×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
やっと!お知らせができる!
9月にオケで弾きますよー。
まずは詳細から。
Zelman Memorial Symphony Orchestraコンサート
2017年9月17日(日)午後2時開演
Hamer Hall
指揮:Mark Shiell
合唱指揮:Nicholas Cowall
ゲスト・コンサートマスター:Wilma Smith
プログラム:
Harry Sdraulig オーケストラのための「Crossway」(世界初演)
Elena Kats-Chernin フルート協奏曲「Night and Now」(フルート:Sally Walker)
ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス・バリトン:Adrian Tamburini)
第2次世界大戦中に起きた虐殺事件、バビ・ヤールの虐殺から75年の追悼の意を込めなかなかここらで演奏されることがないショスタコ13番を、しかもHamer Hallで演奏するコンサート。
ちなみに第2次世界大戦あたりでヨーロッパ諸国からオーストラリアに渡ってきた人って(特にユダヤ人周りでは)結構いるらしいのですが、最初の曲の作曲家(以前友人のトリオで作品が弾かれましたね)のおじいさんもポーランド人で当時向こうにいたとか。ついでにいえば時代はちょっと後になりますがElenaもだいたいあそこら辺のエリアが出身だそうで、オーストラリアという場所ならでは?な縁のあるコンサートとなってます。
今回私が弾くのはショスタコでピアノ+チェレスタ・・・もそうなのですがなんか昨日初リハーサル行ったら「Crossway」でもパートがあることが判明。しかもピアノとチェレスタ両方。ありがとうHarry。リハーサルに来たときには是非お礼を言いたいと思います。もっとチェレスタパートをみんな書いてくれー。
ショスタコに関しては私がいつも言ってるとおり(声に出して・文字にして言ったことがあるかどうかは不明)チェレスタパートは音は少ないですが弾く音の大切さとインパクトはものすごい。楽器が古い型で小さいので心配ですがHamer Hallの一番後ろまでショスタコの書くチェレスタの音を届けたい、というのが今回のなによりの目標。
特に第5楽章(最終楽章)の最後の最後のソロは聴衆の心に残るソロであって欲しい。がんばりまっせ。
ほんと難しい交響曲ではあるのですが最初のリハーサルはまずまずの出来でした(まだ第3楽章までしか言ってない)。低音金管がいなかったのは大変残念ですが・・・パートがどうとかいう話でなく個人の好みといいますか、この曲の雰囲気としてあそこらの楽器があるとないとでは大違いなので。
特に第2楽章とか(私は弾かない楽章)弾き手目線で見るとそこらじゅうに罠が仕掛けてあって初見ではすっごい難しい。フレーズの長さとか拍子とかいきなりイレギュラーに変わったりするんですが、聴き手目線だとわりと自然に聞き流せるのが不思議。
それにしてもリハーサルで諸々やってて思うのはとにかくみんなもっと曲の録音を聴こうよ、ということで。曲全体をあるていど把握してると間違えないとことかわざわざリハーサルで労力と時間を割く必要がないとことかいっぱい出てきて。ショスタコ全般そうなんですよね、しっかり録音聞いて(できればスコアも参照して)れば意外と分かりやすいこといっぱいある。ユースオケで11番やったときも言ったはずこれ。
バレエの発表会のリハーサルではそこんとこみんなちゃんと気をつけてるんですよね。自分が踊ってないときの他の人の踊りもある程度気をつけて見るし、舞台全体での位置とか並びとか、あと曲の録音も先生にもらったりしますし。オケの方もそれが当たり前みたいにならないかなあ。特にユースの段階でそういうことの大切さをもっと学べないものかと。
あと教育関係の話になったので一つ。今回のコンサートでHamer Hallといういつもより大幅に大規模な場所での演奏なのですが、もちろんお客さんにたくさん来てもらわないといけないという話もあるのですがなんか寄付があって学校から生徒に来てもらうのに使うという話もあり。
その時にオケのマネージャーやってる人が「音楽やってる生徒だけでなくこのコンサートは歴史を勉強している生徒にも来てもらわないと」と言ってて。
これは聞いてはっとしましたね。高校の時の第2次世界大戦だとちょうど映画「パール・ハーバー」が出たときで学級でそれを見にいったのですが(私はちょっと日本人なんで遠慮しますって言って行かなかったんですが)コンサートでも同じように歴史の学びの場になり得るわけですよね。
個人的にこの曲に限らずショスタコの音楽は歴史資料として扱われるといいなと思ってますしもっと彼の音楽とそれに込められた思いだったり生き様が知られるようになるといいなと思ってるのでこのコンサートを通じてそれをどうやって実現すればいいかの答えが一つ二つ見えてくるといいなーと思います。
兎にも角にもこれから毎週ではないものの寒い中でリハーサルに通ってロシアの冬を象徴するような寒い曲をリハーサルしてくる予定です。曲がまとまってくるのが楽しみ。そしてハープ(4人!)が隣にくるのも楽しみ。またこちらでも経過など書きますのでお楽しみに。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 第2楽章「ユーモア」
ショスタコは15つ交響曲を書いててこれは13番目。立派に後期の分類に入る難解さのある作品ですがまだまだ晩期のあのアブストラクトな透明な闇には届いてないくらい。実際14番・15番は交響曲としてスケールがぐっと小さくなるのである意味これが最後のショスタコの交響曲らしい交響曲・・・といえるかなあ。難しいところ。
でもこの曲ってショスタコのショスタコらしい諸々が無駄なく100%詰まってる気がします。どこを見てもショスタコらしい&完成されたショスタコの魅力。ずっとショスタコ。
この第2楽章も明るいけれど心の底から明るいわけじゃない、ショスタコ流の皮肉がたっぷり詰まったスケルツォ。ちなみにショスタコの音楽をもっと知って欲しい、ってのは彼がソヴィエト政府からの抑圧の中でどう表現したかっていうことだけでなく彼の音楽が本当に「こんな感情の音楽があるんだ!」という広がりも広めたくて。この曲もほんとそう。こんなに明るく痛烈に皮肉が刺さる音楽が他にありますか。
でもその魅力が弾き手にとっては難しさの元になったり。途中でなんか木管楽器がみんなアンサンブルとして延々と拍子変わったりなんだりを超えてパワフルなソロ弾いてる部分は聞いててちょっと大変そうでした。なかなかそういう木管パートって少ないような(あくまでも個人的な印象ですが)。でもかっこよかった。そもそもショスタコってソロもアンサンブルも木管パートよく格好いいことが多い。
