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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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昔のブツを掘り返していたら
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。

ここ数日どういうことか、もしかしたら頭に色々詰めすぎたのか考えすぎたのかほぼ何も考えられない状態で(刺激に対して反応する形でのみ意識的に考えられるみたいな)。頭がフルキャパになってしまったというか、苦痛とはまた違うのですがなにか色々おかしい状態で(それも気づくのにちょっと時間がかかった)。
今日はでも大分楽になって余裕が出来ました。寝てる間に大分こなれたかな。こんなところにも気をつけなきゃいけないですね(汗)

そんな状態で頭がぐるぐるするのを抑えられず一昨日から昨日にかけて自分が過去に書いた創作文(非公開もの・書きかけ・メモ・設定含む)を読み返してました。
基本恥ずかしかったりなんだりで最近メモしたものも読み返すのも難しいときもあるのですが、読めるときは結構前に書いたものもゆっくりじっくり読めたり。
それこそ本当に(気分がのってるときでも)とんでもなくこっぱずかしいものももちろんあるのですが、アイディアだったりピンポイントな要素だったり読んでて楽しかったり、何らかの形で再利用できたらいいなあ、と思う物に出会うことも多いです。

そうやって色々自分が書いたものを読んでると身にしみて思うことが一つ。
・・・自分ほんと食べる・飲むことを創作に盛り込むのが好きだなあ!
どんな作品でも(単発で遊びで書いたものでも)ほぼ食べたり飲んだりするシーンが入っている(二次創作の場合は元の設定にもよりますが)。
オケでコンサートの後に飲みにいったり、野外でバーベキューやったり、ワンタンを包んだり、旅路で会った人間に雑なシチューを振る舞われたり、お茶をのんだり物に乏しい世界で工面してご飯をつくったり、etc. etc.

私自身食べることは好きですがそんなに食にこだわりがあるわけでもなく、でも食べたり飲んだりするシーンを書くのは好きみたいです。そういうシーンがあるのが自然というのもありますが、どうも書くのが楽しいらしい。
ちなみに自分のところのキャラでひどく偏食・少食なのが一人いるのですがそんなキャラクターの偏食ぶりを書くのも好きだったりします。(だから必ずしも複数の登場人物でわいわい食べたり飲んだりするのが好き、というわけでもなさそう)

自分のとこのキャラクターたちがどんな食べ物が好き・嫌いでどんな飲み物を飲むか、とかそういうことについては早い段階から把握する(まあは分かっている)傾向はあると思います。
何をいつ、どういう風に食べたり飲んだりするかというのが分かると少なくともそのキャラクターの日常での動きは割と見えてくるような気もします。
それに加えて複数の人物が同じ場所で食べたり飲んだりするときの行動とか振る舞い方なんかも見えてくるような。食がコミュニケーションのきっかけになることも少なくない。

思えば食欲は基本的な欲の一つですし、食は日常の基本的な要素の一つ。
なので食は人間(または類似の生物)を形作る基本中の基本、みたいなことは言えるかもしれないですね。
そして食文化は特に外国・異世界を舞台とした作品で世界観を作り上げるのにものすごく大切です。異世界舞台の作品での食文化ってほんと難しい!
オーストラリア舞台の話では作中でちょこちょこ食文化を紹介できたらなあ、と思っています(思ってはいるのですが実際反映できてるのは少ないかも)。

色々考えてみると食は創作のなかでかなり重要な役割をもつ要素だなーと改めて思うのですが、同時に食はものすごく身近なものなのでアプローチしやすい要素でもありそうですね。
何か世界観とかキャラクター描写とか諸方面で詰まったら食べたり飲んだりしてるところを思い浮かべたり、そういうシーンを作ったり・・・すでにしているかも。(なのでそういうシーンが多いのかも)

ということで色々読み直して恥ずかしかったり懐かしかったり、はたまた再利用欲が湧いたりこれからまた(細々と)頑張りたいなという気持ちになったりしました。
頻度・速度はあんまり上げられないながらもこれからもちょこちょこ書き続けていきたいです。読み返す楽しみも楽しみに。
(一応某所で公開してるのも続行中ですが、そっちでも公開しない完全に遊びのものとかもまた書いてみたいですね)


