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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Klezmaniaコンサート感想(8/22)
Piano Landmarksで話があった「24の調のセット」的なことをちょっとやってみようかな、と
只今鋭意考え中です。作曲ではないのですが、タロットカード的なものをデザインしてみてます。
結果はどうなることやら。気楽に考えを巡らせてみたいと思います♪

一昨日はGlen Eira Town Hallでオーストラリアのクレズマーバンド、Klezmaniaのコンサートに行ってきました。
クレズマーとは東ヨーロッパのユダヤ民族の音楽。もともとロシアなどのユダヤ民族のコミュニティで演奏されていたものが、20世紀の諸事情でユダヤ民族が主にアメリカに移住した際に世界に伝わったものです。
なかなか面白い民族音楽なんですよね。同じく東ヨーロッパが一種の拠点で同じく迫害の対象の民族であるのロマ(ジプシー)の音楽やジャズなど多くの音楽スタイルに影響を受けているのはいろんな土地にちらばってその地の文化を取り入れながら独自のユダヤコミュニティを作って生きて行くユダヤ民族の精神と繋がっているような気がします。
そしてユダヤ民族の生活には信仰が深く結びついているのでクレズマーにも宗教的なものもあったり、そうでない例えば酒場での音楽やなんかもあります。なんと言ってもユダヤの結婚式でのお祭りなどでの音楽の使われ方も有名ですね♪

このタウンホールがある地域は実はメルボルンの中でもユダヤ人が固まって住んでいる地域で。 実際どれくらいそちらの方が来てたのかわからないんですがロシア語ならそこここで結構聞こえました。

バンドのメンバーは4人。 ボーカルの女性、そして男性3人でギター+ハーモニカ、ベース、クラリネット。 クラリネットの方はオーストラリア先住民のの伝統楽器、ディジュリドゥ(Didjeridoo)も担当していました。(木で出来ている楽器ですが音を出す原理は金管楽器に似ているので不思議です!)しかもこのディジュリドゥ、伝統的なものと違ってトロンボーンのようなスライドが付いている進化版!なんだか色々驚くことばかりです。
ボーカルの女性の声が本当に好きで。強く凛々しく、かつ表現豊かでかわいらしくセクシー。50歳にになったばかりっていうのが信じられないほどの若々しい歌声、そして踊りでした。

結構手拍子や一緒に歌うようにプレイヤーから誘われることが多いコンサートでしたが、促されるまでもなく自然に足や手が動くほどノリノリな音楽。日本人でそちらの文化が生活の一部ではない私でもすっと入って思わずのってしまう音楽でした。もともとユダヤ音楽は踊りの音楽が多いですからね。
土曜日とはまた全然違う意味でものすごく楽しかったです!

ところで民族音楽とはいっても古いものばかりではなく。 土地と人の生活の一部となる音楽ですから、民族音楽も人と時代とともに進化するのが当然。 Klezmaniaのボーカルの女性の作った「Freylekhs In Blue」で過超の祭りの準備の大騒ぎをコミカルに語ることや、オーストラリアのユダヤ人の生活を歌った彼らの歌からはそんな進化が感じられました。

同時にそんなユダヤ文化・生活の一部が音楽と一緒に勉強になってよかったです。 酒飲み場の音楽、信仰がらみの音楽、ロシア革命前と後の音楽、移民としての生活・・・ もともとこの音楽にはそういった文化への好奇心から入ったのですが・・・好奇心、あおられっぱなしです(笑)
あと学校でドイツ語をやっていたのでイディッシュがすこーしだけ聞き取れてなんだか嬉しかったです。

そしてクレズマーと言えばクラリネットがかっこいい!クラシックの数倍も数十倍もパワフルで、この比較的新しく作られた、普段はおとなしげな楽器のポテンシャルがフルに活用されてます♪
あとこのバンドはウッドベースもかっこよかった。やっぱりバンドはどんなジャンルもベースに限りますね。

最近はまりはじめたユダヤ音楽。その世界の広さにちょっと圧倒されながらも、ものすごーく好奇心を刺激され、憧れも増すばかり。 もっと心を開いて、もっと楽しめるように、自分の一部に少しでもなれたらいいです。
なんといってもやっぱり民族音楽を生で、というのは楽しすぎます♪


今日の一曲: Klezmania "Tale Of the Kangaroo Klezmer" & "Freyndlekhe Hant"


レコーディング、試聴(後者のみ)はこちら


ユダヤ民族と関わりの深い「移住」のトピックを扱った、現代のオーストラリアで生きるユダヤ民族の「今」を少し取り入れた2曲を選んでみました。

Tale of the Kangaroo Klezmerは東ヨーロッパのクレズマーミュージシャンがオーストラリアという新天地に旅経つという別のクレズマーミュージシャンに誘われてオーストラリアに渡る、という話。
Freyndlekhe Hant(友の手)はオーストラリアに単身渡ったユダヤ人が、異国の地で一人孤独を感じていると母国でも知り合いだったユダヤ人に出会い、友が一人いるだけでも寂しさはふっとび、楽しく暮らしていける、というような内容の歌です。

この2つの歌の内容でユダヤ民族の民族性の一部がかいまみえるのはもちろん、聴いていても本当に楽しい音楽で。Kangaroo Klezmerでのディジュリドゥのパートの圧巻にも注目です。

グループで演奏することの楽しさ、というのも(生で見ると勿論ですが)音から伝わってくると思います。彼らは演奏するときものすごくにこにこしてたりしますからね♪ クラシックの室内楽もそうなんですが、お互いを頼りにして、一緒に楽しく音楽を創る、その素晴らしさもぜひ一部でも垣間見てもらえると嬉しいと個人的に思います。

