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昨日のエントリーをメモなしで書いたので恒例のおことわりを忘れていました。
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
そして先ほどよくよく見たら拍手がぱちぱちされてるではありませんか!それも4つ!
24keysvirus、Trust、オイスター関係と昨日のトランペットとこのブログでカバーしているいくつかのメイントピックを結構網羅していてなんだか本当にありがたいです。そして設置しておいて気づかなくてなんだか申し訳ない・・・
アクセスも徐々に上がってるようで、本当に本当に読んでくださる人には感謝です。
これからもいろいろ書いていくと思いますがよろしくお願いします。
ここ数日心の調子が芳しくなく。
疲労、気分の微妙な落ち込みに加えてピアノの練習途中での急な集中力の低下・・・
程度としては(疲労以外は)大したことないですし、これといって原因も見つからないので一時的なものだと思いますが、だからっていつものようにがんがん前に前にじゃいけません。
(・・・とか言いながら仕事もピアノも(レッスンに向けて?)勉強も家事もやってますが・・・)
こういうときは食べ物でも弾く曲でも聴く音楽でも何かと「あれもいやだ、これもいやだ」となりがち。
そして胃が悪いときには刺激物を避けた方がいいのと同じように、見るもの聴くもの心を動かすものにちょーっと気をつけた方がいいな、というのは経験から覚えてきました。
普段から(決して調子が悪くてひねくれてるわけじゃないです、普段からのひねくれです)結構「癒し」という言葉の安易さに対してかなり疑問を抱いているというか懐疑的だというか・・・
なので一つ断っておきますが「癒しの音楽」について今回話したいわけではないのです。
心を「癒す」とか回復を促す音楽ではなく、心が弱ってる時に聴くと心がささくれ立たないような、心に優しいというか穏やかな状態にさせてくれる音楽を自分の経験から紹介したいと思います。
(注:作曲家の名前で参照することが多いですが、その作曲家の曲全部に当てはまるわけではありません)
ネガティブに説明するのも何ですが、まずは避けたい音楽。
派手だったり外向的な音楽は割と心が防御的になって萎縮しちゃうように思えます。リスト、ワーグナーがぱっと浮かびますが、シューマンもこの類に入ります。シューマンの場合本人の精神の不安定さが若干音楽に表れるのもまたこういう状態には向かない理由でもありますね。
声が入る音楽はぼーっと心を穏やかにして聴くにはやっぱり向いてないかなーという部分もあるような気がします。
人間の耳と脳はやっぱり同じ人間の声に自然と耳を傾けてしまう働きがあるそうなので。
そして何にしても複雑な音楽だと弱った脳が(聞き流すにしても)情報を処理しきれない様子。
自分にとってはなによりもハーモニーが重要らしいです。いつもは大好きなメシアンも心が弱ってると色彩の複雑さがちょっぴりしんどい・・・(汗)でも別の意味で複雑なリゲティはそのメカニカルで幾何学的な性格が心地良く感じます。
あとは強弱が激しかったり、曲が長すぎたり、強いリズムだったり(バルトークなど)、強い感情だったり・・・
それからプロコフィエフの音楽もこういう状態の時は結構苦手かも。というのもプロコフィエフの書く音楽のおそらく一番の特徴というのが「飛躍するメロディー」。とにかく平気で一オクターブとか一気に飛んじゃうアップダウンの激しいメロディーに心がつり上げられたり落とされたりで結構しんどいです。
総括するとおすすめなのは:
1)長すぎず、分厚すぎず、激しすぎず
2)コンパクトなスケール
3)ハーモニーがシンプル
4)自然なメロディー
5)内向的
・・・という特徴をもってるのかなー、なんて・・・
作曲家でいうとおすすめはモンポウ、ラヴェル、ヴォーン=ウィリアムスあたり。
ラヴェルはあの透明な色彩と不思議な軽さが調子が悪い時でも私にはすっと自然に入って来ます。色彩も音楽全体も生き生きとしているのでちょっぴり元気やエネルギーももらえたり。
モンポウは以前「今日の一曲」でも紹介しましたがカタルーニャの民族音楽を扱う作曲家で、カタルーニャの民族音楽のピカイチなメロディーと手のひらに収まるようなコンパクトでシンプルな音楽にかなり重症の時でも穏やかさをもたらしてくれました。
ヴォーン=ウィリアムスに限らずイギリスの音楽はノスタルジックな性格で、せかさないというか「後ろ向きでも全然いいよー」という姿勢がいいいな、と個人的に思います。ヴォーン=ウィリアムスの音楽に感じる景色と雰囲気にものすごーく思い入れがあって。
曲で言ったらなにがいいかなー・・・
1) モーリス・ラヴェル マ・メール・ロワ
ラヴェルの音楽で手のひらサイズ、しかも童心に帰って子供のように愛してくれる純粋な曲。
ピアノ版もオケ版もありますが、どっちも違う魅力があります。
落ち着きだったらピアノ版、暖かさだったらオケ版・・・かな?
2) フェデリコ・モンポウ 内なる印象
いつだったか入院し退院したあとふと惹かれてしまったこの曲。
内なる印象というタイトルのとおり心に秘めるような音楽で、まあるくて大切な小曲集です。
特におすすめは第一楽章、そして「Parjaro Triste( 悲しい鳥)」。
どちらも必要最小限の音とちょうど良いスペースでうまいこと心を静かに動かしてくれます。
3) ヴォーン=ウィリアムス 揚げひばり
ヴォーン=ウィリアムスってこんな曲ばっかり書くよねーという部分もあるのですが、でもだからって憎むことはできないこの曲。メロディーの自然さ、広がる草原、吹くそよ風・・・
心が窮屈に感じたとき、本当に欲している世界を与えてくれる音楽。
4) オリヴィエ・メシアン 幼子イエスに注ぐ20のまなざし 第1番「父のまなざし」
メシアンは複雑な色彩を書くときが生き生きしていますが、こんな曲も。
テンポが一音=一秒というのがやっぱり効きますね(といっても誰も厳密にそれを守ってるわけじゃありませんが)。鼓動に近いテンポだとやっぱり神経はどうも落ち着くようです。ずーっとその一音一秒で変化がなく、音楽自体もものすごく穏やかな弧を書いていて。父性の暖かさ。
5) ヨハネス・ブラームス 交響曲第1番第2楽章
ブラームスは内向的な音楽の性格と、あと子守歌が得意なこともあって心が不調なときに向いていますがなんといってもブラームスの音楽は親身になって傍にいてくれるのですねー。
包容力があって、暖かくて、人間的で。例えばヴォーン=ウィリアムスだと広い空間が心地良い反面ちょっぴり淋しく感じるのですが、ブラームスの音楽はそうやって隣にいてくれる存在の暖かさと心地よさを味わえます。
音楽には本当に人の心をいろんな風に動かすことができる力を持っていて。
心を癒すというのは分からないのですが人自身が力を取り戻せるように支えてくれる、ちょっと手を貸してくれることはできます。
世界津々浦々色々な音楽があって、探せば自分の心のその都度都度の状態にぴったり合う音楽がみつかります。
上記は私個人の経験から見つけた曲ですが、(前にも言いましたが)もっと他の人の心を支える手助けができる音楽を見つけるお手伝いができたらいいなあーと思っています。
ただ今は休息ですね。はい。これから衣替えです。
明日からはまた仕事だから回復するためになるべく自分にとっていいこと、正しいことをしていこうと思います。
今日の一曲はお休みです。
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
そして先ほどよくよく見たら拍手がぱちぱちされてるではありませんか!それも4つ!
24keysvirus、Trust、オイスター関係と昨日のトランペットとこのブログでカバーしているいくつかのメイントピックを結構網羅していてなんだか本当にありがたいです。そして設置しておいて気づかなくてなんだか申し訳ない・・・
アクセスも徐々に上がってるようで、本当に本当に読んでくださる人には感謝です。
これからもいろいろ書いていくと思いますがよろしくお願いします。
ここ数日心の調子が芳しくなく。
疲労、気分の微妙な落ち込みに加えてピアノの練習途中での急な集中力の低下・・・
程度としては(疲労以外は)大したことないですし、これといって原因も見つからないので一時的なものだと思いますが、だからっていつものようにがんがん前に前にじゃいけません。
(・・・とか言いながら仕事もピアノも(レッスンに向けて?)勉強も家事もやってますが・・・)
こういうときは食べ物でも弾く曲でも聴く音楽でも何かと「あれもいやだ、これもいやだ」となりがち。
そして胃が悪いときには刺激物を避けた方がいいのと同じように、見るもの聴くもの心を動かすものにちょーっと気をつけた方がいいな、というのは経験から覚えてきました。
普段から(決して調子が悪くてひねくれてるわけじゃないです、普段からのひねくれです)結構「癒し」という言葉の安易さに対してかなり疑問を抱いているというか懐疑的だというか・・・
なので一つ断っておきますが「癒しの音楽」について今回話したいわけではないのです。
心を「癒す」とか回復を促す音楽ではなく、心が弱ってる時に聴くと心がささくれ立たないような、心に優しいというか穏やかな状態にさせてくれる音楽を自分の経験から紹介したいと思います。
(注:作曲家の名前で参照することが多いですが、その作曲家の曲全部に当てはまるわけではありません)
ネガティブに説明するのも何ですが、まずは避けたい音楽。
派手だったり外向的な音楽は割と心が防御的になって萎縮しちゃうように思えます。リスト、ワーグナーがぱっと浮かびますが、シューマンもこの類に入ります。シューマンの場合本人の精神の不安定さが若干音楽に表れるのもまたこういう状態には向かない理由でもありますね。
声が入る音楽はぼーっと心を穏やかにして聴くにはやっぱり向いてないかなーという部分もあるような気がします。
人間の耳と脳はやっぱり同じ人間の声に自然と耳を傾けてしまう働きがあるそうなので。
そして何にしても複雑な音楽だと弱った脳が(聞き流すにしても)情報を処理しきれない様子。
自分にとってはなによりもハーモニーが重要らしいです。いつもは大好きなメシアンも心が弱ってると色彩の複雑さがちょっぴりしんどい・・・(汗)でも別の意味で複雑なリゲティはそのメカニカルで幾何学的な性格が心地良く感じます。
あとは強弱が激しかったり、曲が長すぎたり、強いリズムだったり(バルトークなど)、強い感情だったり・・・
それからプロコフィエフの音楽もこういう状態の時は結構苦手かも。というのもプロコフィエフの書く音楽のおそらく一番の特徴というのが「飛躍するメロディー」。とにかく平気で一オクターブとか一気に飛んじゃうアップダウンの激しいメロディーに心がつり上げられたり落とされたりで結構しんどいです。
総括するとおすすめなのは:
1)長すぎず、分厚すぎず、激しすぎず
2)コンパクトなスケール
3)ハーモニーがシンプル
4)自然なメロディー
5)内向的
・・・という特徴をもってるのかなー、なんて・・・
作曲家でいうとおすすめはモンポウ、ラヴェル、ヴォーン=ウィリアムスあたり。
ラヴェルはあの透明な色彩と不思議な軽さが調子が悪い時でも私にはすっと自然に入って来ます。色彩も音楽全体も生き生きとしているのでちょっぴり元気やエネルギーももらえたり。
モンポウは以前「今日の一曲」でも紹介しましたがカタルーニャの民族音楽を扱う作曲家で、カタルーニャの民族音楽のピカイチなメロディーと手のひらに収まるようなコンパクトでシンプルな音楽にかなり重症の時でも穏やかさをもたらしてくれました。
ヴォーン=ウィリアムスに限らずイギリスの音楽はノスタルジックな性格で、せかさないというか「後ろ向きでも全然いいよー」という姿勢がいいいな、と個人的に思います。ヴォーン=ウィリアムスの音楽に感じる景色と雰囲気にものすごーく思い入れがあって。
曲で言ったらなにがいいかなー・・・
1) モーリス・ラヴェル マ・メール・ロワ
ラヴェルの音楽で手のひらサイズ、しかも童心に帰って子供のように愛してくれる純粋な曲。
ピアノ版もオケ版もありますが、どっちも違う魅力があります。
落ち着きだったらピアノ版、暖かさだったらオケ版・・・かな?
