×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
Age of Wonders III公開まで後1日!!
・・・と思ったら実際のリリース時間が3月31日の中央ヨーロッパ時間で18時、ということで。
メルボルンだと4月1日夜中の2時、日本だとちょうど日付が変わるときになりますかね。
ちょっと思ったタイミングより遅れるとはいえ楽しみなのには変わりません。わくわくです。
今日はオーストラリアのコミュニティベースのラジオ、3MBS FMが主催するシューベルト1日コンサートマラソン(South Melbourne Town Hallにて)のコンサートに行ってきました。
9時から21時まで2時間おきにコンサートがあり(全部で7つ、今書いてる時点で最後のコンサート進行中)、ピーターが11時のセッションで弾いてるのでそのコンサートに行きました。
それにしても1日パスを買ってる人は優先で良い席に座れるのですが各コンサート間が30分もない場合が多かったので本当に全部行った人は少ないんじゃないかな。近くで食べるところもありますがそれでもハードなスケジュール。
11時のセッションのプログラムはこんな感じでした。もちろん作曲家は全部フランツ・シューベルト。
3つのピアノ曲 D. 946
アレグロ イ短調「人生の嵐」 D. 947
幻想曲 ハ長調「さすらい人」 D. 760
ピアノ三重奏曲 変ホ長調 D. 929
ピーターは最初の3つのピアノ曲を演奏しました。最初の音から「おおー血肉のある人間のピアノの音だー」としみじみしてしまった辺り最近ちょっと聞く音楽が(必ずしも悪い意味ではなく)偏ってた証拠ですね(汗)未だに彼の演奏は現代音楽が輝くと思うのですが、それ以前の音楽を弾くときの人間らしい暖かみも好きです。特に2曲目がよかったなー。
「人生の嵐」はシューベルトの連弾曲のなかでもおそらく最難にして最大。今回は夫婦でのデュエットでした。大学で一度マスタークラス受けたことある先生と大学時代の後輩で。私が卒業したあとに何があったか後で聞いたことなのですが。
在学中からその後輩はものすごく大人っぽいというか完成した演奏をするな、とは思っていたのですがこうやって夫婦で並んで弾いても年齢の差(といってもものすごくあるわけではないです)を感じさせないしっかりさ、対等さ。演奏もアンサンブルも良かった。
「さすらい人」を弾いたのも以前お世話になったことがあるピアニストの方。彼女は結構小柄で手も小さいんですがこういったスケールの大きい曲でもとにかく演奏がパワフル。
ただちょっと全体的に重かったかなーという印象はありました。シューベルトの音楽って短すぎることよりも長すぎると感じることが多くて、特にこの曲もそうで、重いとどうしてもその長さが際立ってしまう。
ピアノ三重奏曲もやっぱりちょっと長いなーと思うところありましたが魅力的な曲&演奏でした。時代のこともあり影響もありでベートーヴェンの音楽と似てるところって結構あるのですが、でもシューベルトの音楽にあるオーストリアっぽい軽さ、次々と表情と色彩を変える気ままさがよく現れてる作品だと思います。チェロパートがなかなかおいしい。そして第2楽章がなにより楽しい。
シューベルトは自分もちょくちょく弾いてはいるんですけどシューベルトが好き!というよりは点で(曲単位で)好きなんですよね。好きな曲(ハ短調のソナタとかアルペジオーネとか未完成交響曲とか)は好きだけどその他の曲はどうもなあ、みたいな。
で、自分で弾くのよりも他人が弾くのが好きな作曲家でもあり。そんなに頻繁に聞く作曲家でもなかったり。
なかなか付き合い方が難しいです、シューベルト。
でも今日一つコンサートをマラソンから聴いてみて(上記評価に変化はないながらも)シューベルトの魅力について再確認しましたね。
シューベルトは歌曲の王様で、器楽曲でもその歌うような(特にチェロで弾くと楽しそうな!)メロディーが一番わかりやすい魅力としてあって。
さらにそのメロディーを支えるハーモニーも魅力的。ころころキーやハーモニーが変わって色彩が華麗に変わるのも惚れます。
そしてシューベルトの音楽って堅すぎず、軽すぎず、重すぎずなところがいいなあ、と。ほどよい変化とほどよい真面目さと、形式をしっかり使いながら音楽に柔軟さもあり。決めた時の気持ち良さ、ちょうど良さが確かにあると思います。
その反面前述どうも音楽が長く感じるときもちょくちょくあり、それから31歳で亡くなったとは思えないほど多作で(未完の作品もいっぱいあります)、そのためか必ずしも全部当たりの曲とは限らない、まんべんなく好きになれない部分があったり。
(ただ他の作曲家だと必ずしもそうではないのですが、シューベルトの場合有名な曲はほぼ間違い無く良い曲と思うのでわかりやすい指標はあるかなー)
ここ数年(正確には分からない)シューベルトマラソンが開催されてますが、それだけシューベルトが色んな楽器の奏者&声楽家に愛され、さらに音楽をやる人以外にも広く愛されているということで、毎回色んな角度からアプローチして楽しめるということで。
メルボルンでそれが味わえるということはいつもながら贅沢で良いですねー。
とりあえずは室内楽作品を要履修ですね(汗)自分で弾かないにしても聴く側としても勉強せねば。
また数日後にコンサートに行く予定なのでそちらも楽しみ。
今日の一曲: フランツ・シューベルト アルペジオーネ・ソナタ 第1楽章


今日のシューベルトマラソンで行かなかったコンサートで演奏されてました。聴きたかったなー。(行ったコンサートでの曲はまだ紹介できる気がしない・・・)
とりあえず「アルペジオーネ」とは何ぞ、というところから。簡単に言えばチェロの様に構えるけどチェロよりちょっと小さい、バロック時代のビオラ・ダ・ガンバにも似た楽器だそうです。小さいので2本以上の弦を同時に弾く(重音)のも複数の弦を渡るように弾くのもチェロより容易になるはず。そして小さいのでもちろん音は高い。
ただこの楽器は現在一般的ではなく(もしかして当時も?)、シューベルトのこのアルペジオーネのためのソナタは一般的にはチェロかビオラで演奏されます。
アルペジオーネのための曲をチェロで弾くと、主にチェロの比較的高音域を使うことになり、それで難易度が上がります。技巧的な問題もそうですがチェロのあの暗さ・厚みのある低音を使わない状態でしっかりチェロを歌わせるのは独特の難しさがあるんじゃないかな(そしてピアノパートのサポートも大事になるんじゃないかな)。
ただこのソナタの冒頭みたいなちょっと高めの音域は「歌わせる」音域でもあり。ドイツやイギリスのテノールのような透明さを伴った、弦の張力を感じるような緊張のある音。
前述シューベルトの音楽の歌うメロディー、そしてちょうどいい軽さにはぴったりの音域かな。
とにかくおいしいチェロのパート。最初のため息のように始まりだんだんと歌い上げるメロディーだったり、軽く踊るようなパッセージだったり、心ゆくまで歌って遊んで楽しめる(余裕があれば)。
シューベルトの音楽の例に漏れず普段はあんまり聴かない曲ではあるのですが、聴いてみると色々にやっとしてやっぱ好きだなーと思うことたくさん。
特にこの第1楽章は雨の時に聴きたくなることが多いですね。雨に合うんだなあ。これからの季節(メルボルンの)にぴったり。
私が持ってる録音はフルニエのちょっと古い録音で、優雅で軽いタッチが気に入ってるながらももっとクリアな新しい録音が欲しい気持ちもちょっとあり。あとビオラ版の演奏も欲しいですね。
とりあえずAmazonで見つけたフルニエの録音をリンク。やたらと色々な曲が収録されてる録音ですね。これで割と主要チェロレパートリーたくさんカバーできますのでお好みで。
そしてさっきちょうどシューベルトマラソンの最後を飾った四重奏曲「死と乙女」も紹介したかった!また今度!
