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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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ピアノ再始動
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日はどうも風邪をひいたようでいつもの咳とはちょっと違う咳の重みと頭痛、それから全体的な「風邪感」に悩まされています。
どうも身体的な痛みとか不快感とかに我慢が強くないような。仕事もピアノもしましたがそれでも。わりと「やだなー耐えたくないなー」と思う閾値が低いような気がします。

ピアノは昨日から始めました。
ピアノに触るのも久しぶりですがレパートリーのほぼまっさらな状態から始めてるのでまだまだどこから手を着けて良いかわからない。
(頭痛があると余計に難しいこと考えたくないですしハードな曲は弾きたくない)

とりあえず次回演奏で弾くかどうかわからないけど弾いておきたいドビュッシーの「映像」第1集の「水の反映」は真面目に練習してます。「映像」はこれで一応コンプリートになりますからね。シチュエーションによってはこれ単品でも演奏できますし。
「水の反映」はドビュッシーのピアノ作品の中でも特に好きな曲で、特に先生の演奏が好きで。水というエレメントへの思い入れを含め色々形にできれば、と思ってます。

今考えてるコンセプトだと武満の「雨の木素描II」はリサイタルプログラムに入るかなーと。
アイディアに近いところにありますし、前々から演奏したいと思ってましたし。(ただ前弾いてはいるので今から練習しなくてもいいかな)
ただ3分とかそこらの短い曲なんでここからプログラムを作り上げるのには向いてない。
「雨の木素描II」は面白い曲なんですよね。曲を捧げた相手であり大きな影響を受けているメシアンの面影はもちろん、自分のなかでは武満以外の作曲家でいうとラヴェルの夜ガスの「ウンディーネ」とか上記ドビュッシーの「水の反映」とかと兄弟曲なイメージ。探したらきっと他にもある。
日本人の作曲家の作品なんですが、自分が日本人だからって他の人と比べて特別通じるところは意外とないかな、と思います。(むしろ日本人的な感性はメシアンとかクラムあたりで活きてくるようなイメージが。個人の感想ですが。)

他には前奏曲とフーガを対でバッハ(第2巻嬰ニ短調)とショスタコーヴィチ(嬰ト短調)、というのは考えてますしいい機会なので弾いてます。自分には珍しく(?)♯がたくさんある調なので(バッハは6つ、ショスタコは5つ)それだけでもちょっと難しいんですよね。楽譜面が。

メシアンは相変わらず選択肢が多い。
プログラム組むかどうかにかかわらず再度挑戦予定の「喜びの聖霊のまなざし」、夜の鳥担当の「モリフクロウ」と「モリヒバリ」(ただし短いし前弾いてるのでまだ弾かなくて良い)、それに追加として今回日本で買って来た前奏曲集からいくつか弾きたいのがあります。
メシアンの前奏曲はまなざしよりさらに初期の作品なのですが、まなざしや鳥カタ、練習曲とはちょっと別の繊細さが求められたり、それからまだ音楽言語が発展途上で掴みにくいところがあったりで自分にとっては結構難しい音楽です。
モリフクとモリヒバリが夜の闇=黒いメシアンなら今回弾きたいなと思ってる「夢の中の触れ得ない音」、「苦悩の鐘と告別の涙」、「風の反映」は色彩鮮やかな虹色のメシアン。どちらも捨てがたいです。

あとは大学で何を借りようかな、と。(明日風邪っぽくなかったら探しにいきたい)
探してる色はヒンデミットの1922年組曲とかアデスのピアノ曲とか、あと楽譜は手元にあるスクリャービンあたりでなんか見つからないかなーと。どれも弾くきっかけが欲しい曲でもあるんですよね。

前回がおとなしかったわけじゃないですが今回のプログラムはもっと強烈にしたいなー暴れたいなー(誰の影響でしょうねえ)と思ってるので、これまで弾いたことないエリアにもちょろっと手出すことになるでしょうし、あと体力・技巧的にちょっと自分を押していくことが必要になるでしょうし。
ピアノを再開して色々「何弾こうかわかんねーよー」状態にはなってるのですがそういうチャレンジが待ってることを考えるとやっぱり楽しみです。