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ピアノ祭り!(8月21日 Piano Landmarks感想)
大学の時からほとんど毎年通っていた自分にとって特別なイベント、Piano Landmarksに行ってきました♪
今年は思いもよらず特別な機会になってしまいましたが、そのことはおいおい話します。

Piano Landmarksは元々は2002年に私の先生が主催として始まったイベント。今は彼の生徒であり私の友達であるピアニストが主催をしています。
内容は、簡単に言えば「ピアニストによるピアニストの為のピアニストイベント」的側面もある、1日4つ、ピアニストによりコンサートが行われるイベントです。
去年からはちょっと違ったフレーバーのコンサート間ミニイベントも始まり、なかなか好評だとか。
毎年Piano Landmarksはテーマを掲げてて、数年前はオールロシアンだったりオールフレンチだったり、今年は「Prelude, Fugue and Etudes」(前奏曲、フーガと練習曲)というピアノのレパートリーでかなりメジャーな3つを扱うという趣旨でした。
どの年もレパートリーの幅はかなり広く、メルボルンを拠点とした、または関わりの深いピアニストが多数演奏します。

今年のPiano Landmarksについてのサイトはこちら(英語サイト)です。
Programを見てもらえるとこの1日でいかにピアノという楽器とそのレパートリーを広く、そして深く追求するイベントかわかってもらえると思います。

一日ちょろちょろ走り回らなきゃ行けなかったなか私が聴いたのは朝一のコンサートと、夜の最後のコンサート。先生(スティーブン)が朝のコンサートで前奏曲のオムニバス的なプログラムを、そしてマイケルが夜のコンサートで練習曲のオムニバス的なプログラムを演奏しました。
実は昨日はオーストラリアでは国の政府の選挙デー。それで来れない、と言った人もいるらしいのですが、会場の国立アカデミーのホールはなかなかたくさん人が来ていました♪

先生の演奏にはでも驚きましたね。
バッハの平均律の第1巻第1番から始まった一つの「アイディア」的な物をどんどん繋げていったように、連想ゲームのように様々な前奏曲を演奏、いやプレゼンorプロデュースしてくれました。
コンサート前のトークで「バッハが始めた24の調全てで曲を書いて曲集にするウイルスにショパンやショスタコーヴィチが伝染していった」という話のように、あの平均律のアルペジオがプロコフィエフやラヴェル、ショパン、リストの同じハ長調のアルペジオの雰囲気にどんどん伝染していく感じが、一見ばらばらのプログラムを一つのアイディアの連なりとして繋がって、ものすごく心地良かったし、ほほえましかったです。
そのつながりの過程で例えばリストは「超絶技巧練習曲」の第1番の「前奏曲」なんですが、練習曲としてでなく、前奏曲としてこのつながりの一つの鎖として扱うことでどんなにまた違う命を授かるか実感しました。

先生の演奏は曲一つ一つの演奏、というよりもその一つのアイディアの展開の表現、という感じで・・・
フランス印象派の専門家ということがよくわかる繊細でフレンチなタッチも合わせて本当に「自分は本当にこの人に習ってて正解だな-」と思いました。
そして最近そういったプログラムデザインとか演奏の演出などについても少し考えていたのでそのことももうちょっと突き詰めたりしながら、さらに自分の演奏も(特に再習得の曲中心だからこそ)演奏よりも「表現」重視で突き詰めてみたいな-と思いました。

第1コンサートは他にもショパンのエチュードop.10の丸々演奏(冬の朝はきついなあ、あれは!)もありましたし、シューマンの「交響的練習曲」も演奏されました。
前者はちょっとやっぱり「練習曲」として聴いちゃうとどうもだめだなあ・・・あんまり速く弾かないでくれよ、と思ってしまうのは先生譲りかも。

で、4番目のコンサートの前のコンサート間ミニイベントも行きました。
なんでも主催の友達がネットで「特定の作曲家のスタイルで曲を書く」というプログラムによって書かれた曲を見つけたらしく、バッハのインベンションとコンピュータがバッハに似せて書いたインベンション、どれだけ似ていてどれだけ違うのか、という趣旨のちょっとしたトーク、演奏とクイズが開かれました。
私はピアニストなんで全問正解でしたが(「全問正解した人?」→私手を挙げる→「あんたはそりゃ当たり前でしょ、なしなし」という一連のノリと流れが大学時代以来でものすごーく懐かしかったですね!手を挙げるとつっこんでくれるんで、それが楽しいんです)、知ってて聴いていてもコンピューター、おぬしなかなかやるよのう。
違いはでもやっぱりあります。ちょっとコンピュータの方は難しく考えすぎ、というか要素を多少過多に使ってて、ちょっとパレットに2,3色色彩が多くある感じがします。
ものすごーく面白い、変わった趣旨のイベントでした。

第4コンサートのマイケル、がっつり破天荒&クレイジーな面を見せつけました。
なんとバルトークの練習曲の途中で弦が切れた!(爆)
(コンサート後に自分で「どこの馬鹿がベートーベンの演奏の前にピアノの弦なんか切るんだ」と言ってました)
反面ストラヴィンスキーの練習曲なんかで見る「どうやって!?」と思うほどの繊細なタッチとか、なんといっても一音一音に魂がこもってる、というか命が宿っている、そんなこっちも楽しくなるほどのマイケルワールドを強烈に堪能させていただきました。