2) フェデリコ・モンポウ 内なる印象
いつだったか入院し退院したあとふと惹かれてしまったこの曲。
内なる印象というタイトルのとおり心に秘めるような音楽で、まあるくて大切な小曲集です。
特におすすめは第一楽章、そして「Parjaro Triste( 悲しい鳥)」。
どちらも必要最小限の音とちょうど良いスペースでうまいこと心を静かに動かしてくれます。
3) ヴォーン=ウィリアムス 揚げひばり
ヴォーン=ウィリアムスってこんな曲ばっかり書くよねーという部分もあるのですが、でもだからって憎むことはできないこの曲。メロディーの自然さ、広がる草原、吹くそよ風・・・
心が窮屈に感じたとき、本当に欲している世界を与えてくれる音楽。
4) オリヴィエ・メシアン 幼子イエスに注ぐ20のまなざし 第1番「父のまなざし」
メシアンは複雑な色彩を書くときが生き生きしていますが、こんな曲も。
テンポが一音=一秒というのがやっぱり効きますね(といっても誰も厳密にそれを守ってるわけじゃありませんが)。鼓動に近いテンポだとやっぱり神経はどうも落ち着くようです。ずーっとその一音一秒で変化がなく、音楽自体もものすごく穏やかな弧を書いていて。父性の暖かさ。
5) ヨハネス・ブラームス 交響曲第1番第2楽章
ブラームスは内向的な音楽の性格と、あと子守歌が得意なこともあって心が不調なときに向いていますがなんといってもブラームスの音楽は親身になって傍にいてくれるのですねー。
包容力があって、暖かくて、人間的で。例えばヴォーン=ウィリアムスだと広い空間が心地良い反面ちょっぴり淋しく感じるのですが、ブラームスの音楽はそうやって隣にいてくれる存在の暖かさと心地よさを味わえます。
音楽には本当に人の心をいろんな風に動かすことができる力を持っていて。
心を癒すというのは分からないのですが人自身が力を取り戻せるように支えてくれる、ちょっと手を貸してくれることはできます。
世界津々浦々色々な音楽があって、探せば自分の心のその都度都度の状態にぴったり合う音楽がみつかります。
上記は私個人の経験から見つけた曲ですが、(前にも言いましたが)もっと他の人の心を支える手助けができる音楽を見つけるお手伝いができたらいいなあーと思っています。
ただ今は休息ですね。はい。これから衣替えです。
明日からはまた仕事だから回復するためになるべく自分にとっていいこと、正しいことをしていこうと思います。
今日の一曲はお休みです。
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なんだかちょっと疲れ気味のこの頃。今日は心の調子もちょっぴりいまいちな部分が・・・
でもチェロはもう少しで奪回できるし(チェロに関しては奪回した後にまた詳しく!)、天気はもう春だしいいこともたくさん。
引き続きのステンドグラスデザイン作業もありますし、明日もピアノにスーパーで買い物に衣替えにいろいろ頑張らなくちゃけないので頑張ってかなきゃ!
ということで景気づけになるような楽器で(珍しくメモなし&ノープランで)楽器と性格第4弾をやっていきたいと思います。
音楽や絵画で頻繁に「天使の奏でる楽器」とされているのがトランペット。
新約聖書の「ヨハネの黙示録」での世を滅ぼす7つのトランペットとを始め、なにかと繋がりが強いイメージです。
(反対に悪魔の楽器はバイオリンというイメージが強いですね)
なので基本的に輝かしい、力強い役割が多く、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」以外では悪役に回ることがない(というか自分が思いつかない)楽器。
奏者の方もなかなか正義感が強い人がけっこういます。
間違ってた・曲がった事が許せない、自分の信条に真っ直ぐな人柄がトランペット奏者の一番の特徴なんじゃないかと思います。
その強く一途な思いはチェロ奏者と共通するところがありますが、チェロ奏者が自分の信条を基準として判断するのに対してトランペット奏者は「正しいか正しくないか」で判断。わりと社会的正義感も強いタイプです。
なのでトランペット奏者と口論したらまず勝てないのでは?と思いますねえ・・・向こうは向こうなりの正義でものを考えてるのでそこが相容れなければ堂々巡りになるだけかも・・・?
議論の展開、突き詰めの過程で熱くなるというよりはやっぱり白黒つけたくてやっきになるというタイプが多く見受けられます。
あともう一つチェロとトランペットが似てるのは一途だからこそのちょっとした不器用さ。
どちらも伴奏をわりと苦手としている楽器で・・・(ただトランペットは楽器の性質上伴奏パートを弾くのが難しいのですが、チェロは楽器はできるのに奏者があんまり伴奏が好きでない、という・・・)
伴奏が苦手、というのはあとやっぱり目立ちたがり屋なところがあるせいも?と思います。
トランペットのメロディーだったりソロだったりというのは輝かしくなんといってもかっこいいもので・・・
そういったトランペットならではのソロをこなしているうちに目立つのも、かっこよくあるのも快感に感じる様になってしまう、という楽器を弾くことによって発達する性格的要素ではないかと思います。
その音からも分かるようにトランペットの人は基本明るく真っ直ぐ、単純で竹を割ったような性格。
判断力があり行動的で、子供のように無邪気にはしゃぐこともあり、ちょっぴり空回りしたり短気だったりもします。
でもなんといっても基本真面目。特に演奏するときはそうですね。
私は実はトランペット奏者の特徴の多くが心のツボにはまってるのですがその中でもトランペット奏者という人達に対して特別に敬意を抱いていることがあります。
トランペットという楽器は唇と息の加減一つで音が外れる楽器。しかも楽器の元々の音量がかなり大きいです。かといって躊躇しながら弾くと余計に音が外れる、という・・・
トランペットでソロを成功させるには「Just go for it」な精神、つまり「案ずるよりも産むが易し」、くよくよ悩まないでただ突進・突撃あるのみ!という精神で向かわなければならないのです。
どんな難しいパッセージでも迷うことなく100%で、音を外すにしても潔く立ち向かうトランペット奏者の演奏と姿勢にいつでも私は惚れ惚れしているのです。
惚れ惚れ、といえば自分データだとトランペット奏者には結構男前が多い気が・・・
ユースオケの演奏旅行の際に女子メンバーが男子メンバーを格付けした結果「ハンサムNo.1」、「抱かれたい男No.1」共に同じトランペット奏者だったのもそうですし、プロ奏者でも何人か心当たりがあります。
ちなみにうちの父もトランペット奏者ですが、客観的に冷静に見るとなかなかですしね。
ただやっぱり顔だけでなく、上記気質の男前さ、というかそういうものがそろってこそのトランペット奏者=男前の気質だと思うのであーんまりルックスは強調しないでおきたいのですが・・・
トランペット奏者の男前、というのは一番クラシックな男前男性像だったり一番スタンダードな男気なのかな~とか思います。
キャラだったり人物だったりに楽器を割り当てるとき、トランペット奏者は性格よりも重視している、ただただ一つの要素があります。
それは「目」。二次元だろうが実在の人物だろうが、トランペット奏者だな、と思う人を見分けるにはその人の目を見ればいい、という100%個人的見解を持っていて。
トランペットが向いてるだろうな、と思う人は尋常なく強く真っ直ぐな目をしてますね。言葉で説明しにくいんですが独特のまなざしです。
・・・と言って実はここで歴史的人物とかから例を引っ張り出してくるはずだったのですがぱっと思いつかず・・・またの機会に!