・・・と思ったら実際のリリース時間が3月31日の中央ヨーロッパ時間で18時、ということで。
メルボルンだと4月1日夜中の2時、日本だとちょうど日付が変わるときになりますかね。
ちょっと思ったタイミングより遅れるとはいえ楽しみなのには変わりません。わくわくです。
今日はオーストラリアのコミュニティベースのラジオ、3MBS FMが主催するシューベルト1日コンサートマラソン(South Melbourne Town Hallにて)のコンサートに行ってきました。
9時から21時まで2時間おきにコンサートがあり(全部で7つ、今書いてる時点で最後のコンサート進行中)、ピーターが11時のセッションで弾いてるのでそのコンサートに行きました。
それにしても1日パスを買ってる人は優先で良い席に座れるのですが各コンサート間が30分もない場合が多かったので本当に全部行った人は少ないんじゃないかな。近くで食べるところもありますがそれでもハードなスケジュール。
11時のセッションのプログラムはこんな感じでした。もちろん作曲家は全部フランツ・シューベルト。
3つのピアノ曲 D. 946
アレグロ イ短調「人生の嵐」 D. 947
幻想曲 ハ長調「さすらい人」 D. 760
ピアノ三重奏曲 変ホ長調 D. 929
ピーターは最初の3つのピアノ曲を演奏しました。最初の音から「おおー血肉のある人間のピアノの音だー」としみじみしてしまった辺り最近ちょっと聞く音楽が(必ずしも悪い意味ではなく)偏ってた証拠ですね(汗)未だに彼の演奏は現代音楽が輝くと思うのですが、それ以前の音楽を弾くときの人間らしい暖かみも好きです。特に2曲目がよかったなー。
「人生の嵐」はシューベルトの連弾曲のなかでもおそらく最難にして最大。今回は夫婦でのデュエットでした。大学で一度マスタークラス受けたことある先生と大学時代の後輩で。私が卒業したあとに何があったか後で聞いたことなのですが。
在学中からその後輩はものすごく大人っぽいというか完成した演奏をするな、とは思っていたのですがこうやって夫婦で並んで弾いても年齢の差(といってもものすごくあるわけではないです)を感じさせないしっかりさ、対等さ。演奏もアンサンブルも良かった。
「さすらい人」を弾いたのも以前お世話になったことがあるピアニストの方。彼女は結構小柄で手も小さいんですがこういったスケールの大きい曲でもとにかく演奏がパワフル。
ただちょっと全体的に重かったかなーという印象はありました。シューベルトの音楽って短すぎることよりも長すぎると感じることが多くて、特にこの曲もそうで、重いとどうしてもその長さが際立ってしまう。
ピアノ三重奏曲もやっぱりちょっと長いなーと思うところありましたが魅力的な曲&演奏でした。時代のこともあり影響もありでベートーヴェンの音楽と似てるところって結構あるのですが、でもシューベルトの音楽にあるオーストリアっぽい軽さ、次々と表情と色彩を変える気ままさがよく現れてる作品だと思います。チェロパートがなかなかおいしい。そして第2楽章がなにより楽しい。
シューベルトは自分もちょくちょく弾いてはいるんですけどシューベルトが好き!というよりは点で(曲単位で)好きなんですよね。好きな曲(ハ短調のソナタとかアルペジオーネとか未完成交響曲とか)は好きだけどその他の曲はどうもなあ、みたいな。
で、自分で弾くのよりも他人が弾くのが好きな作曲家でもあり。そんなに頻繁に聞く作曲家でもなかったり。
なかなか付き合い方が難しいです、シューベルト。
でも今日一つコンサートをマラソンから聴いてみて(上記評価に変化はないながらも)シューベルトの魅力について再確認しましたね。
シューベルトは歌曲の王様で、器楽曲でもその歌うような(特にチェロで弾くと楽しそうな!)メロディーが一番わかりやすい魅力としてあって。
さらにそのメロディーを支えるハーモニーも魅力的。ころころキーやハーモニーが変わって色彩が華麗に変わるのも惚れます。
そしてシューベルトの音楽って堅すぎず、軽すぎず、重すぎずなところがいいなあ、と。ほどよい変化とほどよい真面目さと、形式をしっかり使いながら音楽に柔軟さもあり。決めた時の気持ち良さ、ちょうど良さが確かにあると思います。
その反面前述どうも音楽が長く感じるときもちょくちょくあり、それから31歳で亡くなったとは思えないほど多作で(未完の作品もいっぱいあります)、そのためか必ずしも全部当たりの曲とは限らない、まんべんなく好きになれない部分があったり。
(ただ他の作曲家だと必ずしもそうではないのですが、シューベルトの場合有名な曲はほぼ間違い無く良い曲と思うのでわかりやすい指標はあるかなー)
ここ数年(正確には分からない)シューベルトマラソンが開催されてますが、それだけシューベルトが色んな楽器の奏者&声楽家に愛され、さらに音楽をやる人以外にも広く愛されているということで、毎回色んな角度からアプローチして楽しめるということで。
メルボルンでそれが味わえるということはいつもながら贅沢で良いですねー。
とりあえずは室内楽作品を要履修ですね(汗)自分で弾かないにしても聴く側としても勉強せねば。
また数日後にコンサートに行く予定なのでそちらも楽しみ。
今日の一曲: フランツ・シューベルト アルペジオーネ・ソナタ 第1楽章
今日のシューベルトマラソンで行かなかったコンサートで演奏されてました。聴きたかったなー。(行ったコンサートでの曲はまだ紹介できる気がしない・・・)
とりあえず「アルペジオーネ」とは何ぞ、というところから。簡単に言えばチェロの様に構えるけどチェロよりちょっと小さい、バロック時代のビオラ・ダ・ガンバにも似た楽器だそうです。小さいので2本以上の弦を同時に弾く(重音)のも複数の弦を渡るように弾くのもチェロより容易になるはず。そして小さいのでもちろん音は高い。
ただこの楽器は現在一般的ではなく(もしかして当時も?)、シューベルトのこのアルペジオーネのためのソナタは一般的にはチェロかビオラで演奏されます。
アルペジオーネのための曲をチェロで弾くと、主にチェロの比較的高音域を使うことになり、それで難易度が上がります。技巧的な問題もそうですがチェロのあの暗さ・厚みのある低音を使わない状態でしっかりチェロを歌わせるのは独特の難しさがあるんじゃないかな(そしてピアノパートのサポートも大事になるんじゃないかな)。
ただこのソナタの冒頭みたいなちょっと高めの音域は「歌わせる」音域でもあり。ドイツやイギリスのテノールのような透明さを伴った、弦の張力を感じるような緊張のある音。
前述シューベルトの音楽の歌うメロディー、そしてちょうどいい軽さにはぴったりの音域かな。
とにかくおいしいチェロのパート。最初のため息のように始まりだんだんと歌い上げるメロディーだったり、軽く踊るようなパッセージだったり、心ゆくまで歌って遊んで楽しめる(余裕があれば)。
シューベルトの音楽の例に漏れず普段はあんまり聴かない曲ではあるのですが、聴いてみると色々にやっとしてやっぱ好きだなーと思うことたくさん。
特にこの第1楽章は雨の時に聴きたくなることが多いですね。雨に合うんだなあ。これからの季節(メルボルンの)にぴったり。
私が持ってる録音はフルニエのちょっと古い録音で、優雅で軽いタッチが気に入ってるながらももっとクリアな新しい録音が欲しい気持ちもちょっとあり。あとビオラ版の演奏も欲しいですね。
とりあえずAmazonで見つけたフルニエの録音をリンク。やたらと色々な曲が収録されてる録音ですね。これで割と主要チェロレパートリーたくさんカバーできますのでお好みで。
そしてさっきちょうどシューベルトマラソンの最後を飾った四重奏曲「死と乙女」も紹介したかった!また今度!
PR
せっかく疲労が回復しつつあるのに若干無理をするようですが聴きました。
こちらでも何回か紹介しています現代音楽中心、でもそれに限らず多岐に活動しているクロノス・カルテット(弦楽四重奏ですがその性質からString QuartetでなくQuartetと名乗っています)。
彼らの活動40周年を記念してニューヨークのWQXRというラジオ局(クラシックを専門に現代音楽もたくさん扱っているみたいです)のQ2 Musicというチャンネルで現地時間3月24日0時から24時間ラジオマラソンを放送、ということで昨日のメルボルン時間午後3時から今日の3時半くらいまでご飯・お風呂・就寝中以外はずっと聴いていました。
プログラムはクロノスが生まれるきっかけとなったクラムの「Black Angels」に始まり、元々の専門分野である現代音楽を始め古音楽や映画音楽や様々な国の音楽、様々な音楽家との共演作品の録音を通じてクロノスの40年の歴史の長さ、広さと深さを味わえる24時間になっていました。
途中で短めでしたがコンサートを生中継の部分もあり。
(まだCDになってない演奏もありました。あと映画音楽は私が寝てる間に主にやってたようでちょっと残念)
音楽だけでなくメンバーだけでなく共演した音楽家とのインタビューなどもあり、クロノス・カルテットという独特のアンサンブルがどうやって音楽にアプローチしているのか、どうやって活動を続け広げているのかが分かるようにもなっていました。
インタビューは聴き逃したところも多いですが、創始者であり第1バイオリン奏者のDavid Harringtonの話がちょこちょこ印象に残っています。クロノス・カルテットが生まれることになり今のようになるまでには彼の音楽への姿勢と行動がものすごく大きな役割を果たしていたんだ、ということが分かります。
インタビューでDavidがクロノスで弾いた曲について語るときって必ずといっていいほど「聴いたときから弾かないわけにはいけないと思った」的な事を言ってて。共演者のインタビューでも「Davidはあれだけ多忙なツアースケジュールでも常にCDを何枚も持ち運んでいて」というくだりがあったり。とにかく常に新しい音楽との出会いを求めている、その飽くなき好奇心がクロノスの活動を広げていった一因だと思います。
(その他にはDavidの言葉では「自分はクロノスで演奏するためにバイオリンを弾いているので自分をバイオリニストとしては捉えていない」とか「音楽において醜さも必要とされる場合もあり、なにより表現の豊かさを目指している」みたいなことを言ってたのが印象強かったです。自分も色々考えることが多い方面なので)
そしてもう一つの要因が人間のネットワーク。上記のように聴いて知った作曲家(国内外)にアプローチするだけではなくクロノスのコンサートに若い作曲家が自分の書いた楽譜を持ってくることもあるらしいですし、ここ10年ほど「Under 30's Project」という若い作曲家の発掘プロジェクトも開催していたり、とにかく機会作り、人と接点を作るのがものすごく上手なんだなという印象を受けました。
さらにクロノス・カルテットに去年入ったチェロのSunny Yangの話も面白かったですね。クロノスのオーディションでなんか見たこともない楽器を弾かなくちゃいけなかったとか(インターネットで検索したりしたそうです)、やっぱりクロノスは「普通の」弦楽四重奏ではないんだなと。
放送された音楽は知ってる曲も知らない曲も本当にたくさんあったのですがとりあえずオスバルド・ゴリホフとウラジミール・マルティノフの作品は要履修ですね。素晴らしい音楽ですし、「今」のクラシック音楽の一角を表しているような気がします。
それからオーストラリアのSculthorpeの弦楽四重奏もクロノスの演奏で是非欲しいですし、フィリップ・グラスのサイレント映画「Dracula」のための音楽も(しんどいですが独特の意味で)ツボりましたし、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの曲ももっと聴いてみたい。
それからクロノス・カルテットの代表作の一つであるスティーヴ・ライヒの「Different Trains」の演奏が手元にないのが自分でも信じられない(汗)ああいう人の語りが入る曲って(同じくライヒのWTC 911やクロノス外だとBrett DeanのVexations and Devotionsもそうですが)言葉の内容が分からないのにその指すところの雰囲気は音楽を通じて(声の調子は割と淡々としてたり)伝わってきたりするのがちょっとだけ苦手意識あるのですが、でも嫌いではないんです。
こんなにずっと音楽聴いてばっかりで飽きないかと言われればやっぱり音楽の多彩さもあって飽きないです・・・が、やっぱりこれだけ音楽聴いて、しかも半分以上初めましての曲でしたから結構疲れました(笑)でも本当に楽しかったです。クロノス・カルテットが今後も広く深く音楽の世界で活躍すること、そして5月発表されるはずの2014年シーズンにメルボルンでの公演が入ってることを強く願っています。あと4月上旬に届く予定のCD「A Thousand Thoughts」楽しみ!
