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前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
あれからまたトラベラーズもちょこっと使いーの編み物練習(まだ練習)始めーのしてます。好きとは言えあんまり詰め込みすぎないように気をつけはしますが・・・多分。
またオケに呼ばれたぞーということでまずはお知らせから。
Stonnington Symphony Orchestra
Sunday Series 1
指揮者:Fabian Russell
アントニン・ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ オーボエと弦楽合奏のための協奏曲(オーボエ:Thomas Hutchinson)
セルゲイ・ラフマニノフ 交響的舞曲
そうなんです交響的舞曲なんです。私の一番好きなラフマニノフ!また弾ける日がこんなにすぐ来ようとはもう嬉しい限りで。
そして指揮者がFabianなのも大変嬉しいです。久しぶりだったーもっとお仕事したい指揮者さんの筆頭な人。
ということで火曜日に初リハーサルだったのですがなんとコントラバスとトランペットが一人もいなかった。トランペットは今回都合がつかなかったみたいですがコントラバスは慢性的に人手不足の様子。前お仕事したZelmanでも募集してるみたいだったしどこも苦しそう。
実際「あるべきところにコントラバスが一人も居ない」という状態を味わったのは長いオケ生活でも初めてだったのですがオケの土台というべき楽器と音がないと明らかな危機感を感じますね。On beatを担当してる人がいない状態でのテンポ上げてくとことか一番わかりやすいですが全体的にすかすかしている。
前回この曲をオケでやったときはどうだったかというのは記憶としては覚えてないのですが(今はここの一番下の録音で試聴&購入できます)、自分のパートに書き込んだ諸々から分かることは多いです。そしてその書き込みで判断すると前回と今回はテンポなどの解釈が全然違う。
Markは割とテンポ変えれるとこは色々強弱してそういう方向から表現してみる傾向で、Fabianは堅実にあまりあっちいったりこっちいったりしない傾向。
ただオケにとって難しいとこは大体一貫してますね。第2楽章の最後の方でだんだんテンポが速くなっていくところとか第3楽章の元の速いテンポに戻ってそこからずっと突っ走ってくとことか。
実際書かれてる音が難しいのもありますが楽譜に書かれてるリズムと(指揮者が振る)拍の兼ね合いが直感的にうまくつながりにくかったりってのはあるかな、どっちのセクションも。音楽を形にするって難しいですなあ。
ハートで弾くのがラフマニノフみたいなイメージありますが頭をがっつり使うラフマニノフが好きです、やっぱり。ラフマニノフに限ったことじゃないですが、あんまりすんなり詳細まですぐ分かっちゃってもそんなに楽しくないのです。特にオケだと新しく気づくことが多くて出会う度になにか発見するのが大好きで楽しいしリハーサルやっててとにかく面白いので。ありがとうラフマニノフ。(でもほんとうはバレエで見たかったんだフォーキン)
あ、そういえば今回弾くピアノパートの楽譜、前回弾いた時につかった楽譜にない数小節が第1楽章の序盤に足されててびっくりしました。版が違うの手持ちの録音2つではどうなってるんだろう、耳で聞いて分かるかな(違ってたら分かるとは思う、くらいの違い)。
来週はリハーサルがないですが再来週はなんとかコントラバスが1人は・・・できたら複数人来るといいなあ。裏方の人達も結構胃がきりきりする案件なので最終的には(でもなるべく早く)解決してくれることを願います。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 「大地の歌」第1楽章 「大地の哀愁に寄せる酒の歌」
つい先日「孔明のヨメ。」の著者でもある杜康潤先生の「梨花の下で 李白・杜甫物語」のウェブコミック版(pixivコミック版がこちら、他にニコニコ静画・ComicWalkerにも連載)が連載完結したとのことで速攻全部通してがーっと読みに行きました。もちろんがーっと読むだけじゃなくて作中に出てくる詩とか言及がある詩集(前の時代のもの含め)のリストを作ってあとで調べられるようにしておいたり。これもトラベラーズノートブックのいい使い方。
となるとやっぱり「大地の歌」を今日の一曲でやりたくなっちゃいますよ。杜甫はないですが李白の詩は第1,3,4,5楽章で使われてます。半分以上じゃないですか。19世紀ヨーロッパでもやっぱり詩仙は中国の詩人の中で知名度トップクラスだったのかな。
なんとなくでも上記作品を読んでると李白の作品は欧州ロマン派の音楽(文学も?)に相性が良いのかなと思いますね。一人の人間からあふれ出る感性みたいな芸術の天才としての姿だったり、詩に描かれる一人の人間を主人公とした世界とか自然とか人間のダイナミクスとか。なんか外向きの力がシューマンとかに似てるかもなあ。
そんな李白の詩(を翻訳したりアレンジしたりしたもの)を歌詞としたこの第1楽章も「溢れる」感が強い曲調。マーラーというとどっちかというと(この作品の最終楽章みたいな)内向きに延々杜考えられる曲が好きですし実際そういう曲の方が多い気がします。なのでこの第1楽章は冒頭からなんか新鮮。そして歌曲として考えてもこういう雰囲気とエネルギーの伴奏パートって変わってるかも?