(例えば封神演義だったらだんぜん黄天化なんですが・・・果たして何人が分かってくれるのか・・・(汗))
弦楽器だったらバイオリンが自然とリーダー的存在になるように、金管でのリーダーはトランペット
軍隊で使われることも多いので(天使もまた神のために戦う戦士でもありますが)想像がつくかも知れませんが、ホルン、トロンボーン、テューバという基本ほんわかしてたりマイペースだったりする楽器をきびきびとまとめて、先陣を切って金管軍団を率いる存在でもあります。
トランペットの音っていつ聴いても心が引き締まるし、奮い立つしで・・・そして先ほど言いました奏者達の勇気を思うと本当にこちらも勇気が出ます。
私にとってこんな奏者・人間になりたいなと思うあこがれの存在・・・かもしれません。
・・・こうくると次はホルンかな?ホルンは結構ほとんどインサイダーなので話したい事はいろいろあるのですが(チェロとホルンの関係性もまた面白いですし)・・・さあどうまとまるかしら。
時間がかかったらごめんなさいね~(汗)
今日の一曲: バルトーク・ベーラ ピアノ協奏曲第2番第2楽章
トランペットに縁のある曲を選びました、といったら信じてもらえるでしょうか(笑)
選んだ理由はおいおい・・・
バルトークはオケ使いが独特なスタイルでピカイチなのですが、なんといっても金管の使い方がすごい!
金管に和音を吹かせたりソロを吹かせるだけでなく、それぞれのパートが別々のメロディーで動くポリフォニーが得意です。第1奏者だけでなく第2、第3奏者のソロもあってみんな気が抜けません!
ピアノ協奏曲でもオケのパートがめっちゃ充実していて(この曲をユースオケでやった時にすごいリハーサル時間かけました!)、ポリフォニー、複雑でワイルドなリズム、数えにくい休み小節(私だけ?自分の音楽的なカンにはものすごく自信があるのですがバルトークだけは勘が効きにくいです)・・・
もちろん金管楽器もものすごく活躍するコンチェルトです。
で、なぜ弦抜きで管楽器のセミオーケストラが活躍する第1楽章でなくスローで一見金管は目立たない第2楽章を選んだか。
この楽章はスローなセクションの後、スケルツォにあたる速い軽快なセクションがあって、またスローなセクションが戻る、というこの時代なんだか地味に流行りだった形式?(ラフマニノフとかも使ってます)なんですが・・・
そのスケルツォの最後の最後にあるトランペットの一音!それが私がおそらくどんなレパートリーのなかでも一番かっこいいと思うトランペットソロなのです。
弦や木管、時には打楽器がピアノの音と絡み合い、ちょっぴり幾何学的で、バルトーク&ハンガリー音楽のワイルドさも備えかねたちょっと変わった意味で幻想的な音楽を奏でて(あえて言えばちょっとだけデュカの「魔法使いの弟子」に似てるとこもあるかなー)、その最後のセクションに音がひょいひょいと上り詰めて、その頂上にトランペットソロ!しかも真ん中のドから2オクターブ上のドという超高音!
実はトランペットはCDで聴いてみると少なくともこのソロの前40秒間は弾いていません。(ソロを弾くのが第1奏者なのですが、その40秒前に聞こえるトランペットの音が第1奏者によって弾かれているかどうかわからないので「少なくとも」なのです)
で、何も弾かないところからその超高音をぱっと真っ直ぐ外さず吹かなくちゃいけないこの難しさ!
その40秒間奏者はそうとうどきどきしてるんでしょうね・・・
でも聴いている方もそうとうはらはらしてたのでそのソロが決まってそのまっすぐな高音が聞こえたときの快感だったりたまらないですね!
全部踏まえて本当に惚れちゃいますよ、このトップのドを決めたトランペット奏者!
スローなセクションには触れなかったのですが、これもまた神秘的なバルトークの「夜の音楽」の世界。
バルトークの「夜の音楽」というくくりについてはまだ不勉強なのですが(汗)確かにこういった緩徐楽章は「夜」のものすごく神秘的で、静かで、どこか恐怖があって・・・という側面そのものだなあ、という気がします。
耳で聞いているはずなのに、なんだか全身で音楽を感じてしまうような不思議な感覚もあります。
とりあえずこのトランペットソロは曲の知名度もありますがあまりその大変さが知られてないような気がして。
でも私にとってはそういった大変さだったりも含めて最高にかっこいいソロだと思います。
なので次回この曲を聴いた際には耳を傾けてみてくださいね♪(そしてできれば一緒にはらはらしたり・・・)
でもチェロはもう少しで奪回できるし(チェロに関しては奪回した後にまた詳しく!)、天気はもう春だしいいこともたくさん。
引き続きのステンドグラスデザイン作業もありますし、明日もピアノにスーパーで買い物に衣替えにいろいろ頑張らなくちゃけないので頑張ってかなきゃ!
ということで景気づけになるような楽器で(珍しくメモなし&ノープランで)楽器と性格第4弾をやっていきたいと思います。
音楽や絵画で頻繁に「天使の奏でる楽器」とされているのがトランペット。
新約聖書の「ヨハネの黙示録」での世を滅ぼす7つのトランペットとを始め、なにかと繋がりが強いイメージです。
(反対に悪魔の楽器はバイオリンというイメージが強いですね)
なので基本的に輝かしい、力強い役割が多く、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」以外では悪役に回ることがない(というか自分が思いつかない)楽器。
奏者の方もなかなか正義感が強い人がけっこういます。
間違ってた・曲がった事が許せない、自分の信条に真っ直ぐな人柄がトランペット奏者の一番の特徴なんじゃないかと思います。
その強く一途な思いはチェロ奏者と共通するところがありますが、チェロ奏者が自分の信条を基準として判断するのに対してトランペット奏者は「正しいか正しくないか」で判断。わりと社会的正義感も強いタイプです。
なのでトランペット奏者と口論したらまず勝てないのでは?と思いますねえ・・・向こうは向こうなりの正義でものを考えてるのでそこが相容れなければ堂々巡りになるだけかも・・・?
議論の展開、突き詰めの過程で熱くなるというよりはやっぱり白黒つけたくてやっきになるというタイプが多く見受けられます。
あともう一つチェロとトランペットが似てるのは一途だからこそのちょっとした不器用さ。
どちらも伴奏をわりと苦手としている楽器で・・・(ただトランペットは楽器の性質上伴奏パートを弾くのが難しいのですが、チェロは楽器はできるのに奏者があんまり伴奏が好きでない、という・・・)
伴奏が苦手、というのはあとやっぱり目立ちたがり屋なところがあるせいも?と思います。
トランペットのメロディーだったりソロだったりというのは輝かしくなんといってもかっこいいもので・・・
そういったトランペットならではのソロをこなしているうちに目立つのも、かっこよくあるのも快感に感じる様になってしまう、という楽器を弾くことによって発達する性格的要素ではないかと思います。
その音からも分かるようにトランペットの人は基本明るく真っ直ぐ、単純で竹を割ったような性格。
判断力があり行動的で、子供のように無邪気にはしゃぐこともあり、ちょっぴり空回りしたり短気だったりもします。
でもなんといっても基本真面目。特に演奏するときはそうですね。
私は実はトランペット奏者の特徴の多くが心のツボにはまってるのですがその中でもトランペット奏者という人達に対して特別に敬意を抱いていることがあります。
トランペットという楽器は唇と息の加減一つで音が外れる楽器。しかも楽器の元々の音量がかなり大きいです。かといって躊躇しながら弾くと余計に音が外れる、という・・・
トランペットでソロを成功させるには「Just go for it」な精神、つまり「案ずるよりも産むが易し」、くよくよ悩まないでただ突進・突撃あるのみ!という精神で向かわなければならないのです。
どんな難しいパッセージでも迷うことなく100%で、音を外すにしても潔く立ち向かうトランペット奏者の演奏と姿勢にいつでも私は惚れ惚れしているのです。
惚れ惚れ、といえば自分データだとトランペット奏者には結構男前が多い気が・・・
ユースオケの演奏旅行の際に女子メンバーが男子メンバーを格付けした結果「ハンサムNo.1」、「抱かれたい男No.1」共に同じトランペット奏者だったのもそうですし、プロ奏者でも何人か心当たりがあります。
ちなみにうちの父もトランペット奏者ですが、客観的に冷静に見るとなかなかですしね。
ただやっぱり顔だけでなく、上記気質の男前さ、というかそういうものがそろってこそのトランペット奏者=男前の気質だと思うのであーんまりルックスは強調しないでおきたいのですが・・・
トランペット奏者の男前、というのは一番クラシックな男前男性像だったり一番スタンダードな男気なのかな~とか思います。
キャラだったり人物だったりに楽器を割り当てるとき、トランペット奏者は性格よりも重視している、ただただ一つの要素があります。
それは「目」。二次元だろうが実在の人物だろうが、トランペット奏者だな、と思う人を見分けるにはその人の目を見ればいい、という100%個人的見解を持っていて。
トランペットが向いてるだろうな、と思う人は尋常なく強く真っ直ぐな目をしてますね。言葉で説明しにくいんですが独特のまなざしです。
・・・と言って実はここで歴史的人物とかから例を引っ張り出してくるはずだったのですがぱっと思いつかず・・・またの機会に!
(例えば封神演義だったらだんぜん黄天化なんですが・・・果たして何人が分かってくれるのか・・・(汗))
弦楽器だったらバイオリンが自然とリーダー的存在になるように、金管でのリーダーはトランペット
軍隊で使われることも多いので(天使もまた神のために戦う戦士でもありますが)想像がつくかも知れませんが、ホルン、トロンボーン、テューバという基本ほんわかしてたりマイペースだったりする楽器をきびきびとまとめて、先陣を切って金管軍団を率いる存在でもあります。
トランペットの音っていつ聴いても心が引き締まるし、奮い立つしで・・・そして先ほど言いました奏者達の勇気を思うと本当にこちらも勇気が出ます。
私にとってこんな奏者・人間になりたいなと思うあこがれの存在・・・かもしれません。
・・・こうくると次はホルンかな?ホルンは結構ほとんどインサイダーなので話したい事はいろいろあるのですが(チェロとホルンの関係性もまた面白いですし)・・・さあどうまとまるかしら。
時間がかかったらごめんなさいね~(汗)
今日の一曲: バルトーク・ベーラ ピアノ協奏曲第2番第2楽章
トランペットに縁のある曲を選びました、といったら信じてもらえるでしょうか(笑)
選んだ理由はおいおい・・・
バルトークはオケ使いが独特なスタイルでピカイチなのですが、なんといっても金管の使い方がすごい!
金管に和音を吹かせたりソロを吹かせるだけでなく、それぞれのパートが別々のメロディーで動くポリフォニーが得意です。第1奏者だけでなく第2、第3奏者のソロもあってみんな気が抜けません!