そしてWQXRのサイトには英語記事ですがクロノス・カルテットのCDおすすめの10枚の記事がありました。CD購入の際には是非参考に。この中だとBlack Angelsがやっぱり基本かな、ある意味。クラシックからちょっと外にでたところだと楽しく聞けるNuevoやエキゾチックなFloodplainもおすすめ。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Black Angels」第1部「Departure」より「Threnody I: Night of the Elementic Insects」


クロノス・カルテットの始まりの始まりだったクラムの「Black Angels」。David Harringtonがこの曲を聴いて「これは弾かずにはいられない」発動、そこから最初のリハーサルが実現し、次も続けられるといいな、来週も続けられるといいな、が積み重なり40年のクロノスの歴史になったたそう。
その40年の中でいろんな音楽がクロノスのアンサンブルとしての性質・キャラクターを形作り、広げて新しい形にしていますが、この「Black Angels」の時点でも方向性はかなり決まってたように思われます。
従来の弦楽四重奏曲と違って「Black Angels」はエレキ弦楽器を使ったりアンプを使ったり、さらにはグラスハーモニカや銅鑼なども使い、弦楽器自体の音も従来の音色に限らず特殊奏法を使って耳障りとも思える音を出したり。今のクロノスにとってある意味基本になっている特徴ですね。
ただこの曲で求められる性質には従来の弦楽四重奏と共通するもの(そしてより強く求められるもの)もあります。それは4人の奏者が一体となること。個々の奏者の音が違い、個々の動きが目立つピアノ三重奏や木管五重奏と違って弦楽四重奏や金管五重奏は似たような音の楽器が集まり、アンサンブルが一つの生き物として動くことが大事になってきます。
この曲もその「一つの生き物感」がほんと凄い!生き物というかもはや現実に存在しないクリーチャーですが(笑)独特の電気的な、非現実的なキャラクターを作り出すには4人全員の意志と動きがぴたっと(縦も横も)あってることは絶対条件。
それが特にこの曲の冒頭から痛感されますね。ちょっと聞きめちゃくちゃな音楽(というかノイズ)に聞こえますが、もちょっと聴き込むと全部計算済なのがものすごく分かります。ぱっと強弱が変わったり、同じフレーズが別の奏者に違う形で現れたり(それをまた奏者が同じように弾くのがすごい)。
Black Angels独特の特徴といえば数字のこだわり。「7」と「13」が様々な形で繰り返し繰り返し繰り返し出てきます。奏者が様々な言語で数字をコールすることもあれば、音符の数や長さ、はたまた休符の長さなんかにも表れています。
その数字のこだわりは楽譜(A3よりでっかいはず)を見ると一番よくわかるのですがなんせ楽譜が入手しにくい。耳で探してみるのも面白いですよ。特に冒頭はわかりやすく「7」があります。
(傾向として聞きやすい楽章よりノイジーで聞きにくい楽章に数字が多く隠れているような)
ちょっと初めましてはショッキングな曲かもしれませんがそこを超えるといろんなレベルで面白い曲です。前述数字の話だったり、トリッキーな楽章タイトルだったり、作曲家は何を考えているんだろう、と自分なりに考えてみるにもいい曲だったりします(クラム全般そうですが)。
なによりクラムの代表的な作品として、そしてクロノス・カルテットの代表的な演奏としてものすごくおすすめの曲です。
リンクはもちろんクロノスの演奏。ついでにショスタコーヴィチの弦楽四重奏第8番もお楽しみに。
こちらでも何回か紹介しています現代音楽中心、でもそれに限らず多岐に活動しているクロノス・カルテット(弦楽四重奏ですがその性質からString QuartetでなくQuartetと名乗っています)。
彼らの活動40周年を記念してニューヨークのWQXRというラジオ局(クラシックを専門に現代音楽もたくさん扱っているみたいです)のQ2 Musicというチャンネルで現地時間3月24日0時から24時間ラジオマラソンを放送、ということで昨日のメルボルン時間午後3時から今日の3時半くらいまでご飯・お風呂・就寝中以外はずっと聴いていました。
プログラムはクロノスが生まれるきっかけとなったクラムの「Black Angels」に始まり、元々の専門分野である現代音楽を始め古音楽や映画音楽や様々な国の音楽、様々な音楽家との共演作品の録音を通じてクロノスの40年の歴史の長さ、広さと深さを味わえる24時間になっていました。
途中で短めでしたがコンサートを生中継の部分もあり。
(まだCDになってない演奏もありました。あと映画音楽は私が寝てる間に主にやってたようでちょっと残念)
音楽だけでなくメンバーだけでなく共演した音楽家とのインタビューなどもあり、クロノス・カルテットという独特のアンサンブルがどうやって音楽にアプローチしているのか、どうやって活動を続け広げているのかが分かるようにもなっていました。
インタビューは聴き逃したところも多いですが、創始者であり第1バイオリン奏者のDavid Harringtonの話がちょこちょこ印象に残っています。クロノス・カルテットが生まれることになり今のようになるまでには彼の音楽への姿勢と行動がものすごく大きな役割を果たしていたんだ、ということが分かります。
インタビューでDavidがクロノスで弾いた曲について語るときって必ずといっていいほど「聴いたときから弾かないわけにはいけないと思った」的な事を言ってて。共演者のインタビューでも「Davidはあれだけ多忙なツアースケジュールでも常にCDを何枚も持ち運んでいて」というくだりがあったり。とにかく常に新しい音楽との出会いを求めている、その飽くなき好奇心がクロノスの活動を広げていった一因だと思います。
(その他にはDavidの言葉では「自分はクロノスで演奏するためにバイオリンを弾いているので自分をバイオリニストとしては捉えていない」とか「音楽において醜さも必要とされる場合もあり、なにより表現の豊かさを目指している」みたいなことを言ってたのが印象強かったです。自分も色々考えることが多い方面なので)
そしてもう一つの要因が人間のネットワーク。上記のように聴いて知った作曲家(国内外)にアプローチするだけではなくクロノスのコンサートに若い作曲家が自分の書いた楽譜を持ってくることもあるらしいですし、ここ10年ほど「Under 30's Project」という若い作曲家の発掘プロジェクトも開催していたり、とにかく機会作り、人と接点を作るのがものすごく上手なんだなという印象を受けました。
さらにクロノス・カルテットに去年入ったチェロのSunny Yangの話も面白かったですね。クロノスのオーディションでなんか見たこともない楽器を弾かなくちゃいけなかったとか(インターネットで検索したりしたそうです)、やっぱりクロノスは「普通の」弦楽四重奏ではないんだなと。
放送された音楽は知ってる曲も知らない曲も本当にたくさんあったのですがとりあえずオスバルド・ゴリホフとウラジミール・マルティノフの作品は要履修ですね。素晴らしい音楽ですし、「今」のクラシック音楽の一角を表しているような気がします。
それからオーストラリアのSculthorpeの弦楽四重奏もクロノスの演奏で是非欲しいですし、フィリップ・グラスのサイレント映画「Dracula」のための音楽も(しんどいですが独特の意味で)ツボりましたし、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの曲ももっと聴いてみたい。
それからクロノス・カルテットの代表作の一つであるスティーヴ・ライヒの「Different Trains」の演奏が手元にないのが自分でも信じられない(汗)ああいう人の語りが入る曲って(同じくライヒのWTC 911やクロノス外だとBrett DeanのVexations and Devotionsもそうですが)言葉の内容が分からないのにその指すところの雰囲気は音楽を通じて(声の調子は割と淡々としてたり)伝わってきたりするのがちょっとだけ苦手意識あるのですが、でも嫌いではないんです。
こんなにずっと音楽聴いてばっかりで飽きないかと言われればやっぱり音楽の多彩さもあって飽きないです・・・が、やっぱりこれだけ音楽聴いて、しかも半分以上初めましての曲でしたから結構疲れました(笑)でも本当に楽しかったです。クロノス・カルテットが今後も広く深く音楽の世界で活躍すること、そして5月発表されるはずの2014年シーズンにメルボルンでの公演が入ってることを強く願っています。あと4月上旬に届く予定のCD「A Thousand Thoughts」楽しみ!
