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今回のエントリーは昨日行ったコンサートの感想ですが、その前に一つ。
昨日、オーストラリアを代表する作曲家Peter Sculthorpeの訃報が入ってきました。
オーストラリアはイギリスから人間とともに文化も持ち込み引き継いで出来た国ですが、一つの国としてその存在が確立してくるとともにイギリスとは違ったオーストラリア独自の音楽文化を創りだしていくのですが、その中で「他の何物でもないオーストラリアの音楽」を作ったのがSculthorpeなのです。
原住民の音楽や楽器、アジアの音楽文化、そしてなによりオーストラリアの大地の景色から音楽を作りあげたSculthorpe。Sun MusicシリーズやKakadu、Requiemといった大規模作品だけでなく弦楽四重奏曲を多数残していることでも有名で、オーストラリア内外の作曲家、演奏家に多大な影響を与えました。
(ABC Classic 2に彼についての基本を押さえた紹介記事(英語)がアップされてたのでリンク。ようつべの動画が埋め込んであって作品も聞けますよ)
惜しい人を亡くしたという思いもそうですが、今までのSculthorpeの貢献から新しい世代の時代になっていくということでもあり。まだまだオーストラリアの音楽はこれからも伸びるぞ。楽しみ。
ということで急遽Peter Sculthorpeに捧げられました昨日のコンサート。
オーストラリア国立音楽アカデミー(ANAM)のオーケストラのコンサートでした。
ANAMに初めて行った(私は通ったことはないですが)10年前は人数も少なかったのに今はここ数年における管楽器・打楽器などの枠充実により今や(ゲスト奏者もいるものの)21世紀の作品ができるほどのオケのサイズになってびっくり。(国の補助と個人・企業の寄付で生徒の学費などがまかなわれているのでここまで大きくなるってのはすごいことなんだろうな)
指揮者にオーストラリア出身の女性指揮者Simone Youngを迎え演奏したプログラムがこちら。
国立アカデミーコンサート「Simone Young Conducts」
指揮:Simone Young
オリヴィエ・メシアン L'Ascension
Brett Dean ビオラ協奏曲(ビオラ:Brett Dean)
(休憩)
ヨハネス・ブラームス 交響曲第4番
なかなか渋いプログラム。どれも録音は持ってて少し聴いたことはあるながら詳しくは知らない、生で聴くのは初めての曲。生で聴ける機会はそんなに多くない曲ばかりで貴重な演奏でした。
メシアンは初期の作品でしたが(前奏曲集と似たような時代かな)すでにしっかりメシアンの音楽言語もオケのスタイルも出来てて面白い。金管がかっこいいんですよね、コラ-ルのような長い和音。きっと音程を合わせるのも長く伸ばすのも簡単ではなかったりするのかもしれないけど(メシアンオルガン弾きなので)、でも聴いててマジメシアンでした(笑)
演奏としてはちょっとあっさりめで透明感があったのも面白かったです。それから第3楽章の最後の踊りのようなセクションが良かった。狂喜というほどではないですがバイタリティに溢れた力強い音楽、弦の元気さに心躍りましたね。
Brett Deanのビオラ協奏曲は作曲家曰くバイオリンともチェロとも違うビオラならではの声を目指したそうですが確かにビオラにしかできないこと、ビオラでしか出せない音満載の協奏曲でした。
Deanらしい難解で複雑な曲調は健在なのですが、ビオラを主役にしてしまうとその難解なのもなんか(分からないながらも)しっくりきちゃうのが不思議。ビオラならではまた一つ。
Deanのまっすぐで力強く渋さもあるビオラの音はこれぞビオラ!みたいな印象だったのですが、中でも第2楽章、第3楽章で見れたビオラのTrue Berserker状態が最高でした。こんなに荒々しく鋭い牙をむくんだ!ビオラの凶暴方面のポテンシャルは知ってたはずですがこんな演奏を生で聴いちゃうとさらにびっくり。ビオラってかっこいいぜ。
あとDeanの音楽の音量が低い場所を生で聴くとそれがものすごーいうすーいレイヤーがいくつも重なってできているのが視覚的・聴覚的に分かってこれまた面白い。ソクラテスとかもそうなんだろうなあ、また聴いてみたい。
それから指揮者のSimone YoungがまたDeanの音楽と相性が良い。
前回彼女の指揮を見たのが確かメル響のDeanのソクラテス聞いたときかな。同じタッグなんですよね。その時を振り返ってみるとそうだったのですが音楽が複雑であればあるほど指揮が的確に感じるというか、分かってる頼もしさがあるというか。それでいてあのパワフルな指揮と音楽性を音楽の複雑さで損なうことないのもすごい。
(ちなみにあんな体力使うビオラ協奏曲弾いた後なのにBrett Deanが後半のブラームスではオケに混じってビオラ弾いてました。これもまたすごい。)
ブラームスはやっぱ冬ですね!特にこの第4番の渋さと厳しさが昨日聴きにいってぴったりだと思いました。ブラームスの交響曲だと大体お気に入りは普段第1番か第4番か、みたいな感じなのですがこの演奏で僅差でトップになりました。
メシアンでもそうでしたがブラームスでも指揮者が終始ぐいぐい引っ張っていくのが効いていて。こないだ聴いたマーラー1番と似たようなざくざく進んでいくような厳しさがここでも味わえました。
そして普段はあんまり好きではない第3楽章の演奏が素晴らしかったです。アンサンブルが一番ぴたっと合ってたのがこの楽章で、そのぴたっと具合が音楽的にもものすごく効果的でパワフルでした。
第4楽章の剣のような鋭さもかっこよかった。あのエッジは生で聴いて肌で感じてこそ。
ということで冬にこのブラームスを味わえてよかったですしコンサート全体楽しかったです。
まだまだ夜も寒い日が続きますが色々コンサートやってるのでめんどくさがらず聴きにいきたいです(と自分に言い聞かせる)。
今日の一曲: Peter Scuthorpe Sun Music III
コンサートでやった曲は要フォローアップなのでSculthorpeの曲を紹介。
作品数も多く、初聴きでちょっと聴きやすくないものもあるので私だったら初めてのSculthorpe候補としてこの曲をあげるかな、と。
実際この曲も大学のオケでやったときはみんな最初はそんなに好評でなかったのですが弾いているうちにみんな口を揃えて良い曲だと言うようになった、やっぱ最初の印象だけで音楽を決めるもんでもないな、といういい例だったり。
前述のとおりSculthorpeは音楽におけるオーストラリアのアイデンティティを確立した作曲家で、特に白人としてのオーストラリアの文化のルーツであるイギリス(ヨーロッパ)でなく地理的に近いアジアの音楽文化に目を向けた人でもあります。
(実際オセアニアとはいいますが原住民含めた文化はオーストラリアはNZや他のオセアニア諸国よりもアジアに近いんですよ)
その試みの代表的な作品が4つのSun Music。オーケストラのために書かれた作品で、特にユニークな打楽器群が活躍するのが特徴的。
4つの中で多分一番聴きやすいSun Music IIIで活躍するのはビブラフォーンをはじめとした金属の打楽器たち。東洋の音楽で使われるペンタトニック(五音音階)を奏でるビブラフォーンや、小さいシンバル(Crotales)をつなぎ合わせ打ち合わせる音や、とにかく金属の音が魅力的。
金属の音といえばこの曲はトロンボーンのソロがとても好きで。大きいソロではないのですがトロンボーンのゆったりした音が味わえるのがいい。そして控えめ音量でも魅力的だってのもまた好き。
結局(少なくとも私から見ると)Sculthorpeや他のオーストラリアの作曲家が見いだした「オーストラリアの音楽」はこの曲ほどアジア寄りでもなかったのですが、でも影響は確かにあるような。どこが、と言われると難しいのですが。でもやっぱりつながってる。
Sculthorpeの音楽は大学の図書館で借りれないのが多く、置いてないのも少なくないのでなかなか聞けていません。とりあえずリンクしたCDは買ったのですが。
これから自分が聴きたいSculthorpeの作品は(とりあえずのところ)レクイエムとKakaduあたりかな。そしてクロノス・カルテットが弦楽四重奏曲を演奏してるのでそちらもいずれ。
まだまだ勉強することたくさんで追いつけない!生で聴く機会もあるといいなあ・・・
