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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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メル響コンサート「Piers Lane Plays Beethoven」感想
日本も朝昼夜の寒暖差が結構ありましたがメルボルンも結構あることを身にしみながら行って来たコンサートの感想です。(でも自分で編んだショールを首回りに巻くだけでかなり違いました。やっぱりショールはもっと編みたい)

メルボルンに戻ってからすぐだったけど行かないわけにはいかなかったメル響のコンサート、プログラムはこんな感じでした。
Piers Lane Plays Beethoven
指揮者:Sir Andrew Davis
Ed Frazier Davis 「Fire of the Spirit」
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番(ピアノ:Piers Lane)
(休憩)
レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第5番

久しぶりのPiers Lane生演奏を聴けるコンサート。前回はベートーヴェンの4番だったかな。1番は録音だと聞くけどコンサートで聴くのはあんまりない気が(3,4,5番がやっぱ圧倒的ですよね)。ベートーヴェンのユーモアのある面とあとコンサートピアニストとしての面が主に光る協奏曲で、半音階的な和音進行の使い方は「もうこんなことやってたんかい!」とツッコミを入れたくなる(?)きっと当時ではかなり斬新だったであろう色彩。面白いけどそんなにそういう技巧を詰め込まんでくれーと言いたくなるあたり私はダメピアノ弾き。

ちなみに第1曲目の作曲家Ed Frazier Davisはなんと指揮者のサー・アンドリュー・デイヴィスの息子さんだそうで。(前も彼の曲演奏されたよね、と調べてみたらPlexusのコンサートで。そうかあの時飲みにきたのは息子の作品を聴きにきたんだ、と納得)
時間的には短めながらそこそこのサイズのオケでしっかり聴ける面白い合唱曲でした。なかなかうまいこと説明できないのですがオーストラリアやアメリカの音楽に特徴的な「前向き」な響きがある曲で。楽器と合唱をパズルみたいに組み合わせてるような印象のとこもちょっとあり。なにより現代において再評価されている(おそらく最古の)女性作曲家Hildegard von Bingenの作品を曲でなく歌詞を取り上げたというのも面白かったです。色んなルートで色々広がれ-。

ただ今回の一番の目当てはヴォーン=ウィリアムズの5番でした。このブログでも書いてると思うんですが意外と交響曲が演奏されない珍しい作曲家。私も大学のオケが弾いて以来生ではこの曲に出会えてませんでした。
しかもBBC Promsに続きサー・アンドリューがちょっとマイナーめのイギリス音楽を振るというのはものすごく期待大で。まあ間違いないですよ。ちょっと第1楽章がもっとlaid backなくらいの方が好きかなーと思ったくらいでとにかく至福の時でした。もっとやろうよヴォーン=ウィリアムズ。

そのサー・アンドリュー・デイヴィスも今年末でメル響の首席指揮者としての契約は終わり。まだマーラーサイクルでやってなかった「千人の交響曲」を振りに来年ゲストとして戻ってくるそうですが首席指揮者が変わったらレパートリーの傾向も変わるだろうし、寂しくはありますが新しくなることにわくわくもしています。(来年のプログラムはもう出ていますがざっとしかまだ見てない)

さて、さっきやっとこさもらった&買ったCDのインポートが済んで旅前に買った分と合わせて紹介する曲が急速に溜まってますが今回のコンサートから一つ。


今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第5番 第3楽章「ロマンス」



自分の心に近しい交響曲ですしぼんやりと知ってはいたものの今回コンサートの神のプログラムを読んで改めて「ああなるほど」と思うことがいくつかありました。
一つはこの曲が第2次世界大戦中に書かれていること。つまりはこの曲の懐かしい美しさ、時には狂おしいほど繊細なそれは現実世界のものというよりは「失われた物」だったんだな、と(だから色んなフィルターがかかってあんなに幻想的で美しい景色になるんだろうな)。