そしてWQXRのサイトには英語記事ですがクロノス・カルテットのCDおすすめの10枚の記事がありました。CD購入の際には是非参考に。この中だとBlack Angelsがやっぱり基本かな、ある意味。クラシックからちょっと外にでたところだと楽しく聞けるNuevoやエキゾチックなFloodplainもおすすめ。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Black Angels」第1部「Departure」より「Threnody I: Night of the Elementic Insects」
クロノス・カルテットの始まりの始まりだったクラムの「Black Angels」。David Harringtonがこの曲を聴いて「これは弾かずにはいられない」発動、そこから最初のリハーサルが実現し、次も続けられるといいな、来週も続けられるといいな、が積み重なり40年のクロノスの歴史になったたそう。
その40年の中でいろんな音楽がクロノスのアンサンブルとしての性質・キャラクターを形作り、広げて新しい形にしていますが、この「Black Angels」の時点でも方向性はかなり決まってたように思われます。
従来の弦楽四重奏曲と違って「Black Angels」はエレキ弦楽器を使ったりアンプを使ったり、さらにはグラスハーモニカや銅鑼なども使い、弦楽器自体の音も従来の音色に限らず特殊奏法を使って耳障りとも思える音を出したり。今のクロノスにとってある意味基本になっている特徴ですね。
ただこの曲で求められる性質には従来の弦楽四重奏と共通するもの(そしてより強く求められるもの)もあります。それは4人の奏者が一体となること。個々の奏者の音が違い、個々の動きが目立つピアノ三重奏や木管五重奏と違って弦楽四重奏や金管五重奏は似たような音の楽器が集まり、アンサンブルが一つの生き物として動くことが大事になってきます。
この曲もその「一つの生き物感」がほんと凄い!生き物というかもはや現実に存在しないクリーチャーですが(笑)独特の電気的な、非現実的なキャラクターを作り出すには4人全員の意志と動きがぴたっと(縦も横も)あってることは絶対条件。
それが特にこの曲の冒頭から痛感されますね。ちょっと聞きめちゃくちゃな音楽(というかノイズ)に聞こえますが、もちょっと聴き込むと全部計算済なのがものすごく分かります。ぱっと強弱が変わったり、同じフレーズが別の奏者に違う形で現れたり(それをまた奏者が同じように弾くのがすごい)。
Black Angels独特の特徴といえば数字のこだわり。「7」と「13」が様々な形で繰り返し繰り返し繰り返し出てきます。奏者が様々な言語で数字をコールすることもあれば、音符の数や長さ、はたまた休符の長さなんかにも表れています。
その数字のこだわりは楽譜(A3よりでっかいはず)を見ると一番よくわかるのですがなんせ楽譜が入手しにくい。耳で探してみるのも面白いですよ。特に冒頭はわかりやすく「7」があります。
(傾向として聞きやすい楽章よりノイジーで聞きにくい楽章に数字が多く隠れているような)
ちょっと初めましてはショッキングな曲かもしれませんがそこを超えるといろんなレベルで面白い曲です。前述数字の話だったり、トリッキーな楽章タイトルだったり、作曲家は何を考えているんだろう、と自分なりに考えてみるにもいい曲だったりします(クラム全般そうですが)。
なによりクラムの代表的な作品として、そしてクロノス・カルテットの代表的な演奏としてものすごくおすすめの曲です。
リンクはもちろんクロノスの演奏。ついでにショスタコーヴィチの弦楽四重奏第8番もお楽しみに。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
やっと仕事の1ラウンド目が終わりました。納期に対して多めの分量でしたがちょっと働く時間を延ばしたりスピードを上げたり家事・ピアノを若干怠ったりしてちょっと早めに作業終了。明日の朝ちょっと細かいところ見直して納品したいところ。
忙しさもそうですが終わる目処がつかない焦りと気が休まらないのもあり疲れが溜まりっぱなしで毎晩3DSを開いたまま寝落ちています。
ペースはたぶん落とせるとはいえまだ仕事は続くのでバテない程度に引き続き進めていきます。
そして最近は欲しいCDがとにかく多い!
WestlakeのCompassionやMissa Solisに、ラウタヴァーラの作品にも手を出したいですし、借りたりして手元に録音はあるけどCDとしては購入してないものまで気になって手元に置きたくなる。
ここで紹介できるペースはもちろん、聴いて自分の中で消化できるペースを保て!と自分に言い聞かせています。自制心自制心。
そうやって色々聴く音楽の幅を広げながら(弾くのを広げるのはもっともっと時間がかかります)ふと思うのはそれぞれの作曲家の音楽を好きになったきっかけ。特にここ数年は各方面貪るように聴き広げてますので改めて立ち止まって振り返ってみるのも大切だと思います。
これが例えばメシアンとかクラムみたいに幅広く濃く好きな作曲家だとかなり難しかったりします。元の元の元の・・・etc.の元はどうだったのか、どこが元だったのかよく分からない(笑)
そもそも曲を「好きになる」というのが複数段階あるような。
1)普通に選んで聴くレパートリーになった 2)積極的に新しく曲や録音を探して聴き広げるようになった 3)自分の心の中で特別な領域に殿堂入り
これだけで3段階。たぶんもっとある。そして「弾くようになった」はまたちょっと別のくくり。
もっと思考に余裕があるときにゆっくり探ってみたいです。
もっと思考に余裕があるときに、といえば以前からやりたいと思ってる「自分の音楽関連の体験やその他を小話としてちょろっとまとめたい」というのが(仕事からの頭のちょっとした逃避なのか)最近戻ってきて。ここみたいに詳細に、まめに書かなくてもいいけどキャッチーというかセンスのある文章にまとめるのが望ましくてそれが難しい。とりあえず今考えないどきましょうぜ。
そういえばこないだソチオリンピックの閉会式でショスタコーヴィチの音楽が使われたらしいですね。調べたら「舞台管弦楽のための組曲」(ジャズ組曲第2番と呼ばれるやつです)のワルツ第2番だそうです。そういえばこの曲は世界ふしぎ発見のヴェネツィアの回でも使われてたはず。
必ずしも「王道のショスタコらしい」曲ではないですが場にふさわしくてとても良い音楽です。
なんかそのショスタコが流れたって話を母から聞いてものすごくにやにやしちゃいました。ショスタコもソヴィエト政府と色々あったよなーってのを思ったり、そしてこうやって改めて「うちの国が誇る作曲家&音楽だよ!」と扱ってもらえたのも嬉しい。
すっごい嬉しい、というだけじゃなくてなんかもう身内のめでたい事を祝うのと同じ類いの嬉しさです。もうショスタコの音楽は身内として認識しているらしい(笑)メシアンやクラムの音楽を同じように扱ってもらっても全く同じ気持ちにはならないだろうなあ。
さて、手元の3DSではただ今ポケモンYでコリンクを厳選中。ダイヤモンド版でお世話になったレントラーをもう一回ちゃんと使ってみたいということで。厳選+努力値振りでどれくらい耐久・攻撃力が出るのかポテンシャルを最大にしてみたい。(あとでんきタイプにしては遅いのが果たしてどれくらいなのか知りたい)
でんきポケモンって使いたいほど好きなのが少なくて(だいたいそんなに速くない子たち)偏りがちなのですがレントラーは色々と重宝しそう。育てるのが楽しみです。
そろそろ書くことがなくなってきてるので今回はここらで。
ブログもじっくり考えて書くのが好きなので(そこが前述書きたいと思ってる小話とはまた違うところ)その余裕も欲しいです。
今日の一曲: Brett Dean バイオリン協奏曲「The Lost Art of Letter Writing」 第4楽章「Jerilderie, 1879」


以前コンサートで聴いて以来早く録音を手に入れて聴き込みたい!と思っていた曲。まだ録音が出ていない「ソクラテスの最後の日々」もそうですがDeanの音楽は一回生で聴いただけじゃ色んな意味で足りないです。
ちなみにあのコンサートと今でてるこの録音は同じ指揮者・同じソリストの演奏です。もちろんオケは違いますが(録音での演奏はシドニー響みたいです)。
さて、コンサートの感想でも書きましたがこの協奏曲は手紙を書くという「失われた芸術」をテーマに、19世紀に書かれた4つの手紙をモチーフにした作品です。
第1楽章はハンブルクでブラームス、第2楽章はハーグでゴッホ、第3楽章はウィーンでヴォルフとヨーロッパの芸術家が並びますが第4楽章は世界の裏、オーストラリアで盗賊・ブッシュレンジャー・義賊として名高いネッド・ケリーが書いた手紙がモチーフ。Deanのバックグラウンドを存分に活かしてますね。
