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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Vox Humane
音楽では特に興味と知識は広く深く、と心がけているつもりですがどうしても器楽曲に偏りがちで。
自分という人間の人生で歌を歌う人よりも楽器を弾く人の方が関わる機会が多かったのもありますし、やはり声というものは個人差によって印象に大きく開きがでるのもあり。
好き嫌い、趣味はあって当然ですが偏見はやだなあーと思ったりもしています。

例えばオペラなんかはあんまり好きじゃないんですよね。
ドイツやイタリアのオペラの歌のスタイルが苦手だったり、あとオペラ全般オケのパートがたいしたことなかったりして印象がいまいちだったり。
ストーリー的にもなんだかおもしろくなかったり(母は日本に帰ってからオペラ講座に行ったらしいですが同じことをもうちょっと強めに言ってました(笑))。
ただリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」やモーツァルトの「魔笛」などはおもしろいですけどね。
そこら辺だったら見てもいいかな、と思いますが。

どっちかというと醤油派なんですよ、私。
ドイツやイタリアのオペラは音楽自体も、声のスタイルもがっつりこってりソース派じゃないですか。
例えば歌曲とか、イギリスオペラ(少ないですが)とかのあっさり系が好きです。
歌曲で言えばイギリスの作曲家の歌曲のうちテノールによって歌われる歌が好きです。イギリスのテノールの声はイタリアほどのリッチさはないですが純粋でシンプルな魅力にあふれ。
前々からこのブログで名前がでているピーター・ピアーズなんかもう天使の歌声だと思います。

あとシューベルトの歌曲なんかどっぷりはまってみたいと思いますね。
今のところ知っているのは「水車小屋の娘」、「菩提樹」、「An die Musik」、「魔王」くらいなんですけどなんせ彼は600曲とか書いてますからね。
ストレートで濃すぎず深みがあって、基本歌曲は器楽曲よりも時間的に短いですがそれに劣らないドラマがあります。あと伴奏する側としても良い曲ばかりです。
一応買いたいCDのなかに「冬の旅」を入れてあります。楽しみです。

合唱だと意外にロシア系がツボかもしれません。
ショスタコーヴィチとラフマニノフの合唱が意外にも(というのもなんですが)素晴らしく。
ショスタコーヴィチだったら交響曲第13番や「10 Choruses on Texts by Revolutionary Poets」、「10のロシア民謡集」とか。
ラフマニノフはもう「鐘」で決まり(笑)
二人とも歌曲も書いてるのでそちらもいつかお近づきになりたいところです。

あとまだ自分の中で全くこなれてないのがマーラーやシュトラウスの歌曲(オーケストラ伴奏)です。
シュトラウスはまあ後回しにしときたいところなんですが(好みと優先度の関係で)、マーラーはもっともっと知りたいなあ、知らなきゃなあ、と思ってます。(ちなみに交響曲も合唱付きのはあんまり詳しくなかったり・・・)
なんせマーラーの作品は曲の垣根、ジャンルの垣根を越えてつながっているので、彼の生涯のことを聞くにしても、交響曲を語るにしてもマーラーは歌曲が絡んできますからねー。
苦手なわけではなく自分の気に入った録音に出会えてないのと、あとマーラーはまじめに聞かないとなかなかきっちり入ってこないので・・・単純に勉強不足です。
でもマーラーなので悪い曲はないはずなので。はい。

話はちょっと変わりますが、こないだ日本から送ってもらった「めちゃイケ」の「歌下手王座決定戦」を見てて。
いろんな人の歌を聴きながらこの人はどういう仕組みで歌が下手なんだろう、ということを素人なりに妹と二人で分析してたんですよ。
例えば音の高さの違いは聞こえても声帯のコントロールができていないとか、音の上下はわかっているけど音程がわかっていないとか。
そうやって見てて私も声を歌に使った方がいいなあーと思い。

私は絶対音感があるので音程は聞こえ、わかるんですが(ただ絶対音感にずっと頼りすぎで相対音感があんまり発達していないという恥ずかしい有様ですが)、あまり「ちゃんと」歌う習慣がないので声のコントロールがあんまりなっていないんです。
8 年生の時まで合唱やってたのと、あと大学の授業でちょっとだけ歌わなくちゃいけないことがあったのみで。
カラオケも2回(日本で1回、こっちで1 回)行っただけ。