昨日、オーストラリアを代表する作曲家Peter Sculthorpeの訃報が入ってきました。
オーストラリアはイギリスから人間とともに文化も持ち込み引き継いで出来た国ですが、一つの国としてその存在が確立してくるとともにイギリスとは違ったオーストラリア独自の音楽文化を創りだしていくのですが、その中で「他の何物でもないオーストラリアの音楽」を作ったのがSculthorpeなのです。
原住民の音楽や楽器、アジアの音楽文化、そしてなによりオーストラリアの大地の景色から音楽を作りあげたSculthorpe。Sun MusicシリーズやKakadu、Requiemといった大規模作品だけでなく弦楽四重奏曲を多数残していることでも有名で、オーストラリア内外の作曲家、演奏家に多大な影響を与えました。
(ABC Classic 2に彼についての基本を押さえた紹介記事(英語)がアップされてたのでリンク。ようつべの動画が埋め込んであって作品も聞けますよ)
惜しい人を亡くしたという思いもそうですが、今までのSculthorpeの貢献から新しい世代の時代になっていくということでもあり。まだまだオーストラリアの音楽はこれからも伸びるぞ。楽しみ。
ということで急遽Peter Sculthorpeに捧げられました昨日のコンサート。
オーストラリア国立音楽アカデミー(ANAM)のオーケストラのコンサートでした。
ANAMに初めて行った(私は通ったことはないですが)10年前は人数も少なかったのに今はここ数年における管楽器・打楽器などの枠充実により今や(ゲスト奏者もいるものの)21世紀の作品ができるほどのオケのサイズになってびっくり。(国の補助と個人・企業の寄付で生徒の学費などがまかなわれているのでここまで大きくなるってのはすごいことなんだろうな)
指揮者にオーストラリア出身の女性指揮者Simone Youngを迎え演奏したプログラムがこちら。
国立アカデミーコンサート「Simone Young Conducts」
指揮:Simone Young
オリヴィエ・メシアン L'Ascension
Brett Dean ビオラ協奏曲(ビオラ:Brett Dean)
(休憩)
ヨハネス・ブラームス 交響曲第4番
なかなか渋いプログラム。どれも録音は持ってて少し聴いたことはあるながら詳しくは知らない、生で聴くのは初めての曲。生で聴ける機会はそんなに多くない曲ばかりで貴重な演奏でした。
メシアンは初期の作品でしたが(前奏曲集と似たような時代かな)すでにしっかりメシアンの音楽言語もオケのスタイルも出来てて面白い。金管がかっこいいんですよね、コラ-ルのような長い和音。きっと音程を合わせるのも長く伸ばすのも簡単ではなかったりするのかもしれないけど(メシアンオルガン弾きなので)、でも聴いててマジメシアンでした(笑)
演奏としてはちょっとあっさりめで透明感があったのも面白かったです。それから第3楽章の最後の踊りのようなセクションが良かった。狂喜というほどではないですがバイタリティに溢れた力強い音楽、弦の元気さに心躍りましたね。
Brett Deanのビオラ協奏曲は作曲家曰くバイオリンともチェロとも違うビオラならではの声を目指したそうですが確かにビオラにしかできないこと、ビオラでしか出せない音満載の協奏曲でした。
Deanらしい難解で複雑な曲調は健在なのですが、ビオラを主役にしてしまうとその難解なのもなんか(分からないながらも)しっくりきちゃうのが不思議。ビオラならではまた一つ。
Deanのまっすぐで力強く渋さもあるビオラの音はこれぞビオラ!みたいな印象だったのですが、中でも第2楽章、第3楽章で見れたビオラのTrue Berserker状態が最高でした。こんなに荒々しく鋭い牙をむくんだ!ビオラの凶暴方面のポテンシャルは知ってたはずですがこんな演奏を生で聴いちゃうとさらにびっくり。ビオラってかっこいいぜ。
あとDeanの音楽の音量が低い場所を生で聴くとそれがものすごーいうすーいレイヤーがいくつも重なってできているのが視覚的・聴覚的に分かってこれまた面白い。ソクラテスとかもそうなんだろうなあ、また聴いてみたい。
それから指揮者のSimone YoungがまたDeanの音楽と相性が良い。
前回彼女の指揮を見たのが確かメル響のDeanのソクラテス聞いたときかな。同じタッグなんですよね。その時を振り返ってみるとそうだったのですが音楽が複雑であればあるほど指揮が的確に感じるというか、分かってる頼もしさがあるというか。それでいてあのパワフルな指揮と音楽性を音楽の複雑さで損なうことないのもすごい。
(ちなみにあんな体力使うビオラ協奏曲弾いた後なのにBrett Deanが後半のブラームスではオケに混じってビオラ弾いてました。これもまたすごい。)
ブラームスはやっぱ冬ですね!特にこの第4番の渋さと厳しさが昨日聴きにいってぴったりだと思いました。ブラームスの交響曲だと大体お気に入りは普段第1番か第4番か、みたいな感じなのですがこの演奏で僅差でトップになりました。
メシアンでもそうでしたがブラームスでも指揮者が終始ぐいぐい引っ張っていくのが効いていて。こないだ聴いたマーラー1番と似たようなざくざく進んでいくような厳しさがここでも味わえました。
そして普段はあんまり好きではない第3楽章の演奏が素晴らしかったです。アンサンブルが一番ぴたっと合ってたのがこの楽章で、そのぴたっと具合が音楽的にもものすごく効果的でパワフルでした。
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ということで冬にこのブラームスを味わえてよかったですしコンサート全体楽しかったです。
まだまだ夜も寒い日が続きますが色々コンサートやってるのでめんどくさがらず聴きにいきたいです(と自分に言い聞かせる)。
今日の一曲: Peter Scuthorpe Sun Music III
コンサートでやった曲は要フォローアップなのでSculthorpeの曲を紹介。
作品数も多く、初聴きでちょっと聴きやすくないものもあるので私だったら初めてのSculthorpe候補としてこの曲をあげるかな、と。
実際この曲も大学のオケでやったときはみんな最初はそんなに好評でなかったのですが弾いているうちにみんな口を揃えて良い曲だと言うようになった、やっぱ最初の印象だけで音楽を決めるもんでもないな、といういい例だったり。
前述のとおりSculthorpeは音楽におけるオーストラリアのアイデンティティを確立した作曲家で、特に白人としてのオーストラリアの文化のルーツであるイギリス(ヨーロッパ)でなく地理的に近いアジアの音楽文化に目を向けた人でもあります。
(実際オセアニアとはいいますが原住民含めた文化はオーストラリアはNZや他のオセアニア諸国よりもアジアに近いんですよ)
その試みの代表的な作品が4つのSun Music。オーケストラのために書かれた作品で、特にユニークな打楽器群が活躍するのが特徴的。
4つの中で多分一番聴きやすいSun Music IIIで活躍するのはビブラフォーンをはじめとした金属の打楽器たち。東洋の音楽で使われるペンタトニック(五音音階)を奏でるビブラフォーンや、小さいシンバル(Crotales)をつなぎ合わせ打ち合わせる音や、とにかく金属の音が魅力的。
金属の音といえばこの曲はトロンボーンのソロがとても好きで。大きいソロではないのですがトロンボーンのゆったりした音が味わえるのがいい。そして控えめ音量でも魅力的だってのもまた好き。
結局(少なくとも私から見ると)Sculthorpeや他のオーストラリアの作曲家が見いだした「オーストラリアの音楽」はこの曲ほどアジア寄りでもなかったのですが、でも影響は確かにあるような。どこが、と言われると難しいのですが。でもやっぱりつながってる。
Sculthorpeの音楽は大学の図書館で借りれないのが多く、置いてないのも少なくないのでなかなか聞けていません。とりあえずリンクしたCDは買ったのですが。
これから自分が聴きたいSculthorpeの作品は(とりあえずのところ)レクイエムとKakaduあたりかな。そしてクロノス・カルテットが弦楽四重奏曲を演奏してるのでそちらもいずれ。
まだまだ勉強することたくさんで追いつけない!生で聴く機会もあるといいなあ・・・
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仕事にピアノに夕飯作りにゲームになんとか日常が戻ってきた感じです。
(願わくばもうちょっと先の予定立てと創作に労力と集中を向けたい!)
