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しばらくチェックしてなかったのですが過去のエントリーに拍手ありがとうございます。
あんまり昔のだとやっぱ恥ずかしいには恥ずかしいのですがまあそれも仕方がないし拍手いただけるのは嬉しいです。
さてまたしばらく書くことに詰まってたので一時帰国でまたじっくり書けなくなる前に暖めてたネタを昨日詰めてみました。
音楽というのはその字の通り「音」を楽しむものですが、音がない部分もものすごく大切だと常日頃思っています。自分はリズムや和音にフェチな面がありますが、よくよく考えてみると無音の部分に対しても同じくらい思い入れがあるかも。
ということで今回は無音が音と同じくらい、時には音よりも強く語り響く曲を紹介して音がない部分にちょっと焦点を当ててみたいと思います。
(ちなみに今回直前に弾かれた音の余韻が続くところやかすかな音が続いてる部分とかを除いて曲を選ぶのが意外と大変でした。全くの無音ってほんと特別でちゃんとそれ特有のエフェクトと意味があるんですね)
(1)ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン ピアノソナタ第3番 op. 2-3 第1楽章
この曲に限らずなのですがベートーヴェンのピアノソナタにおける休符・無音の部分って聴衆をサスペンスな状態にするというよりは意表を突いた諸々に対するリアクションをチェックするというか。そこから転じて聴衆と無言のやりとり、様々なコミュニケーションがあるような、曲に限らない意味がある気がします。特にこのソナタの第1楽章はあの手この手で聴衆を驚かせたりしてくる、ちょっと漫才的なエレメントがあるかも。
(2)ジョージ・クラム 「鯨の声」より「海のノクターン(時の終わりのための)」
「鯨の声」の最後の楽章ですが、この最後の最後で同じフレーズを繰り返しだんだん遠くかすかになっていくのですが、最後の繰り返しはなんと奏者は音を出さずに繰り返す、みたいなことになっていて。究極のマニュアルフェードアウト。この場合物理的には無音なのですが、音楽はしっかり確かに存在している不思議。言葉で表現するのもなんだかもったいない1小節です。
(3)ヘンリー・パーセル 「メアリー女王の葬送ための音楽」
タイトルでこの曲が葬送音楽だと分かるからってのもありますし、相当緊張するドラムソロだってのもありますが、それ以上にこの最初のドラムのソロの音の間の静寂の緊張とか重さがすごい。厳粛。物々しい。普通に居てもしゃべったり音立てたりしちゃ絶対いけないやつってすぐ分かる。それだけこの曲のドラムの音と無音の部分だけで周りの空気ができあがってるってことかな。
(4)セルゲイ・プロコフィエフ 「ロミオとジュリエット」より「ロミオがマキューシオの敵を討つ」の場面
この場面がチェロとコントラバスの不穏なアルペジオで始まるその正に一瞬前の静寂。管楽器はもちろんですが弦楽器はじめ息で音を出さない楽器もこういうスタートの時は揃って息を吸うものです(そういう息使いで奏者同士コミュニケーションすることがアンサンブルでは大事)。その息を吸う一瞬、空気がぎゅっと凝縮するのがたまらない。他にわかりやすい例はシベリウスの「フィンランディア」とか。
(5)フランツ・リスト ピアノソナタ
演奏される音も言葉にできない多くを語りますが、ところどころに現れる静寂もまた深くを語り。また曲の冒頭の話になりますが、このソナタがロ短調であるのに最初の音が(そのロ短調のメインの和音には入ってない)「ソ」の音だけを短く、ぽつぽつと奏でるのがたまらない。ここから何が語られるのか全く想像も付かないオープニング。そこから後も特徴的なパッセージの前の意味深な無音が音の深さを際立たせるようで。やっぱり聴くなら休符を大事にする演奏がいいよなあ。
(6)バルトーク・ベーラ 管弦楽のための協奏曲 第3楽章「悲歌」
バルトークのスローな楽章全般での休符や静寂ってただ深く暗いだけじゃなくて何が出てくるかわからない不気味さが大好きです。周りの音の余韻みたいなものがそうしてるんだろうな。音と休符で作る絶妙のアンビエント。そして静寂のあとにとんでもない化け物的な音楽が出てきて驚かされるのも好き。この第3楽章のビオラのセクションソロなんてその素晴らしい例だと思います。
(7)トーマス・アデス 「Arcadiana」 第5楽章「L’Embarquement」
楽器の音の性質とか響きの長さとかがそれぞれ違う関係で休符の使い方っても楽器によって違ってくるんですよね。この「Arcadiana」の第5楽章でのまるで繊維を編むような繊細な音の交差のその間に同じく編み込まれる線の細い休符の綾の美しさは弦楽四重奏ならでは。音と無音、どちらも存在して成り立つ模様です。実際休符にフォーカスして聴いてみると面白いです。ちょっと難しいですけど。
(8)オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第19番「我眠る、されど我が魂は目覚め」
自分で弾いていてほんと休符の大切さを感じる曲です。とにかくフレーズの間に無音の部分が多く、まるで意識が眠り深くに潜ってしまったようでもあり、はたまた愛の深さに言葉が消えるような。休符の長さが変わることでニュアンスも表現も変わる、正に無音部分の表現が求められる曲です。音にも愛を込めたいですが休符にも同じくらい愛を込めたい。
(9)グスタフ・マーラー 交響曲第7番 第3楽章
一つ前のメシアンでも休符の長さが(ほとんどの場合)拍数でちゃんと決めてあってその長さが大事なのですがこのマーラーでもそう。スコア見てみるとわかるのですがかなりきっちり決まってる(なので前も書いたのですがあんまり速く弾くと休符の長さにも影響が)。このスケルツォでも無音でのサスペンスが大事なのですが、その緊張の度合いがこの曲を形作ってるようなところもあり。静寂部分をとことんまで楽しむにもってこいの曲です。
(10)ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第11楽章「結び」
ショスタコの晩期の音楽がとにかく好きなのですが、その頃のショスタコの無音の使い方もまた特別なものがあると思います。話をしていてふと言葉が途切れてどこか意識が別のところに行くような休符もあり(ビオラソナタとか)、ごく少ない楽器を使いながら挟む休符とか、色々あるのですが共通しているのがその音がなくなったときの「無」の感覚。全くの虚空のようで、例えば前述バルトークとは違った怖さもあり、透明な清々しさもあり。特にこの第11楽章のように乾いた打楽器の音の向こうの静寂はもう何もない感がすごいです。
ということで無音・休符・静寂に絞って10曲選んでみました。
聴くときにそこに改めて耳を傾けてみるのも新鮮で色々テンションがあがりますが、なにより自分がせっかちな奏者なので弾くときももっと大事にしていかないとと思います。
そして毎回ながら20世紀以降の音楽での静寂の使い方って面白いものがいっぱいあるようなのでこれから色々聴き広げてくうちで素晴らしい音だけじゃなく素晴らしい静寂にも出会えるのが楽しみです。
今日の一曲はお休み。
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あんまり昔のだとやっぱ恥ずかしいには恥ずかしいのですがまあそれも仕方がないし拍手いただけるのは嬉しいです。
さてまたしばらく書くことに詰まってたので一時帰国でまたじっくり書けなくなる前に暖めてたネタを昨日詰めてみました。
音楽というのはその字の通り「音」を楽しむものですが、音がない部分もものすごく大切だと常日頃思っています。自分はリズムや和音にフェチな面がありますが、よくよく考えてみると無音の部分に対しても同じくらい思い入れがあるかも。
ということで今回は無音が音と同じくらい、時には音よりも強く語り響く曲を紹介して音がない部分にちょっと焦点を当ててみたいと思います。
(ちなみに今回直前に弾かれた音の余韻が続くところやかすかな音が続いてる部分とかを除いて曲を選ぶのが意外と大変でした。全くの無音ってほんと特別でちゃんとそれ特有のエフェクトと意味があるんですね)
(1)ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン ピアノソナタ第3番 op. 2-3 第1楽章
この曲に限らずなのですがベートーヴェンのピアノソナタにおける休符・無音の部分って聴衆をサスペンスな状態にするというよりは意表を突いた諸々に対するリアクションをチェックするというか。そこから転じて聴衆と無言のやりとり、様々なコミュニケーションがあるような、曲に限らない意味がある気がします。特にこのソナタの第1楽章はあの手この手で聴衆を驚かせたりしてくる、ちょっと漫才的なエレメントがあるかも。
(2)ジョージ・クラム 「鯨の声」より「海のノクターン(時の終わりのための)」
「鯨の声」の最後の楽章ですが、この最後の最後で同じフレーズを繰り返しだんだん遠くかすかになっていくのですが、最後の繰り返しはなんと奏者は音を出さずに繰り返す、みたいなことになっていて。究極のマニュアルフェードアウト。この場合物理的には無音なのですが、音楽はしっかり確かに存在している不思議。言葉で表現するのもなんだかもったいない1小節です。