ピアノ協奏曲でもオケのパートがめっちゃ充実していて(この曲をユースオケでやった時にすごいリハーサル時間かけました!)、ポリフォニー、複雑でワイルドなリズム、数えにくい休み小節(私だけ?自分の音楽的なカンにはものすごく自信があるのですがバルトークだけは勘が効きにくいです)・・・
もちろん金管楽器もものすごく活躍するコンチェルトです。
で、なぜ弦抜きで管楽器のセミオーケストラが活躍する第1楽章でなくスローで一見金管は目立たない第2楽章を選んだか。
この楽章はスローなセクションの後、スケルツォにあたる速い軽快なセクションがあって、またスローなセクションが戻る、というこの時代なんだか地味に流行りだった形式?(ラフマニノフとかも使ってます)なんですが・・・
そのスケルツォの最後の最後にあるトランペットの一音!それが私がおそらくどんなレパートリーのなかでも一番かっこいいと思うトランペットソロなのです。
弦や木管、時には打楽器がピアノの音と絡み合い、ちょっぴり幾何学的で、バルトーク&ハンガリー音楽のワイルドさも備えかねたちょっと変わった意味で幻想的な音楽を奏でて(あえて言えばちょっとだけデュカの「魔法使いの弟子」に似てるとこもあるかなー)、その最後のセクションに音がひょいひょいと上り詰めて、その頂上にトランペットソロ!しかも真ん中のドから2オクターブ上のドという超高音!
実はトランペットはCDで聴いてみると少なくともこのソロの前40秒間は弾いていません。(ソロを弾くのが第1奏者なのですが、その40秒前に聞こえるトランペットの音が第1奏者によって弾かれているかどうかわからないので「少なくとも」なのです)
で、何も弾かないところからその超高音をぱっと真っ直ぐ外さず吹かなくちゃいけないこの難しさ!
その40秒間奏者はそうとうどきどきしてるんでしょうね・・・
でも聴いている方もそうとうはらはらしてたのでそのソロが決まってそのまっすぐな高音が聞こえたときの快感だったりたまらないですね!
全部踏まえて本当に惚れちゃいますよ、このトップのドを決めたトランペット奏者!
スローなセクションには触れなかったのですが、これもまた神秘的なバルトークの「夜の音楽」の世界。
バルトークの「夜の音楽」というくくりについてはまだ不勉強なのですが(汗)確かにこういった緩徐楽章は「夜」のものすごく神秘的で、静かで、どこか恐怖があって・・・という側面そのものだなあ、という気がします。
耳で聞いているはずなのに、なんだか全身で音楽を感じてしまうような不思議な感覚もあります。
とりあえずこのトランペットソロは曲の知名度もありますがあまりその大変さが知られてないような気がして。
でも私にとってはそういった大変さだったりも含めて最高にかっこいいソロだと思います。
なので次回この曲を聴いた際には耳を傾けてみてくださいね♪(そしてできれば一緒にはらはらしたり・・・)
Twitterでご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、今メシアンの「世の終わりのための四重奏」の8つの楽章をモチーフにステンドグラスをデザインしてみてます。
今の状態はこちら。方眼紙にサインペンでペン入れして、クーピー(60色セット)で着色したところ。もう一回清書した後白紙に写して(トレース台的なものが無いので着色したままだと写せない)、PCにスキャン、着色の予定です。色彩は若干変わるかもです。
着色プランニング工程はあんまり悩みませんでしたね。メシアン自身色の名前を各楽章の前書きで言及しているのもありますし、ある程度自分の中でも自分が感じてる色彩が意識的に分かってますし。ただこのデザインで自分の感じている色彩をどれくらい表現出来たか、といったらやっぱり1割にも満たないかなーという感じはするのですが・・・
共感覚では同じものを聴いても人によって感じる色彩が違うので、このメシアンの感じる色彩と自分の感じる色彩の融合、という形で作業をしたのが本当に楽しくて、言葉にはできない感覚を味わえました。
このステンドグラスデザインの完成品(あくまでデザインですが、本当は実際にガラスでやって光を通したい!)を始めもろもろの完成品、半固形的なものを近いうちにゆる~いギャラリー的なところを作ってアップしたいと思っています・・・が詳細は後日。
次に読む予定の論文が視覚と聴覚の共感覚を診断する方法、ということについて言及している論文で、なかなか楽しみにしています。
共感覚については以前もこのエントリーでいろいろ書いているのですが、一応おそらく私も視覚と聴覚の共感覚保持者なので、実際にそういう診断がでたら面白いなあ~とか。それで例えば平成教育学院☆放課後でやってたみたいに脳と共感覚の研究に参加できたらおもしろいな~と思うんです。
自分が共感覚保持者か、というのは少なくとも私にとってはわかりにくいなーという気がします。
確かに音(ことに和音)を聴いて色彩をある程度感じることはできるんですけど、もしかしたら想像力の働きだったり連想する脳のネットワークが速かったりするだけかもしれませんし。
あとなんとか自分でその感覚を捕まえて意識的に感じるようにここ数年(現代音楽を弾くのに特に)頑張ってきたんですか共感覚に鍛錬できる分が果たしてあるのか、というところも気になりますし。
やっぱり共感覚があるとしたらやっぱり強いのは視覚と聴覚の繋がり(つまり音楽と色彩の繋がり)だとおもうんです。ただ他にもちょろちょろ繋がってる感覚があるっぽいんだけどそれは果たして共感覚なのかなんなのか(はたまた想像力の働き(後略)だったりするのか)自分でもよくわからないなーという事が多いです。
例えば。
自分が文字と色の共感覚を持ってるなーとはあんまり思わないんですが気になるところが。
仕事柄医学用語を扱うことが多いんですが、「血」を表す接頭辞はアメリカ綴りで「Hema~」、イギリス綴りで「Haema~」と書かれます。
これはやっぱりイギリス綴りで育ったこともきっとあるのでしょうが、でも英語で書かれてる文をざーっと読んでいるときアメリカ綴りの「Hema~」という接頭辞に直感的に「血」だったり赤という色を感じないんですよ。
だから本当にアメリカ綴りだとざーっと読んでると目がピックアップしないのでじっくり読まなくちゃいけなかったり。自分で書いててもちょっと(ぱっと見)分からなくなるのでなるべくHaema~で書いてます。
あとは世界の国を漢字略称で書いた場合(独、仏、韓など)、覚えにくいのと覚えやすいものになんとなく差があることが最近判明してます。
で、よくよく見てみると自分が国を表す漢字を見て連想する色と、その国に対してイメージのある色(国旗、イメージ、スポーツチームなど)とが一致するとやっぱり覚えやすいような傾向があるような無いような・・・
例えばフィンランド(芬)、スウェーデン(典)、エジプト(埃)は覚えやすいですが、メキシコ(墨)、ブラジル(伯)、
ポーランド(波)は覚えにくい。
これは連想の問題か、共感覚なのか、自分だと区別がつきません。
他にも音楽の特定の箇所で味を感じたり、色彩を意識的に感じた場合触感も一緒についてきたり。
それからワインに関する言語に見られる共感覚的比喩(共感覚を感じるのではなく、ある感覚を別の種類の感覚によって描写表現することのこと)についての論文を読んだときに視覚という感覚を色彩と「光」(明暗など)に分けて考えてたのも気になってて。
もう本当に感覚を感じて、それを伝えることがこんなに難しいことだとは!
で、そのワインに関する言語の論文の参考文献にワイン以外での共感覚比喩についての論文ものってて、まだそちらには手が回ってないのですが・・・
でも確かに日常生活でも「冷たい視線」だったり「暖かい音色」だったり「茶色い味」(これビタミンBが入ってるビタミン剤で思いません?妹も言うんですが)だったり、後者はあまり一般的でなくともそういうある感覚を他のタイプの感覚に例えて表現することって結構ありますよね。
それと共感覚がなにか関係しているのか、共感覚を持つ人と持たない人で比喩の表現や感じ方は違うのか、共感覚を持たない人がどうやってそういう比喩を生み出すのか、というのとか。
いろいろ分からないことは多いですが、共感覚を持っていてもそれが普通で感じるだけで特に役立つことがないという人が多い中、音楽を弾く際の解釈への影響だったり、音楽の理解のためだったり、メシアンなどの音楽をより深く感じる(?)ことだったり、はたまた今回のステンドグラスデザインだったり、この共感覚だかどうだかわからない感覚を何かに有効に使えているのがなんだかとってもうれしいです。
だから共感覚かどうか分からなくても全然楽しいんですが、やはり心理学などをかじった身としては脳内ネットワークがどうなると共感覚が起こるのか、どういうメカニズムになっててどういう影響があるのか、脳の発達に影響があるのかとかものすごーく気になります。
平成教育学院☆放課後では共感覚保持者の中野君を手が出るほど欲しいと研究者の人がおっしゃってましたが、私にできることがあれば研究に参加してもいいかなーとか思いますし、そっち関係の研究も面白いなーと思いますし。
今Musicophiliaは親友に貸してるのですが、Musicophiliaだったり他の本だったり論文だったりでもっともっと知りたいなーと思いながら今日もまた様々なタイプの色彩にあふれた世界で生きていくのでした。
(ちなみにブログのタイトルに「虹の錯乱」を選んだのは好きだから、そしてメシアンの音楽にあらわれる共感覚の簡潔で的を射た表現というのもありますが、自分にとって自分の生きているこの世界は色彩めまぐるしい不思議な世界なんだ、という意味合いもあるのです。完全に余談ですが。)
今日の一曲: トマス・アデズ 「Living Toys」より「H.A.Lの死」
この曲を知ってしばらく経ちますが、このHALが何のことだか実はつい最近まで知りませんでした。
スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」(とその続編)に登場するAI(人工知能)のHAL9000、その最期の事を指してるんだ!
・・・と思ったあととりあえず手っ取り早く動画でそのシーンを探して見たらあらまあ心にがんと一撃くらわされました。さらにもう一回この曲にもどってもう一撃。
実際にHALが死ぬ(=電源を切られる)ときに「デイジー・ベル」を歌うのがこの曲でも再現されていて。
あの低い低いスローになった声を地の底から出でるようなコントラバスーンの声で再現ってかなりリアルで映画並みにダメージきますね!