ゲームはちょっと今サキュバスクエスト2周目終わるまでAoW3中断してます。2周目は2箇所くらい?以外はさくさくすすめてすぐ終わるかも。その前に感想ちょっとまとめたいですね。
あとADOMが今Steam版公開へ準備を進めてるみたいでそっちも楽しみに様子見中。ちなみに公式フォーラムのバグフィックスフォーラムのここでSteam版での追加要素の状況が見られたりします。
さて本題に。
先週の火曜日に両親とメルボルン・タウンホールの見学ツアー(無料)に行ってきました。
メルボルン・タウンホールはメルボルンのシティ中心部、Swanston StとCollins Stの角にある時計台がある古い建物。昔からメルボルンの市役所というか事務を担ってきた建物で、中には事務所や歴史文化的展示、応接間などがあるだけでなくイベントに使うホールもあります。メルボルン周りの市のタウンホールには大抵そういうホールがあって私はコンサートなどの会場として訪れることが多いですが、メルボルン・タウンホールはその中でも最大規模。キャパはコンサート形式だったら2000人かな?
コンサート会場としてはメルボルン最大ではないですが(1番は川の向こうのHamer Hall)、南半球最大のパイプオルガンがあることで有名。それだけでなくパイプオルガンが一般見学に公開されてるのは世界でもここを含め2箇所だけだそうですよ。
私にとってはメルボルン・タウンホールは先ほど書いた通りコンサートを聴きにいく場所でもあり、ユースオケや大学のオケで何度も演奏してきた場所でもあります。なので一般聴衆が入れる場所だけでなく裏の控え室部分なども結構知っていて。
でも今回のツアーでは私が知らないメルボルン・タウンホールをたくさん見ました。
メルボルン・タウンホールの見学ツアーは公式サイトのここに情報が掲載されています。
無料・英語のみ・平日の日中に2回開催・1回につき定員15名まで・所要時間1時間ほど・予約は必須ではないけど推奨。
タウンホールのツアーガイドの方に案内され、まずは普段は入れない事務所などがある建物をめぐりながら建物とメルボルンの歴史について話を聞きます。
メルボルンの創設者の話やその名前の由来に関する話も面白かったですし(やっぱ歴史って生きてて学校で習ったときから変わってたりしますね!)、あと市長の任期が最初1年だった(かなり最近に一般選挙になるまでそうだったそうです)話も興味深かった。そして特に目立った業績を残した市長たちの話も面白かったです。中でも初めて一般選挙で選ばれた、初のアジア系市長だった前市長ジョン・ソーの人望や原住民との絆の話が好きです。
タウンホールは中を通ると古い、でもものすごく大切にされてる建物だということが分かります(火事に一回あったりしてますが)。会議室も事務室も廊下も色々歴史的・文化的に色々見所たくさん。メルボルン内だけでなく、英王室とのつながりや姉妹都市からの贈り物も(大阪からの贈り物が色々飾ってありました)。
他にも女王やビートルズがメルボルンを訪れたときに迎えられた応接間や一般に顔見せしたバルコニー(いつも外から見えてはいたけど実際に登ったのは初めて)も見せてくれました。
そして(少なくとも私達家族にとっての)メインイベント。メインのホールのバルコニーからパイプオルガンへ。
オルガンという楽器は建物の一部なのですが、ここのオルガンも設えてあるというよりはめり込んでいるというか寄生しているというか、そんな感じ。見学通路に入るともう周りの壁の向こうにはオルガンのパーツが存在していて、その中を縫うように階段や通路があります。
ところどころには窓が作られていてパイプが見られるようになってますが、それでも目にできるのは巨大な楽器のほんの一部。(どっかに建物内のオルガンの仕組みの3Dモデルないのかなー)
このオルガン、火事だったり改修だったりの歴史の中で実は2つのオルガンを一つにしてしまったそうです。電子制御部分があったりキーボードが色んなところにあったり、もはや複数の脳を持った生物というかモンスター。考えれば考えるほど不気味さがあってわくわくする。
一つの楽器というよりは建物の一部であり、巨大メカであり、建物に根を張る宇宙植物のようであり、その複数の脳の存在がモンスター的で。なんだこのパイプオルガン(良い意味で)。
ツアーガイドのおじいさんが言ってましたがこのタウンホールのパイプオルガンの凄さと価値はほとんど知られてないそうです。その規模もそうですし、歴史もそうですし、見学できるということもそうですし。
なので今回圧倒されまくったこのパイプオルガンを見に来て!ツアーでなくてもコンサートもあるよ!ということで個別にエントリーを書いた次第です。
メル響も(オルガン入り曲や映像設備を使う曲は特に)タウンホールでコンサートをちょくちょくやってますがオルガンのリサイタル、そしてもっと伝統から離れたコンサートなども開催されています。一部は公式のここで見れるかな。
ちなみにメルボルン・タウンホールのパイプオルガンはKinectで演奏してみる、なんていうすごい企画にも使われたそうです。
メルボルン・タウンホールのパイプオルガンは楽器としても素晴らしいですがそもそもの「楽器」のイメージを大きく覆すものすごい楽器。そしてその楽器の中に入れちゃう見学ツアーもまた貴重な体験です。
世界で有数の近づきやすい・親しみやすいパイプオルガンに是非会いに来てください。
今日の一曲は長くなってしまったのでお休み。全然追いつかない!
(願わくばもうちょっと先の予定立てと創作に労力と集中を向けたい!)
ゲームはちょっと今サキュバスクエスト2周目終わるまでAoW3中断してます。2周目は2箇所くらい?以外はさくさくすすめてすぐ終わるかも。その前に感想ちょっとまとめたいですね。
あとADOMが今Steam版公開へ準備を進めてるみたいでそっちも楽しみに様子見中。ちなみに公式フォーラムのバグフィックスフォーラムのここでSteam版での追加要素の状況が見られたりします。
さて本題に。
先週の火曜日に両親とメルボルン・タウンホールの見学ツアー(無料)に行ってきました。
メルボルン・タウンホールはメルボルンのシティ中心部、Swanston StとCollins Stの角にある時計台がある古い建物。昔からメルボルンの市役所というか事務を担ってきた建物で、中には事務所や歴史文化的展示、応接間などがあるだけでなくイベントに使うホールもあります。メルボルン周りの市のタウンホールには大抵そういうホールがあって私はコンサートなどの会場として訪れることが多いですが、メルボルン・タウンホールはその中でも最大規模。キャパはコンサート形式だったら2000人かな?
コンサート会場としてはメルボルン最大ではないですが(1番は川の向こうのHamer Hall)、南半球最大のパイプオルガンがあることで有名。それだけでなくパイプオルガンが一般見学に公開されてるのは世界でもここを含め2箇所だけだそうですよ。
私にとってはメルボルン・タウンホールは先ほど書いた通りコンサートを聴きにいく場所でもあり、ユースオケや大学のオケで何度も演奏してきた場所でもあります。なので一般聴衆が入れる場所だけでなく裏の控え室部分なども結構知っていて。
でも今回のツアーでは私が知らないメルボルン・タウンホールをたくさん見ました。
メルボルン・タウンホールの見学ツアーは公式サイトのここに情報が掲載されています。
無料・英語のみ・平日の日中に2回開催・1回につき定員15名まで・所要時間1時間ほど・予約は必須ではないけど推奨。
タウンホールのツアーガイドの方に案内され、まずは普段は入れない事務所などがある建物をめぐりながら建物とメルボルンの歴史について話を聞きます。
メルボルンの創設者の話やその名前の由来に関する話も面白かったですし(やっぱ歴史って生きてて学校で習ったときから変わってたりしますね!)、あと市長の任期が最初1年だった(かなり最近に一般選挙になるまでそうだったそうです)話も興味深かった。そして特に目立った業績を残した市長たちの話も面白かったです。中でも初めて一般選挙で選ばれた、初のアジア系市長だった前市長ジョン・ソーの人望や原住民との絆の話が好きです。
タウンホールは中を通ると古い、でもものすごく大切にされてる建物だということが分かります(火事に一回あったりしてますが)。会議室も事務室も廊下も色々歴史的・文化的に色々見所たくさん。メルボルン内だけでなく、英王室とのつながりや姉妹都市からの贈り物も(大阪からの贈り物が色々飾ってありました)。
他にも女王やビートルズがメルボルンを訪れたときに迎えられた応接間や一般に顔見せしたバルコニー(いつも外から見えてはいたけど実際に登ったのは初めて)も見せてくれました。
そして(少なくとも私達家族にとっての)メインイベント。メインのホールのバルコニーからパイプオルガンへ。
オルガンという楽器は建物の一部なのですが、ここのオルガンも設えてあるというよりはめり込んでいるというか寄生しているというか、そんな感じ。見学通路に入るともう周りの壁の向こうにはオルガンのパーツが存在していて、その中を縫うように階段や通路があります。
ところどころには窓が作られていてパイプが見られるようになってますが、それでも目にできるのは巨大な楽器のほんの一部。(どっかに建物内のオルガンの仕組みの3Dモデルないのかなー)
このオルガン、火事だったり改修だったりの歴史の中で実は2つのオルガンを一つにしてしまったそうです。電子制御部分があったりキーボードが色んなところにあったり、もはや複数の脳を持った生物というかモンスター。考えれば考えるほど不気味さがあってわくわくする。
一つの楽器というよりは建物の一部であり、巨大メカであり、建物に根を張る宇宙植物のようであり、その複数の脳の存在がモンスター的で。なんだこのパイプオルガン(良い意味で)。
ツアーガイドのおじいさんが言ってましたがこのタウンホールのパイプオルガンの凄さと価値はほとんど知られてないそうです。その規模もそうですし、歴史もそうですし、見学できるということもそうですし。
なので今回圧倒されまくったこのパイプオルガンを見に来て!ツアーでなくてもコンサートもあるよ!ということで個別にエントリーを書いた次第です。
メル響も(オルガン入り曲や映像設備を使う曲は特に)タウンホールでコンサートをちょくちょくやってますがオルガンのリサイタル、そしてもっと伝統から離れたコンサートなども開催されています。一部は公式のここで見れるかな。
ちなみにメルボルン・タウンホールのパイプオルガンはKinectで演奏してみる、なんていうすごい企画にも使われたそうです。
メルボルン・タウンホールのパイプオルガンは楽器としても素晴らしいですがそもそもの「楽器」のイメージを大きく覆すものすごい楽器。そしてその楽器の中に入れちゃう見学ツアーもまた貴重な体験です。
世界で有数の近づきやすい・親しみやすいパイプオルガンに是非会いに来てください。
今日の一曲は長くなってしまったのでお休み。全然追いつかない!