(3)ヘンリー・パーセル 「メアリー女王の葬送ための音楽」
タイトルでこの曲が葬送音楽だと分かるからってのもありますし、相当緊張するドラムソロだってのもありますが、それ以上にこの最初のドラムのソロの音の間の静寂の緊張とか重さがすごい。厳粛。物々しい。普通に居てもしゃべったり音立てたりしちゃ絶対いけないやつってすぐ分かる。それだけこの曲のドラムの音と無音の部分だけで周りの空気ができあがってるってことかな。
(4)セルゲイ・プロコフィエフ 「ロミオとジュリエット」より「ロミオがマキューシオの敵を討つ」の場面
この場面がチェロとコントラバスの不穏なアルペジオで始まるその正に一瞬前の静寂。管楽器はもちろんですが弦楽器はじめ息で音を出さない楽器もこういうスタートの時は揃って息を吸うものです(そういう息使いで奏者同士コミュニケーションすることがアンサンブルでは大事)。その息を吸う一瞬、空気がぎゅっと凝縮するのがたまらない。他にわかりやすい例はシベリウスの「フィンランディア」とか。
(5)フランツ・リスト ピアノソナタ
演奏される音も言葉にできない多くを語りますが、ところどころに現れる静寂もまた深くを語り。また曲の冒頭の話になりますが、このソナタがロ短調であるのに最初の音が(そのロ短調のメインの和音には入ってない)「ソ」の音だけを短く、ぽつぽつと奏でるのがたまらない。ここから何が語られるのか全く想像も付かないオープニング。そこから後も特徴的なパッセージの前の意味深な無音が音の深さを際立たせるようで。やっぱり聴くなら休符を大事にする演奏がいいよなあ。
(6)バルトーク・ベーラ 管弦楽のための協奏曲 第3楽章「悲歌」
バルトークのスローな楽章全般での休符や静寂ってただ深く暗いだけじゃなくて何が出てくるかわからない不気味さが大好きです。周りの音の余韻みたいなものがそうしてるんだろうな。音と休符で作る絶妙のアンビエント。そして静寂のあとにとんでもない化け物的な音楽が出てきて驚かされるのも好き。この第3楽章のビオラのセクションソロなんてその素晴らしい例だと思います。
(7)トーマス・アデス 「Arcadiana」 第5楽章「L’Embarquement」
楽器の音の性質とか響きの長さとかがそれぞれ違う関係で休符の使い方っても楽器によって違ってくるんですよね。この「Arcadiana」の第5楽章でのまるで繊維を編むような繊細な音の交差のその間に同じく編み込まれる線の細い休符の綾の美しさは弦楽四重奏ならでは。音と無音、どちらも存在して成り立つ模様です。実際休符にフォーカスして聴いてみると面白いです。ちょっと難しいですけど。
(8)オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より第19番「我眠る、されど我が魂は目覚め」
自分で弾いていてほんと休符の大切さを感じる曲です。とにかくフレーズの間に無音の部分が多く、まるで意識が眠り深くに潜ってしまったようでもあり、はたまた愛の深さに言葉が消えるような。休符の長さが変わることでニュアンスも表現も変わる、正に無音部分の表現が求められる曲です。音にも愛を込めたいですが休符にも同じくらい愛を込めたい。
(9)グスタフ・マーラー 交響曲第7番 第3楽章
一つ前のメシアンでも休符の長さが(ほとんどの場合)拍数でちゃんと決めてあってその長さが大事なのですがこのマーラーでもそう。スコア見てみるとわかるのですがかなりきっちり決まってる(なので前も書いたのですがあんまり速く弾くと休符の長さにも影響が)。このスケルツォでも無音でのサスペンスが大事なのですが、その緊張の度合いがこの曲を形作ってるようなところもあり。静寂部分をとことんまで楽しむにもってこいの曲です。
(10)ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第11楽章「結び」
ショスタコの晩期の音楽がとにかく好きなのですが、その頃のショスタコの無音の使い方もまた特別なものがあると思います。話をしていてふと言葉が途切れてどこか意識が別のところに行くような休符もあり(ビオラソナタとか)、ごく少ない楽器を使いながら挟む休符とか、色々あるのですが共通しているのがその音がなくなったときの「無」の感覚。全くの虚空のようで、例えば前述バルトークとは違った怖さもあり、透明な清々しさもあり。特にこの第11楽章のように乾いた打楽器の音の向こうの静寂はもう何もない感がすごいです。
ということで無音・休符・静寂に絞って10曲選んでみました。
聴くときにそこに改めて耳を傾けてみるのも新鮮で色々テンションがあがりますが、なにより自分がせっかちな奏者なので弾くときももっと大事にしていかないとと思います。
そして毎回ながら20世紀以降の音楽での静寂の使い方って面白いものがいっぱいあるようなのでこれから色々聴き広げてくうちで素晴らしい音だけじゃなく素晴らしい静寂にも出会えるのが楽しみです。
今日の一曲はお休み。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
なんだかスケジュールとしてはそんなに忙しくないはずなのにめまぐるしい。
今日も一日休みという名目だったのですが動き回ってたのが大半だったような・・・
ただコンサートは行きました。メル響でメシアンやるとなっちゃ聴きにいかずにはいられない。
ただ土曜の昼のコンサートに行くのは久しぶり。(もう一つが月曜の夜でバレエのレッスンの時間だったため)夜のコンサートの方がなんか緊張というかムードがあるというか、一日の終わりをコンサートでしめれるのが好きなのかもしれません。ただメシアンは昼が似合う(取り出し)。
さてコンサートのプログラムはこんな感じ。
メルボルン交響楽団「Mozart's Piano Concerto No. 17」
指揮:Sir Andrew Davis
ジョアキーノ・ロッシーニ 「泥棒カササギ」序曲
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ピアノ協奏曲第17番(ピアノ:Jean-Efflam Bavouzet)
(休憩)
オリヴィエ・メシアン 「異国の鳥たち」(ピアノ:Jean-Efflam Bavouzet)
ヨハネス・ブラームス 交響曲第3番
最後の交響曲も含めこじんまりした曲揃い。ブラームスの3番についてはSir Davisのコンサート間トークによるとコンサートの〆にふさわしい華やかさがないと巷で言われてるそうですが、例えばこういう控えめな曲ばっかり揃えるプログラムもそれはそれで面白いし効果的。
「泥棒カササギ」序曲、部分部分が有名な曲ですがこんなにスネアドラムがかっこいい曲だとは知らなかったです。ステージの後ろの右と左に2人、多分スネア部分の設定を変えてあるのかちょっと違う音の太鼓コンボ。かっこよかった。
そして母が常日頃(昔ホルン吹いてたときに)よく「豆のような」細かい音を出すことがあった(そしてあんまり面白くなかった)という話をするのですがロッシーニもモーツァルトも正に豆でしたね。
モーツァルト・・・は正直ぼんやりだったなあ。そもそもモーツァルトに関してはレクイエム>交響曲・ピアノ以外協奏曲>ピアノソナタ>ピアノ協奏曲みたいなところがあって(数曲例外はありますが)、この曲に特別愛着はなかったなあ。
そして(自分にとって)メインのメシアン。「異国の鳥たち」はちゃんとした音質の録音も持ってないので聴けてよかったー。木管が異様に多く弦がなく金管も最小限で打楽器は4人くらい?にソロのピアノというかなり変則的な編成(ステージのレイアウトも結構変わってます)で奏でるヨーロッパ以外の様々な地域の鳥たちの共演。演奏時間16分ですが47種類もいるそうですよ。
まずはソロ。モーツァルトで「なんかちょっと走りやすい演奏だな(そして自分もそういうところあるんだよな)」と思ってたのがメシアンでしっくり来た。確かにああいう弾き方は鳥の声のパッセージにふさわしいというか。いろんなピアニストのメシアンちょこちょこ聴いてますがみんなある種の神経質さがあるような印象で、これもそんな感じでした。とはいえ鳥としてものすごく安定しててリズムもキレがあって聴いてて楽しいピアノソロでした。
そしてメシアンといえば打楽器もすごい。鍵盤状の木琴鉄琴の様々な(テクニカルな感じの)鳥の鳴き声を奏でる縦横無尽の活躍もすごかったですし、その後ろで要所要所に出てくる銅鑼群(大きいオーケストラ銅鑼と小さくて調音してある銅鑼いくつか)もかっこよかった。銅鑼って普段は大きい編成のオケでいろんな音が交錯してるときに演奏することが多いのですが今回は銅鑼だけ聴くことも多く、その響きの豊かさにびっくりしました。もっと銅鑼が聴きたくなる。
ブラームスの交響曲のなかでちょっとこじんまりしている第3番。なんか無駄がなくて、でも最初から最後まで充実している(トッポか)。
今回一つ前がメシアンだった影響もあったのか色彩豊かなブラームスでした。こないだ今日の一曲のチャイコの5番で書いた「交響曲のリズム」が特に第4楽章で生きる曲だと思うのですがちょっとリズムはにぶめだった印象。