「2001年宇宙の旅」といったらリゲティが音楽を手がけてる部分もあるとか(あとシャイニングも)なんですが、このアデズの小さな曲もまた断片的にちょこちょことしかしらないキューブリックの映画のあの緊張だったり独特の恐怖のテイストだったりに近いものがありますね。
数時間前音楽→映画のシーン→音楽のシーケンスを調べ物がてらに経験したのですがいまでもちょっぴり余波がちょっと心に残ってますね。
もともとアデズの音楽も好きですし、Living Toysもものすごく好きなのですが、この一連のショックを伴う経験でもっと好きになっちゃいました。
で、動画の方からの影響でキューブリックの映画がもっと見たいな-なんて・・・
サイコホラーは割りと苦手で、先ほども言いましたがわりとその5分強でもものすごくダメージ受けたんですが、でもそれでも素直に「凄いこのシーン!」と思いましたし、その短いシーンで味わったものがショッキングで怖くて同時にものすごく魅力があって、思い返すともう一回体験したいなあ、なんておもってるので・・・
とりあえずリゲティも携わってることですし「2001年宇宙の旅」と「シャイニング」はそのうちみたいです。
なんだかでも曲自体の話にあんまり言及してないなあ。この曲を音楽として総括的にみても、いろいろ分析しても好きなところだらけなのですが・・・
Living Toys全体に関してはまた次回・・・
今の状態はこちら。方眼紙にサインペンでペン入れして、クーピー(60色セット)で着色したところ。もう一回清書した後白紙に写して(トレース台的なものが無いので着色したままだと写せない)、PCにスキャン、着色の予定です。色彩は若干変わるかもです。
着色プランニング工程はあんまり悩みませんでしたね。メシアン自身色の名前を各楽章の前書きで言及しているのもありますし、ある程度自分の中でも自分が感じてる色彩が意識的に分かってますし。ただこのデザインで自分の感じている色彩をどれくらい表現出来たか、といったらやっぱり1割にも満たないかなーという感じはするのですが・・・
共感覚では同じものを聴いても人によって感じる色彩が違うので、このメシアンの感じる色彩と自分の感じる色彩の融合、という形で作業をしたのが本当に楽しくて、言葉にはできない感覚を味わえました。
このステンドグラスデザインの完成品(あくまでデザインですが、本当は実際にガラスでやって光を通したい!)を始めもろもろの完成品、半固形的なものを近いうちにゆる~いギャラリー的なところを作ってアップしたいと思っています・・・が詳細は後日。
次に読む予定の論文が視覚と聴覚の共感覚を診断する方法、ということについて言及している論文で、なかなか楽しみにしています。
共感覚については以前もこのエントリーでいろいろ書いているのですが、一応おそらく私も視覚と聴覚の共感覚保持者なので、実際にそういう診断がでたら面白いなあ~とか。それで例えば平成教育学院☆放課後でやってたみたいに脳と共感覚の研究に参加できたらおもしろいな~と思うんです。
自分が共感覚保持者か、というのは少なくとも私にとってはわかりにくいなーという気がします。
確かに音(ことに和音)を聴いて色彩をある程度感じることはできるんですけど、もしかしたら想像力の働きだったり連想する脳のネットワークが速かったりするだけかもしれませんし。
あとなんとか自分でその感覚を捕まえて意識的に感じるようにここ数年(現代音楽を弾くのに特に)頑張ってきたんですか共感覚に鍛錬できる分が果たしてあるのか、というところも気になりますし。
やっぱり共感覚があるとしたらやっぱり強いのは視覚と聴覚の繋がり(つまり音楽と色彩の繋がり)だとおもうんです。ただ他にもちょろちょろ繋がってる感覚があるっぽいんだけどそれは果たして共感覚なのかなんなのか(はたまた想像力の働き(後略)だったりするのか)自分でもよくわからないなーという事が多いです。
例えば。
自分が文字と色の共感覚を持ってるなーとはあんまり思わないんですが気になるところが。
仕事柄医学用語を扱うことが多いんですが、「血」を表す接頭辞はアメリカ綴りで「Hema~」、イギリス綴りで「Haema~」と書かれます。
これはやっぱりイギリス綴りで育ったこともきっとあるのでしょうが、でも英語で書かれてる文をざーっと読んでいるときアメリカ綴りの「Hema~」という接頭辞に直感的に「血」だったり赤という色を感じないんですよ。
だから本当にアメリカ綴りだとざーっと読んでると目がピックアップしないのでじっくり読まなくちゃいけなかったり。自分で書いててもちょっと(ぱっと見)分からなくなるのでなるべくHaema~で書いてます。
あとは世界の国を漢字略称で書いた場合(独、仏、韓など)、覚えにくいのと覚えやすいものになんとなく差があることが最近判明してます。
で、よくよく見てみると自分が国を表す漢字を見て連想する色と、その国に対してイメージのある色(国旗、イメージ、スポーツチームなど)とが一致するとやっぱり覚えやすいような傾向があるような無いような・・・
例えばフィンランド(芬)、スウェーデン(典)、エジプト(埃)は覚えやすいですが、メキシコ(墨)、ブラジル(伯)、
ポーランド(波)は覚えにくい。
これは連想の問題か、共感覚なのか、自分だと区別がつきません。
他にも音楽の特定の箇所で味を感じたり、色彩を意識的に感じた場合触感も一緒についてきたり。
それからワインに関する言語に見られる共感覚的比喩(共感覚を感じるのではなく、ある感覚を別の種類の感覚によって描写表現することのこと)についての論文を読んだときに視覚という感覚を色彩と「光」(明暗など)に分けて考えてたのも気になってて。
もう本当に感覚を感じて、それを伝えることがこんなに難しいことだとは!
で、そのワインに関する言語の論文の参考文献にワイン以外での共感覚比喩についての論文ものってて、まだそちらには手が回ってないのですが・・・
でも確かに日常生活でも「冷たい視線」だったり「暖かい音色」だったり「茶色い味」(これビタミンBが入ってるビタミン剤で思いません?妹も言うんですが)だったり、後者はあまり一般的でなくともそういうある感覚を他のタイプの感覚に例えて表現することって結構ありますよね。
それと共感覚がなにか関係しているのか、共感覚を持つ人と持たない人で比喩の表現や感じ方は違うのか、共感覚を持たない人がどうやってそういう比喩を生み出すのか、というのとか。
いろいろ分からないことは多いですが、共感覚を持っていてもそれが普通で感じるだけで特に役立つことがないという人が多い中、音楽を弾く際の解釈への影響だったり、音楽の理解のためだったり、メシアンなどの音楽をより深く感じる(?)ことだったり、はたまた今回のステンドグラスデザインだったり、この共感覚だかどうだかわからない感覚を何かに有効に使えているのがなんだかとってもうれしいです。
だから共感覚かどうか分からなくても全然楽しいんですが、やはり心理学などをかじった身としては脳内ネットワークがどうなると共感覚が起こるのか、どういうメカニズムになっててどういう影響があるのか、脳の発達に影響があるのかとかものすごーく気になります。
平成教育学院☆放課後では共感覚保持者の中野君を手が出るほど欲しいと研究者の人がおっしゃってましたが、私にできることがあれば研究に参加してもいいかなーとか思いますし、そっち関係の研究も面白いなーと思いますし。
今Musicophiliaは親友に貸してるのですが、Musicophiliaだったり他の本だったり論文だったりでもっともっと知りたいなーと思いながら今日もまた様々なタイプの色彩にあふれた世界で生きていくのでした。
(ちなみにブログのタイトルに「虹の錯乱」を選んだのは好きだから、そしてメシアンの音楽にあらわれる共感覚の簡潔で的を射た表現というのもありますが、自分にとって自分の生きているこの世界は色彩めまぐるしい不思議な世界なんだ、という意味合いもあるのです。完全に余談ですが。)
今日の一曲: トマス・アデズ 「Living Toys」より「H.A.Lの死」
この曲を知ってしばらく経ちますが、このHALが何のことだか実はつい最近まで知りませんでした。
スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」(とその続編)に登場するAI(人工知能)のHAL9000、その最期の事を指してるんだ!
・・・と思ったあととりあえず手っ取り早く動画でそのシーンを探して見たらあらまあ心にがんと一撃くらわされました。さらにもう一回この曲にもどってもう一撃。
実際にHALが死ぬ(=電源を切られる)ときに「デイジー・ベル」を歌うのがこの曲でも再現されていて。
あの低い低いスローになった声を地の底から出でるようなコントラバスーンの声で再現ってかなりリアルで映画並みにダメージきますね!
