×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
あっというまに七月も下旬。
ここ数日の不調もやっと上向きになってきて、翻訳トライアルなどもこなし、そろそろピアノも復帰したいな~とか思いながら・・・
改めて明後日のコンサートに胸をふくらませています。
明後日のコンサートは、メルボルン・タウン・ホールでのメル響(MSO)のコンサート。
曲目はブリテンの「戦争レクイエム」。私にとっていろんな意味で特別で、心から本当に素晴らしい、愛しい曲です。
指揮者はなんと日本人の尾高忠明。ソプラノはElena Zelenskaya、テノールはTimothy Robinson、バリトンはStephan Loges。
テノールがイギリス人だということは本当に嬉しいです。あのパートはどうしてもイギリス人じゃなければいけないので。
メル響は世界のレベルでいうとどうだかわかりませんが、たまにかなーりすごい演奏をやってくれます。
数年前、私が大学在学中にMark Wigglesworthの指揮で演奏されたマーラーの6番は自分がどんなコンサートで聴いた最高の演奏の一つに数えられると思います。特にあの曲の恐ろしいほどの難しさと巨大さを考えると本当にすごいことで。実力がちゃんとないとあの曲をそこまでエキサイティングにできませんからね。
メルボルン・タウン・ホールはシティにあるタウンホールで、この町の最大級の演奏場所の一つで、コンサート以外にもさまざまなイベントの会場となる素敵な場所でもあります。
なによりもここには南半球最大のパイプオルガンがあり、裏方ツアーも行われているほど。
ユースオケや大学のオケでも何度も演奏したり、マネージャーをやったり、裏も表もかなり親しみの深い場所なのですが行くのはかなり久しぶり。
「戦争レクイエム」ではオルガンは子供合唱とのタッグで演奏しますがどんな音色になるか楽しみ。
メルボルンシティの中とあって食べるところには困りませんが、なんといっても8時開演なのがちょっと悩みどころ。
コンサートって大体7時半とか8時なんですが夜ご飯の遅い日本人はちょっと・・・うーん。
結局やっぱりコンサート前に早めに乗り込んでチケット拾ってご飯がいいと思うんですが。
ちなみに演奏側の場合私はソロならコンサート前は食べたくないですが、オケの場合みんなといっしょにわらわらご飯に行くのもまた楽しみの一つ、オケ&コンサート経験の一つなので(笑)
それにコンサート後はバー・パブに直行ですからね、前に食べておいた方が選択肢も増えます(笑)
ちなみに私のオケの友達で演奏するときはお腹は空っぽで膀胱はぱんぱんが良い、という思想をもった人がいましたよ。
彼はインド出身のフルート奏者で実は医学生(小児科がやりたいって言ってました)なのですが、特に医学的・生理学的根拠があるわけではどうやらないようです。
切羽詰まったというか追い詰められた方が実力を発揮するタイプ・・・なのですかね?(それは確かに生理学的根拠がどっかにあった気が・・・?)
閑話休題。
メルボルンのシティとその周辺には数々の美味しいレストランなどがあります。
私が常に食べたいのはP.J. O'Brien'sの生&キルパトリックオイスター・・・なんですがそんな贅沢はできません。オイスターにギネスビール、そしてまたオイスターなんて夢ですねえ~。
あとオイスターはそれだけだとお腹がすくけれどメインも頼むと値段がはるし量も若干多すぎだったりで。そこもちょっぴりやっかい。
一人でそこそこのお値段で量も多すぎず(これオーストラリアでは悩みどころ。なんといっても量が多い!特に友達と食べるとちょっと手伝ってもらったり気分を変えて他の料理も一口食べれるのに・・・)、お手軽に早めに食べれるならやっぱりピッツァかしら・・・と思ったところでおいしいピッツァが食べれるところはもちろんメルボルンにはたくさん。
サウスバンクのBlue Train Cafe、あるいはFederation SquareのTimeOutかな~と思ってメニューを見ているものの、ピッツァに目移りしながらもやっぱりお酒に目が行ってしまい・・・
Blue Trainのカクテルでカイピロスカにオプションでライチを入れるなんて素敵すぎる♪
コンサート後に一人で飲みに行くのもいいですし、そうすることになんのためらいもない・・・はずなのですが、ここのところ喉の調子が悪くて仕事を休んでるのでやっぱり喉はいたわった方がいいなあ・・・という気持ちが。うう。
もちょっと気候が暖かくなる季節にとっておくのが無難でしょうか。そうしましょう。
仕事をするようになってからお金をコンサート行きに使えるようになり、同時に夜出歩いて美味しいものを食べたり飲んだり音楽を聴いたり楽しいことができるようになって本当に嬉しくて。
なのでそういった意味全部ひっくるめ明後日の夜、そして今後のコンサートイベントが楽しみで楽しみでたまりません♪
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 宗教的歌曲「惜しみなく与えよ」
オルガンが活躍する音楽つながりということでこの曲を。
日本は夏真っ盛りでブラームスの音楽は暑苦しいかもしれませんがメルボルンはいまブラームスの音楽の一番良いところが身にしみて感じられる時期まっただ中。
なにを言葉で伝えるよりもこの曲の美しさ、慎ましさ、神聖さ、暖かさは本当に聴いてみないとひとつも伝わらないと思います。
イタリア発祥のカソリック系統の宗教音楽はちょっと派手だったり華やかだったりしますが、ドイツのルター派、プロテスタントの流派の素朴さ、静かな厳かさ、どこか深い山の自然を思わせるような雰囲気が本当に好きで。
古ーい教会で、古いオルガン、ステンドグラスから入ってくる色の付いた光、そして地元の人の合唱でこの曲が聞こえてきたら宗教関係なく本当に心から慎ましく、清らかな気持ちになると思うのですよ。
歌詞もまた素晴らしく慎ましく優しくて。
ここなどで一応英語訳は見つけたのですが、日本語訳は見つからず・・・
宗教詩人、パウル・フレミングという人の詩なんですが、彼の詩はドイツ語圏でよく歌曲に使われているみたいです。
ちょっと自分なりに(2つの英訳から)訳してみました。
何事もあなたに悲しみをもたらさぬよう
穏やかであれ、主が定められたように
私の心は満足するであろう。
来る日も何を憂うことがあるのだろうか?
主は全てを見渡し、
あなたの物となるべき物をあなたに与え給う。
あなたのなす全てのことにおいて、足を地にしっかり踏ん張りなさい。
主が定めたことは全て最善であり、
最善であるべきである。アーメン。
なんだか堅くなったなー(汗)
もっと本当は優しい感じなんですよ。
音楽の全てのエレメントと歌詞と声とオルガンとの全ての優しさと清らかさに包まれて・・・
無神論者ながら本当に自分を許せしたくなる、許せる気がする音楽です。
ブラームスって子守歌を初めとする母性のある内向的で優しい曲が本当に得意なんですよね~
・・・あ、ブラームスといえばドイツ・レクイエムを全く紹介していない!
これもまた素晴らしい曲で私にとっても心に親しく近しい曲なんですけど。
冬のうちに(それでも日本はそのあとブラームスの季節になるんですが)そのうち一楽章は少なくとも紹介していきたいです!目標!
ここ数日の不調もやっと上向きになってきて、翻訳トライアルなどもこなし、そろそろピアノも復帰したいな~とか思いながら・・・
改めて明後日のコンサートに胸をふくらませています。
明後日のコンサートは、メルボルン・タウン・ホールでのメル響(MSO)のコンサート。
曲目はブリテンの「戦争レクイエム」。私にとっていろんな意味で特別で、心から本当に素晴らしい、愛しい曲です。
指揮者はなんと日本人の尾高忠明。ソプラノはElena Zelenskaya、テノールはTimothy Robinson、バリトンはStephan Loges。
テノールがイギリス人だということは本当に嬉しいです。あのパートはどうしてもイギリス人じゃなければいけないので。
メル響は世界のレベルでいうとどうだかわかりませんが、たまにかなーりすごい演奏をやってくれます。
数年前、私が大学在学中にMark Wigglesworthの指揮で演奏されたマーラーの6番は自分がどんなコンサートで聴いた最高の演奏の一つに数えられると思います。特にあの曲の恐ろしいほどの難しさと巨大さを考えると本当にすごいことで。実力がちゃんとないとあの曲をそこまでエキサイティングにできませんからね。
メルボルン・タウン・ホールはシティにあるタウンホールで、この町の最大級の演奏場所の一つで、コンサート以外にもさまざまなイベントの会場となる素敵な場所でもあります。
なによりもここには南半球最大のパイプオルガンがあり、裏方ツアーも行われているほど。
ユースオケや大学のオケでも何度も演奏したり、マネージャーをやったり、裏も表もかなり親しみの深い場所なのですが行くのはかなり久しぶり。
「戦争レクイエム」ではオルガンは子供合唱とのタッグで演奏しますがどんな音色になるか楽しみ。
メルボルンシティの中とあって食べるところには困りませんが、なんといっても8時開演なのがちょっと悩みどころ。
コンサートって大体7時半とか8時なんですが夜ご飯の遅い日本人はちょっと・・・うーん。
結局やっぱりコンサート前に早めに乗り込んでチケット拾ってご飯がいいと思うんですが。
ちなみに演奏側の場合私はソロならコンサート前は食べたくないですが、オケの場合みんなといっしょにわらわらご飯に行くのもまた楽しみの一つ、オケ&コンサート経験の一つなので(笑)
それにコンサート後はバー・パブに直行ですからね、前に食べておいた方が選択肢も増えます(笑)
ちなみに私のオケの友達で演奏するときはお腹は空っぽで膀胱はぱんぱんが良い、という思想をもった人がいましたよ。
彼はインド出身のフルート奏者で実は医学生(小児科がやりたいって言ってました)なのですが、特に医学的・生理学的根拠があるわけではどうやらないようです。
切羽詰まったというか追い詰められた方が実力を発揮するタイプ・・・なのですかね?(それは確かに生理学的根拠がどっかにあった気が・・・?)