さて、葛根湯は食前に飲みましたがまだまだ頭痛いのでちゃっちゃと今日の一曲書いて終わりにします。
明日はちゃんと時間が空いてるので楽譜借りにいける状態になってますように。


今日の一曲: Gary Burton & Chick Corea 「La Fiesta」



まずは父のコレクションから。ftaとか聖飢魔IIとかちょっと聴き込んだ曲を紹介しようとも思ったのですが今日仕事しながらここら辺聴いててちょっとばかり惚れてしまったのでその勢いをを優先しました。

7月に母校で弾いたあのコンサートの裏側で、昔はいなかったけど今学校でピアノを教えてるロシア人のおじさんと長々と話をしてたのですが、その時「これは聴いとけ」という奏者のリストをジャンル色々ミックスで書いてくれて。その中にジャズピアニストの名前もいくつかあって、Chick Coreaならうちの父が持ってるじゃないかということで今回の一時帰国で父のコレクションからいただいたわけです。
で、Chick Corea関連のCDをいくつか聴いていたなかでこのGary Burtonというビブラフォーン奏者との共演のCDから「La Fiesta」が特別耳を引いたという経緯。

もともとビブラフォーンという楽器が好きで。というかオケではよくチェレスタと音が似てたり似たようなパート(というかチェレスタが「それくれ!」と言いたくなるパート)を弾いてたりで親近感もあり、チェレスタという楽器について考えるときも参考にしていた楽器でもあり。
でもオケで使われてるのはビブラフォーンのキャパのほんの一部で(今はそれも変わってるかな)、打楽器のソロ作品とかジャズとかのビブラフォーンの立ち回りもほんとかっこいいなーということを最近知るようになってきました。

この「La Fiesta」に惹かれたのはやっぱりその色彩の変化というか、全く予測できない音楽の展開のなかでの広がりが魅力的で。ハーモニーとリズムがうまいこと音楽のvehicleになってて、曲がる角々が常に新鮮でわくわくする。
仕事BGMにもほどよい刺激ですがじっくり聴いても飽きがこなさそうな音楽です。

ジャズという音楽の性質上同じ「La Fiesta」でも演奏によって色々バージョンがあって、ようつべでも色んな演奏がアップされています。
今ちょっと見て面白いと思ったのがこの演奏。ピアノの中を弾く特殊奏法がいきなり出てきます。本当にこの曲を色々聞き比べるだけで何時間も過ごせてしまいそう(汗)
他にも色々あるので調べてみてください。

父の持っている録音がmp3アルバムであるようだったのでリンクしてみました。
ビブラフォーンの音を知らない、という方は特におすすめです。面白い楽器ですよー。いわゆる「鉄琴」とはひと味も蓋味も違う魅力的な楽器です。

拍手[1回]

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無事終了しました。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。

無事リサイタルを終えてきました。
<ピアノリサイタル 「Tableaux」>
9月28日 午後2時半開演
Richmond Uniting Church
プログラム:
メシアン 「鳥のカタログ」より第3曲「イソヒヨドリ」
ドビュッシー 「映像」第2集
メシアン 「鳥のカタログ」より第8曲「ヒメコウテンシ」
フォーレ 前奏曲 op.103より第3、8、6、5、7番
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」op.39より第4、8、7番
メシアン 「鳥のカタログ」より第13曲「ダイシャクシギ」

ちょこちょこ「ここで!?」みたいなミスはあったものの概ね良い演奏ができました。
余裕を持って弾けたというか、のびのびと弾けたというか。ほとんど緊張しませんでしたね。
今の自分の演奏として満足の出来です。
(というのは次回弾いたらもっとうまいこと弾けるかもな、という曲もありました)