ブラームスの3番といえば元チェロ弾きにとっては第3楽章の冒頭のソロがやっぱり印象強いですね。あとでホルンやオーボエも弾いてるメロディーですがここはザ・チェロ。元々重みのあるメヌエット・スケルツォ相当の楽章が好きなのですがこの曲のしっとりさとチェロの美しさは特別。毎回メロメロです(笑)
そんなわけで後半のメシアンではご機嫌&若干ハイになってからのしっとり堅実ブラームスで落ち着くという2コースでなんかものすごく満足なコンサート終わりでした。やっぱり華やかさとは別の楽しみもいいですね。
あとは今回ブラームスやモーツァルトを目当てにコンサートに来た人がメシアンの音楽にちょっとでも興味をもってくれたことを願うのみ。「異国の鳥たち」はそんなにとっつきやすい曲ではないですがそんなにとっつきにくい曲でもないはずなので、たとえほんの数人でも何かとっかかりを覚えてくれたらな。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「異国の鳥たち」
やっぱこれでしょ今回は。さっきは一応内容全部書かないでおいたんですよ。(ブラームスも紹介したいのですがそれはまた今度録音聴いてゆっくり紹介します~)
コンサート間トークでSir Davisがメシアン(と奥さん)に会ったという話をしていて、やっぱり現在活躍中の音楽家でメシアンにお目にかかれた人って結構いるんだなーうらやましいなーと思いました。ニアミスとまでは言えませんがかなり近い時代のすれちがいだからやっぱり惜しい。
ちなみにSir Davisは元オルガン奏者で(びっくり!)、なのでメシアンの音楽には深く縁があるそう。なんでもメシアンはバッハ、フランクと並んでオルガン音楽の三大作曲家だとか。
同じくメシアンが書いた「鳥のカタログ」はフランスの様々な鳥をその生息環境とともに描いた作品ですが、この「異国の鳥たち」はちょっと勝手が違います。
「異国の鳥たち」はヨーロッパ以外(アジア、南北アメリカなど)の様々な地域の鳥たちをコラボさせるというか一同に集めて共演させるといった趣旨の曲。なので生物学的(鳥類学的)よりも音楽的、ファンタジー的(そして総称的なエキゾチック)な作品になっています。
この曲に限らず異国的・エキゾチックってなんだろう、と考えると熱帯的な色彩ってのはやっぱ大きいかなーと思います。Cardinalの鮮やかな赤をはじめ日常的にあまり見ない色が鳥の歌声に乗せてありとあらゆるところに極彩色。
そして音楽においてエキゾチックな演出としてはリズムもよく使われますね。普段周りにいる鳥とは違う鳴き声リズムに加え銅鑼の音やギリシャ・インドのリズムを使うことでエキゾチックを演出します。
とはいえ最初のピアノのソロはIndian Minah、オーストラリアやマレーシアなどではスズメ並みによくいる鳥だったり(汗)でもやつら普段聴いててもものすごく鳴き声の要素のレパートリーがかなり豊富なんですよ。普通にいるからってなめちゃいけない。
プログラムに書いてあったのですがメシアンは自分の作品を弾く前に鳥の声を聴いて欲しいと言ったそうです。インターネットで世界中の実に様々な鳥の鳴き声が聞ける時代ですが(下手すりゃ数時間楽しめる)、まずは身近な鳥の声にも忘れず耳を傾けることから始めるべきなのかなと思います。鳥の声とその環境、2つともメシアンの音楽の大事なパーツ。
リンクしたのはエサ=ペッカ・サロネンの演奏の録音。「峡谷から星たちへ」がカップリング曲で入ってるのがおいしいです(北米つながりですね)。他にももちろんマダム・ロリオの演奏のもありますし、岩城宏之さんが指揮してるアンサンブル金沢の演奏も。
ちなみにメル響が前回初めてこの曲を弾いたのも岩城さんの指揮でだそうで、レア曲ながら意外に初演から年数経ってないうちに弾いてたのに驚きました。メル響たまにそういうとこあるから面白い。
なんだかスケジュールとしてはそんなに忙しくないはずなのにめまぐるしい。
今日も一日休みという名目だったのですが動き回ってたのが大半だったような・・・
ただコンサートは行きました。メル響でメシアンやるとなっちゃ聴きにいかずにはいられない。
ただ土曜の昼のコンサートに行くのは久しぶり。(もう一つが月曜の夜でバレエのレッスンの時間だったため)夜のコンサートの方がなんか緊張というかムードがあるというか、一日の終わりをコンサートでしめれるのが好きなのかもしれません。ただメシアンは昼が似合う(取り出し)。
さてコンサートのプログラムはこんな感じ。
メルボルン交響楽団「Mozart's Piano Concerto No. 17」
指揮:Sir Andrew Davis
ジョアキーノ・ロッシーニ 「泥棒カササギ」序曲
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ピアノ協奏曲第17番(ピアノ:Jean-Efflam Bavouzet)
(休憩)
オリヴィエ・メシアン 「異国の鳥たち」(ピアノ:Jean-Efflam Bavouzet)
ヨハネス・ブラームス 交響曲第3番
最後の交響曲も含めこじんまりした曲揃い。ブラームスの3番についてはSir Davisのコンサート間トークによるとコンサートの〆にふさわしい華やかさがないと巷で言われてるそうですが、例えばこういう控えめな曲ばっかり揃えるプログラムもそれはそれで面白いし効果的。
「泥棒カササギ」序曲、部分部分が有名な曲ですがこんなにスネアドラムがかっこいい曲だとは知らなかったです。ステージの後ろの右と左に2人、多分スネア部分の設定を変えてあるのかちょっと違う音の太鼓コンボ。かっこよかった。
そして母が常日頃(昔ホルン吹いてたときに)よく「豆のような」細かい音を出すことがあった(そしてあんまり面白くなかった)という話をするのですがロッシーニもモーツァルトも正に豆でしたね。
モーツァルト・・・は正直ぼんやりだったなあ。そもそもモーツァルトに関してはレクイエム>交響曲・ピアノ以外協奏曲>ピアノソナタ>ピアノ協奏曲みたいなところがあって(数曲例外はありますが)、この曲に特別愛着はなかったなあ。
そして(自分にとって)メインのメシアン。「異国の鳥たち」はちゃんとした音質の録音も持ってないので聴けてよかったー。木管が異様に多く弦がなく金管も最小限で打楽器は4人くらい?にソロのピアノというかなり変則的な編成(ステージのレイアウトも結構変わってます)で奏でるヨーロッパ以外の様々な地域の鳥たちの共演。演奏時間16分ですが47種類もいるそうですよ。
まずはソロ。モーツァルトで「なんかちょっと走りやすい演奏だな(そして自分もそういうところあるんだよな)」と思ってたのがメシアンでしっくり来た。確かにああいう弾き方は鳥の声のパッセージにふさわしいというか。いろんなピアニストのメシアンちょこちょこ聴いてますがみんなある種の神経質さがあるような印象で、これもそんな感じでした。とはいえ鳥としてものすごく安定しててリズムもキレがあって聴いてて楽しいピアノソロでした。
そしてメシアンといえば打楽器もすごい。鍵盤状の木琴鉄琴の様々な(テクニカルな感じの)鳥の鳴き声を奏でる縦横無尽の活躍もすごかったですし、その後ろで要所要所に出てくる銅鑼群(大きいオーケストラ銅鑼と小さくて調音してある銅鑼いくつか)もかっこよかった。銅鑼って普段は大きい編成のオケでいろんな音が交錯してるときに演奏することが多いのですが今回は銅鑼だけ聴くことも多く、その響きの豊かさにびっくりしました。もっと銅鑼が聴きたくなる。
ブラームスの交響曲のなかでちょっとこじんまりしている第3番。なんか無駄がなくて、でも最初から最後まで充実している(トッポか)。
今回一つ前がメシアンだった影響もあったのか色彩豊かなブラームスでした。こないだ今日の一曲のチャイコの5番で書いた「交響曲のリズム」が特に第4楽章で生きる曲だと思うのですがちょっとリズムはにぶめだった印象。
ブラームスの3番といえば元チェロ弾きにとっては第3楽章の冒頭のソロがやっぱり印象強いですね。あとでホルンやオーボエも弾いてるメロディーですがここはザ・チェロ。元々重みのあるメヌエット・スケルツォ相当の楽章が好きなのですがこの曲のしっとりさとチェロの美しさは特別。毎回メロメロです(笑)
そんなわけで後半のメシアンではご機嫌&若干ハイになってからのしっとり堅実ブラームスで落ち着くという2コースでなんかものすごく満足なコンサート終わりでした。やっぱり華やかさとは別の楽しみもいいですね。
あとは今回ブラームスやモーツァルトを目当てにコンサートに来た人がメシアンの音楽にちょっとでも興味をもってくれたことを願うのみ。「異国の鳥たち」はそんなにとっつきやすい曲ではないですがそんなにとっつきにくい曲でもないはずなので、たとえほんの数人でも何かとっかかりを覚えてくれたらな。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「異国の鳥たち」
やっぱこれでしょ今回は。さっきは一応内容全部書かないでおいたんですよ。(ブラームスも紹介したいのですがそれはまた今度録音聴いてゆっくり紹介します~)
コンサート間トークでSir Davisがメシアン(と奥さん)に会ったという話をしていて、やっぱり現在活躍中の音楽家でメシアンにお目にかかれた人って結構いるんだなーうらやましいなーと思いました。ニアミスとまでは言えませんがかなり近い時代のすれちがいだからやっぱり惜しい。