この楽章の歌詞はエフゲニー・エフトゥシェンコの詩「ユーモア」でユーモアは屈服させることができないみたいな感じの歌詞なのですが、そのテーマも痛快ながら曲自体にもそれと同じくらいの痛快さがあって聞いててすごく楽しいです。この楽章だけ聴くのも十分可能ですが他の楽章も(特に3,4楽章の難解さすごいけど)是非聴いてほしいなあ。
やっぱりまずは第1楽章がこの交響曲のシンボルなので一番にオススメ、そして聴きやすいし痛快な第2楽章。その先にとっつくためのお手伝いはまた別の時にしようと思います。(恒例ですがコンサート終わりましたエントリーまでに全楽章紹介する予定)
リンクした録音はちょっと探してみてよさげなのをチョイスしました。やっぱり全体的に軽くない、というかちゃんと重さがある演奏がいいですし、第1楽章の鐘の音もこだわりたくなっちゃう(鐘フェチ)のですが、なかなかこれ!という録音はちょこっと検索しただけじゃ見つかりませんね。ただようつべとかにも色々演奏ありますので(実際の演奏してる映像付きのもオススメ)色々見てみると面白いかもです。昨日指揮者さんが言ってたのですがいくつか演奏動画を見比べてると難所なんかも見えてくるそうなのでそういうとこに注目するのも一つの楽しみ方。
9月にオケで弾きますよー。
まずは詳細から。
Zelman Memorial Symphony Orchestraコンサート
2017年9月17日(日)午後2時開演
Hamer Hall
指揮:Mark Shiell
合唱指揮:Nicholas Cowall
ゲスト・コンサートマスター:Wilma Smith
プログラム:
Harry Sdraulig オーケストラのための「Crossway」(世界初演)
Elena Kats-Chernin フルート協奏曲「Night and Now」(フルート:Sally Walker)
ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス・バリトン:Adrian Tamburini)
第2次世界大戦中に起きた虐殺事件、バビ・ヤールの虐殺から75年の追悼の意を込めなかなかここらで演奏されることがないショスタコ13番を、しかもHamer Hallで演奏するコンサート。
ちなみに第2次世界大戦あたりでヨーロッパ諸国からオーストラリアに渡ってきた人って(特にユダヤ人周りでは)結構いるらしいのですが、最初の曲の作曲家(以前友人のトリオで作品が弾かれましたね)のおじいさんもポーランド人で当時向こうにいたとか。ついでにいえば時代はちょっと後になりますがElenaもだいたいあそこら辺のエリアが出身だそうで、オーストラリアという場所ならでは?な縁のあるコンサートとなってます。
今回私が弾くのはショスタコでピアノ+チェレスタ・・・もそうなのですがなんか昨日初リハーサル行ったら「Crossway」でもパートがあることが判明。しかもピアノとチェレスタ両方。ありがとうHarry。リハーサルに来たときには是非お礼を言いたいと思います。もっとチェレスタパートをみんな書いてくれー。
ショスタコに関しては私がいつも言ってるとおり(声に出して・文字にして言ったことがあるかどうかは不明)チェレスタパートは音は少ないですが弾く音の大切さとインパクトはものすごい。楽器が古い型で小さいので心配ですがHamer Hallの一番後ろまでショスタコの書くチェレスタの音を届けたい、というのが今回のなによりの目標。
特に第5楽章(最終楽章)の最後の最後のソロは聴衆の心に残るソロであって欲しい。がんばりまっせ。
ほんと難しい交響曲ではあるのですが最初のリハーサルはまずまずの出来でした(まだ第3楽章までしか言ってない)。低音金管がいなかったのは大変残念ですが・・・パートがどうとかいう話でなく個人の好みといいますか、この曲の雰囲気としてあそこらの楽器があるとないとでは大違いなので。
特に第2楽章とか(私は弾かない楽章)弾き手目線で見るとそこらじゅうに罠が仕掛けてあって初見ではすっごい難しい。フレーズの長さとか拍子とかいきなりイレギュラーに変わったりするんですが、聴き手目線だとわりと自然に聞き流せるのが不思議。
それにしてもリハーサルで諸々やってて思うのはとにかくみんなもっと曲の録音を聴こうよ、ということで。曲全体をあるていど把握してると間違えないとことかわざわざリハーサルで労力と時間を割く必要がないとことかいっぱい出てきて。ショスタコ全般そうなんですよね、しっかり録音聞いて(できればスコアも参照して)れば意外と分かりやすいこといっぱいある。ユースオケで11番やったときも言ったはずこれ。
バレエの発表会のリハーサルではそこんとこみんなちゃんと気をつけてるんですよね。自分が踊ってないときの他の人の踊りもある程度気をつけて見るし、舞台全体での位置とか並びとか、あと曲の録音も先生にもらったりしますし。オケの方もそれが当たり前みたいにならないかなあ。特にユースの段階でそういうことの大切さをもっと学べないものかと。
あと教育関係の話になったので一つ。今回のコンサートでHamer Hallといういつもより大幅に大規模な場所での演奏なのですが、もちろんお客さんにたくさん来てもらわないといけないという話もあるのですがなんか寄付があって学校から生徒に来てもらうのに使うという話もあり。
その時にオケのマネージャーやってる人が「音楽やってる生徒だけでなくこのコンサートは歴史を勉強している生徒にも来てもらわないと」と言ってて。
これは聞いてはっとしましたね。高校の時の第2次世界大戦だとちょうど映画「パール・ハーバー」が出たときで学級でそれを見にいったのですが(私はちょっと日本人なんで遠慮しますって言って行かなかったんですが)コンサートでも同じように歴史の学びの場になり得るわけですよね。
個人的にこの曲に限らずショスタコの音楽は歴史資料として扱われるといいなと思ってますしもっと彼の音楽とそれに込められた思いだったり生き様が知られるようになるといいなと思ってるのでこのコンサートを通じてそれをどうやって実現すればいいかの答えが一つ二つ見えてくるといいなーと思います。
兎にも角にもこれから毎週ではないものの寒い中でリハーサルに通ってロシアの冬を象徴するような寒い曲をリハーサルしてくる予定です。曲がまとまってくるのが楽しみ。そしてハープ(4人!)が隣にくるのも楽しみ。またこちらでも経過など書きますのでお楽しみに。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 第2楽章「ユーモア」
ショスタコは15つ交響曲を書いててこれは13番目。立派に後期の分類に入る難解さのある作品ですがまだまだ晩期のあのアブストラクトな透明な闇には届いてないくらい。実際14番・15番は交響曲としてスケールがぐっと小さくなるのである意味これが最後のショスタコの交響曲らしい交響曲・・・といえるかなあ。難しいところ。
