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今年も弾いてきました&無事終わりました。
St. Mark's in Spotswoodでのコンサート(ソロ+伴奏)やってきましたー。
弾く前にちょっとしゃべらなきゃいけなかったり(&それで噛んだり)、ピアノがかなり小さかったりなんだりしましたがまあまあ弾けました。シューベルトの「水の上で歌う」とメシアンの前奏曲第8番「風の反映」、そして伴奏はモーツァルトのフルートとオケのためのアンダンテ。
とりあえずシューベルトがそこそこ焦らないテンポで弾けたのはやっとのことでブレイクスルーかも。何があってもとりあえず一つ一つ音を弾くことを今後でもできたらいいなあ・・・というよりはメシアンでももちょっとできたらよかったな。勢いでいける曲ではあるんだけどちょっと雑だった。
ただペダルを踏んで足が震えるのが一番困る。普段から人前で演奏してないからなあ。でも今回は前の日にお隣さんに聴いてもらったりしてそれが良い方に効いてはいたんですが。色々維持が難しくなってきてるかも。
去年書いたか分からないのですが今回弾いた教会は結構建物が新しくて施設もきれいでスペースも結構あるのですが複数団体でシェアして利用しているらしく。
その一つの団体がAustralian Zotung Churchという団体で、なんでもミャンマーの多数ある少数民族Zotungの人々のキリスト教教会の集まりだそうで。今回歌と踊りを若い人たち数人で(伝統衣装で)披露したのですが最初ベトナムでもないしタイとも違うしなんか歌詞ファイルに見たことない文字が書いてあるしなんだろうと思ってたらそういうことらしかったです。
メルボルンには中国系、韓国系など地域によってキリスト教の教会でも特定民族に特化してるのがあるのも面白いですね。それでも学校に居た頃住んでた方(&親友がコンサート弾く教会がある方)だとほとんど白人ですし。
あ、あと地域色といえばこのSt. Mark's Spotswoodはコンサートの運営とかにしても若い人がアクティブで面白い。教会の集まりっていうとかなり年配の人が多いイメージがあるので。
ということで何はともあれ今年もなんとかおつとめ(?)を済ませました。
嬉しいお言葉もたくさん頂きなによりメシアンを(あんな雑な演奏だったのに)気に入ってくれたという人達もいて大変ありがたい。それが主目的なので(笑)ストックが続く限りはちょこちょこメシアン出していきたいなあ。ピアノが小さかったりして音量が頭打ちになったりして難しいのは承知なんですが。
それで昨日はシティの向こう側で5時開演だったので終わったら早々に会場を後にしてシティでご飯食べて家に帰って(それでも9時とかだった)自分で混ぜたジントニック(ジンがおそらく多かった)で潰れるほど酔いながらめでたくポケモンのウルトラムーンをプレイし始めて。
今日もちょっと仕事があった以外はピアノも休みでじっくり遊んでました。たまにはゆっくりしないと。
明日からは前弾いてたレパートリーさらったりしながら新しいレパートリーにとりかかる予定。
そちらの話もまた。あとウルトラの話もまた。
今日の一曲: クロード・ドビュッシー 「シランクス」
自分が弾いてないけどコンサートで演奏された曲を紹介。このコンサートを主催してる大学の友人のフルート吹きがトリで弾いた無伴奏の曲です。
ピアノとかオルガンとかハープとか以外の曲で無伴奏の曲を書くとなると大体音楽に厚みを持たせるためにどうするか、という課題が出てくると思われます。弦楽器は同時に4つ音を弾くことができますが管楽器だと特殊奏法無しでは基本一度に1つしか音が出せない。
しかもフルートという楽器は音域の下限がピアノでいう真ん中のド周りくらいなので全体的に音が高くなるのでそういう意味でも厚みが出しにくい楽器。しかも音質もふかふかというかairyで。
でも神話とか絵画とかだと横笛無伴奏はよくあるんですよね。なんというかちょっとロマンというか。鳥が鳴くのを単旋律と考えればさえずりに相当するとも言えるかなあ。でもそれでもほとんどの場合背景に人の声とか他の鳥とか何やらの環境音がある想定である場合が多いと思うのです。
オケだとラヴェルのダフニスとクロエのソロなんかフルートの独擅場みたいな感じではありますがそれでもオケがさりげなくしっかり支えてますしね。
ということでこのフルート一本でコンサートという静寂の中でこういう曲を弾くのって勇気がいるなあと思います。大きい演奏場所だとあの音一つでホールを満たさなきゃならないし、色々難しそう。でもこんなにじっくりフルートの音色の一番繊細なところまで聴けるのはかなり贅沢とも言えるかも?