ちなみにSir Davisは元オルガン奏者で(びっくり!)、なのでメシアンの音楽には深く縁があるそう。なんでもメシアンはバッハ、フランクと並んでオルガン音楽の三大作曲家だとか。
同じくメシアンが書いた「鳥のカタログ」はフランスの様々な鳥をその生息環境とともに描いた作品ですが、この「異国の鳥たち」はちょっと勝手が違います。
「異国の鳥たち」はヨーロッパ以外(アジア、南北アメリカなど)の様々な地域の鳥たちをコラボさせるというか一同に集めて共演させるといった趣旨の曲。なので生物学的(鳥類学的)よりも音楽的、ファンタジー的(そして総称的なエキゾチック)な作品になっています。
この曲に限らず異国的・エキゾチックってなんだろう、と考えると熱帯的な色彩ってのはやっぱ大きいかなーと思います。Cardinalの鮮やかな赤をはじめ日常的にあまり見ない色が鳥の歌声に乗せてありとあらゆるところに極彩色。
そして音楽においてエキゾチックな演出としてはリズムもよく使われますね。普段周りにいる鳥とは違う鳴き声リズムに加え銅鑼の音やギリシャ・インドのリズムを使うことでエキゾチックを演出します。
とはいえ最初のピアノのソロはIndian Minah、オーストラリアやマレーシアなどではスズメ並みによくいる鳥だったり(汗)でもやつら普段聴いててもものすごく鳴き声の要素のレパートリーがかなり豊富なんですよ。普通にいるからってなめちゃいけない。
プログラムに書いてあったのですがメシアンは自分の作品を弾く前に鳥の声を聴いて欲しいと言ったそうです。インターネットで世界中の実に様々な鳥の鳴き声が聞ける時代ですが(下手すりゃ数時間楽しめる)、まずは身近な鳥の声にも忘れず耳を傾けることから始めるべきなのかなと思います。鳥の声とその環境、2つともメシアンの音楽の大事なパーツ。
リンクしたのはエサ=ペッカ・サロネンの演奏の録音。「峡谷から星たちへ」がカップリング曲で入ってるのがおいしいです(北米つながりですね)。他にももちろんマダム・ロリオの演奏のもありますし、岩城宏之さんが指揮してるアンサンブル金沢の演奏も。
ちなみにメル響が前回初めてこの曲を弾いたのも岩城さんの指揮でだそうで、レア曲ながら意外に初演から年数経ってないうちに弾いてたのに驚きました。メル響たまにそういうとこあるから面白い。
相も変わらず真・三國無双ブラスト(スマホの無双)の臧覇さんのように髪がはねてネックウォーマーに埋もれて冬を過ごしている流 星姫です。
ブラストといえば本家ではプレイアブルじゃないけどブラストで顔有りになった武将達ものすごく好きなのが多いです。列伝のストーリーも好きですし。せっかちなのが災いしてますが楽しく遊んでます~
さてそんなわけでまだまだ寒いですが日曜にコンサート行って来ました。
前も感想かいた友人Tristan Leeのリサイタルだったのですが場所がちょっと変わったところでした。
Medley Hallという場所なのですが、メルボルン大学のメインキャンパスからちょっと離れたところにある比較的小規模な寮で。その存在すら初めて知りました。
前から見るとかなり古い建物で(もちろん欧州とか日本の比では全然ないですが)、中に入るとこれまた古い内装がものすごく丁寧にメンテされていて。シャンデリアとか壁の装飾とか人が住んでる生活感がそんなに感じられない、なんか重要建築物とか美術館とかみたいな雰囲気で。
でもちゃんとダイニングホールがあったり生徒とかが住んでるのも見ましたし、あと建物の奥の方はモダンな作りになってるのも見えましたし。なんかものすごく不思議な場所でした。
肝心のコンサートはその中のピアノがある一室で行われました。(ちなみに暖炉があったり、例えば昔のヨーロッパでchamber concert的なことをやるとこんな感じだったのかな)
プログラムはこんな感じ。
Medley Hall Recital Series
ピアノ: Tristan Lee
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第13番 op.27-1「幻想曲風」
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第14番 op.27-2「月光」
フランツ・リスト ピアノソナタ
リストのピアノソナタを彼の演奏で聴くのはこれで2回目。先生の演奏など過去にも何回か聴いていますがこのピアノレパートリー最高峰の作品とも言える曲をちょくちょく聴く機会があるのはほんとうに贅沢。
ベートーヴェンの「月光」は至る所で演奏されますが(ついこないだ聴いたばっかりだった)双子の片割れである第13番はほとんど演奏を聴きません。大学で1人2人弾いてたくらいかなあ。ちなみにTristanはコンサートの時のトークでその知名度の差をミノーグ姉妹に例えてたのですがいいたとえだと思います。(カイリーは世界的に有名なスター、その姉のダニーはオーストラリアでは有名なのです)
その第13番は普通だったら3~4楽章に分けるソナタになるところを単一楽章に仕立てた、ちょっと変わった構成のソナタなのですが(リストのソナタやプロコフィエフのピアノソナタ第3番が同じような構成になってます)、その様々な性格の音楽の連なりをまるで物語を紡ぐように表現した演奏がものすごく好きでした。曲のstructureにさらに命を与えた感じで。ああいう語り手になれたらなあ。
月光は第1楽章のテンポがちょっと速めなのが(特にあの空間では)上手く流れたり、第2楽章のテイストが自分の好みとちょっと違ったり、元々ピアニストとしての弾き方もアプローチも自分とはかなり違うのですが、「月光」の演奏ではその違いをよりはっきりと感じました。
改めて自分が弾きたい感じのベートーヴェンってかなりフランス寄りなタッチなんだなと(汗)
そしてリストのピアノソナタ。毎回思うのですがピアニストとしての技量はもちろん、人間とか人生の深さを問う曲だなーあれは。ピアノ曲とか音楽とかそういう枠に入らない。内面的な旅路。
前回と比べて安定してた感はありましたがまだまだこれから成長・成熟していくのが楽しみな演奏でした。
ピアニストとしての性質は違うものの大学時代からお互いの演奏を聴いたりしてきたこともあってTristanには影響されること、考えさせられることも多く。それが高じて昨日はメシアン休んで「月光」と以前彼が弾いてたワーグナーの愛の死(リスト編曲)を弾いてみました。愛の死は初見、月光は実に16年ぶりです(驚)
愛の死、やっぱり弾きたいですね。途中で「わーぐなああああ」とワーグナー的な盛り上げ方に(良い意味でなく)悶絶することもありながらやっぱり良い曲ですし好きですし。取り組んでみたくなる。
そして自分のピアノと音楽関係の立ち位置についても色々考えるきっかけになったりもしているのですがそれはまあ別のお話ということで。
後で飲みにいったLygon Streetのバー(Carlton Yacht Club)のカクテルが美味しかったという思い出&情報で〆にします。
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第13番 op.27-1「幻想曲風」
有名じゃない方を紹介。こんな時でないと紹介する機会がないですからね(月光もまあそうなのですが・・・)
ベートーヴェンのソナタに限らず、ピアノソナタに限らず「ソナタ形式」という形式はベートーヴェンよりちょっと前のモーツァルトとかハイドンあたりに確立したのですが、すでにその同じ作曲家達の手で「ソナタ形式をもっと自由に広げてみよう」的な試みが色々でています。
このソナタもその1つ。前述の通り複数の違う性格のパーツ(本来なら別々の楽章になる)をつなげて単一楽章にしたソナタです。
もちろんただつなげただけじゃなくて繰り返すテーマがあったりつなぎの部分があったり、一体性を持つようになっています。ほどよく共通する要素があったりコントラストやメリハリもあったり、音楽自体の美しさもそうですが全体的なバランスのよさに心地よさと安心を覚える曲です。
私は通常のソナタなら第3楽章のメヌエットに相当するMolto Allegro e Vivaceの部分が好きです。
そんなに軽快というわけでもなくちょっとシリアス目ではあるのですが特にリズムとアーティキュレーションに遊び心があって。
そもそもベートーヴェンの書くメヌエットってのが好きなのかも知れない。月光も第2楽章が好きですし運命も第3楽章が好き。スケルツォにしてもワルツにしてもメヌエットにしても第3楽章がちょっとシリアスめは確かに好み。
持ってる録音はアシュケナージのベートーヴェンピアノソナタ全集なのですがリンクしたのはもうちょっと違うのも聴きたいなとの希望で検索かけてみました。ベートーヴェンはピアノソナタが多いし月光も本来は「幻想曲風」とタイトルが付いてるので第13番をピンポイントで見つけるのは至難の業。
とりあえずヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンピアノソナタ全集にしてみました。いくつか試聴してみたら骨太でなく繊細な方面の演奏でした。自分の心の中にあるベートーヴェンってもしかしてこういうのか?