イソヒヨドリは中間部で乗ってからは本当に自己ベストの演奏でした。弾けるようになって良かった!そしてこれから他の鳥カタに挑戦するのにつなげていける、と思う演奏になって良かった。
ラフマニノフはまだ(特に第4番が技巧的に)改善の余地ありでしたがドビュッシー、フォーレ、ヒメコウテンシはもうあんま細かいとこつつく必要ないです。ただ録音で聞くのはちょっと怖いですが(笑)
ダイシャクシギは謎の部分スキップ(自分でも一瞬気づかないくらい自然につながる短い箇所を飛ばしたのですが)がなにより謎でした。あれさえ無ければ、とも思うのですがあまりにも自然でまだ戸惑っています。

今回のリサイタルを録音してくれた友達(音楽界隈から唯一の聴衆)はラフマニノフの第8番がベスト演奏だと言ってくれました。
それから親友とその彼がちょっとプログラム組みについて色々感想をくれました。イソヒヨドリでスタートは音楽背景が比較的強くない聴衆にとってちょっとハードルが高いというか、耳が慣れたり入り込むのに時間がかかる、とのこと。むしろ最後まで聞いてから最初の曲を聴きたかったそうで(笑)次回のプログラム組みにはそういうところもちょっと考慮してみようと思います。

やっぱり集客がまだ次も課題ですね。CD配って聞いてもらうトータル人数分>その場にいる人数ですから。音楽界隈から友達に来てもらわないと。(今回先生も欠席でしたから)

今はまだちょっと考えられてませんが次何弾こうか楽しみです。
今回のレパートリーが自然色で絵画的な、全般的に健全な曲ばっかりともいえるラインアップだったので不健康な曲とかバランスが崩れ気味とか不安定とか闇の曲とか弾きたいです。
レパートリーとして揃えるのはまだ先として早いうちにちょっと挑戦してみたい曲もあります。夜ガス(ラヴェルの夜のガスパールを略してみました)とか。次弾きたい鳥カタはすでに弾いたことがある小さい2曲(のつもりでいる)なので20のまなざしも進めたい。
最近スコアも買ってなかったんでそこら辺の買い物も楽しみ。

買い物といえば日本に行く前に買い物がたくさんあるんですよ。お土産はもちろんですがこの秋冬、下手すりゃもっと長い間ちゃんと服を買ってないので(汗)
明日も仕事ありますし、それから田舎の友達のところに遊びに行く予定もあるのでそこもしっかりせんとです。

とりあえず、お疲れ様。新しい一年へ。
そして支えてくれた周りの皆に感謝。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「ダイシャクシギ」



メシアンの音楽に並ならぬ思い入れがある私ですが、その中でダイシャクシギという作品に対する愛も大変なものです。何度もここで書いていますが。
鳥のカタログでもこの曲に似てる曲ってないですし、メシアンの作品まで広げてもほとんどないと思います。
似てる、という話なら舞台になってる場所がブルターニュでケルトの文化影響があるのが関わってるのかイギリス音楽で近い作品があるかも・・・?ピアノ作品では分かりませんが。

それからメルボルンに住んでると(前回紹介したイソヒヨドリとは対照的に)なかなか見られない景色なんですよね、この曲は。外国の景色で、異世界の景色。
いつか行ってみたいです、ウェッサン島。ついでにブルターニュの本土の方で美味しい牡蠣とか海鮮とかガレットとかいただいたりして。できたらダイシャクシギがいる季節に(日本と同じく向こうも秋冬あたりの渡り鳥だったはず)。

そういえばこの曲を弾いたり聞いたりすると萩尾望都の漫画で読んだレイ・ブラッドベリの「霧笛」という話を思い出します。というか今振り返ってみると(母のところにあるんで思い出すくらいしかできないんですよ)自分のこの「ダイシャクシギ」の解釈ってそこに源がちょっとあったりするかもしれない、と思うこともあったり。
霧や海が別の世界につながる、というようなアイディアは確かにそこらへんから来てるかもしれない。

