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ちょっとぶりですー。
前回バレエの話だったのにもう明日またバレエのレッスンです。
その間なにやってたかというと仕事があったりなかったり生活全般続けたり、やっと一昨日昨日とここに書くようなことが出来ました。ちなみにどっちもコンサートです。
一昨日、土曜日の夜は今年一発目のメル響Secret Symphonyコンサートでした。ありがちなようでまだなかった、美術館(NGV International)でのムソルグスキー「展覧会の絵」
(NGVは結婚式とかやる人もいたり、各種functionにも対応しているらしいですね)
ただ現在メル響は一部が上海に演奏旅行に行ってるため、残ってるメンバーで弾いたのはラヴェルがオーケストラ編曲した有名な(というか原曲より有名でしょあれ)バージョンではなく、中国生まれオーストラリア人(そして日本にも少なからず縁がある)作曲家、Julian Yuによる室内オケ版でした。多分ラヴェル版、ピアノ原曲、冨田勲シンセサイザー版に次いで有名なはず?
私も話に聞いてはいましたが実際聴くのは初めて。
いやあ面白かったです。冒頭のメロディーがビオラソロだったのを始めとしていろんなところが中国風なフレーバーになったり、映画音楽っぽいエフェクトがそこここにちりばめられてたり。
自由で独創的で、そしてどうがんばってもラヴェル版と比べてしまう聴衆の心を読むようなオーソドックスと斬新さの絶妙なバランス。もちろんラヴェル版みたいな偉大なる本家(三国志に対する三国志演義みたいなポジション??)にはならないながらも、ラヴェルよりも冒険ができるし、本家から時間が経ってたり、20世紀と21世紀の諸々音楽の進化をしっかり活用して、今という時代をフルにアドバンテージにしたような音楽で。面白かった-(再)。偉大な二次創作・・・という見方でいいのかな。
そしてそんな斬新な体験をした次の日、日曜日の午後は友人Tristan Leeのリサイタルでした。
彼は今年Beethoven and BeyondというタイトルでRichmondのSt. Stephen's Anglican Churchでベートーヴェンと彼に影響を受けた後の作曲家の作品を演奏していくシリーズをやるそうで、今回はその第1回目でした。
プログラムは以前も聴いてる曲でしたが以下の通り。
Beethoven and Beyond: Concert 1
St. Stephen's Anglican Church, Richmond
ピアノ:Tristan Lee
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第13番 op. 27-1「幻想曲風」
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第14番 op. 27-2 「月光」
(休憩)
フランツ・リスト ピアノソナタ
今回ちょっといい感じの雰囲気の教会で(ちょっと私も弾きたくなりましたよ、ピアノもよさげでしたし)日曜の午後でこれまで何回も弾いてきたレパートリーで、という条件が重なったのもあったのか全体的にこれまでよりも自由で柔軟な演奏だった印象です。もちろんリストの深さは相変わらずですが、なんかさらに聴いてて心地よい感があり。
もっと色々聞いてみたい気持ちもありますが彼の弾くこのレパートリーは何度でも聴きたいです。
ということで現代もオーソドックスも音楽的に充実した2日間でした。
次のコンサートは帰ってきたメル響のシューベルト未完成+母校の先輩が歌うフォーレのレクイエム。楽しみです。
そして弾く方ももうちょっとなんとかせねば。仕事のスケジュールが決まったらレッスンも考えたい・・・んだけどさてどうなるか。
今日の一曲: モデスト・ムソルグスキー 「展覧会の絵」Julian Yu編曲版より「古城」
さきほど書き忘れましたがYu氏もTan DunやChen Qigangと同じく文化大革命世代だそうです。オーストラリアに渡ったのが1985年だったかな。その前に日本に留学してたりで、ヤマハの楽譜屋で彼の作品結構置いてあったりします。
ここでは以前Plexusのコンサート関連で彼の名前出したかな、その時もキャッチーながら音楽としてものすごく深いとか質が高いとかじゃない、みたいな印象ですがこの展覧会の絵もそういうところがあったり。ちょくちょくびっくりするようなすごい効果の音楽がありながらたまにちょっとベタなことをベタな感じでやっちゃって「あーもう」な気持ちになったり。そういうとこあるんだよなーまで込みな作曲家だと思ってます。
本文の方でも書きましたがメシアンだったり映画音楽だったりサウンドエフェクトだったり音楽のノウハウを上手く活用してるところが多く。この「古城」でもメインのメロディーを手動(吹くんですが)でディレイかけてリピートして流れる霧のような効果を出したり、かなり凝ってるんです。実際面白いエフェクト。
そしてもちろんこういうエフェクトも奏者の腕が物を言う部分も多い。同じく「古城」のメロディーだとディレイ担当の奏者の強弱や音の質が絶妙じゃないとエコー効果にならないばかりかメインのメロディーとぶつかって台無しにしちゃう可能性も。
ラヴェルも相当オケの奏者(特に管楽器、特にホルン)に無茶させますが、Julian Yuもなかなか無茶させるなーと思いました。特に打楽器。でもこれも今の時代すばらしい打楽器奏者が増えたからこそできること。
ということでやっぱり比べちゃうのは仕方がないのですが、でもなるべく寛大な視点でこの版を聴いて見てください。全部が全部素晴らしいってことはないですが「面白い!」と思えること請け合いです。
そして比べるのは比べるのでまた面白いです。ラヴェル版(もちろん意識して書いてると思います)とどう解釈が違うのか、共通のイメージや要素はどんなのがあるのか。この曲に限らず複数の版がある曲全般の楽しみですがね。
リンクしたのは岩城さん指揮の金沢アンサンブルの録音。プロコフィエフの1番との組み合わせってなんかうなずけます。
そしてここからさらにいろんな編曲の「展覧会の絵」に聴き広げてみるのももちろんおすすめ。Wikipediaの日本語版の記事はこれだけですが英語版にはこんなにたくさん載ってます。すごいぜムソルグスキー。
前回バレエの話だったのにもう明日またバレエのレッスンです。
その間なにやってたかというと仕事があったりなかったり生活全般続けたり、やっと一昨日昨日とここに書くようなことが出来ました。ちなみにどっちもコンサートです。
一昨日、土曜日の夜は今年一発目のメル響Secret Symphonyコンサートでした。ありがちなようでまだなかった、美術館(NGV International)でのムソルグスキー「展覧会の絵」
(NGVは結婚式とかやる人もいたり、各種functionにも対応しているらしいですね)
ただ現在メル響は一部が上海に演奏旅行に行ってるため、残ってるメンバーで弾いたのはラヴェルがオーケストラ編曲した有名な(というか原曲より有名でしょあれ)バージョンではなく、中国生まれオーストラリア人(そして日本にも少なからず縁がある)作曲家、Julian Yuによる室内オケ版でした。多分ラヴェル版、ピアノ原曲、冨田勲シンセサイザー版に次いで有名なはず?