多少なりとも自分の声にコンプレックスもあって。
なんか下手なボーイソプラノみたいな声とでも言えばいいのでしょうか(汗)
それに加えて音域はいつのまにかアルトのパートも上の方は高すぎて歌えないほど、ほぼテノールにまで下がってしまって。
理論的に言えばテノールはソプラノの一オクターブ下なんですが、私いつもソプラノパートは一オクターブ下歌ってちょうど良いですし、理論的な音域で言えばあと音一つでちょうどテノールの音域になります(笑)

声って低域は声帯の長さ・太さなどのサイズで決まるらしいですが(この体型でこの声の低さというのもだからおかしいんですが太いんでしょうか)、高域はトレーニングで広げられるらしく、逆に使わないとどんどん下がるという話も聞くので、それも併せてなんとかしないとなーと思います。

鍛えれば少なくともちょっとはマシなボーイソプラノみたいな声にはなるのではないかと思うので(笑)
鍛えてなにが歌いたいかというとやっぱりシューベルトの歌曲とか、ブリテンがピアーズのために書いていたテノールのパートとか(音域ちょうどいいんですよ)。
カラオケとかも行きたいですしね~友達がそういうタイプではないのですが(笑)

人間の声は人間自体が楽器になっているようなもの。体一つで音楽が作れ、ついでにコミュニケーションもとれちゃう優れものなので大事にするのはもちろんある程度磨いていきたいなと思います。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 「10のロシア民謡集」より「愛する人に」

Amazon.co.ukのリンク

いつものとおりipodを完全ランダムにして聞いていてこの曲に出会い、それはもうびっくりしました。
珍しくメロディーに危うく泣かされてしまいそうになったので!
そしてこれがショスタコーヴィチの曲と聞いて2度びっくり!
でもメロディーは曲集のタイトルからもわかるとおりショスタコのものではないです。でもロシア民謡ってクラシックでの引用なんかから受ける印象だと6個くらいの音しかつかってない素朴でシンプルなものだというイメージだったので3度びっくり。

ソプラノが歌うメロディーが本当に切なくて、愛らしくて。何番かあって繰り返されると毎回それが増幅されます。もう2番くらいで歌詞もわからないのに泣きそうになったり・・・
ピアノのシンプルな伴奏が控えめで、メインの伴奏が合唱、というところもまたいろいろな切ない感情をあおるんですよねー。Muffled、というのがふさわしい形容詞でしょうか。押さえてるからこそソロの感情が引き立つみたいな。

そして音楽が純粋なんですよ。いつものショスタコの毒のあったりひねくれてたりするのではなくて素直に。
それはハーモニーにも現れています。でもロシア民謡自体もともと素朴なハーモニーですからね-。

言葉ではもう言い尽くせない何かが、ロシア語を知らなくともひしひしと伝わってくるこの曲。
この曲集にもロシア民謡全般にも興味を大変そそられることはもちろん、たまーに切なさを求めて聞いてしまいそうな曲です。

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「私の血にユダヤの血は流れていないが」
本当にいつからだったんだろう、と思います。

あ、いきなりすみません。
いえ、なにかに興味を持つプロセスって意外と複雑なんだな、と今日ふと思いまして。

10年生?かなんかの歴史の授業で第二次世界大戦について勉強しているときにリサーチ課題があって。いくつか選べるトピックの中から「アウシュヴィッツ強制収容所」を選んで当時マイブームだった(!?)Powerpointプレゼンテーションにまとめたことがあります。
そのときに調べて出てきたたくさんのこと、現在のアウシュヴィッツの写真、そしてプレゼンテーションに自分が作ったテンプレートの赤と黒の色彩が心に突き刺さって。
同じく10年生のReligious Studiesの授業では様々なメジャーどころの宗教のことを習って。そのうちユダヤ教に関しては結構地域的にわりと身近だったりしていろいろと不思議に思い興味を持ったことはあります。

さらに12年生の英語の授業でエリー・ウィーゼルの「夜」という、著者のユダヤ人としての強制収容所を生き延びた経験について綴られた本をじっくり勉強したことも大きかったです。

(ユダヤ教≠ユダヤ民族ですが「ユダヤ」というキーワードが心のどこかに引っかかったことは確かです)

音楽的にもユダヤ文化には惹かれるところがありまして。
ユダヤ音楽を元にした、または題材にした曲もいくつか弾いたことがあります。
例えばマーラーの交響曲第1番第3楽章の一部分とかなら小さい頃から知って親しんでますし、特にショスタコーヴィチにはまってからは彼はユダヤ民族とその音楽に強く心惹かれ引用したり影響されてたりしたので多少刷り込まれていたところもあると思います。