従来のバイオリン協奏曲の形式通り最終楽章は超絶技巧で激しく盛り上がります(全部が全部そうではないですけどね、比較的最近の時代にその傾向が結構強いかな)。さらにDeanの音楽らしい複雑さ。激しいけどどこか理詰めな印象がこれまたかっこいいのです。そしてDeanの音楽といえば打楽器(あとピアノ)の裏での活躍がまたすごいので、主役は語り手&手紙の化身であるバイオリンなのですがその後ろのオケからも耳が離せません(なので一回じゃ足りない!)。
先の3つの楽章が親愛なる相手に書かれたものであるのに対し第4楽章の「ジェリルデリーの手紙」は自分に敵対する相手に訴える手紙。実際にコンサート場所に展示してあった手紙は(ちょっと見ただけでしたが)その時代にその立場の人間にしてはものすごく綺麗な筆跡で書かれていて、でも中身は(あとで調べた)激しい気持ちが迸っている。
そういうバックを知って初めて分かる、みたいなところがあるのですが、でも純粋にバイオリン協奏曲としても(プログラム的要素がなくても)ものすごい迫力と魅力のある曲です。理詰めで暴れるバイオリン格好いい!自分が好きなバイオリン協奏曲&かっこいいと思うバイオリン曲のリストに堂々の仲間入りです。
そしてこの一見難解な協奏曲の中だと一番とっつきやすいのはこの最終楽章だと思うんですよね。そこから切り開けるか。ただ元ネタをある程度知ってる楽章から攻めるって手ももちろんあります。
うーん、曲の魅力が全然伝わってない気がしますがここらで。
他にもBrett Deanの作品が収録されているこのCDですが初めましてで気になったのが「Devotions and Vexations」の第2楽章「Bell and Anti-Bell」。試聴では聴けませんが途中で入る人工音声の言葉が刺さり惑わすすごさ。いつか(もっと聴き込んで)紹介したいです。
やっと仕事の1ラウンド目が終わりました。納期に対して多めの分量でしたがちょっと働く時間を延ばしたりスピードを上げたり家事・ピアノを若干怠ったりしてちょっと早めに作業終了。明日の朝ちょっと細かいところ見直して納品したいところ。
忙しさもそうですが終わる目処がつかない焦りと気が休まらないのもあり疲れが溜まりっぱなしで毎晩3DSを開いたまま寝落ちています。
ペースはたぶん落とせるとはいえまだ仕事は続くのでバテない程度に引き続き進めていきます。
そして最近は欲しいCDがとにかく多い!
WestlakeのCompassionやMissa Solisに、ラウタヴァーラの作品にも手を出したいですし、借りたりして手元に録音はあるけどCDとしては購入してないものまで気になって手元に置きたくなる。
ここで紹介できるペースはもちろん、聴いて自分の中で消化できるペースを保て!と自分に言い聞かせています。自制心自制心。
そうやって色々聴く音楽の幅を広げながら(弾くのを広げるのはもっともっと時間がかかります)ふと思うのはそれぞれの作曲家の音楽を好きになったきっかけ。特にここ数年は各方面貪るように聴き広げてますので改めて立ち止まって振り返ってみるのも大切だと思います。
これが例えばメシアンとかクラムみたいに幅広く濃く好きな作曲家だとかなり難しかったりします。元の元の元の・・・etc.の元はどうだったのか、どこが元だったのかよく分からない(笑)
そもそも曲を「好きになる」というのが複数段階あるような。
1)普通に選んで聴くレパートリーになった 2)積極的に新しく曲や録音を探して聴き広げるようになった 3)自分の心の中で特別な領域に殿堂入り
これだけで3段階。たぶんもっとある。そして「弾くようになった」はまたちょっと別のくくり。
もっと思考に余裕があるときにゆっくり探ってみたいです。
もっと思考に余裕があるときに、といえば以前からやりたいと思ってる「自分の音楽関連の体験やその他を小話としてちょろっとまとめたい」というのが(仕事からの頭のちょっとした逃避なのか)最近戻ってきて。ここみたいに詳細に、まめに書かなくてもいいけどキャッチーというかセンスのある文章にまとめるのが望ましくてそれが難しい。とりあえず今考えないどきましょうぜ。
そういえばこないだソチオリンピックの閉会式でショスタコーヴィチの音楽が使われたらしいですね。調べたら「舞台管弦楽のための組曲」(ジャズ組曲第2番と呼ばれるやつです)のワルツ第2番だそうです。そういえばこの曲は世界ふしぎ発見のヴェネツィアの回でも使われてたはず。
必ずしも「王道のショスタコらしい」曲ではないですが場にふさわしくてとても良い音楽です。
なんかそのショスタコが流れたって話を母から聞いてものすごくにやにやしちゃいました。ショスタコもソヴィエト政府と色々あったよなーってのを思ったり、そしてこうやって改めて「うちの国が誇る作曲家&音楽だよ!」と扱ってもらえたのも嬉しい。
すっごい嬉しい、というだけじゃなくてなんかもう身内のめでたい事を祝うのと同じ類いの嬉しさです。もうショスタコの音楽は身内として認識しているらしい(笑)メシアンやクラムの音楽を同じように扱ってもらっても全く同じ気持ちにはならないだろうなあ。
さて、手元の3DSではただ今ポケモンYでコリンクを厳選中。ダイヤモンド版でお世話になったレントラーをもう一回ちゃんと使ってみたいということで。厳選+努力値振りでどれくらい耐久・攻撃力が出るのかポテンシャルを最大にしてみたい。(あとでんきタイプにしては遅いのが果たしてどれくらいなのか知りたい)
でんきポケモンって使いたいほど好きなのが少なくて(だいたいそんなに速くない子たち)偏りがちなのですがレントラーは色々と重宝しそう。育てるのが楽しみです。
そろそろ書くことがなくなってきてるので今回はここらで。
ブログもじっくり考えて書くのが好きなので(そこが前述書きたいと思ってる小話とはまた違うところ)その余裕も欲しいです。
今日の一曲: Brett Dean バイオリン協奏曲「The Lost Art of Letter Writing」 第4楽章「Jerilderie, 1879」
以前コンサートで聴いて以来早く録音を手に入れて聴き込みたい!と思っていた曲。まだ録音が出ていない「ソクラテスの最後の日々」もそうですがDeanの音楽は一回生で聴いただけじゃ色んな意味で足りないです。
ちなみにあのコンサートと今でてるこの録音は同じ指揮者・同じソリストの演奏です。もちろんオケは違いますが(録音での演奏はシドニー響みたいです)。
さて、コンサートの感想でも書きましたがこの協奏曲は手紙を書くという「失われた芸術」をテーマに、19世紀に書かれた4つの手紙をモチーフにした作品です。
第1楽章はハンブルクでブラームス、第2楽章はハーグでゴッホ、第3楽章はウィーンでヴォルフとヨーロッパの芸術家が並びますが第4楽章は世界の裏、オーストラリアで盗賊・ブッシュレンジャー・義賊として名高いネッド・ケリーが書いた手紙がモチーフ。Deanのバックグラウンドを存分に活かしてますね。
従来のバイオリン協奏曲の形式通り最終楽章は超絶技巧で激しく盛り上がります(全部が全部そうではないですけどね、比較的最近の時代にその傾向が結構強いかな)。さらにDeanの音楽らしい複雑さ。激しいけどどこか理詰めな印象がこれまたかっこいいのです。そしてDeanの音楽といえば打楽器(あとピアノ)の裏での活躍がまたすごいので、主役は語り手&手紙の化身であるバイオリンなのですがその後ろのオケからも耳が離せません(なので一回じゃ足りない!)。
先の3つの楽章が親愛なる相手に書かれたものであるのに対し第4楽章の「ジェリルデリーの手紙」は自分に敵対する相手に訴える手紙。実際にコンサート場所に展示してあった手紙は(ちょっと見ただけでしたが)その時代にその立場の人間にしてはものすごく綺麗な筆跡で書かれていて、でも中身は(あとで調べた)激しい気持ちが迸っている。
そういうバックを知って初めて分かる、みたいなところがあるのですが、でも純粋にバイオリン協奏曲としても(プログラム的要素がなくても)ものすごい迫力と魅力のある曲です。理詰めで暴れるバイオリン格好いい!自分が好きなバイオリン協奏曲&かっこいいと思うバイオリン曲のリストに堂々の仲間入りです。
そしてこの一見難解な協奏曲の中だと一番とっつきやすいのはこの最終楽章だと思うんですよね。そこから切り開けるか。ただ元ネタをある程度知ってる楽章から攻めるって手ももちろんあります。
うーん、曲の魅力が全然伝わってない気がしますがここらで。
他にもBrett Deanの作品が収録されているこのCDですが初めましてで気になったのが「Devotions and Vexations」の第2楽章「Bell and Anti-Bell」。試聴では聴けませんが途中で入る人工音声の言葉が刺さり惑わすすごさ。いつか(もっと聴き込んで)紹介したいです。
前回のエントリー2つに拍手ありがとうございます!