私も話に聞いてはいましたが実際聴くのは初めて。
いやあ面白かったです。冒頭のメロディーがビオラソロだったのを始めとしていろんなところが中国風なフレーバーになったり、映画音楽っぽいエフェクトがそこここにちりばめられてたり。
自由で独創的で、そしてどうがんばってもラヴェル版と比べてしまう聴衆の心を読むようなオーソドックスと斬新さの絶妙なバランス。もちろんラヴェル版みたいな偉大なる本家(三国志に対する三国志演義みたいなポジション??)にはならないながらも、ラヴェルよりも冒険ができるし、本家から時間が経ってたり、20世紀と21世紀の諸々音楽の進化をしっかり活用して、今という時代をフルにアドバンテージにしたような音楽で。面白かった-(再)。偉大な二次創作・・・という見方でいいのかな。
そしてそんな斬新な体験をした次の日、日曜日の午後は友人Tristan Leeのリサイタルでした。
彼は今年Beethoven and BeyondというタイトルでRichmondのSt. Stephen's Anglican Churchでベートーヴェンと彼に影響を受けた後の作曲家の作品を演奏していくシリーズをやるそうで、今回はその第1回目でした。
プログラムは以前も聴いてる曲でしたが以下の通り。
Beethoven and Beyond: Concert 1
St. Stephen's Anglican Church, Richmond
ピアノ:Tristan Lee
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第13番 op. 27-1「幻想曲風」
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第14番 op. 27-2 「月光」
(休憩)
フランツ・リスト ピアノソナタ
今回ちょっといい感じの雰囲気の教会で(ちょっと私も弾きたくなりましたよ、ピアノもよさげでしたし)日曜の午後でこれまで何回も弾いてきたレパートリーで、という条件が重なったのもあったのか全体的にこれまでよりも自由で柔軟な演奏だった印象です。もちろんリストの深さは相変わらずですが、なんかさらに聴いてて心地よい感があり。
もっと色々聞いてみたい気持ちもありますが彼の弾くこのレパートリーは何度でも聴きたいです。
ということで現代もオーソドックスも音楽的に充実した2日間でした。
次のコンサートは帰ってきたメル響のシューベルト未完成+母校の先輩が歌うフォーレのレクイエム。楽しみです。
そして弾く方ももうちょっとなんとかせねば。仕事のスケジュールが決まったらレッスンも考えたい・・・んだけどさてどうなるか。
今日の一曲: モデスト・ムソルグスキー 「展覧会の絵」Julian Yu編曲版より「古城」
さきほど書き忘れましたがYu氏もTan DunやChen Qigangと同じく文化大革命世代だそうです。オーストラリアに渡ったのが1985年だったかな。その前に日本に留学してたりで、ヤマハの楽譜屋で彼の作品結構置いてあったりします。
ここでは以前Plexusのコンサート関連で彼の名前出したかな、その時もキャッチーながら音楽としてものすごく深いとか質が高いとかじゃない、みたいな印象ですがこの展覧会の絵もそういうところがあったり。ちょくちょくびっくりするようなすごい効果の音楽がありながらたまにちょっとベタなことをベタな感じでやっちゃって「あーもう」な気持ちになったり。そういうとこあるんだよなーまで込みな作曲家だと思ってます。
本文の方でも書きましたがメシアンだったり映画音楽だったりサウンドエフェクトだったり音楽のノウハウを上手く活用してるところが多く。この「古城」でもメインのメロディーを手動(吹くんですが)でディレイかけてリピートして流れる霧のような効果を出したり、かなり凝ってるんです。実際面白いエフェクト。
そしてもちろんこういうエフェクトも奏者の腕が物を言う部分も多い。同じく「古城」のメロディーだとディレイ担当の奏者の強弱や音の質が絶妙じゃないとエコー効果にならないばかりかメインのメロディーとぶつかって台無しにしちゃう可能性も。
ラヴェルも相当オケの奏者(特に管楽器、特にホルン)に無茶させますが、Julian Yuもなかなか無茶させるなーと思いました。特に打楽器。でもこれも今の時代すばらしい打楽器奏者が増えたからこそできること。
ということでやっぱり比べちゃうのは仕方がないのですが、でもなるべく寛大な視点でこの版を聴いて見てください。全部が全部素晴らしいってことはないですが「面白い!」と思えること請け合いです。
そして比べるのは比べるのでまた面白いです。ラヴェル版(もちろん意識して書いてると思います)とどう解釈が違うのか、共通のイメージや要素はどんなのがあるのか。この曲に限らず複数の版がある曲全般の楽しみですがね。
リンクしたのは岩城さん指揮の金沢アンサンブルの録音。プロコフィエフの1番との組み合わせってなんかうなずけます。
そしてここからさらにいろんな編曲の「展覧会の絵」に聴き広げてみるのももちろんおすすめ。Wikipediaの日本語版の記事はこれだけですが英語版にはこんなにたくさん載ってます。すごいぜムソルグスキー。
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仕事の忙しさも4月になって少しは和らぐかな、といったところですが実際忙しい間のストレス的なものなのか物が作りたい欲と食欲が続いています。こないだのココナッツゼリー(まだ残ってる)レシピいくつかミックスした感じですがうまく出来ました(もちろんメモメモ)。こんどはもっと深い型で使って飲茶風にプレゼンしてみたいです。
さてコンサート2つ。
最初のコンサートはMelbourne Recital CentreのElisabeth Murdoch Hallにてフランスのピアニスト、ピエール=ローラン・エマールによるメシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」全曲演奏。全曲聴けることはなかなかないですからかなり楽しみにしていました。
ただ結論からいうと自分で毎日真剣に練習してると&10年間弾いてるとどんなにいい演奏でもなかなか素直に聴いて楽しめないものですね。どうしても勉強する姿勢が勝ってしまうというか。ずーっと考えてた気がします。だからその考えてる状態で2時間はなかなか消耗しました。
あとそれだけ長い間曲と親密にしてて、しかもメシアンみたいな個人によって演奏や解釈に大きな差が出る曲だと自分の解釈が一番しっくりきて一番好きだからなー。今はだから20のまなざしは弾く方が楽しい。
演奏自体はよかったこともありそんなでもなかったこともあり。6,7,13、17あたりよかったですね。エマールの演奏は手元にある中だとリゲティの練習曲の録音が印象強いのですが、それと同じく技巧のすごさと難しいパッセージでも難しさを感じさせないような余裕を感じました。あとフランス人らしくというか、タッチの軽いところの自然な軽さも素敵だった。
今回の演奏で自分が20のまなざしを弾くに当たって考えすぎてるんじゃないか、もっと頭も体も力を抜いていいんじゃないかと思うことも多く。その点が一番勉強になったかな。
