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音楽のジャンルくくりはいろいろありますが、今日はちょっと色んな意味で強者揃いでいってみようと思います。
クラシック音楽を癒しと結びつける傾向は巷に(特に日本で)あるようですが、あくまでそれは一部の話。
どんな音楽のジャンルでもそうですが、音楽は本当にいろいろな言葉で表せるもの、表せないものを表現するので、曲の性格、人に及ぼす影響は本当にはかりしれなく範囲が広いですからね。
そのなかでも私が特に強い思い入れを持っているのは・・・「破壊的な音楽」。
若いからなのかやっぱり大きな破壊的な力に惹かれる、というのもありますし、特にクラシックではこれだけの力をスピーカー等なしに、人間の力で創り上げられるんだ、こんなパワフルな音楽が一人の人間によって書かれたんだ、という圧倒される気持ちもあります。
でもなによりも私の友人でありオーストラリアの偉大なピアニスト、Michael Kieran Harveyが数年前大学のピアノクラスでリストの超絶技巧練習曲について話をしたときのこの言葉が自分の中に強く根付いているのが大きな理由ではないかと思います。
「ピアニストは誰かを殴りたくなったらマゼッパ(超絶技巧練習曲の第4番)を弾いてそこに思いをぶつけるという選択肢があるという意味では幸福だ」、とマイケルは言ったのです。
心に抱える巨大なエネルギーや感情や思い・・・言葉には出来ない、抱えて押し込めるにはマグニチュードの大きすぎる、発散方法を間違えれば他に危険を及ぼしかねないそれを浄化するために、マゼッパを初めとする「破壊的な音楽」を通じて危険ではない方法で発散する、という・・・
ピアノを弾くこと、破壊的な音楽を弾いたり聴いたりすることによる発散の大切さ、というものを思い知りました。
弾くことに関しては破壊的な音楽はものすごく弾きごたえがあります。
命が(後ほど詳しく書きますが)かかった音楽であることが多いので。それも一人の命じゃなく。
なのでそういった曲を弾く時は特に自分の全てを絞り出して・・・かけられているのは自分の命だけじゃないわけですから。
ものすごく疲れるけれど、自分の全てを出しつくすのは本当に満足です。
(ちなみに弾くのではなく聴いただけでもかなり近い感覚が味わえます♪)
ヘヴィーメタルなどの「破壊的な」音楽が人間に果たしてポジティブな影響をあたえるのか、それとも有害なのか、それにはいろいろな説がありますが、そういった音楽が好きだからといって危険な人物、というわけではないです。
こないだ読んだ論文によると、ネガティブな感情を含んだ音楽を聴いても人間は様々な理由で(音楽が害がないということを学習して、または美的な感覚によりネガティブな感情の辛い部分が阻害されて、などなど)音楽に対してポジティブな感情反応をするのがごくごく普通だ、ということらしく。
つまりは感情を直接自分で経験するときの痛みや苦しみを感じることなくそういったネガティブな感情と向き合える、そんな可能性を音楽(ならびに他の芸術形態)は秘めているわけですよね。
私のチェロの先生が「演奏家の仕事は聴衆を彼らが今日訪れていない所に連れて行くことだ」と言っていましたがそれはもちろん良いところだけではないです。
「破壊的な音楽」を通じて聴衆の手を引き地獄にでも連れて行けるようになるくらいの演奏家になりたいなあ、とも思っています(笑)天国から地獄まで色んな体験を聴衆に提供できる演奏家。いいなあ。
いろんな音楽を聴いてきて、やっぱり破壊的な音楽(聴く・弾くどっちでも)でないとすっきりしないもの、「癒し」という形態では浄化できないものもありますし、破壊的な音楽でないと経験できないものもたくさんあるんだな、と思うようになりました。
そういう意味でも、音楽、そしてピアノやオーケストラ、さらには人間がこんなにも巨大なものを創り上げることが出来るのを知って欲しい、といういみでも「破壊的な音楽」の体験を強くお奨めします。
そんな「破壊的な音楽」の特に並外れた規格外の猛獣たちを6つご紹介。
辛さ・苦しさと快感・高揚のレベルが共に高く、せめぎあいがたまらない音楽ばかり!
どれも違ったタイプの、他の曲ではなかなか味わえない体験が味わえる曲達です。
1) ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第8楽章「Tora! Tora! Tora!」
系統:天変地異系 マグニチュード:世界一つ破壊
私が弾けるなかで一番破壊力の高いこの曲。ピアノ曲ですが、タイトルの言葉をシャウトしたり、特殊奏法があったりで奏者への破壊力もなかなか(笑)
副題にCadenza Apocalitticaとありますが、まさにこの曲はApocalypse=新約聖書「ヨハネの黙示録」に描写されたこの世の終わりの情景。それをタイトルからも分かりますように真珠湾攻撃の空襲の破壊となぞらえたところがあります。
英語で言うFire and brimstones、炎や隕石などが降ってくる情景で、地獄絵図がうねるようなスケール、旋回するパッセージ、巨大な不協和音でピアノをあますことなく使い描写されています。
2) グスタフ・マーラー 交響曲第6番
系統:完膚無く徹底的に打ちのめし系 マグニチュード:人生破壊 over and over and over...
残酷、というにはあまりにも絶対的で巨大な力で、挫折・絶望と言うにも重力の大きい・・・
立ち上がったと思ったらまたたたきのめされる、首をへし折られる、脊椎を砕かれる・・・
七転八倒という言葉を超えて辛く苦しい。でも快感もかなりあってその交錯する思いがたまりません!
でもその力の巨大さと、絶望と、それでも立ち上がる人間の精神のシンフォニーがまた素晴らしく。
光の明るさや高みに上り詰めた快感、闇の深さと残酷さの両極の無限が味わえます。
3) ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番
系統:虐殺系 マグニチュード:犠牲者4000人以上とも
ショスタコーヴィチは破壊の申し子とも言えるんですが、そのなかでも最も直接的に破壊を描写しているこの曲。血の日曜日事件の虐殺の生々しい描写である第2楽章には本当に当時行進した何千人もの苦しむ人々の命がかかっているというか凝縮されている、というか。
ただ虐殺のシーンで感じてしまう快感もタブー感もありながらかなりのものです。
ショスタコの破壊的エネルギーは若い人に共感を得ますし、私は小さな頃から慣れ親しんだ物。
他の曲でもそんなエネルギーが味わえますが紹介は後の日に!
4) プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番
系統:精神破壊系 マグニチュード:見えないところで見えない物が全て大爆発
数あるピアノコンチェルトのなかでどんなに難しくてもこれだけは譲れない、と私が思うのがこの曲。
この曲に取って代われる物など存在しない、と固く信じています。
第1楽章の長々とした吐露のような、精神がどんどん破壊されていって内なる爆発を起こすカデンツァ、第3楽章の人間が書いたものとは思えないカオスなど・・・
ひたすら苦しく、のたうちまわり、自分に刃を向けるような、内なる巨大な破壊力との熾烈な戦い。
正気じゃない、と思えますが緻密な計算のもと書かれているところもぞっとします。
5) ベンジャミン・ブリテン 戦争レクイエム
系統:全部破壊系 マグニチュード:全てが無に帰す
戦争の破壊と悲惨さを描写した名曲として何度もこのブログで言及している曲ですが、実際にその背景から音楽を切り離すと破壊力は減るどころかこの世界の戦争という枠を取り払われて無限に拡大する、という恐ろしい曲。
Dies Iraeの一連の音楽、そしてさらにLibera Meのくだりのダークなクライマックスはもはや人間同士の戦争という域を超えて世界が、世界を包む全ての物が破壊され滅び去るのではないかと思うほど。
編成が大きいオケと合唱ですが、それでも人間の集まった力でこの世界を超えるこんな桁外れなスケールの音楽とエネルギーが生まれるのにいつも圧倒されます。
6) フランツ・リスト 超絶技巧練習曲第4番 「マゼッパ」
系統:純粋に苦痛系 マグニチュード:身体と精神全て
リストのお得意の超絶技巧で魅せるは暴れ馬にくくりつけられた主人公の拷問体験。
ものすごく主観的な曲なんですよね。頭の中をかけめぐるもうろうとした思考、周りを通り過ぎていく大自然の景色、苦しみ、痛み、そしてそれを超越したハイ的な状態・・・
マイケルが例に出した理由が分かります。あの人はこれで内なる思いを発散していたんだな、と思うとやっぱり彼の中には無限の世界の生命エネルギーがものすごく満ちてるんだな、と・・・
リストはハンガリー人で、この曲もハンガリー的凶暴エネルギーに満ちているんですが、願わくばこのエネルギーを調理前の生の状態でいただきたい、と貪欲になってしまいます・・・
本当はもっとじわじわくる破壊とか、あと拳法にあるみたいな外傷はないけど内臓破裂、とか・・・
作曲家がかぶるのと若干のパワー不足でプロコフィエフのロミジュリの「ジュリエットの葬式」を外したんですが、これは「断腸系」でしたね。
あと破壊力はあっても破壊的ではない曲は選びませんでした。
例えばストラヴィンスキー「春の祭典」とかもろもろメシアンの曲とかリゲティの練習曲第14番「無限の柱」はどっちかというと破壊ではなく同じマグニチュードでも創り上げるエネルギーっぽいなあ、と。
ここに上げた曲は規格外の破壊力なのであんまりいつも聴くわけにはいきませんし(実際に耳で聞くのは稀です)、心の調子が悪い時は避けておいた方がいい曲だと個人的に思います。ものすごいフォースなので普段は楽しめてテンションが上がっても心が弱ってると音楽に心が簡単に負けてしまいますので。
心が弱ってるときのおすすめ曲はまた別の機会にじっくり考えたいですね。
そっちも面白そうです。
今日の一曲はあんなにお奨めしちゃったのでお休みです。
クラシック音楽を癒しと結びつける傾向は巷に(特に日本で)あるようですが、あくまでそれは一部の話。