でもこの曲ってショスタコのショスタコらしい諸々が無駄なく100%詰まってる気がします。どこを見てもショスタコらしい&完成されたショスタコの魅力。ずっとショスタコ。
この第2楽章も明るいけれど心の底から明るいわけじゃない、ショスタコ流の皮肉がたっぷり詰まったスケルツォ。ちなみにショスタコの音楽をもっと知って欲しい、ってのは彼がソヴィエト政府からの抑圧の中でどう表現したかっていうことだけでなく彼の音楽が本当に「こんな感情の音楽があるんだ!」という広がりも広めたくて。この曲もほんとそう。こんなに明るく痛烈に皮肉が刺さる音楽が他にありますか。
でもその魅力が弾き手にとっては難しさの元になったり。途中でなんか木管楽器がみんなアンサンブルとして延々と拍子変わったりなんだりを超えてパワフルなソロ弾いてる部分は聞いててちょっと大変そうでした。なかなかそういう木管パートって少ないような(あくまでも個人的な印象ですが)。でもかっこよかった。そもそもショスタコってソロもアンサンブルも木管パートよく格好いいことが多い。
この楽章の歌詞はエフゲニー・エフトゥシェンコの詩「ユーモア」でユーモアは屈服させることができないみたいな感じの歌詞なのですが、そのテーマも痛快ながら曲自体にもそれと同じくらいの痛快さがあって聞いててすごく楽しいです。この楽章だけ聴くのも十分可能ですが他の楽章も(特に3,4楽章の難解さすごいけど)是非聴いてほしいなあ。
やっぱりまずは第1楽章がこの交響曲のシンボルなので一番にオススメ、そして聴きやすいし痛快な第2楽章。その先にとっつくためのお手伝いはまた別の時にしようと思います。(恒例ですがコンサート終わりましたエントリーまでに全楽章紹介する予定)
リンクした録音はちょっと探してみてよさげなのをチョイスしました。やっぱり全体的に軽くない、というかちゃんと重さがある演奏がいいですし、第1楽章の鐘の音もこだわりたくなっちゃう(鐘フェチ)のですが、なかなかこれ!という録音はちょこっと検索しただけじゃ見つかりませんね。ただようつべとかにも色々演奏ありますので(実際の演奏してる映像付きのもオススメ)色々見てみると面白いかもです。昨日指揮者さんが言ってたのですがいくつか演奏動画を見比べてると難所なんかも見えてくるそうなのでそういうとこに注目するのも一つの楽しみ方。
PR
ちょっと昨日コンサートに行って来ました。
とはいってもいつものスタンダードなコンサートでなく特殊なイベントで。
こないだ若くして亡くなった作曲家James Wadeの偲ぶ会といいますか演奏ありの追悼集まりに行って来ました。若干どころか結構場違いかとも思ったのですがそれ以上に作品をまた聴きたかったので。
思ってた通り感情的な場面もあったり苦手感を感じる場でしたが冷静になるとそういう場にもある程度慣れておかないといけないなあと思ったり。でも音楽は確かに聴けても良かったし、誰でも一人の人間と深く関わっていてもその人の特定の側面しか見ていないんだなーということをものすごく実感しました。そこら辺で思うこと色々たくさん。
そして改めてオーストラリアの音楽のいとおしさを再確認したこともあり。
いろんな作曲家に出会ってその作品を聴く機会が多々ある中でそれぞれの作曲家の作風の個性を楽しみながらオーストラリアの音楽に共通する何かを感じたり、世界の片隅のメルボルンで彼らが支え合って活躍してるのを見たり。
オーストラリアの音楽独特の魅力だったり、人が行き来することで音楽に与えられる影響、そしてその両方によって様々な文化を繋ぐポテンシャルとか、そういう事を改めてはっきり感じさせる生き様と作品だったなあ、と。
作風もある意味完成されたものだったけど(2006年くらいのオケ作品の揺るぎなさ凄かったです)それでもまだまだ伸びて広がるはずだっただろうし、これから彼の新しい作品に出会うことはずっとないのかと思うとやっぱり残念です。
彼の作品がこれからもオーストラリア内外で弾かれるのを願い、そしてオーストラリアの音楽を改めて応援して広めるため自分もこれからできることをしていきたいです。
James Wadeの作品を数曲聞きましたがやっぱり一番好きなのは去年Plexusトリオが弾いた「The good rain knows its season」です。そのコンサートでの演奏がpodcastとして豪ABCにリンクがあったのでちょいと貼っておきますね。こちらから。ブラウザだと細かく調整できないのですが20~22分の間に始まってるぽい(20分くらいで曲についての解説があるようです)。
今日の一曲はお休みです。
とはいってもいつものスタンダードなコンサートでなく特殊なイベントで。
こないだ若くして亡くなった作曲家James Wadeの偲ぶ会といいますか演奏ありの追悼集まりに行って来ました。若干どころか結構場違いかとも思ったのですがそれ以上に作品をまた聴きたかったので。
思ってた通り感情的な場面もあったり苦手感を感じる場でしたが冷静になるとそういう場にもある程度慣れておかないといけないなあと思ったり。でも音楽は確かに聴けても良かったし、誰でも一人の人間と深く関わっていてもその人の特定の側面しか見ていないんだなーということをものすごく実感しました。そこら辺で思うこと色々たくさん。
そして改めてオーストラリアの音楽のいとおしさを再確認したこともあり。
いろんな作曲家に出会ってその作品を聴く機会が多々ある中でそれぞれの作曲家の作風の個性を楽しみながらオーストラリアの音楽に共通する何かを感じたり、世界の片隅のメルボルンで彼らが支え合って活躍してるのを見たり。
オーストラリアの音楽独特の魅力だったり、人が行き来することで音楽に与えられる影響、そしてその両方によって様々な文化を繋ぐポテンシャルとか、そういう事を改めてはっきり感じさせる生き様と作品だったなあ、と。
作風もある意味完成されたものだったけど(2006年くらいのオケ作品の揺るぎなさ凄かったです)それでもまだまだ伸びて広がるはずだっただろうし、これから彼の新しい作品に出会うことはずっとないのかと思うとやっぱり残念です。
彼の作品がこれからもオーストラリア内外で弾かれるのを願い、そしてオーストラリアの音楽を改めて応援して広めるため自分もこれからできることをしていきたいです。
James Wadeの作品を数曲聞きましたがやっぱり一番好きなのは去年Plexusトリオが弾いた「The good rain knows its season」です。そのコンサートでの演奏がpodcastとして豪ABCにリンクがあったのでちょいと貼っておきますね。こちらから。ブラウザだと細かく調整できないのですが20~22分の間に始まってるぽい(20分くらいで曲についての解説があるようです)。
今日の一曲はお休みです。
寒さが厳しいというと(特に日本から見ると)大げさかもしれませんが染みいるような寒さが続いてます。
そんな中ちょこちょこあっちいったりこっちいったりの用事が出てきて楽しみながらも億劫なところもあり。
いつもに増してアクティブに過ごしたいけどいつもに増して暖かく過ごしたい2017年冬です。