で、そうやって消耗した上に弾くことや演奏の評価や聴衆の反応も含めて色々と考えたりで、全体的には疲れ果てて複雑な気持ちでコンサートから出てきて、天候の変化もあったりでちょっと一日落ち込んでいたのですが。
次の日にはメル響コンサートに行って来ました。
サー・アンドルー・デイヴィス指揮のマーラーサイクルももうほぼ半分(大地の歌も10番もやるので)。今回はマーラーの交響曲の中でもエースといえる第5番の演奏でした。
コンサートの前半は前述ピエール=ローラン・エマールをソリストに迎えてのラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲でした。ラヴェルの曲のなかで珍しくそんなに好きでないこの曲ですが楽しく聴けました。特に最初のコントラファゴットのソロが(コントラフォルテで吹くので)この楽器には珍しく「歌う」ソロでかっこよかった。そういえばマ・メール・ロワでもやってますね、ラヴェル。相変わらず奏者に無茶をさせる作曲家だ。
そしてマーラー5番で私は生き返りました(笑)多分累積してる何かなのですが、第5楽章に入った辺りから明らかに心にエネルギーが戻ってきたというか。なんか単純な心の作りでよかったです。
今回プログラムによるとロンドン交響楽団からホルン奏者が1人来てて、それがこの交響曲でソロをばんばん弾いてた人なのかな?ソロがいつも聴く以上にソリストっぽくてかっこよかったです。どんな心にも響きそうなホルン軍団の音。
あと第5楽章のcontrapuntal(日本語で分からない!)な感じがものすごく好きでした。
どうもちょっとオケがそこここでずれるようなところはあったし、もっといい演奏もあるかなーとは思うのですが、でもそこは言いっこなしにしたい楽しい演奏でした。
次は今年後半に巨大で難しい6番が待ち構えてるのでこんどはアンサンブルもびしっと決まるといいな。
(ただ聴いたところによると7番も相当難しいらしいです。それは来年のお楽しみ)
ということでプラスマイナスで元通り、まなざしは聴いて思ったこと学んだことを胸にこれからも弾くのを楽しみ続けていきたいです。
明日はこっちにきて20周年のお祝いをしに行って来ます。飲み過ぎずに楽しんできます~
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第5番 第1楽章
ユースオケで弾いて多分自分の人生が変わったと思うくらい自分にとって重要な曲。
そのユースオケで弾いたのもちょうど今から15年前(5月くらいだったかな)。鬱のどん底にいた頃で、好きなんだけどその辛さを思い出すのもあって数年この曲を聴いてない時期もありました。それが15年経ってこの曲をこんなに楽しんで聴けるとは。
でも第1楽章と第2楽章が好きなのは変わらず。マーラーの作品全体でも第5番でも第4楽章のアダージェットがダントツ人気ですがマーラーの音楽は暗い方が魅力的だと思うのですよ。第6番や第7番の第3楽章もそうですが。
このトランペットのソロの冒頭なんか一度聴いたら忘れられないくらいの存在感で。
要所要所のインパクトと美しさすごいですよ。
あとチェロがカウンターメロディーでいい感じのパートを弾いてたり、弾いてても楽しかった。ホルンの活躍がめざましい交響曲ですがみんなどっかで活躍してる、そこもマーラーのいいところ。みんなが楽しい(多分)。
だからこの第1楽章も曲の色んな所で色んな楽器のツボが語りきれないくらいあるのですが、聞き逃して欲しくないのが最後のほうで数秒ふっと光が差す部分。そのさりげなくも神々しい光、そしてまた光が消えていく様子の表現が見事すぎる。マーラーは色々分かってる(確信)
何度も書いてる気がしますがマーラー5番は各楽章キャラが立っててそれぞれも楽しめるのですが5つの楽章のバランスも絶妙で全部で一つの交響曲という感じが強いです。
長さも(比較的)ちょうどいいと思うのでマーラーはここから始めてみては?といつも心のなかでは思っているのですよー
リンク先はメル響+シュテンツ指揮のある意味黄金時代というかゴールデンコンビというか。
シュテンツさんまた帰ってきてくれないかなー。マーラーと現代音楽(メシアンとかアデスとか特に推し)とかひっさげて。いつでもウェルカムですよ。
さてコンサート2つ。
最初のコンサートはMelbourne Recital CentreのElisabeth Murdoch Hallにてフランスのピアニスト、ピエール=ローラン・エマールによるメシアンの「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」全曲演奏。全曲聴けることはなかなかないですからかなり楽しみにしていました。
ただ結論からいうと自分で毎日真剣に練習してると&10年間弾いてるとどんなにいい演奏でもなかなか素直に聴いて楽しめないものですね。どうしても勉強する姿勢が勝ってしまうというか。ずーっと考えてた気がします。だからその考えてる状態で2時間はなかなか消耗しました。
あとそれだけ長い間曲と親密にしてて、しかもメシアンみたいな個人によって演奏や解釈に大きな差が出る曲だと自分の解釈が一番しっくりきて一番好きだからなー。今はだから20のまなざしは弾く方が楽しい。
演奏自体はよかったこともありそんなでもなかったこともあり。6,7,13、17あたりよかったですね。エマールの演奏は手元にある中だとリゲティの練習曲の録音が印象強いのですが、それと同じく技巧のすごさと難しいパッセージでも難しさを感じさせないような余裕を感じました。あとフランス人らしくというか、タッチの軽いところの自然な軽さも素敵だった。
今回の演奏で自分が20のまなざしを弾くに当たって考えすぎてるんじゃないか、もっと頭も体も力を抜いていいんじゃないかと思うことも多く。その点が一番勉強になったかな。
で、そうやって消耗した上に弾くことや演奏の評価や聴衆の反応も含めて色々と考えたりで、全体的には疲れ果てて複雑な気持ちでコンサートから出てきて、天候の変化もあったりでちょっと一日落ち込んでいたのですが。
次の日にはメル響コンサートに行って来ました。
サー・アンドルー・デイヴィス指揮のマーラーサイクルももうほぼ半分(大地の歌も10番もやるので)。今回はマーラーの交響曲の中でもエースといえる第5番の演奏でした。
コンサートの前半は前述ピエール=ローラン・エマールをソリストに迎えてのラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲でした。ラヴェルの曲のなかで珍しくそんなに好きでないこの曲ですが楽しく聴けました。特に最初のコントラファゴットのソロが(コントラフォルテで吹くので)この楽器には珍しく「歌う」ソロでかっこよかった。そういえばマ・メール・ロワでもやってますね、ラヴェル。相変わらず奏者に無茶をさせる作曲家だ。
そしてマーラー5番で私は生き返りました(笑)多分累積してる何かなのですが、第5楽章に入った辺りから明らかに心にエネルギーが戻ってきたというか。なんか単純な心の作りでよかったです。
今回プログラムによるとロンドン交響楽団からホルン奏者が1人来てて、それがこの交響曲でソロをばんばん弾いてた人なのかな?ソロがいつも聴く以上にソリストっぽくてかっこよかったです。どんな心にも響きそうなホルン軍団の音。
あと第5楽章のcontrapuntal(日本語で分からない!)な感じがものすごく好きでした。