二つ目はこの交響曲の4つの楽章全てが「だいたいニ長調のようだけどふんわりした調性」で書かれていて、さらに弱音で始まって弱音で終わる構成になってること。交響曲にしろソナタにしろ複数楽章で書かれてる作品で全楽章が同じ調ってなかなか珍しいですよね。とはいえこの曲も各楽章それぞれちょっと違うフレーバーのふんわりした調性ですし他にも色々相違点がたくさんあるので似たようには聞こえないのですが。

ロシアとかドイツとかそっち方面の交響曲に比べるとそもそも音楽が軽め(airyと言いたい)で内容も薄めみたいな感じは全体的にあるのですが、それに↑の2点が加わってさらに非現実的な、終わってみるとまるで幻だったみたいな印象になるんだろうな、と今回生で聴いて思いました。

その中でも一番夢みたいだったのが第3楽章でしたね。イギリス音楽的な美しさで割と聴いてて難解なところは一つもないのにずっと外国語で話している映画やサイレント映画を観ているような、聴いてる自分からなにか一つ隔てた世界を見ているような感覚もあり。

でもなんか言葉とは違う何かで通じ合えるような気がするんですよね。ヴォーン=ウィリアムズもそうですし今日弾き始めたスクリャービンなんかも。暗黙の、というか音楽の世界の中でだけ成り立つ何かがあるような。他の作曲家でももちろんありますけど。

リンク先の録音はサー・アンドリュー・デイヴィスの指揮で。カップリング曲は繊細&儚いを怒濤の如く推したかったのですが(タリス幻想曲とか揚げひばりとか3番とか)それとは真逆ともいえる交響曲第4番。でも吹奏楽に強いヴォーン=ウィリアムズが楽しめるのはこういう作品なのでこちらも是非。

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Kronos Quartet「A Thousand Thoughts」感想
月曜に行ったイベントなんだから早いとこ感想書かないとと思いながらもちょうど今サッカー負けたところでちょっとモチベーションがスローダウンしていてなんか地面を這うように書くはめになっています(汗)
そりゃあ変化の年だからスムーズに行かなくて何も驚くことはないんだけどもごもご。辛抱辛抱です。

さて「イベント」と言いましたしタイトルにも「コンサート」の字がないのにお気づきかと思います。
今回Melbourne Festivalの一環としてクロノス・カルテットがメルボルンに来たのは実はコンサートのためではなく。
「A Thousand Thoughts」という「ライブ・ドキュメンタリー」の上映?公演?のためでした。

ライブ・ドキュメンタリーとは何かというと写真や映像などの上映、生演奏、ナレーションを交えたコンサートでもなく映画でもなく講演でもないフォーマット。ある意味聴衆参加的な要素もあり、あと各要素のクロスオーバーもあり(流れてる映像と一緒に生演奏する、など)。スクリーンの向こうで起きているものを見るのとはまた感覚も捉え方も違うユニークなイベントでした。

「A Thousand Thoughs」はクロノス・カルテットの歴史を追うと同時に音楽や時代、人間の思いと人間の手を超えたところにある概念をクロノス・カルテットの音楽や活動、そしてその膨大なアーカイブに大事に保存されている様々な資料、新しく撮ったインタビューなどを交えてまるで枝分かれして伸びていく木のように探っていく作品です。

タイトル通りさまざまな考え、思いを追っていく中で軸になっていたアイディアは「時」。音楽という芸術形態を支配する要素であり、クロノス・カルテットの名前にも関係が深い概念が様々なアングルで触れられてもうそれだけで考えさせられることがいっぱいで(汗)同じドキュメンタリーでもライブだと今ここで吸収しながら消化して理解しなきゃと思うことが多くてちょっと大変な面もあります。

特に音楽を録音として残すというある意味音楽の特徴である「時とともに通り過ぎてなくなってしまう」ということに反するところもある発明に焦点を当てるのが面白かったです。録音することによって時を止めたり時を戻したり、死者の声まで聴くことができる。そして同時に録音があることでいろんな時代、いろんな場所の音楽に縁が広がっていく。