そして今書いているストーリーのうちの一つの構想中に意識的にまた一層興味を持ちつつあります。
最初はそういうことを考えていなかったんですが、ふとしたことからあるキャラがユダヤ民族・文化と深い関わりを持つことになって。なんか新しいアイディアを思いつくたびにつながりが強くなるもんですからもっと知りたい、と思うようになりました。

ショスタコーヴィチはちなみにユダヤ音楽について特別な思い入れがあったようで。
うろ覚えで要約すればこんな感じです:「ユダヤの音楽は笑いながら泣いている。迫害される苦しみ、つらさを泣いたり、語り合うことによってではなく、踊りや音楽に込めて表現する。」
彼自身政府の圧力をいやというほど感じていて、彼や他の音楽家たちがいた境遇をずっと味わっていたユダヤという民族に心を寄せていたらしいです。(そして優れた音楽家にはユダヤ人が多かったらしいですね)

ショスタコーヴィチの音楽を通して自分に染みこんだ、ショスタコの音楽の好きな部分のなかに「ユダヤ音楽のエレメント」が私に知らず入ってたのかどうか知らないんですけど、ユダヤ音楽の独特の(ショスタコが言うようなところ)スタイルというかなんというかが好きです。
暗くて、でもどこか陽気ででも陰気で、ひねくれて毒があって。

でもまだまだ自分の知っていることは上皮程度で、まだまだ民族・音楽の「心」の理解もまだ浅いと思い。
音楽に関してはクラシック音楽の中で、という形でのみ知っているのでこれから「民族音楽」としても知りたいな-と思います。
例えばまずクレズマーから始めたいですね。
他にもまだまだ勉強・・・したいな、と思ってます。

今日の一曲は上皮程度の知識と理解しかない私でもなにかその「心」の一部にちょっと近づけたかな?と思ったうちの一曲です。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 「バービ・ヤール」 第1楽章



バービ・ヤールとはドイツ軍によりユダヤ人が虐殺されたウクライナの谷の名前です。
この第1楽章はそれを題材としたエフゲニー・エフトシェンコの詩を歌詞として書かれています。
内容はロシアで反ユダヤの動きが強まる中、詩人自身がユダヤ人と心を同じくすることによって迫害を受けているというもの。
今回のエントリーのタイトルもその詩の一部で。
「ユダヤの血をひいていないけれどユダヤ人と心を同じくする」というのはショスタコーヴィチもそうでしたし、上記私のキャラにもそれは当てはまって。
それを意識する前も歌詞を見たとき心に突き刺さりました。

音楽もまたショスタコーヴィチ典型的な感じです。
なんと言っても最初の鐘の音の不吉さ、冷たさといったらたまりませんね。
ロシアの音楽の冷たさは臨場感があります。特にショスタコーヴィチのソヴィエトの冷たさは。
そして臨場感と言えば「恐怖」の臨場感もなかなかあります。
「恐怖にうちふるえる」メインテーマのトリル付、なんかはショスタコがよくやるテクニックですがこれもまたすばらしいです。

先ほどの鐘、男声合唱、そして重厚な金管のしっかりした魅力ももちろんですが、なにげにチェレスタがいるんですよね。
通の人はそこにもちょっと耳を傾けて欲しいです(チェレスタ推進委員(?)としては)

実はロシア語の歌詞と照らしあわせながら聴いたことないので今日あたりじっくり聴いてみたいと思います。

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テクノロジーパニックにより
今日はちょっとブログお休みさせていただきました。すみません。
新しいPCにしてからやらなくちゃやらなくちゃ、と思っていたのがipodの音楽を新しいPCに移すこと。
なんせ前のPCだと自分のipodに入っている曲が全部入らないので。
家にあるCD、両親の家にあるCD、大学で借りたCDなどいろいろ。

ついでにトラック名の取得なんかをやりなおしたりして、複数枚CDにまたがってる曲の表示が統一されるようにしたり・・・でもそれもなかなかうまくいかないものですね。
あと日本語とか、たまになぜか中国語で曲名が入ってるとぱっと見わかりにくいので、なるべく原語で、または英語で表示されるようにしている・・・はずですけど。

本当は日本の両親の家にあるレコードも聴けると良いな-とかおもったり。
結構あるみたいですからねー。ちなみにいま家にあるCDもほとんど両親が買った物。でも主に使ってるのは私なのでこっちに置いといてくれてるんです。