その後切れた弦で別のピアニストによりバッハのシンフォニアとベートーヴェンのピアノソナタop.110の演奏。ベートーヴェンの演奏が本当にずっしり来ました。ベートーヴェンの後期のソナタがsolidで美しく、落ち着いた強さを持って弾ける人に憧れます~(まあ私は人生経験も少ないのですが)
アンコールもいただいちゃったのですが、欲を言うならアンコールも「前奏曲」「フーガ」「練習曲」のどれかだったらよかったなあ、なんて。

4つのコンサートは終わりましたが、ピアノ祭りはまだ終わらない!
近くのバーで選挙速報を見ながら飲みに行きました♪
先生がなんだかお酒をおごってくれたり、初めましての人と珍しく饒舌にしゃべったり、大学以来会っていない友達と盛り上がったり。

今日ショパンのエチュードを弾いたピアニストは数年前、大学時代クラムを地下で練習してたら「クラム弾いてるの?」と声を掛けてきた人なんですけど、私の事を覚えててくれて。
「クラムの子だよね?」って声を掛けられた時はびっくりしました(笑)なんだか色んな方面に足跡やら爪痕やら残してたみたいで・・・メシアンとかクラムで覚えてられるのよ、と先生に言ったらそういうもので覚えられてるのは良いことだ、とおっしゃってましたが(笑)
そのピアニストの人にいつかマクロコスモスを一緒に弾こう(第1巻は彼で、私は第2巻)と誘われちゃいまして。恐れ多いんですけど、表現欲と好奇心とピアノ演奏復帰したい気持ち、クラムを弾きたい!という気持ちが勝って。どれくらい現実でできるものかわからないですけど、お呼ばれがかかったら一生懸命やりたいです。
だってクラムでピアニストデビューなんて素敵すぎる!衝撃的!まさかのクラム♪

で、帰りもちゃっかり送ってもらっちゃったんですが(同じ方向の人がいたので)、その別れ際にすっかりできあがっちゃってた主催の友達がなにやら私のことを心配な様子。「えー大丈夫だよ」的なことを言ったら「だってスティーブンが心配してるって言ってた」

・・・えええええっ!!??
先生が、私の事を?
いやいやどこで私先生に心配掛けるようなことしたの?確かに今ちょっと無理してる感はあるんですけど・・・
それ以前にそこまで目をかけてもらってることにきづけなかった・・・!
先生はいつももっとお話ししたいのになんとなくお話できずにいて。何を考えてるか分からない、どうツッコミをいれたらいいのか分からないところが多々あるので難しくて。

・・・私という存在がある程度庇護欲を引き起こす事は分かってるんですが、案外範囲が広いようで。
マイケルもいつも気に掛けてくれて心配してくれてるんですけどね。この友達もまたそうで。
とりあえず今度その友達にメールしてコーヒーでも飲みながら真相を聞いたり(そして今後Piano Landmarksで私にできることがあったら駆けつけるから!と伝えたり)したいところです。

いろいろな色の思いが一日経った今でも激しく渦巻いて止まらないのですが、昨日という日をまるっと経験して本当に良かったと思ってます。
色々な人に会えて、いいピアノ演奏を聴けて、ピアノコミュニティで前と同じように過ごせて。
ピアノへの思いが強まって、演奏への意欲も湧いてきて。
ピアニストとしての自分のアイデンティティを再認識するようになりました。
なんと言っても楽しかった!音楽も交流もみんな!

Piano Landmarksは次は一年後ですが、いろいろ精進して、ついでに1ヶ月後の金管祭りの方もちょっと楽しみにしたいと思います!


今日の一曲はお休みです。今日行った分のコンサートで2曲あるのと、あとあまりにもいろんな曲を浴びたので・・・(爆)

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Messiaen et l'Oiseaux
昨日、今日のてんてこ舞いも無事終わり、なんとか落ち着くことが出来ました。
妹も大学の図書館でメシアンの「火の島I」とシマノフスキの「Metopes」の楽譜を借りてきてくれまして、ほくほくでございます♪
妹は今年で工学部を卒業予定。その後は私が自費で図書館の会員になって自分で楽譜を借りる予定ですが、それまでは妹の学生ステータスを活用させてもらうつもりです。

ということでメシアンの話になりますが・・・

メシアンといえば作曲家、それに次いでオルガン奏者、ピアノ奏者、作曲においての教師でもあり。
そして音楽とは離れているエリアなようで密接に繋がっている、鳥類学者としても突出した存在でありました。

メシアンは鳥を愛していました。
敬虔なカトリック信者で、23歳から生涯パリのサン・トリニテ教会の常任オルガニストとして神に音楽を捧げていた身だった彼は、鳥たちを神からの使者と考えていました。
生涯のうちで日本やオーストラリアを含むたくさんの国で鳥を探し、鳴き声を録音し、後に楽譜に起こして自身の作曲に多く取り入れたという話で。日本を訪れたとき得たものは「七つの俳諧」という曲に表れています。ただメシアンをあんまり知らない人にはちょっと向いていない曲かも・・・

キリスト教と鳥、といえばイタリアの聖人で清貧をモットーに慎ましい生き方をつらぬいたアッシジの聖フランチェスコがすぐに思い浮かびます。彼の説教を鳥たちが静まって聞き入った、というようなエピソードなのですが、聖フランチェスコが鳥に対して神の教えを説いたのに対し、メシアンは鳥たちの歌に耳を傾け神の教えを鳥たちから学んだ、という正反対の態度なのですね。