クロノス・カルテットの生演奏はその遙かなる広いレパートリーからちょこちょこっと色んな曲が聴けて嬉しかったです。ブラック・エンジェルズは諸悪の根源、じゃなくて全ての源ですし少しでも聴けてよかった。改めてこのアンサンブルは面白いこと色々広きに渡ってやってるなと思いましたし自分が全然知らないジャンルの音楽でも導き手として全面的に信頼できるなと思いました。これからもついてきます。

ということでもうキャパオーバーくらいにいろんなthoughtsをもらった面白いイベントでした。最近あれやこれや仕事や一時帰国の準備や色んな方にばたばたしてたのでじっくり座って一つのことに集中して、導き手たちに身を任せて思考を巡らせるという環境と行為がものすごく心地良くて。そういう意味でも行って良かった。

その頃と比べるとちょっと色々テンポは落とせるようになったかな、諸々。
一時帰国は最初の週がものすごくめまぐるしいのでバテないようにこれから調整していきたいです。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「ブラック・エンジェルズ」より「God-Music (solo)」



多分ここでもう何回も紹介してるけどこれはもう仕方が無い。
クロノス・カルテットの創始者で第1バイオリン奏者のDavid Harringtonがラジオで耳にして(ちょっと古い言い回しかもですが)ビビッと来た、そしてそれがクロノス・カルテット結成のきっかけとなった作品です。
インタビューでもありましたが作曲の背景にベトナム戦争があったようにそのビビッと来た背景にも同じくベトナム戦争に関した不安の時代があり。
本当にビビッとくる時ってビビッと来た対象と人間だけでなく色んな要素が絡み合って特別響くんですよね。

それと同時にHarringtonさんはクロノス・カルテットを始めてからも本当にいろんな音楽にアンテナを広げていて、それもビビッとくる音楽との出会いに大事なことですよね。前から話には聴いていましたが改めて映像でみるとHarringtonさんのCDショッピングすごいですよ(笑)それにはまた特別な思いがあることが語られていたのですがここでは長くなるので割愛。

私がブラック・エンジェルズを始めて聴いたのはクロノス・カルテットの録音ではなかったのですがクラムという作曲家の作品にビビッときたのは確かこの曲がきっかけ。ただクロノスさんには他にも色んな音楽に恋に落ちさせてもらってるのでずっと感謝しかないです。
ただクラムへのはまりようは特別。メシアンと並んで運命の音楽レベルだと思います。

ただやっぱり「普通のクラシック」「普通の弦楽四重奏」に耳がなれてると色々びっくりしちゃってもしょうがない作品であるのも確かで(汗)そんな中でこのGod-Musicに落ちてくれてそのまま沼にはまってくれる人が一握りでもいたらなあ、といつも思ってます。チェロの名曲だっていろいろあるけどGod-Musicでのソロは決して負けてない美しさなので。

リンク先はもちろんクロノスの演奏で。ショスタコの8番も入ってたり改めてみると全体的にしっかり方向性というか意味合いが深く鋭くある収録曲のチョイスですね(普段アルバム通して聴くことが少ないのをちょい反省)。

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Emerson Quartetコンサート感想
火曜日にコンサート行ったのにあっという間に金曜日(汗)
水曜木曜はどうしてもバレエからの筋肉痛がすごくて木曜の夜にたどりつくまでにかなり体力を消耗しがち。
それに加えて仕事で今絶賛籠城中でその前に色々済ませたりでまたばたばた。BBC Proms聞いてがんばってます。

コンサートはMelbourne Recital CentreでのEmerson Quartetのコンサートでした。オーストラリア主要都市を回るツアーの一部でメルボルンでは日曜日・火曜日の2公演でそれぞれ違うプログラムを演奏。
私が聴きに行った火曜日はこんな感じでした。

Emerson Quartet @ Melbourne Recital Centre
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 弦楽四重奏曲第21番 K.575
アントニン・ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第10番 op.51
(休憩)
ドミトリ・ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第5番 op.92