弾いている間に曲の解釈に関するイメージが膨らんだり、全く新しいアイディアがとってかわったりという曲もあるのですがダイシャクシギは当分今のイメージのままだと思います。なんたってメシアンが最初にかなり詳細に書き記してくれちゃってるので大きくは変わりようがなかったり(笑)
その分そのイメージがマンネリにならないよう、いつまでも鮮明に自分の心に抱いて演奏していきたいと思います。

次この曲を演奏できる機会を作れることを願って。

拍手[1回]

明後日。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
明日は現地でリハーサルしてラーメン食べにいく予定なのでおそらくこれがリサイタル前最後のブログ更新。
ということでお知らせ。

<ピアノリサイタル 「Tableaux」>
9月28日 午後2時半開演
Richmond Uniting Church
プログラム:
メシアン 「鳥のカタログ」より第3曲「イソヒヨドリ」
ドビュッシー 「映像」第2集
メシアン 「鳥のカタログ」より第8曲「ヒメコウテンシ」
フォーレ 前奏曲 op.103より第3、8、6、5、7番
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」op.39より第4、8、7番
メシアン 「鳥のカタログ」より第13曲「ダイシャクシギ」

リサイタル準備にかける時間、集客、リサイタル前のメンタル的な臨み方とか色々すでに反省したいこと色々あるのですがとりあえず演奏自体に関しては今これ以上望むものはほぼないかな、なんとか。

ただ明後日の天気が心配。16度で雨。一応午前中にあられありで午後に向かって和らいでいくとはあるんですが、それでも天気が悪くて寒いことに変わりない。いちおう教会もヒーターがあるんですが去年もっと暖かいときにリサイタルやってたら演奏中にどんどん緊張で指が冷えてったようなこともあるのでどうしてもgrumble grumbleしています。

前も書いたと思いますが同日同時刻に同地域でオーストラリアンフットボール(Footie)のグランドファイナルなんですよね。Hawthorn HawksとFreemantle Dockers。
リサイタルよりもそっちのほうが天候の影響は大きいですものね。毎年この春という天気が変わりやすくしかも風とか霰とかぐっちゃぐちゃになりやすい季節にプロテクターなしの男たちがぶつかりあうという。ただでさえ激しいスポーツの熱狂するファイナルなんですが。

話は逸れましたがそんなわけで(人に来てもらえるかどうかも心配ですが)弾いてる間鳥の反応はなかなか望めそうにないです。そこは残念。いると本当に心強いですし、なんとなく自分にとってホームな感覚をつかめると思うので。

それにしてもやっぱりちょっと諸々曲を長いこと弾き過ぎたかなーという感はなくもなく。
ただ「イソヒヨドリ」はほんと難しくて時間がかかりましたし、弾きたくて待ってる時期も長かったので(もっと速く習得できればよかったと思いながらも)長く弾いて全然OKだったな、と。
そして同じく鳥カタから「ダイシャクシギ」は明後日が最後になるのがとにかく寂しいです(他の曲もそうですがこれは特別)。
もちろん一生にこれが最後にはしないですが、ダイシャクシギは弾くとしたらプログラムの最後にしたくなることが多いため使いどころが難しく、色んな性質のプログラムを弾く中でそう頻繁には演奏できない。なので次弾くのは少なくとも数年後になるかな。大好きなんですがこればかりはしょうがない。

今はちょっと(フライングで)考え始めたくも考えないようにしてる、これから弾きたい諸々のこともちゃんと考えれられるようになるのが楽しみ。
欲求の方向性は大体定まってるのでプログラムが固まるのは時間がかからないかな。

そうそう、話はかなり変わりますが以前クロノス・カルテットのコンサートに行ったとき最初に演奏されたBryce Dessnerの「Aheym」という曲がこんどクロノスが出すCD「Aheym」に収録されるそうです。
私はクロノスはほぼ電子媒体で揃えてるのでiTunesでダウンロードの予約注文をしましたが、この「Aheym」はmp3アルバム、CD、さらにLPでもリリースするそうです。
で、その「Aheym」からの「Aheym」のフル試聴がようつべにアップされたのでこちらに動画をリンク。ユダヤの影響が聞き取れる、とにかくかっこいい曲です。