今日の一曲: 核P-MODEL 「Timelineの東」



今年の1月(だいぶ経ってしまったのでもはやいつだったか記憶があやふや)に平沢師匠のTwitterで核P-MODELのライブのUstream中継があると聞いて聞きに行ったものの音質の関係で聞こえなかった部分多々ありで、ちょうどそのちょっと後に両親がマレーシアから日本に一時帰国したためリベンジ兼ねて核P-MODELの最新アルバム「гипноза(Gipnoza)」を日本で購入して送ってもらった・・・という経緯。

それがものすごく正解でした。ものすごく好きなCDです。まだ平沢進名義・核P-MODEL名義どちらもCD1枚ずつしか持ってないので全体がどうとも言えないのですが少なくとも前回買ったCDよりこっちの方を愛聴しています(あとやっぱりクラシック内外である「より後の方の作品が好きな法則」もありそう)。なによりリズムに惹かれています。

ツボった曲はいくつもありますがその中でも暗い方面では「Dμ34=不死」がお気に入り、そして明るい方ではこの「Timelineの東」がお気に入り。CDの最後で、確かライブでも最後に演奏されてた記憶が(あやふやagain)。

なんたって最初っから色彩が素晴らしい。この色んな色の見える感、どこかはかなさというか切なさがある光がたまらない。
それからペンタトニックの至る所での使い方・現れ方が素敵で。聴き始めから惚れずには居られない。

で、あまりにも強烈に一聞き惚れしてしまったためにすぐさまこの曲が「特別なので頻度抑えめに」の引き出しに入ってしまって実は回数はまだそんなにたくさんは聞いていなかったり。
でもその数少ない聞いた回数の中には2月のWhite Night Melbourneも入ってて、あの夜の闇の中の幻想的な色とりどりの光のイメージがこの曲にリンクしていたりもします。

それにしてもこの曲始めこのCDから多くの曲があっというまにヘビーローテーションに入ってびっくり。こりゃ次も核Pを選んでしまいそうだなあ・・・
あと生で聴いてみたい欲も増進中。色々条件が合致すれば果たして・・・?

拍手[0回]

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創作用誰得キーワードto音楽:8つのエレメント
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~

最近仕事が忙し・・・・い、というほどでもないんですがちょっとお給料お支払いのタイミングの関係でなるべく今やってる案件を終わらせない、という焦りがあるのかな、どうも創作の方にあんまり頭が向かない(11月のあれ再来か)。
ピアノはでもそこそこ進んでるんですよね。おそらく最難関と思われるイソヒヨドリとラフマニノフ(op.39-7)がなんとか軌道にのってきたというか固まってきたというか。でも音楽的な解釈とかはちょっと今頭が回ってないかも。金の魚。

でもやっぱ創作関連でなんかしてないとほんとつまんないんですよね。ちゃんとした文を書くとまで行かなくても小ネタとかアイディアとか・・・ちょこちょことでもできたら。
締め切りとかないから「必要性」はないんですができないととにかくつまらないんだー!

・・・と叫んだところで今日はまだ形になる見込みが立ってないとある創作企画に関連したキーワードto音楽。
創作自体のことは何も公開しないしまだメモが山積みになってる状態でそもそも誰得!?という企画ですがちょっとやっておきたかったので。
よくファンタジーで四大元素とかのエレメントがあるけれど今回「8」というのがキーナンバーなので8つにしたい、という経緯で。

といっても四大元素を真っ二つにするわけにもいかず、どうしようかと悩んでいたところにTwitterのフォロー先さん(本企画に噛んでいる)からの『白と黒を2つずつに分けたらどうだろう』というアイディアがあってなんとか8つに分かれてくれました。
まだまだ各エレメントのイメージとかこのシステムがどう生きてくるのか、とか分からない部分も多いのですがとりあえずぱっと曲を探して聴いて各エレメントがどんな感じかちょっと分かるようにキーワードto音楽に仕立ててみました。
(ついでに自分にとっては各エレメントを得意とすると思われる作曲家の並びもイメージ固めるにはよかったのでそれも追記。このエレメントに作品が常にフィットする作曲家、ではなく「このエレメントの描写があるときは光るな」と思う作曲家です)

火: ストラヴィンスキー 「火の鳥」より「魔王カッチェイの凶悪な踊り」
(作曲家: ストラヴィンスキー、シューマン、スクリャービン)
激情、情熱、何かを始めること、直感、技術。広がるエネルギー、熱、灯、威圧、破壊、再生、覆す力。踊り。