それでもまあ好みと優位性の関係でまだipodにも入れてなかった曲もあって、それも近いうちにPC→ipodに移したいですね。
ユースオケの演奏録音でしかない曲もあって、そういうのはGracenoteにもトラック名が乗ってないからいちいちインプット。
演奏的に良い物があったりするのでユースオケや大学のオケのコンサートのCDはただの思い出の品ではないですよ♪

まあこの作業のtediousさも含めていろいろ精神がお疲れ状態。
明日はもっといろいろとできるといいです。勉強も、家のことも、創作も・・・本だって読みたいですね。最近よんでません。
いつもこうやりたいことばっかりで疲れてますが、まだまだ元気でやれてる証拠です。こういうことでも自分の調子をモニターして・・・おっと、また話したいことができてしまう前に。
それではまた明日。

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Un, deux, trois
メシアンの話の続きが全くまとまってないのでとりあえず別の話を。

小さい頃・・・というか6歳から16歳?くらいまでバレエを習ってました。
得意だったことはありませんが、でもそれなりに楽しかったですし、学ぶことも多かったです。

バレエをやめてからもバレエには演奏を通じて縁があり。
ユースオケでチャイコフスキーの「白鳥の湖」(2回)と「くるみ割り人形」(先日話した諸事情でリハーサルのをみ)、そしてプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」をバレエ団と演奏しました。
踊り的によくても音楽的にいまいち・・・という曲が結構バレエではあるのですが、この3つだったらそんなことはありません。
ただ白鳥の湖だとストーリーにあんまり関係ない踊りは音楽がちょっと・・・もごもご・・・

白鳥の湖で見事だな-と思うのは一番最後のロットバルトとの戦い→勝利→湖の一連のつながりですね。
ちょっとありきたりなクライマックスにおもえますが、それでも流れのテンポとか、最後の湖の情景とかまるで映画を見ているよう。
でも私は第3幕でひっそり静まりかえった湖と悲しげな小白鳥の踊りの2曲が一番好きです。繊細すぎて壊れてしまいそうな、実に女性的な素敵な音楽です。

音楽と踊りがうまく相乗効果を及ぼしているのがプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」。
ロミオが死んだ(と思ってるけど本当は仮死状態の)ジュリエットを腕に抱いて踊るシーンでは友達が演奏の時つられて泣き出しそうだった、というほど。ロミオの乱れた心の動きが踊りと音楽で見事に表現されて私も大好きなシーンです。
そしてマーキューシオがティボルトに殺されロミオがその敵を討つシーンはばりばりにアクションシーンですし。
ただ舞台で悲しいことが起こっているときは音楽が盛り上がってるので奏者に関してはものすごく楽しんでます(笑)

あと振り付け自体なんかも一応興味があります・・・が、バレエを多く見る割にそういうことに対してあまり認識が薄かったのでどこから始めて良いやら。
とりあえずいろいろ聞きかじったり見かじったりしたことから個人的に興味を持ったのがニジンスキー(時代的にそこらへん好きです)、ベジャール、ボーンあたりですね・・・

あとは結構バレエの衣装もすきです。
白鳥の湖などでよく見る普通のチュチュはごわごわしててあんまり好きではないのですが(でも白鳥の湖のあのヘッドドレスは可愛い♪)、ロングドレス状のロマンチックチュチュはすきです。
その最たるものが昔からあこがれている「ジゼル」の亡霊(?)ウィリの女王、ミルタの真っ白なロマンチックチュチュ+羽根の形状の袖ですね。あれは本当に綺麗。

でも一番はニジンスキー版の「春の祭典」です。
振り付けと音楽の斬新さもさることながら、その民族衣装風の衣装にぞっこんです。
とくに生け贄の乙女の白いすとーんとしたワンピ+三つ編み付のヘッドドレス好きですね-。
体型カバー的な(もごもご)
結構でも似合うと思うんですよね。仮装やコスプレだったら着たいですよ。

バレエはあんまり深入りしたことないエリアなんですけど、先にリストしたような振り付け師の作品を知ったり、衣装の展示などを見たりして積極的にもっと知っていきたいなあーと思います。


今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー 「くるみ割り人形」より「ジンジャーかあさんと子供たち」