日曜の方の公演はハイドン、バルトーク、ベートーヴェンでEmerson Quartetが弾くバルトークもどんなもんか聴いてみたかったのですがやっぱり自分にとってEmerson Quartetといえば手持ちの録音でいうとショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集のボックスセットなのと、あとショスタコのカルテットでもよく聴くやつ以外が聴けるということで火曜日に。

なんか随分と久しぶりに弦楽四重奏を生で聴いた気がします。中学高校でもある程度弦楽四重奏やりましたし室内楽では超メジャーな編成で録音としていろんなカルテット曲を聴きますが改めて新発見再発見の多いこと。

まず弦楽四重奏の4人(バイオリン2人、ビオラ、チェロ)の力関係というか音楽的なバランスってこんな感じだったのかーという発見。もちろん4人が均等なわけではないですがバイオリン同士がこんなに近いとかビオラ・チェロそれぞれの独立感とか、もちろん現代になると大分変わってきますがモーツァルトとドヴォルザークではその均等ではない力関係からくる面白さみたいなのを感じました。

これがショスタコになると(この第5番に限らずですが)バイオリン2人vsビオラとチェロみたいな2:2の対立構図になってきてまた違うスタイルで面白い。ショスタコはオクターブで音重ねたがるんですが2人ずつでもオクターブで弾くなら1+1以上の音が出る単純だけど効果的なエフェクト。今回の演奏では特に前半・後半でのビオラの立ち位置(物理的ではなく音の)の違いでアンサンブルの機能とか響きが変わるのが印象的でした。Twitterでも書いたのですがサッカーにおけるミッドフィールダーですよビオラはほんと。

あともう一つ思うことがあったのが弦楽四重奏曲というジャンルのレパートリーについて。
ドヴォルザークは例えば今回演奏された第10番でもDumka/Furiantというチェコの民族音楽の形式を取り入れてるのですが、全体としては概ねモーツァルトやハイドンあたりからの形式とそんなに変わってないなーと。弦楽四重奏曲というジャンルの形式やキャラクター、意味合いが大きく変わってくるのはもしかしてショスタコーヴィチやバルトークあたりからなのかもなあ、と。
(少なくとも機能とか意味合いに関してはショスタコのカルテット曲はだいぶ独特なはず)

肝心の演奏の感想はただただよかったですね。もちろん前半も素晴らしかったのですがショスタコですよ。Emerson Quartetはとにかく音もアンサンブルとしてのチームワークもクリーンで洗練されてて、それでショスタコを弾くと刀のように鋭くシンプルに切れる・刺さるのが爽快で。ほんとショスタコの日に聴きに行ってよかった。(でもだからこそその同じ音でバルトークも聴きたかった!)

そしてアンコールもありました。去年亡くなったGeorge Walkerというアメリカの作曲家の四重奏曲とのことで。なんでも黒人の作曲家で初めてピューリッツァー賞を受賞した作曲家だそうで、アメリカでは有名な作曲家&曲らしいですがオーストラリアではなかなか名前も聞かない作曲家。でもそういう曲を国外ツアーに携えてきてくれるのはすごく良いです。新しい音楽に出会えるの嬉しいですし楽しいです。逆にオーストラリアのアンサンブルもどんどんオーストラリアの作曲家の曲を外国に持ってって欲しい(多分そうしてるアンサンブルが多いとは思いますが)。

今月はもう月末までほぼ家に缶詰の予定ですが来月になったらまた楽しみなコンサートがあります。きっと来月は夜も少しは寒くなくなるはず。20℃超えの日も増えるはず。コンサートだけじゃなくてAリーグ(屋外で座る)も始まるんで頼みますよメルボルンの春。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第5番



ショスタコは15つの交響曲と15つの四重奏曲を書いてて前者は公的、後者は私的な性質の作品で、弦楽四重奏曲の方が後の時代に書き始められてる・・・という基本的な説明をまずざっと。
ついでに他にも映画音楽もたくさん書いてたんですよ、というトリビアもちょろっと。

