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とりあえず今日は日・月のコンサート2つまとめて感想。
日曜日はオーストラリア国立音楽アカデミー(ANAM)によるメシアンのオーケストラ作品「峡谷から星達へ・・・」の作曲40周年のコンサートでした。なんでもオーストラリアでは1988年にメシアンが来豪して演奏して以来(クイーンズランド州だっけ)26年演奏されてないとのこと。ただその時に聴きに行ったという人が何人かいるのがすごい。意外と上の世代の音楽家にメシアン好きが(同世代よりも)多いのはメシアン来豪の影響があるのかな・・・?
「峡谷から星達へ・・・」コンサートの詳細は:
指揮:Fabian Russell
演奏:ANAMオーケストラ
(ピアノ:Jacob Abela、ホルン:Ben Jacks、鉄琴:Peter Neville、シロリンバ(木琴の一種):Kaylie Melville)
この曲はCDも持ってて結構よく知ってると思ったんですが生で聴くと入ってくる情報の量が段違いで前半頭がついていかなかったです(汗)意外と聞き流してるんだなー・・・
ちなみにオケ作品といっても44人編成(主に弦が少ない)の小規模オーケストラ。こぢんまりしているというよりは複雑な諸々を実現するためにそぎ落とした少数精鋭、という感じです。なので室内楽的とまではいかないながらもタイトなアンサンブルでした。さすがはオーストラリアの精鋭。
何よりピアノの安定さが強く印象に残りました。こんなに複雑な作品をオケと一緒に弾いてるからってのももちろんあるんですが自分も(少なくとも20のまなざしは)あれだけ安定したメシアンを弾きたいです。
あとホルンの強い音色もかっこよかった。独奏の部分ももちろんですがその他ソロがある部分でも。そしてやっぱりオーストラリアでメシアンを振るのはFabianだよなーと。指揮のテクニックもそうですが頭脳に関しても。(しかも2日前に全く別のプログラムを別のオケで振ってたっていうんだからさらにすごい)
それからこのコンサートはプログラムのデザインが鳥をあしらったり白黒の細い線のデザインでまとめたり素敵でした。永久保存版。
そして月曜のコンサートはこちらでも何度も紹介しているトリオPlexusのコンサートでした。
プログラムはこちら。全曲世界初演です(作曲家は5人中3人来てました)。
Plexus 「Spotlight」
バイオリン:Monica Curro、クラリネット:Philip Arkinstall、ピアノ:Stefan Cassomenos
Jose Hernan Cibils「Chacarera Rara」
Gerard Brophy 「Trinity (Three Meditations)」
Robert Davidon 「Lost in Light」
Julian Yu 「Classical Stories」
Larry Sitsky 「Blood from the Moon」
Julian Yu(中国生まれのオージー)は日本にも縁のある作曲家みたいですね。銀座のヤマハに楽譜が置いてあるの見たことがあります(あそこに楽譜置いてあるラリアの作曲家ってVineとYuくらいなんじゃないかな)。
今回演奏された作品はパロディーというかパスティーシュというかユーモアが強い曲で、聴きやすかったりわかりやすかったりはするものの奏者・聴衆共に評価は分かれるようでした。うまいこと書かれてはいるんですけどね、その曲の目的に対して。
必ずしも分かりやすかったり聴きやすかったりするという意味での「ウケの良さ」が聴衆にとっての「ウケの良さ」、音楽体験の全てじゃないんだな、ということが実感されたケースでした。(これは巷のクラシック関連諸々に対しても言えることですね)
むしろポジティブな反応が多かったのはSitskyの作品でした。Sitskyの作品にしては(これまでのピアノ作品と比べて)比較的わかりやすいとはいえど難しい音楽で。でもものすごく魅力的でした。Sitskyの音楽には説明できないけど惹きつけられる物がどうもあるようで。特にこの「Blood from the Moon」は月を題材とした曲にはちょっと珍しいほどの禍々しさが素敵。是非録音が欲しい。
で、実は今年そのLarry Sitskyの80歳の誕生日ということでコンサートの後にケーキでお祝いしました。80歳っていったらうちの先生よりも10年近く年上ということでなかなか想像がつかない。
