万年筆で手書きすることが自分にとってリラクゼーションになるみたいなので。手書きもネタがないとできないのでこういう事態になった時に書けるものは頭の隅においておきたいところです。


今日の一曲はお休み。まだ書きたいトピックがあったことに気づいたのでそのときにゆっくり。


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一通のsnail mailから
暑い日も多分今日で終わり、だんだんと気温が落ち着いてきて編み物日和になってきました。
新しい毛糸もネットで取り寄せてしばらくストックは安泰、というか消費がおいつくのが心配な感じになってきました。でもそこは直視しない。

その毛糸が届いたときに郵便屋さんが「お手紙の方もあるんでどうぞー」とポストに入れずに手渡してくれた中にちょっと珍しい手紙が。
というか紙の手紙(e-mailに対してsnail mailとこちらでは言いますが)自体が珍しいんでなんだろうと思ったらMedicare(国民健康保険的なやつ)からのconfidentialなお手紙。税金関連のお手紙にしては早くないかと思ったらどうも違うようで。

内容は双極性障害についての研究に参加しませんか、という内容のもの。なんでも双極性障害とその治療の効果に関して遺伝学的な要因を調べているらしいです。ここ数年で炭酸リチウムの処方が記録にあったからお手紙が来たらしく(まあここ数年どころかもう20年近く野飲んでるんですけどね、自分でもびっくり)。なるほどそういう使われ方もあるんだ。
オンラインの質問票+もし条件に合致したら唾液のサンプルを提出してもらう、みたいなことだったので参加することにしました。

臨床研究は色々な段階でお仕事に関わってくるのでその過程とかには親しみもあり(同意書も読む前からどんな感じのことがカバーされてるかだいたい分かってたり)、なので参加者側として違うアングルからアプローチできることに結構わくわくしました。そして仕事でこの分野はあんまり出会わないのでメンタルヘルス、特に双極性障害の分野に貢献できるならできる形で貢献したいと思ってましたし。しかも遺伝学ってさらにまた面白い。それにこういうところが焦点の研究なら大分症状や病状が落ち着いても貢献できますしね。

ということでとりあえずはオンラインで質問票3セットに答えてきました。トータルで1時間くらいかかったかな?もうちょっとかかったかも。でも必須なのは最初のだけだった様子。精神的・身体的な健康や病歴だけでなく双極性障害を患った体験(といえばいいのか)の詳細だったり薬のことだったり遺伝的なことにつながるであろう趣旨のちょっと違う質問だったり色々ありました。

もちろん質問に(記憶にあるかぎりなるべく)正確に答えようと真剣に取り組みましたがそれと同時に質問の言葉遣いだったり、一部の患者さんにとって答えるのがしんどいであろう質問に関する配慮だったり、シンプルにストレートに聞いて客観的な答えを得ることが難しい項目の攻め方みたいなことを分析しながら答えるのも面白かったです。前も全く別の分野で答えた質問票も色々な工夫と配慮があったのですが「質のいい答えを得るための質問の仕方」ってほんと大切。

で、質問は全部答えて(もちろんそのままオンラインで)提出したのであとは唾液サンプルが欲しいとなったらまた連絡がくるらしいです。どういう基準で選んでるのかな。単純に「双極性障害を患った」「それに対して治療を受けた」ということなら適格だと思うんだけど。
あと唾液サンプルどれくらい要るんだろう。双極性障害の治療でよく使われる炭酸リチウムの副作用として口の中が乾く、唾液の分泌が減るみたいなことはよくあるそうなので(私もそうらしいです、歯医者さんにはだから虫歯にはより気をつけなさいって言われました)あんまりたくさんは求められないと思うんだけど。

自分の遺伝子がどうだとかそういう結果はこっちには返ってこないわけですが先ほど言ったとおり貢献するのが嬉しいですし何か今後オーストラリアでここらへんトピックで発見があったら小躍りしたいです。
ただサイトのトップを見る限り目標の5000人中2000弱しかまだ参加者が集まってないみたいなのでまずは研究が進むよう参加者が増えることを願うばかりですね。
もちろん私もこれで貢献終わりじゃないのでできることがあれば一枚でも二枚でも噛んでいきたいです。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 世の終わりのための四重奏曲 第5楽章「イエスの永遠性への賛歌」