閑話休題。
メルボルンのシティとその周辺には数々の美味しいレストランなどがあります。
私が常に食べたいのはP.J. O'Brien'sの生&キルパトリックオイスター・・・なんですがそんな贅沢はできません。オイスターにギネスビール、そしてまたオイスターなんて夢ですねえ~。
あとオイスターはそれだけだとお腹がすくけれどメインも頼むと値段がはるし量も若干多すぎだったりで。そこもちょっぴりやっかい。
一人でそこそこのお値段で量も多すぎず(これオーストラリアでは悩みどころ。なんといっても量が多い!特に友達と食べるとちょっと手伝ってもらったり気分を変えて他の料理も一口食べれるのに・・・)、お手軽に早めに食べれるならやっぱりピッツァかしら・・・と思ったところでおいしいピッツァが食べれるところはもちろんメルボルンにはたくさん。
サウスバンクのBlue Train Cafe、あるいはFederation SquareのTimeOutかな~と思ってメニューを見ているものの、ピッツァに目移りしながらもやっぱりお酒に目が行ってしまい・・・
Blue Trainのカクテルでカイピロスカにオプションでライチを入れるなんて素敵すぎる♪
コンサート後に一人で飲みに行くのもいいですし、そうすることになんのためらいもない・・・はずなのですが、ここのところ喉の調子が悪くて仕事を休んでるのでやっぱり喉はいたわった方がいいなあ・・・という気持ちが。うう。
もちょっと気候が暖かくなる季節にとっておくのが無難でしょうか。そうしましょう。
仕事をするようになってからお金をコンサート行きに使えるようになり、同時に夜出歩いて美味しいものを食べたり飲んだり音楽を聴いたり楽しいことができるようになって本当に嬉しくて。
なのでそういった意味全部ひっくるめ明後日の夜、そして今後のコンサートイベントが楽しみで楽しみでたまりません♪
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス 宗教的歌曲「惜しみなく与えよ」
オルガンが活躍する音楽つながりということでこの曲を。
日本は夏真っ盛りでブラームスの音楽は暑苦しいかもしれませんがメルボルンはいまブラームスの音楽の一番良いところが身にしみて感じられる時期まっただ中。
なにを言葉で伝えるよりもこの曲の美しさ、慎ましさ、神聖さ、暖かさは本当に聴いてみないとひとつも伝わらないと思います。
イタリア発祥のカソリック系統の宗教音楽はちょっと派手だったり華やかだったりしますが、ドイツのルター派、プロテスタントの流派の素朴さ、静かな厳かさ、どこか深い山の自然を思わせるような雰囲気が本当に好きで。
古ーい教会で、古いオルガン、ステンドグラスから入ってくる色の付いた光、そして地元の人の合唱でこの曲が聞こえてきたら宗教関係なく本当に心から慎ましく、清らかな気持ちになると思うのですよ。
歌詞もまた素晴らしく慎ましく優しくて。
ここなどで一応英語訳は見つけたのですが、日本語訳は見つからず・・・
宗教詩人、パウル・フレミングという人の詩なんですが、彼の詩はドイツ語圏でよく歌曲に使われているみたいです。
ちょっと自分なりに(2つの英訳から)訳してみました。
何事もあなたに悲しみをもたらさぬよう
穏やかであれ、主が定められたように
私の心は満足するであろう。
来る日も何を憂うことがあるのだろうか?
主は全てを見渡し、
あなたの物となるべき物をあなたに与え給う。
あなたのなす全てのことにおいて、足を地にしっかり踏ん張りなさい。
主が定めたことは全て最善であり、
最善であるべきである。アーメン。
なんだか堅くなったなー(汗)
もっと本当は優しい感じなんですよ。
音楽の全てのエレメントと歌詞と声とオルガンとの全ての優しさと清らかさに包まれて・・・
無神論者ながら本当に自分を許せしたくなる、許せる気がする音楽です。
ブラームスって子守歌を初めとする母性のある内向的で優しい曲が本当に得意なんですよね~
・・・あ、ブラームスといえばドイツ・レクイエムを全く紹介していない!
これもまた素晴らしい曲で私にとっても心に親しく近しい曲なんですけど。
冬のうちに(それでも日本はそのあとブラームスの季節になるんですが)そのうち一楽章は少なくとも紹介していきたいです!目標!
PR
先生にこないだメールをしたけれど自動返信で留守にしているというメールが来ただけで全然音沙汰がありません。
最近は仕事に他のことに忙しくて練習ができてないのである意味では時間はちょっぴりありがたいのですが、でもなんか淋しいです。
私にとって先生はスティーブンただ一人ですから。
もちろんマイケルも尊敬していますし、またピアノが軌道にのって聴いて欲しいものがあればレッスンして欲しいなあ、とも思ってるのですが・・・
マイケルは大学時代も毎週レッスンはできない人なのですがマイケルに師事していたらきっとマイケルの色に染まってしまったかもしれないなあ、と思うんですよ。あんなにパワフルに表現をする人ですし。Pだってある程度影響を受けていましたし。その影響はもちろんマイケルが素晴らしい音楽家なのでいいこともあるのですが・・・
スティーブンはもともと口数の少ない人ですが、それを考慮してもレッスンのときに私の曲の解釈にとやかく言ったことは全くといってないです。(もちろん技巧的なこと、音楽的な表現、そして曲のチョイスについては言いますが)
音楽をどう解釈するかについては私は全く自由で、先生はその解釈、つまり私が曲を通してしたいことを表現するためにピアノでするべきことを全面的にサポートしてくれました。
そんなスティーブンとまたレッスンがしたいなあ、ちょっと自分だけじゃあ心細いなあ、なんて思うんですけど・・・
最悪8月下旬のPiano Landmarksで会えるのでそのときでも・・・?
レッスンしてくれるといいです。
大学時代はそんな先生の元授業でいっぱい演奏しました。
ピアノクラス(ピアノ生徒全体のクラス。演奏だったり、ゲストのマスタークラスだったり、その他ピアノの一番偉い先生がピアノに関連するいろんなことについて話したり)はちょっと、その・・・ピアノの一番偉い先生が現代音楽嫌いなのでちょっとアウェーな感じは多少あって。(でもピアノ弾きの一部の側面では私を認めてくれてたみたいです。私の事は別に嫌いとかじゃなくて、私が弾く曲が嫌いだったのです)
でもコンサートクラスは一ヶ月に一回は演奏してました。
コンサートクラスは事前に書類を出して演奏したい旨を伝えて、音楽科の生徒のみんな(または一部学年)が聴衆となってる前で弾くというもの。あとで監督の先生からコメントももらえますし後に生徒もコメントしなくちゃいけない制度ができて。この制度は出席率の問題からできたのですが他の人にコメントするより自分で弾く方が楽なのでこの制度ができてからは余計に頻繁に演奏するようになりました(笑)
ちなみにこんな曲なんかを弾いてました:(コメントなどがとってある分だけ)
1年生:ファリャ「三角帽子」から、ラフマニノフ練習曲op.39-4
2年生:ドビュッシー前奏曲集第1巻5,7番、ベートーベンピアノソナタop.31-3第2楽章、ショスタコ前奏曲とフーガ第16番、ブラームスop.118-2,6、ラヴェル「鏡」より「道化師の朝の歌」「鐘の谷」
3年生:メシアンまなざし第4、9番、上記ショスタコ、メシアンまなざし第11、12番、ヒンデミットピアノソナタ第3番第3楽章、岡本加奈子さんの「La Nuit」
4年生:メシアンまなざし第17,18,19番、ラフマニノフ練習曲op.39-8、メシアン練習曲「火の島I」
4年生(次の年):モンポウ「歌と踊り」第5番、メシアン鳥のカタログ「モリヒバリ」、ドビュッシー前奏曲「沈める寺」、クラム「マクロコスモス」第2巻1,3,12番、レスピーギ前奏曲変ロ短調、プロコフィエフ「悪魔的暗示」、スクリャービン練習曲op.42-5、上記ショスタコ。
(伴奏はまたこれとは別にリストがあります)
これを見るといつ私が「目覚めた」か一目瞭然ですね(笑)
このうち岡本加奈子さんの作品以外は暗譜でやってる・・・はず。そしてコンサートクラス等は高いスタインウェイを弾くのでクラムは特殊奏法抜きバージョン。
これは2年生のピアノクラスでピアノ音楽の現代の作曲家にはどんな人がいるか、とピアノの一番偉い先生がいうもんですから「ジョージ・クラム」と答えたらその先生「え、クラム弾くの?(汗)」といったので「あ、今は弾きませんがいつかと思ってます♪(嬉々)」と答えた経緯があり、特殊奏法なしでもこのホールで弾いてやる!という公約を果たしたかったのです(笑)
今はだれかの前で演奏するために弾いてるわけではありません・・・それはそれでいいんですが、私は何を弾こうか、どんな曲を組み合わせてレパートリーにしようか・・・あとはリサイタル妄想なんかも大学時代からやってます。
妄想、というか・・・どういう曲を組み合わせて、どんなテーマでリサイタル(に限らず演奏)をやりたいか、どんな曲を組み合わせると面白いか、どんな隠れテーマで一見共通点のない曲を繋げるか・・・
そういった事を考えるのが実際に演奏と同じくらい、あるいはそれよりも大好きで。自分の能力に限りはありますが曲の組み合わせは(組み合わせるだけなら)無限です。
作曲家に創られた曲が芸術なのと同じようにリサイタル、またはそれに相当する複数の曲の一連の演奏もまた芸術だと思います。
もともとちょっとこだわっちゃいたい人な自分なのですが、ここらへんのこともまた他から影響を受けています。
Pがメルボルンでリサイタルをやるときでのこだわりがまずあって、そして彼の師であるマイケルの演奏形態に関してものすごくいいな~と思ったのもまた大きな影響です(この師弟はなにかと私のいろんな面に影響がありますな!)。
マイケルが数年前タスマニアでPeter Cundallの語りを交えて演奏時間なんと3時間30分を超えるメシアンの「鳥のカタログ」を一日3つのコンサートにわけて、自然保護のイベントで演奏したこと。そしてこないだの48 fugues for Frankのコンサートのプレゼンテーション。
これらなどを受けてコンサートも全体で一つの芸術形態なんだな、そして曲の組み合わせやプレゼンテーションなどで音楽によって表現できる、伝えられるメッセージも変わるんだなーと真摯に思いました。
実際私が2回リサイタルをやったのではどちらも弾きたい曲が多く詰め込んだ結果そこまではこだわれていないのが現実ですが、現実がそうだからこそやりたいなあと妄想するのが自然なわけで・・・(苦笑)
例えば自分の創作のキャラクターに関する・イメージした曲を集めてみたり。
いつかキャンセルしなくちゃいけなかったリサイタルは数字の「3」をテーマにしたリサイタルプログラムを組んだことも実際あります。
あと考えてみたのはちょっと変わり種の「宗教関係音楽」特集。バッハの短めの曲で初めてそこから首をひねってもらうという。
Pみたいにちょっと目立たない共通点とかやってみたいんですけどね~。これは相当なプランニングが必要。一見かなりばらばらなスタイルや性格の曲を目立たない糸で繋いで・・・なんてできればかなりパワフルなリサイタルになりますからね♪