リンクしたのはメル響との共演で生でモーツァルトの協奏曲を聴いたことがあるEmmanuel Pahudの演奏。あの人すごいですね。出てくる音一つ一つがものすごく自然というか何かユーモアのあるスピリットが宿ってるしっかりした音で。ようつべで前述のダフクロのソロとか聴いてみたらびっくりしました。これなんですけどね。時空を超えてこの人のために書かれてる?みたいな錯覚までしそう。
St. Mark's in Spotswoodでのコンサート(ソロ+伴奏)やってきましたー。
弾く前にちょっとしゃべらなきゃいけなかったり(&それで噛んだり)、ピアノがかなり小さかったりなんだりしましたがまあまあ弾けました。シューベルトの「水の上で歌う」とメシアンの前奏曲第8番「風の反映」、そして伴奏はモーツァルトのフルートとオケのためのアンダンテ。
とりあえずシューベルトがそこそこ焦らないテンポで弾けたのはやっとのことでブレイクスルーかも。何があってもとりあえず一つ一つ音を弾くことを今後でもできたらいいなあ・・・というよりはメシアンでももちょっとできたらよかったな。勢いでいける曲ではあるんだけどちょっと雑だった。
ただペダルを踏んで足が震えるのが一番困る。普段から人前で演奏してないからなあ。でも今回は前の日にお隣さんに聴いてもらったりしてそれが良い方に効いてはいたんですが。色々維持が難しくなってきてるかも。
去年書いたか分からないのですが今回弾いた教会は結構建物が新しくて施設もきれいでスペースも結構あるのですが複数団体でシェアして利用しているらしく。
その一つの団体がAustralian Zotung Churchという団体で、なんでもミャンマーの多数ある少数民族Zotungの人々のキリスト教教会の集まりだそうで。今回歌と踊りを若い人たち数人で(伝統衣装で)披露したのですが最初ベトナムでもないしタイとも違うしなんか歌詞ファイルに見たことない文字が書いてあるしなんだろうと思ってたらそういうことらしかったです。
メルボルンには中国系、韓国系など地域によってキリスト教の教会でも特定民族に特化してるのがあるのも面白いですね。それでも学校に居た頃住んでた方(&親友がコンサート弾く教会がある方)だとほとんど白人ですし。
あ、あと地域色といえばこのSt. Mark's Spotswoodはコンサートの運営とかにしても若い人がアクティブで面白い。教会の集まりっていうとかなり年配の人が多いイメージがあるので。
ということで何はともあれ今年もなんとかおつとめ(?)を済ませました。
嬉しいお言葉もたくさん頂きなによりメシアンを(あんな雑な演奏だったのに)気に入ってくれたという人達もいて大変ありがたい。それが主目的なので(笑)ストックが続く限りはちょこちょこメシアン出していきたいなあ。ピアノが小さかったりして音量が頭打ちになったりして難しいのは承知なんですが。
それで昨日はシティの向こう側で5時開演だったので終わったら早々に会場を後にしてシティでご飯食べて家に帰って(それでも9時とかだった)自分で混ぜたジントニック(ジンがおそらく多かった)で潰れるほど酔いながらめでたくポケモンのウルトラムーンをプレイし始めて。
今日もちょっと仕事があった以外はピアノも休みでじっくり遊んでました。たまにはゆっくりしないと。
明日からは前弾いてたレパートリーさらったりしながら新しいレパートリーにとりかかる予定。
そちらの話もまた。あとウルトラの話もまた。
今日の一曲: クロード・ドビュッシー 「シランクス」
自分が弾いてないけどコンサートで演奏された曲を紹介。このコンサートを主催してる大学の友人のフルート吹きがトリで弾いた無伴奏の曲です。
ピアノとかオルガンとかハープとか以外の曲で無伴奏の曲を書くとなると大体音楽に厚みを持たせるためにどうするか、という課題が出てくると思われます。弦楽器は同時に4つ音を弾くことができますが管楽器だと特殊奏法無しでは基本一度に1つしか音が出せない。
しかもフルートという楽器は音域の下限がピアノでいう真ん中のド周りくらいなので全体的に音が高くなるのでそういう意味でも厚みが出しにくい楽器。しかも音質もふかふかというかairyで。
でも神話とか絵画とかだと横笛無伴奏はよくあるんですよね。なんというかちょっとロマンというか。鳥が鳴くのを単旋律と考えればさえずりに相当するとも言えるかなあ。でもそれでもほとんどの場合背景に人の声とか他の鳥とか何やらの環境音がある想定である場合が多いと思うのです。
オケだとラヴェルのダフニスとクロエのソロなんかフルートの独擅場みたいな感じではありますがそれでもオケがさりげなくしっかり支えてますしね。
ということでこのフルート一本でコンサートという静寂の中でこういう曲を弾くのって勇気がいるなあと思います。大きい演奏場所だとあの音一つでホールを満たさなきゃならないし、色々難しそう。でもこんなにじっくりフルートの音色の一番繊細なところまで聴けるのはかなり贅沢とも言えるかも?
リンクしたのはメル響との共演で生でモーツァルトの協奏曲を聴いたことがあるEmmanuel Pahudの演奏。あの人すごいですね。出てくる音一つ一つがものすごく自然というか何かユーモアのあるスピリットが宿ってるしっかりした音で。ようつべで前述のダフクロのソロとか聴いてみたらびっくりしました。これなんですけどね。時空を超えてこの人のために書かれてる?みたいな錯覚までしそう。
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
書こう書こうとは思ってなかったのですが今週の日曜日、去年と同じSt. Mark's Spotswoodという教会(シティの西向こう側)で10分ほど弾いてあと伴奏も一つしてきます。
大学時代の知り合いのつてで、自分にとっては知らない人ばかりの聴衆だったのですがものすごく暖かく迎えられて今回も弾くことに。シューベルトの「水の上で歌う」(リスト編曲)とメシアンの前奏曲第8番「風の反映」を演奏予定です。
3日前となるとさすがに緊張感は追いついてきましたがなんか「未知の領域」的な感じがぬぐえない。弾き始めてから緊張がくるのは分かってるのですがそれがどうくるかどういう影響があるかどんなくらい緊張するのか全然分からない。たまにしか人前で弾かないと感覚が鈍くなるんだよなー。
前回(まなざし15番)は楽譜ありで弾いたのですが今回は2曲とも暗譜です。そのこと自体に関してはそんなに心配はしてない・・・かなあ。どっちの曲も繰り返すパッセージがちょろっとあるので迷子にならなければなんとか。