こないだの土曜日、バレエのビギナーの方のレッスンに行った時バーレッスンだけトウシューズを履いてみるという試みをやって全身が筋肉痛になりまして。それはもう水曜のレッスン以上ってわけじゃないんですが変なところが変に痛くてなかなかしんどかったです。(ただそれでも明日も再挑戦する予定)
その一部だったのかなんか知らないのですがまた肘の中の腱?を痛めたようでピアノも数日の間時間+内容両方控え目にしてました。

その控え目メニューの一部としてこのメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」の第5楽章・第8楽章のゆっくりな和音を改めて指で味わってみようと思って(ほぼ)初見で弾いてみたりしてました。もちろんメロディーを弾いてくれるチェロ・バイオリンの人はいませんし自分で歌えるほど器用でもないですがメシアンはメシアンなので和音だけでも十分内容が豊富ですからね。和音だけでご飯が食べられる。

第5楽章と第8楽章は音楽の性質的にものすごく似てますが私自身の好みだったら第8楽章に軍配を上げちゃうかな-。(元チェロ弾きですが・・・)最後の楽章だけあってささやかにドラマ多めだしメロディーも伴奏のリズムも和音もそれぞれちょっとずつこっちの方が好き。
でも今日は第5楽章の紹介なんです。

メシアンの使う色とりどりの和音は大体ピアノソロ曲でも音が7つとか8つとか9つとか重なって出来てることが多いのですがこの「イエスの永遠性への賛歌」のピアノパートはほぼ全部が3音くらいの和音で出来てます。それでもシンプルながら色んな色でできてるし十分すぎるほどメシアンの色彩だってわかる。

この楽章をピアノ弾きとして弾いてちょっと気になったのがテンポ。楽譜通りにいくと44bpmでただただビートを刻んでいくパートなんですが色々なかなか難しい。メシアンのスローな曲って結構みんなそれぞれの理由で数字に忠実じゃないテンポを選ぶのですがこの曲の場合チェリストの腕が落ちない程度のテンポで弾きたいよねー、みたいなことは考慮したほうがいいのかな。最終的にはチェリストに従うことになるんだろうし。

それでも自分にとってはメシアンのスローな曲は元の数字に近いところにうまく乗るテンポが必ず見つかるという経験があるので(最終的にそのテンポにするかは別として)、この楽章に関してもいいフィーリングのビートを自分なりに見つけたいなと思ってます。見つけないと夜眠れないとかそういうことは全然ないんですがやっぱり思い出してちょっとむずがゆいので。

自分なりにテンポをみつけたいといえばリンクした録音にいっしょに収録されてるトゥーランガリラ交響曲のスローな楽章もそういうのがいくつかありますね。自分が指揮者だったらどんなテンポを選びたいか。メシアンの音楽はかなり細かく指示があるのに奏者によって解釈がかなり多様に分かれるのが面白いので自分でも自分の解釈を持ちたくなりますし、聴く方としては色んな録音を聴き比べるのもまた楽しみがあります。

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Established
突然の2日連続更新です。しかも久しぶりのメンタル系エントリー。
というのも久しぶりにドクターのとこに行ってきて色々思うことがあったというわけで。

ドクター(ちなみにここ数年で休みにちょくちょく日本に行くようになってすっかり日本好きのアジア系オージーになったようです)とのアポが年2になって、大体内容も日常諸々送れてるか+血液検査とか薬とかの話+その他双極性障害周りに直接関係しない参考情報でさくっと30分しないくらいな流れになって数年経ち。薬もこの先止めていく方向になるか、みたいな話も2回くらい出てます(1回目は前回のアポで秋冬を前にしてちょい自信ないなーみたいなことは言いましたが)。

今日は特にこれまでを振り返って、とまではいかないもの(さくっと30分しなかったはずなので)これまでに積み上げてきたものに言及することがあり、それで後からノスタルジーというか色々思うことがあり。

今のドクターに変わってからもう10年ちょい?くらいになるのかな。薬で状態を底上げして(というか双極性障害なので上も下も安定化、が正しいかな)、結局どれだけ効いたか評価は難しいながらもECT(電気けいれん療法)も受けて。
それに加えての自分の趣味を軸にした認知行動療法を続けてその中で生活指導にも多分かかる生活などでの諸々のルーティンの確立だったり自分の状態を評価する手はずだったり諸々のイレギュラーに対する解決策や予防策なんかを練ってきたりしたわけです。