ただあんな難解な音楽を(しかもこの年齢で)書いた人とはちょっと思えない穏やかでユーモアのある人でした。奥さん共々まだまだ元気で、トリオのバイオリニストのMonicaの家族(家族ぐるみで長い付き合いだそう)にまつわる音楽こぼれ話をいろいろしてくれました。
その中で特に面白かったのがオケ作品「Apparitions」の作曲に関する話。Monicaのお父さんであるJohn CurroはSitskyにピアノを習っていて、指揮者になってからも日頃からSitskyの音楽は前衛的すぎる、みたいなことをしょっちゅう愚痴っていたそうで。そんな彼がクイーンズランド州のユースオケが演奏するためにSitskyに作曲を依頼したそうです。
その際になんかあんまり前衛的な音楽にしないで欲しい的なことをJohnが言ったらしく。「ハ長調って知ってる?」みたいな感じだったかな。で、結果Sitskyは20分強の曲のほぼ全ての音がド・ミ・ソ(ハ長調の主和音)になっている曲を書いてよこしたそうです。(しかも最後の音が+シ♭で属七和音になっているというおまけ付き)
音がドミソしかないまま20分強ということで弾いている人はもちろん、指揮する方も曲のどこに何があるのかものすごくわかりにくい。話によるとJohnはこの曲は「生涯振った曲で一番難しい」と言ったらしくドレスリハーサルでもオケに「みんなどうか助けてくれ」と請うたそうで、完全にぎゃふんと言わされたのでした。
しかしSitskyはそれをチャレンジとして曲(音楽としても結構いい曲らしい)を書き上げたのもすごいですが人1人ぎゃふんと言わせるのにオケ1つ巻き込むのもすごい。
実は今こうやって現代の、特にオーストラリアの作曲家の作品と演奏家の演奏を楽しんでいる間にも国の政府が国営放送ABCの財源を大幅に削減して、それが人員削減に繋がったり、さらにこういったコンサートの録音やラジオ放送(私もtwitterやここで紹介してます)に多大な悪影響を与えたりしていて、オーストラリアのクラシック音楽界、特に現代のオーストラリア人による作曲・演奏に関しては非常にゆゆしき事態を迎えています。
こっちで参政できないのが今本当に悔やまれるのですが、とりあえず自分が好きで楽しみにしている音楽の諸々への影響がなるべく少なくすむよう願っています。
長くなってしまったので今日の一曲はお休み。
本題の前にAge of Wonders 3でやっと腑に落ちた事の話。
例えばシナリオとかランダムマップを始めて自分だけキャラクターを選ぶ仕様にしておいて、さあ自分が操作するキャラを選ぶぞ!という画面でリーダー一覧の中に「あれ、このキャラクターがない」みたいなこと、ありますよね。
SteamのフォーラムによるとそれはAIがすでにそのキャラクターを選出しました、ということらしいです。なので一度キャンセルしてランダムマップを最初から設定しなおすと直るとのことで。
これ自分には長らく疑問だったので偶然その話を見つけて(しかもその話がメインじゃないスレ)「なるほど!!」となりました。ちなみに最初の発売当時はキャラクターの選出だけでなくその勢力のシンボルカラーもAIが優先だったため、キャラクターを選んでゲーム開始したらびっくりするようなカラースキームだったりして悶絶したことも何回か。今は直ってるかな?
(でもこのシステムが分かったということはゲームに入る前にどのリーダーがいるかってのが分かっちゃうということか・・・)
さて、ちょっと遅れましたが日曜日にはコンサートの本番でした。弾いてきました。タンベルクのおかげでかなり弾いてきました。
プログラムのおさらい。
Stonnington Symphony Orchestra Malvern Town Hall Seriesコンサート3
Malvern Town Hall 11月16日(日)午後2時30分開演
指揮者:Roy Theaker
クロード・ドビュッシー(モーリス・ラヴェル編曲) サラバンド
サミュエル・バーバー 「悪口学校」序曲(ゲスト指揮者:Ingrid Martin)
エイノ・タンベルク トランペット協奏曲第1番 op.42(トランペット:Josh Rogan)
モデスト・ムソルグスキー(モーリス・ラヴェル編曲) 展覧会の絵
比較的最初からみんな知ってたドビュッシーやムソルグスキーはちょっとぐらつきがちだったのですが、逆にゼロから始めたようなバーバーとタンベルクは本番で予想以上にびしっと決まってちょっとびっくり。