メシアンは実は鳥の歌に関して興味深い考えを残しています。
鳥の鳴き声はもちろん繁殖のために使われるともあれば、他の鳥との社会的なコミュニケーションにも使われ。
ただメシアンが言うにはそういった鳥間のコミュニケーションという意味を持たない鳴き声、というものもあるらしいです。明け方と夕方に聞かれる鳴き声で、しかもその日没・日の出の光の美しさによって鳴き声が変わるらしく。
メシアンはそういった観察から鳥もまた人間と同じように「美」を感じることができる、と考えていたそうです。

メシアンの鳥の歌声を音楽にするプロセスは面白いものがあります。
最初に聞くと違和感を感じるのは彼が倍音までも再現しているから。私たちが普段一つの音と思ういろいろな音は実はいくつかの音の和音で、その和音のバランスで音色が決まる、という原理なのですが、メシアンの鳥の声が和音で表現されることが多いのはそういった理由です。
あと鳥の声は基本高音域で、ピアノなどの音域より高い音であることも頻繁にあるらしく。
そういうときは楽器の音域内まで低く持ってきて、メロディーの相対的な音程の比が元と同じになるように音を調整してるらしく・・・詳しくは私も実は半分くらいしか理解していないので割愛させてくださいお願いします(汗)

で、鳥の歌声を作曲で使う場合メシアンは元の歌声を正確に採譜したもの、そして鳥の歌声の雰囲気を出したパッセージを書いたもの(ある種類をイメージする・しない場合あり)と2種類あります。
比較的初期は雰囲気のものが多いみたいです。「20のまなざし」の第5番「子に注ぐ子のまなざし」などはそうです。
同じ「20のまなざし」でも第8番「高き御空のまなざし」はヒバリ、クロウタドリなど実際に正確に引用してあるらしく、こういった場合はメシアンは楽譜に鳥の種類名を書き記しています。
「高き御空のまなざし」の一部や、「火の島I」のように複数の鳥がそこら中にいる情景だと前者のテクニックを使うようです。「火の島I」(火の鳥、にあらず)はパプアニューギニアのフウチョウ(極楽鳥)が多種多数いるジャングルの風景を醸し出そうとしてるんだと私は思います。

でもメシアンの音楽で鳥、といえば「鳥のカタログ」でしょう!
13楽章、3時間を超える曲集なのですが、それぞれ違う鳥の名前が付けられた楽章のなかでその鳥をはじめとした様々な鳥とその鳥たちが住む自然が織りなす色彩の世界を本当に心地良く豊かに表現するマスターピース。
私も2曲弾いてすっかり虜に。マイケルがやったみたいに全曲1日の(3つに分けた)コンサートで、なんては無理ですが、いつか野外自然の中にグランドピアノを置いて鳥たちに演奏して認めてもらいたいなーとは思っています。

メシアンの音楽は(特に「鳥のカタログ」などでは)彼が長々とフランス語で巻頭・曲の冒頭に書いた説明書きありき、なところもないことはないのですが、でも「鳥のカタログ」に関してはこの長い文を読んで理解すると自然、風景、雰囲気が(フランスに行ったことのない身としては特に)より深く感じられますね。

やっぱり鳥たちに聞いてもらうのがやっぱり究極の形だと思います、メシアンの音楽は。鳥の言葉が分からなくとも、彼らと話をしたいと私はいつも思ってます。そりゃあメシアンの音楽に出てくる鳥の種類=鳥の言葉は私の身の回りにいるものとは違うのですが。
鳥の歌に耳を傾け、こちらからも言葉を返し・・・なんか夢ですね。

あとはあくまでネタとしてなんですが鳥のカタログの巻頭に出演鳥のリストが学名・仏・英・独・西語であるのですが、それからランダムな言語でランダムな鳥の名前を選ばれたら即座にピアノでその鳴き声を弾ける、なんてできると面白そうです。

もともと私も小さいときから家族で鳥好きだったのですが、メシアンの音楽を知ってから鳥の歌に一層耳を傾けるようになりましたし、倍音でできることがわかるようになりましたし。鳥だけでなく、自然、季節の移り変わりなどをより深く愛するようになりました。
メシアンの音楽、とくに「鳥のカタログ」をこれから弾き進めて自分の外の自然の世界を内からも強く深く感じられる、そして表現出来るようになりたいと強く思っています。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「ヨーロッパヨシキリ」


Move RecordにてCD(試聴有り)


勿論!鳥のカタログです♪

鳥のカタログは13曲、7巻からなっているのですが、7番目(つまり真ん中)に位置されているこの曲はこれ1曲で第4巻を構成しています。
「ヨーロッパヨシキリ」は演奏時間が曲集最長の27分(!)。長さも中身も、名実共にこのサイクルのセンターピースに十分すぎるほどふさわしい曲です。

なぜ27分か?といいますと。
他の曲が「○月のある早朝」みたいな舞台設定をされているのに対し、この曲はある夏の日の湖畔での1日=27時間を表しているからです。曲の1分=曲の中の世界の1時間、ということで。
真夜中に始まって蛙の声や、案外真夜中にも鳴いている様々な鳥の声。その後に表れるヨーロッパヨシキリの鳴き声は歌、というよりもメシアンの典型的な「喜びの踊り」的な性格が強く表れています。

現代音楽、メシアンの音楽に慣れていない人には多少ハードルが高いのは事実ですが、一応循環的な構成で書いてあるのと、あとなーんとなーく「あ、ここはもう昼なんだな」とか「そろそろ夜に近づいてるのかな」ってことが本当になんとなくですが分かるようにも書かれています。