10年くらいかけて色々学んだり試したり構築してきたものが実を結んで、天気や気候の変化だったり生活リズムの変化(旅行含む)だったり趣味を増やしてみた結果だったり、そういう外的要因にメンタルがゆらぐことはほとんど無くなった気がします。例えば前回のエントリーで書いた「旅前に(=ルーティンを壊すことに)不安を感じなくなった」なんかが良い例ですね。前はもっと融通が利かなかったというかルーティンにしがみついてた感が。今では強固かつフレキシブルなシステムがしっかり確立された実感があります。

だから最近もっと旅に出てみたくなったり試合毎に一喜一憂したりたまに夜更かししたりがある趣味であるサッカーに没頭してみたり、そういうのもいけると自信がついた気がしますね(もちろんこれからも気をつけなきゃいけませんが)。なるほどそういう経緯でこう感じられるようになったのか、と腑に落ちながらちょっと誇りに思ってます。

前のエントリーにも書きましたが「自分にとって機能するシステムを構築する」というのはものすごい楽しいというか満足感があるというか、自分にとって力になりますね。機能するだけにとどまらずそのシステムを超えて自由がきくって上等も上等じゃないですか。よくやったよ自分。

ということでお祝いとまではいかないし(高い万年筆をこないだ買った手前)自分にご褒美という気分でもないのですがとりあえず一つmilestoneの記録としてここに書きたいと思いました。あ、でも薬を完全に止めることになったらそのときにはお祝いかな。まあそれはその時に。


今日の一曲: パブロ・カザルス 「鳥の歌」



前回のスペイン音楽の続きの話にちょっとなるのかな。この曲は全く別件で聴いてた曲ですが。
帰りの飛行機はクラシック音楽結構面白いのがあったのでSlava Grigoryanのアルバムを聴いてみたりハープ音楽を聴いてみたり、そしてリンクしたチェロ+ギターのアルバムがあったので聴いてみたり。楽器の組み合わせも好きながらこの曲を始め曲の取り合わせもなかなか面白く、でも結局寝て過ごしてしまったので今度購入して聴かなければ(汗)

さてこの「鳥の歌」は作曲家が偉大なチェリスト、パブロ・カザルスとなっていることが多いですが元々はスペインのカタルーニャの民謡です。前回のエントリーでスペイン各地方の音楽の特色としてカタルーニャはメロディーが強いと書きましたがこの曲は良い例です。シンプルだけどパワフル。歌うのもそうですがチェロで弾くのもまたいい。さらにその上に歴史的政治的な背景を乗っけるとさらに強烈です。(それなしでも美しいですけどね!)

このアルバムもチェロのメロディーで泣かせる曲結構入ってますね-。ラヴェルのカディッシュとかもう大好き。ちゃんとは聴いてないですがシューベルトの歌曲とかジョン・ラターの歌曲とかも食指動きまくり。同じスペインだとアランフェスがまたメロディーの名曲ですがファリャの「ホタ」がちょっと違う路線で面白い(リズムが強い方のスペイン)。オーストラリアからKats-Cherninの有名なのが入ってるのも嬉しい。あとはバッハ以前の声楽曲とかももっと聴いてみたいしいやあこのアルバムほんといつか入手せねば。そしてチェロの編曲に対する強さ半端ないですね。ありきたりな曲でないところでこんなにバラエティがあるアルバムもなかなかないし(半分くらいしか聴いてないけど)オススメしたいです。



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Reflection
2018年明けましておめでとうございます。
今年もちょこちょここちらに顔を出す予定ですのでまたよろしくお願いいたします。

今回クリスマスも大晦日もお正月も家で過ごして穏やかなことこの上ないfestive seasonでした。
大晦日は伝説ポケモンを捕まえたり漢詩(杜甫・王維あたり)を書き写したり短歌を書き写したりエミリー・ディキンソンの詩を読んだり奥飛騨のウォッカを飲んだり10年くらい前のQさまのスピード漢字バトルを観たり(これは観るときには自分も紙とペンと出して挑戦するのがしきたりになってます)。万年筆ライフ楽しみすぎ。(ポケモンでもメモ取りしてますしね)

家にいるからかもしれないですが花火の音が近い方から遠い方からすごかったです。メルボルンだとDocklandのが有名ですが他にもどこかでやってたのかな。もちろんシドニーとかみたいな規模ではないですがまあそれなりに。それがメルボルン。