水: ドビュッシー 「海」より「波の戯れ」
(作曲家: ドビュッシー、シマノフスキ、武満)
創造性、芸術、音楽、優柔不断、柔軟性。冷静、流動。純粋、浄化、ゆっくり苦しめること、隠れた危険。

地: チャイコフスキー 交響曲第6番 第1楽章
(作曲家: チャイコフスキー、ブラームス、ヒンデミット)
不動、不変、恒久。形が残る芸術形態。守り手、沈黙、実質、現実。頑強、保守。

風: ラヴェル 「クープランの墓」より「前奏曲」
(作曲家: ラヴェル、ヴォーン=ウィリアムス、メンデルスゾーン)
コミュニケーション、言葉、速さ、めまぐるしい変動。天気、透明。運、賭け事、天気屋。

天: メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第5曲「子に注ぐ子のまなざし」
(作曲家: アデス、モンポウ、メシアン)
感性、マイペース、完全性。散じる光、色彩よりも光を重視、抽象性。鈍感、 時間、自由。

雷: エルガー 「エニグマ」変奏曲より第7変奏曲「Troyte」
(作曲家: ベートーヴェン、リゲティ、マーラー)
突然、単純、予測不可能。直進する光、エネルギー。電気、ネットワーク。明るさ、強さ、飽きっぽさ。

虚: ショスタコーヴィチ バイオリンソナタ 第1楽章
(作曲家: ショスタコーヴィチ、クラム、ペルト)
無限、無、空間、真空、吸収。空っぽの黒、冷、孤、ポーカーフェイス、つかみどころのなさ。

闇: バルトーク 「4つの小品」より「葬送行進曲」
(作曲家: バルトーク、プロコフィエフ、ルトスワフスキ)
精神、深淵、本能、夜。中身が詰まった黒、操る手技、謀略、計算、偏屈。


・・・とまあこんな感じです。なんとなーく、各エレメントのイメージが伝わるかしらん。
白=天と雷、黒=虚と闇の違いをなんとか説明したかったのですよ。ショスタコは「闇」も得意なのですが、同じ黒でも「虚」の方も得意なんですよね。その良い例がバイオリンソナタの第1楽章で。
あとは「雷」とか「天」とかは作曲家のラインアップを書き出して自分で納得がいきましたね。特に「雷」は一見ばらばらのラインアップに見えてちゃんと共通点があるかと。
特に「闇」と「虚」について色々考えるきっかけになったのは割り当てやってよかったな、と思います。ただ創作ではここからまだ考えること一杯ですが。

ということなんだか終始unconvincingなのですが今回はここらで。
今日の一曲はお休みです。

拍手[1回]

To destroy and create
前回のエントリーに拍手ありがとうございます-。

昨日書いたピアノの諸々懸念により今日は新しい曲を練習し始めてみました。
フォーレの前奏曲と、ラフマニノフの練習曲op.39から第7番。前者はできれば9曲中5つ選びたい。今のところ6曲まで絞ってます。後者は初めてな上に想定レパートリーの中だと一番難しいと思われるので早めにある程度こなしておきたい。
万が一大きなコードが無理だったときのためにも(万が一、ですが)。
ただ弾くことよりも今は一番時間の管理とプランニングが難しい。それから曲のチョイスも。

新しく曲を始めたり、昨日書いたゲームの諸々の理解だったり、創作の設定やキャラクターを考えたり、色々やってると自分は(せっかちな割には)熟考タイプというかスロースターターというか、とにかくじっくり腰を据えて考えることが必要だな、ということに気づいてきて。
全部が全部がゆっくりなのも困るなあ、と思うのですがよくよく考えて見ると何をするにしても基本のプロセスは一緒なような気がします。

ピアノで曲が弾けるようになって自分の演奏になっていく過程も、ゲームの世界観や設定を理解してゲームプレイに応用するのも、創作でキャラクターを作ったり世界を創ったりするのも、全部まず「破壊して」それから「作り上げる」プロセスから成ってるな、と思います。
破壊する、というのは字面ちょっとあれかな。要するに対象物(曲だったりキャラの全体的な印象だったり、または自分の見るもの聞くもの全般)をまず細かい部分に粉々に消化する、という意味で使ってるのですが。
作り上げる、はそのまま。破壊されたピースを集めて、それだけれなく自分が持ってるリソースなどもピースとして持ち寄って集めてそれも合わせて作る。もちろん破壊した前のものとは同じものにならない。