お出かけの中でも特に寒いのがコンサート行き。8時開演のコンサートとなるとご飯向こうで食べる予定で家でても出発時点ですでに暗い。そして家路はさらに寒い。トラムが古くて暖房ないのはそんなに気にならないのですが(あ、でも新しい車両こっちに早くよこして欲しいです)、風がなくても静かに寒い今日この頃。そりゃあ気も滅入りますよ。
それでもどうしても行きたかったマーラー巡礼第8弾。作曲された順番と違って「千人の交響曲」の前に「大地の歌」。どうしてなんだろう。
「大地の歌」は歌付きの交響曲になるはずだった歌曲集というか。6つ歌つき楽章が続いてれば歌曲集とも交響曲ともとれますね。交響曲とみるとちょっと短い(当社比較マーラー基準)ですが歌曲集とすると最終楽章の突然の30分という長さが異様だったり。
そんな変わった曲ですがプログラムはこんな感じでした。
MSO Plays Das Lied von der Erde
指揮:Sir Andrew Davis
フランツ・シューベルト 交響曲第7番「未完成」
(休憩)
グスタフ・マーラー 「大地の歌」(メゾ・ソプラノ:Catherine Wyn-Rogers、テノール:Stuart Skelton)
マーラーの交響曲にはちょっと短めのこの曲、合わせるなら同じく交響曲としては半分サイズの未完成交響曲が合いますね。そういう時間的な問題だったり作曲の経緯にいわくつきだったり、それ以外にもっと音楽的なところでもなんか相性良いとこある気がするこの2曲。
未完成、今回のメル響はいい意味でまとまってたかも。ドラマチックなところが爆発しすぎてないというか、大きいコンサートホールでの響きだけどintimateなところがあったり。
メロディーとかソロももちろんいいんだけど伴奏に心地よさみたいなものがあった印象。
あと木管の音の溶け合い方もよかったな。オーボエとクラリネットとか、あんなにも違う音を歩み寄るようにどうやってするんだろう。
そして「大地の歌」。時間的には短めで交響曲ほどでっかくないにしても内容はみっちり濃いし難しい。7番でなんとか頭の中に収まるイメージだったのが大地の歌はかなり頭からはみ出てしまう感覚。聞いててすっごい難しい!特に最終楽章を一つの世界として理解して噛み砕いて飲み込んで消化できるかといえば最初の段階ですでにつまずいてるかも。胸焼けまでも行ってない。
そもそもマーラーが作曲家として弾き手・歌い手・指揮者・聴き手全てに対して容赦ない。
特に歌い手は大変だと思う。さらに言えばテノールはかなりしんどそう。今回歌った方も透明感があるまっすぐな歌声だったんですがなんせバックがフルオケ(=マーラーの、フルオケ)で。音域的にオケとかぶると飲み込まれやすいとこにあると思うんだなー。
メゾソプラノの歌う楽章は(少なくとも音量的には)もちょっと歌い手に優しいかも。
その変わりメゾソプラノは最終楽章担当なので音楽的&体力的に難しいパート。
オケの演奏も良かったと思う中でやっぱり音の質がこの曲を描き彩るべきものちょーっと違ってたような気がします。もっとこう暖かいというか全体を繋いで抱くようななにかというか、うーん難しい。録音・コンサート合わせて色んなオケで聴き込めばわかるかな。
そもそもこの曲をもっともっと分かりたいという気持ちがほんと強いです。現代音楽に限らず、分からないから好きになる、分からないから分かりたい。とにかく掴みたい。
大地の歌も今回聴いて「掴めるかも」まで頭が迫ったところもあり、最終楽章の後半、特に最後の天国的な(チェレスタソロ!)部分の美しさも心にストレートに来てそれだけもこの曲を好きになるのに十分なのですが。それでもそれだけじゃ足りないと思ってしまう。
ついでにな話になりますが大地の歌の歌詞、色々lost in translation的な経緯をたどった元ネタは漢詩なんですよ。ちょこちょこ、というかちくちく「漢文勉強しろ」と縁が言っている。なんとかしたいなあ。
あ、漢詩つながりってのもありますが続報が入ったので。前の前のエントリーで書いたこないだ亡くなった若い作曲家さんの偲ぶ会というかなんというか、とにかく彼の作品が演奏されるそうなのでちょっと行ってみようと思ってます。親しい仲とかじゃ全然ないし特に悲しい方面での感情的な場には苦手意識があるのですが作品を聴きたい気持ちはすごく強いので。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 「大地の歌」より第6楽章「告別」
マーラーでいうと交響曲第3番は最初の楽章が30分くらいで目立って長く、この大地の歌は最後が30分くらいで目立って長く。巡礼的に聴いてきてどっちがしんどいかっていうと五十歩百歩かなあ。どっちの長い楽章も音楽の流れというかストーリーの構成というかそういうのがなかなか見えにくい書かれ方をしている。まだ6番の最終楽章(これも30分超え)の方が安心して聴いてられるというか。いやあれも別の意味で安心じゃないですが。
しかもマーラーってばこの楽章だけ歌詞に漢詩2つ使ってるんですよ。孟浩然と王維。しかもmix & match的に使ってる。詩の世界を大切にしてないわけじゃなくむしろ逆で、それに合わせて自分が描きたい諸々に対する思い入れがすごくてこういう形になったのか。どのみちマーラーが何を思ってこの最終楽章を長さ始めこういう形にしたのか凡人の頭では全然手が届かないです。
(ただしマーラーは3番の第1楽章を最後に書いたことについて「最初に書いてたら一生この交響曲書き終わらなかった」とか言ってるそうなので天才的な感性・思考を変な方向に突き抜けているという可能性はあります)
歌曲としてもちょっと奇妙さがあるというか。割と最初の方からオケが歌い手をサポートするよりも一人ぼっちにさせるようなパートになってるような。もちろんピアノ伴奏の歌曲みたいなアンサンブルとは違う世界なんだけどそれを考慮してもちょっと関係性が・・・異様というか。
それがでも最後の方でうまーいこと溶け合うようなところもあったり。やっぱすごいよなあ。
マーラーは交響曲も9つ+αあるしオケ伴奏の歌曲集も色々あるけどこの最終楽章みたいな世界観ってなかなか出会えないかもしれない。荒涼とした雰囲気も、心に来る重さも、そして最後の「永遠」の美しさも。ただこれを聴くと例えばホルストの「惑星」の「土星」にもつながるところがあったり、正にこの楽章からインスピレーションを得てるクラムのアメリカ歌曲集第7巻のラストにもつながるところがあったり(クラムがマーラーから受けた影響も)、唯一無二ながら色んなところにリンクしている感がまた面白い。それも含めてもっと分かりたい。
さすが録音もたくさんあるんですがどこのオケ・どの指揮者・どの歌手の録音がいいんだろう。うちにあってなんとなく聴いてたから今の今まで全く意識してなかった。もしかしたらちょっと変わった感じかもわからないけどブーレーズ指揮の録音にしてみる。