プロやユースではほとんどなくてアマチュア(コミュニティ)オケでよくあるのが本番になって指揮者(とそのテンポ)に対する反応が若干鈍くなること。特に展覧会の絵ではこれが祟ってバーバー・ヤーガくらいまで聴いててひやひやするところ結構ありました。
今回上記のとおりバーバーはゲスト指揮者が振ったのですが本番でぐいぐい引っ張ってく力がとにかく素晴らしかったし心強かった。「悪口学校」序曲は特にもたもたしてられない音楽なので、しっかり奏者を鷲掴みにして進んだことでいい演奏になったような。
タンベルクは安定のソリスト。明るくてよく通る音にいつ聴いても惚れ惚れです。
オケのパートも難しいのですがよくまとまった。第2楽章のトロンボーンもかっこよかった。(私は第2楽章が大好きです、ショスタコ風味もあったりで)
私自身は今週のリハーサルでどうもエントリーを間違えたり繰り返し小節を数え間違えたりが突然多くなったのですが、本番では指揮者のバトンをあんまり見ないでひたすら数えたら一つも間違えなかったです。数えることの大切さを痛感するとともに「読みやすい指揮者の振り方」について改めて考えました。
とにかくタンベルクはフレーズをちょくちょく4小節の倍数にしないで7小節とか5小節とかにした上で拍子の変化を挟んでくるのでとにかく真面目に数えるのにはいい教材です。
そして1年・3回コンサートやってきて最終的にどうしてもキーボードのチェレスタの音とかタッチに慣れなかったなあ、と。展覧会の絵で特に思いました。チェレスタもタッチや弾き方でもっといい音が出せる、もっと豊かな表現が出来る。
なので次のZelman Symphony Orchestraの「惑星」(とチェレスタ修理祝いソリスト扱いの「金平糖の精の踊り」)ではそこんとこフルにエンジョイしたいと思います。実際リハーサル行くのは2回+サウンドチェックで金平糖に関してはサウンドチェック合わせて2回しか練習できないし、リハーサルの途中から参戦なのでどれくらいチェレスタに触れられるかあんまり期待できないのですが。
ということで今年のお仕事もあと1回。楽しんで行きたいと思います。
今日の一曲: モデスト・ムソルグスキー「展覧会の絵」より「古城」、「ビドロ」
展覧会の絵で自分が美しいと思う2曲。あとプロムナード~古城~プロムナード~チュイレリーの庭~ビドロの曲のつながりってちょっとツボです。
一番有名で今回弾いたラヴェル編曲版ではこの2曲でオケではなかなか活躍しない楽器がメインのメロディーを担当します。「古城」ではアルトサキソフォン、そして「ビドロ」ではユーフォニアム(またはテューバ)。
「古城」(もちろん西洋の城です)のこのメロディーをアルトサックスで、というのはなかなか思いつきにくい発想なんじゃないかな。そもそもサキソフォンをオケで使うのはフランス系(ラヴェル含む)やアメリカ系が主で、それ以外でもフランスに縁がある作曲家が多かったり。しかも新しいものでなく「古い城址」にサックスを使うというのは意外かも。
このアルトサックスの存在が音楽を元のムソルグスキーからちょっと違うところに持ってくようなところがありながら、でもイメージや精神は共通する音楽を作ってます。
あとサックス全般弱音がそんなに得意な楽器じゃないですがこの曲の繊細に書かれたパートがすごくかっこいい。今回のコンサートでもppの部分がかなりきれいだった。
そしてサックスももちろんですがその下でファゴットも活躍してるのにも注目してあげてほしいです。地味で渋いけど美しい。
「ビドロ」は牛車を描いた曲。抑圧され虐げられた民を表すとも言われていますね。実は冒頭はショパンの葬送行進曲と同じコード進行になってるとか。
この曲のソロは今回はユーフォニアムで演奏だったのですが小さめのテューバ(でいいのかな)で吹く場合もあるそうで。今回のユーフォニアムの方の音がものすごくぶっとくてやっぱりこの曲は重さが命だと実感。
(ちなみにユーフォニアムがオケで演奏するのはこの「ビドロ」とホルストの「惑星」を含めごくごく少数だそうです)
このユーフォニアムとか低音弦のたまらない重さに加えて、再現部のスネアドラムのロールのかっこよさ。ピアノの原曲にはもちろん打楽器に相当するパートはないのでほんと編曲者のセンスが問われる打楽器パート。中でもこのロールの存在は曲に新たな魂を与えるようです。とにかくかっこいいんだ!