アルバムは11月上旬にリリース、それも楽しみにしています。

あと日本に行く前に何枚かCD買いたい(&日本で拾うように注文したい)のでそれも楽しみ。ちゃんと決めな。
その前にちゃんとがんばってきます、リサイタル。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「イソヒヨドリ」



ここ1年この曲にチャレンジできて、ある程度というか結構自分のものにできたことは本当に幸せです。
弾いてて楽しいですし、最初っから迷いなしに崖の和音をぶつけることができるのが今回のリサイタルの第1曲としてふさわしい曲だと思います。

今回のリサイタルのプログラムは海に始まり海に終わり、途中で水を思わせる曲もいくつかありますが本当に青い水を表すのは実はこの曲だけ。他の曲は灰色がかってたりニュアンスが曲によって大分違ってきます。
空の青も海の青も、そしてイソヒヨドリの青も色合いは違えどみなビビッドで爽快な青。
メルボルンに住んでいて少なからず親しみがある色彩です。

やっぱり一番好きなのは(イソヒヨドリの歌声自体もありますが)中間部のガムラン的な舞踏的なダイナミックな部分。
メシアンのリズムと、独特な東洋の影響、そしてハーモニーや鳥の声が凝縮されたあっというまのクライマックスです。
実は家のピアノで弦が切れたのはここら辺なんで最近ちょっと無意識にためらいがあるような気もしてたんですが、本番では臆せずがっつり楽しみたいです。

鳥カタにはこの曲に似た地方を扱ってたり、似たような鳥の種類を扱ってたりする曲がもういくつかあります。そのなかでもこの「イソヒヨドリ」が特別なのがその主役のイソヒヨドリの歌声の扱い方かな。
他の曲もまた似たような地方・景色を描いていても別の鳥やエレメントに焦点をあててたり、それぞれの魅力があって面白いです。

鳥カタとしては中規模のちょっと長めの曲で今後どれだけプログラムに組み込む機会があるか分かりませんが機会があればその青さを生かせるプログラムにしたい。
自分にとって大切なレパートリー、鳥カタコンプリートに向けて&一生大事にしてきたいです。

拍手[1回]

弾くことと聴くことと
あと1週間です!

<ピアノリサイタル 「Tableaux」>
9月28日 午後2時半開演
Richmond Uniting Church
プログラム:
メシアン 「鳥のカタログ」より第3曲「イソヒヨドリ」
ドビュッシー 「映像」第2集
メシアン 「鳥のカタログ」より第8曲「ヒメコウテンシ」
フォーレ 前奏曲 op.103より第3、8、6、5、7番
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」op.39より第4、8、7番
メシアン 「鳥のカタログ」より第13曲「ダイシャクシギ」

昨日は現地リハーサルに行ってきました。
ピアノはあったかい音をしてるのでうちのピアノで懸念があったことも心配ないじゃないか、なんてことも少なくなかったです。
あとは来週もちょっと余韻とか間の取り方とか試すかな。

今日練習しながら色々考えてました。
この曲の連なりが(自分で組み合わせたんですが)ものすごく好きで、このプログラムの演奏を聴く側だったらいいなあ、と思って。
ただその曲の連なりにかける思い入れ(それが演奏に現れるかというとちょっと自信がないのですが)は曲を組み合わせた自分のもので、それを今まで1年色んな体験を糧にして作り上げてきたもので。
同じプログラムを弾いても個々の曲・プログラム全体の解釈とか演奏とかは違ってくるし、だから別のものになるわけです。
もしもこのプログラムを自分よりもっと技巧・表現に優れたピアニストの演奏で、でも自分の経験とか思い入れとかをそのままにした演奏を聴けたらベストだなーと。