どんな音楽のジャンルでもそうですが、音楽は本当にいろいろな言葉で表せるもの、表せないものを表現するので、曲の性格、人に及ぼす影響は本当にはかりしれなく範囲が広いですからね。
そのなかでも私が特に強い思い入れを持っているのは・・・「破壊的な音楽」。
若いからなのかやっぱり大きな破壊的な力に惹かれる、というのもありますし、特にクラシックではこれだけの力をスピーカー等なしに、人間の力で創り上げられるんだ、こんなパワフルな音楽が一人の人間によって書かれたんだ、という圧倒される気持ちもあります。
でもなによりも私の友人でありオーストラリアの偉大なピアニスト、Michael Kieran Harveyが数年前大学のピアノクラスでリストの超絶技巧練習曲について話をしたときのこの言葉が自分の中に強く根付いているのが大きな理由ではないかと思います。
「ピアニストは誰かを殴りたくなったらマゼッパ(超絶技巧練習曲の第4番)を弾いてそこに思いをぶつけるという選択肢があるという意味では幸福だ」、とマイケルは言ったのです。
心に抱える巨大なエネルギーや感情や思い・・・言葉には出来ない、抱えて押し込めるにはマグニチュードの大きすぎる、発散方法を間違えれば他に危険を及ぼしかねないそれを浄化するために、マゼッパを初めとする「破壊的な音楽」を通じて危険ではない方法で発散する、という・・・
ピアノを弾くこと、破壊的な音楽を弾いたり聴いたりすることによる発散の大切さ、というものを思い知りました。
弾くことに関しては破壊的な音楽はものすごく弾きごたえがあります。
命が(後ほど詳しく書きますが)かかった音楽であることが多いので。それも一人の命じゃなく。
なのでそういった曲を弾く時は特に自分の全てを絞り出して・・・かけられているのは自分の命だけじゃないわけですから。
ものすごく疲れるけれど、自分の全てを出しつくすのは本当に満足です。
(ちなみに弾くのではなく聴いただけでもかなり近い感覚が味わえます♪)
ヘヴィーメタルなどの「破壊的な」音楽が人間に果たしてポジティブな影響をあたえるのか、それとも有害なのか、それにはいろいろな説がありますが、そういった音楽が好きだからといって危険な人物、というわけではないです。
こないだ読んだ論文によると、ネガティブな感情を含んだ音楽を聴いても人間は様々な理由で(音楽が害がないということを学習して、または美的な感覚によりネガティブな感情の辛い部分が阻害されて、などなど)音楽に対してポジティブな感情反応をするのがごくごく普通だ、ということらしく。
つまりは感情を直接自分で経験するときの痛みや苦しみを感じることなくそういったネガティブな感情と向き合える、そんな可能性を音楽(ならびに他の芸術形態)は秘めているわけですよね。
私のチェロの先生が「演奏家の仕事は聴衆を彼らが今日訪れていない所に連れて行くことだ」と言っていましたがそれはもちろん良いところだけではないです。
「破壊的な音楽」を通じて聴衆の手を引き地獄にでも連れて行けるようになるくらいの演奏家になりたいなあ、とも思っています(笑)天国から地獄まで色んな体験を聴衆に提供できる演奏家。いいなあ。
いろんな音楽を聴いてきて、やっぱり破壊的な音楽(聴く・弾くどっちでも)でないとすっきりしないもの、「癒し」という形態では浄化できないものもありますし、破壊的な音楽でないと経験できないものもたくさんあるんだな、と思うようになりました。
そういう意味でも、音楽、そしてピアノやオーケストラ、さらには人間がこんなにも巨大なものを創り上げることが出来るのを知って欲しい、といういみでも「破壊的な音楽」の体験を強くお奨めします。
そんな「破壊的な音楽」の特に並外れた規格外の猛獣たちを6つご紹介。
辛さ・苦しさと快感・高揚のレベルが共に高く、せめぎあいがたまらない音楽ばかり!
どれも違ったタイプの、他の曲ではなかなか味わえない体験が味わえる曲達です。
1) ジョージ・クラム マクロコスモス第2巻 第8楽章「Tora! Tora! Tora!」
系統:天変地異系 マグニチュード:世界一つ破壊
私が弾けるなかで一番破壊力の高いこの曲。ピアノ曲ですが、タイトルの言葉をシャウトしたり、特殊奏法があったりで奏者への破壊力もなかなか(笑)
副題にCadenza Apocalitticaとありますが、まさにこの曲はApocalypse=新約聖書「ヨハネの黙示録」に描写されたこの世の終わりの情景。それをタイトルからも分かりますように真珠湾攻撃の空襲の破壊となぞらえたところがあります。
英語で言うFire and brimstones、炎や隕石などが降ってくる情景で、地獄絵図がうねるようなスケール、旋回するパッセージ、巨大な不協和音でピアノをあますことなく使い描写されています。
2) グスタフ・マーラー 交響曲第6番
系統:完膚無く徹底的に打ちのめし系 マグニチュード:人生破壊 over and over and over...
残酷、というにはあまりにも絶対的で巨大な力で、挫折・絶望と言うにも重力の大きい・・・
立ち上がったと思ったらまたたたきのめされる、首をへし折られる、脊椎を砕かれる・・・
七転八倒という言葉を超えて辛く苦しい。でも快感もかなりあってその交錯する思いがたまりません!
でもその力の巨大さと、絶望と、それでも立ち上がる人間の精神のシンフォニーがまた素晴らしく。
光の明るさや高みに上り詰めた快感、闇の深さと残酷さの両極の無限が味わえます。
3) ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番
系統:虐殺系 マグニチュード:犠牲者4000人以上とも
ショスタコーヴィチは破壊の申し子とも言えるんですが、そのなかでも最も直接的に破壊を描写しているこの曲。血の日曜日事件の虐殺の生々しい描写である第2楽章には本当に当時行進した何千人もの苦しむ人々の命がかかっているというか凝縮されている、というか。
ただ虐殺のシーンで感じてしまう快感もタブー感もありながらかなりのものです。
ショスタコの破壊的エネルギーは若い人に共感を得ますし、私は小さな頃から慣れ親しんだ物。
他の曲でもそんなエネルギーが味わえますが紹介は後の日に!
4) プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番
系統:精神破壊系 マグニチュード:見えないところで見えない物が全て大爆発
数あるピアノコンチェルトのなかでどんなに難しくてもこれだけは譲れない、と私が思うのがこの曲。
この曲に取って代われる物など存在しない、と固く信じています。
第1楽章の長々とした吐露のような、精神がどんどん破壊されていって内なる爆発を起こすカデンツァ、第3楽章の人間が書いたものとは思えないカオスなど・・・
ひたすら苦しく、のたうちまわり、自分に刃を向けるような、内なる巨大な破壊力との熾烈な戦い。
正気じゃない、と思えますが緻密な計算のもと書かれているところもぞっとします。
5) ベンジャミン・ブリテン 戦争レクイエム
系統:全部破壊系 マグニチュード:全てが無に帰す
戦争の破壊と悲惨さを描写した名曲として何度もこのブログで言及している曲ですが、実際にその背景から音楽を切り離すと破壊力は減るどころかこの世界の戦争という枠を取り払われて無限に拡大する、という恐ろしい曲。
Dies Iraeの一連の音楽、そしてさらにLibera Meのくだりのダークなクライマックスはもはや人間同士の戦争という域を超えて世界が、世界を包む全ての物が破壊され滅び去るのではないかと思うほど。
編成が大きいオケと合唱ですが、それでも人間の集まった力でこの世界を超えるこんな桁外れなスケールの音楽とエネルギーが生まれるのにいつも圧倒されます。
6) フランツ・リスト 超絶技巧練習曲第4番 「マゼッパ」
系統:純粋に苦痛系 マグニチュード:身体と精神全て
リストのお得意の超絶技巧で魅せるは暴れ馬にくくりつけられた主人公の拷問体験。
ものすごく主観的な曲なんですよね。頭の中をかけめぐるもうろうとした思考、周りを通り過ぎていく大自然の景色、苦しみ、痛み、そしてそれを超越したハイ的な状態・・・
マイケルが例に出した理由が分かります。あの人はこれで内なる思いを発散していたんだな、と思うとやっぱり彼の中には無限の世界の生命エネルギーがものすごく満ちてるんだな、と・・・
リストはハンガリー人で、この曲もハンガリー的凶暴エネルギーに満ちているんですが、願わくばこのエネルギーを調理前の生の状態でいただきたい、と貪欲になってしまいます・・・
本当はもっとじわじわくる破壊とか、あと拳法にあるみたいな外傷はないけど内臓破裂、とか・・・
作曲家がかぶるのと若干のパワー不足でプロコフィエフのロミジュリの「ジュリエットの葬式」を外したんですが、これは「断腸系」でしたね。
あと破壊力はあっても破壊的ではない曲は選びませんでした。
例えばストラヴィンスキー「春の祭典」とかもろもろメシアンの曲とかリゲティの練習曲第14番「無限の柱」はどっちかというと破壊ではなく同じマグニチュードでも創り上げるエネルギーっぽいなあ、と。
ここに上げた曲は規格外の破壊力なのであんまりいつも聴くわけにはいきませんし(実際に耳で聞くのは稀です)、心の調子が悪い時は避けておいた方がいい曲だと個人的に思います。ものすごいフォースなので普段は楽しめてテンションが上がっても心が弱ってると音楽に心が簡単に負けてしまいますので。
心が弱ってるときのおすすめ曲はまた別の機会にじっくり考えたいですね。
そっちも面白そうです。
今日の一曲はあんなにお奨めしちゃったのでお休みです。
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ここ数日休んでて今日もちょっと遅くなっちゃったのですがやってみたかったことその2でちゃちゃっと更新しちゃいます。
その1は破壊音楽の話ですが、その2は前お試しでやった「キーワードto音楽」企画。
これならできそうだし良い機会だ、ということで四字熟語に当てはめてみました。何よりも自分のエクササイズ、そして楽しみのために独断で。
曲の経緯とかをなるべく考慮せず、音楽の印象を当てはめ・・・たつもりです。
例によって曲の割り当ては参考資料なしです。
なお、四字熟語の意味の説明は母の国語教師時代の「新総合国語便覧」出典です。古!