そして人前で弾くにもやっぱりメシアンが一番安定しますね。「これは自分の強み!」という暗示に近いものもありますがやっぱりメシアンの音楽が一番自分に馴染むし力になってくれる。今回のシューベルトだって自分にかなり合う(&演奏可レパートリーに加えたい)曲だと思うんですが格がどうしても違うみたいで。
「風の反映」はメシアンにはちょっと珍しく曲調がParty pieceといって良いほどかっこいい&盛り上がる曲なので聴衆ウケ狙ってます。メシアンを好きな人がまた増えますように。
さらに日曜日に弾きはしないのですがその2曲と同等に扱ってきたラヴェルの夜のガスパール「絞首台」も演奏の2曲と同じタイミングで終わりにするつもりでいます。これも自分に合う良い曲だった。多分今でも間違って読んでる音あると思うのですが(汗)それはまた次回出会ったときに。色々良い意味で「気持ち悪い」曲(特にラヴェルとしては珍しい)ですごく好きだったのでその気持ち悪さが何より恋しいです。なんか他に気持ち悪いとこある曲あるかなあ。
ちょっと早めではあるのですが演奏後のレパートリーも結構考え始めています。
夏が来てるのもあったり復習したい曲も色々あるので心持ち的に新しい曲はがっつり一新したい。
まず決まってるのは鳥カタの新しいやつ。一応候補はあります。もちろんあの27分の長いやつ以外ですが、それでも難しいのが残ってます。
あとは全く新しいor自分には珍しい作曲家を選んでみようかと。前者は手持ちにある楽譜だとグラナドスとか(他は探してこないと?)、後者だとスカルラッティとかハイドンとか。Darknesse Visibleから繋がってバロック以前でなんかさがすのもいいかも?あとリストの編曲で他に面白い物があるかな(ほんと色々編曲してるもんなああの人)。
あとはちょっと規模大きめとしてはラヴェルの「鏡」(5曲だっけ)をさらい直したり、あとシューベルトのハ短調ソナタに挑んでみるつもりでいます。あのソナタは前「これものすごい勢いで色んな調使ってるじゃん」という発見があってから一度ちゃんとこの手で触れて向き合ってみようと思ってたので。規模も難易度もちょっと自分に釣り合ってないとは思いますがとりあえずチャレンジあるのみ。
ということであとは明日、明後日(ちょいと)練習して日曜日の現地でのリハーサルしてなんとかなるといいなあ。それなりに弾けるといいな、くらいに思っておきます。
そういえば本番で着る服も用意しとかないと。オケもソロも本番はずっと寒めの日が多かったのですが日曜日は右肩上がりの28度だそうで。そこもちょっと楽しみです。
今日の一曲は・・・例の2曲+1曲が比較的最近紹介しててあんまり新しく言うことがなかったので他の曲に、と思ったら他の曲のことをそんなに考えてなかったのでお休み。
書こう書こうとは思ってなかったのですが今週の日曜日、去年と同じSt. Mark's Spotswoodという教会(シティの西向こう側)で10分ほど弾いてあと伴奏も一つしてきます。
大学時代の知り合いのつてで、自分にとっては知らない人ばかりの聴衆だったのですがものすごく暖かく迎えられて今回も弾くことに。シューベルトの「水の上で歌う」(リスト編曲)とメシアンの前奏曲第8番「風の反映」を演奏予定です。
3日前となるとさすがに緊張感は追いついてきましたがなんか「未知の領域」的な感じがぬぐえない。弾き始めてから緊張がくるのは分かってるのですがそれがどうくるかどういう影響があるかどんなくらい緊張するのか全然分からない。たまにしか人前で弾かないと感覚が鈍くなるんだよなー。
前回(まなざし15番)は楽譜ありで弾いたのですが今回は2曲とも暗譜です。そのこと自体に関してはそんなに心配はしてない・・・かなあ。どっちの曲も繰り返すパッセージがちょろっとあるので迷子にならなければなんとか。
そして人前で弾くにもやっぱりメシアンが一番安定しますね。「これは自分の強み!」という暗示に近いものもありますがやっぱりメシアンの音楽が一番自分に馴染むし力になってくれる。今回のシューベルトだって自分にかなり合う(&演奏可レパートリーに加えたい)曲だと思うんですが格がどうしても違うみたいで。
「風の反映」はメシアンにはちょっと珍しく曲調がParty pieceといって良いほどかっこいい&盛り上がる曲なので聴衆ウケ狙ってます。メシアンを好きな人がまた増えますように。
さらに日曜日に弾きはしないのですがその2曲と同等に扱ってきたラヴェルの夜のガスパール「絞首台」も演奏の2曲と同じタイミングで終わりにするつもりでいます。これも自分に合う良い曲だった。多分今でも間違って読んでる音あると思うのですが(汗)それはまた次回出会ったときに。色々良い意味で「気持ち悪い」曲(特にラヴェルとしては珍しい)ですごく好きだったのでその気持ち悪さが何より恋しいです。なんか他に気持ち悪いとこある曲あるかなあ。
ちょっと早めではあるのですが演奏後のレパートリーも結構考え始めています。
夏が来てるのもあったり復習したい曲も色々あるので心持ち的に新しい曲はがっつり一新したい。
まず決まってるのは鳥カタの新しいやつ。一応候補はあります。もちろんあの27分の長いやつ以外ですが、それでも難しいのが残ってます。
あとは全く新しいor自分には珍しい作曲家を選んでみようかと。前者は手持ちにある楽譜だとグラナドスとか(他は探してこないと?)、後者だとスカルラッティとかハイドンとか。Darknesse Visibleから繋がってバロック以前でなんかさがすのもいいかも?あとリストの編曲で他に面白い物があるかな(ほんと色々編曲してるもんなああの人)。
あとはちょっと規模大きめとしてはラヴェルの「鏡」(5曲だっけ)をさらい直したり、あとシューベルトのハ短調ソナタに挑んでみるつもりでいます。あのソナタは前「これものすごい勢いで色んな調使ってるじゃん」という発見があってから一度ちゃんとこの手で触れて向き合ってみようと思ってたので。規模も難易度もちょっと自分に釣り合ってないとは思いますがとりあえずチャレンジあるのみ。
ということであとは明日、明後日(ちょいと)練習して日曜日の現地でのリハーサルしてなんとかなるといいなあ。それなりに弾けるといいな、くらいに思っておきます。
そういえば本番で着る服も用意しとかないと。オケもソロも本番はずっと寒めの日が多かったのですが日曜日は右肩上がりの28度だそうで。そこもちょっと楽しみです。
今日の一曲は・・・例の2曲+1曲が比較的最近紹介しててあんまり新しく言うことがなかったので他の曲に、と思ったら他の曲のことをそんなに考えてなかったのでお休み。
前回のエントリーに拍手どうもです~
今はあれほどではないものの未だに調子の悪さは続いています。
休むことができないスケジュールは果たして吉になってるのか凶になってるのか。