15つの四重奏曲だと第8番が圧倒的に有名ですね。ショスタコの人生に関するエピソードもあり分かりやすく、さらに暗いけど表現がストレートで、ライトモチーフとか引用も使って分析してなるほどと納得しやすい作品。ショスタコの音楽でも入門に使いやすく、弦楽四重奏曲としても面白いレパートリーなのでまた日を改めて紹介しようと思います(意外と紹介してなかった)。

第8番を知って、そこから他の弦楽四重奏曲をショスタコーヴィチの境遇とかを調べながら聴き進めていくともう沼ですね(笑)結構難解な曲もあるのですがそういう経緯とかを調べるとなんとなくわかっていくような部分もあり。

例えばこの第5番もちょっと難しい曲ではあるのですが、この曲がソヴィエトでスターリン政権時代にショスタコの作品の多くが発表できない時代に書かれ、スターリン死後にやっと演奏された、という事前情報があるとちょっとはとっかかりができるようなところはあるんですよね。

ショスタコはがーっと真っ直ぐに色々音楽を投げつけてぶつけてくるところのある作曲家で、それもこの曲で存分に味わえるのですが、同時に信じられないほど繊細な音楽も書けて(弦楽四重奏第5番だと第2楽章はものすごい)、ふっと他の作曲家のスタイルを思わせるような和音なんかも出てきたり。ギャップ萌えってやつですかね。なかなかすごいギャップです。

リンクした演奏はもちろんEmerson Quartetで。全部盛りです。そして追加の小品2曲もまた魅力的です。あとBorodin Quartetの演奏も持ってます。こちらは全集+リヒテルを迎えてピアノ五重奏曲というこれまた美味しすぎる詰め合わせ。演奏もまた違う魅力があるので両方おすすめです。

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コンサート「Miniature meets Monumental」感想
金曜日、土曜日と続けて夜に出かけてきましたー。冬なのに!自分で自分を褒めたい(大袈裟)
どちらも感想書く案件なのでまずは金曜の分を。

金曜日はちょっと前からかなり楽しみにしていたMargaret Leng Tanのコンサートでした。
ピアニストでありトイピアノも本家ピアノと同等に弾いてさらに色んな小道具的楽器もこなすピアニスト。自分にとってはクラムの「マクロコスモス」第1巻・第2巻の演奏がバイブル的なポジションで、後にトイピアノなどでの活動を知ってずっと聴いてみたいと思っていました。

プログラムはこんな感じでした:
Miniature meets Monumental
ピアノ・トイピアノ等:Margaret Leng Tan
John Lennon/Paul McCartney「Elenor Rigby」(トイピアノ編曲:Toby Twining)
Phyllis Chen「Carousel」「Cobwebbbed Carousel」(映像:Rob Dietz)
James Joslin「Fuer Enola」
Erik Griswold「Old MacDonald's Yellow Submarine」より第4,5楽章
Raphael Mostel「Star-Spangle Etude No.3, 'Furlikng Banner'」
Philip Glass「How Now」
(休憩)
Jed Distler「Minit Ring (with apologies to R. Wagner)」
エリック・サティ ジムノペディ第3番
Toby Twining「An American in Buenos Aires (A Blues Tango)」
Henry Cowell「Tides of Manaunaun」「Advertisement」
佐藤 聰明「Cosmic Womb」

このうちグランドピアノ演奏はGlass、サティ(+トイピアノ)、Twining(+トイピアノ)、Cowell2曲、そして佐藤(+録音テープ)でした。もちろん現代音楽ばっかり。存命の作曲家がほとんどです。
トイピアノのための曲は彼女のために書かれたものが多いのかなと思ったらそうでもなく。ジャンルとしては意外と大きいみたいですね。