曲だったら習得する過程で一旦曲の全体像よりも個々の音、強弱、ハーモニーなど細かい部分にフォーカスして、そこから作曲家の意図を汲んだり自分の解釈などを加えて、自分のできることを踏まえて自分の演奏を作っていく、とか。
ゲームだったらクリーチャーの種類や特性、使える魔法とか個々に把握して、それをゲームの運びに応じて使っていく、とか。
創作だったら、例えばキャラクターの全体像がぼんやりあって、そこから虫眼鏡でみるみたいに詳細を一つずつ詰めていって完全な一人のキャラクターに仕立て上げていく、とか(この場合一次創作よりも二次創作のほうがこのプロセスに忠実かな。目の前にあるキャラクターを一旦自分の中で性格とか行動パターンとか癖とか思考回路を細分化してまた作り上げるみたいな。そういう意味ではもしかしたら物真似もそういうプロセスになるかも)。

ゼロから作り上げる場合でも「破壊する」プロセスは存在すると思うんです。自分の中にすでにある諸々、そして日々インプットされて糧となる、見聞きする諸々が何かを創る際には(部分的にでも、そして無意識でも)破壊されると。
自分にとってはこの「まず破壊する」プロセスがものすごく大事で、かなり意識してかみ砕くことが必要で時間もかかるものなのですが、逆にそれが労力を費やさずにできる人もいるんだろうなあ。
所謂典型的な「天才」のイメージはまるで魔法のように一見なにも無いところから創りあげるイメージがあるため、「作り上げる」プロセスが比較的楽である、だけじゃなくて「破壊する」プロセスも速く、ほぼ無意識にできる人間なんだろうな、と思います。

とにかく破壊する方も作り上げる方も時間がかかる私ですが、メシアンの音楽に限っては作り上げるプロセスが他の分野に比べて、そして破壊するプロセスに比べて若干楽なところがあるような気がしないでもなかったり。
もちろん最初のころは苦労したと思いますし、楽ならそれはそれで迷うこともちょこちょこありますが、一旦音楽言語だったり曲のコンセプトや音自体などを把握すると(それはちょっとやっぱり時間がかかる)大分楽になるような覚えはあります。
細かいところが難しくて全体像を創るのがそれほど、といえばラヴェルもそんな印象が。

ただ音楽に限らずですが破壊に費やす労力と作り上げる労力のバランスは創作するという経験の印象をものすごく左右しますね。
例えば上記「破壊するプロセスが難しいけれど作り上げるのが比較的楽」となると満足感を得られない人もいるんじゃないかな、と。
私はその逆の「破壊するプロセスが簡単で作り上げるのが難しい」ケースは音楽だったら「相性がよくないな」と思うような気がしますし、創作だったら完成させるのが難しくて没になり設定だけ残る(そして後で使い回す)ような。

そのバランスで言うと破壊して消化したまま作り上げが不十分、というのもやっぱり納得いかないものがあるような。
例えばゲームで設定とかキャラクターとかクリーチャーとか諸々周知して、それでそれをゲームプレイに生かしただけじゃ「作り上げる」プロセスとして不十分なところがあるみたいで。
だから昨日書いたとおり下手の横好きで好きなゲームについて語りたいと思いますし、ゲーム関係の二次創作で文を書きたくなるのもそういうところがあるのかな、と。

・・・ということをちょっと突発的に考えていたので今日書いてみた次第です。
「作り上げる」プロセスも大事だけれど「破壊する」プロセスも創作やその他諸々で大事にするべきだな、と思います。
(そして今振り返ってみるとこの2つのステップの構図はなにか新神話的なフレーバーがありますね。再生神話を連想させるプロセス、ということだけではなく、新神話主義の話でたびたび出てくる周りの世界を分析的に捉えて記号的に表現するプロセスに関連するところがあるのかも)

そして突発的に書いたため今日の一曲は選んでありませんでした。また次回。


拍手[1回]

創作だべり。
前回のエントリーに拍手どうもです!