ここしばらくちょっと急ぎ目の仕事にぐるぐるしているのですがようやく目処がつきました。ちょっと長めに働いて&ペースを急ぎ目にしてちゃんと納期に間に合いそうです。
(あとピアノも短め。他の予定を詰め込むためもありますが筋肉の温存のためにも)
そんな中昨日はコンサート行きを詰め込みました。(最近ほんとシーズンの始まりで友達の含むコンサート関係多い!忙しくなくても行ききれないほどです。)
今回行ってきたのはAustralian Chamber Orchestra。White Nightで見たのはバーチャル映像でしたが今回は生で、そして室内オーケストラとしてのフル編成で。
プログラムは以下の通り。
バイオリン首席:Helena Rathbourne
ソプラノ:Dawn Upshaw
ジョン・アダムズ 「John's Book of Alleged Dances」より6曲(5曲+1曲目リピート)
エイノユハニ・ラウタヴァーラ 歌曲集「恋人たち」より「愛の歌」
エドヴァルド・グリーグ 「ペール・ギュント」より「ソルヴェイグの歌」
エドヴァルド・グリーグ 「ホルベアの時代より」
(休憩)
マリア・シュナイダー 「Winter Morning Walks」(クラリネット:Scott Robinson、ジャズベース:Jay Anderson、ピアノ:Frank Kimbrough)
エドワード・エルガー 「序奏とアレグロ」
色んな音楽でよりどりみどりのコンサートでした。以前のエントリーで紹介しましたが「Winter Morning Walks」はその録音が今年グラミー賞を受賞していて、今回の演奏はその時と同じメンバー。オーストラリアの各都市をツアーで回って最後の公演が今回のHamer Hallでした。
ACO Virtualの時も書きましたがなんといってもアンサンブルの綿密さがすごい。たまにちょっと怖くなるくらいに「複数の人間が違う楽器を弾いてるのに一つになった音」が聞こえる。同時に弦の響きというのがものすごく弦で、木で。弦楽器の音とチームワークを存分に味わえる演奏でした。
ちょっとぴんとこなかったのが最初と最後の2曲。ジョン・アダムズはもっと良い曲書いているしアンサンブルも他の曲ほどは発揮されたなかった印象。(ただ魅力的なところちょこちょこありましたね。全体的に現代の風景で、「Pavane: She's so fine」ではティーンエイジャーの女の子の部屋の風景が親しみ深く。)
エルガーはそもそもエルガー自体自分がぴんとくる曲が少ない方なような気がします。ただ途中のフーガの部分で主題をパスしあうところで弓使いとキャラクターをそれぞれ変えてたのがちょっと印象に残ってます。
「ホルベアの時代より」はよく知ってる曲の良い演奏で特に目立ってここで書くことはないかな。
前半の歌曲2曲はものすごく好きでした。ラウタヴァーラは前々からフォローアップせなと思って田のですが歌曲からアプローチしてみてもいいかも。ちょうど今回の「愛の歌」の詩がリルケの詩の中でも好きな詩でいい出会い方になりました。
Dawn Upshawの歌声がまた私の好きな歌声でした。なんか派手じゃないというか飾らないというか。すっと自然に声が出てる感じ。だから音楽そのものの素材もACOの弦の音も活きる。低い音域でも弱音でも労力を感じなく、でもまっすぐ響く声でした。
そしてシュナイダーの「Winter Morning Walks」はクラシックとジャズの融合。そのバランスは楽章によって変わるのですが、クラシック部分はちょっと印象派みたいな響きもありながら新鮮なスタイルもあり。
何より詩の風景を描く風景的・映像的なエレメントが強くて音楽によって感情部分を足すようなことがなかったのが面白く、そして好きでした。景色が見えて心にしみこむ音楽。ただたまにジャズのエレメントの強さがその雰囲気に逆に邪魔になるようなところもあったかもなあ、とも思います。あんまり既成のスタイルにとらわれないところの方がよかった。
今回のコンサートで偶然ユースオケから大学まで一緒だったチェロ仲間(同い年)がACOで弾いてたので後でちょっと挨拶に行きました。数年ぶりの再会。大学時代に彼に「チェリストとしての耳」を信頼してもらったのが懐かしい。ACOは次のツアーがもう3週間後に始まるみたいですがその前にちょっと会って話したいね、と言ってたので仕事をなんとか頑張らなければ(汗)
さて、出かける用事もとりあえず一段落。今週の残りは仕事をしっかりやる。ちょっと腕指も疲れ気味なので無理はできませんが。(ペースは今回ほど切羽詰まってはいませんがまだまだ次もその次もありますしね)
実際腕指に今ものすごく腕指が疲れているので今日の一曲はお休み。溜まってるのにキューが・・・(汗)
とりあえずラウタヴァーラをこんど購入したいです。歌曲のみならず。でも歌曲からかなあ。リルケもそうですがロルカの詩でも歌曲書いてるみたいなので。
ここしばらくちょっと急ぎ目の仕事にぐるぐるしているのですがようやく目処がつきました。ちょっと長めに働いて&ペースを急ぎ目にしてちゃんと納期に間に合いそうです。
(あとピアノも短め。他の予定を詰め込むためもありますが筋肉の温存のためにも)
そんな中昨日はコンサート行きを詰め込みました。(最近ほんとシーズンの始まりで友達の含むコンサート関係多い!忙しくなくても行ききれないほどです。)
今回行ってきたのはAustralian Chamber Orchestra。White Nightで見たのはバーチャル映像でしたが今回は生で、そして室内オーケストラとしてのフル編成で。
プログラムは以下の通り。
バイオリン首席:Helena Rathbourne
ソプラノ:Dawn Upshaw
ジョン・アダムズ 「John's Book of Alleged Dances」より6曲(5曲+1曲目リピート)
エイノユハニ・ラウタヴァーラ 歌曲集「恋人たち」より「愛の歌」
エドヴァルド・グリーグ 「ペール・ギュント」より「ソルヴェイグの歌」
エドヴァルド・グリーグ 「ホルベアの時代より」
(休憩)
マリア・シュナイダー 「Winter Morning Walks」(クラリネット:Scott Robinson、ジャズベース:Jay Anderson、ピアノ:Frank Kimbrough)
エドワード・エルガー 「序奏とアレグロ」
色んな音楽でよりどりみどりのコンサートでした。以前のエントリーで紹介しましたが「Winter Morning Walks」はその録音が今年グラミー賞を受賞していて、今回の演奏はその時と同じメンバー。オーストラリアの各都市をツアーで回って最後の公演が今回のHamer Hallでした。
ACO Virtualの時も書きましたがなんといってもアンサンブルの綿密さがすごい。たまにちょっと怖くなるくらいに「複数の人間が違う楽器を弾いてるのに一つになった音」が聞こえる。同時に弦の響きというのがものすごく弦で、木で。弦楽器の音とチームワークを存分に味わえる演奏でした。
ちょっとぴんとこなかったのが最初と最後の2曲。ジョン・アダムズはもっと良い曲書いているしアンサンブルも他の曲ほどは発揮されたなかった印象。(ただ魅力的なところちょこちょこありましたね。全体的に現代の風景で、「Pavane: She's so fine」ではティーンエイジャーの女の子の部屋の風景が親しみ深く。)
エルガーはそもそもエルガー自体自分がぴんとくる曲が少ない方なような気がします。ただ途中のフーガの部分で主題をパスしあうところで弓使いとキャラクターをそれぞれ変えてたのがちょっと印象に残ってます。
「ホルベアの時代より」はよく知ってる曲の良い演奏で特に目立ってここで書くことはないかな。