これだけ曲があると長いコンサートに見えるかもしれませんがそこはタイトル通り大なり小なりどっちもあり。Glassは圧倒的に長かったです(笑)ただ曲の順番とかもしっかりツボにはまってて苦にはなりませんでした(ちょっとうとうとしてしまったのはもうしょうがないです、頭が追いつかなくて)。

Miniature to Monumentalという題名、そしてテーマもものすごく納得のプログラムで。トイピアノという小さな楽器からコンサートグランドピアノという楽器まで、1分の曲から20分の曲まで、おもちゃの世界から宇宙まで。そして「大きな」アメリカ(とその大統領)にちょっと皮肉を投げかけてみたり、巨大な編成で16時間もするワーグナーのオペラを1分でトイピアノでやってみたり。そしてトイピアノに限らず大きなピアノでも小さな世界から大きな世界まで表現できる。いろんな要素が詰まってすべて楽しいコンサートでした。

今回のプログラムではピアノの中の弦を弾いたりする特殊奏法はなかったのですが腕でクラスター和音を弾くとかはありましたししっかり見れました。それで改めて思ったのですが腕が長い(そして場合によっては足が長い)ってこの手の奏法ではだいぶ有利になるなあと(笑)詳しいことは今日の一曲で書きますが普通にピアノ弾くより体格の影響を感じます。

今回初めてMargaret Leng Tanの演奏を聴いてこれは一生に一回の体験かもなあとか思ってたのですがご本人から来年2月に戻ってくるよーとのお知らせがあり(笑)ものすごく楽しみにしています。
ちなみに来週のシドニーでの公演では今回プログラムに入ってなかったクラムのMetamporphoses第2巻の豪初演があるらしくものすごく歯噛みしています。今回のプログラムに不満があるわけじゃないですがそっちが聴きたかった!!おのれシドニー。

又聞きベースの印象ではありますが(それでもソースは現在活動してる作曲家とかそういう方面)現代音楽への反応というか受け入れに関してはメルボルンがとてもポジティブという雰囲気があると思います。今回だってMelbourne Recital Centreの大きいホール半分くらいの聴衆ではありましたがみんな(ながーいGlassの曲も含めて)楽しんでたような印象を受けましたし。
次回はメルボルンローカルのアンサンブルとのコラボなのでさらにお客さん集まるといいなあ。

ということで次回は土曜日のお出かけの話に。写真もあります。


今日の一曲: Henry Cowell 「3つのアイルランドの伝説」より「The Tides of Manaunaun」



今回のコンサートで「生で聴けるなんて!」と感動したのは佐藤 聰明の「Cosmic Womb」ですが「出会えてよかった!」と思ったのはこのCowellです。久しぶりに何これ弾きたい的な食指が大きく動いてなんか生き返った感さえあります。(ついでにサティも久しぶりに弾きたくなりました。自分にしては珍しい)

「3つのアイルランドの伝説」はその名の通りアイルランドの伝説に基づいた曲で、各楽章の冒頭にその元になった伝説の説明があります。The Tides of Manaunaunは創世神話、世界が作られる前の「原始の海」(水ではないですが)の描写です。つまりは自分にとってはクラム(マクロコスモス第1巻第1楽章や「鯨の歌」)やメシアン(アーメンの幻影の第1楽章)などにつながりがあるイメージで、さらには終わりの海であるドビュッシーの「沈める寺」なんかにもリンクする。

先ほども書いたようにピアノの中を弾くような特殊奏法(同じくCowellのBansheeにより有名になったやつですね)はないですが腕で弾くクラスター和音が特徴的。というか3つの楽章通してずっと出てくる。3つで10分ちょいと長くはないですし単品で弾くのも全然ありですが持つかな私の腕とか色々。

というのも腕が短いと和音の音を全部押さえるのが難しくなったりもう一つの手で遠くのメロディーを弾くのが難しくなる(=前腕の短さ)だけでなく姿勢もちょっと無理な感じになる(=二の腕の短さ)ことが判明していて。ピアノにべたっと突っ伏するみたいな姿勢をなるべく避けてクラスター和音もメロディーもしっかり弾ける体勢を探したいです、まず。