不思議な物であんまり耳がうまくつきにくいと思った曲でも録音を(特に新しいクリアな音質の録音に)変えてみると不思議と聞きやすくなったり。もちろんこの曲に限ったことではないですが複雑で長いこの曲では特に「むむっ」と思ってももひとつ試すのがおすすめです。
そんな中ちょこちょこあっちいったりこっちいったりの用事が出てきて楽しみながらも億劫なところもあり。
いつもに増してアクティブに過ごしたいけどいつもに増して暖かく過ごしたい2017年冬です。
お出かけの中でも特に寒いのがコンサート行き。8時開演のコンサートとなるとご飯向こうで食べる予定で家でても出発時点ですでに暗い。そして家路はさらに寒い。トラムが古くて暖房ないのはそんなに気にならないのですが(あ、でも新しい車両こっちに早くよこして欲しいです)、風がなくても静かに寒い今日この頃。そりゃあ気も滅入りますよ。
それでもどうしても行きたかったマーラー巡礼第8弾。作曲された順番と違って「千人の交響曲」の前に「大地の歌」。どうしてなんだろう。
「大地の歌」は歌付きの交響曲になるはずだった歌曲集というか。6つ歌つき楽章が続いてれば歌曲集とも交響曲ともとれますね。交響曲とみるとちょっと短い(当社比較マーラー基準)ですが歌曲集とすると最終楽章の突然の30分という長さが異様だったり。
そんな変わった曲ですがプログラムはこんな感じでした。
MSO Plays Das Lied von der Erde
指揮:Sir Andrew Davis
フランツ・シューベルト 交響曲第7番「未完成」
(休憩)
グスタフ・マーラー 「大地の歌」(メゾ・ソプラノ:Catherine Wyn-Rogers、テノール:Stuart Skelton)
マーラーの交響曲にはちょっと短めのこの曲、合わせるなら同じく交響曲としては半分サイズの未完成交響曲が合いますね。そういう時間的な問題だったり作曲の経緯にいわくつきだったり、それ以外にもっと音楽的なところでもなんか相性良いとこある気がするこの2曲。
未完成、今回のメル響はいい意味でまとまってたかも。ドラマチックなところが爆発しすぎてないというか、大きいコンサートホールでの響きだけどintimateなところがあったり。
メロディーとかソロももちろんいいんだけど伴奏に心地よさみたいなものがあった印象。
あと木管の音の溶け合い方もよかったな。オーボエとクラリネットとか、あんなにも違う音を歩み寄るようにどうやってするんだろう。
そして「大地の歌」。時間的には短めで交響曲ほどでっかくないにしても内容はみっちり濃いし難しい。7番でなんとか頭の中に収まるイメージだったのが大地の歌はかなり頭からはみ出てしまう感覚。聞いててすっごい難しい!特に最終楽章を一つの世界として理解して噛み砕いて飲み込んで消化できるかといえば最初の段階ですでにつまずいてるかも。胸焼けまでも行ってない。
そもそもマーラーが作曲家として弾き手・歌い手・指揮者・聴き手全てに対して容赦ない。
特に歌い手は大変だと思う。さらに言えばテノールはかなりしんどそう。今回歌った方も透明感があるまっすぐな歌声だったんですがなんせバックがフルオケ(=マーラーの、フルオケ)で。音域的にオケとかぶると飲み込まれやすいとこにあると思うんだなー。
メゾソプラノの歌う楽章は(少なくとも音量的には)もちょっと歌い手に優しいかも。
その変わりメゾソプラノは最終楽章担当なので音楽的&体力的に難しいパート。
オケの演奏も良かったと思う中でやっぱり音の質がこの曲を描き彩るべきものちょーっと違ってたような気がします。もっとこう暖かいというか全体を繋いで抱くようななにかというか、うーん難しい。録音・コンサート合わせて色んなオケで聴き込めばわかるかな。
そもそもこの曲をもっともっと分かりたいという気持ちがほんと強いです。現代音楽に限らず、分からないから好きになる、分からないから分かりたい。とにかく掴みたい。
大地の歌も今回聴いて「掴めるかも」まで頭が迫ったところもあり、最終楽章の後半、特に最後の天国的な(チェレスタソロ!)部分の美しさも心にストレートに来てそれだけもこの曲を好きになるのに十分なのですが。それでもそれだけじゃ足りないと思ってしまう。
ついでにな話になりますが大地の歌の歌詞、色々lost in translation的な経緯をたどった元ネタは漢詩なんですよ。ちょこちょこ、というかちくちく「漢文勉強しろ」と縁が言っている。なんとかしたいなあ。
あ、漢詩つながりってのもありますが続報が入ったので。前の前のエントリーで書いたこないだ亡くなった若い作曲家さんの偲ぶ会というかなんというか、とにかく彼の作品が演奏されるそうなのでちょっと行ってみようと思ってます。親しい仲とかじゃ全然ないし特に悲しい方面での感情的な場には苦手意識があるのですが作品を聴きたい気持ちはすごく強いので。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 「大地の歌」より第6楽章「告別」
マーラーでいうと交響曲第3番は最初の楽章が30分くらいで目立って長く、この大地の歌は最後が30分くらいで目立って長く。巡礼的に聴いてきてどっちがしんどいかっていうと五十歩百歩かなあ。どっちの長い楽章も音楽の流れというかストーリーの構成というかそういうのがなかなか見えにくい書かれ方をしている。まだ6番の最終楽章(これも30分超え)の方が安心して聴いてられるというか。いやあれも別の意味で安心じゃないですが。
しかもマーラーってばこの楽章だけ歌詞に漢詩2つ使ってるんですよ。孟浩然と王維。しかもmix & match的に使ってる。詩の世界を大切にしてないわけじゃなくむしろ逆で、それに合わせて自分が描きたい諸々に対する思い入れがすごくてこういう形になったのか。どのみちマーラーが何を思ってこの最終楽章を長さ始めこういう形にしたのか凡人の頭では全然手が届かないです。
(ただしマーラーは3番の第1楽章を最後に書いたことについて「最初に書いてたら一生この交響曲書き終わらなかった」とか言ってるそうなので天才的な感性・思考を変な方向に突き抜けているという可能性はあります)
歌曲としてもちょっと奇妙さがあるというか。割と最初の方からオケが歌い手をサポートするよりも一人ぼっちにさせるようなパートになってるような。もちろんピアノ伴奏の歌曲みたいなアンサンブルとは違う世界なんだけどそれを考慮してもちょっと関係性が・・・異様というか。
それがでも最後の方でうまーいこと溶け合うようなところもあったり。やっぱすごいよなあ。
マーラーは交響曲も9つ+αあるしオケ伴奏の歌曲集も色々あるけどこの最終楽章みたいな世界観ってなかなか出会えないかもしれない。荒涼とした雰囲気も、心に来る重さも、そして最後の「永遠」の美しさも。ただこれを聴くと例えばホルストの「惑星」の「土星」にもつながるところがあったり、正にこの楽章からインスピレーションを得てるクラムのアメリカ歌曲集第7巻のラストにもつながるところがあったり(クラムがマーラーから受けた影響も)、唯一無二ながら色んなところにリンクしている感がまた面白い。それも含めてもっと分かりたい。