コントラストと共通点のバランスだけではなく、リサイタルのいろんな要素がバランスしてなくちゃいけませんしね。
バランスはでも自然ととれるものなんですよね。バランスが悪いと自分が弾いてて・聴いててしんどいことこの上ないですから。
曲を弾いていて「これでリサイタルを始め・終わりたいな~」なんて思うことはたくさんあります。ただ後者のほうが多いのがちょっと困りもの。
これで終わりたい!という曲にこだわりたくなるためどうもアンコールの類はやらない、というかやりたくないことが多いです。
ずーっと考えてる理想のプログラムは:
1)5分くらいの曲で始める
2)メシアン「鳥のカタログ」からニシコウライウグイス(8分)
3)ソナタかなんか長めの曲を挟む
4)もうちょっと弾く
5)メシアン「鳥のカタログ」からダイシャクシギで締める(10分)
・・・というプログラム。(1時間~1時間半?長さによっては3)と4)間に休憩)
実は創作で似たようなプログラムをキャラに弾かせてるので逆輸入なのですが。
「鳥のカタログ」のうちニシコウライウグイスは2曲目なのですがダイシャクシギとどうも個人的な印象としては相性が良く、この2曲でリサイタルを包むみたいな形にしたいなあ・・・なんて。
ただニシコウライウグイスはリサイタルの最初よりは次鋒のほうが印象が強いかも、ということでこんな形に。
あとはテーマを決めてそれにそって他の曲を決めていくだけ。
音楽を「弾く」のも音楽家の仕事ですが、コンサート・リサイタルを「演出」するのもまた一つの仕事。
なんらかの思想、アイディア、コンセプトなどでつないだリサイタルはまた音楽に限られない表現を可能にし、聴衆にとって音楽に限られない経験を創ることができます。
なので例えばメンタルヘルスをテーマにしたリサイタルだと一石二鳥というか相乗効果になる可能性もある、ということで・・・そちらもなんとかしたいのですが(プランするだけでも)。
この「演出」の部分がかなり楽しいプロセスなので、いつか本当に小さい規模でもリサイタルとして実行に移せたらな~と強く願っています♪
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第4番「聖母のまなざし」
先ほどのコンサートクラスで弾いた曲の中にもあった、私が初めて人前で演奏したメシアンの曲です。(最初に弾いたのは別のまなざし)
聖母のまなざし。聖母とはもちろん絵画でもおなじみ聖母マリア。
ゆりかごがゆれるようなリズムは穏やかでもあり、同時にこの曲全体を支配する不思議な不安があります。
それはまた曲の途中で表れるパッセージでも明らかになることなのですが・・・
許嫁ヨセフとベッドも共にしないのにいきなり天使が(深く信仰する神の元から!)やってきて、神の子をお腹に授かってると言われ・・・
それは絵画では良く喜ばしいことのように扱われています(実際に喜ばしいことではあるのです)が、本人にしてみれば恐れ多いことであり、ものすごいプレッシャーであり・・・自分はある意味結婚前に妊娠してしまったことでヨセフになんといっていいわけしたらいいかわからないですし、世間様もなにやら言うでしょうし・・・さらにこの子供が愛するヨセフと自分の子供だったらまだいいのにそうではない、しかも神の子供というこれまた尋常ではない、特別にも特別すぎる存在、とてつもなく大きな力が働いている存在だと・・・
一人で悩み、同時にお腹の子供を愛しく思い、神を敬い、同時に神の子を大事に思う・・・そしてその未来を心配し。
祝福するような?鳥の声とは対照的に結構この楽章の至る所には第7番の「十字架のまなざし」を思わせる音型が表れます。
「十字架」はキリストの死を表すシンボル。もちろん「十字架のまなざし」の曲も同じ事を表現しています。
聖母マリアはこの子供が神の子として人を救うであろうことを予想しながらも・・・心のどこかで彼のその十字架の上での死を予感している、そんな曲です。
誕生と死を同時に扱う、そして不安と悲しみがどうしてもぬぐえないこの優しき子守歌。(「嘆きの聖母」的性格ですね)
ものすごく女性的な音楽で、自分が弾いたとき(そして今後弾く時も)その女性的な面を重視して演奏したいと思っています。
これと対になるのが第11番「聖母の聖体拝受」で、これはマリアが天使に神の子を授かったお告げを受けた喜びが描かれていて、こちらはメシアンお得意の喜びに満ちた音楽。まるで宗教絵画を見ているように(ちょっとだけ説明を受ければ)ものすごくわかりやすいイメージの音楽ですが、またそれは後ほど!
最近は仕事に他のことに忙しくて練習ができてないのである意味では時間はちょっぴりありがたいのですが、でもなんか淋しいです。
私にとって先生はスティーブンただ一人ですから。
もちろんマイケルも尊敬していますし、またピアノが軌道にのって聴いて欲しいものがあればレッスンして欲しいなあ、とも思ってるのですが・・・
マイケルは大学時代も毎週レッスンはできない人なのですがマイケルに師事していたらきっとマイケルの色に染まってしまったかもしれないなあ、と思うんですよ。あんなにパワフルに表現をする人ですし。Pだってある程度影響を受けていましたし。その影響はもちろんマイケルが素晴らしい音楽家なのでいいこともあるのですが・・・
スティーブンはもともと口数の少ない人ですが、それを考慮してもレッスンのときに私の曲の解釈にとやかく言ったことは全くといってないです。(もちろん技巧的なこと、音楽的な表現、そして曲のチョイスについては言いますが)
音楽をどう解釈するかについては私は全く自由で、先生はその解釈、つまり私が曲を通してしたいことを表現するためにピアノでするべきことを全面的にサポートしてくれました。
そんなスティーブンとまたレッスンがしたいなあ、ちょっと自分だけじゃあ心細いなあ、なんて思うんですけど・・・
最悪8月下旬のPiano Landmarksで会えるのでそのときでも・・・?
レッスンしてくれるといいです。
大学時代はそんな先生の元授業でいっぱい演奏しました。
ピアノクラス(ピアノ生徒全体のクラス。演奏だったり、ゲストのマスタークラスだったり、その他ピアノの一番偉い先生がピアノに関連するいろんなことについて話したり)はちょっと、その・・・ピアノの一番偉い先生が現代音楽嫌いなのでちょっとアウェーな感じは多少あって。(でもピアノ弾きの一部の側面では私を認めてくれてたみたいです。私の事は別に嫌いとかじゃなくて、私が弾く曲が嫌いだったのです)
でもコンサートクラスは一ヶ月に一回は演奏してました。
コンサートクラスは事前に書類を出して演奏したい旨を伝えて、音楽科の生徒のみんな(または一部学年)が聴衆となってる前で弾くというもの。あとで監督の先生からコメントももらえますし後に生徒もコメントしなくちゃいけない制度ができて。この制度は出席率の問題からできたのですが他の人にコメントするより自分で弾く方が楽なのでこの制度ができてからは余計に頻繁に演奏するようになりました(笑)
ちなみにこんな曲なんかを弾いてました:(コメントなどがとってある分だけ)
1年生:ファリャ「三角帽子」から、ラフマニノフ練習曲op.39-4
2年生:ドビュッシー前奏曲集第1巻5,7番、ベートーベンピアノソナタop.31-3第2楽章、ショスタコ前奏曲とフーガ第16番、ブラームスop.118-2,6、ラヴェル「鏡」より「道化師の朝の歌」「鐘の谷」
3年生:メシアンまなざし第4、9番、上記ショスタコ、メシアンまなざし第11、12番、ヒンデミットピアノソナタ第3番第3楽章、岡本加奈子さんの「La Nuit」
4年生:メシアンまなざし第17,18,19番、ラフマニノフ練習曲op.39-8、メシアン練習曲「火の島I」
4年生(次の年):モンポウ「歌と踊り」第5番、メシアン鳥のカタログ「モリヒバリ」、ドビュッシー前奏曲「沈める寺」、クラム「マクロコスモス」第2巻1,3,12番、レスピーギ前奏曲変ロ短調、プロコフィエフ「悪魔的暗示」、スクリャービン練習曲op.42-5、上記ショスタコ。
(伴奏はまたこれとは別にリストがあります)
これを見るといつ私が「目覚めた」か一目瞭然ですね(笑)
このうち岡本加奈子さんの作品以外は暗譜でやってる・・・はず。そしてコンサートクラス等は高いスタインウェイを弾くのでクラムは特殊奏法抜きバージョン。
これは2年生のピアノクラスでピアノ音楽の現代の作曲家にはどんな人がいるか、とピアノの一番偉い先生がいうもんですから「ジョージ・クラム」と答えたらその先生「え、クラム弾くの?(汗)」といったので「あ、今は弾きませんがいつかと思ってます♪(嬉々)」と答えた経緯があり、特殊奏法なしでもこのホールで弾いてやる!という公約を果たしたかったのです(笑)
今はだれかの前で演奏するために弾いてるわけではありません・・・それはそれでいいんですが、私は何を弾こうか、どんな曲を組み合わせてレパートリーにしようか・・・あとはリサイタル妄想なんかも大学時代からやってます。
妄想、というか・・・どういう曲を組み合わせて、どんなテーマでリサイタル(に限らず演奏)をやりたいか、どんな曲を組み合わせると面白いか、どんな隠れテーマで一見共通点のない曲を繋げるか・・・
そういった事を考えるのが実際に演奏と同じくらい、あるいはそれよりも大好きで。自分の能力に限りはありますが曲の組み合わせは(組み合わせるだけなら)無限です。
作曲家に創られた曲が芸術なのと同じようにリサイタル、またはそれに相当する複数の曲の一連の演奏もまた芸術だと思います。
もともとちょっとこだわっちゃいたい人な自分なのですが、ここらへんのこともまた他から影響を受けています。
Pがメルボルンでリサイタルをやるときでのこだわりがまずあって、そして彼の師であるマイケルの演奏形態に関してものすごくいいな~と思ったのもまた大きな影響です(この師弟はなにかと私のいろんな面に影響がありますな!)。
マイケルが数年前タスマニアでPeter Cundallの語りを交えて演奏時間なんと3時間30分を超えるメシアンの「鳥のカタログ」を一日3つのコンサートにわけて、自然保護のイベントで演奏したこと。そしてこないだの48 fugues for Frankのコンサートのプレゼンテーション。
これらなどを受けてコンサートも全体で一つの芸術形態なんだな、そして曲の組み合わせやプレゼンテーションなどで音楽によって表現できる、伝えられるメッセージも変わるんだなーと真摯に思いました。
実際私が2回リサイタルをやったのではどちらも弾きたい曲が多く詰め込んだ結果そこまではこだわれていないのが現実ですが、現実がそうだからこそやりたいなあと妄想するのが自然なわけで・・・(苦笑)
例えば自分の創作のキャラクターに関する・イメージした曲を集めてみたり。
いつかキャンセルしなくちゃいけなかったリサイタルは数字の「3」をテーマにしたリサイタルプログラムを組んだことも実際あります。
あと考えてみたのはちょっと変わり種の「宗教関係音楽」特集。バッハの短めの曲で初めてそこから首をひねってもらうという。
Pみたいにちょっと目立たない共通点とかやってみたいんですけどね~。これは相当なプランニングが必要。一見かなりばらばらなスタイルや性格の曲を目立たない糸で繋いで・・・なんてできればかなりパワフルなリサイタルになりますからね♪