どうもちょっとオケがそこここでずれるようなところはあったし、もっといい演奏もあるかなーとは思うのですが、でもそこは言いっこなしにしたい楽しい演奏でした。
次は今年後半に巨大で難しい6番が待ち構えてるのでこんどはアンサンブルもびしっと決まるといいな。
(ただ聴いたところによると7番も相当難しいらしいです。それは来年のお楽しみ)
ということでプラスマイナスで元通り、まなざしは聴いて思ったこと学んだことを胸にこれからも弾くのを楽しみ続けていきたいです。
明日はこっちにきて20周年のお祝いをしに行って来ます。飲み過ぎずに楽しんできます~
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第5番 第1楽章
ユースオケで弾いて多分自分の人生が変わったと思うくらい自分にとって重要な曲。
そのユースオケで弾いたのもちょうど今から15年前(5月くらいだったかな)。鬱のどん底にいた頃で、好きなんだけどその辛さを思い出すのもあって数年この曲を聴いてない時期もありました。それが15年経ってこの曲をこんなに楽しんで聴けるとは。
でも第1楽章と第2楽章が好きなのは変わらず。マーラーの作品全体でも第5番でも第4楽章のアダージェットがダントツ人気ですがマーラーの音楽は暗い方が魅力的だと思うのですよ。第6番や第7番の第3楽章もそうですが。
このトランペットのソロの冒頭なんか一度聴いたら忘れられないくらいの存在感で。
要所要所のインパクトと美しさすごいですよ。
あとチェロがカウンターメロディーでいい感じのパートを弾いてたり、弾いてても楽しかった。ホルンの活躍がめざましい交響曲ですがみんなどっかで活躍してる、そこもマーラーのいいところ。みんなが楽しい(多分)。
だからこの第1楽章も曲の色んな所で色んな楽器のツボが語りきれないくらいあるのですが、聞き逃して欲しくないのが最後のほうで数秒ふっと光が差す部分。そのさりげなくも神々しい光、そしてまた光が消えていく様子の表現が見事すぎる。マーラーは色々分かってる(確信)
何度も書いてる気がしますがマーラー5番は各楽章キャラが立っててそれぞれも楽しめるのですが5つの楽章のバランスも絶妙で全部で一つの交響曲という感じが強いです。
長さも(比較的)ちょうどいいと思うのでマーラーはここから始めてみては?といつも心のなかでは思っているのですよー
リンク先はメル響+シュテンツ指揮のある意味黄金時代というかゴールデンコンビというか。
シュテンツさんまた帰ってきてくれないかなー。マーラーと現代音楽(メシアンとかアデスとか特に推し)とかひっさげて。いつでもウェルカムですよ。
あー飲み過ぎたー。
昨日は音楽友達2人が遊びに来てご飯を振る舞いました。
メニューはご飯と生野菜と味噌汁といつもの漬け物と冷や奴とつくね。
持ってきてくれたワインとビール(私はビールは飲みませんでしたが)、それから家にあった日本酒とアブサンを飲んで色々話しました。
日本酒が結構すっきりするので途中で日本酒挟みながら飲むと結構量行くんですよね。そしてなんで最後にアブサン開けようとした。さらになぜ水足さずにストレートで飲んだ。
結局お開きになってちょっとテーブル片付けてから潰れましたよ。さすがに今日までは持ち越さなかったですが深夜にしんどかったー。
前飲み過ぎたときからなんにも学習してないですねほんと。今後気をつけなければ。(まあ外で飲む方が気をつけやすいですが)
何はともあれ楽しかったです。2人とは大学以来の付き合いですしピアノ弾き同士、さらにこの家に初めてのお客さんというのもあってそりゃテンションも上がりますわ。
好きなことの話で盛り上がる、というのもそうですし音楽のある環境にまた触れることができた心地よさ。音楽への愛を共有してるだけでなく自分を音楽家として評価してくれてる人だってのも大きい。
音楽の事で盛り上がるといっても色々あり。奏者のこと、業界のこと、曲のこと、楽器のこと。
盛り上がりながらふと客観的に自分たちのことも含めてピアニストって面白い生き物だよなーと思うのです。生き方とか生活とかいうよりも「生態」。3人ともかなり違うタイプのピアニストなんでお互い自分の話をして比べ合うのも面白い。
周りの奏者との関係だったり、音楽との関係だったり、音楽外のこととの絡みだったり、師弟関係だったり。自分にとってどんな音楽がなかなか手が出ないか、とかいう話もした覚えが。
自分をとりまくこの音楽環境がとにかく面白くて楽しくて、フィクション作品よりもずっと面白いものだから困る。いや全然困ってないけど。
なんかやっぱり人間としての自分よりピアノ弾きとしての自分なんですよね。それを久しぶりに取り戻した感があって。
もっと音楽友達と遊びたいなあと改めて思った次第です。
ただまだしばらくは仕事も忙しいので(飲む量含め)無理せずに過ごさなきゃですね。
今度こそ反省、反省です。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「夜のガスパール」より「ウンディーネ」
今検索かけたらスカルボは2回紹介してるのに他の2つの楽章は今日の一曲で扱ってなかった。
最近この曲を弾いてたのと、あと昨日もちょっとガスパールの話が出たので。
(本当は昨日の3人全員弾いてる曲なんかないかなーと思ったのですが主に私のレパートリーの問題でそんな曲はみつかりませんでした)
昨日のその自分になかなか手が届かない曲の話で、一人が形式がかっちりしてる中で遊べる曲はいいけど波のように次々押し寄せる音楽はなかなか手がない、という話をしてて例にあがったのがこの「夜のガスパール」。
私は逆、とまでは言わないですがそういう曲の方が惹かれる、チャレンジしてみたくなるところはあるかなー。少なくともラヴェルは全体的につかみどころがないようでもディテールはがっつり合理的で分かりやすいから手が届かなくは感じないのかも。
こちらの夏は特に音楽でも水っ気が欲しくなってドビュッシーの映像第1集の「水の反映」とかこの「ウンディーネ」とかちょこっと弾いてたのですが、ウンディーネはちょっとやっぱ他の「水」曲とちょっと違う感じがあるような。
水が明らかに意志を持って動いてる感があるんですよね。意図して自然でない動きをする、みたいな。どこでどう具体的にやってるっていうと難しいのですが、例えばフレーズの終わりに回るようなアルペジオが入ったりとか。だから自分で水を操ってるような感覚がまた面白いんですよ。
ものすごーく難しい曲なんですが色々気持ちいい曲です。ただ♯7つで書いてあるので未だに私は音を読むのに四苦八苦。だから7つ♯は全部♯なんだって!シも♯が付く!・・・ということがたまーに弾くぐらいだと身につかない。
リンクしたのは昨日話に出た私の先生の先生、ミケランジェリの演奏。
試聴してみたところウンディーネの演奏は音が水晶みたいな硬さがあってものすごく精巧な印象。流体的なウンディーネもいいけどこういうのも面白い。神経質な演奏とか好き。
昨日は音楽友達2人が遊びに来てご飯を振る舞いました。
メニューはご飯と生野菜と味噌汁といつもの漬け物と冷や奴とつくね。
持ってきてくれたワインとビール(私はビールは飲みませんでしたが)、それから家にあった日本酒とアブサンを飲んで色々話しました。
日本酒が結構すっきりするので途中で日本酒挟みながら飲むと結構量行くんですよね。そしてなんで最後にアブサン開けようとした。さらになぜ水足さずにストレートで飲んだ。