前回のエントリーに拍手ありがとうございました~
忘れないうちに1週間分の諸々の怒濤の更新続きます。
まずはお知らせ。
今年は近くのコミュニティアマチュアオケStonnington Symphonyのコンサート3つで弾かせてもらう予定ですが(1つは5月に終わりました)、それに加えてもちょっと遠くのアマチュアオケZelman Symphony Orchestraでも12月に「惑星」(2公演)のチェレスタパートを本物のチェレスタで弾かせてもらうことになりました。
しかも、そのチェレスタがオケ所有なのですが、古くてボロかったチェレスタをコミュニティオケとしては破格のお金を出して修理してもらったとのことで。そのリニューアルしたチェレスタのお披露目としてチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「金平糖の妖精の踊り」をオケと弾かせてもらうことになりました。協奏曲とまではいきませんがちょっぴりソリスト扱いですよー。
とりあえずまだまだ先の話なので詳細は後日。
さて、以前のエントリーで紹介したとおりメルボルン交響楽団の巨大企画、マーラーサイクルが開幕しました。ちょうど両親が来た次の日(というか24時間以内)だったのであらかじめチケット3枚予約して行きましたよ-。なんといってもマーラーの交響曲のなかで1番は特にポピュラーなので(5番とならんでトップ)3公演あっても油断はできませんからね。
プログラムは以下の通り:
メル響「Mahler 1: The Cycle Begins」
指揮者:Sir Andrew Davis
リヒャルト・シュトラウス 4つの最後の歌(ソプラノ:Erin Wall)
(休憩)
グスタフ・マーラー 交響曲第1番
マーラーの交響曲のなかでも1番は短いので他の曲も入ってきますがそれがマーラーと並び立つ後期ロマン派の名作曲家リヒャルト・シュトラウスとはまた贅沢。そのシュトラウスの作品の中でも特に今年は後期の作品に縁があって、シュトラウスの音楽がそれで本当に好きになってきてます。
メタモルフォーゼンなどでも見られる後期特有の不思議なハーモニー・色彩の移り変わり(特に弦楽器)がこの演奏でも本当に美しかったです。そして全体を通じて(保守的までとは言わないですが)安心を感じるような伝統的な後期ロマン派のテイストで本当にtrueなシュトラウスを聴いているなーという気持ちになりました。
そしてメインディッシュのマーラー1番。
ちょっとフレーズの頭のずれが気になったものの(定番レパートリーだし3回目公演だしどうしたんだろう)全体的に素晴らしい演奏でした。
まず印象に残ったものその1が第2楽章のワルツのウィーン風のくずし(リズム、フレーズ的にも)。ものすごく本場な感じというか、これが経験とセンスなんだろうなあというフレーズの動かし方。(自分には基本センスのようなものは総じてないのでうらやましいやら尊敬するやら)
聴いてて5番の(同じくウィーン風のワルツが出てくる)第3楽章が猛烈に楽しみになりました。
ただそれよりも強烈に印象に残ったのが第4楽章。
まるで剣を手に進むようなファンタジーなイメージがある1番の第4楽章がこんなにリアルで厳しいイメージになるとは!死の行軍とも言えるような、激しく容赦なくざくざく進んでいく感はとてつもなく格好いいながらちょっと涙もにじむほど厳しい。(1番よりももっと後の交響曲に見られるくらいのリアルさでしたね)そしてその厳しさでエンディングも印象が変わってくる。いつも聴くよりもまばゆく輝かしく。
自分が親しんでいる1番の第4楽章のイメージとは違いますが大好き。こういう演奏、なかなか聴けないけどもっと聴きたいです。かっこよかったー。
マーラー1番といえばホルン軍団!9人のホルンたちは終始音がでかくて元気でした(笑)トランペットよりもずっと前に出てきちゃうことしばしば。でもそれがいい。陽気で勇敢な戦士たちの元気のいい音だけでなく最後の最後に起立するのが今回の演奏では長く(最後まで立ってた)勇ましい立ち姿まで長く拝めてしまってちょっと得した感が。
あとはいつものことながら打楽器軍団もブラボー。マーラーは同時代の作曲家と比べると打楽器を多く使いますが第1番ではティンパニが2セット入るのがすごい。パートの分担とか一緒に弾いてるところとかよくみると面白い。そして毎回ですがシンバルの技が光ります。
さて、次回のマーラーサイクルは11月の第2番「復活」。
それまでにも行きたいコンサートがあちらこちらにあるのですが予定とか改めて立てないと行くに行けない。今週末はバッハのロ短調ミサ曲だったはず(汗)
そして次回も1週間分の冒険続きます。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第1番 第4楽章
映画でも小説でも葛藤と勝利というテーマ・流れは定番で、マーラーの交響曲も基本的にはほとんどがそういう流れに沿っているんですよ(ただ1番はそれを第4楽章に凝縮してて他の交響曲は複数の楽章に渡って積み上げていくみたいな違いはあります)。
中期~後期になるとその世界観のとんでもない完成度でそういう定番の流れのベタさも感じさせないのですが、マーラー最初の交響曲だとやっぱりちょっとベタな感があって(そしてそれが好き)、それが前述「ファンタジー的な」雰囲気(とそれゆえのキャッチーさ)を作りだすんだと思います。
天才とはいえ、かなり完成度の高い交響曲・音楽とはいえまだ発展途上ではあるためマーラーの音楽の世界と魅力を第1番だけでは語れないのですが、それでもやっぱり初めてのマーラーには第1番が一番いいと思いますし、オケの楽しさを味わうにもホルンの格好良さを味わうにもものすごくオススメです。
マーラーは生涯を通じてものすごく葛藤があった人で。もちろん人間誰でもある程度葛藤はあるのですがマーラーの場合自身の気質や生い立ちが色々関連して濃い闇を内包しながら死と隣り合わせで、そういうエレメントが彼の音楽に大きく影響しています。
(割とその闇の性質が自分にとって大変馴染みやすいものなので鬱的な何かが関連してるのかなーとたまに思うのですがはっきりはしていませんね)
口癖というか持論というかのようにいつも言うのですが「マーラーは深い闇をよく知っているからこそまばゆく焦がれるような光が描ける」のです。そして闇を知ってる人全員がそういう光を表現できるわけではなく、そういう意味でもマーラーはすごい。
嵐のような激しさのなかでの葛藤と戦い、ロマンチックな時間の流れと過ぎ去った楽章の回想、そして一回は過ぎ去りながらもまた戻ってくる輝かしい勝利の光、それを音楽と共に旅する喜びを味わって欲しいなあといつも思っています。
(そしてその旅する過程とたどり着く感覚を味わうのは他のマーラーの交響曲にも共通しています)
そういえばメル響はマーラーサイクル一部・全部録音するのかな。
今のところメル響の演奏では1番は出てない(他はいくつかある)みたいなので手持ちのショルティ指揮のシカゴ響の録音をリンク。
自分は生まれる前からこの録音で育ってます。なので実際音楽的にそうなのかは分かりませんが自分にとってはこれが「王道」マーラー1番。
忘れないうちに1週間分の諸々の怒濤の更新続きます。
まずはお知らせ。
今年は近くのコミュニティアマチュアオケStonnington Symphonyのコンサート3つで弾かせてもらう予定ですが(1つは5月に終わりました)、それに加えてもちょっと遠くのアマチュアオケZelman Symphony Orchestraでも12月に「惑星」(2公演)のチェレスタパートを本物のチェレスタで弾かせてもらうことになりました。
しかも、そのチェレスタがオケ所有なのですが、古くてボロかったチェレスタをコミュニティオケとしては破格のお金を出して修理してもらったとのことで。そのリニューアルしたチェレスタのお披露目としてチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「金平糖の妖精の踊り」をオケと弾かせてもらうことになりました。協奏曲とまではいきませんがちょっぴりソリスト扱いですよー。
とりあえずまだまだ先の話なので詳細は後日。