一望千里(見渡す限り広々としていること):
レスピーギ ピアノ協奏曲「Modo misolidio」 第2楽章。
{広々している、といえばイギリス音楽ですが、それよりも先にこの曲が浮かびました。確かにイギリス的な雰囲気はないことないんですが。弦の音がやっぱりキーですね。緑の丘に立って、見渡しているような。それもこの世界の景色じゃないみたい。}
紆余曲折(遠まわりで曲がりくねっていること。事情が込み入っていること。):
マーラー 交響曲第5番 第3楽章
{長いことこの曲を知っていますが、ある意味でなんだかものすごく難解な曲です。まるでSnakes and ladders、夢のちょっとひねった世界をめまぐるしく駆け回っているような。でもホルンの呼び声が妙に現実的で地に足が付いていて落ち着くんですよね。}
質実剛健(飾り気がなく強いこと):
ブラームス 交響曲第3番 第1楽章
{なんでしょう、ブラームスの音楽を表したような言葉ではあるのですが、特に前向きで「強さ」があるこの曲をチョイス。ドイツ的、ブラームス的な四字熟語ですねえ、何にしても。}
大山鳴動(大きな山が揺れ動くこと):
ストラヴィンスキー 春の祭典より「大地の踊り」
{映画「ファンタジア」の影響は否めませんが、それでもこの曲のバスドラム、シンバルは本当に人間の音楽ではなく、大地・地球そのものの音楽と躍動です。ものすごく大きな力が動くのが感じられる様子はまさにこの四字熟語が表しているものそのもの。}
天長地久(天地が長久であるように、万物がいつまでも続くこと):
メシアン: 世の終わりのための四重奏曲 「イエスの不滅性への賛歌」
{この四字熟語の意味ってメシアンのスローな音楽にこめられた意味とかなりかぶってると思います。彼の場合はキリスト教的思想とフレーバーですが。色々ある中で曲集の終わりに配置されているこの曲を余韻を買ってセレクト。}
破邪顕正(邪道を打ち破って、正道を表すこと):
マーラー 交響曲第1番 第4楽章
{ものすごくこう、剣を持って大きな悪と嵐の中戦うみたいな、ファンタジーゲーム風のフレーバーがあるこの曲。打ち勝った感、自分の手で戦い抜いた感の強さとそれによって開けた光の明るさと絶対さというのが何よりもの理由。}
不撓不屈(心が硬くて困難に屈せぬこと):
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第4楽章
{エピソード的にもぴったりですし、なんといってもこの言葉はショスタコのためにあり、さらにこの交響曲の調であるニ短調のためにあるような四字熟語ですね。}
六根清浄(六根から起こる欲望を断ち切って、清らかになること):
ペルト フラトレス
{いろんなものをそぎ落としたミニマルミュージックのなかでもこれがこう・・・一番透明感というか欲望less感があるような気がするんですよね。聴いたらすぐ分かるメカニカルなパターンと良い、ビブラートなしの奏法と良い。あ、でもそれは他の曲もそうか。}
横行闊歩(思いのまま、大手を振ってのし歩く。勝手気ままにふるまうこと。):
リヒャルト・シュトラウス 英雄の一生
{だってそうなんですもん。言うことなし。多少のこの曲に対する偏見を差し引いてもです。}
電光石火(いなずまや、石から出る火のように、きわめて短い時間をいい、行動が非常にすばやいときに用いる。):
ヒンデミット ピアノソナタ第3番第2楽章
{スピードが半端ないです!あっというまに過ぎていくアクロバット的な音楽。ぱっ、とフレーズがいきなり終わってしまうところなんかもぴったりかな、と。}
なんだか面白かったです。直感で思いつかないのはどんどん飛ばしていったのですが、それでも10そろっちゃいました。じっくり考えたらもっと面白い四字熟語が引っ張ってこれるかもしれないな、とか他のソースを見たらもっと面白いのがあるかな、とか・・・あと通り過ぎちゃったのもたくさんあるのでまた四字熟語でそのうちトライしたいと思います。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 英雄の生涯
シュトラウスの半生がモデルになってるとかなってないとか言われるこの曲、特に若い人にお勧めの曲です。
なぜなら・・・大学でものすごく情熱的に好きな人が大変多かった曲なので。
もちろんシュトラウスがすごい作曲家で全てのパートのためにいいものを書く、奏者としても、オケ全体として弾いてもものすごくたのしくてがっつり弾きごたえのある曲だというのもありますが、この曲にこめられたパワーや前向きな姿勢、よっしゃやってやるぜい!的な感じがこの世代には魅力的なんでしょうか。
私自身はそのオーケストレーションの見事さを除いてあんまり好きではない曲です。
例によって外向的なのが苦手で・・・あとシュトラウスのエゴみたいなものが音楽を通じて伝わってくる様な気がするので・・・辟易してしまいます。
ただ「英雄の伴侶」のセクションは好きです。どんな英雄も女性には弱いもの、というのが伝わってくるのと、あとその女性の気まぐれさ、器用さ、繊細さ、感情的な面もバイオリン一台であまねく表現できてしまうところが凄いですし、そういう感じのバイオリンソロ全般好きです♪
そして「英雄の戦い」の部分はipodランダム再生で回ってくると毎回聴いてしまう名セクション。
普段は正義感の強いトランペットが珍しく悪役を演じてくれるこのおいしさといつもとはちがうかっこよさもそうですし、英雄役の8人(!)のホルンセクションの縦横無尽な活躍(絶対ホルンの人達これ楽しいですもんね!それも伝わってきます!)・・・3拍子のミリタリーマーチ(!)でそれがぶつかり合うのがまた凄い。
かっこよさと調子の良さで本当にcarried awayなのですが、それを支える楽器使いの骨組みもまた大きく貢献していて見事なものです。
シュトラウスは本当にホルンが好きなんですよね。英雄役に抜擢したのももちろんですが、その8人(+1人アシ)の体制でがんがん押してっちゃう勢い。
多少そんなホルンにあやかる形となっちゃってるみたいなのですが、チェロも大活躍。やっぱり力強さと音域の広さがこの2つの楽器の売りですね。
ちなみに珍しくユーフォニアムがオケに参戦しているこの曲。「英雄の敵」のセクションでのちょっとしたソロにどうぞ耳をお傾けください(笑)
ここまでテンション高く書いてしまいましたが、あくまでも個人的に嫌いな曲の分類に入っています。ただ嫌いだけどやっぱり好きなセクションもありますし、嫌いだけれど名曲なのです。
それにワルキューレの話でもありましたが金管奏者が楽しいとやっぱり楽しくなっちゃう性分で。
若い人もそうでない人も、テンションを上げたいときには特にお奨めの一曲です♪
その1は破壊音楽の話ですが、その2は前お試しでやった「キーワードto音楽」企画。
これならできそうだし良い機会だ、ということで四字熟語に当てはめてみました。何よりも自分のエクササイズ、そして楽しみのために独断で。
曲の経緯とかをなるべく考慮せず、音楽の印象を当てはめ・・・たつもりです。
例によって曲の割り当ては参考資料なしです。
なお、四字熟語の意味の説明は母の国語教師時代の「新総合国語便覧」出典です。古!