コントラストと共通点のバランスだけではなく、リサイタルのいろんな要素がバランスしてなくちゃいけませんしね。
バランスはでも自然ととれるものなんですよね。バランスが悪いと自分が弾いてて・聴いててしんどいことこの上ないですから。
曲を弾いていて「これでリサイタルを始め・終わりたいな~」なんて思うことはたくさんあります。ただ後者のほうが多いのがちょっと困りもの。
これで終わりたい!という曲にこだわりたくなるためどうもアンコールの類はやらない、というかやりたくないことが多いです。
ずーっと考えてる理想のプログラムは:
1)5分くらいの曲で始める
2)メシアン「鳥のカタログ」からニシコウライウグイス(8分)
3)ソナタかなんか長めの曲を挟む
4)もうちょっと弾く
5)メシアン「鳥のカタログ」からダイシャクシギで締める(10分)
・・・というプログラム。(1時間~1時間半?長さによっては3)と4)間に休憩)
実は創作で似たようなプログラムをキャラに弾かせてるので逆輸入なのですが。
「鳥のカタログ」のうちニシコウライウグイスは2曲目なのですがダイシャクシギとどうも個人的な印象としては相性が良く、この2曲でリサイタルを包むみたいな形にしたいなあ・・・なんて。
ただニシコウライウグイスはリサイタルの最初よりは次鋒のほうが印象が強いかも、ということでこんな形に。
あとはテーマを決めてそれにそって他の曲を決めていくだけ。
音楽を「弾く」のも音楽家の仕事ですが、コンサート・リサイタルを「演出」するのもまた一つの仕事。
なんらかの思想、アイディア、コンセプトなどでつないだリサイタルはまた音楽に限られない表現を可能にし、聴衆にとって音楽に限られない経験を創ることができます。
なので例えばメンタルヘルスをテーマにしたリサイタルだと一石二鳥というか相乗効果になる可能性もある、ということで・・・そちらもなんとかしたいのですが(プランするだけでも)。
この「演出」の部分がかなり楽しいプロセスなので、いつか本当に小さい規模でもリサイタルとして実行に移せたらな~と強く願っています♪
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第4番「聖母のまなざし」
先ほどのコンサートクラスで弾いた曲の中にもあった、私が初めて人前で演奏したメシアンの曲です。(最初に弾いたのは別のまなざし)
聖母のまなざし。聖母とはもちろん絵画でもおなじみ聖母マリア。
ゆりかごがゆれるようなリズムは穏やかでもあり、同時にこの曲全体を支配する不思議な不安があります。
それはまた曲の途中で表れるパッセージでも明らかになることなのですが・・・
許嫁ヨセフとベッドも共にしないのにいきなり天使が(深く信仰する神の元から!)やってきて、神の子をお腹に授かってると言われ・・・
それは絵画では良く喜ばしいことのように扱われています(実際に喜ばしいことではあるのです)が、本人にしてみれば恐れ多いことであり、ものすごいプレッシャーであり・・・自分はある意味結婚前に妊娠してしまったことでヨセフになんといっていいわけしたらいいかわからないですし、世間様もなにやら言うでしょうし・・・さらにこの子供が愛するヨセフと自分の子供だったらまだいいのにそうではない、しかも神の子供というこれまた尋常ではない、特別にも特別すぎる存在、とてつもなく大きな力が働いている存在だと・・・
一人で悩み、同時にお腹の子供を愛しく思い、神を敬い、同時に神の子を大事に思う・・・そしてその未来を心配し。
祝福するような?鳥の声とは対照的に結構この楽章の至る所には第7番の「十字架のまなざし」を思わせる音型が表れます。
「十字架」はキリストの死を表すシンボル。もちろん「十字架のまなざし」の曲も同じ事を表現しています。
聖母マリアはこの子供が神の子として人を救うであろうことを予想しながらも・・・心のどこかで彼のその十字架の上での死を予感している、そんな曲です。
誕生と死を同時に扱う、そして不安と悲しみがどうしてもぬぐえないこの優しき子守歌。(「嘆きの聖母」的性格ですね)
ものすごく女性的な音楽で、自分が弾いたとき(そして今後弾く時も)その女性的な面を重視して演奏したいと思っています。
これと対になるのが第11番「聖母の聖体拝受」で、これはマリアが天使に神の子を授かったお告げを受けた喜びが描かれていて、こちらはメシアンお得意の喜びに満ちた音楽。まるで宗教絵画を見ているように(ちょっとだけ説明を受ければ)ものすごくわかりやすいイメージの音楽ですが、またそれは後ほど!
(なんだかいろんな言語をごっちゃに今してしまった気がしてたまらない・・・ちゃんと調べなくてすみません(汗))
5月6月の更新停滞が嘘のようにブログに書きたいことがでてくるこの頃。
冬にしちゃあ上等だと思いますが創作のほうも進めようよ、という・・・
今日も二つ候補があったのですが、結果こちらに。
最近、ここ数ヶ月ひどい乾燥で恐ろしい状態になっていた右人差し指がだんだん治ってきた様子です。
ピアニストにとって手は商売道具と言われますがこの年になるまで手をいたわるということをしてこなかったもんでちょっぴり焦りましたがとりあえずハンドクリーム、そして皿洗いの時には手袋、ということで改善途中です。
自分の手・・・にはコンプレックスとまではいきませんが多少不便さを感じることは多いです。
ピアニストとしてはやっぱり手が大きい、指が長い方が有利なもの。
例えばブラームス、ラフマニノフ、リストあたりのピアノ音楽は大きな和音をパワフルに弾いたり、広く分散されたアルペジオ(分散和音)を弾いたりということが多いので。(ラフマニノフやリストは自身の曲を多く弾いた演奏家で、大きな手を持っていたことで知られています)
それもまたピアノ音楽の華やかさには欠かせないテクニック、なのですが・・・
私の手は指の長さはそこそこですがやっぱり手のサイズが・・・
(それでもやっぱり体の大きさと比較すれば良い方でとは言われますが)
鍵盤でドから次のドまで、つまり1オクターブは楽に届きますが、それ以上はちょっときついですね。
オクターブにしても届くものの、ずっとオクターブばっかりだと手が痛みます。
先ほど行ったようなパッセージは弾けない、または弾けてもうまく弾けない、または手を痛めたり・・・
同じく手の小さめの(体型はごく普通なんですが)先生はそういうのが多い曲はとりあえず弾かないようにいいます。で、曲の中でそういったパッセージがあれば多少ずるをしなさいとも言ってました。
実際手の小さい名ピアニストもたくさんいます。
スクリャービンも手を痛める前はそうでしたし、アリシア・デ・ラローチャやヴラディミール・アシュケナージなども手が小さいと言われています。
ラヴェルも手が小さかったらしく、彼のピアノ曲はものすごく複雑な小回りを必要とするパッセージがたくさんあります。(実際私の手はラヴェルの書く音型などと比較的相性がいいように思えます)
小さい手であんまり広げるのを無理したり、オクターブばっかりのパッセージを続けたり、手の大きさにかかわらず反復練習をやりすぎたりでとにかく手を無理に酷使し続けるともちろん怪我に繋がります。
腱鞘炎、筋肉痛、ほかにもいろいろ。脳への影響としてフォーカル・ジストニア(職業性の局所ジストニア)もあるんだとか。
腱鞘炎はピアノが原因でなったことはないんですが(病院での退屈→鍵編みのやりすぎが原因ではあります)、手が疲れたら休むこと、そして腕が痛くなったらどの指に繋がっている筋肉や腱が痛んでいるのかを書く指を動かして調べ、原因を突き止めることが大切らしいです。そういうときはその指の動かし方、使い方に問題がある場合が多い、と聞きます。
大体こういった怪我はなんらかの形での手の間違った使い方が原因らしいので(弾きすぎ、ではなく)、一番先に先生にレッスンで相談するのがいいんだそうです(大学仲間情報)。
ピアニストは両手を同じように、同じくらいの頻度で使いますが、他の楽器ではそうでないものもあります。
片手で楽器を支えながら片手で音程をとったり、片手で弓を動かしながら片手で音程をとったり。
バイオリンなどの弦楽器は右手で弓を動かし、左手で音程をとります。
なぜ左手で音程をとったりビブラートをかけたりと細かい動きを?と思われる方もいるかもしれませんがむしろ音質や音量などのかなり繊細な調整は弓、つまり右手でするものなので、実際そっちのほうが利き手のほうが都合がいいのでは、と最近(最近かよ!)思うようになりました。
有名なバイオリニスト、パガニーニはぎっちょといって左右をひっくり返して(=左手で弓、etc)バイオリンを弾いたそうですがなんせ昔のことなのでどこまで本当なのかは分かっていないそうです。
弦楽器の人は左手の指で弦を押さえますので長いことやっているとだんだん指紋が消えてきます。
バイオリンの人は細い弦を押さえるので指の先端、チェロなんかだと弦が比較的太くビブラートもまた幅広くなるので指の腹に近い方が硬くなり指紋が消えます。
チェロに限っては高音域になると親指の外側で弦を押さえることが多いので左親指の第1関節の外側くらいに胼胝ができます。
バイオリンはチェロよりドからレなどの音の間が狭いので、基本指先が細い方が向いてる・・・はず。
でも指が太いとチェロでも高音域は音の間が狭いので大変そう。私の前のチェロの先生ソーセージみたいな指してたけどどうやって弾けてたのかしら。
金管楽器は色々と一緒くたに扱われることが多いですが(じっさい大学でも。基本の音の出し方や呼吸が同じなので)、手の使い方は全く違います。
トランペットは右手でピストンを操り音程をとります。左手は楽器を支えますが、これはなしでも吹けないことはない、片手で演奏できる数少ない楽器の一つです。
ホルンは実は逆。左手で音程を操り、右手は後ろ向きに開いたベルのなかに突っ込んで音色の調整などをします。あんまり手が太ってるとそこの調整は厳しいのかしら・・・
トロンボーンはスライドによる音程の調整に腕の筋肉を使う唯一の楽器。指の筋肉の細かさと比べて大きい筋肉なのでさぞ細かい動きは難しいかと思いきや名手は本当にそんなことを感じさせませんね!
人間というのは手を使って本当にいろんな素晴らしいことをやり遂げてきましたが、音楽を奏でることもまたその一つ。
今回は手の話に絞ってしまったのですが声楽での声帯の働き、特にピアノでの脳の働き、そして金管楽器における唇の働きなど音楽と人体の関わりというのはものすごく素晴らしい、そして特別なものがあります。
音楽ってあんまりそう思われませんが物理や解剖学とものすごーく近いんですよね。
せっかく理系のお仕事してるのでそういう面にも目をどんどん向けていきたいです。
今日の一曲: マイケル・キーラン・ハーヴィー 「ピンク・ノーチラス」
録音はこちら。
マイケルもまた(体格が小さいので)そんなに手は大きくない方なのですがリストとか自分の曲とか平気ででっかいのを弾きますね。
それもすごいですし、指の回りもすごいのですが一番すごいのはやっぱり彼の表現したいエネルギーに手が耐えているそのタフさなのかも・・・?