さて、以前のエントリーで紹介したとおりメルボルン交響楽団の巨大企画、マーラーサイクルが開幕しました。ちょうど両親が来た次の日(というか24時間以内)だったのであらかじめチケット3枚予約して行きましたよ-。なんといってもマーラーの交響曲のなかで1番は特にポピュラーなので(5番とならんでトップ)3公演あっても油断はできませんからね。
プログラムは以下の通り:
メル響「Mahler 1: The Cycle Begins」
指揮者:Sir Andrew Davis
リヒャルト・シュトラウス 4つの最後の歌(ソプラノ:Erin Wall)
(休憩)
グスタフ・マーラー 交響曲第1番
マーラーの交響曲のなかでも1番は短いので他の曲も入ってきますがそれがマーラーと並び立つ後期ロマン派の名作曲家リヒャルト・シュトラウスとはまた贅沢。そのシュトラウスの作品の中でも特に今年は後期の作品に縁があって、シュトラウスの音楽がそれで本当に好きになってきてます。
メタモルフォーゼンなどでも見られる後期特有の不思議なハーモニー・色彩の移り変わり(特に弦楽器)がこの演奏でも本当に美しかったです。そして全体を通じて(保守的までとは言わないですが)安心を感じるような伝統的な後期ロマン派のテイストで本当にtrueなシュトラウスを聴いているなーという気持ちになりました。
そしてメインディッシュのマーラー1番。
ちょっとフレーズの頭のずれが気になったものの(定番レパートリーだし3回目公演だしどうしたんだろう)全体的に素晴らしい演奏でした。
まず印象に残ったものその1が第2楽章のワルツのウィーン風のくずし(リズム、フレーズ的にも)。ものすごく本場な感じというか、これが経験とセンスなんだろうなあというフレーズの動かし方。(自分には基本センスのようなものは総じてないのでうらやましいやら尊敬するやら)
聴いてて5番の(同じくウィーン風のワルツが出てくる)第3楽章が猛烈に楽しみになりました。
ただそれよりも強烈に印象に残ったのが第4楽章。
まるで剣を手に進むようなファンタジーなイメージがある1番の第4楽章がこんなにリアルで厳しいイメージになるとは!死の行軍とも言えるような、激しく容赦なくざくざく進んでいく感はとてつもなく格好いいながらちょっと涙もにじむほど厳しい。(1番よりももっと後の交響曲に見られるくらいのリアルさでしたね)そしてその厳しさでエンディングも印象が変わってくる。いつも聴くよりもまばゆく輝かしく。
自分が親しんでいる1番の第4楽章のイメージとは違いますが大好き。こういう演奏、なかなか聴けないけどもっと聴きたいです。かっこよかったー。
マーラー1番といえばホルン軍団!9人のホルンたちは終始音がでかくて元気でした(笑)トランペットよりもずっと前に出てきちゃうことしばしば。でもそれがいい。陽気で勇敢な戦士たちの元気のいい音だけでなく最後の最後に起立するのが今回の演奏では長く(最後まで立ってた)勇ましい立ち姿まで長く拝めてしまってちょっと得した感が。
あとはいつものことながら打楽器軍団もブラボー。マーラーは同時代の作曲家と比べると打楽器を多く使いますが第1番ではティンパニが2セット入るのがすごい。パートの分担とか一緒に弾いてるところとかよくみると面白い。そして毎回ですがシンバルの技が光ります。
さて、次回のマーラーサイクルは11月の第2番「復活」。
それまでにも行きたいコンサートがあちらこちらにあるのですが予定とか改めて立てないと行くに行けない。今週末はバッハのロ短調ミサ曲だったはず(汗)
そして次回も1週間分の冒険続きます。
今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第1番 第4楽章
映画でも小説でも葛藤と勝利というテーマ・流れは定番で、マーラーの交響曲も基本的にはほとんどがそういう流れに沿っているんですよ(ただ1番はそれを第4楽章に凝縮してて他の交響曲は複数の楽章に渡って積み上げていくみたいな違いはあります)。
中期~後期になるとその世界観のとんでもない完成度でそういう定番の流れのベタさも感じさせないのですが、マーラー最初の交響曲だとやっぱりちょっとベタな感があって(そしてそれが好き)、それが前述「ファンタジー的な」雰囲気(とそれゆえのキャッチーさ)を作りだすんだと思います。
天才とはいえ、かなり完成度の高い交響曲・音楽とはいえまだ発展途上ではあるためマーラーの音楽の世界と魅力を第1番だけでは語れないのですが、それでもやっぱり初めてのマーラーには第1番が一番いいと思いますし、オケの楽しさを味わうにもホルンの格好良さを味わうにもものすごくオススメです。
マーラーは生涯を通じてものすごく葛藤があった人で。もちろん人間誰でもある程度葛藤はあるのですがマーラーの場合自身の気質や生い立ちが色々関連して濃い闇を内包しながら死と隣り合わせで、そういうエレメントが彼の音楽に大きく影響しています。
(割とその闇の性質が自分にとって大変馴染みやすいものなので鬱的な何かが関連してるのかなーとたまに思うのですがはっきりはしていませんね)
口癖というか持論というかのようにいつも言うのですが「マーラーは深い闇をよく知っているからこそまばゆく焦がれるような光が描ける」のです。そして闇を知ってる人全員がそういう光を表現できるわけではなく、そういう意味でもマーラーはすごい。
嵐のような激しさのなかでの葛藤と戦い、ロマンチックな時間の流れと過ぎ去った楽章の回想、そして一回は過ぎ去りながらもまた戻ってくる輝かしい勝利の光、それを音楽と共に旅する喜びを味わって欲しいなあといつも思っています。
(そしてその旅する過程とたどり着く感覚を味わうのは他のマーラーの交響曲にも共通しています)
そういえばメル響はマーラーサイクル一部・全部録音するのかな。
今のところメル響の演奏では1番は出てない(他はいくつかある)みたいなので手持ちのショルティ指揮のシカゴ響の録音をリンク。
自分は生まれる前からこの録音で育ってます。なので実際音楽的にそうなのかは分かりませんが自分にとってはこれが「王道」マーラー1番。
やっぱり書くことにしました。前回のエントリーの遠出の前に行ったコンサートの感想。
タイミングの関係でシティでなくうちにもっと近い(ただし公共交通機関ではバスでしか行けない)Monash UniversityのRobert Blackwood Hallで聴きに行きました。昔は学校のSpeech Night(卒業式を兼ねた一年の終わりの式典)が毎年ここだったんですが卒業して以来全然来る機会がなく。ホールの中はものすごくはっきり覚えてたのにFoyerの辺りとか全然覚えてなくてびっくり。
今回のコンサートはタイトルにもあるとおりベドルジハ・スメタナの連作交響詩「我が祖国」の演奏でした。しかも本場チェコから指揮者Jakub Hrůšaを招いてのコンサート。
「我が祖国」は日本では音楽の教科書にも載ってる「モルダウ」が有名で単独で演奏されるのもこれが圧倒的に多く、なかなか全体が演奏される機会は少ないです(実際メル響も初めてコンプリートで演奏したそうです)。全体としては6つの交響詩の連作で1時間15分くらいかかるかな?マーラーの中期の交響曲と同じくらいか。ということで今回のコンサートはこの「我が祖国」のみの演奏でした。
全体を通してチェコ魂が熱い演奏でした!他にも色々な形で愛国的な音楽ってありますし(イギリスとか)、チェコの音楽に愛国的な作品も多いですがさすが本国ではドヴォルザークより著名な、チェコ音楽の祖とされる作曲家。伝説や風景を通してチェコという国の土地、人、魂を生き生きと描き上げるだけでなく燃えさせる作品。聴いてて胸が熱くなりますしその愛に感極まりました。
演奏もまた熱かったです。ちょこちょこなんかリズムの感覚が崩れる感があることはあったのですが全体的にものすごくしっかりしてて。ピンポイントで素晴らしかったのが冒頭のハープだったり「シャールカ」でのシンバルや最後畳みかけるようにもう一回加速するところ、そしてなんといっても「ターボル」でのティンパニの百人力ともいえるパワフルなソロがすごかった。他に誰も弾いてないところで爆音とも言える音。ティンパニのソロで長さ・音の数やパートの面白さで勝るものは他にもありますが力強さはこれがトップクラスかも。