結局お開きになってちょっとテーブル片付けてから潰れましたよ。さすがに今日までは持ち越さなかったですが深夜にしんどかったー。
前飲み過ぎたときからなんにも学習してないですねほんと。今後気をつけなければ。(まあ外で飲む方が気をつけやすいですが)
何はともあれ楽しかったです。2人とは大学以来の付き合いですしピアノ弾き同士、さらにこの家に初めてのお客さんというのもあってそりゃテンションも上がりますわ。
好きなことの話で盛り上がる、というのもそうですし音楽のある環境にまた触れることができた心地よさ。音楽への愛を共有してるだけでなく自分を音楽家として評価してくれてる人だってのも大きい。
音楽の事で盛り上がるといっても色々あり。奏者のこと、業界のこと、曲のこと、楽器のこと。
盛り上がりながらふと客観的に自分たちのことも含めてピアニストって面白い生き物だよなーと思うのです。生き方とか生活とかいうよりも「生態」。3人ともかなり違うタイプのピアニストなんでお互い自分の話をして比べ合うのも面白い。
周りの奏者との関係だったり、音楽との関係だったり、音楽外のこととの絡みだったり、師弟関係だったり。自分にとってどんな音楽がなかなか手が出ないか、とかいう話もした覚えが。
自分をとりまくこの音楽環境がとにかく面白くて楽しくて、フィクション作品よりもずっと面白いものだから困る。いや全然困ってないけど。
なんかやっぱり人間としての自分よりピアノ弾きとしての自分なんですよね。それを久しぶりに取り戻した感があって。
もっと音楽友達と遊びたいなあと改めて思った次第です。
ただまだしばらくは仕事も忙しいので(飲む量含め)無理せずに過ごさなきゃですね。
今度こそ反省、反省です。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 「夜のガスパール」より「ウンディーネ」
今検索かけたらスカルボは2回紹介してるのに他の2つの楽章は今日の一曲で扱ってなかった。
最近この曲を弾いてたのと、あと昨日もちょっとガスパールの話が出たので。
(本当は昨日の3人全員弾いてる曲なんかないかなーと思ったのですが主に私のレパートリーの問題でそんな曲はみつかりませんでした)
昨日のその自分になかなか手が届かない曲の話で、一人が形式がかっちりしてる中で遊べる曲はいいけど波のように次々押し寄せる音楽はなかなか手がない、という話をしてて例にあがったのがこの「夜のガスパール」。
私は逆、とまでは言わないですがそういう曲の方が惹かれる、チャレンジしてみたくなるところはあるかなー。少なくともラヴェルは全体的につかみどころがないようでもディテールはがっつり合理的で分かりやすいから手が届かなくは感じないのかも。
こちらの夏は特に音楽でも水っ気が欲しくなってドビュッシーの映像第1集の「水の反映」とかこの「ウンディーネ」とかちょこっと弾いてたのですが、ウンディーネはちょっとやっぱ他の「水」曲とちょっと違う感じがあるような。
水が明らかに意志を持って動いてる感があるんですよね。意図して自然でない動きをする、みたいな。どこでどう具体的にやってるっていうと難しいのですが、例えばフレーズの終わりに回るようなアルペジオが入ったりとか。だから自分で水を操ってるような感覚がまた面白いんですよ。
ものすごーく難しい曲なんですが色々気持ちいい曲です。ただ♯7つで書いてあるので未だに私は音を読むのに四苦八苦。だから7つ♯は全部♯なんだって!シも♯が付く!・・・ということがたまーに弾くぐらいだと身につかない。
リンクしたのは昨日話に出た私の先生の先生、ミケランジェリの演奏。
試聴してみたところウンディーネの演奏は音が水晶みたいな硬さがあってものすごく精巧な印象。流体的なウンディーネもいいけどこういうのも面白い。神経質な演奏とか好き。
前回からちょっと間があきました-。
仕事が立て込んでたり出かける用事があったり(もちろん仕事はなるべくしてたまにピアノ休んで)で頭が忙しい。仕事のスケジュールと生活のスケジュールを考えるだけで頭の中はかなりいっぱいなのですがそういうときに限って新しい三国志漫画とか読んでそっち方面いろいろ考えを回らせちゃうのなんとかならないか。
ただそれも頭のなかでなんとか余裕を作りだそうとしてる反応なのかなー。多分。
そして今年もメル響のSidney Myer Bowlでの無料コンサートの時期になりました。忙しくても一つは行きたい、と毎年思うのですが今回は友人がソリストということで何が何でも時間を作りました。
時間はまあいいとしてなんか天気が2月終わりっぽくなかったです、今回。
持ってくものがまさかのピクニックシート・おやつ・水・サングラスに傘・革ジャン・フリース・マフラーでしたからね。そもそもメルボルンは夏でも夜涼しくなることが多いとはいえ色々おかしい装備。ただ雨も降らず風もそんなに強くなく、重ね着コンビネーションでなんとかなる天気でよかったです。
そんなコンサートのプログラムはこちら。
メル響コンサート「Dvorak under the Stars」
場所:Sidney Myer Music Bowl
指揮者:Joshua Welterstein
ジョン・アダムズ 「Short Ride in a Fast Machine」
ジョージ・ガーシュイン ピアノ協奏曲(ピアノ:Stefan Cassomenos)
(休憩)
アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第7番
(アンコール: ピョートル・チャイコフスキー 「白鳥の湖」より「ハンガリーの踊り」)
プログラムがなんか聴いてみるとものすごく野音向きというか。
アダムズはこれで2,3回目くらいですが外で聴くとなんか楽しいし、ガーシュインは屋外向きというよりコンサートホールよりもっとリラックスした場所向きって感じかな。あとドヴォルザークはコンサートホールもいいけど野外との相性もいい。こうやって考えてみる&実際いろんな場所で音楽を聴いてみるの面白いですね。
今回のコンサートの指揮者はアメリカから来た若手指揮者さんで、最後に「ホントに人が集まったか写真撮らせて!」と聴衆に呼びかけたりお茶目なところもあり、そして音楽にフレッシュさと勢い(主にドヴォルザーク)がありました。もともとリズム要素が強い人なのか、アンコール含め全部の曲が踊りだったりリズムが強かったりな曲揃いで。(自分とちょっと似てるかな)
ガーシュインはほんとに楽しく聴けました。Stefanらしい、トリオでもよく聴くようなジャズのスタイルにユーモア。ただガーシュインにしてはちょっと真面目だったかも、という印象も。あの頃のジャズの風味とか感性って現代の人間が再現するのってそもそも難しいのかなーと思いました。(特にアメリカ以外だと)生まれ育った場所・時代の影響を改めて考えてます。
そんなStefanの演奏を聴くのも楽しみでしたがドヴォルザークの7番も自分にとっては大好きで大切な曲。マーラーとかショスタコとはまた違う、自分により近しいというか親しみのあるスケールの偉大さ。特に第3楽章のcrazyなスケルツォが大大大好きで、バレエを始めてからよりその踊るリズムに感じるものが増えています。