そして家にいるかもしれないですがあんまり新年という気がしないです。
それだけでなく去年の色んなタイミングからちょっと自分の中で懸案中の案件がいくつかありましてそれをそれなりに労力と時間をかけて引き続き考えているのもあり。
詳細は(まだ?)書かないんですけど、もう今頃になって「自分探し」みたいなことはあれながら30年あまり当たり前に思ってきたことを改めて考え直すのは生半可なことじゃならないようで。去年から引き続き(外から見ても全然ですが)自分の中で色々変化がある時期を迎えてるようです。

そうやってぐるぐるしてると「もうこれもっと若いうちに少しでも気づけば・知っとけばよかった!」みたいなことはちょくちょく出くわします。そこはまあ今そう思ってもしょうがないのですが、でもそもそも最近まで生活やメンタルのことで「落ち着いた」と感じられるまでは行ってなかったなと。例えば10代のうちに今考えてるようなことに気づいたとして、今みたいにじっくりゆっくり構えて考えるようなことは性格的にも心の余裕的にも絶対無理だったと思います。

10代~20代のころはほんとに鬱とそれに付随する諸々が自分のキャパの多くを占めたなあ、と振り返って思います。それがある程度落ち着いてどれだけ楽になったか、というとその鬱の部分があるだけでどんだけ人に対して負担がかかるんだろう、ということに思いを馳せています。
そういう意味でも例えば薬による治療でまずある程度なんとか負担を減らすってのは大切なんですね。それなしには次の何にもつながりにくいというか。治療に限らず。

表立って何か目立つことをしているというわけではないですし急ぎのことでもないですが変化だったり新しい事だったりは怖い、というほどのものでなくても難しいものですね。
その反面新しいことを知ることは(上記の漢詩とかと同じように)楽しいようで、その心持ちがあればまあ大丈夫かーと気楽に構えられるようになったのは多分成長のあかし・・・なのかな?
少なくとも思い詰めないで考えられるようになって多分色んなことが楽になってるはず。

ということで私が何の事を話してるのか詳細を一切伏せたままずっと書いてしまいましたが実際のところについてはいつかなんか文章にできるくらいまとまってから&書きたい気分になってから書くかも知れないし書かないかもしれない、ということで。もしかしたら、いずれ。

なにはともあれ新年。気持ちを新たに、とはなかなかいかないようですが引き続きのんびりと日常もこちらも続けていきたいと思います。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第1番第1楽章



今日は元日なんでなんらかの「第1番第1楽章」を今日の一曲で書きたいなと思ってました。ただ最近も書いたように私は基本晩年の作曲フェチなのでこういう作品番号が超若い作品にぴんと来にくいこともあり。
そんななかでショスタコは特別です。作曲家としても特別ですしこの交響曲は2回弾いてますからね。

この交響曲はショスタコが(まだハリポタの面影が強い)二十歳前に作曲された作品なのですがこれを聞いて「すげえもうショスタコのスタイルが完成してる!」って驚くのと同時に「これベートーヴェンとかモーツァルトにすっごい似てる!」と驚く自分が居ます。説明するのは難しいのですが時代・作風の違いだったり交響曲という共通の形式を差し引いて残った何かがすごい似てると思うんです。
ショスタコは20世紀においてベートーヴェンに一番近い作曲家、というのが自説なのですがこの交響曲はその要素が特に強い作品だとなんとなく思います。

そしてこの交響曲第1番は交響曲という形式にピアノが初登場した作品・・・なのですが残念ながら第1楽章では未登場。第2楽章では大活躍です。
でもこのシンプルでオケの音が楽しめる第1楽章ではピアノの出番はそもそもないと思います。皮肉は痛烈だけど特に第2主題のワルツでは楽器の音の柔らかさが素敵で、室内楽にも似た近さから暗い方向に爆発する広がりとかミクロ単位のメリハリとか、完成はしてないながらもショスタコの魅力がちゃんと存在してる第1楽章です。

そしてショスタコはこの第1番と最後の第15番を対比してみるとすっごい面白いと思うのでリンク先録音もその組み合わせにしてみました。指揮は昔(私が大学生の頃)メル響で振ってたOleg Caetani。20代vs60代の作品、年を重ねて変わったことも多々ありますが変わらないこともあり、はたまた一周回って戻ってきたこともあり。音楽と作曲家の人生の繋がり、そしてショスタコの音楽にまた一つ親しみを持ってもらえればと思います。

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