そんななかで昨日は一日休みの日でした。暑い日は外に出ないとですよ。
友人と海の近く(久々のSt. Kilda!)でランチしてから新しい万年筆・文具関連の店とかなんか大幅に品数が増えてるダイソーとかでちょっと買い物を済ませたり。
そこから夕方は久しぶりのコンサートに行って来ました。例のPlexusです。
Plexus: Prophecy
Stefan Cassomenos(ピアノ)、Monica Curro(バイオリン)、Philip Arkinstall(クラリネット)
Christian O'Brien「Newid Gwyntoedd」
Christine McCombe「finding what's there」
Bright Sheng「Tibetan Dance」
(休憩)
Brenton Broadstock「This Everlasting Silence」
リヒャルト・シュトラウス「四つの最後の歌」(ソプラノ:Deborah Cheetham、チェロ:Michelle Wood、コントラバス:Damien Eckersley)
例によってバラエティに富んで複数世界初演ありの1時間ちょいでしたがシュトラウスが最後に来るとその前にどんな素晴らしい現代作品が来てもふっとんでしまう的なところがあるんですよねもう!ある程度そこは意識して注意して聞いてたんですが、それでも不可避だったようで(そして私だけじゃないようで)。
3曲目のチベットの踊り(not初演)は第3楽章が実際のチベットの踊りをベースに書かれてるらしく(なんでも作曲家のShengさんが若いとき住んでたとか)、そちらの方面の音楽に出会うのが面白かったです。三国志関連から「中国の文化とは」みたいなことを考えることがよくあるのですがなんとなく自分の中の「中国周りの文化」の絵にピースが1つ増えた気がします。この場合キーはリズムですね。
そしてBroadstockの作品は今回初演だったのですが、最近亡くなった元弟子の作曲家(前私も追悼行った人です)と息子さんに向けて書かれた哀歌だったそうで。Broadstockさん演奏終わりに泣いてました。それだけ渾身というか、逆に言えばその喪失がどれだけ作曲に重く影響を与えたか。そして改めてクラシック音楽が今の形になってから楽器ソロでも歌曲でもオケでもなく「室内楽」というジャンルが作曲家のパーソナルな側面と表現において重要な役割をずっと担っているなんだなということを実感。
ところでシュトラウスですが前のマーラー「亡き子を偲ぶ歌」と同じくオケ歌曲をピアノ友人が編曲してソプラノ・ピアノ・バイオリン・クラリネット・チェロ・コントラバスの編成でした。(風の便りに作曲とかも忙しそうなことを聞くけど編曲までやって大変だよなー)
室内楽ならではのこぢんまりした感じがあってよかったと思うのですが弾く方はかなり「密」かつ「多」だったようで。そりゃあシュトラウスのオケ曲の編曲だもんなあ。色んな意味で「マーラーの大地の歌も聴きたい」なんて口が裂けても言えませんわ。
もうお気づきかもしれませんがPlexusのMelbourne Recital CentreでのコンサートはPで始まる題が付いてるのですが、来年は(すでに来年のスケジュールが決まってるらしいです)6月と12月に2階あるコンサートのタイトルがそれぞれParallel(平行)とPerpendicular(垂直)でちょっとくすっと笑いました。でも2回しかないということをちょいと心配せにゃならぬところですよここは(今年は3回あったはず)。
来年は女性作曲家の割合もちょっと増えてるみたいでそこ含めてどんな音楽に会えるか楽しみです。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 「四つの最後の歌」より「夕映えの中で」
以前も書いたと思いますが私はクラシック音楽ではほぼどんな作曲家も「晩年の作品フェチ」みたいなところがありまして、それは意識しなくても晩年の音楽を好いてしまうということもあれば晩年の音楽を追い求めてしまうところもあり。
ただシュトラウスの晩年の曲ってなにかすごく特別なものがある気がします。昨日のコンサート終わりで「シュトラウスみたいに変調できる作曲家は他にいない!」って感嘆してた人がいました晩年のその成熟した色彩扱いは見事というしかない。
4つの歌全部が「死」を扱う歌詞なのですが、色んな作曲家が晩年において死をどう見てるかってのはじっくり触れて比べてみると面白いです。マーラーだったりショスタコだったりシューベルトだったり、みんな何かこうたどり着いているところがあって。
特にシュトラウスは戦後のメタモルフォーゼンの存在を考えると面白い。なんか今回このlast of lastである「夕映えの中で」を聞いて「国破れて山河あり」という言葉が頭をよぎりました。諸々あったけどこの曲のオケ(器楽)部分にこれまでの作品より何より山と自然に見守られているのを感じます。山に戻ってきて、ここにたどり着いて本当によかったなあという思いでいっぱいになる音楽ですね。
さて不勉強につきここらへんの歌曲って誰の演奏がいいのかちょっとわからなくてAmazonでリンクする録音を探してみたんですけどシュワルツコップさんの演奏が多いながら録音が古いのがちょっと自分には聞きにくいので新しめの録音にしてみました。
またオケ版も聞ける機会が来るといいなー
今はあれほどではないものの未だに調子の悪さは続いています。
休むことができないスケジュールは果たして吉になってるのか凶になってるのか。
そんななかで昨日は一日休みの日でした。暑い日は外に出ないとですよ。
友人と海の近く(久々のSt. Kilda!)でランチしてから新しい万年筆・文具関連の店とかなんか大幅に品数が増えてるダイソーとかでちょっと買い物を済ませたり。
そこから夕方は久しぶりのコンサートに行って来ました。例のPlexusです。
Plexus: Prophecy
Stefan Cassomenos(ピアノ)、Monica Curro(バイオリン)、Philip Arkinstall(クラリネット)
Christian O'Brien「Newid Gwyntoedd」
Christine McCombe「finding what's there」
Bright Sheng「Tibetan Dance」
(休憩)
Brenton Broadstock「This Everlasting Silence」
リヒャルト・シュトラウス「四つの最後の歌」(ソプラノ:Deborah Cheetham、チェロ:Michelle Wood、コントラバス:Damien Eckersley)