「2001年宇宙の旅」といったらリゲティが音楽を手がけてる部分もあるとか(あとシャイニングも)なんですが、このアデズの小さな曲もまた断片的にちょこちょことしかしらないキューブリックの映画のあの緊張だったり独特の恐怖のテイストだったりに近いものがありますね。
数時間前音楽→映画のシーン→音楽のシーケンスを調べ物がてらに経験したのですがいまでもちょっぴり余波がちょっと心に残ってますね。
もともとアデズの音楽も好きですし、Living Toysもものすごく好きなのですが、この一連のショックを伴う経験でもっと好きになっちゃいました。
で、動画の方からの影響でキューブリックの映画がもっと見たいな-なんて・・・
サイコホラーは割りと苦手で、先ほども言いましたがわりとその5分強でもものすごくダメージ受けたんですが、でもそれでも素直に「凄いこのシーン!」と思いましたし、その短いシーンで味わったものがショッキングで怖くて同時にものすごく魅力があって、思い返すともう一回体験したいなあ、なんておもってるので・・・
とりあえずリゲティも携わってることですし「2001年宇宙の旅」と「シャイニング」はそのうちみたいです。
なんだかでも曲自体の話にあんまり言及してないなあ。この曲を音楽として総括的にみても、いろいろ分析しても好きなところだらけなのですが・・・
Living Toys全体に関してはまた次回・・・
先ほどTwitterのフォロー先さんと以前話していた楽器の特性にまつわる話でいろいろ調べてみたら以前くりひろげてしまった「24keysvirus」みたいなアルベール・ラヴィニャックによる調の特性の記載があったのでリンクしてみますね。
Wikipedia(日本語版):アルベール・ラヴィニャック
なんだか楽器や時代や音楽やらで変わってる部分もあり、共通点も多くありで嬉しいです。
この記事にはベルリオーズも楽器や調の特性について記述を残していると言うことなのですが、あの天才がなんと言ったのか、気になりますね。
今日は夕飯にハンバーグを作る時に今弾いているメシアンの「モリフクロウ」をいつものマイケルの録音でなくロジェール・ムラーロの録音で聴いてました・・・ところ、以前Twitterでつぶやいていた演奏と解釈の話が脳内で蘇ってきてしまいました。
作曲家が変わればスタイルも変わるように、演奏家が変われば同じ曲でも印象が全然かわる、これ基本ですね。
自分で購入したもの、大学の図書館で借りたもの合わせてメシアンの「20のまなざし」は録音を4つ(マダム・ロリオ、マイケル、ムラーロ、ベロフ)、ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」は3つ(キース・ジャレット、アシュケナージ、ニコラーエヴァ)持ってますし、他にも解釈や印象が偏らないように、そして視野を広げるために、さらに単なる楽しみのためになるべく複数録音を持つようにしています。
演奏する人、というのは不思議なポジションにいて。
他人の創った曲を、その作曲家の思いをくみ取りながら、自分の思いを表現する。
作曲家は全くの他人なので100%くみ取り思いを反映することもできず、だからといって他人の曲なので100%自分の表現でもなく・・・
なんでしょう、二次創作の創作者に似たポジションなんじゃないかなーといつも思っているのですが。
曲をかくぐらいですから作曲家側にも相当主張したいことはあるわけです。
なのでもちろん作曲側にとって奏者にあんまり自分の意図しないことはして欲しくない、というのが本音。
ラヴェルの初期の作品「古風なメヌエット」には過剰とも言えるくらいのクレッシェンドやフレージングの記号が書き入れられてたり。(あまり周りに納得のいくような奏者がいなかったのでしょうか・・・)
メシアンは信仰だったり共感覚だったりあまり多くの人と分かち合えないイメージが音楽の大黒柱になっていることが多いのを懸念してか、タイトルの下や前書きにたくさん文で説明を書いてます。音楽的にはなんだかなー、と思う反面やっぱりそういう記述があると彼の思っていること感じることをより深く・身近に感じられる、というのは思います。
大学でピアノの一番偉い先生は「新しく曲を習い始めるときは録音を聴かないように」という信条の持ち主で。
やっぱり耳で聞いてしまうと意識的にも無意識にもその録音の印象や解釈の影響を(賛同にも否定にも)受けてしまう、という理屈はよくわかるのですが・・・
自分は聴覚から(特に現代音楽の曲は)学ぶところが多いのもありますし、そもそも曲を習い始める前に曲を聞いて知っている場合があるわけですし(だから好きだってわかって弾くんですよ)。あとやっぱり聴いてみて初めて「こういう解釈もあるんだ」とか「これは確かにそうだよな」「これは違うな」という判断ができる、という理由もあって結構習い始めは録音を聴きます。
ただ自分の解釈がある程度固まると弾いている曲をぴたっと聴かなくなりますね。
ほかの解釈が許せなくなるわけでも、ぶれるのがいやなわけでもなくなんとなく・・・
私自身は結構奏者としてはかなり自分の主張が強い方、自分の道を行っちゃうほうではないかと思います。
もちろん作曲家の思いに曲を通じて共感し、それを演奏に反映させる行為も好きなのですが、自分が感じることを特定の曲を演奏するということを通じて表現したい!曲に触発されて表現したいことがたくさんある!という感じです。
自分は自分、と音楽である程度吹っ切れたのはメシアンとクラムに出会ってからでしょうか。
一見二者とも楽譜に細々と記述を残すので解釈の幅は狭まるかと思いきや、前の様々な時代の音楽よりも遙かにバラエティに富んだ解釈・演奏がある、半端なく自由な音楽で(特にクラム)。
クラムに関しては自分の中のイメージや世界、色彩と特に自然に結びつく傾向があるのですが、それでも「足りないかな?」「もっと自分(の想像力)を出しても良いのかな?」「もっと遊んで、冒険して、実験していいのかな?」と感じることもしばしば。
音楽を演奏・解釈するに当たって影響しているのは音楽に直接的に関わることばかりではありません。
ラヴェルの作曲に影響したの要因は彼のお母さんがバスク系でスペイン文化圏だったことがありますし、同時にお父さんがスイス人でメカいじりをする人だったこともあります。メシアンの作曲にはサン・トリニテ大聖堂のステンドグラスの色彩がイメージに影響があったと本人も言ってますしね。
私の場合小さいから好きな虫、恐竜、宇宙だったり、日本やオーストラリアの風土、気候、風景、色彩。ビーズの編み方、うつ・双極性障害を通しての経験。人のぬくもり、食べ物や飲み物の味・・・
そういったものの積み重ねで自分が成り立ってるのと同じくらいそういったものが意識的に、そして無意識に私の表現に(音楽もそうですが、他のものも)影響しているんだなあ、と思うと・・・なんだかピアノが弾きたくなってしまいました(注:メルボルン時間真夜中前です)。
自分で作曲する、ということではなく他の人の作った音楽に共感してそれを通して作曲家と自分、両方の思いや感情や時代、世界や色彩を表現する・・・という表現形態を私は音楽では進んでいるわけなのですが。
でもそれは今現在進行中のステンドグラスでも同じかな。このことについては詳しくは後ほどなんですけど・・・
毎日色々感じること、思うこと、学ぶことがあって、だからいつだって表現したくなって。
その「触発」というプロセスが本当に(演奏に限らず)快感でたまらないです。
もっともっと、現代音楽(特にクラム!)を弾きたい!
(PS. プロフィールとタイトル下の一文、変えてみました。ついでにTwitterのプロフィールも変えました。)
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第4楽章「Twin Suns」
"Twin Suns (Doppelgaenger aus Ewigkeit)"=「双子の太陽(永遠からのドッペルゲンガー)」というタイトルのこの曲。
タイトルもミステリアスですが、楽譜面もまた「双子の太陽」の様にくるくるっと2つの円になってミステリアス。
第2巻フォーカスでやっていますが(今はちょっとアップライトなのでお休みですが)、この楽章は弾いててものすごくイメージ的に直感的で満足のいく「十八番」の一つです。
左の円(最初のセクション)と右の円(最後のセクション)はまるで正反対の双子のように性格が対照的。
爆発的に光り輝く左の円に、ピアノの中の弦を直接つま弾く暗い色彩の右の円。
私のこの曲のイメージに影響しているのが子供の頃宇宙の本でみた皆既日食の瞬間の太陽のコロナ。
(残念ながら実物はまだ見たことがないです!部分はありますが・・・)
左の円がコロナで、右の円が月によって隠された黒い部分、ということですね。
例えばこれが普通に真っ直ぐに表記されていたらどうなんだろう、ということを良く尋ねられるんですが・・・
楽譜の形がフレーズの長さに直接影響がある(そしてそれをよりストレートに可視化する)ということはありますし、何よりも直感的な印象、さらには無意識的なイメージにもかなりの影響があるんじゃないか、と思います。私は。
クラムの「マクロコスモス」=巨大な宇宙。そんななか「双子の太陽」は特に「宇宙」的な性格が強くて、短いながらも壮大なスケールのイメージを扱う素晴らしい曲です。
聴く方にとってはピアノでこれほど宇宙の壮大さだったり闇だったり言葉では表せない感覚が聴けてしまうのか、というのもありますし、弾く方にとってはピアノでその同じ物がこれだけストレートに、直感的に表現できるのか、というのもあります。
この曲を弾きたいのはもっともっと宇宙を感じたいとき。その果てなく思える闇と無の広がり、寂しさ、壮大さ・・・そしてそのなかで起こる巨大なイベント。自分の小さな両手とピアノでもっともっと突き詰めたい感覚です。
一回聴いただけではわりと「奇妙な」和音や音質の出てくる曲ではありますが、触発されやすい、音楽外のイメージを連想しやすい曲という意味ではクラムを知らない人に真っ先にお奨めできる曲です。
Wikipedia(日本語版):アルベール・ラヴィニャック
なんだか楽器や時代や音楽やらで変わってる部分もあり、共通点も多くありで嬉しいです。
この記事にはベルリオーズも楽器や調の特性について記述を残していると言うことなのですが、あの天才がなんと言ったのか、気になりますね。
今日は夕飯にハンバーグを作る時に今弾いているメシアンの「モリフクロウ」をいつものマイケルの録音でなくロジェール・ムラーロの録音で聴いてました・・・ところ、以前Twitterでつぶやいていた演奏と解釈の話が脳内で蘇ってきてしまいました。
作曲家が変わればスタイルも変わるように、演奏家が変われば同じ曲でも印象が全然かわる、これ基本ですね。
自分で購入したもの、大学の図書館で借りたもの合わせてメシアンの「20のまなざし」は録音を4つ(マダム・ロリオ、マイケル、ムラーロ、ベロフ)、ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」は3つ(キース・ジャレット、アシュケナージ、ニコラーエヴァ)持ってますし、他にも解釈や印象が偏らないように、そして視野を広げるために、さらに単なる楽しみのためになるべく複数録音を持つようにしています。