ちなみに思い入れがかなり大きいので録音はマイケル(Michael Kieran Harvey)のものを。
ナレーション(英語)を担当したのはオーストラリアのTVで庭関係の番組の司会をやっているPeter Cundall(こないだ自然保護関係のアクションで逮捕されましたが・・・)。
ホバートで1日、3コンサートに分けて芸術関係フェスティバルで自然をテーマとして演奏した時の生録音です。

マイケルの演奏は当たり外れはありますが、自分の得意分野(現代音楽、特にメシアン+オーストラリアの現代音楽)だとものすごく輝きますね!独擅場です。

メシアンに関してこんな名手が近くにいると「越えなきゃ!」と思うかとおもったら案外そうでもないですね。
私は私のメシアン道を進むんだ、と割り切ってます。2回レッスンしてなんだかメシアン弾きとして認めてもらってるような感じなので(とうぬぼれてもいいみたいなので)。
なので自分はまた違う演奏をきっとするのですが、このマイケルの演奏は心にとって大切なものであり、バイブルでも教科書でもありませんが、自分がメシアン道を進むのに力をくれる存在です。

最難関の「ヨーロッパヨシキリ」が弾ける日が果たしてくるのか分かりませんが、「鳥のカタログ」を弾き進めていきたいです!

次回はちゃんとメシアン初心者の方でも楽しめるメシアンにしますね(汗)なんなら次回更新の時でも。あんまり2回続けて同じ作曲家は選ばないのですが、なんだか微妙にやっちゃった感があったりするので・・・(苦笑)

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アルトでブラッチェな我が心の友
今日の練習ででめでたく今まで弾いてきた曲にさよならしました♪
ピアノ弾きの新しいフェーズを就職と共に始めたときに弾き始めた曲たち。こないだのレッスン後少しがんばりまして今やっと前に進める、と判断しまして・・・レッスンで指摘されたことをもっと練習するにもここでその指摘分野を一層磨ける曲を選んで気持ち新たに頑張りたいと思ってます。

一応プログラムは今のところこんな感じ:
リゲティ・ジェルジュ 練習曲第11番 "En Suspens"
モーリス・ラヴェル 前奏曲
ヨハネス・ブラームス 2つのラプソディー
クロード・ドビュッシー 映像第1集から「ラモー礼賛」
オリヴィエ・メシアン 練習曲「火の島I」

気持ち新たに、といいましたが今すでに弾いてるリゲティ、さらにラヴェル以外は以前弾いたもの。そしてラヴェルは1分ほどの短い曲。なのであと一つまっさらに新しい曲を弾こうかなーと。
ラヴェルとメシアンは常に弾く、という方針は固まってますが他の方針(曲集を全曲制覇するか、など)もこの時期に決めていきたいと思います。

さてさて。
ピアノは今でも弾いてますし、チェロもまた少し戻ってみようかなあ、と思ったり。
一日打楽器奏者(デジタルパッド)もなりゆきでやったことがありますし、小学校から中学校にかけて2年間ほどオーボエも吹いていました。小学校で一学期ごとローテーションでトランペット、クラリネット、オーボエを吹いたのの延長線上の活動でして。

自分が実際に弾いていない楽器でも本当に心に近く感じるものがいくつかあります。
その一つがホルンで、そしてもう一つはビオラ。
ホルンは友好関係と育ちからの親しみでしたが、ビオラはどっちかというと自分の性格が親しみを呼んだような気がします。

そもそもビオラは妹がバイオリンを始めてから数年後バイオリンの先生に「ビオラに転向しない?」と呼びかけられたのが縁の始まり。
妹を「出世が早いよ!」といって家族みんなで唆したのですが、実際7年生でビオラを始めて同じ年の年末にあったSpeech Night(卒業式を兼ねた全校のセレモニー)ではそれぞれの楽器の最前列が私の学年(10年生)で占められてる中に一人ビオラのリーダーの隣に座ってたほどです。

それから同じような時期にピアノの発表かなんかの為にユースオケの休憩中にピアノ(ラフマニノフの前奏曲ニ長調でした)を練習してたところとある先輩の男の子がいきなりページをめくってくれたばかりかものっそほめてくれまして。彼はユースオケでビオラを弾いていて、後にアメリカ留学してそちらに移住したとにかく凄いビオラ奏者だってことが後に判明するのですが。
(プラスほとんどのビオラ奏者が妹のようにバイオリン奏者からの転向者なのですが、彼は私の知っている唯一の「純粋な」ビオリストなのです)

大学に進学した後国立アカデミー在学の彼に再会し、おそれ多くも伴奏を頼まれちゃったりしまして。
その伴奏を頼まれたコンペが9曲ほど最初のラウンドで弾かなくちゃいけないもので、みっちりリハーサルした期間ビオラのレパートリーや楽器自体のことなど、たくさんたくさん学び、近しさと親しさをこの楽器に抱くようになりました。

そのコンペでわかったのですが、同じ弦楽器でも実際にビオラのことを本当に分かってる人は少ないです(これはチェロに対してもいえることですが)。審査員の曲のチョイスときたらなかなか首をかしげるものでしたし。
ビオラは何かと前に出ない、内向的で自分たち同士で理解し合ってれば幸せな、縁の下の力持ち。
なにかと馬鹿にされたり(ビオラジョークの多さ!)、ないがしろにされたりすることも少なくないけれど、特に気にすることなくもくもくと伴奏と内声を担当してオケを支えているのです。