例によってバラエティに富んで複数世界初演ありの1時間ちょいでしたがシュトラウスが最後に来るとその前にどんな素晴らしい現代作品が来てもふっとんでしまう的なところがあるんですよねもう!ある程度そこは意識して注意して聞いてたんですが、それでも不可避だったようで(そして私だけじゃないようで)。
3曲目のチベットの踊り(not初演)は第3楽章が実際のチベットの踊りをベースに書かれてるらしく(なんでも作曲家のShengさんが若いとき住んでたとか)、そちらの方面の音楽に出会うのが面白かったです。三国志関連から「中国の文化とは」みたいなことを考えることがよくあるのですがなんとなく自分の中の「中国周りの文化」の絵にピースが1つ増えた気がします。この場合キーはリズムですね。
そしてBroadstockの作品は今回初演だったのですが、最近亡くなった元弟子の作曲家(前私も追悼行った人です)と息子さんに向けて書かれた哀歌だったそうで。Broadstockさん演奏終わりに泣いてました。それだけ渾身というか、逆に言えばその喪失がどれだけ作曲に重く影響を与えたか。そして改めてクラシック音楽が今の形になってから楽器ソロでも歌曲でもオケでもなく「室内楽」というジャンルが作曲家のパーソナルな側面と表現において重要な役割をずっと担っているなんだなということを実感。
ところでシュトラウスですが前のマーラー「亡き子を偲ぶ歌」と同じくオケ歌曲をピアノ友人が編曲してソプラノ・ピアノ・バイオリン・クラリネット・チェロ・コントラバスの編成でした。(風の便りに作曲とかも忙しそうなことを聞くけど編曲までやって大変だよなー)
室内楽ならではのこぢんまりした感じがあってよかったと思うのですが弾く方はかなり「密」かつ「多」だったようで。そりゃあシュトラウスのオケ曲の編曲だもんなあ。色んな意味で「マーラーの大地の歌も聴きたい」なんて口が裂けても言えませんわ。
もうお気づきかもしれませんがPlexusのMelbourne Recital CentreでのコンサートはPで始まる題が付いてるのですが、来年は(すでに来年のスケジュールが決まってるらしいです)6月と12月に2階あるコンサートのタイトルがそれぞれParallel(平行)とPerpendicular(垂直)でちょっとくすっと笑いました。でも2回しかないということをちょいと心配せにゃならぬところですよここは(今年は3回あったはず)。
来年は女性作曲家の割合もちょっと増えてるみたいでそこ含めてどんな音楽に会えるか楽しみです。
今日の一曲: リヒャルト・シュトラウス 「四つの最後の歌」より「夕映えの中で」
以前も書いたと思いますが私はクラシック音楽ではほぼどんな作曲家も「晩年の作品フェチ」みたいなところがありまして、それは意識しなくても晩年の音楽を好いてしまうということもあれば晩年の音楽を追い求めてしまうところもあり。
ただシュトラウスの晩年の曲ってなにかすごく特別なものがある気がします。昨日のコンサート終わりで「シュトラウスみたいに変調できる作曲家は他にいない!」って感嘆してた人がいました晩年のその成熟した色彩扱いは見事というしかない。
4つの歌全部が「死」を扱う歌詞なのですが、色んな作曲家が晩年において死をどう見てるかってのはじっくり触れて比べてみると面白いです。マーラーだったりショスタコだったりシューベルトだったり、みんな何かこうたどり着いているところがあって。
特にシュトラウスは戦後のメタモルフォーゼンの存在を考えると面白い。なんか今回このlast of lastである「夕映えの中で」を聞いて「国破れて山河あり」という言葉が頭をよぎりました。諸々あったけどこの曲のオケ(器楽)部分にこれまでの作品より何より山と自然に見守られているのを感じます。山に戻ってきて、ここにたどり着いて本当によかったなあという思いでいっぱいになる音楽ですね。
さて不勉強につきここらへんの歌曲って誰の演奏がいいのかちょっとわからなくてAmazonでリンクする録音を探してみたんですけどシュワルツコップさんの演奏が多いながら録音が古いのがちょっと自分には聞きにくいので新しめの録音にしてみました。
またオケ版も聞ける機会が来るといいなー
長かったオケのコンサートの期間が無事終わりました。
Zelman Memorial Symphony Orchestraコンサート
2017年9月17日(日)午後2時開演
Hamer Hall
指揮:Mark Shiell
合唱指揮:Nicholas Cowall
ゲスト・コンサートマスター:Wilma Smith
プログラム:
Harry Sdraulig オーケストラのための「Crossway」(世界初演)
Elena Kats-Chernin フルート協奏曲「Night and Now」(フルート:Sally Walker)
(休憩)
メモリアルセレモニー(後述)
ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス・バリトン:Adrian Tamburini)
朝からリハーサルに行く途中に腹を壊すなどのアクシデントもありましたが無事到着&回復しました。(あと本番前に隣の隣でやってるNGV北斎展見るつもりでしたがさすがに日曜日は混んでたー明日行けるかな)
Hamer Hallは何年ぶりだろう、少なくとも改装前になるので色々新鮮でした。なんか自分にとっては「ひみつきち」なんですよね。わくわくするし心地よい場所。これから戻ってくることはあるのかどうか。(あとArts Centre各施設は裏舞台ツアーなんかもあるのですがHamer Hallもあったっけ)
いつものリハーサル場所からHamer Hallだとものすごい音響に差があったりそういうとこで戸惑うことも多々あったのですが(ミクロレベルでいうと私もパートのキューを書き換えたりしてました)、本番ではびっくりするくらいの仕上がりに。
音響に慣れたってのもあると思うのですが上記メモリアルセレモニーも一役買ってるんじゃないかと思われ。
メモリアルセレモニーというのは今回弾いたショスタコの交響曲の題材となったバビ・ヤールの虐殺に対してのものでした。
今回のこのコンサートにその虐殺の数少ない生存者(オーストラリアに住んでるそう)が来ていることへのacknowledgement、その事件の経緯についての話、それから第1楽章の歌詞にもなっているYevgeny Yevteshenkoの詩「バビ・ヤール」の朗読、そして死者を弔うユダヤ教の祈り「カディッシュ」をラヴェルが音楽にしたものの演奏という流れでした。