前メル響でこの曲を聞いた時書いたと思うのですが伴奏パートとはいえこの歌曲集は(リヒャルト・シュトラウスの最後の四つの歌も)オケがガチ仕様で書いてあってガチ仕様で弾いてくるので歌う方は大変なんだろうなあと思います。(しかもソプラノとかじゃなくて比較的低めの声部ですし)でもこの容赦ないオケ表現が単純に「歌曲」という世界観に嵌まらない3D映像みたいなさらに&もっと飛び出てくる鮮やかさとドラマチックさを作りだしてるみたいでものすごーくわくわくして聞ける曲です。
それでもやっぱりこの「歌曲集」の表現や世界観を形式以上のものにしている一番大きな要因は最後の楽章「告別」だと思うんですよね。特に聞き慣れてない人にとってどうしても長い楽章は敬遠されがちかなと思うのですが、やっぱり告別なしには語れない。なので最後の最後までおすすめです。
そういえば前回大地の歌ここでやったときからの宿題やってないので未だに誰が歌ってる録音をおすすめすればいいのか決まってません。そのうち。あとマーラーはちょくちょく自分のオケ作品をピアノ版でも書いてるのですが今Amazonでリンク録音見つけたら大地の歌もピアノ伴奏版見つけました。できることなら弾きたい。ついでにバレエ版も見たい(ノイマイヤーさんのです)。
リンクした録音はなんとマーラー9番との2枚組。すごいなあ。私だったら同じ日には聞けないよ。
あれからまたトラベラーズもちょこっと使いーの編み物練習(まだ練習)始めーのしてます。好きとは言えあんまり詰め込みすぎないように気をつけはしますが・・・多分。
またオケに呼ばれたぞーということでまずはお知らせから。
Stonnington Symphony Orchestra
Sunday Series 1
指揮者:Fabian Russell
アントニン・ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ オーボエと弦楽合奏のための協奏曲(オーボエ:Thomas Hutchinson)
セルゲイ・ラフマニノフ 交響的舞曲
そうなんです交響的舞曲なんです。私の一番好きなラフマニノフ!また弾ける日がこんなにすぐ来ようとはもう嬉しい限りで。
そして指揮者がFabianなのも大変嬉しいです。久しぶりだったーもっとお仕事したい指揮者さんの筆頭な人。
ということで火曜日に初リハーサルだったのですがなんとコントラバスとトランペットが一人もいなかった。トランペットは今回都合がつかなかったみたいですがコントラバスは慢性的に人手不足の様子。前お仕事したZelmanでも募集してるみたいだったしどこも苦しそう。
実際「あるべきところにコントラバスが一人も居ない」という状態を味わったのは長いオケ生活でも初めてだったのですがオケの土台というべき楽器と音がないと明らかな危機感を感じますね。On beatを担当してる人がいない状態でのテンポ上げてくとことか一番わかりやすいですが全体的にすかすかしている。
前回この曲をオケでやったときはどうだったかというのは記憶としては覚えてないのですが(今はここの一番下の録音で試聴&購入できます)、自分のパートに書き込んだ諸々から分かることは多いです。そしてその書き込みで判断すると前回と今回はテンポなどの解釈が全然違う。
Markは割とテンポ変えれるとこは色々強弱してそういう方向から表現してみる傾向で、Fabianは堅実にあまりあっちいったりこっちいったりしない傾向。
ただオケにとって難しいとこは大体一貫してますね。第2楽章の最後の方でだんだんテンポが速くなっていくところとか第3楽章の元の速いテンポに戻ってそこからずっと突っ走ってくとことか。
実際書かれてる音が難しいのもありますが楽譜に書かれてるリズムと(指揮者が振る)拍の兼ね合いが直感的にうまくつながりにくかったりってのはあるかな、どっちのセクションも。音楽を形にするって難しいですなあ。
ハートで弾くのがラフマニノフみたいなイメージありますが頭をがっつり使うラフマニノフが好きです、やっぱり。ラフマニノフに限ったことじゃないですが、あんまりすんなり詳細まですぐ分かっちゃってもそんなに楽しくないのです。特にオケだと新しく気づくことが多くて出会う度になにか発見するのが大好きで楽しいしリハーサルやっててとにかく面白いので。ありがとうラフマニノフ。(でもほんとうはバレエで見たかったんだフォーキン)
あ、そういえば今回弾くピアノパートの楽譜、前回弾いた時につかった楽譜にない数小節が第1楽章の序盤に足されててびっくりしました。版が違うの手持ちの録音2つではどうなってるんだろう、耳で聞いて分かるかな(違ってたら分かるとは思う、くらいの違い)。
来週はリハーサルがないですが再来週はなんとかコントラバスが1人は・・・できたら複数人来るといいなあ。裏方の人達も結構胃がきりきりする案件なので最終的には(でもなるべく早く)解決してくれることを願います。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 「大地の歌」第1楽章 「大地の哀愁に寄せる酒の歌」
つい先日「孔明のヨメ。」の著者でもある杜康潤先生の「梨花の下で 李白・杜甫物語」のウェブコミック版(pixivコミック版がこちら、他にニコニコ静画・ComicWalkerにも連載)が連載完結したとのことで速攻全部通してがーっと読みに行きました。もちろんがーっと読むだけじゃなくて作中に出てくる詩とか言及がある詩集(前の時代のもの含め)のリストを作ってあとで調べられるようにしておいたり。これもトラベラーズノートブックのいい使い方。
となるとやっぱり「大地の歌」を今日の一曲でやりたくなっちゃいますよ。杜甫はないですが李白の詩は第1,3,4,5楽章で使われてます。半分以上じゃないですか。19世紀ヨーロッパでもやっぱり詩仙は中国の詩人の中で知名度トップクラスだったのかな。
なんとなくでも上記作品を読んでると李白の作品は欧州ロマン派の音楽(文学も?)に相性が良いのかなと思いますね。一人の人間からあふれ出る感性みたいな芸術の天才としての姿だったり、詩に描かれる一人の人間を主人公とした世界とか自然とか人間のダイナミクスとか。なんか外向きの力がシューマンとかに似てるかもなあ。
そんな李白の詩(を翻訳したりアレンジしたりしたもの)を歌詞としたこの第1楽章も「溢れる」感が強い曲調。マーラーというとどっちかというと(この作品の最終楽章みたいな)内向きに延々杜考えられる曲が好きですし実際そういう曲の方が多い気がします。なのでこの第1楽章は冒頭からなんか新鮮。そして歌曲として考えてもこういう雰囲気とエネルギーの伴奏パートって変わってるかも?