前半の歌曲2曲はものすごく好きでした。ラウタヴァーラは前々からフォローアップせなと思って田のですが歌曲からアプローチしてみてもいいかも。ちょうど今回の「愛の歌」の詩がリルケの詩の中でも好きな詩でいい出会い方になりました。
Dawn Upshawの歌声がまた私の好きな歌声でした。なんか派手じゃないというか飾らないというか。すっと自然に声が出てる感じ。だから音楽そのものの素材もACOの弦の音も活きる。低い音域でも弱音でも労力を感じなく、でもまっすぐ響く声でした。
そしてシュナイダーの「Winter Morning Walks」はクラシックとジャズの融合。そのバランスは楽章によって変わるのですが、クラシック部分はちょっと印象派みたいな響きもありながら新鮮なスタイルもあり。
何より詩の風景を描く風景的・映像的なエレメントが強くて音楽によって感情部分を足すようなことがなかったのが面白く、そして好きでした。景色が見えて心にしみこむ音楽。ただたまにジャズのエレメントの強さがその雰囲気に逆に邪魔になるようなところもあったかもなあ、とも思います。あんまり既成のスタイルにとらわれないところの方がよかった。
今回のコンサートで偶然ユースオケから大学まで一緒だったチェロ仲間(同い年)がACOで弾いてたので後でちょっと挨拶に行きました。数年ぶりの再会。大学時代に彼に「チェリストとしての耳」を信頼してもらったのが懐かしい。ACOは次のツアーがもう3週間後に始まるみたいですがその前にちょっと会って話したいね、と言ってたので仕事をなんとか頑張らなければ(汗)
さて、出かける用事もとりあえず一段落。今週の残りは仕事をしっかりやる。ちょっと腕指も疲れ気味なので無理はできませんが。(ペースは今回ほど切羽詰まってはいませんがまだまだ次もその次もありますしね)
実際腕指に今ものすごく腕指が疲れているので今日の一曲はお休み。溜まってるのにキューが・・・(汗)
とりあえずラウタヴァーラをこんど購入したいです。歌曲のみならず。でも歌曲からかなあ。リルケもそうですがロルカの詩でも歌曲書いてるみたいなので。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
前回のエントリー書いた夜にいつもよりも早くに急激な眠気が来てどうしたんだろうなーと思ったら仕事に新しいCDに新しい本にピアノにWhite Night下調べにカメラ調べに要するに頭に色々いっぺんに詰め込みすぎたようで。久しぶりの感覚。
昨日は行ってきましたメル響のSidney Myer Bowlでの無料野音コンサート。
大学で一緒にトリオを組んでたホルンの子と一緒に行ってきました。あの子と一緒だと大抵女の子の集まりになりますね。後ろの方の真ん中といういいスポットを場所取りしてくれて大変ありがたいです。
プログラムはこんな感じ:
レナード・バーンスタイン 「ウェスト・サイド・ストーリー」からの交響的舞曲
ジョージ・ガーシュイン パリのアメリカ人
(休憩)
Nigel Westlake & Lior 「Compassion」(歌:Lior)
(前半はBenjamin Northey指揮、後半はNigel Westlake指揮)
前半はよく知る&弾いたこともある楽しいアメリカ音楽2曲。あんまりはっちゃけないしっかりした演奏でした(というかウェスト・サイド・ストーリーに関してははっちゃけた演奏に出会いやすい傾向にあるからなあ)。
そんななかでゲスト奏者のサキソフォン(パリのアメリカ人では3人)が割とJazzyな軽妙な感じで弾いていて、例えれば平成教育学院に中野君が最初に来た時みたいな印象(必ずしも浮いているというわけではなく)。
そして今回の目玉の後半。
オーストラリアの作曲家WestlakeとシンガーソングライターLiorの共作「Compassion」。
Westlakeは映画を始めオーストラリアでは有名ですが、この大作の演奏には一昨年Sidney Myer Bowlでメル響により演奏された「Missa Solis: Requiem for Eli」の成功が背景としてあるそうで(行けなかったその年!)
これまでも様々なオーストラリアの作曲家と一緒に音楽を作ってきて、その都度共演する相手のスタイルを活かしてきたWestlake今回オーストラリアでレコードの賞をとっているLiorとどんな音楽を作るのか楽しみにしていた人は多いはず。(お客さんの入りもものすごかったです)
「Compassion」は一言で言えばアラビア、ヘブライとオーストラリアの融合。
Liorはオーストラリアの人ですがルーツは中東系でヘブライ語を堪能に話すらしく、そんな彼がヘブライとイスラムの教典から歌詞を作ろうと提案したそうです。
イスラム教とユダヤ・キリスト教は教えも似ていますし音楽のスタイルも似てて、さらにLiorによるとアラビア語・ヘブライ語で言語も似ているところがあるそう。
作品を通じてメロディーは中東のスタイルなのでおそらくLiorがメロディーを担当していて、バックのオケの部分はがっつりWestlakeの映画音楽にもあるようなスタイルなのでそういう分担の仕方だったのかな。
とにかくLiorの歌が素晴らしかった!今日ちょっと彼のアルバムを聴いてみましたが、それを聴く限りかなり歌が上手いちょっと懐かしいところのあるポップの歌い手なのですが、今回の「Compassion」ではそれを大きく超えて広い声域をフルに使い、さらに中東の歌のスタイルをネイティブに歌いこなして。それだけでなく表現の豊かさが半端なく、どんなパッセージを歌っても楽々歌ってるように聞こえる。
そしてWestlakeの音楽もよかったです。この作品は7つの楽章から成り立っててスローな楽章の美しさがまず際立つのですが、テンポが速い楽章も魅力的でした。シンバルの使い方(実際使ってるシンバルが普段と一緒かどうかは見えなかった)は中東風なのですが、リズムはものすごくオーストラリアの躍動感いっぱい。やっぱりメル響は打楽器です。
(この曲はすでにCDが出てて、そっちはシドニー交響楽団が弾いてるのですがシドニーが小さめの綺麗なそろった粒になってるのと対照的にメルボルンはダイナミックな打楽器群。Missa Solisのメル響録音も合わせて比べて見るとちょっと面白いですね。)
もう全部合わせて素晴らしい演奏でした。ほんと私中東周りの音楽大好きです。
そしてここ数年何かとそっち系統の音楽に出会う機会がちょこちょこあって嬉しい。(そしてとにかく素晴らしい音楽にすごく頻繁に出会えてほんと贅沢な日々を過ごしています)
そしてこのコンサートでもっとオーストラリアの人がオーストラリアのクラシック音楽に注目してくれるといいなあ、とも思います。Westlakeはそこんとこキーパーソンなんじゃないかな。
そしてコンサート後は大学の音楽仲間周りで聴衆組・メル響奏者組交えてArts Centreのバレリーナのスカートの下にあるCurve Barで飲みました。(あそこハウスワインがYering Stationなんですね)
大学時代から海外や別の州に行く人もいるとはいえ、5年経っても10年経ってもコンサートで集まって一緒に音楽の話や他の話(地図の図法とかトカゲの生態とか)で盛り上がれる、というのはどこか安心するし、心地いい。そしてまだまだ自分は音楽周りの人に支えられたり覚えられたりするし、この集まりにいるだけでも心地いいけどもっと音楽やりたいよなーというモチベーションが供給されて。
今メル響で裏方やってる(でもMissa Solisでは打楽器演奏した)友達が「カジュアルプレイヤーに登録してもらった方がいいよ!」って後押ししてくれたので今年Stonnington Symphonyで経験を積みながらもう一回履歴書提出させてもらおうかな・・・と考え中。今はちょっと早いかどうだろう。悩む。もっと音楽&オケしたいぜ!