実際深く厚みがあって暖かく、時には凶暴でダークな音色も披露できるビオラ。
実際バイオリニストで(バイオリンにはない)低音のC弦が羨ましい!っていう人は大学でもたくさんいました。
でもビオラ弾き自体はとってもマイノリティで、レパートリーもごくごく小さいものです。
モーツァルト、ドボルザーク、レスピーギ、ヒンデミットとかなりメジャーどころの作曲家もビオラを弾いたのですが、実際に奏者兼作曲家としてたくさんの曲を残したヒンデミット以外はほとんどビオラ曲を書いてません。
(ただオケ曲の中でものっそビオラの使い方がうまい!っていう作曲はたまにいます。それを感じるとぞくぞくしますし嬉しいです!)
あとピアノ三重奏(ピアノ+バイオリン+チェロ)と比べてビオラを足したピアノ四重奏の響き、そしてチームワークは一段違うものがありますね♪

ビオラの本当のキャパシティ、潜在能力みたいなものをもっとも教えてくれたのはヒンデミットとブラームスでしょうか。
ヒンデミットの多くの無伴奏・伴奏付きソナタ、それからブラームスの晩年のもとはクラリネットのために書かれた(ただ大半がビオラのほうがナチュラルに聞こえる)2つのソナタ。
ビオラならではの音色、表現、テクニック、パワーがピアノを弾いていてもひしひしと感じられます。
詳細は私がなにを言うよりもまずヒンデミットのビオラソナタop.11-4、そして2つのブラームスのビオラソナタを聴いてもらえれば、と思います。

そして伴奏したうちでこれは運命か!とおもった曲が一つ。
ショスタコーヴィチの生涯最後の作品、ビオラソナタ。
20世紀になってヴィオラのステータスはちょっぴり上がったような気がしますが、同時にバルトーク、ブラームス、ショスタコなど晩年にビオラを活躍させたがった音楽家は多いです。一通りいろいろやってたどり着いたのがビオラなのか、はたまた死に近づいてくるとビオラの音色に魅せられるなにかがあるのか・・・
ショスタコのソナタはそういった作品の中でも最たるもの。
自分にとってこんなに弾くのが自然だった、曲に自然に入って行けた曲は他にありません。

実際技巧的な問題を除けばビオラ音楽のピアノパートってものすごく自分の内面と相性がいいように思えます。ビオラ奏者と共に音楽を奏でる、というのも(何人か伴奏する機会がありましたが)結構落ち着きます。

ただショスタコのビオラソナタは・・・これこそ自分が死ぬときに聴いていたい、生きている間も心の拠り所としたい曲だな-と思いました。
いつでもここに戻ってきたい、一緒にいて・・・と思い、たまに自分の一部のように感じることもあります。

そんなこんなでビオラにすっかりぞっこんになり、ビオラを弾かない人としてはかなりビオラのレパートリーを知るようになり(知識メインですが)。心の中で一種の友として愛しながら今に至ります。

ただこないだ日本から送られてきた録画に入ってた「のだめカンタービレ」の映画で千秋君が「ビオラに頼らない!」と言ったあの台詞には一人で20分ぐらい笑ってましたね(笑)ジョークを読んでも分かると思いますが誰もビオラに頼ろうとは思いません!ビオラに頼ったらあの人達困りますよ!頼られたらおそらくは一番おろおろする人種です(笑)
母と私曰く、どっちかというとオタク気質で自分の興味あること・好きなことはちゃんとこなしますしのめりこんだりして内輪で盛り上がるけれど責任がある立場というものが苦手で、主流とは別のところでひっそり楽しむ人たち、というのがビオラという楽器の見解です。

自分はチェロ気質だな、と思うことも多々あるのですが(とくに短所では・・・)、上記の理由も結構あてはまるがゆえにビオラ奏者やビオラ音楽と妙に馬が合うのかな・・・?

卒業して、さらに妹もビオラを弾かなくなって久しいですが、ビオラ音楽を愛し、探し続け、とりあえずいつかショスタコのヴィオラソナタは一緒に弾く人がいなくても買うつもりですがこの心の友とひっそりと付き合っていきたいと思います。


今日の一曲: ニーノ・ロータ 間奏曲



ビオラレパートリーというあまり使われない物置の、その奥の箱に入った、あまり知られていない大切なtokenを今回は引っ張り出してみたいと思います。

ニーノ・ロータはイタリアの作曲家で、本人は純音楽の作曲家だと主張しているのですが、映画音楽で有名な人。有名な作品にはゼフィレッリ監督の「ロミオとジュリエット」(学校の英語の授業でロミジュリをやるときかならず見ます!)、ゴッドファーザーの愛のテーマ、太陽がいっぱい、などなど。

そんな中彼が書いたビオラ作品。
ロミオとジュリエットのTime for usと似たテイストの美しいメロディーから始まって表現に富んだ、さらに技巧も尽くして、ビオラの良いところをみーんな盛り込んだ、ビオラが弾くにふさわしい曲になっています。

もともとビオラはバイオリンのように音が派手でなく、どこかpathosを含んだ音色。
それが悲しげなこの曲にぴったりで。
ビオラって女性的な音というか性格をしてますが、それもまたぴったり。
(余談ですがビオラは実際にイタリア語だと女性詞をとるマイノリティ楽器の一つです。他にはテューバ、トランペットなど。)

内側へ、内側へと向くビオラの音がどこかなつかしく、豊かに、ときに激しく、哀しく・・・ロータには申し訳ないですが映画音楽と似たエレメントがあって、目の前には無いはずの映像が見えるような錯覚に陥ります。
日本人ビオラ奏者、今井信子演奏のCDは全てビオラのために書かれた(=アレンジではない)ビオラ曲が集められていますが、わりとモダンな感じのも結構ある中でちょっと独特な光を放つ一曲です♪



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メル響「Requiem」(7月22日)感想
昨日行ってきました!Blue Trainのピッツァをお腹に詰め込んでいってきました!