さすが録音もたくさんあるんですがどこのオケ・どの指揮者・どの歌手の録音がいいんだろう。うちにあってなんとなく聴いてたから今の今まで全く意識してなかった。もしかしたらちょっと変わった感じかもわからないけどブーレーズ指揮の録音にしてみる。
不思議な物であんまり耳がうまくつきにくいと思った曲でも録音を(特に新しいクリアな音質の録音に)変えてみると不思議と聞きやすくなったり。もちろんこの曲に限ったことではないですが複雑で長いこの曲では特に「むむっ」と思ってももひとつ試すのがおすすめです。
無事本番終わりました~
Stonnington Sympony Orchestraコンサート
Stonnington Sympony Orchestraコンサート
6月4日(日)14時30分開演
Malvern Town Hall
指揮者: Patrick Miller
アレクサンドル・ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」
セルゲイ・プロコフィエフ 「キージェ中尉」組曲(バリトン:Matthew Thomas)
アレクサンドル・ボロディン 「イーゴリ公」序曲
ニコライ・リムスキー=コルサコフ シェヘラザード(バイオリン:Roy Theaker)
ほんとあっという間でした。そこは普段なら惜しむべきとこなんですが昨日はちと早起きして向こうに着いたくらいから体調が芳しくなくてステージにいるのが短かったのはある意味ありがたかった。ほんとは後半のシェヘラザードも中で座って聞こうと思ってたのですが。
本番ならではのころっと転げちゃうとことか本番にいきなりぴしっと決まるところや本当に色々で、それが本番なんだなとちょっと感じるとこもあった演奏でした。
キージェは前も書いた通りオケ全体の基礎を試すようなところがあったり、シェヘラザードも同じくオケみんなに色んなものがハイレベルで求められる曲で。オケの一員ってやっぱりいいなあ。
自分の出番自体はもう何も話すようなことがなかったです。とにかく少ない出番が。
今回指揮者さん(ふだんはオペラ関係で指揮する人なのですが)が演奏内外チェレスタを気にかけてくれたりいい人で、実際の指揮も良い感じの人だったので出番が少なかったのはやっぱり残念。どっかまた一緒にお仕事できたらいいなあ(ちゃんと伝えた)。
ということで演奏自体にあんまり書くことがないのでまあそこら辺周りでちょっと。
もしかしたら前も書いてるかも知れませんがサウンドチェック、日本語でいうとゲネプロのこと。
コンサートの前、大体コンサート当日でコンサート会場でやる最後のリハーサルのことをゲネプロ、サウンドチェックと言います。
言わずもがな普段のリハーサルよりかなり重要なリハーサルです。
今回お仕事させていただいたStonnington Symphonyはリハーサル場所が本番の場所と全く同じなのですがそうでないケースの方が多く、そういう場合に実地でサウンドチェックするのは音響やオケのメンバーが見えるかどうか距離感がどうかとか照明、空調、曲間の椅子など移動だったり実際の演奏以外の色々な要素が大事になってきます。
で、サウンドチェックはそんなに長く時間は取れないことが多いです。理論的にプログラム全部通すくらいの時間があっても実際そんなことはしてられないケースが圧倒的。
そういうときサウンドチェックで何をカバーするか、上記みたいな周りの細々とした大事なものにも時間を割くのが分かってる上でいつもよりも厳しい時間管理をどうするか、そこを指揮者がどう考えてるかってのは実際の指揮や解釈と同じくらい人それぞれで面白いです。
あともう一つサウンドチェックで考慮しなくちゃいけないのが奏者の体力。奏者というか主に金管楽器の唇の体力ですね。プログラムにもよるのですが例えばマーラーとかシュトラウスとかだと金管の人達ところどころ弾いてないとことか楽めに吹いてるところがあったり。知らない人には見えないところで一部ものすごいハードなスポーツが繰り広げられているらしいです。
(私はその対極といえるくらい動かなくて下手すりゃ凍えるほどなのに)
オケのコンサートだとサウンドチェックがあんまり朝早かったりコンサートまでの間が中途半端に空いたりして過ごし方に迷ったりみたいなことがなくて、ついでに天気が良かったら本番当日はむしろ普段よりのんびりできるのが良いです。次回のコンサート(近いうちに改めてお知らせ予定)もそんな当日になるといいな。
今日の一曲: ニコライ・リムスキー=コルサコフ シェヘラザード 第3楽章「若い王子と王女」
いやあやっぱりシェヘラザードいいですよね。弾けたらなあ&踊れたらなあ。
あと想像の中のいろんなバイオリン弾き設定の人物にシェヘラザードのソロを弾かせたらどうなるのかどう違うのか考えてみるっていう遊びも好きです。賢姫の面だったり色気だったり技巧だったり自由さだったりいろんな要素が絡んできて考えてるだけで楽しい。
ソロの出番で言ったら多分一番少ないんじゃないかと思われますがオケの色気というかロマンティシズムがすごいのはこの第3楽章じゃないかな。特に中間部後半からの盛り上がりでいわゆる英語でいうところのschmaltzというかオーバーなくらい甘ったるくてロマンチックな音楽の盛り上がりが楽しめる(常時そうでないのでちょうどいい)。
特に一番のクライマックスのとこ!ここまでやるか!というほどブレーキかけて全オケで持ってってボリューム膨らませて、それで降りてくる途中のハープの分散和音がなんかすごいキラキラすぎるかと思いきや絶妙で。もう!なんでこんな音楽書くんだよう!みたいなドーパミン的にも音楽的にも諸々オケの細かいことに関してもしてやられた感があるクライマックスです。
もちろんハイライトは他にも色々。クラリネットやフルートの速い音階上下が難しそうなのにクールに弾いててかっこよかたり、中間部のリズムだったり(スネアドラムやトランペットのリズムの真似よくします)、後半でバイオリンソロが伴奏的な感じのソロを弾いてたり。どうしてこういうとこにテンション上がるのか分からないですけどシェヘラザードはとにかくオケの活躍がメインもサブもそれ以外も聞いてて楽しいです。
リンクしたのはデュトワ指揮のモントリオール交響楽団の演奏。特にこの楽章と相性良さそうな感じ。同じくリムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲は多くのアルバムで一緒に収録されてますが残り時間も曲調もいいコンビですね。
ほんとあっという間でした。そこは普段なら惜しむべきとこなんですが昨日はちと早起きして向こうに着いたくらいから体調が芳しくなくてステージにいるのが短かったのはある意味ありがたかった。ほんとは後半のシェヘラザードも中で座って聞こうと思ってたのですが。