・・・ということで今回はほぼラヴェルの仕事の話になりましたがこの2曲はそうならざるを得ないと思います。ピアノ原曲は聴いて美しさがストレートに分かるし特に説明は要らないと思うのですがオケ版だとこんな工夫がしてある、こんな意外さがある、みたいな話がふくらむ2曲。
今回リンクするのは展覧会の絵にラヴェルの「ボレロ」と「スペイン狂詩曲」がカップリングされた録音(試聴有り)。ボレロは「古城」と同じくサックスやファゴットが活躍、ボレロもスペイン狂詩曲も展覧会の絵と同じく打楽器の使い方のセンスが光る曲。ラヴェルの音楽自体もすごくいいですし、楽器使い全般素晴らしいですがあえて打楽器に集中して聴いてみても面白いと思います。(他の諸々オケ曲にも言えることですがね)
なんだか引き続き疲れている様子で、一昨日のリハーサル(明日の本番に向けて最後の!)では自分でもびっくりするほどの集中力の欠落。今夜はしっかり休まなければ。そしてしっかり数えよう。
昨日はそれでも楽しみにしていたコンサート聴きに行って来ました。
メル響とAndrew Davisによるマーラー交響曲コンプリートシリーズ、マーラーサイクルの第2弾。
交響曲第2番、別名「復活」です。
9つ+α(大地の歌とか未完成の10番とか)あるマーラーの交響曲の中で第2番には特別な思いはこれまでなかったのですが、今回のコンサートでそれが変わりました。
今ならマルクス・シュテンツがメル響との最後のコンサートにこの曲を選んだのか、なんとなーく腑に落ちる。やっぱりマーラーの交響曲に特別じゃない作品なんてないんだな。
ただ第2番はほんとこの世界のものじゃない、というか。それくらい神々しくて天国的で。なんか第4楽章くらいから音楽を聴いているという感覚が薄れて、何か違う体験になったような。
なので例えば5,6,7番みたいな親しみとか近さは2番には感じない、全く別のポジションにある。
演奏はとても良かったです。休憩なしの90分コンサートだったのに途中から時間の進み方が変になったようで後半あっという間でした。
マーラーといえばホルンが活躍するイメージで、もちろんホルンもかっこよかったですが今回トロンボーンが光りました。厳かなソロもそうですし、みんなでコラールを奏でる音色も素敵でした。ブラームスやホルスト(土星)でのトロンボーンのコラールに並ぶ。
オケは木管は4管編成+αでホルンもトランペットも人数多め、マーラー恒例の多彩な打楽器群にそれらに見合う弦の数。それに合唱もいて、そこで歌うソプラノ・メゾソプラノのソリストはほんとすごいなーと思います。(必ずしも全員弾いてる時に歌う訳じゃなくても)
第5楽章での揺るぎないソプラノのソロもすごかったですが印象に強く残るのは第4楽章の暖かで穏やかなメゾソプラノのソロ。第4楽章を切り取って飾りたい。
あとマーラー2番はステージ上のオケ+合唱+ソリストの他にステージ裏にも奏者が居ます。
全体の構成はとりあえずこう設定されてるみたいですが(すごい人数!)今回金管が全部で何人居たかはちょっとわからなかった。でもトランペット、トロンボーン、ホルンがかなり人数いるのは分かったし打楽器もいるようで。もはや別オケ。
ちなみに最初ステージ上にホルンが6人いたので(トランペットの5人?と比べても)意外と少ないなと思ったら後でステージ裏から4人合流して10人になりました。そうこなくっちゃ。
で、第2番のこの編成を見るとこのHamer Hallで「千人の交響曲」と呼ばれる第8番をやるときってどんな感じになるんだろうと気になりますね。1000人(合唱が大部分)どうやってステージ上&周りにフィットするんだろう。
(ちなみに第2番は音楽的にも第8番に一番似てるような気がします。そう考えるとなんかシンメトリーになってたりするのか)
さて明日は展覧会の絵。そしてバーバーとタンベルク。自分は弾かないけどドビュッシーも。
しっかり数えてしっかり弾いてきたいと思います。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第2番「復活」 第5楽章
以前オケ関係の裏方の話で「マーラーの交響曲には(チケットがよく)売れるのと売れないのがある」というのがあったのですが第2番はどっちなのかな。シュテンツ氏ラストコンサートは満員でしたし、今回もほぼ満員なように見えましたが。
自分にとって今までマーラー2番がちょっと心にぴんとこなかったのはそのストレートに宗教的な性質だと思います。(ブルックナーの音楽がぴんとこないのもそういう理由が多分ある)