ピンク・ノーチラスはマイケルの生徒である友人Pがメルボルン大学在学中、彼と仲良くさせてもらってるときにPが弾いてた、初めて私が作曲家としてのマイケルを知った曲です。
実際何回かPが演奏するのを生で聴いてますし、彼が練習室でこれを練習するのを聴きながら私はぐっすり昼寝した思い出も・・・(笑)
といっても決して子守歌にできる曲ではありません。本来なら。
マイケルの曲に共通する複雑なリズムや巨大なエネルギー、ジャズなど多くの他ジャンルの影響、幾何学的な音型が3分半に詰まっています。
ピンク・ノーチラスというのは音響で言う「ピンク・ノイズ」(私も父の仕事の関係上聞いたことはあるのですが物理が壊滅的にまだ苦手なためwikipediaにリンク」の波長のパターンと、あとオウムガイの螺旋構造(これも昔ニュートンかなんかで読んだ記憶がぼんやり)のパターンを元にした曲だ・・・という風にPから一回聴いたことがあります。
正確なことはPのリサイタルのプログラムをどっかにやってしまったため説明できないのですが、でも音型やリズムの幾何学的な性格の説明はこれでつきます。
マイケルが演奏するとこの曲は本当に幾何学的で。
でもPが演奏するともっと人間的。(笑)先生から学ぶということは影響を受けるということで、特にマイケルが先生だと(そして特にPが望んでマイケルの生徒になったため)影響のポテンシャルは限りないのですが・・・
それでもPの演奏が彼自身の演奏で何よりも嬉しかった記憶があります。
作曲家自身の演奏より好きだ、というのもなんですが私はPの演奏が好きでした。
マイケルの音楽については数日前のエントリーを見ていただければ幸いです。
そしてそこでもいいましたように彼の演奏、そして作曲に初めましてをする方はこの曲がお奨めです。
もっと彼の演奏や作曲を知ってもらいたいという気持ちは在るものの空回りで。
もともと音楽を言葉で説明するのはどうかと思いますし、不完全燃焼に終わるのは見えてるのですが・・・
自分のためにも他のもろもろのためにも(そんなものがあれば)できる限り紹介していこうと思います。
5月6月の更新停滞が嘘のようにブログに書きたいことがでてくるこの頃。
冬にしちゃあ上等だと思いますが創作のほうも進めようよ、という・・・
今日も二つ候補があったのですが、結果こちらに。
最近、ここ数ヶ月ひどい乾燥で恐ろしい状態になっていた右人差し指がだんだん治ってきた様子です。
ピアニストにとって手は商売道具と言われますがこの年になるまで手をいたわるということをしてこなかったもんでちょっぴり焦りましたがとりあえずハンドクリーム、そして皿洗いの時には手袋、ということで改善途中です。
自分の手・・・にはコンプレックスとまではいきませんが多少不便さを感じることは多いです。
ピアニストとしてはやっぱり手が大きい、指が長い方が有利なもの。
例えばブラームス、ラフマニノフ、リストあたりのピアノ音楽は大きな和音をパワフルに弾いたり、広く分散されたアルペジオ(分散和音)を弾いたりということが多いので。(ラフマニノフやリストは自身の曲を多く弾いた演奏家で、大きな手を持っていたことで知られています)
それもまたピアノ音楽の華やかさには欠かせないテクニック、なのですが・・・
私の手は指の長さはそこそこですがやっぱり手のサイズが・・・
(それでもやっぱり体の大きさと比較すれば良い方でとは言われますが)
鍵盤でドから次のドまで、つまり1オクターブは楽に届きますが、それ以上はちょっときついですね。
オクターブにしても届くものの、ずっとオクターブばっかりだと手が痛みます。
先ほど行ったようなパッセージは弾けない、または弾けてもうまく弾けない、または手を痛めたり・・・
同じく手の小さめの(体型はごく普通なんですが)先生はそういうのが多い曲はとりあえず弾かないようにいいます。で、曲の中でそういったパッセージがあれば多少ずるをしなさいとも言ってました。
実際手の小さい名ピアニストもたくさんいます。
スクリャービンも手を痛める前はそうでしたし、アリシア・デ・ラローチャやヴラディミール・アシュケナージなども手が小さいと言われています。
ラヴェルも手が小さかったらしく、彼のピアノ曲はものすごく複雑な小回りを必要とするパッセージがたくさんあります。(実際私の手はラヴェルの書く音型などと比較的相性がいいように思えます)
小さい手であんまり広げるのを無理したり、オクターブばっかりのパッセージを続けたり、手の大きさにかかわらず反復練習をやりすぎたりでとにかく手を無理に酷使し続けるともちろん怪我に繋がります。
腱鞘炎、筋肉痛、ほかにもいろいろ。脳への影響としてフォーカル・ジストニア(職業性の局所ジストニア)もあるんだとか。
腱鞘炎はピアノが原因でなったことはないんですが(病院での退屈→鍵編みのやりすぎが原因ではあります)、手が疲れたら休むこと、そして腕が痛くなったらどの指に繋がっている筋肉や腱が痛んでいるのかを書く指を動かして調べ、原因を突き止めることが大切らしいです。そういうときはその指の動かし方、使い方に問題がある場合が多い、と聞きます。
大体こういった怪我はなんらかの形での手の間違った使い方が原因らしいので(弾きすぎ、ではなく)、一番先に先生にレッスンで相談するのがいいんだそうです(大学仲間情報)。
ピアニストは両手を同じように、同じくらいの頻度で使いますが、他の楽器ではそうでないものもあります。
片手で楽器を支えながら片手で音程をとったり、片手で弓を動かしながら片手で音程をとったり。
バイオリンなどの弦楽器は右手で弓を動かし、左手で音程をとります。
なぜ左手で音程をとったりビブラートをかけたりと細かい動きを?と思われる方もいるかもしれませんがむしろ音質や音量などのかなり繊細な調整は弓、つまり右手でするものなので、実際そっちのほうが利き手のほうが都合がいいのでは、と最近(最近かよ!)思うようになりました。
有名なバイオリニスト、パガニーニはぎっちょといって左右をひっくり返して(=左手で弓、etc)バイオリンを弾いたそうですがなんせ昔のことなのでどこまで本当なのかは分かっていないそうです。
弦楽器の人は左手の指で弦を押さえますので長いことやっているとだんだん指紋が消えてきます。
バイオリンの人は細い弦を押さえるので指の先端、チェロなんかだと弦が比較的太くビブラートもまた幅広くなるので指の腹に近い方が硬くなり指紋が消えます。
チェロに限っては高音域になると親指の外側で弦を押さえることが多いので左親指の第1関節の外側くらいに胼胝ができます。
バイオリンはチェロよりドからレなどの音の間が狭いので、基本指先が細い方が向いてる・・・はず。
でも指が太いとチェロでも高音域は音の間が狭いので大変そう。私の前のチェロの先生ソーセージみたいな指してたけどどうやって弾けてたのかしら。
金管楽器は色々と一緒くたに扱われることが多いですが(じっさい大学でも。基本の音の出し方や呼吸が同じなので)、手の使い方は全く違います。
トランペットは右手でピストンを操り音程をとります。左手は楽器を支えますが、これはなしでも吹けないことはない、片手で演奏できる数少ない楽器の一つです。
ホルンは実は逆。左手で音程を操り、右手は後ろ向きに開いたベルのなかに突っ込んで音色の調整などをします。あんまり手が太ってるとそこの調整は厳しいのかしら・・・
トロンボーンはスライドによる音程の調整に腕の筋肉を使う唯一の楽器。指の筋肉の細かさと比べて大きい筋肉なのでさぞ細かい動きは難しいかと思いきや名手は本当にそんなことを感じさせませんね!
人間というのは手を使って本当にいろんな素晴らしいことをやり遂げてきましたが、音楽を奏でることもまたその一つ。
今回は手の話に絞ってしまったのですが声楽での声帯の働き、特にピアノでの脳の働き、そして金管楽器における唇の働きなど音楽と人体の関わりというのはものすごく素晴らしい、そして特別なものがあります。
音楽ってあんまりそう思われませんが物理や解剖学とものすごーく近いんですよね。
せっかく理系のお仕事してるのでそういう面にも目をどんどん向けていきたいです。
今日の一曲: マイケル・キーラン・ハーヴィー 「ピンク・ノーチラス」
録音はこちら。
マイケルもまた(体格が小さいので)そんなに手は大きくない方なのですがリストとか自分の曲とか平気ででっかいのを弾きますね。
それもすごいですし、指の回りもすごいのですが一番すごいのはやっぱり彼の表現したいエネルギーに手が耐えているそのタフさなのかも・・・?
ピンク・ノーチラスはマイケルの生徒である友人Pがメルボルン大学在学中、彼と仲良くさせてもらってるときにPが弾いてた、初めて私が作曲家としてのマイケルを知った曲です。
実際何回かPが演奏するのを生で聴いてますし、彼が練習室でこれを練習するのを聴きながら私はぐっすり昼寝した思い出も・・・(笑)
といっても決して子守歌にできる曲ではありません。本来なら。
マイケルの曲に共通する複雑なリズムや巨大なエネルギー、ジャズなど多くの他ジャンルの影響、幾何学的な音型が3分半に詰まっています。
ピンク・ノーチラスというのは音響で言う「ピンク・ノイズ」(私も父の仕事の関係上聞いたことはあるのですが物理が壊滅的にまだ苦手なためwikipediaにリンク」の波長のパターンと、あとオウムガイの螺旋構造(これも昔ニュートンかなんかで読んだ記憶がぼんやり)のパターンを元にした曲だ・・・という風にPから一回聴いたことがあります。
正確なことはPのリサイタルのプログラムをどっかにやってしまったため説明できないのですが、でも音型やリズムの幾何学的な性格の説明はこれでつきます。
マイケルが演奏するとこの曲は本当に幾何学的で。
でもPが演奏するともっと人間的。(笑)先生から学ぶということは影響を受けるということで、特にマイケルが先生だと(そして特にPが望んでマイケルの生徒になったため)影響のポテンシャルは限りないのですが・・・
それでもPの演奏が彼自身の演奏で何よりも嬉しかった記憶があります。
作曲家自身の演奏より好きだ、というのもなんですが私はPの演奏が好きでした。
マイケルの音楽については数日前のエントリーを見ていただければ幸いです。
そしてそこでもいいましたように彼の演奏、そして作曲に初めましてをする方はこの曲がお奨めです。
もっと彼の演奏や作曲を知ってもらいたいという気持ちは在るものの空回りで。
もともと音楽を言葉で説明するのはどうかと思いますし、不完全燃焼に終わるのは見えてるのですが・・・
自分のためにも他のもろもろのためにも(そんなものがあれば)できる限り紹介していこうと思います。
今日は久しぶりにラケットボールをやってきました。
なにかと運動不足になりやすいのですが・・・でもテニスをやってたことも一応ありますし、ラケットボールも学生時代ちょっとやって好きだったので友達とまたやろう、ということになって。
バドミントンもたまにやるので手&腕が「こっちのラケット」慣れしてなくて・・・もうちょっと強さを取り戻したらスカッシュも試してみたいです!(てこの原理でもっと力がいりますのでね、ラケットが長いと)
本題は例によって音楽のことになりますが・・・
演奏する行為ももちろんものすごく楽しいながら、実はリサイタルやコンサートのプログラムをプランニングするのもまた大好きで。CDで組み合わせる曲なども面白いですね。
創作の中でのコンサートでどんな曲をやるか、というのを考えるのももちろんその楽しみの一部。
こだわりは聞く人と弾く人(振る人含め)どっちにも楽しいプログラムにする、ということです♪
(あと一応ホルンなどに馬鹿みたいに負担が大きいプログラムは避けてます。リアリティも重視!)