今日は暖かかったせいかなんだか思考がわいてもまとまらず散じてしまう、みたいな感じで相変わらず創作活動全くはかどらずなのですが相変わらず、というかだからこそ、というか創作に対して思いを馳せることは多いです。
Twitterで断片的に浮かんだネタをつぶやいたりすることはあっても、なんだか「ちゃんと」(定義曖昧)形にしないと気が済まないようなところがあり。
今複数のシリーズ(当初予定していたよりも多い)を同時進行しているのも一つだけだと根気が続かないかな、と思って複数同時進行にしたんですがだめなときはだめか、と痛感しております。これはもう心持ちが変わるのを待つしかない。

そんな中こちらもTwitterですがフォロー先の醒ヶ井さんに私の作品を宣伝していただいて。ネタのエクスチェンジといいますか、こちらも色々醒ヶ井さんと交わすつぶやきなどからインスピレーションをいただいたりいつもお世話になっていています。
自分の書いたもの(ここ含む)を読んでくれる人がいること、アイディアを交わす人がいることを噛みしめながら「早くアウトプットモードにならないかなー」と脳内でいろいろやりくりしております。

やっぱり大事です、創作。ピアノと同じくらい自分にとって大切。
アクションシーンだったりじっくり人物描写に言葉を費やしたり、とか苦手も多いですが「形にする作業」諸々は好きで。
前も書いてると思うのですがストーリーを書く、とかキャラクターを作る、とかイメージ曲を決める、とかいろいろあるプロセスの中で「トータルとしての世界を創る」のがやっぱり自分にとって快感な表現ですね。

自分の創作についていろいろ考えてると以前このブログでなんとか説明しようとがんばった「新神話主義」と、あとワーグナーの「総合芸術」(Gesamtkunstwerk)のコンセプトが影響しているところが大きいかな、と。

「新神話主義」に関しては本で読んでいて「なるほど、自分の創作にあてはまるな」というところが多かったです。
(あと逆に「新しい神話」のコンセプトを意識的に骨組みのモデルとして話が書きたいなーとか予定中)
そのなかで特に「記号化」、「決まりごとを作る」という概念は愛用しすぎ(笑)
こういうテクニックは何かを直接的でなく象徴的に表現すること、そして一つの作品の中に統一感を作ることが目的なのですが、色々ばらばらに出てくるアイディアをつないだり、シリーズにしたりするのにはもってこいといいますか。
「決まり事」はあった方がやっぱり安心しますね。ある程度絞らないとなんにもできない、0を1にするのが大変苦労する人なので(汗)そもそも特定の「世界」を動かす決まり事は必須ですし。

「新神話主義」で特徴的なのがプロセスからの創作みたいな、ざっくり言えば理系思考での組み立てみたいなところで。(これはピーターの曲書きにも通じるところがあったりしそう)
例えばさっき決めたようなルール、決まり事から歯車が動いていくのがいいですね。ルールのある世界を創るとそれに応じて中も動いていく。
自分で創り上げていく過程も面白いけれど、プロセスから勝手に動いて発展していく感覚も楽しい。化学反応みたいに。

ワーグナーは私が好きでない作曲家の筆頭に挙げられる作曲家なんですけど、彼のやったことだったり芸術に対する姿勢だったりは興味深いし芸術に携わる者が色々学ぶことがあったり、そもそも彼が色々ぐちゃぐちゃしなければ20世紀の音楽の発展はなかったかもしれませんし(笑)
彼のオペラ作品、例えば「指輪」サイクルに代表される「総合芸術」のコンセプトはやっぱりある意味究極の芸術なんだろうな、と思います。
オペラ=日本語で「歌劇」ですが、それまでのオペラに他の芸術の分野、例えば文学だったり、演劇や絵画の要素を加えてオペラを劇に仕立てた歌を聴く場ではなく歌からセットから詩のような台詞や演劇も全てフルに味わうことができる芸術形態をワーグナーは目指したそうで。

つまりそれが「世界を創る」ということなんですよね。
筋書きを書いて、風景と人間を入れるだけじゃだめで、それを取り巻く全てを綿密にデザインして、その世界が実際に動くよう決まり事を作って。
自分の書く作品は「文」でしかないのだけれど、例えば物語の構成を立体的にしようと空間・時間であがいてみたり、例えばイメージ音楽、サウンドトラックで次元を足してみたりとか(それは自分で曲書かないのか!というツッコミは勘弁)、文だけにとどめないもっと総合的な、もっと完全で生きている「世界」を作りたいな、と日々工夫しているのです。
(サントラ決めに関しては演奏でも大切としている特定の曲に「自分なりの意味・解釈」を見つけるプロセスでもありますね)