低音のクラスター和音の宇宙的で原始的な響きの上にアイルランド風のメロディーが乗っかるとてもシンプルながら効果的な曲調がほんと好きで好きで。アイルランドのメロディーが元々好きなのもありますが何より新しい響きと古い響きをどっちも併せ持つ音楽が大好物。クラスター和音とか特殊奏法とかいうと敬遠されがちですが決して聞きにくくはない音楽ですし表現としては素直なのでどんどんおすすめしたいですし弾く機会があればいい感じの曲の組み合わせで弾きたいです。

残念ながらMargaret Leng Tanの録音がAmazonに見つからなかったのでせめて3つ揃ってる録音をと思ったらそれも無くてなんだよう!と単純にCowell作品てんこ盛りの録音にしました。これは残り2つも弾かなきゃなあ・・・(意味不明の使命感)

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コンサート「Miniature meets Monumental」感想
金曜日、土曜日と続けて夜に出かけてきましたー。冬なのに!自分で自分を褒めたい(大袈裟)
どちらも感想書く案件なのでまずは金曜の分を。

金曜日はちょっと前からかなり楽しみにしていたMargaret Leng Tanのコンサートでした。
ピアニストでありトイピアノも本家ピアノと同等に弾いてさらに色んな小道具的楽器もこなすピアニスト。自分にとってはクラムの「マクロコスモス」第1巻・第2巻の演奏がバイブル的なポジションで、後にトイピアノなどでの活動を知ってずっと聴いてみたいと思っていました。

プログラムはこんな感じでした:
Miniature meets Monumental
ピアノ・トイピアノ等:Margaret Leng Tan
John Lennon/Paul McCartney「Elenor Rigby」(トイピアノ編曲:Toby Twining)
Phyllis Chen「Carousel」「Cobwebbbed Carousel」(映像:Rob Dietz)
James Joslin「Fuer Enola」
Erik Griswold「Old MacDonald's Yellow Submarine」より第4,5楽章
Raphael Mostel「Star-Spangle Etude No.3, 'Furlikng Banner'」
Philip Glass「How Now」
(休憩)
Jed Distler「Minit Ring (with apologies to R. Wagner)」
エリック・サティ ジムノペディ第3番
Toby Twining「An American in Buenos Aires (A Blues Tango)」
Henry Cowell「Tides of Manaunaun」「Advertisement」
佐藤 聰明「Cosmic Womb」

このうちグランドピアノ演奏はGlass、サティ(+トイピアノ)、Twining(+トイピアノ)、Cowell2曲、そして佐藤(+録音テープ)でした。もちろん現代音楽ばっかり。存命の作曲家がほとんどです。
トイピアノのための曲は彼女のために書かれたものが多いのかなと思ったらそうでもなく。ジャンルとしては意外と大きいみたいですね。

これだけ曲があると長いコンサートに見えるかもしれませんがそこはタイトル通り大なり小なりどっちもあり。Glassは圧倒的に長かったです(笑)ただ曲の順番とかもしっかりツボにはまってて苦にはなりませんでした(ちょっとうとうとしてしまったのはもうしょうがないです、頭が追いつかなくて)。

Miniature to Monumentalという題名、そしてテーマもものすごく納得のプログラムで。トイピアノという小さな楽器からコンサートグランドピアノという楽器まで、1分の曲から20分の曲まで、おもちゃの世界から宇宙まで。そして「大きな」アメリカ(とその大統領)にちょっと皮肉を投げかけてみたり、巨大な編成で16時間もするワーグナーのオペラを1分でトイピアノでやってみたり。そしてトイピアノに限らず大きなピアノでも小さな世界から大きな世界まで表現できる。いろんな要素が詰まってすべて楽しいコンサートでした。