伝統的にカディッシュの詠唱(でいいのかな)の時は起立するそうで起立して聴いたのですがものすごいパワフルでしたね。曲は知ってるのですがバイオリン版、フルート版、ソプラノ版しか聴いたことがなくて今回はバス版だったのですが、音域・調・声質の関係でものすごいヘブライ風味が強くてintenseで。多分これでオケと合唱と一つになったんじゃないのかな、と思ってます。
自分の演奏の方はというとCrosswayでなぜか一オクターブ低く始めようとしたり最後のチェレスタのソロもうちょっと音量だせたかもしれなかったことなどありましたがだいたい良かったです。でもショスタコがもう終わりだということがちょっと信じられないくらいで。合唱とのリハーサルが2回しかなかったってのも大きいのかな。ちょっと寂しいしもっとショスタコ弾きたいです。
そして今回ピアノとチェレスタのパートが弾けたという貴重な機会だけでなく人間が移動して伝え影響する人生と文化の縁の交差点(「Crossway」ですね)に居ることができたのが不思議で。自分の人生の中でも無二の経験だと思います。
次オケで弾けるのはいつかなーと思いつつとりあえず次は日本の旅の準備。こっちも色々内容たっぷりになりそうなので楽しみです。詳細はまたおいおい。
今日の一曲: ラヴェル 「2つのヘブライ歌曲」より第1曲「カディッシュ」
ラヴェルといえばスペインへの音楽的コネが印象強くてこの2つの歌曲以外でユダヤ方面の影響は見られないこともあって前々からこの曲ってユダヤ文化の人達にはどうなんだろう?と思ってたのですが今回のコンサートで演奏というよりはユダヤ教の「祈り」という形でそのコミュニティの人によって演奏されてなんかほっとしました。
ラヴェルはこの「弔いの祈り」にどういうシチュエーションで出会ったのか、とにかく特別に響いたものだったのかなあ。
特にバイオリン版とフルート版は楽器の性質なのかラヴェル風味がユダヤ風味よりずっと強くて。今回聴いてほんとこれは「歌曲」が本来正解なんだなとしみじみ。もちろん器楽版もいいですけどね(といいながらピアノ独奏版をIMSLPで探すピアニストがここに)。
そのラヴェル風味 vs ユダヤ風味のバランスを決めるのは多分ハーモニーの色彩(強いとラヴェル風味)だったりメロディーのいわゆるコブシ的な部分(強いとユダヤ風味)だったり歌詞のヘブライ語の発音だったり(強いとユダヤ風味)するんじゃないかなーと思ってます。エキゾチックなメロディーもいいけどやっぱり贔屓したくなるのがシンプルな伴奏の中に現れる繊細な色彩。なので器楽版も声楽版も合わせて楽しみたいですね。
色々アレンジはありますが今ピアノ独奏版を見つけたIMSLPだとテノール+弦楽四重奏だったりチェロ版なんかもある様子。チェロはユダヤ音楽とほんと相性がいいですね、ブロッホなんかもその組み合わせで作品を残してますし。コンサートでやる人いないかな。
とりあえず男性が歌ってるバージョンがAmazonに一つしか録音なかったのでそれをリンク。ラヴェルの歌曲、少しは知ってるのは多いけどよく知ってるのは少ないなあ・・・(汗)
メモリアルセレモニー(後述)
ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス・バリトン:Adrian Tamburini)
朝からリハーサルに行く途中に腹を壊すなどのアクシデントもありましたが無事到着&回復しました。(あと本番前に隣の隣でやってるNGV北斎展見るつもりでしたがさすがに日曜日は混んでたー明日行けるかな)
Hamer Hallは何年ぶりだろう、少なくとも改装前になるので色々新鮮でした。なんか自分にとっては「ひみつきち」なんですよね。わくわくするし心地よい場所。これから戻ってくることはあるのかどうか。(あとArts Centre各施設は裏舞台ツアーなんかもあるのですがHamer Hallもあったっけ)
いつものリハーサル場所からHamer Hallだとものすごい音響に差があったりそういうとこで戸惑うことも多々あったのですが(ミクロレベルでいうと私もパートのキューを書き換えたりしてました)、本番ではびっくりするくらいの仕上がりに。
音響に慣れたってのもあると思うのですが上記メモリアルセレモニーも一役買ってるんじゃないかと思われ。
メモリアルセレモニーというのは今回弾いたショスタコの交響曲の題材となったバビ・ヤールの虐殺に対してのものでした。
今回のこのコンサートにその虐殺の数少ない生存者(オーストラリアに住んでるそう)が来ていることへのacknowledgement、その事件の経緯についての話、それから第1楽章の歌詞にもなっているYevgeny Yevteshenkoの詩「バビ・ヤール」の朗読、そして死者を弔うユダヤ教の祈り「カディッシュ」をラヴェルが音楽にしたものの演奏という流れでした。
伝統的にカディッシュの詠唱(でいいのかな)の時は起立するそうで起立して聴いたのですがものすごいパワフルでしたね。曲は知ってるのですがバイオリン版、フルート版、ソプラノ版しか聴いたことがなくて今回はバス版だったのですが、音域・調・声質の関係でものすごいヘブライ風味が強くてintenseで。多分これでオケと合唱と一つになったんじゃないのかな、と思ってます。
自分の演奏の方はというとCrosswayでなぜか一オクターブ低く始めようとしたり最後のチェレスタのソロもうちょっと音量だせたかもしれなかったことなどありましたがだいたい良かったです。でもショスタコがもう終わりだということがちょっと信じられないくらいで。合唱とのリハーサルが2回しかなかったってのも大きいのかな。ちょっと寂しいしもっとショスタコ弾きたいです。
そして今回ピアノとチェレスタのパートが弾けたという貴重な機会だけでなく人間が移動して伝え影響する人生と文化の縁の交差点(「Crossway」ですね)に居ることができたのが不思議で。自分の人生の中でも無二の経験だと思います。
次オケで弾けるのはいつかなーと思いつつとりあえず次は日本の旅の準備。こっちも色々内容たっぷりになりそうなので楽しみです。詳細はまたおいおい。
今日の一曲: ラヴェル 「2つのヘブライ歌曲」より第1曲「カディッシュ」
ラヴェルといえばスペインへの音楽的コネが印象強くてこの2つの歌曲以外でユダヤ方面の影響は見られないこともあって前々からこの曲ってユダヤ文化の人達にはどうなんだろう?と思ってたのですが今回のコンサートで演奏というよりはユダヤ教の「祈り」という形でそのコミュニティの人によって演奏されてなんかほっとしました。
ラヴェルはこの「弔いの祈り」にどういうシチュエーションで出会ったのか、とにかく特別に響いたものだったのかなあ。
特にバイオリン版とフルート版は楽器の性質なのかラヴェル風味がユダヤ風味よりずっと強くて。今回聴いてほんとこれは「歌曲」が本来正解なんだなとしみじみ。もちろん器楽版もいいですけどね(といいながらピアノ独奏版をIMSLPで探すピアニストがここに)。