このティンパニソロを始め「ターボル」と「ブラニーク」を通じて現れるフス派の賛美歌「汝ら神の戦士」のメロディーがほんと面白いなーと思うんですよね。メロディー自体はものすごく美しいとかいうわけじゃないんですが、すごい力強さがあって、さらに作品への取り入れ方も効果的で心奮い立てられずにはいられない。(ちなみに同じメロディーは同じチェコの作曲家カレル・フサの「プラハ1968年のための音楽」にも使われててこっちもパワフルです)
「我が祖国」の完全演奏が珍しいのでこの機会は(次の日朝早く出かけるにしても)逃せない!と思って聴きにいって正解でした。コンサートの後の心の熱さはこれまで行ったコンサートで五本の指に入るほどだったかも。ホントすごいぜチェコ魂。
さて、来週はマレーシアからこっちに来る両親と一緒にメル響マーラー1番(とシュトラウスの「4つの最後の歌」)を聴きにいきます。このコンサートはメル響による長期企画「マーラーサイクル」の最初となるコンサートです。
マーラーサイクル、とはマーラーの10つの交響曲(最後のは未完成ですがDaryl Cookeによる完成版を演奏)と歌曲サイクル「大地の歌」(ほぼ交響曲扱いの作品)を何年かにわたって首席指揮者Sir Andrew Davisの指揮で演奏するというもの。
ちなみにDavisはトロントで同じくマーラーサイクルを指揮した経験がありますしメル響も以前Stenzの指揮で(10番を除いた)マーラーサイクルを演奏しています。
マーラーの交響曲はあらゆる方向に巨大なことで有名で、長さも1時間を超えるものがほとんど(CD1枚に収まらないものもいくつか)、そしてオケの構成人数もものすごく多い(ホルンや打楽器などの多さは同時代でも目立ちますね)。さらに音楽のスケールも大きく、そして綿密さも凄くマクロ・ミクロどっちにも果てしなく広がり。一つの交響曲が全てを包含した完全な世界なんですよ。
なのでマーラーの交響曲は一つ弾くだけでもものすごくリハーサル・演奏含めものすごく大変なのですが、それを時間をおいてとはいえ合計11つも弾くのは各方面巨大なプロジェクト。
ただ巨大なだけでなくものすごく音楽的に意義のある企画でもあります。マーラーの交響曲は一つ一つが前述要素も含め音楽としてものすごく素晴らしく、一つ聴くだけでも類い希なる体験ですがそれを全部順に聴くことでマーラーの人生とも照らし合わせて別の側面から聴くことができる、これまたすごい体験。
このマーラーサイクルが結構メディアからも注目を浴びているようで以前The Ageに特集ページとして概要やインタビュー記事などが掲載されてましたし(その時紙で買ったんでネットではあるか分からない)、その後にも特集記事が掲載、さらにHerald Sunでは2014年下半期の注目イベントNo. 1として今回のマーラー1番のコンサートが紹介されています。
そういうこともあり、最初が(順番上当たり前ですが)交響曲第1番ということでクラシック音楽にどっぷりじゃない層からも聴衆が来るといいなーと思ってるところです。
(ちなみに前聴いたのですがマーラーの交響曲は客が入るのとそう入らないのがあって、例えば1番とか5番とか目立ってポピュラーなのが売れる=比較的ライトな層も入ってくるということで)
ほんと常日頃もっと広く深く人生にマーラーを!と思ってます。まずは1番5番あたりでそこからもっと深みにはまってくれたらなあーとか思ってるのですが難しい。
来週を始めとするマーラーサイクル(なるべく多く行こうと思ってます)を通じてもうちょっと布教できたらなあ。がんばります。
あと次の週のバッハのミサ曲ロ短調のコンサートも行きたい。毎週末コンサートとは贅沢ですなあ。
今日の一曲はお休み。曲があるのに用意してなかった。ちょっと引き続きばたばたなので消化出来るのはいつになるやら。
タイミングの関係でシティでなくうちにもっと近い(ただし公共交通機関ではバスでしか行けない)Monash UniversityのRobert Blackwood Hallで聴きに行きました。昔は学校のSpeech Night(卒業式を兼ねた一年の終わりの式典)が毎年ここだったんですが卒業して以来全然来る機会がなく。ホールの中はものすごくはっきり覚えてたのにFoyerの辺りとか全然覚えてなくてびっくり。
今回のコンサートはタイトルにもあるとおりベドルジハ・スメタナの連作交響詩「我が祖国」の演奏でした。しかも本場チェコから指揮者Jakub Hrůšaを招いてのコンサート。
「我が祖国」は日本では音楽の教科書にも載ってる「モルダウ」が有名で単独で演奏されるのもこれが圧倒的に多く、なかなか全体が演奏される機会は少ないです(実際メル響も初めてコンプリートで演奏したそうです)。全体としては6つの交響詩の連作で1時間15分くらいかかるかな?マーラーの中期の交響曲と同じくらいか。ということで今回のコンサートはこの「我が祖国」のみの演奏でした。
全体を通してチェコ魂が熱い演奏でした!他にも色々な形で愛国的な音楽ってありますし(イギリスとか)、チェコの音楽に愛国的な作品も多いですがさすが本国ではドヴォルザークより著名な、チェコ音楽の祖とされる作曲家。伝説や風景を通してチェコという国の土地、人、魂を生き生きと描き上げるだけでなく燃えさせる作品。聴いてて胸が熱くなりますしその愛に感極まりました。
演奏もまた熱かったです。ちょこちょこなんかリズムの感覚が崩れる感があることはあったのですが全体的にものすごくしっかりしてて。ピンポイントで素晴らしかったのが冒頭のハープだったり「シャールカ」でのシンバルや最後畳みかけるようにもう一回加速するところ、そしてなんといっても「ターボル」でのティンパニの百人力ともいえるパワフルなソロがすごかった。他に誰も弾いてないところで爆音とも言える音。ティンパニのソロで長さ・音の数やパートの面白さで勝るものは他にもありますが力強さはこれがトップクラスかも。
このティンパニソロを始め「ターボル」と「ブラニーク」を通じて現れるフス派の賛美歌「汝ら神の戦士」のメロディーがほんと面白いなーと思うんですよね。メロディー自体はものすごく美しいとかいうわけじゃないんですが、すごい力強さがあって、さらに作品への取り入れ方も効果的で心奮い立てられずにはいられない。(ちなみに同じメロディーは同じチェコの作曲家カレル・フサの「プラハ1968年のための音楽」にも使われててこっちもパワフルです)
「我が祖国」の完全演奏が珍しいのでこの機会は(次の日朝早く出かけるにしても)逃せない!と思って聴きにいって正解でした。コンサートの後の心の熱さはこれまで行ったコンサートで五本の指に入るほどだったかも。ホントすごいぜチェコ魂。
さて、来週はマレーシアからこっちに来る両親と一緒にメル響マーラー1番(とシュトラウスの「4つの最後の歌」)を聴きにいきます。このコンサートはメル響による長期企画「マーラーサイクル」の最初となるコンサートです。
マーラーサイクル、とはマーラーの10つの交響曲(最後のは未完成ですがDaryl Cookeによる完成版を演奏)と歌曲サイクル「大地の歌」(ほぼ交響曲扱いの作品)を何年かにわたって首席指揮者Sir Andrew Davisの指揮で演奏するというもの。
ちなみにDavisはトロントで同じくマーラーサイクルを指揮した経験がありますしメル響も以前Stenzの指揮で(10番を除いた)マーラーサイクルを演奏しています。
マーラーの交響曲はあらゆる方向に巨大なことで有名で、長さも1時間を超えるものがほとんど(CD1枚に収まらないものもいくつか)、そしてオケの構成人数もものすごく多い(ホルンや打楽器などの多さは同時代でも目立ちますね)。さらに音楽のスケールも大きく、そして綿密さも凄くマクロ・ミクロどっちにも果てしなく広がり。一つの交響曲が全てを包含した完全な世界なんですよ。
なのでマーラーの交響曲は一つ弾くだけでもものすごくリハーサル・演奏含めものすごく大変なのですが、それを時間をおいてとはいえ合計11つも弾くのは各方面巨大なプロジェクト。