よっぽど大きい曲を弾く場合以外(たとえばブリテンの戦争レクイエム、マーラーの交響曲6番など、曲の長さもそうですが奏者への負担、内容の濃さなども合わせての「大きさ」です)は一つのコンサートで複数の曲が弾かれます。
スタンダードなコンサートでは:
1)序曲(またはその他短いスターター曲)
2)協奏曲(コンチェルト。またはその他ソリストがいる曲。ソリストによっては演奏後にアンコールをやることも)
<休憩>
3)交響曲(シンフォニー。その他1時間前後、1時間超の大曲)
・・・で休憩を合わせて大体2時間半・・・くらいですかね?
(注:スタンダード、というのはメル響やユースオケなどメルボルンの様々なクラシックコンサートをもとにしたスタンダードです)
何事でもそうですが、これだけ長いコンサートもまた最初で心を掴むのがものすごく大切。
同時にかなりのプレッシャーを感じているであろう各奏者を一体にしてテンションを上げていかなくてはいけません。
オペラの序曲をオケのコンサートで弾いたり、5分ほどの短い曲を弾いたり、レパートリーは幅広いですが、個人的にいつも「どんな曲でコンサートを始めたら弾く方も聞く方も盛り上がるか?ということが気になって。
あくまでも個人的なチョイスなのですが、トップ5はここらへんじゃないかな~というものを集めてみました:
1) バーンスタイン 「キャンディード」序曲
2) グリンカ 「ルスランとリュドミラ」序曲
3) リムスキー=コルサコフ スペイン奇想曲
4) ショスタコーヴィチ 祝典序曲
5) カバレフスキー 「コラ・ブルニョン」序曲
キャンディードとルスランはどっちもスピード感あり、派手で華やかで、目の覚めるような、注目を引く序曲。
速ければ速いほどエキサイティング(・・・といっちゃあいけないのかもしれませんが)。
そして結構勢いで乗り切れますし(・・・といっちゃあいけないのかもしれませんが、再び)。
弾く方にも聞く方にも人気があり、飽きにくい曲です。
スタンダードなスターター曲でもあるのでリハーサル時間もある程度短縮できたり?
スペイン奇想曲に関してはこれは15分ほどある曲ですがコンサートの初めにはかなりふさわしい曲だと思います。
先ほどいった華やかさや勢い、テンションを上げる力ももちろんですが、オーケストラの様々な楽器がフィーチャーされるソロやアンサンブルが数多くあるので、例えばオーケストラ・クラシック音楽の紹介的なコンサートのオープニングにはもってこいではないかと思いますし、もちろんそれ以外のコンサートも(コンチェルトの規模などにもよりますが)ありだと思います♪
祝典序曲は上記3つと比較するともしかしたら(何回弾いていても)リハーサルに時間がかかる、ちょっと弾く側としてはもしかしたらびびりやすいかもしれない曲です。
でもショスタコーヴィチにしてはほとんどあり得ない軽快・明快さがフレッシュですし(物心つかないころからこの曲を知っていますが、これがショスタコと分かった時はひっくり返るかと思いましたもん!)。
これでコンサートを始めたらテンションはあがりますし度胸もまた据わるかと。
そして最後のカバレフスキー。
曲としてはあんまりそう目立って素晴らしい曲ではないのですがコンサートの最初としては結構きらきら輝くな~と思います。
派手な打楽器パート、えせフランス的な雰囲気、スピード感で、たとえばオールロシアンのコンサートのスターターとかでは同じロシア(ソヴィエト)の祝典序曲よりも適役な場合もあるかと思います。
一応無難なものを5つ選んでみましたが、たとえば照明でいろいろとやってくれるコンサートだと「ツァラトゥストラはかく語りき」(リヒャルト・シュトラウス)で始めるのもものすごくかっこいいですし、「庶民のためのファンファーレ」(コープランド)もまた衝撃的なオープニングでかっこいいですし。
あと金管に極度の負担がかかるプログラムの場合、弦中心の(=金管の体力温存可能な)序曲も例えばモーツァルトの「魔笛」序曲や「フィガロの結婚」序曲などをはじめたくさんあります。
他にも個性派・ひねった、またはケースバイケースで非常的に効果的なスターターなど考えてみたいですね。
(ただその場合実際一つずつコンサートまるまるプランしながらでないといけませんが)
あとはコンチェルト後に持ってかれるアンコールコレクションとか。
一曲勝負するなら(前述ケースですね)どんな曲がいいか、とか。
ライトミュージック(軽いクラシック)で奏者が退屈しないプログラムとか。
他にも結婚式、お葬式などのイベント・行事・その他occasionにふさわしい曲コレクションとか。
なんだかプランニング心が燃えてきました!
今後じっくり考えて(?)ここで語っていきたいと思います♪
今日の一曲: グスタフ・ホルスト 「惑星」より「火星」
惑星はもう3楽章目ですか(冥王星を含めると)。
今日は散々スターター曲のことを話してきたのですが、惑星は先ほどのコンサートで弾かれる曲の種類では
「大曲」(50分前後?)の部類に入ります・・・ですが!
惑星の第1楽章である「火星」のこのオープニングのインパクトの強さを買って、さらにプッシュプッシュしてあえてここで紹介させてもらいます。
まず。
弦楽器とは木製の弓に張ってある馬の毛で弦をこすり音を出す、ということが基本なのですが。
この「火星」のオープニングでは弦楽器全員が弓をひっくり返して、木の部分で弦を叩きます。
これはコル・レーニョという奏法で、よく「乾いた骨の音」を表すのに使います。
弦楽器全員同じリズムをこの奏法で、というのはなかなか珍しく、ものすごく・・・なんというか、もう人間の音じゃないです。ティンパニ+ハープの低音の地鳴りの向こうからなにかがやってくる、そんな印象の恐ろしい音です。
そしてこの曲を支配するリズムがまた独特で。
(ここで試聴できるようです)
この5拍子のリズムがまた不気味で、禍々しく。そして何百回も繰り返される(不穏な静けさの中間部でもこのリズムがばらして使われているほどです)このリズムの呪縛的な性格がたまりません。
楽器の音色、リズム、さらにハーモニー、音型、音量のうねりなどが全て全て禍々しくて。
不穏、不安、暗躍、好戦・・・そういった言葉がぴったりです。
この楽章の副題「戦をもたらす者」にふさわしすぎますね!
実はこの「惑星」は1914年から1916年にかけて書かれていまして。
この時に起こった世界的事件、つまり第一次世界大戦の始まりを意識しているとも言われますし、このころ書かれたストラヴィンスキーの「春の祭典」の影響を受けているとの話もあります。
全体的な雰囲気が聞きやすさはロマン派の音楽とそう変わりないようにも思えますが、それでもいろんな角度からこの20世紀という時代の始まりを濃く反映しているのがこの「惑星」だと思います。
あー・・・なんか、金管とかの話もしたかったんですが・・・
テナーチューバのソロが好きだ、という話とか・・・ああ、なんだか本当にごめんなさい!
またいつかどこかで!
注:今回は別の録音をチョイスしてみました♪ズービン・メータの指揮と解釈もまた興味津々ですがなんといってもカップリング曲がスター・ウォーズだというところがなかなかにくいです!
なにかと運動不足になりやすいのですが・・・でもテニスをやってたことも一応ありますし、ラケットボールも学生時代ちょっとやって好きだったので友達とまたやろう、ということになって。
バドミントンもたまにやるので手&腕が「こっちのラケット」慣れしてなくて・・・もうちょっと強さを取り戻したらスカッシュも試してみたいです!(てこの原理でもっと力がいりますのでね、ラケットが長いと)
本題は例によって音楽のことになりますが・・・
演奏する行為ももちろんものすごく楽しいながら、実はリサイタルやコンサートのプログラムをプランニングするのもまた大好きで。CDで組み合わせる曲なども面白いですね。
創作の中でのコンサートでどんな曲をやるか、というのを考えるのももちろんその楽しみの一部。
こだわりは聞く人と弾く人(振る人含め)どっちにも楽しいプログラムにする、ということです♪
(あと一応ホルンなどに馬鹿みたいに負担が大きいプログラムは避けてます。リアリティも重視!)
よっぽど大きい曲を弾く場合以外(たとえばブリテンの戦争レクイエム、マーラーの交響曲6番など、曲の長さもそうですが奏者への負担、内容の濃さなども合わせての「大きさ」です)は一つのコンサートで複数の曲が弾かれます。
スタンダードなコンサートでは:
1)序曲(またはその他短いスターター曲)
2)協奏曲(コンチェルト。またはその他ソリストがいる曲。ソリストによっては演奏後にアンコールをやることも)
<休憩>
3)交響曲(シンフォニー。その他1時間前後、1時間超の大曲)
・・・で休憩を合わせて大体2時間半・・・くらいですかね?
(注:スタンダード、というのはメル響やユースオケなどメルボルンの様々なクラシックコンサートをもとにしたスタンダードです)
何事でもそうですが、これだけ長いコンサートもまた最初で心を掴むのがものすごく大切。
同時にかなりのプレッシャーを感じているであろう各奏者を一体にしてテンションを上げていかなくてはいけません。
オペラの序曲をオケのコンサートで弾いたり、5分ほどの短い曲を弾いたり、レパートリーは幅広いですが、個人的にいつも「どんな曲でコンサートを始めたら弾く方も聞く方も盛り上がるか?ということが気になって。
あくまでも個人的なチョイスなのですが、トップ5はここらへんじゃないかな~というものを集めてみました:
1) バーンスタイン 「キャンディード」序曲
2) グリンカ 「ルスランとリュドミラ」序曲
3) リムスキー=コルサコフ スペイン奇想曲
4) ショスタコーヴィチ 祝典序曲
5) カバレフスキー 「コラ・ブルニョン」序曲
キャンディードとルスランはどっちもスピード感あり、派手で華やかで、目の覚めるような、注目を引く序曲。
速ければ速いほどエキサイティング(・・・といっちゃあいけないのかもしれませんが)。
そして結構勢いで乗り切れますし(・・・といっちゃあいけないのかもしれませんが、再び)。
弾く方にも聞く方にも人気があり、飽きにくい曲です。
スタンダードなスターター曲でもあるのでリハーサル時間もある程度短縮できたり?