演奏する時って音楽を形にする独特の楽しさと気持ちよさはありますけど、同時に音楽を聴くときみたいに完全に力を抜いて全神経で音楽を感じて吸収する楽しさとは両立できないんですよね。
音楽を演奏するのも好きで、それと同じくらい聴くのも好きで。今回のプログラムは(前回よりさらに)弾きたいプログラムであり自分が聴きたいプログラムなのでそれを弾く・聴くどっちの側面からも味わいたいというジレンマ。

結局は自分のプログラム組みの自画自賛によるものなんですけどね(笑)
これくらい自分でも好き!といえるリサイタルプログラムが組めればと思います。

でも今はほんと視野というかアンテナというかがほんと狭まってて。本番に向けて集中力とメンタルを守る反応みたいなものなんでしょうが地味にこたえる(前も書いてますね)。
創作関連はほとんど考えられなくなりましたし、聴く曲の範囲もぐっと狭まっています。

そんな中本番の日に聴く用のプレイリストをちまちま作ってるのですがこの作業も面白い。
リサイタルで弾く曲自体は聴かないのですが(というかもう長いこと聞いてませんね)、それに似た精神・キャラクターを持った曲を(主にクラシック以外で)選んでます。それから聴いてて自分の心が楽になる曲も選んだり。
去年はヴィラ=ロボスのブラジルのバッハ第4番の第2楽章に通じるところのある聖飢魔IIの「Arcadia」が入ってました。
今年はまだ確定してないのですがとりあえずフォーレの前奏曲第7番に絡めてface to aceの「Has Come」が入ってたりします。

このプレイリストはリサイタルが終わったら役目が終わるのですが(でも去年のとっとけばよかったなー)、曲の間に感じるつながりは本番の前に聴くことでその後も続きます。それがまた新しく曲と曲のつながりを生んで、プログラムのアイディアにつながったり。
人の縁と似たように曲と曲の縁も自分の想像力や体験を通してつながり広がるもので、そうやって曲と曲をつなぎ合わせるのが好きです。

演奏する側面だったり聴いて楽しむ側面だったりプログラム組みだったり、もっとちゃんと説明したい話です(別々に)。今はちょっと無理ですが。
そうそう、ここでこんな形で書くのもあれですが、前回選曲・曲順を含むプログラム作りは先生の影響が大きいと書きましたが去年の一時帰国の時に聴きに行ったface to aceのライブのセットリストに感じたものも影響の一つになっています。ジャンルこそ違えど他にもちょこちょこ目立たないところ・説明できないところでお二人には影響を受けている・・・と思っています。
今年も聴きに行くのが本当に楽しみです。聴く方の楽しみを心おきなく。


今日の一曲: ガブリエル・フォーレ 前奏曲 op.103 第5番



今回のリサイタルで初めてピアノでフォーレを弾くわけですが、結局全部で5曲選んだ前奏曲のうちではこの第5番が一番好きな曲だと思います。(ちなみに前奏曲集全体では9曲あります)

やっぱりニ短調とか音階の7つめの音を半音上げない(もうあんまり珍しくはないですけどね)とか自分にツボな要素がちょこちょこあるのもそうですが、全体的な音楽としての存在感が素晴らしい。
嵐のような激しさ、暗さ、そしてメロディーが翔けながら指の下でつむじ風が回る感覚。弾いててとにかく気持ちいい。うまく表現できれば(そして特に近くで聴ければ)聴いてる方も気持ちいい。

でも例えばマーラー1番の第1楽章とかシュトラウスのアルプス交響曲の嵐みたいなでっかいスケールの嵐じゃないんですよね。あくまでも「コップの中の嵐」みたいな感覚。なので↑で書いたように近くで味わうのが本来の姿だと思います。
大規模な嵐も大好きなのですが、手の内に収まるほどのスケールの嵐もまた別の愛しさがあります。