そのラヴェル風味 vs ユダヤ風味のバランスを決めるのは多分ハーモニーの色彩(強いとラヴェル風味)だったりメロディーのいわゆるコブシ的な部分(強いとユダヤ風味)だったり歌詞のヘブライ語の発音だったり(強いとユダヤ風味)するんじゃないかなーと思ってます。エキゾチックなメロディーもいいけどやっぱり贔屓したくなるのがシンプルな伴奏の中に現れる繊細な色彩。なので器楽版も声楽版も合わせて楽しみたいですね。
色々アレンジはありますが今ピアノ独奏版を見つけたIMSLPだとテノール+弦楽四重奏だったりチェロ版なんかもある様子。チェロはユダヤ音楽とほんと相性がいいですね、ブロッホなんかもその組み合わせで作品を残してますし。コンサートでやる人いないかな。
とりあえず男性が歌ってるバージョンがAmazonに一つしか録音なかったのでそれをリンク。ラヴェルの歌曲、少しは知ってるのは多いけどよく知ってるのは少ないなあ・・・(汗)
あとは本番だけ、となりました。
Zelman Memorial Symphony Orchestraコンサート
2017年9月17日(日)午後2時開演
Hamer Hall
指揮:Mark Shiell
合唱指揮:Nicholas Cowall
ゲスト・コンサートマスター:Wilma Smith
プログラム:
Harry Sdraulig オーケストラのための「Crossway」(世界初演)
Elena Kats-Chernin フルート協奏曲「Night and Now」(フルート:Sally Walker)
ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス・バリトン:Adrian Tamburini)
火曜日は風邪気味+その他+蓄積した疲労でかなり調子が悪いリハーサルでしたが頭ではしっかり分かってる!と自信を持つようにしています。
本番の朝のサウンドチェック(ゲネプロ)は音響とかに加えてDVD撮影関連にも比重が大きくなると思われるのでそんなたくさんはチェレスタパートらへんのリハーサルもできないかな。でもそれはそれでちょっと楽しみというかどんな感じか興味があったり。
ほんと今日夕方休むまで2週間くらいは何も入ってない半日がなかったり、一日休みもそこそこなかったり。今年はオーストラリアでインフルエンザ流行が酷かったのをうまくかわしてからのこのタイミングで風邪というのは完全に疲れですね。(あとこないだの合唱とのリハーサルに行く途中でふたもしないで盛大に咳してた人とすれ違ったのも一つの関連要素かと)
風邪も一日未満でうまく食い止めたのですが鼻の中と気管にaftereffectが残ってひりひり&重い。
そんな状態だったのですが火曜日のリハーサルで休憩中にバリトンソリストの方がチェレスタパートが気になって遊びで弾きにきてくれたり。気さくだし興味を持ってくれて嬉しいなあ。それにタコは14番も好きと話しててそれになにより舞い上がったり。あの声で14番のDelvigとか聴けたらそりゃー幸せなので誰かやってください(チェレスタもパートあるので弾きたいけどこの際聴衆でも良い)。
毎回チェレスタを弾く度に思うのですが(量的に)ちょろっと弾くだけでみんなに覚えてもらえて声かけてもらえて、というのは決して人嫌いではないしオケで人といるのが好きだけどなかなか人には声かけられない身としては大変コミュニケーション効率が良くて助かります。
聞いてもらえたり興味を持ってもらえたり頼りにしてもらえたり、我ながら不思議な立場にいるものだと思いますがそういうオケピアノ・チェレスタのポジションがものすごく好き。
ショスタコ・・・もっと弾きたいなあ。5番もピアノ・チェレスタでは弾いてないし(チェロでは弾きましたしあのパートはものすごくよかった)、前述14番も本当に好きで弾きたいし、15番でも13番に似たような目立ち方だし。晩年のショスタコが、という話をするときは大体ソナタとかカルテットの話をすることが多いのですがちょっと違った平面のそこらオケ曲ももっと近くに感じたい。
前も書いたかもですが好きな曲は録音も生でも聞きたいしスコアも読みたいし実際に弾きたいし歌うパートがあったら歌いたいし振り付けがあるかどうかに関わらずリズムが踊りに向いてたら踊りたいしバレエ作品があったりしたら見たいし。なるべく色んな角度から攻めたい、もとい知りたい&楽しみたい。
特にショスタコの作品はそういう作品が多いです。コンサートで聴いたことあるのも5,7,9,10、11くらいかな?1番は弾いたけど聴いてないはず。最後の3つも今回13番弾く以外はほんと機会が無で。
今回のコンサートは弾く方にも歌う方にも聴く方にも本当に貴重な機会ですし、プラスその元になった歴史的惨事やそこから現在のオーストラリアに繋がるリンクもあって本当にお得というか特別なコンサートになる予定。私達は何より合唱とソリストと力を合わせて音楽を届けるのが一番の役目。しっかり調子整えてがんばらないとですね。
そういえば今回オケピアノ・チェレスタ奏者としては超がつくほど珍しく「コンサートの一番最初の音」から「コンサートの2番目に最後の音」まで弾くという手広いパートを担当してることに気づきました。ただもちろんその分間の休みの量もすごいですけどね(笑)
聴衆がみんなチェレスタの音(と最後の鐘の音)を耳に印象に残して帰ってくれるといいな。そこが今回の一番の目標です。
コンサート前にもう一回更新できるかどうか?できない場合は本番の向こう側で。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 第1楽章「バビ・ヤール」
いつもの万年筆コミュの一日一筆(最近はかなり書き&撮り溜めてる)とは別にインスタで宣伝とまではいかないのですがコンサートのお知らせやってました。この交響曲の各楽章の歌詞(詩:Yevgeny Yevteshenko)を一部ちょっとした工夫も加えて書き出してコンサートの日時とかも書いたり。
個人的には第4楽章の「ロシアでは恐怖が死に絶えつつある」のインパクトが絶大なのですが(ロシア語歌詞も英語アルファベットで手書きしたおかげでそこだけ歌えるようになりました)、やっぱりこの交響曲を代表する楽章は第1楽章なので一番最後にとっておきました。これ書き終わったら作成予定です。
バビ・ヤールの虐殺そのものを直接的に扱う詩でどこをとっても強烈なメッセージになるような歌詞なのですが書き出すのは(wikipe参照)「ここへやってくるのか?」からの部分。臨場感がすごい歌詞、不安なチェレスタのソロ、オケの扉をたたき壊す音からのAll Hell Breaks Looseなクライマックスがもうこんな音楽が存在し得るのか耳を疑うくらいに強烈で。