一望千里(見渡す限り広々としていること):
レスピーギ ピアノ協奏曲「Modo misolidio」 第2楽章。
{広々している、といえばイギリス音楽ですが、それよりも先にこの曲が浮かびました。確かにイギリス的な雰囲気はないことないんですが。弦の音がやっぱりキーですね。緑の丘に立って、見渡しているような。それもこの世界の景色じゃないみたい。}
紆余曲折(遠まわりで曲がりくねっていること。事情が込み入っていること。):
マーラー 交響曲第5番 第3楽章
{長いことこの曲を知っていますが、ある意味でなんだかものすごく難解な曲です。まるでSnakes and ladders、夢のちょっとひねった世界をめまぐるしく駆け回っているような。でもホルンの呼び声が妙に現実的で地に足が付いていて落ち着くんですよね。}
質実剛健(飾り気がなく強いこと):
ブラームス 交響曲第3番 第1楽章
{なんでしょう、ブラームスの音楽を表したような言葉ではあるのですが、特に前向きで「強さ」があるこの曲をチョイス。ドイツ的、ブラームス的な四字熟語ですねえ、何にしても。}
大山鳴動(大きな山が揺れ動くこと):
ストラヴィンスキー 春の祭典より「大地の踊り」
{映画「ファンタジア」の影響は否めませんが、それでもこの曲のバスドラム、シンバルは本当に人間の音楽ではなく、大地・地球そのものの音楽と躍動です。ものすごく大きな力が動くのが感じられる様子はまさにこの四字熟語が表しているものそのもの。}
天長地久(天地が長久であるように、万物がいつまでも続くこと):
メシアン: 世の終わりのための四重奏曲 「イエスの不滅性への賛歌」
{この四字熟語の意味ってメシアンのスローな音楽にこめられた意味とかなりかぶってると思います。彼の場合はキリスト教的思想とフレーバーですが。色々ある中で曲集の終わりに配置されているこの曲を余韻を買ってセレクト。}
破邪顕正(邪道を打ち破って、正道を表すこと):
マーラー 交響曲第1番 第4楽章
{ものすごくこう、剣を持って大きな悪と嵐の中戦うみたいな、ファンタジーゲーム風のフレーバーがあるこの曲。打ち勝った感、自分の手で戦い抜いた感の強さとそれによって開けた光の明るさと絶対さというのが何よりもの理由。}
不撓不屈(心が硬くて困難に屈せぬこと):
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第4楽章
{エピソード的にもぴったりですし、なんといってもこの言葉はショスタコのためにあり、さらにこの交響曲の調であるニ短調のためにあるような四字熟語ですね。}
六根清浄(六根から起こる欲望を断ち切って、清らかになること):
ペルト フラトレス
{いろんなものをそぎ落としたミニマルミュージックのなかでもこれがこう・・・一番透明感というか欲望less感があるような気がするんですよね。聴いたらすぐ分かるメカニカルなパターンと良い、ビブラートなしの奏法と良い。あ、でもそれは他の曲もそうか。}
横行闊歩(思いのまま、大手を振ってのし歩く。勝手気ままにふるまうこと。):
リヒャルト・シュトラウス 英雄の一生
{だってそうなんですもん。言うことなし。多少のこの曲に対する偏見を差し引いてもです。}
電光石火(いなずまや、石から出る火のように、きわめて短い時間をいい、行動が非常にすばやいときに用いる。):
ヒンデミット ピアノソナタ第3番第2楽章
{スピードが半端ないです!あっというまに過ぎていくアクロバット的な音楽。ぱっ、とフレーズがいきなり終わってしまうところなんかもぴったりかな、と。}
なんだか面白かったです。直感で思いつかないのはどんどん飛ばしていったのですが、それでも10そろっちゃいました。じっくり考えたらもっと面白い四字熟語が引っ張ってこれるかもしれないな、とか他のソースを見たらもっと面白いのがあるかな、とか・・・あと通り過ぎちゃったのもたくさんあるのでまた四字熟語でそのうちトライしたいと思います。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 英雄の生涯
シュトラウスの半生がモデルになってるとかなってないとか言われるこの曲、特に若い人にお勧めの曲です。
なぜなら・・・大学でものすごく情熱的に好きな人が大変多かった曲なので。
もちろんシュトラウスがすごい作曲家で全てのパートのためにいいものを書く、奏者としても、オケ全体として弾いてもものすごくたのしくてがっつり弾きごたえのある曲だというのもありますが、この曲にこめられたパワーや前向きな姿勢、よっしゃやってやるぜい!的な感じがこの世代には魅力的なんでしょうか。
私自身はそのオーケストレーションの見事さを除いてあんまり好きではない曲です。
例によって外向的なのが苦手で・・・あとシュトラウスのエゴみたいなものが音楽を通じて伝わってくる様な気がするので・・・辟易してしまいます。
ただ「英雄の伴侶」のセクションは好きです。どんな英雄も女性には弱いもの、というのが伝わってくるのと、あとその女性の気まぐれさ、器用さ、繊細さ、感情的な面もバイオリン一台であまねく表現できてしまうところが凄いですし、そういう感じのバイオリンソロ全般好きです♪
そして「英雄の戦い」の部分はipodランダム再生で回ってくると毎回聴いてしまう名セクション。
普段は正義感の強いトランペットが珍しく悪役を演じてくれるこのおいしさといつもとはちがうかっこよさもそうですし、英雄役の8人(!)のホルンセクションの縦横無尽な活躍(絶対ホルンの人達これ楽しいですもんね!それも伝わってきます!)・・・3拍子のミリタリーマーチ(!)でそれがぶつかり合うのがまた凄い。
かっこよさと調子の良さで本当にcarried awayなのですが、それを支える楽器使いの骨組みもまた大きく貢献していて見事なものです。
シュトラウスは本当にホルンが好きなんですよね。英雄役に抜擢したのももちろんですが、その8人(+1人アシ)の体制でがんがん押してっちゃう勢い。
多少そんなホルンにあやかる形となっちゃってるみたいなのですが、チェロも大活躍。やっぱり力強さと音域の広さがこの2つの楽器の売りですね。
ちなみに珍しくユーフォニアムがオケに参戦しているこの曲。「英雄の敵」のセクションでのちょっとしたソロにどうぞ耳をお傾けください(笑)
ここまでテンション高く書いてしまいましたが、あくまでも個人的に嫌いな曲の分類に入っています。ただ嫌いだけどやっぱり好きなセクションもありますし、嫌いだけれど名曲なのです。
それにワルキューレの話でもありましたが金管奏者が楽しいとやっぱり楽しくなっちゃう性分で。
若い人もそうでない人も、テンションを上げたいときには特にお奨めの一曲です♪
今日は久しぶりに練習の日でした。初見も合わせて2時間半。内容もわりとがっつりで。ブラームスに精魂注入しすぎてスタミナがちょっと続かなかったけれど全般的に満足のいく練習でした。
だんだんやっぱりこないだのクラム事件(?)以来プロとして演奏したい気持ちがふくらんでしょうがないのですが・・・今の翻訳の仕事、メンタルヘルスに関する夢、ミュージックアドバイザーに関する夢と合わせてなんだか本当に欲張りすぎなのかしら。なるべく多く掴んで連携させたい部分もありますし・・・
練習のプロセス自体もでも好きですね。
練習はわりと下手なほうなのではないかと思うのでこのエントリーがなんの参考になるとも思っていないのですが・・・とりあえず独り言として、はい。
そもそも技巧の練習というものが苦手というか嫌いでして。
はなっから技巧によって音楽性が妥協されて釣り合わない状態になっている曲は弾かない、技巧のためだけに曲を弾かない私。
うちの先生がせっかちだとよく言ってますが私も人のことはいえず見切りが早い方で(苦笑)
自分にとってその曲が自分が弾くほどの価値・魅力がないと判断すると(偉そうですが)ためらいもなく捨てますからねえ。
ようするに堪え性がないんです。お恥ずかしながら。
なので一日の練習を音階から、なんてことはしません。
金管楽器や声楽の方々はちゃんとウォームアップから毎回はじめるのが当たり前ですが、そこのところピアノは個人によりけりで。
音階とかエチュードからはじめると体力がちょっと少なめでちょっと朝に弱かったりすることもある私の場合心身に負荷がかかったりするので・・・
一日練習する予定の曲を事前にじっくり見て、練習時間によって自分がバテることなく最後までじっくり練習できるように順番を決めるのが大学以来恒例です。
(体力をどうこう、ということはまだ・・・(汗))
なんせ大学時代、特に最終年は一日8時間とか練習していました。
朝一は本当にゆるゆるした曲から初めて、負荷の高い曲は昼休み前にもってきたり、一日の終わりは集中力を過度に必要とする曲は避けたりしてないととうてい8時間は続きませんからね!
(ちなみに8時間練習できるまでに結構積み重ねしました)
練習環境は少なくとも自分にとってはなかなか好きな練習環境でした。
地下の窓のない練習室の一番奥の一番狭い部屋で。
無機質で閉鎖的な環境が逆に音楽に神経を集中しやすくて。週末とかだと地下に一人だったりしてそれもいいんですが、平日に色んな部屋のいろんな曲がきこえてきて、これはこの人だな、とか休憩しながら思いを巡らすのも好きでした。
練習するときは今は一曲30分単位ですが大学の時は8時間もあるので一曲1時間単位でした。
レッスンに持ってかないクラムとかもやってたので曲数もありました。
で、4時間+4時間の間に昼休み。
昼休みは楽譜も見ず、ちゃんと外に行って外の空気をすって景色を見て。ちゃんとご飯を(外で)食べて。
立って歩いたり寝転がったりして血の巡りをよくしたりして。
一時間いっぱい気分転換についやしたりなんだり。
ピアノを今年再会したときは1時間からはじめて徐々に時間を増やしてきまして・・・今は2時間半休憩無しでいけるようになりました。
でもやっぱり調子が芳しくないときとか、本来は休憩する所じゃないんだけれど集中力や体力のそのときそのときで「いかんなあ」と思うときは無理せず休むのは今も昔も一緒。
そこは無理に押したら自分にとっても音楽にとっても練習にとっても他の日常生活にとっても良くないですからね。
舞台に立つことがないとあんまりやらないのが暗譜の練習。
暗譜は苦手ではないし、暗譜で弾く方が気が引き締まるしある意味楽なのですが、ぱっと覚えられるタイプではありません。
ページのめくるところとかは割と早く覚えちゃうんですけど、結構地道に1ページとか1セクションごとに楽譜を見たり見なかったり、あとは録音を聴いたりして暗譜することが多かった気がします。
必要でないけど感覚が鈍るから暗譜の練習、した方が良いなあ・・・
あとは曲・作曲家特有の練習とか・・・
最近で言うと初めましてのシマノフスキ。
譜読みがわりとハーモニーなどが独特なので難しくて・・・録音を聴きながら楽譜を見つめて色彩を耳で覚えたり、同じく録音を聴きながらスタイルを掴もうとしたり。
こういう練習は同じ初めましてでもヒンデミットとかだとそこまでは必要なかったり。
演奏の為の練習についてはでもコンサートクラスで舞台によく立ってたのであるていど確立されたものがあると自信を持って言えます。
例えばコンサートクラスは午前11時開始。トップバッターなことが多かったので、必然的に朝に弾くことになります。
いつも先ほどの順番の計画にのっとって午後に練習している曲も舞台に立つ1週間前からは努めて朝に練習するように心がけて。
演奏するときにはく靴や服もたまに前の日とかに試しに着て・履いて練習したりするときもあります。
ちなみに自分の番が回ってくる前は特別にすることはないのですが談笑したり、他の人の楽譜見たり、自分の楽譜見たり。私は気ままに過ごすのが一番です。
コンサートクラスはその日の朝15分ホールで練習するように予約できて、それはもちろん活用します。ホールで弾く事、ホールのピアノで弾くこと、服、靴も合わせて(この時点で着替えてる)本番のコンディションでリハーサルできる大切な機会なので。
総合して言うと「慣れないことをする」ことをなるべく避けているのです。
なんかの番組でロザンの宇治原さんとそのお母様が「試験の日はいつも通り」という事をおっしゃってましたが実にその通りなのです。
演奏で不要な緊張をなるべく除くため、練習を通じて「慣れ」を作っておいて、なるべく演奏の時に「初めて」をなくす練習と心がけは肝に銘じています。
ただ演奏の場合ある程度の緊張はポジティブに働くので、例えばオケで演奏の時と同じくソロでも演奏衣装はオールブラック。ちょいちょいアクセサリーとか服とか曲に合わせてアレンジしてますがとにかく全部黒。
黒だとやっぱり色としても心が引き締まりますし、「演奏のときはオールブラック」というオケの経験からの刷り込みでほどよく緊張を与えてくれるんですよね。黒は弾いていて周辺視野に入っても気が散らない色ですし。
・・・といった独り言何ですが、やっぱり練習云々よりも今ものすごく黒ずくめで舞台に立ってピアノが弾きたい、という欲がわいてきてしまって。
とりあえず明日も練習。一歩でもまたその欲を満たすため・・・というか夢をかなえるために進めるといいな、と思ってます。
今日の一曲: フレデリック・ショパン 練習曲op.10-1
今日の一曲に私の好きな曲ばっかりが乗ると思ったら大間違いです。演奏によるのですが、あんまり印象があれな今日の一曲。
メル大の音楽科のピアノの試験の課題曲に毎年ある程度ショパンのエチュードが入ってるため、地下練習室でもコンサートクラスでもその他いろんなところでショパンの練習曲は聴きました。そのなかでもダントツでよく聴くのがこちら。
私にとっては「技巧と音楽性が釣り合わない音楽」の代名詞みたいな曲。まあ技巧のために弾かれて、特に技巧の試験のために弾かれる曲なので演奏も結構技巧ヘビーな感じな曲が大学もそうですが巷でも多く。
ちょっと残念なんですよね。ハ長調はあらゆる可能性を秘めた白いキャンバス、そして全ての色を含んだ白。
ピアノの音域と響きを広く使って、まるで広がったオーストラリアの(?)青空のようなすがすがしさ。
息の長いフレーズにそのキャンバスに乗せていくさまざまなハーモニーの色!