第2楽章を始め天を突き刺すようなクライマックスが野外コンサートで聴ける贅沢さ。ただ野音というシチュエーションだからかクライマックス音量があんまり爆発しなかったりティンパニの音が控え目だったり、音の細かいバランス的な要素で気になることはありました。なのでまた近いうちに生で聴きたいです。
でも全体としてはほんと馴染む解釈で、がつんとハートと腹にくるドヴォルザーク(音がというよりは音楽が)で、聴きにいってよかった。
本当はこれに続いて土曜日のバーバーのバイオリン協奏曲+チャイコ5番(まだ懲りないか!)や来週のGrigoryan Brothersを迎えた南米ありのコンサートも行きたいのですが今のスケジュールでは無理そう。天気にはでも恵まれるといいですね。メルボルンの夏の天気、ほんと予測がつかない。
そういえば以前もこのブログに書いたと思いますが今回ソロ弾いたStefanを始め、自分にも大学を通じて「同門」がいてそのつながりを感じることがちょこちょこあるため、三国志作品周りで諸葛亮とか龐統とか水鏡先生門下の同門軍師たちを扱ってるとテンション上がるんですよ。
そういうつながり・場・仲間がいて、心の支えになってることに本当に感謝感謝です。
今日の一曲: アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第7番 第2楽章
第3楽章は多分何回か話には出してるのでこっちに。とはいえこっちも特定はできないけど言及してる気がなんとなーくある。
交響曲といっても色々ありますしドヴォルザークも9つ書いてますが、第7番は割と普通というか形式としてはそんなに変わったことしてない、堅実なイメージがあります。(例えば第8番はもちょっと不意をついてくる印象がある)
それで全編通じて暗めなのもありどうしても8番9番(新世界)に比べると三歩くらい下がってるところにいるような感じがあります。ただそれでも素晴らしい曲には変わりない。
大体4楽章編成の交響曲だと第2楽章はスローな楽章であることが多いです。この交響曲もそうなのですが、音の動きを見るとこの第2楽章って結構忙しいですね。メロディーというか全体の流れはゆったりしてるのですが、その下に十六分音符的なundercurrentが動いてることが多い。
そしてドヴォルザーク独特な印象があるのですが、スローで穏やかな音楽が急に悲壮的になるドラマ。(チェロ協奏曲であります。他の例は知らない。)ドヴォルザークがこの急激なチェンジをどうやってあんなにも自然に作るのか、ほんと不思議。
さらにこの楽章は最後のクライマックスも素晴らしい。天を突き刺すようなってさっき言ったのはこれが大筆頭。なによりホルンがここカッコイイんですよ。吹くの大変そうですが。(ヴォーン=ウィリアムズの5番にも似たようなところがあってそれはしんどいらしい)
クライマックスからエンディングまできもちよーくunwindしてくれるのもいい感じです。気持ち良くスケルツォにいけますよこれは。
あーでも他の楽章も紹介したかったなー。ほんと全部好きなんです。そして手元に「これだ!」って録音も欲しいですしミニスコアも欲しい。それくらい近くに置いておきたい種類の大好きな曲。
ドヴォルザークの交響曲は新世界だけだったり7・8・9から2つ組み合わせたりもっと前の交響曲と組み合わせたりいろいろなコンビネーションで楽しめますがここはちょっと欲張って7・8・9プラス弦楽のためのセレナードという2枚組で。7が好みでないなら他の2つがかなり違う曲調なので色々聴いてみてください~
仕事が立て込んでたり出かける用事があったり(もちろん仕事はなるべくしてたまにピアノ休んで)で頭が忙しい。仕事のスケジュールと生活のスケジュールを考えるだけで頭の中はかなりいっぱいなのですがそういうときに限って新しい三国志漫画とか読んでそっち方面いろいろ考えを回らせちゃうのなんとかならないか。
ただそれも頭のなかでなんとか余裕を作りだそうとしてる反応なのかなー。多分。
そして今年もメル響のSidney Myer Bowlでの無料コンサートの時期になりました。忙しくても一つは行きたい、と毎年思うのですが今回は友人がソリストということで何が何でも時間を作りました。
時間はまあいいとしてなんか天気が2月終わりっぽくなかったです、今回。
持ってくものがまさかのピクニックシート・おやつ・水・サングラスに傘・革ジャン・フリース・マフラーでしたからね。そもそもメルボルンは夏でも夜涼しくなることが多いとはいえ色々おかしい装備。ただ雨も降らず風もそんなに強くなく、重ね着コンビネーションでなんとかなる天気でよかったです。
そんなコンサートのプログラムはこちら。
メル響コンサート「Dvorak under the Stars」
場所:Sidney Myer Music Bowl
指揮者:Joshua Welterstein
ジョン・アダムズ 「Short Ride in a Fast Machine」
ジョージ・ガーシュイン ピアノ協奏曲(ピアノ:Stefan Cassomenos)
(休憩)
アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第7番
(アンコール: ピョートル・チャイコフスキー 「白鳥の湖」より「ハンガリーの踊り」)
プログラムがなんか聴いてみるとものすごく野音向きというか。
アダムズはこれで2,3回目くらいですが外で聴くとなんか楽しいし、ガーシュインは屋外向きというよりコンサートホールよりもっとリラックスした場所向きって感じかな。あとドヴォルザークはコンサートホールもいいけど野外との相性もいい。こうやって考えてみる&実際いろんな場所で音楽を聴いてみるの面白いですね。
今回のコンサートの指揮者はアメリカから来た若手指揮者さんで、最後に「ホントに人が集まったか写真撮らせて!」と聴衆に呼びかけたりお茶目なところもあり、そして音楽にフレッシュさと勢い(主にドヴォルザーク)がありました。もともとリズム要素が強い人なのか、アンコール含め全部の曲が踊りだったりリズムが強かったりな曲揃いで。(自分とちょっと似てるかな)
ガーシュインはほんとに楽しく聴けました。Stefanらしい、トリオでもよく聴くようなジャズのスタイルにユーモア。ただガーシュインにしてはちょっと真面目だったかも、という印象も。あの頃のジャズの風味とか感性って現代の人間が再現するのってそもそも難しいのかなーと思いました。(特にアメリカ以外だと)生まれ育った場所・時代の影響を改めて考えてます。
そんなStefanの演奏を聴くのも楽しみでしたがドヴォルザークの7番も自分にとっては大好きで大切な曲。マーラーとかショスタコとはまた違う、自分により近しいというか親しみのあるスケールの偉大さ。特に第3楽章のcrazyなスケルツォが大大大好きで、バレエを始めてからよりその踊るリズムに感じるものが増えています。
第2楽章を始め天を突き刺すようなクライマックスが野外コンサートで聴ける贅沢さ。ただ野音というシチュエーションだからかクライマックス音量があんまり爆発しなかったりティンパニの音が控え目だったり、音の細かいバランス的な要素で気になることはありました。なのでまた近いうちに生で聴きたいです。
でも全体としてはほんと馴染む解釈で、がつんとハートと腹にくるドヴォルザーク(音がというよりは音楽が)で、聴きにいってよかった。