演奏する人、というのは不思議なポジションにいて。
他人の創った曲を、その作曲家の思いをくみ取りながら、自分の思いを表現する。
作曲家は全くの他人なので100%くみ取り思いを反映することもできず、だからといって他人の曲なので100%自分の表現でもなく・・・
なんでしょう、二次創作の創作者に似たポジションなんじゃないかなーといつも思っているのですが。
曲をかくぐらいですから作曲家側にも相当主張したいことはあるわけです。
なのでもちろん作曲側にとって奏者にあんまり自分の意図しないことはして欲しくない、というのが本音。
ラヴェルの初期の作品「古風なメヌエット」には過剰とも言えるくらいのクレッシェンドやフレージングの記号が書き入れられてたり。(あまり周りに納得のいくような奏者がいなかったのでしょうか・・・)
メシアンは信仰だったり共感覚だったりあまり多くの人と分かち合えないイメージが音楽の大黒柱になっていることが多いのを懸念してか、タイトルの下や前書きにたくさん文で説明を書いてます。音楽的にはなんだかなー、と思う反面やっぱりそういう記述があると彼の思っていること感じることをより深く・身近に感じられる、というのは思います。
大学でピアノの一番偉い先生は「新しく曲を習い始めるときは録音を聴かないように」という信条の持ち主で。
やっぱり耳で聞いてしまうと意識的にも無意識にもその録音の印象や解釈の影響を(賛同にも否定にも)受けてしまう、という理屈はよくわかるのですが・・・
自分は聴覚から(特に現代音楽の曲は)学ぶところが多いのもありますし、そもそも曲を習い始める前に曲を聞いて知っている場合があるわけですし(だから好きだってわかって弾くんですよ)。あとやっぱり聴いてみて初めて「こういう解釈もあるんだ」とか「これは確かにそうだよな」「これは違うな」という判断ができる、という理由もあって結構習い始めは録音を聴きます。
ただ自分の解釈がある程度固まると弾いている曲をぴたっと聴かなくなりますね。
ほかの解釈が許せなくなるわけでも、ぶれるのがいやなわけでもなくなんとなく・・・
私自身は結構奏者としてはかなり自分の主張が強い方、自分の道を行っちゃうほうではないかと思います。
もちろん作曲家の思いに曲を通じて共感し、それを演奏に反映させる行為も好きなのですが、自分が感じることを特定の曲を演奏するということを通じて表現したい!曲に触発されて表現したいことがたくさんある!という感じです。
自分は自分、と音楽である程度吹っ切れたのはメシアンとクラムに出会ってからでしょうか。
一見二者とも楽譜に細々と記述を残すので解釈の幅は狭まるかと思いきや、前の様々な時代の音楽よりも遙かにバラエティに富んだ解釈・演奏がある、半端なく自由な音楽で(特にクラム)。
クラムに関しては自分の中のイメージや世界、色彩と特に自然に結びつく傾向があるのですが、それでも「足りないかな?」「もっと自分(の想像力)を出しても良いのかな?」「もっと遊んで、冒険して、実験していいのかな?」と感じることもしばしば。
音楽を演奏・解釈するに当たって影響しているのは音楽に直接的に関わることばかりではありません。
ラヴェルの作曲に影響したの要因は彼のお母さんがバスク系でスペイン文化圏だったことがありますし、同時にお父さんがスイス人でメカいじりをする人だったこともあります。メシアンの作曲にはサン・トリニテ大聖堂のステンドグラスの色彩がイメージに影響があったと本人も言ってますしね。
私の場合小さいから好きな虫、恐竜、宇宙だったり、日本やオーストラリアの風土、気候、風景、色彩。ビーズの編み方、うつ・双極性障害を通しての経験。人のぬくもり、食べ物や飲み物の味・・・
そういったものの積み重ねで自分が成り立ってるのと同じくらいそういったものが意識的に、そして無意識に私の表現に(音楽もそうですが、他のものも)影響しているんだなあ、と思うと・・・なんだかピアノが弾きたくなってしまいました(注:メルボルン時間真夜中前です)。
自分で作曲する、ということではなく他の人の作った音楽に共感してそれを通して作曲家と自分、両方の思いや感情や時代、世界や色彩を表現する・・・という表現形態を私は音楽では進んでいるわけなのですが。
でもそれは今現在進行中のステンドグラスでも同じかな。このことについては詳しくは後ほどなんですけど・・・
毎日色々感じること、思うこと、学ぶことがあって、だからいつだって表現したくなって。
その「触発」というプロセスが本当に(演奏に限らず)快感でたまらないです。
もっともっと、現代音楽(特にクラム!)を弾きたい!
(PS. プロフィールとタイトル下の一文、変えてみました。ついでにTwitterのプロフィールも変えました。)
今日の一曲: ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第4楽章「Twin Suns」
"Twin Suns (Doppelgaenger aus Ewigkeit)"=「双子の太陽(永遠からのドッペルゲンガー)」というタイトルのこの曲。
タイトルもミステリアスですが、楽譜面もまた「双子の太陽」の様にくるくるっと2つの円になってミステリアス。
第2巻フォーカスでやっていますが(今はちょっとアップライトなのでお休みですが)、この楽章は弾いててものすごくイメージ的に直感的で満足のいく「十八番」の一つです。
左の円(最初のセクション)と右の円(最後のセクション)はまるで正反対の双子のように性格が対照的。
爆発的に光り輝く左の円に、ピアノの中の弦を直接つま弾く暗い色彩の右の円。
私のこの曲のイメージに影響しているのが子供の頃宇宙の本でみた皆既日食の瞬間の太陽のコロナ。
(残念ながら実物はまだ見たことがないです!部分はありますが・・・)
左の円がコロナで、右の円が月によって隠された黒い部分、ということですね。
例えばこれが普通に真っ直ぐに表記されていたらどうなんだろう、ということを良く尋ねられるんですが・・・
楽譜の形がフレーズの長さに直接影響がある(そしてそれをよりストレートに可視化する)ということはありますし、何よりも直感的な印象、さらには無意識的なイメージにもかなりの影響があるんじゃないか、と思います。私は。
クラムの「マクロコスモス」=巨大な宇宙。そんななか「双子の太陽」は特に「宇宙」的な性格が強くて、短いながらも壮大なスケールのイメージを扱う素晴らしい曲です。
聴く方にとってはピアノでこれほど宇宙の壮大さだったり闇だったり言葉では表せない感覚が聴けてしまうのか、というのもありますし、弾く方にとってはピアノでその同じ物がこれだけストレートに、直感的に表現できるのか、というのもあります。
この曲を弾きたいのはもっともっと宇宙を感じたいとき。その果てなく思える闇と無の広がり、寂しさ、壮大さ・・・そしてそのなかで起こる巨大なイベント。自分の小さな両手とピアノでもっともっと突き詰めたい感覚です。
一回聴いただけではわりと「奇妙な」和音や音質の出てくる曲ではありますが、触発されやすい、音楽外のイメージを連想しやすい曲という意味ではクラムを知らない人に真っ先にお奨めできる曲です。
今日は自分的にはちょっぴり手抜き・・・なようなそうでないような。
タイトル通り、なんですよ。
今日メルボルン交響楽団(メル響、MSO)の来年のシーズンのご案内パンフレットが来ました。
来年こそは事前に「Choose your own 6」で単価が安くなるように前にまとめて予約しないと!とはりきっています。
なんせ来年も今年と同じでイレギュラースケジュールですからね、夜は大抵の場合あけれるはず!
まだまだ来年の手帳も買ってなくて(余談ですがナカバヤシのロジカルダイアリーにするつもりです♪)パンフレットに直接書き入れたりしているのですが・・・
メモ代わりというかメル響はこんな曲弾いてるんだぞ!どんどんコンサートに行こう!という意味合いも兼ねて2011年私が目をつけてるコンサートスケジュールです♪
※全部のコンサートを網羅しているわけではありません。2011年のメルボルン交響楽団のコンサートシリーズ完全ver.はメル響のウェブサイトへ♪
※2011年シーズンはほとんどのコンサートがMelbourne Town Hallです。Melbourne Recital Centreでもあるので上記ウェブサイトを要チェックです。
<2月>
2月は実はメインのシーズンは始まってなくて、シティから近いSidney Myer Bowlで野外の無料コンサートミニシリーズがあります。ピクニック感覚で友達とたべたりしゃべったりできるカジュアルなコンサートですが人が多い!
2月9月(水) 午後7時 尾高忠明(指揮)、Clemens Leske(ピアノ)
モーツァルト 交響曲第21番、マーラー 交響曲第5番
(野外でマーラー5番って贅沢!でも聴衆の幅が広いからいろんな人に聴いてもらえると思うと嬉しい♪)
2月12日(土) 午後7時 尾高忠明(指揮) 角田美樹(バイオリン)
バーンスタイン キャンディード序曲、バーバー 弦楽のためのアダージョ&バイオリン協奏曲、ベートーベン 交響曲第5番
(ポピュラー路線とおもいきやバーバーのバイオリン協奏曲が!)
他にもピアノ入りのコンサートや、グレンジャーの歌曲を初めとするオーストラリア音楽フィーチャーのコンサートも。
プラス別の単独コンサートですが有名なコメディアンTim Minchinと何やらやるそうです。(私は行かないかな・・・)
<3月>
3月の末に(まだどの日にちのコンサートに行くかは未定)Mark Wigglesworth指揮でマーラーの交響曲第7番が。最近第3楽章に感銘を受けたこともあり、さらに大学時代に聴いたメル響のWigglesworth指揮のマーラーの6番を聴いてこの上なく素晴らしい演奏だったことが印象に強く強くのこっているのでこれは外せません!
<5月>
5月は毎年Malthouse TheatreでMetropolisシリーズという、今活躍している作曲家を中心に現代音楽をがっつりフィーチャーしたミニシリーズがあります。今年はオーストラリアの作曲家(イギリスでも活躍していますが)でありビオラ奏者のBrett Deanが主役。(国立アカデミーでも彼がフィーチャーされている年がありましたね)
そのうち5月7日のコンサートはマイケルが演奏するので行かなくちゃ!と。プログラムは:
ウェーベルンのIm Sommerwind, Furrerのピアノ協奏曲、Brett DeanのBeggars and Angels。
最後の曲以外はみんな初めまして。マイケル演奏の上記ピアノ協奏曲はオーストラリア初演だそうです。
<6月>
6月はEducation weekの一環としていろんなイベントがありますが、そのうち無料コンサート(6月18日(土)午後7:30からタウンホールで)のプログラムが凄い!