そういえば私はどうやらなにかと(母を筆頭に)ホルン奏者をちょっと近くに引き寄せるような磁石的なものが埋め込まれているのかなんなのか、今回もたまたま隣に座った初めましての人がホルン奏者だった。チェロ率もビオラ率もそこそこ高いけどホルンらしい。
さて、Sidney Myer Bowlでのコンサートはまだ2つありますがまだまだ忙しくてちょっと参戦できそうにないのが残念。コンサートを聴きに行くこと自体もそうですが音楽友達とたむろする機会も今年は増やしたいです。
今日の一曲: レナード・バーンスタイン 「ウェスト・サイド・ストーリー」による交響的舞曲


CompassionはCD購入必至なのでそのときにゆっくり。(とりあえずiTunes storeで試聴できます。ついでにMissa Solisはこちら。)
オーケストラでやって必ず楽しいのがこの曲。いつでもどこでも楽しい。親しみやすさだけではなく、実際奏者にとっても弾き応えがあってかつ楽しむ余裕がある。
ちゃんとそこんところ両立してる辺りバーンスタインは凄い(さらに彼はもっとがっつり現代音楽な曲も作曲してるんです。そこもすごい)。
なんといっても一番盛り上がるのはマンボですね。オケが(というか主に弦楽器が)「マンボ!」というのも楽しいですし、とにかく派手に盛り上がれる。劇中でもマンボは二つのギャングの中立地帯でみんなが踊りまくるシーンなので本当に色んな物を忘れて踊るとこなんです。
ちなみに大学に在学してたころから「とんでもなくはっちゃけた」マンボとして有名な動画がこのベネズエラのユースオケの演奏。思わず笑っちゃうくらいです。
今回の演奏で特にかっこよかったのがCoolとその次のCool Fugueの部分。前述の通りちょっと真面目な感じの演奏でしたがそのぴしっと締まったところにあるジャズな感じのかっこよさ。
ドラムキットが淡々とリズムを刻む中どんどんソロ楽器が前にでてくる、ちょっとモデルのキャットウォークみたいな計算された登場・・・みたいな。
で、私のお気に入りはチェレスタが多く活躍するスケルツォ。前この曲紹介した(はず)とき書いたと思うのですが、この曲は主人公の1人トニーが見た「自由になる場所の夢」の音楽で、他の音楽とはちょっと曲調が違ってささやかな特別感があって。あとチェレスタ。チェレスタの音は夢の音ですよ。チェレスタソロの曲として弾きたい。
手持ちの録音はバーンスタイン自身が指揮しているやつなのですがこの録音「マンボ!」コールもスケルツォでの指パッチンも入ってないんです。不思議だなーと思いつつ日々聴いているわけですが。
なのでリンクは別にしました(チェックしたら上記どっちも入ってました)。こっちもCDの一部はバーンスタインが指揮してて、交響曲第1番という純クラシック方面作品も入ってます。バーンスタインの交響曲だと手持ちは第3番だけで、まだあんまり把握できてないのですが面白い作品なので第1番も期待高いです。
前回のエントリー書いた夜にいつもよりも早くに急激な眠気が来てどうしたんだろうなーと思ったら仕事に新しいCDに新しい本にピアノにWhite Night下調べにカメラ調べに要するに頭に色々いっぺんに詰め込みすぎたようで。久しぶりの感覚。
昨日は行ってきましたメル響のSidney Myer Bowlでの無料野音コンサート。
大学で一緒にトリオを組んでたホルンの子と一緒に行ってきました。あの子と一緒だと大抵女の子の集まりになりますね。後ろの方の真ん中といういいスポットを場所取りしてくれて大変ありがたいです。
プログラムはこんな感じ:
レナード・バーンスタイン 「ウェスト・サイド・ストーリー」からの交響的舞曲
ジョージ・ガーシュイン パリのアメリカ人
(休憩)
Nigel Westlake & Lior 「Compassion」(歌:Lior)
(前半はBenjamin Northey指揮、後半はNigel Westlake指揮)
前半はよく知る&弾いたこともある楽しいアメリカ音楽2曲。あんまりはっちゃけないしっかりした演奏でした(というかウェスト・サイド・ストーリーに関してははっちゃけた演奏に出会いやすい傾向にあるからなあ)。
そんななかでゲスト奏者のサキソフォン(パリのアメリカ人では3人)が割とJazzyな軽妙な感じで弾いていて、例えれば平成教育学院に中野君が最初に来た時みたいな印象(必ずしも浮いているというわけではなく)。
そして今回の目玉の後半。
オーストラリアの作曲家WestlakeとシンガーソングライターLiorの共作「Compassion」。
Westlakeは映画を始めオーストラリアでは有名ですが、この大作の演奏には一昨年Sidney Myer Bowlでメル響により演奏された「Missa Solis: Requiem for Eli」の成功が背景としてあるそうで(行けなかったその年!)
これまでも様々なオーストラリアの作曲家と一緒に音楽を作ってきて、その都度共演する相手のスタイルを活かしてきたWestlake今回オーストラリアでレコードの賞をとっているLiorとどんな音楽を作るのか楽しみにしていた人は多いはず。(お客さんの入りもものすごかったです)
「Compassion」は一言で言えばアラビア、ヘブライとオーストラリアの融合。
Liorはオーストラリアの人ですがルーツは中東系でヘブライ語を堪能に話すらしく、そんな彼がヘブライとイスラムの教典から歌詞を作ろうと提案したそうです。
イスラム教とユダヤ・キリスト教は教えも似ていますし音楽のスタイルも似てて、さらにLiorによるとアラビア語・ヘブライ語で言語も似ているところがあるそう。
作品を通じてメロディーは中東のスタイルなのでおそらくLiorがメロディーを担当していて、バックのオケの部分はがっつりWestlakeの映画音楽にもあるようなスタイルなのでそういう分担の仕方だったのかな。
とにかくLiorの歌が素晴らしかった!今日ちょっと彼のアルバムを聴いてみましたが、それを聴く限りかなり歌が上手いちょっと懐かしいところのあるポップの歌い手なのですが、今回の「Compassion」ではそれを大きく超えて広い声域をフルに使い、さらに中東の歌のスタイルをネイティブに歌いこなして。それだけでなく表現の豊かさが半端なく、どんなパッセージを歌っても楽々歌ってるように聞こえる。
そしてWestlakeの音楽もよかったです。この作品は7つの楽章から成り立っててスローな楽章の美しさがまず際立つのですが、テンポが速い楽章も魅力的でした。シンバルの使い方(実際使ってるシンバルが普段と一緒かどうかは見えなかった)は中東風なのですが、リズムはものすごくオーストラリアの躍動感いっぱい。やっぱりメル響は打楽器です。
(この曲はすでにCDが出てて、そっちはシドニー交響楽団が弾いてるのですがシドニーが小さめの綺麗なそろった粒になってるのと対照的にメルボルンはダイナミックな打楽器群。Missa Solisのメル響録音も合わせて比べて見るとちょっと面白いですね。)
もう全部合わせて素晴らしい演奏でした。ほんと私中東周りの音楽大好きです。
そしてここ数年何かとそっち系統の音楽に出会う機会がちょこちょこあって嬉しい。(そしてとにかく素晴らしい音楽にすごく頻繁に出会えてほんと贅沢な日々を過ごしています)
そしてこのコンサートでもっとオーストラリアの人がオーストラリアのクラシック音楽に注目してくれるといいなあ、とも思います。Westlakeはそこんとこキーパーソンなんじゃないかな。
そしてコンサート後は大学の音楽仲間周りで聴衆組・メル響奏者組交えてArts Centreのバレリーナのスカートの下にあるCurve Barで飲みました。(あそこハウスワインがYering Stationなんですね)
大学時代から海外や別の州に行く人もいるとはいえ、5年経っても10年経ってもコンサートで集まって一緒に音楽の話や他の話(地図の図法とかトカゲの生態とか)で盛り上がれる、というのはどこか安心するし、心地いい。そしてまだまだ自分は音楽周りの人に支えられたり覚えられたりするし、この集まりにいるだけでも心地いいけどもっと音楽やりたいよなーというモチベーションが供給されて。
今メル響で裏方やってる(でもMissa Solisでは打楽器演奏した)友達が「カジュアルプレイヤーに登録してもらった方がいいよ!」って後押ししてくれたので今年Stonnington Symphonyで経験を積みながらもう一回履歴書提出させてもらおうかな・・・と考え中。今はちょっと早いかどうだろう。悩む。もっと音楽&オケしたいぜ!
そういえば私はどうやらなにかと(母を筆頭に)ホルン奏者をちょっと近くに引き寄せるような磁石的なものが埋め込まれているのかなんなのか、今回もたまたま隣に座った初めましての人がホルン奏者だった。チェロ率もビオラ率もそこそこ高いけどホルンらしい。
さて、Sidney Myer Bowlでのコンサートはまだ2つありますがまだまだ忙しくてちょっと参戦できそうにないのが残念。コンサートを聴きに行くこと自体もそうですが音楽友達とたむろする機会も今年は増やしたいです。
今日の一曲: レナード・バーンスタイン 「ウェスト・サイド・ストーリー」による交響的舞曲
CompassionはCD購入必至なのでそのときにゆっくり。(とりあえずiTunes storeで試聴できます。ついでにMissa Solisはこちら。)
オーケストラでやって必ず楽しいのがこの曲。いつでもどこでも楽しい。親しみやすさだけではなく、実際奏者にとっても弾き応えがあってかつ楽しむ余裕がある。
ちゃんとそこんところ両立してる辺りバーンスタインは凄い(さらに彼はもっとがっつり現代音楽な曲も作曲してるんです。そこもすごい)。
なんといっても一番盛り上がるのはマンボですね。オケが(というか主に弦楽器が)「マンボ!」というのも楽しいですし、とにかく派手に盛り上がれる。劇中でもマンボは二つのギャングの中立地帯でみんなが踊りまくるシーンなので本当に色んな物を忘れて踊るとこなんです。
ちなみに大学に在学してたころから「とんでもなくはっちゃけた」マンボとして有名な動画がこのベネズエラのユースオケの演奏。思わず笑っちゃうくらいです。
今回の演奏で特にかっこよかったのがCoolとその次のCool Fugueの部分。前述の通りちょっと真面目な感じの演奏でしたがそのぴしっと締まったところにあるジャズな感じのかっこよさ。
ドラムキットが淡々とリズムを刻む中どんどんソロ楽器が前にでてくる、ちょっとモデルのキャットウォークみたいな計算された登場・・・みたいな。
で、私のお気に入りはチェレスタが多く活躍するスケルツォ。前この曲紹介した(はず)とき書いたと思うのですが、この曲は主人公の1人トニーが見た「自由になる場所の夢」の音楽で、他の音楽とはちょっと曲調が違ってささやかな特別感があって。あとチェレスタ。チェレスタの音は夢の音ですよ。チェレスタソロの曲として弾きたい。
手持ちの録音はバーンスタイン自身が指揮しているやつなのですがこの録音「マンボ!」コールもスケルツォでの指パッチンも入ってないんです。不思議だなーと思いつつ日々聴いているわけですが。
なのでリンクは別にしました(チェックしたら上記どっちも入ってました)。こっちもCDの一部はバーンスタインが指揮してて、交響曲第1番という純クラシック方面作品も入ってます。バーンスタインの交響曲だと手持ちは第3番だけで、まだあんまり把握できてないのですが面白い作品なので第1番も期待高いです。