前メル響でこの曲を聞いた時書いたと思うのですが伴奏パートとはいえこの歌曲集は(リヒャルト・シュトラウスの最後の四つの歌も)オケがガチ仕様で書いてあってガチ仕様で弾いてくるので歌う方は大変なんだろうなあと思います。(しかもソプラノとかじゃなくて比較的低めの声部ですし)でもこの容赦ないオケ表現が単純に「歌曲」という世界観に嵌まらない3D映像みたいなさらに&もっと飛び出てくる鮮やかさとドラマチックさを作りだしてるみたいでものすごーくわくわくして聞ける曲です。
それでもやっぱりこの「歌曲集」の表現や世界観を形式以上のものにしている一番大きな要因は最後の楽章「告別」だと思うんですよね。特に聞き慣れてない人にとってどうしても長い楽章は敬遠されがちかなと思うのですが、やっぱり告別なしには語れない。なので最後の最後までおすすめです。
そういえば前回大地の歌ここでやったときからの宿題やってないので未だに誰が歌ってる録音をおすすめすればいいのか決まってません。そのうち。あとマーラーはちょくちょく自分のオケ作品をピアノ版でも書いてるのですが今Amazonでリンク録音見つけたら大地の歌もピアノ伴奏版見つけました。できることなら弾きたい。ついでにバレエ版も見たい(ノイマイヤーさんのです)。
リンクした録音はなんとマーラー9番との2枚組。すごいなあ。私だったら同じ日には聞けないよ。
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まさかの2日連続更新です。珍しい。
というのも今日行ったコンサートが昼だったので即日感想が書けるパターンでした。
久しぶりのThe Orchestra Project。ゲリラ的?とは違いますが指揮者Fabian Russellが不定期に若い音楽家を中心に集まって少ない日数で大曲を仕上げるちょっと変わったプロジェクトです。
今回に限らず(個別のパートの難易度を超えて)難しい曲を扱うのですが集まるのはかなり腕の立つ奏者たちで毎回素晴らしい演奏を聴かせてもらってます。
ただこのプロジェクトを最初に聞いたのが大学在学中なんで間はあくにしろもう10年以上続いてるわけで。そうするともう今回なんかはチェロセクションでもほとんど知ってる人がいなくて時の流れをものすごく感じます。(それと同時に指揮者さんは色々教育方面も含め常に若い奏者とお仕事して新しい才能を拾い上げてくのが凄いです)
マーラーの交響曲は作曲家が年を重ねていくにつれて複雑になる、というのはあまりにも簡単に言いすぎかも知れませんが前聴いた「大地の歌」とはまた違う深さと難しさ。それは聴いてる方もそうですし弾いてる方も相当大変。そもそもこの曲を頭で捉えるとこからだから予習がとにかく大事。
とっつきやすい例でいうと5番の第3楽章みたいな徘徊するような曲調が特に第1楽章と第3楽章でものすごくて、でもあてもなくさまよってるんじゃなくて確固たる意志を持ってぐるぐるしているので聴き手としてはがんばってついてかなきゃいけないじゃないですか。ほんとに脳と気持ちに労力がいる曲です(だがそれがいい)。
今回はこのプロジェクトでは毎度おなじみといってもいいSouth Melbourne Town Hallでの演奏だったのですがこんなにでっかくて複雑な大オケ曲を弾くには向いてない音響なんだよなああそこ。もっとクリアに細部まで聞こえる方が望ましいんだけど・・・あといくらなんでも客席が奏者に近いと色々大変ですね。
今日の演奏で特にすごいなと思ったのはホルン、ティンパニ、Es管クラリネットあたりですかね。Esクラはなんか聴いててあんなに安心できる(曲調に関係なく)音は初めてだったかも。危なげない、を通り越してるような。あとハープ。元メル響のJulieの音聴くの久しぶりだったなー。
マーラーの9番というと最終楽章の弦楽器がものすごくおいしいなーあんなの弾けたらなーと思うのですが最後の最後の弱音を聞いて「怖っあんな繊細で消えるような音出せない!」とビビったのは内緒。チャイコ6番とかでもあることですが弾く側であの緊張感に耐えられるハートは(大学時代はあったかもですが)持ち合わせてないです。
もうとにかく濃い音楽でした。まだ頭がついてってない。大地の歌だって前聴いてからじわじわと慣れていってるとこなので9番ももっと聴く頻度増やしてじっくり耳と脳でチャレンジしていかないと。
そしてマーラー巡礼(今回はメル響ではなかったですが)はあと8番と10番を残すのみ。今年のメル響のプログラムには入ってないですがコンプリートする日が早めに来るといいなあ。
さらにThe Orchestra Projectも奏者が代替わりしても今後も何か演奏があったら駆けつけて聴きたいと思います。きっとこれからも面白い曲やってくれるはず。
今日の一曲はお休み。今後マーラー9番どの楽章か紹介できるといいな。
というのも今日行ったコンサートが昼だったので即日感想が書けるパターンでした。
久しぶりのThe Orchestra Project。ゲリラ的?とは違いますが指揮者Fabian Russellが不定期に若い音楽家を中心に集まって少ない日数で大曲を仕上げるちょっと変わったプロジェクトです。
今回に限らず(個別のパートの難易度を超えて)難しい曲を扱うのですが集まるのはかなり腕の立つ奏者たちで毎回素晴らしい演奏を聴かせてもらってます。
ただこのプロジェクトを最初に聞いたのが大学在学中なんで間はあくにしろもう10年以上続いてるわけで。そうするともう今回なんかはチェロセクションでもほとんど知ってる人がいなくて時の流れをものすごく感じます。(それと同時に指揮者さんは色々教育方面も含め常に若い奏者とお仕事して新しい才能を拾い上げてくのが凄いです)
マーラーの交響曲は作曲家が年を重ねていくにつれて複雑になる、というのはあまりにも簡単に言いすぎかも知れませんが前聴いた「大地の歌」とはまた違う深さと難しさ。それは聴いてる方もそうですし弾いてる方も相当大変。そもそもこの曲を頭で捉えるとこからだから予習がとにかく大事。
とっつきやすい例でいうと5番の第3楽章みたいな徘徊するような曲調が特に第1楽章と第3楽章でものすごくて、でもあてもなくさまよってるんじゃなくて確固たる意志を持ってぐるぐるしているので聴き手としてはがんばってついてかなきゃいけないじゃないですか。ほんとに脳と気持ちに労力がいる曲です(だがそれがいい)。
今回はこのプロジェクトでは毎度おなじみといってもいいSouth Melbourne Town Hallでの演奏だったのですがこんなにでっかくて複雑な大オケ曲を弾くには向いてない音響なんだよなああそこ。もっとクリアに細部まで聞こえる方が望ましいんだけど・・・あといくらなんでも客席が奏者に近いと色々大変ですね。
今日の演奏で特にすごいなと思ったのはホルン、ティンパニ、Es管クラリネットあたりですかね。Esクラはなんか聴いててあんなに安心できる(曲調に関係なく)音は初めてだったかも。危なげない、を通り越してるような。あとハープ。元メル響のJulieの音聴くの久しぶりだったなー。
マーラーの9番というと最終楽章の弦楽器がものすごくおいしいなーあんなの弾けたらなーと思うのですが最後の最後の弱音を聞いて「怖っあんな繊細で消えるような音出せない!」とビビったのは内緒。チャイコ6番とかでもあることですが弾く側であの緊張感に耐えられるハートは(大学時代はあったかもですが)持ち合わせてないです。