そして何より自分がこの曲を好きになったのが最初の2/3の荒々しい部分と最後の1/3の打って変わった静けさのコントラスト。
実際楽譜を見るとちょうどその変化がページをめくるところになっていて最初「!?」とびっくりしました。ほとんど別の曲ですよ。
静けさ、とは言いましたが静かながらも相変わらずの雲が立ちこめた暗さ、そしてどこか不穏さが続くような空気。それがまた独特で愛しい。

そういえばWikipediaかどっかでこのセクションが同じくフォーレの「レクイエム」の「Libera Me」に似ている、という記述があってなるほど、と思いました。その類似には気づかなかったのですが言われるとなんとなくそうですし、確かに私もフォーレのLibera Meはものすごーく好きです。

録音はいつもので。コラール演奏のボックスセット。
今言及がありましたレクイエムも(去年のABC Classic 100フランス音楽カウントダウンで第3位に輝きました)素晴らしい曲なので是非聴いてみてください。

拍手[1回]

あと2週間を切りました。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
ここ数日なんだか「アナライズ」だと表示されないけれどその大分前に設置した古い方のアクセス解析だと表示されるfacebook経由と思われるアクセスでカウンターが回ってたのですがどうしたものだろう。謎。

そういえば今日歩いてスーパーに行った帰りにいきなりスーツ着た男性4人組に写真とってもらえないか聞かれました。(写真は撮りましたが飲み物は辞退しときました)
シティで道を聞かれることはちょこちょこありますがこういうパターンは初めて。ちょっと戸惑いました。

さて、昨日でリサイタルまで2週間になりました。
毎度ながらお知らせ。

<ピアノリサイタル 「Tableaux」>
9月28日 午後2時半開演
Richmond Uniting Church
プログラム:
メシアン 「鳥のカタログ」より第3曲「イソヒヨドリ」
ドビュッシー 「映像」第2集
メシアン 「鳥のカタログ」より第8曲「ヒメコウテンシ」
フォーレ 前奏曲 op.103より第3、8、6、5、7番
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」op.39より第4、8、7番
メシアン 「鳥のカタログ」より第13曲「ダイシャクシギ」
前回プログラム書いたときとちょーっとだけ曲の順番が変わってます。
なんとなくこっちのほうがいいかなーと。

なによりイソヒヨドリがなんとか仕上がったのが嬉しいです。
ほぼ1年丸々弾いてきたとはいえつい最近までもっと苦戦するかと思ってました。
(逆にダイシャクシギの仕上がりにどうも満足でないのですが)
イソヒヨドリもダイシャクシギも中規模(13分前後)の鳥カタ。まだまだこれくらいの曲は残ってますが今回この2曲を弾いたことで同規模の鳥カタが少しは楽になるといいなあー(少なくとも1年かからないといいなあー)と思ってるのですがさてどうなるか。

今日も練習してたのですがイソヒヨドリを弾いてたらいきなりピアノの弦が切れました。
しかも低音の太い弦。すごい音がしてびっくりした!
家のピアノ、というかアップライトピアノで弦を切ったのは初めて。低音の弦を切ったのも初めて。
なんかびっくりしすぎてちょっと緊張が解けました。練習中に弦が切れると(大学ではよくありましたが)なんだか変なテンションになるのは私だけでしょうか。

ピアノはフェルト→金属とはいえハンマーが弦を叩く楽器です。なのでそうやって弦が切れるということはちょくちょくあります。
ただ弦が切れやすくなる要因というのももちろんあります。
例えば弦が細いこと、張力が高いこと(=高い音の弦の方が切れやすい)、温度や湿度が変わりやすいこと(メルボルンはきつい)、弾かれる時間の長さ、それから奏者の弾き方(音の大きさもそうですし、同じ大きな音でも力が入ってると切れやすい)なども関連してます。
うちのピアノはもう10年くらい前に中古で買ってるので(一日2時間練習とはいえ)ピアノも大分くたびれているはず。早かれ遅かれ起こったことでしょう。