ブラストといえば本家ではプレイアブルじゃないけどブラストで顔有りになった武将達ものすごく好きなのが多いです。列伝のストーリーも好きですし。せっかちなのが災いしてますが楽しく遊んでます~
さてそんなわけでまだまだ寒いですが日曜にコンサート行って来ました。
前も感想かいた友人Tristan Leeのリサイタルだったのですが場所がちょっと変わったところでした。
Medley Hallという場所なのですが、メルボルン大学のメインキャンパスからちょっと離れたところにある比較的小規模な寮で。その存在すら初めて知りました。
前から見るとかなり古い建物で(もちろん欧州とか日本の比では全然ないですが)、中に入るとこれまた古い内装がものすごく丁寧にメンテされていて。シャンデリアとか壁の装飾とか人が住んでる生活感がそんなに感じられない、なんか重要建築物とか美術館とかみたいな雰囲気で。
でもちゃんとダイニングホールがあったり生徒とかが住んでるのも見ましたし、あと建物の奥の方はモダンな作りになってるのも見えましたし。なんかものすごく不思議な場所でした。
肝心のコンサートはその中のピアノがある一室で行われました。(ちなみに暖炉があったり、例えば昔のヨーロッパでchamber concert的なことをやるとこんな感じだったのかな)
プログラムはこんな感じ。
Medley Hall Recital Series
ピアノ: Tristan Lee
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第13番 op.27-1「幻想曲風」
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第14番 op.27-2「月光」
フランツ・リスト ピアノソナタ
リストのピアノソナタを彼の演奏で聴くのはこれで2回目。先生の演奏など過去にも何回か聴いていますがこのピアノレパートリー最高峰の作品とも言える曲をちょくちょく聴く機会があるのはほんとうに贅沢。
ベートーヴェンの「月光」は至る所で演奏されますが(ついこないだ聴いたばっかりだった)双子の片割れである第13番はほとんど演奏を聴きません。大学で1人2人弾いてたくらいかなあ。ちなみにTristanはコンサートの時のトークでその知名度の差をミノーグ姉妹に例えてたのですがいいたとえだと思います。(カイリーは世界的に有名なスター、その姉のダニーはオーストラリアでは有名なのです)
その第13番は普通だったら3~4楽章に分けるソナタになるところを単一楽章に仕立てた、ちょっと変わった構成のソナタなのですが(リストのソナタやプロコフィエフのピアノソナタ第3番が同じような構成になってます)、その様々な性格の音楽の連なりをまるで物語を紡ぐように表現した演奏がものすごく好きでした。曲のstructureにさらに命を与えた感じで。ああいう語り手になれたらなあ。
月光は第1楽章のテンポがちょっと速めなのが(特にあの空間では)上手く流れたり、第2楽章のテイストが自分の好みとちょっと違ったり、元々ピアニストとしての弾き方もアプローチも自分とはかなり違うのですが、「月光」の演奏ではその違いをよりはっきりと感じました。
改めて自分が弾きたい感じのベートーヴェンってかなりフランス寄りなタッチなんだなと(汗)
そしてリストのピアノソナタ。毎回思うのですがピアニストとしての技量はもちろん、人間とか人生の深さを問う曲だなーあれは。ピアノ曲とか音楽とかそういう枠に入らない。内面的な旅路。
前回と比べて安定してた感はありましたがまだまだこれから成長・成熟していくのが楽しみな演奏でした。
ピアニストとしての性質は違うものの大学時代からお互いの演奏を聴いたりしてきたこともあってTristanには影響されること、考えさせられることも多く。それが高じて昨日はメシアン休んで「月光」と以前彼が弾いてたワーグナーの愛の死(リスト編曲)を弾いてみました。愛の死は初見、月光は実に16年ぶりです(驚)
愛の死、やっぱり弾きたいですね。途中で「わーぐなああああ」とワーグナー的な盛り上げ方に(良い意味でなく)悶絶することもありながらやっぱり良い曲ですし好きですし。取り組んでみたくなる。
そして自分のピアノと音楽関係の立ち位置についても色々考えるきっかけになったりもしているのですがそれはまあ別のお話ということで。
後で飲みにいったLygon Streetのバー(Carlton Yacht Club)のカクテルが美味しかったという思い出&情報で〆にします。
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第13番 op.27-1「幻想曲風」
有名じゃない方を紹介。こんな時でないと紹介する機会がないですからね(月光もまあそうなのですが・・・)
ベートーヴェンのソナタに限らず、ピアノソナタに限らず「ソナタ形式」という形式はベートーヴェンよりちょっと前のモーツァルトとかハイドンあたりに確立したのですが、すでにその同じ作曲家達の手で「ソナタ形式をもっと自由に広げてみよう」的な試みが色々でています。
このソナタもその1つ。前述の通り複数の違う性格のパーツ(本来なら別々の楽章になる)をつなげて単一楽章にしたソナタです。
もちろんただつなげただけじゃなくて繰り返すテーマがあったりつなぎの部分があったり、一体性を持つようになっています。ほどよく共通する要素があったりコントラストやメリハリもあったり、音楽自体の美しさもそうですが全体的なバランスのよさに心地よさと安心を覚える曲です。
私は通常のソナタなら第3楽章のメヌエットに相当するMolto Allegro e Vivaceの部分が好きです。
そんなに軽快というわけでもなくちょっとシリアス目ではあるのですが特にリズムとアーティキュレーションに遊び心があって。
そもそもベートーヴェンの書くメヌエットってのが好きなのかも知れない。月光も第2楽章が好きですし運命も第3楽章が好き。スケルツォにしてもワルツにしてもメヌエットにしても第3楽章がちょっとシリアスめは確かに好み。
持ってる録音はアシュケナージのベートーヴェンピアノソナタ全集なのですがリンクしたのはもうちょっと違うのも聴きたいなとの希望で検索かけてみました。ベートーヴェンはピアノソナタが多いし月光も本来は「幻想曲風」とタイトルが付いてるので第13番をピンポイントで見つけるのは至難の業。
とりあえずヴィルヘルム・ケンプのベートーヴェンピアノソナタ全集にしてみました。いくつか試聴してみたら骨太でなく繊細な方面の演奏でした。自分の心の中にあるベートーヴェンってもしかしてこういうのか?
小旅行から帰ってきてから仕事がなんだか忙しい!
ありがたいことですし、抱えきれないような量ではないのですが仕事もやってピアノもできるときにやって家事もやってとなるととお手玉してると気をつけないと休むのを忘れてしまいそうな気にもなったりします。
そんな中外の世界は色々忙しい。音楽に関しては今ちょうど来年のシーズンプログラムがそこここから発表される時期。なんか去年はしゃいでからあっという間にも感じます。
もう来年の事考えはじめちゃう時期なのかー・・・
今回のエントリーのメインは毎年恒例のメル響来年のシーズン先取りしてはしゃいじゃおうという内容なのですが、その前に州外から来年のお知らせが入ってきまして。
なんと来年の3月シドニーでピエール=ローラン・エマールがメシアンの20のまなざしを全曲弾くとか!でも3月は忙しいんだ!なんとかならないかできないかと転げ回ってます。
さて、来年のメル響のシーズンパンフレットがオンラインで見れるようになりましたが(印刷版は届くのかな)、時系列のコンサートリストがなくてちょっと不便。なので去年までと違って適当に作ったカテゴリ毎に紹介していこうと思います。
<メインシーズン前の諸々>
今年もTan Dunが旧正月(2月14日)に来る!しかもLi-Weiがチェロ弾く!曲は中国の少数民族の暮らしと音楽を使った音楽らしく、元々映像もある作品なので生で聴きたい。
そして毎年恒例のSidney Myer Ballでの無料野音コンサート、我が先輩であり友人Stefan Cassomenosがガーシュインのピアノ協奏曲を弾いたり、別のコンサートではGrigoryan Brothersの演奏ありのスペイン・ラテンアメリカプログラムだったり。Stefanのコンサートではドヴォルザークの7番も演奏されるらしいのでこれは行かないと。
<MSO Pops周り>
数週間前からお知らせがあったヒッチコック映画のコンサートだったり、ゴッドファーザーのコンサートだったりかなり渋いラインアップ。それに加えてCirque de la Symphonieというサーカスパフォーマーとメル響の共演。これがちょっと見てみたい聴いてみたい。
<マーラーサイクル続き>
マーラーサイクル、来年は大好きな第5番(3月)と第6番(7月)のターン。
ちなみに5番のときは上記エマールがラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲を弾くそうです。・・・やっぱりメシアンがよかった(ラヴェルの作品の中で珍しくあんまり好きじゃない曲なんですよう)
<Metropolisシリーズ(5月)>
今年のテーマは「City」。20世紀以降の作曲家が時代と共に変わりゆく「街」、「都市」を描いた作品が連なるコンサート。そしてここにメシアン来た-!「天の都市の色彩」初めて!しかもソリストにMichael Kieran Harvey!大分長いこと会ってないけど元気でやってるかな。
<Hamer Hall以外でのコンサート>
メルボルン・タウンホールでのコンサートシリーズではフォーレのレクイエムを高校の先輩Jacqui Porterが歌ったり、あと惑星がまたタウンホールにやってくる様子。
Melbourne Recital Centreではショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3番の弦楽オケ版が演奏されるというので興味津々。8番の編曲は有名だけど3番を弦楽スケールにするとどうなるんだろう。
<その他通常コンサート>
パンフレットで真っ先に目に入ってきたのがリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」。長らく好きだった曲ですが(シュトラウスの曲で最初に好きになった)、なかなか生で聴く機会がないので逃せない。3月だけどなんとか行きたい。
他に気になるのは定番のメンデルスゾーンにウォルトン、シュトラウス、コルンゴルトなど変わり種が揃ったシェイクスピア題材コンサート、以前「我が祖国」を指揮した指揮者が再来豪して振るスクの交響曲第2番「アスラエル」(これもチェコの作品でかなりレアなプログラム)だったり。
禿げ山・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番・ロミジュリのオールロシアプログラムもあるし、なぜかシマノフスキとシューマンとレスピーギが揃う謎の面白そうなコンサートもあり、あとSimone Youngが振るならパルジファルとかブルックナー9番も聴いてみたいかも。
あとRichard Tognetti(バイオリン)がソリストをつとめるコンサート、ブリテンの4つの海や揚げひばりやルトスワフスキやラフマニノフの交響的舞曲と私の好きなものが詰まっててにやにや。これもほぼ確定ですな。
他にはベートーヴェンのピアノ協奏曲と新ウィーン楽派の作品を組み合わせるシリーズや、1つのコンサートでバッハの管弦楽組曲4つ演奏するコンサートなどもあります。