もうとにかく濃い音楽でした。まだ頭がついてってない。大地の歌だって前聴いてからじわじわと慣れていってるとこなので9番ももっと聴く頻度増やしてじっくり耳と脳でチャレンジしていかないと。
そしてマーラー巡礼(今回はメル響ではなかったですが)はあと8番と10番を残すのみ。今年のメル響のプログラムには入ってないですがコンプリートする日が早めに来るといいなあ。
さらにThe Orchestra Projectも奏者が代替わりしても今後も何か演奏があったら駆けつけて聴きたいと思います。きっとこれからも面白い曲やってくれるはず。
今日の一曲はお休み。今後マーラー9番どの楽章か紹介できるといいな。
終わりましたー本番。そして本番の日から風やら雨やらすっかり季節の変わり目。
一応演奏服の下に着るヒートテックは持ってったものの意外といらなかったです(笑)そもそも火の鳥は結構動くんで着たら暑かったかも。
まずはプログラム。
一応演奏服の下に着るヒートテックは持ってったものの意外といらなかったです(笑)そもそも火の鳥は結構動くんで着たら暑かったかも。
まずはプログラム。
Zelman Symphony Orchestra 「French Connections」
指揮者:Rick Prakhoff
ガブリエル・フォーレ 「ペレアスとメリザンド」前奏曲
クロード・ドビュッシー 「サラバンド」(ラヴェル編曲)
モーリス・ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調(ピアノ:Caroline Almonte)
(休憩)
クロード・ドビュッシー 牧神の午後の前奏曲
イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲(1945年版)
やっぱりてんこ盛りでしたね。全部の曲で弾いた奏者の皆さん、とくに木管+ホルン+トランペットはほんとにお疲れ様です。
私は火の鳥のみ演奏なので牧神の午後だけ袖で聴いてたのですが音楽性しっかりリハーサルを重ねて育ってましたね。余裕すら感じるほど。
火の鳥はやっぱ最初の方が固まりにくいですね。自分も含めて火の鳥のバリエーションは細かい諸々が大変。
ただそれよりなによりびっくりしたのが魔王カッチェイ。最初でちょっと崩れかけたのは指揮者さんがアドレナリン考慮してわずかにブレーキかけたのがおそらく原因。そこからちょっと(テンポ以外で)オケに色々とブレーキかかっちゃって勢いがでなかった印象でした。
ただそこで踏みとどまるか攻めるかという決断はほんと指揮者にとっては難しい選択です。本番って緊張とかを差し引いてても色々あるからどっちに転ぶ可能性が同じくらいある。攻めていつものテンポでやっててもまたもっと派手に崩れてたかもしれないし、今の指揮者さんで初めてのコンサートなのでお互いどういう感じになるかまだ分かってなかったのもあるのかな。
(ここら辺は三国志関連読んだり遊んだりしてるとより理解できる感じがします)
あと今年第1回目のコンサートで(何回も来てる場所とはいえ)音響が演奏場所だとどれくらい変わってくるかというのにサウンドチェックの時点でもかなり惑わされましたが本番でもちょっと慣れてないとこもありましたね。(そもそもその違いを敏感に感じ取る&1回のサウンドチェックで順応する人間の耳ってすごい!)自分もちょっとそこらへん肝に銘じておかないと今回要所要所でびっくりしたので。
実質的には最後まで気が抜けないとはいえ、火の鳥は子守歌+フィナーレは結構安定するので途中で何があっても余裕を持って楽しく気持ち良く終われるのは素晴らしいですね。(今回のプログラムでいうとラヴェルの最終楽章なんかは特に最後までアドレナリンラッシュのまま突っ走らなきゃいけないようなところもありそうです)
何はともあれよかったよかった。オケ内のチームワーク、そして指揮者さんとのチームワークもこれからまた積み立てていけるといいですね。
ちなみに12月のコンサートはチェレスタが入るので確定とみなしていい様子なのですが調べてみたら9月のコンサートにもパートがある様子。まだ向こうには伝えてませんがそのうち気づくはず。
それともう一つのオケのが6月にあるのを狙ってたりソロが6月にあったり、状況によっては演奏三昧の年になるかも。毎年こうならいいんだけどな。
それからZelman Symphonyの過去のコンサートの録音一部がBandcampで購入できるようになりました。私が弾いてるのは2016年のAmerican Story、2015年のRussian Dance、そして2014年の惑星。惑星の録音はチェレスタのお披露目回だったので金平糖の精のソロを弾いたのも入ってます。無料試聴もできるので是非。(ちょっとチェレスタもたっとしてるけどこの回)
それにしても火の鳥が去って寒くなる変化がひしひし。去年は気に入ったマフラーが見つからなかったので今年は自分で編もうかと編み物する友人に聞いておすすめされたBendigoの毛糸屋さんから無料カラーサンプルをおとり寄せしたのを待ってます。そちらもまた後日。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲(1945年版)より「魔王カッチェイの凶悪な踊り」
もちろんこれを最後にとってありました。自分にとっては父と母が弾いたことあったり二人とも(特に母が)好きで小さい頃から聞いている馴染み深い曲、と同時にいつ聞いても変わらず楽しい曲。この曲が弾ける(しかもプロでなくても生涯2回目)のはほんと人生で最高に素晴らしいことなんです。
ダークかつかっこよくかつ華やかでとにかくテンションが上がる、主人公は火の鳥と王子だけど音楽としての花形な曲です。
そのテンションが上がるのも、アドレナリンで崩れやすくなるのもこの曲の色んなところに出てくる「後打ち」のリズムの仕業。日本語でどう表現するかちょっと難しいのですが「anticipatory」な性質のリズムです。拍がずれることで次がどうなるかわからないサスペンス的な要素があるだけでなく、後打ちでずれたビートの爆発的なパワーがたまらない。このリズムはある程度テンポが速くないとなかなか魅力がでないんですよ。
音色だったり強弱だったりしっかり計算されたサプライズとコントラストが速いテンポの中でたくさん表れて、オケの様々な楽器が色んなところで色んなことをしてたり、聞いててもついていくのが大変な曲なのですが曲の最後の方でテンポアップして、さらに「楽譜が何拍子で書いてあっても1小節=1拍&同じテンポで降り続ける」箇所は奏者もかじりついてついてかなきゃならない大変なセクション。ピアノは結構休んでる部分もありますがチェロのパート譜だとどんどん楽譜の先に先に進んでく感覚がすごかったし面白かった記憶が。楽譜のビジュアルと音楽の感覚の関係って考えてみると面白そう。
さて、演奏を終えてみて1919年版・1945年版の組曲を比べてみてどうなのかという話なのですがやっぱり華やかなのはオケも大きく響きがロシア寄りの1919年版、でも楽章構成は1945年版に軍配というところ。スケルツォは(弾くの大変だけど)魅力的な曲だし位置もいいので1919年版にないのは惜しいなと思います。どっちも聞くに楽しいし圧倒的に勝ってるわけじゃないけどやっぱり耳慣れた1919年版の方を選んじゃうかな。