ただ巨大なだけでなくものすごく音楽的に意義のある企画でもあります。マーラーの交響曲は一つ一つが前述要素も含め音楽としてものすごく素晴らしく、一つ聴くだけでも類い希なる体験ですがそれを全部順に聴くことでマーラーの人生とも照らし合わせて別の側面から聴くことができる、これまたすごい体験。
このマーラーサイクルが結構メディアからも注目を浴びているようで以前The Ageに特集ページとして概要やインタビュー記事などが掲載されてましたし(その時紙で買ったんでネットではあるか分からない)、その後にも特集記事が掲載、さらにHerald Sunでは2014年下半期の注目イベントNo. 1として今回のマーラー1番のコンサートが紹介されています。
そういうこともあり、最初が(順番上当たり前ですが)交響曲第1番ということでクラシック音楽にどっぷりじゃない層からも聴衆が来るといいなーと思ってるところです。
(ちなみに前聴いたのですがマーラーの交響曲は客が入るのとそう入らないのがあって、例えば1番とか5番とか目立ってポピュラーなのが売れる=比較的ライトな層も入ってくるということで)
ほんと常日頃もっと広く深く人生にマーラーを!と思ってます。まずは1番5番あたりでそこからもっと深みにはまってくれたらなあーとか思ってるのですが難しい。
来週を始めとするマーラーサイクル(なるべく多く行こうと思ってます)を通じてもうちょっと布教できたらなあ。がんばります。
あと次の週のバッハのミサ曲ロ短調のコンサートも行きたい。毎週末コンサートとは贅沢ですなあ。
今日の一曲はお休み。曲があるのに用意してなかった。ちょっと引き続きばたばたなので消化出来るのはいつになるやら。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
前回一つ今後の演奏予定をお知らせしたばかりですがもう一つアマチュアオケのお仕事が入りました。
12月の頭にZelman Symphony Orchestraのオールイギリス音楽コンサートでホルストの「惑星」のチェレスタパートを弾くことになりました。こないだ指揮した指揮者さんからお誘いを頂きました。惑星はもう4回目です(チェロの1回を含め。これで最多演奏としてチャイコ5に並びました)。ちなみに他の曲はブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」の四つの海の間奏曲とヴォーン=ウィリアムズのオーボエ協奏曲。ブリテンにパートがあったらよかったのになあ。
とりあえず楽しみです。
今年はアマチュアのオケで弾かせてもらっていますがそういうオケだとかなりお年を召した奏者も多いです。(なので知ってる人がほとんどいない)
楽器との付き合いの経緯はきっと人それぞれですがみんな楽器を続けてオケで弾いてるのは素晴らしいことですし、演奏できる場所があるのもまた素晴らしいこと。
特にここ数年友達の友達とか(同年代の=大学+大学院とかを終わらせた段階)と初めて会って話すと昔楽器弾いてたけど今は弾いてないんだよなー、みたいな話がほんと多い。
経緯はだいたいこんな感じ。
小さい頃学校でor個人で楽器を始める→学校でオケとか吹奏楽とかやって友達も一緒でそれなりに続く→大学になるとレッスンはもちろん弾くこと自体も続ける余裕がなくなる→大学院にすすんだり就職して再開する余裕がなくなる→大学院・博士課程が終わるor仕事が落ち着いてちょっと楽器を弾くことが恋しくなる・・・という。
この年齢になって小さい頃の習い事が今に役立ってるかどうかということはみんな少なからず思いを馳せるみたいですが、楽器に関しては「もっと長く続けてればよかった」という声を圧倒的に多く聞きます。もっと色んな楽器を試したかったとか色んな習い事を体験したかったとかではなく、実際にその楽器について才能があったかなかったかに関わらず、自分の弾いてた楽器をもっと長く続けたかったという。
(私もオーボエに関して特にそうです。チェロは習う事に関しては十分長かったし、これからまた再開する楽しみがありますが。)
メルボルンにはCorpus MedicorumというRoyal Melbourne Hospital主催のお医者さん・医学生を中心としたオケがかなり長いこと活動してますし(あと意外と医学と音楽掛け持ちする人多いんですよね)、つい最近大学の友達が一枚噛んで?弁護士中心のオケも出来て。
かなり忙しいイメージの職種2つがアクティブに仕事外の演奏機会を作ってるのは面白いですね。
音大を出たセミプロレベルの奏者たちの演奏の場も、大学に入る以前に楽器を置いていアマチュアレベルの奏者たちの演奏の場もどっちも要望・需要が大きいですし、単純に場を用意するだけでなく音楽を続けられるよー再開できるよーもっと続けようよーみたいな意識を(それこそ学校にいる年齢から)広めることも必要なのかな、と今日ちょっと思っていました。
ちなみに楽器を習い始める・弾き始める事に関しては私は常日頃から何歳でも遅くない、と言ってます。(ここまで書いてきたのは学校にいるうちに始めて、というのが前提で学習・アンサンブルで弾く機会など色々な観点から若いのが一番いいと思いますが)
たまに楽器弾いたことないけど弾けたらいいなーみたいな人と話すと必ずその点をものすごく強調するようにしています。いつでも好きな楽器を好きな時に始めればいいんです。
私がその昔ピアノを教えてたときは自分の両親より10歳は年上の夫人が生徒にいましたからね(ピアノの弾き方だけでなくクラシック音楽のレパートリーなんかも教えてました)。あとギターや歌は割と大人になってから始めたり再開する人も多いですし。
特に今という時代は便利なものでiPadでピアノの基本が出来たりちょっとした曲が弾けたり、大体どんな楽器でもインターネットでサイトとか動画で弾き方が学習できたりしますから。(もちろん直接先生に習うのとはちょっと違いますが。でも先生探しにもネットは便利)。
大体ピアノを始めるにしてもキーボードで始める人(子供含め)も多いですし。
自分が楽器や演奏とこれから一生どう付き合っていくかってのはその都度常に考えてることですが、とにかく周りでそういう「楽器を弾きたい、再開したい、アンサンブルで弾きたい」という声をものすごく多く聞くのでもっと広く考えたくなった次第です。
学校在学中の年齢で楽器を習ったりアンサンブルで弾ける機会があること(学校外のユースオケも含め)、大人になってもいつでも楽器を再開したり新しく始められること、そして大人になってもアンサンブルなど演奏する場があること。全部があれば理想なんですが、それぞれ複数の要素が絡んできて難しい。人や一般全体の意識ももちろん入ってる。
さて、今日は書きながらRekorderligのシードル(洋梨味)を飲んでいて、500mL瓶なのでまだ飲み終わらない。お腹にたまるのが大変です。そしてほんとはリンゴ味がよかった。
今日の一曲: アルヴォ・ペルト 「Hymn to a Great City」
こないだ買ったペルトのピアノ音楽のCDですが、聴くには良くても実際にペルトの何かを弾きたいなーという視点から聴いてみるとどうもなかなか悩んでしまうことが多いです。
最初に聴いたペルトが弦楽器でそのサウンドのイメージが強いのと、あとピアノのための曲が少なく結構似通った曲が多かったり同じ曲の別バージョンが多かったりしてうーむ。
(すでに聴いてたペルトの作品のピアノ版はみんなピアノ2台用だったしなー)
で、弾くことに関しては全く結論が出てない中初めて出会ったこの曲はいい曲でした。「Hymn to a Great City」はピアノ2台のために書かれた曲で、どっちかというと短調のサウンドが強いペルトにしては明るい曲です。タイトルのGreat Cityが特定の都市を指すのかどうかは分かってないみたいですし基本こういうのは(特に20世紀以降の音楽・芸術では)特定しないのが一番いいんじゃないかと私はいつも思ってます。
曲調は典型的なペルトの音楽で、スローなテンポと繰り返しパターンの中に静けさと響きとが存在していますが、高音オクターブを何度も繰り返すのがちょっとメシアンの20のまなざしの「父のまなざし」を思い出します。微妙に細い線何本か繋がってるんですよね。