なんだか「うおおこんな曲もあるのか」的な渋い曲マイナーな曲が結構入ってきてるのが来年は特徴的。一歩踏み出す勇気で色んな曲に出会いたいです。
ところで女性作曲家の作品が一つも取り上げられてないなんて指摘もあって確かにそこはちょっと残念なのですが、来年も若い作曲家支援のプログラムは予定されてるのでそこでフィーチャーされることを願ってます。
来年といえばWhite Night Melbourneの日にちも入ってきましたね。2016年2月20日の午後7時から。気は早いですが今から天気が良くて程よく暑くなることを願ってます。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 八重奏曲 第2楽章
こないだ買ったCDから紹介。
ストラヴィンスキーといえば三大バレエ(火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典)が有名ですが、もちろんそれだけの作曲家じゃありません。
作品数もかなり多く、ジャンルも幅広く、なんといっても作風が多岐にわたってるのがすごい。バレエ作品みたいなロマン派からのつながりの20世紀初頭なオケ作品もあり、新古典主義の作品もあり、セリーや十二音技法を使ったものもあり、ちょっと聴きミニマルミュージックに通じるようなものもあり、ロシア風かと思えばフランス風のテイストも強く。どんなスタイルで書いてもすごい作曲家。
そういうところ同時代で親交のあったピカソにものすごーく似てると思うんですよね。
ただ器楽作品に共通して言えるのはストラヴィンスキーって木管すごい強い!ということ。
春の祭典の冒頭のファゴットソロを筆頭にどこを見ても木管楽器が活躍していて、木管楽器の役割の幅もきっとストラヴィンスキーによってぐっと広がってるはず。
特にファゴットに関しては三大バレエの全部にソロがあったり(コントラファゴットがペトルーシュカで出てきたり)、この楽器を最大限輝かせる作曲家といえばストラヴィンスキーなんだろうな。
この八重奏曲もそんなストラヴィンスキーの得意が詰まった曲。楽器編成はフルート、クラリネット(持ち替えあり)、ファゴット2人、トランペット2人(B管とA管)、トロンボーン2人(テナーとバストロ)というかなり奇想天外な編成。なんかWikipediaにはストラヴィンスキーが夢で見た編成と書いてあったのですがすごいな。
ただ一見奇想天外ではあるのですが、ちゃんと2人ずつでペアになりますし、この曲を聴いてると室内楽を聴いているというよりオケの木管セクションがオケ全体になったような感覚になります(なんのこっちゃ)。チームワークの働きが室内楽的(例:メンデルスゾーンの弦楽器の八重奏曲)でなくてオケ的なんですよね。
曲としては新古典主義のようなシンプルさもあり、でも20世紀初頭のフランス的な頭の回転の速さもあり、そしてなにより心地よいarchitectureというかメカニズムがあり。
ストラヴィンスキーの音楽って聴きにくかったり理解するのが難しい曲も少なくないですが、それでも気むずかしい曲ってほとんどないような気がします。基本オープンなスタンスを感じます。
そんな中この曲もファゴットが大活躍ですよ。なんといってもベースを担当できる楽器がトロンボーンとファゴットに分かれてますからね、それぞれのいいところ(ベースとそれ以外)を適宜生かせる編成にもなってるわけです。
ファゴットはトロンボーンよりも機動力があって短い音の丸さが良いのですが、この第2楽章では正にそれで大活躍。耳に焼き付けてください。
今回買ったCD(リンクしたのと同じ)の室内楽曲とか小規模作品はやっぱりストラヴィンスキーの有名だったり大編成だったりする曲のような華やかさやキャラの強さはないのですが、ちょっと変わった楽器の組み合わせを上手く音楽に仕立てたり、色んなスタイルで書いたり、面白い曲揃いなことには変わりないです。
ストラヴィンスキーの作曲スタイルの多彩さや時代背景、ピカソの絵画など周りのエリアをちょっとリサーチしてみるともちょっと面白く聴けるかも。
やっぱり手始めは「兵士の物語」(三重奏バージョン)ですかね。他にはラグタイムで意外な楽器が出てきたり。おすすめです。
ありがたいことですし、抱えきれないような量ではないのですが仕事もやってピアノもできるときにやって家事もやってとなるととお手玉してると気をつけないと休むのを忘れてしまいそうな気にもなったりします。
そんな中外の世界は色々忙しい。音楽に関しては今ちょうど来年のシーズンプログラムがそこここから発表される時期。なんか去年はしゃいでからあっという間にも感じます。
もう来年の事考えはじめちゃう時期なのかー・・・
今回のエントリーのメインは毎年恒例のメル響来年のシーズン先取りしてはしゃいじゃおうという内容なのですが、その前に州外から来年のお知らせが入ってきまして。
なんと来年の3月シドニーでピエール=ローラン・エマールがメシアンの20のまなざしを全曲弾くとか!でも3月は忙しいんだ!なんとかならないかできないかと転げ回ってます。
さて、来年のメル響のシーズンパンフレットがオンラインで見れるようになりましたが(印刷版は届くのかな)、時系列のコンサートリストがなくてちょっと不便。なので去年までと違って適当に作ったカテゴリ毎に紹介していこうと思います。
<メインシーズン前の諸々>
今年もTan Dunが旧正月(2月14日)に来る!しかもLi-Weiがチェロ弾く!曲は中国の少数民族の暮らしと音楽を使った音楽らしく、元々映像もある作品なので生で聴きたい。
そして毎年恒例のSidney Myer Ballでの無料野音コンサート、我が先輩であり友人Stefan Cassomenosがガーシュインのピアノ協奏曲を弾いたり、別のコンサートではGrigoryan Brothersの演奏ありのスペイン・ラテンアメリカプログラムだったり。Stefanのコンサートではドヴォルザークの7番も演奏されるらしいのでこれは行かないと。
<MSO Pops周り>
数週間前からお知らせがあったヒッチコック映画のコンサートだったり、ゴッドファーザーのコンサートだったりかなり渋いラインアップ。それに加えてCirque de la Symphonieというサーカスパフォーマーとメル響の共演。これがちょっと見てみたい聴いてみたい。
<マーラーサイクル続き>
マーラーサイクル、来年は大好きな第5番(3月)と第6番(7月)のターン。
ちなみに5番のときは上記エマールがラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲を弾くそうです。・・・やっぱりメシアンがよかった(ラヴェルの作品の中で珍しくあんまり好きじゃない曲なんですよう)
<Metropolisシリーズ(5月)>
今年のテーマは「City」。20世紀以降の作曲家が時代と共に変わりゆく「街」、「都市」を描いた作品が連なるコンサート。そしてここにメシアン来た-!「天の都市の色彩」初めて!しかもソリストにMichael Kieran Harvey!大分長いこと会ってないけど元気でやってるかな。
<Hamer Hall以外でのコンサート>
メルボルン・タウンホールでのコンサートシリーズではフォーレのレクイエムを高校の先輩Jacqui Porterが歌ったり、あと惑星がまたタウンホールにやってくる様子。
Melbourne Recital Centreではショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3番の弦楽オケ版が演奏されるというので興味津々。8番の編曲は有名だけど3番を弦楽スケールにするとどうなるんだろう。
<その他通常コンサート>
パンフレットで真っ先に目に入ってきたのがリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」。長らく好きだった曲ですが(シュトラウスの曲で最初に好きになった)、なかなか生で聴く機会がないので逃せない。3月だけどなんとか行きたい。
他に気になるのは定番のメンデルスゾーンにウォルトン、シュトラウス、コルンゴルトなど変わり種が揃ったシェイクスピア題材コンサート、以前「我が祖国」を指揮した指揮者が再来豪して振るスクの交響曲第2番「アスラエル」(これもチェコの作品でかなりレアなプログラム)だったり。
禿げ山・ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番・ロミジュリのオールロシアプログラムもあるし、なぜかシマノフスキとシューマンとレスピーギが揃う謎の面白そうなコンサートもあり、あとSimone Youngが振るならパルジファルとかブルックナー9番も聴いてみたいかも。
あとRichard Tognetti(バイオリン)がソリストをつとめるコンサート、ブリテンの4つの海や揚げひばりやルトスワフスキやラフマニノフの交響的舞曲と私の好きなものが詰まっててにやにや。これもほぼ確定ですな。
他にはベートーヴェンのピアノ協奏曲と新ウィーン楽派の作品を組み合わせるシリーズや、1つのコンサートでバッハの管弦楽組曲4つ演奏するコンサートなどもあります。
なんだか「うおおこんな曲もあるのか」的な渋い曲マイナーな曲が結構入ってきてるのが来年は特徴的。一歩踏み出す勇気で色んな曲に出会いたいです。
ところで女性作曲家の作品が一つも取り上げられてないなんて指摘もあって確かにそこはちょっと残念なのですが、来年も若い作曲家支援のプログラムは予定されてるのでそこでフィーチャーされることを願ってます。
来年といえばWhite Night Melbourneの日にちも入ってきましたね。2016年2月20日の午後7時から。気は早いですが今から天気が良くて程よく暑くなることを願ってます。
今日の一曲: イーゴリ・ストラヴィンスキー 八重奏曲 第2楽章
こないだ買ったCDから紹介。
ストラヴィンスキーといえば三大バレエ(火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典)が有名ですが、もちろんそれだけの作曲家じゃありません。
作品数もかなり多く、ジャンルも幅広く、なんといっても作風が多岐にわたってるのがすごい。バレエ作品みたいなロマン派からのつながりの20世紀初頭なオケ作品もあり、新古典主義の作品もあり、セリーや十二音技法を使ったものもあり、ちょっと聴きミニマルミュージックに通じるようなものもあり、ロシア風かと思えばフランス風のテイストも強く。どんなスタイルで書いてもすごい作曲家。
そういうところ同時代で親交のあったピカソにものすごーく似てると思うんですよね。
ただ器楽作品に共通して言えるのはストラヴィンスキーって木管すごい強い!ということ。
春の祭典の冒頭のファゴットソロを筆頭にどこを見ても木管楽器が活躍していて、木管楽器の役割の幅もきっとストラヴィンスキーによってぐっと広がってるはず。
特にファゴットに関しては三大バレエの全部にソロがあったり(コントラファゴットがペトルーシュカで出てきたり)、この楽器を最大限輝かせる作曲家といえばストラヴィンスキーなんだろうな。
この八重奏曲もそんなストラヴィンスキーの得意が詰まった曲。楽器編成はフルート、クラリネット(持ち替えあり)、ファゴット2人、トランペット2人(B管とA管)、トロンボーン2人(テナーとバストロ)というかなり奇想天外な編成。なんかWikipediaにはストラヴィンスキーが夢で見た編成と書いてあったのですがすごいな。