作品10の最初の曲とあって一番最初に弾く事が不可欠でもある、音楽的にもトップバッターがふさわしい曲なのですが、技巧の難しさからものすごく最初に弾く事を恐れられてる曲でもあります。
でもだからこそ、ね・・・弾かないんで偉いことは言えないんですけど大きく深呼吸をするようにめるくめくピアノの色彩の世界をパワフルに、でも技巧中心じゃなく聴きたいんですよ。
聴く方としては朝一にぴったりな曲!がつんと明るく一日をはじめられる曲なので生演奏でそれを要求するのはいけませんが(笑)CDかなんかで是非!朝をすがすがしく明るくはじめましょう♪
だんだんやっぱりこないだのクラム事件(?)以来プロとして演奏したい気持ちがふくらんでしょうがないのですが・・・今の翻訳の仕事、メンタルヘルスに関する夢、ミュージックアドバイザーに関する夢と合わせてなんだか本当に欲張りすぎなのかしら。なるべく多く掴んで連携させたい部分もありますし・・・
練習のプロセス自体もでも好きですね。
練習はわりと下手なほうなのではないかと思うのでこのエントリーがなんの参考になるとも思っていないのですが・・・とりあえず独り言として、はい。
そもそも技巧の練習というものが苦手というか嫌いでして。
はなっから技巧によって音楽性が妥協されて釣り合わない状態になっている曲は弾かない、技巧のためだけに曲を弾かない私。
うちの先生がせっかちだとよく言ってますが私も人のことはいえず見切りが早い方で(苦笑)
自分にとってその曲が自分が弾くほどの価値・魅力がないと判断すると(偉そうですが)ためらいもなく捨てますからねえ。
ようするに堪え性がないんです。お恥ずかしながら。
なので一日の練習を音階から、なんてことはしません。
金管楽器や声楽の方々はちゃんとウォームアップから毎回はじめるのが当たり前ですが、そこのところピアノは個人によりけりで。
音階とかエチュードからはじめると体力がちょっと少なめでちょっと朝に弱かったりすることもある私の場合心身に負荷がかかったりするので・・・
一日練習する予定の曲を事前にじっくり見て、練習時間によって自分がバテることなく最後までじっくり練習できるように順番を決めるのが大学以来恒例です。
(体力をどうこう、ということはまだ・・・(汗))
なんせ大学時代、特に最終年は一日8時間とか練習していました。
朝一は本当にゆるゆるした曲から初めて、負荷の高い曲は昼休み前にもってきたり、一日の終わりは集中力を過度に必要とする曲は避けたりしてないととうてい8時間は続きませんからね!
(ちなみに8時間練習できるまでに結構積み重ねしました)
練習環境は少なくとも自分にとってはなかなか好きな練習環境でした。
地下の窓のない練習室の一番奥の一番狭い部屋で。
無機質で閉鎖的な環境が逆に音楽に神経を集中しやすくて。週末とかだと地下に一人だったりしてそれもいいんですが、平日に色んな部屋のいろんな曲がきこえてきて、これはこの人だな、とか休憩しながら思いを巡らすのも好きでした。
練習するときは今は一曲30分単位ですが大学の時は8時間もあるので一曲1時間単位でした。
レッスンに持ってかないクラムとかもやってたので曲数もありました。
で、4時間+4時間の間に昼休み。
昼休みは楽譜も見ず、ちゃんと外に行って外の空気をすって景色を見て。ちゃんとご飯を(外で)食べて。
立って歩いたり寝転がったりして血の巡りをよくしたりして。
一時間いっぱい気分転換についやしたりなんだり。
ピアノを今年再会したときは1時間からはじめて徐々に時間を増やしてきまして・・・今は2時間半休憩無しでいけるようになりました。
でもやっぱり調子が芳しくないときとか、本来は休憩する所じゃないんだけれど集中力や体力のそのときそのときで「いかんなあ」と思うときは無理せず休むのは今も昔も一緒。
そこは無理に押したら自分にとっても音楽にとっても練習にとっても他の日常生活にとっても良くないですからね。
舞台に立つことがないとあんまりやらないのが暗譜の練習。
暗譜は苦手ではないし、暗譜で弾く方が気が引き締まるしある意味楽なのですが、ぱっと覚えられるタイプではありません。
ページのめくるところとかは割と早く覚えちゃうんですけど、結構地道に1ページとか1セクションごとに楽譜を見たり見なかったり、あとは録音を聴いたりして暗譜することが多かった気がします。
必要でないけど感覚が鈍るから暗譜の練習、した方が良いなあ・・・
あとは曲・作曲家特有の練習とか・・・
最近で言うと初めましてのシマノフスキ。
譜読みがわりとハーモニーなどが独特なので難しくて・・・録音を聴きながら楽譜を見つめて色彩を耳で覚えたり、同じく録音を聴きながらスタイルを掴もうとしたり。
こういう練習は同じ初めましてでもヒンデミットとかだとそこまでは必要なかったり。
演奏の為の練習についてはでもコンサートクラスで舞台によく立ってたのであるていど確立されたものがあると自信を持って言えます。
例えばコンサートクラスは午前11時開始。トップバッターなことが多かったので、必然的に朝に弾くことになります。
いつも先ほどの順番の計画にのっとって午後に練習している曲も舞台に立つ1週間前からは努めて朝に練習するように心がけて。
演奏するときにはく靴や服もたまに前の日とかに試しに着て・履いて練習したりするときもあります。
ちなみに自分の番が回ってくる前は特別にすることはないのですが談笑したり、他の人の楽譜見たり、自分の楽譜見たり。私は気ままに過ごすのが一番です。
コンサートクラスはその日の朝15分ホールで練習するように予約できて、それはもちろん活用します。ホールで弾く事、ホールのピアノで弾くこと、服、靴も合わせて(この時点で着替えてる)本番のコンディションでリハーサルできる大切な機会なので。
総合して言うと「慣れないことをする」ことをなるべく避けているのです。
なんかの番組でロザンの宇治原さんとそのお母様が「試験の日はいつも通り」という事をおっしゃってましたが実にその通りなのです。
演奏で不要な緊張をなるべく除くため、練習を通じて「慣れ」を作っておいて、なるべく演奏の時に「初めて」をなくす練習と心がけは肝に銘じています。
ただ演奏の場合ある程度の緊張はポジティブに働くので、例えばオケで演奏の時と同じくソロでも演奏衣装はオールブラック。ちょいちょいアクセサリーとか服とか曲に合わせてアレンジしてますがとにかく全部黒。
黒だとやっぱり色としても心が引き締まりますし、「演奏のときはオールブラック」というオケの経験からの刷り込みでほどよく緊張を与えてくれるんですよね。黒は弾いていて周辺視野に入っても気が散らない色ですし。
・・・といった独り言何ですが、やっぱり練習云々よりも今ものすごく黒ずくめで舞台に立ってピアノが弾きたい、という欲がわいてきてしまって。
とりあえず明日も練習。一歩でもまたその欲を満たすため・・・というか夢をかなえるために進めるといいな、と思ってます。
今日の一曲: フレデリック・ショパン 練習曲op.10-1
今日の一曲に私の好きな曲ばっかりが乗ると思ったら大間違いです。演奏によるのですが、あんまり印象があれな今日の一曲。
メル大の音楽科のピアノの試験の課題曲に毎年ある程度ショパンのエチュードが入ってるため、地下練習室でもコンサートクラスでもその他いろんなところでショパンの練習曲は聴きました。そのなかでもダントツでよく聴くのがこちら。
私にとっては「技巧と音楽性が釣り合わない音楽」の代名詞みたいな曲。まあ技巧のために弾かれて、特に技巧の試験のために弾かれる曲なので演奏も結構技巧ヘビーな感じな曲が大学もそうですが巷でも多く。
ちょっと残念なんですよね。ハ長調はあらゆる可能性を秘めた白いキャンバス、そして全ての色を含んだ白。
ピアノの音域と響きを広く使って、まるで広がったオーストラリアの(?)青空のようなすがすがしさ。
息の長いフレーズにそのキャンバスに乗せていくさまざまなハーモニーの色!