リンクする録音もやっぱりメジャーどころは1919年版か1910年バレエ版が多いようで、これまでなんとか1945年版探そうとがんばってきた(はず)なので今回だけ1910年バレエ版の録音をリンク。ブーレーズ指揮で調べたら色々カップリング曲が違う録音がいくつかでてきたけどここは鳥繋がりでナイチンゲールの歌が収録されてるやつを。
やっぱりてんこ盛りでしたね。全部の曲で弾いた奏者の皆さん、とくに木管+ホルン+トランペットはほんとにお疲れ様です。
私は火の鳥のみ演奏なので牧神の午後だけ袖で聴いてたのですが音楽性しっかりリハーサルを重ねて育ってましたね。余裕すら感じるほど。
火の鳥はやっぱ最初の方が固まりにくいですね。自分も含めて火の鳥のバリエーションは細かい諸々が大変。
ただそれよりなによりびっくりしたのが魔王カッチェイ。最初でちょっと崩れかけたのは指揮者さんがアドレナリン考慮してわずかにブレーキかけたのがおそらく原因。そこからちょっと(テンポ以外で)オケに色々とブレーキかかっちゃって勢いがでなかった印象でした。
ただそこで踏みとどまるか攻めるかという決断はほんと指揮者にとっては難しい選択です。本番って緊張とかを差し引いてても色々あるからどっちに転ぶ可能性が同じくらいある。攻めていつものテンポでやっててもまたもっと派手に崩れてたかもしれないし、今の指揮者さんで初めてのコンサートなのでお互いどういう感じになるかまだ分かってなかったのもあるのかな。
(ここら辺は三国志関連読んだり遊んだりしてるとより理解できる感じがします)
あと今年第1回目のコンサートで(何回も来てる場所とはいえ)音響が演奏場所だとどれくらい変わってくるかというのにサウンドチェックの時点でもかなり惑わされましたが本番でもちょっと慣れてないとこもありましたね。(そもそもその違いを敏感に感じ取る&1回のサウンドチェックで順応する人間の耳ってすごい!)自分もちょっとそこらへん肝に銘じておかないと今回要所要所でびっくりしたので。
実質的には最後まで気が抜けないとはいえ、火の鳥は子守歌+フィナーレは結構安定するので途中で何があっても余裕を持って楽しく気持ち良く終われるのは素晴らしいですね。(今回のプログラムでいうとラヴェルの最終楽章なんかは特に最後までアドレナリンラッシュのまま突っ走らなきゃいけないようなところもありそうです)
何はともあれよかったよかった。オケ内のチームワーク、そして指揮者さんとのチームワークもこれからまた積み立てていけるといいですね。
ちなみに12月のコンサートはチェレスタが入るので確定とみなしていい様子なのですが調べてみたら9月のコンサートにもパートがある様子。まだ向こうには伝えてませんがそのうち気づくはず。
それともう一つのオケのが6月にあるのを狙ってたりソロが6月にあったり、状況によっては演奏三昧の年になるかも。毎年こうならいいんだけどな。
それからZelman Symphonyの過去のコンサートの録音一部がBandcampで購入できるようになりました。私が弾いてるのは2016年のAmerican Story、2015年のRussian Dance、そして2014年の惑星。惑星の録音はチェレスタのお披露目回だったので金平糖の精のソロを弾いたのも入ってます。無料試聴もできるので是非。(ちょっとチェレスタもたっとしてるけどこの回)
それにしても火の鳥が去って寒くなる変化がひしひし。去年は気に入ったマフラーが見つからなかったので今年は自分で編もうかと編み物する友人に聞いておすすめされたBendigoの毛糸屋さんから無料カラーサンプルをおとり寄せしたのを待ってます。そちらもまた後日。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲(1945年版)より「魔王カッチェイの凶悪な踊り」
もちろんこれを最後にとってありました。自分にとっては父と母が弾いたことあったり二人とも(特に母が)好きで小さい頃から聞いている馴染み深い曲、と同時にいつ聞いても変わらず楽しい曲。この曲が弾ける(しかもプロでなくても生涯2回目)のはほんと人生で最高に素晴らしいことなんです。
ダークかつかっこよくかつ華やかでとにかくテンションが上がる、主人公は火の鳥と王子だけど音楽としての花形な曲です。
そのテンションが上がるのも、アドレナリンで崩れやすくなるのもこの曲の色んなところに出てくる「後打ち」のリズムの仕業。日本語でどう表現するかちょっと難しいのですが「anticipatory」な性質のリズムです。拍がずれることで次がどうなるかわからないサスペンス的な要素があるだけでなく、後打ちでずれたビートの爆発的なパワーがたまらない。このリズムはある程度テンポが速くないとなかなか魅力がでないんですよ。
音色だったり強弱だったりしっかり計算されたサプライズとコントラストが速いテンポの中でたくさん表れて、オケの様々な楽器が色んなところで色んなことをしてたり、聞いててもついていくのが大変な曲なのですが曲の最後の方でテンポアップして、さらに「楽譜が何拍子で書いてあっても1小節=1拍&同じテンポで降り続ける」箇所は奏者もかじりついてついてかなきゃならない大変なセクション。ピアノは結構休んでる部分もありますがチェロのパート譜だとどんどん楽譜の先に先に進んでく感覚がすごかったし面白かった記憶が。楽譜のビジュアルと音楽の感覚の関係って考えてみると面白そう。
さて、演奏を終えてみて1919年版・1945年版の組曲を比べてみてどうなのかという話なのですがやっぱり華やかなのはオケも大きく響きがロシア寄りの1919年版、でも楽章構成は1945年版に軍配というところ。スケルツォは(弾くの大変だけど)魅力的な曲だし位置もいいので1919年版にないのは惜しいなと思います。どっちも聞くに楽しいし圧倒的に勝ってるわけじゃないけどやっぱり耳慣れた1919年版の方を選んじゃうかな。
リンクする録音もやっぱりメジャーどころは1919年版か1910年バレエ版が多いようで、これまでなんとか1945年版探そうとがんばってきた(はず)なので今回だけ1910年バレエ版の録音をリンク。ブーレーズ指揮で調べたら色々カップリング曲が違う録音がいくつかでてきたけどここは鳥繋がりでナイチンゲールの歌が収録されてるやつを。
行ってきましたーが2件ほど。
まずは火曜日にラストリハーサル行って来た今週土曜日のコンサート。
お知らせも一回貼ります。
まずは火曜日にラストリハーサル行って来た今週土曜日のコンサート。
お知らせも一回貼ります。
Zelman Symphony Orchestra 「French Connections」
指揮者:Rick Prakhoff
ガブリエル・フォーレ 「ペレアスとメリザンド」前奏曲
クロード・ドビュッシー 「サラバンド」(ラヴェル編曲)
モーリス・ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調(ピアノ:Caroline Almonte)
(休憩)
クロード・ドビュッシー 牧神の午後の前奏曲
イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲(1945年版)
いやあまだまだ危なっかしいです、正直。これだけ曲があってラヴェルのコンチェルトと火の鳥が揃って難しいので(他は分からないのですが)火の鳥は時間が毎回足りない気がしてたのですが最後まできてもリハーサル不足な感がひしひし。最後のリハーサルはちょっと長めになったしサウンドチェックも長めになるそうなんだけどみんな大丈夫かな。私は主にそのみんなに関してのひやひやでアドレナリンが困ったことになりそう。