本番ならではのころっと転げちゃうとことか本番にいきなりぴしっと決まるところや本当に色々で、それが本番なんだなとちょっと感じるとこもあった演奏でした。
キージェは前も書いた通りオケ全体の基礎を試すようなところがあったり、シェヘラザードも同じくオケみんなに色んなものがハイレベルで求められる曲で。オケの一員ってやっぱりいいなあ。
自分の出番自体はもう何も話すようなことがなかったです。とにかく少ない出番が。
今回指揮者さん(ふだんはオペラ関係で指揮する人なのですが)が演奏内外チェレスタを気にかけてくれたりいい人で、実際の指揮も良い感じの人だったので出番が少なかったのはやっぱり残念。どっかまた一緒にお仕事できたらいいなあ(ちゃんと伝えた)。
ということで演奏自体にあんまり書くことがないのでまあそこら辺周りでちょっと。
もしかしたら前も書いてるかも知れませんがサウンドチェック、日本語でいうとゲネプロのこと。
コンサートの前、大体コンサート当日でコンサート会場でやる最後のリハーサルのことをゲネプロ、サウンドチェックと言います。
言わずもがな普段のリハーサルよりかなり重要なリハーサルです。
今回お仕事させていただいたStonnington Symphonyはリハーサル場所が本番の場所と全く同じなのですがそうでないケースの方が多く、そういう場合に実地でサウンドチェックするのは音響やオケのメンバーが見えるかどうか距離感がどうかとか照明、空調、曲間の椅子など移動だったり実際の演奏以外の色々な要素が大事になってきます。
で、サウンドチェックはそんなに長く時間は取れないことが多いです。理論的にプログラム全部通すくらいの時間があっても実際そんなことはしてられないケースが圧倒的。
そういうときサウンドチェックで何をカバーするか、上記みたいな周りの細々とした大事なものにも時間を割くのが分かってる上でいつもよりも厳しい時間管理をどうするか、そこを指揮者がどう考えてるかってのは実際の指揮や解釈と同じくらい人それぞれで面白いです。
あともう一つサウンドチェックで考慮しなくちゃいけないのが奏者の体力。奏者というか主に金管楽器の唇の体力ですね。プログラムにもよるのですが例えばマーラーとかシュトラウスとかだと金管の人達ところどころ弾いてないとことか楽めに吹いてるところがあったり。知らない人には見えないところで一部ものすごいハードなスポーツが繰り広げられているらしいです。
(私はその対極といえるくらい動かなくて下手すりゃ凍えるほどなのに)
オケのコンサートだとサウンドチェックがあんまり朝早かったりコンサートまでの間が中途半端に空いたりして過ごし方に迷ったりみたいなことがなくて、ついでに天気が良かったら本番当日はむしろ普段よりのんびりできるのが良いです。次回のコンサート(近いうちに改めてお知らせ予定)もそんな当日になるといいな。
今日の一曲: ニコライ・リムスキー=コルサコフ シェヘラザード 第3楽章「若い王子と王女」
いやあやっぱりシェヘラザードいいですよね。弾けたらなあ&踊れたらなあ。
あと想像の中のいろんなバイオリン弾き設定の人物にシェヘラザードのソロを弾かせたらどうなるのかどう違うのか考えてみるっていう遊びも好きです。賢姫の面だったり色気だったり技巧だったり自由さだったりいろんな要素が絡んできて考えてるだけで楽しい。
ソロの出番で言ったら多分一番少ないんじゃないかと思われますがオケの色気というかロマンティシズムがすごいのはこの第3楽章じゃないかな。特に中間部後半からの盛り上がりでいわゆる英語でいうところのschmaltzというかオーバーなくらい甘ったるくてロマンチックな音楽の盛り上がりが楽しめる(常時そうでないのでちょうどいい)。
特に一番のクライマックスのとこ!ここまでやるか!というほどブレーキかけて全オケで持ってってボリューム膨らませて、それで降りてくる途中のハープの分散和音がなんかすごいキラキラすぎるかと思いきや絶妙で。もう!なんでこんな音楽書くんだよう!みたいなドーパミン的にも音楽的にも諸々オケの細かいことに関してもしてやられた感があるクライマックスです。
もちろんハイライトは他にも色々。クラリネットやフルートの速い音階上下が難しそうなのにクールに弾いててかっこよかたり、中間部のリズムだったり(スネアドラムやトランペットのリズムの真似よくします)、後半でバイオリンソロが伴奏的な感じのソロを弾いてたり。どうしてこういうとこにテンション上がるのか分からないですけどシェヘラザードはとにかくオケの活躍がメインもサブもそれ以外も聞いてて楽しいです。
リンクしたのはデュトワ指揮のモントリオール交響楽団の演奏。特にこの楽章と相性良さそうな感じ。同じくリムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲は多くのアルバムで一緒に収録されてますが残り時間も曲調もいいコンビですね。
タイトルの通りなのでまずはお知らせ~
Stonnington Sympony Orchestraコンサート
6月4日(日)14時30分開演
Malvern Town Hall
指揮者: Patrick Miller
アレクサンドル・ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」
セルゲイ・プロコフィエフ 「キージェ中尉」組曲(バリトン:Matthew Thomas)
アレクサンドル・ボロディン 「イーゴリ公」序曲
ニコライ・リムスキー=コルサコフ シェヘラザード(バイオリン:Roy Theaker)
前半の私が弾いてない2曲、どっちも聞いたことない曲でした。ボロディンにはあんまり詳しくない。あんまり縁がないんだよなあ。イーゴリ公といえば韃靼人の踊り弾いたけど。
改めて聞いてみるとボロディンはメロディーの人で、同じメロディー繰り返してても(中央アジア~とか)美しい音楽になるような。中央アジアの~が交響詩であることは今調べて知ったのですがロケーション以外は北欧の交響詩に似た風景画的な音楽。
そして今週のキージェのリハーサルはバリトン歌手と一緒でした。歌付きバージョンだと曲のロシアっぽさが上昇するような気がします。ロシア語を歌詞として聞いてるのもあるのかもですがメロディーと伴奏の関係性により集中してディテールに気づくというかなんというか自分でも何言ってるかわからなくなってきた。とにかくキージェ中尉がこんなにもロシアなキャラの音楽だとは長年聞いてて(というか長年聞いてたからこそ)気づかなかったです。
あと普段からバリトンの歌聞いてないわけじゃないんですけどバリトン歌手ってすごい低い声域で歌うなー。たぶんキージェでいうと第2楽章はスタンダードな声域で、第4楽章のトロイカはかなり高い部分が多いぽい。
楽器でいうとチェロやファゴット、ホルン、トロンボーン、バスクラなんかは中低音楽器といえど結構高い音域でのメロディーもよくありますし。こういう楽器がいわばテノールに相当して、バリトンはコントラバスやチューバなのか、感覚的に。