ラフマニノフの「死の島」とプロコフィエフの交響曲第3番!Stefan Asbury指揮で、ユースオケのメンバーも加えて演奏するそうです♪
あとラフマニノフピアノ協奏曲第1番(ピアノ:Simon Trpceski)と合唱つきでカルミナ・ブラーナの異色のコンビもあって面白そう♪
<7月>
7月の中旬にはEdward Gardner指揮でモーツァルトのバルトークサンドイッチみたいなプログラムが。
バルトークのFour Orchestral Pieces(オーストラリア初演ですが、CDで聴いてます)、モーツァルトのフルート協奏曲第2番(フルート:Emmanuel Pahud)、そしてバルトークの管弦楽のための協奏曲。
このコンサートはまだ6つに含めるかはmaybeです・・・
<8月>
2011年の8月、メル響はベートーベン・フェスティバルを開催します。
交響曲全部をいくつかのコンサートに分けてはもちろん、他のコンサートやトークイベントなどもあります。
行くとしたら交響曲第4番+第6番かな~「田園」好きなんですよね。これかさっきのmaybeのだなあ・・・
<9月>
9月はSir Andrews Davisがメルボルンに来て、2種類コンサートをやるんですが・・・まだ選べてない!
一つは東欧プログラムで:
ドヴォルザーク 交響曲第8番、リスト 「死の舞踏」(ピアノ:ニコライ・デミデンコ)、ヤナーチェク タラス・ブーリバ。
もう一つはイギリスプログラムで:
ティペット Concert for Double String Orchestra、ヴォーン=ウィリアムス 「揚げひばり」(メル響コンマスWilma Smithがソロで)、ウォルトン 「Facade」(ソプラノYvonne Kennyがナレーター)。
どちらも捨てがたい!どうしよう!(もう悩んでる)
<10月>
10月は・・・行く予定はないんですが、Australian Centre of Moving Imagesという映像ギャラリーとのコラボでプロコフィエフの「ピーターと狼」をやるそうです。パンフレットの写真についてたピーターの表情、可愛い!
<11月>
個人的にはこの月の末の尾高忠明指揮のンサートがかなり心惹かれてます。
フォーレ 「ペレアスとメリサンド」、武満 「A String around Autumn」(ビオラ:Lawrence Power)、そしてブラームスの交響曲第1番。
暖かみのある心のいいところに来る曲に挟まれて武満の(オーストラリア初演になるそうです)私もお初の曲。わくわく。
<12月>
メル響で12月と言えば毎年恒例のヘンデルの「メサイア」ですが、今年はその前に一つ目玉が。
Jonathan Nott指揮で、バイオリンのソリストはなんとFrank Peter Zimmermann!
Brett Deanの「The Lost Art of Letter Writing」(今年メルボルンでどっかでやってたかな?)とショスタコーヴィチの交響曲5番と手堅いプログラム。良い夏になりそうです。
なんか・・・贅沢ですね!選ぶのに困るほど良い曲を聴ける機会がある、というのは。
(そしてなにげに来年は日本人が活躍しますしね~)
メル響以外でも国立アカデミーとか各種フェスティバルとかあるのでやっぱり6つセットにとどめておかなくちゃ・・・と我慢しなくちゃいけないほど。
Sidney Myerのコンサートは友達誘って行けると良いなあ。他は一人で。基本お一人様です(笑)
まだまだ今年のシーズンは終わっちゃいないけれど、来年もまた楽しい音楽イヤーになりそうでものすごく楽しみです!
今日の一曲はお休みです~
タイトル通り、なんですよ。
今日メルボルン交響楽団(メル響、MSO)の来年のシーズンのご案内パンフレットが来ました。
来年こそは事前に「Choose your own 6」で単価が安くなるように前にまとめて予約しないと!とはりきっています。
なんせ来年も今年と同じでイレギュラースケジュールですからね、夜は大抵の場合あけれるはず!
まだまだ来年の手帳も買ってなくて(余談ですがナカバヤシのロジカルダイアリーにするつもりです♪)パンフレットに直接書き入れたりしているのですが・・・
メモ代わりというかメル響はこんな曲弾いてるんだぞ!どんどんコンサートに行こう!という意味合いも兼ねて2011年私が目をつけてるコンサートスケジュールです♪
※全部のコンサートを網羅しているわけではありません。2011年のメルボルン交響楽団のコンサートシリーズ完全ver.はメル響のウェブサイトへ♪
※2011年シーズンはほとんどのコンサートがMelbourne Town Hallです。Melbourne Recital Centreでもあるので上記ウェブサイトを要チェックです。
<2月>
2月は実はメインのシーズンは始まってなくて、シティから近いSidney Myer Bowlで野外の無料コンサートミニシリーズがあります。ピクニック感覚で友達とたべたりしゃべったりできるカジュアルなコンサートですが人が多い!
2月9月(水) 午後7時 尾高忠明(指揮)、Clemens Leske(ピアノ)
モーツァルト 交響曲第21番、マーラー 交響曲第5番
(野外でマーラー5番って贅沢!でも聴衆の幅が広いからいろんな人に聴いてもらえると思うと嬉しい♪)
2月12日(土) 午後7時 尾高忠明(指揮) 角田美樹(バイオリン)
バーンスタイン キャンディード序曲、バーバー 弦楽のためのアダージョ&バイオリン協奏曲、ベートーベン 交響曲第5番
(ポピュラー路線とおもいきやバーバーのバイオリン協奏曲が!)
他にもピアノ入りのコンサートや、グレンジャーの歌曲を初めとするオーストラリア音楽フィーチャーのコンサートも。
プラス別の単独コンサートですが有名なコメディアンTim Minchinと何やらやるそうです。(私は行かないかな・・・)
<3月>
3月の末に(まだどの日にちのコンサートに行くかは未定)Mark Wigglesworth指揮でマーラーの交響曲第7番が。最近第3楽章に感銘を受けたこともあり、さらに大学時代に聴いたメル響のWigglesworth指揮のマーラーの6番を聴いてこの上なく素晴らしい演奏だったことが印象に強く強くのこっているのでこれは外せません!
<5月>
5月は毎年Malthouse TheatreでMetropolisシリーズという、今活躍している作曲家を中心に現代音楽をがっつりフィーチャーしたミニシリーズがあります。今年はオーストラリアの作曲家(イギリスでも活躍していますが)でありビオラ奏者のBrett Deanが主役。(国立アカデミーでも彼がフィーチャーされている年がありましたね)
そのうち5月7日のコンサートはマイケルが演奏するので行かなくちゃ!と。プログラムは:
ウェーベルンのIm Sommerwind, Furrerのピアノ協奏曲、Brett DeanのBeggars and Angels。
最後の曲以外はみんな初めまして。マイケル演奏の上記ピアノ協奏曲はオーストラリア初演だそうです。
<6月>
6月はEducation weekの一環としていろんなイベントがありますが、そのうち無料コンサート(6月18日(土)午後7:30からタウンホールで)のプログラムが凄い!
ラフマニノフの「死の島」とプロコフィエフの交響曲第3番!Stefan Asbury指揮で、ユースオケのメンバーも加えて演奏するそうです♪
あとラフマニノフピアノ協奏曲第1番(ピアノ:Simon Trpceski)と合唱つきでカルミナ・ブラーナの異色のコンビもあって面白そう♪
<7月>
7月の中旬にはEdward Gardner指揮でモーツァルトのバルトークサンドイッチみたいなプログラムが。
バルトークのFour Orchestral Pieces(オーストラリア初演ですが、CDで聴いてます)、モーツァルトのフルート協奏曲第2番(フルート:Emmanuel Pahud)、そしてバルトークの管弦楽のための協奏曲。
このコンサートはまだ6つに含めるかはmaybeです・・・
<8月>
2011年の8月、メル響はベートーベン・フェスティバルを開催します。
交響曲全部をいくつかのコンサートに分けてはもちろん、他のコンサートやトークイベントなどもあります。
行くとしたら交響曲第4番+第6番かな~「田園」好きなんですよね。これかさっきのmaybeのだなあ・・・
<9月>
9月はSir Andrews Davisがメルボルンに来て、2種類コンサートをやるんですが・・・まだ選べてない!
一つは東欧プログラムで:
ドヴォルザーク 交響曲第8番、リスト 「死の舞踏」(ピアノ:ニコライ・デミデンコ)、ヤナーチェク タラス・ブーリバ。
もう一つはイギリスプログラムで:
ティペット Concert for Double String Orchestra、ヴォーン=ウィリアムス 「揚げひばり」(メル響コンマスWilma Smithがソロで)、ウォルトン 「Facade」(ソプラノYvonne Kennyがナレーター)。
どちらも捨てがたい!どうしよう!(もう悩んでる)
<10月>
10月は・・・行く予定はないんですが、Australian Centre of Moving Imagesという映像ギャラリーとのコラボでプロコフィエフの「ピーターと狼」をやるそうです。パンフレットの写真についてたピーターの表情、可愛い!
<11月>
個人的にはこの月の末の尾高忠明指揮のンサートがかなり心惹かれてます。
フォーレ 「ペレアスとメリサンド」、武満 「A String around Autumn」(ビオラ:Lawrence Power)、そしてブラームスの交響曲第1番。
暖かみのある心のいいところに来る曲に挟まれて武満の(オーストラリア初演になるそうです)私もお初の曲。わくわく。
<12月>
メル響で12月と言えば毎年恒例のヘンデルの「メサイア」ですが、今年はその前に一つ目玉が。
Jonathan Nott指揮で、バイオリンのソリストはなんとFrank Peter Zimmermann!
Brett Deanの「The Lost Art of Letter Writing」(今年メルボルンでどっかでやってたかな?)とショスタコーヴィチの交響曲5番と手堅いプログラム。良い夏になりそうです。
なんか・・・贅沢ですね!選ぶのに困るほど良い曲を聴ける機会がある、というのは。
(そしてなにげに来年は日本人が活躍しますしね~)
メル響以外でも国立アカデミーとか各種フェスティバルとかあるのでやっぱり6つセットにとどめておかなくちゃ・・・と我慢しなくちゃいけないほど。
Sidney Myerのコンサートは友達誘って行けると良いなあ。他は一人で。基本お一人様です(笑)
まだまだ今年のシーズンは終わっちゃいないけれど、来年もまた楽しい音楽イヤーになりそうでものすごく楽しみです!
今日の一曲はお休みです~