そして昨日はThe Australian Balletの「Murphy」に行ってきました。ちょっと帰りにトラムで大変だったので一部感想が飛んでるかもしれませんが今頭の中にある分でなんとか。
オーストラリアの振り付け家Graeme Murphyの偉業と作品にスポットライトを当てた公演でいくつかの作品&一部映像があるなかで休憩後の後半が「火の鳥」でした。
Graeme Murphyの振り付けはモダン寄りが基本みたいですが、使う音楽も結構現代寄り。特に今回でいうとThe Silver RoseでのCarl Vine、そしてEllipseでのGraeme Koehne、そしてAir and Oher Invisible Forcesでの尺八奏者Riley Leeなどオーストラリアの作曲家・演奏家の起用が目立ってちょっと嬉しいですね。オーストラリアの大地から生まれる「ラリアならでは」みたいな要素がダブルで楽しめる幸せ。音楽も踊りも弾けるような自由で生き生きしたエネルギーが共通してるのかな、という印象でした。
今回の公演で「シェヘラザード」をやるのでどの楽章かなと思ってたらリムスキー=コルサコフじゃなくてラヴェルの歌曲の方でした。しかも生で歌い手が舞台上に、と思ったら歌手の方も振り付けに一部加わるという不思議な演出。この曲踊るのか、と始まる前はよくわからなかったのですが見てものすごく納得。振り付けもそうですし女性と女性の二人で踊るのとかコスチュームとか全体的にこの歌曲の雰囲気をうまく表現していろんな色彩を引き出して、あとクリムトとのコネクションも確かにあって。
踊りだけに限らない振り付けというのはシェヘラザードだけでなく「Grand」でもいっぱい使われてましたね。グランドピアノが演奏されながら動いたり、ピアノ型の囲みが開いたり閉じたり、作品終わりのお辞儀の後にエピローグがあったり。それを「小道具・大道具芸」と言い切ってしまうにはちょっと勿体ない世界感と「act(舞台)」の感じ方がありました。最後の「音楽を振り付ける」ナンバーもその派生というか関連があるような。
あと「Grand」はヒナステラのピアノ音楽に自分が知ってる以上の命を与えててすごいよかったです。ヒナステラのピアノ音楽はピアノで弾くだけよりもっと活きる形があるはずだなーとはうすうす思ってたのですが踊りってフォーマットいいですね。
そしてユーモアも舞台には(それがバレエであっても)パワフルな要素ということを実感。笑えるバレエ、たまにみたくなるかも。
そして「火の鳥」(ちなみにうちらが弾くのと同じ1945年版の組曲でした)。
火の鳥も小道具を交えた振り付けだったり、お姫様と王子のパ・ドゥ・ドゥでの火の鳥の絡みだったり新鮮な要素が色々。あと魔王=冬 vs 火の鳥=春の構図で最後に魔王がちょっと顔を見せたのは確かに納得できるコンセプト(ただそこでかたんと音がして出てきたのでちょっと笑っちゃいましたよみんな。魔王はユキヒョウの姿だったのでしっぽもたまに音出て大変そうですた)。
最初から最後まで楽しい公演でした。モダン系統のバレエも観たいですが何よりオーストラリアの音楽がバレエになってる作品はもっともっと見たいですね。海外でもちょこちょこそういう作品があるのは耳に入ってはきますがまずオーストラリアでやらないと。今後もそういう機会があったら積極的に観に行こうと思います。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲(1945年版)より「子守歌」と「フィナーレ(終曲)」
フィギュアスケートなどもあって多分日本ではフィナーレがダントツに有名だと思いますがその前の子守歌も素晴らしい曲なんですよ。もうとにかくこんなにファゴットが美しいメロディー吹いてるの貴重すぎる!ストラヴィンスキーでファゴットといえば後に書かれた「春の祭典」の冒頭のソロが有名ですがこの子守歌の哀愁と神秘さのある美しさはまた別のクラス。
そしてソロといえばフィナーレの最初のホルンのソロもかなりの見せ所ですね。
見せ所なんですがその下で背景を弾いてる弦楽器の動きにも注目。録音・演奏にもよるのですがさーっと突然春の風が渡ってくところがあってそれもたまらなく愛おしい。
ちなみにフィナーレを通して繰り返されるこのメロディー、実はカバレフスキーのピアノのための前奏曲op.39の13番にも使われてます。この前奏曲集はロシア回りの民族音楽を使ってるそうなので元ネタはそういうことなのかも。確かにピアノでだったら片手で手を動かすことなく弾けるシンプルなメロディーはロシア民謡辺りによくある感じ。
リンク先はこれ一枚でストラヴィンスキーの三大バレエが作曲家のバトンで聞けちゃうというアルバム。ちょっと古い録音ではあるけれど一度は聞いておきたい録音ですね。
いやあまだまだ危なっかしいです、正直。これだけ曲があってラヴェルのコンチェルトと火の鳥が揃って難しいので(他は分からないのですが)火の鳥は時間が毎回足りない気がしてたのですが最後まできてもリハーサル不足な感がひしひし。最後のリハーサルはちょっと長めになったしサウンドチェックも長めになるそうなんだけどみんな大丈夫かな。私は主にそのみんなに関してのひやひやでアドレナリンが困ったことになりそう。
そして昨日はThe Australian Balletの「Murphy」に行ってきました。ちょっと帰りにトラムで大変だったので一部感想が飛んでるかもしれませんが今頭の中にある分でなんとか。
オーストラリアの振り付け家Graeme Murphyの偉業と作品にスポットライトを当てた公演でいくつかの作品&一部映像があるなかで休憩後の後半が「火の鳥」でした。
Graeme Murphyの振り付けはモダン寄りが基本みたいですが、使う音楽も結構現代寄り。特に今回でいうとThe Silver RoseでのCarl Vine、そしてEllipseでのGraeme Koehne、そしてAir and Oher Invisible Forcesでの尺八奏者Riley Leeなどオーストラリアの作曲家・演奏家の起用が目立ってちょっと嬉しいですね。オーストラリアの大地から生まれる「ラリアならでは」みたいな要素がダブルで楽しめる幸せ。音楽も踊りも弾けるような自由で生き生きしたエネルギーが共通してるのかな、という印象でした。
今回の公演で「シェヘラザード」をやるのでどの楽章かなと思ってたらリムスキー=コルサコフじゃなくてラヴェルの歌曲の方でした。しかも生で歌い手が舞台上に、と思ったら歌手の方も振り付けに一部加わるという不思議な演出。この曲踊るのか、と始まる前はよくわからなかったのですが見てものすごく納得。振り付けもそうですし女性と女性の二人で踊るのとかコスチュームとか全体的にこの歌曲の雰囲気をうまく表現していろんな色彩を引き出して、あとクリムトとのコネクションも確かにあって。
踊りだけに限らない振り付けというのはシェヘラザードだけでなく「Grand」でもいっぱい使われてましたね。グランドピアノが演奏されながら動いたり、ピアノ型の囲みが開いたり閉じたり、作品終わりのお辞儀の後にエピローグがあったり。それを「小道具・大道具芸」と言い切ってしまうにはちょっと勿体ない世界感と「act(舞台)」の感じ方がありました。最後の「音楽を振り付ける」ナンバーもその派生というか関連があるような。