スペイン奇想曲に関してはこれは15分ほどある曲ですがコンサートの初めにはかなりふさわしい曲だと思います。
先ほどいった華やかさや勢い、テンションを上げる力ももちろんですが、オーケストラの様々な楽器がフィーチャーされるソロやアンサンブルが数多くあるので、例えばオーケストラ・クラシック音楽の紹介的なコンサートのオープニングにはもってこいではないかと思いますし、もちろんそれ以外のコンサートも(コンチェルトの規模などにもよりますが)ありだと思います♪
祝典序曲は上記3つと比較するともしかしたら(何回弾いていても)リハーサルに時間がかかる、ちょっと弾く側としてはもしかしたらびびりやすいかもしれない曲です。
でもショスタコーヴィチにしてはほとんどあり得ない軽快・明快さがフレッシュですし(物心つかないころからこの曲を知っていますが、これがショスタコと分かった時はひっくり返るかと思いましたもん!)。
これでコンサートを始めたらテンションはあがりますし度胸もまた据わるかと。
そして最後のカバレフスキー。
曲としてはあんまりそう目立って素晴らしい曲ではないのですがコンサートの最初としては結構きらきら輝くな~と思います。
派手な打楽器パート、えせフランス的な雰囲気、スピード感で、たとえばオールロシアンのコンサートのスターターとかでは同じロシア(ソヴィエト)の祝典序曲よりも適役な場合もあるかと思います。
一応無難なものを5つ選んでみましたが、たとえば照明でいろいろとやってくれるコンサートだと「ツァラトゥストラはかく語りき」(リヒャルト・シュトラウス)で始めるのもものすごくかっこいいですし、「庶民のためのファンファーレ」(コープランド)もまた衝撃的なオープニングでかっこいいですし。
あと金管に極度の負担がかかるプログラムの場合、弦中心の(=金管の体力温存可能な)序曲も例えばモーツァルトの「魔笛」序曲や「フィガロの結婚」序曲などをはじめたくさんあります。
他にも個性派・ひねった、またはケースバイケースで非常的に効果的なスターターなど考えてみたいですね。
(ただその場合実際一つずつコンサートまるまるプランしながらでないといけませんが)
あとはコンチェルト後に持ってかれるアンコールコレクションとか。
一曲勝負するなら(前述ケースですね)どんな曲がいいか、とか。
ライトミュージック(軽いクラシック)で奏者が退屈しないプログラムとか。
他にも結婚式、お葬式などのイベント・行事・その他occasionにふさわしい曲コレクションとか。
なんだかプランニング心が燃えてきました!
今後じっくり考えて(?)ここで語っていきたいと思います♪
今日の一曲: グスタフ・ホルスト 「惑星」より「火星」
惑星はもう3楽章目ですか(冥王星を含めると)。
今日は散々スターター曲のことを話してきたのですが、惑星は先ほどのコンサートで弾かれる曲の種類では
「大曲」(50分前後?)の部類に入ります・・・ですが!
惑星の第1楽章である「火星」のこのオープニングのインパクトの強さを買って、さらにプッシュプッシュしてあえてここで紹介させてもらいます。
まず。
弦楽器とは木製の弓に張ってある馬の毛で弦をこすり音を出す、ということが基本なのですが。
この「火星」のオープニングでは弦楽器全員が弓をひっくり返して、木の部分で弦を叩きます。
これはコル・レーニョという奏法で、よく「乾いた骨の音」を表すのに使います。
弦楽器全員同じリズムをこの奏法で、というのはなかなか珍しく、ものすごく・・・なんというか、もう人間の音じゃないです。ティンパニ+ハープの低音の地鳴りの向こうからなにかがやってくる、そんな印象の恐ろしい音です。
そしてこの曲を支配するリズムがまた独特で。
(ここで試聴できるようです)
この5拍子のリズムがまた不気味で、禍々しく。そして何百回も繰り返される(不穏な静けさの中間部でもこのリズムがばらして使われているほどです)このリズムの呪縛的な性格がたまりません。
楽器の音色、リズム、さらにハーモニー、音型、音量のうねりなどが全て全て禍々しくて。
不穏、不安、暗躍、好戦・・・そういった言葉がぴったりです。
この楽章の副題「戦をもたらす者」にふさわしすぎますね!
実はこの「惑星」は1914年から1916年にかけて書かれていまして。
この時に起こった世界的事件、つまり第一次世界大戦の始まりを意識しているとも言われますし、このころ書かれたストラヴィンスキーの「春の祭典」の影響を受けているとの話もあります。
全体的な雰囲気が聞きやすさはロマン派の音楽とそう変わりないようにも思えますが、それでもいろんな角度からこの20世紀という時代の始まりを濃く反映しているのがこの「惑星」だと思います。
あー・・・なんか、金管とかの話もしたかったんですが・・・
テナーチューバのソロが好きだ、という話とか・・・ああ、なんだか本当にごめんなさい!
またいつかどこかで!
注:今回は別の録音をチョイスしてみました♪ズービン・メータの指揮と解釈もまた興味津々ですがなんといってもカップリング曲がスター・ウォーズだというところがなかなかにくいです!
昨日は国立音楽アカデミー(サウスメルボルンのタウンホールの一角にあります。通ったことはないけれどコンサート会場としてお世話になったことは何回も。不思議な場所です)にマイケルのリサイタルを聴きに行きました。
マイケル、とは・・・
Michael Kieran Harvey、オーストラリアではかなり有名なピアニスト。
(よく誤解があるのですがKieranはミドルネームです。なぜかフルネームで知られています。)
現代音楽、とくにオーストラリアの作曲家の作品を専門・得意としていて自身も作曲家。
いろんなオーストラリアの音楽家と演奏など仕事をして、影響を受けたり、影響を与えたりしているすごい人です。
そしてなんといってもオーストラリア一のメシアン弾きです。
マイケルとの出会いは大学1年のピアノクラスで。
リストの超絶技巧練習曲について話しているときに彼が言ったことがものすごいインパクトして今でも心に残ってます。
「もしも人を殴りたいような気持ちになったら、ピアニストは人を殴らなくとも「マゼッパ」(超絶技巧練習曲第4番)を弾けばいい」
・・・というようなことを言っていたのですが。
その後マイケルの生徒だったPという男の子と友達になり(彼もマイケルの曲を弾いてました)、さらに私の先生もマイケルと友達だという菅家異な事が判明。友達の先生であり、先生の友達、ということで。
そしてその後マイケルがホバート(タスマニア州の州都)に拠点を移し、それにともないPもタスマニアに行き。
私はメシアンを専門にし始め、さらにPといろいろあり・・・
そんなときにマイケルがメルボルンに一時来る、ということでPのはからいと先生に許可を得てマイケルにメシアンのレッスンをしてもらうことになりました。
大学でもクレージー(性格的に、そしてピアノでのすごさ的に両方)だと評判があるマイケル。会ってみると本当に気さくな人で、レッスンの中で鳥の鳴き真似はするわいろいろと楽しくレッスンして、メシアン弾きと認めてもらい。
その後も日本から来た彼の友達の作曲家の女性の名ばかりの通訳をつとめたり、ページをめくったり、彼の演奏を聴きに行ったり、また別のメシアンの曲を見てもらったり・・・
いつしか物理的距離や年齢(誕生日は一日違いですが年齢は今およそ2杯ですもの)を超え直接の友達になっていました。
タスマニアに遊びに行ったときは奥さんとともにご飯につれてってもらったりもしていろいろと可愛がってもらってます。
ちなみにメルボルン大学にも一応なんらかのポジションがあって、それが「Casual Fellow」というポジションらしいんですが(非常勤のフェロー・・・なのかな?)、私の先生が確かにマイケルはCasual Fellow(カジュアルな男性)だからね、と・・・
確かにマイケルを形容するにふさわしい言葉なんですがそのタイミングでそんなだじゃれをぶっこむ先生に脱帽(汗)
Pがいつかいってたのですが、マイケルは「ピアニスト」というよりは「音楽家」、または「表現者」です。
彼が考えていることはピアノの上に限らず。
興味の範囲は本当に政治から環境から哲学から科学から広く深く・・・
作曲にもいろんなコンセプトを取り入れて、自身の作品以外の演奏にも音楽以外の表現形態を取り入れたパフォーマンスをすることが多いです。(これはまた後で)
彼の表現はものすごくパワフル。背丈こそ私とそんなに変わらないんですが桁外れのテクニックと表現の幅とパワフルさ、音楽的な豊かさは圧倒的です。
作曲家の作品がその人を表すならマイケルの思考はどんなに複雑なんだろう、と思います。
無限の色彩に、無限に広がる幾何学的なパッセージ。感情や思考、宇宙などがまるでモザイクになったような音楽・・・
きっと彼は脳と心と音楽がぶっとい線で直結してるんでしょうね。
マイケルはいつだって自分の思うこと、感じることを表現していたいのかな、と思います。さきほどの言葉もそうですが、彼は心になんかあったら理論的にそれを表現しようとする人なんです。
私の鬱のことも知ってるんですが、それと付き合っていく、自分なりに処理できるようなアイディアなどをいろいろと教えてくれたり。Pによると彼は若い頃ずいぶん辛い思いをしたらしいので、私の気持ちにも親身になってくれて、心と脳と理論のつきあいに関しては彼は私にとって師匠です(笑)
私の数エントリー前のメンタルヘルスや表現のあれこれも彼の影響が強いかも???
ともかく自分の「表現」というのが強いので何を弾いてもマイケル色に染まってしまうということはあります。
レパートリーの得意不得意にむらがかなりあるのと、記憶力に多少問題はありますが彼の「声」に合う物を弾かせたら本当に素晴らしいものを生み出す芸術家です。
さて、前置きが長くなってしまいましたが昨日彼のリサイタルで。
「48 Fugues for Frank」という今年初演された(昨日で7回目の演奏でした)彼自身の作品を聴きました。
リサイタルはこの曲を作曲するようにマイケルをそそのかした張本人である詩人Arjun von Caemmererのトークから始まりました。
この曲はフランク・ザッパという作曲家へのオマージュなので、そこのところいろいろの説明がトークの内容で。
小休憩の後に演奏(+スクリーンでvon Caemmererさんのヴィジュアル・ポエトリーの展示)がありました。
私はコンサートに行く前はフランク・ザッパのことは何も知りませんでしたが、こういう形で(トーク、そしてマイケルの音楽を通じて)彼の音楽や考えを知り、学ぶことができてよかったなーと思いました。
ザッパもまた「表現」を追求した人なんだな、と。何を表現して、どう表現して、どこまで表現できるか、を音楽によって突き詰めようとした人。
48 Fugues for Frankもそういった思想を反映しながら、さらに音楽的にもザッパの音楽(そしてザッパが影響を受けた音楽)のエレメントを使い書かれた音楽です。
実際形式はフーガではないんですよね。フーガという音楽にこめられた意味(ちなみに日本語にすると遁走曲)や性格といったものをくみ取った音楽、ということなんだと思います。
まるで脳と無限の宇宙のつながりみたいな、人間の表現が無限に広がる経験をこの演奏で味わいました。
で、コンサートの後にMichael Kieran Harvey Scholarshipの授与がありまして。
なんでもマイケルの知り合いが遺産をマイケルの名を付けた奨学金・賞を作るために残して下さったらしく。
オーストラリアの新しい音楽作りに貢献する、伝統の音楽体制では当てはまらない(私がPhaedrusの言葉でよく使う「カモノハシ」ですね)、伝統的なコンペなどで賞されることがないであろう若い音楽家を賞するためのScholarshipだそうです。
コンサート後の軽食でちょっとばかりマイケルと話しましたがあんまり会えないけれど話せる時間も短く。
(でも初めて会った彼の息子さんとか娘さんとかとちょろっとだけ話しました)
またもうちょっとのんびり話せればいいなあ~と思いながら別れてしまいました。
今回のコンサート、ticketmasterでチケット予約したんですがなんとその特典でこの48 Fugues for FrankのCDがタダでもらえちゃったんです!