作品10の最初の曲とあって一番最初に弾く事が不可欠でもある、音楽的にもトップバッターがふさわしい曲なのですが、技巧の難しさからものすごく最初に弾く事を恐れられてる曲でもあります。
でもだからこそ、ね・・・弾かないんで偉いことは言えないんですけど大きく深呼吸をするようにめるくめくピアノの色彩の世界をパワフルに、でも技巧中心じゃなく聴きたいんですよ。
聴く方としては朝一にぴったりな曲!がつんと明るく一日をはじめられる曲なので生演奏でそれを要求するのはいけませんが(笑)CDかなんかで是非!朝をすがすがしく明るくはじめましょう♪
恒例のおことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません
疲れ気味が続いていますが仕事も忙しい!週末はピアノがちょっとでもできたらいいなあ、と思いながらくたくたしています。
ソロで舞台に立つよりもオケの一員としてピアノやチェレスタを演奏した方がずーっと経験としては私は多いのですが、なんといってもオーケストラのピアノやチェレスタのパートは休みが多い。弾いてるより待ってる方が断然多い。
数えることももはや諦めてしまうほどの休符の中でやっぱり辺りを見回したとき一番気になるのはお隣さん。
なんせそのお隣さんがハープなんですから。
ハープ、というのはピアノやチェレスタよりは頻繁にオーケストラで用いられますが、それでもフルタイムメンバーではないので必要とされているときにリハーサルに来て、単独で動いている感が強い楽器です。
やっぱりバレエなどで特に見られる優雅なイメージはありますが、47本も弦があるので太くお腹に響くような低音も出ますし、特殊な弾き方ではsinisterなイメージの音まで出します。
なのでやっぱりよくある「ハープはお嬢さん」的なイメージだけではない!とかねがね思っていたのです。
大学のオケなどで何人かのハープ奏者と隣になっていろいろお話を聞きましたが、何よりもメル響のハープ奏者の方にはいろんなことを学びました。今日のハープについてのちょっとした紹介と性格分析は彼女から学んだことが主な出典です。
どんなことが難しいか、とかはもちろん、周辺楽器(ピアノ、ハープ、チェレスタをオケの端っこにいるためPeripheral Instrumentsと勝手に私が呼んでるのの訳語)の存在をちゃんと認識して、的確な指示を与えてくれてさらにいたわってくれる指揮者が本当に良い指揮者ですよね、なんて話とかで盛り上がったり・・・(笑)
ハープはやっぱり楽器も(メンテナンスも)、常に車運搬なのでガソリン代も、そのほか諸々出費が多い楽器ではあるので確かにある程度経済的に恵まれている人が弾く事がやっぱり多いらしい楽器です。
ただオケはフルタイムでなくてもそれに加えて例えば結婚式で演奏するなどして結構需要が多い楽器ではあるので収入もわりとある・・・んだとか。
でもやっぱりハープ奏者のエレガントなイメージはその演奏する姿が多いですね。
翼のような形をした楽器の半透明な弦の上をしなやかな腕と指が縦横無尽に、でも優雅に駆け巡る。
ただ優雅さの下のすさまじいほどの努力もまたハープを知るのにものすごく大事なことです。
素手であれだけの張力と数の弦を、あの音量で弾くには手の方にも相当のダメージが来ます。本当に練習や演奏でぼろぼろになったりで、手を柔らかく保つためにケアが欠かせません。
そしてハープはペダルを足で操ってキーを変えたりします。ハープ奏者の足下を見る事って少ないですけど結構せわしくがっこんがっこん踏んでいますよ。特に現代音楽だと足の忙しさが本当に大変だという話もハープ奏者さんたちから聞きましたし、実際見てても本当に目は下に向けられないのに足の感覚だけでもはやどうやってるかわからない!
さらにすごいと思うのはハープ奏者としての仕事をこなすために本当にさまざまな工夫をしていること。
先ほどの手のケアもそうですが、楽譜はかならずコピーで、なんといっても複雑なパートなのでいろいろと弾く時に役立つ・効率の良いように書き込みがたくさんしてあったり。
あとメル響のハープ奏者さんは手に特にダメージが大きいグリッサンド(手を弦の上にぽろろろろと滑らせる奏法)が続くときはなるべく手の代わりにちょうど良い堅さの消しゴムで代用しているそうです。
古のハープと比べてオーケストラのハープは奏法も、そしてパートとして求められることも現代にむけてどんどん複雑になっています。
にもかかわらず、ハープ奏者の演奏時のたたずまいはいつだって優雅なまま。
ハープが2台いる曲でも、特に二人で息を合わせる風もなくごく自然に音を一体にして。
先ほど書きましたような複雑な操作だったり、たくさんの努力だったり工夫だったり・・・そういったものを演奏時はほとんど表面に見せないような人達なのです。
ベタなたとえなんですが、本当に白鳥のようなんです。
水の上の優雅さも、水面下の努力も、それを見せないのも。
とにかく演奏上では弱みを見せないのがデフォルト。(ただやっぱり先ほどの工夫の話とか難しいことの話でも聞けば快く教えてくれますけどね)
ストレートですが、それこそがハープ奏者の性格を作っているのかな、と思います。
もう一つハープ奏者の性格的特徴があるとしたら・・・こだわりとその裏返しの神経質さがあるかな、と思います。
楽器はいつだって(女性が圧倒的に多い楽器なのですが)自分の手と自分の車で運搬。プロの楽器運搬のトラックにも入れません。
リハーサル、コンサート時は必ず誰もいないときにホールに入って決まったポジションにハープをセットした後無音の空間でチューニング。47本の弦を一つ一つ綿密にチューニング。この間はホールに誰もいれちゃいけません。
オケの一員とはいえやっぱり独自の規律と信念で動いていて、そのこだわりは邪魔しない方がいいんだな、と隣に座ってて(そしてマネージャーとして)無言ですがそこらへんは伝わってきました。
でもそのこだわりとか神経質さ、そして弱みを見せなく「優雅なハープ奏者」として演奏しているところもみんな
本当にリスペクトしています。隣に座ってて軽く畏怖に近い思いを抱きますもん。
たゆまぬ努力を積み重ねて、ステージの上では凛々しい奏者で居たいなあ、と彼女たちの姿を見て切実に思いました。今も憧れています。
ちなみに創作でオーケストラの話をいくつか書いたり書かなかったり(???)していますが、もちろんそんな彼女たちにインスパイアされて主人公の一人はハープ奏者です。
なるべく「お嬢さん」風がない、中性的な雰囲気をまとった子を一応目指していまして(体格は割と中性的ではありますが)。ステーションワゴンでハープを運んでたり、父がアイルランド系で母がフランス人だったり(関係ないですか)。
芯の強さ、努力そして不思議なエレガントさとしてのハープ奏者のクオリティを出せて行けたらなあ、と思ってます。
今日の一曲: マイケル・ティペット 組曲「The Tempest」より「Dreaming」
CD Wowでの録音リンク
ハープの「典型的」ではない音を聞かせたいなあ、とも思いながらそもそもハープってオーケストラでもちらほら聴くだけだしそもそもオケ以外のレパートリーもほとんど知られていないなあ、なんて思って結局素直に自分が一番愛しいなあと思う曲を選んでみました。
ティペットは作曲家であり指揮者でもあった人で・・・自分の中では彼についてのデータは少なく、ちらほらピアノソナタを聴いたり、授業で「われらの時代の子」を聴いたり(録音欲しいなあ!割と高いんですよ!)してはいるのですが全体像とはほど遠いのです。
でもこのDreamingに関してはただ単に素直に美しい曲だな、と思います。イギリス音楽の良いところがみんな詰まっているけれど使い古された感じがなく。
なんといってもビオラとハープというコンビがいい!トリオとしてはドビュッシーがフルート&ビオラ&ハープのために曲を書いていますが2人でも全然いけます。
何というか・・・ものすごくintimateなんですよね。ビオラの楽器としての性格とハープの音がそうさせるのですが、例えば楽器+ピアノのときみたいにソロ+伴奏、ではなく対等で近しい二人のデュエット、という感じ。
タイトルのように本当に夢の中にいるみたいで。
心地良い夢のような音楽に身も心も任せたくなりますね。
ビオラは個人的に心臓に一番近い、そして母性の強い音をしていると思いますし、ハープもまた懐が広くて、アルデンテ(丸くて適度に芯があるんです)な音が心地良くて。
ちなみにリンクした、そして私の持ってるこの曲の録音はMarshall McGuireというオーストラリアの男性ハープ奏者が演奏しています。珍しいですよね、男性ハープ奏者。彼はおそらくオーストラリアで一番のハープ奏者じゃないかしら。
ハープのソロ曲(またはプラスワン)って意外と知られていないんですよね。確かに数は少なめなんですけど、他の楽器では味わえないような音楽がいっぱいありますし・・・20世紀の作曲家による曲でも比較的聞きやすい、ささやかな名曲がいっぱいあるので「ハープのCD」といった形で幅広く聴いてみるのをお奨めします。
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません
疲れ気味が続いていますが仕事も忙しい!週末はピアノがちょっとでもできたらいいなあ、と思いながらくたくたしています。
ソロで舞台に立つよりもオケの一員としてピアノやチェレスタを演奏した方がずーっと経験としては私は多いのですが、なんといってもオーケストラのピアノやチェレスタのパートは休みが多い。弾いてるより待ってる方が断然多い。
数えることももはや諦めてしまうほどの休符の中でやっぱり辺りを見回したとき一番気になるのはお隣さん。
なんせそのお隣さんがハープなんですから。
ハープ、というのはピアノやチェレスタよりは頻繁にオーケストラで用いられますが、それでもフルタイムメンバーではないので必要とされているときにリハーサルに来て、単独で動いている感が強い楽器です。
やっぱりバレエなどで特に見られる優雅なイメージはありますが、47本も弦があるので太くお腹に響くような低音も出ますし、特殊な弾き方ではsinisterなイメージの音まで出します。
なのでやっぱりよくある「ハープはお嬢さん」的なイメージだけではない!とかねがね思っていたのです。
大学のオケなどで何人かのハープ奏者と隣になっていろいろお話を聞きましたが、何よりもメル響のハープ奏者の方にはいろんなことを学びました。今日のハープについてのちょっとした紹介と性格分析は彼女から学んだことが主な出典です。
どんなことが難しいか、とかはもちろん、周辺楽器(ピアノ、ハープ、チェレスタをオケの端っこにいるためPeripheral Instrumentsと勝手に私が呼んでるのの訳語)の存在をちゃんと認識して、的確な指示を与えてくれてさらにいたわってくれる指揮者が本当に良い指揮者ですよね、なんて話とかで盛り上がったり・・・(笑)
ハープはやっぱり楽器も(メンテナンスも)、常に車運搬なのでガソリン代も、そのほか諸々出費が多い楽器ではあるので確かにある程度経済的に恵まれている人が弾く事がやっぱり多いらしい楽器です。
ただオケはフルタイムでなくてもそれに加えて例えば結婚式で演奏するなどして結構需要が多い楽器ではあるので収入もわりとある・・・んだとか。
でもやっぱりハープ奏者のエレガントなイメージはその演奏する姿が多いですね。
翼のような形をした楽器の半透明な弦の上をしなやかな腕と指が縦横無尽に、でも優雅に駆け巡る。
ただ優雅さの下のすさまじいほどの努力もまたハープを知るのにものすごく大事なことです。
素手であれだけの張力と数の弦を、あの音量で弾くには手の方にも相当のダメージが来ます。本当に練習や演奏でぼろぼろになったりで、手を柔らかく保つためにケアが欠かせません。
そしてハープはペダルを足で操ってキーを変えたりします。ハープ奏者の足下を見る事って少ないですけど結構せわしくがっこんがっこん踏んでいますよ。特に現代音楽だと足の忙しさが本当に大変だという話もハープ奏者さんたちから聞きましたし、実際見てても本当に目は下に向けられないのに足の感覚だけでもはやどうやってるかわからない!