あと「Grand」はヒナステラのピアノ音楽に自分が知ってる以上の命を与えててすごいよかったです。ヒナステラのピアノ音楽はピアノで弾くだけよりもっと活きる形があるはずだなーとはうすうす思ってたのですが踊りってフォーマットいいですね。
そしてユーモアも舞台には(それがバレエであっても)パワフルな要素ということを実感。笑えるバレエ、たまにみたくなるかも。
そして「火の鳥」(ちなみにうちらが弾くのと同じ1945年版の組曲でした)。
火の鳥も小道具を交えた振り付けだったり、お姫様と王子のパ・ドゥ・ドゥでの火の鳥の絡みだったり新鮮な要素が色々。あと魔王=冬 vs 火の鳥=春の構図で最後に魔王がちょっと顔を見せたのは確かに納得できるコンセプト(ただそこでかたんと音がして出てきたのでちょっと笑っちゃいましたよみんな。魔王はユキヒョウの姿だったのでしっぽもたまに音出て大変そうですた)。
最初から最後まで楽しい公演でした。モダン系統のバレエも観たいですが何よりオーストラリアの音楽がバレエになってる作品はもっともっと見たいですね。海外でもちょこちょこそういう作品があるのは耳に入ってはきますがまずオーストラリアでやらないと。今後もそういう機会があったら積極的に観に行こうと思います。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲(1945年版)より「子守歌」と「フィナーレ(終曲)」
フィギュアスケートなどもあって多分日本ではフィナーレがダントツに有名だと思いますがその前の子守歌も素晴らしい曲なんですよ。もうとにかくこんなにファゴットが美しいメロディー吹いてるの貴重すぎる!ストラヴィンスキーでファゴットといえば後に書かれた「春の祭典」の冒頭のソロが有名ですがこの子守歌の哀愁と神秘さのある美しさはまた別のクラス。
そしてソロといえばフィナーレの最初のホルンのソロもかなりの見せ所ですね。
見せ所なんですがその下で背景を弾いてる弦楽器の動きにも注目。録音・演奏にもよるのですがさーっと突然春の風が渡ってくところがあってそれもたまらなく愛おしい。
ちなみにフィナーレを通して繰り返されるこのメロディー、実はカバレフスキーのピアノのための前奏曲op.39の13番にも使われてます。この前奏曲集はロシア回りの民族音楽を使ってるそうなので元ネタはそういうことなのかも。確かにピアノでだったら片手で手を動かすことなく弾けるシンプルなメロディーはロシア民謡辺りによくある感じ。
リンク先はこれ一枚でストラヴィンスキーの三大バレエが作曲家のバトンで聞けちゃうというアルバム。ちょっと古い録音ではあるけれど一度は聞いておきたい録音ですね。
またまたちょっとぶりになりました。
仕事にリハーサルに無双に色々忙しいです。特に仕事。
とりあえず来週末が本番なのでお知らせから。
仕事にリハーサルに無双に色々忙しいです。特に仕事。
とりあえず来週末が本番なのでお知らせから。
Zelman Symphony Orchestra 「French Connections」
指揮者:Rick Prakhoff
ガブリエル・フォーレ 「ペレアスとメリザンド」前奏曲
クロード・ドビュッシー 「サラバンド」(ラヴェル編曲)
モーリス・ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調(ピアノ:Caroline Almonte)
(休憩)
クロード・ドビュッシー 牧神の午後の前奏曲
イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」組曲(1945年版)
来週で夜のリハーサルも終わりですがちょうどシティ周りの地下鉄工事の集中作業が今から始まるので公共交通機関ですんなり帰れるかちょっと心配。まあシティから途中が一区間バスになるくらいの話なのですが気温もだんだん下がってきたのでそういう意味では楽にとはいかなさそう。
オケのリハーサルはまあ順調ではあるかな。火の鳥がメインとはいえリハーサルに多くの時間を割けないなあという感じはひしひしします。難易度で言えばラヴェルのピアノ協奏曲がちょっと火の鳥を上回ってるはずで、演奏時間はだいたい同じくらい?なのでそっちがどうなってるかも気になりますが。
結構まだ魔王カッチェイの部分ががちゃがちゃしてる感があるので(ただし音響の都合もあるかも)そこが特に心配。あとはちょこちょこ固まってないなあ、というとこが多少、そして「もうちょっと録音聞いて全体把握してくれよー」と思うとこも多少。
今回のプログラムは(うちの母の好みどんぴしゃでもありますが)フランス音楽プログラムとしては聴いてて大変素敵な曲揃え、でも今のオケではなかなかベストな状態で楽しめはしないかなあ。一人の演奏で音楽性を磨くのはまだしもオケ全員でそれをやるには各自かなりの心がけと時間とその他諸々が必要で。難しさを痛感せずにはいられない。
そこが終わったら、というかすでにちょっと始めてるのですが6月のソロのあれに向けての準備。
まだ演奏時間は分からないのですがとりあえず10分くらいはいただけるかなと想定して3曲くらいに絞りました。それ以上短いことはない・・・とは思うけど少しは想定してます。それより長かった場合の曲も同じく少しはぼんやりと。
今の所候補曲はこんな感じ。
1) メシアン 前奏曲第6番「苦悩の鐘と別れの涙」
2) ワーグナー/リスト 「トリスタンとイゾルデ」より愛の死
3) ラフマニノフ 練習曲「音の絵」op. 39-7
どれも以前弾いて寝かせてあったやつです。
弾くのに一番間違いない&一番人に聴かせたいのは1番。ただ2番が「そろそろ弾いておきたいぞ」とわけもなくしっくりくるタイミングを主張してきて、3番は思ってもいなかった方向から「こんな曲やったら面白いかもしれない」(ただし人前で弾くにはなかなかリスクを伴う)と忍び寄って来て正に本命・対抗・大穴の構図。
あとは今週中に短い対にできそうな短い曲を思いついておいてぼちぼち練習を進めておくくらいかな。プログラムが決まったらまたお知らせ予定。さてどうなるかなー。
そのタイミングで若干練習プログラムもちょこちょこ交代していく頃合いですね。
ラヴェルは「道化師の朝の歌」へ、シューベルトも多分鬼門の最終楽章、ロンド兼タランテラの迷路。演奏用曲も道化師も前弾いたとはいえあんまり無理しないようにしなければ(汗)
さてオケコンサート前にもう一回お知らせ兼更新できることを願って今回はここらで。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」より「序曲」
もともとクラシックでも新しい曲寄りに聴いたり弾いたり好きだったりするのですが、19世紀終わりから20世紀初頭の音楽に触れると色んな新しい表現、今のクラシック音楽とそれ以外の諸々に通じる表現が生まれた時代だなーとつくづく思います。前述対抗馬のワーグナーもそうですし、なにかと引き合いにだすホルストの惑星やマーラーの交響曲なんかもそう。
そういう視点でいえばストラヴィンスキー&バレエ・リュスの「新しい表現」といえば「春の祭典」が一番に浮かぶと思いますがもっと前に書かれた「火の鳥」も新しいこといっぱいの作品。
ようつべでバレエとしての公演を検索するとフォーキン(ニジンスキーの前任のバレエ・リュスの振り付けした人)の振り付けの動画が出てくるのですが20世紀の始めまで遡るのがちょっと信じられない新鮮な動き。(あーほんとこの人がラフマニノフの「交響的舞曲」の振り付けをやってくれてたらなー!)