私の創作の中にはオリジナルでない、他の作品(例えばゲーム)の設定を一部借りる形のものもあるのですが、そういう作品でもそのまま使うんじゃなくてもっと前述のコンセプトにそって世界観を深めたりとか、色々その世界を自分の中で完全にするために色々試したり。

完璧主義か、といえば全然違って、詰めがかなり甘い性格なんですが、完璧ではなく「完全」ににたものを自分の創作には求めるところがあるのかも、と最近。
だって自分が本を読むならストーリーが良い、キャラクターが良いというのももちろんですがその作品の世界を自分の周りに感じられるような、そういう意味で「入り込める」ような作品が良いですものね。本に限らずですが。

いっちょまえに語ってしまいましたが偉いことは言えないですよ、進んでないんですから(笑)
やっぱりこういうことを書くのはちょっと照れますし、全然そんな立場でもないですし、何より説明するのがものすごく難しい。
それに(複数進行のあれもあり)今公開しているどのストーリーもまだまだネタバレ配慮がものすごく要る段階で、自分の頭の中にある事、自分の創作へのおもいとか大分中途半端に消化不良にならざるを得ないので・・・

思いが強いこと、そして自分が大切に思ってることには変わりないのでまた突発的に偉そうなこと語りたくなったらおつきあいいただけると嬉しいです(汗)


今日の一曲はちょっと遅くなっちゃったのでお休みです。

拍手[1回]

創作周りでぐるぐると
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪
ちょっとお留守にしてしまいました。特別忙しいとかそういうこともなかったのですが、頭の中はだいぶせわしない感じだったかなあ・・・
昨日は珍しく(それも困りものですが)書き物を進めてました。まあ遅いこと!なんとかなりませんかねこれ!
ということで今日はこのブログにおける過疎カテゴリである創作周りの話を少し。

自分で考えて自分で形にして行くものではあるのですが、物語を書き進めていくとどうしても書きにくいところ、書くのが苦になるところって出てきますね。覚悟はしてたんですが。
表現が見つからないとかそういうのでなくて、面倒くさいというのでもなくて、心持ちとしてね、なんか・・・いやだな、と。
でもどんな出来事もストーリーがそれにかかってる、それをベース・原動力にして動くんですから、そこはちゃんと表現する側としてしっかりやらなきゃいけないんですがね。分かってるんだからやればいいのに。

以前ネットでのおつきあいがあったところで自分のストーリーのキャラクター(オリジナルでの)は書き手としての自分にとってどういう関係性か、という話をした記憶がぼんやりあって。
自分の創作物(ストーリーやキャラ)を自分の子供のように思う、という人も居ればそうでない人も居て。

私にとって自分の創作物は自分の子供ではまずないですね。
自分の書くキャラクターの一部は間違いなく自分より立場が上ですしね(汗)あんまり親みたいな顔するといやがられる、疎まれるというか。
あと自分のキャラクターに庇護的な態度で接すると動かしにくい気がするんですよね。キャラクターはある程度固まってくると自分で勝手に行動したり思考したりするんで、それをなんとか「形にさせてもらってます」位の立ち位置で接するとキャラクターが個々「らしく」動いてくれる、というあくまでも一書き手としての感覚。

キャラクターだと、モデルが居たり居なかったり、ちょこっとだけ参考にしたりといろいろなところから構築されるのですが、結構自分の一部を参考にしたりモデルにしたりすることは多いです。
自意識過剰がどこかやっぱりあるのは否めませんが、やっぱり自分をいろいろ分析したり観察したりすることが多かったりで使いやすいのと、あと自分だから心置きなく切り売りできるみたいな(違)

でも自分をモデルにしたケースに限らずですが、キャラクターの構築が進むと(あと時間の経過と共に)勝手に元のモデルから離れていくんですよね。書き手としてあんまりモデルを意識しなくなって、先ほど書きましたように個々「らしく」動いてくれればもう完全に独立した存在、とみなしています。
今のところ確立して何年も親しんできたキャラクターからまだモデルとなった人物の影響が強いキャラクターも居て、いろんなその成長のプロセスが喜ばしいのですが、「モデルとなった人から、書き手としての自分から独立を感じた瞬間」はおそらく一番嬉しい瞬間かもしれません。(そう書くとなんか子育てのようでもありますが)
とにかくいろんなキャラクターが自分の頭の中でそれぞれ所狭しとやいのやいのやってるのが楽しくて。そうやって自由になったところから書き手よりも立場が上になってしまったり、それも面白い。だからなるべく早く自由になって欲しいですし、自分の手を離れて寂しいことはないですね。