さらにすごいと思うのはハープ奏者としての仕事をこなすために本当にさまざまな工夫をしていること。
先ほどの手のケアもそうですが、楽譜はかならずコピーで、なんといっても複雑なパートなのでいろいろと弾く時に役立つ・効率の良いように書き込みがたくさんしてあったり。
あとメル響のハープ奏者さんは手に特にダメージが大きいグリッサンド(手を弦の上にぽろろろろと滑らせる奏法)が続くときはなるべく手の代わりにちょうど良い堅さの消しゴムで代用しているそうです。
古のハープと比べてオーケストラのハープは奏法も、そしてパートとして求められることも現代にむけてどんどん複雑になっています。
にもかかわらず、ハープ奏者の演奏時のたたずまいはいつだって優雅なまま。
ハープが2台いる曲でも、特に二人で息を合わせる風もなくごく自然に音を一体にして。
先ほど書きましたような複雑な操作だったり、たくさんの努力だったり工夫だったり・・・そういったものを演奏時はほとんど表面に見せないような人達なのです。
ベタなたとえなんですが、本当に白鳥のようなんです。
水の上の優雅さも、水面下の努力も、それを見せないのも。
とにかく演奏上では弱みを見せないのがデフォルト。(ただやっぱり先ほどの工夫の話とか難しいことの話でも聞けば快く教えてくれますけどね)
ストレートですが、それこそがハープ奏者の性格を作っているのかな、と思います。
もう一つハープ奏者の性格的特徴があるとしたら・・・こだわりとその裏返しの神経質さがあるかな、と思います。
楽器はいつだって(女性が圧倒的に多い楽器なのですが)自分の手と自分の車で運搬。プロの楽器運搬のトラックにも入れません。
リハーサル、コンサート時は必ず誰もいないときにホールに入って決まったポジションにハープをセットした後無音の空間でチューニング。47本の弦を一つ一つ綿密にチューニング。この間はホールに誰もいれちゃいけません。
オケの一員とはいえやっぱり独自の規律と信念で動いていて、そのこだわりは邪魔しない方がいいんだな、と隣に座ってて(そしてマネージャーとして)無言ですがそこらへんは伝わってきました。
でもそのこだわりとか神経質さ、そして弱みを見せなく「優雅なハープ奏者」として演奏しているところもみんな
本当にリスペクトしています。隣に座ってて軽く畏怖に近い思いを抱きますもん。
たゆまぬ努力を積み重ねて、ステージの上では凛々しい奏者で居たいなあ、と彼女たちの姿を見て切実に思いました。今も憧れています。
ちなみに創作でオーケストラの話をいくつか書いたり書かなかったり(???)していますが、もちろんそんな彼女たちにインスパイアされて主人公の一人はハープ奏者です。
なるべく「お嬢さん」風がない、中性的な雰囲気をまとった子を一応目指していまして(体格は割と中性的ではありますが)。ステーションワゴンでハープを運んでたり、父がアイルランド系で母がフランス人だったり(関係ないですか)。
芯の強さ、努力そして不思議なエレガントさとしてのハープ奏者のクオリティを出せて行けたらなあ、と思ってます。
今日の一曲: マイケル・ティペット 組曲「The Tempest」より「Dreaming」
CD Wowでの録音リンク
ハープの「典型的」ではない音を聞かせたいなあ、とも思いながらそもそもハープってオーケストラでもちらほら聴くだけだしそもそもオケ以外のレパートリーもほとんど知られていないなあ、なんて思って結局素直に自分が一番愛しいなあと思う曲を選んでみました。
ティペットは作曲家であり指揮者でもあった人で・・・自分の中では彼についてのデータは少なく、ちらほらピアノソナタを聴いたり、授業で「われらの時代の子」を聴いたり(録音欲しいなあ!割と高いんですよ!)してはいるのですが全体像とはほど遠いのです。
でもこのDreamingに関してはただ単に素直に美しい曲だな、と思います。イギリス音楽の良いところがみんな詰まっているけれど使い古された感じがなく。
なんといってもビオラとハープというコンビがいい!トリオとしてはドビュッシーがフルート&ビオラ&ハープのために曲を書いていますが2人でも全然いけます。
何というか・・・ものすごくintimateなんですよね。ビオラの楽器としての性格とハープの音がそうさせるのですが、例えば楽器+ピアノのときみたいにソロ+伴奏、ではなく対等で近しい二人のデュエット、という感じ。
タイトルのように本当に夢の中にいるみたいで。
心地良い夢のような音楽に身も心も任せたくなりますね。
ビオラは個人的に心臓に一番近い、そして母性の強い音をしていると思いますし、ハープもまた懐が広くて、アルデンテ(丸くて適度に芯があるんです)な音が心地良くて。
ちなみにリンクした、そして私の持ってるこの曲の録音はMarshall McGuireというオーストラリアの男性ハープ奏者が演奏しています。珍しいですよね、男性ハープ奏者。彼はおそらくオーストラリアで一番のハープ奏者じゃないかしら。
ハープのソロ曲(またはプラスワン)って意外と知られていないんですよね。確かに数は少なめなんですけど、他の楽器では味わえないような音楽がいっぱいありますし・・・20世紀の作曲家による曲でも比較的聞きやすい、ささやかな名曲がいっぱいあるので「ハープのCD」といった形で幅広く聴いてみるのをお奨めします。
本題に入る前に昨日の楽器と性格についてのエントリーの最初におことわりを付けとくの忘れたんでここでおことわりしておきます。
におことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
本題なんですが。
昨夜ものすごく!ショックを受けたことがありまして。
生涯で2,3番目に大きいショックだったかもしれません。
なんで、なぜにして私はユヴォンヌ・ロリオ女史が今年の5月に亡くなったことを知らなかったんだ!!??