そしてオケが弾く音楽も斬新な要素多々ありで。特にこの冒頭の地を震わし這うような暗い不気味なパッセージ、びっこをひくような木管のリズム、幽霊のように怪しく透き通る弦のハーモニクス、そして楽譜を見ると分かると思いますが♭7つという弦楽器には音程が不安定な調。この物語の舞台、魔王カッチェイの領域の雰囲気が肌でぴりぴり感じられるようなオケ表現。そしてそんな雰囲気の中に突然現れる火の鳥というまばゆい光の塊。いやあたまらない。
とはいえ数年前に「春の祭典」も100周年を迎え、ストラヴィンスキーの有名な作品で使ったような手法も広く応用されるようになり、三大バレエも演奏する側としてはすっかりクラシックの定番に。バレエもそれくらい普通に公演されるようになってほしいなあ。
・・・という思いを込めてオーストラリアの振り付け家Graeme Murphyの「火の鳥」を始めとした作品を見にAustralian Balletの「Murphy」を水曜日に見に行ってきます。感想も書かなきゃ。
リンクしたのは裏面サムネの文字が見えにくいけど多分フォーキンの振り付けで踊ってると思われるボリショイ・バレエのDVD。もっとちゃんと見たいし踊ってみたい。
来週で夜のリハーサルも終わりですがちょうどシティ周りの地下鉄工事の集中作業が今から始まるので公共交通機関ですんなり帰れるかちょっと心配。まあシティから途中が一区間バスになるくらいの話なのですが気温もだんだん下がってきたのでそういう意味では楽にとはいかなさそう。
オケのリハーサルはまあ順調ではあるかな。火の鳥がメインとはいえリハーサルに多くの時間を割けないなあという感じはひしひしします。難易度で言えばラヴェルのピアノ協奏曲がちょっと火の鳥を上回ってるはずで、演奏時間はだいたい同じくらい?なのでそっちがどうなってるかも気になりますが。
結構まだ魔王カッチェイの部分ががちゃがちゃしてる感があるので(ただし音響の都合もあるかも)そこが特に心配。あとはちょこちょこ固まってないなあ、というとこが多少、そして「もうちょっと録音聞いて全体把握してくれよー」と思うとこも多少。
今回のプログラムは(うちの母の好みどんぴしゃでもありますが)フランス音楽プログラムとしては聴いてて大変素敵な曲揃え、でも今のオケではなかなかベストな状態で楽しめはしないかなあ。一人の演奏で音楽性を磨くのはまだしもオケ全員でそれをやるには各自かなりの心がけと時間とその他諸々が必要で。難しさを痛感せずにはいられない。
そこが終わったら、というかすでにちょっと始めてるのですが6月のソロのあれに向けての準備。
まだ演奏時間は分からないのですがとりあえず10分くらいはいただけるかなと想定して3曲くらいに絞りました。それ以上短いことはない・・・とは思うけど少しは想定してます。それより長かった場合の曲も同じく少しはぼんやりと。
今の所候補曲はこんな感じ。
1) メシアン 前奏曲第6番「苦悩の鐘と別れの涙」
2) ワーグナー/リスト 「トリスタンとイゾルデ」より愛の死
3) ラフマニノフ 練習曲「音の絵」op. 39-7
どれも以前弾いて寝かせてあったやつです。
弾くのに一番間違いない&一番人に聴かせたいのは1番。ただ2番が「そろそろ弾いておきたいぞ」とわけもなくしっくりくるタイミングを主張してきて、3番は思ってもいなかった方向から「こんな曲やったら面白いかもしれない」(ただし人前で弾くにはなかなかリスクを伴う)と忍び寄って来て正に本命・対抗・大穴の構図。
あとは今週中に短い対にできそうな短い曲を思いついておいてぼちぼち練習を進めておくくらいかな。プログラムが決まったらまたお知らせ予定。さてどうなるかなー。
そのタイミングで若干練習プログラムもちょこちょこ交代していく頃合いですね。
ラヴェルは「道化師の朝の歌」へ、シューベルトも多分鬼門の最終楽章、ロンド兼タランテラの迷路。演奏用曲も道化師も前弾いたとはいえあんまり無理しないようにしなければ(汗)
さてオケコンサート前にもう一回お知らせ兼更新できることを願って今回はここらで。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 「火の鳥」より「序曲」
もともとクラシックでも新しい曲寄りに聴いたり弾いたり好きだったりするのですが、19世紀終わりから20世紀初頭の音楽に触れると色んな新しい表現、今のクラシック音楽とそれ以外の諸々に通じる表現が生まれた時代だなーとつくづく思います。前述対抗馬のワーグナーもそうですし、なにかと引き合いにだすホルストの惑星やマーラーの交響曲なんかもそう。
そういう視点でいえばストラヴィンスキー&バレエ・リュスの「新しい表現」といえば「春の祭典」が一番に浮かぶと思いますがもっと前に書かれた「火の鳥」も新しいこといっぱいの作品。
ようつべでバレエとしての公演を検索するとフォーキン(ニジンスキーの前任のバレエ・リュスの振り付けした人)の振り付けの動画が出てくるのですが20世紀の始めまで遡るのがちょっと信じられない新鮮な動き。(あーほんとこの人がラフマニノフの「交響的舞曲」の振り付けをやってくれてたらなー!)
そしてオケが弾く音楽も斬新な要素多々ありで。特にこの冒頭の地を震わし這うような暗い不気味なパッセージ、びっこをひくような木管のリズム、幽霊のように怪しく透き通る弦のハーモニクス、そして楽譜を見ると分かると思いますが♭7つという弦楽器には音程が不安定な調。この物語の舞台、魔王カッチェイの領域の雰囲気が肌でぴりぴり感じられるようなオケ表現。そしてそんな雰囲気の中に突然現れる火の鳥というまばゆい光の塊。いやあたまらない。
とはいえ数年前に「春の祭典」も100周年を迎え、ストラヴィンスキーの有名な作品で使ったような手法も広く応用されるようになり、三大バレエも演奏する側としてはすっかりクラシックの定番に。バレエもそれくらい普通に公演されるようになってほしいなあ。
・・・という思いを込めてオーストラリアの振り付け家Graeme Murphyの「火の鳥」を始めとした作品を見にAustralian Balletの「Murphy」を水曜日に見に行ってきます。感想も書かなきゃ。
リンクしたのは裏面サムネの文字が見えにくいけど多分フォーキンの振り付けで踊ってると思われるボリショイ・バレエのDVD。もっとちゃんと見たいし踊ってみたい。