今いくつかストーリーを同時進行している中、自分にとってメインとなってるのがOMNIA cycleというシリーズで。ここ数年続けているものですが、亀の歩みよりもさらに遅いペースでぴくしぶの方にもアップしていて。
シリーズと言っても一つの世界で続く複数のストーリーではなく「複数の世界」に関する時の流れを扱うシリーズなのですね。で、人物だけでなくおのおの「世界」もそれぞれ違った程度ですがキャラクターのように使われる、みたいな。
このシリーズに関しては創作物が自分の脳内で創られるものと同時に「あたかもOMNIA cycleの世界が自分の外のどこかにあるかもしれないような」扱いというか認識というか。今の説明わかりにくくてごめんなさい。(ちなみにOMNIA以外のストーリーに関してはこの限りではないです)
それくらいの心構えがこのシリーズのスケール(最終的にいきつくところ)には必要、と考えたわけじゃないですが結果それが自然な認識になったようです。

このシリーズのごく一部のキャラクターが大変私に対して上から目線というかそういう感じなのはそういうストーリーのとらえ方の結果、ともいえるかも。当該キャラクターは私の事を書き手、創造主とは見てません。
(OMNIAに関しては自分の役割は文の書き手とかキャラクターの作り手だけじゃなくて「世界の創造主」みたいな面もあるのでそう扱ってくれるのは荷が軽く感じることはそうなんですがねえ)

自分の中にある物を形にするのが難しくても、書きたくないなーなんて箇所が出てきても、自分の創作のエレメント(キャラクターなど)は基本みんな愛しいですし、ストーリー上行き着くところは色々でも最大限生かしてあげたいな、と思っていますし。
細々とでもちゃんとやっていきたいなあ、と思います。(内外からのキャラクターたちの視線がいつもひしひしと痛いです)


今日の一曲: バーデン・パウエル 「宇宙飛行士」 (O Astronauta)



本当に小さい頃から聴き親しんでた曲なのですが、最近ちょっとヴィラ=ロボスをきっかけとしたブラジルが暑い夏の流れでまた思い出し、愛が再燃した曲。

父は昔からギターをやっていて、ジャンルは今でもよく分からないのですがクラシックのラテン系だったり、ボサノバだったり、ちょこちょこ弾いていて。
以前書いたかな、父は私が生まれる前から海外出張によく行ってて、初期(笑)はわりと中南米に行くことが多かったそうで(初海外は中南米だったとか言ってました)。
そのころからずっと父はブラジルの音楽が好きで、それが私が育っていく課程でごく自然に染みこんでいって・・・あまりにも自然だったんで今頃改めて浮上していたんですが。

ボサノバについては本当に基本的な知識しか知らないのですがとりあえずWikipediaさんはこんな説明をしてくれます。
今回紹介する「宇宙飛行士」のバーデン・パウエルがこの最後の方のボサノバアーティストのリストにのっていますが、彼についてのメイン記事を見てみるとどうも他のジャンルを取り入れたりとかしているみたいですね。その中にバッハがあるのは「宇宙飛行士」を聞いてもなるほど、と思いますし、それがヴィラ=ロボス(自分のブラジル音楽の拠点)となんとなくつながるところがあり。

ボサノバでもジャズでもなんといってもハーモニーが好きで。そしてボサノバはリズムがブラジルなのがこれまたツボ。
ちょっと自分には大人かな、という雰囲気はやっぱりあるものの、「宇宙飛行士」は割ととっつきやすいというかノリも雰囲気もジャストフィットな感じ。
やっぱり夜に楽しみたい音楽ですねー。

うーん、父が持ってた録音が見つからない。バーデン・パウエルのベストアルバムなんですが、この曲とあとSamba Tristeが一緒に入ってて。(後者も良い曲ですよ~)一緒に入ってるアルバムにないんですが・・・とりあえず2枚組のをリンク。1曲だけダウンロードもありですね。

拍手[1回]