ユヴォンヌ・ロリオ女史。
メシアンの生徒のち2番目の妻であり、彼の一番の理解者。
そして彼の作曲した音楽を世に出した素晴らしいピアニストであり初めての「メシアン弾き」。
同時に彼女の存在はメシアンの作曲に影響を与えた、ミューズのような存在。
1992年に亡くなったメシアンの遺作「Concert a quatre」の完成にも手を添え、さらにメシアンコンクールの主審を務めた・・・メシアンの音楽とヴィジョンに彼に出会ってからの一生を捧げたある意味「祖」なのです。
メシアンが音楽関係や鳥関係で旅するときも一緒で。
二人がオーストラリアを訪れた時私の先生がコンサートを見にいったそうです。
ロリオ女史は素晴らしいピアニストで、手の大きさはそんなに大きくなかった、という話をしてくれました。
オーストラリアでは鳥の鳴き声を探しに行ったそうなのですが、もうメシアンは晩年に近かったのでオーストラリアの鳥の鳴き声は・・・あんまり曲に入れられなかったかなあ。
ロリオ女史の名前Loriodは実は鳥のカタログの第2曲「ニシコウライウグイス」の仏名Loriotと同じ発音で。
どこで解説読んでも意識してるって書かれているほど、あの曲には愛が詰まっています。本当に、本当に二人の愛の暖かさが見えるよう。
メシアン弾きにとってロリオ女史の演奏というのは・・・
ロリオ女史の演奏というのはメシアンの意志を最もくみ取っているものだと思います。
相互的なものでもありますし(メシアンはロリオ女史が演奏すること前提で曲書いてますし)。
ロリオ女史が世に出した20のまなざし、アーメンの幻影、鳥のカタログなど・・・もちろんそれぞれの奏者は自分の解釈があって自分の道を行くのですが、やっぱり基本というかオーソドックスはロリオ女史の演奏。
少なくとも私にとってメシアンの特定の演奏を「バイブル」的な扱いはしないようしているのですが、ロリオ女史の存在と演奏は私にとっては「グレートマザー」的な何かがあるのです。
遠い遠い人だけれど、メシアンの音楽を通じてどこか繋がっているから・・・今ものすごく悲しくて、そしてこんなに時間が経ってから知ったことをものすごく悔やんでいるのです。
大学在学中にチェロの巨匠ロストロポーヴィチが亡くなったとき、そして偉大な作曲家リゲティが亡くなったとき・・・ショックでした。同時に怖くなりました。
今巨匠と呼ばれる人もいつかは同じ道をたどるから。怖くて、淋しくてしょうがない。
違う視点で見れば今メルボルンにいる「メシアン弾き」(専門という意味で)って私の世代は私の他に一人もいなくて・・・本当に端くれの端くれだけれど、がんばってメシアンの音楽を弾いて、連鎖を続けていくべきなのかな、とふと思ってしまって。
がんばらないと、本当に。
私は無神論者なので天国の存在を信じていませんが、もしもメシアンが信じたように天国があるのなら、きっととロリオ女史はメシアンの隣で天国の鳥たちの声に耳を傾けているでしょう。
実際に二人は同じ墓に・・・メシアンが子供時代を過ごし別荘も後に建てたフランスのローヌ=アルプ地方、グルノーブルの近くにある墓地に、鳥をかたどったモニュメントの下に埋められているそうです。
(こちらのサイトに詳細があります。)
いつかフランスに行って、メシアンがオルガニストだったパリのサントリニテ教会、「ダイシャクシギ」の舞台であるブルターニュ地方とともにグルノーブルのこのお墓に行ってご挨拶したいな、と心から思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「アーメンの幻影」より第5楽章「天使、聖者、鳥の歌のアーメン」
「ニシコウライウグイス」と迷ったのですがこっちに。
なぜならこの曲集こそメシアンとロリオ女史の愛の結晶(と私は思ってます)。
2台のピアノの為に書かれたこの曲集、1stピアノのパートをロリオ女史が担当し、2ndピアノのパートをメシアン自身が担当するように書かれています。
なので全楽章を通じて技巧がきらびやかなのは1stの方、逆に作曲的にというか音楽的な部分は2ndが担当しています。どちらも両者の得意が反映されてるのですね。
まるで春の日だまりのように暖かく明るい光に満ちていて、きらきら、ぴよぴよと喜びにみちたこの第5楽章。
天に住まう天使達、地に住まう人間達、そしてその間を飛び交う鳥たちがみな「アーメン」とそれぞれの言葉で声高らかに神をたたえる、そんな曲です。
ピアノ2台はロマン派以降のフルオーケストラに相当するスケールのアンサンブル。
ピアノ一台でおさまりきれなかったメシアンの色彩の世界があふれんばかりに輝きます。
メシアンとロリオ女史は音楽や心の絆だけでなく、信仰に対しても道を同じくしていました。
なのであの二人の演奏はさぞ一体となっていて、先ほどのようにそれぞれの長所が発揮され・・・
ああ、聴きたいなあ(リンクしたのがその二人一緒の貴重な録音です)。
先ほども言いましたように私は無神論者です。でも天国があるとしたらそれはメシアンの音楽のなかにあるんじゃないかな、とたまに思います。
そしてそれが一番「絵」として表れているのがこの曲だと思います。
天の楽園と地の楽園が一つになった・・・みたいな?
恋人がピアニストなら私も絶対この曲弾きますよ。できれば一応女子なのでロリオ女史のパートを担当したいところですが・・・どうだろう。難しすぎやしないかしら。
金色の光、喜び、暖かさ・・・
本当に良いものがいっぱい詰まっている曲。
メシアンが、そしてロリオ女史が心に抱いて共有したヴィジョン・・・音楽で私も表現していければいいな、と思います。
大事に大事に聴いて欲しい一曲です。
Madame Loriod-Messiaen, rest in peace...
におことわり:
1)これらの性格分析は私個人の観察と楽器の特性から導き出したものです。
2)あんまり真剣にとらないでいただけると嬉しいです。それなりに分析はしてますが、とりあえずネタということで。
3)メルボルン発データなので環境要因があると思われ日本人の場合どうなっているかは未知です。
4)個人攻撃、誹謗中傷は全く意図していません。
本題なんですが。
昨夜ものすごく!ショックを受けたことがありまして。
生涯で2,3番目に大きいショックだったかもしれません。
なんで、なぜにして私はユヴォンヌ・ロリオ女史が今年の5月に亡くなったことを知らなかったんだ!!??
ユヴォンヌ・ロリオ女史。
メシアンの生徒のち2番目の妻であり、彼の一番の理解者。
そして彼の作曲した音楽を世に出した素晴らしいピアニストであり初めての「メシアン弾き」。
同時に彼女の存在はメシアンの作曲に影響を与えた、ミューズのような存在。
1992年に亡くなったメシアンの遺作「Concert a quatre」の完成にも手を添え、さらにメシアンコンクールの主審を務めた・・・メシアンの音楽とヴィジョンに彼に出会ってからの一生を捧げたある意味「祖」なのです。
メシアンが音楽関係や鳥関係で旅するときも一緒で。
二人がオーストラリアを訪れた時私の先生がコンサートを見にいったそうです。
ロリオ女史は素晴らしいピアニストで、手の大きさはそんなに大きくなかった、という話をしてくれました。
オーストラリアでは鳥の鳴き声を探しに行ったそうなのですが、もうメシアンは晩年に近かったのでオーストラリアの鳥の鳴き声は・・・あんまり曲に入れられなかったかなあ。
ロリオ女史の名前Loriodは実は鳥のカタログの第2曲「ニシコウライウグイス」の仏名Loriotと同じ発音で。
どこで解説読んでも意識してるって書かれているほど、あの曲には愛が詰まっています。本当に、本当に二人の愛の暖かさが見えるよう。
メシアン弾きにとってロリオ女史の演奏というのは・・・
ロリオ女史の演奏というのはメシアンの意志を最もくみ取っているものだと思います。
相互的なものでもありますし(メシアンはロリオ女史が演奏すること前提で曲書いてますし)。
ロリオ女史が世に出した20のまなざし、アーメンの幻影、鳥のカタログなど・・・もちろんそれぞれの奏者は自分の解釈があって自分の道を行くのですが、やっぱり基本というかオーソドックスはロリオ女史の演奏。
少なくとも私にとってメシアンの特定の演奏を「バイブル」的な扱いはしないようしているのですが、ロリオ女史の存在と演奏は私にとっては「グレートマザー」的な何かがあるのです。
遠い遠い人だけれど、メシアンの音楽を通じてどこか繋がっているから・・・今ものすごく悲しくて、そしてこんなに時間が経ってから知ったことをものすごく悔やんでいるのです。
大学在学中にチェロの巨匠ロストロポーヴィチが亡くなったとき、そして偉大な作曲家リゲティが亡くなったとき・・・ショックでした。同時に怖くなりました。
今巨匠と呼ばれる人もいつかは同じ道をたどるから。怖くて、淋しくてしょうがない。
違う視点で見れば今メルボルンにいる「メシアン弾き」(専門という意味で)って私の世代は私の他に一人もいなくて・・・本当に端くれの端くれだけれど、がんばってメシアンの音楽を弾いて、連鎖を続けていくべきなのかな、とふと思ってしまって。
がんばらないと、本当に。
私は無神論者なので天国の存在を信じていませんが、もしもメシアンが信じたように天国があるのなら、きっととロリオ女史はメシアンの隣で天国の鳥たちの声に耳を傾けているでしょう。
実際に二人は同じ墓に・・・メシアンが子供時代を過ごし別荘も後に建てたフランスのローヌ=アルプ地方、グルノーブルの近くにある墓地に、鳥をかたどったモニュメントの下に埋められているそうです。
(こちらのサイトに詳細があります。)
いつかフランスに行って、メシアンがオルガニストだったパリのサントリニテ教会、「ダイシャクシギ」の舞台であるブルターニュ地方とともにグルノーブルのこのお墓に行ってご挨拶したいな、と心から思います。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「アーメンの幻影」より第5楽章「天使、聖者、鳥の歌のアーメン」
「ニシコウライウグイス」と迷ったのですがこっちに。
なぜならこの曲集こそメシアンとロリオ女史の愛の結晶(と私は思ってます)。
2台のピアノの為に書かれたこの曲集、1stピアノのパートをロリオ女史が担当し、2ndピアノのパートをメシアン自身が担当するように書かれています。
なので全楽章を通じて技巧がきらびやかなのは1stの方、逆に作曲的にというか音楽的な部分は2ndが担当しています。どちらも両者の得意が反映されてるのですね。
まるで春の日だまりのように暖かく明るい光に満ちていて、きらきら、ぴよぴよと喜びにみちたこの第5楽章。
天に住まう天使達、地に住まう人間達、そしてその間を飛び交う鳥たちがみな「アーメン」とそれぞれの言葉で声高らかに神をたたえる、そんな曲です。
ピアノ2台はロマン派以降のフルオーケストラに相当するスケールのアンサンブル。
ピアノ一台でおさまりきれなかったメシアンの色彩の世界があふれんばかりに輝きます。
メシアンとロリオ女史は音楽や心の絆だけでなく、信仰に対しても道を同じくしていました。
なのであの二人の演奏はさぞ一体となっていて、先ほどのようにそれぞれの長所が発揮され・・・
ああ、聴きたいなあ(リンクしたのがその二人一緒の貴重な録音です)。
先ほども言いましたように私は無神論者です。でも天国があるとしたらそれはメシアンの音楽のなかにあるんじゃないかな、とたまに思います。
そしてそれが一番「絵」として表れているのがこの曲だと思います。
天の楽園と地の楽園が一つになった・・・みたいな?
恋人がピアニストなら私も絶対この曲弾きますよ。できれば一応女子なのでロリオ女史のパートを担当したいところですが・・・どうだろう。難しすぎやしないかしら。
金色の光、喜び、暖かさ・・・
本当に良いものがいっぱい詰まっている曲。
メシアンが、そしてロリオ女史が心に抱いて共有したヴィジョン・・・音楽で私も表現していければいいな、と思います。
大事に大事に聴いて欲しい一曲です。
Madame Loriod-Messiaen, rest in peace...