とりあえず基本情報:

メルボルン交響楽団
指揮:尾高忠明
ソリスト:Elena Zelenskaya(ソプラノ)、Timothy Robinson(テノール)、Stephan Loges(バリトン)
メルボルン交響楽団合唱団(Chorus Master: Jonathan Grieves-Smith)
National Boys Choir of Australia(Chorus Master: Peter Casey)

メルボルン・タウン・ホール
(メルボルン・コンサート・ホール(Hamer Hall)はただいま改装中らしいです)

曲目:
ベンジャミン・ブリテン 「戦争レクイエム」

曲についてはブログの端々で言及してるのと、一回文章にしただけでは語り尽くせないのでいつかの機会に・・・と後回しにさせてもらいます。
この2つのエントリーに基本的な情報の断片がありますのでリンクしておきます:
音楽と言語」、「The World of Poetry

このコンサートは昨日と今日の2公演があり、私が今このエントリーを書いている間ABCラジオで今日の公演が生演奏されています(聴きながら録音しています!)。

実は先週オーストラリアの偉大な指揮者、サー・チャールズ・マッケラスが83歳で死去したという悲しい報せがあり、この一連のコンサートは彼のために捧げられました。彼はメル響とそのメンバーと深く関わりがあり、特に親交の深かった首席オーボエ奏者(オーボエ奏者同士チェコで意気投合したらしいです)がスピーチをしました。マッケラスはブリテンとも親交があり、彼の作品の初演を手がけた経験もあったそうです。

まずはオケの配置。この曲は特殊です。
指揮者の前に通常のオーケストラがありますが、打楽器はバイオリンの後ろ、聴衆から向かって左側の隅に配置されてます。そしてチェロの後ろには「室内オーケストラ」というメインのオケからは独立した小アンサンブルがあり、該当楽器の主席によって占められてます。室内オケの前(チェロの後ろ端のすぐ後ろ)にはバリトンとテノールのソリストがいて、歌うときはステージの前側に移動します。
ソプラノのソリストはメインオケの第1プルト(一番前)の内側、指揮者のほとんどすぐ前にいます。
通常よりも内側に配置された6本のホルンの外(左)側にはピアノがあり。
合唱団はオケの後ろに配置されています。
私はバルコニー席の後ろから2番目、中心から少し左にずれたところに座っていたのですが、少年合唱団はどこにいるか見えませんでした。

それにしても私が在学中は私と同じ年代の音楽家達が結構Casual playerとしてメル響にいたもんですが、今回はほとんど見られず。最近の事情はどうも違うのかしら・・・みんなどうしてるんだろう。

あとメル響はコントラファゴットの代わりにコントラフォルテ(とっても似た楽器だけれどベルが上向きになっている)を使用するのでホールの後ろでも重低音が聞こえて不思議だった反面ものすごく嬉しかったです。

ソリスト、なのですが。
強く平和主義を唱えたブリテンは当初、初演に第1次世界大戦の戦勝国・敗戦国のどちからかもソリストを起用することを望んでいました(政治的な理由で実際の初演ではそれはかなうことがなかったのですが・・・)。
その作曲家の意志に沿ってこの演奏でも彼の願い通りソプラノにはロシア人、テノールにはイギリス人、バリトンはドイツ人が起用されました。
平和というテーマだけではなく、音楽的にも彼らのパートはその国の歌い手のスタイルに沿って書かれてるような気はうすうすしていたのでこのキャスティングには本当に満足でした。もちろん3人とも素晴らしい演奏をしました!それはまたちょこちょこ後で。
指揮者は日本人の尾高忠明さんだったのですが、彼は今年の初めからメル響の首席客演指揮者となっています。イギリス音楽が専門だそうで、さきほどもラジオでブリテンの専門家だと紹介されてましたが全ての側面から本当に納得です。曲の解釈については本当に文句なしだと思いました。この曲は作曲家自身の演奏を何百回も聴いてきたのですが同じかどうかは別として本当にしっくりいく解釈で。

曲自体、は・・・
最初の方ではものすごくオケ・合唱両方の奏者の「恐がり」が伝わってきました。
あまり演奏されない曲で、しかもこう・・・isolatedなオープニングなので仕方ないことは仕方ないのですが、かなり伝わってきてこちらも不安になるくらいでした(ただやっぱり2回目の公演の今日はそれがほとんどなかったです。)それさえ無ければ稀に見るピカイチの演奏になってたかも・・・?
そのなかでDies Iraeの最初のエントリーで異常な元気さを見せつけたホルン軍団には脱帽。怖がるということはないんですかねえ、あの人達は。
Liber Scriptusのソプラノの力強さが本当に印象に残りました。オケと声のバランスにちょっと難があったのですが、オケも引くわけにはいかないのでこれも仕方がない。でもOut thereの室内オケとソリストの掛け合い、Recordareの合唱とオケのアンサンブルは素晴らしかった!
Dies Iraeに関してはクライマックスの盛り上がり(Be Slowly Lifted Upから)がちょっと物足りなかった感じです。コンスタントな盛り上がりともっとクライマックスで盛り上がって欲しかった・・・と思います。
ただそこで本当に自分の望むくらい盛り上がってたら本当にLacrimosaで泣いてたかも・・・実際少し涙しそうになってしまって。Lacrimosaで泣いたら下手な駄洒落になると(Lacrimosa=涙の日なので)気づいたら冷静になって止まりましたが。あそこ(クライマックスから降りてくる箇所から)は本当に書かれ方が完璧で。ブリテンって本当にすごいです・・・