本当はこれに続いて土曜日のバーバーのバイオリン協奏曲+チャイコ5番(まだ懲りないか!)や来週のGrigoryan Brothersを迎えた南米ありのコンサートも行きたいのですが今のスケジュールでは無理そう。天気にはでも恵まれるといいですね。メルボルンの夏の天気、ほんと予測がつかない。
そういえば以前もこのブログに書いたと思いますが今回ソロ弾いたStefanを始め、自分にも大学を通じて「同門」がいてそのつながりを感じることがちょこちょこあるため、三国志作品周りで諸葛亮とか龐統とか水鏡先生門下の同門軍師たちを扱ってるとテンション上がるんですよ。
そういうつながり・場・仲間がいて、心の支えになってることに本当に感謝感謝です。
今日の一曲: アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第7番 第2楽章
第3楽章は多分何回か話には出してるのでこっちに。とはいえこっちも特定はできないけど言及してる気がなんとなーくある。
交響曲といっても色々ありますしドヴォルザークも9つ書いてますが、第7番は割と普通というか形式としてはそんなに変わったことしてない、堅実なイメージがあります。(例えば第8番はもちょっと不意をついてくる印象がある)
それで全編通じて暗めなのもありどうしても8番9番(新世界)に比べると三歩くらい下がってるところにいるような感じがあります。ただそれでも素晴らしい曲には変わりない。
大体4楽章編成の交響曲だと第2楽章はスローな楽章であることが多いです。この交響曲もそうなのですが、音の動きを見るとこの第2楽章って結構忙しいですね。メロディーというか全体の流れはゆったりしてるのですが、その下に十六分音符的なundercurrentが動いてることが多い。
そしてドヴォルザーク独特な印象があるのですが、スローで穏やかな音楽が急に悲壮的になるドラマ。(チェロ協奏曲であります。他の例は知らない。)ドヴォルザークがこの急激なチェンジをどうやってあんなにも自然に作るのか、ほんと不思議。
さらにこの楽章は最後のクライマックスも素晴らしい。天を突き刺すようなってさっき言ったのはこれが大筆頭。なによりホルンがここカッコイイんですよ。吹くの大変そうですが。(ヴォーン=ウィリアムズの5番にも似たようなところがあってそれはしんどいらしい)
クライマックスからエンディングまできもちよーくunwindしてくれるのもいい感じです。気持ち良くスケルツォにいけますよこれは。
あーでも他の楽章も紹介したかったなー。ほんと全部好きなんです。そして手元に「これだ!」って録音も欲しいですしミニスコアも欲しい。それくらい近くに置いておきたい種類の大好きな曲。
ドヴォルザークの交響曲は新世界だけだったり7・8・9から2つ組み合わせたりもっと前の交響曲と組み合わせたりいろいろなコンビネーションで楽しめますがここはちょっと欲張って7・8・9プラス弦楽のためのセレナードという2枚組で。7が好みでないなら他の2つがかなり違う曲調なので色々聴いてみてください~
やっっっと回れるようになってきましたよ。あ、バレエの話です。
バレエでは足の動きが大切なのですがそれと同時に腕や体幹や、あと特にセンターでは頭・首のことまで気にしなくちゃいけなくて全身が大変で。
ピルエット等回る時にはその頭・首がキーになってきます。(他の場合は表現に関連してくるんですが回る場合はそもそも根本)
体幹が安定してあと首がついてけばぐっと上達するんだけどなー。多分。
そんなバレエのレッスンを受けながらたまに気になるのが音楽のこと。
レッスンで使うCD・アルバムのストックがあるのですが、バレエに向いてる曲向いてない曲はもちろん、各ステップに向いてる曲調・テンポってのがあるんですよね。
よく分かるのがジャンプ系統で、ちょっとテンポが違うだけで体が自然に動かなくなる不思議。
社交ダンスでもそういえばダンスの種類でテンポってほとんど決まってるかも。
でも逆にバレエ音楽(というかそれに限らず音楽)を聴いてテンポとか曲調からステップ・振り付けがなんとなーく思い浮かぶってのもそういうことなんですよね。限られてくるというかなんというか。そういえば作曲家サイドってどれだけ振り付けを意識してるんだろう。
ちょっとのテンポの差が大きな影響を与えるといえばCrypt of the Necrodancerもそうですね。日本語版wikiにはないのですが英語版wikiには各ステージの曲のテンポがbpmで載ってます。
全体的な傾向としては120~160くらいの間がほとんどで、各ゾーンの中でステージ毎にちょっとずつ速くなってく仕様。他のボスよりも速いDeath Metalがとんでもなく速く感じるのはもちろんなのですが、少しテンポが変わっただけでもちょっと戸惑ったりします。この場合画面で動くモンスターたちの情報量も多くなるので余計にそう感じるのかな。
あとある意味120bpmは基準なのかなー。ゾーン1の1が115でちょっと遅めの仕様になってるのは頭と体を動かすdelayを考慮して設定したのか、とかネクロダンサーのテンポ設定メカニズムは色々気になります。
120bpmってのはクラシックで言うと行進曲(マーチ)の標準的なテンポ。つまり集団で足並み合わせて歩きやすいテンポってことになるのかな。精密にとは言わなくともマーチはほぼ120bpmと思って良いですね。
基本クラシックは同じ曲でも奏者や指揮者によってテンポがある程度違って(その程度も曲によりけり)、そのテンポのチョイスも音楽の解釈の面白さなのですが、マーチが120bpmみたいにほぼ固定な曲もあるようで。ワーグナーの「ワルキューレの騎行」が100bpmとか、業界の人は色々知ってるみたいです。テンポまで含めて曲のトレードマークになるってのはこれまた興味深いです。そうなる条件ってなにかあるんだろうか。
ただ大体の曲は前述の通り解釈の違いとともにテンポも変わります。今弾いてるメシアンの20のまなざしも特に長かったり遅かったりする曲はテンポの解釈範囲が広いように思われます。
メシアンはでもまなざしに限らずテンポの解釈が色々で。遅い曲を(もちろん演奏可能な範囲で)すごーく遅く弾いてもメシアン的な永遠が味わえるし、速めのテンポで弾いてもうまく流れるし、可能性はほぼ無限。
それでも自分が曲を弾くとフィットするテンポは割と早くに絞られるような気がします。2つくらい自然に合うテンポ候補が出てきてどっちが自分の考える曲調に合うか、どっちに合わせるといい感じか探ってく、みたいな作業もよくあります。テンポが定まらないとなんかもやもやするケースもあるな。ちなみにワーグナー(愛の死)今正にその状態。ただ音も全然覚えてないのでまだ気にならない。
あと曲のテンポで音楽の感じ方や生理的な反応も変わるんだろうなーとか思ったり、テンポのことだけでも果てしなく考えが広がって音楽の奥深さを改めて思い知るのでした。
そういえばそろそろWhite Nightですね。今回はそんなに遅くならない方がいいかもなのでしっかり計画していかなくちゃ。
今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ 「ヨブ」より「ヨブの夢」
ヴォーン=ウィリアムズは他の曲を紹介する機会が多くてヨブは紹介してなかったかも。ただ紹介してたらこの楽章だった可能性高。まあいいや。
ヴォーン=ウィリアムズってすごくイギリスな音楽を書くのでバレエなイメージはないですがこのヨブもKing Coleもちょくちょく聴いてます。バレエというよりは中世とかルネッサンスの舞踏とかから振り付けを引っ張ってきそうだけど実際どうしてるんだろう。