そういえばすでに書いたかわからないのですが英Boosey & Hawkesで注文したカバレフスキーの24の前奏曲(ピアノ独奏)とショスタコ13番ミニスコア(次のオケ仕事用)がこないだ届きました。ミニスコアさすがに音符と文字が小さい・・・年齢じゃなくて多分実際小さいしあと眼鏡もそろそろ新しくしたほうがいいのかも。
あとこの版のショスタコ13番は歌詞がキリル文字ロシア語+ドイツ語でしか書いてないので歌って遊べないのが残念。ドイツ語も歌えるドイツ語で書いてあるみたいだけど・・・違うんだよう。
ショスタコ13番はハープ4人必要で、そういう曲って珍しくないはずだし大体の場合は2人でもなんとかなる(特にアマチュアオケだと)場合が結構あるのですが今回実際4人ハープを揃えるらしく。裏方経験からいって大変なことだしすごいこと。そしてチェレスタ弾き経験からいって一人くらい知ってる人がいるはず。いるよねえ。クラシック音楽の世界自体狭い世界で、その中でのレアキャラであるハープですし。そこも含めて楽しみです。
とりあえずまずは日曜日のコンサート。短いとはいえしっかり出番。お隣さん両サイドも来てくれるはずなのでしっかり聞こえるように頑張らないと。出番が少なすぎて申し訳ないくらいだけど、聞いて楽しいプログラムのコンサート。楽しんでもらえるといいな。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ 「キージェ中尉」第2楽章「ロマンス」
ということで日曜日に弾くやつを。この楽章だとほんとにちょろっと2回(チェレスタで)弾くだけなのですが個人的に音楽的になかなかおいしいパートだと思ってます。
バリトン歌手(歌なし版ではチェロのソロ)との絡み方がなかなか粋だと思うのですよ。コールアンドレスポンスとはちょっと違うオーバーラップありの会話的なかけあい。
さきほどボロディンの作品がメロディー中心といいましたがこのロマンスもかなりメロディーの力に支えられてます。メインのメロディーはStingを始めいろんなところでカバーされてるほど名メロディ扱いですし、とにかくこの曲はソロが多い。歌付き版だとその多くをバリトンが担当してるのですが、コントラバスとかチェロとかビオラとかサックスとかファゴットとか。いろんな楽器(とくに中低音)にスポットライトが当たって楽しいです。
(そういうとこも手持ちの録音で展覧会の絵やハーリ・ヤーノシュと一緒に収録されてるとさらに楽しい要素かもしれませんね)
歌付き版がないかと調べたらありました。小澤さん指揮で同じくプロコの交響曲第1番第5番が収録。楽しく気軽に聞けるプロコフィエフ集でいいですなー。よく一つのCDに入ったな(5番は決して短くはない)。なにはともあれどれも素晴らしい曲です。
前半の私が弾いてない2曲、どっちも聞いたことない曲でした。ボロディンにはあんまり詳しくない。あんまり縁がないんだよなあ。イーゴリ公といえば韃靼人の踊り弾いたけど。
改めて聞いてみるとボロディンはメロディーの人で、同じメロディー繰り返してても(中央アジア~とか)美しい音楽になるような。中央アジアの~が交響詩であることは今調べて知ったのですがロケーション以外は北欧の交響詩に似た風景画的な音楽。
そして今週のキージェのリハーサルはバリトン歌手と一緒でした。歌付きバージョンだと曲のロシアっぽさが上昇するような気がします。ロシア語を歌詞として聞いてるのもあるのかもですがメロディーと伴奏の関係性により集中してディテールに気づくというかなんというか自分でも何言ってるかわからなくなってきた。とにかくキージェ中尉がこんなにもロシアなキャラの音楽だとは長年聞いてて(というか長年聞いてたからこそ)気づかなかったです。
あと普段からバリトンの歌聞いてないわけじゃないんですけどバリトン歌手ってすごい低い声域で歌うなー。たぶんキージェでいうと第2楽章はスタンダードな声域で、第4楽章のトロイカはかなり高い部分が多いぽい。
楽器でいうとチェロやファゴット、ホルン、トロンボーン、バスクラなんかは中低音楽器といえど結構高い音域でのメロディーもよくありますし。こういう楽器がいわばテノールに相当して、バリトンはコントラバスやチューバなのか、感覚的に。
そういえばすでに書いたかわからないのですが英Boosey & Hawkesで注文したカバレフスキーの24の前奏曲(ピアノ独奏)とショスタコ13番ミニスコア(次のオケ仕事用)がこないだ届きました。ミニスコアさすがに音符と文字が小さい・・・年齢じゃなくて多分実際小さいしあと眼鏡もそろそろ新しくしたほうがいいのかも。
あとこの版のショスタコ13番は歌詞がキリル文字ロシア語+ドイツ語でしか書いてないので歌って遊べないのが残念。ドイツ語も歌えるドイツ語で書いてあるみたいだけど・・・違うんだよう。
ショスタコ13番はハープ4人必要で、そういう曲って珍しくないはずだし大体の場合は2人でもなんとかなる(特にアマチュアオケだと)場合が結構あるのですが今回実際4人ハープを揃えるらしく。裏方経験からいって大変なことだしすごいこと。そしてチェレスタ弾き経験からいって一人くらい知ってる人がいるはず。いるよねえ。クラシック音楽の世界自体狭い世界で、その中でのレアキャラであるハープですし。そこも含めて楽しみです。
とりあえずまずは日曜日のコンサート。短いとはいえしっかり出番。お隣さん両サイドも来てくれるはずなのでしっかり聞こえるように頑張らないと。出番が少なすぎて申し訳ないくらいだけど、聞いて楽しいプログラムのコンサート。楽しんでもらえるといいな。
今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ 「キージェ中尉」第2楽章「ロマンス」
ということで日曜日に弾くやつを。この楽章だとほんとにちょろっと2回(チェレスタで)弾くだけなのですが個人的に音楽的になかなかおいしいパートだと思ってます。
バリトン歌手(歌なし版ではチェロのソロ)との絡み方がなかなか粋だと思うのですよ。コールアンドレスポンスとはちょっと違うオーバーラップありの会話的なかけあい。
さきほどボロディンの作品がメロディー中心といいましたがこのロマンスもかなりメロディーの力に支えられてます。メインのメロディーはStingを始めいろんなところでカバーされてるほど名メロディ扱いですし、とにかくこの曲はソロが多い。歌付き版だとその多くをバリトンが担当してるのですが、コントラバスとかチェロとかビオラとかサックスとかファゴットとか。いろんな楽器(とくに中低音)にスポットライトが当たって楽しいです。
(そういうとこも手持ちの録音で展覧会の絵やハーリ・ヤーノシュと一緒に収録されてるとさらに楽しい要素かもしれませんね)
歌付き版がないかと調べたらありました。小澤さん指揮で同じくプロコの交響曲第1番第5番が収録。楽しく気軽に聞けるプロコフィエフ集でいいですなー。よく一つのCDに入ったな(5番は決して短くはない)。なにはともあれどれも素晴らしい曲です。