バレエってだいたいどの曲目をどの年代・レベルetc. のダンサーがやるというのが暗黙の了解的に決まってる曲目がどうもちょくちょくあるようで。
例えば「白鳥の湖」でのナポリのお姫様の踊りはだいたい小さめの子が踊りますし、とくに「くるみ割り人形」はその傾向が顕著で「アラビアの踊り(コーヒー)」だと年長の女性1人、男性2人で踊るのが典型的だったり、「中国の踊り(茶)」は日本人の子(アジアの中でもおそらくバレエ人口が多いのでしょう)が2人で踊るのが典型的。

そんななか「ジンジャーかあさんと子供たち」はちびっこ達の出番です!
私が経験した演奏の時はちびっこい子供達がみんな茶色の頭までかぶるタイプのジャンプスーツを身にまとって、胸にはカラフルなボタンが・・・これ、なにだかわかりますか?
クリスマスにはきっとつきもののジンジャーブレッドマンです♪(ご存じない方にはなによりも映画「シュレック」シリーズをおすすめします(笑))
余談ですが私の親友のうちでは毎年ジンジャーブレッドで人形ではなく家を制作するのが習慣となっております。

まるでマザーグースのようなメロディーが中間部で流れる中、オーブンから焼き上がったジンジャーブレッドマンたちが手を繋いででて来て踊り回るのはもちろん、公演の合間にジンジャーブレッドのメイクをして衣装を着たまま走り回る子供達のなんとかわいいことか(笑)

ただこれもいろんなプロダクションで違いがあって、子供達がジンジャーブレッドだったり、またはタイトルどおりそのまま子供達だったりするなどパターンはいくつかあります。
DVDをリンクとして埋め込みましたが私自身みたものではないので(バレエの話だからDVDのほうがいいかなーと思ったのみです)、このプロダクションではどうなってるかは私にはわかりません。すみません。

でも音楽も「くるみ割り人形」の中でもっとも夢ある音楽の一つではあると思うのでそちらの方も是非楽しんでください♪

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メシアン ~et moi~
今日はまあ練習でラヴェルとメシアンの調子が良かったです。
本当に好きで、自分の一部のように自然にくる音楽は(音楽的にです。指が回るかといえば回りません(笑))調子が良いと本当にテンションが急上昇して大変楽しかったですわ。

昔はでも先日話しましたようにメシアンが嫌いでした。
14歳くらいの時にピアノコンペで弾かれてたのを聴いてまあ嫌いになって。
今でもなんでそれくらいの歳(コンペの類はセクションごとに年齢制限があるのできっと同年代のはず)にメシアンを弾かせてさらにコンペにそれで望むというのが謎なんですが・・・
で、そのまま聴かずで嫌いだと思い込み。

大学に入ってから先生が「日本の作曲家の音楽を弾いたらどうか」というので武満徹の「遮られない休息」を弾くこととなり。全くの試行錯誤、わからないことだらけの日々で、自分が何を弾いているのか、それが音楽的に正しいのか、なにをするべきなのかまったくわからなくて、それでもいつか何かが身につくようになって。

「遮られない休息」を弾き終わったとき、武満が影響を受けたメシアンの音楽がどんなものなのか知りたくなって、改めてチャレンジしてみようと思い、先生の薦めで「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」を手に取ったわけです。

今までに「20のまなざし」のうち14曲(今弾いているのも併せて)、リズムエチュード1曲、「鳥のカタログ」から2曲・・・だけですかね、弾いているのは。
とりあえずこれからも20のまなざしはコンプリートするのが目標ですし、その他の曲もなるべく弾きたいですし・・・前奏曲に関してはまだ1曲も弾いてません。あれは聴いた印象よりも結構難しいぽいです。

メシアンの音楽は長調・短調とは違う調のシステムを使ったり、いろいろと曲のシンボリズムやリズムのシステムなどオリジナルな物が多いので、図書室やネットでそういうことの基本が書いてある本を読んだり、あとタイトルや楽譜内の指示などを片っ端からフランス語辞書で弾いたり。
そして「20のまなざし」を弾くと決めたとき大学の図書室からユヴォンヌ・ロリオ、ロジェール・ムラロ、そしてマイケルの録音を借りて(後にミシェル・ベロフの録音も買いました)いろんな解釈の違いを聞き比べたり、ハーモニーの色彩を頭にたたき込んだり。

大学のピアノの一番偉い先生はあんまり自分の弾いている曲の習い始めに別の演奏家の録音を聴かないよう言いますが・・・解釈などどうしても影響を受けてしまう、というのがその理由らしく。
でも、メシアンなど現代音楽はいくら聴いてもあんまり影響を受けるようなことはあんまりなく(自然と自分の道を行ってしまう)、それに目で複雑なコードを読むよりも耳で(音の色彩で)覚えてあとは手の形の筋肉の記憶で確かな物にする方が確実だったので。