マイケルのCDはゆっくりゆっくり集めていて、なるべくサインももらうようにしているので(友達なんですがファンはファンです(笑))
特にマイケルがPeter Cundall(TVで庭関係の番組を持ってる人で、環境活動のなんかでこないだタスマニアで逮捕されてた人です)の語りと共に生録音したメシアンの「鳥のカタログ」(CD3枚組、実際一日3つのコンサートにわけて演奏しました)は私にとって宝物です。
今回のサインは・・・

昨日のコンサートがマイケルの誕生日とあって誕生日仕様でした!
次にマイケルの演奏が聴けるのは来月のPiano Landmarks。
元は私の先生主催の一日4つピアノコンサートの祭典?イベントなのですが、今は私の友達で先生の一番演奏活動的に活発な生徒が主催してます。
先生は朝一のコンサート、そしてマイケルは夜の最後のコンサート・・・らしいです。
あと10月に私の好きな作曲家Thomas Adesがメルボルンに来る際に彼の作品をマイケルが弾く予定なのですが、Ades絡みのもう一つのコンサートは作曲家自作自演、しかも古音楽とまだ私が知らないAdesの作品とのコラボとあってこっちも捨てがたい!
これから3ヶ月じっくり悩んでいきたいと思います。
最後に・・・
マイケルの演奏を聴くなら前述鳥のカタログ、そして同じくメシアンで20のまなざしもお奨めです。
彼の作曲した曲(そして自動的に自演)を聴くならPink Nautilus、またはToccata DNAあたりが割と聞きやすいと思います。
この両曲とも今後の「今日の一曲」で紹介していきたいです!
そして・・・今もこれからもマイケルを尊敬すべき、愛すべき音楽家として、友人として、そして一人の人間として・・・大好きです!
マイケル、とは・・・
Michael Kieran Harvey、オーストラリアではかなり有名なピアニスト。
(よく誤解があるのですがKieranはミドルネームです。なぜかフルネームで知られています。)
現代音楽、とくにオーストラリアの作曲家の作品を専門・得意としていて自身も作曲家。
いろんなオーストラリアの音楽家と演奏など仕事をして、影響を受けたり、影響を与えたりしているすごい人です。
そしてなんといってもオーストラリア一のメシアン弾きです。
マイケルとの出会いは大学1年のピアノクラスで。
リストの超絶技巧練習曲について話しているときに彼が言ったことがものすごいインパクトして今でも心に残ってます。
「もしも人を殴りたいような気持ちになったら、ピアニストは人を殴らなくとも「マゼッパ」(超絶技巧練習曲第4番)を弾けばいい」
・・・というようなことを言っていたのですが。
その後マイケルの生徒だったPという男の子と友達になり(彼もマイケルの曲を弾いてました)、さらに私の先生もマイケルと友達だという菅家異な事が判明。友達の先生であり、先生の友達、ということで。
そしてその後マイケルがホバート(タスマニア州の州都)に拠点を移し、それにともないPもタスマニアに行き。
私はメシアンを専門にし始め、さらにPといろいろあり・・・
そんなときにマイケルがメルボルンに一時来る、ということでPのはからいと先生に許可を得てマイケルにメシアンのレッスンをしてもらうことになりました。
大学でもクレージー(性格的に、そしてピアノでのすごさ的に両方)だと評判があるマイケル。会ってみると本当に気さくな人で、レッスンの中で鳥の鳴き真似はするわいろいろと楽しくレッスンして、メシアン弾きと認めてもらい。
その後も日本から来た彼の友達の作曲家の女性の名ばかりの通訳をつとめたり、ページをめくったり、彼の演奏を聴きに行ったり、また別のメシアンの曲を見てもらったり・・・
いつしか物理的距離や年齢(誕生日は一日違いですが年齢は今およそ2杯ですもの)を超え直接の友達になっていました。
タスマニアに遊びに行ったときは奥さんとともにご飯につれてってもらったりもしていろいろと可愛がってもらってます。
ちなみにメルボルン大学にも一応なんらかのポジションがあって、それが「Casual Fellow」というポジションらしいんですが(非常勤のフェロー・・・なのかな?)、私の先生が確かにマイケルはCasual Fellow(カジュアルな男性)だからね、と・・・
確かにマイケルを形容するにふさわしい言葉なんですがそのタイミングでそんなだじゃれをぶっこむ先生に脱帽(汗)
Pがいつかいってたのですが、マイケルは「ピアニスト」というよりは「音楽家」、または「表現者」です。
彼が考えていることはピアノの上に限らず。
興味の範囲は本当に政治から環境から哲学から科学から広く深く・・・
作曲にもいろんなコンセプトを取り入れて、自身の作品以外の演奏にも音楽以外の表現形態を取り入れたパフォーマンスをすることが多いです。(これはまた後で)
彼の表現はものすごくパワフル。背丈こそ私とそんなに変わらないんですが桁外れのテクニックと表現の幅とパワフルさ、音楽的な豊かさは圧倒的です。
作曲家の作品がその人を表すならマイケルの思考はどんなに複雑なんだろう、と思います。
無限の色彩に、無限に広がる幾何学的なパッセージ。感情や思考、宇宙などがまるでモザイクになったような音楽・・・
きっと彼は脳と心と音楽がぶっとい線で直結してるんでしょうね。
マイケルはいつだって自分の思うこと、感じることを表現していたいのかな、と思います。さきほどの言葉もそうですが、彼は心になんかあったら理論的にそれを表現しようとする人なんです。
私の鬱のことも知ってるんですが、それと付き合っていく、自分なりに処理できるようなアイディアなどをいろいろと教えてくれたり。Pによると彼は若い頃ずいぶん辛い思いをしたらしいので、私の気持ちにも親身になってくれて、心と脳と理論のつきあいに関しては彼は私にとって師匠です(笑)
私の数エントリー前のメンタルヘルスや表現のあれこれも彼の影響が強いかも???
ともかく自分の「表現」というのが強いので何を弾いてもマイケル色に染まってしまうということはあります。
レパートリーの得意不得意にむらがかなりあるのと、記憶力に多少問題はありますが彼の「声」に合う物を弾かせたら本当に素晴らしいものを生み出す芸術家です。
さて、前置きが長くなってしまいましたが昨日彼のリサイタルで。
「48 Fugues for Frank」という今年初演された(昨日で7回目の演奏でした)彼自身の作品を聴きました。
リサイタルはこの曲を作曲するようにマイケルをそそのかした張本人である詩人Arjun von Caemmererのトークから始まりました。
この曲はフランク・ザッパという作曲家へのオマージュなので、そこのところいろいろの説明がトークの内容で。
小休憩の後に演奏(+スクリーンでvon Caemmererさんのヴィジュアル・ポエトリーの展示)がありました。
私はコンサートに行く前はフランク・ザッパのことは何も知りませんでしたが、こういう形で(トーク、そしてマイケルの音楽を通じて)彼の音楽や考えを知り、学ぶことができてよかったなーと思いました。
ザッパもまた「表現」を追求した人なんだな、と。何を表現して、どう表現して、どこまで表現できるか、を音楽によって突き詰めようとした人。
48 Fugues for Frankもそういった思想を反映しながら、さらに音楽的にもザッパの音楽(そしてザッパが影響を受けた音楽)のエレメントを使い書かれた音楽です。
実際形式はフーガではないんですよね。フーガという音楽にこめられた意味(ちなみに日本語にすると遁走曲)や性格といったものをくみ取った音楽、ということなんだと思います。
まるで脳と無限の宇宙のつながりみたいな、人間の表現が無限に広がる経験をこの演奏で味わいました。
で、コンサートの後にMichael Kieran Harvey Scholarshipの授与がありまして。
なんでもマイケルの知り合いが遺産をマイケルの名を付けた奨学金・賞を作るために残して下さったらしく。
オーストラリアの新しい音楽作りに貢献する、伝統の音楽体制では当てはまらない(私がPhaedrusの言葉でよく使う「カモノハシ」ですね)、伝統的なコンペなどで賞されることがないであろう若い音楽家を賞するためのScholarshipだそうです。
コンサート後の軽食でちょっとばかりマイケルと話しましたがあんまり会えないけれど話せる時間も短く。
(でも初めて会った彼の息子さんとか娘さんとかとちょろっとだけ話しました)
またもうちょっとのんびり話せればいいなあ~と思いながら別れてしまいました。
今回のコンサート、ticketmasterでチケット予約したんですがなんとその特典でこの48 Fugues for FrankのCDがタダでもらえちゃったんです!
マイケルのCDはゆっくりゆっくり集めていて、なるべくサインももらうようにしているので(友達なんですがファンはファンです(笑))
特にマイケルがPeter Cundall(TVで庭関係の番組を持ってる人で、環境活動のなんかでこないだタスマニアで逮捕されてた人です)の語りと共に生録音したメシアンの「鳥のカタログ」(CD3枚組、実際一日3つのコンサートにわけて演奏しました)は私にとって宝物です。
今回のサインは・・・
昨日のコンサートがマイケルの誕生日とあって誕生日仕様でした!
次にマイケルの演奏が聴けるのは来月のPiano Landmarks。
元は私の先生主催の一日4つピアノコンサートの祭典?イベントなのですが、今は私の友達で先生の一番演奏活動的に活発な生徒が主催してます。
先生は朝一のコンサート、そしてマイケルは夜の最後のコンサート・・・らしいです。
あと10月に私の好きな作曲家Thomas Adesがメルボルンに来る際に彼の作品をマイケルが弾く予定なのですが、Ades絡みのもう一つのコンサートは作曲家自作自演、しかも古音楽とまだ私が知らないAdesの作品とのコラボとあってこっちも捨てがたい!
これから3ヶ月じっくり悩んでいきたいと思います。
最後に・・・
マイケルの演奏を聴くなら前述鳥のカタログ、そして同じくメシアンで20のまなざしもお奨めです。
彼の作曲した曲(そして自動的に自演)を聴くならPink Nautilus、またはToccata DNAあたりが割と聞きやすいと思います。
この両曲とも今後の「今日の一曲」で紹介していきたいです!
そして・・・今もこれからもマイケルを尊敬すべき、愛すべき音楽家として、友人として、そして一人の人間として・・・大好きです!