なんかこの楽章に関してはオケのここを聴け!みたいなところがないなあ。全体としてオケを聴いて欲しいし、合唱とオケも一続きだし合唱とソロも一続きみたいなところがあって。でもあえて言うならバスクラとかコントラファゴットとか下で支えてる楽器の力持ちなところを聴いて欲しいかな。この二つの低音木管は低音であることは共通してますが楽器の音としてはかなり違う印象なのでそこんとこもっと多くの人に知ってもらいたい。
リンクしたのはこないだ14番を同じシリーズで購入した録音(それが関係有るかはまあおいといて)。私が最初に14番をBordersで注文した頃から比べるとラスト3つ交響曲の録音もかなり増えましたね。これに続く感じでコンサートでの演奏も増えないかなあ。
火曜日は風邪気味+その他+蓄積した疲労でかなり調子が悪いリハーサルでしたが頭ではしっかり分かってる!と自信を持つようにしています。
本番の朝のサウンドチェック(ゲネプロ)は音響とかに加えてDVD撮影関連にも比重が大きくなると思われるのでそんなたくさんはチェレスタパートらへんのリハーサルもできないかな。でもそれはそれでちょっと楽しみというかどんな感じか興味があったり。
ほんと今日夕方休むまで2週間くらいは何も入ってない半日がなかったり、一日休みもそこそこなかったり。今年はオーストラリアでインフルエンザ流行が酷かったのをうまくかわしてからのこのタイミングで風邪というのは完全に疲れですね。(あとこないだの合唱とのリハーサルに行く途中でふたもしないで盛大に咳してた人とすれ違ったのも一つの関連要素かと)
風邪も一日未満でうまく食い止めたのですが鼻の中と気管にaftereffectが残ってひりひり&重い。
そんな状態だったのですが火曜日のリハーサルで休憩中にバリトンソリストの方がチェレスタパートが気になって遊びで弾きにきてくれたり。気さくだし興味を持ってくれて嬉しいなあ。それにタコは14番も好きと話しててそれになにより舞い上がったり。あの声で14番のDelvigとか聴けたらそりゃー幸せなので誰かやってください(チェレスタもパートあるので弾きたいけどこの際聴衆でも良い)。
毎回チェレスタを弾く度に思うのですが(量的に)ちょろっと弾くだけでみんなに覚えてもらえて声かけてもらえて、というのは決して人嫌いではないしオケで人といるのが好きだけどなかなか人には声かけられない身としては大変コミュニケーション効率が良くて助かります。
聞いてもらえたり興味を持ってもらえたり頼りにしてもらえたり、我ながら不思議な立場にいるものだと思いますがそういうオケピアノ・チェレスタのポジションがものすごく好き。
ショスタコ・・・もっと弾きたいなあ。5番もピアノ・チェレスタでは弾いてないし(チェロでは弾きましたしあのパートはものすごくよかった)、前述14番も本当に好きで弾きたいし、15番でも13番に似たような目立ち方だし。晩年のショスタコが、という話をするときは大体ソナタとかカルテットの話をすることが多いのですがちょっと違った平面のそこらオケ曲ももっと近くに感じたい。
前も書いたかもですが好きな曲は録音も生でも聞きたいしスコアも読みたいし実際に弾きたいし歌うパートがあったら歌いたいし振り付けがあるかどうかに関わらずリズムが踊りに向いてたら踊りたいしバレエ作品があったりしたら見たいし。なるべく色んな角度から攻めたい、もとい知りたい&楽しみたい。
特にショスタコの作品はそういう作品が多いです。コンサートで聴いたことあるのも5,7,9,10、11くらいかな?1番は弾いたけど聴いてないはず。最後の3つも今回13番弾く以外はほんと機会が無で。
今回のコンサートは弾く方にも歌う方にも聴く方にも本当に貴重な機会ですし、プラスその元になった歴史的惨事やそこから現在のオーストラリアに繋がるリンクもあって本当にお得というか特別なコンサートになる予定。私達は何より合唱とソリストと力を合わせて音楽を届けるのが一番の役目。しっかり調子整えてがんばらないとですね。
そういえば今回オケピアノ・チェレスタ奏者としては超がつくほど珍しく「コンサートの一番最初の音」から「コンサートの2番目に最後の音」まで弾くという手広いパートを担当してることに気づきました。ただもちろんその分間の休みの量もすごいですけどね(笑)
聴衆がみんなチェレスタの音(と最後の鐘の音)を耳に印象に残して帰ってくれるといいな。そこが今回の一番の目標です。
コンサート前にもう一回更新できるかどうか?できない場合は本番の向こう側で。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 第1楽章「バビ・ヤール」
いつもの万年筆コミュの一日一筆(最近はかなり書き&撮り溜めてる)とは別にインスタで宣伝とまではいかないのですがコンサートのお知らせやってました。この交響曲の各楽章の歌詞(詩:Yevgeny Yevteshenko)を一部ちょっとした工夫も加えて書き出してコンサートの日時とかも書いたり。
個人的には第4楽章の「ロシアでは恐怖が死に絶えつつある」のインパクトが絶大なのですが(ロシア語歌詞も英語アルファベットで手書きしたおかげでそこだけ歌えるようになりました)、やっぱりこの交響曲を代表する楽章は第1楽章なので一番最後にとっておきました。これ書き終わったら作成予定です。
バビ・ヤールの虐殺そのものを直接的に扱う詩でどこをとっても強烈なメッセージになるような歌詞なのですが書き出すのは(wikipe参照)「ここへやってくるのか?」からの部分。臨場感がすごい歌詞、不安なチェレスタのソロ、オケの扉をたたき壊す音からのAll Hell Breaks Looseなクライマックスがもうこんな音楽が存在し得るのか耳を疑うくらいに強烈で。
なんかこの楽章に関してはオケのここを聴け!みたいなところがないなあ。全体としてオケを聴いて欲しいし、合唱とオケも一続きだし合唱とソロも一続きみたいなところがあって。でもあえて言うならバスクラとかコントラファゴットとか下で支えてる楽器の力持ちなところを聴いて欲しいかな。この二つの低音木管は低音であることは共通してますが楽器の音としてはかなり違う印象なのでそこんとこもっと多くの人に知ってもらいたい。
リンクしたのはこないだ14番を同じシリーズで購入した録音(それが関係有るかはまあおいといて)。私が最初に14番をBordersで注文した頃から比べるとラスト3つ交響曲の録音もかなり増えましたね。これに続く感じでコンサートでの演奏も増えないかなあ。