マーラーの音楽のそういう方面でニュートラルというか、信仰や自然がテーマにあってもそれらをすごくストレートに表現する感じじゃないところに惹かれていたというか。なので器楽のみの交響曲の方が好きなのか。うーむ。
でもそういうのを超えて今回2番の神々しさにものすごく心動かされました。なので前半の葛藤的な楽章でなく昇天の後半からセレクト。
(ちなみに第1楽章のオープニングはオケのオーディションのチェロやコントラバスの課題パッセージにもなっています)
マーラーの交響曲も9つ+αあれば全体の性質も様々ですし、終わり方も様々。
2番の終わりかたは比較的「おとなしい」部類に入るのかな。ちょっと旅する感じと、天国的な感じと混在していて、でも9番みたいな永遠の感じとは違う。
5番のacceptanceともちょっと違う、多分言葉としては「昇華」が一番ふさわしいのかな。
合唱の立場もちょっと面白い。この2番はよくベートーヴェンの第九と比較されるのですが、第九みたいに合唱がメインになるのではなく一歩離れたところ(一段浮いたところ?)から包み込むような。ソプラノソロも同じく。
今回のコンサートを聴いてこの曲にはなにか聖霊みたいなものが宿ってるのではないかと思うほど神々しかったのですが、でも宗教的なイメージを超えてとにかく美しい曲。
そのイメージと、あと全長90分という長さもありますがどうか一度聴いてみて欲しいです。
リンクしたのはメル響+シュテンツの録音。試聴はないけどどうしてもこれにしたかった。
試聴があるシュテンツ指揮の録音はこちらのケルンのオケの演奏があるようです。
(またメルボルンに戻ってきてマーラーとか現代音楽色々とか振って欲しいな-)
ここしばらく夜中に落ち着かなくなったり(カフェインの影響も受けやすい)、頭がやたらと疲れたり。出かけて歩く分にはあんまり体は疲れないのですが、ピアノの練習での頭の疲労はものすごいです。色々疲れを感じやすい要因は季節など色々あります今の練習の段階だとインプットする情報が多いので頭脳がかなり重労働。
とはいえ日本に行く前からの引き継ぎの曲もいくつか。
アデスのDarknesse Visibleはもうちょっとだけ足掻いてみるかーと思いながら足掻いててさして良くならないのが今の悩み。最初に楽譜と向き合ったときから数々の壁がありましたがこの「曲全体とその空間時間をどう作るか」というのは最後の壁なはず。
(それにしても美術や文章なんかだとマクロ→ミクロと形作ることができてもミクロを詰めてからマクロを変えていくのは難しいはずですが、音楽ではそれができるってのは面白いですね)
スクリャービンの「黒ミサ」ソナタも一進一退。技巧的にものすごく難しいことはないけれどちょっとトリッキーなのが手に馴染みにくい。
音楽言語とかスタイルとかは以前弾いた同時期の曲「炎に向かって」で培ったノウハウを流用できる部分も多いですが、「黒ミサ」ソナタは音楽的に面白く聴かせるのが難しい。楽譜に書いてあるとおり弾くだけじゃ平面的で色に乏しくなってしまうんですよねー・・・
自分なりに面白い黒ミサが弾けたらなあ、とは思ってるんですけどまだそこまで手が回らない。
スクリャービンの音楽もトリッキーで独特のルールで成り立ってる世界ですが、なんとかつかめればある意味ロジックは通るようなところがあります。それに対してシマノフスキのメトープ(今は「セイレーンの島」を弾いてます)はルールがあるようでない世界。
それこそ印象派の絵みたいに様々な色彩が細かく交わってて、弾くにあたって「描く」ような感覚と考え方が必要になるようです。
弾くべき音を欠けることなく、美しく弾くこと、聴かせることの厳しさと大切さがひしひし。
新しく弾き始めたラヴェルの「夜のガスパール」の「ウンディーネ」はシマノフスキで必要とされる細部まで描き込む側面とメシアンやスクリャービンにもつながる結晶的な規則と構成の美が揃ってます。とにかくロジカルではあるので頭でこなれやすい、ので思ったほどは難しく感じない。今の段階では。
ただ♯7つは読みにくい!今でもしょっちゅう読み間違えてる音が見つかります。
実は今のレパートリーは♯が多かったり無調でも♯寄りの曲がかなり多い。(Darknesse Visibleは7つ♭ですが)
今回またバッハとショスタコの前奏曲とフーガをセットで弾いてみています。バッハは平均律第2巻から第14番嬰ヘ短調(♯3つ)、ショスタコーヴィチは前奏曲とフーガ第13番嬰ヘ長調(♯6つ)。バッハは前奏曲がちょっとロマン派風の風味があってフーガがトリプルフーガ(主題が3つある)、ショスタコは割と素直な前奏曲にちょっと冒頭はバッハ風味もする5声のフーガ。