そうこうして最初は慣れないエリアだったのが努力でいつしかカンが聞くようになってきて。
一見不協和音と思える和音もメシアンが感じていたのにはかないませんが独特の色彩を感じられるようになり、リズムも自然と感じられるようになり。
大学でもメシアン弾きとして知られるようになり、マイケルからも直々レッスンを受けたりして。

私もマイケルも無神論者なのにメシアンの音楽にはものすごく惹かれるのが不思議なところ。(マイケルは私の知っている人のなかで一番そっちに傾いてます)
音楽は文化だけではなく信仰の違いも超えるんですね。(もちろんそれをオープンに受け入れる心も重要ですが)

本当に大事な物に、自分に近しい音楽にこの数年でなりました。
今年再開するまで1年以上ピアノから離れていても、あまりレベルを後退することなく、実際ピアノから離れる前次弾いてもいいかなと思っていた曲から再開できたのは本当にうれしかったです。(他の作曲家はそうはいかなかったですからね)
ああ、覚えていたんだこの感じ、忘れずに自分のどこかにちゃんと自分の一部として残っていたんだ・・・と。
なんせ先日話したとおりメシアンの音楽は私にとって「恋人」の様なもの。
ドラマや漫画や小説でよくきく台詞ですが、本当に心から「今度こそは離しません」と誓いました。

もちろん1年以上離れていた前に弾いていた曲はちゃんとそのうち復習しなきゃ弾けるとはいえませんしね。
実は初見よりも長い間離れていた曲を再開するのが苦手だったりするので・・・

いま「20のまなざし」の中の第15番「幼子イエスの口づけ」を弾いていますが今日やっと「あとちょっと!」と思える様になったので実はもう次に何を弾こうか楽しみで(笑)取らぬ狸の皮算用とはいいますが楽しみにすることは良いことだと思いますし♪
「20のまなざし」から小さめの曲で1個新しいの、1個前弾いたのを弾くというのがプラン1。

今年の誕生日プレゼントは両親に「鳥のカタログ」の第3巻を買ってもらおうかと思います。
前弾いた「モリヒバリ」をもう一回弾いたり、新しく「モリフクロウ」(実物かわいいですね、モリフクロウ!掛川花鳥園に居ましたよ!)を弾いたりがちょうどいいかなーなんと思ったり。

大学在学中と同じくらいメシアン中心の生活をおくりたいなあ~と願ってます♪

今日は私とメシアンの音楽のつながりの話だけでこれだけ書いてしまったのでまた別の機会にメシアンの音楽そのものについてちゃんと話したいと思います。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第15曲「幼子イエスの口づけ」



自分が実際に所有しているベロフの演奏を選んでみました~♪演奏もさながらこのCDジャケットも素敵です。

15番は・・・この20のまなざしで主として使われている「神の主題」をもっとも音楽的に豊かに応用した曲。
第1番みたいにストレートに使ってるとあんまり楽しくないのですが(!)この曲はそういうメカニックスもちゃんとしながら音楽的にもとても美しく、動く宗教画のように描かれた素敵な音楽です。

物語の様になっているこの曲、若くして神に仕えそして若くして亡くなった「幼きイエスのテレジア」との異名を持つリジューの聖テレジアの自伝にあるエピソードから来ています。
幼子イエスの眠り、子守歌を表す「眠り」の箇所から、同じ音楽で動きを増し、そしてイエスが扉を開けた向こうにある「庭」、そして「差し出された腕」による抱擁、神の愛に満ちた「口づけ」とその後「口づけの影」・・・
かぎかっこでくくったタイトルは実際に楽譜のそれぞれのセクションに書き入れてあり、まるで映画のコンテのような楽譜でもあります。

本当にロマンチックなんですよ。最初の子守歌の安らかさからの徐々な盛り上がりもそうですし、「口づけ」のところの天国的な高揚もそうですし、でも一番私が好きなのは最後の「口づけの影」の余韻の美しさ。

一応宗教音楽なので罰当たりなことは言いたくないんですがなんか曲の構成的に夜の営みに似たところがあると思います。メシアンの音楽では聖なる高揚というかそういうものがよくあるんですが結構そのロマンチックないろいろと重なるところもあるので聴くときにあんまり宗教音楽として構えないで聴いて欲しいですね。

もうちょっとで弾けるようになるこの曲、これからもがんばっていきたいです♪

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