実際の構成楽章もワルツとかパ・ドゥ・ドゥとかじゃなくてサラバンドとかパヴァーヌとか古舞踏のスタイルが多く。となるとやっぱりそっち風味の振り付けになるのか。振り付け師さんもそこら辺ちゃんと意識しなくちゃいけないんだろうな。
ただこの「ヨブの夢」はどっちかというとバレエ(モダン風?)かな。前半の眠りの部分も後半の「四つの災い」の部分もバレエ感がある。
「四つの災い」部分かっこいいですねー。ヴォーン=ウィリアムズがこういうアグレッシブ?(そんなものでもないか)な音楽を書くイメージって少ないけど交響曲第6番とかでもダークなヴォーン=ウィリアムズが味わえます。
ちなみに四つの災い=流行病・疫病・飢饉・戦争だそう。多分「戦争」に当たると思われる部分の音楽がカッコイイ。
今ちょっと動画検索してみたらバレエとしての動画は見つからなかったです。何らかの無理があるのかなー。残念だけど今後出来たら見てみたい。古舞踏もモダンも交えた振り付けで、シンプルな感じの衣装で。なんでここまでイメージできてるんだろう。
今メル響で首席指揮者を務めてるSir Andrew Davis指揮の録音があったのでリンク。カップリングはウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」。聴いたことない曲だけど派手なウォルトンにしっとりヴォーン=ウィリアムズみたいになってるのかな。
バレエでは足の動きが大切なのですがそれと同時に腕や体幹や、あと特にセンターでは頭・首のことまで気にしなくちゃいけなくて全身が大変で。
ピルエット等回る時にはその頭・首がキーになってきます。(他の場合は表現に関連してくるんですが回る場合はそもそも根本)
体幹が安定してあと首がついてけばぐっと上達するんだけどなー。多分。
そんなバレエのレッスンを受けながらたまに気になるのが音楽のこと。
レッスンで使うCD・アルバムのストックがあるのですが、バレエに向いてる曲向いてない曲はもちろん、各ステップに向いてる曲調・テンポってのがあるんですよね。
よく分かるのがジャンプ系統で、ちょっとテンポが違うだけで体が自然に動かなくなる不思議。
社交ダンスでもそういえばダンスの種類でテンポってほとんど決まってるかも。
でも逆にバレエ音楽(というかそれに限らず音楽)を聴いてテンポとか曲調からステップ・振り付けがなんとなーく思い浮かぶってのもそういうことなんですよね。限られてくるというかなんというか。そういえば作曲家サイドってどれだけ振り付けを意識してるんだろう。
ちょっとのテンポの差が大きな影響を与えるといえばCrypt of the Necrodancerもそうですね。日本語版wikiにはないのですが英語版wikiには各ステージの曲のテンポがbpmで載ってます。
全体的な傾向としては120~160くらいの間がほとんどで、各ゾーンの中でステージ毎にちょっとずつ速くなってく仕様。他のボスよりも速いDeath Metalがとんでもなく速く感じるのはもちろんなのですが、少しテンポが変わっただけでもちょっと戸惑ったりします。この場合画面で動くモンスターたちの情報量も多くなるので余計にそう感じるのかな。
あとある意味120bpmは基準なのかなー。ゾーン1の1が115でちょっと遅めの仕様になってるのは頭と体を動かすdelayを考慮して設定したのか、とかネクロダンサーのテンポ設定メカニズムは色々気になります。
120bpmってのはクラシックで言うと行進曲(マーチ)の標準的なテンポ。つまり集団で足並み合わせて歩きやすいテンポってことになるのかな。精密にとは言わなくともマーチはほぼ120bpmと思って良いですね。
基本クラシックは同じ曲でも奏者や指揮者によってテンポがある程度違って(その程度も曲によりけり)、そのテンポのチョイスも音楽の解釈の面白さなのですが、マーチが120bpmみたいにほぼ固定な曲もあるようで。ワーグナーの「ワルキューレの騎行」が100bpmとか、業界の人は色々知ってるみたいです。テンポまで含めて曲のトレードマークになるってのはこれまた興味深いです。そうなる条件ってなにかあるんだろうか。
ただ大体の曲は前述の通り解釈の違いとともにテンポも変わります。今弾いてるメシアンの20のまなざしも特に長かったり遅かったりする曲はテンポの解釈範囲が広いように思われます。
メシアンはでもまなざしに限らずテンポの解釈が色々で。遅い曲を(もちろん演奏可能な範囲で)すごーく遅く弾いてもメシアン的な永遠が味わえるし、速めのテンポで弾いてもうまく流れるし、可能性はほぼ無限。
それでも自分が曲を弾くとフィットするテンポは割と早くに絞られるような気がします。2つくらい自然に合うテンポ候補が出てきてどっちが自分の考える曲調に合うか、どっちに合わせるといい感じか探ってく、みたいな作業もよくあります。テンポが定まらないとなんかもやもやするケースもあるな。ちなみにワーグナー(愛の死)今正にその状態。ただ音も全然覚えてないのでまだ気にならない。
あと曲のテンポで音楽の感じ方や生理的な反応も変わるんだろうなーとか思ったり、テンポのことだけでも果てしなく考えが広がって音楽の奥深さを改めて思い知るのでした。
そういえばそろそろWhite Nightですね。今回はそんなに遅くならない方がいいかもなのでしっかり計画していかなくちゃ。
今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ 「ヨブ」より「ヨブの夢」
ヴォーン=ウィリアムズは他の曲を紹介する機会が多くてヨブは紹介してなかったかも。ただ紹介してたらこの楽章だった可能性高。まあいいや。
ヴォーン=ウィリアムズってすごくイギリスな音楽を書くのでバレエなイメージはないですがこのヨブもKing Coleもちょくちょく聴いてます。バレエというよりは中世とかルネッサンスの舞踏とかから振り付けを引っ張ってきそうだけど実際どうしてるんだろう。
実際の構成楽章もワルツとかパ・ドゥ・ドゥとかじゃなくてサラバンドとかパヴァーヌとか古舞踏のスタイルが多く。となるとやっぱりそっち風味の振り付けになるのか。振り付け師さんもそこら辺ちゃんと意識しなくちゃいけないんだろうな。
ただこの「ヨブの夢」はどっちかというとバレエ(モダン風?)かな。前半の眠りの部分も後半の「四つの災い」の部分もバレエ感がある。
「四つの災い」部分かっこいいですねー。ヴォーン=ウィリアムズがこういうアグレッシブ?(そんなものでもないか)な音楽を書くイメージって少ないけど交響曲第6番とかでもダークなヴォーン=ウィリアムズが味わえます。
ちなみに四つの災い=流行病・疫病・飢饉・戦争だそう。多分「戦争」に当たると思われる部分の音楽がカッコイイ。
今ちょっと動画検索してみたらバレエとしての動画は見つからなかったです。何らかの無理があるのかなー。残念だけど今後出来たら見てみたい。古舞踏もモダンも交えた振り付けで、シンプルな感じの衣装で。なんでここまでイメージできてるんだろう。
今メル響で首席指揮者を務めてるSir Andrew Davis指揮の録音があったのでリンク。カップリングはウォルトンの「ベルシャザールの饗宴」。聴いたことない曲だけど派手なウォルトンにしっとりヴォーン=ウィリアムズみたいになってるのかな。