色々イレギュラーで曲者な2曲ですが、美しく(&この組み合わせで)弾ければいいなと思っています。
そしてもちろんメシアンも♯寄り。
「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」からは以前紹介しました第20番「愛の教会のまなざし」に加えて今日第6番「御言葉によってすべては成されたり」に初めて手をつけてみました。
第20番は(メシアンだいたいそうですが)ちゃんと楽譜を見てパターンやロジックが見えてくると大分楽になってくる。この曲は特に繰り返しが多いので当初思ったより短い時間で習得できそう。
↑で書いたことは第6番にも確かに言えることは言えるんですがこちらはさらに長く技巧的にも難しく、曲の組み立てが段違いに複雑で。やっぱこの曲が20のまなざしのラスボスだと思います。
立ち向かうだけでかなりHP(体力)&MP(頭脳)を消費する。
不思議と不可能だとは思わないんですよね。やっぱりパターンとかが見えてくると「あ、なるほど」ってなりますし。その最初のステップを踏んでおくだけでもボスがちょっとだけ小さく見えてくる。
同時にこの曲は今始めておいてしっかり弾き込んでおきたいなと改めて思いました。なるべく早くやるに超したことはない。
ただメシアンは今まだ「鳥のカタログ」から「カオグロサバクヒタキ」にも挑戦中ですし。
これも今まで弾いたことある鳥カタよりも長くてなかなか全貌を掴めないのが難しい。長いし曲の性格みたいなものもあって多分当分演奏することはない曲だとは思いますがこれもなんとか手の内に治めておきたい。
とにかく以前も書いてるように20のまなざしは揃えて弾きたいのでそれが一番優先。
プラス今週末が終わったらZelmanの惑星のパートと金平糖の精も12月頭までしっかり練習しないといけない。
あとこの夏は南米(アルゼンチン)の音楽も弾いてみたいですし。楽譜まだ届かないかな。
要するにやりたいことがちっとも整頓されてなくてレパートリーぐっちゃぐちゃなうです。
近いうちに色々なんとかするつもりではいますがとりあえずこのぐっちゃぐちゃなレパートリーから何を今日の一曲で紹介するか・・・
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 前奏曲とフーガ第13番 嬰ヘ長調
これにしました。
ここしばらくバッハとショスタコーヴィチを組み合わせて弾いていて思ったのはそもそも「ショスタコーヴィチの前奏曲とフーガ」というジャンルを見直さないといけないなあ、ということで。
ショスタコの前奏曲とフーガにバッハの平均律と同じものを求めてはいけないし、同時にショスタコーヴィチの他の作品と同じものを求めてはいけない。
ずっとずっとショスタコのオケ作品が好きで室内楽作品が好きで、ああいう音楽が弾きたいとは思うんですが、でもそこを追いかけるのをやめたとき前奏曲とフーガに新しい魅力を見つけることができたような気がします。
例えばショスタコーヴィチのフーガはバッハのフーガみたいに完璧に書かれてはいないけれど、でもどれもが独特の性質を持っていて、しかもそれら全部フーガという形式だからこそ成り立つ存在で。フーガに新しい役割と意味を持たせているというか。キャラクターを作るフーガ。
さらに前奏曲とフーガのセットそれぞれがバッハとはまた違う曲のキャラクターや調のイメージを表現している。
そんな中から第13番嬰ヘ長調。♯が苦手な私、特に嬰ヘ長調という調の性質がそんなに好きではないのですがこの曲はなんだか弾きたくなりました。一つの理由としてバッハの平均律第2巻の第14番を聴いて「これとこれと組み合わせてみたら面白いな-」というのはありました。でもこの曲単品でもなんか心の隙間に入ってきたような。
ショスタコはひねくれたり暗かったりな音楽がよく知られてますが前奏曲はそんなショスタコの典型的なイメージとはほど遠い。そよ風のような自由さを持ったメロディーに田園的な雰囲気。
ただベートーヴェンやベルリオーズの田園的な曲のように水面下の暗さ、不穏さがあるのもまた印象的。
フーガはなんと5声のフーガです。普通3声、4声が多いですがピアノなら5声もたまにあります。
ただ手一つで2声とか3声、この曲の場合は4声まで担当することもあるのであんまり細々したことはできません。主題も数音で成り立つシンプルなもの。