もともとこのペルトのスタイルがTintinnabuliと呼ばれるんですけどtintinnabuliという言葉はラテ語の「鐘(鈴?)」という言葉から来ていて、ピアノは鐘的な(しかも結構長く続く&ブレンドする)響きを表現するには結構向いているような気がする・・・のですがそれでもペルトのピアノ作品は少ない。つくづく残念ですが一曲ぐらいは弾いてその空間、時間と静寂を味わって探索、表現できたらなあと願っています。
リンクしたのが手持ちの録音(あれ?まだAmazonでは発売されてない?)ですがディスク2にはペルトが今のヨーロッパのミニマルミュージック的なスタイルに落ち着いた前の作品が収録されています。今の作風とはかなり違いますが、そういう時期があったことを知るのもまた面白いです。
(作風を変えた・複数使い分けた作曲家として良い例ですね。なんか今度そのトピックで書いてみようかな)
前回一つ今後の演奏予定をお知らせしたばかりですがもう一つアマチュアオケのお仕事が入りました。
12月の頭にZelman Symphony Orchestraのオールイギリス音楽コンサートでホルストの「惑星」のチェレスタパートを弾くことになりました。こないだ指揮した指揮者さんからお誘いを頂きました。惑星はもう4回目です(チェロの1回を含め。これで最多演奏としてチャイコ5に並びました)。ちなみに他の曲はブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」の四つの海の間奏曲とヴォーン=ウィリアムズのオーボエ協奏曲。ブリテンにパートがあったらよかったのになあ。
とりあえず楽しみです。
今年はアマチュアのオケで弾かせてもらっていますがそういうオケだとかなりお年を召した奏者も多いです。(なので知ってる人がほとんどいない)
楽器との付き合いの経緯はきっと人それぞれですがみんな楽器を続けてオケで弾いてるのは素晴らしいことですし、演奏できる場所があるのもまた素晴らしいこと。
特にここ数年友達の友達とか(同年代の=大学+大学院とかを終わらせた段階)と初めて会って話すと昔楽器弾いてたけど今は弾いてないんだよなー、みたいな話がほんと多い。
経緯はだいたいこんな感じ。
小さい頃学校でor個人で楽器を始める→学校でオケとか吹奏楽とかやって友達も一緒でそれなりに続く→大学になるとレッスンはもちろん弾くこと自体も続ける余裕がなくなる→大学院にすすんだり就職して再開する余裕がなくなる→大学院・博士課程が終わるor仕事が落ち着いてちょっと楽器を弾くことが恋しくなる・・・という。
この年齢になって小さい頃の習い事が今に役立ってるかどうかということはみんな少なからず思いを馳せるみたいですが、楽器に関しては「もっと長く続けてればよかった」という声を圧倒的に多く聞きます。もっと色んな楽器を試したかったとか色んな習い事を体験したかったとかではなく、実際にその楽器について才能があったかなかったかに関わらず、自分の弾いてた楽器をもっと長く続けたかったという。
(私もオーボエに関して特にそうです。チェロは習う事に関しては十分長かったし、これからまた再開する楽しみがありますが。)
メルボルンにはCorpus MedicorumというRoyal Melbourne Hospital主催のお医者さん・医学生を中心としたオケがかなり長いこと活動してますし(あと意外と医学と音楽掛け持ちする人多いんですよね)、つい最近大学の友達が一枚噛んで?弁護士中心のオケも出来て。
かなり忙しいイメージの職種2つがアクティブに仕事外の演奏機会を作ってるのは面白いですね。
音大を出たセミプロレベルの奏者たちの演奏の場も、大学に入る以前に楽器を置いていアマチュアレベルの奏者たちの演奏の場もどっちも要望・需要が大きいですし、単純に場を用意するだけでなく音楽を続けられるよー再開できるよーもっと続けようよーみたいな意識を(それこそ学校にいる年齢から)広めることも必要なのかな、と今日ちょっと思っていました。
ちなみに楽器を習い始める・弾き始める事に関しては私は常日頃から何歳でも遅くない、と言ってます。(ここまで書いてきたのは学校にいるうちに始めて、というのが前提で学習・アンサンブルで弾く機会など色々な観点から若いのが一番いいと思いますが)
たまに楽器弾いたことないけど弾けたらいいなーみたいな人と話すと必ずその点をものすごく強調するようにしています。いつでも好きな楽器を好きな時に始めればいいんです。
私がその昔ピアノを教えてたときは自分の両親より10歳は年上の夫人が生徒にいましたからね(ピアノの弾き方だけでなくクラシック音楽のレパートリーなんかも教えてました)。あとギターや歌は割と大人になってから始めたり再開する人も多いですし。
特に今という時代は便利なものでiPadでピアノの基本が出来たりちょっとした曲が弾けたり、大体どんな楽器でもインターネットでサイトとか動画で弾き方が学習できたりしますから。(もちろん直接先生に習うのとはちょっと違いますが。でも先生探しにもネットは便利)。
大体ピアノを始めるにしてもキーボードで始める人(子供含め)も多いですし。
自分が楽器や演奏とこれから一生どう付き合っていくかってのはその都度常に考えてることですが、とにかく周りでそういう「楽器を弾きたい、再開したい、アンサンブルで弾きたい」という声をものすごく多く聞くのでもっと広く考えたくなった次第です。
学校在学中の年齢で楽器を習ったりアンサンブルで弾ける機会があること(学校外のユースオケも含め)、大人になってもいつでも楽器を再開したり新しく始められること、そして大人になってもアンサンブルなど演奏する場があること。全部があれば理想なんですが、それぞれ複数の要素が絡んできて難しい。人や一般全体の意識ももちろん入ってる。
さて、今日は書きながらRekorderligのシードル(洋梨味)を飲んでいて、500mL瓶なのでまだ飲み終わらない。お腹にたまるのが大変です。そしてほんとはリンゴ味がよかった。
今日の一曲: アルヴォ・ペルト 「Hymn to a Great City」
こないだ買ったペルトのピアノ音楽のCDですが、聴くには良くても実際にペルトの何かを弾きたいなーという視点から聴いてみるとどうもなかなか悩んでしまうことが多いです。
最初に聴いたペルトが弦楽器でそのサウンドのイメージが強いのと、あとピアノのための曲が少なく結構似通った曲が多かったり同じ曲の別バージョンが多かったりしてうーむ。
(すでに聴いてたペルトの作品のピアノ版はみんなピアノ2台用だったしなー)
で、弾くことに関しては全く結論が出てない中初めて出会ったこの曲はいい曲でした。「Hymn to a Great City」はピアノ2台のために書かれた曲で、どっちかというと短調のサウンドが強いペルトにしては明るい曲です。タイトルのGreat Cityが特定の都市を指すのかどうかは分かってないみたいですし基本こういうのは(特に20世紀以降の音楽・芸術では)特定しないのが一番いいんじゃないかと私はいつも思ってます。
曲調は典型的なペルトの音楽で、スローなテンポと繰り返しパターンの中に静けさと響きとが存在していますが、高音オクターブを何度も繰り返すのがちょっとメシアンの20のまなざしの「父のまなざし」を思い出します。微妙に細い線何本か繋がってるんですよね。
もともとこのペルトのスタイルがTintinnabuliと呼ばれるんですけどtintinnabuliという言葉はラテ語の「鐘(鈴?)」という言葉から来ていて、ピアノは鐘的な(しかも結構長く続く&ブレンドする)響きを表現するには結構向いているような気がする・・・のですがそれでもペルトのピアノ作品は少ない。つくづく残念ですが一曲ぐらいは弾いてその空間、時間と静寂を味わって探索、表現できたらなあと願っています。
リンクしたのが手持ちの録音(あれ?まだAmazonでは発売されてない?)ですがディスク2にはペルトが今のヨーロッパのミニマルミュージック的なスタイルに落ち着いた前の作品が収録されています。今の作風とはかなり違いますが、そういう時期があったことを知るのもまた面白いです。
(作風を変えた・複数使い分けた作曲家として良い例ですね。なんか今度そのトピックで書いてみようかな)