Offertoriumの最初は・・・あれはなんかすごい難しいんですね。持ってる録音でもやっぱり子供合唱団外してましたし。指揮者の役割としてはこの楽章が一番光ってたかも。あとハープがかっこよかった!私は大学時代に大学のオケのエキストラとして来てもらったメル響の首席ハープ奏者の人とちょっぴりお話ししていろんなことを教わってるのですが(オケのはじっこで休符ばっかりだと隣同士話が弾むのです)、彼女は本当にあのトリッキーな楽器をしたたかに弾きこなす名奏者です。
Sanctusはやっぱり生演奏冥利に尽きますね!合唱もブラスの輝かしいパッセージも、ソプラノと合唱と弦の暖かいパッセージも。その後のセクションも、バリトンのソロをうまく描写的パッセージでオケが引き立てて、下手すれば本当につまらなくなりかねないところをこの重大なメッセージを素晴らしく表現してくれて。心にがつんと来ました。

One Ever Hangsはピアーズの録音をよく知ってるだけに少し心配だったのですが、今回のソリストTimothy Robinsonの素晴らしさといったら!ピアーズの歌声を私個人は良く「天使の歌声」と形容するのですが、Robinsonの声はものすごく似たようなqualityを持っていながらものすごく人間的で。のびのびとリッチな歌声を心から楽しませてもらいました。私の好きな最後のフレーズ「Dona Nobis Pacem」は本当に圧巻で、涙を誘われてしまっただけでなく思い出しただけでもまた涙しそうになります。
そして私の一番思い入れが深いであろうLibera Me。ちょっと指揮者の意志に対してオケが後ろに後ろにひっぱってたような感が強い部分もあったのですが、完成度がかなり高く、クライマックスに関してはまた後ほど話しますが、尋常ないほどのエネルギーが表現・放出されて桁外れにすごいものに立ち会っちゃった感がひしひし(!)。最後初めて全ての奏者が一体となって音楽を奏でるセクションのアンサンブルは初めのあれが嘘のような一体感でした。

私はこの曲をあらかじめ隅々まで知ってからこの演奏を聴いたわけですが・・・多分この曲を知らなくていきなり生演奏を聴くのはものすごくいい体験でもありながら無謀でもあると思います。この曲にこめられてる全てを生でいきなり全部受け止めるのは無理だと思うので。
どっちにしろ素晴らしい、そして他の曲では味わえないいろんなことを体験できる「経験」(もう音楽を聴くといかいうレベルでもなく感情、色彩、全ての「経験」「体験」だと思います)だと思います。

私に関してはもう曲の中で数え切れないほどぞくぞくするわ、身震いするわ、がたがた震えるわ、息は止まるわ・・・
先ほどいいましたが何回か泣きそうになりましたし、Libera Meのクライマックスに関しては泣きそうになったと思ったらあっというまにそのレベルを通り越して気が遠くなりましたし。
感動というレベル・・・では全くないんですよね。通り越して音楽にこめられたエネルギー、感情、色彩などを生演奏によってもろに真っ向から手に負えないほど曝露したので・・・半端無く強い物を感じました。
苦しい部分もありました。でもいい「苦しい」でした(笑)
ちなみに精神は完璧に健康な状態でした。(調子が悪かったら耐えられてなかったかも)

なんでしょうね、やっぱり(Dies Iraeのクライマックスが物足りなかったからなのですが)Libera Meなんですよ。
ものすごく黒いものが最初のドラムの音から体の中に忍び入ってきて。それがどんどん血管から神経から全てに染み渡っていって。曲が盛り上がるごとに体の中を駆け巡って音楽と自分が同化して内から外からあのとてつもないマグニチュードのエネルギーに浸食、爆発されるんですよ。その感覚が苦しながらもものすごく愛しくて。
その一部は録音を聴くことで毎回経験したことがあるんですが、やっぱり生演奏は直接曝露なので違うんですね・・・

その感覚を感動、というのはどうも受け身的な気がするのですよ。感動という言葉はあまり好きではないのですが。ある種の共感であるとは思います。音楽が感じていることを私も同じく、音楽になったかのようになって感じ、ある意味表現してるのですから。
音楽と同化したと感じたことも、それだけ強いものを放つ音楽と対面してそのエネルギーを直接受け止めたということも、ほんとうにいい体験だったと思います。
もちろん音楽を聴いていつも音楽に共感(感動よりかは共感の方がずっと多いです)し、上記の感覚を部分的に感じるのですが。こんなに強烈な体感は初めてでした。
そういう意味でも昨日のコンサートは本当に素晴らしい音楽的・それ以上の経験だったと思います。

ずいぶんと語ってしまいましたが。
素晴らしい演奏と音楽にとどまらない経験に出会えて良かった、と思っています。
ある意味では(純粋に音楽的な意味以外の何か)私が生涯聴きに行ったコンサートの内ダントツで一番素晴らしい物で。
苦しくなるほど、気の遠くなるほど何かを感じる演奏って(もともとの曲のそういった傾向を差し引いても)なかなかないですもんね。

この曲もあんまり弾かれないんですけど(なぜなら演奏・管理どっちも困難を極めるので)、また生で聴ける機会があったらいいな、と思ってます。
そして次回メル響の演奏を聴くとき、これと同じものは望めませんが(ブリテンの力が大きいのでね)、また素晴らしい演奏を聴くのを楽しみにしてます。
いつになるかしらん。なんか聴きたい曲あったかな?

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