こういうフーガはバッハも書いていて(平均律の第1巻第4番が似てるかな)、主題の感じとかものすごくバッハっぽいところがあるのですが、だんだん曲の中に進んでいくと調が転じるうちになんかものすごい♭の湿地に迷い込んでしまう、でもそれでも淡々と音楽が進んでいってよく分からないけど再現部にたどり着くのが不思議。
前奏曲もフーガも嬰ヘ長調という調が内包する暖かい光に照らされ、穏やかだけどゆるぎない満足さとともにそこに存在している、みたいなイメージがあり。バッハ(平均律第14番)は対照的に少し暗くて迷うようなイメージがあり。だから組み合わせたくなったのかも。
リンクしたのはニコラーエヴァの録音。比較的堅い音の曲はアシュケナージやキース・ジャレットの録音を聴く事が多いのですが柔らかい音の曲はニコラーエヴァの演奏が好きです。もちろんこの曲もぴったりの演奏。
そんなタイミングでちょうどいいというべきか、今Stonnington Symphonyの今年の最後のコンサートに向けたリハーサルまっただ中でちょっとキーボードでピアノやらチェレスタやら弾いてます。
プログラムはこんな予定。
クロード・ドビュッシー(モーリス・ラヴェル編曲) サラバンド
サミュエル・バーバー 「悪口学校」序曲(ゲスト指揮者:Ingrid Martin)
エイノ・タンベルク トランペット協奏曲第1番 op.42(トランペット:Josh Rogan)
モデスト・ムソルグスキー(モーリス・ラヴェル編曲) 展覧会の絵
ちなみにトランペットのソロを吹くのは以前トマジやデザンクロを弾いたのと同じ彼。展覧会の絵では最高に格好いい第1トランペットパートを担当します。むちゃくちゃかっこいい音です。
私はドビュッシー以外の3曲でなにかしらん出番があります。バーバーでは6小節だけチェレスタパートがあるだけなのですがタンベルクでは結構長めのピアノパートがあり。展覧会の絵はちょこちょこっとずつ出番が数楽章であります。全部キーボードですけどね。
いくらチェレスタの表現の幅が限られてるといってもキーボードだとそれさえも細かい調整ができないのをひしひし実感しています。もっと豊かで繊細なチェレスタ表現がしたい!
ちなみにリハーサルが始まってから半月くらい経ちますがタンベルクはスコア・パートが欧州からの注文で、一昨日のリハーサルでやっと届くというハプニングが。なので一昨日は(まだソリストは抜きで)みんなで初見でした。一筋縄では行かない曲で(特にリズムが)、しかもパートが手書きなので読みにくい。でも本番までにはなんとかなりそう。いい初見エクササイズでした。パートの書き込みも前述オケピアノに関するエントリーで書いたの全部網羅するくらい書き入れました。
(リハーサルしながら自分で「あーやっぱりこういうメソッドになるよなー」って思い出してました)
なにより今回のハイライトは展覧会の絵。ものすごく広く知られている曲で(といっても最初のプロムナードと最後の「キエフの大きな門」が突出していて知名度低い楽章も多いです)、きっと今回も楽しみにしている聴衆が多いはず。
私は「展覧会の絵」を弾くのは始めてですが本当に長いつきあいの曲です。物心ついたときにはもう普通に知ってたくらい両親が車でよく聴く曲で、「キエフの大きな門」やは幼い頃から大好きな曲でした(あとなぜか「カタコンブ」も)。
「キエフの大きな門」では残念ながら一音も弾かないのですが、間近で聴きながらまさか大人になってこういうことになるとは思ってもなかったなーとしみじみ。
展覧会の絵はそういう私情を抜きにしても素晴らしい作品。元々ムソルグスキーはピアノのためにこの曲集を書いていて、その原曲ももちろん有名ですがラヴェルによるオーケストラ編曲版の有名さといったらものすごいもので。
ラヴェルのオーケストラ使いの素晴らしいことったら語り尽くせないほどで、実際「展覧会の曲の魅力はなにか」と語り始めると半分以上ラヴェルが仕事した部分の話になっちゃうんですよね。(今日の一曲では気をつけます)
しかもピアノ原曲を弾くときもラヴェル版を意識せずにはいられない。
(ちなみに他にも展覧会の絵の編曲っていくつかあります。オーストラリアだとJulian Yuが編曲してます)
展覧会の絵のラヴェルが仕事した部分ですごいこと。「古い城」のメインメロディーをサックスに吹かせたり、「ビドロ」のチューバソロ+後半のスネアドラムのかっこよさ。ソロ以外でも繰り返されるパッセージを細かく楽器割り当てたり。とにかくこの曲集に幾千もの色彩を与え、ピアノの音から想像される理想でベストのオーケストレーションが目の前に出てくる。そのうえ終始音楽作りに遊び心がある。