ただ一見奇想天外ではあるのですが、ちゃんと2人ずつでペアになりますし、この曲を聴いてると室内楽を聴いているというよりオケの木管セクションがオケ全体になったような感覚になります(なんのこっちゃ)。チームワークの働きが室内楽的(例:メンデルスゾーンの弦楽器の八重奏曲)でなくてオケ的なんですよね。
曲としては新古典主義のようなシンプルさもあり、でも20世紀初頭のフランス的な頭の回転の速さもあり、そしてなにより心地よいarchitectureというかメカニズムがあり。
ストラヴィンスキーの音楽って聴きにくかったり理解するのが難しい曲も少なくないですが、それでも気むずかしい曲ってほとんどないような気がします。基本オープンなスタンスを感じます。
そんな中この曲もファゴットが大活躍ですよ。なんといってもベースを担当できる楽器がトロンボーンとファゴットに分かれてますからね、それぞれのいいところ(ベースとそれ以外)を適宜生かせる編成にもなってるわけです。
ファゴットはトロンボーンよりも機動力があって短い音の丸さが良いのですが、この第2楽章では正にそれで大活躍。耳に焼き付けてください。
今回買ったCD(リンクしたのと同じ)の室内楽曲とか小規模作品はやっぱりストラヴィンスキーの有名だったり大編成だったりする曲のような華やかさやキャラの強さはないのですが、ちょっと変わった楽器の組み合わせを上手く音楽に仕立てたり、色んなスタイルで書いたり、面白い曲揃いなことには変わりないです。
ストラヴィンスキーの作曲スタイルの多彩さや時代背景、ピカソの絵画など周りのエリアをちょっとリサーチしてみるともちょっと面白く聴けるかも。
やっぱり手始めは「兵士の物語」(三重奏バージョン)ですかね。他にはラグタイムで意外な楽器が出てきたり。おすすめです。
最近ちょっとずつバレエ調子良いです。先生曰くもう数週間で一つ上のクラスに移っても大丈夫かもと。ただもう数週間したら日本に3週間行く予定もあるのでタイミング難しいところ。
あと今までの成長は子供のころやってたのの感覚を取り戻した分なのでここから伸び悩む可能性も大ありなので心して続けなければ。
そんなわけでバレエを始めてから音楽、特にバレエ音楽の見方もちょっと変わった気がします。
元々「踊り」の性質がある音楽が好きでバレエでない音楽も体の動きとかをなんとなく意識したりもしてたのですが、最近それがもっとはっきりしてきたような。
踊りや振り付け、衣装やセット、舞台などいろいろな要素が見えてきた感じです。
そういう背景もあって久しぶりにチャイコフスキーの「白鳥の湖」を仕事のときに通して聴いてみました。個々の曲は聴くのですが通しては何年ぶりか。ユースオケ時代に2回もやってるんでそんなにもう積極的に聴かないんですけどね。
でもやっぱ改めて(間をおいて久しぶりに)聴いてみるといい音楽ですね。オーボエのソロなんて全部美しくて好きですし、第2幕のグラン・パ・ドゥ・ドゥのチェロソロももう天国ですし。要所要所での音楽描写の鮮やかさも愛せずには居られない。
ただ思ったのですが第1幕長え!手持ちの録音(ボストン交響楽団、小澤征爾指揮)だと1時間近く第1幕が続くんですよ。しかも第1楽章はまだ白鳥一羽も出てきませんからね!
ただひたすら人間が王子の誕生日を祝って踊ってるだけ。最初のメインのワルツも7分くらいあるようですし、物語の進行としても音楽的な面白さとしてもとにかくだるかった。レディーを待たせるにも程がありますぜ。
(多分ユースでやったときは数曲カットしてるはず)
なかなかそこがバレエを考えるにおいてちょっとforeignなところなんですよね。
物語とは関係ないキャラクターがいっぱい出てきてそこそこの尺を取って踊っていく、というのは純粋に物語という視点から見ると理解しがたいし、聴覚のみ・時間的な媒体である音楽でもなかなか難しい。オペラとも大分感覚違うような気もします。
でもバレエの場合そういうのがなかったら味気なくなっちゃうのかなあ。
「白鳥の湖」はそういう踊りに対する物語・音楽の無駄みたいのを感じちゃうのですが(大体白鳥の湖でいい曲ってほとんど物語がちゃんと進んでるところなんですよね)、例えば「くるみ割り人形」とかプロコフィエフのロミジュリとか、その無駄を感じない作品ももちろんあり。
あとバレエで面白いと想うのがプロダクションによって(比較的物語で重要でない)曲が違うところで使われてたり順番が変わったりしてること。音楽の性格によって振り付けの性質も変わるし、ストーリーやキャラクターの印象もちょっと変わったり。例えば白鳥の湖の場合、第3幕の黒鳥オディールの有名な32回転の音楽は手持ちの録音とユースオケでやったときで違う曲を使ってます(順番が違う)。
前述「無駄が少なく思える作品」ではでもこういうのって少ない印象。各曲のストーリーでの役割が固定しているというか。
それからバレエの振り付けと音楽の性質の関係にも以前より思いを馳せるようになりました。
そもそものきっかけがアドルフ・アダンの「ジゼル」でジゼルの狂乱の踊りの音楽が全然狂乱してないという話で。(ビオラのソロがあるのは嬉しいですが)そういう意味ではくるみ割りや白鳥の湖(ドラマチックな部分)やロミジュリや春の祭典などが聴いてて&見てて満足感がある。
もちろんそこは振り付け師のお仕事にも色々左右されるところなのですが。
そこはまあバレエという芸術の性質がその後の時代で変わったというのもあり、音楽の方の進化もあったのですが。この2つの媒体に限らずですが二つの分野がぴったり合った時の1+1が10にも100にもなる感覚って素晴らしいです。そう考えるとストラヴィンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な音楽とニジンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な振り付けが作りだした「春の祭典」はものすごい化学反応だったんだな。
(決してそれを「奇跡」と言いたくないのはバレエ・リュスそのものがそういう化学反応を起こすような場所としてしっかり存在・機能してたから)
あとバレエに関して興味深いと思うのがシンボルの使い方。
例えばバレエの振り付けの中で特定のジェスチャーが特定の言葉などを意味してたり、音楽でもライトモチーフというか特定の状況やキャラクターを表すフレーズを使ったり(もちろんバレエに限った話ではないですが)、衣装も伝統的に特定の要素を特定のキャラクターなどに使ったり(白鳥たちの頭飾りとか、火の鳥の赤とか、ジゼルのウィリ達の衣装とか、あと主役級と他の人達との違いとか)。
もちろん踊りも美しく見せなくちゃいけないしオリジナリティも出さなきゃいけないけれど、とにかく限られた表現の中で物語や感情、情景を最大に伝えることが大切だからこそのシンボルの使い方で。
そうやって複数の媒体の表現の調和だったりシンボルを使った表現だったり、物語とキャラクターとその他諸々のバランスなどを考え始めるとやっぱり行き着くところはワーグナーの考えてた「総合芸術」の域に入ってくるのだろうかとか、そういうことひっくるめてもっと創作に使えないかとか思考が果てしない旅路に出てしまいそうで今日はここらでストップに。
本当は最近買ったCDの紹介するのにまた聞き直さなきゃいけないのですが、明日は映画「ムーラン・ルージュ」のサントラを通して聴きたいと思います。ミュージカル(映画含む)は今回書いたのとはまた違う音楽とその他要素の相互作用があって考え始めるとそれも面白そう。いかんまた思考が果てしない旅路に。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」より第2幕「情景」(Allegro, Moderato Assai Quasi Andante)
むかーし、というか大学のころバロック時代以降の伝統的なオペラだと話すようなスタイルの「レチタティーヴォ」で物語を進行して、主要登場人物の「アリア」で時を止めて人物の心情を歌い上げる、みたいな風に習ったのですがバレエも似たような構成になってます。曲の性質がはっきり分かれてるわけじゃないのですが「情景(Scene)」と題されてるのが物語りを進める役割で、その他のパ・ドゥ・なんとかとかcharacter piecesとかがアリアに相当する役割になってるはず。
白鳥の湖からはここではそのアリアに相当する役割の、キャラが立った曲を紹介してきたので今回は一つ「情景」をチョイスしてみました。白鳥の湖の第2幕の情景というと幕の最初の情景が超有名なのですが、もうちょっと物語を進めて第2幕の(手持ちの録音でいうと)3トラック目に。
ジークフリート王子たちが湖に白鳥を狩りに来たら白鳥たちが人間になってびっくり、さらにその元・人間たちを白鳥に変えた魔法使いまで現れてさらにびっくり。3曲目はその魔法使いを追い払ったところで白鳥娘たちが集まり、その中で王子とオデットが言葉を交わし恋に落ちて呪いを解く誓いをする的な場面。ただしプロダクションによりタイミングは変わります。
曲の最初で白鳥娘たちが集まるところの「集まる感」だったり、高貴な感じのパッセージが軽めのタッチで繰り返されるところといい、繰り返しが幾何学的なテイストがあって面白かったり、ただの情景描写でなく動きがあって表現が細やかで。
でもこの曲のハイライトは後半。ピチカートに乗せられた憂いを帯びたオーボエのソロ、そしてクラリネットのソロからのドラマチックなクライマックス、さらに静かで悲しげなエンディング。
オーボエのソロのまるでバレエのステップや動きを模したような、ため息のようなフレージングがたまらない!世の中にこんなにも繊細な音楽があるのか!と心を鷲掴まれます。
オーボエに関してはほんと白鳥の湖はすごい。白鳥といえばオーボエ、オーボエといえば白鳥といっても過言じゃないです。最初の最初からとにかくソロが多いし、それが本当に美しいソロばかりで。今回のこの曲は比較的小さいソロですが、それでも聴きごたえがあるソロです。
オーボエ=アヒルみたいな音と思ってる人も多いかもしれませんができればバレエ全体を聴いてオーボエの美しい音で無双されちゃってください(笑)最高峰です、本当に。
リンクは手持ち。DVDも欲しいんだけどどこのがいいかなーと悩み中。マシュー・ボーンみたいな変わったやつも面白そうなんだけど。ただそもそもバレエのDVD一つ持つなら白鳥の湖じゃないかもしれない。せっかくジョン・ノイマイヤーまで線が繋がったし。
あと今までの成長は子供のころやってたのの感覚を取り戻した分なのでここから伸び悩む可能性も大ありなので心して続けなければ。
そんなわけでバレエを始めてから音楽、特にバレエ音楽の見方もちょっと変わった気がします。
元々「踊り」の性質がある音楽が好きでバレエでない音楽も体の動きとかをなんとなく意識したりもしてたのですが、最近それがもっとはっきりしてきたような。
踊りや振り付け、衣装やセット、舞台などいろいろな要素が見えてきた感じです。
そういう背景もあって久しぶりにチャイコフスキーの「白鳥の湖」を仕事のときに通して聴いてみました。個々の曲は聴くのですが通しては何年ぶりか。ユースオケ時代に2回もやってるんでそんなにもう積極的に聴かないんですけどね。
でもやっぱ改めて(間をおいて久しぶりに)聴いてみるといい音楽ですね。オーボエのソロなんて全部美しくて好きですし、第2幕のグラン・パ・ドゥ・ドゥのチェロソロももう天国ですし。要所要所での音楽描写の鮮やかさも愛せずには居られない。
ただ思ったのですが第1幕長え!手持ちの録音(ボストン交響楽団、小澤征爾指揮)だと1時間近く第1幕が続くんですよ。しかも第1楽章はまだ白鳥一羽も出てきませんからね!