今回のプログラムではピアノの中の弦を弾いたりする特殊奏法はなかったのですが腕でクラスター和音を弾くとかはありましたししっかり見れました。それで改めて思ったのですが腕が長い(そして場合によっては足が長い)ってこの手の奏法ではだいぶ有利になるなあと(笑)詳しいことは今日の一曲で書きますが普通にピアノ弾くより体格の影響を感じます。

今回初めてMargaret Leng Tanの演奏を聴いてこれは一生に一回の体験かもなあとか思ってたのですがご本人から来年2月に戻ってくるよーとのお知らせがあり(笑)ものすごく楽しみにしています。
ちなみに来週のシドニーでの公演では今回プログラムに入ってなかったクラムのMetamporphoses第2巻の豪初演があるらしくものすごく歯噛みしています。今回のプログラムに不満があるわけじゃないですがそっちが聴きたかった!!おのれシドニー。

又聞きベースの印象ではありますが(それでもソースは現在活動してる作曲家とかそういう方面)現代音楽への反応というか受け入れに関してはメルボルンがとてもポジティブという雰囲気があると思います。今回だってMelbourne Recital Centreの大きいホール半分くらいの聴衆ではありましたがみんな(ながーいGlassの曲も含めて)楽しんでたような印象を受けましたし。
次回はメルボルンローカルのアンサンブルとのコラボなのでさらにお客さん集まるといいなあ。

ということで次回は土曜日のお出かけの話に。写真もあります。


今日の一曲: Henry Cowell 「3つのアイルランドの伝説」より「The Tides of Manaunaun」



今回のコンサートで「生で聴けるなんて!」と感動したのは佐藤 聰明の「Cosmic Womb」ですが「出会えてよかった!」と思ったのはこのCowellです。久しぶりに何これ弾きたい的な食指が大きく動いてなんか生き返った感さえあります。(ついでにサティも久しぶりに弾きたくなりました。自分にしては珍しい)

「3つのアイルランドの伝説」はその名の通りアイルランドの伝説に基づいた曲で、各楽章の冒頭にその元になった伝説の説明があります。The Tides of Manaunaunは創世神話、世界が作られる前の「原始の海」(水ではないですが)の描写です。つまりは自分にとってはクラム(マクロコスモス第1巻第1楽章や「鯨の歌」)やメシアン(アーメンの幻影の第1楽章)などにつながりがあるイメージで、さらには終わりの海であるドビュッシーの「沈める寺」なんかにもリンクする。

先ほども書いたようにピアノの中を弾くような特殊奏法(同じくCowellのBansheeにより有名になったやつですね)はないですが腕で弾くクラスター和音が特徴的。というか3つの楽章通してずっと出てくる。3つで10分ちょいと長くはないですし単品で弾くのも全然ありですが持つかな私の腕とか色々。

というのも腕が短いと和音の音を全部押さえるのが難しくなったりもう一つの手で遠くのメロディーを弾くのが難しくなる(=前腕の短さ)だけでなく姿勢もちょっと無理な感じになる(=二の腕の短さ)ことが判明していて。ピアノにべたっと突っ伏するみたいな姿勢をなるべく避けてクラスター和音もメロディーもしっかり弾ける体勢を探したいです、まず。

低音のクラスター和音の宇宙的で原始的な響きの上にアイルランド風のメロディーが乗っかるとてもシンプルながら効果的な曲調がほんと好きで好きで。アイルランドのメロディーが元々好きなのもありますが何より新しい響きと古い響きをどっちも併せ持つ音楽が大好物。クラスター和音とか特殊奏法とかいうと敬遠されがちですが決して聞きにくくはない音楽ですし表現としては素直なのでどんどんおすすめしたいですし弾く機会があればいい感じの曲の組み合わせで弾きたいです。

残念ながらMargaret Leng Tanの録音がAmazonに見つからなかったのでせめて3つ揃ってる録音をと思ったらそれも無くてなんだよう!と単純にCowell作品てんこ盛りの録音にしました。これは残り2つも弾かなきゃなあ・・・(意味不明の使命感)

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