展覧会の絵のムソルグスキーが仕事した部分ですごいこと。例えばからをつけたひな鳥の踊りやリモージュの市場での描写の生き生きさ、小人や古い城、カタコンブでの和音や強弱のチョイスによる緊張や色彩の操り方、そもそもカタコンブという曲が今あらためてみるとものすごく不思議で天才的な曲だと思いますし、ピアノという楽器の音色で絵を描く美しさと楽しさが強く感じられる曲。
あと展覧会の絵をセットリストとするとすごくよく出来てるような気がするんですよね。つなぎとしてのプロムナードの工夫はもちろんですがそれ以外での曲のつながりもものすごくしっくりくる。同じキーでつないでみたり完全に虚を突いてみたり、曲と曲がattaccaで(切れ目なく)つながる部分も例外なくうまくいってるような。これがひとつながりの物語を表しているのではなく絵一枚一枚を見て歩いているというんだからさらにびっくり、みたいな。
毎回あれですが両親が大人になっても&音楽玄人・マニアになっても単なるノスタルジーだけでなく音楽的にも変わらず楽しめる曲で育ててくれてほんとうに感謝です(とはいっても両親は自分たちが好きな曲を聴いてただけなんですがね)。
そして生涯聴いて親しんで好きでいたこの曲を大人になって弾く機会に出会えて嬉しいです。本番が楽しみ。
・・・そんな間にもピアノのソロの諸々もやっているのでそっちの話も今度したいです。
まだまだ書きたいトピックがたくさんあるよー・・・
今日の一曲: モデスト・ムソルグスキー 「展覧会の絵」より「鶏の足の上に建つ小屋(バーバ・ヤーガ)」
展覧会の絵もこんなに長く付き合いがあるのにこのブログで紹介していないぽい。そんなばかな。(むしろそんなに長く親しい曲だからこそ空気のような存在になって積極的に紹介する気持ちにならなかった?)
これから紹介していかないと・・・(たまに2楽章セットとかで?)
どの楽章も魅力がつまってますがまずはこの曲を。最後から2番目の楽章で、最後の「キエフの大きな門」とはまた違う盛り上がりポイントです。
「鶏の足の上に建つ小屋」とはロシアの方の童話に出てくる魔女の住む小屋。昔読んだ覚えがあるんだけどどういう童話だったっけ?主人公が行きに助けた諸々に助けられる(ドアに油差したりとかあったような)くだりがあったはず。
この小屋がその足で走る(?)ので、この曲もひょこひょこと追いかけるような描写があります。
この曲はほんとロシアっぽい。ロシア色はもしかしたら一番強いかも。
例えばラフマニノフも練習曲「音の絵」で狼から逃げる赤ずきんを描いてますが共通する部分はかなりあると思います。あとストラヴィンスキーの「火の鳥」や同じムソルグスキーの「禿げ山の一夜」にもある、ロシアの童話独特の雰囲気。
暗さと恐ろしさと「異形」の奇怪な雰囲気と、でもどこかわくわくする感じ。もちろんピアノ版でも濃く現れています。
ラヴェルはフランス人ですがそのロシア感を殺さない、でも他にはなかなか真似できない楽器使いが光ります。ティンパニを初めとした打楽器軍団もいいですし、中間部の静かな(でも緊張に溢れた)部分で聞こえるコントラファゴットの伸ばす音もかっこいい。これはこないだのリハーサルで知ったことです。コントラファゴットは奇形・異形を表すのは得意ですからねー。それを音一つでやっちゃうのがまたすごい。
そうえいばこの曲はちょうど最後の盛り上がり=魔女に追いかけられて追い詰められてさあどうなる!みたいなところでattaccaで最後の楽章になだれこむってことですよね。絵を見る限りでは追い詰められてどうなったかのエンディングは分からないということになります。
そういう「絵」というイメージの兼ね合いも含めてほんとよく出来てる曲なんだなー・・・
とりあえずなんでもそうですが聴いた方が簡単で速くて楽しいです。今回はこの楽章から紹介しましたがまずは最初から通して聴いてほしいです。そんなに長くないですし、音楽が細かく変わるので飽きずに聴けると思います。
他の楽章の紹介もまた後日。
リンクしたのは私は持ってない録音ですがショルティ指揮・シカゴ響で春の祭典と展覧会の絵を一緒に収録したCD。もしかしたら今回書いたバーバ・ヤーガのロシアっぽさが春の祭典との組み合わせでさらに分かるかも?
もちろん「展覧会の絵」はピアノ版も巷にたくさん録音ありますし富田勲のシンセ版も面白いですよ~