以前書いたかも知れませんが大学在学中に大学のMelba Hall にあるスタインウェイのコンサートグランド(=長いやつ)の弦が切れたことがあります。オケのコンサートの諸々の都合で実際切ったのは友達ですが切れるまで追い詰めたのは私、というちょっと変わった事情。
あのピアノはMelba Hallのステージで使う3台のスタインウェイのうち一番使用頻度が多いやつで、まだ発展途上のピアニスト達が弾く楽器で、さらに高音の音が響かないという特性があるため音を出すために力が入りやすい音域でもあったわけです。
(私が弾いてたのはショスタコの交響曲第1番のピアノパートなのでフルオケと一緒でも聞こえるよう、そしてショスタコらしく堅いフォルテを出すことが求められてた、ということでそのピアノにとってはかなり悪条件でした)

幸い演奏中に弦が切れたことはないのですがもしも本番中に弦が切れた場合、切れた部分が邪魔になるようなら手で取り除いてしまう、ということも見たことがあります。(本番中以外なら調律師さんに替えてもらうのが一番。)自分にできるかというと自信がないのですが。
それに弦が一本切れるとその周りの弦の張力・音程も変わってしまうことが少なくなくて、それがまた困ります。

あとピアノじゃなくてうちのチェロはちょっと細長い形をしてるのがあれなのか買ったばかりのときに弦を張ろうとしたら弦が切れました。今でもかなり慎重にやってもものすごく危ない感覚があります。
ちなみにアップライトピアノは弦が切れたとき感覚がないんですね。なのでどこが切れたかも中を見るまで分からなかったのですが。グランドピアノは切れた時の振動が戻ってくる感覚があったはず。そしてチェロはペグを回してるときに「こいつは来るな」みたいな感覚があります。むちゃくちゃ怖いです。

さて、今回はここら辺で。何より思考に余裕がない中夕飯後のゲームやらなんやらは楽しみたい。といってもブラック2ではまだ四天王に踏み切れず、暇つぶしに行ったレンタルトーナメントはイッシュ地方のポケモンしか出てこなくて&トーナメントの形式がちょっと残念だったり。なので今はソウルシルバーのバトルファクトリーです。こちらもカントー諸々やってないのですがここが一番落ち着きます(笑)困ったものです。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」より「ヒメコウテンシ」



さっきアクセス解析見たら検索キーワードにこの曲がありました。お探しの情報が見つかったか自信がないのですがこの曲を初め鳥カタ、メシアン全般好きになるきっかけになると嬉しいです(難しいですが)。

この曲は鳥カタの中でも短くて比較的鳥の声がわかりやすいので聞くにも弾くにも入りやすい・・・かな?
ヒバリが3種類(ヒメコウテンシ・カンムリヒバリ・ヒバリ)も出てくるのが特徴的なので鳥の声を意識するのにもいいかも。

曲の舞台はプロヴァンスの山の中(荒れ地的な)なのですが、この乾いた暑さはこれから来るメルボルンの夏に通じるところがあります。乾いた土地、乾いた風、そして高い空。
鳥の種類こそ違えど親しみを感じる環境です。

ところでメシアンは常に鳥の声はどの種類か特定してますが、この曲に出てくる「蝉の声」はどんな種類の蝉なのか書いてないので気になります。
南フランスといえばファーブル先生の本拠でもあるのでファーブル昆虫記に言及されているのと同じ種類だということもありえますよね。手元にないんで詳しいことはわかりませんが。

この曲の最後の方でかなり長いソロを歌い上げるヒバリ(ヒバリの中のヒバリ)の声はいつ弾いても・聞いても見事だと思います。
他の西洋クラシックの音楽作品だったり(おそらく文学も?)、日本の文学作品でも取り上げられるのがものすごく納得です(ただここでさらっと例が出せないのが悔しいです!)
あれだけ美しくて特徴的で、そして独特の高揚感をもたらすメロディー。人間には真似できない感性です。

今日はムラーロの演奏をリンク。自分の弾いてる曲は弾いてる間はあんまり他の録音を聞かなくなるんで何を紹介しようかちょっと迷いました。

拍手[1回]