ただひたすら人間が王子の誕生日を祝って踊ってるだけ。最初のメインのワルツも7分くらいあるようですし、物語の進行としても音楽的な面白さとしてもとにかくだるかった。レディーを待たせるにも程がありますぜ。
(多分ユースでやったときは数曲カットしてるはず)
なかなかそこがバレエを考えるにおいてちょっとforeignなところなんですよね。
物語とは関係ないキャラクターがいっぱい出てきてそこそこの尺を取って踊っていく、というのは純粋に物語という視点から見ると理解しがたいし、聴覚のみ・時間的な媒体である音楽でもなかなか難しい。オペラとも大分感覚違うような気もします。
でもバレエの場合そういうのがなかったら味気なくなっちゃうのかなあ。
「白鳥の湖」はそういう踊りに対する物語・音楽の無駄みたいのを感じちゃうのですが(大体白鳥の湖でいい曲ってほとんど物語がちゃんと進んでるところなんですよね)、例えば「くるみ割り人形」とかプロコフィエフのロミジュリとか、その無駄を感じない作品ももちろんあり。
あとバレエで面白いと想うのがプロダクションによって(比較的物語で重要でない)曲が違うところで使われてたり順番が変わったりしてること。音楽の性格によって振り付けの性質も変わるし、ストーリーやキャラクターの印象もちょっと変わったり。例えば白鳥の湖の場合、第3幕の黒鳥オディールの有名な32回転の音楽は手持ちの録音とユースオケでやったときで違う曲を使ってます(順番が違う)。
前述「無駄が少なく思える作品」ではでもこういうのって少ない印象。各曲のストーリーでの役割が固定しているというか。
それからバレエの振り付けと音楽の性質の関係にも以前より思いを馳せるようになりました。
そもそものきっかけがアドルフ・アダンの「ジゼル」でジゼルの狂乱の踊りの音楽が全然狂乱してないという話で。(ビオラのソロがあるのは嬉しいですが)そういう意味ではくるみ割りや白鳥の湖(ドラマチックな部分)やロミジュリや春の祭典などが聴いてて&見てて満足感がある。
もちろんそこは振り付け師のお仕事にも色々左右されるところなのですが。
そこはまあバレエという芸術の性質がその後の時代で変わったというのもあり、音楽の方の進化もあったのですが。この2つの媒体に限らずですが二つの分野がぴったり合った時の1+1が10にも100にもなる感覚って素晴らしいです。そう考えるとストラヴィンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な音楽とニジンスキーのこれまでに存在しなかったような斬新な振り付けが作りだした「春の祭典」はものすごい化学反応だったんだな。
(決してそれを「奇跡」と言いたくないのはバレエ・リュスそのものがそういう化学反応を起こすような場所としてしっかり存在・機能してたから)
あとバレエに関して興味深いと思うのがシンボルの使い方。
例えばバレエの振り付けの中で特定のジェスチャーが特定の言葉などを意味してたり、音楽でもライトモチーフというか特定の状況やキャラクターを表すフレーズを使ったり(もちろんバレエに限った話ではないですが)、衣装も伝統的に特定の要素を特定のキャラクターなどに使ったり(白鳥たちの頭飾りとか、火の鳥の赤とか、ジゼルのウィリ達の衣装とか、あと主役級と他の人達との違いとか)。
もちろん踊りも美しく見せなくちゃいけないしオリジナリティも出さなきゃいけないけれど、とにかく限られた表現の中で物語や感情、情景を最大に伝えることが大切だからこそのシンボルの使い方で。
そうやって複数の媒体の表現の調和だったりシンボルを使った表現だったり、物語とキャラクターとその他諸々のバランスなどを考え始めるとやっぱり行き着くところはワーグナーの考えてた「総合芸術」の域に入ってくるのだろうかとか、そういうことひっくるめてもっと創作に使えないかとか思考が果てしない旅路に出てしまいそうで今日はここらでストップに。
本当は最近買ったCDの紹介するのにまた聞き直さなきゃいけないのですが、明日は映画「ムーラン・ルージュ」のサントラを通して聴きたいと思います。ミュージカル(映画含む)は今回書いたのとはまた違う音楽とその他要素の相互作用があって考え始めるとそれも面白そう。いかんまた思考が果てしない旅路に。
今日の一曲: ピョートル・チャイコフスキー バレエ「白鳥の湖」より第2幕「情景」(Allegro, Moderato Assai Quasi Andante)
むかーし、というか大学のころバロック時代以降の伝統的なオペラだと話すようなスタイルの「レチタティーヴォ」で物語を進行して、主要登場人物の「アリア」で時を止めて人物の心情を歌い上げる、みたいな風に習ったのですがバレエも似たような構成になってます。曲の性質がはっきり分かれてるわけじゃないのですが「情景(Scene)」と題されてるのが物語りを進める役割で、その他のパ・ドゥ・なんとかとかcharacter piecesとかがアリアに相当する役割になってるはず。
白鳥の湖からはここではそのアリアに相当する役割の、キャラが立った曲を紹介してきたので今回は一つ「情景」をチョイスしてみました。白鳥の湖の第2幕の情景というと幕の最初の情景が超有名なのですが、もうちょっと物語を進めて第2幕の(手持ちの録音でいうと)3トラック目に。
ジークフリート王子たちが湖に白鳥を狩りに来たら白鳥たちが人間になってびっくり、さらにその元・人間たちを白鳥に変えた魔法使いまで現れてさらにびっくり。3曲目はその魔法使いを追い払ったところで白鳥娘たちが集まり、その中で王子とオデットが言葉を交わし恋に落ちて呪いを解く誓いをする的な場面。ただしプロダクションによりタイミングは変わります。
曲の最初で白鳥娘たちが集まるところの「集まる感」だったり、高貴な感じのパッセージが軽めのタッチで繰り返されるところといい、繰り返しが幾何学的なテイストがあって面白かったり、ただの情景描写でなく動きがあって表現が細やかで。
でもこの曲のハイライトは後半。ピチカートに乗せられた憂いを帯びたオーボエのソロ、そしてクラリネットのソロからのドラマチックなクライマックス、さらに静かで悲しげなエンディング。
オーボエのソロのまるでバレエのステップや動きを模したような、ため息のようなフレージングがたまらない!世の中にこんなにも繊細な音楽があるのか!と心を鷲掴まれます。
オーボエに関してはほんと白鳥の湖はすごい。白鳥といえばオーボエ、オーボエといえば白鳥といっても過言じゃないです。最初の最初からとにかくソロが多いし、それが本当に美しいソロばかりで。今回のこの曲は比較的小さいソロですが、それでも聴きごたえがあるソロです。
オーボエ=アヒルみたいな音と思ってる人も多いかもしれませんができればバレエ全体を聴いてオーボエの美しい音で無双されちゃってください(笑)最高峰です、本当に。
リンクは手持ち。DVDも欲しいんだけどどこのがいいかなーと悩み中。マシュー・ボーンみたいな変わったやつも面白そうなんだけど。ただそもそもバレエのDVD一つ持つなら白鳥の湖じゃないかもしれない。せっかくジョン・ノイマイヤーまで線が繋がったし。